Author(s) 酒井, 多加志; 種本, 翔; 美甘, 晃希; 目崎, 魁晟
Citation 北海道教育大学釧路校研究紀要, 52: 115‑124
Issue Date 2020‑12
URL http://s‑ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11793
Rights
Ⅰ はじめに
北海道教育大学釧路校の地理学研究室では、地理学研究 室生を対象に隔年で地理学実習Ⅰを開講している。地理学 実習Ⅰは“日本の各地に出かけ、その地域の地理的事象に ついて現地調査を行なう”もので、(1)調査対象地域の地理 情報を収集することができる、(2)地域の文化、歴史、景観、
自然などに関心を持つことができる、(3)調査したことを まとめ、発表することができる、(4)地域を教材化するこ とができる、を到達目標としている1)。
地理学実習Ⅰは2017年度から“防災の視点を持つ教員養 成の取り組み”をテーマに実施している。2017年度は洞爺 湖温泉街を対象に、火山災害と防災対策をテーマに実施し た。具体的には地形図を基に、2000年の有珠山噴火の跡 を辿るとともに、その後の防災対策、および有珠山噴火に 伴う洞爺湖温泉街の土地利用の変化を調査した。
本稿は2019年度に実施した地理学実習Ⅰでの実践につ いて報告するものである。本実習は東北地方太平洋沖地震
(以下、東日本大震災)で甚大なる被害を被った岩手県三 陸海岸の沿岸都市を対象に、地震・津波災害と防災対策を テーマに実施した。調査期間は11月10日(日)〜12日(火) である。
Ⅱ 調査の概要
調査対象地域として岩手県宮古市田老町、大槌町町方地
区と赤浜地区、山田町山田地区を選定した(図1)。参加 者は1年生4名、2年生4名であった。現地では、宮古市 田老町と大槌町町方地区および赤浜地区において現地視察 を、大槌町町方地区において土地利用調査を、山田町山田 地区において聞き取り調査を行った。事前学習として、東 日本大震災に関する書籍およびインターネットで現地の情 報を収集させるとともに、山田町での調査内容を整理して おくよう指示した。現地調査の日程は以下の通りである。
11月 9日(土) 室蘭港フェリーターミナル集合 室蘭港
(20:50発) →(シルバーフェリー)→
11月10日(日) 宮古港(7:55着) →(送迎車)→ 近江屋(宿 泊ホテル)
市民会館前(8:35発) →(県北バス)→ 宮 古(8:47着)
宮古(9:25発) →(三陸鉄道)→ 田老(9:
45着)
宮古市田老町巡検(震災学習・防災エコ ツアー体験コース)9:50〜12:30 自由調査 13:00〜15:30
田老(15:45発) →(三陸鉄道)→ 宮古(16: 05着)【宮古市泊】
11月11日(月) 磯鶏(8:10発) →(代行バス)→ 大槌(9:
15着)
大槌町巡検(元赤浜小学校副校長 岩切先 生の案内)9:15〜12:00
釧路論集 -北海道教育大学釧路校研究紀要-第52号(令和2年度)
Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.52(2020):115-124
防災の視点を持つ教員養成の取り組み
-「地理学実習Ⅰ」実践報告-
酒 井 多加志・種 本 翔・美 甘 晃 希・目 崎 魁 晟
北海道教育大学釧路校地理学研究室
Approach of the Teacher Training with a Viewpoint of the Disaster Prevention
SAKAI Takashi,TANEMOTO Sho,MIKAMO Koki,MEZAKI Kaisei Department of Geography, Kushiro Campus, Hokkaido University of Education
要旨
