モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について
楊 暁 華
1.経典と研究史
Lalitavistara(Lal)のモンゴル語訳(Qutuγtu aγui yekede čenggegsen neretü yeke kőlgen sudur)は梵文 Lal とチベット語訳 Lal と同様に,全 27 章から構成され,釈尊の初 転法輪までの出来事を記している.コロフォン(p. 313 上)の記述によれば,訳者 Samdan sengge がチベット語からモンゴル語に翻訳したものである.
モンゴル語訳 Lal の研究はモンゴル語訳仏伝 BJ(Burqan u arban qoyar ǰokiyangγui) と密接な関係があり,BJ と切り離してモンゴル語訳 Lal のみを扱った研究は未だ 存在しないといえる.モンゴル語訳 Lal は Nicholas Poppe の研究によって,学界 に広く知られるようになった.Nicholas Poppe は BJ とモンゴル語訳 Lal の幾つか の共通する偈の存在に着目し,両経典の借用関係を指摘した.その後,Nicholas Poppe の研究を踏まえて,多くのモンゴル仏教の研究者が BJ の研究に関心を寄せ ており,BJ の研究に際してモンゴル語訳 Lal との比較研究にも言及するように なってきている. 筆者はチベット語訳 Lal とモンゴル語訳 Lal の系統的な比較研究を行い,今回 は第 14 章「夢品」のチベット語訳とモンゴル語訳の比較研究について報告する.
2.第 14 章の内容と翻訳
モンゴル語訳 Lal の第 14 章の内容は梵文 Lal,チベット語訳 Lal と同様である. 要約すると,王子の「四門出遊」に関する記述以外には,王子の出家すべき,さ まざまな前兆を「王の夢」,「王妃の夢」,「王子自身の夢」で表したものである. 第 14 章は逐語訳でチベット語訳を忠実に真似た表現が特徴的である.紙幅の関係 上,一例だけを示すことにする.
チベット語訳(第 27 巻,p. 198):de nas rgyal po zas gtsang ma ’di snyam du/ gzhon nu ni kdon mi za bar mngon par ’byung bar ’gyur te/ snga ltas su snang ba ni ’di dag yin snyam nas/ khong 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月 (91) 紀要』第 6 号,2003),「『大唐西域求法高僧伝』の原題」(『三康文化研究所年報』第 21 号,1989),池麗梅氏の「《穢跡金剛説神通大満陀羅尼法術霊要門》之文本的流伝与変 化〉」(鄭阿財等『仏教文献与文学』佛光文選選書 5520,佛光文化事業,2011),また拙 論「智昇撰『続古今訳経図紀』のテキスト変遷について」(『印度学仏教学研究』第 61 巻第 2 号,2013),「『首楞厳経』訳者考――『続古今訳経図紀』の変遷を手がかりに ――」,「智通訳《千臂千眼観世音菩薩陀羅尼経》由古写本到現行本的変遷」(『国際仏 教学大学院大学研究紀要』第 19 号,2015)等がある. 22)即ち,インド仏教の新しい思潮である密教の興起,唐における密教経典の翻訳と伝 播などであり,密教経典は独立な体系を形成し唐の都長安の仏教界に押し寄せて衝撃 と影響を与えた.呪文を持つ経典は漢代から伝来していたが,七世紀末から八世紀初 頃,中国密教の形成期の第一段階として,陀羅尼経・神呪経を中心とした「雑密」か ら,隆盛期の第二段階,金剛界・胎蔵界,或は『蘇悉地経』系の体系的密教経典を中 心とした “純密” へ転換していく時期でもあった. 23)例えば,『日本高僧伝要文抄』巻三と『本朝高僧伝』の戒明伝条(『大日本仏教全書』 102, 78–79 頁)に次のような同じ記事がある.「唐大歴十三年(778),広平皇帝親請僧 講『大仏頂経』」(『大日本仏教全書』102, 78–79 頁).唐代の代宗,永泰元年(765)に, 国のため皇帝の勅を受けて 27 人の沙門が金剛智の諸灌頂道場で『首楞厳経』の呪を読 誦していた(T49, p. 378a12–14).不空三蔵法師が 762 年梵文の楞厳呪を進奉した(T52, p. 829c19–830a9). 24)注 21 拙稿の部分参照. 25)同注上注. 26)同注上注. 27)同注上注. 28)同注上注. 29)同注上注. 30)『首楞厳経』の関連箇所に即して言えば,古写経本では,A17 番の「沙門菩提流志」 と A18 番の「沙門釈智厳」の直後に現れる「釈懐迪」(A19)の関連箇所は,刊本系統 本では完全に抹消され,その代わりに「沙門般剌蜜帝」(B18)という人物の関連記事 が「菩提流志」(A17)と「釈智厳」(A18)との間に置かれるようになったのである. 