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ウ超越性 ( 歴史的 宗教的 社会的 文化的 人類吏的意義が大きい ) 空海の自己実現は 特徴ある超越性にある 以下学者 小説家の力を借りて述べたい まれにみる文才 ( 高村薫 空海 2015 新潮社より ) 1200 年前の心身は 基本的には古代のアニミズムを住まわせた 色心不二 であり そこに大

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マスロー心理学研究会

《第87回》定例会

発表資料

2019(平成 31)年 1 月 12 日

担当者:

中川

昌信

自 主 発 表

空海思想からみた「人間の多様性研究」

【 発 表 内 容 】 本発表は 一連の発表 マスロー心理学に基づく人間研究 『自己実現からみた 人間の多様性』―「超・真・空・反・非の各自己実現人間」及び「普通人間」―の うち、第10 章-第 6 節 に当たる。

空海思想からみた「人間の多様性研究」 空海が真自己実現人間の一人であることは、第 1 章第 2 節で概略を述べた。ここでは、空海 が単に真自己実現人間レベルにとどまらず、超越人間にも匹敵する、少なくとも准超越人間と もいうべき人間であることを述べる一方において、本研究で論じてきた「自己実現からみた人 間の多様性研究」の自己評価を空海思想から考察したい。 [1]准超越的人としての空海の偉大性とその思想 空海は超越人間に準じると思われるほどの位置づけにある。その偉大性をいずれの自己実現 者に共通して見られる自己実現の 3 特質からみてみよう。空海の偉大性は、まずその自己実現 過程にある。それを自己実現の 3 特質から概説して後、筆者が常に枠組みとして活用する「自 己実現過程表」「全体図」に示したい。 ア 上昇性(自己発展性、つまり自己の精神的天賦と能力の正しい発展性〉 空海は、自己の現実に対して満足することなく、より高い段階に達しようとしていた。その ことは、儒教の学びにあきたらず、三教の比較から仏教への傾斜を深めたことや、山林での修 行体験を通して入唐により、密教の学びに至ることなどに表れている。この強い上昇志向にみ る空海は、高村によれば「その全身が宗教的情熱の塊で、文字通り修禅と修法と経論の探究以 外の人生はほとんどなかった人なのかもしれない」(高村薫『空海』緒言より)と言わせている。 空海の自己実現での「上昇性」は、まさに強力な宗教的情熱ではないだろうか。 イ 過程性(発展を阻む要因の克服を含む長期の自己変革のプロセス) 空海の青年時代から入定までの一切の私生活は伝えられていないとはいえ、年表にみる限り 空海の生涯は自己実現者にふさわしい長年の「過程性」がある。瀬戸内海の穏やかな風景のな かに豪族の子として生まれた、という一点でさえ、人間として恵まれたスタートであるうえ、 儒教の大学者の伯父に師事し、16 歳で上京、大学に入学したことは幸いなことであった。この ころから仏教への傾斜がみられ、山林修行を経て入唐を決意、恵果から密教を伝授されたので ある。帰国後も嵯峨天皇から受領した東寺を拠点に密教の研究に努めた。綜芸種智院を開設し て、教育理想の実現に努力した。高野山で万燈会を開き、願文を残した。 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 1 ~~

