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漢族地域観光と宗族文化の再構成

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博士論文概要

1. 問題の所在

(1) 研究の目的

 昨今,先進国・発展途上国を問わず,経済振興 の手段として観光開発を取り入れることが一般的 になっている.特に,国際貿易システムにおいて 不利な立場に立たせられがちな発展途上国におい て,外貨獲得の手段として国家主導で観光に取り 組むことは広く見られる.途上国の観光開発はほ とんどの場合,経済政策として国家あるいは地方 レベルの政府によって決定されている(山村,

2006:44).また,発展途上の国々によく見られ る国家主導の観光開発政策は,ただ経済的な発展 を目指すものではなく,同時に国民国家としての 統合を高めるための文化政策でもある(高谷,

2014).

 1990 年代以降の人類学的観光研究を概観する と,観光にまつわる政治性への関心が必ずしも十 分ではなかったと言える.例えば,ポストモダン 人類学あるいはポストコロニアル人類学から強い 影響を受けて登場した「文化生成論」や「文化客

体化論」は観光を力関係の実践の場と認めながら も,その関心の焦点は地域住民側の実践の中に自 律性や主体性を見出すことに向いていた.

 1978 年以降,共産主義の実現から経済発展を 核とする近代化に政策の方向を転換した中国で は,観光産業においても改革が実施され,海外観 光者による国際観光のみならず,一般中国人によ る国内観光も盛んに行われるようになった.そこ で,市場競争に直面する各地方の政府は,自地域 の経済的発展のために積極的に文化観光の創出を 進めている.しかしながら,中国の観光発展の歴 史を概観すると,観光開発を本格化した 1980 年 代以降の中国観光も依然として政治的色彩を帯び ている(松村,2000).1980 年代に中国政府が主 導的に観光を推進するにあたって,伝統的中国文 化の保護・社会主義イデオロギーの堅持・経済発 展を核とする近代化の 3 つの異なる目的を調整す る役割が期待されたのである(Sofield and Li,

1998).

 こうした中国観光をめぐる「観光の政治性」に 関する議論の多くには,中央政府と地方政府を区

漢族地域観光と宗族文化の再構成

―中国徽州文化をめぐるマクロとミクロのダイナミクス―

李 崗

 本論文は,中国の徽州地域を事例として,人類学的フィールドワークに基づく民族誌的記述 を中心に据えながら,観光という文脈で漢族地域の多様性が再構成され,徽州宗族文化が特色 のある地域文化として資源化されるダイナミクスを,国家による文化政策と地域や住民による 対応という視点の両方から実証的に考察したものである.改革開放以降,中国政府は観光に,

伝統的中国文化の保護・社会主義イデオロギーの堅持・経済発展を核とする近代化の 3 つの異 なる目的を調整する役割を期待している.本論文で取り上げられる徽州地域では,地域による

「名乗り」と国家による「名づけ」によって再構成され,そこでの観光は,国家主導と地域の 自律性のもとで,国家の文化政策の変遷に歩調を合わせて推進されてきた.こうした中,宗族 文化が地域の同源性・統一性を主張する資源として用いられる一方,宗族の人たちによって自 身の独自性の象徴としても使用されている.地域文化をめぐる国家と地域と宗族との 3 者間の 相互交渉過程に注目し,中国における観光と文化との動態的関係について考察を試みた.

キーワード:政治性,文化政策,多様性,徽州地域,宗族

pp.45-54

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別なしに一枚岩のようにとらえる傾向がある.事 実,中国では経済的・社会的・文化的に異なる民 族・地域が存在し,観光に関わる各レベルの国家 機関の内部においても,例えば中央レベルと省レ ベルとの間や,省レベルと県レベルとの間では思 惑が異なることがありうる.したがって,中国観 光における国家機関を語る場合,各レベルを区別 する必要がある(曾,2001:88-89).このように,

中国における観光と文化について考察する際,国 家レベルでの文化政策と地方政府や文化の所有者 とも言える地域住民の両方に目を向ける必要性が 生じてくる.

 このような問題意識に基づいて,本論文は徽州 地域を事例地として取り上げ,「国家級文化生態 保護区制度」という新たな国家政策の実施にとも なって,観光という文脈で漢族地域の多様性が再 構成され,地域文化が資源化されるダイナミズム を国家による文化政策と地域や住民による対応と いう視点の両方から明らかにすることを目的とし た.

