織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係−永禄十三
年正月二十三日付け「五ヶ条の条書の検討を中心と
してー
著者
久野 雅司
著者別名
Masashi KUNO
雑誌名
東洋大学人間科学総合研究所紀要
巻
22
ページ
258(001)-234(025)
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00012026
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaは
じ
め
に
戦 国 大 名 の 織 田 信 長 と 室 町 幕 府 の 将 軍 足 利 義 昭 は 、 永 禄 十 三 年 ︵ 一 五 七 〇 ︶ 正 月 二 十 三 日 付 け で 五 ヶ 条 か ら な る ﹁ 条 書 ﹂ で 役 務 規 定 を 締 結 す る︵ ︶ 。 従 来 の 見 解 で は 、 こ れ は 信 長 か ら 義 昭 に ﹁ 押 し 付 け ら れ た ﹂ も の で あ り 、 義 昭 は 信 長 の 圧 力 に 屈 し ざ る を 得 ず 承 認 さ せ ら れ た と さ れ て き た︵ ︶ 。 こ れ に よ っ て 義 昭 の 将 軍 権 限 は 規 制 さ れ 、 政 治 的 行 動 が 制 限 さ れ る こ と に な っ た と 考 え ら れ て き た︵ ︶ 。 さ ら に 信 長 が 同 日 付 け で 二 十 一 ヶ 国 に お よ ぶ 諸 国 の 大 名 ・ 国 衆 等 に 上 洛 を 命 じ た こ と と︵ ︶ 、 ﹁ 条 書 ﹂ 締 結 後 に 上 洛 し た 信 長 の 待 遇 と 併 せ て 解 釈 さ れ て︵ ︶ 、 ﹁ 条 書 ﹂ は 信 長 が 義 昭 か ら 将 軍 権 限 を 委 譲 さ せ て 幕 府 と 将 軍 義 昭 を ﹁ 傀 儡 化 ﹂ し た こ と を 示 す 重 要 な 史 料 と 考 え ら れ て き た︵ ︶ 。 五 ヶ 条 の ﹁ 条 書 ﹂ の う ち 、 特 に 重 要 な の は 第 四 条 で あ る 。 こ こ に ﹁ 天 下 之 儀 、 何 様 ニ も 信 長 ニ 被 任 置 ﹂ と あ る こ と か ら 、 ﹁ 天 下 之 儀 ﹂ は 将 軍 権 限 と 解 釈 さ れ 、 信 長 は 将 軍 義 昭 か ら そ れ を 委 任 さ せ て 将 軍 の 代 行 に な っ た と さ れ て き た︵ ︶ 。 こ れ に 対 し て 神 田 千 里 氏 は 、 当 該 期 に お け る ﹁ 天 下 ﹂ の 意 味 を 詳 細 に 検 討 し 、 地 理 的 に は 京 都 を 中 心 と し た 五 畿 内 で 、 将 軍 が 管 掌 す る 領 域 で あ る こ と を 明 ら か に し た︵ ︶ 。 さ ら に 信 長 が 政 治 的 目 標 と し た 他 国 の 大 名 を 武 力 に よ っ て 打 倒 し て ﹁ 天 下 統 一 ﹂ す る 意 志 を 示 し た ﹁ 天 下 布 武 ﹂ は 、 室 町 幕 府 の 再 興 で あ る と す る 見 解 を 示 し た 。 金 子 拓 氏 は 神 田 氏 の 指 摘 を 積 極 的 に 評 価 し 、 信 長 に 委 任 さ れ た の は ﹁ 天 下 ﹂ を 維 持 す る 役 割 で あ り 将 軍 権 限 の 全 て で は な く 限 定 的 で 、 信 長 の 判 断 で 成 敗 す る ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ を 維 持 す る 役 割 だ っ た と 指 摘 し た︵ ︶ 。 信 長 と 義 昭 の 関 係 に つ い て 筆 者 は 、 京 都 支 配 の 実 態 を 検 討 す る こ と に よ っ て 両 者 は 対 立 的 な 関 係 で は な く 実 際 に は 政 治 的 に 協 調 関 係 に あ っ た こ と を 明 ら か に し て き た︵ ︶ 。 ま た 、 ﹁ 条 書 ﹂ の 第 四 条 を 中 心 的 に 検 討 し て 、 軍 事 的 関 係 に お い て も 協 調 関 係 に あ っ た こ と を 明 ら か に し た 。 そ し て こ の ﹁ 条 書 ﹂ は 信 長 か ら の 一 方 的 な ﹁ 押 し 付 け ﹂ で は な く 、 政 治 と 軍 事 の 役 割 分 担 を 取 り 決 め た 約 諾 だ っ た こ と を 明 ら か に し た 。 し か し こ れ ま で の 検 討 で は 五 ヶ 条 の う ち 一 部 の 考 察 だ っ た こ と か ら 、 小 稿 で は ﹁ 条 書 ﹂ の 制 定 過 程 や 各 条 文 な ど を 全 体 的 に 検 討 し 、 信 長 と 義 昭 の 政 治 ・ 軍 事 的 関 係 に つ い て あ ら た め て 考 察 す る も の で あ る 。織
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東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) ‐ 258 ( )第
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年
正
月
前
後
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政
治
情
勢
と
﹁
条
書
﹂
締
結
の
経
緯
こ の ﹁ 条 書 ﹂ は 公 家 日 記 な ど の 同 時 代 史 料 や 後 世 の 歴 史 書 ・ 各 種 編 纂 史 料 、 各 大 名 家 の 諸 家 文 書 群 に 案 文 ・ 写 が 確 認 で き な い こ と か ら 、 巷 間 に 知 れ 渡 っ て こ な か っ た 。 信 長 と 義 昭 に よ っ て 締 結 さ れ た 後 、 初 め て 衆 目 に 触 れ る こ と に な っ た の は 明 治 四 十 三 年 ︵ 一 九 一 〇 ︶ に 開 催 さ れ た 展 示 会 で あ っ た 。 そ れ か ら は 、 こ れ を 参 観 し た 渡 辺 世 祐 氏 が 全 文 を 翻 刻 し て 信 長 ・ 義 昭 の 関 係 を 論 じ た 論 文 を 表 し た こ と か ら 、 広 く 一 般 に 知 ら れ る と こ ろ と な っ た︵ ︶ 。 渡 辺 氏 は 結 論 的 に 、 こ の 条 書 に よ っ て 信 長 に 政 権 が 委 託 さ れ る こ と に な り 、 そ の 前 後 か ら 両 者 の 関 係 は 不 和 と な っ た と 述 べ た 。 こ の 見 解 は 近 代 以 降 の 歴 史 学 に お い て ﹁ 定 説 ﹂ と な り 、 以 後 は 内 容 に つ い て 具 体 的 に 検 討 さ れ る こ と な く 受 け 継 が れ て 定 着 し た 。 そ し て 、 信 長 と 義 昭 は 対 立 的 な 関 係 で 、 義 昭 は 信 長 の 傀 儡 だ っ た と す る 見 解 が 通 説 と な っ て き た︵ ︶ 。 こ こ で 、 ま ず は 全 文 を 掲 載 し て 様 式 に つ い て 確 認 し て お く 。 ︹ 史 料 ︺ 永 禄 十 三 年 正 月 二 十 三 日 付 け 足 利 義 昭 ・ 織 田 信 長 条 書 ︵ ﹁ 成 簣 堂 文 庫 所 蔵 文 書 ﹂ ﹃ 信 長 文 書 ﹄ 第 二 〇 九 号 文 書 ︶ [ 黒 印 ] ︵ 印 文 、 義 昭 宝 ︶ 条 々 一 、 諸 国 へ 以 御 内 書 被 仰 出 子 細 有 之 者 、 信 長 ニ 被 仰 聞 、 書 状 を 可 添 申 事 、 一 、 御 下 知 之 儀 、 皆 以 有 御 棄 破 、 其 上 被 成 御 思 案 、 可 被 相 定 事 、 一 、 奉 対 公 儀 、 忠 節 之 輩 ニ 雖 被 加 御 恩 賞 ・ 御 褒 美 度 候 、 領 中 等 於 無 之 ハ 、 信 長 分 領 之 内 を 以 て も 、 上 意 次 第 ニ 可 申 付 事 、 一 、 天 下 之 儀 、 何 様 ニ も 信 長 ニ 被 任 置 之 上 者 、 不 寄 誰 々 、 不 及 得 上 意 、 分 別 次 第 可 為 成 敗 之 事 、 一 、 天 下 御 静 謐 之 条 、 禁 中 之 儀 、 毎 事 不 可 有 御 油 断 之 事 、 已 上 永 禄 十 参 ︵ 織 田 信 長 印 、 ﹁ 天 下 布 武 ﹂ ︶ 正 月 廿 三 日 ︵ 朱 印 ︶ 日 乗 上 人 ︵ 光 秀 ︶ 明 智 十 兵 衛 尉 殿 ﹁ 条 書 ﹂ の 発 給 者 は 、 日 下 に 印 文 ﹁ 天 下 布 武 ﹂ の 朱 印 が 捺 さ れ て い る こ と か ら 織 田 信 長 で あ る 。 信 長 は こ れ を 永 禄 十 三 年 正 月 二 十 三 日 付 け で 認 め 、 日 乗 上 人 と 明 智 光 秀 に 宛 て て 発 給 し た 。 そ し て 両 者 か ら 義 昭 に 披 露 さ れ 、 義 昭 は 内 容 を 確 認 し た 上 で 袖 に 判 を 捺 し た 。 こ れ に よ っ て 、 各 条 文 が 効 力 を 有 す る 役 務 規 定 と な っ た 。 こ の よ う な 臣 下 の 者 か ら 差 し 出 さ れ た 条 書 に 将 軍 が 袖 判 を 捺 し た 様 式 は 、 室 町 幕 府 の 制 度 上 に お い て 特 異 な 文 書 で あ る 。 さ ら に 渡 辺 氏 は 発 給 さ れ た 時 機 に 着 目 し 、 永 禄 十 二 年 十 月 の 伊 勢 平 定 後 の 上 洛 で 、 大 和 興 福 寺 の 住 僧 が 記 し た ﹃ 多 聞 院 日 記 ﹄ 永 ︵ 競 り 合 い ︶ 禄 十 二 年 十 月 十 九 日 条 に ﹁ 上 意 ト セ リ ア ヰ テ 下 了 ﹂ と あ っ て 両 者 の 間 に 不 和 が 生 じ て い る こ と か ら 、 伊 勢 平 定 に よ る ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ と ﹁ 条 書 ﹂ と の 関 連 性 を 指 摘 し た 。 