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Vol.67 , No.2(2019)010秋津 秀彰「瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について――『拈評三百則方語解』を中心として――」

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印度學佛敎學硏究第六十七巻第二号   平成三十一年三月 五九

瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について

﹃拈評三百則方語解﹄

を中心として

問題の所在と研究の目的

﹃拈 評 三 百 則 方 語 解﹄ ︵松 ヶ 岡 文 庫︿神 奈 川 県 鎌 倉 市﹀ 所 蔵。 以 下、 ﹃方 語 解﹄ ︶ は、 瞎 道 本 光 ︵一七一〇︱一七七三︶ が、 ﹃拈 評 三 百 則 不 能 語﹄ ︵以 下、 ﹃拈 評 本﹄ ︶ の 語 句 を、 出 典 や 語 義 を 中 心 に 注 解 し た も の で あ る 。﹃ 拈 評 本 ﹄ は 、 道 元 禅 師 ︵ 一 二 〇 〇 ︱ 一二五三︶ が編輯した真字﹃正法眼蔵﹄ ︵﹃正法眼蔵三百則﹄ ︶ を、 指 月 慧 印 ︵一 六 八 九 ︱ 一 七 六 四︶ が 校 訂 の 上、 拈 古・ 評 解 を 付 し、 最 終 的 に 瞎 道 が 明 和 四 年 ︵一 七 六 七︶ に 刊 行 し た も の で あ る。 ﹃方 語 解﹄ の 先 行 研 究 は 史 料 紹 介 に 留 ま っ て お り、 全 体の詳細な検討は不十分なままであった。本稿では、瞎道が 注解の典拠として用いた資料について、頻出するものを中心 に検討する。また、注解内容について、他の著作との関連性 が認められる部分もあるため、それについても指摘しておき た い。 そ れ ら を 通 じ て、 ﹃方 語 解﹄ の 位 置 づ け 及 び 瞎 道 の 基 礎教養・思想的基盤の一端の解明を目的とする。

  ﹃方語解﹄

に関する先行研究

﹃方 語 解﹄ の 先 行 研 究 は、 河 村 孝 道 氏 の﹁松 ヶ 岡 文 庫 蔵 ﹃拈 評 三 百 則 方 語 解﹄ 管 見﹂ ︵以 下、 ﹁河 村 論 文﹂ ︶ が 唯 一 の も の である。河村氏は、松ヶ岡文庫本﹃方語解﹄の書誌情報を紹 介 し つ つ、 ﹃方 語 解﹄ の 述 時 期 を﹃拈 評 本﹄ 刊 行 後 の 明 和 五 年 頃 か ら 同 九 年 ︵安 永 元 年、 一 七 七 二︶ と 推 定 し て い る。 加 えて、内容の分析から、㈠著者の特定、㈡渉典に際しての道 元 禅 師・ 指 月・ 面 山 瑞 方 ︵一 六 八 三 ︱ 一 七 六 九︶ 等 の 著 作 の 引 用 及 び 他 者 の 考 証 に 対 す る 判 定、 ㈢﹃拈 評 本﹄ 草 稿 本 の 依 用、 ㈣ 古 田 梵 仙 ︵? ︱ 一 八 八 九︶ 編﹃冠 拈 評 三 百 則 不 能 語﹄ ︵以 下、 ﹃冠 本﹄ ︶ の 注 解 に お け る﹃方 語 解﹄ の 引 用、 ㈤ 古 則 列次記載の誤り、の五点について論じている。本稿ではこれ らの内、㈡についてさらに詳しく論じる。

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六〇 瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について︵秋 津︶

