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2010年度1学期 金曜3時限 学部「哲学講義」大学院「存在論講義」

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2010年度1学期 金曜3時限 学部「哲学講義」大学院「存在論講義」

「言葉を理解するとはどういうことか?」

第七回講義 2010年6月4日

【 【

【 【前回 前回 前回 前回の の の の復習 復習 復習 復習】 】 】 】

すべてのT文がM文に書き換えら得るのではないので、

M文に書き換えられるT文だけを定理にもつ

真理理論(解釈的

T理論)を作る必要がありました。Davidson

は、ある真理理論が生み出すT文の全 体の整合性、経験との照応を考慮し、全体を調整して、最初の真理理論の修正することを繰り返す という方針をとるのだと思われます。その意味で真理理論は、経験的理論です。このときに重要な 指針になるのが、「 「 「寛大 「 寛大 寛大 寛大の の の の原則 原則 原則」 原則 」 」 」( ( ( (principle of Charitiy) ) ) )でした。

「解釈を可能にするのは、大量 大量 大量の 大量 の の の誤謬 誤謬 誤謬の 誤謬 の の の可能性 可能性 可能性 可能性を を を をアプリオリ アプリオリ アプリオリに アプリオリ に に に無視 無視 無視できる 無視 できる できるという事実なのであ できる る。きわめて多くの偽なる文に人を同意させる解釈理論は、適切であるはずがない。つまり、

話し手が真と見なすときだけ解釈の方法が文を真とみなすということは、この方法に有利に作 用している。しかし、もちろん、話し手が間違うこともある。同様にまた、解釈者が間違うこ ともある。それゆえ、最終的に解釈の方法に有利に作用するとされねばならないことは、その 理論が解釈者と話し手を一般に一致させることである。この方法によれば、話し手が文を真と 見なすのは特定の条件のものとにおいてであり、またこうした条件が成立するのは、解釈者の 見解では、話し手がその文を真と見なすときだけなのである。」(論文「思いと語り」邦訳

185)

「いかなる単純な理論も、話し手と解釈者の意見を完全に一致させることはできない。それゆ え、使い物になる理論であれば、どちらかの側が間違っていると時には想定しなければならな い。従って、基本的な方法論上の指針はこうなる。すぐれた すぐれた すぐれた解釈理論 すぐれた 解釈理論 解釈理論 解釈理論は は は一致 は 一致 一致 一致を を を最大 を 最大 最大 最大にする にする にする にする。あ るいは、文の数が無限であり、次に述べる点が考慮されるならば、一致を最適化する

(optimize)、

という言葉のほうがいっそう適切かもしれない」(論文「思いと語り」邦訳185)

「自分の方法を言語共同体に対して有効なものに出来ると確信している解釈者は、その その その その共同体 共同体 共同体 共同体 全

全 全

全体 体 体を 体 を を を通 通 通 通して して して して一致 一致 一致 一致を を を を最適化 最適化 最適化する 最適化 する する する理論 理論 理論 理論を求めて努力するだろう。」(論文「思いと語り」邦訳

185)

このような真理条件意味論は、次のような主張と結合していました。

・T文の真理性は、

T文の全体によって保証されるという意味

意味 意味 意味の の の の全体論 全体論 全体論 全体論

・我々の信念体系はおおよそ真であるという対応説 対応説 対応説の 対応説 の の認識論 の 認識論 認識論 認識論、

・存在論の相対性(クワイン)ではなく世界はおおよそ我々が信じている仕方で実在しているとい う実在論 実在論 実在論 実在論

・我々はここでさらに「 「 「 「寛大 寛大 寛大の 寛大 の の原則 の 原則 原則 原則」 」 」 」から から から から一定 一定 一定 一定の の の の規範 規範 規範を 規範 を を を導出 導出 導出 導出でき でき でき できます ます ます ます(私はまだ知りませんが、デ イヴィドソン自身がどこかでそのような規範の導出を行なっているかもしれません。)

「本稿における中心的なテーゼはこうである。他者による発話の解釈者でない限り、生物は思 いをもちえない。」((論文「思いと語り」邦訳

171)

