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亜 細 亜 学 園 が 、 創 立 五 十 周 年 を 迎 え る こ と に な っ た 。 心 か ら 喜 び を 感 じ る 次 第 で あ る 。 創 立 以 来 、 学 校 法 人 亜 細 亜 学 園 と 改 称 す る に 至 る ま で を 簡 略 に 記 す と 、 次 の よ う な 経 過 を た ど る 。 昭 和 十 六 年 四 月 財 団 法 人 興 亜 協 会 設 立 認 可 興 亜 専 門 学 校 と し て 発 足 昭 和 二 十 年 十 一 月 日 本 経 済 専 門 学 校 と 改 称 昭 和 二 十 五 年 四 月 学 制 改 革 に 伴 い 日 本 経 済 短 期 大 学 に 改 称 昭 和 二 十 六 年 三 月 学 校 法 人 猶 興 学 園 に 改 称 昭 和 二 十 九 年 五 月 学 校 法 人 亜 細 亜 学 園 に 改 称 こ の 期 間 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 、 そ し て そ の 後 の 復 興 、 学 制 改 革 な ど あ わ た だ し い 社 会 環 境 の 変 化 に 遭 遇 し 、 学 園 と し て は 、 苦 難 に み ち た 道 程 で あ っ た 。 こ の 苦 難 か ら 脱 皮 し 、 よ り 一 層 の 発 展 を 期 し た の が 、 亜 細 亜 学 園 へ の 改 称 で あ っ た 。 そ れ は 社 会 科 学 分 野 の 高 等 教 育 研 究 機 関 と し て 、 強 化 充 実 を は か る た め の 総 合 大 学 へ の 展 開 で あ っ た 。 次 の よ う な 過 程 を た ど っ て 今 日 に 至 つ て い る 。昭 和 三 十 年 四 月 亜 細 亜 大 学 商 学 部 開 設 昭 和 三 十 九 年 四 月 経 済 学 部 開 設 昭 和 四 十 一 年 四 月 法 学 部 開 設 昭 和 四 十 五 年 四 月 商 学 部 を 経 営 学 部 に 改 組 昭 和 四 十 八 年 六 月 ア ジ ア 研 究 所 開 設 昭 和 四 十 九 年 四 月 大 学 院 経 営 学 研 究 科 、 経 済 学 研 究 科 、 法 学 研 究 科 に 修 士 課 程 開 設 昭 和 五 十 一 年 四 月 右 記 大 学 院 の 三 研 究 科 に 博 士 課 程 開 設 昭 和 六 十 三 年 四 月 情 報 科 学 研 究 所 開 設 平 成 元 年 四 月 語 学 教 育 研 究 所 (現 英 語 教 育 研 究 所 ) 開 設 平 成 二 年 四 月 国 際 関 係 学 部 開 設 亜 細 亜 学 園 と し て 発 足 し て か ら 、 初 代 理 事 長 兼 学 長 で あ っ た 太 田 耕 造 先 生 は 、 建 学 の 精 神 を ﹁自 助 ・ 協 力 ﹂ と 定 め ら れ 、 教 育 理 念 を 確 固 た る も の と さ れ 、 個 性 あ る 今 日 の 学 風 が 築 か れ た 。 二 代 目 理 事 長 と し て 、 昭 和 三 十 八 年 五 月 に 当 時 東 京 急 行 電 鉄 株 式 会 社 社 長 で あ っ た 五 島 慶 太 先 生 が 就 任 さ れ 、 こ こ に 経 営 基 盤 が 確 立 さ れ る に 至 っ た 。 三 代 目 理 事 長 と し て 当 時 東 京 急 行 電 鉄 株 式 会 社 社 長 で あ っ た 五 島 昇 先 生 が 就 任 さ れ 、 常 に 教 育 研 究 機 関 と し て の 経 営 基 盤 に ご 留 意 さ れ 、 よ り 一 層 の 充 実 を は か ら れ た 。 四 代 目 と し て 大 先 達 の 後 を 受 け て 私 が 就 任 し 、 そ の 責 務 の 重 大 さ を 痛 感 し つ つ 日 々 努 め て い る 次 第 で あ る 。 学 長 職 は 、 太 田 耕 造 先 生 の 後 を う け て 二 代 早 川 崇 先 生 、 三 代 武 部 啓 先 生 、 そ し て 現 在 、 衛 藤 藩 吉 先 生 が 就 任 し 、 私 学 と し て 、 社 会 の 要 望 に そ っ た 諸 施 策 を 勇 断 を も っ て 実 行 し 、 教 職 員 、 学 生 一 体 と な り 、 教 育 研 究 の 成 果
を 着 実 に あ げ 注 目 さ れ て い る 。 こ こ に 創 立 五 十 周 年 に あ た り 、 種 々 の 記 念 事 業 が 、 次 の よ う な 小 委 員 会 を 設 け て 企 画 さ れ た 。 こ の 学 術 論 文 集 は そ れ ら 企 画 の 一 つ で あ る 。 一 記 念 式 典 小 委 員 会 二 募 金 小 委 員 会 三 年 史 編 纂 ・ ビ デ オ 制 作 小 委 員 会 四 学 術 論 文 集 編 纂 小 委 員 会 五 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 等 、 講 演 会 小 委 員 会 六 シ ン ボ ル マ ー ク 、 懸 賞 論 文 、 ホ ー ム カ ミ ン グ ・ デ イ 小 委 員 会 学 園 五 十 年 の 歩 み は 、 わ が 国 が 歩 ん だ 五 十 年 で も あ る 。 そ れ は 苦 難 に 遭 遇 し な が ら も 、 こ れ を よ く 克 服 し 、 今 日 の 発 展 を み た 道 程 で も あ る 。 本 年 こ そ 、 建 学 の 精 神 に あ ら た め て 立 脚 し 、 国 際 、 国 内 の 社 会 環 境 に 対 応 し つ つ 、 よ り 未 来 に 前 進 す る た め の 地 固 め の 年 で あ る こ と を 祈 念 し て 止 ま な い 次 第 で あ る 。 こ こ に 学 術 論 文 集 刊 行 に あ た っ て 、 学 長 は じ め 学 園 関 係 者 、 教 職 員 各 位 の 日 頃 の ご 苦 労 に 対 し 深 甚 の 謝 意 を 表 す る 次 第 で あ る 。 (創 立 五 十 周 年 記 念 事 業 委 員 会 委 員 長 )
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田
耕
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育
﹂
に
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学
長
衛
藤
藩
吉
青 々 会 員 故 市 川 宗 之 輔 氏 の 友 を 憶 う 一 文 が ﹃戦 没 校 友 の 面 影 ﹄ (亜 細 亜 学 園 同 窓 会 青 々 会 編 、 昭 和 四 十 一 年 刊 ) の 中 に あ る 。 ﹁ 夕 陽 を 浴 び 、 コ タ バ ル の 山 を 背 景 に 一 人 桟 橋 に 立 つ 高 橋 の 姿 は 絵 の よ う に 美 し か っ た 。 戦 場 の な ら い で 、 い つ の 日 か 再 会 で き る か わ か ら な い 友 と の 別 れ は つ ら い 。 若 き 私 も 懸 命 に 帽 子 を ふ り 涙 が と ま ら な か っ た の を 憶 え て い る 。 彼 も 泣 い て い た だ ろ う 。 学 窓 で の 彼 は 私 と 違 い 成 績 も 優 秀 で 、 真 面 目 だ っ た 。 学 究 肌 の タ イ プ で 正 義 感 が 強 く 、 後 輩 に 対 し て 思 い や り の 深 い 男 だ っ た 。 彼 が バ ン ジ ェ ル マ シ ン で 、 銃 殺 刑 に な り 刑 場 の 露 と 消 え た の は 二 十 三 年 九 月 九 日 、 二 十 五 歳 の 時 、 若 き 獅 子 は 散 っ た の で あ る 。 死 を 前 に し て 、 早 田 と と も に 南 十 字 星 を あ お ぎ 、 過 ぎ 去 っ た 故 郷 の 夢 を 追 っ た で あ ろ う し 、 二 人 の 心 は 悲 壮 感 が い っ ぱ い だ っ た と 思 う 。 古 め か し い 言 葉 で は あ る が 、 彼 ら は い わ ゆ る "悠 久 の 大 義 " に 生 き そ し て 散 っ た 。 高 橋 は そ の 遺 書 に " 飽 く ま で 日 本 の 再 興 を 信 じ ⋮ ⋮ ⋮ " と い い 早 田 は " 世 界 人 類 の 正 真 の 平 和 、 幸 福 、 安 寧 秩 序 を 祈 念 し そ の 正 し き 輪 廻 と 進 歩 発 展 を 祈 り て 止 ま ず " と 遺 し て い る 。グ チ で は あ る が 生 き て い て 欲 し か っ た 。 ﹂ 同 級 生 高 橋 政 義 、 早 田 清 高 両 氏 共 に ボ ル ネ オ (現 カ リ マ ン タ ン ) 南 部 で イ ン ド ネ シ ア 独 立 に 加 担 し た 。 そ の た め 、 植 民 地 支 配 を 強 行 し よ う と す る オ ラ ン ダ 軍 に よ っ て 逮 捕 、 処 刑 さ れ た と い う 。 敗 戦 が 昭 和 二 十 年 八 月 、 そ れ か ら 三 年 余 も 後 の 処 刑 で あ っ た 。 