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ウ 超越性(歴史的、宗教的、社会的、文化的、人類吏的意義が大きい) 空海の自己実現は、特徴ある超越性にある。以下学者・小説家の力を借りて述べたい。 ・ まれにみる文才(高村薫 『空海』2015 新潮社より) 1200 年前の心身は、基本的には古代のアニミズムを住まわせた「色心不二」であり、そこに 大陸から渡来した仏教その他の最新知識と世界観が織り込まれていたと考えられ、なかでもそ れらの知識や世界を顕現させる言葉、すなわち中国語の漢文は、空海の心身にもっとも響いた ものに違いない。もちろん、生まれつき特別な語学の才能があったのは間違いないが、そこか ら花開いた文才は明らかに宗教家の枠を超えたものだったと思う。初期の『三教指帰』に始ま り、『遍照発揮性霊集』に収められた数々の願文や詩文、そして『請求目録』から『秘蔵宝論』 までのすべての著作が、宗教者の文章と言うより、まずは卓越した文筆家のそれである。 ・ 感性も思考力も日本人離れのスケールの人(高村薫 前掲書) 『秘蔵宝鍮』の序にある「生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりは冥 し」といった有名な一文を挙げるまでもなく、生来豊かな情緒の人だったのも確かだが、さま ざまな情緒も価値観も世界のかたちも、言葉に織り上げられて初めて生まれ出るものである。 とすれば、空海の感性も思考の方法もほぼ当時の中国語の世界のそれだったと考えてよかろう。 ・ 独自世界の確立(高村薫 前掲書) 日本古来の自然やアニミズムを滲み込ませる身体の直接体験と、中国語の論理と修辞が合体 したとき、まさに空海独自の比類ない密教世界が拓かれた、空海ただ一人が開き、空海ただ一 人で完結し、後世に革新や進化が起こるべくもなかった理由がここにある。 ・ 宗教的オーラに包まれた傑僧(高村薫 前掲書) 恵果をして「相待つこと久し」と言わしめた空海の名声とは、その博識や学習への情熱とい った抽象的なものではなく、その全身から菩薩のようなオーラを発していたのではないか。そ んな特別な能力を備えていたと仮定しなければ、一介の日本僧が青龍寺で恵果からいきなり正 統の密教のすべてを伝授されたことの合理的な説明はつかない。 ・ 人格にみる宇宙性(司馬遼太郎『空海の風景』(上・下) 1975 中央公論社 より) 空海は思想性をたかだかと保ちつつ、しかも時には宇宙の胎内に入り込むという宗教的人格 をもつという点は唯一人。陰陽師、占部、仏教徒は気にいらなかったようだ。性を執拗に昇華 させ、その作業こそ即身成仏とした。 ・ 国際性(司馬遼太郎 前掲書) 北京での異人種とのふれあい、わけへだてない普遍的原理を感じた。好奇心旺盛で護摩との 出会いがあった。こうした空海には帰国後の朝廷、貴族などの身分の違いなどは小さなもので あったろう。比較は空海の好む知的作業であった。空海の才が顕れたのは文章、詩歌(酒宴のた びに詩の交換があった。)長安の人の驚きだった。 ・ 戦闘的性格(司馬遼太郎 前掲書) 桓武天皇が最澄の方を信用し、空海を信用しなかったのか、順暁から密教が最澄に伝えられ たことを聴いて「法難」だと思ったであろう。 ・ 豪快で明朗な人物 空海は芸術の分野でも類まれな才能を発揮する天才であると同時に、まさに空や海の如くに 広くおおらかな心を持つ、豪快で明朗な人物だった。 ・ 人類的存在(司馬遼太郎 前掲書) 日本の歴史上の人物として民族・社会的存在でなく、人類的存在だった。 ・ 闊達な性格とカリスマ性(湯原公浩編『別冊太陽 日本のこころ 187 空海 真言密教 の扉を開いた傑僧』 2011 平凡社 より) 入唐に関しては、欠員補充という形で遣唐船に乗りこめたというのは幸運というしかないが、 厳しい制限のなかでにわかに得度し、入唐が叶ったのは経済的な支えとなる佐伯一族の援助や 阿刀大足につながる伊予親王の働きかけがあったのではないかとも言われている。その後の空 海の生き方に通じるが空海には多くの人の庇護や助力を引き出す闊達な性格と同時に多くの人 を率いていくカリスマ性が共存していたようだ。 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 2 ~~