(2) 研究の背景

 改革開放以降の中国は,市場経済の導入により 急速な経済成長を遂げてきた.金銭的・時間的余 裕の増大に後押しされ観光消費活動が拡大しつつ あるとともに,観光地間の競争がいっそう激しく なってきた.地域的特色のある文化が観光者を惹 きつける貴重な資源であることを認識した地方政 府や地元知識人,地元住民は,積極的に地域性の 創出に取り組み,地域文化の再構成を進めてきた

(韓 1996,2005).ナショナルなレベル,さらに はグローバルなレベルでの市場競争に直面せざる を得ない中国の各地域では,本来地域の日常生活 に根付いた伝統文化が,市場主義的価値基準に基 づいて取捨選択され,再構成され,地域性を表す 表象として資源化される.

 漢族地域の多様性の再構成は,地域社会の観光 振興の取り組みと相まってますます活発になりつ つある一方,それは国家によっても注目されるよ うになってきた.観光振興が本格化した 1990 年 代以降,漢族社会の多様な地域文化をめぐって一 連の文化政策が国家によって実施されてきた.第 2 章で詳細に述べているが,1990 年代以降の中国 では,中国の社会人類学者・費孝通によって提起

された中華民族多元一体論の隆盛と同調した形 で,多様に現出する地域文化が中華民族の伝統文 化の多元性の表れであるという論調が主流となっ てきた.さらに,本研究が開始された 2008 年には,

国家の文化政策の新たな試みとして「国家級文化 生態保護区」の建設が発足した.無形文化遺産の 保護を主な目的に発足したこの制度は,中国とい う国土空間から地理的・文化的に特色の顕著な地 域を伝統文化の見本として選び出し,重点的に保 護・保存するとともに観光振興を含む地域の経済 的・文化的活性化に利用・活用し,民族統一と愛 国心の育成に寄与することを目指すものである.

つまり文化生態保護区制度は,各地域に対して国 家主導で文化という尺度を用いて再評価すること で,その再構成と活用を促進するものとも考えら れる.このように,中国における漢族の地域文化 の再構成を考える際,地域による取り組みと国家 による文化政策の両方に目を向け,総合的に考察 することが求められる.

 ところで,観光という文脈での地域の創出は,

内堀による「民族の生成」に関する議論を想起さ せる.内堀によれば,民族とは上蓋を全体社会,

基底を対面的共同社会(小集団)とした,その中 間に位置づけられる範疇だという.中間範疇とし ての民族の生成は,当該集団自らによる「名乗り」

と,外部者(国民国家の場合は国家)による「名 づけ」の相互交渉の過程の中で生成される. 「民族」

範疇のあり方は状況によって変わり,国家または 共同社会によって操作されうる.国民国家の場合,

「国家」による「名づけ」は,制度化された政治 権力としても民族の生成において決定的に重要で あるという.「国家」が「人と人という直接的影 響力をもととせず,なんらかの中間範疇を媒介と してそこに含まれる人々をまとめ,それに働きか けることによって人を動か」そうとするものであ る(内堀,1989:30-32).

 内堀の論文は,民族の生成について議論するも のであるが,対面的共同社会と全体社会の中間に 位置するその他の人間集団の分化を考察するにあ たって,「名乗り」と「名づけ」による民族の生 成理論が示唆的である.本研究では,内堀の民族 に関する議論を,多様性に富む漢族社会における

「地域」の生成の解明に援用する.地域という中

(3)

間範疇を媒介に地域の人々を動かし漢族の統合を 図ろうとする国家による文化政策の実施と,地域 の創出をめぐる地域の実践が同時進行している.

具体的には,調査対象地である安徽省黄山市にお ける,「徽州」と「名乗り」,ローカリティを創出 しようとする地域社会の取り組みと,それを「徽 州文化生態保護区」に位置付けようとする国家の

「名づけ」行為に注目し,特に観光という文脈に おいて宗族及びその文化が再構成され,資源化さ れる動態に注目する.

(3) 研究の手続と研究方法

 中国観光における地域の再構成をめぐる国家側 と地方政府や地域住民などの行為者の相互作用を 考察するにあたっては,中国の文化的状況を規定 する国レベルでの文化政策の精査と具体的な事例 分析が不可欠である.そこで本研究では,まず観 光との関連を意識しながら改革開放以降の中国に おける文化政策の変遷を整理した.

 次に,調査対象地域として安徽省黄山市を取り 上げ,黄山市政府の「名乗り」行為と国家の「名 づけ」行為に焦点をあて,徽州地域の再構成に関 する地域と国家との動態的な相互交渉について,

地域レベルの文化政策の整理や政府関連機関への 聞き取り調査などを通して明らかにした.