戦 い 敗 れ て の ち も な お 、 虐 げ ら れ た イ ン ド ネ シ ア 人 に 徒 手 空 拳 協 力 し 、 武 運 つ た な く 刑 死 し た の で あ る 。 こ の よ う な 多 く の 先 輩 の 志 が 、 受 け 継 が れ 洗 練 さ れ て 、 我 が 建 学 の 精 神 ﹁ 自 助 ・ 協 力 ﹂ と な っ た 。 み ず か ら は ど ん な に 苦 し く て も 人 に 頼 ら な い 逞 し い 精 神 が 自 助 で あ り 、 協 力 は 温 か い 血 の 流 れ て い る 思 い や り の あ る 心 で あ る 。 私 は 中 傷 、 権 謀 、 狡猾 、 怨 誹 、 虚 飾 に 遭 っ て 堪 え か ね た と き は 、 ﹃ 戦 没 校 友 の 面 影 ﹄ を 読 ん で 、 本 学 五 十 年 の 歴 史 の 原 点 に 立 返 る こ と に し て い る 。 そ う す る と ま た 振 り し ぼ る 気 力 が 湧 い て く る の で あ る 。 こ の よ う な 建 学 精 神 の 原 点 を 大 木 の 根 に た と え れ ば 、 天 空 に 屹 立 す る 幹 、 枝 、 葉 は 学 生 、 教 職 員 そ し て 卒 業 生 の 活 動 で あ ろ う 。 と く に 大 学 で あ る か ら 教 員 諸 君 の 学 問 的 業 績 は 、 大 学 の 質 を 評 価 す る に 当 っ て 、 人 の 最 も 注 目 す る と こ ろ で あ る 。 興 亜 専 門 学 校 時 代 、 昭 和 十 七 年 す な わ ち 創 立 の 翌 年 、 早 く も 本 学 教 員 の 共 同 編 纂 に な る ﹃ コ ン サ イ ス 馬 来 語 新 辞 典 ﹄ を 発 刊 、 販 売 部 数 実 に 二 十 三 万 に 達 し た と い う 。 そ の 研鑽 に 努 め 、 孜 孜 と し て 倦 ま ざ る 学 風 は 、 そ の 後 も 連 綿 と し て 続 く 。 創 立 四 十 周 年 記 念 事 業 と し て の ﹃太 田 耕 造 全 集 ﹄ の 共 同 編 纂 は 、 本 学 研 究 活 動 史 上 一 新 紀 元 を 画 し た 一 大 編 纂 事 業 で あ っ た 。 断 簡 零 墨 に い た る ま で 収 集 至 ら ざ る な く 、 そ の 考 証 の 的 確 、 校 正 の 厳 密 さ は 、 も っ て 類 書 編 集 の 模 範 と す る に 足 る 。 こ の よ う な 本 学 に み な ぎ る 研 究 尊 重 の 風 潮 に 、 私 も棹 さ し た 。 学 長 就 任 以 来 、 長 期 短 期 を 問 わ ず 、 教 員 諸 兄 の
外 国 出 張 に 当 っ て は 、 そ れ が 研 究 業 績 と し て 花 開 く よ う 激 励 し て い る 。 欧 米 流 に サ バ テ ィ カ ル ・ イ ヤ ( 七 年 に 一 度 学 問 的 充 電 の た め 研 究 に 専 念 す る 一 年 間 ) の 制 度 も 設 け た 。 傑 出 し た 専 門 の 業 績 に は 故 五 島 昇 の 本 学 園 理 事 長 お よ び 会 長 と し て の 功 績 を 記 念 す る 五 島 賞 を 授 与 す る こ と と し 、 研 究 奨 励 金 も 増 額 し た 。 昨 年 創 立 五 十 周 年 記 念 事 業 委 員 会 が 組 織 さ れ 、 瀬 島 理 事 長 の 祝 詞 に あ る と お り 六 つ の 小 委 員 会 が で き た 。 そ の 中 に 山 口 年 一 理 事 を 委 員 長 と す る ﹁ 学 術 論 文 集 編 纂 小 委 員 会 ﹂ が あ り 、 し か も 多 数 の 教 員 が こ の た め に 学 術 論 文 を 執 筆 す る と い う 。 一 大 壮 挙 で あ る 。 ま さ に 大 学 の 五 十 周 年 を 記 念 す る に ふ さ わ し い 事 業 で あ る 。 本 学 の 各 学 部 、 教 養 部 、 短 大 そ し て 附 置 ア ジ ア 研 究 所 は 、 そ れ ぞ れ 教 員 諸 兄 の 研 究 発 表 の た め の 学 術 誌 を 発 行 し て い る 。 そ の い ず れ も が 、 山 口 小 委 員 長 の 序 文 に あ る と お り 、 五 十 周 年 記 念 号 を 刊 行 す る と い う 。 錦 上 花 を 添 え る の が ﹃太 田 耕 造 の 思 想 と 教 育 ﹄ の 編 集 刊 行 で 、 私 も そ の 一 章 の 執 筆 を 担 当 さ せ て 頂 い た 。 こ の 壮 挙 が 本 学 研 究 活 動 に い っ そ う の 活 力 を 与 え る こ と を 期 待 し 、 も っ て こ の 一 文 を 草 し た 次 第 で あ る 。 (創 立 五 十 周 年 記 念 事 業 委 員 会 副 委 員 長 )
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亜 細 亜 学 園 は 、 こ こ に 創 立 五 十 周 年 を 迎 え る こ と に な っ た 。 こ の 喜 び を 祝 う に あ た っ て 、 い ろ い ろ な 記 念 事 業 が 企 画 さ れ た 。 そ の 一 つ の 事 業 と し て 学 術 論 文 集 の 発 刊 が 決 定 し 、 そ の 運 営 の た め に 学 術 論 文 集 編 纂 小 委 員 会 が 設 置 さ れ た 。 当 委 員 会 は 、 何 回 か の 会 合 を 重 ね た 結 果 、 次 の よ う な 編 集 方 針 を も っ て 刊 行 す る こ と を 決 定 し た 。 一 、 学 部 、 教 養 部 、 短 大 の 論 文 集 の 刊 行 経 営 学 、 経 済 学 、 法 学 、 国 際 関 係 学 の 四 各 学 部 、 教 養 部 、 日 本 経 済 短 期 大 学 が 主 体 と な り 、 今 迄 そ れ ぞ れ が 発 刊 し て い る 紀 要 を 、 創 立 五 十 周 年 記 念 号 と し て 編 纂 し 、 次 の よ う に 刊 行 す る 。 第 一 巻 経 営 学 部︱ ﹁ 経 営 論 集 ﹂︱ 第 二 十 七 巻 第 一 ・ 二 号 合 併 号 第 二 巻 経 済 学 部︱ ﹁ 経 済 学 紀 要 ﹂ ︱ 第 十 六 巻 第 二 ・ 三 号 合 併 号 第 三 巻 法 学 部 ︱ ﹁ 亜 細 亜 法 学 ﹂︱ 第 二 十 六 巻 第 一 号 第 四 巻 国 際 関 係 学 部︱ ﹁ 国 際 関 係 紀 要 ﹂︱ 創 刊 号 第 五 巻 教 養 部 ︱ ﹁ 亜 細 亜 大 学 教 養 部 紀 要 ﹂︱ 第 四 十 三 号 第 六 巻 日 本 経 済 短 期 大 学︱ ﹁ 日 本 経 済 短 期 大 学 紀 要 ﹂ ︱ 第 二 十 二 巻 第 一 号こ れ ら の 論 文 集 の 編 纂 は 、 そ れ ぞ れ の 紀 要 編 集 委 員 会 に 委 ね る 。 二 、 統 一 表 題 に よ る ﹁ ア ジ ア の 変 容 ﹂ の 刊 行 附 置 研 究 所 で あ る ア ジ ア 研 究 所 が 発 行 し て い る 紀 要 の 、 統 一 表 題 を ﹁ ア ジ ア の 変 容 ﹂ と し て 編 纂 し 、 次 の よ う に 刊 行 す る 。 編 集 は 紀 要 委 員 会 に 委 ね る 。 第 七 巻 ア ジ ア 研 究 所 ︱ 統 一 表 題 ﹁ ア ジ ア の 変 容 ﹂ ー ﹁ ア ジ ア 研 究 所 紀 要 ﹂ ︱ 第 十 八 号 当 編 集 に あ た っ て は 、 学 園 内 で は 、 統 一 表 題 を テ ー マ と す る プ ロ ジ ェ ク ト ・ チ ー ム を 公 募 に よ っ て 編 成 し 、 そ の 研 究 成 果 を 掲 載 す る 。 ま た 国 外 で は 、 本 学 園 と の 交 流 大 学 に 、 ﹁ 各 国 の 人 々 が 、 そ れ ぞ れ の 自 国 の 変 容 を ど う み る か ﹂ に つ い て 執 筆 方 を 依 頼 す る 。 三 、 ﹃ 太 田 耕 造 の 思 想 と 教 育 ﹄ を 刊 行 太 田 耕 造 先 生 は 、 学 園 の 創 始 者 で あ る 。 学 園 発 展 の 基 盤 を 作 ら れ た 学 園 の 父 で あ る 。 学 園 内 外 か ら の 尊 敬 と 追 慕 の 念 か ら 、 創 立 五 十 周 年 記 念 と し て 、 あ ら た め て 先 生 の ﹁ 思 想 と 教 育 ﹂ に つ い て 、 研 究 篇 と し て 刊 行 し た ら ど う か と の 強 い 要 望 か ら 誕 生 し た 。 そ こ で 当 編 纂 小 委 員 会 の な か に ﹁ 太 田 耕 造 の 思 想 と 教 育 編 集 委 員 会 ﹂ を 設 置 し 、 次 の 諸 先 生 が 編 集 に あ た っ た 。 別 巻 ﹃ 太 田 耕 造 の 思 想 と 教 育 ﹄︱ 創 立 五 十 周 年 記 念 編 集 顧 問 衛 藤 藩 吉 ( 学 長) 同 夜 久 正 雄 (名 誉 教 授 ) 同 梶 村 昇 (国 際 関 係 学 部 )