信 長 は こ の ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ で 急 遽 美 濃 へ 帰 国 し た こ と か ら 、 朝 廷 で も 正 親 町 天 皇 が 憂 慮 し て 信 長 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 257へ 女 房 奉 書 を 発 給 す る 事 態 と な っ た︵ ︶ 。 こ の こ と か ら 花 見 朔 巳 氏 は 、 勅 使 を 美 濃 に 派 遣 し て 勅 書 に よ っ て 信 長 を 慰 撫 し た こ と に よ っ て 、 信 長 と 義 昭 の 間 で 一 時 協 約 が 成 立 す る こ と と な り 、 そ の 結 果 と し て 信 長 か ら 義 昭 へ ﹁ 条 書 ﹂ が 提 出 さ れ 、 義 昭 は 心 な ら ず も 承 認 す る に 至 っ た と 指 摘 し た︵ ︶ 。 で は 、 伊 勢 を め ぐ る 問 題 が ﹁ 条 書 ﹂ 締 結 の 契 機 と 考 え ら れ て い る こ と か ら 、 こ の 点 を 検 討 す る 。 信 長 が 義 昭 に 供 奉 し て 上 洛 す る の は 、 永 禄 十 一 年 九 月 二 十 六 日 で あ る 。 そ の 前 後 の 領 国 支 配 の 拡 大 過 程 に つ い て は 美 濃 平 定 が 中 心 的 に 論 じ ら れ て お り 、 同 時 期 に 展 開 さ れ た 伊 勢 侵 攻 は 注 目 さ れ て こ な か っ た 。 ま た 、 上 洛 も 含 め て ほ ぼ 全 て 他 国 へ の 侵 攻 と 信 長 の 戦 争 は 、 信 長 の 好 戦 的 な 性 格 と 旺 盛 な 領 土 獲 得 欲 に 基 づ い て 展 開 さ れ た と さ れ て き た [ 註 ︵ ︶ 池 上 裕 子 氏 著 書 ] 。 そ れ で は 信 長 の 伊 勢 侵 攻 は 如 何 な る 理 由 に よ っ て な さ れ た の か を 検 討 す る 。 伊 勢 国 は 北 畠 氏 が 国 司 に 任 じ ら れ 、 代 々 世 襲 し て 支 配 さ れ て い た 。 伊 勢 の 隣 国 の 尾 張 国 を 領 有 す る 信 長 が 北 伊 勢 に 侵 攻 す る の は 、 永 禄 十 年 八 月 美 濃 平 定 後 の 翌 年 二 月 か ら の こ と で あ っ た 。 尾 張 ・ 美 濃 を 平 定 し た 信 長 は 、 さ ら に 勢 力 を 伸 張 さ せ て 支 配 領 域 の 拡 大 化 を 図 り 、 次 の 国 を 征 服 す る に 至 っ た と さ れ る 。 し か し 信 長 は 京 都 へ の 上 洛 経 路 と し て 、 永 禄 十 一 年 九 月 に 実 際 に 上 洛 し た 時 の 美 濃 か ら 東 海 道 を 西 上 し 近 江 国 を 経 て 入 京 す る 行 程 と 、 伊 勢 を 経 由 し て 大 和 か ら 北 上 す る 行 程 の 二 つ を 計 画 し て い た︵ ︶ 。 美 濃 か ら の 経 路 は 永 禄 九 年 八 月 に 斎 藤 氏 と の 交 戦 に よ っ て 一 度 挫 折 し た こ と が あ り 、 さ ら に そ の 先 の 近 江 六 角 氏 は 三 好 三 人 衆 ︵ 三 好 長 逸 ・ 同 宗 渭 ・ 石 成 友 通 ︶ に 通 じ て い て 、 近 江 矢 島 に 居 た 義 昭 が 若 狭 へ 逃 亡 し た こ と か ら 、 東 海 道 か ら の 上 洛 は 確 実 性 が な く 不 安 定 な 政 情 だ っ た 。 上 洛 路 を 確 保 す る た め に は 、 伊 勢 も 勢 力 下 に 置 く 必 要 性 が あ っ た と 考 え ら れ る 。 そ の た め 、 北 伊 勢 攻 略 は 上 洛 政 策 の 一 環 と し て な さ れ た と 考 え る こ と が で き る 。 ま た 、 信 長 の 美 濃 平 定 戦 に よ っ て 斎 藤 龍 興 が 伊 勢 長 島 に 逃 亡 し た こ と か ら 、 龍 興 を 捕 捉 す る 目 的 も あ っ た と 考 え ら れ る 。 信 長 は 永 禄 十 一 年 二 月 に 伊 勢 の 神 戸 氏 ・ 長 野 氏 を 降 し て 、 北 伊 勢 を 勢 力 下 に 治 め た の だ っ た 。 次 い で 、 永 禄 十 一 年 九 月 に 上 洛 し て 畿 内 を 制 圧 し て い た 三 好 三 人 衆 等 の 勢 力 を 征 討 し た 後 、 永 禄 十 二 年 八 月 二 十 日 か ら 北 畠 氏 を 攻 め る た め に 再 び 伊 勢 に 侵 攻 す る 。 こ れ も 南 伊 勢 を 制 圧 し て 伊 勢 一 国 を 支 配 す る こ と を 意 図 し た 領 国 拡 大 戦 、 す な わ ち ﹁ 天 下 統 一 ﹂ の 一 環 と 考 え ら れ て い る 。 し か し 実 際 に は 、 北 畠 氏 の 内 訌 に 端 を 発 す る 領 土 紛 争 の 解 決 の た め に 出 勢 し た と 考 え ら れ る 。 伊 勢 侵 攻 は ﹃ 足 利 季 世 記 ﹄ ﹃ 諸 家 系 図 纂 ﹄ ︵ ﹃ 大 日 史 ﹄ ② 六 四 二 頁 ︶ に 拠 る と 、 北 畠 具 教 の 弟 で 伊 勢 国 衆 の 木 造 氏 の 婿 養 子 と な っ た 具 政 と そ の 子 の 長 政 は 、 具 教 に 背 い て 信 長 の 家 臣 と な っ た 。 そ の 背 景 に は 、 具 政 の 弟 で 出 家 し て い た 源 浄 寺 が 信 長 家 臣 の 滝 川 一 益 と 縁 者 と な り 、 還 俗 し て 滝 川 三 郎 兵 衛 ︵ の ち 羽 柴 雄 親 ︶ と な る 。 三 郎 兵 衛 と 木 造 家 家 老 の 柘 植 三 郎 左 衛 門 は 具 政 父 子 に 信 長 家 臣 と な る よ う 働 き か け た 。 こ れ を 受 け て 具 政 父 子 は 、 生 家 に 背 い て 信 長 の 家 臣 と な る 。 そ し て 北 畠 家 の 所 領 の 多 く を 安 堵 さ れ た た め 、 永 禄 十 二 年 五 月 か ら 一 益 と 共 に 具 教 領 に 侵 攻 し た 。 こ れ に 対 し て 具 教 が 反 発 し た こ と か ら 北 畠 一 族 内 で 諍 い が 起 こ り 、 こ の 紛 争 に 信 長 が 軍 事 介 入 す る こ と に な っ た 。 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 256 ( )
﹃ 原 本 信 長 記 ﹄ に 拠 る と 具 教 は 信 長 の 侵 攻 に よ っ て 降 伏 し 、 信 長 の 次 男 の 信 雄 を 養 子 と し て 迎 え て 、 十 月 四 日 に 大 河 内 城 を 一 益 ・ 津 田 掃 部 に 明 け 渡 し て 退 城 す る︵ ︶ 。 信 長 は 伊 勢 神 宮 を 参 詣 し て か ら 美 濃 へ 帰 国 せ ず に 直 に 上 洛 し 、 十 一 日 に ﹁ 御 上 京 、 勢 州 表 一 国 平 均 に 被 仰 付 た る 様 体 、 公 方 様 へ 被 仰 上 ﹂ ら れ た 。 そ し て 、 そ の 八 日 後 に 義 昭 と ﹁ セ リ ア ヰ テ ﹂ 美 濃 へ 帰 国 し た の だ っ た 。 こ の こ と か ら 信 長 は 伊 勢 平 定 を 義 昭 に 報 告 す る た め に 上 洛 し た こ と が 確 認 で き 、 こ れ に よ っ て 渡 辺 世 祐 氏 が 指 摘 し た 通 り 義 昭 と の 間 に 齟 齬 が 生 じ て ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ に な っ た 可 能 性 は 高 い と 考 え ら れ る 。 こ れ に つ い て 谷 口 克 広 氏 は 註 ︵ ︶ 著 書 で 、 ﹃ 勢 州 軍 記 ﹄ ﹃ 細 川 両 家 記 ﹄ ﹃ 朝 倉 記 ﹄ 等 の 江 戸 期 の 軍 記 の 記 述 か ら 実 際 に は 信 長 は 不 利 な 状 況 に あ り 、 朝 廷 と 義 昭 の 和 平 調 停 に よ っ て 劣 勢 に も 関 わ ら ず 有 利 な 条 件 で 講 和 を 締 結 し た と し 、 こ れ に よ っ て 義 昭 と の 間 に 力 関 係 の 変 化 が 生 じ た 可 能 性 を 指 摘 し て い る 。 し か し 、 ﹃ 原 本 信 長 記 ﹄ に は 平 定 戦 は 有 利 な 状 況 で 展 開 し 、 最 終 的 な 大 河 内 城 攻 め で 苦 戦 を し い ら れ た が 、 我 責 め を 止 め て 兵 糧 攻 め に 作 戦 を 切 り 替 え た こ と に よ っ て 北 畠 家 側 か ら 降 参 し た 様 子 が 詳 細 に 記 さ れ て い る 。 ﹃ 原 本 信 長 記 ﹄ は 信 長 の 弓 衆 だ っ た 太 田 牛 一 が 記 し た 史 料 で あ る こ と か ら 、 信 長 側 に 偏 っ て 都 合 よ く 記 述 さ れ た 可 能 性 が あ る た め 史 料 批 判 の 必 要 性 は あ る が 、 一 日 ご と に 諸 将 の 配 置 や 進 軍 の 行 程 、 侵 攻 の 経 過 が 詳 細 に 記 さ れ て い る こ と か ら 、 一 概 に 牛 一 の 信 長 側 へ の 偏 重 な 記 述 と は 考 え 難 い 。 ま た 、 講 和 を 実 現 化 し た 義 昭 へ 御 礼 の た め に 上 洛 し た の に 、 ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ が 起 こ っ て 帰 国 し た と い う の も 矛 盾 し た 見 解 で あ る と い え る 。 筆 者 は 註 ︵ ︶ 拙 著 [ 二 〇 一 七 ] で 、 こ の 時 に 幕 府 で は 家 格 秩 序 に 基 づ い た 武 家 の 再 編 成 が 行 わ れ て い た こ と か ら 、 軍 事 的 制 圧 の 実 力 行 使 に よ る 信 長 の 北 畠 家 併 呑 を 義 昭 が 諒 解 し な か っ た と す る 見 解 を 示 し た 。 