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イスラエルの水政策とリタニ川導水計画再考

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(1)

著者 清水 洋子

雑誌名 社会環境研究

巻 11

ページ 271‑281

発行年 2006‑03‑15

URL http://hdl.handle.net/2297/7003

(2)

社 会 環 境 研 究 第

1 1

2 0 0 6 . 3 

イスラエルの水政策とリタニ川導水計画再考

A b s t r a c t  

国際社会環境学専攻

清 水 洋 子

R e c o n s i d e r i n g  o f  t h e  L i t a n i  R i v e r  D i v e r s i o n  P l a n   i n  t h e  F u t u r e  Water P o l i c y  o f  I s r a e l  

SHIMIZU Yoko 

The p u r p o s e  o f  t h i s  p a p e r  i s   t o   a n a l y z e  a n d  r e c o n s i d e r  t h e  L i t a n i  R i v e r  D i v e r s i o n  P l a n  i n  t h e   f u t u r e  Water P o l i c y  o f  I s r a e l .  

I n   1 9 4 4  ,  t h e  World J e w i s h  O r g a n i z a t i o n  i n f o r m e d  t h e  L i t a n i  R i v e r  D i v e r s i o n  P l a n  o f  t h e  Lewder  M i l k  P l a n ,  a  p l a n  t o  r e c o v e r  t h e  w a t e r  q u a n t i t y  o f  t h e  J o r d a n  R i v e r .  H o w e v e r ,  t h e s e  i d e a s  a l o n g   w i t h  t h e  C o t t o n  P l a n  were n o t  s u c c e s s f u l l y  n e g o t i a t e d  among t h e  A r a b  c o u n t r i e s .  

T h i s  p a p e r  a n a l y z e s  t h e s e  p l a n s  a n d  t h e n  shows t h e  e f f e c t  o f  t h e  p o l i t i c a l  c h a n g e s  f r o m   1 9 6 8   t o   t h e  y e a r   2 0 0 0   b e t w e e n  I s r a e l  a n d  L e b a n o n .  

Now i n  t h e   2 1 s t   C e n t u r y ,  t h e r e  i s   t h e  c h r o n i c  w a t e r  p r o b l e m  o f  o v e r ‑ p u m p i n g  f r o m  t h e  J o r d a n   R i v e r ,  c a u s i n g  t h e  q u a l i t y  o f  t h e  w a t e r  t o  become b r a c k i s h  o r  s a l i n i t y .  The c o u n t r i e s  o f  t h e  J  o r ‑ d a n  R i v e r  B a s i n  a r e  c o n t i n u a l l y  a s k i n g  f o r  a  s o l u t i o n  f r o m  d e s a l i n a t i o n  t e c h n o l o g y .  

F o r  t h i s  r e a s o n ,  I  am e x a m i n i n g  t h e  p o s s i b i l i t y  t h a t  t h e  f u t u r e  Water P o l i c y  o f  I s r a e l  would r e ‑ c o n s i d e r  t h e  L i t a n i  R i v e r  D i v e r s i o n  P l a n  w i t h  i n t e r n a t i o n a l  e c o n o m i c  c o o p e r a t i o n .  

Key Words 

L i t a n i  R i v e r ,  D i v e r s i o n ,  D e s a l i n a t i o n  

271 

はじめに

イスラエルの水源として最も重要な河川はヨル ダン川であるが,ヨルダン川が流域各国に水を供 給しながらもその水量を確保するためには,隣接 する河川や湧泉からヨルダン川に導水することが 必要である。しかしながら,導水をめぐる政府間 交渉は,領上問題や交渉相手国の国内の水事情と 複雑に絡み合い,容易に決着をみない。

較的良好であった。また,

1 9 6 7

年までイスラエル とレバノンの政治的関係は悪くはなかった。しか し,両国間の交渉は現在まで失敗に終わってきた。

その経過をたどるとともに,リタニ川転流計画を 検討することの意義は依然として薄れてはいない

ことを論じる。

この論文ではイスラエルとレバノンによるリタ 二川の転流構想に焦点を当てる。最近まで,レバ ノンはイスラエル固辺諸国のなかでも水事情は比

レバノンはイスラエルの約半分にあたる

1 0 , 4 0 0

k而の国士面積であるが,レバノン山脈から流れ出 す

1 2

本の国内主要河川と

3

本の国際河川を持ち,

中東地域においては比較的水資源に恵まれた国で ある。レバノンの国内河川であるリタニ川は,全 長

1 7 0 k m

であるにもかかわらず,国内の最長河川

(3)

である。レバノン山脈の麓バールベック高原に水 源を持ち,そこから南下し,南レバノンでベカー 高原を潤し,大きく方向を変え,高原を横断して 地中海に至る。リタニ川からイスラエルヘの直接 流入はない。しかし,リタニ川とほぼ平行してベ カー高原を流れ下るハスバニ川は,レバノン東部 のアンチレバノン山脈内のワッザニ湧泉やハック ビエハ湧泉などの幾つかの湧泉を水源として,南 へ18km流れ,イスラエル領内でヘルモン山系の湧 泉に水源を持つダン川,同じくヘルモン山の湧泉 に水源を持ちゴラン高原を流れるバニャス川とフ ラー渓谷で合流し,ガリラヤ湖へ流れ込み,ヨル ダン川となる国際河川である。ハスバニ川はワッ ザニ湧泉から流れ込む年間

3 0

百 万 立 方 メ ー ト ル (million  cubic  meters)  (以下MCMと表記)を含 み,年間168MCMがヨルダン川に流れ込む。そ して,そのうちイスラエル領内に流れ込むのは138 MCMである。ただしこれは年間の数値であって,

乾季に限ってみると,ヨルダン川の水源はワッザ 二湧泉に大きく依存する叫

リタニ川がイスラエルの水政策にはじめて登場 したのは

1 9 1 7

年のことであった2)。それは,ユダ ヤ機関(イスラエル建国前のユダヤ人代表組織)

がイギリスに対して,イギリス統治下のパレスチ ナの北部国境をリタニ川に設定するように要望し たときのことであった3)。しかし,リタニ川は

1 9 2 0

年にフランス統治下のレバノンに組み込まれた4)