同 山 口 年 一 (経 営 学 部 ) 編 集 主 任 栗 田 充 治 (教 養 部 ) 編 集 委 員 室 伏 武 (教 養 部 ) 同 奥 井 智 之 (教 養 部 ) 同 中 村 和 彦 (外 事 課 ) 編 集 方 針 と し て 、 次 の 三 部 構 成 を 決 定 し た 。 第 一 部 研 究 篇 一 太 田 耕 造 の 思 想 二 ﹁自 助 ・ 協 力 ﹂ の 建 学 精 神 第 二 部 伝 記 篇 第 三 部 資 料 篇 ︱ 年 譜 お よ び 執 筆 ・ 講 演 目 録 以 上 の 編 纂 に あ た っ て は 、 そ れ ぞ れ の 機 関 に お い て 承 認 を 得 な が ら 作 業 を 進 め る こ と が で き 、 こ こ に 学 術 論 文 集 七 巻 と 別 巻 、 計 八 巻 を 刊 行 す る 運 び と な っ た 。 理 事 長 、 学 長 、 教 職 員 の 方 々 の ご 協 力 を 心 か ら 感 謝 す る も の で あ る 。 と 同 時 に 、 学 園 の 創 立 六 十 周 年 、 七 十 周 年 と 、 よ り 一 層 の 発 展 を 願 う 次 第 で あ る 。
巻
頭
言
別
巻
編
集
主
任
栗
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充
治
別 巻 ﹃ 太 田 耕 造 の 思 想 と 教 育 ﹄ の 構 想 は 昭 和 六 十 一 年 に 学 内 に 組 織 さ れ た 有 志 の 研 究 会 (﹁ 太 田 精 神 研 究 会 ﹂ ) で 計 画 し て い た ﹃ 太 田 精 神 入 門 ﹄ 編 集 案 に 遡 る 。 ﹁ 太 田 精 神 研 究 会 ﹂ と は い か な る 研 究 会 か と い ぶ か る 人 も い る と 思 わ れ る の で 、 次 に 研 究 会 の 設 立 の 趣 旨 を 説 明 し た 案 内 文 の 全 文 を 引 用 し て お こ う 。 太 田 精 神 研 究 会 へ の ご 案 内 太 田 精 神 の ﹁ 太 田 ﹂ は 、 太 田 耕 造 先 生 を さ す が 、 太 田 耕 造 と 言 っ て も だ れ の こ と や ら 分 か ら ぬ 人 が 今 は 多 い か も 知 れ な い 。 鈴 木 終 戦 内 閣 の 文 部 大 臣 で あ っ た 人 、 平 沼 内 閣 の 書 記 官 長 で あ っ た 人 と 言 え ば 、 あ あ 、 あ の 人 か 、 と 思 い 出 す 人 が 少 し は い る か も 知 れ な い 。 し か し 、 鈴 木 終 戦 内 閣 に し ろ 、 平 沼 内 閣 に し ろ も う 古 い こ と で あ る か ら 、 若 い 人 に は 通 じ ま い と 思 わ れ る 。 が 、 亜 細 亜 大 学 と 日 本 経 済 短 期 大 学 よ り 成 る 亜 細 亜 学 園 の 教 職 員 、 卒 業 生 、 在 学 生 に と っ て は 、 太 田 先 生 は 学 祖 と し て 忘 れ ら れ な い 恩 人 で あ る 。 早 稲 田 大 学 の 大 隈 重 信 、 慶 応 義 塾 に と っ て の 福 沢 諭 吉 、 東 洋 大 学 の 井 上 円 了 、 津 田 塾 大 学 に と っ て の 津 田 梅 子 な ど と 同 様 な 意 味 を 持 つ 学 祖 で あ り 、 ﹁ 自 助 協 力 ﹂ を 建 学 の 精 神 と し て 掲 げ ら れ た 永 遠 の 恩 師 な の で あ る 。 太 田 先 生 が 逝 去 さ れ た の は 昭 和 五 十 六 年 十 一 月 二 十 六 日 で 、 昭 和 六 十 一 年 四 月 か ら 数 え て 五 年 近 く の 歳 月が た ち 、 多 磨 墓 地 に あ る お 墓 も 苔 む し て き た 。 そ れ と と も に 太 田 精 神 も は っ き り し た イ メ ー ジ を 結 び が た く な っ た 面 も あ る の で 、 亜 細 亜 学 園 の 教 職 員 を 中 心 メ ン バ ー と す る 太 田 精 神 研 究 会 を 開 き 、 そ の 成 果 を 集 め て 随 時 印 刷 し た い と 思 う 。 有 志 の 協 賛 を お 願 い し た い 。 昭 和 六 十 一 年 四 月 八 日 発 起 人 古 川 哲 史 (代 表 ) 、 夜 久 正 雄 、 梶 村 昇 、 服 部 正 中 、 鰺 坂 芳 文 こ の 太 田 精 神 研 究 会 の 成 果 の 一 つ が 昭 和 六 十 二 年 三 月 に 刊 行 さ れ た 新 入 生 配 布 用 の 文 庫 本 ﹃ ア ジ ア の 夢 と 青 年 へ の 期 待︱ 太 田 耕 造 先 生 論 説 選 ﹄ で あ る 。 太 田 精 神 研 究 会 で は こ の ほ か に ﹃ 太 田 精 神 入 門 ﹄ を 編 集 し た り 、 太 田 耕 造 全 集 全 四 巻 の 索 引 、 年 譜 、 執 筆 ・ 講 演 目 録 を ま と め る 計 画 を 持 っ て い た が 、 諸 般 の 事 情 で 実 現 で き な か っ た 。 そ れ ら の 計 画 を 引 き 継 い で 、 あ ら た め て 五 十 周 年 記 念 と し て 刊 行 す る こ と が 別 巻 編 集 計 画 の 当 初 の 意 図 で あ っ た の で あ る 。 総 頁 数 三 、 五 〇 〇 頁 に 及 ぶ 太 田 全 集 四 巻 を ﹁ 読 む と 、 太 田 が 学 校 屋 を 越 え た 大 思 想 家 ・ 大 教 育 者 で あ っ た こ と が わ か る ﹂ と 、 古 川 哲 史 理 事 は 断 言 さ れ て い る が 、 昭 和 六 十 一 年 か ら さ ら に 五 年 余 り た っ た 今 日 、 顕 彰 と い う 特 定 の 角 度 か ら で は な く 、 一 人 の 教 育 者 、 一 人 の 思 想 家 と し て の 太 田 耕 造 に さ ま ざ ま の 角 度 か ら 迫 り 、 彼 の 客 観 的 な 実 像 を 浮 か び 上 が ら せ る 作 業 に と り か か る 時 期 に 来 て い る の で は な い か と 思 う 。 太 田 先 生 の 文 中 で の 呼 び 方 を 敢 て ﹁ 太 田 耕 造 ﹂ と 呼 び 捨 て に す る よ う 執 筆 者 に お 願 い し た の も 同 じ 思 い か ら で あ る 。 第 Ⅰ 部 研 究 篇 ( 1 ) ﹁ 太 田 耕 造 の 思 想 ﹂ の 編 集 プ ラ ン は 、 古 川 哲 史 ﹁ 太 田 精 神 に お け る 東 と 西 ﹂ (亜 細 亜 大 学 教
養 部 言 語 文 化 研 究 所 編 ﹃東 と 西 ﹄ 第 四 号 、 昭 和 六 十 一 年 三 月 所 収 ) に 基 づ い て い る 。 古 川 論 文 に 取 り 上 げ ら れ て い る 太 田 耕 造 の 親 し ん だ 東 西 の 思 想 家 た ち と 太 田 耕 造 そ の 人 を か ら め て 論 じ て み よ う と い う も の で あ る 。 香 港 中 文 大 学 か ら 四 百 字 詰 百 枚 に 及 ぶ 力 作 を 寄 稿 さ れ て き た 譚 汝 謙 氏 を は じ め 、 執 筆 者 の 意 欲 的 な 取 り 組 み に よ っ て 別 巻 の 中 心 と な る に ふ さ わ し い 、 質 量 共 に 充 実 し た 内 容 に 出 来 上 が っ た の で は な い か と ひ そ か に 自 負 し て い る 次 第 で あ る 。 第Ⅱ 部 伝 記 篇 は 、 執 筆 が 一 番 大 変 で あ っ た と こ ろ で あ る 。 太 田 全 集 に は 伝 記 が な く 、 ま た 、 年 譜 も 簡 単 な も の し か 付 け ら れ て い な い と い う 点 が 全 集 刊 行 当 時 か ら の 大 方 の 不 満 で あ っ た 。 今 回 、 大 変 な 苦 労 を し な が ら な ん と か 伝 記 ら し い 形 に ま と め る こ と が 出 来 た の は 、 ひ と え に 執 筆 者 の 努 力 の お か げ で あ る 。 多 忙 な 中 、 資 料 の 少 な い 政 治 家 時 代 の 一 章 を 執 筆 し て い た だ い た 衛 藤 藩 吉 学 長 を は じ め 、 快 く 引 き 受 け て い た だ い た 執 筆 者 の 方 々 に こ の 場 を 借 り て 御 礼 申 し 上 げ る 。 学 長 時 代 に つ い て は 、 ま だ 太 田 学 長 の 思 い 出 が な ま な ま し く 残 っ て い る と 思 わ れ る の で 、 座 談 会 と い う 形 で 自 由 に 語 り 合 っ て い た だ く こ と に し た 。 二 日 に わ た っ た 長 時 間 の 内 容 を 圧 縮 し た も の で あ る が 、 学 園 史 を お ぎ な う 興 味 深 い お 話 を う か が う こ と が で き た 。 出 席 者 各 位 に 感 謝 の 意 を 表 し て お き た い 。 以 上 の 研 究 篇 と 伝 記 篇 を ま と め る こ と に よ っ て 、 今 後 の 展 開 が 期 待 さ れ る 太 田 耕 造 研 究 の た め の 重 要 な 第 一 歩 を 踏 み 出 す こ と が 出 来 た の で は な い か と 思 う 。 編 集 の 大 任 を な ん と か 果 た せ た と い う 思 い で あ る 。 別 巻 編 集 委 員 会 の メ ン バ ー と し て 編 集 作 業 を 助 け て い た だ い た 教 養 部 の 室 伏 武 教 授 、 座 談 会 や 年 譜 の 編 集 を 担 当 し た 奥 井 智 之 講 師 、 お よ び 写 真 撮 影 や 実 務 を 担 当 し た 中 村 和 彦 氏 を は じ め と す る 記 念 事 業 事 務 室 の 皆 様 の 助 力 が な け れ ば 別 巻 編 集 の 作 業 は こ の よ う に は 進 ま な か っ た と 思 う 。 こ こ に 厚 く 御 礼 申 し 上 げ る 。