「真なる信念の概念は真なる発話の概念に依拠しているからであり、さらに後者は共有された

言語なしに存在できない」(論文「思いと語り」邦訳

188)

(2)

29

我々が生物として思いを持つ限り、我々が他者による発話の解釈者でなければならず、他者による 発話の解釈者であるためには、他者に対して「寛大の原則」を採用しなければなりません。この「寛 大の原則」は一定の倫理的な規範を含意しているように思われます。もしそうだとすると、< < < <我 我 我 我々 々 々 々 が

が が

が生物 生物 生物 生物として として として として思 思 思 思いをもつ いをもつ いをもつ限 いをもつ 限 限 限り り り り、 、 、我 、 我 我 我々 々 々は 々 は は は一定 一定 一定 一定の の の の共同的 共同的 共同的 共同的規範 規範 規範を 規範 を を を採用 採用 採用しなければならない 採用 しなければならない しなければならない しなければならない> > >と言えます。 > これはいわゆる超越論的論証の一種となります。

■ ■

■ ■残 残 残 残された された された された問題 問題 問題 問題、 、 、 、固有名 固有名 固有名 固有名と と と述語 と 述語 述語 述語につい につい につい についての ての ての ての公理 公理 公理 公理の の の正当化 の 正当化 正当化 正当化、 、 、 、

デイヴィドソンは、公理をどのようにして正当化できるのでしょうか。公理は

T文ではありません。

特に固有名に関する公理と述語に関する公理は、文の意味を語の意味から合成しようとするときに は、不可欠であると思えるにもかかわらず、語の意味を、

T文によって与えることは出来ません。

(おそらくは おそらくは おそらくは おそらくは、< 、< 、< 、<解釈的T文の経験的に集められた集合から、クワインの分析仮説のように、文を 構成する語を仮説として抽象し、それがある対象を表示していることを仮説として設定し、それを 公理として解釈的T理論を構成する>のだと推測しますが、いまのところ確信が持てません。)

§

§ §

§6 6 6 6

Dummettの

の の のDavidsonへの への への批判 への 批判 批判 批判

[Wikipedia [Wikipedia [Wikipedia

[Wikipedia からからからから]]]] マイケルマイケルマイケルマイケル・・・・ダメットダメットダメットダメット(Sir Michael Anthony Eardley DummettSir Michael Anthony Eardley DummettSir Michael Anthony Eardley DummettSir Michael Anthony Eardley Dummett F.B.A., D. Litt、1925 年 - )はイギリスの著名

な哲学者。分析哲学の歴史についての著述を行う一方、数理哲学、論理学の哲学、言語哲学、形而上学などの領域で

独創的な貢献を果たした。ウィンチェスター・カレッジに通った後、オックスフォード大学クライスト・チャーチに進学。学 位取得後、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジに特別研究員(フェローシップ)の職を得た。1979年、オック スフォード大学のウィカム寄付講座論理学教授職に就任。1992年に退職するまで、長い教師生活を送った。この間、オ ックスフォード大学ニュー・カレッジの特別研究員だったこともある。1995 年にショック賞を受賞。また 1999 年にナイト の称号を授与された。

分析哲学・論理哲学関連の著作

Frege: Philosophy of Language (London, 1973/1981) Elements of Intuitionism (Oxford, 1977, 2000)

Truth and Other Enigmas (London, 1978) 藤田晋吾訳『真理という謎』勁草書房, 1986 年 Frege: Philosophy of Mathematics (London, 1991)

The Logical Basis of Metaphysics (London, 1991)

Origins of Analytical Philosophy (London, 1993) 野本和幸他訳『分析哲学の起源--言語への転回』勁草書房, 1998 年 The Seas of Language (Oxford, 1993)

Truth and the Past (Oxford, 2005) 藤田晋吾, 中村正利訳『真理と過去』勁草書房, 2004 年 Thought and Reality (Oxford, 2006)

金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 (2006/4/11) -日本人研究者によるわかりやすい入門書

ダメットは、デイヴィドソンの「真理条件意味論」を批判して、「主張可能性意味論」を主張し、

その言語哲学に依拠して、存在論に関しても実在論を批判して反実在論を主張している。まず§5 では、ダメットによる

Davidsonの意味論への批判を確認したい。

(この§で参照するのは彼の論文

'What is the theory of meaning I’ (1974) in The Seas of

(3)