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・ 衆生のための菩薩として活躍(湯原編前掲書) 満濃池補修事業、綜芸種智院の開設をした。特に綜芸種智院は貴賎・貧富に関わりなく平等 に学ぶことができた。官吏を志すには儒教を修めればよいという教育システムになっていたが、 もっと広く道教や仏教を学べる私学の創設を目指し、必ずしも僧侶要請を目的としたものでは なかった。 ・ 民衆の敬慕の的としての空海(吉田豊 「綜芸種智院 式並びに序」の解説 『古典体系 日本の指導理念 16 巻 建学の精神 「先駆者の手引きと次代の英才」』p.42 1983 第一法 規 より) 空海は、日本真言密教の祖として、壮大な教学体系をうちたてた思想家であると同時に、民 衆とともに歩み続けた実践家でもあった。その足跡は全国各地に及び、橋を架け、井戸を掘り、 貯水池を設けて、今に至るまで生き仏、弘法大師様として民衆の敬慕の的となっている。西国 の霊場を巡るお遍路さんの笠には「同行二人」と書かれているが、これは弘法様がいつも一緒 に歩いてくださるという信仰を示している。高野山の奥の院に安置されているという空海の遺 体は、毎年 3 月 21 日の命日に僧によって清められるが、必ず髭が伸び、法衣の裾が汚れてい るといわれる。それはお遍路さんと一緒に諸国を回っておられるためだと信じられているとい う。空海のこのような庶民性は、同時代に生きて日本天台宗を興した伝教大師最澄とは対照的 である。二人はともに、みずからの信仰と学識によって仏教を日本に根付かせた巨人ではある が、「大師は弘法にとられ・・・」というように、民衆のなかにおける人気、影響力からいえ ば、空海のほうが圧倒的に大きいのである。このような空海の庶民性、包容力は、まさに彼の 宗教思想そのものから生まれたもののようである。その教学の根本は、とうてい筆者の任では ないが、すべての存在は宇宙の本体である大日如来の働きの現われであり、これと一体化する ことによって万物が仏となりうるという信仰であろう。一切衆生、すべての生きとし生けるも のが、仏となる可能性を有しているという思想は、万物の中に八百万の神を感じた古代日本の アニミズム信仰とも通じるものであり、民衆にとっても受け入れやすいものがあったのではな かろうか。また、真言密教は、「行」すなわち宗教的実践を重んじる。瞑想し、思索するだけ でなく、みずから行動することによって、仏の境地に近づこうとするその哲学からいえば、讃 岐の満濃池修造を始めとする空海の様々な社会的活動は、それ自体が信仰に根差した修行だっ たのである。このような空海の民衆的側面は、宗段の頂点に立った高僧たちよりも、むしろ身 分の低い半僧半俗の「聖」と呼ばれた遍歴の宗教者たちに引き継がれて、高野山信仰、大師信 仰を全国に広めた。 ・ 様々な信仰、思想から偏見なく学ぼうとする包容力(吉田豊 前掲書) みずから信ずる神と教え以外は、すべて邪神、邪教とするキリスト教やイスラム教と違って、 仏教はもともと寛容な宗教であった。釈迦は、インド古来のさまざまな信仰を排撃して改宗を 迫ったりしていない。だが、後世になって、多くの宗派が分かれるにつれて、いわゆる「我が 仏、尊し」の独善と不寛容がはびこっていった。空海はこのような偏狭を厳しく戒めた。かれ は、この式で、当時の東アジアにおける代表的な思想潮流であった儒教・仏教・道教の三つを 中心にすえ、さらに「諸子百家」とよばれる中国の多様な思想家たちの言説からもおおいに学 ぶことを強調している。 ・ 学問を一般民衆に開放しようとする熱意(吉田 前掲書) 空海は学問を特権階級のためのものではなく、「貧賎の子弟、貧しい青少年や遠隔地の向学 のある者を対象として学問の場を提供した。このことは世界の教育史のうえからも特筆に値す る。また、そこで教育に当たる人材についても、仏教については僧侶、それ以外の学問につい ては在俗の学者に任せて特定の信仰を強要せず、人格にすぐれ、教育熱心な人材を貴賎を問わ ず招きたいと強調している点は新鮮である。多くの教団や宗派が、みずからの組織の強化拡大 のみを自己目的として追求しがちな今日、一切衆生の救済という宗教の根本目的をそのままに 教育の場につらぬいた空海の理想と実践を、もう一度振り返るべきではないだろうか。 ・ 真言密教の根幹をなす卿身成仏」の提起。(湯原 前掲書) 実在した釈迦や大乗仏教の阿弥陀・薬師などの如来が衆生救済のために説いた教えを顕教と ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 3 ~~