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中
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彦 290
第Ⅱ
部
伝
記
篇
1
二
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時
代
千
々
和
純
一 297
2
学
業
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305
3
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322
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時
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6
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時
代
古
川
哲
史
368
︹座
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会
︺
学
長
時
代
の
太
田
耕
造
を
語
る
383
年
譜
お
よ
び
執
筆
・
演
述
目
録
489
第Ⅰ
部
研
究
篇
一
太
田
耕
造
の
思
想
1
太
田
精
神
に
お
け
る
東
と
西
古
川
哲
史
(1) は し が き 太 田 耕 造 の 思 想 ・ 精 神 を 知 る 資 料 と し て は 、 太 田 耕 造 全 集 四 巻 が 現 存 す る が 、 こ の 全 集 の 中 に も 、 お の ず か ら 第 一 等 資 料 と 二 等 資 料 、 第 三 等 資 料 が 分 か れ る と 私 は 考 え る 。 第 一 等 資 料 は 、 第 一 巻 に あ る 巣 鴨 日 記 、 第 三 巻 に あ る 太 田 耕 造 日 記鈔 。 こ の 二 つ の 日 記 は 著 者 自 身 が 書 い た も の で あ る か ら 、 当 然 、 第 一 等 資 料 と し て の 価 値 を も っ て い る 。 そ れ と と も に 、 第 二 巻 に お さ め ら れ た 亜 細 亜 大 学 ・ 日 本 経 済 短 期 大 学 々 長 と し て 演 述 し た 大 学 の 入 学 式 、 卒 業 式 な ど の 訓 辞 、 祝 辞 の 草 稿 な い し 速 記 、 同 じ 時 期 (昭 和 三 十 年 度 か ら 逝 去 さ れ た 昭 和 五 十 六 年 度 ま で ) に 書 か れ た 文 章 類 は 演 述 者 も し く は 執 筆 者 と し て 太 田 耕 造 の 名 が 明 記 さ れ て い る の で 、 こ と に 教 育 家 と し て の 太 田 耕 造 の 思 想 や 信 念 を 知 る の に 絶 好 の 資 料 で あ ろ う 。 し か し 、 第 一 巻 と 第 四 巻 に 集 め ら れ て い る 雑 誌 ﹃ 国 本 ﹄ 所 載 の 論 説 は 、 執 筆 者 の 署 名 が あ る 分 は 別 と し て 、 そ れ が 欠 け て い る も の は 、 こ れ を 第 一 等 資 料 と す る の に は 若 干 の た め ら い が 要 る 。 私 の 読 ん だ か ぎ り で は 、 太 田 耕 造 個 人 の 述 作 と 見 る よ り 、 国 本 社 同 人 一 同 の 述 作 と 見 た ほ う が 適 当 な も の も 散 見 す る 。 筆 を 執 っ た の は 太 田 耕 造 で あ っ た か も 知 れ な い が 、 主 張 す る 内 容 は 太 田 耕 造 個 人 の も の と は 若 干 ニ ュ ア ン ス を 異 に す る も の も ま じ る よ うで あ る 。 そ れ ら の 文 献 批 判 は 慎 重 な 取 扱 い を 必 要 と す る か ら 、 こ こ で は と り あ え ず 第 二 等 資 料 と し て 処 理 し た い 。 第 三 巻 は ﹃写 真 で 綴 る 太 田 耕 造 先 生 の こ 生 涯 ﹄ と ﹃ 思 い 出 で 綴 る 太 田 耕 造 先 生 の ご 生 涯 ﹄ お よ び ﹃ 太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ の 三 部 よ り 成 っ て い る 。 ﹃ 太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ の 価 値 に つ い て は 、 既 述 の と お り で あ る が 、 そ の 他 の 二 部 も 太 田 先 生 の 人 柄 や 日 常 を 知 る に は 欠 か せ な い 重 要 性 を も っ て い る 。 し か し 、 ﹁ 太 田 精 神 に お け る 東 と 西 ﹂ を 主 題 す る こ の 論 述 で は 、 第 三 等 資 料 も し く は 番 外 資 料 と し て 活 用 す る よ う に し た い 。 (2) 石 川 公 一 の 思 い 出 さ て 、 第 一 等 資 料 と し て の 二 つ の 日 記 お よ び 第 二 巻 に お け る 教 育 家 と し て の 発 言 に は 、 ど の よ う に 東 と 西 が 出 て い る か 。 ま ず 頻 度 の 高 い 日 本 人 を 拾 っ て み れ ば 、 石 川 公 一 、 岩 田 愛 之 助 、 内 村 鑑 三 、 五 島 慶 太 、 西 郷 南 洲 、 佐 藤 信 淵 、 鈴 木 貫 太 郎 、 杉 浦 重 剛 、 竹 内 賀 久 治 、 田 辺 治 通 、 二 宮 尊 徳 、 乃 木 希 典 、 広 瀬 淡 窓 、 明 治 天 皇 、 山 川 健 次 郎 、 吉 田 松 陰 、 頼 山 陽 な ど ( ア イ ウ エ オ 順 ) 。 こ の 内 、 石 川 公 一 に つ い て は 、 ﹃ 太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ の 昭 和 二 十 二 年 九 月 一 日 の 項 に ﹁ 公 一 電 話 ニ 依 リ 夜 来 ル ﹂ と あ る の に 始 ま り 、 翌 二 日 の 項 に 、 ﹁新 聞 ニ 、 キ ー ナ ン 検 事 発 表 、 巣 鴨 組 十 五 、 自 宅 拘 禁 八 名 釈 放 ノ 声 明 出 ヅ 。 野 崎 、 大 麻 、 平 沼 夫 妻 、 以 寿 子 、 公 一 、 本 多 夫 妻 、 岩 子 、 永 戸 秀 助 、 矢 萩 、 鈴 木 豊 未 亡 人 、 寺 内 夫 人 。 ﹂ 九 月 十 一 日 の 項 に 、 ﹁ 朝 、 小 金 井 公 一 来 ル 。 共 ニ 信 濃 駅 ニ 至 リ 〓 ニ テ 別 レ 、 雪 ヶ 谷 、 永 戸 姉 ヲ 訪 フ 。 ⋮ ⋮ ﹂