北海道教育大学釧路校の地理学研究室では、2017年度から地理学実習Ⅰを“防災の視点を持つ教員養成の取り組み”を テーマに実施している。本稿は2019年度に岩手県宮古市、大槌町、山田町で行った地理学実習Ⅰでの実践を報告するもの である。現地では地震・津波災害と防災対策の視点から視察、土地利用調査、および聞き取り調査を行ったが、これらの 調査を通じて、自然災害を“現実のもの”“わがごと”として捉えることが必要であること、防災教育には被災地を実際 に訪問し、体験を通して学ぶことが重要であることを学んだ。
大槌町町方地区の土地利用調査 13:00
〜15:00
自由調査 15:00〜17:00
津波体験ビデオ鑑賞と講話 18:00〜 19:00【大槌町泊】
11月12日(火) 大槌(8:27発) →(代行バス)→ 陸中山田 (8:55着)
山田町山田地区の調査 9:00〜15:
30
陸中山田(15:49発) →(県北バス)→ 市民 会館前(16:33着)【宮古市泊】
11月13日(水) 朝食後、解散
図1 調査対象地域
現地での移動は三陸鉄道を利用する予定であったが、
10月12日から13日にかけて東日本を駆け抜けた台風19号 の豪雨により宮古・釜石間が不通になった。そのため、移 動には路線バスおよび三陸鉄道の代行バスを利用した。
なお、現地で説明を受ける時はメモを取るよう指示する とともに、毎夜、食後にその日に学習したこと、調査した ことについての報告会を行なった。
Ⅲ 現地視察
被災地の状況を概括的に知ることを目的に、11月10日 に宮古市田老町で、翌11日に大槌町で視察を実施した。
視察はともに現地の方に案内していただいた。
Ⅲ-1 宮古市田老町
宮古市田老町は過去に幾度となく津波の被害を受けてき た。すなわち、明治三陸地震津波では2,248人中1,867人
が、昭和三陸地震津波では1,798人中762人が亡くなって いる。そこで、町は昭和三陸地震津波の後、高さ7.7mの 防潮堤や高潮水門の建設、防潮林の整備、避難しやすい道 路の整備、避難場所と避難場所誘導標識の設置等を行って きた。しかし、東日本大震災では防潮堤をはるかに越える 高さの津波が押し寄せ、市街地は壊滅状態となり、死者・
行方不明者をあわせて188人を出した。
宮古市田老町では、宮古観光文化交流協会が実施する「学 ぶ防災震災 防災エコツアー体験コース」に参加した。本 コースは、東日本大震災により甚大な被害が出た田老地区 の当時の状況を伝えることで、震災の恐ろしさ、命の大切 さを伝えることを目的としたものである。現地では、初め に旧防潮堤上で当時の状況、ならびに震災後の復興事業で ある新防潮堤建設や高台移転や市街地の土地利用用途指定 等の説明を受けた。その後、実際に住民約300人が避難し た避難ルートを辿って市街地背後の避難場所まで行くとと もに(写真1)、過去の震災記念碑、高さ14.7mの新防潮堤、
津波の水位を示した建物を見学した。最後に震災遺構であ る“旧たろう観光ホテル” (写真2)で津波ビデオを鑑賞す るとともに、自然災害に対する心得えについての話を伺っ た。
写真1 宮古市田老総合事務所背後の津波避難場所
(2019年11月10日酒井撮影)
写真2 震災遺構 たろう観光ホテル
(2019年11月10日酒井撮影)
防災の視点を持つ教員養成の取り組み
Ⅲ-2 大槌町(図2)
大槌町は東日本大震災の際、地震の揺れと津波、そして 火災によって壊滅的な被害を受けた。犠牲者数1,286人は 全町民の8.0%に、家屋被害3,878世帯は全世帯の59.6%に あたる。津波の浸水面積4万㎡は市街地面積の52%に達 したが、市街地の中心に位置していた町役場は波高約10.7 mの津波に襲われ、町長を含む28人の職員が亡くなった。
図2 調査対象地域(大槌町)
(地理院地図より)