ユダヤ機関はその後もローダーミルクプラン

( 1 9 4 4

年),コットンプラン

( 1 9 5 4

年)と,リタニ 川をヨルダン川へ導水する計画を発表した。しか し,それらはいずれも失敗した。その後も,国連 やアメリカ合衆国などの仲介者も交えて,イスラ エルと周辺アラブ諸国との間で,リタニ川を含む 包括的な水交渉がもたれたのだが,それも不調に 終わった。そのいきさつは本文で詳しく触れる。

また,その一部については,かつて筆者も別の論 文で論じたことがある5)

以下,イスラエルとレバノンの政治外交関係を 整理し,かつてレバノンとイスラエルによるリタ 二川導水計画がどのようにして発案され,どのよ

うにして立ち消えていったのか,さらに,政治的 軋礫のために困難になったリタニ川導水計画が将 来において再考されるとすれば,そこにはどのよ

うな可能性が見出されるのかを考察したい。

1

節 リタニ川導水計画の失敗

ユダヤ機関は

1 9 4 4

年に,アメリカの援助のもと でリタニ川をヨルダン川に導水する計画を発表し た。それは発案者であるアメリカの国土天然資源 サービス社取締役の名にちなんで,ローダーミル クプランと名付けられた6)

同計画の骨子は次の通りである。リタニ川とハ スバニ川をトンネルで結び,水量豊富なリタニ川 の水をヨルダン川上流のハスバニ川へ導水する。

それによって水量の増したガリラヤ湖から水路を 通じてハイファやテルアビブなどの地中海沿岸都 市近郊に水を供給しながら,最終的にはネゲブ砂 漠までヨルダン川の水を導水する。その途中で,

アメリカのテネシーバレー・オーソリティーに倣 い,ヨルダンバレー・オーソリティーを設立し,

ヨルダンバレーを灌漑しつつ,電力発電も同時に 行う。さらに,計画には,ヨルダン川からの流人 量の減少が懸念される死海には,地中海から水路 により海抜下にある死海へ海水を導人するととも に,海抜下

400m

にある死海までの落差を利用し '  た水力発電を行うことも含まれていた。

アメリカのユダヤ系企業である)レーテンベルグ 社は,ローダーミルクプランの発表と同年にレバ ノンとリタニ川共同開発の検討に入った。それは リタニ川をハスバニ川へ分流する見返りとして,

ヘルモン山とヨルダン川上流のヨルダンバレーと の落差を利用して水力発電を行い,そこからレバ ノンヘ電力供給するというものであった7)。この ときは,このような地域間の経済協定を通して,

地表水の融通と地域開発が推進されることになっ ていくかに見えた。

しかし,

1 9 4 8

年にイスラエル建国と同時に独立 戦争(第一次中東戦争)が勃発した。そして,そ の停戦にあたって,軍事停戦ライン(グリーンラ

(4)

イン)が設定され,同地域に大規模な領土の変動

(ゴラン高原はシリアに帰属し,ヨルダン川西岸 はヨルダン占領下,シナイ半島とガザはエジプト 占領下にそれぞれおかれた)が起こり,その余波 でローダーミルクプランは凍結された。

ローダーミルクプランは頓挫したが,それはコ ットンプランに引き継がれた。イスラエルの水政 策アドバイザーであったアメリカ人ジョン・コッ

トンは

1 9 5 4

年,リタニ川の水をハスバニ川へ導水 することを再び提案し,イスラエルは同計画をコ ットンプランとして発表した。コットンプランに おけるリタニ川導水後のイスラエルの分配水量は,

地下水の汲み上げ量も加算されて

1,290MCM

と試 算された。しかし,周辺アラブ諸国の反発にあっ たために,実現にはいたらなかった8)

その後,ヨルダン川の水分配交渉は国連やアメ リカ合衆国などの仲介者も交えて行われた。

1 9 5 5

年のジョンソンプランはそうした形態にもとづく 交渉の成果であった。そこでは,灌漑可能な土地 の領有面積に基づいて水の配分量を決めることが 提案された9)。そこで,イスラエルはリタニ川導 水を棚上げし,レバノン,シリア,ヨルダンはイ スラエルがガリラヤ湖を貯水池として,ヨルダン 川の水をネゲブ砂漠まで導水することを容認する などの譲歩をたがいに行った。しかし,最終的に は,双方ともに水配分量の割り増しを求め,不調 に終わった。イスラエルにすれば,コットンプラ ン で 試 算 さ れ た 同 国 へ の 年 間 配 分 量

1,290MCM

(リタニ川を含む)とジョンソンプランで提示さ れた

400MCM

(リタニ川を含まない)とでは,あ まりにも乖離が大きかっだ゜)。たしかに,リタニ 川の流鼠は,年ごと,季節ごとに大きな差異があ るので,試算そのものが困難であるという事情が あった叫しかしその差異を考慮しても,イスラ エルの提示したコットンプランに対してジョンソ ンプランで提示された水最は

3

分の

1

以下であり,

イスラエルにとってリタニ川導水計画を含まない ジョンソンプランは受け人れがたい水量であった。

このジョンソンプランの失敗をもって,イスラ エルとレバノンを含む周辺アラブ諸国との交渉は

長期間にわたって中断されることとなった。それ 以降,各国は独自の水政策を断行するようになっ た。イスラエルは独断でガリラヤ湖を貯水池とし,

そこから南のネゲブ砂漠まで水路あるいはパイプ による国営水輸送網を敷設するにいたった。

2

節 レバノンの国内事情と 対イスラエル外交関係

以上の経過をたどってみても,水交渉は当事者 間の和平とセットで進められなければならないこ

とが分かる。しかし,イスラエルとレバノンの場 合,その障害は比較的小さいと考えられていた。

なぜなら,イスラエル建国以前,レバノンとイギ リス統治下のパレスチナは,ヨーロッパ諸国によ ってアラブ諸国の中に据えられた貿易拠点として の機能も備えていたからである。そのため,イス ラエルはアメリカ,あるいは統治国であったイギ リス,レバノンはアメリカ,統治国であったフラ ンスといった欧米諸国から経済援助を受けており,