九 月 二 十 一 日 の 項 に 、 ﹁ 朝 、 葛 生 翁 息 秀 君 来 訪 。 十 時 半 、 自 宅 ヲ 出 テ 小 金 井 ニ 赴 キ 、 公 一 君 許 婚 両 親 、 金 原 夫 妻 、 志 保 子 ト 初 対 面 。 昼 食 ヲ 共 ニ シ 、 夕 刻 マ デ 附 近 散 歩 ナ ド シ 、 夕 食 ノ 馳 走 ニ モ ナ リ 、 八 時 帰 宅 。 ﹂ な ど と 出 て い る が 、 こ れ に よ っ て 石 川 公 一 の 住 居 が 小 金 井 に あ っ た こ と 、 こ の ご ろ 美 学 者 の 金 原 省 吾 の 女 志 保 子 と 婚 約 関 係 に あ っ た こ と 、 母 の 以 寿 子 と と も に 太 田 先 生 か ら 親 愛 さ れ て い た こ と が わ か る が 、 以 下 、 と く に 目 だ つ 記 事 だ け を 拾 っ て み る と 、 ﹁ 午 前 蟄 居 。 午 後 、 岸 本 ビ ル ニ 永 野 君 ヲ 訪 シ モ 不 在 、 君 野 君 宅 ニ 寄 リ 、 四 時 帰 宅 。 直 ニ 小 金 井 ニ 赴 ク 。 頼 一 君 、 祥 月 命 日 ナ リ 。 以 寿 子 、 公 一 外 二 君 ト 食 事 ス 。 二 階 ニ 飾 リ タ ル 故 人 写 真 ニ 果 物 ヲ 供 ヘ 、 瞑 目 久 シ ︹ ウ シ ︺ タ リ 。 九 時 帰 ル 。 ﹂ (十 一 月 十 日 ) ﹁ 九 時 、 公 一 来 リ 。 共 ニ 上 野 ニ 赴 キ 、 世 界 名 作 展 ヲ 観 ル 。 ル オ ー 、 ロ ダ ン 、 ミ ュ レ ー 、 ナ ド 嘆 賞 、 暫 時 夢 世 界 ニ 入 ル 。 ⋮ ⋮ ﹂ (十 一 月 二 十 一 日 ) ﹁ 正 午 、 西 荻 窪 、 金 原 省 吾 氏 ニ 招 カ レ 、 馳 走 ニ ナ ル 。 公 一 許 嫁 志 保 子 ノ 実 家 ナ リ 。 以 寿 子 、 公 一 ト 三 人 客 ナ リ 。 四 時 、 三 人 ニ テ 小 金 井 ニ 帰 ル 。 夕 食 ノ 馳 走 ニ ナ リ 、 八 時 帰 宅 。 ⋮ ⋮ ﹂ (十 一 月 二 十 二 日 ) ﹁ ⋮ ⋮ 四 時 帰 宅 。 留 守 中 、 公 一 来 リ タ ル 趣 ニ テ 、 直 ニ 小 金 井 ニ 赴 ク 。 ヴ ァ カ リ 夫 人 来 訪 、 家 屋 ノ 件 、 相 談 ノ 結 果 、 小 生 ノ 新 築 融 通 ノ 件 話 合 タ ル 由 。 感 激 ニ 不 堪 。 余 リ 無 理 セ ヌ 様 、 以 寿 子 、 公 一 ニ 念 押 シ 、 九 時 帰 ル 。 ﹂ (十 二 月 二 日 ) ﹁ 十 時 、 公 一 来 リ 、 共 ニ 金 沢 東 屋 ニ 赴 ク 。 女 将 、 大 ニ 喜 ブ 。 好 物 天 プ ラ ノ 馳 走 ニ ナ リ 、 四 時 辞 去 。 午 後 、 周 一 来 リ タ ル 由 ナ リ 。 ﹂ (十 二 月 二 十 日 )
﹁ ⋮ ⋮ 一 時 、 小 金 井 ニ 赴 ク 。 以 寿 子 、 公 一 ト 牛 鍋 ニ テ 忘 年 会 ヲ 催 シ 、 八 時 帰 ル 。 ﹂ (十 二 月 二 十 九 日 ) 以 上 で 昭 和 二 十 二 年 の 記 事 は 終 わ っ て い る が 、 こ の 後 も 、 ﹁ 公 一 来 ル ﹂ な い し ﹁ 小 金 井 ニ 赴 ク ﹂ の 記 事 は た え ま な く 続 い て い る 。 す な わ ち 、 昭 和 二 十 三 年 二 月 十 四 日 、 ﹁ 一 時 半 、 小 金 井 ニ 行 キ 、 ⋮ ⋮ 公 一 ニ 結 婚 祝 ト シ テ 腕 時 計 ヲ 与 ﹂ え 、 二 月 二 十 五 日 に は 、 ﹁ 午 後 、 散 髪 シ タ ル 後 、 鶴 子 ノ 好 物 タ リ シ 蜜 柑 、 チ ュ ー リ ッ プ 及 鶏 肉 を 買 ヒ 、 小 金 井 ニ 赴 ﹂ い て い る 。 鶴 子 は 太 田 先 生 の 最 初 の ご 夫 人 で 、 昭 和 十 一 年 二 月 二 十 五 日 、 二 ・ 二 六 事 件 の 前 日 亡 く な ら れ た 。 そ れ で 、 先 生 は ﹁ 逝 キ テ 十 二 年 目 ノ 命 日 ナ リ 。 二 ・ 二 六 事 件 前 日 ニ テ 大 雪 降 リ 頻 ル 日 、 武 蔵 野 病 院 ニ 屡 々 馳 ケ タ ル 思 出 涌 ク ﹂ と 述 懐 し て お ら れ る が 、 こ の 日 の 記 事 に よ っ て 石 川 以 寿 子 ・ 公 一 が 鶴 子 夫 人 の 近 い 縁 者 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 公 一 は 、 た ぶ ん 鶴 子 夫 人 の 甥 子 で あ っ た の で は な か ろ う か 。 実 は 、 本 文 の 執 筆 者 は 、 石 川 公 一 君 と は 無 縁 で な か っ た 。 新 宿 に あ る 文 化 女 子 大 学 で 、 時 間 講 師 仲 間 と し て 数 年 間 親 し ん だ 。 私 は 倫 理 学 を 、 石 川 君 は 西 洋 美 術 史 を 講 じ て い た は ず で あ る が 、 共 に 東 大 文 学 部 で 学 ん だ 同 窓 生 で あ っ た の で 、 並 々 な ら ぬ 親 し み を こ め て 接 し て く れ た 。 が 、 そ の 好 意 に 応 え る 前 に 、 石 川 君 は 私 の 前 か ら 姿 を 消 し た 。 そ れ が い つ の こ と か ハ ッ キ リ し な か っ た が 、 ﹃太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ を 読 ん で 、 昭 和 三 十 八 年 五 月 三 十 日 の 項 に い た り 、 ﹁ 夜 十 時 、 小 金 井 、 以 寿 子 ヨ リ 電 話 ア リ 、 今 夜 八 時 三 十 一 分 、 公 一 、 桜 町 病 院 ニ テ 死 去 ス 。 本 日 午 後 、 学 習 院 ノ 講 義 ノ 準 備 ノ 為 書 斎 ニ テ 朝 ヨ リ 読 書 中 、 正 午 過仆 レ 居 ル ヲ 発 見 、 救 急 車 ニ テ 桜 町 病 院 ニ 入 院 セ シ メ タ ル 趣 也 。 心 臓 マ ヒ ト ノ 事 也 。 ⋮ ⋮ ﹂ と あ る の で 、 思 わ ず 長 嘆 久 し く し た 。 私 が 亜 細 亜 大 学 で 講 義 を し は じ め た の は 昭 和 四 十 八 年 四 月 か ら で あ っ た か ら 、 そ れ よ り 十 年 前 に 石 川 君 は 心 臓 マ ヒ で 急 逝 し て い た わ け で あ る 。
し た が っ て 石 川 君 は 、 私 が 後 年 太 田 耕 造 学 長 の 下 で 講 義 を す る よ う に な る こ と は 、 む ろ ん 、 ぜ ん ぜ ん 知 ら な か っ た わ け で あ る が 、 志 保 子 夫 人 が 私 の 噂 を さ れ る 由 を 、 法 学 部 教 授 で 学 園 理 事 で も あ っ た 故 小 川 先 生 か ら 承 っ て 或 る 感 慨 に と ら え ら れ た 記 憶 が あ る 。 石 川 君 が 、 文 化 女 子 大 学 で の 時 間 講 師 な か ま で あ る 私 の こ と を 、 何 か の 機 会 に 夫 人 に 話 し た こ と が わ か っ た か ら で あ る 。 も し 石 川 君 が夭 折 せ ず 、 私 が 太 田 先 生 の 学 園 で 前 後 十 五 年 も つ と め る と 知 っ た ら 、 ふ し ぎ な 縁 に お ど ろ き 、 そ の お ど ろ き を 夫 人 に も 告 げ た の で は な か ろ う か 。 太 田 先 生 と 石 川 公 一 と の 間 柄 に つ い て の 話 が 、 い つ の 間 に か 石 川 公 一 と 私 と の 因 縁 話 に 変 わ っ て し ま っ た が 、 昭 和 二 十 三 年 四 月 八 日 、 先 生 は ﹁ 十 一 時 、 小 金 井 ニ 赴 キ 、 公 一 結 婚 式 ニ 臨 ﹂ ん で お ら れ る 。 媒 介 人 は ヴ ァ カ リ ー 夫 人 。 ﹁ 三 々 九 度 盃 ヲ 交 シ 終 了 。 赤 飯 ノ 祝 宴 ヲ 開 ク 。 志 保 子 ノ 両 親 、 妹 、 余 ト 、 ヴ ァ カ リ ー 夫 人 ト 八 人 会 合 ﹂ で あ っ た 。 そ の 後 も 、 先 生 が ﹁ 小 金 井 ニ 赴 ﹂ き 、 公 一 が 先 生 を ﹁訪 問 ﹂ す る こ と 今 ま で と 変 わ り な い が 、 越 え て 昭 和 三 十 ︹原 ︺ 三 年 に な る と 、 十 二 月 十 日 、 ﹁ 小 金 井 ニ 赴 キ 公 一 ノ 渡 独 錢 別 持 参 ﹂ し 、 十 五 日 に は ﹁ 八 時 半 、 東 京 駅 ニ 赴 キ 、 九 時 発 銀 河 ニ 乗 ジ 神 戸 ニ 赴 ク 公 一 ヲ 見 送 ﹂ っ て お ら れ る 。 ﹁ 明 午 後 五 時 、 神 戸 出 航 貨 物 船 あ さ ま 丸 ニ テ 、 ミ ュ ン ヘ ン 留 学 ニ 旅 立 ツ モ ノ ﹂ で あ っ た 。 そ れ か ら 約 一 年 が た っ て 、 三 十 四 年 十 二 月 三 日 の ﹁ 九 時 半 、 小 金 井 志 保 子 来 訪 、 ミ ュ ン ヘ ン 、 公 一 ヨ リ 来 信 、 渡 独 ヲ 喜 ビ 早 ク 来 独 希 望 ス ト ノ 趣 ﹂ を 伝 え た の で 、 ﹁ 母 独 リ ヲ 考 工 、 留 守 万 端 再 度 注 意 ヲ 与 ﹂ え た 、 と あ る 。 公 一 君 が 文 化 女 子 大 学 で の 私 の 同 僚 と な っ た の は 、 右 の 渡 独 か ら 帰 国 し て 以 後 の こ と で は な い か と 思 う が 、 私 は た し か 、 昭 和 三 十 年 代 に は 文 化 女 子 大 学 へ 出 講 中 で あ っ た 。 そ れ で 、 石 川 君 と 一 緒 に な っ た の は 三 十 五 、 六 年 ご ろ か ら 以 後 の 数 年 で 、 前 に 紹 介 し た 通 り 、 三 十 八 年 五 月 三 十 日 に は 、 石 川 君 は 鬼 籍 に は い っ て い る の で あ る 。
