ニ ク ソ ン
=
キ ッ シ ン ジ ャ ー 外 交 と 南 ア ジ ア
一九 六九
~七 一年
︱︱
﹁傾 斜政 策﹂ 再考
溝 口 聡
は じ め に 一 アメ リカ 南ア ジア 政策 の基 本方 針 二 ニク ソン 政権 の発 足と
﹁パ キス タン
・チ ャン ネル
﹂の 形成 三 イン ドへ の対 応 四 東パ キス タン 分離 独立 運動 の勃 発 五 ホワ イト ハウ スの 対応 への 批判 六 ガン ディ 首相 との 外交 交渉 の失 敗 七
﹁傾 斜政 策﹂ の採 択 八 米ソ 交渉 によ る印 パ戦 争の 終結 お わ り に は
じ め に 本稿 の目 的は
、リ チャ ード
・M
・ニ クソ ン︵ Ri ch ar dM .N ix on 政︶ 権の 南ア ジア 政策 を、 近年 公開 され たア メリ
カ側 の一 次史 料を 用い て再 考す るこ とで ある
。ニ クソ ン政 権と 南ア ジア 地域 に関 する 研究 の多 くは
、ア メリ カと パ キス タン との 二国 間関 係、 特に いわ ゆる
﹁傾 斜︵ Ti lt 政︶ 策﹂ に焦 点を 当て て
( )
きた
。﹁ 傾斜
﹂と は、
﹁ワ シン トン
・
ポス ト﹂ 紙に 寄稿 する 著名 なコ ラム ニス トの ジャ ック
・ア ンダ ーソ ン︵ Ja ck An de rs on
︶が
、一 九七 一年 一二 月三 日 のワ シン トン 特別 活動 グル ープ
︵W as hi ng to nS pe ci al Ac ti on sG ro up :W SA G︶ の会 合の 様相 を暴 露し たこ とで
、ニ ク ソン 政権 のパ キス タン 寄り の姿 勢を 示す 言葉 とし て一 気に 広ま
( )
った
。本 稿の 意義 は、 対パ キス タン 政策 の展 開を 対
"
イン ド政 策と 関連 付け なが ら考 慮す るこ とに より
、ニ クソ ンの 南ア ジア 政策 が、 従来 指摘 され てき たよ うな パキ ス タン への 一辺 倒で はな かっ たこ とを 明ら かに する こと にあ る。 対イ ンド 政策 に焦 点を 当て て、 ニク ソン 政権 の南 アジ ア政 策を 解明 しよ うと する 研究 は少
( )
ない
。な ぜな ら、 従来
#
の研 究は
、一 般的 に、 パキ スタ ン政 策と 対中 政策 の連 関を 強調 し、 ニク ソン 政権 の南 アジ ア政 策は
、パ キス タン の 米中 接近 の交 渉窓 口﹁ パキ スタ ン・ チャ ンネ ル﹂ を維 持す るた め、 米パ 関係 を中 心に 展開 した と捉 えて いる から で ある
。確 かに ニク ソン
=キ ッシ ンジ ャー 外交 の優 先課 題は
、南 アジ ア地 域紛 争よ りも 中国 を取 り込 んだ 三角 外交 に よる 対ソ 牽制 とイ ンド シナ 和平 の進 展で あっ た。 ニク ソン 政権 に批 判的 な先 行研 究は
、同 政権 の南 アジ ア政 策が パ キス タン の重 要性 に拘 った ため
、東 パキ スタ ン領 内の 人権 抑圧 に対 応で きず
、印 ソの 接近 に無 為無 策で あっ たと 指 摘
( )
する
。も ちろ ん、 ニク ソン 政権 の対 イン ド政 策は 存在
( )
した
。し かし
、既 存の 研究 は、 ニク ソン 政権 が米 中ソ の大
$
%
国間 外交 の枠 組み の中 で、 イン ド政 府に 一定 の配 慮を した こと には 注視 せず
、ニ クソ ン大 統領 とイ ンデ ィラ
・ガ ン ディ
︵I nd ir aG an dh i︶ 首相 との 軋轢 を挙 げて
、ニ クソ ン政 権を 反印 的と 論じ て
( )
きた
。最 近で は、 ニク ソン 政権 が印
'
パ両 国と の良 好な 外交 関係 を模 索し
、イ ンド への 経済 援助 に取 り組 んだ こと を指 摘す る研 究も みら れる よう にな
( )
った
。だ が、 ニク ソン 政権 期の 印パ 外交 の相 関関 係は
、十 分に 解明 され てい ない
。ニ クソ ン政 権に よる 印パ 両国 と の (
バラ ンス を図 る外 交の 究明 は、 同政 権の 南ア ジア 政策 はパ キス タン を優 遇し たと いう 通説 とは 異な る見 方を 提示
し、
﹁傾 斜政 策﹂ が戦 争の 拡大 を望 まな いア メリ カに とっ て、 イン ドへ の牽 制に 過ぎ なか った こと を明 確に する で あろ う。 本稿 では まず
