謝
日 清 戦 後 に お け る 酒 税 の 増 徴 に つ い て
池 上 和 夫
目 五 四 三
二 〇
次はじめに
戦後増税計画と酒税増徴
酒税増徴をめぐる対抗
酒税増徴をめぐる租税問題
おわりに
は じ め に
85
周 知 の よ う に ︑ 明 治 二 九 ( 天 九 六 ) 年 予 算 高 瞳 欝 さ れ た 戦 後 財 政 計 要 よ れ ば ・ 藩 蓑 を 藷 と し つ つ そ れ を 支 ︑兄 る 殖 鋳 業 ︑ 馨 舞 及 び 欝 雲 ・ 湾 の ﹁ 経 営 ﹂ の 四 本 を 柱 と す る 大 規 禁 つ 多 面 的 奮 清 ﹁戦 後 讐 ﹂
の財源は︑経常部関係は租税の増微︑臨時部関係は日清戦争賠償金と公債募集によるものと予定されていた・.あ計画では︑︑王財源は臨時部にかかわる蒔的財源である賠償金と公債におかれていたけれども・いうまでもなく︑それは経常的財源である窺取入といわばワソ・セッ乏なっていたものであり︑親が﹁戦後讐﹂を実現し
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号86
定着化さ芸上で雍的な意蓼もぞいた.当時︑﹁国家ノ財政ト国民ノ経済ト両ナカ一フ相蓼ア進ム﹂(松方嚢)と
か﹁轟ノ畿ト共二経済ノ発達ヲ規婁財政ノ諾愚ム尚時二盤ノ増殖ヲ企図スル﹂(渡辺国武)等々の蚕
がみられたが・これらは豪財政の票らみれば経費畜面とそれを支える財源調滝而との調和あ.︒誕薗ること
を意味しており・戦後計票大爆なものであっただけに︑それを支持する恒鵠な財源の調達u増税の実謬﹁戦
後経営﹂の行先を左右する重大問題であった︒
ところで・従来・この魏問題の中心にすきれてきたのは地租覆問題であった.確かに︑地租増微問腰︑目
鞭 難 麟 ガ編 繍 靴鋤輪 灘 鞠 裳 軽 報馨 誌 軽
をめぐる政党の対応の中に日纏後における政府・政鶴の関係の変化をうかがう.﹂とができるのも糞である.
しかし・政治的統合纏の変化叢党の変質などの観点からこの﹁戦後讐﹂をみるのではなく︑.桑支.兄た財
源面そのもの・就中誼税面からこの過程を追うとき︑地租と共に︑否︑量的"金鶴意味においては地租呈に重
要な地位にあった酒税に注目せざるを︑兄ない︒
箏表により租叢入の内訳を日清戦前から﹁戦後讐﹂期にかけてみると︑.あ間に酒税の地位の高さが著しく
なってきたことが明らかである・明塗一二年には酒税が地租を抜き葛にたち︑三五年には酒墾税だけで四二%と
なり直接税(三税)を上回るほどになっている.二・年に蔓されたばかりで金額的に集だ少ない所得税を除けば
酒税のこの間の増袈は四倍であっ三蚕ロ同滴分寄与率は六製いものになっていた..航に対し地程︑二五年
には毛%を墓ていたが三五年には一三%差皐の比率実鰻下げている..﹂の間の増加指数はわず塗.二
倍 獲 で 増 分 寄 与 率 は 麺 す ぎ な い . こ れ ら に と も な っ て ︑ い わ ゆ る 高 比 率 は 三 ・ 年 を 境 に 逆 転 し ︑ 裏 穫 位
日清 戦後 にお け る酒税 の増 徴 につ い て 87
(単 位:千 円)
1898(M31)1899(M32)
1900(M33) 19・1(M34)」19・2(M35)旨 指 数 増 纈増分 寄与
金訓%1金 額 %1金 額 囮 金 額
%金 額(B)iaB/Ar率
1齪
44,2 34.9 4.8 4,5
59,」84 4s,sss
6,S3'1 6,481
43.0 33.4 4,9 4.7
fiO,743 46,505
7.4s1 6,777
40.2 30.8 4,9 4.5
O
I.56 1.23 6.59
21,686 8,580 E,329 6,777
0
25.S 10.2 7.5 S,1 55.8
37.5
12.7 5.s ioo
79,591 5s,017
13,631 7,943 139,575
」fi.
41.5
9.8 5.7 zoa
90,342 63,738
工5,501 11,143
x.51,085 59.8 42,2
10.3 7.3 goo
3.21 4.03
3,11 2.16 2.25
G2,231 a7,925 02,162
10,509 5,959 83,917
74.2 57,x OZ.6
12.5 7.1 100 59,X38
46,718 6,368 s,052 74,788 50,294
17,010 7,484 133,926
訳
内入
坂
46,27G 38,441 2,351 5,478 51,360 32.960 2,12p 9,093 7,187
×77,630 47.4 39.4 2.4 Via.6
」am.