石 川 君 の訃 報 は 私 に は 連 絡 が な か っ た の で 、 告 別 式 に も 参 列 で き な か っ た と 記 憶 す る が 、 も う 三 十 年 も 前 の こ と で あ る の で 、 ハ ッ キ リ し た 記 憶 で は な い 。 そ の あ い だ に 太 田 先 生 も 昭 和 五 十 六 年 に 亡 く な ら れ 、 そ れ か ら も 十 年 以 上 が た っ て い る 。 往 事 荘 と し て 夢 の 如 く に な っ て し ま っ た が 、 ﹃太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ で 読 む か ぎ り 、 石 川 公 一 が 太 田 先 生 の 最 も 親 愛 さ れ た 一 人 で あ っ た と い う 印 象 が 強 い 。 ﹁ 太 田 精 神 に お け る 東 と 西 ﹂ と い う テ ー マ に は 少 し 廻 り み ち に な っ た か も 知 れ な い が 、 こ の こ と に 触 れ ず に 先 に 進 め な か っ た 筆 者 の 衷 情 を 諒 と さ れ た い 。 (3) 岩 田 愛 之 助 の こ と ﹃ 太 田 耕 造 日 記 鈔 ﹄ に 出 て く る 人 物 で 、 石 川 公 一 と な ら ん で 頻 度 の 多 い 一 人 に 岩 田 愛 之 助 が あ る 。 す な わ ち 、 ま ず 昭 和 二 十 二 年 度 に は 、 八 月 三 十 一 日 の 項 に 、 ﹁ 朝 、 岩 田 君 来 訪 ﹂ と あ る の に は じ ま り 、 同 様 な 記 事 が 九 月 十 日 、 九 月 二 十 三 日 、 九 月 二 十 九 日 、 十 一 月 十 一 日 、 十 一 月 十 三 日 、 十 一 月 十 四 日 、 十 二 月 十 一 日 、 十 二 月 十 九 日 な ど に あ り 、 十 一 月 十 二 日 と 十 二 月 十 四 日 に は 一 緒 に 大 相 撲 を 見 物 し て お ら れ る 。 い ず れ も ﹁ 岩 田 君 招 待 ﹂ と あ る 。 ま た 、 十 月 八 日 の 午 前 に は 、 先 生 が ﹁岩 田 君 ヲ 訪 問 ﹂ し 、 十 二 月 二 十 七 日 の 項 に は 、 ﹁ 十 二 時 、 岩 田 君 ト 同 君 紹 介 ノ 藤 本 輝 夫 、 三 井 正 之 、 岡 憲 市 ノ 三 君 ト 木 挽 町 、 田 原 屋 ニ テ 会 談 。 経 済 復 興 問 題 其 他 ニ 付 、 意 見 交 換 。 帰 途 、 岩 田 君 事 務 所 ニ 寄 リ 、 四 時 帰 宅 。 夜 、 読 書 ニ 耽 ル 。 ﹂ と し る さ れ て い る 。 こ れ で 二 十 二 年 の 部 は 終 わ っ て い る が 、 翌 二 十 三 年 に な っ て も 、 ﹁ 訪 問 ﹂ ﹁ 来 訪 ﹂ が く り 返 さ れ て い る 。
す な わ ち 、 ﹁訪 問 ﹂ は 一 月 二 十 九 日 、 二 月 四 日 、 三 月 九 日 、 三 月 二 十 七 日 、 四 月 一 日 、 四 月 七 日 、 六 月 十 三 日 、 六 月 三 十 日 、 八 月 二 十 六 日 な ど 、 ﹁ 来 訪 ﹂ は 二 月 二 十 五 日 、 三 月 二 十 六 日 、 四 月 十 四 日 、 四 月 二 十 三 日 、 五 月 二 十 一 日 、 八 月 三 日 な ど に そ の 記 事 が 見 え る 。 ま た 、 岩 田 の 招 待 を 受 け て 、 先 生 は 五 月 十 日 は ﹁ 遊 船 ﹂ に 、 五 月 十 五 日 は 、 ﹁ 大 相 撲 ﹂ に 出 か け ら れ て い る 。 そ の よ う に 公 私 と も に 先 生 は 岩 田 と 親 し か っ た が 、 二 十 五 年 三 月 十 五 日 の ﹁ 朝 九 時 、 岩 田 君 宅 ヨ リ 電 話 ア リ 、 今 朝 、 主 人 急 ニ 仆 レ タ リ ト ノ 事 ﹂ で あ っ た 。 先 生 は ﹁ 直 に 馳 付 ケ ﹂ ら れ た が 、 ﹁ 已 ニ 人 事 不 省 、 百 方 手 ヲ 尽 ク セ ル モ 、 三 時 遂 ニ 逝 ﹂ い た 。 そ こ で ﹁ 善 後 策 ニ 付 協 議 、 衆 議 ニ テ 葬 儀 委 員 長 推 サ レ 已 ナ ク 受 諾 ﹂ し た 。 葬 儀 は 三 月 二 十 二 日 、 築 地 本 願 寺 で 執 行 さ れ た が 、 こ の 日 の ﹁ 十 時 半 、 築 地 本 願 寺 ニ 赴 ク 。 十 一 時 半 、 儀 式 開 始 。 十 二 時 半 、 葬 儀 委 員 長 ト シ テ 挨 拶 ヲ 述 ブ 。 十 二 時 半︱ 一 時 半 告 別 式 ヲ 行 フ 。 三 時 帰 宅 。 疲 労 ノ 為 、 九 時 半 就 寝 ﹂ と 日 記 に あ る 。 し か し 、 こ れ で す べ て が 終 わ っ た の で は な い 。 ﹁ 命 日 焼 香 ﹂ (五 月 十 五 日 、 七 月 十 五 日 、 八 月 十 五 日 、 十 月 十 五 日 な ど ) の ほ か ﹁ 墓 地 下 見 分 ﹂ ( 五 月 三 十 一 日 ) 、 ﹁ 建 碑 下 見 分 ﹂ (九 月 十 五 日 ) 、 ﹁遺 骨 埋 葬 式 ﹂ (九 月 二 十 六 日 ) な ど が つ づ き 、 十 一 月 二 十 八 日 に は ﹁ 岩 田 君 家 族 維 持 ノ 件 ニ テ 協 議 ﹂ し 、 十 二 月 二 日 に も ﹁ 岩 田 君 遺 族 夫 人 ヲ 訪 ヒ 、 大 沢 君 ヲ 交 へ 今 後 生 活 方 針 ヲ 協 議 ﹂ し て お ら れ る 。 そ し て 、 二 十 六 年 二 月 三 日 に は ﹁ 岩 田 夫 人 編 、 追 慕 録 ノ 序 文 ヲ 認 メ 、 十 二 時 ニ 至 ﹂ っ た と あ る が 、 先 生 に は な お 、 全 集 第 一 巻 に お さ め ら れ て い る ﹁ 岩 田 愛 之 助 を 憶 ふ ﹂ 、 第 二 巻 に お さ め ら れ て い る ﹁ 博 愛 至 誠 の 人 ﹂ な ど の 文 章 が あ る 。 岩 田 愛 之 助 は 、 亜 細 亜 学 園 の 前 身 校 で あ る 。 興 亜 専 門 学 校 の 創 立 者 の 一 人 で あ る が 、 そ の 七 回 忌 法 要 で の 挨 拶 が 右 の ﹁ 博 愛 至 誠 の 人 ﹂ で 、 敬 愛 す る 故 人 を 偲 ん で 真 情 あ ふ れ る 追 慕 の 情 に つ ら ぬ か れ て い る 。 す な わ ち 、 故 人 は 元 来 気 性 の 極 く 烈 し い 、 恐 畏 を 知 ら な い 剛 強 漢 で 、 若 い こ ろ 、 何 か の 事 件 で 縺 れ た の を き っ か け と
し て 大 阪 の 南 海 駅 の あ た り で 、 単 身 ド ス を 呑 ん で 出 張 り 、 多 数 相 手 に 果 し 合 っ た こ と も あ っ た と い う が 、 年 と と も に 慈 悲 円 満 の 徳 を 積 み 、 そ の 相 貌 ま た こ れ を 反 映 し て 、 晩 年 に は 世 に も 稀 な 温 顔 慈 相 と な っ て い た 。 終 戦 直 後 の 混 乱 時 代 に は 、 上 野 駅 や 東 京 駅 な ど に 彷 徨 う 孤 児 を 自 宅 に 引 き と っ て 来 て 家 族 を 驚 か し た り 、 痩 せ 衰 え た 幾 匹 も の 野 犬 や 、 の ら 猫 を 拾 っ て 来 て 愛 育 し た 話 な ど 、 そ の 種 の 話 題 が 多 か っ た 。 と こ ろ が 私 生 活 は ま こ と に 簡 易 質 素 な も の で 、 芝 の 自 宅 の 如 き は 雨 降 れ ば 漏 り 、 風 吹 け ば 揺 れ る と い う 始 末 で あ っ た 。 そ の よ う に 一 身 上 の 雑 事 は 全 く こ れ を 顧 み ず 、 一 意 国 家 民 人 の た め に 苦 心 奔 走 し た 。 杉 浦 重 剛 が 幡 随 院 長 兵 衛 を 詠 じ た 詩 に ﹁ 幡 随 寺 畔 一 真 人 ﹂ と あ る が 、 岩 田 愛 之 助 も ま さ に ﹁ 一 真 人 ﹂ で 、 あ る 人 に よ れ ば ﹁頭 山 満 翁 の 衣 鉢 を 継 ぐ も の は 彼 ﹂ で あ っ た 。 ﹁ 国 歩 艱 難 に し て 斯 人 を 偲 ぶ こ と 切 な る も の が あ ﹂ る と 、 太 田 先 生 は こ の 挨 拶 を し め く く っ て お ら れ る 。 (4) 明 治 の 三 大 教 育 者 さ て 、 幡 随 院 長 兵 衛 を ﹁ 幡 随 寺 畔 一 真 人 ﹂ と 詠 じ た 杉 浦 重 剛 は 、 江 原 素 六 、 山 川 健 次 郎 と な ら ん で 明 治 時 代 の 三 大 教 育 者 と い わ れ た 人 物 で 、 太 田 先 生 が 大 き な 感 化 を 受 け ら れ た こ と は 、 ﹁ 私 は 学 生 時 代 か ら 国 家 主 義 運 動 に 挺 身 し た が 、 当 時 非 常 に 感 化 を 受 け た 先 輩 た ち が い た 。 明 治 時 代 に 三 大 教 育 者 と い わ れ た 江 原 素 六 、 杉 浦 重 剛 、 山 川 健 次 郎 先 生 で あ る 。 人 に よ っ て 見 方 は い ろ い ろ あ ろ う が 、 私 は こ の 三 先 生 に 接 し て 大 き な 感 化 を 受 け た 。 ﹂ (全 集 第 二 巻 六 二 八 頁 ) と い う 告 白 に よ っ て 知 ら れ る 。 右 の 内 、 江 原 素 六 は 旧 制 の 麻 布 中 学 校 の 創 設 者 。 旧 幕 臣 で あ っ た が 、 青 年 時 代 ア メ リ カ に 行 き 、 帰 国 し て か ら