大槌町では元赤浜小学校副校長で現在大槌町教育委員会 で社会教育指導員をされている岩切博文先生に案内してい ただいた。岩切先生は北海道教育大学釧路校の卒業生でも ある。初めに中心市街地背後に位置し、津波の際の避難場 所に指定されている城山公園において、震災直後の中心 市街地の様子ならびに復興過程、現在の復興状況について の説明を受けた(写真3,写真4)。その後、赤浜地区に 移動し、震災時に勤務されていた赤浜小学校の児童および 教職員が避難した学校背後の高台を訪れ、震災時の児童の 様子、被災した学校や集落の様子(写真5,写真6)、避 難先の子供たちの様子、学校防災の心得え等の説明を受け た。ちなみに赤浜小学校では教師の的確な判断により、児 童および教職員から犠牲者は出していない。
Ⅳ 大槌町町方地区での調査
Ⅳ-1 大槌町町方地区の復興事業について
町方地区は大槌町の中心市街地であり、町の行政、経 済、文化、交通等の中心的役割を担っている。本地区の標 高は1〜3mであり、東日本大震災では特に津波により壊 滅的な被害にあっている。2013年3月に復興事業計画が決 定し、かさ上げ工事が開始された。2017年8月12日に完成 を祝う地鎮祭が行われている。この事業により、町方地区 を南北に貫く県道280号(大槌小鎚線)から旧JR山田線
(現三陸鉄道)に至る約30haが標高3.8mまで盛土され た。盛土された地区は震災前の市街地の約半分の面積にあ たる。施工土量は約130万㎥で、平均2.2m盛土されている。
町方地区の盛土は陸前高田市や南三陸町のそれと比較す るとそれほど高くはない。その理由としては、数十年か
写真3 震災直後の大槌町市街地
(2011年3月20日岩切氏撮影)
写真4 現在の大槌町市街地
(2019年11月11日酒井撮影)
写真5 震災後の赤浜地区
(2011年8月29日酒井撮影)
写真6 現在の赤浜地区
(2019年11月11日酒井撮影)
ら百数十年の間に起こりそうな津波や高潮の高さを基準 に、海岸に沿って高さ14.5mの防潮堤が建設されことがあ る2)。この防潮堤と町方地区との間は盛り土はされず、移 転促進区域、すなわち災害危険区域に指定されている。従っ て、この区域には居住することはできず、調査時は空き地 が広がっていた。一方で、隣接する赤浜地区では、住民か ら「高い防潮堤があると海が見えず逃げ遅れる可能性があ る」「高い防潮堤に安心して避難しない人が出る」などの 意見が出され、防潮堤は従来の高さである6.4mとなって いる。そのかわり、住宅地は14.3mの高さまで盛土されて いる。
盛土が行われた町方地区では、住民が主体となった町方 地区別ワーキンググループにより、(1)山裾の旧道沿いに 市街地を集約、(2)避難を考慮した街路体系の構築、(3)日 常と非日常を考慮した公共空間のネットワークの形成、(4) 豊かな水を活かした空間形成などを大きな方向性とする案 としてとりまとめられ、住民主体の議論を重ねながら復興 事業の推進を行っている。しかし、市街地が形成されつつ あるものの、まだまだ空き地が多く広がっており、転出先 から帰還しない住民も多数見られる。
Ⅳ-2 調査方法
土地利用調査にあたってベースとした地図は大槌町役場 が2018年8月20日に公表した“町方地区の「見える化」図面”
である。この図面は住宅等の建設工事済みまたは建設中の 区画、前回の公表後に新たに住宅再建意向の報告があった 区画、に着色したものである。この図面を5つの区画に分 け、4つの区画に各々2名の学生を配置し、土地利用調査 を行わせた。残りの1区画は引率教員が担当した。凡例は 住宅(一戸建て、集合住宅)、商業・業務施設、公共施設、
公園、駐車場、空き地とした。
Ⅳ-3 調査結果
図3は5つの班の調査結果を1枚の地図にまとめたもの である。商業・業務施設の多くは町方地区を南北に貫く 県道280号沿道ならびに御社地公園付近に見られる。ただ し、商店街と呼ぶほどの商業集積は見られない(写真7)。