 さらに,徽州地域の再構成というマクロな状況 に置かれながら,日常的に文化の資源化に関わる 宗族を含む地域住民の実践と思惑を描き出すた め,中長期にわたる人類学的フィールドワークが 有効であると考えられ,安徽省黄山市と江西省婺 源県へ 7 回

1)

にわたるフィールドワークを行った.

2. 論文の概要

 本論文の構成は以下のように構成される.

第 1 章 序論

第 2 章 中国における文化政策の変遷と観光振興 第 3 章 再創出される「徽州」と資源化される徽

州宗族

第 4 章 西逓村における宗族の再構成と資源化に 関する民族誌的記録

第 5 章 考察および結論

(1) 第 1 章の概要

 第 1 章・序論においては,研究の目的と研究の

背景を含む問題の所在を提示した上,本論文の目 的を達成させるために用いる研究方法と調査の概 要を明記した.それに,研究対象地域の概要と調 査概要,本論の構成について記述した.

(2) 第 2 章の概要

 本章では 1949 年に中華人民共和国が成立して 以降,特に改革開放以降の中国の観光政策の歴史 を概観した.中国においては,観光に対する国家 の関心は経済的なものだけでなく,同時に政治的 に資源化されている.観光は文化財の保護や国民 の愛国心の育成,農村建設など,文化政策の実施 において,常に重要な役割が期待されている.伝 統文化に対する再評価や観光資源の制度化が推進 される中,1 つのまとまりとして自明的に存在し てきた漢族は,国家によって注目されるように なったことが明らかにされた.その多様性を統合 する文化政策として登場した文化生態保護区制度 について,詳しく分析している.

 1980 年代後半,社会人類学者の費孝通(1989)

によって「中華民族多元一体構造」論が提起され て以降,中国政府は「中華民族」という概念を強 く押し出しており,これは中国領域内の 55 の少 数民族と漢族の全てのみならず,華僑・華人をも 包含し,国民統合を促す政治的含意がある.「中 華民族多元一体構造」論は中国における民族の多 様性と統一性を説明し,国民統合を促進する基本 的な枠組みとされてきた.この理論では漢族を諸 少数民族と同じレベルの民族実体として捉え,言 語や生活文化上の相違,自己意識などという漢族 内部における様々な分化について直接的には論じ られていない.漢族があくまでも他の少数民族と 同じレベルの民族実体として扱われ,国家統合の 中心的な役割を果たすことが強調された.

 また,中国の漢族地域における文化の多様性に 着目し,それが形成される歴史的プロセスとその 要因の解明に関する研究は,1990 年代以降に主 に人文地理学者によってなされるようになった.

さらに,2000 年代以降急進した近代化やグロー バル化は,環境破壊や社会的格差の拡大,民間文 化の衰退などの深刻な問題を及ぼした.これらの 弊害を是正するために,中国政府は中華民族が共 有する精神的ふるさとの建設という目標を掲げ,

文化生態保護区の建設を推進してきた.1990 年

(4)

代の地理学者による文化区の画定や,2000 年代 以降に推し進められた文化生態保護区の制度は,

民族の多様性を国民へと統合する具体的な文化政 策として行われた.特に地域文化の保護を目的と する文化生態保護区の制度は,漢民族内部の多様 性を視野に入れ,その上で国民統合を促進する国 家的文化政策と言える.

 中国に見られる地域文化の再構成という現象 は,観光振興と同調した形で立ち現れたと考えら れる.稲垣(2011)は観光資源について,観光と いう社会制度の中で生み出される存在であり,先 験的な観光資源は存在せず,事物・事象は観光者 の欲望と向き合うことで初めて資源化するとみな すことができると指摘している.また,瀬川が指 摘しているように,文化資源の開発は,その初期 段階においては,多くの人に知られているステレ オタイプ的な文化要素が対象となる傾向をもつも のの,開発の進展に従い,観光スポットや観光要 素間の競争が激化する段階になると,より少数の 人のみが知る隠れた文化要素へと『掘り進み』が 行われる傾向をもつ(瀬川,2012:222).中国に おいては,それまで自然環境や文化財,少数民族 の民族文化等が「観光のまなざし」の主たる関心 の対象であったが,1990 年代から始まった地方 誌の編纂ブームと文化区の画定から影響を受け て,地域文化への関心が急速に高まった.文化生 態保護区の建設は地域文化の再構成の新たな試み であると同時に, 観光資源の再整理とも考えられ る.改革開放以降,中国政府は「伝統文化」や「地 方文化」の観光資源としての価値を認識し,その 制度化を進めてきた.「伝統文化」や「地方文化」

に対して,国・省・市・県の各レベルで,文化財 や歴史文化名城・鎮・村,自然名勝区などの指定 を数回にわたって実施してきた.2007 年に発足 した文化生態保護区に関しても,地方文化の保護 と観光資源化を同時に推し進めることが国によっ て提唱される.保護区内の地域特色のある文化生 態資源を利用し文化観光を積極的に発展させるよ う,文化局と国家旅遊局によって推奨された.

