• 検索結果がありません。

コメニウスにおける教育学の 方法の成立

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "コメニウスにおける教育学の 方法の成立"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

コメニウスにおける教育学の 方法の成立

       rl

 教育学説史上はもちろんのこと,教育史・教育実践史においてもコメニウス の占める位置はあらためて指摘する必要のないほど大きい。彼の創案による公 教育制度・学年制・学級制等の教育組織さらにその内容となっている教育内容

・教育方法等にまで一貫している理論は,今日においてもなおわれわれの研究

対象としてとりあげられるべき現実性を失ってはいない。ことに,創案者の意 梱と異って,上記の教育組織・諸原則が異った力によって別種の形態において 実現されながら,そこにあたかも本来の姿があるかのごとき様相を見せている 今日,彼の理論体系をその生成において検討すべき必要性はますます増加して

〜・るといわねばならない。

 われわれは今「現実性」といった。今少しくその内容を明確にしておこう。

ここにいう「現実性」には二重の意味を含ましめている。一つは,彼の学的体系

をまさに教育学たらしめた教育学のく方法〉そのもののもつ歴史的現実性一 われわれの関心からすれば,われわれの研究対象のもつ現実性一である。周 知のごとく,彼のDidactica(教授学)の体系は,今日の教育学の領域を網羅

し,ある意味ではそれ以上の領域をも包摂するものであるが,それらを一つの

体系にまとめあげているところの一別言すれば,それらを導き出したところ の一く方法〉に注目するならば,それがすぐれて歴史的現実的な土台一彼 の場合には初期マニユフアクチュア段階に対応する「生産力」視点一に基づ

,iL・ていることはあきらかである。そのようなく方法〉への着眼は,すでにあき あかにしたように,(拙稿『教育学研究』第30巻第1号および『教育哲学研究』

(2)

(180) コメニウスにおける教育学の方法の成立

第8巻所載参照)彼の教育への志向過程と不可分に結びついており,また彼の・

生きた時代とも深く結びついている。それゆえに,彼の教育への志向過程とそ の時代とを結びつけ,これを背景に置きつつわれわれは,コメニウスにおける く方法〉の生成とその発展を論理内在的に追究する。そして彼に向かって現実 をいかなるものと把握していたかという問を発することによって,彼の理論体 系に彼の生きた時代の社会的・文化的構造の反映を見るとともに,彼がそのい かなる構造上の部分に変革の契機を求めたかを知ることができる。それは,当 然のことながら当該社会の歴史的発展段階に制約されつつ,なおそれを超えよ

うとした志向の現実的あとづけとその吟味を意味している。それは,もはや彼 コメニウスの教育学の方法的追究を超え,彼の生きた時代の凝縮体としてその 教育学の方法・体系を追究することにほかならぬ。

 「現実性」の第二の意味ももちろんこれと無関係ではない。むしろより積極 的には第一の「現実性」を前提するわれわれの追究の現実性をさしている。具 体的にいえば,彼がそのく方法〉を導き出すにあたって試みた現実分析を彼の 方法の展開過程に即して追究し,その意義をあきらかにしていくわれわれの方 法の現実性である。以上「現実性」の意味を規定する中でいくつかの限定を行

ったが,そのような限定を設定することによってこそコメニウスの教育学から・

われわれは多くを学び得るであろう。

 本稿は,以上のような視点に立って,コメニウスの教育学の方法的基底の重

要な概念である「自然」(Natura, PHroda)概念の分析を試みたものである。

それは当然のことながら,多分に形而上学的な文豚において措定されながら

も,コメニウスがそれに依拠し,具体的にく方法〉を展開していく過程で漸次

形而上学的性格を消滅させていく過程の追究であるといえる。その過程は,形 而上学的なものと現実的なものとの二元論的折中に終ることなく,後者が前者

を克服していく中でく方法〉が明確になっていく過程でもあった。と同時に,

われわれは,コメニウスのたどるその過程が単なる現象重視に陥っていないこ

とに注意しなければならぬ。さきにあげた第二の「現実性」の視点設定の意味

はそこにあるのである。

(3)

 論述の順序について略述しよう。まずわれわれは, 「自然」概念に盛られた

三つの意味をあきらかにし,その三つの「自然」を結びつけるものが何である

か,またその三つの「自然」が,実際にはいかなる内容へと発展するかを見

る。ついで,それらを個別に問題にし,〈方法〉的基底へとつながる「自然」

が具体的には何であるかをあきらかにしたいと思う。

       2

 「自然(Natura)は神の娘である。しかし,技術(Ars)は自然の娘であ

る。」(1)

 有名なSchola Ludus(2)の第三幕「技術界」について論ずるに当たってコメ ニウスは, 「自然」と「技術」をこのようにとらえている。また,Pansophii Libri delineatio(3)においては「技術は自然を模倣する(imitando)。技術は自 然の娘である。自然は神の娘である。自然は神を模倣する。」(4)というように,

上記「娘」の内容は,前者とまったく同じ文章とともに「模倣する」ことと並

置されてあらわれている。それゆえ,この「模倣」の概念を検討することは,

コメニウスの「自然」・「技術」の内容をあきらかにするためには有力な手が

かりを与えるであろう。他方,この「模倣」は,コメニウスが『分析的教授学』

くAnalytick6 Didaktika)(5)において学問の方法として概念分析の方法をとった ときに,「原型」(ldea =imago archetypa),「複製」(Ideatum=Imago ectypa),

「複製化」(ldeans = lmaginem hanc ab ille producens Instrumentum)という

三つの基礎概念で構造化されている。そこで,われわれもこれらの基礎概念に

よって彼のいう「模倣」をとらえなおすことができる。すなわち,『分析的教授 学』においてはこの三つの概念は以下のごとく構造化されている。「模倣」が成 立するためには「原型」がなければならない。その「原型」にもとついて「複製」

