[資料] Michele de Jorio小伝
その他のタイトル Una breve biografia del Michele de Jorio
著者 栗田 和彦
雑誌名 關西大學法學論集
巻 49
号 4
ページ 526‑546
発行年 1999‑10‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00024468
一六世紀から一七世紀前半にかけて︑
St ra cc
a
︑
Sc ac ci
a
︑
Tu rr
i
など︑多くの著名な学者
を輩出した︒しかし︑商業の覇権を他国に譲り渡した一七世紀後半に︑商法学の分野における指導的地位を失ってから︑
Vi va nt
e
︑
Ro cc
o
︑
As qu in i
などが登場するまで︑イタリアの商法学は︑長いあいだ︑不遇に耐えなければならなかった︒小町谷操︱︱一博士の
名訳で知られている
Hu ve li n
﹁商法史﹂は︑その間のイタリアの引用に値する商法学の文献としては︑わずかに︑
Ba ld as se ro ni (1 ) (A sc an io
)
の海上保険論と
Mi ch el de e J o ri o
(
以 下
︑
MJ)
の三部の書物をあげているにすぎない︒いわば︑その間︑かつて栄光
に満ち溢れていたイタリアの商法学の面目は︑この二人によって︑かろうじて保たれていたのである︒ イタリアは︑商法学の分野において ︹
資 料
︺
ま し
, '
が
き
目 次 一 は し が き
二
M Jの生涯
三
M J
の
代 表
的 書
物 ︵
作 業
︶
四
A zu n i
の剰窃疑惑
五むすびにかえて
M i c h e l e d e J o r i
0 小伝
栗
田
和
1 0
二︵五二六︶
彦
Mi ch el e d e J o ri
0
小伝
(2 )
イタリアの商法学者によってだけではなく︑フランスの商法学者によっても高い評価がなされている
M
J であるが︑わが国にお
(3 )
いて︑彼に関する情報を聞くことは︑きわめて稀である︒そうした状況において︑わが師・窪田宏博士は︑つとに︑イタリア航行
(4 )
法典の形成過程を詳細に論じるなかで︑
M
J の代表的書物とそれにまつわるエピソード
(A zu ni
の剰窃疑惑︶を紹介しておられる︒
本小稿は︑その後に出版された文献などを用いながらいま少し詳しくまとめた︑
M
J の代表的書物とそれにまつわるエピソード
(5 )
に関する筆者の備忘録である︒
( 1
)
小町谷操三訳・ポールユーヴラン著﹁商法史﹂再版・昭和四五年一
0二頁︒われわれは︑
Hu ve li n
が
Ba ld as se ro niに つ
いては海上保険論のみをあげるにとどまっているが︑
M
J については一ー一部の書物をあげていることに注目しておきたい︒そ
の三部の書物は︑二においてみる
S to r i a d el co mm er ci o
⁝
(1 77
8 ,
1 78 3 ) , C od ic e F er di na nd o
⁝
( 17 8 1 ), La giurisprudenza
⁝
(1 79 9)
で あ
る ︒
( 2
)
An to ni o B r un e t ti , i r D i tt o ma ri tt im o p r iv a t o i t al i a no , v o l . 1 , To ri no , 1 9 29 , p . 22 6 ec c .