33.8 2.2 9.3 7.4 ユ00
55,205 44,861 4,X37 5,507 7「0,830 43,918
15.X37 5,975 1?6,035
43.8 35.6 3.8 4.4 JG.2 38.8
12.5 4.8 goo
2・ 酒 税 は1896(M29)年 ま で.そ れ 以 降 は 酒 造 税(1896(M29)年 は, 税19,125千 円 を含 む),
(資 料)r国 税 庁 統 計 年 報 酷 第100回 記 念 号 』 よ り作 成
酒 税351千 円 の 他,酒 造
から間接税優位の租悦構造となり︑二五年にはほぼ三対
二であった直接税・間接税比率は一〇年後の三五年には
(1)正反対の二対三に逆転したのであった︒のちにみるよう
に︑その主原因は︑戦後三画にわたって実施された酒税
を中心とする消質税の増税によるものであることは明ら
かであり︑この結呆︑三五年には酒税一税だけで一般会
計歳入全体(二億九︑七〇〇万円余)に占める割合が二一
%となり(経常部歳入のみみれば約三割)︑これのみで同年・
の国債費(四︑二七九万円)は十分カヴァーできたし︑軍
事賀(八︑五七七万円)の約四分の三を賄うことができた
のであった︒
本稿は︑以上のような酒税額の大きさと地位に着目
し︑戦後計画され実現された増税案を検討することによ
って︑酒税の増徴を可能にした条件を︑租税(財政)構
造を規定する政治的要因を電視する見地から政府(大蔵
省)の意図︑議会の動向︑政党の動き︑酒造業界の対応
などをからめつつさぐり︑酒税の増微をめぐって生じた
議論を検討しながらその日本租税史上にもつ意味を明ら
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号 88
税租
第1表
1892(M25)Y893(M26)11894(M27)11895(M28)i1896(M29)11897(M30)
%1金 額i%1金 額i%
%1金 額[%1金 額
金 額(A)1%1金 額
直 接 税
3」,057 5S.2 4●,X48 57.2 40,645 57.0 40,x.90 53.8 39,450 51.6 44,476 46.9地 租
37,925 56.5 38,XO9 55.4 39,291 55.1 38,693 51.8 37,640 4n.3 37,965 'f1所得税
1,132 1.7 1,239 1.8 1,354 1.9 1,497 2.0 1,810 2.3 2,G95 2.2営業税
一 一 一 『 一 一 一 一 0 o.o 4,416 4.7間接税等
28,111 41.8 29,957 42.8 30,G42 43.0 34,508 46.2 36,938 4g.4 50,437 53.1.酒 税
15,813 23.5 Y6,637 23.S 16,130 22.6 x7,719 23.8 19,476 25.5 31,1.05 32.S煙草税
2,工62 3.2 2,640 3.8 2,680 3.8 2,741 J. 2,578 3.9 4,935 5.2海関税
4,992 7.4 5,125 7.3 5,755 S.1 6,786 9.1 6,728 8.8 S,021 8.4 そ の他 5,144 7.7 5,555 7.9 6,077 8.5 7,232 」.7 7,756 10.2 6,X76 6.7計
67,168 gooX70,005
100 71,287 100 74,G98 goo 76,388 10a 94,913 100(注)1.そ の他 には,酒 精営 業 税,騎 麹 営業 税,証 券 印 紙税,醤 油 悦 菓 子税,売 薬 営 業 税,沖 縄 県 酒 類 出 港税 米 商会 所 税 株 式 取 引所 税,取 引 所 税 国 立 銀行 税 売薬 税 船税 車 税 鉱 業税 度 量 衡 悦色,北 海 道 水 産 税,、北 海道 水 産税,北 海 道 地 方 税 銃 猟 免許 税 狩 猟免 許 税 牛
r券 発 行 税,旧 税 追
缶買 かにすることを課題としている︒
(1)ここでの直間比率は︑いわゆるD/1比率ではなく︑租税(国税)
全体に占める直接税と閥接税の比率という意味で用いられている︒
尚︑直接税︑間接税の区分についてはのちに第四章においてふれると
おり当時の多分に便宜的な法律的な区分に基づくものであった︒
一 一 戦 後 増 税 計 画 と 酒 税 増 徴
まず︑戦後三回実現をみた増税計画の内訳をみておこう
(第2表)︒この増税計画は︑第一回︑第二回の合計計画額
(七︑五六〇万円)だけで戦中の租税収入額(明治二八年︑七︑
四七〇万円)を上回るほどの大規模なものであるが︑いずれ
の増税計画においても酒税の増徴.額が顕著であることが分
かる︒増税額が一番多額であった第二回目の増税において
は五四%の高さに達していたし︑第三回目においても麦酒
税等を含めれば酒税関係の増税額だけでほぼ五割を占めて
いるのが知れよう︒因に︑若干︑性格の異なる金額である
こと(議会決定額と当初計画額)を無視して全三回増税総額
に占める酒税増税額の割合をみてみると四三%となる︒そ
日清 戦 後 にお ける 酒税 の増 徴 につ い て 第2表
i税 目
日清戦後 の増税 計画(平 年 度)
等 降 額(円)(%)
6,423,993(19.].) 7,551,377(22.5}
9,284,544027.7) 10,316,379(30.7)
税税税入収
売録業専草
煙
登営酒葉
第1回
33,576,293(10D)
S,475,958(20.2) 1,494,516(3.5) 22,556,409053.7) 23?,9ssCo.5) 1,84fi,759(4.4) 2,145,550C5.1) 1,159,560C2.8) 1,598,387(3.8) sir,750cao) 1,673,344(4.0)
42,020,2×9(100) 9,895,594(46.1)
5S,054(0.3) 549,718(2.5) 37,071(0.2) 6,797,732(31.6)