キ リ ス ト 教 徒 と し て 尽 力 す る と こ ろ が あ っ た 。 ま た 、 政 界 に 打 っ て 出 て 、 政 友 会 の 総 務 を 担 当 し た 。 太 田 先 生 は 、 或 る 夏 の 夕 べ 、 江 原 翁 を 麻 布 竜 土 町 に た ず ね た お り 、 談 た ま た ま 〓 客 論 に 及 ん だ が 、 翁 は さ も 感 慨 ぶ か げ に 往 事 を 追 懐 し て 曰 わ れ た 。︱ 余 の 知 る か ぎ り 、 清 水 次 郎 長 と 新 門 辰 五 郎 が 近 世 の 〓 客 で あ る が 、 清 水 は 精悍 剛 勇 無 比 、 お そ ら く 天 下 な ら ぶ 者 は な か っ た ろ う 。 新 門 は 温 情 の 掬 す べ き 好 々 爺 で 、 儀 礼 も 頗 る 正 し く 、 し か も 彼 の 前 に は 虎 狼 の 如 き 荒 く れ 男 も 猫 の 如 く 平 伏 し て い る の を 見 た 。 こ れ は 、 新 門 に 人 徳 が 備 わ っ て い た た め で 、 彼 こ そ 近 世 〓 客 の 打 止 め で あ ろ う 、 と 。 太 田 先 生 は こ の 話 を 聞 か れ て 、 ﹁ た い へ ん お も し ろ い と 思 っ た ﹂ と 回 想 し て お ら れ る 。 杉 浦 重 剛 は 日 本 中 学 の 創 始 者 。 や は り 幕 臣 の 出 で あ る が 、 終 生 お も て に 出 る こ と な く 、 常 に 縁 の 下 の 力 持 ち と し て 活 躍 し た 。 昭 和 天 皇 が 皇 太 子 で あ ら れ た 時 代 に 倫 理 の ご 進 講 を し た こ と で 有 名 で あ る が 、 そ の 推 薦 者 が 山 川 健 次 郎 で あ っ た と 太 田 先 生 は 記 憶 し て お ら れ る 。 山 川 健 次 郎 は 会 津 の 生 ま れ で 、 東 大 教 授 、 東 大 理 科 大 学 長 、 東 大 総 長 を 歴 任 し 、 一 八 八 八 年 、 最 初 の 博 士 号 取 得 者 の 一 人 と し て 理 学 博 士 と な っ た 。 そ の 後 、 九 州 大 、 京 大 の 総 長 を も つ と め た あ と 、 晩 年 は 国 本 社 に 関 係 し 、 国 家 主 義 的 な 教 化 運 動 に あ た っ た が 、 こ れ に は 太 田 先 生 の 要 請 が あ っ た の で あ ろ う 。 太 田 先 生 は 同 じ 福 島 出 身 の 先 輩 と し て 、 親炙 す る 度 が と く に 深 か っ た が 、 あ る と き 山 川 先 生 の お 伴 を し て 呉 に 行 か れ た 。 そ の 呉 で の 講 演 で 、 乃 木 大 将 の 自 刃 に つ い て の 独 特 な 解 釈 を 聞 か れ た 。 山 川 先 生 は 、 約 束 に は 証 約 (証 文 で の 約 束 ) 、 口 約 (口 の 上 の 約 束 ) 、 黙 約 ( 口 に は 出 さ な い が 、 心 で す る 約 束 ) 、 心 約 (自 分 で 自 分 に す る 約 束 ) の 四 種 類 が あ る が 、 乃 木 大 将 の 死 は 、 旅 順 の 戦 い に 多 く の 部 下 を 死 な せ た つ ぐ な い に 、 あ と を 追 っ て 死 ぬ と い う 約 束 を 自 分 で 自 分 に し て い た 。 こ の 心 約 こ そ 最 高 の 道 徳 で あ る と い う の が 山 川 先 生 の 見 識 で 、 ﹁ こ う い う 立 派 な 教 訓 を ぜ ひ 身 に つ け て い た
だ き た い ﹂ と 太 田 先 生 は 入 学 式 の 訓 辞 な ど で し ば し ば 述 べ て お ら れ る 。 (5) 道 義 国 家 建 設 の 悲 願︱ 西 郷 南 洲 先 に 、 太 田 先 生 が 最 も 親 炙 し た 先 輩 と し て 山 川 健 次 郎 を あ げ た が 、 そ れ に 劣 ら ず 言 及 す る 度 の 多 か っ た の が 、 西 郷 南 洲 で あ る 。 全 集 第 二 巻 だ け で も 、 以 下 の よ う な 言 及 が あ る 。 ﹁ も し 個 人 に お い て 衣 食 住 の 経 済 生 活 が そ の 全 人 格 を 支 配 し 、 国 家 に お い て 利 用 厚 生 の 道 が 国 家 の 唯 一 の 行 路 で あ る と い う こ と に な れ ば 、 国 民 は た だ 生 産 の 道 具 と 化 し 、 国 家 亡 滅 へ の 道 を 辿 る こ と に な ろ う 。 維 新 日 本 の 偉 大 な る 建 設 者 で あ っ た 西 郷 南 洲 は こ う 言 っ て い る 。 " 政 府 の 本 務 を 墜 し な ば 商 法 支 配 所 と 申 す も の に て 、 更 に 政 府 に 非 ざ る 也 " と 。 国 家 機 関 が 相 手 構 わ ず 作 法 構 わ ぬ 取 引 を 許 し な が ら 、 平 然 と し て 取 り す ま し 、 恥 じ な い こ と に な っ た ら 、 即 ち 商 法 支 配 所 と な っ た ら 、 行 末 は ど う な る の か 。 深 く 反 省 さ る べ き 箴 言 で あ る と 思 う 。 ﹂ (二 二 八 頁 ) ﹁ 南 洲 先 生 も " 正 道 を 踏 み 国 を 以 て斃 る る の 精 神 な く ば 外 国 交 際 は 全 か る べ か ら ず " と 言 っ て お ら れ ま す が 、 国 家 生 活 と い う の は 道 義 を 背 骨 と し て 、 た と え そ れ に よ っ て 国 家 が 倒 れ る と も 悔 い な い と い う 心 構 え が あ っ て こ そ 、 そ の ま ま 命 を 永 遠 に 維 持 す る こ と が で き 、 発 展 せ し め る こ と が で き る の で す 。 (中 略 ) 国 家 が 道 義 を 軸 と し て 、 国 民 生 活 を 規 正 し な か っ た な ら ば 、 た と え 経 済 的 に 発 展 し て も 国 民 は や が て 放 埒 に な り 、 闘 争 に あ け く れ る よ う に な っ て し ま う 。 国 家 は 一 時 的 に 繁 栄 を 見 せ て も 本 来 の 使 命 を 忘 れ た な ら ば 、 南 洲 先 生 の 言 わ れ た よ う に 非 常 に 次 元 の 低 い 一 つ の 経 済 組 織 体 に な っ て し ま う の で す 。 国 家 が 単 な る 経 済 組 織 体
に な っ て し ま え ば 、 階 級 闘 争 は 日 常 茶 飯 事 と な り 、 自 己 中 心 の 享 楽 思 想 が 全 国 を 支 配 し 、 民 族 滅 亡 の 道 を 急 ぐ と い う こ と に な る と 思 い ま す 。 ⋮ ⋮ ﹂ ( 三 九 五 ∼ 六 頁 ) ﹁ 私 が 学 生 時 代 、 こ の 辛 亥 革 命 勃 発 に 感 激 し た こ と は 前 述 し た が 、 年 を 経 る に 従 っ て 、 私 は 、 明 治 人 の 、 義 の た め に 欲 得 を 離 れ て 、 生 命 も 財 産 も 捧 げ る と い う 偉 大 さ を 示 し た あ る 行 為 に 対 し て 、 評 価 を 新 た に し て き て い る 。 と 同 時 に フ ィ リ ピ ン の 独 立 、 ま た コ ー チ 支 那 、 即 ち ベ ト ナ ム 独 立 に 際 し て も 、 ま た イ ン ド に お い て も 、 頭 山 さ ん を は じ め と す る 多 く の 日 本 人 が 、 あ ら ゆ る 努 力 と 援 助 を し た こ と を 、 い ま さ ら の よ う に 高 く 評 価 し て い る 。 私 は 、 こ れ ら に は 一 貫 し て 維 新 精 神 と い う も の が 流 れ て い る と 思 う 。 さ か の ぼ れ ば 西 郷 南 洲 先 生 に 辿 り つ く が 、 私 の 学 生 時 代 に は 、 こ の よ う な 欲 望 を 離 れ て 援 助 を す る 精 神 が 、 学 生 の 間 に 脈 々 と 流 れ て い た 。 当 時 を 追 想 す る と き 、 年 を 追 っ て ま す ま す 感 激 を 新 た に す る の だ が 、 そ う い う 精 神 が 次 第 に 薄 れ て き て 、 現 在 に い た っ て は そ れ と は 対 照 的 に 、 損 か 得 か で 物 事 を 判 断 す る こ と が 評 価 の 基 準 に な り 、 打 算 と イ デ オ ロ ギ ー が 何 よ り も 先 行 し て い る 。 こ れ ら は 人 間 の 本 質 に も と る も の だ 。 そ れ に 気 が つ か な い の は 甚 だ 残 念 な こ と で あ る 。 ﹂ (六 二 七 頁 ) そ の 他 、 西 郷 南 洲 に 言 及 し た 個 所 は 、 第 二 巻 だ け で も 、 二 十 回 を 超 え る 。 第 二 巻 以 外 に も 、 た と え ば 第 四 巻 に 、 ﹁ よ っ て 先 ず 心 す べ き こ と は 、 わ れ わ れ は 先 ず 国 内 体 制 の 建 直 し に 専 念 し 、 日 本 を し て 名 実 惧 に 道 義 国 家 た ら し め 、 之 を 世 界 に 反 映 せ し む べ き こ と で あ る 。 魂 な き 繁 栄 と か 、 あ ら ゆ る も の が あ っ て 自 己 な き 日 本 で あ る と か 、 一 国 の 首 相 が ト ラ ン ジ ス タ ー の 商 売 人 と か 云 わ れ て も 義 憤 を 感 じ な い 国 民 と あ っ て は 、 国 際 政 局 の 前 列 に