北 畠 家 は 国 司 で 公 の 家 柄 で あ り 、 具 教 の 母 は 管 領 細 川 高 国 の 娘 で あ っ た ︵ ﹃ 系 図 纂 要 ﹄ ︶ 。 そ こ に 子 息 を 養 子 と し て 入 嗣 さ せ る こ と は 家 格 秩 序 が 乱 れ る こ と で あ り 、 そ の 再 編 を 進 め て い る 義 昭 に と っ て は 容 認 し 難 い こ と だ っ た と 考 え ら れ る 。 さ て 、 ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ に よ る 信 長 の 急 な 帰 国 は 、 朝 廷 で も 正 親 町 天 皇 が 憂 慮 す る 大 き な 問 題 と な っ た 。 そ し て こ の 後 の 永 禄 十 三 年 二 月 三 十 日 に 信 長 は 、 正 月 二 十 三 日 に ﹁ 条 書 ﹂ を 締 結 し て か ら 初 め て 上 洛 す る 。 公 家 の 山 科 言 継 が 記 し た ﹃ 言 継 記 ﹄ ︵ 同 日 条 ︶ に は ﹁ 織 田 弾 正 忠 信 長 申 刻 上 洛 、 公 家 ・ 奉 公 衆 或 江 州 或 堅 田 、 坂 本 、 山 中 等 へ 迎 ニ 被 行 、 上 下 京 地 下 人 一 町 ニ 五 人 宛 、 吉 田 迎 罷 向 ﹂ と あ り 、 信 長 を 出 迎 え る た め に 一 町 に 付 き 五 人 づ つ の 割 り 当 て で 人 夫 役 が 賦 課 さ れ て お り 、 公 家 や 奉 公 衆 も 山 城 国 に と ど ま ら ず 近 江 国 に 至 る ま で 出 迎 え に 赴 い て い る こ と が 記 さ れ て い る 。 ま た 、 信 長 は 上 洛 し た 翌 日 の 三 月 一 日 に ﹁ 信 長 禁 裏 へ 祗 候 、 直 ニ 参 、 著 衣 冠 御 作 事 回 覧 ﹂ ︵ ﹃ 言 継 記 ﹄ ︶ と 、 こ の 時 に 無 位 無 官 で 参 内 す る 資 格 は な か っ た が 、 禁 裏 御 所 の 修 理 を 回 覧 す る 名 目 で 特 別 に 衣 冠 を 着 し て 参 内 が 許 さ れ た 。 従 来 、 二 月 三 十 日 の 出 迎 え と 三 月 一 日 の 参 内 は ﹁ 条 書 ﹂ 後 で あ る こ と か ら 、 信 長 は 将 軍 の 権 限 を 委 任 さ れ て 代 行 と な り 、 将 軍 同 等 の 権 限 を 獲 得 し た こ と に よ っ て 身 分 的 に 変 化 が 生 じ た こ と を 反 映 し た 出 来 事 と さ れ て き た [ 註 ︵ ︶ 橋 本 政 宣 氏 著 書 ] 。 し か し そ 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 255
の 一 方 で 、 ﹁ 条 書 ﹂ は 明 治 期 に 至 る ま で 衆 目 に 触 れ る こ と は な か っ た こ と か ら 、 信 長 と 義 昭 に よ る ﹁ 密 約 ﹂ だ っ た と す る 指 摘 が あ る︵ ︶ 。 こ こ に も 明 ら か な 矛 盾 が あ る 。 ﹁ 密 約 ﹂ だ っ た と す る な ら ば 、 大 々 的 に 将 軍 代 行 に な っ た こ と を 誇 示 す る 必 要 性 が な く 、 か つ 他 者 が そ れ を 知 り 得 る こ と も な か っ た は ず で あ る 。 そ の た め 、 朝 廷 も 人 知 れ ず ﹁ 将 軍 代 行 ﹂ と な っ た 信 長 の 地 位 の 変 化 は 知 ら な い た め 、 無 位 無 官 の 信 長 の 参 内 を 許 す こ と は あ り 得 な い 。 で は 、 こ れ ら の 出 来 事 は 何 ゆ え に 起 こ っ た の で あ ろ う か 。 結 論 を 端 的 に 述 べ る と 、 ﹁ 条 書 ﹂ 締 結 は 花 見 朔 巳 氏 が 指 摘 し た よ う に 朝 廷 が 関 与 し た 可 能 性 が あ り 、 そ の 延 長 線 上 に 信 長 の 公 家 衆 を 含 め た 出 迎 え と 特 別 な 参 内 が あ っ た と 考 え ら れ る 。 ﹁ 条 書 ﹂ は ﹁ セ リ ア ヰ テ ﹂ 喧 嘩 別 れ し た 信 長 と 義 昭 を 、 第 三 者 の 朝 廷 が 憂 慮 し 仲 人 と し て 和 解 を 調 停 し た 結 果 に 取 り 結 ば れ た と 考 え ら れ 、 ﹁ 分 国 ﹂ に 帰 っ て し ま い 上 洛 す る 必 要 性 が 喪 失 し た 信 長 の 、 久 し ぶ り の 上 洛 を 朝 廷 と 幕 府 が 揃 っ て 歓 迎 を も っ て 歓 待 し た と 考 え ら れ る 。 で は 、 こ の 点 に つ い て 宛 所 の 日 乗 上 人 と 明 智 光 秀 を 通 し て 検 討 す る 。 日 乗 上 人 に つ い て は 、 三 浦 周 行 氏 と 荻 野 三 七 彦 氏 の 研 究 が あ る︵ ︶ 。 そ れ に よ る と 、 出 雲 国 神 門 郡 朝 山 郷 に 由 来 す る 朝 山 氏 の 出 自 で 、 美 作 国 の 出 身 だ っ た 。 近 江 国 ﹁ 三 井 寺 円 満 院 古 文 書 ﹂ 所 収 の 近 衛 前 嗣 宛 て 六 月 十 八 日 付 け 足 利 義 輝 書 状 に は ﹁ 今 度 日 乗 上 ︵ 奇 特 ︶ 人 夢 想 之 趣 具 承 候 、 き と く な る 儀 共 無 是 非 候 ﹂ と あ り 、 そ の ﹁ 夢 想 ﹂ は 江 戸 期 に 小 瀬 甫 庵 が 記 し た ﹃ 太 閤 記 ﹄ に は 荒 廃 し た 禁 裏 御 所 を 修 理 す る こ と だ っ た と あ る 。 こ れ に よ り 後 奈 良 天 皇 の 信 頼 を 得 、 上 人 号 が 授 け ら れ た 。 そ し て 、 ま さ に 夢 が 叶 っ た と い え る で あ ろ う か 実 際 に 御 所 の 修 理 を 作 事 し 、 弘 治 二 年 ︵ 一 五 五 六 ︶ 期 の 修 理 や 信 長 が 着 手 し た 永 禄 十 二 年 五 月 か ら の 修 理 を 行 っ て い る 。 日 乗 上 人 は 将 軍 義 輝 か ら の 信 任 も 得 て お り 、 出 自 に よ る 地 縁 的 な 関 係 も あ っ て か 永 禄 期 に は 義 輝 が 行 っ た 安 芸 毛 利 氏 と 豊 後 大 友 氏 と の 豊 芸 講 和 に お い て 、 使 者 と し て 現 地 に 派 遣 さ れ て い る 。 そ の 後 も 正 親 町 天 皇 と 義 昭 の 信 頼 も 得 、 禁 裏 御 所 で は 修 理 の 木 屋 を 設 け て 天 皇 に 近 侍 し て お り 、 義 昭 に よ る 豊 芸 講 和 に も 関 与 し て い て 、 さ ら に ﹃ 言 継 記 ﹄ に は ﹁ 日 乗 上 人 、 濃 州 へ 為 武 家 御 使 、 申 刻 下 向 ﹂ ︵ 永 禄 十 二 年 六 月 二 十 六 日 条 ︶ と あ る こ と か ら 、 美 濃 へ 義 昭 の 命 を 受 け て 下 向 し て い る こ と が 確 認 で き る 。 信 長 か ら も 信 頼 を 得 た よ う で あ り 、 ﹃ 言 継 記 ﹄ に は ﹁ 日 乗 上 人 、 自 濃 ︵ 曜 変 ︶ 州 上 洛 、 木 屋 へ 罷 向 、 於 勢 州 千 石 知 行 、 馬 鞍 、 轡 、 天 目 ヨ ウ ヘ ン 、 ︵ 熨 斗 付 け ︶ 刀 、 脇 指 各 ノ シ ツ ケ 、 織 田 弾 正 忠 信 長 出 之 云 々 ﹂ ︵ 同 七 月 六 日 条 ︶ と 、 信 長 か ら 伊 勢 に お い て 所 領 を 宛 行 わ れ 、 熨 斗 付 き で 馬 具 ・ 刀 剣 ・ 茶 器 を 贈 ら れ て い る こ と が 記 さ れ て い る 。 ま た 、 信 長 か ら 正 親 町 天 皇 の 皇 太 子 で あ る 誠 仁 親 王 へ 白 鳥 が 献 上 さ れ た 際 に は 取 り 次 ぎ を し て 披 露 し ︵ ﹁ 末 吉 文 書 ﹂ ﹃ 信 文 ﹄ 二 七 二 号 ︶ 、 永 禄 十 三 年 三 月 六 日 に は 信 長 か ら 光 秀 と と も に 公 家 所 領 の 調 査 を 命 じ ら れ て い る ︵ ﹃ 言 継 記 ﹄ ︶ 。 こ の よ う に 日 乗 上 人 は 、 朝 廷 ・ 幕 府 ・ 信 長 そ れ ぞ れ と 関 係 を 有 す る 存 在 だ っ た 。 一 方 の 明 智 光 秀 は 室 町 幕 府 の 幕 臣 だ が 、 義 昭 と 信 長 と の 間 に お い て 両 属 的 な 関 係 に あ っ た こ と は 周 知 な と こ ろ で あ ろ う︵ ︶ 。 光 秀 は 信 長 の 奉 行 と し て の 活 動 や 、 軍 事 的 に も 部 将 と し て 各 地 に 転 戦 し て い る 。 し か し 、 山 城 廬 山 寺 や 三 門 跡 な ど の 所 領 を 違 乱 し た こ 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 254 ( )