  ﹃方語解﹄

の依用典籍の分析

﹃方 語 解﹄ の 内 容 を 検 討 し て い く と、 瞎 道 は 本 書 の 述 に 当たって、黄檗版大蔵経を直接参照出来る環境にあった可能 性 が 非 常 に 高 い こ と が 分 か る。 例 え ば、 ﹁ 明知生是不生   蔵 経 信 函 仏 説 長 者 女 菴 提 遮 師 子 吼 了 義 経 ︵以 下 略︶ ﹂ ︵中 二 十 則、 四 四 丁 裏。 文 字 囲 み の 語 は 注 解 対 象 で あ る こ と を 示 す︶ と あ る が、 こ の 千 字 文 巻 次 は 明 版 北 蔵 ︵嘉 興 蔵︶ 及 び 黄 檗 版 と 一 致 す る 1 。 また、引用が多数見られる玄応﹃一切経音義﹄のような、江 戸時代における町版が存在せず、黄檗版等の中に含まれる形 でのみ流通した典籍を多数参照することの出来た場所は、大 蔵経所蔵寺院等に一定程度限定されるであろう。 ﹁河 村 論 文﹂ 所 収 の 瞎 道 の 略 伝 と、 黄 檗 版 の 納 品 記 録﹃全 蔵 漸 請 千 字 文 朱 点﹄ 簿 ︵以 下、 ﹃朱 点 簿﹄ ︶ を 対 照 す る と、 ﹃方 語解﹄の述頃には、黄檗版は全国のおよそ一二三〇箇所に 納品されており、その中で該当する可能性があるのは、龍淵 寺 ︵埼 玉 県 熊 谷 市︶ 末 の 報 恩 寺 ︵同 前、 享 保 元 年︵一 七 〇 二︶ 納 品、 ﹃朱点簿﹄通番四七一︶ と、増上寺 ︵東京都港区、己卯︿元 禄 十 二 年︵一 六 九 九︶ ヵ﹀ 納 品、 ﹃朱 点 簿﹄ 通 番 一 九 四、 享 保 十八︱十九年納品、 ﹃朱点簿﹄通番七〇四︶であ る 2 。瞎道は、 ﹃方 語 解﹄ の 述 を 開 始 し た 明 和 四 年 頃 か ら 約 四 年 間、 現 在 の 熊 谷 市 周 辺 を 中 心 に 活 動 し て い た と 見 ら れ る ︵﹁河 村 論 文﹂ 九 〇 ︱ 九 一 頁︶ こ と か ら、 報 恩 寺 の 方 が よ り 可 能 性 は 高 い と 思われる。 瞎道が参照していた黄檗版を特定する手掛かりとして、例 え ば、 ﹁ 匾 㔸 ︵中 略︶ 西 域 記 十 二 三十 一右 音 義 云﹂ ︵下 五 十 四 則、 八 四 丁 裏︶ と あ る。 こ の﹃大 唐 西 域 記﹄ の 丁 数 は、 承 応 二 年 ︵一 六 五 三︶ 中 野 五 郎 左 衛 門 刊 本、 及 び 当 初 は そ れ を 編 入 し て いた黄檗版に一致す る 3 。そのため恐らく、瞎道はこの本の単 行本を所有していたのではなく、黄檗版収録本を参照してこ の 丁 数 を 記 し た の で あ ろ う。 も ち ろ ん、 ﹃禅 苑 清 規﹄ ︵宝 永 六 年︵一 七 〇 九︶ 刊︶ な ど、 実 際 に 単 行 本 を 所 有 し て い た こ と が 確 実 視 さ れ る 典 籍 も あ る が、 黄 檗 版 の 閲 覧 と、 ﹃方 語 解﹄ や﹃正 法 眼 蔵 却 退 一 字 参﹄ ︵﹃参 ﹄ ︶ の 述 や、 そ れ ら に お け る経典類の引用とには、述動機や引用された要因の一つと して、間接的なものではあるが、関係性が考えられる。 ま た、 ﹃方 語 解﹄ の 注 解 内 容 に つ い て、 一 見 し て 特 徴 的 な も の と し て、 漢 字 の 反 切 等 を 一 貫 し て 張 自 烈 ︵一 五 九 七 ︱ 一 六 七 三︶ ﹃正 字 通﹄ か ら 引 用 し て い る こ と が 挙 げ ら れ る 4 。 典 拠 が 明 記 さ れ て い な い も の も 含 め る と、 ﹃正 字 通﹄ か ら の 引 用は約五十項目にも及び、単独の書では一番多い。 曹洞宗における﹃正字通﹄の依用については、既に天桂伝 尊 ︵一 六 四 八 ︱ 一 七 三 六︶ ﹃正 法 眼 蔵 弁 ﹄ に お い て 確 認 で き ︵﹃永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成﹄ ︵以 下、 ﹃大 成﹄ ︶ 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 刊