立 つ 政 府 を 期 待 す る な ど 思 い も よ ら ぬ こ と で あ る 。 西 郷 南 洲 を し て 云 わ し む れ ば " 政 府 の 本 務 を 墜 し な ば 商 法 支 配 所 と 申 す も の に て 更 に 政 府 に 非 ざ る 也 " と あ り 、 か く て 道 義 な き 政 府 は 正 に 会 社 で あ る と の こ と で あ る 。 会 社 国 家 、 会 社 政 府 で は ど う し て 前 面 に 立 ち 国 際 社 会 に 堂 々 権 威 を 認 め し む る を 得 る か 。 云 う 勿 れ 、 道 義 国 家 の 建 立 な ど 痴 人 の 夢 で あ る と 。 ⋮ ⋮ ﹂ (二 七 四 頁 ) と あ る 。 以 上 の よ う に 見 て く る と 、 太 田 先 生 が 西 郷 南 洲 に 最 も 学 ぼ う と さ れ た の は 、 道 義 国 家 の 建 設 と い う 悲 願 に つ い て で あ っ た よ う で あ る 。 こ の 道 義 国 家 建 設 の 理 想 に 燃 え て 、 舌 端 火 を ふ い た 先 輩 に 内 村 鑑 三 が あ っ た が 、 内 村 は 西 郷 南 洲 に 劣 ら ず 太 田 先 生 が 慕 い 、 真 剣 に 学 ぼ う と さ れ た 先 覚 者 の 一 人 で あ っ た 。 (6) 池 田 勇 人 と 内 村 鑑 三 次 は 内 村 鑑 三 に 言 及 す る 順 序 で あ る が 、 そ の 前 に ﹁ 一 国 の 首 相 が ト ラ ン ジ ス タ ー の 商 売 人 と か 云 わ れ て も ⋮ ⋮ ﹂ と い う く だ り に つ い て 一 言 す る 。 こ の ﹁ 一 国 の 首 相 ﹂ が 池 田 勇 人 で あ る の は あ ら た め て 指 摘 す る ま で も な い が 、 太 田 先 生 は 昭 和 二 十 九 年 十 月 二 十 九 日 、 一 度 だ け 池 田 勇 人 と 会 っ て お ら れ る 。 そ の 日 の 日 記 に は 、 ﹁ 九 時 、 池 田 勇 人 君 訪 問 、 賀 屋 君 ノ ロ 添 也 。 日 経 短 大 ノ 亜 細 亜 大 学 設 立 ニ 付 、 補 助 金 方 斡 旋 依 頼 ノ 為 也 ﹂ と あ っ て 、 目 的 が 亜 細 亜 大 学 設 立 に む け て の 補 助 金 方 斡 旋 依 頼 の た め で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 越 え て 十 一 月 十 三 日 に も 、 巣 鴨 プ リ ズ ン よ り 抜 出 し 帰 家 し た ば か り の 賀 屋 興 宣 を 世 田 谷 に 訪 ね て い る が 、 こ れ は 、 ﹁ 亜 細 亜 大 学 建 設 ノ 件 ニ 付 説 明 、 更 ニ 池 田 君 ニ 推 進 方 依 頼 ノ 為 ﹂ で あ っ た 。 し か し 、 こ の 依 頼 は 効 を 奏 し な か っ た よ う で 、 そ の た め も あ る の で あ ろ う 、 太 田 先 生 に は 、 池 田 勇 人 は は な は だ く い 足 り な い 宰 相 で あ っ た ら し い 。 寛 容 と 忍 耐 と い う 池 田 の 政 治 哲 学 を 不 満 と し て 、 ﹁ 真 に 勇 気 と 感 激 性 を 持
つ な ら ば 、 断 固 と し て 施 政 方 針 の 第 一 に 憲 法 改 正 を 打 ち 出 せ ﹂ と 注 文 し た り 、 ﹁ 曽 つ て わ が 国 の 総 理 大 臣 は 広 言 し て " 消 費 は 美 徳 な り " と 断 じ て 識 者 の擯 斥 を 買 っ た こ と が あ る 。 わ が 国 の 偉 大 な る 経 済 学 者 で あ っ た 二 宮 尊 徳 翁 は 地 下 で 痛 憤 し て い る こ と だ ろ う ﹂ と 非 難 し て お ら れ る 。 ま た 、 池 田 首 相 が 好 ん で 用 い た ﹁ ヨ ー ロ ッ パ ・ ニ ホ ン ・ ア メ リ カ は 自 由 世 界 の 三 本 の 柱 で あ る ﹂ と い う 語 を 批 判 し て 、 ﹁ 一 方 的 自 負 的 放 言 を 敢 え て し て も 天 下 の 失 笑 を 招 く ﹂ ば か り だ と 考 え て お ら れ る 。 そ の よ う に 太 田 先 生 の 池 田 批 判 は 辛 辣 ・ 痛 烈 で あ る が 、 そ れ と は 反 対 に 、 内 村 鑑 三 に 対 す る 心 酔 ぶ り は な み な み で な く 、 こ と に 巣 鴨 日 記 に は 内 村 鑑 三 著 作 を 愛 読 ・ 熟 読 さ れ た あ と が い ち じ る し い 。 入 所 間 も な く の 昭 和 二 十 一 年 一 月 二 十 六 日 の 項 に 、 ﹁内 村 鑑 三 随 筆 集 ヲ 見 ル 、 大 ニ 感 動 ス 。 ﹂ 四 月 三 日 の 項 に 、 ﹁内 村 鑑 三 随 筆 集 ヲ 読 ミ 大 ニ 感 激 ス ル 所 ア リ タ リ 。 ﹂ 六 月 五 日 の 項 に 、 ﹁ 四 月 ニ 亘 リ 内 村 全 集 ニ 依 リ イ ザ ヤ 書 、 エ レ ミ ヤ 書 、 ダ ニ エ ル 書 、 ホ セ ア 書 ヲ 研 究 、 預 言 者 ノ 偉 大 サ ニ 深 ク 打 タ ル 。 ﹂ な ど と あ り 、 晴 天 白 日 の 身 と な っ た 昭 和 二 十 二 年 以 後 も 、 た と え ば 二 十 三 年 四 月 二 十 六 日 の 項 に 、 ﹁ 夜 、 内 村 鑑 三 全 集 耽 読 例 ノ 如 シ 。 ﹂ 五 月 九 日 の 項 に 、 ﹁ 今 夜 ヨ リ 内 村 全 集 新 約 研 究 ニ ヨ リ 、 マ タ イ 伝 ヨ リ 始 ム 。 ﹂
六 月 九 日 の 項 に 、 ﹁夜 、 例 ニ ヨ リ 、 内 村 全 集 ヲ 耽 読 。 聖 書 研 究 ニ 精 進 ス 。 ﹂ 六 月 十 九 日 の 項 に 、 ﹁ 午 後 、 夜 、 内 村 全 集 、 新 約 注 釈 ヲ 観 ル 。 ﹂ 六 月 二 十 四 日 の 項 に 、 ﹁ 夜 、 例 ニ 依 リ 内 村 全 集 ヲ 読 ム 。 ﹂ な ど と あ る 。 昭 和 二 十 五 年 で も 、 元 旦 の ﹁夜 、 年 始 状 整 理 、 聖 書 、 内 村 全 集 ニ 過 シ ﹂ て お り 、 二 日 の 夜 も ﹁ 例 ニ 依 リ 聖 書 拝 読 、 内 村 全 集 ニ 耽 ﹂ っ て い る 。 学 校 法 人 聖 学 院 理 事 長 で あ っ た 小 田 信 人 氏 は ﹁ 太 田 先 生 は 、 内 村 鑑 三 の 著 書 を 彼 の 身 か ら は な さ な か っ た 程 、 内 村 鑑 三 に 共 鳴 し 、 心 酔 し た キ リ ス ト 者 で 、 内 村 の 如 く 真 の 愛 国 者 で あ っ た ﹂ (全 集 第 三 巻 一 二 八 頁 ) と 書 い て い る が 、 遺 品 と な っ た 角 川 文 庫 版 ﹃ 一 日 一 生 ﹄ な ど は ボ ロ ボ ロ と な る ほ ど 読 ま れ た あ と が 歴 然 と し て い る 。 し た が っ て 太 田 精 神 の 形 成 に 内 村 鑑 三 の 果 た し た 役 割 は 大 き く 、 昭 和 二 十 三 年 一 月 三 日 の 日 記 に 、 ﹁ 正 月 ノ 天 気 、 三 日 モ 続 キ 快 晴 。 昨 日 モ 本 日 モ 新 宿 ヨ リ 中 央 線 ヲ 走 ル 電 車 ニ 立 チ 、穹 蒼 ノ 入 日 ニ 映 ズ ル 芙 蓉 雄 峰 ノ 英 姿 ニ 対 シ 、 近 年 覚 エ ザ ル 壮 観 ニ 打 タ レ タ リ 。 一 系 ノ 天 子 、 富 士 山 ノ 山 コ ソ 日 本 ノ 象 徴 ナ レ 。 紛 々 漬 々 タ ル 今 ノ 世 相 ノ 如 キ 、軈 テ 風 雲 一 過 タ ラ ン ノ ミ 。 シ カ モ 其 過 程 、 峻 路 険 坂 、 風 雪 風 雨 覚 悟 セ ザ ル ベ カ ラ ズ 。 余 ハ 日 本 ノ 為 、 日 本 ハ 世 界 ノ 為 、 世 界 ハ 神 ノ 為 ト ノ 鑑 三 氏 ノ 箴 言 ヲ 想 起 シ 万 感 深 シ 。 ﹂ と し る す 通 り 、 太 田 精 神 は す な わ ち 内 村 精 神 と も い え る ほ ど の 一 体 化 が 見 ら れ る の で あ る 。