が可能になる。そして「複製化」とはある手段を用いて「原型」にもとついて

「複製」をつくり出す主体的行為である,と。

 このような論理を前提として,われわれは以下の考察に進む前にあらかじめ

「自然」と「技術」との関係を消極的にはつぎのごとく規定できる。すなわち

一一 u神」は「自然」の「原型」,「自然」は「技術」の「原型」である。「自

(4)

(182) コメニウスにおける教育学の方法の成立

然」は「神」の「複製」,「技術」は「自然」の「複製」である。そして,「神3 は「原型」そのものである,と。

 ところで,ここで問題になるのは, 「複製」とはいったいどういうことをさ

しているのかということである。それは単に「原型」をそのまま模写したもの

を意味するのであろうか。それとも,それ以上の意味をもっているのであろう

か。このように問うてみることは「模倣」の意味をより深くあきらかにするこ

と,さらに, 「自然は神を模倣する」という際の「模倣」と「技術は自然を模

倣する」という際の「模倣」の内容は同じものか否かをあきらかにすることに

もつながっている。そこでわれわれは,さきに措定した「自然」と「技術」の

消極的規定にもとづきながら,以下にその積極的規定を試みねぼならない。

 まず, 「自然は神の娘である」=「自然は神を模倣する」というテーゼから 考察してみよう。(論述の便宜上これを第一テーゼと名づけておく。)これに関

しては,「神は無から万物を創造した」というJanua(6)あるいはSchola Ludus における記述がある。事実コメニウスはJanuaの巻頭においては,神からの

「流出」論を背景において「自然界」を説明しはじめる。⑦

 これらの諸事実から第一一テーゼに関するかぎり,コメニウスが「神」と「自

然」とを「創造」によって結びつけていたということができる。そして周知の

ごとくコメニウス自身はそれを「神の三書」(8)という概念で説いている。すな

わち「神」はその「創造」にあたってまず「人間を自らに似せて」創造し,つ いで「自然」を創造し,みずからのことばを「聖書」に啓示した,というので

ある。このような関係にある「人間」 「自然」 「聖書」をコメニウスは「神の 三書」と名づけている。重要なのは,この一見単純な「神の三書」の概念こそ,

たび重なる戦乱・祖国の喪失という『地上の迷路』(9)にたいする絶望の中から コメニウスが発掘しなおした人間の可能性にたいする信頼の根拠となり,彼み

ずからが思想的に立ちなおる契機となり,地上の迷路を人間の手によって「第 二の創造」をおこなうことによって変革する思想的契機となったという事実で

ある。そしてコメニウスは,王国・教会・貴族等あらゆる地上の制度を価値的}

に否定し去った中から新しい人間観をつくりあげたのである。

(5)

 「人間」と「神」との交渉は「聖書」を媒介としてのみ可能であるとするそ の主張は,地上の教会・僧職の位階制さらに大領主化している藪会の否定にい たる宗教改革以来の論理の延長上にあったが,コメニウスの場合にはこれに加

えて,民衆収i奪・偶像崇拝のシソボルである「原罪」も事実的に否定し去る論

理となって展開する。彼が,権力を私する王国という制度そのものに戦争の内 因があると見ながら,なおその王国が戦費の増大と官僚の蹟庵により必然的に 民衆収奪を結果し,それがために亡び行く制度であると把握したのも偶然では ない。史実にこの論理をつきあわせてみるならば,コメニウスが,抽象的・個 人的自由の拘束にたいしてではなく,具体的な拘束からの解放を意図していた ことはあきらかであろう。このようにすぐれて現実的な論理としてはたらいた

「神の三書」の概念から帰結されるのは,基本的には宇宙があたかも巨大な機

械のごとく予定調和を保つように創られているという論理と被造者としての人

間もまたかかる神慮にあずかっているという論理にほかならぬ。「人間」が「神

の似姿(lmago)である」ということ,それは人間が理性を賦与されていると

いう主張となってあらわれた。「人間」はそれゆえに「自然」(Natura)を認識 する(Cognitatio)ことが可能なのであり,またそれゆえに「自然」を支配し,

これを「利用」することができる。なぜならば,それこそ神が, 「創造」に当

たって人間に期待したことにほかならないからである。また「他の被造物」は すべて人間の「利用」の対象として創造された。したがって,人間が自己自身

を支配し,地上の万物を十全に支配し,利用することはそのまま「神の歓び」

となる。コメニウスによればこのような「事実」こそが「創造」のもつ意味,

すなわち人類の幸福こそ宇宙創造の目的である。そして,仔細に吟味してみる

ならば,われわれはこのような内容をもった「神の三書」の概念が彼の現実把

握の論理の中にたえず基調としてはたらいていることに気づくであろう。つま

りコメニウスは,現実を直視する中から人間の主体性を発掘し,著者が同一で

ある以上「神の三書」」には共通性が存在するという主張により,人間の対象

たる「自然」を発掘したのである。そしてこれ以後彼は人間の対象たる「自

然」をもっぼら「事物」(Res)という概念で説いていくのである。その展開が

(6)

(184) コメニウスにおける教育学の方法の成立

Pansophia(汎知)界であったことはいうまでもない。

 つぎに, 「技術は自然の娘である」 「技術は自然を模倣する」というテーゼ を検討してみよう。 (前と同様これを第ニテーゼと名づけておく)