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六一 瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について︵秋 津︶ 行 会 編 、 十 五、 大 修 館 書 店、 一 九 七 六、 四 五 頁︶ 、 一 定 程 度 は 流 通 し て い た と 見 ら れ る。 ﹃正 字 通﹄ は 日 本 で は 覆 刻 さ れ ていないため、当時八十部程大陸から伝来していた版本を個 人 で 購 入・ 所 有 し て い た の で あ ろ う。 ﹃正 字 通﹄ は、 そ の 音 釈・ 反 切 の 特 異 性 が 指 摘 さ れ て い る た め、 ﹃参 ﹄ 等 に 見 ら れる瞎道が作成した偈頌の押韻との関係など、どの程度影響 を与えているのかについては、著作全体を通じた、今後の詳 細な検討が必要な課題である。

  ﹃方語解﹄

と他の著作・他者の著作との関係

続 い て、 著 作 間 に 見 ら れ る 注 解 の 共 通 性 に つ い て 確 認 す る。 ま ず、 瞎 道 自 身 の 著 作 間 に つ い て、 ﹁ 手﹂ に 対 す る 注 解 を 取 り 上 げ る。 ﹃方 語 解﹄ 以 外 に﹁ 手﹂ を 取 り 上 げ て い る 著 作 と し て、 ﹃大 智 偈 頌 関 東 弁 矣﹄ ︵宝 暦 十 三 年︵一 七 六 三︶ 注 了、 以 下、 ﹃関 東 弁﹄ ︶・ ﹃正 法 眼 蔵 洗 浄 仏 祖 護 念 参﹄ ︵明 和 七 年 注 了、 以 下、 ﹃洗 浄 参 ﹄ ︶ ・﹃大 智 禅 師 偈 頌 一 著 落 在 参﹄ ︵明 和九年注了、以下、 ﹃大智参﹄ ︶ があり、該当部分は本稿末に一 括して掲げ た 4 。これらで挙げられている、瞎道の引用典籍は 五 点 に ま と め る こ と が で き、 ①﹃円 覚 経 5 ﹄、 ② 王 日 休 虚 中 ︵? ︱ 一一七三︶ ﹃訓蒙 法 6 ﹄、③ ﹃禅苑清規﹄一﹁赴茶 湯 7 ﹂、④同二﹁小 参 8 ﹂、 ⑤ 南 山 道 宣 ︵五 九 六 ︱ 六 六 七︶ ﹃四 分 律 刪 補 隨 機 羯 磨 疏﹄ 二 9 で あ る。 こ の 五 点 の 全 て が 挙 げ ら れ て い る の は﹃方 語 解﹄ と﹃洗 浄 参 ﹄ で あ る が、 ﹃方 語 解﹄ は ⑤ の 具 体 的 な 内 容 を 示 し て お ら ず、 ﹃洗 浄 参 ﹄ は ② の 典 拠 名 を 欠 い て い る。 ま た、 ﹃関 東 弁﹄ ・﹃大 智 参 ﹄ は ⑤ を 欠 い て い る。 そ の 理 由 は 明 ら か で は な い が、 ﹃洗 浄 参 ﹄ に、 ⑤ は﹁ 手 有 異﹂ を 知 ら せ る た め に 記 し た と あ る た め、 ﹃関 東 弁﹄ 等 は 初 学 者 向 け の著作であ る 10 ことから省略したと考えられる。 因 み に、 面 山 ﹃洞 上 僧 堂 清 規 行 法 鈔﹄ 五 ︵宝 暦 三 年 刊︶ で は、 ﹁ 手﹂ を ② と ③ で 説 明 し て い る ︵﹃曹 全﹄ 清 規 一 九 三 頁︶ 。 し か し、 ② の 書 名 表 記 が 異 な る こ と か ら、 引 用 元 も 異 な る 11 と推定されるため、瞎道は﹃行法鈔﹄を引用・増補する 形ではなく、自身の見識に則って注解したと思われる。その ため、近世曹洞宗において、手法をどのように理解してい たのかということについての参考資料となるであろう。 同一人物による著作である以上、同一語に対して同じ典籍 を引用し、同様の注解を行うのは当たり前ではある。本稿で は、瞎道における傾向について改めてその確認を行ったこと で、 ﹃方 語 解﹄ に お け る 語 義 解 釈 を、 他 の 瞎 道 の 著 作 に 対 し て、述時期を問わずに適用してもおおよそ問題ないであろ う と い う こ と が 言 え る と 思 わ れ る。 加 え て、 ﹃方 語 解﹄ の 瞎 道著作全体における位置づけも明確になってくる。 最 後 に、 ﹃方 語 解﹄ に 影 響 を 与 え て い る と 考 え ら れ る、 他 者 の 著 作 と の 関 係 に つ い て 考 察 す る。 本 稿 で 対 象 と す る の