周辺のアラブ国家とは異なった事情を抱えていた。

このことから,ユダヤ機関はローダーミルクプラ ンをめぐって,レバノンとイギリス統治下パレス チナ間で比較的順調に交渉が進められるという見 通しをもっていたのである12)。事実,イスラエル にとっては,レバノンは周辺国の中でも摩擦の少 ない例外的な存在であった。

しかし,レバノンの宗教別,宗派別の人口構成 をみると,キリスト教マロン派住民が多数派であ ったものの,イスラーム教スンナ派とシーア派住 民も存在するために西欧諸国との政治経済関係を 良好に保ちつつ,アラブ諸国との関係をも良好に 保たなければならないという外交方針があった。

そのような複雑な国内事情があったため,レバノ ンはイスラエル建国に際して,欧米の経済的支援 を受けていたことを重視して,独立戦争にはアラ ブ諸国と同調して参戦しなかった。そして,この ときのイスラエル独立戦争のあおりで,ローダー ミルクプランは頓挫したのである13)

このことを踏まえて,以下,

1 9 4 4

年のレバノン

(5)

建国(フランスから独立)以後の同国の政治情勢 と対イスラエル関係を概観してみよう。

建国当時のレバノンは独立を支持したヨーロッ パ諸国との連帯を菫視し,

1 3 2

万人の住民の多数 を占めるキリスト教マロン派から大統領が選出さ れ,アラブ諸国との宗教的連帯を重視するイスラ ーム教スンナ派からは首相,シーア派からは国民 議会議長が選出されるという均衡に努めた14)。そ の他にも, ドルーズ教,キリスト教のなかのギリ シャ正教,ギリシャ・カトリック,アルメニア正 教,アルメニア・カトリックなどの国内少数派が いた。立法府の議席は,各宗教の人口比率にもと づいて割り当てられていた。

1 9 4 8

年のイスラエルの独立戦争のときに,レバ ノンには推定ではあるが

1 2

7 , 0 0 0

人のパレスチ ナ難民が流人してきた15)。そこで,南部レバノン をはじめ,国内数箇所にパレスチナ難民キャンプ が設置されだ6)。その影響が大きく作用して,

1 9 5 0

年 に は レ バ ノ ン の 総 人 口 は 約

1 4 4

万 人 に 増 加 し

7)。しかし,その後の国内経済は

1 9 5 2

年に開始 されたアメリカの援助増額を受け,比較的安定し ていた。

こうした状況のなかで,コットンプランやジョ ンソンプランをめぐって交渉が行われたのである。

しかし,政治的にイスラエルとアラブ周辺諸国と の板挟みにあったレバノンは,積極的にイスラエ ルとの話し合いに応じることはなかっだ8)

しかも,このときレバノンはリタニ川の水の

80%

を使用する農業開発計画をアメリカとともに 検討していた。すなわち,

1 9 5 4

8

月,レバノン 政府はアメリカのテネシーバレー・オーソリティ ーの灌漑事業に倣い,リタニリバー・オーソリテ ィーを設立した。そして

1 9 6 1

年に,同機関はリタ 二流域の灌漑と同地域への水・電力の供給を目的 とした開発に着手しだ9)。その計画の中には,カ ラオウン近辺のダム建設やリタニ川下流で北に隣 接するアワリ川へのリタニ川からの導水計画が含 まれていた。ただし,当時レバノンの水事情が逼 迫していたわけではない。同国の水消費量は

1 9 6 6

年で年間

494MCM

であり,それは年間流量が

7 0 0

MCM

の リ タ ニ 川 の み で 十 分 に 賄 え る 量 で あ っ た20)

このように,レバノンはイスラエルとは無関係 に自国の国内河川であり

100%

の水を自国内で使 用できる河川として,リタニ川の開発計画を実行 した。しかし,イスラエルにとっては,同河川は 自国とレバノンの経済協力の可能性を象徴する存 在であった。それがジョンソンプラン以後,リタ 二川はしだいに政治的対立の象徴へと変わってい ったのである。以下,そのことを論じる。

1 9 6 7

年に勃発した六日戦争(第三次中東戦争)

の後,パレスチナ難民がそれまで以上の規模でレ バノンに流人してきた21)。そうしたなかにあって,

国内のイスラーム勢力の要請により,

1 9 6 8

年,レ バノン政府はパレスチナゲリラが南レバノンから イスラエルを攻撃するために国内を通過すること を黙認した。そのため,シリアから入国するパレ スチナ武装勢力の数が増え,レバノンからの北イ スラエル各都市へのミサイル攻撃は激化していっ た。

このことがそれまで良好であったイスラエルと レバノンの関係を悪化させることとなった。イス ラエルはレバノン政府に抗議したが,レバノン政 府がイスラエルの要求に対する回答を遅らせたた めに,イスラエルは

1 9 6 8

1 2

月にベイルート空港 を急襲し,旅客機

1 3

機を爆破した。この爆撃のた めに,レバノンのヤフィ内閣は辞任に追い込まれ た。

一方,ヨルダン川方面では,

1 9 6 8

年 に な っ て PLOによるヨルダン川東岸からの対イスラエル のゲリラ攻撃が激しさを増した。それを制圧でき なかったイスラエルはヨルダン政府に圧力をかけ るため,翌年にヨルダン川東岸に建設中であった 東ゴール灌漑水路に空爆を加えて,それを破壊し た。イスラエルからのこのような圧力にさらされ たヨルダン政府は,

1 9 7 0

年から

1 9 7 1

年 に か け て PLOを国外追放の処分に付した(黒い

9

月事件)22) 

この事件は六日戦争においても攻撃対象からはず された国の水政策の拠点が,政治的軍事的目的の ために攻撃された最初の事例としてあげられる23)

(6)

PLOは 本 部 を レ バ ノ ン の 首 都 ベ イ ル ー ト に 移 した。しかし,南レバノンからのパレスチナ武装 勢力の攻撃に対してイスラエルが越境して攻撃を 繰り返したという経験から,レバノン政府はイス ラエルがベイルートのPLO本部に攻撃を加える ことを懸念した。直接イスラエルと対峙すること を避けたいレバノン政府は,国内のイスラーム勢 カの抑止もかねて,南部アルクブ地域にPLOの 拠点を移し,同地域を中心にパレスチナ難民の居 住区を設定することとした。同地域はPLOの最 大派閥の名前をとり,「ファタハ・ランド」と呼 ばれるようになった。その後,パレスチナ難民が 同地域に大量に流人するようになり,ファタハ・