( 3
)
寺田四郎﹁南伊太利アマルフィノ海法﹂海法会誌六号︱二八頁は︑複数の学者を列挙するなかで︑
M
J の名のみを伝えて
いる︒谷川久﹁海事私法の構造と特異性﹂昭和三三年五八頁注一五は︑
M
J が
Fe rd in an do
四世より︑本稿にいう
M
J 草案
作成の命を受けたことを伝えている︒
( 4
) 窪田宏﹁イタリア航行法典ーその形成過程の研究ー﹂神戸法学雑誌八巻三号三八七頁注五゜
(5)MJ
の代表的書物︵本小稿にいう
M
J 草
案 ︶
は ︑
Ce sa re Ma ri a Moschetti,
I I co di ce ma ri tt im o d e l 17 81 di Mi ch el e d e J or i o p er il Re gn o d i Napoli,
2v o l l ・ , N a p ol i 1, 97
9
に
よ り
循 忠
刻 さ
れ て
い る
︒ M
J 草案の内容確認は︑この復刻版によって行う︒
筆者は入手できなかったが︑
M
J に関する詳しい伝記が一世紀半も以前に出版されているようである
(G iu se pp Me ar ia Fu sc o, e D ll a v i ta e d el l e opere
e l d ma rc he se Mi ch el e d e J o ri o
̀
Nap ol i, 18 4
8 )
︒
M
J に関する文献は︑
S . d e M aj o, e D J o r io , Mi ch el e, i D zi on ar io bi o g ra f i co d eg l i t i a l i a n i , v ol . 36 , o R ma , 1 9 88 , pp . 7 2 2 , 2 73
に 睦
T
し
い ︒
1 0
三
︵ 五
二 七
︶
一七八三年︱二月六日 まず︑若干の文献によりながら︑
M
J の主たる出版物︵出版地はすぺてナポリ︶およびその公職を時系列的にピックアップする
こ と
に よ
っ て
︑ M
J の生涯をスケッチしてみよう︒
一 七
三 八
年 一
0 月一八日
大学において︑法律学を学ぶ︒
一 七 六 一 年
Di sc or so sopra a l s to r i a d e' Re gn i d i Napoli
e
S ic i l ia
を出版する︒本書は︑ナポリ王国とシチリア王国の異なった
(l )
運の原因を究明した歴史的・政治的研究書であり︑好評を博する︒
一七七八年から一七八三年かけて︑
S to r i ad e
! c om me rc io d e e l la navigazione
a l d pr i c ip i d e o
! m on do si n o a i n os t r i g i or n
i
四巻を
(2 )
出版する︒これは︑未完に終わっており︑冗長で学問的原則に欠けている︑とのきびしい批判がないわけではないが︑航海と商業 を多角的に︵歴史的︑政治的︑哲学的そして法的側面より︶論じており︑航海と商業に関する古今の慣習・規則・勅令・法律につ
(3 )
い て
の M
J の博識ぶりを遺憾なく発揮している︒
一七七九年三月ニ︱日
Fe dr in an do
四世により︑科学文芸アカデミー
(A cc ad em ia d i S ci en ze B e e l le
L et t e re )
の一員に指名さ
(4 )
れる︒みぎの四巻の歴史書による栄誉︑といわれている︒
一七七九年︱二月二 0 日
一七八一年
M J
の 生 涯
︵ 五
二 八
︶
プロチダにおいて︑父
Gi ov an ni An to ni o d e J o ri
0
と 母
Tr es Aa ss an te
のあいだに生まれる︒ナポリ
(5 ) Fe rd in an d
0
四世より︑海法典の編纂の指令を受ける︒
Co di ce e F rd in an do o Co di ce Ma ri tt im o compilato
per r o di ne di S . M . F er di na nd o
I V
叩I妾L中j
出 忠
威 す
# る
︒ イ
タ リ
ア およびヨーロッパ各国の古今の海法のなかから︑より優れたより合理的な規定を収集している︒これは︑真の意味での海法典の草
(6 )
案というより︑草案作成のための研究資料集というべきものである︑と評価されている︒これについては︑三において検討する︒
海軍省領事裁判所
(T ri bu na le de ll 'A mm ir ag li at
o e
Co ns ol at o)
判 事 に 任 命 さ れ る ︒
関 法 第 四 九 巻 第 四 号
1 0
四
Mi ch el e d e J o ri
0
小伝
一八
0
六年二月一三日一七 九八
年一
︳︳ 月二 七日
一七九九年
一八
0
四年 侯爵の位を受ける︒La giurisprudenza
e ! d co mm er ci 0四巻を出版する︒
(7 ) 一八
0
二 年 七 月 王 国 会 議 (S ac ro Re gi o C o ns i g li o )
長官に任命される︒
d六巻を出版する︒
l st r u zi o n i d i c om me rc io e su
o s t at o an t l co
e mo
em o ( 8 ) ( 9 )
死去︒この日は︑ナポレオンの兄
(J os ep h)
の軍隊がナポリに侵攻した日でもある︑という︒
( 1
)
De M
ajo, op . i t . c , p . 27
0 ;
Mo sc he tt i, I I c od ic e c it . , v o l . 1 , p . XL II I.
( 2
)
De
Ma jo , o p . c i t . l, oc o c i t .