 コメニウスは新しい教育学の方法を「自然と工作技術がその生産に当ってと

る生産行程」から「導き出そう」(deducamus, vyvodit)とする。のちに検討 するように,実際に彼は「自然と工作技術がその生産に当ってとる生産行程」

を精緻に分析したあとでこうのべている。

 「巨大な仕事を為しとげるのはいつも人力(Vires)ではなくて,技術(Ars)なので す。だとすれば自らの技術をもたないものはただ学問だけだということになります。こ れをはずかしく思えぽこそわたくしたちはあの職人たちの独創力(Solertia)にひけを  とるまいとして努力せずにはいられないのです。またそれなるがゆえに,今まで学校教

育が苦しんで来た欠陥を救う方法を求めずにはいられないのです」⑩

 生産力の増大の起因を「技術」の発展に見出したコメニウスは,学問の方法 をも「技術」と把握し,学問・教育における生産力の増大をはかろうとしたの

である。教育学の「基礎とは,こうした技術の生産活動(Artis operatione)を 自然の生産活動(Operatione Naturae)の諸規準(normae)にそれこそ精密に

合致させる以外にはあり得ないのでありますから……青少年の形成者もまた同

じようにこれを学ばなければならない(imitandae)」⑪このようにコメニウス にあっては,「技術」はまず生産力の増大と結びつけて把握され,その「技術」

は「自然の生産活動」の「諸規準」に「合致」すべきものと把握され,さらに 学問の方法も「技術」と把握された。注目すべきはこの論理の展開過程におい

ては,さきの第一テービにあらわれた「原型」そのものとしての「神」という

考えはまったく背後に姿を消してしまっているということである。別言すれ

ば,ここで問題にされているのは「自然」とその「複製」たる「技術」という

論理のみである。第一テーゼとのかかる断絶は,コメニウスがみずからの方法

をもって「コペルニクス的転回」と見,まったく新しい「発明」⑫と見なし,も

っぼらこの第ニテーゼにもとついて現実を見ていることを裏書ざするものであ

ろう。彼が「人間の努力がどのように他の被造物を支配できるようになったか

(7)

を見てみよう。人間の悟性と意志と力とが新しい世界をつくり出したのを。」⑬ という視点を設定し, 「技術と人間の労働を人びとによく理解できるように示

してみよう」⑭という意図をもって現実を観察し,構造化していくのも,第ニ テーゼに立ったがゆえである。そしてこの段階までくるとコメニウスは「自然 は神の力によって創造された。それによって神は自らをその内部に存在せしめ た。」㈲と断定するのである。そこにおいては神はもはや物質的に超越的であ るより,自然に内在するという論理に移行している。それゆえに,引きつづい てコメニウスは「しかし,技術は同様な自然の力であるが,一人の人間から他

の人間へと譲渡できるものなのである。……技術は数限りなく存在する。それ ゆえわれわれは一個の新しい世界,すなわち技術による新しい世界を見るので ある。そして技術の発見は終ることなくたえず新しい技術が生まれ,驚異的な

人間の精神がそれを考えつくのである」⑯といい得たのである。コメニウスが,

生産技術の本質を法則と手段の体系として把握し,さらに市民社会をも予見得

したのも偶然ではなかった。このように,第一テーゼと第ニテーゼは事実上断

絶しているのであるが,コメニウスにおいては,さきの「神の三書」の概念に

あきらかなように,、両テーゼはまず「模倣」という概念で論理的に結びつけら

れる。そしてそこに人間主体の位置づけと行為対象が位置づけられる中で「利

用」の概念が浮き彫りにされ,事物「利用」を価値的に肯定する第一テーゼと

その方法・手段をあきらかにする第ニテーゼとは,その概念によって連続して

いくのである。すなわち「神の三書」の考え方から引き出される「利用」の概

念は,主体における「理性」が客体たる「自然」を貫いている「法則」を認識

し,それにもとついて技術をつくり出し,対象たる「自然」を「利用」してい

くという論理と,それこそが創造にあたって神が人間に期待したことであると

いう論理とをあわせもっていた。第ニテーゼはこれをうけて, 「技術」を法則

と手段の体系と把握し来たり,それにもとついて「人間がどのように地上の万

物を支配し,利用し新しい世界を創り出したかを見てみよう」という視点を設

定し,現実の中から「利用」概念の内容をあきらかにしていこうとするもので

あった。それゆえ,第ニテーゼは「利用」概念を現実的にとらえなおし,その

(8)

(186) コメ=ウスにおける教育学の方法の成立 積極的規定をする出発点であったということができる。

 すぐれて現実的な公教育制度・学級制度・教育内容の体系化・教育方法の発 見等々をつくり出した方法,すなわち教育学の方法も当然のことながら現実的

な土台から生み出され構築されたのである。

       3

 「神の三書」の概念,それは人間の主体性の発見とその対象たる「自然」の1

発見となって展開した。われわれはコメニウスの論理に即しつつさらにその内 容を追究しなければならない。ここではまず人間の主体性の内容をさらに吟味

してみよう。コメニウスは人間自然(Natura humanitatis)の規定からそれに 入っていく。彼によれば,かかる「自然」は楽園追放前の「私たちの最初の基本 的性質」(Prima et fundamentatis nostri constitutio)㈲を意味している。とい

うことは,「人間の中にあの三者〔学識・徳性・神に帰依する心〕の根(radices)

が」内在していること,すなわち人間には「事物の知識(scientia rerum)を

獲得する力」⑱が賦与されていることを意味している。このような展開過程を

たどるコメニウスの「理1生」の把握のしかたはかつて『地上の迷路』において

全体を支配していた「絶望」とはまったく対照的な明るさにみちている。彼は

いう一

 「その光り輝く精神(Mens lucida)……は,あらゆる事物の姿(omnium rerum species)を認識し,(場所も時間も)遠く隔ったものをも引き寄せ,高みにのぼり,秘め られたるものをもたずね,蔽われたるものをあばき,きわめがたいものをきわめようと 全力をつくす……無限なもの(infinitum quiddam)……飽きることを知らぬ受容能力

