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地震予測情報と政府の反応

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(1)

地震予測情報と政府の反応

その他のタイトル Governmental Responses to the Earthquake Prediction Information

著者 山川 雄巳

雑誌名 關西大學法學論集

巻 50

号 2

ページ 261‑296

発行年 2000‑06‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00023605

(2)

阪神・淡路大震災はさまざまな教訓を残したが︑政府領域におけるそれとしては︑日本のタテワリ型の政府構造が

非効率なバラバラ対応の原因となったこと︑中央政府依存型の日本社会が災害への自主的判断にもとづく迅速な対応

力を発揮できなかったことについての反省などが重要だとされている︒このため︑危機管理体制についても地方分権

化と︑内閣の統括のもとに総合的危機管理能力を強化する必要が主張されてきた︒

(1 ) 

私も︑即応段階についての自分自身の研究にもとづいて︑そうした主張に共感している一人である︒しかし︑この

論文では︑地震への即応段階よりもずっと前の段階︑すなわち地震予測の段階での政府の対応の仕方について検討し

地震予測情報が︑地震災害を防止または軽減するうえできわめて重要であることはいうまでもない︒現行の大規模

地震対策特別措置法︵平成八年法律一四号︶も︑第四条で︑﹁国は強化地域に係る大規模な地震の発生を予知し︑

地震予測情報と政府の反応

J    I I

(3)

第五

0

もって地震災害の発生を防止し︑又は軽減するため︑計画的に︑地象︑水象等の常時観測を実施し︑地震に関する土

地及び水域の測量︵⁝⁝︶

の密度を高める等観測及び測量の実施の強化を図らなければならない﹂とし︑同法第三三 大規模な地震の発生が予測された場合︑はやめの避難措置などの防災態勢をとることが可能になるということから

しても︑地震予測が災害軽減に役立つことはたしかである︒また︑現在︑国が首都圏を中心に推進している重要都市 施設のレトロフィット計画や︑首都移転計画にしても︑なんらかの地震予測情報にもとづくものに違いない︒

阪神・淡路大震災以後︑地震予測研究の有効性を疑問視し︑基礎研究のほうに重点を置くべきだという声が強く なってきているが︑地震予測の研究が軽視されていいわけではないであろう︒

気象予報と比較するとき地震予測情報の特殊性がはっきりする︒気象についての予測は気象予報というかたちで日 常的にアナウンスされ報道されている︒気象予報は割によくあたるようになっていて︑予報への需要も大きい︒この ためマスメディアは︑気象予報番組を重視し︑これを担当する専門家を雇用している状態である︒

ところが︑同じように気象庁によって日常的観測体制がとられているにもかかわらず︑地震については日常的な予 報を行なうところまでいっていない︒最近では︑ある程度の地震が起こるたびに︑テレビがテロップで︑番組の背景

(2 ) 

に文字放送で地震発生情報を伝えるようになっているのは進歩であるが︒

地震予測情報は︑社会的に影響するところが大きい情報であって︑間違えばパニックを引き起こす可能性もあり︑

取扱いに特別の注意を要する情報である︒気象予報のなかで︑台風に関するものは︑災害予測情報の性質をもってい

(3 ) 

て︑地震予測情報に似たところがある︒台風が接近すれば︑とくに船舶は注意して避難行動をとるのが賢明である︒ 条も予知に資する科学技術の振興を国に義務づけている︒

関法

(4)

警戒宣言を発令するか否かの決断の責任は首相が負担するものの︑予知情報の内容や信頼性については気象庁長官

に責任をもたせるのである︒地震の場合は︑気象庁長官みずから国民に対する予報官としての役割をはたすのである︒

このように︑大規模地震対策特別措置法では︑大規模地震に関する予知情報が政府に伝達される形態として︑気象

庁長官が首相に対して地震予知情報を伝達するという︑ただ︱つのプロセスしか想定していない︒こうした形で地震

なければならない︒

情報にもとづいて避難行動をとるというとき思い出すのは︑﹁狼が来た!﹂と叫んだ少年のことである︒少年の最

初の叫びは村人にパニックを引き起こした︒人々は避難行動をとったのである︒それはウソであるということが後で

分かったのだが︑そのあと︑二度目にも村人は少年のウソにひっかかった︒しかし︑三度目には少年は村人をだます

ことができず︑ウソつきというレッテルを貼られ︑愉快犯として厳しく罰せられたのであった︒

もしマスメディアや政府のような社会的影響力の大きな組織が︑この少年のように振舞ったとすればどうなるであ

ろうか︒社会はいらざる大混乱を重ねることになるであろう︒刺激性の強い地震予測情報については︑慎重に取扱わ

地震予測情報のことを扱っている日本の法律の代表的なものが︑さきの大規模地震対策特別措置法である︒

その第九条第一項によると︑﹁内閣総理大臣は︑気象庁長官から地震予知情報の報告を受けた場合において︑地震

防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは︑閣議にかけて︑地震災害に関する警戒宣言を発するとと