にその紹介がなされている︒
( 3 )
Mo sc he tt i, o p c i t . . , p . XL IV . ま た︑
M
J
は︑この当時︑海法の教科書作成の準備をしていた旨が︑兄のFr an ce sc od e J or i o , ln tr od uz io ne al l o s t u di o de l l e prarnmatiche
e ! d Re gn o d i Napoli,
o l v . 2 , N ap o l i, 1 77 7 , p . 14 6に ト
6ってのべられている︑
という
(M os ch et ti ,
0 p .
c i t . , p . XL IV nota 30 )
︒兄の
Fr an ce sc oは︑一七二五年一
0
月三日︑プロチダに生まれ︑弁護士︑判事および政府の役人を務める︒みぎの著書は︑ナポリ王国の法令集であり︑ローマ法に関する情報が付せられている︑と
いう︒一七八一年一
0
月二四日︑プロチダで死去(De Ma jo , o p . c i t . , p . 27 2)
︒
( 4
)
Mo sc he tt i, op . c i t . , p . XL IV .
( 5
)
J . M. Pardessus,
o l C l ec t i on de o i l s maritimes
an t e ri e u re s au 8 1 si e c le , To me 5 , P ar i s , 1 83 9 ( la ri st am pa : To ri no , 1 96 8 ) , p p . 23
4 ,
23 5に ︑ Fr ed in ando
四世の指令を伝える手紙
(G io va nn iA ct on
名義の︶が掲載されている︒
( 6
)
An to ni o S c ia l o ja , o C rs o d i d i r it t o d e l la navigazione,
o R ma , 1 9 43 , p . 2 1.
( 7
)
ナポリ王国の最高司法機関と位置づけられていたようである(M ar io Ch ia ud an o, e D Jo r i o M ic he le , N ov is si mo Digesto I ta l i an o v o , l . 5 , To ri no , 1 9 60 , p . 32
4) ︒
( 8
)
死去した場所は︑
Ni cc ol aA l i an e l li , D el le an t i ch e co ns ue tu di ni e l e g gi ma rittime
e l d l e p r ov i n ci e a p n o li t a ne , Na p o li , 1 8 7 1 , p p. XX II I' XX IV nota 2および
Ch ia ud an o, o p. c i t . , lo co c i t .
によると︑ナポリであるが︑
De Ma jo ,
0 p .
c i t . , p . 27 2 に
よる と︑
一七九九年︱一月一六日 同裁判所長官に任命される︒
1 0
五
︵五 二九
︶
m er c a nt i l i)
は︑とりわけ︑重要である︒これは︑
また︑海運関連法にあっては︑
プロチダになっている︒
Mo sc he tt
i
は︑それにふれていない︒
( 9
)
Mo sc he tt i, op . c i t . , p . XL
V I .
ナ ポ
リ は
︑
M
の J
代 表 的 書 物 ︵ 作 業
︶
一六世紀の初頭から︑長いあいだ︑スペイン(‑五
0三年ー一七
0七年︶とオーストリア︵一七
0七年ー一七三四
年︶の統治下にあった︒その間︑ナポリの経済・商業は︑いちじるしく停滞していた︒しかし︑一七三四年︑
C ar l
0
三世
( Ca r l o d i Borb
on e)
の到来により︑ナポリは︑本来の生気を取り戻すことになる︒
Ca rl
0
三世は︑経済・商業の振興を図るため︑ナポリ
港の整備など︑各種の公共事業を行っただけではなく︑司法制度改革・法改正作業にも取り組んだ︒ひとつの例が︑一七三九年一
(1 )
0 月 一 ︱
‑ 0
日の勅令による最高商事裁判所
(S up re mo Ma gi st ra to i dCo mm er ci o)
の 設 置 で あ る ︒
10
月 一
0 日のトスカーナ公
Fr an ce sc od i L or en a
によるトスカーナ海事航海勅令
( Ed i t to d i ma ri na e navigazione
a m ri tt im a To sc an a)
および一七八六年九月ニー日のヴェネチア海事法典
(C od ic e per
l a veneta
e m rc an ti le marina)
などとともに︑併記さ
( 2)
れるほどのものである︒
し か
し ︑
Ca rl
0
三世の司法制度改革・法改正作業は︑彼一代で終わらず︑
na nd
0
四世に受け継がれることになる︒すでに二においてみたように︑
Fe rd in an do
四世が
M
J に海法典の草案作成︵編纂︶を委
ね た
の が
︑
一七七九年︱二月二 0 日のことである︒
M
J は ︑
Fe rd in an do
四世から下された困難な命令に対して︑驚異的な迅速さをもって︑応えた︒下命からわずか二年たらずの
(3 )
一 七
八 一
年 ︑
Co di ce Fe rd in an do o Co di ce Marittimo
compilato
per r o di ne di S . M. Fe rd in an do
I
く全四巻︑合計二四一四頁に及
関 法 第 四 九 巻 第 四 号
一 七
五 九
年 一
0
月六日に王位を継承した彼の子
Fe rd
i,
一 七 四 一 年 八 月 一 八 日 の 商 船 航 行 規 則
(R eg ol am en to pe r l a navigazionee d 'b as ti me nt i
一八世紀におけるイタリアのもっとも重要な海運関連立法として︑一七四八年
1 0
六
︵ 五
三
0 )
Mo sc he tt i,
0
p . c i t . , p .