935,384(4.4) 3,204,287(14.9)
21.47?,840(100)
計
ス ス
麟 石 諏 得 録 騰 鷺 欝
地所酒噸登葉免醤煙郵
第2回 計 税税税税税税入
計
(注)・ 第1回,第2回 は 増 税 成 立 額(議 会 決 定 額) 第3回 は 当 初 計 画 額(当 初 政 府 提 出 案)
・増 税 額 は 平 年 度 分 に つ き各 気 第1回 二 明 治31年 度 ・ 第2回 ・二 同33年 度,第3回=同35年 度 以ft!'X,の額 (資 料)r明 治 財 政 史 』 第 倦 ・41・71〜72・11頂 ・ 『第15灘
参 考 書 』 よ り作 成 ・
の他の嘗では蒲費税の一種と愛てよい轟葺叢入が呈つ程度であり︑その同じ割合が=ハ%縫である
ことからみても酒税の数値が圧倒的なものであること縫然としている.また︑.あ時期の親嚢の中︑心にあった
地租は・第二習の計画においてのみ現われているが︑その霞のちにみるように︑当初の政摩定額より減額さ
れたこともあそ少なく三回の酒税増税︑碧計のわずか五分の一程度のものにすぎなかった.呈の翼からすれ
ば・実際上・覆計画を経叢入部面で支るべく期待された忠税源は︑酒税であったとみる.}とができよう.では
何故そのようになったのかを酒類の中で査定石数︑緊税額ともに圧倒的比率を占める湛を中心にして(第3霧
90
柚︒︒鼎薗醤鐸購労諦
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号
薗碓醤照 瞬滞訓懸〜 駕醐
謙 慧 ﹂ 謎
礁甑轡簸薗ぷ㊦濤型魂薗郎θ凄理灘 ■ 奮 濤
理 温誌田鱒①
卜o刈
鱒G◎
卜 ⊃
㊤
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¢Q㎝ 琳訓畿ω﹄一㊤(09G︒)ρ80(Φ9Qo)ωるぎ(り9ゆ)︽①ω㊦(㊤刈.O)倉 置︒ ︒(り01﹄)典 ωり︒ ︒(㊤①・一)
儀噛一鴇(⑩心︑G︒)
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恥闇臼只O心●α)
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卍劇鹸憲b︒(ω﹄)
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一綿a愚) ↓訓畿ω暢G︒虚(岩O)G︒噛 凝G︒(一〇〇)・歴08(一〇〇)野 謡︒ ︒(一〇〇)亟匂ωミ(HOO)倉 鵯只δO)♪ 島︒ ︒(一〇〇)恥b一ω(一〇〇)癖"c︒蕊(一〇〇)恥﹄零(一〇〇)
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一♪︒ ︒
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卜 ︒ 添 呂(90) 鯉G︒O只9㎝)G︒b︒ ︒
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鈍 ωお(9GQ)
ω畑OOG︒(9¶) 卍旧畿一伊80(一8)嵐尊Φ︒ ︒O(一〇〇)H◎8︒ ︒(δO)一P器︒ ︒(一〇〇)ωρ戯8(一〇〇)
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燭O鱒ω(一〇〇)
偽︒ ︒
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)9層 ①蕊(一〇〇) α︒ ︒ も ①b︒(一〇〇)Oωb霧(一〇〇)
㎝ρ①農(HOO) 一ω噛等O(
︒ ︒
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罫 醤刈(刈ω﹄)
一倉8刈(鋒刈)
一♪認一(①心・b︒)
一轟暢O
︒ ︒
り(①G︒・α)
一︒ ︒
●ミO(2・
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昼 おα(象.Qo)
ωムお(8﹄)
朝bΦ①(心o①・Q◎)
昼一G︒b︒(心㎝.ω)
︒ ︒bO¶(ω 切・Qo)
◎ ︒
﹂ ミ(ω9α)8①這(こ09QQ)9ミ︒ ︒(らQα・卜o)
に暢蟄
︒ ︒(〇〇一
)=添 ま(一〇〇)=・ α8(一〇〇)
鼠b竃(一〇〇)
一メ醇㊤(一〇〇)
一P謡ω(一8)b︒9Q︒謬(一〇〇)Bbωc︒(一〇〇)b︒N一㊤①(一〇〇)
曽添島(一〇〇)
一Pb︒謡(一〇〇)(欝)
灘 繋 鱗 蒸 難欄騰
(煽輩)・﹃紳訟釦謎b っり回醤難曝﹄.﹃階融細謎ω盤誹球喰魏珊﹄鮮熔濤葺灘輿・︒りα劃匙8田)︾ゆ理(一田ω竃飼﹄︒詮︒・田)..州㊦藁舞・議聾皿璃昇葉譲鄭噛強灘欝薗鱒吟墜.薗鰹醤糧鍍畠一皿サ①羅岳謡ω︒口餅づ§醤謡・照)︑各増税計画ごとに検討する中から明らかにする必要があろう︒
第圏回増税
﹁戦後経営﹂が実行に移され︑
﹁ 我 財 政 史 走 新 局 面 を 開 き た る 塗 と 評 さ れ て い る 前 年 度 比 約 二 倍 の 明 治 二 九 年
予 算 に お い て 計 画 さ れ 実 現 を み た 戦 後 篁 留 の 増 税 が ︑ 何 故 に 第 2 謬 み ら れ る よ う な 内 容 の も の に な っ た の で あ
ろ う か ・ 蔵 後 経 嘗 の 蒙 方 針 が 難 し た の 婆 一八 年 八 月 に 大 蔵 大 臣 松 方 正 義 が 伊 懸 文 首 相 に 奮 し た ﹁ 財 政 前
途 ノ 経 婁 付 箋 三 お い て で あ る が ﹄ ︺ れ に よ れ ば ︑ 二 九 穫 歳 入 不 星 ︑ 甕 一 万 円 を 壇 す る 窺 曹 に は ︑
地租・所得税︑酒税︑煙草税︑海関税など九種目あげられていた︒
しかし・このうち地租は・課税最蓉易ナリト難モ︑髭ノ負担量クスルハ国家経董得讐Zフズ︒況ソヤ
我国農民ノ負担ハ既二偏婁シテ︑維新以来當飛租軽減ノ肇ヲ取リ来タルヲヤ︒断ジテ行フベカ一フズ︒﹂という