もに﹂︑地震防災対策強化地域の住民等に対する警戒態勢に関する公示等の措置をとる︑とされている︒同条第二項

によると︑警戒宣言を発するときは︑﹁内閣総理大臣は気象庁長官をして当該地震予知情報に係る技術的事項につい

(5)

第五

0

もし政府に伝達される地震予知情報が︑大規模地震対策特別措置法に規定されているような情報に限られており︑

情報の伝達経路にしても︑同法が規定しているような気象庁長官から首相へのルートに限られているとすれば︑政府

に伝達される地震予知情報はきわめて少ないと考えていいのかもしれない︒というのは︑警戒宣言を発することにつ

ながるような大規模地震が発生することはあまりないだけでなく︑あるシンクタンクの試算によると︑警戒宣言が発

(4 ) 

せられたときに生ずる社会経済的損害は一日当たり七二

0

0億円に達するとされており︑気象庁長官は︑おそらくこ

のことを考慮したうえで首相に進言するであろうからである︒

それでは︑実際に︑首相に対して気象庁から地震予知情報がほとんど全く伝達されていないのかというと︑私が村

山元首相にインタビューした経験からすると︑事実はそうではないようだ︒﹁首相の参考に供するに値する﹂と気象

庁が判断した情報は︑それがかならずしも警戒宣言発動につながると判断されるようなものでなくとも︑首相に伝達

では︑地震予測情報の伝達経路は気象庁長官←首相のルートに限られているのであろうか︒これにしても実際には︑

そのように限定的・一元的ではなく︑もっと多様であると考えられる︒気象庁は運輸省に所属する機関である︒また︑

地震予知については地震予知連絡会︵予知連︶が国民のあいだでは有名であるが︑この組織は国土地理院長の私的諮

問機関であり︵事務局は国土地理院地理地殻活動研究センター︶︑そして国土地理院は国土庁の所管機関なのである︒

それゆえ︑国土庁長官や運輸大臣に重大な地震予知情報が伝えられ︑国土庁長官や運輸大臣が首相に重大地震予測情

報を伝えることがあったとしてもおかしくはない︒さらに︑有力な地震学者がインフォーマルな形で首相や閣僚ない されるルーチンが一応確立されていると見られるのである︒ 予知情報の取扱いに慎重が期されているとみてよい︒ 関法

(6)

そこで私は︑本稿では︑

し有力政治家に自分の予測を伝えるという場合があるかもしれない︒

二六五 してみると︑日本では大規模地震対策特別措置法に規定されているケースが基本的な重要性をもっているとしても︑

地震予知情報ないし地震予測情報と政府とのかかわり方については︑これをもっと広い文脈において検討してみるこ

(5 ) 

とが必要であり︑かつ有益であると考えられる︒

その場合︑次のような研究開発の課題があるといえよう︒第一は︑政府は地震予測情報をどのように扱うべきかと

いう問題である︒第二は︑地震予測情報への政府の反応ないし対応についての実証研究である︒第三は︑予測情報へ

の政府の反応とその結果についてのデータベースを構築し︑政府等がこれを機動的に参照して有効利用できるような

システムを構築することである︒

このような問題意識から私は︑地震予測情報への政府の反応ないし対応について考えてみたいのであるが︑上の一︱︱

つの課題ないし問題のうち基礎となるのは︑第二の実証研究である︒しかし︑この種の先行研究はとくに日本では乏

︱つの手がかりをアメリカでリチャード・オルソンらが行なったある地震予測に関する調

査研究に求め︑かれらの報告書における地震予測情報への政府諸機関の対応についての記述を私自身の問題意識の角

度から再分析して︑地震予測情報が政府諸機関およびそれらをとりまくより広い社会的文脈においてどのような経路

をとおって伝播し影響を及ぼしていくものかについて考察することにしたい︒そして︑より一般的な角度から地震予

測情報への政府の対応パターンの類型を構成して︑日本のパターンにも論及し︑地震予測情報の扱い方に関する日本

の現行制度を柔軟化・多元化する必要があることを結論することになるであろう︒

(7)

(1 ) 山川雄巳﹁阪神・淡路大震災における村山首相の危機管理リーダーシップ﹂︑﹃関西大学法学論集﹄第四七巻第五号︑九七年―二月、六八七ー七六九ページ。K•

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13 .  