31)円照その人ではなく,かれを中心とする集団によって組織的に行われたものであろ う.それはちょうど,戒律に関して多くの功績をあげ,粛宗と代宗の治世中に幾たび も朝廷の法要に関わったり,紫衣を賜り,王室と深い関わりをもっていた円照が,仏 教教団だけではなく唐王朝における地位が頂点に達した頃かそれ以降のことであろう. (本稿は中国国家社会科学基金項目〈日本古写本《続古今訳経図紀的研究》〉(12XZJ003) の成果の一部分.) 〈キーワード〉 智昇,矛盾記述,テキスト変遷,再評価 (海南師範大学教授,文学博士) (90) 唐代仏典目録の作者としての智昇について(林) ─ 948 ─
3.2.人名,固有名詞の音訳
第 14 章中にみられる人名と固有名詞の中の幾つかは,チベット語訳に基づいた 音訳あるいは意訳ではなく,梵文に近い音訳である.梵文,チベット語訳,漢訳 (『方広』),モンゴル語訳の順に以下の名詞を比較してみると,「śuddhodana,zas gtsang ma,輸檀王,sudadani」;「kāñcukīya,nyug rum pa,内人,γučuluγsad」; 「sārathi,ka lo skyur pa,馭者,šariti」;「gopā,sa ’chom,(漢訳になし),gübege」
となっている.モンゴル語の音訳が,古ウィグル語訳の借用であるか否か,現時 点では確認できておらず,結論づけることはできないが,古ウィグル語の影響を も視野にいれて考えるべきであろう. 3.3.訳語の増減 翻訳における訳語,訳文の増減などは承認されている一般的な翻訳方法なので あるが,逐語訳の傾向を有するモンゴル語訳仏典で,「逐語訳でない箇所」の訳文 について検討することには重要な意味があるといえるであろう. Lal 第 14 章での「老人との出会い」の記述,すなわち老人の姿を描いた韻文に は,多くの相違点が確認できる.
チベット語訳(第 27 巻,p. 198):ka lo sgyur pa mi rid nyam chung zhing/ sha khrag skams la rgyus lpags nyi tshes dkris/ mgo dkar so rgal lus ni rab skem la/ mkhar ba brten cing mi bde ’khyor ’gros su//
モンゴル語訳(第 2 巻,p. 139 下):üsün saqal iyan čayiǰu/ ülemǰi masi büküigsen/ aman daki sidün iyen baraǰu/ asuru masi sarisulaγsan/ sudal güren ile bolǰu/ sorbi berige sitügsen/ ig ig
kemen qaniyaǰu/ irkiraqui daγutu ene yaγun kemen asaγubasu//
ここでのモンゴル語訳はチベット語訳と完全には一致しない.チベット語訳に 対応しない訳文は三つある.すなわち,モンゴル語訳で ülemǰi masi büküigsen(非 常に折れ曲がり),sudal güren ile bolǰu(脈管が明らかに露現している),ig ig kemen qaniyaǰu/ irkiraqui daγutu(ガラガラという音でせきをする)という内容がチベット語 訳には存在しないのである.モンゴル語訳者は散文と韻文で描写した内容を総合 的に考えた上で,順序を新たに整えて自然なモンゴル語で表現しているようである. 3.4.訳語の不統一 訳語が統一されていないという傾向は顕著である.例えば上記の文で,「歯が欠 けている」という文は散文と韻文の両方にあり,同じ訳であるはずなのだが,動 詞の訳は散文で unaǰu となっているのに対して,韻文では baraǰu というように異 なる訳し方をしている. モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について(楊) (93)
ba’i snying la mya ngan gyi zug rngus zug par gyur to//
モンゴル語訳(第 2 巻,p. 138 下):tendeče Sudadani qaγan eyin kemen sedkirün: ene kőbekün saqar ügeküye gerteče γarqu bolumui. uridu belges inü edeger bolba kemen sedkiǰü doturaki
ǰirüken γasiγun eber iyer qadγulaγdaqu bolbai.