理象付されており・衡税の増加護正条約が実施された後でなければ実現できないし︑所得税は︑漏次増加シ得
ペキモ・俄カニ巨額ノ収入量ムベ些フズ︒﹂とみなされていた︒そして︑﹁独リ嚢税讐讐記料ハ大二増加収入
ノ望ヲ學得ヘキモノ﹂と響されていたのである.松方がこの﹁提議﹂の中で︑とりわけ酒造税則の改正に力点を
犠 饗 蟻 鵠 繰 雅鱗 雛 幾 嚢 砂熊 麟 録
鰍げることが予定されていた・この営業税の一部国税移管は︑単に税収のみ奮的なのではなく︑同時にそれを直歯
醐 税 と す る こ と ξ て ︑ 衆 薩 肇 人 被 肇 人 が 土 幾 有 者 の み に 蟹 し て い る の を 救 治 す Φ 墓 鬼 で あ る と 琶 つ け
悌されていたことは周知の事実である︒
鶴 器 政 上 の 必 要 か ら 酒 讐 額 の 窺 収 入 を 期 待 し 得 た 根 拠 と し て は ︑ ﹁ 酒 造 税 ハ 贅 澤 品 二 課 ス ル 国 税 ニ シ 一ア ︑
罫 石 三 円 ノ 窺 ハ 蒔 多 少 ノ 碧 挙 一 轟 ス ベ キ 羨 シ テ 酒 繋 ノ 議 ヲ 来 ス コ ト ﹂ が な い と い う .︺ と も ; の 奮
日としてあげられていた・すなわち・漂生活必需品ではないから増税しても細毘与︑兄.⇔影響は少ないし︑また︑.﹂瓢の饗の親では酒造纂に与える影躍殆どないとみていたのである.後者に関連しては︑纂歪対して保護92
騰海賭肝湘薗敵濫歯辮冴男
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号
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薗隣謙踏(品館吋⑩岳ω血bcom踏囎NQQ)
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嚇b︒α)溜瀞器盆一血一皿サ①誹識
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滞灘㊦醸一訓彊Ob︒田
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齢鳥闘雌訓融一訓置・u働一︒︒旧偉C醸諏冷8黙嘩曲箇呼α伴磐廷OOゆ 一・評翠蝕呼謙停Cパ曝淋謙確胃鈴伊¢&
ド錦蕊π藏O瀞墾蓮飼噂HOO創眞卜俸C浮
鱒灘薗拝餅諦創購δOφOb︒眞冴O蕪劇閏薄融峰欝癩ごパ発離呼α
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鮪理噛薗離切創眞卜
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日清 戦 後 に お け る酒税 の 増徴 につ い て
醐離瞭淋戴踏臆降θ#(温酵ら︒一醤這面b︒c︒
団踏磁b︒①)温郎認醤c︒加窃田サσ誹識
強臨勲確丑痔H(温恭竃醤ω並ωO皿踏裕
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(餌画酪も◎幽曾らo﹂山らQOm確囎◎o)
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澱強蝕蕗(謡蕗︒︒心盆ω面ωOm確樒一ト︒)
品館︒◎心曾一〇油一mサ①誹識 θ一嘩赫叫碕胃一田蒔営勘が●
翻鎌瞭淋戴認汗
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藩m麟蘭灘砂卜︒O煕蒔磯西び簸強矯醜薗鳩
班翼昇蓑嬢
一倒π6仰薇露冷一海碕置謡聾
薔諒潮q強讃ゆ針興輩礫戯戴一朗π6
仰強賜帥δO導丑識強鍾㊦嚇卸
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蔀鳥餌隣訓戴認浄
滞強戴澱闘一訓符6峰↓田 強諏醸団譲磁罪嘩臼ぎ呼強講︾q
薗諏跨針縛輩戴確π齢謡C詩.
薗礁戴蹄升醸鎌礁団戴㊦誰滞嘩罪嘩知灘滞
θ藏薄薗謙踏酵蹄汗eパ臼011躁磁昼踏π
欝ーe鉾
93
(蹄霞)︾認鵬階譲釦﹃冴画融O譲辮薄傷蛍謡宕瀦斗が箏桝譲燗﹄
を与え脱税を防止し︑税源を培養する観点から自家用酒税法を制定して製造免許の制限を設け︑混成酒税法を制定し
て外国より輸入した酒精を原料とし︑これに水その他の物品を混和して飲料酒類を製造しこれを低価で販売して酒類
に代用することを困難とさせる等の施策を講じようとしたのである(第4表参照)︒
以上の施策はいずれも実施されることになったが︑ここにみられる一方における増税︑他方におけるいわば増税の
反対給付としての営業者保護︑税源滴養の関係はその後も一貫してみられることになる︒
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号 94
第5表 日清戦後第2回 増税 計画
%
第 】次大隈 内閣 (松 田正久)
円
AsoOOoCg.o) 18,075,000(56.8) 1,485,000(4.7) 1,928,000(6.1) 1,553,000(4.」)
第3次 伊 藤 ノヨ閣 (井 上 馨)
円%
13,170,065(37.3) 3,019,614(8.5) 1,366,286(3.9) 12,411,384(35.2) 1.,649,XO4C4.7)
5,891,000(18.5) 31,792,000(1GO) 430,392(1.2)
3,242,32s(9.2) 第2次 松方 内閣
(松方 正義)
円%
9,972,X55039.9) 2,027,X85(8.1) 1,798,347(7.2) 11,221,420(44.8)
租租租税税税税入金厭地収益売宅得薬糖専
田 翫 酒 所 売 砂 魏 鱒
35,289,873(100) 25,020,117(100)
計
(資 料)・ 『明 治 財 政 史 』,第1巻56〜57頁.
・『東 京 経 済 雑 誌 』,第946,963号.
・『東 洋 経 済 新 報 』,第102,103号 。
・『目 賀 田 文 書 』,7冊 一1よ り 作 成.