55 . 

J翠参照︒山川雄巳﹁カリフォルニアの地霙危機管理システム」、『関西大学法学論集」第四六巻第四•五·六号、一九九七年三月、五六七ー六0九ページ。(2)これは一種の原始的なキュープ・システムのようなものといえよう。山川雄巳•前掲「カリフォルニアの地震危機管理シ

(3

)

台風や地震は自然現象である︒自然現象に関する予報ないし予言は︑社会的領域に関する予報ないし予言とはことなり︑

マートンやポッパーのいう︿アナウンスメント効果﹀をもたない︒ただし副次的なアナウンスメント効果をもつことがない

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19 57 . 

森東

吾他訳︑マートン﹃社会理論と社会構造﹄︑みすず書房︑一九六一年︒なお︑﹃月刊言語﹂︑特集・予言の構造︑第二八巻

第二号︑一九九九年二月︑をも参照︒

( 4

)

茂木清夫﹃地震予知を考える﹄︑岩波新書︑一九九八年︑一八四ページ︒

(5 )

大規模地震対策特別措置法(‑九七八年施行︶では︑︿地震予知﹀という言葉が使われているが︑︿予知﹀という言葉は︑

﹁あらかじめ知ること﹂を意味する︒これはかなり強い意味内容の言葉である︒︿予知﹀は︑英語の︿

p re d

i ct i

﹀に対応すo n

る言葉であろう︒しかし︑︿

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o n﹀に対応する言葉としては普通︿予測﹀という言葉が使われている︒このことからす

ると︑大規模地震対策特別措置法での︿予知﹀という言葉の使用に抵抗を感じる向きがすくなくないであろう︒

もちろん︑大規模地震対策特別措置法の条文を引用したり︑それについて解釈論をするときには︑︿予知﹀という言葉を

使用せざるをえないし︑また使用すぺきであるけれども︑一般的な文脈においては︑とくに︿予知﹀という言葉を使用しな

ければならない理由もないように思われる︒このため︑私は︑この論文では︑︿地震予知﹀という言葉の代わりに︿地震予

測﹀という言葉を使用することにしたい︒ 関法

0

(8)

︵ ︱ ‑ 六 七 ︶

( Br i a n 

T .   B

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が一九七0年代終わ リチャード.

S

・オルソンはアメリカの政治学者である︒かれがここで取り上げる調査研究を実施したのは︑アリ

ゾナ州立大学準教授時代の一九八0年代のことであるが︑現在かれはフロリダ国際大学に移っている︒かれはこれま

で一貰して地震危機管理の調査研究をしてきており︑実施する調査はしばしば大規模である︒政治学者であること︑

地震に関心をもっていること︑この二つの共通性があるので︑私はかねてからオルソンの仕事に注目してきた︒

オルソンが地震予測に関心をもつようになったことについては︑かれがトマス・クーンの有名な﹃科学革命の構

(1 ) 

造﹄に強い影響を受けたことが関係している︒

クーンは周知のように︑科学の営為に通常科学の時期と科学革命の時期を区別しているが︑科学革命は︑学界主流

をしめる通常科学的なパラダイムに対する果敢な挑戦をとおして実現するのである︒しかし︑それはかならずしも成

功するわけではない︒失敗はひっそりした失敗もあれば︑激しいドラマティックな失敗もあるであろう︒オルソンは

どちらかといえば後者に関心をもったように見える︒そして︑かれは︑現代科学において学界主流への大胆な挑戦が

オルソンは︑そうした地震研究における革命をめざした挑戦と失敗の典型的なケースとして︑合衆国鉱山局

( U S B M )  

デンヴァー・センターに所属していた物理学者ブライアン・プラディ

りから八0年代の始めにかけて試みた︑みずからの地震予測理論に対する認知を求める闘いに注目した︒

プライアン・プラディは︑マサチューセッツ工科大学で修士号︑

試みられる舞台の1つとして地震研究に関心をよせたのである︒

調

コロラド鉱山大学院で博士号を取得したのち鉱山

(9)