(inexplebilis capacitas)」をもち「信じられぬほどの素早さ(velacitas incredibiles)」⑲

をもっている,と。

 ではその明るさの根拠はどこにあるのだろうか。理性の認識能力の無限性は いかにして可能なのか。これに答えてコメニウスは次のようにいっている。

「理性をそなえた魂」(Anima rationalis)に1ま,,いわぽ「探偵(emissaari)」・

「斥候(speculatores)」ともいうべき「器官(organ)」があり,これが理性を 助け,「外界にある一切のものを探索する」のであり,「一言でいえば,目・耳

(9)

・触覚・精神そのものは絶えず餌を求め,絶えず自分の外にとび出していく。」

それゆえ,「感覚と理性(Sensus et Ratio)をそなえた人間に何一つとらえられ ぬものはないということになる」と。⑳

 かくて,人間の主体性の強調は実際には,彼の感覚論となってあらたな展開

を見せることになった。結論的にいえば,「肉体は精神の住み家であります。

しかし,肉体がなくては事物を認識できません。なぜなら,あらかじめ感覚の 中になかったものは精神の中に存在することはできないのですから。」⑳とい うのが彼の感覚論の基本命題であった。このことは,彼がパンソフィアの中に

                 ゼ

人間を,一方では動物界の最高の発展段階にある存在芝して位置づけ¢⇒他方

無限の能力をもつ理性の住まう場所として「脳髄」(cerebrum)を位置づけたこ

とと直結する。感覚の肉体的基礎・認識の肉体的基礎を強調したコメニウス は,それを五管から「脳髄」に至るメカニズムとして把握した。すなわち外界

の事物(Res)は,耳・眼・鼻・舌・触覚等の「器官」 (Organ)一以上「外

部感覚」(Sensus exteriores)一によって捕捉せられる。それは「脳髄」から全

身へ中枢神経が張りめぐらされているからにほかならぬ。そして,感覚の力

(vim sensitiviam)によって捕捉せられた事物の像(lmago)は「内部感覚」

(Sensus interiores)・「写像力」(lmaginatio)によって「記憶」(Memoria)に

「きざみつけられる。」「内部感覚」における認識のメカニズムは,「脳髄」の 中にある「悟性」(Spiritas)が「あたかも待機していたかのごとく,視覚・聴

覚・味覚・嗅覚から入ってくる事物の像を捕捉するからなのです。……そのよ

うなはたらきも肉体の活動(operatio)をぬきにしては考えることはできませ

ん。」㈲

 第二に,「人間自然」への着目は,認識能力の普遍的内在性の主張とともに,

「どんな人間にも,ものを知ろうとするねがい(sciendi desiderium)やその 努力にたえる心(laborem tolerantia)のみならず,知りたいという欲望(apPe titio)もまた植えつけられている。」㈲という命題を引き出した。その「欲望」

に基いて人間の「感覚」は絶えず活動し,外界にある一切のものを「探索する」

というのである。そして,このような「欲望」 :「知りたvlという欲望」が人

(10)

(188) コメニウスにおける教育学の方法の成立

間に内在するという根拠を彼は,自分の観察した事実に求めている。すなわち

かかる「欲望」が最も強くあらわれるのは幼年期であって, 「必ず幼年期の初 めに湧き出て私たちの一生につきまとう」㈲と。

 人間自然は,このように認識能力および認識したいという欲望の内在という 論理を帰結する。ここに,認識の目的が事物利用にあるという彼独得の前提を

おさえ,それとこれとを連関づけておかねばならぬ。すなわち認識能力および

認識したいという欲望が人間に本源的に内在するという論理は, 「事物認識は

理性(Mens)によるのです。また事物をよく利用するのは意志(voluntas)に

よるのです。……意志は精神の力であり,理性に根を置いているのです。……

ですから無知は事物を利用できず,また幸福へも進み得ないということになる

のです。」㈲という段階において認識(cognitatio)と意志(voluntas)と行為

(Qperatio)とを結合させようとするものであった。しかし,認識能力および

認識したいという欲望の内在は,放置せしめられるかぎり,可能性でしかな い。のみならず,「感覚」もそのかぎりにおいては素材をただ無選択にとりい

れてしまう。「外部感覚」は「どこから忍びこんできた素材(materia)でも必

ず魂の手にわたすのですが,この素材は(最高の監視者である理性(mens)が

よく注意して見ていなければ)大部分が役に立たない」㈲のである。その可能 性を実現し「感覚と理性」が正しいメカニズムで活動できるようにさせること はまさに教育によらねばならない。コメニウスが,たとえばヘッセンの野生 児㈱の例をあげ,「教育を受けなければ,人間も野獣となる」と断じ,「人間

が人間になるべきものであるとすれば,人間として形成(formari)されねぽな

らない。」㈲と規定していくのも,さきの能力および欲望の内在性という前提を

認識論的カテゴリーたる感覚と理性のメカニズムとして組みかえたからにほか

ならぬ。それゆえに「人間は教育される動物(Animal disciplinabile)」であり,

「教育されなくては(nisi disociplinetur)人間は人間となることができない」

という命題がいっそう現実的な重みをもってくるのである。

       4

 とすれば,人間の可能性を実現すること,換言すれば,感覚と理性とに正し

(11)