ランドの人口は

4 0

万から

5 0

万人に膨れ上がった。

それはレバノン国内の政治的力関係にも変化を与 え始めた。すなわち,キリスト教マロン派勢力が こうした状況に異を唱え, PLOを支援したイス ラーム勢力の間で対立を激化させたのである。そ うしたなかで, PLO自 身 は 武 装 闘 争 集 団 へ と 変 質し,ソ連やエジプトに替わってシリアに経済的 に依存するようになった。そして,こうした武装 組織を背後に持つレバノンのイスラーム住民の政 治的発言力は増していった。

ファタハ・ランドからの攻撃が激化したことに 対して,イスラエルは

1 9 7 3

4

月,ベイルートに 特殊部隊を送り込み,ファタハ幹部を暗殺した。

この事件がPLOの基地をレバノン国内に設樅す ることを許可したレバノン政府に対する不満をあ おり,

2 5

万人の反政府デモが起きた。レバノンの 世 論 はPLO支 持 と 不 支 持 と に 二 分 さ れ た 。 一 方,

1 9 7 4

年,イスラエルが南レバノンを攻撃した 際,シーア派レバノン人の居住地区が巻き添えに なり,彼らはパレスチナ人キャンプ周辺に移住し ていった。このことをきっかけに,シリアは同じ イスラーム教シーア派を支援することを理由に,

南レバノン介入の機会をうかがうようになった。

1 9 7 5

年PLOを支援するイスラーム教徒とPLO の退去を求めたマロン派キリスト教徒の間で対立 が激化し,ついにレバノン内戦が勃発した。大シ リア建国を目指してレバノン統治の時機をうかが

っていたシリアは

1 9 7 6

1 0

月,軍隊を送り込んだ。

国際世論の大批判を浴びたシリアは,サウジアラ ビアの停戦調停を受けたものの,スーダン,サウ ジアラビア,アラブ首長国連邦とともにアラブ平 和維持軍を結成してレバノンに居座った。

1 1

月に 内戦が終結してもシリアはそのまま軍隊を残し,

レバノンに親シリアのサルキス大統領を選出させた。

その間もPLOのファタハ・ランドからのイス ラエル攻撃はやまず,イスラエルは

1 9 7 8

3

月に 南レバノンに侵攻を開始した。この作戦は「リタ 二作戦」と名づけられた。この作戦の名前どおり,

PLOはリタニ川右岸まで押しやられ,イスラエ ルはリタニ川左岸までの南レバノンを掌握した叫

このときイスラエルは南レバノンでレバノン政 府の意向に反してPLOと対峙していたキリスト 教マロン派のサード・ハダト少佐に協力を要請し た。この部隊は自由レバノン軍と呼ばれた。後の SLA (南レバノン軍)である。 SLAは レ バ ノ ン 政府からの分離独立を宣言し,南レバノンは別名

「ハダト・ランド」とも呼ばれるようになった。

しかし,国連はイスラエルに撤退を求め, UNIFIL

(国連レバノン暫定隊)を創設した。他方, SLA は同年

6

月にイスラエルが撤退した後も PLOに 攻撃を続けた。これに対抗して,同地域のシーア 派住民は,シリアに援助を仰ぎ,レジスタンス組 織のアル・アマルを設置した。

1 9 8 2

年のレバノン戦争の当初の目的は,南レバ ノンから攻撃を仕掛ける PLOを追放し,イスラ エル北部国境の安全を確保することと,レバノン へのシリアの影響力を排除することにあった。北 部国境はイスラエルの水源が存在する重要な地点 であり,そこにPLOがミサイルを撃ち込むこと はイスラエルの危機感を煽り,軍事行動へ向かわ せるには十分な要因となった。同年,イスラエル 軍はベイルートまで侵攻した。そのため, PLO は本拠地をチュニスヘ移転することになった。

1 9 9 0

年代初頭の冷戦の終結は中東にも和平の機 運をもたらした。しかし,イスラエルとレバノン の間では,南レバノンのヒズボラ(パレスチナ武 装集団)やアル・アマルといったシリアから援助

(7)

を受けていたパレスチナ武装勢力が和平に反対し,

南レバノンからイスラエルにミサイル攻撃を加え た。その報復として,イスラエルが展開したのが 1996年の「怒りの葡萄作戦」である。その目的は ヒズボラ甚地への攻撃であったが,国連機関へ逃 げ込んだ民間人を巻き添えにしたこともあって,

国際社会から激しい非難を浴びた。しかし,それ にもかかわらず,イスラエルは南レバノンを安全 保障地帯と位置づけ, 2000年に撤退を敢行するま で占領を続けた。

また,中東和平も停滞した。それは, 2000年に イスラエルのアリエル・シャロン首相がイスラー ム教の聖地であるアルアクサ寺院を訪問したこと が引き金となり,アルアクサ・インティファーダ が勃発したからである。

3

節 イスラエルの脱塩化水の導入

さて,イスラエルとレバノン両国間の関係がこ のようにこじれていくなかで,ローダーミルクプ ランやコットンプランのなかで提唱されたリタニ 川のハスバニ川への転流計画は,すっかり忘れ去 られてしまった。ジョンソンプランをめぐる交渉 にあたっては,アラブ諸国がこの転流計画に反対 し,レバノンはそのようなアラブ勢力のなかに取 り込まれていった。六日戦争後は,さらに紛争が 続くなかで,リタニ川は転流どころか,領土と安 全保障の境界線と位置づけられていった25)

それだけではなく,一連の紛争のために,イス ラエルとその周辺諸国における国際的な水事業は 凍結された。その結果,イスラエルとその周辺諸 国の水不足は深刻さを増し,同地域は経済的疲弊 におちいるとともに,環境問題の悪化に見舞われ 26)

1973年にヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)

が起きると,アラブ石油輸出国機構 (OAPEC)加 盟10カ国は原油生産の5 %削減を決定するととも に,イスラエルに軍事的,経済的な援助を行って いた国に対して原油の供給停止を決定した。イス ラエルでも, 1973年以後, OAPECの同国向け輸