学 ﹄

一九七六年 問題の予測は︑プラディが︑ とづいて書かれたものとして︑資料的価値が高い︒ 予測はその副産物の︱つであった︒ 第五

0

局に就職し︑落盤や岩石破壊などの研究を重ねているうちに︑次第に地震に関心をもつようになった︒

かれは当然のように地震を岩石破壊現象として扱おうとした︒プレートテクトニクス理論や地震空白域の理論と

いった諸理論に挑戦したわけではないが︑かれはみずからが鉱山局で実験的に観察してきた岩石破壊の機制とデータ

にもとづいて地震を実験室的にとらえようとしただけでなく︑地震を地球の形成する重力場と関連づけて理解しよう

とした︒そして︑これら二つのアプローチの結合のうえに新しい予測理論を構築しようとしたのである︒ペルー地震

一九八一年六月にペルーで前例を見ないような巨大地震がおこるであろうというかれの予測は︑ペルー政府および

ペルー社会に大きな動揺をあたえたが︑アメリカ合衆国地震予測評価会議にかけられて︑苛烈なといってよい審査の

まえに全面否定され︑さらに︑地震が起こらなかったという事実によっても否定されることになる︒

オルソンは︑このプラディ予測に関心をもった︒そして︑プラディの挑戦が学界主流によってどう扱われたかを︑

その細部にいたるまで調べようとしたのである︒かれは全米学術基金のサポートを得て︑ペルー人を含む研究班を組

アメリカ合衆国とペルーの両国において︑徹底的な資料調査を行なうとともに︑多数の関係者に対するインタ

ビュー調査を実施した︒その研究成果報告書が

Ri ch ar d S tu a r t  Olson,

i   w th   Br un o  P od es ta   an d  J oa nn e 

M .  

Ni gg ,  Th e  P o l i t i c s   o f  E ar th qu a 奇 P r e d i c t i o n , Pr in ce to n  Univ er si ty r   P es s 

̀ 

1989である︒本書は︑非常に充実した資料にも

一九七四年から七六年にかけて︑ヨーロッパの科学雑誌﹁純粋および応用地球物理

(P ur e  a nd   Ap pl ie d  G e op h y si c s )

誌に発表した﹁地震の理論﹂と題する四篇のシリーズ論文のうち︑ 関法

(10)

さらに第四論文発表の翌年︑ において︑プラディは︑

(2 ) 

に発表された第四論文の注の中に記されていたものである︒

一九七六年当時プラディは三八歳であった︒それから五年間︑かれは多数の有力な地震学者たちを相手にして学問

的・社会的闘争を続けなければならなくなる︒戦いのあとをみると︑かれはじつにタフであったといえる︒

かれの論文の基本的アイディアは︑かれが多数の実験をとおして得た︑岩石の破壊過程の機序についての知見が︑

実験室における岩石破壊や鉱山における落盤だけでなく︑地震にも適用可能であると考えたところにある︒プラディ

は︑このアイディアを﹁ミクロ物理学と地球物理学および数学の先例をみない新しい結合﹂にまで高めた︵オルソ

ン︶︒プラディによると︑主震にさきだって︑三つのクラスの前兆現象が区別されうるのであって︑地震が予測され

る地球物理的領域はこれら三つのクラスの前兆を経過して主震に到達する︒この領域の物理システムは︑主震という

究極現象に向けて決定されている点︑時計に似ているとされる︒このような意味で︑プラディは︑通常とられている

地震生起についての確率論的アプローチとは異なる決定論的アプローチをとったのであった︒

第四論文﹁地震の理論

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ー地震予測に対する一般的意義ー﹂において︑プラディはかれの理論を五つのケースに適

用したが︑そのなかに︑ペルーのリマ近くで起きた一九七四年の二つの地震についての考察が含まれていた︒その注

一九七四年︱一月九日の地震は﹁ペルー中央部沖合七五キロメートルで近い将来に起こる

⁝⁝大地震の必要十分条件が整ったことを信号したものである﹂という仮説を記したのである︒

一九七七年の八月にプラディは︑ある報告書で︑予測を正面から取り上げ︑予測され

る主震は﹁マグニチュード約八・四︵土

O ・ 二 ︶

(3 ) 

に起こる﹂とした︒

で ︑

一九七四年︱一月一四日から数えて最短時間でほぼ五・九年のち

(11)

ビュー・データにもとづいて再構成しようとした︒ 第五0

( W i l l i a m  

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 の業績に負うところが大きかった︒

なったのである︒しかし︑

し︑ついには︑予測が﹁プラディ

1 1スペンス予測﹂と呼ばれることを拒否するにいたる︒

0)

プラディの仮説は︑とくに使用されたデータの側面において︑合衆国地質調査所の地球物理学者ウイリアム・スペ

0年代の初めにプラディと知り合った︒スペンスは︑もと全米大洋・大気研究機関

( N O A A )