と に 因 っ て か 、 元 亀 二 年 ︵ 一 五 七 一 ︶ 十 二 月 に 剃 髪 す る 覚 悟 で 義 昭 に 詫 言 を 申 し 入 れ て 暇 乞 い を す る ま で は 、 義 昭 側 の 幕 臣 と し て の 性 格 が 強 か っ た と 考 え ら れ る [ 註 ︵ ︶ 拙 稿 b 二 〇 一 五 ] 。 ﹁ 条 書 ﹂ が 締 結 さ れ た 永 禄 十 三 年 正 月 二 十 三 日 の 前 後 に 、 光 秀 は 美 濃 に 下 向 し て い る こ と が 金 子 拓 氏 に よ っ て 明 ら か に さ れ て い る︵ ︶ 。 ﹃ 言 継 記 ﹄ 同 年 正 月 二 十 六 日 条 に よ る と 、 ﹁ 明 智 十 兵 衛 、 濃 州 へ 下 向 云 々 ﹂ と あ る 。 ま た 、 一 方 の 日 乗 上 人 も ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ の 後 の 永 禄 十 二 年 十 一 月 十 二 日 に は 美 濃 へ 下 向 し て お り 、 丹 羽 長 秀 の 邸 宅 を 宿 所 に し て 滞 在 し て い る こ と が ﹃ 言 継 記 ﹄ か ら 確 認 で き る 。 さ ら に 同 記 に よ る と 、 永 禄 十 三 年 の 年 初 は 帰 京 し て い る が 、 正 月 十 四 日 に は 出 京 し て お り 、 次 に 同 月 二 十 九 日 に は 帰 京 し て い る こ と が 確 認 で き る 。 時 機 的 に 美 濃 に 赴 い て い た と 考 え て 間 違 い な い で あ ろ う 。 こ れ ら の こ と か ら 、 光 秀 と 日 乗 上 人 は 信 長 と 調 停 交 渉 の た め に 美 濃 へ 下 向 し て い た の だ っ た 。 そ し て ﹁ 条 書 ﹂ が 締 結 さ れ た の で あ る 。 で は 、 こ こ ま で 検 討 し て き た こ と を ま と め 、 ﹁ 条 書 ﹂ 締 結 前 の 伊 勢 を 中 心 と し た 政 治 情 勢 と 、 締 結 の 経 緯 を 小 括 す る 。 信 長 は 義 昭 に 供 奉 し て 上 洛 す る 経 路 を 確 保 す る こ と と 伊 勢 長 島 へ 敗 走 し た 斎 藤 龍 興 を 捕 捉 す る た め に 伊 勢 へ 侵 攻 し 、 永 禄 十 一 年 二 月 に 神 戸 氏 や 長 野 氏 を 従 え て 北 伊 勢 を 勢 力 下 に 治 め た 。 伊 勢 国 で は 国 司 を 務 め て 公 家 の 家 柄 で も あ る 北 畠 氏 が 代 々 世 襲 し て 国 を 治 め て い た が 、 国 衆 の 木 造 氏 が 信 長 家 臣 の 滝 川 一 益 と 縁 者 と な り 、 北 畠 氏 に 対 抗 す る 。 国 主 具 教 と 弟 で 木 造 氏 を 嗣 い で い た 具 政 は 所 領 を め ぐ っ て 領 土 紛 争 を 起 こ し た こ と か ら 、 信 長 は 具 政 を 支 援 し て 軍 事 介 入 す る 。 信 長 の 侵 攻 を う け て 北 畠 氏 は 降 参 す る こ と と な り 、 永 禄 十 二 年 十 月 に 信 長 の 子 息 を 養 継 嗣 に 迎 え 入 れ て 居 城 を 明 け 渡 し た 。 こ れ に よ り 信 長 は 伊 勢 国 を ﹁ 一 国 平 均 ﹂ し た こ と か ら 、 義 昭 へ 報 告 の た め に 上 洛 す る 。 幕 府 を 再 興 さ せ て 武 家 の 家 格 秩 序 を 再 編 し て い た 義 昭 は こ れ を 諒 解 せ ず 、 両 者 は 齟 齬 を き た す こ と と な っ て ﹁ セ リ ア ヰ ﹂ を 起 こ し た 。 信 長 は 急 遽 美 濃 へ 帰 国 す る 。 こ の 事 態 を 憂 慮 し た 正 親 町 天 皇 は 信 長 に 女 房 奉 書 を 発 給 し て 、 勅 使 を 美 濃 へ 派 遣 す る 。 朝 廷 で は 両 者 を 和 解 さ せ る た め に 日 乗 上 人 と 、 幕 府 の 側 で も 信 長 と の 関 係 を 有 す る 明 智 光 秀 が 交 渉 役 と な っ て 調 停 が な さ れ た 。 信 長 は ﹁ 条 書 ﹂ を 作 成 し て 発 給 し 、 こ れ を 受 け た 義 昭 が 了 解 し た こ と に よ っ て 、 五 ヶ 条 の 規 約 が 締 結 さ れ て 両 者 は 和 解 す る こ と と な っ た 。 そ し て 、 ﹁ 条 書 ﹂ 締 結 後 に 初 め て 信 長 が 上 洛 し た 際 に 、 朝 廷 と 幕 府 は 京 都 に 人 夫 役 を 賦 課 し 、 さ ら に は 公 家 ・ 幕 臣 の 奉 公 衆 た ち が 山 城 国 内 だ け で は な く 近 江 国 に 至 る ま で 出 迎 え て 歓 迎 す る 。 朝 廷 で は 無 位 無 官 で 本 来 は 禁 裏 御 所 へ 参 内 で き な い 信 長 を 、 特 別 に 許 可 し て 歓 待 し た 。 永 禄 十 三 年 正 月 ﹁ 条 書 ﹂ は 、 こ の よ う な 前 後 の 政 情 と 経 緯 に よ っ て 締 結 し た と 考 え ら れ る 。
第
二
章
各
条
文
の
検
討
こ れ ま で ﹁ 条 書 ﹂ は 内 容 的 に 将 軍 権 限 に 関 わ る 重 要 な 文 書 と さ れ 、 各 概 説 書 な ど で も 必 ず 取 り 扱 わ れ て き た 。 そ の 中 か ら 、 こ こ で は 藤 木 久 志 氏 と 橋 本 政 宣 氏 の 指 摘 を 示 し て お く︵ ︶ 。 藤 木 氏 は ﹁ 条 書 ﹂ を ﹁ 室 町 幕 府 殿 中 御 掟 ・ 同 追 加 ﹂ ︵ ﹁ 仁 和 寺 文 書 ﹂ ﹃ 信 文 ﹄ 一 四 二 号 ︶ と ﹁ 十 七 ヶ 条 の 異 見 書 ﹂ ︵ ﹃ 尋 憲 記 ﹄ ﹃ 信 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 253文 ﹄ 三 四 〇 号 ︶ と 共 に 、 ﹁ 信 長 権 力 と 将 軍 と の 公 的 な 対 抗 関 係 を 最 も 集 約 的 に 表 現 す る も の ﹂ と 評 価 し た 。 要 点 は 、 ① 将 軍 の 知 行 給 与 権 の 規 制 、 ② 将 軍 の 裁 判 権 の 接 収 、 ③ 将 軍 の 天 皇 に 対 す る 奉 仕 義 務 の 追 及 の 三 点 で あ る と 指 摘 し た 。 そ し て 当 該 期 に お い て は 将 軍 直 属 勢 力 の 不 法 行 為 が 頻 発 し て い た こ と か ら 、 こ れ へ 対 す る 政 策 が ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ で あ り 、 ﹁ 条 書 ﹂ の 第 四 条 は ﹁ 将 軍 権 の 信 長 へ の 委 任 を 意 味 ﹂ し た も の で 、 直 接 的 に は ﹁ 将 軍 の 裁 判 権 の 接 収 に か か っ て い る ﹂ と す る 。 そ し て 、 第 三 条 は 恩 賞 給 与 規 定 で あ る こ と か ら 、 ﹁ そ れ ぞ れ 将 軍 の 主 従 制 的 支 配 権 お よ び 統 治 権 的 支 配 権 と い う 二 大 権 限 の も っ と も 重 要 な 領 域 に 関 す る 規 制 と み な す な ら ば 、 天 下 を 任 せ る と い う の は 、 ほ と ん ど 将 軍 権 力 の 全 面 的 な 信 長 へ の 委 任 の 要 求 で あ っ た ﹂ と 指 摘 し た 。 橋 本 氏 は ﹁ 条 書 ﹂ 制 定 の 意 図 に つ い て 藤 木 氏 の 見 解 を 踏 襲 し た 上 で 、 経 緯 は 宛 所 の 日 乗 上 人 と 明 智 光 秀 が 条 書 承 認 の 交 渉 役 だ っ た と し な が ら も 、 ﹁ こ の 条 書 は 両 者 の 和 解 の 条 件 を 記 し た と い う よ り 、 信 長 の 一 方 的 な 押 し 付 け で あ っ た よ う に 思 う ﹂ と し 、 ﹁ 信 長 が こ れ を 義 昭 に 承 認 さ せ た も の ﹂ と 評 価 し た 。 さ ら に 、 ﹁ 条 書 ﹂ と 同 日 付 け で 二 十 一 ヶ 国 の 諸 大 名 ・ 国 衆 等 へ 発 せ ら れ 上 洛 を 求 め た ﹁ 触 状 ﹂ に つ い て 、 ﹁ 諸 大 名 等 に 上 洛 し て 義 昭 に 臣 従 さ せ 、 従 わ な け れ ば 公 武 の 命 に 背 く も の と し て 討 伐 す る 意 が 込 め ら れ た 試 金 石 で あ っ た ﹂ と し 、 ﹁ 条 書 ﹂ で 義 昭 に ﹁ 条 書 五 ヵ 条 の 承 認 を 迫 り ﹂ 、 ﹁ 触 状 ﹂ で 諸 大 名 に 対 し て ﹁ そ の 上 洛 の 際 に こ の 条 書 の 事 実 を 直 接 認 識 さ せ る ﹂ と し 、 こ の 二 つ の 文 書 は 諸 大 名 の ﹁ 将 軍 へ の 従 属 性 に 制 限 を 加 え 、 信 長 権 力 の 位 置 と 威 勢 を 示 す 、 と い う 遠 大 な 意 図 ﹂ が 込 め ら れ て い た と す る 見 解 を 示 し た 。 藤 木 氏 は ﹁ 条 書 ﹂ を ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ と ﹁ 十 七 ヶ 状 の 異 見 書 ﹂ と の 関 連 で 、 橋 本 氏 は ﹁ 触 状 ﹂ と の 関 連 で そ れ ぞ れ 位 置 づ け た 点 が 特 徴 的 で あ る が 、 ほ か の 多 く の 研 究 者 も 各 条 文 の 解 釈 に 多 少 の 相 違 は あ る も の の 結 論 的 に は 同 様 の 見 解 で あ る 。 さ ら に 後 者 に つ い て 近 年 で は 谷 口 克 広 氏 が 註 ︵ ︶ 著 書 で 、 信 長 は ① 将 軍 を 傀 儡 化 し て 、 幕 府 の 実 権 を 握 る こ と 、 ② 朝 廷 の 保 護 者 と い う 立 場 に 立 つ こ と 、 ③ 朝 廷 お よ び 幕 府 の 権 威 を 利 用 し て 、 諸 国 の 大 名 に 対 す る 支 配 権 を 掌 握 す る こ と 、 と す る 将 軍 ・ 幕 府 の 傀 儡 化 と 朝 廷 も 含 め た 上 位 の 権 威 を 利 用 し て 諸 大 名 を 服 属 さ せ よ う と し た と 指 摘 し て い る 。 ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ に つ い て は 、 臼 井 進 氏 に よ っ て 幕 府 が 有 し て い た 従 前 の 規 定 を 再 興 す る こ と を 意 図 し た も の で あ り 、 双 方 の 約 諾 だ っ た こ と が 指 摘 さ れ て い る︵ ︶ 。 筆 者 は 臼 井 氏 の 見 解 を 踏 ま え て 、 さ ら に ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ は 義 昭 の 恣 意 や 贔 屓 を 排 除 し て 公 平 な 裁 許 を 行 う こ と を 目 的 と し た も の で あ り 、 ﹁ 天 下 ﹂ に お い て 支 配 の 秩 序 と 安 定 を 図 っ て 在 地 に お よ ぶ ま で ﹁ 静 謐 ﹂ の 実 現 化 を 目 標 と し た 政 策 だ っ た こ と を 明 ら か に し た [ 註 ︵ ︶ 拙 著 二 〇 一 七 ] 。 そ の 上 で 、 幕 府 に よ る 裁 判 権 の 接 収 は 意 図 し て お ら ず 、 む し ろ ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ に 従 っ て 幕 府 が 政 務 を 執 り 行 う こ と を 定 め た も の で あ る こ と を 指 摘 し た 。 そ し て ﹁ 条 書 ﹂ の 第 四 条 は 軍 事 に よ る 成 敗 権 の 委 任 で あ る こ と を 明 ら か に し 、 両 者 か ら 信 長 は 義 昭 と は 政 治 と 軍 事 の 役 割 を そ れ ぞ れ 分 担 し て 担 う こ と を 意 図 し て お り 、 そ の こ と を 義 昭 も 承 認 し た こ と を 明 ら か に し た 。 そ れ で は こ れ ら の 点 に つ い て 、 各 条 文 を 検 討 す る こ と に よ っ て 考 察 す る 。 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 252 ( )