出石油価格が他国の

2

倍に設定されたため,石油 輸入コストが跳ね上がった。イスラエルの石油輸 入は1972年の9,800万ドルから1975年6億2,800万 ドルとなり, 1980年には18億ドルと増加した27)。 それは経済を圧迫し,激しいインフレーションが 発生した。

イ ス ラ エ ル は ヨ ム ・ キ プ ー ル 戦 争 でGNPl年 分に相当する軍事費を支出した。さらに,ヨム・

キプール戦争後の苦しいイスラエルの経済状態に 追い討ちをかけたのが1978年のリタニ作戦と1982 年のレバノン戦争であった。相次ぐ戦争のために

イスラエルの経済状況はインフレを加速し, 1983 年には証券市場が崩壊した。軍事費の対GDP比 は1957年から1966年 ま で の 年 平 均 で9.5%であっ たが, 1982年まで27.9%に上昇した28)。また,ス タグフレーションに見舞われた企業は収益を低下 させ, 1983年には,株式相場が崩壊した。

こうしたエネルギー価格の上昇,軍事費負担の 増大,生産低下はハイパーインフレーションを引 き起こし, 1984年にはインフレ率が450%に達し た。同年,イスラエルはリクードと労働党が連立 政権を組み,経済政策,産業政策の見直しを余儀 なくされた。 1983年からイスラエルは軍事の規模 縮小にとりかかり,南レバノンのイスラエルにと っての安全地帯に兵力を残して,レバノン内部か ら撤退した。イスラエル政府は経済安定政策を打 ち出し,通貨シェケルを16%切り下げ, ドルに対 して

1 .5

シェケルの固定相場を実施し,実質賃金 の凍結,生活手当ての一時停止,年10%の所得税 追加などに踏み切った29)。そのためイスラエルに は厭戦の機運がさらに高まっていった。

この間にも水不足は深刻の度を増していった。

地下水の汲み上げ量の増加のために,地下水の水 質は塩化を免れることができなかった。しかし,

周辺各国との政治的軋礫のために,それらの国々 との協調にもとづいて地表水の増量をはかること はますます難しくなり,イスラエルは水供給の独 自解決を考えなくてはならなくなった。

そこで注目されたのが海水の脱塩化であった。

イスラエル政府はジョンソン大統領の提案により

(8)

1 9 6 0

年からアメリカ政府とともにすでに

1 9 6 5

年か ら脱塩化装置の開発を検討していたが,

1 9 7 0

年代 になってその開発と運用に本格的に着手した。す なわち,

1 9 7 1

4

月,同国はデモンストレーショ ンプランとして,紅海に面した港エイラットに海 水脱塩化装置を複数設置した。この時点では,試 行段階だったために,装闘は何度も停止と稼動を 繰り返した30)。ヨム・キプール戦争後の

1 9 7 4

1

1

日に装置は長期稼動を開始した。この脱塩化 装置は

4

月には水供給が可能な状態に達し,

5

1 3

日にエイラットヘの水供給を開始した31)。ただ し,飲料水としてはけっして良質の水とはいえな かった。

他方で,イスラエル政府は農業への補助金の削 減,給水料金の引き上げなど,効率的な水利用を 促進した。なかでもドリップ灌漑技術が重要であ る。イスラエルではスプリンクラー散布により水 を大量に使用する農業が進められていたが,

1 9 7 0

年代半ばにドリップ灌漑技術が開発された。それ

はハイテク制御によって作物の根元に必要な水を 直接落とす技術であり,イスラエルのハイテク産 業の興隆の一つの成果であった。開発者はイスラ エルのプラスチック会社の技師であったスイム ハ・ブレスで,

1 9 7 0

年のアメリカのサンディエゴ で開催されたシンポジウムで,この技術を発表し た。

1 9 7 3

年以後,それは実用化されるようになっ た。イスラエルの国営水供給会社のメコロットは 同国の大学研究機関と提携し,水質の向上とコス トダウンに乗り出した。また,汽水を生かした淡 水魚の養殖など,イスラエルは産業の水使用規制

も強化した32)

こうして,レバノンとの冷えた関係はイスラエ ルのリタニ川への執着を薄れさせ,水供給は地表 水の確保より問題が少なく,時間的解決が早い海 水の脱塩化装置による供給へ移行していった。脱 塩化装置は海水,汽水,汚水に使用されることと

なった。メコロットの脱塩化プロジェクトの代表 者であるピンハス・グルエックスターンによると,

脱塩化水の製造コストは

1 9 9 0

年代に

1m'70‑80  e 

(アメリカセント)であったが,使用エネルギー

の削減などの努力が実り, 2000年代には 1 而 48~

5 6   e

まで引き下げられた33)。今後は常時

1

5 0 e 

も不可能ではないとの見通しもある。なお,海水 脱塩化の技術向上とコスト削減にともない,イス ラエルのみならずサウジアラビアやカタールなど 中東のいくつかの国が,海水脱塩化装置の導入に より,独自に水供給問題を解決する傾向を強める ようになった。現在,カタールは国内の水供給の

20%

を海水脱塩化装置からの給水に依存するまで になっている34)

しかし,エリシャ・カレイによると,地表水を 得るコストは,

1 9 9 3

年のナイル川の場合,

1

面あ たり約15~20

e

である。リタニ川の場合でも,そ れをハスバニ川へ転流するためのコストはパイプ 敷設などでコスト削減が可能であることと比べる と,海水脱塩化水は依然として高価な水であると いうことに留意しなければならない35)。このこと から,この地域でもっとも低コストで水を供給す る方法は,海水脱塩化によって淡水供給を賄うこ とではなく,国際協調によって地表水を得ること であるといえよう。だが問題は,各国の水需要量 が増加し,それゆえに地表水を共同使用するため の水配分交渉が難しさを増していることである。