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六二 瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について︵秋 津︶ は、 大 雲 楚 沢 ︵伝 不 詳︶ ﹃義 雲 和 尚 語 録 輗 軏﹄ ︵以 下、 ﹃輗 軏﹄ ︶ で あ る。 ﹃輗 軏﹄ は、 注 解 対 象 が、 面 山 校 訂﹃義 雲 語 録﹄ ︵正 徳五年︵一七一五︶刊︶ であること以外は、 ﹃方語解﹄ と同趣旨 の 著 作 で あ る。 ﹃輗 軏﹄ に 付 さ れ た 序 文 は、 明 和 三 年 の 瞎 道 のもの、及び宝暦十三年の面山のものであることも知られて い る ︵﹃曹 全﹄ 注 解 三・ 二 九 九 頁︶ 。 瞎 道 著 作 に お い て、 用 語 の 語 義・ 出 典 の み を 解 し た 著 作 は﹃方 語 解﹄ の み で あ る が、 本書は﹃輗軏﹄に範を取って述され、最終的には刊行も視 野にあったのではないかというような類似点が確認されるた め、主に ﹃輗軏﹄ を引用している事例から確認する。 ﹃方 語 解﹄ の﹁ 登科   所 謂 及 第 也。 事 物 紀 原 第 三 曰、 漢 之 取 レ ヲ 、 其 射 レ ヲ 中 ル 者、 謂 二 之 ヲ 高 第 ト 一 随 唐 已 来 ノ 進 士 ノ 諸 科、 遂 有 二 及 第 目 一 、 云 ﹂ ︵上 八 十 五 則、 三 二 丁 裏︶ の 傍 線 部 は、 ﹃輗軏﹄ の ﹁及第﹂項の ﹁ 已 上 ま で と 同 内 容 で あ る ︵﹃ 曹 全 ﹄ 注 解 三・ 三 二 六 頁︶ 。﹃方 語 解﹄ に お け る﹃事 物 紀 原﹄ か ら の 引 用 は、 登科 と 亀鏡 ︵上 二 十 則、 一 〇 丁 表︶ の み で、 さ ら に 亀鏡 も 面 山 ﹃正 法 眼 蔵 渉 典 録﹄ ﹁古 鏡﹂ 巻 の﹁黄 帝 十 二 面 鏡﹂ 項 ︵﹃大 成﹄ 二 十 一・ 四 八 ︱ 四 九 頁︶ か ら の 引 用 と 見 ら れ 12 、 そ れ は﹃参﹄においても﹃渉典録﹄と全く同文を引用している こ と か ら も 裏 付 け ら れ る ︵﹃大 成﹄ 十 八・ 七 七 九 頁︶ 。 加 え て、 典拠の丁数が記されていないことも考慮すると、瞎道は﹃事 物紀原﹄ を孫引きで引用していると考えられ、 そのため 登科 の注釈を ﹃輗軏﹄ から引用していることが確定できる。 ま た 形 式 的 な 面 で も、 ﹁⃝﹂ で 引 用 文 を 中 略 し た り、 ﹁ 已 上 で引用文を終わらせたりするなどの事例は﹃輗軏﹄に類似し ている。さらに、毎半葉十二行、二十文字が、補筆を除いて ほぼ完全に維持されていることから見ても、近時代に刊行さ れた近内容の典籍である﹃輗軏﹄を一定程度参照しつつ、最 終的には﹃方語解﹄を単行本として刊行する意図があったと 推 定 さ れ る。 そ の 点 で は、 ﹃方 語 解﹄ を 踏 ま え た﹃冠 本﹄ の刊行は、重大な意義のあるものであったと評価できる。 その他の事例としては、 ﹁ 一状領過   万 方 語 云、衆人同罪﹂ ︵中 三 十 則、 四 八 丁 裏︶ と あ る。 こ れ は、 ﹃無 門 関 万 安 鈔﹄ ︵﹃禅 学 典 籍 叢 刊﹄ 柳 田 聖 山・ 椎 名 宏 雄 編、 九、 臨 川 書 店、 一 九 九 九、 九 〇 頁︶ 及 び こ れ を 引 用 し て い る﹃無 門 関 西 栢 鈔﹄ ︵同 前 二 一 七 頁︶ に あ る、 ﹁一 状 領 過 ス ト ハ、 衆 人 同 罪 ト 云 方 語 ナ リ﹂ か ら の 引 用と考えられる。