また、大槌駅周辺も飲食店が2軒、美容院が1軒、鮮魚店 が1軒あるのみで、商業集積は見られない3)。業種別にみ ると、飲食店(12軒)と理美容院(6軒)が目立つが、大 槌町の人口規模からすると、理美容院の数が多い。商業施 設はプレハブなど簡易な建物での仮営業と思われるものが 何軒か見られ、復興途上であることが伺われる。
公共施設としては、大槌町町役場が町方地区のやや北の 山麓に位置している。ここは、震災前は大槌小学校があっ た場所であり、庁舎は大槌小学校の校舎を再利用してい る。なお、大槌小学校は町内の3つの小学校、1つの中学 校と統合し、2016年に小中一貫校の大槌学園として開校 している。現在の校舎は町役場から約1300m北の標高30
mの高台に立地している。その他、町方地区の北には交流 文化センター “おしゃっち”が立地している。“おしゃっち”
は2018年6月10日にオープンし、1階が多目的ホール、2 階が会議室・音楽スタジオ・震災伝承展示室、3階が図書 館になっている。“おしゃっち”の北側は大槌郵便局が立地 し、東側は大規模な無料の公共駐車場となっている。
住宅は全域に見られるが、大槌駅から南にかけての地区 において比較的多い。このうち、集合住宅に関しては、三 陸鉄道の大槌駅の北側と南側の線路沿いに多く見られる。
集合住宅は木造の平屋、もしくは2階建てとなっている が、北西に位置する末広町町営住宅が6階建て(53戸、
2015年度完成、写真9)、交流文化センター “おしゃっち”
の北に位置する御社地町営住宅が5階建て(24戸、2017 年度完成)と規模が大きい。これらの集合住宅は“災害公 営住宅”と呼ばれ、入居するには次の5つの条件を満たさ なければいけない。すなわち、(1)東日本大震災により住 宅が全壊した、(2)東日本大震災により住宅が大規模半壊 もしくは半壊し、住宅の解体を余儀なくされた、(3)東日 本大震災により住宅が一部損壊し、修繕や補修では住宅の
写真7 御社地公園近くの商業施設
(2019年11月11日酒井撮影)
写真8 交流文化センター“おしゃっち”と御社地公園
(2018年7月20日酒井撮影)
防災の視点を持つ教員養成の取り組み
図3 大槌町町方地区の土地利用(2019 年 11 月 11 日)
(現地調査を基に酒井作成)
機能を回復できないとされ、住宅の解体を余儀なくされ た、(4)東日本大震災により賃借した住宅の損傷を契機と して、自己都合によらず退去せざるを得なくなり、住宅を 失った、(5)東日本大震災の復興に伴い実施される国で定 める事業(都市計画事業など)により、移転を余儀なくさ れた、である4)。
公園は街区ごとに分散して設置されており、特に“お しゃっち”の南に隣接する“御社地公園”は比較的規模が大 きい。御社地公園の中心には小さな池があり、池周辺は周 囲より低くなっている。これは、池周辺が掘られたのでは なく、池周辺が震災後に盛土された結果、元からあった池 の部分が周りよりも低くなったためである。従って池の 淵に立って周囲を見渡すと、この地区がどの程度盛土され たかを体感することができる。公園は“おしゃっち”ととも に、住民の憩いの場となっている。
土地区画整理事業が終了して2年3か月経っているが、
調査対象地域全体で最も目立つのは空き地である。特に町 方地区の中央に位置し、駅周辺の一等地ともいえる場所に おいて空き地が目立つ。また、県道280号から離れた町方 地区の北西部においても空き地が目立っている。
今回の土地利用調査区に入っていないが、“おしゃっち”
の北にはかつて大槌町役場があった。前述したように、町 役場では津波により町長を含む28人の職員が亡くなって いる。役場庁舎を保存するか、解体するかについて町を 二分する論争となり、裁判にまで発展したが、2019年1月 19日に解体が開始され、3月2日に解体が終了した。その ため、町方地区には田老町の“旧たろう観光ホテル”のよう な震災遺構が残されていない。現在、町役場跡地は防災用 空き地となり、地蔵と献花台だけが残されている(写真 10)。
(感想・考察)