4

節 リタニ川導水計画再考

ここで,レバノンの水事情と水利用政策を見て みよう。

1 9 6 6

年 に は

494MCM

で あ っ た 同 国 の 年 間水消費量は

1 9 9 0

年には

l,060MCM

にまで増加し たが,さらにそれは

1 9 9 6

年には

l,338MCM

と急増 した。他方,レバノンの水供給量については,地 表水の年間流量がリタニ川で

700MCM,

オロント 川で

80MCM,

ハ ス バ ニ 川 で

138MCM,

地 下 水 で

l,030MCM

となっている。そのうち

1 9 9 0

年 の 供 給 可 能 淡 水 量 は 合 計 で

l,780MCM

である。需給 の総量だけを見ると,余裕があるように思われる。

しかし,

1 9 9 2

年のレバノンの一人当たりの生活用 水の消費鼠はまだわずかに

1 5 0, e

にすぎない36)

地域によっても異なるが,世界の発展途上国では 同数値はおよそ

2 0 0 , e

から

5 0 0 f

であることからす

(9)

ると,レバノンの水消費量そのものが現在けっし て十分とはいえないのである。今後は人口がさら に増加するので,水事情が悪化することは間違い ない37)

レバノンは

1 9 9 4

年にリタニ川の開発計画を再開

( 1 9 5 4

年計画立案後凍結されていた)したが,そ れは自国内の水政策と開発の建て直しのためであ り,イスラエルヘの導水は視野に入れられてはい なかった。また同様にレバノンに水源を持ちシリ アヘ流れ出す国際河川であるオロント川の開発に 関しても,シリアとの協力には触れられていない。

この計画によると,リタニ川は下流のマルカバト ンネルでアワリ川に導水され,

700MCM

の流量 は,最下流で

125MCM

しか残されないことにな っている。上流には依然として開発可能な水が残 されているが,これはこの後レバノン国内の灌漑 に利用されていくであろう38)

このように,ジョンソンプランまでの状況とは 異なり,現時点では,リタニ川を転流させる余裕 はレバノンにはしだいになくなってきていると言 える。

1 9 9 3

年の中東和平以後,タハルでイスラエルの 水政策を担当してきたテルアビブ大学のエリシ ャ・カレイ教授は,「レバノンが不要なリタニ川 の余剰水をヨルダン川上流へ,ャルムーク川(シ リアとヨルダン国境を流れるヨルダン川の支流:

引用者)の水をヨルダンとヨルダン川西岸へ,ナ イル川の

1%

の水をシナイ半島のエル・アリシュ からガザヘ向かわせる」という地表水の地域共同 利用を提案した39)。これはイスラエルとヨルダン にガザとヨルダン川西岸を合わせた地域一帯の水 の絶対量が不足するということ,そして低開発地 域であるガザとヨルダン川西岸には海水脱塩化装 置による水供給を行う資金がないことを見越した 提案であった。

しかし,エリシャ・カレイは

1 9 9 3

年時点で,リ タニ川の水が余剰であるとの前提で提案をしてい る。たしかに,当時はレバノンの水需要は増加し ていたものの,まだ余剰分は見込まれていた。し かし,上述したように,レバノンの水事情はその

後悪化傾向をたどっていることを考えると,エリ シャ・カレイの議論はしだいに通用しなくなって いる。

このエリシャ・カレイの政策を補足するかたち で,ヘブライ大学のヒレル・シュバル教授が,リ タニ川とアワリ川からハスバニ川ヘパイプによる 導水を実施することは,ヨルダン川西岸における 地下水の取水を減少させることにもなり,将来的 に和平に貢献するであろうと論じている40)。リタ 二川の水質塩化のレベルは

20ppm

と非常に低い。

他方,ガリラヤ湖の水については同値が

2 5 0 p p m

から

3 0 0 p p m

と高く,塩化が問題になっている。

リタニ川の水はイスラエルのガリラヤ湖の水位を あげるためには最適である叫

それらの見解に対して,イスラエルアリエル,

シャロン政権の水政策担当者の一人であるハイフ ア大学のアルノン・ソフェル教授は,リタニ川が レバノンの国内河川であるため,レバノンが自国 の開発のために

100%

利用できる河川であると指 摘し,そのため死海運河計画のように,国際事業 の枠組に入れることはできないと論じている42)

1 9 9 8

年にはイスラエルは

2,lOOMCM

の水供給の うち,

lOMCM

を海水脱塩化水で賄うまでになっ た。その後,

1 9 9 0

年代後半からイスラエルは,北 のハイファ港と南のアシュケロン港にも海水脱塩 化装置を設買し,隔年で相互に運転を開始した。

さらに

2 0 0 2

年には,イスラエルは国の中央に位置 するテルアビブと,ガザに近いズィキム,アシュ ドットにも海水脱塩化装置を設置した叫このよ うに,海水脱塩化水の供給は着実に増えているが,

イスラエルは

2 0 0 2

年に渇水を経験した。そのとき の経験から政府は同年,海水脱塩化水の供給をさ らに急増させる必要を痛感し,

2 0 0 6

年までに海水 脱塩化装置による水供給を

400MCM,

汽水の脱塩 化による水供給を

50MCM,

塩化した井戸水の脱 塩を

50MCM,

水輸入を

50MCM

とする見通しを たてた叫

しかし,それでもヒレル・シュバルは,リタニ 川導水計画は交渉する価値があると指摘した45)。 なぜなら,上述したように,海水脱塩化装置によ

(10)

って製造される水のコストと地表水を導水した場 合のコストを比較すれば,質量ともに,依然とし てあきらかに後者に経済的優位が認められるから である。しかし,それもレバノンの余剰水が減少 するにつれて,ハスバニ川へ導水する水配分は減 少することが考えられる。

地域協力が難しいヨルダン川上流のレバノン,

イスラエル,シリア三カ国ではあるが,レバノン とイスラエルの間で水問題の協力が進めば,それ は最も実現困難とされているイスラエルとシリア の交渉のきっかけになるかもしれない。平和的な 水交渉の枠組を作るべきであるという視点に立つ ならば,リタニ川の水量を限定的にハスバニ川へ 導水するとともに,一方で,国営水輸送網からヨ ルダン川西岸にパイプを敷設して水供給し,他方 で,ハイファに設置されている海水脱塩化装置か らリタニ川下流のベイルート付近に水供給を行う という計画が関係各国の信頼の醸成のうえに検討 されるべきであると,筆者は考える。