一
、
第
一
条
﹁
外
交
権
﹂
に
つ
い
て
第 一 条 は 義 昭 が 諸 国 へ 御 内 書 を 発 給 し て 仰 せ 出 る 事 態 が あ る 場 合 は 信 長 に 諮 り 、 信 長 の 副 状 を 添 え て 発 給 す る こ と を 定 め た 規 定 で あ る 。 従 来 の 見 解 で は 信 長 が 義 昭 の 行 動 を 一 つ ひ と つ 把 握 す る こ と が 目 的 で あ り 、 義 昭 を 監 視 下 に 置 く 意 図 が あ っ た と 考 え ら れ て い る 。 こ れ に よ っ て 義 昭 は 自 由 に 手 紙 が 出 せ な く な り 、 行 動 が 制 限 さ れ た と さ れ る [ 註 ︵ ︶ 池 上 裕 子 氏 著 書 ] 。 信 長 が 元 亀 三 年 十 二 月 に 義 昭 に 呈 出 し た ﹁ 十 七 ヶ 条 の 異 見 書 ﹂ の 第 二 条 に は 、 義 昭 が ﹁ 密 々 ﹂ に 遠 国 へ 御 内 書 を 発 給 し て い る こ と が 記 さ れ て い る 。 こ の こ と に 信 長 は ﹁ 最 前 首 尾 相 違 ニ 候 ﹂ と 非 難 し て お り 、 ﹁ 条 書 ﹂ 第 一 条 の 約 諾 違 反 を 糺 し た の は よ く 知 ら れ て い る と こ ろ で あ る 。 し か し 、 こ こ で 留 意 し な け れ ば な ら な い 点 は 、 ﹁ 異 見 書 ﹂ に は ﹁ 諸 国 江 御 内 書 ヲ 被 遣 、 馬 其 外 御 所 望 之 体 、 如 何 存 候 間 、 被 加 御 遠 慮 、 尤 存 候 ﹂ と あ り 、 御 内 書 で 馬 そ の 外 を 所 望 す る こ と は 遠 慮 す る こ と が 尤 も な こ と で あ る 、 と 異 見 し て い る こ と で あ る 。 さ ら に ﹁ 何 方 ニ も 可 然 馬 な と 御 耳 ニ 入 候 者 、 信 長 馳 走 進 上 可 申 由 、 申 旧 候 キ ﹂ と あ る こ と か ら 、 馬 な ど を 所 望 す る 場 合 は 義 昭 の 命 を 受 け て 信 長 が 手 配 す る の で 、 こ の よ う な こ と を 将 軍 が 御 内 書 で 求 め る こ と で は な い と 考 え て い た と 思 わ れ る 。 ま た 、 こ れ ま で 看 過 さ れ て き た が 、 ﹁ 異 見 書 ﹂ に は ﹁ 但 、 被 仰 付 候 ハ て 不 叶 子 細 者 、 信 長 ニ 被 仰 聞 、 副 状 を 可 仕 之 旨 、 兼 而 申 上 、 被 成 御 心 得 由 候 ﹂ と の 但 し 書 き が 記 さ れ て お り 、 義 昭 が 仰 せ 付 け ら れ て 叶 わ な い 子 細 は 信 長 に 相 談 し 、 副 状 を 発 給 す る こ と を 兼 ね て か ら 言 上 し て い る 、 と 述 べ て い る 。 こ れ ら の こ と か ら 、 ﹁ 条 書 ﹂ の 第 一 条 で 取 り 決 め て ﹁ 異 見 書 ﹂ で 信 長 が 非 難 し た こ と は 、 義 昭 の 将 軍 権 威 に 関 わ る 問 題 だ っ た と 考 え ら れ る 。 す な わ ち 、 信 長 は 将 軍 の 御 内 書 は 馬 の 所 望 な ど で 発 給 す る も の で は な く 、 そ の よ う な こ と は 命 じ て く れ れ ば 信 長 が 行 う こ と で あ る と 、 将 軍 権 威 の 保 全 を 意 図 し て 非 難 し た と 考 え ら れ る 。 そ し て 御 内 書 は 重 大 な 将 軍 が 仰 せ 付 け な け れ ば な ら な い 案 件 に 対 し て 、 信 長 と 協 調 し て 対 処 す る こ と を ﹁ 条 書 ﹂ で 取 り 決 め た と 考 え ら れ る 。 ﹁ 条 書 ﹂ の ﹁ 以 御 内 書 被 仰 出 子 細 ﹂ と 、 ﹁ 異 見 書 ﹂ の ﹁ 被 仰 付 候 ハ て 不 叶 子 細 ﹂ は 対 応 関 係 に あ る と い え る 。 そ の ﹁ 子 細 ﹂ と は 何 で あ ろ う か 。 そ れ は 、 義 昭 の 御 内 書 に 信 長 が 副 状 を 添 え て 両 者 か ら 発 給 さ れ た の は ﹁ 諸 国 ﹂ へ の 外 交 文 書 で あ り 、 内 容 的 に は 大 名 間 の 和 平 調 停 を 促 す 文 書 で あ る こ と か ら 、 こ の こ と で あ る と 言 え る 。 そ れ で は 、 こ こ で 永 禄 ・ 元 亀 期 に お け る 義 昭 ・ 信 長 の 大 名 間 和 平 調 停 を 確 認 す る と 、 主 な 事 例 と し て 越 後 上 杉 氏 と 相 模 北 条 氏 と の 越 相 講 和 、 越 後 上 杉 氏 と 甲 斐 武 田 氏 と の 越 甲 講 和 、 越 後 上 杉 氏 ・ 相 模 北 条 氏 ・ 甲 斐 武 田 氏 と の 越 相 甲 講 和 、 越 前 朝 倉 氏 と 加 賀 一 向 一 揆 の 加 越 講 和 、 美 濃 斎 藤 氏 と 尾 張 織 田 氏 の 濃 尾 講 和 、 豊 後 大 友 氏 と 安 芸 毛 利 氏 と の 豊 芸 講 和 、 豊 後 の 大 友 氏 と 龍 造 寺 氏 と の 講 和 、 安 芸 毛 利 氏 と 備 前 の 宇 喜 多 氏 ・ 浦 上 氏 と の 芸 備 講 和 、 越 前 朝 倉 氏 ・ 近 江 浅 井 氏 と 美 濃 織 田 氏 と の 江 濃 越 一 和 、 美 濃 織 田 氏 と 大 坂 本 願 寺 と の 講 和 、 越 後 上 杉 氏 ・ 甲 斐 武 田 氏 ・ 大 坂 本 願 寺 と の 講 和 な ど が 挙 げ ら れ る︵ ︶ 。 こ の う ち 、 信 長 が 第 三 者 と し て 関 与 し た の は 越 甲 講 和 と 豊 芸 講 和 で あ る 。 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 251信 長 は 永 禄 十 一 年 九 月 の 上 洛 以 前 か ら 上 杉 謙 信 ・ 武 田 信 玄 と は そ れ ぞ れ 通 好 し て い た 。 信 長 が 謙 信 の 家 臣 の 直 江 景 綱 に 宛 て た ︵ 永 禄 七 年 ︶ 六 月 九 日 書 状 に は ﹁ 抑 近 年 在 関 東 御 発 向 、 数 度 被 得 利 平 均 之 上 御 帰 国 之 由 、 珍 重 存 候 ﹂ ︵ ﹁ 杉 原 謙 氏 所 蔵 文 書 ﹂ ﹃ 信 文 ﹄ 四 五 号 ︶ と 、 謙 信 の こ と を 関 東 を ﹁ 平 均 ﹂ す る 領 主 と し て 認 識 し 、 合 戦 の 勝 利 を 讃 え て い る 。 こ れ は 信 長 が 謙 信 の こ と を ﹁ 関 東 管 領 ﹂ と 認 識 し て い る こ と を 表 し た も の で あ る と い え る 。 そ の 五 ヶ 月 後 の ︵ 永 禄 七 年 ︶ 十 一 月 七 日 付 け 景 綱 宛 て 書 状 に は 、 ﹁ 抑 御 誓 談 条 々 、 忝 次 第 候 、 殊 為 養 子 愚 息 可 被 召 置 旨 、 寔 面 目 之 至 候 ﹂ ︵ ﹃ 上 杉 家 文 書 ﹄ ﹃ 信 文 ﹄ 五 〇 号 ︶ と あ る こ と か ら 、 信 長 は 実 子 を 謙 信 の 養 子 と す る こ と を 取 り 決 め て い る 。 こ れ は 実 質 的 に 人 質 で あ り 、 ﹁ 御 誓 談 条 々 ﹂ も 誓 詞 ︵ 起 請 文 ︶ と 考 え ら れ る こ と か ら 、 信 長 と 謙 信 は 誓 詞 と 人 質 を 取 り 交 わ す こ と に よ っ て 同 盟 関 係 を 築 い た こ と が 確 認 で き る 。 武 田 信 玄 と も 、 ︵ 永 禄 十 一 年 ︶ 六 月 二 十 五 日 付 け 景 綱 書 状 写 に ﹁ 仍 自 甲 州 可 有 和 親 之 旨 、 度 々 被 申 越 候 ﹂ ︵ ﹃ 歴 代 古 案 ﹄ ﹃ 信 文 ﹄ 九 〇 号 ︶ と あ る こ と か ら 、 信 玄 か ら 講 和 を 求 め ら れ て い る 。 こ れ に 対 し て 信 長 は 、 ﹁ 随 而 越 ・ 甲 御 間 之 儀 、 和 談 雖 申 噯 度 候 ﹂ と 、 謙 信 ・ 信 玄 と 通 好 し て そ れ ぞ れ と 関 係 を 有 す る 立 場 に あ る こ と か ら 、 両 者 へ 和 睦 を 提 案 し て い る 。 そ の 後 、 信 長 は 謙 信 に ︵ 永 禄 十 一 年 ︶ 七 月 二 十 九 日 付 け 書 状 で ﹁ 甲 州 与 此 方 間 之 事 、 公 方 様 御 入 洛 供 奉 之 儀 肯 申 之 条 、 隣 国 除 其 妨 、 一 和 之 儀 申 合 候 ﹂ と 、 義 昭 の 上 洛 に 供 奉 す る た め に 信 玄 と 講 和 し た こ と を 報 せ 、 ﹁ 越 甲 間 属 無 事 互 抛 意 趣 、 天 下 之 儀 、 御 馳 走 所 希 候 ﹂ ︵ ﹁ 志 賀 槇 太 郎 氏 所 蔵 文 書 ﹂ ﹃ 信 文 ﹄ 九 二 号 ︶ と 、 謙 信 も 信 玄 と 講 和 し て ﹁ 天 下 之 儀 ﹂ へ 馳 走 す る こ と を 求 め て い る 。 