(注)・ 内 閣 名 の 下 の 括 弧 内 は 大 蔵 大 臣 名
・金 額 は い ず れ も平 年 度 増 収 計 画 額 第2次 松 方(明 治32年 度)
第3次 伊 藤(同,33年 度) 第1次 大 隈(同,32年 度)
第二回増税
次の第二次松方内閣が編成した明治三〇年度予算にお
いては増税計画は立てられず︑予算案もこの内閣が進歩
党と提携したこともあってわずかの修正を経たのみで成
立した︒しかし︑翌年の三一年予算においては早くも戦
後第二回目の増税計画の護会提出が企てられていたので
ある︒
その内容は第5表にみられるとおりである︒この増税
法案を含む三一年予算案は︑松方内閣が与党︑進歩党と
対立してその支持基盤を消失し︑内閣不信任案が議会に
提出される前の第一一帝国議会開院の翌日に衆議院を解
散したことによって不成立となり︑三一年予算は︑結局︑
前年度予算を執行することになったのであるが︑この増
税計画において日清戦後初めて地租増微案が提出される
はずになっていた︒もっとも︑三〇年六月八日に決定さ
(3)れた﹁明治三一年度概算調整二付方針申合﹂によれば︑
当初は﹁増税法案ハ提出セサルコト﹂とされていたので
95日 漕 戦 後 にお け る酒 税 の 増 微 に つ いて
あった.しかし︑.あ更・﹂にもム・湾饗の補足や薙議法のためにやむを・げんない場倉は調査の上・特に撹も行い得るとしてあり︑また︑実際その後の進展の中から以上の饗に加えて航海拡張禦必薯なったことや・他方において叢税法中︑戸蓼録の項を削除したこと︑製嚢建金廃止したこと・畢税の取入が予想錘しなかったことな彦︑理由にこの為めの歳入不足を壇する上で増税が計画されたのである・
では何故︑増税の対象に酒税蓮ばれたのか.その謡として挙げられているのは以下のような籍であ(魏・すなわち︑営業税︑所得税︑登録税︑証券印紙税などは︑徴税上の困難どにより薯しい据を期待す誉﹂とはできず・驚税︑売薬印鐙などはコハ日常ノ必要晶タリ一ハ齋ノ範囲大葭界セラル劣故﹂に撹錘かしい芒・総じてこれらの税目は︑﹁或ハ謹質二於テ蓼キ袈ヲ為スヲ許亥或ハ之レカ増率ヲ為スモ姦ノ収入ヲ得ルニ足一フス﹂と判断していた.それゆ︑兄︑地租と酒税とによって歳入増加を図る計画を立てなけれぽ霧に応じることはできないのであるが︑.﹂のうち︑地租は︑近年米価の讐により土地の収益が著しく上がり・従って・その売買籍が騰貴しているので︑﹁米価又ハ貸地料讐ノ割食内﹂の増税を行ったとしても現行難地価を定めた当時の負担と比較してさらに負担を加事登﹂とにはならないとしていた.但し︑増課の方法としては・籍定率の変更と法定地価を時価に近接させる地価整の二方法があるけれども︑単に籍率を変琴るだけで蟻租饗の傾向は糞是正できず︑租税負担の衡平均一は行わ難く馨窒︑煩雑になるかもしれぬが地黎撰せんとする時は必ず地価修正をしなければならないと説く.戦後初めて欝された地瑠難が地繧正とだき合わされていた撹であった.﹂とは特に注意しなければならないことであり今後その内容の詳細を明らかにしていく必要があろう・一方︑酒税の増微ξいては次のように捉えている.前年︑明治二九年に既に七割五分の増税(四円←七円)を実施したのに︑い津蓬さらに四割内外(七円主・円)の増税を行うのはあるいは綴にすぎて予想す}⇔取入を得る
購
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号96
ことができないかもしれないじかし︑酒税はその轟が響逆転嫁されるのであるから︑消費者が消費姦少さ
せないか・あるいは・幾分・饗を減少させても︑従来︑自ら醸蓼行って消費してきた者が当薯より購琴る.﹂
とになれば彼の造石高はあるい箋貧・兄ることになるかもしれない︑そうなれば税額孝期獲する.﹂とはないと
説明していた・そしてそのために二方において自家用酒類の製造を慧し︑かつ饅酒類釜の取締りを籍化す
る必象あると説くご三で籍税の転嫁が増税を正当化する魏として説かれているところ辱徴がある.実際︑
二九年八月と三︒年分の一石当り全国平均酒価琵較し︑そこに四円九三銭八厘の蒙ある.﹂とから.﹂の間物価騰
貴があったとしても健負担(三堪の負担)絵嫁したとみなしていた.しかし︑いうまでもなく︑転嫁のあ譲し
播単に実証し得るものではなく・その過程は相当に難である.単に酒税の比較のみをもって行い得るものではな
い・ともかく・三﹂では懸が可能であり・従って︑納税者蒲造薯が雰旨担に耐えることができ︑しかも確
実であってかつ叢入の多いものとして地租と共病税の増徴が企てられていたのである.事実︑二九年の篁回増
税 に よ る 予 想 猿 攣 上 回 ぞ い た の は 増 税 四 税 (縫 は 三 叢 入 ) 雪 ち た だ 酒 税 の み で あ り そ れ は 総 て の 条 件
を満たし得る嘗と考えられていたのである.しかし︑この親霧︑地租増徴案を含むがゆえに与党.進歩党の反
対にあい衆議院は解散され実現をみずに終ったのであった︒
器三一年三旦吾簑施された衆議院蟹後の総馨のあと︑吾に開かれた第三寓議会(特別議会)に
おいても第5表にみられる窺案が第一茨伊藤内閣によって提出された.結論からいえぽ︑.﹂れまた前議会での増税
案と同様に議会の犠によって不肇に終ったものであったが︑その内容が地租と酒税の二本妾則回は両税のみ︑今
回 需 税 で 鋸 の 八 五 % ) に な っ て い 奮 渦も 前 回 と 似 て い た . 増 犠 需 回 よ 2 ︑ ⁝ 召 呈 増 .兄 て い る け れ ど
も・親奮は・ほぼ前回と同じで台湾諸経竺︑三四万円)︑薙奨励及び薙拡嚢(四八七万円)︑公穰還
日清 戦 後 にお け る酒税 の増 徴 につ い て 9?