 観光という消費行動が一般化し,地域間の競争 が深刻化した中国では,漢族の地域においても,

自分の地域は他の漢族地域とどう違うのか,どの ようなものをもって地域性をアピールできるかに

ついて,地方政府や地域の住民が常に考え,試行 錯誤を繰り返してきた.地方政府や地域の住民が 地域性を創出する際,中央政府が提唱している中 華民族多元一体構造論や研究者によって画定され た文化区の区分は,地方政府や地域の住民に行動 の枠組みを提供していると考えられる.文化生態 保護区に代表される文化政策の実施は,地方政府 や地域の住民による地域文化の再構成に拍車をか けるだけでなく,当該地域の地域性を改めて地方 政府や地域の住民に認識させる契機となってい る.観光が,「地域住民・地域社会にとって,自 分たちの文化がいまどういう状態にあるのか,そ して,その文化の現状を,外部からの視線や期待 を受け止めながらも,今後,自分たちのために,

どのように展開させてゆくのかについて,改めて 考えてみることを促す」(葛野,1998:98)もの として,捉えられ始めたと言える.

(3) 第 3 章の概要

 第 3 章において,安徽省黄山市を事例として取 り上げた.全国的には観光振興がまだ初期段階に あった 1980 年代の中国で,安徽省黄山市は自然 観光を中心に「観光立市」を発足した.観光開発 の進行にともない,徽州文化への関心が高まり観 光資源化が進められた.本章では,内堀(1989)

による「「名乗り」と「名づけ」による民族生成論」

を援用し,「徽州」の再構成をめぐる地域と国家 間の相互交渉過程を考察している.

 1980 年代の安徽省における観光振興は,中央 政府の主導のもとで行われたもので,観光資源の 開発は概ね黄山という自然景観に集中してなされ たと言える.国家総合戦略の中で農業大省とエネ ルギー基地として位置づけられた安徽省の中で,

黄山市は観光資源に恵まれ,観光の可能性が見込 まれたのである.それに加え,歴史的に徽州地域 は上海や江蘇省などの沿海地域と緊密なつながり をもち,長江デルタ地域に移住した徽州商人も多 数存在したため,黄山市は内陸部と沿海地域との パイプ役を果たすことも期待されていた.さらに,

黄山観光を通して歴史的に徽州商人の経済的・文 化的優位性を宣伝することによって,経済的に遅 れる農業大省という安徽省のイメージを払拭し,

外部の投資を惹きつける地方政府の思惑があると

考えられる.

(5)

 1990 年代には世界的に文化観光や観光の文化 的側面に関する議論が盛んになった.特に開発の 政策と実践における「文化の資源化」が起こって おり,文化は経済的価値の連鎖の確立とコミュニ ティのエンパワーメント,すなわち「良い統治」

と「持続可能性」の両方のための資源として評価 されてきた(Oakes, 2010: 57).国家による伝 統文化の再評価や地方分権化という政治的・文化 的環境の変化が背景にあり,文化や信仰に対する 人々の裁断の自由度が増した.共産党の統治体制 や近代化プロジェクトにそぐわないものは「封建 迷信」と認識し改革や排撃を進めるが,一方で保 存すべき遺跡や地域の慣習,あるいは観光者や華 僑を惹きつけるものは,近代化を促進するための 手段として「風俗」や「伝統文化」の名の下に正 統 化 す る よ う に な っ て い る(Stephan, 2004:

214).

 1995 年に,多民族国家である中国における民 族の多様性や漢族の地域性を外国人観光者や国内 観光者に見せる意図が込められ,国家のプロモー ションが「中国民俗風情遊」に定められた.この ような国家による観光プロモーション活動と同調 した形で,黄山市では自然観光に地域文化観光が 加わることになり,黄山市旅遊局は「徽州文化の 視察ツアー」を企画した.これは,徽州文化を前 面に打ち出す初めての事業であった.それ以降,

観光資源の発掘・修復・保護が,地方政府や地域 住民によって推進され,地域文化はますます黄山 市の観光の要素として重要度を増してくる.「徽 州」というブランドの創出は安徽省の観光振興の 目標に定められ,黄山市では「徽州△△ツアー」

といった「名」の観光ルートが幾つか設定された.