今回の土地利用調査では、大槌町町方地区の南側の一角 を担当した。2018年度の土地利用図を基に、住宅等の建 設工事済み、建設中、および住宅再建意向のあった区画を 中心に調査した。その結果、空き地になっている土地が多 くみられ、住宅再建の意向があるにもかかわらず再建でき ていない住民が少なからずおられることがわかった。ま た、着色された土地以外の区画は空き地のままであった。
町方地区から転出された住民も多いのであろう。調査地域 内には集合住宅が数棟建っていたが、全室が埋まっている のではなく、何部屋か空き部屋が見られた。このように中 心市街地は震災から8年半が経ったにもかかわらず空き地 や空き部屋が多く閑散としており、住民の中心市街地への 回帰が進んでいないことがわかった。
また、調査地域内には美容室があったが、建物は簡易な プレハブであった。プレハブを建て、営業している姿に感 銘を受ける一方で、まだまだ復興の途中で先は長いのだな と感じた。しかし、災害公営住宅が建ち、そこに人が入居 し、また、一軒家を建てて住んだり、店を再建するなど、
少しずつではあるが復興していることが実感できた。今よ りも復興が進み、人も増え、店や商業施設が増えた大槌を 見るのが私の楽しみでもある。
Ⅴ 山田町山田地区での調査
Ⅴ-1 地震・津波の概要
東日本大震災では、山田町では震度5弱を観測した。山 田地区での第一波の最大波の到達時刻は午後 3 時 22 分 前後であり、山田漁港での津波遡上高は9.8mであった。
山田町全域での死亡者数および行方不明者数の合計は、
2016年 4 月 15 日の資料に基づくと 825 人である。これ は山田町全人口(2011年 3 月 1 日)の約 4.3%にあたる。
また、家屋被害は全壊が2,762 棟で全家屋数の 38.4%に、
これに大規模半壊、半壊、一部損壊した3,369棟を加える と、全家屋数の 85.2%に達する。ライフライン被害とし
写真 10 解体前の大槌町役場と地蔵・献花台
(2016年6月25日酒井撮影)
写真9 末広町町営住宅
(2019年11月11日酒井撮影)
防災の視点を持つ教員養成の取り組み ては、地震直後に町内全域が停電するとともに、固定電話、
携帯電話共に通信が不可能になった。水道はほぼ全域で供 給が止まり、下水道も全域で処理が停止した。JR 山田線 の線路や関連施設は津波で流失し、国道 45 号をはじめと する道路網が各地で寸断した。一方、高台に整備された三 陸沿岸道路は、津波による被害を免れたたため、震災後の 避難路ならびに緊急輸送路などとして機能し、山田町の孤 立化を防ぐ重要な役割を果たした。公共施設としては町役 場(地下一階)、山田漁村センター、飯岡防災センター、
観光案内所第 6 分団、消防屯所、山田海洋センター、町 立艇庫等が被災した。
山田地区では、津波により海岸から最大約 700 メート ルの内陸まで浸水した。津波が原因の“津波火災”は 2ヵ所 で発生した。瓦礫による道路の寸断や地震に伴う水道の停 止で消火活動も十分に行えない中、JR 山田線陸中山田駅 周辺の中心市街地が広範囲に焼失した。また、津波の流入 によって、山田湾沿いに設置された防潮堤はほぼすべての 区間で被災した。
Ⅴ-2 調査方法
山田町では中心市街地を東西に貫く長崎街道を境に、中 心市街地の北側を調査する調査班(4人)と、南側を調査 する調査班(4人)に分けて調査を行った。調査は主とし て聞き取りおよび景観観察に拠った。本稿ではこのうち、
南側の調査班について報告を行う。南側の調査班の調査区 域は長崎街道から笠縫にまで至り、区域内には県立山田病
院、山田消防署、山田交番、三陸鉄道山田駅などの公共施 設が多く立地している。(図4)
Ⅴ-3 調査結果
調査のスタート地点は三陸鉄道の陸中山田駅である。本 駅はもともとJR山田線の駅であったが、東日本大震災で の揺れと津波、その後発生した火災で大きな被害を受け た。現駅舎は2019年3月23日に三陸鉄道の駅として再建さ れたもので、山田湾に浮かぶオランダ島にちなんでオラン ダの風車がデザインに組み込まれている。ただ、調査時は 台風19号の豪雨による三陸鉄道宮古・盛間不通のため、