X V
I I
以下に詳しい︒その他︑一七五一年四月二九日︑王立海上保険会社の設立など︒
An to ni o L ef eb re D'
〇v i
d io ,
Ga br ie le Pescatore
, L
eo po ld o T u ll i o , M an ua le di d ir i t to d el l a n a v ig a z io n e ,
8 e d
. , Mi la no ,
19 98 ,
p p.
14ー
15 .
( 3
)
De Majo,
0 p .
c i t . , p .
270
は︑二四︱一頁としているが︑誤りであろう︒二四一四頁の本文のほか︑二七頁の目次が付され
ていたようである
(D an te Ga et a, I I c od ic e m ar it ti mo di Mi ch el
e De J o
r io , Di r i tt o Ma ri tt im o, 1 98
1,
p .
10 6)
︒
( 4
)
Pa rd es su s, o l C l ec t i on c i t . , To
me
1 , P a r is ,
1828 ( l a ristampa: Torino,
19 68 ), p p
8 ,9.
は ︑ M
J の
作 ば
莱 が
2賂央台祉
i #j
ん ^
い て
い る︵内外の学説︑歴史︑公法︑私法を雑多に集めている︶ことを欠点としている︒
( 5 )
A li a n el l i ,
0 p .
c i t . , p .
X X
V I
I .
( 6 )
Ch ia ud an o, op . i t . c l o, c o ci t . ;
De Majo,
op . i t . c , p .
27 0.
( 7
)
︵ 約
︶ 二
0 部とする者・
Ch ia ud an o,
0 p .
c i t . , l oc o ci t . ; Mo sc he tt i, op . i t . c , p . L I.
二五部とする者•De Majo,
op . c i t . , l oc o c i t
. ;
Pa ul Bo s e ll i , L e d r oi t m ar it im e e n I t a l i e , To ri no ,
18 85 ,
p .
91 .
︱
1 0
1 ; 1 叩 と
i ‑
︱ 五
部 叩
と す
る 者
・
A li a n el l i ,0 p .
c i t . , p .
X X
I V
. ;
Ga et a
̀
Le f o n ti d e! d ir i t to d el l a navigazione,
i M la no ,
19 65 , p p
84 , .
85 ,
no ta
5
.
( 1
)
( 2
)
Mi ch ele de Jo r i o
小伝
1 0
七
ぶ作業でもって︑応えたのである︒後世の多くの人は︑この作業を
M
J の代表的書物︵作業︶と評価している︒われわれは︑この
作業を︑本小稿において︑以下︑
M
J に対する敬意をこめて︑
M
J 草案と称することにしたい︒
(4 )
し か
し ︑
M
J 草案は︑真の意味での海法典の草案というより︑草案作成のための研究資料集というべきものであったためか︑あ
(5 )
るいは︑ナポリ王国をとりまく政治情勢がそれを許さなかったのか︑結局︑海法典として結実することはなかった︒そして︑
M J
(6 )
︵7
)
草案は︑政府内委員会の参考に供される目的で印刷されたため︑︵約︶二
0 部とも二五部ともいわれるわずかの数しか︑世に出な
かったのである︒まさしく︑﹁幻の海法研究書﹂というに相応しい︒
これを参照することの困難さは︑﹁公的図書館のなかにあって︑唯一︑ナポリ国立図書館が一部を有する︒それは︑
Gi ov an ni Te sc io ne
から
Mu ss ol in
i
に寄贈されたものである︒他には︑
An to ni oS c i al o
j a
が有していたが︑現在︑多分︑その相続人が有して
(8 )
いる︒﹂といわれているほどなのである︒
︵ 五
三 一
︶
全体を通じて守られている︒ 三
ー 一
︵ 五 ︱ ︱
︱ ︱ ‑ )
ニ に お い て み た よ う に ︑
M
J 草案自体が法典の草案というより草案作成のための研究資料集というべきものであるが︑その第一
巻は︑法典の草案としての性質をほとんど帯びていない︒
M