これらの観光ルートは,いずれも黄山市の域内に ある観光ポイントのみをめぐるもので,現在の行 政区分を超えて歴史上同じ徽州地域に属していた 績渓や婺源を組み込むことはなかった.

 さらに,徽州学研究者という外部からの眼差し を受けて,地域では自文化を調査・研究する組織 が立ち上げられ,その普及に取り組む活動が始め られた.その結果,徽州人のネットワークが形成 されるに至った.2004 年に徽州文化促進会とい う民間組織が結成され,「徽州人のネット上の故 郷になる」という主旨で「故園徽州フォーラム」

を発足させた.地域住民を対象に「古徽州を探求 する旅」や「徽州を探す旅」などの一連の実践が 行われた.これらの活動はともに観光という文脈 を超えて,自分自身の文化について考え直し,地 域住民の「文化自覚」や,地域の結合と地域アイ デンティティの形成を志向するものである.

 その象徴的な出来事とは,宗族ゆかりの地とさ れる篁墩の再発見である.篁墩は,歴史上幾度に わたる徽州への移民が経由地としていったん留ま るところで, 「徽州宗族の聖地」とも言われている.

2008 年以降「徽州文化生態保護区」の指定を受 けてから,地方政府や地域知識人が徽州地域のア イデンティティを樹立しようとする意図のもと,

篁墩の再建を打ち出した.地域内部で進められた 徽州の実体化とも呼べる一連の実践は,「徽州」

という名を取り戻す動きへとつながったと考えら れる.「黄山」という山岳の名前から由来した市 の名前に対して,地域の知識人や住民は反対し,

「徽州」という歴史的な地名で改めて自ら「名乗る」

ようになったのである.

 多様な漢族地域の中で徽州地域が顕著な地域的 特色を持つことをアピールするために,黄山市政 府や地域住民は徽州文化を再構成してきたが,こ のような「名乗り」行為に対して,国家が積極的 に評価し,「徽州地域」と正式に「名づける」よ うになった.2008 年に徽州地域が「徽州文化生 態保護区」として正式に指定されたことは,徽州 地域が正統的な漢族の歴史と文化を体現する地域 として,国に正式に認められたと考えられる.

 徽州文化生態保護区の建設にあたって,保護区 内の有形・無形文化財を展示する場として博物館 の建設と整備も推進される.博物館は観光者や地 域住民を対象に,保護区内の有形・無形文化遺産 に関する展示や実演,教育などを行う場として用 いられている.そして,博物館における土着文化 保存を通して,新たな国家のアイデンティティを 形成し,国家統一を促進することが期待されるの である.

 中国で徽州文化を総合的に紹介し保護区建設の

成果を展示する唯一の博物館と位置付けられる安

徽中国徽州文化博物館は,黄山市の新たな観光ス

ポットとして,徽州の文化観光の牽引役を担うこ

とが期待されていると同時に,徽州文化に対する

(6)

国家の眼差しを象徴的に表している.そこにおけ る宗族に関する展示を分析すると,徽州宗族は地 域の象徴としてだけでなく,中原地域との関わり の中で語られ,正統的な漢族の文化伝統と位置付 けられる.

 国家からの「名づけ」に対して,徽州地域では,

「徽州」の実体化の推進が加速しつつあることが 現地調査では明らかにされた.そこで,王朝時代 の地域の開発史や移民の歴史が再構成され,地域 の同源性・統一性を主張する資源として宗族が用 いられている.

 このようにして,地域による「名乗り」と国家 による「名づけ」が相互作用して,黄山市は「徽 州地域」という名で,漢族の多様性を体現する地 域として,そして正統的な漢族の代表地として,

確立していったのである.

 しかしながら,徽州地域の各村落においては歴 史的に宗族の発達の濃淡さが見られたように,現 在観光という文脈における宗族の復活も必ずしも 同様に行われているわけではない.徽州地域では すべての村において祠堂が修復されたものの,祠 堂での祖先祭祀が回復していない村がある一方,

修復された祠堂が文化財に指定され祠堂での祖先 祭祀が無形文化遺産に登録された村落も存在す る.また,祠堂での祖先祭祀が廃止されたままに あるが,祖先の墓の前で祖先祭祀が再開された現 象もみられる.さらに,篁墩のように地方政府が 再建に関わりそれを徽州宗族の聖地として仕立て ていく事例も確認された.

 このような徽州地域における宗族復興の多様性 について微視的な視点が必要であるため,次章で は西逓村を事例に観光と宗族復興の関係について 具体的に考察することにした.

(4) 第 4 章の概要

 第 4 章では,徽州村落の代表として西逓村を選 定し,宗族の実践について記述・考察している. 