、ニ クソ ン政 権当 初の 南ア ジア 政策 とア メリ カ冷 戦期 の南 アジ ア政 策目 標で あっ た印 パ両 国と の安 定し た外 交関 係の 模索 の継 続性 を指 摘す る。 次い でニ クソ ン政 権発 足当 時の 米パ 関係 と﹁ パキ スタ ン・ チャ ンネ ル﹂ の形 成過 程と 武器 禁輸 措置 をめ ぐる 外交 交渉 を考 察し
、ニ クソ ン政 権の 南ア ジア 政策 が東 パキ スタ ンの 分離 独 立運 動と 第三 次印 パ戦 争勃 発を 受け
、﹁ 傾斜 政策
﹂に 至る 外交 過程 を論 じる
。最 後に ニク ソン 政権 の﹁ 傾斜 政策
﹂ を総 括し
、そ の問 題点 を指 摘す る。 一 アメ リカ 南ア ジア 政策 の基 本方 針 一九 四七 年、 ハリ ー・ S・ トル ーマ ン︵ Ha rr yS .T ru ma n︶ 政権 は、
﹁ト ルー マン
・ド クト リン
﹂、
﹁マ ーシ ャル
・ プラ ン﹂ を発 表し
、ソ 連と の対 決姿 勢を 明ら かに した
。そ の頃
、イ ギリ ス植 民地 から 独立 した 新興 国、 イン ドと パ キス タン は米 ソ冷 戦の
﹁周 辺﹂ に位 置し てい た。 トル ーマ ン政 権の 高官 達は
、南 アジ ア地 域を 西ヨ ーロ ッパ や極 東 地域 に比 べて
、重 要地 域と は認 識し なか った から であ る。 その ため
、南 アジ ア地 域へ の援 助は 限ら れた もの とな っ た。 国務
・陸 軍・ 海軍
・空 軍四 省調 整委 員会
︵S ta te -A rm y- Na vy -A ir Fo rc eC oo rd in at in gC om mi tt ee :S AN AC C︶ が作 成し たS AN AC C三 六〇
/一 四﹁ 南ア ジア にお ける アメ リカ の国 益の 評価
﹂︵ 四九 年九 月︶ は南 アジ ア政 策の 骨子 とし て、 南ア ジア 諸国 を西 側に 引き 付け るこ と、 共産 主義 の台 頭を 防ぐ ため に政 治的 安定 と経 済成 長を 促進 する こ と、 地域 内の 協力 関係 を促 進す るこ とを 主張 し、 これ らの 目標 を達 成す るた めに
、ア メリ カの 軍事 経済 援助 の必 要 性を 指摘 した に過 ぎな かっ た。 SA NA CC が限 定的 なが らも 援助 を検 討し たも う一 つの 理由 には
、南 アジ アが ソ 連と 中東 に隣 接す ると いう 地政 学的 要因 もあ った
。こ の報 告書 は、 アメ リカ 空軍 基地 とし て、 パキ スタ ンの カラ ー
チー
・ラ ーホ ール 地方 の﹁ 利便 性﹂ を指 摘
( )
した
。
0
しか し、 アメ リカ が期 待し た南 アジ ア地 域の 政治 的経 済的 安定 は、 イン ドと パキ スタ ンの 確執 が続 く限 り定 まら なか った
。国 際連 合で は一 九四 八年 から 四九 年に かけ て、 カシ ュミ ール 紛争 の和 平調 停が 続い てい たも のの
、イ ン ドは カシ ュミ ール 問題 を討 議す るこ とに 難色 を示 し、 国連 での 交渉 は難 航し た。 そこ で、 トル ーマ ン大 統領 は、 一 九四 九年 一〇 月の ジャ ワハ ルラ ール
・ネ ルー
︵J aw ah ar la lN eh ru 首︶ 相訪 米時 に、 印パ 最大 の係 争問 題で ある カシ ュミ ール 問題 を政 治交 渉で 解決 する こと を試 みた ので ある
。ア メリ カ側 はネ ルー 首相 に対 して 国連 決議 案に 従い
、 カシ ュミ ール 地方 の住 民投 票で 帰属 を決 める 案へ の賛 同を 求め た。 アメ リカ の提 案は
、ネ ルー 首相 の容 れる もの では なか った
。ネ ルー はカ シュ ミー ル地 方の 帰属 を﹁ 宗教 的な 信 条﹂
、す なわ ちカ シュ ミー ルの 住民 の多 数が
、ム スリ ムで ある とい う理 由か ら、 パキ スタ ンに 属す ると は認 めら れ ない との 見解 を示 し、 国連 決議 案を 退け た。 ネル ーは また 反共 政策 での 協力 を求 める トル ーマ ンに 対し て、 共産 主 義へ の対 応よ りも
﹁植 民地 主義 とい う障 害﹂ の除 去こ そが
、ア ジア 地域 発展 の前 提で ある と主 張し た。 ネル ーの 発 言の 背景 には
、ア メリ カの 南ア ジア 地域 での 影響 力拡 大を 牽制 する とい うね らい があ った