おわりに

イスラエルは

2 0 0 0

5

月,エフッド・バラク首 相の決断により,南レバノンからのイスラエル軍 撤退をはたした46)。イスラエルはそれと同時にレ バノンとの和平交渉の再開を希望した。しかし,

南レバノンにはパレスチナ武装勢力のヒズボラが そのまま変わらず基地を構えており,イスラエル が和平交渉を行うレバノン政府とは一線を画して いるため,レバノンの安全保障問題が再浮上した。

そのような中でリタニ川導水については話し合 いの場は設けられておらず,それどころか,

2 0 0 2

8

月,レバノンがハスバニ川の水源のひとつで

あるワッザニ湧泉を新たに汲みあげ基地を建設す ることを発表した]これはレバノンの水事情が 悪化していることの表れである。しかし,同計画 は反故にされた

1 9 5 5

年のジョンソンプランの分配 水量をめざすものであるとして,イスラエルが反 発し,両国間に緊張が走った。そのため,アメリ

力政府とEU紛 争 防 止 と 危 機 管 理 委 員 会 (The

Conflict  Prevention  and  Crisis  Management  Unit,  European  Commission)が同問題の調査と仲介に 人った48)。その後,この問題をめぐる協議は続行

している。

レバノンの水供給量は増加しており,レバノン 国内で最も水量が多いリタニ川の開発はレバノン 国内の水供給に対してのみ計画されている。他方,

イスラエルの水政策は

2 0 0 2

年から

2 0 0 3

年にかけて 発生した渇水の後は,ますます海水脱塩化装置か らの給水に依存する傾向を強めつつある。ガザの 水供給に関しても,ヨルダンの紅海に設置する海 水脱塩化装置あるいはズィキム,アシュドットの 海水脱塩化装岡からの水供給が実施される見込み

となっている49)

シャロン政権の水政策担当者の一人であるアル ノン・ソフェル教授はこの傾向が継続されること を示唆し,地表水の地域協調については今後も困 難が予想されると述べている50)

2 0 0 4

年には,地 中海のハデラに据えられた海水脱塩化装置からヨ ルダン川西岸への導水が協議された51)。たしかに,

イスラエルが地下水を汲み上げ,ヨルダン川西岸 ヘ水を供給することは塩化を招くので,やめるべ

きである。

しかし,シュバル教授によると,それを補う方 法としては,コスト面からすると,内陸部への海 水脱塩水の供給よりもリタニ川導水のほうが好ま しい52)。また,コスト的な要素にのみ判断材料を 絞るべきではない。地域協力による地表水の確保 こそが平利を構築する手段であるとするならば,

筆者は,リタニ川からの限定的な水鼠の導水と引 き換えに,ハイファからレバノンヘの海水脱塩化 水のパイプを敷設していくという総合的な方法が 有益であるということを指摘したい。たしかにレ バノン政府は一貫してイスラエルによるリタニ川 転流計画の提案に対して消極的な態度をとってき た。それが独自のリタニ川利用の姿勢を貫いてい ることはあきらかである。しかし,地域協力の一 環として水の相互利用システムを構築することは 有益であり,イスラエル政府と専門家はねばり強 くレバノンとの交渉を進め,その中でリタニ川転

(11)

流 計 画 が , ひ と り イ ス ラ エ ル の み を 利 す る も の で はないことをレバノン政府に説得すべきである。

1) Darwash, A., and Green Line Association  (Lebanon) ,  Water as a Human Right: Assessment of Water Resou‑ rces and Water Sector in Lebanon, Heinrich Boll Foun‑ dation, 2004, pp.112‑115. 

2) Wolf, A., Hydropolitics along the Jordan River:Scar‑ ce of Water and its Impact to the Arab‑Israeli Conflict,  The United Nation University Press, 1995. 

3) Wolf, A.,'Hydrostrategic'Territory in the Jordan Ba‑ sin : Water, War, and Arab‑Israeli Peace Negotiations,  The University of Alabama Press, 1996. 

4) Naff,M.,Matson,C., Water in the Middle East:Con‑ flict or Coorporation ?, Middle East Research Institute, 

The University of Pennsylvania Press, 1984, p.31.  5)拙稿「イスラエルの水政策と 6日戦争の関連に

ついて」『社会環境研究』第9号, 2004年3月. 6) Naff, M., Matson, C., op.cit.,  1984, p.31. 

7))レーテンベルグ社は1923年 に ヨ ル ダ ン と の 間 で ャルムーク川におけるダム建設と電力供給の契約 を成立させ, 1933年から実施したという実績があ る。

8) Kally,A.,Fishelson,G., Water and Peace:Water Re‑ sources and the Arab‑Israeli Peace Process, The Ar‑ mand Hammer Fund for EconocCooperation in  the  Middle East, Tel Aviv University, 1993, pp.15‑18. 

9)  Soffer, A., "The Relevance  of Johnston  Plan  to  the  Reality of 1993 and Beyond", in:Wolf, A., ed., Conflict  Prevention and Resolution in  Water Systems, Edward  Elgar, 2002,pp.305‑319. 

10)  Muraka血,M.,Mushiake, K., "The Jordan  River  and  the  Litam , in : Biswas, A., ed., International  Waters  of  the  Middle East from Euphrates‑Tigris  to  Nile,  The  Oxford University Press, 1994, p.128. 

11)  Soffer, A., Rivers of Fire:The Conflict over Water in  the Middle East, Rowman & Littlefield, 1999, pp.213‑

223. 

12)  Wolf,,A.,"'Hydrostrategic'Territory in the Jordan Ba‑ sin: Water, War, and Arab‑Israeli Peace Negotiations",  in  : Amery,H., Wolf,A.,eds., Water in the Middle East:Ge‑ ography of Peace, The University of Texas Press, 2000,  pp. 63‑85. 

13)前掲拙稿.

14)『アジア,オセアニア 世 界 地 理 大 百 科 事 典5』 朝倉書店, 2002年, 847ページ.

15)  Naff, M., Matson, C., op.cit., p.70. 

16)  Sherifa,  S.,  FMO Research Guide:Palestinian Refu‑ gees in  Lebanon, CIA World Factbook,, UK, 2004, 3‑

2.http: //www.forcedlnigration.org/guides/fmo0l8/ 

17) Lahmeyer, J,  Population Statistics", 2002. (http : //  www.library.uu.nl/wesp/populstat/populhome.html)  18)  Naff, M., Matson, C., op.cit., pp.70‑71. 