 グローバル化・都市化が急激に進展する中国で は,農村地域に対して「開発すべきところ」と「伝 統的中国社会の標本」という一見矛盾する眼差し が存在する.農村地域は,中国政府による社会主 義新農村の建設というプロジェクトを推進する場 である.と同時に,農村に存在する伝統文化が中 華民族の共有する精神的ふるさとの建設に寄与す

ることを期待される.黄山市では,地方政府や知 識人による「徽州」の「名乗り」と中央政府によ る「名づけ」が相互作用し「徽州」が誕生する中,

ローカル社会がどのような動きを見せるかについ て,具体的かつ実証的に調査し詳細に記述したの が本章である.

 西逓村は,徽州文化生態保護区の建設を目的に 建設された安徽中国徽州文化博物館において,徽 州村落の代表地として,そして漢族の正統な文化 の表れとして取り上げられ表象されているところ である.1980 年代半ばから宗族の文化を資源と して,観光振興を推進してきたのである.

 西逓の観光開発の歴史を振り返ると,宗族の伝 統とその文化を受け継いだ宗族が重要な役割を果 たしてきた.西逓観光の発展は,土地革命や文革 によって分断された宗族の文化を整理し,外に向 けて語る機会を宗族の人々に与えたと言える.そ れは中華人民共和国建国前,宗族の日常活動を身 に染みこませ,宗族の学校で教育を受けた宗族の エリートたちが,宗族に関する知識と語る能力を 備えているためだと考えられる.従って,彼らは 積極的に観光発展に関わろうとした.観光の進展 状況とともに変化する地方政府の方針と国家の文 化政策の転換とに歩調を合わせて,彼らは観光ガ イドブックの編纂や,宗族文化に関する展示,祖 先祭祀儀礼の再創造などの一連の実践を試みて,

主導的に観光資源の創出に関わってきた.さらに,

いったん分断された明経胡氏宗族間の紐帯は,西 逓観光から得た収入の貢献もあり,始祖の墓の修 復とともに徐々に回復された.宗族間の交流の回 復は,かえって観光資源の充実という形で西逓観 光に還元することになった.

 文化大革命の中で政治的批判を経験し,地域社

会で中心的地位から外された宗族の人々にとっ

て,宗族文化の再構成は,自らを含めた村の観光

を促進させるためにとどまらず,村の経済発展に

力を発揮することによって,地域社会における自

らの優位性を回復しようとする意図をも併せ持っ

ている.それを達成するために,彼らが取った戦

略は,自らと歴史上の有名人との繋がりを,族譜

の整理と江西省にある始祖の村への訪問によって

検証し,宗族出身者による西逓村の建設の歴史を

再構成することであった.そして,それを外部の

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研究者や政府関係者,観光客に対して繰り返し発 信することであった.さらに,黄山市政府の地域 文化観光の推進と歩調を合わせながら,観光とい う文脈で積極的にナショナルな言説を借用するこ とであった.

 観光という文脈では,宗族の人たちが,宗族と しての自らの歴史を再確認し,計画経済から市場 経済への転換期において自らの文化のあり方をめ ぐって試行錯誤を繰り返した.観光振興に求めら れる「見せるための文化」の創出は,観光客のま なざしを意識しながら自分たちの暮らしを自ら見 つめ直して,再構成する過程にも結び付いたと考 えられる.

 1980 年代から建築家から注目され始め,西逓 の村落の景観や古民居,祠堂などが徽州建築の代 表例として語られ,また 2000 年になると世界文 化遺産に登録され世界的にも普遍的で重要な価値 を認められた.さらに,国家から中華民族の精神 的ふるさとの建設に寄与すると期待されるに至っ た.このような外部による価値付けは,宗族の人 たちを含む西逓の住民の誇りになることは言うま でもない.

 ここで注目して取り上げたいのは 1 人の江姓の 男性である.彼の先祖も宗族ではなく,西逓村に 住んでいたわけでもない.彼は,西逓村の由来,

発展の歴史,見所について,家宝を数えるように 手慣れている.西逓胡氏祭祀を「『老祖宗』から 受け継がれるもの」と見なしている.そして西逓 観光の文脈に登場する胡氏祖先祭祀には批判的で ある.彼が西逓胡氏宗族のことに詳しいという事 実について,あえて解釈を加えるならば,長年宗 族の伝統のある村に住み慣れて,自然に覚えたと 解釈できる.また,村の建築物を誇りに思うのは,

西逓の歴史建築物が世界文化遺産に登録されたた めだとも推察される.前述のように,祖先祭祀は,

血統を確認し人々のアイデンティティの拠り所と なる儀礼である.だが,西逓胡氏宗族ではない江 氏は,元々「胡氏宗族」に属する祭祀を,「自分」

が「自分」の祖先から受け継いだものと見なして いる(「祭祀は『老祖宗』から受け継がれるもの」).