(七︒︒万円)︑鐵費国肇弁(三五五万円)及び物価讐簿ともなう饗の増聖ハ八六万円)などの震のためであった..﹂のように︑概していえ需回の増税案を面臭ミしたようなものであったとみてよい・但し・地租に関してい駿地繧正は行わず︑田畑は地価の募の三・七(;%の覆)・宅地も市街と郡村を区別するものとなっており(前者は地価の百分の五︑後者は同募の三)︑増税総額においては前回より二七%増えていた・酒税締回とほぼ同じ藩酒等の笙腰︑一石︑δ円に欝するかわりに製碧制限を設けたり(清酒δ︒石以下に加えて焼酎五石︑濁酒二︒石以下には免許を与えない)︑臭用酒の製造禁止︑混成酒税法の整・腐敗酒等の碧税の免除などを実現させて営業保護を行おうとした︒
肇 の 提 出 時 期 に つ い て は 蒔 ま よ い が あ っ た よ う に み え る 麓 麗 当 日 の 勅 語 に ・ ﹁ 財 政 ノ 藩 爵 ニ ス ル 為 二 嘱 大 臣 詰 シ ︑ 租 税 増 加 ノ 錘 ヲ 定 メ シ メ ﹂ 云 々 と 増 税 が い わ ば 公 示 さ れ た こ と も あ っ て 藝 に 醤 さ れ た の で あ る . 増 税 諸 蒙 の 中 で は 先 ず 地 租 増 整 か ら 護 さ れ る こ と に な り ︑ の ち 魏 諸 肇 が 一 括 さ れ て 特 裂 員 会 に 付 糞 鍵 鋪 獺蕪 α暴 鞭 繋 韓 鰐 ゲ雛 籔
決 さ れ ︑ 同 時 に 議 会 緯 散 さ れ た の で 酒 税 や 所 得 税 の 増 微 案 ξ い て は 委 員 会 の 審 議 す ら 行 季 に 終 っ て し ま っ た の
である︒第 三 次 縷 薦 内 禦 地 租 護 駿 で 行 き 詰 り 倒 壊 し た 後 ︑ そ の 政 府 の 地 租 護 歪 出 護 接 的 謬 に 接 近 し た 自 由 ︑ 進 歩 両 党 が 禽 し て 結 成 し た 憲 政 党 が 内 閣 を 懇 し た . こ の 護 党 内 閣 ( 笙 癸 隈 内 閣 ) の 成 立 の 事 情 に つ い て は .︑ .粛 題 に す る 必 要 は な い が ︑ そ の 成 立 の 菓 に は ︑ ﹁ 政 党 に 亘 政 肇 婆 て 財 贅 理 を や ら せ て み 藝 と
いう藩閥勢力側の思惑もあったことは否定できないであろう︒商 経 論 叢 第20巻
縫 蟻 籔 帰難 ㌶ 纂 羅 レ灘礎 擁 難 難 雛
第3・4号罎 堕識 礎 轄 轍 齢灘 灘 騰 欝 雌蝋
98な 馨 え 鑓 蓑 蒼 酒 韓 額 の 高 い の が 明 治 三 年 七 旦 八 昆 大 肇 蹴 田 正 久 が 大 隈 首 相 に 提
一 一
〈増 加 分>1金 額(円)(%)一 一
..市 街 宅 地 租
所 得 税
酒 税
売 薬 印 紙 税
砂 糖 税
登 録 税
葉煙草専売収入
2,868,632(5.8) 1,806,046C3.7) 27,412,IfifiC55.S)
].,478,672C3.0) 5,337,89900.9)
326,944CO.7) g,881,185(20.1)
31,254 303,543 75,599 2,269,778
税税税税産方印水地出券道道海海
証北北輸
一 一
(注)金 額 は 明 治33年 度 以 降 の 分 (資 料)『 大 隈 文 書 』A‑1944よ り作 成示した閣議提出案である︒これによれば(第6
表)・地租は市街宅地のみでその金額も第5表
と同額であるが︑酒税増徴額は︑これまでの計
画に比べて極端に高く︑これ一税だけで第二次
松方内閣にょる増収計画額を上回るほどのもの
であった︒これは酒税の大宗を占める清酒造石
税が一石︑一五円に引き上げられていることに
よるものである︒この増税引き上げ額は︑戦後
第三回目の増税によりコ西年一〇月より実施さ
れたものであるけれども︑この段階で一挙E
石︑七円より引き上げる計画であるから倍額以 鯉 〜闘轍
⁝
日清 戦後 にお け る酒税 の 増 徴 につ いて 99
上の増税になる︒既にみた第二次松方内閣︑第三次伊藤内閣における計画が一石︑一〇円であったからそれらに比べ
ても随分と大胆な案であったことが分かる︒間接消費税に著しく傾斜しているその増税案は︑第三回増税のいわば先
取りともいえないことはないけれども︑田畑地租の増徴を回避する以上︑必然的にこのような性格のものにならざる
をえなかったといえよう︒
憲政党内閣による明治三二年度予算作成ξいては︑当時︑大襲官であった添田寿一がその財政経済方針を立案
してい櫛これによれば・国家の財政蓋固な基盤に立てようとするならば︑増税の手段によって確定︑変の歳入を
得る方法を講じなけれぽならないとして︑賠償金や公債のような蒔的な鰻讐しりぞけている︒そしてその増税
のあり方について次のごとく述べている︒
﹁然レトモ租税ノモノタルヤ一般経済ト密接ナル関係ヲ套故二若シ其方法ヲ撰ハス徴収ノ便ノ︑︑︑ヲ図リテ漫リニ
増税ヲ行ハ善二人民二過重ノ負担ヲ為サシムルニ止マラス国家ノ生産カヲ妨害シ財政ノ為メ一般経董墨剛ヲ与フ
ルノ恐アリ故二會止ムコトヲ得スシテ増税ヲ為う芳リテモ勉メテ生産者ノ負担ノ増加ヲ避クヘキ方針ヲ樹立セリ
随テ不生産的消費二課税スルコトトシ酒税ヲ増課シ葉煙草ノ売下価格ヲ引上ケ暫砂糖税ヲ起スト同時二此等消費品
其他之二障害ヲ与フヘキ輸入品二対シテハ均衡的課税ヲ為サソト欲ス﹂
つまり・叢上の便宜のみの見地から増税を行うの箸害であると一応は指摘したう︑兄で不生産的消建課税すべ
きであるとしている・そして・他の個所でそれら﹁各種ノ消費税ナルモノニ国経済上ノ進歩ト共二増加シ頗ル伸張