い連絡をつける方法はいかにして可能であるか。これがつぎの問題となろう。

これをあきらかにするためには,われわれはふたたびコメニウスのいうもう一

つの自然,第三の「自然」にたちもどり,そこから再出発する必要がある。

 さて,認識の対象たる「自然」を彼は「他の被造物」あるいは単に「事物」

と呼んでいる。彼のことばによれば「これらの被造物はもともと人間に利用さ れるためのもの(ad usus humanos)」Bo)であるという。だが一と彼はつづ

ける一事物も放置されたままであるかぎりでは何の価値もない。「事物は…私 たち人間の手(manus)を加えて使えるようにしなければ役に立たない」ので ある。この規定の背後には,すでにわれわれが考察した「利用」の概念がある

ことはあきらかであろう。人間によって「利用」されることは「事物にとって

も利益なのである」㈱と彼はいう。

 コメニウスがここで, 「事物」の一例として金属や石をあげ,その「利用」

を単純な利用から複合した「加工」工程にいたるまでのメカニズムと把握し,

また動物「利用」の例をあげ,動物の場合には一見「自分で生命を営み運動す るのですから,別に何も必要でないように見える」かもしれないが,これを

「利用」するには「やはりまず訓練しなければならない……それぞれの任務に

適したなにかの訓練を施さなければまず役に立たないのである」㈱と把握して

いく過程を検討していけば,彼のいう「利用」が,人間の手による価値の実現

と把握されていることがあきらかとなる。コメニウスは「神の三書」の概念を

もとに潜在的価値を措定し,現実から観察し来たった事実をそこに盛りこむ中

で,その価値実現が人間の手によってのみ実現されるという事実を前面に押し

出したのである。その価値実現が,単なる自然物動物を含む「事物」の段階か

ら,人間を対象とする段階に進むと,それは人間による「人間形成」=教育と

して把握されることになる。かかる対象による価値実現の異った具現形態とい

う把握のしかたは「人間は決して一片の木端ではない。もしそうであるなら

ば,われわれはそこから一つの立像を彫ることもできよう。しかし,人間は機

会が与えられるならばそれに応じて自己形成をする生きた像なのである」B3と

する働きかけの対象の特性への着眼と深く結びついていた。にもかかわらず,

(12)

(190) コメニウスにおける教育学の方法の成立

価値実現過程という次元では,これらは「生産」として把握される必然性をも っている。コメニウスが,教育を「人間生産」と規定し,学校を「人間性の工

f乍所(officina humanitatis)B4と規定するのもそれを裏書きする。だが実は  「人間生産」として教育を把握したコメニウスにあっては,「生産」はより積

極的な内容において意味づけられていた。なるほど一方では「神の三書」の概 念から,著者が同一である以上その「三書」には共通の法則が支配していると する彼独得の前提があった。とはいえ,すでにあきらかなように,コメニウス は,対象たる「自然」と「人間自然」とをより具体的な内容においてこれをあ きらかにしてきた。そこでわれわれは,今や彼のいう第三の「自然」の解明に 入っていく段階に立ちいたった。その考察を通して,われわれは,コメニウス

がいかにして「人間自然」に内在する可能性を組織化していくか,換言すれば,

いかにして人間形成の方法=「人間生産」の方法を「ひき出す」(deducamus)

かをあきらかにしようと思う。

 コメニウスは,生産力増大の要因を社会的分業と生産技術の発展に求め,そ れらが古い社会の変動させていることを明確に見ぬいていた。⑳その基本的モ

メソトとして彼は「技術」を抽出し,さきの価値実現過程一事物加工一動 物訓練一人間形成一の間に貫徹している共通の法則を「ひき出」し,それ を働きかけの対象の特性に応じた生産手段およびその体系にまでもち来たそう とするのである。彼のことばによればそれは自然と工作技術がその生産にあた ってとる生産行程から「類比の方法」(syncrisis)G6)によって導がれる。

 その場合の「自然」は,上記の引用からもわかるように,生産を営むものと 把握されていた。この把握のしかたも,コメニウスの出発点に立ちかえって見

るなら,彼が全存在を神からの「流出」としてこれをとらえていたことと無関

係ではない℃あろう。「また自然ということばによって……神のはたらき(Bo−

nitas devina)が休みなく流れこんであらゆるものの中にあらゆるものをつく り出すこと」㈲と定義されると彼はいう。これは,自然が生産を営むという考 え方と流出論との結びつきを示すものである。だが,コメニウスにあっては,

問題はそこにとどまってはいなかった。彼はその「つくり出す」力を,第ニテ

(13)

一ゼにもとついて,万物そのものの中に見出すからである。十七世紀の思想家 たちと同様彼においても,存在は全きメカニズムとして説明される。たとえ ば,「広大な世界そのものがいわぽ巨大な時計である」爾からはじまり「人間

は驚くほど精巧に組み立てられている」にいたるまでの徹底したメカニスム 的把握のしかたは,世界の構造から人体の構造とはたらき,さらに人間理性そ のもののはたらきをもメカニズムとして把握するまでに徹底していた。そこで は,神は物質的に超越的であるというよりはむしろ自然に内在するという論理 が一貫している。教育学の方法にたいするコメニウスの視点は,かつてこの時 代の思想的特性を「詩人たちは天文学者や数学者と同じように宇宙を論理的法 則に従い合理的に説明できるような一種の機械と看なすようになった。つまり 神は時計をつくるのになければならなかった時計師の役割を演じているにすぎ

ぬ」Bg)と断じた歴史家のいうところを前提としていたともいえよう。実際にコ

メニウスは,以上のごとき前提に立って「技術」を法則と手段の体系と規定し たのである。すなわち,彼のことばでいえば部分間の比例(propotio)・連絡

(cohaerentia)それら相互間の法則(mutuae leges),そしてさらに対象にた いする手段の体系。そのメカニズムが運動をひきおこす。というのである。