に勤務していたのだが︑所属していた組織が地質調査所に吸収されたために地質調査所に移り︑

1地震の余震研究班の一員としてリマで研究していたのである︒プラディの理論とスペンスのデータが結合して︑

プラディ予測または︑しばしば﹁プラディ

1 1スペンス予測﹂と呼ばれる一九七六年地震予測が生み出されることに

スペンスはかれらの予測がトラプルに巻き込まれてゆくにつれて次第に共同戦線から離脱

オルソンは︑この﹁ブラディ予測﹂または﹁プラデイ

1 1スペンス予測﹂がどのような運命をたどったか︑また︑こ

の地震予測情報をめぐって︑どのような人々がどのように行動したかを︑合衆国国務省電信記録や地震予測評価会議

速記録など多数の記録文書と︑

オルソンの主要な関心は︑さきに述べたような事情から︑地震予測評価会議におけるプラディ理論およびプラディ

のペルー地震予測についての審査の様相︑つまり学界主流に対する挑戦とそれに対する対抗的な戦いの様相を明らか

にすることにあったと見られるのだが︑これに対して私は︑さきに述べたような問題意識にもとづいて︑地震予測情

報の社会的影響過程︑予測情報に対して政府はどのように反応したか︑さらに政府は予測の扱いにおいてどのような

点に留意しなければならないかといった角度から︑かれの報告書における記述を再分析することにしたいのである︒

関法

プラディやスペンス本人に対するインタピューを含めた多数の関係者のインタ

10

 

(12)

その下には行政諸機関︑それからマスメディア︑そして︑

(1 )  Th om as   Ku hn ,  T he   St ru ct ur e  o f  S c i en t i fi c   Re vo lu ti on ,  U ni ve rs it y  o f   Chi ca go   Pr e s s,   1 96 2 .  2 nd   e d . ,   1 97 0 .   (2 )  Br ia n  T .  Brady,

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Pu re   an d  App li ed   Ge o p hy s i cs , 1  1 4  ( 1 97 6 ) ,  p p .  1 03 1  ,  1 08 2 .   (3 )  Ri ch ar d  S tu ar t  Olson,

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Ni gg ,  Th e  P o li t i cs   o

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~l質華E本生所ゴールデンX局のパキサーヘの報告書。一九七七年八月二五日付。

では︑プラディ予測が予測情報として︑どのような政府機関にどのような経路で影響力を及ぼしていったか︑その

これからの分析については︑私が作成した表ー・プラディ地震予測の影響径路を参照していただきたい︒表1

タテ軸に沿って︑プラディ予測とのかかわりをもった諸機関を︑上から地震研究に関係のある専門機関のグループ︑

みられるように︑政府諸機関は非常に複雑な社会・政治的文脈の中に組み込まれているわけである︒

ョコ軸に沿って︑アメリカ合衆国︑ペルー︑そして︑国連およびその他の国の機関というように国別的に記

載し︑国際的な連関を示した︒[

オルソンの報告書になかにも︑ごく簡単にだが︑日本の大規模震対策特別措置法のことと︑プラディのペルー地震予

一番下には一般社会レベルというように分けて配列した︒

]のなかに入っている事項は︑参考のために日本の組織を記入したものであるが︑ 経路について考察してみよう︒

(13)

1

u s  

プラディ地震予測の影響経路

Peru  UN &Others 

関法

0

(14)

バキサー宛の報告書を提出したのは︑ ペルー人の研究者が重大な関心をもったのは当然である︒ 測に対する日本の専門家のコメントについての言及がある︒

(L ou is .     CPakiser)

の所長アルベルト・ギーセッケ

アメリカ合衆国の地震危機管理に関する機関として日本で有名なのは連邦緊急事態管理庁

( F E M A ) M

以外のさまざまなアメリカ合衆国政府諸機関が地震危機管理に関係してくることを示している︒

A

それ以外にどのような機関が地震危機管理に関係するのかはあまり知られていないのではあるまいか︒表1

は ︑

F E

さて︑よく知られているように︑ある研究者が論文を書いて専門雑誌に発表したとしても︑他の研究者が読んでく

れるとは限らない︒このため論文の別測を送ることが行なわれているが︑それでも相手がかならず読んでくれるとは

言えない︒学界の長老教授に若い研究者が送付した場合など︑無視されることがむしろ多いようだ︒

プラディの野心的論文も︑合衆国ではほとんど無視された︒しかし︑ペルーで現地調査をしたことのあるスペンス

がペルーの地震研究者にプラディ論文のリプリントを︑自分のコメントをつけて送ったことによって事態は変わった︒

( l n s t i t u t o Ge of is ic o  d e l  Pe ru

  : I

GP )  Gi es ec ke )