カ ニ 蜜 ﹂ と 鶉 し て い る と こ ろ か ら み て 伸 張 力 に 富 む 不 生 産 的 消 建 増 課 税 を 行 う べ し 皇 張 し て い る こ と が わ か
る︒そのいわば代表が酒の消費に対する課税ということになろう︒
一方︑地租を増税しないことの理由は次のようなものである︒
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号 700
﹁地租ノ増加ニハ地価修正ナル難問題ノ固著セルノミナラス地租ヲ増加セハ直接二生産者二向ヒテ課税スルコトエ
ナルヘク此ノ如キハ既二陳述セル殖産二課税セスト云フ財政上ノ方針二反スルヲ奈何セソ旦ツ平常事ナキ日二財源二
於テ多少ノ鹸裕ヲ存スルコトヲ要ス多少ノ鯨裕ヲ存セサルトキハ国家財政上ノ信用ヲ薄弱ナラシムルニ止マラス一旦
事アル日二際シテハ必ス差支ヲ生スヘケレハナリ﹂
第一に︑地租を増徴するには地価を修正しなけれぽならない︒しかし︑それは難問とみている︒換言すれば︑地価
修正せずして地租増徴は不可能であると大蔵省官僚も認識していたわけである︒第二は・生産者の負担となるような
地租の増徴は行うべきではないとするもので︑直接税は総て不適当という論理になるのだろうか︒第三は・地租は国
家緊急の用に供する為めに平常事なき際には保存しておくべき好財源ということを意味している︒しかし︑いずれの
理由も︑﹁地租二依頼セサルトモ尚ホ歳出入ノ権衡ヲ保チ得ラルX以上⁝⁝此際地租ヲ徴収セサレハ財政ノ基礎安固
ヲ欠クトハ謂フヘカラス﹂という考えが前提にあって付けられたものであろう︒問題は︑その前提が実際可能かどう
かということになろうが︑この添田の考えは︑やはり︑地租非増租をとなえる憲政党の方針が前提にあり︑それを理論
づけるものとして立案されたと捉︑兄る方が自然なのではないだろうか︒いずれにしろ地租非増租の今ゆは酒税にまわ
されたとみるべきで︑この結果︑憲政党の増租案が異常に酒税増徴に依存せざるをえないものとなっていたのである︒
以前の二案と異なり地租(田畑)の増微を含まなかったこの憲政党内閣案も︑党内抗争︑内証により憲政党そのもの
が分裂した為めに第一次大隈内閣は︑一度も議会を開くことなくわずか四ヶ月で瓦解してしまったので議会審議を経
ることなく葬り去られてしまった︒結局︑憲政党内閣のもとにおいては財政処理口増税はでぎずじまいであった︒
以上のように︑戦後第二回目の増税計画は︑三回挫折したのち明治三一年=月成立した第二次山県内閣の手で漸
く成立をみた︒周知のように︑山県内閣の増税計画は︑当初︑第2表にみられる増税計画と異なり地租の比重の高い
ユ01日 清戦 後 にお け る酒税 の増 徴 につ い て
ものであった.山県内閣の成立と笙三雷藝の召祭縷同時であったため・同内閣は・提出すべき三二年予算の歳出予算の方は前内閣震のものをそのまま欝し奈︑歳入予算については前内閣のそれが主として間接消費税に依存していたのとは暴り地租増徴も図り︑しかも地価修正を同時に行い︑地墾を従来の募の二.五から募
醗に改め︑六瑠課して三二年度︑一︑四五八万円︑三三年以降︑一︑七六男円の獲を計画していたのであ
る︒.蓬対し︑護本党(旧進歩党系)を忠に地租増徴反対同盟が蔑されて猛烈な反対運勲展開され・そうし
た 中 で 政 府 は ︑ 反 対 論 を ︑護 す る 者 も 多 か っ た 政 府 与 党 の 嚢 党 ( 旧 自 露 系 ) を 抱 き こ み 地 租 増 鍵 護 妾 せ る た め 笛 畑 地 価 の 欝 率 を 下 げ (募 の 四 か ら 百 分 の 三 ・ 三 ) ︑ さ ら に 覆 塑 三 年 よ り 五 簡 と 期 限 を 定 め る こ と な
どの妥肇を示したのである︒その結果︑当初原案では三二年度は酒税と縷同じ増税額(増税墾体の四二%)・三三年繧親額の三八%を占めたものであったものが︑確定案では初年度︑平年度とも原案髭べ増税額は半欝下になってしまい第2表にみられるような比率に低下したのである︒
政簾いの山県︑護党妻協してまで地租覆案の成妾図ったのは︑﹁戦後経嘗の遂行・楚藩拡肇現のための増税計画が第=︑三帝国議会で港成妾阻まれてしまい︑計画実行のために鐘が非でもその成立を図らなければならなかったためである.当内閣薪たにまた地租にこのための財源を求めた理由は・前内閣が蔑した間接税に傾斜した増税案では酒税は篁蓮石︑一三円︑第二種︑同︑一四円となり・﹁稲壷キ蓬クルヲ認メ丙ツx低減シタル﹂ために歳入媚蓼減じ︑また︑砂霧︑葉煙草専歪入においても前内閣畿の増税額を
震する}﹂とは困難でありボ)その堰策としては︑﹁籍ノ外確警シテ旦ツ多額ノ取入ヲ得ベキモノアラサルヲ以テナリ﹂ということにあった︒
かくして︑﹁此地租ト酒トハ全ク此増税ト云フモノガ目的デ取入ヲ得ル会フ7ガ目的ニナッテ居リ翼カラ是
榊 噛 脚 醐
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号102
ハ双方トモ藏ズル訳ニハドウシテモ参ラ(空田尻襲郎)ということになった..涯︑ひたすら増徴のみを図る
なりふりかまわぬ窺策というこ奈できよ‑.特に焦占⁝にあった地租覆鮨いては︑﹁地墾ノヤウナ大体ノモ
ノガ動イテ来マスルト・酒ノ処デ壱円‑ヵ弐甲ヵ動カシタ所ガ何ニモナ一フヌ﹂(同前)という力の入れよう飛っ
た・誘成立前・党内に地租増徴反対派多警かかえていた縷党が地租増徴を含まぬ酒税増微中心の叢計要提
示した時・それが拒否されたのも以上のような考えからすれぽ当然の.︺とであった.