謙 信 に 対 し て は 義 昭 も 、 諸 大 名 が 上 洛 す る た め に は 大 名 間 で 講 和 が 実 現 す る こ と が 必 須 の 条 件 で あ る こ と か ら 、 相 模 小 田 原 北 条 氏 と の 講 和 と 上 洛 供 奉 を 求 め て お り 、 さ ら に は 武 田 氏 も 含 め て 三 国 が 同 盟 す る こ と を 勧 め て い る 。 そ し て 永 禄 十 一 年 九 月 に 上 洛 し た 義 昭 と 信 長 は 御 内 書 と 副 状 ︵ 古 文 書 学 的 に 、 正 確 に は ﹁ 付 状 ﹂ ︶ を 発 給 し 、 協 同 し て 謙 信 と 信 玄 に 越 甲 講 和 を 求 め て い る 。 ︹ 史 料 ︺ 越 後 上 杉 輝 虎 宛 て 足 利 義 昭 御 内 書 ・ 直 江 景 綱 宛 て 織 田 信 長 書 状 ︵ ﹃ 上 杉 家 文 書 ﹄ ﹃ 信 文 ﹄ 一 四 八 号 ︶ ① 今 度 凶 徒 等 令 蜂 起 処 、 則 織 田 弾 正 忠 馳 参 、 悉 属 本 意 于 今 在 洛 事 候 、 次 越 甲 此 節 令 和 与 、 弥 天 下 静 謐 馳 走 、 信 長 可 相 談 ︵ 頼 慶 ︶ 儀 肝 要 、 為 其 差 下 智 光 院 候 也 、 ︵ 永 禄 十 二 年 ︶ 二 月 八 日 ︵︵ 足 利 義 昭 ︶ 花 押 ︶ ︵ 輝 虎 ︶ 上 杉 弾 正 少 弼 と の へ ② 就 越 甲 御 間 和 与 之 儀 、 被 成 御 内 書 候 、 此 節 有 入 眼 、 公 儀 御 ︹ 肝 ︺ 馳 走 簡 要 条 、 別 而 可 被 取 申 候 、 於 信 長 可 為 快 然 候 、 猶 御 使 僧 可 有 漏 脱 候 、 恐 々 謹 言 、 二 月 十 日 信 長 ︵ 花 押 ︶ ︵ 影 綱 ︶ 直 江 大 和 守 殿 永 禄 十 二 年 正 月 五 日 、 義 昭 は 三 好 三 人 衆 等 に よ っ て 御 座 所 と し て い た 本 圀 寺 を 襲 撃 さ れ た 。 急 報 を 知 っ て 美 濃 か ら 信 長 が 駆 け つ け た 時 は 、 義 昭 が 守 護 や 奉 公 衆 に よ る 幕 府 軍 を 指 揮 し て 撃 退 し た 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 250 ( )
後 だ っ た 。 史 料 ① の 前 半 は こ の こ と を 指 し て い る 。 義 昭 は そ の 様 子 を 謙 信 に 報 せ 、 併 せ て 信 玄 と 講 和 を 結 ぶ こ と と 、 ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ に つ い て 信 長 と 相 談 す る よ う 通 達 し て い る 。 こ こ か ら 、 義 昭 は ﹁ 条 書 ﹂ の 一 年 前 に は 、 す で に 信 長 に ﹁ 条 書 ﹂ の 第 四 条 と 第 一 条 の ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ を 維 持 す る 役 割 と 大 名 と の 外 交 を 任 せ て い た こ と が 確 認 で き る 。 信 長 は 景 綱 に ① の 越 甲 講 和 の 御 内 書 発 給 を 伝 え 、 ﹁ 公 儀 ﹂ の た め に 馳 走 す る こ と を 求 め て い る 。 し か し 謙 信 は こ れ に 従 わ ず 、 信 濃 へ 出 勢 す る 動 き を 見 せ た 。 周 囲 の 情 勢 と し て は 、 謙 信 は 北 条 氏 と 和 睦 し て お り 、 駿 河 の 今 川 氏 真 と 遠 江 の 徳 川 家 康 が 和 睦 す る 様 子 と な っ て お り 、 信 玄 は 孤 立 化 す る 状 況 と な っ て い た 。 そ の た め 信 玄 は 謙 信 の 信 濃 出 兵 に 対 し て 、 ︵ 永 禄 十 二 年 ︶ 三 月 二 十 三 日 付 け 信 長 家 臣 の 市 川 十 郎 右 衛 門 尉 に 宛 て て ﹁ 信 玄 事 者 、 只 今 憑 信 長 外 又 無 味 方 候 、 此 時 聊 も 於 信 長 御 疎 略 者 、 信 玄 滅 亡 無 疑 候 ﹂ と 、 信 長 を 頼 み に 思 い そ れ 以 外 に 味 方 は な く 、 信 長 に 疎 略 に さ れ た ら 自 身 の 滅 亡 は 疑 い な い と 窮 状 を 報 せ る 。 さ ら に ﹁ 甲 越 和 融 、 以 御 下 知 、 可 有 信 長 御 媒 介 者 、 急 速 岐 阜 之 使 者 、 信 州 長 沼 辺 江 被 越 候 之 様 ニ 可 有 催 促 候 ﹂ ︵ ﹃ 古 今 消 息 集 ﹄ ﹃ 大 日 史 ﹄ ② 七 九 頁 ︶ と 、 信 長 の 媒 介 に よ っ て 謙 信 と 和 融 す る 義 昭 の ﹁ 御 下 知 ﹂ を 求 め 、 急 ぎ 岐 阜 か ら 信 濃 国 長 沼 へ の 使 者 の 派 遣 を 要 請 し て い る 。 こ の 信 玄 の 嘆 願 に 対 し て 義 昭 と 信 長 は 、 四 月 七 日 付 け で 謙 信 宛 て 御 内 書 と 景 綱 宛 て 副 状 を 発 給 す る ︵ ﹃ 上 杉 家 文 書 ﹄ ﹃ 信 文 ﹄ 一 六 〇 号 ︶ 。 義 昭 は ﹁ 重 而 至 信 越 境 目 差 下 使 節 、 双 方 之 儀 、 可 相 究 候 、 其 已 前 率 爾 之 於 出 勢 者 、 不 可 然 候 ﹂ と 、 信 濃 ・ 越 後 の 国 境 に 越 甲 講 和 の 使 節 を 派 遣 し 、 謙 信 に 出 兵 を 止 め さ せ て 両 者 の 軍 事 的 緊 張 関 係 を 解 く 事 実 上 の 停 戦 令 を 出 し て 、 信 玄 を 救 う 措 置 を 講 じ た 。 で は こ こ で 、 義 昭 と 信 長 の 外 交 の 目 的 に つ い て 確 認 し て お き た い 。 義 昭 の 外 交 の 展 開 に つ い て は 註 ︵ ︶ 拙 稿 [ 二 〇 一 五 ] で 明 ら か に し た の で 、 簡 潔 に 述 べ る 。 上 洛 す る 前 の 義 昭 の 政 治 的 目 標 は 、 ﹁ 当 家 再 興 ﹂ で あ っ た 。 ま ず は 自 身 は 足 利 将 軍 家 の 継 嗣 で あ る こ と か ら 上 洛 し て 征 夷 大 将 軍 に 就 任 し 、 幕 府 を 再 興 さ せ る こ と が 第 一 段 階 で あ る 。 義 昭 は そ れ を 実 現 す る た め に 必 要 な 軍 事 力 を 自 前 で 保 持 し て い な い こ と か ら 、 諸 国 の 大 名 に 上 洛 を 要 請 し た の だ っ た 。 し か し 、 各 地 の 大 名 は 各 々 隣 接 す る 勢 力 と 抗 争 し て い た こ と か ら 、 自 ら の 支 配 領 域 を 留 守 に で き な い 状 況 で あ っ た 。 そ の た め 、 大 名 の 上 洛 供 奉 に は 大 名 同 士 の 講 和 が 絶 対 条 件 と な る こ と か ら 、 義 昭 は 上 洛 供 奉 の 要 請 と 並 行 し て 大 名 間 和 平 調 停 を 推 進 し た 。 そ し て こ れ に 応 じ た の が 尾 張 の 織 田 信 長 だ っ た 。 信 長 は 美 濃 斎 藤 氏 と の 講 和 を 義 昭 の 調 停 に よ っ て 一 度 実 現 さ せ て 上 洛 の 途 に つ く が 、 一 方 の 当 事 者 で あ る 斎 藤 氏 と の 抗 争 に よ っ て 頓 挫 す る 。 信 長 は こ の 挫 折 か ら 斎 藤 氏 を 討 伐 し て 美 濃 を 実 力 で 平 定 し 、 義 昭 を 迎 え て あ ら た め て 上 洛 し た の が 永 禄 十 一 年 九 月 の こ と で あ っ た 。 上 洛 し て ﹁ 当 家 再 興 ﹂ を 果 た し 、 敵 対 勢 力 を 征 討 し て ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ を 実 現 化 さ せ た 義 昭 の 次 の 政 治 的 目 標 は そ の 維 持 で あ る 。 義 昭 は 上 洛 後 に 豊 芸 講 和 を 推 進 す る が 、 こ こ で は さ ら に 毛 利 氏 に 四 国 三 好 勢 の 征 討 を 求 め て い る 。 ま た 、 義 昭 に は ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ を 維 持 す る た め に は 強 力 な 軍 事 力 が 必 要 で あ っ た 。 義 昭 が そ の 役 割 を 期 待 し た の が 、 上 洛 戦 に お け る 最 大 の 功 労 者 で ﹁ 御 父 ﹂ と 賛 辞 尊 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 249