。イ ンド 側は 国内 経済 発 展の ため にア メリ カ側 の経 済援 助を 必要 とす る一 方で
、援 助と 引き 換え に大 国主 導の 国際 紛争 に巻 き込 まれ るこ と を危 惧し たの で
( )
ある
。
2
トル ーマ ン政 権は
、域 内各 国を 西側 志向 にす ると いう 政策 目標 から
、印 パ双 方へ の経 済援 助を 行っ てい た。 アメ リカ は、 特に 南ア ジア 地域 最大 の民 主主 義国 であ るイ ンド に傾 いて いた
。そ れだ けに イン ドの 非協 力的 な姿 勢は
、 南ア ジア 地域 にお ける イン ドの 重要 性を 見直 す機 会を 与え るこ とに なっ た。 トル ーマ ン政 権は 対外 援助 の見 返り が 得ら れな いイ ンド に対 し、 五億 ドル の援 助計 画を 白紙 に戻 した ので ある
。 パキ スタ ンは
、ま さに イン ドの 代案 とし て注 目度 を増 して いっ た。 一九 四七 年八 月に 独立 した パキ スタ ンは
、面
積で はイ ギリ ス領 イン ドの 約四 分の 一、 人口 では 約五 分の 一に あた る北 西部 と東 ベン ガル のム スリ ム多 住地 域が イ ンド から 分離 した 飛び 地国 家で あっ た。 パキ スタ ンは また イン ドに 比べ て経 済的 に遅 れて おり
、産 業に おい ては 農 業の 比率 が圧 倒的 に高 かっ た。 イン ドの 与党 であ った イン ド国 民会 議派 の中 には
、パ キス タン は独 立国 家と して の 形態 を維 持で きず
、近 い将 来印 パの 再統 一が 行わ れる と考 えて いる 者も 多か った
。そ のた め、 パキ スタ ンは イン ド から の脅 威を 退け るた めの 他国 から の援 助取 り付 けに 奔走 し、 アメ リカ への 接近 をは かっ たの であ る。 アメ リカ 側 は、 パキ スタ ンの ソ連
・中 国と の近 接地 域と いう 点に 加え て、 ペル シャ 湾の 石油 資源 を、 側面 から 防衛 でき ると い う二 つの 地政 学的 要因 を評 価し てい た。 国務 省近 東・ 南ア ジア
・ア フリ カ局 は、 パキ スタ ン政 府に 西側 志向 の政 策 を維 持さ せる には
、パ キス タン への 軍事 援助 を増 額す る必 要が ある と報 告し た。 だが
、デ ィー ン・ アチ ソン
︵D ea nA ch es on を︶ はじ め国 務省 の高 官の 多く は、 米印 関係 の不 和を 増大 させ るよ りも カシ ュミ ール 紛争 解決 を促 し、 南ア ジア 地域 を安 定化 する 方が 優先 事項 であ ると 判断 し、 パキ スタ ンへ の本 格的 な軍 事援 助を 実施 しな かっ た ので
( )
ある
。
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カシ ュミ ール 問題 で膠 着化 した 南ア ジア 政策 は、 朝鮮 戦争 の勃 発を 契機 に進 展し た。 アメ リカ はこ の戦 争以 後、 共産 主義 勢力 は西 側の 防衛 線の 弱い いか なる 場所 にも 付け 入る とみ るよ うに なっ た。 一九 五三 年に 発足 した ドワ イ ト・ D・ アイ ゼン ハワ ー︵ Dw ig ht D. Ei se nh ow er 政︶ 権は 対抗 措置 とし て、 地域 的な 集団 的安 全保 障体 制の 構築 を 模索 し、 パキ スタ ンと の関 係強 化に 関心 を寄 せた
。た だし
、パ キス タン への 期待 は、 南ア ジア 地域 では なく 中東 の 防衛 に向 いて いた
。と いう のも
、南 アジ ア地 域に は共 産主 義の 台頭 への 懸念 がほ とん どな かっ たか らで ある
。国 連 では カシ ュミ ール 和平 調停 が続 いて いた もの の、 ソ連 が介 入す る兆 しは なか った
。つ まり
、ア イゼ ンハ ワー 政権 は、 パキ スタ ンと の軍 事提 携を 南ア ジア 地域 内の 共産 主義 勢力 から の防 衛で はな く、 ソ連 との 世界 規模 の戦 争が 勃 発し た際 の中 東防 衛の 責任 分担 とい う観 点か ら導 き出 した ので
( )
ある
。
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