ところで二方の酒税の方は・態縫一石︑三円と従来髭し五円の増課を行三方で︑納期︑免税︑納税保
証等窺定に関してはなるべく纂人の便利を図り︑かつ︑自家用酒製蓼壁し︑混成酒の税率を増加し︑その他
輸入酒精及び酒類の関税を高めるなど酒類製造を保護して税源の馨を図ろうとしていた..﹂れらの諸施讐以前か
らの継薔といえるが・そ乏は二石︑;再では﹁梢壷キニ過クル﹂のであるから三円が限度という計築
働いていたにちがいないし・のちにみるように︑笙回増罐とは異なり︑酒造薯の反対運動も活発に瀦されて
いる讐肇通り増税案の成妾図るためには纂者に撹の見返りを与・兄る必要があると判断していた.﹂ともあ
るであろう・ともかく・第二回増税は・政府の護党との提携︑妥協︑反対派議員の買収︑懐柔等の鶉を通して第この日清一三薗藝において漸歳妾みたのであった.かくして︑﹁戦後讐﹂は薯をつけたのであるが︑
戦 後 罎 あ と 面 ・ 増 税 が 実 施 さ れ て い る . 篁 五 帝 国 議 会 で の 第 四 次 伊 藤 政 萎 内 閣 の 提 出 に か か わ る 増 税 計 画 実
施がそれである︒
第 三 回 増 税
第 二 回 窺 が 実 施 さ れ た 翌 明 治 ≡ 一歪 予 籍 お い て は ︑ ﹁財 源 増 加 ノ 目 的 二 出 ツ ル 窺 経 書 二 切 為 サ エ ル .
脚 酬㎜
国曲幽酬̲曲国』
日清戦 後 にお け る酒 税 の 増 徴 につ いて 103
の ト﹂との閣馨がその套履行され増税計画は立てられなかった.しかし︑二年後の三四年度総予築と共に早くも増税諸肇が提出されたのであった.増税目的は︑笙に︑三二年三月に蜂起した藷団鎮圧のための嚢支弁・第二に︑三蓼(羅水雷籍充蓼︑災空薦蓼︑馨萎の補充︑第三に︑必要あるときは・従来・公債支弁に属していた計画を変更して租税収入をもって支弁するためと説明されていた.既緕らかにしたよ亀この撹肇
には︑戦争経費の支弁を名目として実は公債支弁妻を慧財源(租税)支弁棄に変更しようとする意図が隠されており︑それがとりもなおさず戦後公債肇の行き詰りを意味していたのであった・そのよう憲味をもった増税案は︑酒税潔と砂糖税︑関税等の間藩霧忠の税目から燵されていた(第2表)・当初は地租の増微も芝られてい奈(田畑地租募の五)︑それには当然︑議会の抵抗が予想されたし︑それになによりも戦況が落ち着いてきて大規模な増税も必要なくなった.﹂ともあり姿を消し間接消費税忠の増税となったのである・議会での審議では・増税案の内容より増税の目的︑意図に議論が集中した嫌いがあり必ずしも増税案そのものの検討が行われたとはいい難いけれども︑議会用増税想定問答集には用意周到な答弁が作成されてい燭伽
これによれば︑酒税類︑砂糖︑煙叢入などが増税誓として選択されたのは︑これらが・﹁広三磐渉リテ消費さフル玉モノナルカ故芝ヲ以テ課税ノ目的ト為条キハ撹ノ負担ヲ以テ葉ク一磐囎及ハシムルコトヲ得ヘシ特若二挙ケタル税望依テ歳入ノ増加ヲ講ル宰ハ労費ヲ要ルコ叢モ少クシテ能ク暴ノ取入ヲ得ルノ利益ア
ル﹂ゆ︑兄であり︑酒税に関しては︑それが︑藺接税ナルヲ以テ増税ノ結果ハ消馨之ヲ負担スルコよナルヘク当
業責為メ美ナル薦ヲ感スルコよカルヘシ而シニ石二付三円即チ弄一符三銭ノ増価ハ消讐ヲシテ其ノ消
費ノ減セシムル程ノ価罐婁ア一フサルカ故二親ノ為メ全般ノ消費高ヲ減少スルカ如キコ犬ナヵルヘシLとの理
由に基づいていた︒
商 経 論 叢 第20巻 第3・4号104
特定の消費行為にのみ増税を行うのではないという醤は︑間接消費税忠の増税を正当化するために付け加.兄た
鐸 欝 醗 議 難 排鰭 腕 蕪 無 鞍 齢 御ボ繰 盤
担騒と騒されても消票減少することはないということが重ねて強調されてきた.ただ︑負担篠によって酒造
薯 髭 響 な し と す る 壷 ξ い て は ・ 明 治 一 葦 以 来 ︑ 短 期 間 の う ち に 既 に 二 回 の 増 税 が 髭 さ れ た 後 の 増 税 で あ
るためにその当否をめぐ喬題に纂が集中すると予想し︑それに備えて酒価︑米価︑造石山員などの細かい数字をな
らべて覆の正当化に努めている・窺禦総て酒価に上乗芸れて消讐に騒されず︑その四分の三しか騒さ
れなかっをしても酒造家の利益は+分保証されるという計算轟備されていたのである.もっとも︑その計算の基
礎となっている酒蒙の営業状態がどこまで轟を反映したものであるかど‑かは確かめようがないので︑その正否
を問うことはできないが・ともかく霜税転嫁を増税可能の最大の根拠としていた.﹂と鐘蟹きょう.
この増税法霧棊離鍍萎・嚢本党の叢により華の修正ののち比較的簡単に通過したけれども貴饒
で犠強な抵控あい詔勅が発せられてかろうじ義妾みた.この親の結果︑先きにふれたように酒税を忠と
した間接税優位の体制が揺ぎのないものになったのである︒
(1)﹃明治財政史綱﹄二三〇頁︒
(2)伊藤博文篇﹃秘書類纂財政資料﹄(中)五五〜六九頁︒
霧 辮 限 韓 讐 灘難 驚 嚢 鞍 籍 砿簸 簸 雛 雛
三二年の文書となっているけれども,﹂れは内容から推して明らかに明治三・年作成のものである︒