結論と今後の課題

以 上 本 稿 で は、 瞎 道 の 依 用 資 料 に つ い て、 ﹃方 語 解﹄ に 頻 出するものを中心に、相互関係を意識しながら検討した。 ﹃冠 本﹄ 依 用 本 等 の 捜 索 や、 特 に 外 典 を 中 心 と し た 孫 引 き の 典 拠 資 料 な ど の 内 容・ 形 式 面、 さ ら に は 注 解 態 度 な ど の 思 想 面 などに関するさらに詳細な検討は、今後の課題としたい。

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六三 瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について︵秋 津︶ 1   ﹃昭 和 法 宝 総 目 録﹄ 二︵高 楠 順 次 郎 編 大 蔵 出 版、 一 九 二 九︶ 二八〇頁上段。 2   ﹁ 点 簿 通 番﹂ は、 松 永 二 〇 〇 八 に 依 る。 ま た、 瞎 道 の 行 状 を 踏 ま え れ ば、 当 然 吉 祥 寺︵東 京 都 文 京 区︶ 及 び 旃 檀 林 で の 閲 覧 を 考 慮 す べ き か と 思 わ れ る。 吉 祥 寺 に は、 丙 寅 か ら 辰︵貞 享 三 ︱ 五 年︵一 六 八 六 ︱ 一 六 八 八︶ ヵ︶ に 黄 檗 版 が 納 品 さ れ て い る︵ ﹃朱 点 簿﹄ 通 番 四 八︶ 。 し か し、 享 保 三 年︵一 七 一 八︶ の 火 災︵岩 本 一 九 五 三、 五 八 頁︶ で 焼 失 し て し ま っ た た め か、 安 永 四 年︵一 七 七 五︶ に も 再 度 納 品 さ れ て い る︵ ﹃朱 点 簿﹄ 通 番 一 二 五 八︶ 。 そ の た め、 瞎 道 は 吉 祥 寺・ 旃 檀 林 に お い て、 黄 檗 版を参照出来なかったと推定される。 3   松 永 二 〇 〇 四、 六 一 六 頁、 写 真 ⑨︵正 明 寺 本︶ ・ 写 真 ⑩︵法 然 院 本︶ と、 ﹁日 本 古 典 籍 総 合 目 録 デ ー タ ベ ー ス﹂ で 公 開 さ れ て い る 国 文 学 研 究 資 料 館 所 蔵 本︵請 求 記 号 ワ 2 -23 -2︶ の 写 真 を比較して判断した。 4   翻 刻 に 当 た っ て は、 句 読 点 及 び 訓 読 文 の 濁 点 を 筆 者 の 判 断 で 適宜補い、各著作の典拠の頁数は、翻刻末尾に記載した。 5   こ の 記 載 は、 ﹃円 覚 経﹄ の 特 定 箇 所 で は な く、 ﹁円 覚 経 等 における手﹂ の意味の要旨を挙げて論じていると思われる。 6   書 名 表 記 か ら、 ﹃居 家 必 用 事 類 全 集﹄ 一︵国 立 国 会 図 書 館 所 蔵本、請求記号 032-Ky995 ︶一五丁裏と推定した。注 11も参照。 7   鏡 島 元 隆・ 佐 藤 達 玄・ 小 坂 機 融﹃訳 禅 苑 清 規﹄ ︵曹 洞 宗 宗 務庁、一九七二︶六〇頁。巻数・丁数は宝永六年刊本に一致。 8   同前八一頁。巻数・丁数についても同様。 9   ﹃卍続蔵﹄六四・三七七右。 ﹃洗浄参﹄ の記載より特定。 10   ﹃関 東 弁﹄ ・﹃大 智 参 ﹄ の 述 対 象 に つ い て は、 菅 原 二〇一四、九二頁参照。 11   ﹃行 法 鈔﹄ に は﹁龍 舒 ノ 速 成 法 ニ 云 ク﹂ と あ る た め、 ﹃事 林 広 記﹄ 四︵長 沢 規 矩 也 編﹃和 刻 本 類 書 集 成﹄ 一、 古 書 院、 一九七六、二五三頁︶ からの引用と思われる。 12   ﹃方語解﹄ における ﹃渉典録﹄ の引用については、 ﹁河村論文﹂ 九八頁参照。 ︿参考文献﹀ 岩本勝俊﹃吉祥寺史﹄私家版、一九五三 河 村 孝 道﹁松 ヶ 岡 文 庫 蔵拈 評 三 百 則 方 語 解 管 見﹂ ﹃松 ヶ 岡 文 庫研究年報﹄第三号、一九八九 松 永 知 海﹁ ﹃黄 檗 版 大 蔵 経﹄ の 刊 行 に つ い て