駅舎は使用されていなかった。その代わり三陸鉄道の代行 バスが運行され、駅前がバス停になっていた。駅に隣接し ていた山田町ふれあいセンター「はぴね」(写真11)では、
小さい子どもを目的とした図書館や飲食ができるコーナー が設けられており、親がそこで休憩できる場ともなってい た。駅近辺には商業施設や呑み屋、そして銀行等の生活に 欠かせない施設が集まっていた。近くには公園があり、周 りは整備された綺麗な道路に囲まれていた。これらの建物 や施設はすべて新築であり、津波と火災被害の大きさを感 じることができた。
次に訪れた山田漁港には水産加工場と魚市場があった が、これらはみな巨大な防潮堤の海側に立地していた。水 産加工場では養殖漁業やその日に獲れた魚介類を保存する ための加工等が行われていた。突然の訪問であったにもか かわらず、とても気さくにイカやサケの保存の仕方、ホタ テの加工等を見せていただくことができた。漁港から望む 山田湾はとても見晴らしがよく、沖にはオランダ島を眺め ることができた。波静かで穏やかな山田湾から津波を想像 することはできない(写真12)。町を散策しているとクジ ラが描かれたマンホールを発見した。調べてみると、商業 捕鯨が禁止になる1987年まで、山田町には捕鯨基地があっ たとのことである。大槌町から山田町に移動する途中で、
“鯨と海の科学館”という施設を見かけたが、「なぜこのよ 写真 11 山田町ふれあいセンター「はぴね」
(2019年11月12日種本撮影)
図4 調査対象地域(山田町)
(地理院地図より)
うな科学館がこの場所に」という疑問が解決した。釧路も かつては日本一の捕鯨基地であり、現在も商業捕鯨が行わ れていることから、山田町を身近な町として感じることが できた。
山田漁港から巨大な防潮堤を眺めながら海岸を織笠の集 落まで南下した。集落背後の高台には織笠小学校、織笠保 育園、龍泉寺極楽分院があったが、ともに相当年数が経っ ていることから、ここまで津波が達していないことが分 かった。小学校の北には震災後に丘陵地を切り開いてでき たと思われる住宅地があった(写真13)。ここから町や海 を見渡すことができた。
さらに丘陵地を北上すると、下り坂となり、小河川が形 成する谷を横切った。そこから再び上り坂となったが、上 り坂の上には山田中学校、岩手県立山田病院、山田消防署、
山田交番といった公共施設がまとまって立地していた。こ れらの施設はすべてもともと低地にあったものが、震災 後、標高の高いこの地に移転してきたものである。中心市 街地から少し離れているが丘陵地上にあるため、次に大き な津波が来でも飲み込まれることなく、町の機能は維持で
きるだろうと思った。山田消防署では、所長さんと副所長 さんに当時の様子や、震災後の対応についてお話をお伺い することができた。帰りには訓練を見せていただいたが、
それは津波が起きたことを想定した訓練とのことだった。
その後、丘陵地を下り、スタート地点である陸中山田駅に 到着した。
山田町では、山田町漁港(山崎水産、川石水産)、宮古 地区広域行政組合山田消防署、跡浜地区の住民に聞き取り を行った。各々について聞き取ったことを以下にまとめる。
◎山田町漁港
震災直後、津波によって、漁港の建物や市場などが流さ れ、港には何もなくなってしまった。その時点で元の漁 港の半分の規模になっていた。震災の約3年後、漁港は元 の高さより1メートル高くなるように盛り土された。その 後、漁業関連施設が建設され、漁業を再開したが、市場の 規模は震災前に比べて半分ほどになり、水揚げ量も3分の 1ほどにまで減少した。
◎宮古地区広域行政組合山田消防署
震災時、消防署は山田町の中心市街地から約3.5Km北 東に位置する大沢という集落にあった。津波は消防署の 車庫の上まで押し寄せた。当時、消防車は9台あったが、