30

Lanuguage(1993)である。)

1 1

1 1、 、 、 、穏健 穏健 穏健 穏健な な な な意味 意味 意味 意味の の の の理論 理論 理論 理論と と と と徹底的 徹底的 徹底的な 徹底的 な な な意味 意味 意味の 意味 の の の理論 理論 理論 理論

・意味 意味 意味 意味の の の の理論 理論 理論 理論の の の課題 の 課題 課題 課題

「<言語がどのように働くのか>つまり<言語の話し手が、言語を用いてどのようにコミュニ ケイトするのか>の説明を与えることが、意味の理論の仕事である」

(p.3)

「意味の理論は、理解の理論である」

(p.3)

・ ・

・ ・「 「 「 「穏健 穏健 穏健 穏健な な な な意味 意味 意味 意味の の の の理論 理論 理論 理論」 」 」 」

modest theory of meaning

すでに概念を獲得している者に言語の解釈を与える理論 (p. 5)

デイヴィドソンの意味論は根元的解釈の理論であり、異国語については知らないがすでにある 言語を習得した者が未知の言語の発話を解釈するときに何を行なっているかを説明するもので あり、異国語を解釈するときに必要な概念を解釈者がすでに獲得していることを前提している。

デイヴィドソンの理論は、穏健な意味の理論である。

・ ・

・ ・「 「 「 「徹底的 徹底的 徹底的 徹底的な な な な意味 意味 意味の 意味 の の の理論 理論 理論 理論」 」 」 」

full-blooded theory of meaning

概念をまだ持っていない者に対して新しい概念を説明するのに役立つような意味の理論 (p. 5) ダメットは意味の理論は、徹底的な意味の理論であることが必要であると考える。

■ ■

■ ■

M

文 文 文 文による による による意味 による 意味 意味 意味の の の の説明 説明 説明では 説明 では では では不十分 不十分 不十分である 不十分 である である である。 。 。 。

M文“’La terra si muove’ means that the Earth moves”

この文を理解する者は、イタリア語の文’La terra si muove’の意味を理解する。しかし、イタリア語 の文’La terra si muove’の意味を理解するために、この英語の

M文を理解する必要はない。M文は、

何らかの言語で語られるが、対象言語を知るために、そのメタ言語で語られた

M文を理解する必要

はない。(

Cf. pp. 7-8)

では、対象言語とメタ言語が同じ言語の時にはどうだろうか。

M文 「『地球が動く』は、地球が動くことを意味する」

このとき、意味するという日本語を知っているものにとっては、この

M文が真であることは理解で

きる。しかし、「地球」が何を指示し、「動く」がどういう意味であるかを知っているとはかぎら ない。つまり、この

M文が真であることを知っているとしても、「地球が動く」を知っているとは

限らない。

対象言語とメタ言語が異なる場合にも、同じ場合にも、

M文が真であると知るだけでは、その対

象言語の文の意味を理解するには不十分である。必要なのはM文が表現している命題を理解するこ とである。

M文

文 文が 文 が が が真 真 真 真であると であると であると であると知 知 知 知ることと ることと ることと ることと、 、 、 、

M文

文 文 文が が が が表現 表現 表現 表現している している している している命題 命題 命題を 命題 を を を知 知 知ることは 知 ることは ることは ることは区別 区別 区別 区別しなければな しなければな しなければな しなければな らない

らない らない

らない。 。 。 。これと同様のことが、

T文についても言える。

■ ■

■ ■

T

文 文 文 文による による による意味 による 意味 意味 意味の の の の説明 説明 説明では 説明 では では不十分 では 不十分 不十分である 不十分 である である である。 。 。 。

T文「‘Snow is white

’が真であるのは、雪が白いときそのときに限る」

T文が真であると知っているものは、‘Snow is white

’の真理条件(意味)を知っているといえる。

しかし、‘

Snow is white’の真理条件(意味)を知るために、この日本語のT文を知る必要はない。

(4)