 コメニウスのそのような「技術」論は彼特有の「生産力視点」に裏うちされ ていた。それは,「労働の軽減(compendium)」㈹と生産の増大と生産物の質

の向上とを同時に保障する「しくみ」(conformatio)として「技術」が位置け

られたことを意味づしている。人間生産たる教育においても,学習労働の軽減

(compendium insigne)と学習量の増大・学習の質的向上は統一的にとらえら れている。

 「人力(Vires)では不可能なことを技術はしぼしぼ可能にする。事物を探究する人は  ただ精神力とたえざる勤勉の勢のみでやろうとして苦労しただけで,今まではこのこと

に気づかなかったように思われる。……しかし,手段と補助手段によって事は容易にな  り,しかも確実に進行するようになる。それゆえに一定の法則が必要となる。……そし  てあきらかにかかることはかの有名なヴェルラムの人が自然研究に当たって発見した方  法であり,彼は技術的帰納法によって自然の秘密をあばく道を発見したのである」㈱

(14)

(192) コメニウスにおける教育学の方法の成立

 このことぼからも彼の「技術」が労働の軽減と生産力の増大という両側面を 同時的に可能ならしめるものと把握され,学問・学習の方法もそのような豚絡 において「技術」として把握されていたことがあきらかであろう。かくて今や われわれは,「経験が示している」として彼が提示する諸事およびその分析の 中から,彼が実際に生産を営む自然をどのように把握していたかを検討する段

階に立ち至った。

 まず彼は「自然と工作技術がその生産に当ってとる生産行程」の一般的分析 から説きはじめる。たとえば,彼がメカニズムの象徴としてしばしば引例する

時計について一

 「金属一つまりそれ自体では生命のないものが,こんなにも生命の濫れた,こんなに  もムラのない,こんなにも規則正しい運動をするのはなぜであろうか」一「それはそ  こに集る部分全体が,一定の数・尺度・秩序によって配置されているところから来るガ によるのです。この装置によって一つ一つの部分の目的が定まり,その目的に応じて手 段が定まり,その手段のあり方にくるいがなくなるのです。換言すれぽ,その配置によ って一つ一つの部分とほかの部分との間に実に精密な比例(accuratissma propotio)カミ とられるのです。一つ一つの部分とそれにつながる部分との間に正しく連絡(debita cohaerentia)がとれるのです。力を伝えられる相互法則が出て来ます。こうしてあらゆ・

るものが生きた肉体よりも,つまり自分の精気で動く肉体よりももっと正確に(exactius)

動いていくようになるのです。」幽

 つまりコメニウスはここで「装置」を目的・手段の法則的整合性においてと

らえているのである。この論理はたんにこの時計の例にかぎるものではなかっ た。彼自身「このことは自然と工作技術のどの実例を見てもあきらかである」

㈲と部分間の関係の合法則性を強調し,それが自然と工作技術の生産行程に普 遍的であると指摘する。その普遍的な合法則性を「装置」として組織し,対象 へ向けて手段化すること,これが彼のいう「工作技術」であった。こうした

「技術」の一一般的規定にひきつづいて彼は, 「技術」の対象のもつ特性による

特殊的規定に進む。すなわち,教育学の「基礎とは,こうした技術の生産活動

(Artis operatione)を自然の生産活動(operationes Neturae)の諸規準(nor

(15)

mae)にそれこそ精密に合致させる以外にはあり得ないのでありますから,こ

れからひとつ雛をかえす鳥を実例とし自然がたどる道筋(Naturae vitae)をた

ずねることにいたします。その足あとを植木職人,画工,建築職人がまねて

(imitandae)成果をあげている実例を見れば,青少年の形成者もまた鳳じよ

うにこれを学ばなければならない(imitandae)ということがすぐわたしたちに

ものみこめましょう」㈹と。彼によれば,鳥が雛をかえす例は「自然」の営む 生産活動の一部であってもそこには「自然」の営む生産を貫く法則が十全に見

出される。また人間による生産活動の一部である職人たちの技術においても,

同様な人間の生産活動の総体を貫く法則がはたらいている。ただ,鳥が春に雛 をかえすのは,鳥が環境に本能的に適応してそれを行うのにたいし,人間は鳥 の例に典型化されるような自然の営む生産活動を「まねて」,つまりわれわれ がさきにあきらかにした構造をもった「模倣」によって意識的に観察し,法則

として認識し,「利用」という目的に向けてメカニズム,しくみ(conformatio)

に組織化することによって「成果をあげている」,すなわちいっそうの生産力 の増大を得ていると,いうのである。生産力への着眼は,かくして現実の生産

活動分析の中から導き出されたのである。

 彼が『大教授学』において, 「自然の生産活動」と名づけつつ実は人間の意

識的自然利用に重点を置いていたのははたして偶然であろうか。いやむしろ彼

の時代にあっては,彼が各所で引例しているように,「技術」一生産技術

一が,それまでの苦汗の労働を解消し行くものと見られたのである。彼が学:

校をもって「人間生産の工作所」と定義づけ,教師をもって「人間生産の技 師」と定義づけるのも,学校体系から教育内容にいたるまでのメカニズムを,

教授・学習労働の軽減を結果するものとしてはたらき,メカニズムの自己運動 として農開するように考案したからである。『大教授学』の副題中に見えてい る「教えるものにとっては教える労苦がいよいよ少くなり,しかし学ぶ者にと っては学びとるところが多くなる方法」という自己のく方法〉にたいする規定 は,教授・学習労働の軽減に加えて「僅かな労力で 愉快に 着実に」それを

おし進める方法を意味していた。

(16)

(194) コメニウスにおける教育学の方法の成立

       5

 コメニウスの「自然」概念は,彼の思想的基調である「神の三書」を前提と して措定され,連関づけられている。すでに見たように,その概念自体が当時 の社会構造の矛盾を鋭く別り出した現実批判の論理としてはたらくものであっ