1台は警戒出動待機、6台は津波前に退避、2台は車庫で被 災した。現在の庁舎は2018年2月に山田町の中心市街地の 南の高台に完成したが、それまでは被災した旧舎を改装し ながら使用していた。津波後、秋田や横浜、東京から緊急 消防援助隊が来て、救助活動の援助を行なってくれた。し かし、消火栓は使えず、山火事などが起こった際に、西川 などの小さな河川から水を供給し、消火活動を行なった。
◎跡浜地区の住民I氏
跡浜地区は震災後、新たに造成された新地区である。丘 陵地を1年ちょっとかけて削り、その後半年かけて整地さ れた。盛土する際には、千葉県の業者の助けを受け、50 tのブルドーザーが20台くらい導入された。この地区の 住宅は所得によって大きさが(一階建てor二階建て)決まっ ていた。すなわち、15軒ある平屋(2人以上が居住)は 1500万円、10軒ある二階建て(3人以上居住)は1800万 円であった。
(感想・考察)
山田町の調査を行い、住宅や消防署、病院、学校などの 公共施設が比較的高台にあることが印象に残った。津波が 押し寄せた際に、標高の低い平地、特に海岸付近は住民が 逃げきれずに津波に飲み込まれる危険性が高い。しかし、
高台で暮らしていると、当然のことではあるが津波に飲み 込まれることはない。平坦地にも多くの住宅や商店が立地 していたが、高台に隣接しており、かつ立派な道が高台へ と伸びていた。平坦地であっても、このような高台へ避難 できる坂道があれば、地震が起こったとしても住民は冷静 に避難することができるであろう。また、災害時に重要な 役割を果たす病院や消防署、避難所としての学校が高台 写真 12 山田湾とオランダ島
(2019年11月13日酒井撮影)
写真 13 丘陵地に造成された住宅地
(2018年7月20日酒井撮影)
防災の視点を持つ教員養成の取り組み にあることは津波常襲地では大切なことであると思う。た
だ、山田町役場が比較的標高の低いところにあったのが気 になるところである。
今回の調査で感銘を受けたことは、全国から山田町に消 防隊や救助隊がやってきたことである。秋田や横浜、東京 などから緊急消防援助隊が山田町にやってきて山林や家屋 の消火活動や救出活動を行った。その消火活動の際に、関 谷川や織笠川などから水を汲み上げたとのことである。一 方で、胆振東部地震の際には、宮古市の救助隊は被災地 に駆け付けて、救助活動を行ったとおっしゃっていた。こ のような災害が起きた時の助け合いの精神は大切であると 思った。今回の調査で印象的だったのが、「災害が起こる のは仕方ない。起こった時にどうするか、どのようにした ら規模を小さくできるか、が大切である」と消防署の方が おっしゃった言葉である。普段の生活の中でいつ災害が起 こってもいいように話し合いや準備をしておくことが大切 であると思った。今回の調査を通して、改めて災害に対す る危機意識を高め、避難をしようという意識を高めること ができた。
Ⅵ まとめ -防災教育の留意点について-
“防災教育switch”には防災教育の心得として、次のこと が最初に掲げられている。「防災において最も大切なこと は“命を守る”ことです。防災教育においては“災害から生 き抜く力”を身につけることが必要不可欠です。」すなわ ち、防災においては“命を最優先する”“災害から生き延び る”ことが最も大切であり、防災教育においてはそのため にはどうすればいいのかを児童生徒に考えさせることに よって“災害から生き抜く力”を身に付けさせること、が求 められる。災害時の様々な対応を学び、考えることを通じ て、児童生徒は災害や防災への興味・関心が高まり、“自 分の命は自分で守る”という主体的な姿から“自助の精神”
が育まれ、児童生徒自身が災害から生き抜く力を身に付け ることができるのではないだろうか。防災教育を通じて、
災害に関する知識や自然と向かい合う姿勢を身に付けたと しても、いざというときに適切に対応できなければ意味は ない。平時には災害に備え、災害時には避難行動ができる