は︑ブラディに直接接触して予測の内容やそれがどのような根拠をもっているのかを確かめようとした︒

このようにして︑プラデイ

1 1スペンス

1 1ギーセッケの三角形回路が形成され︑︑プラディ予測の社会的影響プロセス

を推進するうえで基本的な役割をはたすことになったのである︒

スペンスはまた︑ブラディ予測のことを地質調査所ゴールデン支局の上司であるパキサー

話した︒その結果︑パキサーはプラディにかれの地震予測についての考えをまとめてほしいと依頼した︒プラディが

地震予測情報と政府の反応

(A lb er to  

一九七七年八月のことであった︒その内容が︑さきに述べておいた︑﹁マグニ

(15)

合衆国では︑パキサーの尽力もあって︑ 第五0

チュード約八•四(士0・ニ)

で ︑

一九七四年︱一月一四日から数えて最短時間でほぼ五・九年のちに起こる﹂という

ペルー沖合地震の予測である︒パキサーは︑プラディ報告書をレストンの地質調査所本部の地震予測評価パネルに送

プラディの報告書は︑ギーセッケにも送られたが︑ギーセッケは︑これを研究所の監督機関であるペルー文部省の

大臣であるグアプロチェ将軍にも内密に伝えた︒ところが奇怪にも︑報告書のコピーがペルーのマスメディアの一部

(1 ) 

にも流れたのであった︒

だが︑このことを知った軍事政権当局は︑社会不安の醸成を恐れて︑マスメディアに対してプラディ予測について

の一切の報道を禁じた︒この禁止令は︑しかし︑軍事政権の威信が低下した一九七九年の終わりごろには緩んでしま

(2 ) 

い︑ブラディ予測は民衆のあいだで周知化するのである︒

一九七七年︱一月一八日︑地質調査所ゴールデン支部において︑ブラディ

1 1スペンス予測についての意見交換のための研究会議が開催されることになった︒ギーセッケも当時︑合衆国国務省

の招待で合衆国を訪れており︑三人のペル

1

人研究者と一人の外交官からなるペルー代表団を率いて︑この研究会議

(3 ) 

に出席することができた︒

この研究会議は︑かなり大がかりなもので︑地質調査所本部の地震研究部の次長のジョン・フィルソン

( J o h n  

F il s o n)

が議長を務め︑ほかにも地質調査所の七人の地震専門家が参加した︒プラディとスペンス︑さらに国務省の

対外災害対策援助室のポール・クルンペ

ついに合衆国の地震エスタプリッシュメントによる検討の対象として取り上げられることになったのである︒ 付したが︑本部はこれを無視した︒

(P

au

l 

K r

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p e

)

も出席したのであった︒このようにして︑プラディ予測は︑

(16)

ヴェリ

一 五

研究会議の︱つの重要な帰結は︑この会議に関する地質調査所の内部覚書である︒そこでは︑追加的データ分析が ブラディ予測の立場を強化するであろうと述べられていた︒いま︱つは︑ギーセッケがペルーに帰国したのち︑

モラ

レス軍事政権に求められて︑政府のすべての省庁の次官クラスに対するブラディ地震予測についての説明を行なった ことである︒これはペルー政府が対策が必要かどうかを検討するために開催したものであったが︑ギーセッケによる 説明がどのようなものであったかは容易に想像がつく︒かれの説明はペルー政府全体にブラディ予測を浸透させた︒

それだけでなく︑集まった官僚の数が多かったために︑情報のマスメディアヘの漏洩を避けることができなかったと

(4 ) 

いう点でもこの会議は重大な意味をもっていた︒

一九七八年五月九日︑地質調査所と鉱山局の両局調整委員会の定例会議が開かれたが︑この席で鉱山局代表のマロ (R ob er t  M a ro v e ll i ) はブラディ予測にふれ︑それが科学的根拠をもっていると主張した︒

ペルー沖合で地震が起こった︒これを心痛したギーセッケは︑駐ペルー合衆国大使館を通じて国務省 に対して︑ブラディが予測研究を継続することを鉱山局が認めるよう働きかけてほしいと依頼するとともに︑あわせ て︑ブラディ予測に対する権威ある評価をくだすための合衆国地震予測評価会議

(N at on al Ea rt hq ua ke r e   P d ic t i on   Ev al ua ti on   Co un ci l:   N EP EC ) が開催されるよう尽力してほしいと要請した︒