31

T文は、何らかの言語で語られるが、対象言語を知るために、そのメタ言語で語られたT文を理解す

る必要はない。

では、対象言語とメタ言語が同じ言語の時にはどうだろうか。

T文「『雪が白い』が真であるのは、雪が白いときそのときに限る」

対象言語とメタ言語が同一であるとき、「・・・が真であるのは、・・・であるときその時に限る」の意 味を理解し、『雪が白い』の意味を知らないが、それが日本語の文であることを知っていれば、こ のT文が真であることがわかる。つまり、この

T文が真であると知っていても、「雪が白い」の意味

を知っているとは限らない。

対象言語とメタ言語が異なる場合にも、同じ場合にも、T文が真であると知るだけでは、その対 象言語の文の意味を理解するには不十分である。必要なのはT文が表現している命題を理解するこ とである。T文 文 文 文が が が真 が 真 真 真であると であると であると であると知 知 知ることと 知 ることと ることと ることと、 、 、 、

T文

文 文 文が が が表現 が 表現 表現 表現している している している している命題 命題 命題を 命題 を を を知 知 知ることは 知 ることは ることは ることは区別 区別 区別 区別しなければな しなければな しなければな しなければな らない

らない らない

らない。 。 。 。これと同様のことが、固有名や述語の公理についても言える。

■固有名 固有名 固有名 固有名や や や や述語 述語 述語 述語の の の の公理 公理 公理 公理による による による による表示 表示 表示 表示の の の説明 の 説明 説明 説明では では では では不十分 不十分 不十分 不十分である である である。 である 。 。 。 公理 「‘

Earth’は、地球を表示する」

この公理が真であると知っているものは、‘Earth’の表示対象を知っているといえる。しかし、

Earth’

の表示対象を知るために、この日本語の公理を知る必要はない。公理は、何らかの言語で語

られるが、固有名の表示対象を知るために、そのメタ言語で語られた公理を理解する必要はない。

では、対象言語とメタ言語が同じ言語の時にはどうだろうか。

公理 「「地球」は、地球を表示する」

対象言語とメタ言語が同一であるとき、「・・・は、・・・を表示する」の意味を理解し、「地球」の意 味を知らないが、それが日本語の固有名であることを知っていれば、この公理が真であることがわ かる。つまり、この公理が真であると知っていても、「地球」の表示対象を知っているとは限らな い。(Cf. p. 11)

対象言語とメタ言語が異なる場合にも、同じ場合にも、公理が真であると知るだけでは、その対 象言語の公理の意味を理解するには不十分である。必要なのは公理が表現している命題を理解する ことである。公理 公理 公理が 公理 が が真 が 真 真 真であると であると であると知 であると 知 知ることと 知 ることと ることと ることと、 、 、 、公理 公理 公理が 公理 が が が表現 表現 表現 表現してい してい してい している る る命題 る 命題 命題 命題を を を知 を 知 知 知ることは ることは ることは区別 ることは 区別 区別しなければ 区別 しなければ しなければ しなければ ならない

ならない ならない

ならない。 。 。 。一般的 一般的 一般的 一般的に に に、 に 、 、 、文 文 文 文が が が が真 真 真 真であると であると であると であると知 知 知ることと 知 ることと ることと ることと、 、 、文 、 文 文が 文 が が が表現 表現 表現している 表現 している している命題 している 命題 命題を 命題 を を を知 知 知 知ることを ることを ることを、 ることを 、 、区別 、 区別 区別 区別しな しな しな しな ければならない

ければならない ければならない ければならない。 。 。 。

■結論 結論 結論 結論

穏健な意味の理論では、何らかの言語の取得を前提するので、言語を文が真であると知ることと、

文が表現している命題を知ることの区別が常に曖昧になってしまう。そのために、対象言語の文の 意味をメタ言語で説明しても、そのメタ言語による説明文の意味の理解が説明されないままに残る ことになる。

「この種の意味の理論は、他の言語の理解を介して、ある言語の解釈に到達することがどうい うことであるのかを示すだけである。これは、まさに翻訳マニュアルが行なっていることであ る。」

(p.15)

それゆえに、穏健な意味の理論では、意味の理論として不十分である。

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