J は︑まず︑ナポリ国王に草案作成の原理・方針を語らせるかたちを
(1 )
採っている︒これは︑ユスティニアヌスの法学提要にならうもの︑といわれているが︑ローマ法に範を求める方法は︑
M
J 草
案 の
叙述は︑歴史的ー経済的
i学的ー哲学的性質を帯びており︑ときとして︑
M
J 草案の散漫.饒舌性を指摘する根拠にされてい
(2 )
るようである︒しかし︑
Mo sc he tt
i
は︑草案作成の原理・方針を語っているがゆえに︑第一巻がきわめて重要であることを認めて
(3 )
い る
第一巻は︑他の三巻と構成の形式自体も異なっている︒すなわち︑第一巻は︑六つの章 ︒
( ti t o lo )
とその下位項目としての節
( ca p i to l o )
からなっているが︑他の三巻は︑それぞれ︑二つの編
( li b r o)
からなっており︑その下位項目として章が置かれ︑さ
らに、そのもとに法(または法則•
le gg e)
が 設 け ら れ て い る ︒
第一巻の各章は︑それぞれ︑﹁法典の編纂について﹂﹁法典の一般的訓令﹂﹁法典の特殊的訓令﹂﹁法典の一般的方法について﹂
﹁法典の特殊的方法について﹂﹁法典の権威について﹂との見出し語が付されている︒
( 1
)
Mo sc he tt i, op . i t . c , p .
L I V .
( 2
)
草案作成の原理・方針について︑多くを語る︵説明する︶形式は︑
M
J が
M
J 草案を作成していた一八世紀の終末の時代
的背景があってのことであり︑
M
J のみがそれから自由でありえたわけがない
(R in ie ro Ze no , S t or i a d e
! d i r it t o m ar it ti mo i ta l i an o ne l m ed io ev o, Mi la no ,
19 46 , p p.
230 ,
23
1)︒
8 ) M
J 草案第一巻︵
V J
I │ 四
八 六
頁 ︶
Ga et a, I I c od ic e c i t, lo co c i t .
関 法 第 四 九 巻 第 四 号
10
八
航海に間接的に関連するにすぎない多くの職種の人︵港湾職員や税関吏︑船の司祭など︶についても論じられている︒
M
J は
︑ こ
( 1
)
( 2
)
( 3
)
(aJ I3
Mi ch el e d e
J o r
i
0小伝 第二編﹁海の人について﹂
M
J 草案第二巻
(N I
四 七
0 頁 ︶
第一編﹁海の法則について﹂
( 1)
本編は︑一四章からなっている︒多くの章は︑かなり不整序ではあるが︑ロード海法からル
イ一四世の海事勅令に至るまで︑広く海法の歴史を語っている︒これは︑往時︑歴史の知識が法律の研究にとっての不可欠的前提︑
(2 )
と考えられていたためであろう︒また︑
M
J のローマ法に関する素養・信頼の深さを示すものにほかならない︒
各章のもとに法が設けられているのは︑すでに︵三
I ‑
︶のべたとおりであるが︑たとえば︑第二章︵ロード海法について︶で
あれば二八の法に︑第四章︵コンソラート・デル・マーレについて︶であれば二四の法に細分されている︒
そ し
て ︑
M
J は︑逐一︑各法ごとに︑その根拠規定・学説を明示しており︵たとえば︑第一章第一法であれば︑学説彙纂1│2
—1)、MJ自身が作成した法にはFerdinando
I V ,
Re d e l le du e S i ci l i e e
t c .
と
表 示
し て
い る
︒
Mo sc he tti
は︑第一編のなかで︑第四章のコンソラート・デル・マーレに関する記述を特筆に値するもの︑と評価している︒す
なわち︑それまで疑いなきもの︑とされてきたコンソラート・デル・マーレの序文︵多くの港湾都市の執政官による遵守の宣誓が
(3 )
含まれている︶の信憑性について︑はじめて疑いの目を向けた点を評価するのである︒
なお︑四でみることになるが︑
Az un
i
の剰窃疑惑は︑主として︑この第二巻第一編に関して︑生じたのである︒
Ga et a, I I c od ic e c i t . , p .
1 0 6 .
Mo sc he tt i, op . i t . c , p .
L X
I V
.
Moschett~0
p . c i t . , lo co c i t .
本編は︑四二章からなっている︒船長や海員といった真の意味での﹁海の人﹂だけではなく︑
Moschett~op.
c i t . , p p. Li ll , L I V .