称 し た 信 長 だ っ た と 考 え ら れ る 。 そ し て そ の こ と が ﹁ 条 書 ﹂ の 第 四 条 で 正 式 に 条 文 化 す る こ と に よ っ て 取 り 決 め ら れ た の だ っ た 。 こ の 点 に つ い て は 後 述 す る 。 し か し 、 信 長 は 基 本 的 に は ﹁ 分 国 ﹂ の 大 名 で 自 ら の 支 配 領 域 の 維 持 が 優 先 的 な 課 題 で あ る こ と か ら 、 京 都 に は 常 駐 せ ず に 美 濃 へ 帰 国 す る 。 永 禄 十 二 年 正 月 の 本 圀 寺 合 戦 は 信 長 が 美 濃 に 帰 国 し て い る 最 中 で あ り 、 畿 内 に お け る 義 昭 方 の 勢 力 だ っ た 大 和 の 松 永 久 秀 が 美 濃 へ 下 向 し た こ と に よ っ て 起 こ っ た 争 乱 だ っ た 。 こ れ が 信 長 と 義 昭 に 将 軍 を 警 護 す る 軍 事 力 の 必 要 性 を 痛 感 す る 契 機 と な り 、 他 の 大 名 勢 力 に よ っ て も 協 同 で 将 軍 義 昭 を 支 え る 体 制 を 築 く こ と を 構 想 し た と 考 え ら れ る 。 そ し て そ の 実 現 化 を 図 っ た の が 、 ﹁ 条 書 ﹂ と 同 日 付 け で 発 布 さ れ た 諸 国 の 大 名 ・ 国 衆 等 に 上 洛 を 要 請 し た ﹁ 触 状 ﹂ で あ り 、 さ ら に ﹁ 条 書 ﹂ の 第 一 条 で 外 交 権 を 共 有 す る こ と に よ っ て 協 調 し て 大 名 間 和 平 調 停 を 図 っ た と 考 え ら れ る 。 こ こ で 特 徴 的 な の は 、 実 際 に は 信 長 と 義 昭 は 外 交 権 を 東 と 西 に そ れ ぞ れ 分 掌 し て い た こ と を 指 摘 し 得 る 。 す な わ ち 、 ︹ 史 料 ︺ で 義 昭 は 上 杉 謙 信 に 対 し て ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ の 馳 走 に つ い て は 信 長 と 相 談 す る よ う 申 し 渡 し て い る 。 信 長 は こ れ を 受 け て ︵ 元 亀 三 年 ︶ 九 月 二 十 六 日 付 け 謙 信 宛 て 書 状 で ﹁ 東 国 辺 事 、 弥 可 聞 合 候 ﹂ ︵ ﹃ 新 集 古 案 ﹄ ﹃ 信 文 ﹄ 三 三 八 号 ︶ と 、 東 国 の こ と に つ い て は 関 東 管 領 の 謙 信 と 相 談 し て 執 り 行 う と 通 達 し て い る 。 信 長 は 東 国 方 面 の 勢 力 で あ る 謙 信 ・ 信 玄 そ れ ぞ れ と 上 洛 以 前 か ら 友 好 的 な 関 係 に あ っ た こ と に も よ る が 、 上 洛 後 も 既 述 の よ う に 信 玄 か ら 義 昭 へ の 停 戦 の 依 頼 を 求 め ら れ る な ど 、 ま さ に 義 昭 の 東 国 に 対 す る 外 交 政 策 を 中 心 的 に 担 っ た と い え る 。 こ の 点 に つ い て は 、 義 昭 の 大 名 間 和 平 調 停 の 御 内 書 は 毛 利 氏 を 中 心 と し て 西 国 方 面 に 多 く 、 謙 信 な ど の 東 国 方 面 へ の 発 給 点 数 が 少 な い こ と か ら も 確 認 で き る 。 ま た 、 西 国 方 面 へ の 義 昭 の 御 内 書 に は 側 近 の 連 署 状 が 副 え ら れ 、 ︹ 史 料 ︺ の よ う な 信 長 の 副 状 は 確 認 で き ず 、 西 国 方 面 へ の 大 名 間 和 平 調 停 の 文 書 は 少 な い こ と か ら も 窺 え る 。 一 方 の 義 昭 は 、 西 国 方 面 へ は 数 度 に わ た っ て 使 者 を 派 遣 し て 大 名 間 和 平 調 停 を 積 極 的 に 推 進 し て い る こ と が 確 認 で き る 。 こ れ は 、 義 昭 の 兄 の 第 十 三 代 将 軍 義 輝 が 将 軍 在 職 中 に 豊 後 大 友 氏 と 安 芸 毛 利 氏 の 豊 芸 講 和 を 率 先 し て 行 っ て い た こ と か ら 、 そ れ を 継 承 し た 政 策 と い え る 。 さ ら に 毛 利 氏 は 義 昭 に と っ て の 敵 対 勢 力 で 阿 波 ・ 讃 岐 を 勢 力 基 盤 と す る 四 国 三 好 勢 と 領 国 が 隣 接 し て い る こ と か ら 、 そ の 討 伐 を 毛 利 氏 へ 命 じ て い る こ と に も 因 る 。 義 昭 の 豊 芸 講 和 は 、 当 初 は 講 和 を 実 現 し て 四 国 へ の 侵 攻 を 命 じ る も の で あ っ た が 、 交 渉 が 進 展 せ ず に 実 現 に 限 界 性 が 見 え て き て か ら 、 次 第 に 御 料 所 か ら の 年 貢 進 納 や 馬 ・ 鷹 の 献 上 を 求 め る よ う に 変 化 し て い く ︵ ﹁ 小 早 川 家 文 書 ﹂ ﹃ 大 日 史 ﹄ ⑦ 四 五 頁 ︶ 。 信 長 が ﹁ 異 見 書 ﹂ で 異 見 し た こ と は 、 直 接 的 に は こ の こ と を 指 し て い る と 言 え る 。 そ れ で は 、 こ こ ま で 検 討 し て き た こ と を ま と め て 、 い く つ か の 点 を 補 足 し て お き た い 。 ﹁ 条 書 ﹂ 第 一 条 は 、 義 昭 の 諸 国 へ の 御 内 書 に 信 長 が 副 状 を 添 え る こ と を 規 定 し た 条 文 で あ る 。 こ れ は 直 接 的 に は 外 交 権 に 関 わ る こ と で あ る が 、 そ の 目 的 は 諸 国 に お け る 大 名 間 の 和 平 調 停 を 実 現 化 さ せ る こ と を 意 図 し た も の だ っ た 。 さ ら に 実 際 に ﹁ 触 状 ﹂ で 諸 国 の 諸 大 名 ・ 国 衆 等 に ﹁ 天 下 弥 静 謐 ﹂ の た 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 248 ( )
め に 上 洛 す る こ と を 求 め た よ う に 、 将 軍 義 昭 を 護 る た め に 諸 大 名 の 上 洛 供 奉 を 政 治 的 目 標 と し た も の で あ っ た 。 信 長 と 義 昭 は 本 圀 寺 合 戦 の 反 省 か ら 、 ﹁ 分 国 ﹂ の 大 名 で あ る 信 長 が 単 独 で 義 昭 を 警 護 す る 限 界 性 を 見 い だ し た こ と か ら 、 大 名 間 和 平 調 停 を 果 た し て 、 諸 大 名 の 上 洛 供 奉 を 実 現 化 さ せ る こ と を 図 っ た と 考 え ら れ る 。 ま た そ れ は 、 将 軍 は か つ て ﹁ 二 十 一 屋 形 ﹂ の 在 京 守 護 に よ っ て 支 え ら れ て い た こ と か ら 、 そ の 再 興 を 目 指 し た 側 面 も あ っ た と 考 え ら れ る [ 註 ︵ ︶ 拙 著 二 〇 一 七 ] 。 こ れ に よ っ て 信 長 と 義 昭 は 外 交 権 を 共 有 し 協 調 し て 諸 大 名 と の 交 渉 を 行 う こ と と な っ た が 、 実 際 に は 上 洛 以 前 か ら そ れ ぞ れ が 築 い て い た 諸 大 名 と の 関 係 が 継 承 さ れ 、 か つ 地 理 的 な 位 相 か ら も 中 心 的 な 役 割 は 東 西 に 分 担 し て 行 わ れ た 。 こ の よ う に し て 主 に 東 国 方 面 の 外 交 を 請 け 負 っ た 信 長 は 武 田 信 玄 か ら も 義 昭 の ﹁ 出 頭 之 人 ﹂ と 認 識 さ れ ︵ ﹁ 原 家 所 蔵 文 書 ﹂ ﹃ 大 日 史 ﹄ ④ 二 六 三 頁 ︶ 、 義 昭 へ ﹁ 異 見 ﹂ す る 存 在 と し て 期 待 さ れ た 。 一 方 の 義 昭 は 豊 芸 講 和 を 中 心 と し て 西 国 方 面 の 外 交 を 行 い 、 大 名 に 四 国 三 好 勢 の 討 伐 と 講 和 を 実 現 さ せ て 上 洛 供 奉 を 求 め た 。 そ し て 講 和 交 渉 が 進 展 せ ず 硬 直 化 す る と 、 そ の 要 求 は 次 第 に 御 料 所 か ら の 年 貢 献 納 や 馬 ・ 鷹 の 献 上 へ と 変 化 し て い く 。 こ れ に 対 し て 信 長 は ﹁ 不 叶 子 細 ﹂ な ど 重 要 な 案 件 は 協 同 で 執 り 行 う こ と と し 、 そ れ 以 外 の 個 別 の 大 名 と の 交 渉 は 容 認 し つ つ も 、 馬 ・ 鷹 な ど の 要 求 は 命 じ て く れ れ ば 信 長 が 行 う こ と で あ り 、 こ の よ う な こ と で 御 内 書 を 発 給 す る の は ﹁ 御 遠 慮 ﹂ す る よ う に ﹁ 異 見 ﹂ し た 。 こ の う ち 特 に 御 料 所 の 管 理 に つ い て は 幕 府 財 政 に 関 わ る こ と で あ る た め 、 本 来 的 に は 政 所 で 扱 わ れ る べ き 案 件 だ っ た 。 そ の た め 信 長 は 将 軍 自 ら が 発 給 す る 御 内 書 で は な く 、 政 所 の 奉 行 人 に よ っ て 発 給 さ れ る 連 署 奉 書 で 通 達 す べ き で あ る と 思 っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 信 長 が 外 交 権 を 共 有 す る こ と を 求 め た の は 、 上 洛 供 奉 に よ る ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ に 深 く 関 わ る 問 題 だ っ た た め と 考 え ら れ る が 、 そ の 一 方 で 情 報 収 集 の 目 的 が あ っ た と 考 え ら れ る 。 外 交 に は 書 状 を 受 給 者 に 手 渡 し 、 さ ら に 文 書 に は 記 す こ と が で き な い よ う な よ り 重 要 な 主 君 の 内 意 を 口 上 で 伝 達 す る 使 者 の 派 遣 は 必 須 で あ る 。 使 者 は 相 手 方 の 状 況 を 見 聞 し 、 帰 っ て 来 た 際 に は そ れ が 正 確 に 主 人 へ 伝 え ら れ た 。 こ の よ う に 、 外 交 は 相 手 の 大 名 の 様 子 や 国 の 形 勢 、 目 的 地 に 赴 任 す る ま で の 各 地 の 状 況 も 含 め て 数 多 く の 情 報 が も た ら さ れ る 。 そ の た め 、 信 長 は 積 極 的 に 外 交 を 展 開 す る こ と に よ っ て 、 こ の よ う な 生 き た 情 報 を 得 よ う と し た と 考 え ら れ る 。 し た が っ て ﹁ 条 書 ﹂ 第 一 条 の 外 交 権 の 共 有 は 、 将 軍 を 監 視 し て 統 制 下 に お く こ と が 目 的 で は な く 、 永 禄 十 三 年 正 月 以 前 か ら 行 わ れ て い た 諸 大 名 と の 関 係 の 延 長 線 上 に あ り 、 ﹁ 天 下 静 謐 ﹂ を 維 持 す る こ と を 主 た る 目 的 と し て 取 り 決 め ら れ た 条 文 だ っ た の で あ る 。