まず鉱山局はブラディの研究の自由を認め︑かれを攻撃から保護した︒だが︑評価会議が開かれるまでにはかなり かかった︒この会議のメンバーで多数をしめていたのは地質調査所主流とのつながりの強い人々であり︑鉱山局には かならずしも好意的ではなかった︒地質調査所レストン本部や︑地震研究のエリートたちと呼ばれるメンロ・パーク 支局の人々は︑ゴールデン支局とは異なり︑鉱山局のブラディによる地震研究を最初から疑問視するところがあり︑

地震予測情報と政府の反応

(17)

しぶとい鉱山局に反発を強めつつあったのである︒不思議に思われるのは︑このような対立状況のなかで︑両機関を

統轄する内務省長官が調停の手をさしのべたあとがみられないことである︒長官は︑どちらかというと︑地質調査所

こうした政府諸機関の分裂傾向を助長したのが︑国務省の対外開発援助局

( U S A I D )

と︑その対外災害対策援

助室

( O F D A )

第五

0

である︒これらの機関は︑プラディ予測を支持しようとして︑地質調査所と対立することになる︒

ペルーで大規模な地震が起こるだろうという予測は︑対外開発援助局・対外災害対策援助室にとって︱つの活動チャ

ンスが到来したことを意味していたのである︒このように利益考量で独自に動く組織が論争過程に参加してきたこと︑

そして対外災害対策援助室が研究組織とは体質の異なる実行組織であったことは︑地質調査所にとって有難くないこ

ペルーのギーセッケにしても︑プラディ予測は︑ペルーにおける地震研究の代表者としてのかれの地位をむしろ強

化するチャンスとみなす傾向があった︒かれは合衆国の対外援助資金によって︑みずからの研究所の観測ネットワー

クを現代化しようとして対外災害対策援助室と結びつこうとした︒このようにして︑複合組織体としての官僚制の国

際的な利益結合ネットワークが形成され︑ブラディ予測はますます大きな国際問題になっていったのである︒

0年三月一八日︑対外災害対策援助室はみずからが主催するペルー地震予測についての多機関会議を開催す

(5 ) 

ることに成功する︒政府におけるプラディ予測問題処理のリーダーシップを握ったのである︒この会議には︑地質調

査所︑鉱山局︑国際開発援助局︑合衆国標準局︑全米学術基金︑連邦緊急事態管理庁などが参加して︑プラディ予測

と合衆国としての緊急事態対策計画について検討した︒そして︑この会議の決定にしたがって︑五月二七日︑合衆国 に反感をもっていたのではないかとさえ思われる︒ 関法

一 六

(18)

な手続にかけるよりない状況が成立した︒ ディ予測は︑合衆国でも公衆領域に達したのであった︒ ギーセッケも活動的であった︒て︑南アメリカ地震学地域研究センター

一 七

地質調査所レストン本部のジョン・フィルソンは︑ゴールデン支局の国家地震情報サービス

(6 ) 

プラディのいう前震の系列を検出するための作業を命じたのである︒

0

0月二0日から二四日にかけてアルゼンティンのサンファンにおい

( C E R E S I S )

が主催する﹁地震の脅威と予測﹂をテーマとする国際研

究セミナーが国連からの資金援助を得て開催されたが︑これは実質的にはギーセッケの推進したもので︑プラディ予

(7 ) 

測を検討するために開かれたものであった︒むろんブラディとスペンスも出席した︒かれらは帰途︑招待されてペ

10

月二九日に大統領と会談しさえした︒これはペルー政府がプラディ予測を受け入れたことを意味す

るものと解され︑のちにとくに地質調査所によってプラディとスペンスの行動が問題にされた︒

ここまでは︑合衆国に関する限り︑専門家および政府の領域での出来事であって︑いわぱ社会一般の眼からは隠さ

れたところで進行していたドラマであったが︑サンファン会議から帰国した地震予測評価会議の議長であるクラレン

0年︱一月はじめ︑カリフォルニア工科大学に沢山の記者が集まっている場所で︑軽率にもプ

ラディ予測のことについて喋ってしまうというハプニングを演じてしまった︒このうかつな言動はマスメディアに

よってただちに全国に報道され︑プラディとスペンスのところヘマスメディアの記者たちが殺到した︒こうしてプラ

このようにして地質調査所の抵抗は突破され︑もはやプラディ予測を全米地震予測評価会議による審査という公的

一九八一年一月二六日︑プラディ予測の評価をするための全米地震予測評価会議はコロラド州ゴールデンのコロラ

地震予測情報と政府の反応

( N E I S )

(19)

第五0

(9 ) 