さらにいえば,「村」の文化と見なしている.

 この事例から推察できるのは,西逓において,

「宗族」に属した文化が,宗族伝統のある「村」

の文化へと転換したことである.祭祀という文化 の主体は,村の一部でしかない「宗族の人」から

「村」全体へと広がったのである.

 だが,西逓では観光の中心的役割を担う宗族の 人々は,かならずしも観光発足当初から一貫して 自らを「徽州宗族の一員」と位置付け, 「徽州宗族」

と「名乗った」わけではない.このことは,1990 年代に宗族の人たちによって編纂されたガイド ブックの中に,概説部分を除いてほとんど「徽州」

という言葉が使用されていなかった事実からも窺 える.

 宗族の人たちにとって西逓という村落は,自分 たちの祖先が建設し我々子孫に残した遺産である ことに変わりはないのである.同時に西逓村の宗 族の人々は,地域によって再構成された篁墩移民 伝説とは別に,自らの歴史を中原地域で展開され た王朝の歴史と直接結び付け,徽州という地域に おける自らの独自性を主張してもいるのである.

(5) 第 5 章の概要

 本章では,中国観光を考察する上で国家的文化 政策の動向を十分に考慮する必要性を再確認した 上で,安徽省黄山市および西逓村の事例を総括し,

「名乗り」と「名づけ」による漢族の多様性の再 構成をめぐる議論を整理した.

3. 結論

 社会主義国家である中国では,改革開放政策が 取られるようになった今日でも,文化面において 中央政府が依然として強い影響力を持つことに変 わりはない.中国における観光と文化との関係に ついて考える際,文化の所有者に当たる地域住民 の自律性を過度に評価することはできないという ことになる.中国では 1990 年代初頭まで多数民 族である漢族の輪郭やその組成には,大きな関心 は向けられてこなかった.少数民族に焦点を当て た国家の文化的関心は 1990 年代半ばになると,

漢族の多様性にも目を向けるようになった.国家 の文化政策を考慮に入れ,漢族の多様性について 考察するのが本研究の基本的な視座である.

 そして,中国観光は,国家主導と地方政府の自

律発展という特徴を持つ.市場競争に直面する中

国の各地方政府は,自地域の発展のために積極的

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に文化観光の創出を進めている.グローバリゼー ションが村落社会まで浸透しその威力を発揮する 1990 年代以降,グローバル資本が投資先を選択 するにあたり,「文化」がますます重要な要素と なってきていることで,地域文化の再構成が地方 政府や地域住民の急務となった.

 このように,本研究では,国家による文化政策 と地方政府の発展政策の両方を考慮に入れ,その 中でローカルに生きる人々の実践について調査し 分析してきた. 

 内堀によると,「名乗り」という行為は,他者 との相互作為の中で他者に対して自己を違いとし て表現するだけでなく,同じ「名乗り」を用いる ものに向けて自己同一をくり返し確認し,そのこ とによって「名乗り」の基礎にある「名」をいっ そう物質的なものにみせる,すなわち擬似物質的 なものに構成する(内堀,1989:35).黄山市に おける地域文化の調査・研究は,徽州という「名」

のもとで,その実体化を企図するものだと理解で きる.そして,徽州宗族をめぐる篁墩移住伝説の 再構成は,地域の過去を想像し,過去と現在,さ らに未来を結び付ける作為である.このような時 間的・文化的持続性という神話の共有は,地域へ の帰属意識を最も強い形で強化することになる.

 ただし,注意しなければならないのは,「徽州 地域」はあくまでも中間的な範疇であって,その なかに複数の下位範疇を含み持っていることであ る.地域内部にある下位範疇の多様な存在は,そ の文化のあり方が地域と国家との関係性の中で変 わりうるし,機械的に操作しうるものである.地 域の歴史に基づいて,現在の自然環境と文化の総 合的な保護を目的とする文化生態保護区において も,必ずしもすべての文化事象・事物を対象とし たものではない.一括りに「徽州宗族」とされる 宗族の集団は,そのあり方の実像にはかなりの多 様性がある.徽州地域内の各下位レベルの社会の 脈絡の中で,観光における宗族の文化表象や観光 との関わり方に対しては微視的な視点から見つめ る必要性が確認できた.