た。その論理は, 「神の三書」ということばに示されているように,神の「創

造」の意図を地上における人間の可能性に読みかえたものであった。それは実 際には,人間の実践対象たる「自然」と人間主体における「自然」,両者を結 びつける「利用」概念措定を意味していた。人間にたいする神の期待は,人間 が主体的に上記の論理を把握していく実践の強調につながっている。コメニウ スはみずからそれを実践したのである。すなわち,彼は実際に現実を観察する 中から,上記の「利用」概念を中心にして,他の「自然」にまでつき進み,人 間の実践対象たる「自然」の内的構造をPansophia(汎知界)として構造化し

人間主体における「自然」を感覚と理性との認識的しくみ,行為と認識との関 係という豚絡で感覚論として展開し,さらに,両者を結びつける「しくみ」を

,丁自然と工作技術がその生産に当たってとる生産行程」に着目することによっ

てこれを構造的に把握したのである。その際彼が分析したのは,初期マニユプ アクチュア段階における生産技術であり,それを彼は法則と手段の体系と把握 し,彼独得の「生産力」視点と結びつけたのである。そして,それが,彼の 感覚・論汎知界を結合するく方法〉として展開する中で彼の感覚論・汎知界 は,学校組織論から教育内容論にいたるまでの人間発達論を中核とする教育学 を生み出した。かくて,コメニウスの「自然」は,論理的にはその措定的役割 をはたし,その消滅の道程の中から教育学の,〈方法〉を生み出したのであ

る。

  註

 (1)Schola Ludus. Pars皿. Actus I.

   Scena 1. Opera Didactica Omnia vol皿P882. Opera Didactica Omniaは,

   1657アムステルダムで出版されたコメニウスの『教授学全集』であり,その出    版年までのコメニウスの教育関係の著作を全部おさめてある。チェコ語版の    Vegker6 sp三sy Jana Amosa Komensk6hoとともにコメニウス研究の基本的文

(17)

  献である。

〈2)Schola Ludus.1654年ポーラソドのLegno(Lissa)で執筆したラテン語学校用   教科書。コメニウスも序文で言及しているように,これはJanua Linguarum Re   serata(開かれたる言語の扉)をドラマ化したものである。事実両者の内容は構   造的には完全に一致する。なお,序文の中で彼は,ドラマのもつ教育的意味をさ   まざまな角度から論じているが,行為と認識の結合・学習の愉快性に論点を置い   ていると判断され得る。同書の内容は下のように八部にわかれている。学級全員   の参加を目標につくられたらしく,登場人物,服装等についても言及され,「服   装を華美にせぬよう。似ていれぽいいのだ!」と書かれている。

界界界校一界会界 然間術 デ  教     カ 自人技学ア徳社宗 IH皿WV班珊皿 rrrrrrrr aaaaaaaa PPPPPPPP

5Actus.20 Scena.

3Actus.13 Scena.

4Actus.20 Scena.

4Actus.15 Scena.

4Actas.19 Scana.

2Actus.18 Scena.

3Actus.14 Scena.

2Actus.17 Scena.

人人人人人人人人

52 S0 W8 V8 T6 U8 R3 T3

  本書の書名は,Schola=学校=Ludus, Schola=閑暇,遊び=Ludus・Schole・と   Ludusの格が同じであるところかな字義通りに訳すよりは内容に即して訳した   方がいいと思われる。そこで一応『楽しく教授・学習できる学校』と訳してみ

  た。

(3)Opera Didactica Omnia(以下ODOと記す)vol I・Prodrornus Pansophiae(パソ   ソフィア序曲)。1337年Oxfordで出版され, Conatum Comenianorum prae−

  1udiaと名づけられ,1639年にはProdromus Pansophiaeの名でロンドソで出版さ   れ,1644年第三版がLeydenで出版された。 ODOに収められているのは・この   Leyden版に最も近い。1964年Dtisseldorfで羅独対訳版が出版されている。

〈4)『分析的教授学』という事物があるわけではなく,これは1649年コメニウスが   Linguarum Methodus Novissima『最初言語教授方法』を書き,その第十章で言   語のみならず,ひろく教授学全般について概念分析の方法をとって体系化を試み   たため,同章をコメニウス研究者は如上の名で呼び, 『大教授学』以後の教授学   の方法の発展したものとしている。これは,コメニウスの書簡等の裏づけによ   り,その体系化への志向の跡をたどり得る唯一の書物といってよく,V. Jelinek,

  R.Alt等の研究がある。

〈6)Janua Lingurum Reserata.初版は1631年ポーラソドのLegno(Lissa)で出版さ   れ,多くの版を重ねコメニウスの名を東西両欧に高からしめた書物である。

(18)

(196) コメニウスにおける教育学の方法の成立

  L.Kurdybach;P&sobeni Jana Amosa Komentsk6ho v Polsku,1960.(ポーラソ   ドに蓄けるコメンスキー一一の活勤)s.111〜122.

  鈴木参勇『コメ』ウス教授学の方法』,一橋大学研究年報社会学研究3.p243   以下にくわしい研究がなされている。

(7) チェコ語版『コメー/・スキー著作選集』Vybran6 spisy Jana Amosa Komensk6ho.