ド鉱山学校で開かれた︒この会議は公開であり︑

席したメンバーの過半数が地質調査所主流に属する人々によって占められていた︒

マスメディアの大々的取材の目の前で行なわれたのであったが︑出

二六日の審査は比較的穏健であった︒しかし︑二七日のそれは︑きわめて苛烈であり︑プラディは次第に後退した︒

スペンスも動揺した︒二七日の午後に︑プラディ予測に対する評決がくだされたが︑評決は予測を全面否定するもの

であった︒議長のアレンは評価会議を代表して︑プラディ予測を︑いい加減な証拠にもとづく思弁的地震予測と決め

( 10 )  

一般の人々の間にこのような予測が拡がり信じられるようになったのは遺憾だと述べた︒

オルソンの調査研究報告書のハイライトは︑地震予測評価会議の応酬についての詳細な記述である︒ここではそれ

を省略するが︑オルソンは︑会議の速記録にもとづいて︑プラディとスペンスに対する全く遠慮のない猛烈な集中攻

しかし︑プラディ予測が評価会議で否定されたからといって︑勝負は終わったわけではない︒予測評価会議の評価

自体が誤っているかもしれないからである︒したがってまた︑最終判定は実際に地震が起こるかどうかによってくだ

このため官僚制機構の論争はまだつづいた︒ワシントンでは評価会議でのプラディとスペンスに対する誰彼の言動

が科学者としてふさわしいものでなかったという反発が広がった︒この機を捉えて︑対外災害対策援助室のクルンペ

一九八一年五月二二日に多数の官僚等の前でかれの地震予測に

ついてレクチュアをさせ︑プラディヘの同情者を増やすことに成功する︒クルンペのねらいは︑ペル

1

地震予測機構

の整備と現代化のために合衆国が予算を計上することについての官僚たちの理解を求めることにあったのだが︑こう は︑プラディをデンヴァーからワシントンに呼んで︑ されるともいえたからである︒ 撃の様子をたくみに描いている︒

(20)

(1  

の図太さは印象的である︒ した根回し工作によって︑かれは︑まんまと予算承認を獲得したのであった︒

しかし︑やがて問題の一九八一年六月がやってきた︒プラディによって主震が起こると予測された時期である︒だ がはっきりした前震もなく︑もちろん主震も起こらなかった︒結局のところ︑プラディ予測は当たらなかったのであ る︒結局︑地質調査所主流と評価会議が勝ち︑ブラディが敗れたのであった︒

七月九日︑ブラディは︑

の手紙の最後の部分で︑

( 11 )  

アルベルト・ギーセッケ宛に︑予測を撤回するという手紙を書き始めた︒ブラディは︑こ ペルー側とのコンタクトを今後も保ちたいと書こうとしたのであったが︑

かれの手紙を チェックした上司は︑将来の連絡についての言及を含む手紙を出すのを認めようとしなかった︒このため︑﹁また連

( 12 )  

絡したい﹂という趣旨の文章は削除されたうえで︑プラディの手紙は七月二

0日に発送されたのである︒

0日︑地震予測評価会議議長クラレンス・アレンが国際開発援助局行政管理官であるマクファーソン宛に︑

( 13 )  

とくにクルンペを激しく非難する手紙を送った︒

こうした一連の出来事のあと︑当然︑責任問題がもちあがったが︑鉱山局はブラディをかばい通した︒対外開発援 助局のクルンペは︑ブラディ予測に強力な支持をあたえたことでアレンによってだけでなく他からも攻撃を受けたが︑

クルンペをかばう者も多く︑対外災害対策援助室の上司は︑

クルンペの﹁献身的な国際貢献﹂を認めて昇進させ︑ニ

( 14 )  

回にわたって議会功労賞をあたえるよう運動しさえしたのであった︒こうした合衆国官僚制機構の動きや︑官僚行動

プラディ予測をめぐる出来事には︑スパイ的活動の介在を思わせる点がすくなくない︒たとえば︑

Ol

so

n e t  

a l , 0 p   . at . 7   pp . 

38 

39 . 

表 2 地震予測情報に対する政府の反応パターン A.  無反応   ) r 認知せず、反応しない ( 2 )   認知するが、反応しない I .  事実的反応 B .  反 応 ( 1 ) (2 )  ( 3 )  局所的反応 I  , b. 反対 支持・外見的支持行動C. 懐 疑全体的反応I"b. 反対支持・外見的支持行動C. 懐 疑a.  支持・外見的支持行動 マダラ反応 Ib 反対 C.  懐 疑 関法 第五0 巻第二号 a.  規制せず(規制力なしを含む) I l .  規範的対応! μ 

参照

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