入 れ 版 を 中 心 と し て

﹂ 高 橋 弘 次 先 生 古 稀 記 念 会 事 務 局 編﹃浄 土 学 仏 教 学 論 叢﹄山喜房仏書林、二〇〇四 松 永 知 海 編﹃ 全 蔵 漸 請 千 字 文 朱 点 簿 に よ る黄 檗 版 大 蔵 経 流 布 の 調 査 報 告 書﹄ 佛 教 大 学 ア ジ ア 宗 教 文 化 情 報 研 究 所、 二〇〇八 古屋昭弘﹃張自烈正字通字音研究﹄好文出版、二〇〇九 菅 原 研 州﹁瞎 道 本 光﹃大 智 偈 頌 関 東 辯 矣﹄ の 研 究﹂ ﹃禅 研 究 所 紀 要﹄第四四号、二〇一四 付 記   本 稿 で 参 照 し た﹃方 語 解﹄ は、 河 村 氏 が、 石 井 修 道 氏 を 通 じ て、 当 時 松 ヶ 岡 文 庫 長 の 古 田 紹 欽 氏 の 特 別 許 可 を 得 て 撮 影 さ れ た 写 真 を、 石 井 氏 の 御 厚 意 に よ り 借 用・ 閲 覧 さ せ て 頂 い た も の で す。 ま た﹃関 東 弁﹄ の 閲 覧 に は、 愛 知 学 院 大 学 図 書 館 の 御 厚意を賜りました。関係者各位には誌して感謝申し上げます。