一貫して逐語訳で訳されているのであるが,そのため,モンゴル語としては不 自然な表現になっているところもある.太字で示した文は「内なる心は,苦しい (辛い)角に刺されたようになった」という意味である.この訳はモンゴル語とし ては不自然な表現であるが,γasiγun という言葉から「悲しみ」あるいは「苦し み」という意味を理解することは可能である.この文に対応する梵文は, śuddhodanasyānta[ḥpu]re śokaśalyo hṛdaye ’nupraviṣṭo ’bhūd である(梵文 Lal, p. 670). 梵文の śokaśalyaḥ は「悲しみの矢」という意味であるが,チベット語訳とモンゴ ル語訳では「苦しい角」となっている.このように,モンゴル語としては不自然 な表現が多く存在している.例えば gnyid kyis log pa’i rmi lam du に対応するモン ゴル語訳は noir tur umdaγsan ǰegüdün dür となっており,直訳すると「眠りのゆえ に寝ているところの夢で」となり,モンゴル語としては,非常に不自然であると いえる.
3.翻訳の相違点について
モンゴル語訳 Lal の第 14 章をチベット語 Lal と比較すると,細部に相違点が多 く存在することが確認できる.この相違点を以下に四項目に分けて論じる. 3.1.語順の調整 語順の調整については,以下のような例を示すことができる.チベット語訳(第 27 巻,p. 198):byang chub sems dba’ mtshan mo mi nyal tsam na/ lha’ tshogs kyis bskor te mngon par byung nas kyang rab tu byung ste/ gos ngur smrig gyon pa rmis so// モンゴル語訳(第 2 巻,p. 138 下):budhi satuva söni kümün ü untaqui čaγ tur toyin bulǰu ele
karša degel emüsčü qamuγ tngri nar ün ayimaγ iyar küriyelegülǰü ele γaruγad iledte γarču odqu
yi ǰegüdülegülbei.
チベット語訳は梵文 Lal の表現と一致しており,gos ngur smrig gyon pa(袈裟を まとえる)という一節は,後半部分に位置している.しかし,モンゴル語訳では, それを lha’ tshogs kyis bskor(天に囲まれて)という文の前に移動させて表現してい る.これはチベット語の底本(他の版でこのような異読は存在しない)の相違の問題 ではなく,モンゴル語の自然な表現を求めた訳者による調整であろうと考えられる. (92) モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について(楊)
3.2.人名,固有名詞の音訳
第 14 章中にみられる人名と固有名詞の中の幾つかは,チベット語訳に基づいた 音訳あるいは意訳ではなく,梵文に近い音訳である.梵文,チベット語訳,漢訳 (『方広』),モンゴル語訳の順に以下の名詞を比較してみると,「śuddhodana,zas gtsang ma,輸檀王,sudadani」;「kāñcukīya,nyug rum pa,内人,γučuluγsad」; 「sārathi,ka lo skyur pa,馭者,šariti」;「gopā,sa ’chom,(漢訳になし),gübege」
となっている.モンゴル語の音訳が,古ウィグル語訳の借用であるか否か,現時 点では確認できておらず,結論づけることはできないが,古ウィグル語の影響を も視野にいれて考えるべきであろう. 3.3.訳語の増減 翻訳における訳語,訳文の増減などは承認されている一般的な翻訳方法なので あるが,逐語訳の傾向を有するモンゴル語訳仏典で,「逐語訳でない箇所」の訳文 について検討することには重要な意味があるといえるであろう. Lal 第 14 章での「老人との出会い」の記述,すなわち老人の姿を描いた韻文に は,多くの相違点が確認できる.