二
、
第
二
条
﹁
将
軍
の
意
思
決
定
権
﹂
第 二 条 は 、 そ れ ま で の 義 昭 の ﹁ 御 下 知 ﹂ は 全 て 棄 破 し て 、 あ ら た め て 思 案 し て 決 定 す る こ と の 規 定 で あ る 。 通 常 ﹁ 御 下 知 ﹂ は 、 義 昭 が 直 接 仰 せ 付 け た 意 思 か 、 あ る い は 義 昭 の 意 思 を 承 け た 幕 府 の 奉 行 人 が そ れ を 反 映 し て 発 給 し た 奉 行 人 連 署 奉 書 な ど の 奉 行 人 を 介 し て 間 接 的 に 示 さ れ た 意 思 を 指 す 。 い ず れ に し て も ﹁ 御 下 久野:織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係 ( ) 247知 ﹂ は 義 昭 の 意 思 を 表 し た も の で あ る こ と か ら 、 第 二 条 は こ れ ま で に 意 思 決 定 し た こ と を 一 度 無 効 と す る 内 容 で あ る と い え る 。 こ の 条 文 の ﹁ 御 下 知 ﹂ に つ い て 藤 木 久 志 氏 は 註 ︵ ︶ 著 書 で 、 第 一 条 の 将 軍 の 一 般 的 な 指 令 や 政 治 外 交 文 書 の ﹁ 御 内 書 ﹂ と は 峻 別 さ れ た 、 将 軍 の 発 行 し た 所 領 保 証 文 書 と 規 定 し た 。 そ し て 、 将 軍 の 知 行 給 与 権 を 原 因 と す る 所 領 紛 争 が 頻 発 し て い て 、 不 法 行 為 の 多 く は 将 軍 の 権 限 濫 用 、 保 証 状 の 濫 発 に 根 拠 を も っ て い た と す る 。 信 長 は そ れ ら の 全 て を 廃 棄 し た う え で 、 信 長 の 監 視 の も と に 改 定 し て 所 領 紛 争 の 根 源 を 断 つ こ と が 目 的 で あ っ た と 指 摘 し た 。 筆 者 は 当 該 期 に 幕 臣 に よ る 違 乱 が 頻 発 し て い た こ と か ら 、 信 長 は こ れ を 抑 止 す る た め に ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ を 定 め て 幕 府 に よ る 厳 正 な 手 続 き 方 法 を 規 定 し 、 紛 争 を な く し て 在 地 に お け る ﹁ 静 謐 ﹂ を 実 現 化 す る こ と を 図 っ た こ と を 明 ら か に し た [ 註 ︵ ︶ 拙 著 二 〇 一 七 ] 。 こ の 条 文 に つ い て は ﹁ 信 長 の 監 視 ﹂ が 目 的 と す る 以 外 は 、 基 本 的 に 藤 木 氏 と 同 意 見 で あ る 。 さ ら に 付 言 す る と 、 ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ 以 降 も 幕 臣 に よ る 押 領 ・ 違 乱 は 停 止 せ ず 行 わ れ た こ と か ら 、 混 乱 を 終 息 さ せ る た め に こ の 条 文 に よ っ て 一 度 こ れ ま で 行 わ れ た 安 堵 を 破 棄 し て 、 ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ で 定 め た 厳 正 な 手 続 き 規 定 に 基 づ い て あ ら た め て 厳 格 に 安 堵 が 行 わ れ る こ と を 意 図 し た と 考 え ら れ る 。 そ し て も う 一 点 と し て は 、 義 昭 の 御 内 書 と 奉 行 人 連 署 奉 書 の 内 容 に よ る 峻 別 化 を 意 図 し た と 考 え ら れ る 。 す な わ ち 、 将 軍 に よ る 知 行 給 与 権 は 新 知 宛 行 と 所 領 安 堵 の 二 種 類 が 存 在 す る 。 主 と し て 前 者 は 戦 功 を 挙 げ る こ と な ど に よ っ て 将 軍 に 奉 公 し た 場 合 に 、 恩 賞 給 与 と し て 闕 所 地 な ど が 新 知 と し て 宛 行 わ れ る 。 後 者 は 、 将 軍 の 代 替 わ り や 自 身 の 当 主 交 代 な ど に よ る 相 続 の 保 証 、 知 行 権 の 永 続 的 な 保 証 を 求 め 、 あ る い は 相 論 裁 許 に お い て 領 有 権 を 主 張 し て 認 め ら れ た 場 合 に 所 領 が 安 堵 さ れ る 。 こ れ ら は い ず れ も 所 領 を 媒 介 と し た 封 建 制 に 基 づ く 将 軍 の 主 従 制 的 支 配 権 に 関 わ る こ と で あ る が 、 基 本 的 に は 前 者 は 将 軍 の 御 内 書 に よ っ て 褒 賞 さ れ た う え で 宛 行 わ れ る 。 後 者 の 多 く は 以 前 に 領 有 権 を 認 め ら れ た 証 文 や 請 文 を 幕 府 の 政 所 に 提 出 し て 、 奉 行 人 の 評 議 で ﹁ 当 知 行 ﹂ と 判 定 さ れ て 将 軍 の 上 裁 を 得 て 奉 行 人 連 署 奉 書 に よ っ て 安 堵 さ れ た 。 筆 者 は 註 ︵ ︶ 拙 稿 a [ 二 〇 〇 八 ] で 、 義 昭 政 権 で の 意 思 決 定 方 法 は 将 軍 が 主 宰 す る 御 前 沙 汰 と 、 政 所 で 評 議 さ れ る 政 所 沙 汰 の 二 つ の 方 法 が 従 来 の 幕 府 と 同 様 に 行 わ れ て い た こ と を 明 ら か に し た 。 義 昭 は 信 長 と 定 め た ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ に 違 反 し て 恣 意 的 な 裁 許 を 行 い 、 政 所 で 裁 決 し た 結 果 を 覆 す 裁 定 を 下 し て 紛 争 を 混 乱 さ せ る 事 態 を 生 じ さ せ て い た 。 信 長 は 二 つ の 意 思 決 定 に よ っ て 生 じ る 矛 盾 の 解 決 を 図 っ て 、 そ れ ぞ れ の 役 割 分 担 を 志 向 し た と 考 え ら れ る 。 幕 府 に お け る 二 つ の 意 思 決 定 に つ い て は 、 摂 津 忍 頂 寺 の 寺 領 安 堵 が 挙 げ ら れ る 。 忍 頂 寺 は 義 昭 ・ 信 長 の 上 洛 後 の 永 禄 十 一 年 十 二 月 二 十 四 日 付 け で 幕 府 奉 行 人 連 署 奉 書 に よ っ て 寺 領 が 安 堵 さ れ た ︵ ﹁ 寿 泉 院 文 書 ﹂ ﹃ 大 日 史 ﹄ ① 五 〇 四 頁 ︶ 。 そ の 後 、 ︵ 永 禄 十 二 年 ︶ 二 月 十 五 日 付 け 義 昭 御 内 書 と ︵ 同 年 ︶ 二 月 十 六 日 付 け で 信 長 朱 印 状 が 発 給 さ れ て 寺 領 が 安 堵 さ れ て い る ︵ ﹁ 寿 泉 院 文 書 ﹂ ﹃ 信 文 ﹄ 一 四 九 号 ︶ 。 こ れ ら に は そ れ ぞ れ ﹁ 代 々 御 判 ﹂ ﹁ 代 々 判 形 ﹂ ﹁ 御 内 書 ・ 御 下 知 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 忍 頂 寺 が 領 有 権 を 主 張 し て 提 出 し た 証 文 が 同 じ だ っ た と 考 え ら れ る こ と か ら 、 三 者 に よ る 当 知 行 安 堵 東洋大学人間科学総合研究所紀要 第 号( ) 246 ( )
は 結 果 的 に は 矛 盾 し な い 事 例 で あ る 。 し か し 、 幕 府 で は 受 益 者 の 申 請 に 応 じ て 、 こ の よ う に 政 所 で の 議 決 に よ っ て 奉 行 人 連 署 奉 書 を 発 給 し た の み な ら ず 、 さ ら に そ の 後 に 義 昭 へ 安 堵 の 申 請 が な さ れ 、 義 昭 は 当 知 行 の 判 定 を し て 寺 領 安 堵 の 御 内 書 を 発 給 し た の だ っ た 。 幕 府 で こ の よ う な 二 つ の 意 思 決 定 に よ る 二 元 的 な 安 堵 が 行 わ れ て い た こ と か ら 、 信 長 は そ れ に よ っ て 生 じ る 矛 盾 に よ る 混 乱 を 無 く す た め に 、 相 論 裁 許 や 安 堵 は ﹁ 殿 中 御 掟 ﹂ に 基 づ い て 政 所 で 執 り 行 っ て 奉 行 人 連 署 奉 書 を 発 給 し 、 義 昭 は 第 一 条 の 兼 ね 合 い か ら も 外 交 を 中 心 的 に 行 っ て そ れ に つ い て 御 内 書 を 発 給 す る よ う 、 幕 府 に お い て 将 軍 と 政 所 と の 役 割 分 担 を 図 っ た と 考 え ら れ る 。 以 上 、 こ こ で は ﹁ 条 書 ﹂ 第 二 条 の ﹁ 将 軍 の 意 思 決 定 権 ﹂ に つ い て 検 討 し て き た 。 こ の 条 文 に つ い て は 、 こ れ ま で 将 軍 の 知 行 給 与 権 を 監 視 し て 制 限 す る こ と を 目 的 と し て い た と 考 え ら れ て き た 。 し か し 実 際 に は 、 幕 府 で の 二 つ の 意 思 決 定 方 法 に よ る 矛 盾 に よ っ て 生 じ る 混 乱 を 解 消 す る た め の 措 置 で あ り 、 幕 府 に お い て 将 軍 と 政 所 の 役 割 分 担 を 目 的 と し た も の だ っ た と 考 え ら れ る 。 そ れ は 実 際 に は 幕 臣 の 押 領 ・ 違 乱 に よ る 混 乱 を 終 息 さ せ て 、 在 地 に ﹁ 静 謐 ﹂ を 実 現 化 す る こ と が 目 的 だ っ た の で あ る 。