 つまり,地域の「名乗り」と中央政府の「名づ け」の相互作用の中で徽州地域は生成していくが,

その「徽州」と呼ばれる地域内も決して一枚岩で はなく,村落ごとに多様性に富むものである.そ

の代表として取り上げられる西逓では,観光とい う文脈で再創造された祖先祭祀儀礼に関しても,

外部の研究者からは見世物にすぎないと批判され ているが,宗族の代表者が歴史的に行われていた 形式を改善し,正統的な手順にしたがって実施し たもので,決して真正性が欠如しているものでは ないと主張している.ここから,始祖の墓の修復 や宗族のつながりの回復,族譜の編纂などのよう な一連の活動があって初めて,観光という文脈で 祖先祭祀儀礼を実施することが可能になったと理 解するほうが妥当であろう.そして,無形文化遺 産として登録された「徽州祠祭」とは別に,宗族 始祖の墓で再開された祭祀およびそれを通して構 築された広域的な宗族のネットワークを自らのア イデンティティの拠り所にしようとすることが認 められた.この現象を解釈するにあたり,従来の 観光研究に展開されてきた「真正性」の議論が限 界を見せる.それは,国家や地域政府によって規 定されたカテゴリーを乗り越えようと試み,自分 の置かれた現代的な状況に対応しながら,自らの

「名乗り」の仕方を追い求める,生き生きとした 人々の姿が捨象されがちなためである.

 本研究は,中国という中央政府の文化政策がき わめて強い力を果たす国家における文化観光の状 況を具体的な切り口として,国民国家内部の多様 性の統合を図ろうとする国家と,地域の歴史と文 化を再構成しその独自性を主張する地域との,文 化の取り扱いをめぐって展開する関係のダイナミ クスを人類学的フィールドワークに基づいて実証 的に考察したものであり,そこに観光研究として の新たな意義もあると考える.■

【注】

1 ) 本論文で用いる資料は,下記の現地調査から得られた データを基にしている.予備調査と補足調査を含め,

計 7 回にわたって実施し,それぞれは第 1 回(2008 年 3 月 15〜 同 月 25 日 ), 第 2 回(2008 年 12 月 25 日〜

2009 年 1 月 5 日),第 3 回(2009 年 8 月 20 日〜9 月 10 日),第 4 回(2011 年 8 月 15 日〜9 月 13 日),第 5 回(2012 年 8 月 21 日〜9 月 17 日),第 6 回(2014 日 7 月 25 日〜

8 月 20 日),第 7 回(2015 年 7 月 21 日〜同月 25 日)

である.そのうち,第 4 回にあたる 2011 年に江西省婺 源県へ現地調査を行った.

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Tourism in the Han Region and the Reconstruction of the Clan’s Culture : The Macro and Micro Dynamics of Huizhou Culture

LI Gang The political implications of the development of tourism in China after the reform and opening-up has been widely acknowledged and examined. It is suggested that tourism, which is developing rapidly under the readership of the national government and the autonomy of the local government, has emerged as an effective vehicle for synthesizing the differences between the conservation of tradition and some socialist objectives. This research mainly focuses on minority ethnic group tourism, but the dynamics of the reconstruction of Han diversity in the context of tourism remains to be discussed further.

Meanwhile, under the framework which considers China an integrated nation with cultural diversity, the Han regions reconstructed their localities by emphasizing cultural uniqueness to distinguish themselves from each other. So-called cultural regionalism emerged in the 1990s, and took the form of the designation of the national eco-cultural preservation area. It was recognized by the nation government in 2007. Hence, to uncover the dynamics of the reconstruction of locality in the context of tourism in Han region, the view from the transition of the national policy and the view from the practices of the local government and the local people are simultaneously required. The Huizhou area, including Huangshan, Jixi, Anhui province and Wuyuan, Jiangxi Province, which developed economically through tourism in the 1980s and was designated one of the first two national eco-cultural preservation areas, is considered to be an appropriate area to achieve this purpose.

In this doctoral dissertation, an empirical examination is conducted based on seven rounds of anthropological fieldwork from 2008 to 2016. By focusing on the transition of the name of this area, it is revealed that the reconstruction of Huizhou was not only the result of efforts by the local government and the social-cultural elites, but is also promoted by the national government to maintain the integration of the nation while encouraging the diversity of the Han people. Under such circumstances, while the Xidi village’s culture is used as a resource to assert regional homogeneity and unity, it is also used as a symbol of its own identity by the members of the clan living in Xidi in order to distinguish themselves from other residents in the village and to other clans in this area.

Attention was paid to the process of mutual negotiation among the nation, region, and the clan over regional culture, and an attempt was made to consider the dynamic relationship between tourism and culture in China.

Keywords: cultural policy, diversity, Huizhou region, clan

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