チベット語訳(第 27 巻,p. 198):ka lo sgyur pa mi rid nyam chung zhing/ sha khrag skams la rgyus lpags nyi tshes dkris/ mgo dkar so rgal lus ni rab skem la/ mkhar ba brten cing mi bde ’khyor ’gros su//
モンゴル語訳(第 2 巻,p. 139 下):üsün saqal iyan čayiǰu/ ülemǰi masi büküigsen/ aman daki sidün iyen baraǰu/ asuru masi sarisulaγsan/ sudal güren ile bolǰu/ sorbi berige sitügsen/ ig ig
kemen qaniyaǰu/ irkiraqui daγutu ene yaγun kemen asaγubasu//
ここでのモンゴル語訳はチベット語訳と完全には一致しない.チベット語訳に 対応しない訳文は三つある.すなわち,モンゴル語訳で ülemǰi masi büküigsen(非 常に折れ曲がり),sudal güren ile bolǰu(脈管が明らかに露現している),ig ig kemen qaniyaǰu/ irkiraqui daγutu(ガラガラという音でせきをする)という内容がチベット語 訳には存在しないのである.モンゴル語訳者は散文と韻文で描写した内容を総合 的に考えた上で,順序を新たに整えて自然なモンゴル語で表現しているようである. 3.4.訳語の不統一 訳語が統一されていないという傾向は顕著である.例えば上記の文で,「歯が欠 けている」という文は散文と韻文の両方にあり,同じ訳であるはずなのだが,動 詞の訳は散文で unaǰu となっているのに対して,韻文では baraǰu というように異 なる訳し方をしている. モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について(楊) (93)
ba’i snying la mya ngan gyi zug rngus zug par gyur to//
モンゴル語訳(第 2 巻,p. 138 下):tendeče Sudadani qaγan eyin kemen sedkirün: ene kőbekün saqar ügeküye gerteče γarqu bolumui. uridu belges inü edeger bolba kemen sedkiǰü doturaki
ǰirüken γasiγun eber iyer qadγulaγdaqu bolbai.
一貫して逐語訳で訳されているのであるが,そのため,モンゴル語としては不 自然な表現になっているところもある.太字で示した文は「内なる心は,苦しい (辛い)角に刺されたようになった」という意味である.この訳はモンゴル語とし ては不自然な表現であるが,γasiγun という言葉から「悲しみ」あるいは「苦し み」という意味を理解することは可能である.この文に対応する梵文は, śuddhodanasyānta[ḥpu]re śokaśalyo hṛdaye ’nupraviṣṭo ’bhūd である(梵文 Lal, p. 670). 梵文の śokaśalyaḥ は「悲しみの矢」という意味であるが,チベット語訳とモンゴ ル語訳では「苦しい角」となっている.このように,モンゴル語としては不自然 な表現が多く存在している.例えば gnyid kyis log pa’i rmi lam du に対応するモン ゴル語訳は noir tur umdaγsan ǰegüdün dür となっており,直訳すると「眠りのゆえ に寝ているところの夢で」となり,モンゴル語としては,非常に不自然であると いえる.
3.翻訳の相違点について
モンゴル語訳 Lal の第 14 章をチベット語 Lal と比較すると,細部に相違点が多 く存在することが確認できる.この相違点を以下に四項目に分けて論じる. 3.1.語順の調整 語順の調整については,以下のような例を示すことができる.チベット語訳(第 27 巻,p. 198):byang chub sems dba’ mtshan mo mi nyal tsam na/ lha’ tshogs kyis bskor te mngon par byung nas kyang rab tu byung ste/ gos ngur smrig gyon pa rmis so// モンゴル語訳(第 2 巻,p. 138 下):budhi satuva söni kümün ü untaqui čaγ tur toyin bulǰu ele
karša degel emüsčü qamuγ tngri nar ün ayimaγ iyar küriyelegülǰü ele γaruγad iledte γarču odqu
yi ǰegüdülegülbei.
チベット語訳は梵文 Lal の表現と一致しており,gos ngur smrig gyon pa(袈裟を まとえる)という一節は,後半部分に位置している.しかし,モンゴル語訳では, それを lha’ tshogs kyis bskor(天に囲まれて)という文の前に移動させて表現してい る.これはチベット語の底本(他の版でこのような異読は存在しない)の相違の問題 ではなく,モンゴル語の自然な表現を求めた訳者による調整であろうと考えられる. (92) モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について(楊)
中観帰謬派の開祖について
――ゲルク派の伝承を中心として――
西 沢 史 仁
ナーガールジュナ(Nāgārjuna)に起源する中観派の学統は,空性論証に関する ブッダパーリタ(Buddhapālita)の解釈に対するバーヴィヴェーカ(Bhāviveka)によ る批判,及び,チャンドラキールティ(Candrakīrti)によるブッダパーリタ擁護と バーヴィヴェーカ批判を契機として,所謂,自立派(Rang rgyud pa, *Svātantrika)と 帰謬派(Thal ’gyur ba, *Prāsaṅgika)の二つに分裂したことは,夙に知られるところで ある1).しかるに,後代のゲルク派の文献によれば,自立派の開祖として,バーヴィヴェーカを立てる点では議論はないが,帰謬派の開祖として,ブッダパーリ タとチャンドラキールティの二人のうち,何れを立てるのかという点について解 釈の相異が見られる2).本稿では,チャンキャ(lCang skya rol pa’i rdo rje, 1717–1786)
の教義書に見られる記述を手掛かりとして,ゲルク派における帰謬派の開祖に関 する諸問題を検討することにしたい.