“実行力”を高めることが必要である。そのためには、授業 実践を通じて児童生徒に“危機意識”を促し、“危機回避能力”
を高めさせることが重要である。そのような意識や能力を 養うためには、自然災害を“現実のもの”や“わがごと”とし て捉えることが必要なのではないだろうか。このことを実 現するには現地で体験することが最も大切であると思う。
今回、宮古市田老町、大槌町、山田町を訪問し、実際に被 災地を見、被災者と触れ合い、被災地の空気を感じること で初めて自然災害を“現実のもの”として、そして“わがごと”
として捉えることができた。
また、私たちは地震が起きたとしても、「津波は来ない
だろう」「自分は大丈夫だろう」と思いがちである。いわ ゆる“正常化の偏見(正常性バイアス)”である。被災者の 体験談からも、そう思っていた人がいかに多いかがわか る。しかし、「絶対大丈夫」ということはないということ を今回の実習から学んだ。人は経験から学び進化を遂げる 生き物であり、学んだことを後世に残していける生き物で あると思う。
私たちは実際に被害を受けた田老町や大槌町や山田町を 訪れ、被災者の方々から地震が起きた時の気持ちや被害状 況等についての話を聞いた。その時々の対処法やどのよう なルートで逃げたか等についても詳しく聞くことができ た。そこからは被災者は地震が起きても“わがごと”として 捉えていなく、気持ちに余裕があったこと、防災教育を受 けていたとはいえ実際に津波を経験していないことから、
「どうせ津波は来ないだろう」(他人事)と考えていたこ とが分かった。この「来ないだろう」を「来たら」に変え るためには、被災者の方々の声に触れるようなもの、現地 の写真や映像を使った視覚に訴えるものが必要であると思 う。被災者の方々に学校に訪問していただいて児童生徒に 災害の体験談を話してもらうこと、そして何よりも被災地 を実際に訪問し、体験を通して学ぶことが重要であろう。
このことは教師を目指す私達にとっても同様である。
【注】
1)地理学実習Ⅱでは 外国へ出かけ、その国・地域の文化、
産業、景観、歴史、自然等についての現地調査を行なっ ている。
2)旧防潮堤の高さは6.4m。
3)2019年12月22に大槌駅前に“三陸屋台村おおつち○○
横丁”が開業し、飲食店9軒が入店している。
4)大槌町災害公営住宅入居募集案内【空き住戸:随時募 集】による。https://www.ikjc.or.jp/otsuchi/saigai/
写真 14 大槌町の旅館にて
(2019年11月12日酒井撮影)
【参考文献】
・伊藤陽子(2012):『写真集がんばっぺし大槌』三共印 刷
・酒井多加志(2019):『地図から読み解く自然災害と防 災(減災)』近代消防社
・福島秀哉・中井祐(2014):岩手県上閉伊郡大槌町町方 地区における 復興まちづくりについて.景観・デザイ ン研究講演集、No.10.
・山田町役場(2018):『震災からの復旧と再生 山田町復 興記念誌』
https://www.town.yamada.iwate.jp/docs/202.htm
・Furusato-bousai.net/kokoroe 防災教育switch
【謝辞】
本稿を執筆するにあたって、宮古観光文化交流協会学ぶ 防災ガイドの佐々木純子氏、大槌町教育委員会社会教育指 導員の岩切博文氏、写真家の伊藤陽子氏にはいろいろお世 話になりました。記して感謝申し上げます。
【付記】
本稿は、主として第1章、第2章、第3章、第4章を酒井が、
第4章、第5章、第6章を種本、美甘が、第4章と第5章の感 想・考察を目崎が執筆した。なお、本稿を作成するにあた り、文部科学省科学研究費助成金(基盤研究(C)「防災の 視点を持つ教員の養成・研修に向けた教材研究ならびにプ ログラム開発」課題番号 (19K02829)(研究代表者:酒井 多加志)を使用した。