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六四 瞎道本光の依用典籍と著作間の相互関係について︵秋 津︶ ︿キーワード﹀ 道元禅師、真字﹃正法眼蔵﹄ 、﹃正法眼蔵三百則﹄ ︵曹洞宗総合研究センター研究員・博士︿仏教学﹀ ︶ ﹃正法眼蔵洗浄仏祖護念参﹄ ﹃大智禅師偈頌一著落在参﹄中冊 手 合 掌 ト 与 三 ニ 称 二 ス ル 手 ト 一 如 ク レ次、 真俗 ナリ 。 謂 ユル 手合掌 ハ 、密家常 ニ 所 ノ レ ウ ル 十 二 合 掌 ノ 上 首 ナ リ 也 。彼 ニ ハ 名 ク 二 金 剛 合 掌 ト 一 其 ノ 様 今 略 ス 。 南 山 ノ 業 疏 ノ 中 具 儀 五 ノ 其 ノ 第 五 ニ ︵中 略︶ 已 上 ハ 、 逐 テ レ便 ヲ 欲 レ シ テ 令 三 ン ト 二 三 子 ヲ シ テ 知 ラ 二 ノ 手 ニ 有 一 レルコ ト ヲ 異、 記 ス レ ニ 。 俗 儒 ノ 手 ハ 男 子 凡 ソ 為 二 レ バ 六 歳 ニ 一 則 誨 エ 二 手 ヲ 一 至 テ レ 後 ニ 附 録 セ ン 。 禅 苑 清 規 巻 ノ 一 ニ十二   号右 一 曰、 儼 然 ト シ テ 手 シ 、 朝 二 ス 主 人 ニ 一 常 ニ 以 テ 二 偏 衫 ヲ 一 ヒ 二 衣 袖 ヲ 一 及 ビ 不 レ レ 露 レ ス コ ト ヲ 腕 ヲ 。熱 ニハ 即 チ 手在 リ レ ニ 、寒 ニハ 即 チ 手在 リ レ ニ 。仍 テ 以 テ 二 ノ 大指 ヲ 一、圧 シ 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 左 ノ 第 二 指 、 圧 ス 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 又 巻 ク 二 ニ 四 右 云 フ 下 手 ハ 当 リ 胸 ニ 握 テ 二 手 ヲ 一 ト 上 レ 上 ニ 。 此 レ ハ 小 参 章 ノ 文 ナ リ 。 向 文 ハ 則 チ 赴 茶湯式 ノ 文 ナリ 。 ︵﹃大成﹄十八 ・ 一〇三〇頁︶ 手 当 胸 只 箇 謂 ル 手 ノ 法、 自 有 リ 二 俗 一 禅 苑 清 規 一 ノ 巻 ニ 十 二 ク 、 儼 然 ト シ テ 手 シ 、 朝 二 ス 是 レ 即 チ 参 ノ 義 ナリ 主 人 ニ 一 常 ニ 以 二 衫 ヲ 一 ヘ 二 袖 ヲ 一 及 ビ 不 レ レ レ ス コ ト ヲ 腕 ヲ 。 熱 ニ ハ 即 チ 手 在 リ レ ニ 、 寒 ニ ハ 手 在 リ レ ニ 。 仍 テ 以 二 ノ 大 指 ヲ 一 圧 シ 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 左 ノ 第 二 指、 圧 ス 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 又 二 ノ 巻 ニ 四 右 云 ク 、 手 ハ 当 テ レ ニ 握 テ 二 手 ヲ 一 ト レ ニ 。 王 虚 中 ガ 訓 蒙 ニ 云 ク 、 小 兒 六 歳 ニ シ テ 入 学、 先 ヅ 教 ユ 二 手 ヲ 一 以 二 手 ヲ 一 ク 把 リ 二 手 ヲ 一 其 ノ 左 手 ノ 小 指 ハ 、 則 向 ヘ 二 ノ 手 腕 ニ 一 右 手 ハ 皆 ナ 直 ス 二 ノ 四 指 ヲ 一 以 二 手 ノ 大 指 ヲ 一 ヘ レ 上 ニ 、 如 下 シ テ 以 二 右 手 ヲ 一 掩 ガ 中 其 ノ 胸 ヲ 上 不 レ レ レ ル コ ト ヲ 胸 ニ 。 須 ク レ ム 三 〱 離 レ 二 寸 ヲ 一 為 レ 手 ノ 法 ナ リ ト 。 此 レ ハ 是 レ 俗 ノ 法 ナ リ 。 吾 門 取 テ 用 ウ 。 