1.帰謬派の開祖に関する『チャンキャ教義書』の記述
帰謬派と自立派の開祖に関するチャンキャの解釈は,『チャンキャ教義書』(Grub
mtha’ thub bstan lhun po’i mdzes rgyan)自立派章に以下のように明確に説かれている.
大尊師ブッダパーリタは,『根本中論』のブッダパーリタ註において,[『根本中論』]根 本偈に説かれた諸正理の意味を,多数の帰謬を立てて註釈し,自立証因を説かない.そ の後,尊師バーヴィヴェーカは,ブッダパーリタの註釈に対して多数の過失を捉えて, 自立証因を立てる必要がある理由を多数説き,[ナーガールジュナの密意を]自立[派 説]として註釈する開祖(rang rgyud du ’grel ba’i shing rta’i srol ’byed pa)となった.その 後で,吉祥なるチャンドラキールティは,ブッダパーリタにはそれらの過失は適用され ないことと,自立証因を承認することに対する拒斥と,[自立証因を]承認することは正 しくないことに対する能証を多数示して,聖者[ナーガールジュナ]の密意を中観帰謬 [派説]と註釈する開祖(dbu ma thal ’gyur du ’grel ba’i shing rta’i srol ’byed)となったので ある.(『チャンキャ教義書』(Krung go bod kyi shes rig dpe skrun khang, 1989)p. 196.3–11)
印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月 (95) また,訳語の不統一の例としては,以下のようなものもある.
チベット語訳(第 27 巻,p. 198):byang chub sems dpa’lamgang nas ’gro ba’i lam de yad chag chag btab ste . . .
モンゴル語訳(第 2 巻,p. 139 下):budhi satuva ali tergegür dür odqu i ter mőr i ber sigürdečü . . . ここでは,チベット語訳中の二つの lam をモンゴル語訳では異なる二つの訳語 tergegür と mőr とに訳し分けて表現していることが確認できる.このような新旧 訳語の存在はモンゴル語訳 Lal の成立年代について考察するための重要な手がか りになると考えられる.
まとめ
本稿ではモンゴル語訳 Lal の第 14 章の逐語訳ではない部分については,訳者に よる意図的な編集,古ウィグル語訳の借用,新旧訳語という観点から検討してみ た.今後,文献学的研究に基づいて,モンゴル語訳 Lal 全体の総合的研究へ進む ことを目指している. 〈略号〉モンゴル語訳 Lal Qutuγtu aγui yekede čenggegsen neretü yeke kőlgen sudur. モンゴル語訳 カンジュール(北京版第 2 巻,諸品経).
チベット語訳 Lal ’phags pa rgya chen rol pa shes bya ba theg pa chen po’i mdo. チベット語 訳カンジュール(北京版第 27 巻,no. 763).
梵文 Lal 外薗幸一『ラリタヴィスタラの研究』上,大東出版社,1994. BJ Burqan u arban qoyar ǰokiyangγui (Poppe 1967).
『方広』 『方広大荘厳経』(『大正新脩大蔵経』3 巻). 〈参考文献〉
Poppe, Nicholas. 1967. The Twelve Deeds of Buddha—Mongolian Version of the Lalitavistara:
Mongolian Text, Notes, and English Translation. Wiesbaden: Otto Harrassowitz.
〈キーワード〉 モンゴル語訳,Lalitavistara,第 14 章,比較研究
(陝西師範大学国外蔵研中心講師,文博) (94) モンゴル語訳 Lalitavistara の第 14 章について(楊)