追悼のことば
法学博士髙橋信隆教授は、二〇一六年四月一六日、逝去されました。翌月の五月には六四歳になられる直前のことでありました。先生は、同年二月以来ご病気の療養に努めておられましたが、春先には職場に復帰されるものと、皆がそうおもっていたところ、急にもたらされた先生の訃報に、私たち一同、言葉を失いました。あれから、春が巡り来ることはや三度、本来であれば、この三月、先生は定年で立教大学をご退職の予定でありました。大学人としての先生は、まさに立教大学法学部の研究と教育の証しそのものでありました。先生は、一九七五年三月、立教大学法学部をご卒業の後、大学院法学研究科に進まれ、立教大学法学博士第一号として、法学博士の学位を授与されました。その後、法学部助手、さらに熊本大学教育学部・同法学部でのご勤務を経て、一九九六年、法学部教授として母校にお戻りになりました。爾来二〇年、法学部並びに斯学の発展に寄与されるとともに、とりわけ二〇〇六年から二年間は、法学部長兼大学院法学研究科委員長の重職をお務めになりました。先生のご専門は行政法ですが、先生は、行政計画のご研究に始まり、その後、行政法理論のいわゆる各論的素材、すなわち「参照領域」
( R efe re nz ge bie t)
を環境法に求め、環境行政法の理論的分析に力を注がれました。そしてその成果は、二〇一二年に刊行された『環境行政法の構造と理論』( 信 山 社 )
において一つの結実をみることになります。先生は、学部長在任中、学内行政の業務のため、日常生活が研究から離れていくことに強い懸念を抱かれ、ご多忙な中、今までのご業績をまとめる作業を始められたのでした。その成果が、この四〇〇頁の大著であり、内容も、単に環境行政法の現象面を追うだけではなく、物事の根底にある「ものの見方・考え方」を愚直なま1
でに追求する、先生の学問に対する姿勢がそこには貫かれております。先生は、終始、学問の基本である「ものの見方・考え方」を大事にされましたが、そこには若き日の先生が接したであろう、一九七〇年代以降の行政法学の方法論をめぐる諸家の華々しい論争の影響をみてとることができます。また先生は、後輩である学生への教育にも並々ならぬ心血を注いでこられました。先生は、行政法のみならず、後には環境法の授業も担当されましたが、その成果が、二〇一四年の『行政法講義』(信山社)と二〇一二年初版の『環境法講義』(同)です。ことに『環境法講義』は、二〇一六年三月に第二版が刊行され、本来であれば、先生は、二〇一六年度春学期に同書を手に教壇に立たれる予定でありました。しかし、この新著は先生の病床に届けられたものの、それもかなわぬこととなってしまいました。また先生は、学生に向けた書籍の執筆をさらに計画しておられたとうかがっております。そして先生は、何よりも学生をこよなく愛されました。先生の学部ゼミナールには、毎年度多くの学生が集まりましたが、夏休みの合宿なども含め、その指導に大変な力を傾注されました。そして、ゼミの卒業生たちは、その後も、OB・OG会を組織し、毎年、先生を囲み、相集いました。さらに大学院においても、多くの学生が先生のもとで学び、先生の門下から行政法の研究者が輩出しております。先生は常日頃からご自分を殊更に顕示されることはなく、教授会でもむしろ私たちからの求めに応じ、あるいは周りから促される形ではじめて意見を述べられることもありました。しかしそのご発言は、常に深い見識と経験に基づくものでした。せめてご定年までの間、先生の「ものの見方・考え方」を私たちに示していただきたかったと、今も切に感じております。このように髙橋先生は、立教大学法学部の発展に多大の貢献をされました。私たちはここに、在りし日の先生のお姿を偲びつつ、このことに改め思いを致し、『立教法学』に追悼号を編集し、先生の御霊前に、感謝と追悼の誠
立教法学 第 99 号(2018)
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を込めて捧げることと致しました。本号は、もともと先生の退職記念号として準備に取りかかっていたものであり、このような形で先生に献呈することとなったことは、誠に痛恨の極みに存じますが、せめて先生が私どもの意をお受けくださるよう、ご霊前にお願いするとともに、一同、今後とも、立教大学法学部の発展にさらに努力していくことを、ここにお誓い申し上げる次第です。
二 〇 一 八 年 三 月
立 教 大 学 法 学 会
会 長
神橋一彦追悼のことば
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