  SVAZ. f lと収めてあるBr6na Jazyk otevfena s.360には, ll. O pfivOdu   sv6ta(世界の生成について)あり,その18にBtih vsecko stv6Yil z ni6eh・・(神   は万物を無から創造した)とし,以下「流出」論が展開される。

(8) <troji knih Boha>。

  拙稿『神の三書』性とコメニウス教育学の方法的発展一『教育哲学研究』vol 8   で論じておいた。

(9)Labyrint Sv6ta a Raj srdce(地上の迷路と魂の平安)。30年戦争の火中コメニウス   は祖国を追われ,2erotih伯の被護下に亡命生活をつづけながら絶望にうちひし   がれつつ書いた書物。献呈状の末尾に「クロポタの丘にて1623年」と記されてい   る。コメニウスのかくれ家と執筆年月を示すものである。この時は,30年戦争の   戦火はコメニウスの祖国の敗北を決定的ならしめた「白岳」(Bira hora)の戦斗   後,いわゆるドイツ・デンマルク戦争へと拡大していった。コメニウスの祖国ボ   ヘミア・モラヴィアは独立を失いハプスブルグ支配下に入っている。

⑩ Didactica Magna『大教授学』CaP. XIX−1.

⑪ ibid. Did. cap XVI・−5.

⑫ ibid.一読者へのあいさつ一

  本書中の「読者へのあいさつ」は『大教授学』一チェコ語,ラテソ語ともに含   めて一の執筆時に書かれたものではないであろう。『大教授学』の意図・成立   の事情などを知る上で重要な部分であるが,ODOに収められた際にコメニウス   があらたに書き加えたものと思われる。

⑬ Schola Ludus. Par.∬, Actus皿, Scenal皿.

04ibid

⑮ ibid. Par.皿. Aじtus I.Scena I.

⑯ibid

⑰ Didactica Magna. Caput. V−1

a$》 il)id. Caput.V−4

⑲ ibid

⑳  ib三d Capt V−7

⑳ Schola P旦nsophia delneatio. ODO. Par.1皿. P.18

  あるいは,

(19)

  Didactica Magna. Cap. XV−8       Cap. XX−7

伽 Schola Ludus・Janua等にあらわれたPansophiaの構造自体炉それを示す。

  拙稿『コメニウス教育学の方法研究の前提』一『教育学研究』第30巻第4号でそ   れを論じておいた。

飼 Schola Ludus. Par・皿・Actus H・Scena 4・

㈲ Didactica Magna. Cap. V−7.

⑳ ibid.

      ●

鋤 Schola Ludus. Par.皿. Actus H. Scena 5.

鋤 Didactica Magna. Caput. XX−4.

㈱ ibid. Cap, VI−6

㈲ ibid.同章の題名。

⑳ ibid. Cap. VI−3

鋤 Pampaedia(汎教育)Cap.皿一20,28.いわゆる『人間諸事情の改善についての総   勧告』中の一部作。この晩年の七部作については,すでに(前掲拙稿一『教育学   研究所載)中の註でややくわしく紹介したからここではあらためてくり返さない   が,『大教授学』一『分析的教授学』一『汎教育学』と教育学の方法が発展してい   ると見られる。そのため,コメニウスの思想がこの晩年の著作においては,とく   に,くわしく,しかも体系的に述べられている。この註をほどこした部分はそれ   以前の書物にも散見されるがとくにこの書物においてはそれが徹底している。

⑳ Didactica Magna Cap. VI−3 鰯 Novissima Linguarum・

  ODO. Par豆. p.100

㈱ コメニウスが学校をこの名で呼び,教師を「人間生産の技師」と呼んでいるのは   その「技術」ee−一一一「生産力視点」とあわせて重要な意味をもっている。そこで   は,生産・工作所等がいわゆる苦汁の労働を止揚するものと把握されていたこ   と,またそれらが逆に労働力の軽減を可能ならしめるものとされていたことがう   かがわれる。このような基調のゆえに,コメニウスは学校をもって「人間性の製   作所」としばしぼ語っているのである。引用にことかかないが一例をあげると・

  Didactica Magna Cap. XXVII−1.

B5 拙稿,前掲『教育学研究』所載.

㈱ 『分析的教i授学』でコメニウスは,分析(Analysis),綜合(Synthesis)i類比(Sy   ncrisis)のの方法関連についてふれつぎのようにのべている。数字は同書中のテ   ーゼにコメニウスのつけたもの。

  「97.分析の手段により,ある事物の諸部分に精通し得る。」

(20)

(198) コメニウスにおける教育学の方法の成立

㈲幽㈲

Φり 侮甦

色息オ奄Ψ

「98.綜合の方法を用いれば,それらにもっと完全に精通し得る。」

「99.以上に加うるに類比の方法を用いれば,それらを最も完全に知るようにな

   る。」

「100事物の確実な知識を探究するには,分析・綜合・類比の方法を綜合せねば ならない」

Didactica Magna Cap. V−2 ibid.         V−15,16 E.Troeltsch.『自然性と社会理論』

        サ

 Natural Law and the The(rry of s㏄iety,1500〜1800. trans by E. Barker.

 1934.p.210.

 Y.Borkenau;Der Ubergang vom feudalen zum burgerlichen Welt bild.1934   S.23−24

 Berna1;Science in History. Par. IV−7

Didactica Magna Cap. XIX−2

PrOdromus Pansophiae−62.コメニウスがF. Baconの方法をいかに受けとめた かを示す章句である。それは「大教授学」以前にコメニウスがBaconを知らなか ったとするKvaごalaの研究にもかかわらず明白である。

Didactica Magna XVIII−14 ibid.      XVIII−1 ibid.       XVI− 5

参照

関連したドキュメント

アドバイザーとして 東京海洋大学 独立行政法人 海上技術安全研究所、 社団法人 日本船長協会、全国内航タンカー海運組合会

「社会福祉法の一部改正」の中身を確認し、H29年度の法施行に向けた準備の一環として新

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

本学陸上競技部に所属する三段跳のM.Y選手は

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

兵庫県 篠山市 NPO 法人 いぬいふくし村 障害福祉サービス事業者であるものの、障害のある方と市民とが共生するまちづくりの推進及び社会教

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に