19)  Comair, G., Litani River Management: Prospect for  the Future, Litani River Authority ,Lebanon, 1998 , pp.I 

‑4. 

20)  Hussein, A., "Assessing Lebanon's Water Balance", in:  Brooks, D., Mehmet, 0., eds., Water Balances in the  Ea‑ stern Mediterranean, International Development & Re‑ search Center, IDRC, 2000, pp.21 ‑33. 

21)前掲拙稿.

22)  Naff, M., Matson, C., op.cit., p.45. 

23) Wolf, A., Hydropolitics along the Jordan River, op.cit.,  p.54. 

24)  Naff, M., Matson, C., op.cit., pp.72‑75. 

25)  Hussein, A., "A Popular Theory of Water Diversion  from Lebanon : Toward Public Participation for Peace  ,  in: Wolf, A., Hussein, A., eds., op.cit., pp.21‑25. 

26)イスラエルの国営水輸送網によるガリラヤ湖か らの取水に反発したシリアをはじめとするアラブ 諸国は,シリア国内でバニャス川をヤルムーク川 へ転流し,ガリラヤ湖への流水鼠を減量しようと した。この工事が完了すれば上流からガリラヤ湖 への淡水流人は3分の1に低下し,ガリラヤ湖の 水位は低下することが予測された。この転流工事 に反発したイスラエルは1966年7月,工事現場へ 空 爆 を 加 え た 。 こ う し て シ リ ア と の 緊 張 は 高 ま り, 1967年の六日戦争につながっていった。六日 戦争でゴラン高原を占領したイスラエルは,ヨル ダン川上流のダン湧泉を手中にした。しかしなが らゴラン高原,ヨルダン川西岸,ガザ,シナイ半 島を管理することとなったイスラエルはそれらの 地域への水供給も同時に義務として課せられたの であった。

27)  The State of Israel,  Import and Production of Crude  Oil,  Natural Gas and Oil ‑Shales,  Central  Bureau of  Statistics of Israel,Jerusalem, 2005. 

28)  Bank of Israel Annual Reportl997 ,Government and  the Finance Committee of Kunesset, Jerusalem, 1998.  29)  Razin, A, Sadka, E., The Economy of Modern Israel, 

The University of Chicago Press, 1990, pp.22‑23. 

30)  Manor, S., Weinberg, J., "ATME 1 MGD Desalination  Plant in Elat : Report on the First Six Month of Opera‑ tion", in: Hasson, D., and Dickmann, A., eds., Sea Water  Desalination, 1975 ,pp.49‑55. 

31)  Manor, S., Weinberg, J., ibid., pp.45‑55. 

32)  Beaumont, P., "A Study of Water Use in  the Jordan  Basin", in:Amery, H., and Wolf, A., eds., op.cit., pp.28‑

33. 

33)  Glueckstem, P., Thomas, A., and Priel,M., "The Impact  of R&D on New Technologies, Novel Design Concepts  and Advanced Operating  Procedures  on the  Cost  of 

(12)

Water Desalination", Desalination, No.139, Elsevier Sci‑ ence, 2001, pp.217‑228. 

34) Earth Trends, "Water Resources and Freshwater" ,2003.  (http : //earthtrends.wri.org/country ̲profiles/) 

35)  Kally, A., Fishelson, G., op.cit., p.113. 

36)  Libiszewski, S.,  Water Disputes in  the Jordan Basin  Region and their Role in  the Resolution of the Arab‑

Israeli Conflict, Center for Security Policy and Conflict  Research, Zurich, 1995. 

37)  Hussein, A., op.cit., p.  30.  38)  Comair, G., op.cit., pp.1‑4. 

39)  Kally, A., Fishelson, G., op.cit., pp.105‑111. 

40) Shuval, H., "The Water Issues on the Jordan River Ba‑ sin between Israel, Syria and Lebanon Can Be a Moti‑ vation  for  Peace and Regional Cooperation", in:  Gor‑ bachov,  M.,ed., Water for Peace  in  the  Middle  East,  Green Cross International, 2000, pp.39‑66. 

41)  Hussein, A., op.cit., p.30. 

42)たとえば,ヨルダン川流域国の過剰な取水によ り,ヨルダン川からの流入が減った死海は干上が り,環境問題として国際的な関心の的となった。

1994年のイスラエルとヨルダンの和平締結の際に 取り決められた死海運河計画(紅海のアカバから 脱塩化した水を死海へ導入する計画)の交渉は続 行され,最近になって,アメリカと日本の資金援 助が実施される見通しがついた。死海の縮小化が 起きたのは,ヨルダン川の水使用増加に対して救 済手段をとっていなかったからである。

43)  Israel's Water Economy: Thinking of Future Genera‑ tions, Ministry of National Infrastructures, Water Commi

ssion,Jerusalem, 2002. 

44)  Moatty, N., "Water Management and Desalination in  Israel", Desalination, No.136, Elsevier Science, 2000 ,pp.  101‑104. 

45)  Shuval,H., op.cit.,  pp.39‑66. 

46)  Withdrawal from Lebanon Completed, Ministry  of  Foreign Affairs of Israel, Jerusalem, 25 May, 2000 (イ

スラエル外務省公報).

4 7)  "EU Rapid Reaction Mechanism : End of Programme  Report : Lebanosrael Wazzani  Springs  Dispute",  Conflict Prevention and Crisis Management Unit, Euro‑ pean Commission, Belgium, 2004 ,pp.1‑4. 

48)  ibid. 

49)  Moatty,N.,op.cit., pp.101‑104. 

50)  Soffer, A., "Geopolitical Aspects of Water Supply in  the Levant Area", in:Oregon State  University,  Transe‑ boundery Dispute  Database, 2002.  (http: //www.ipcri.  org/watconf/papers/amon.pdf.) 

51)  Dreizin,  Y., The Impact of Desalination:/srael  and  Palestinian Authority,  Ministry  of Infrastructure, 2004. 

(http : //www.ipcri.org/watconf/dreizin 1 .pdf.)  52)  Shuval, H., op.cit., pp.39‑66. 

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