円 覚 等 ノ 経 ニ 言 フ 二 手 ト 一者、 則 チ 金 剛 合 掌 ナ リ 也 。 八 剱 城 慢 律 師、 災 木 シ テ 批 ス 二 ガ 手 ヲ 一 汝 ハ 是 レ 博 物 ノ 律 虎 ニ シ テ 、 而 忍 ス 二 毀 它 ニ 一 デ 勿 レ レ ス ル コ ト 真俗 ヲ 一 。︵以下略︶ ︵﹃曹全﹄注解三 ・ 四四八︱四四九頁︶ ① ⑤ ② ③ ② ③ ④ ② ② ﹃拈評三百則方語解﹄ ﹃大智偈頌関東弁矣﹄三冊 手 円 覚 経 曰 ハ 二 手 ト 一 所 謂 金 剛 合 掌 ナ リ 。 而 今 ノ 手 ハ 不 レ 爾 。 王 虚 中 ガ 訓 蒙 法 ニ 曰、 小 児 六 歳 ニ シ テ 入 レ 。 先 ヅ 教 二 手 一、 以 二 左 手 ヲ 一 把、 右 手 ヲ 其 左 手 ノ 小 指 則 向 二 ノ 手 腕 ニ 一 右 ノ 手 ハ 皆 直 二 四 指 ヲ 一 以 二 手 大 指 ヲ 一上、 如 シ 下 二 左 手 ヲ 一 掩 中 其 胸 ヲ 上 不 レ レ 得 レ 著 レ ル コ ト 胸。 須 レ 令 三 稍 離 二 方 寸 ヲ 、 為 二 手 ノ 法 ト 一 也 已 上 禅 苑 清 規 一 巻 十 二 曰 、 儼 然 ト シ テ 手 シ 、 朝 揖 主 人 ニ 一 常 以 二 衫 ヲ 一 覆 二 袖 ヲ 一 及 ビ 不 レ ヲ 。 熱 ニ ハ 即 手 在 レ外、 寒 ニ ハ 即 在 レ内、 仍 テ 以 二 ノ 大 指 ヲ 一 シ 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 右 第 二 指 圧 二 衫 袖 ヲ 一 又 二 巻 四 上 手 ハ 当 レ 胸 握 二 右 手 ヲ 一 在 レ 上 已 上 南山羯磨疏 、委悉弁之検須知。 ︵上六十八則、二八丁裏︶ △ 手 当 胸 只 箇、 マ ヅ 手 ノ 同 名、 異 体、 ア ル ヲ シ ル ベ シ。 円 覚 経 ナ ド ニ、 手 ト ア ル ハ、 イ ハ ユ ル 金 剛 合 掌 ナ リ。 而 今 ノ 手 ハ、 シ カ ニ ハ ア ラ ズ 。 王 虚 中 ガ 訓 蒙 法 ニ イ ハ ク、 小 児 六 歳 ニ シ テ 入 学 ス 。 先 ヅ 教 エ 二 手 一、 以 二 手 一 ク 把 二 手 一、 其 左 手 ノ 小︵\ 頭 乎︶ 指 ハ 則 向 二 手 ノ 腕 ヲ 一 手 皆 直 二 四 指 一、 以 二左︵右 乎︶ 手 大 指 ヲ 一 ヘ レ上、 如 シ 下 右手 一 上二 其胸 ヲ 一 レ レ胸。須 三 稍 離 二 寸 一、 為 二 手 法 ト 一 。 コ レ 俗 ノ 儀 ナ リ。 マ タ 禅 苑 清 規 二 三 四号 ニ、 手 當 胸 ハ 握 テ 二 手 ヲ 一 リ レ ニ 。 マ タ 一巻 十二 イ ハ ク 、 儼 然 手、 朝 二 ス 主 人 ヲ 一 常 以 二 衫 一 覆 ヒ 二 袖 一、 及 不 レ レ腕。 熱 ニ ハ 即 手 在 レ外、 寒 即 在 レ内、 仍 テ 以 二 ノ 大 指 一 シ 二 ノ 衫 袖 ヲ 一 左 第 二 指 圧 二 ス 衫 袖 一 コ レ 叢 林 ノ 公 儀 ナ リ、 ソ ノ 儀 ヨ ロ シ ク、 儼 然 ナ ル ベ シ。 手 ヲ 腰 下 ニ サ ゲ ザ レ。 腰 下 ニ サ ガ ル ヲ 陁 蔵 手 ト イフ、必ズシモコヲ諱忌セヨ。 ※ ﹃大 智 偈 頌 関 東 弁 矣﹄ の︵   ︶ 内は、原本に見られる、直前の 文字に対する右付き傍注。 ︵ 愛 知 学 院 大 学 図 書 館 所 蔵 本 、 請 求 記 号 188.8 /02754/3 、二〇丁裏︱二一丁表︶ ① ② ③ ④ ⑤ ① ② ④ ③

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