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いうのに対し、空海が唐から持ち帰ったのは大日如来が説いた教えで、これが密教である。密 教と顕教とを大きく隔てる教えの一つが即身成仏である。顕教の場合は三劫成仏といって長い 時間をかけなければ悟りを得られないが密教では生身のままに悟りは開かれているという。空 海の密教は欲望を肯定し、アニミズム的、現世利益的、呪術的な要素を含むもので、仏教のな かでもかなり異色の教えを説いている。 ・ 宗教の独自性の保持と南都とのつながりの確保 最澄とは密教に対する考え方が 180 度違っていたが、両者とも独自性を貫いた。最澄は比叡 山に延暦寺を建て、伝教大師、空海は高野山に金剛峯寺を建て、弘法大師と尊称された。 〈空海〉 〈最澄〉 ・密教 ・大乗仏教 ・顕教 ・密教 ・大乗仏教 ・顕教 ・小乗仏教 ・小乗仏教 空海は、仏教をまず「密教」とそれ以外の「顕教」に分け、顕教の中に大乗仏教と小乗仏教 があると考えた。密教は宇宙の真理を説く奥深い秘密の教えであり、顕教とは衆生を強化する ために言葉で説き顕された教えであるとした。最澄には、密教は顕教より優れているという発 想はなく、あくまで大乗仏教の中の一つの教えとして、密教をとらえていた。最澄は、密教を 比叡山のカリキュラムの一つとするため、空海に対し、「密教の経典を貸してほしい」とか、「密 教の教えをちょろっと教えてほしい」などと繰り返し願うが、空海は、密教とは書物を読んで マスターできるようなお手軽なものではなく、弟子として修行を積んで体得すべきものとした。 最澄はこのことを最後まで理解できなかったために空海を怒らせてしまった。最澄は南都六宗 の奈良仏教の執拗な攻撃を受けたが、空海は南都の僧とは深いつながりを持っていたとされる。 ・ 曼茶羅(マンダラ) 正方形のなかに左右対称の図形を配置し、宇宙を表現する抽象的理念 図である。中央には大日如来の智徳を表す金剛界が描かれている。その智徳は堅固で一切の煩 悩をくじき、向上万邁修の極致たるの聖域を示している。また、胎蔵界曼茶羅は母の胎内のよ うな大慈により衆生を救済することを願い、宇宙を示す枠内に菩薩を配置図示している。 ・ 護摩(ゴマ)行は、現世での祈願成就を目指して祈りを捧げるという密教の修法。密教とは 「秘密仏教」の略で、真言、天台、修験が日本三大密教である。護摩は、紀元前 2000 年頃に インドで始まり、日本には平安時代の頃に伝わったとされる。護摩の名は古代インドのサンス クリット語で「炊く・焼く」を意味するホーマーの音訳に由来する。護摩行は基本的に密教系 の寺院の儀式であるが、神社でも明治以前の神仏習合の色が強く残っている神社で行っている 場合がある。また、一般に「お火焚く」や「火祭り」の呼び方で行っている行事は護摩行を詣 している。護摩は壇上に本尊を安置し、炉に火をつけ、護摩木を炊き、手に印を結んで真言(仏 の言葉〉を唱える。そして火中にお供え物を投げ入れて本尊を供養し、一心に願いに思いをこ らし、祈る。息災法(自然災害や個人の苦難がないように祈る)、増益法(利益や幸福を求めて祈 る)、敬愛法(良縁や親睦を深めることを祈る〉、降伏法(調伏法)悪魔や怨敵を鎮めるなどがあ るが、いずれも幌衛的な祈りの力をもって願いを叶えよ うとするもので、密教の様々な祈 祷のなかでも多くの寺院や宿坊で行われている。 [2]空海の自己実現過程表 段階 内容 空海の自己実現過程 A 転機を迎える一段階以 774 年、讃岐の豪族佐伯田公の子として生まれる。儒 平穏に機能 前の状熊で活動状況に 教学者の叔父・阿刀大足に儒教を学び、17 歳から 6 年 する段階 乱れがない 間官吏を育成する大学で学んだ。 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 4 ~~

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B アクチャルな自己を感 儒教では満足できなくなる。忠義とか立身出世などを 活 動 に 揺 ら じることができなくな いうが結局は力の強い者が勝つ世の中だ。どうすれば ぎが起こり り、今ここに生きてい いいのだろう。 阻害される るという感じが損なわ れる。 C 安定した事態に導くた この乱れた世の中に真の平和をうちたて、民衆を救う 新しい世界 めに、解決の方法を模 ために僧になろう。『三教指帰』を書いて大学をやめ を模索する 索する。可決手段が見 る。『三教指帰』は道、儒、仏を比較し、仏教の優位、 つからず、葛藤する場 すなわち自身が官を捨て仏門に入ることの正当性を主 合がある。 張した。奈良の大安寺に入って僧となったが、自己の 利益や出世ばかり考えていることに失望。四国の山中 で修行。深い仏教を求めて唐へ渡る。最澄も同じ船だ った。「大日経」の感得は空海の入唐をあと押しした。31 歳 D モデルを発見し、危機 唐の長安では一旦は西明寺にいたが、青龍寺の恵果の モデルとの 的な状況にあった事態 名声を聴き、恵果を訪ねる。和尚から密教を学び、2 出会い を解決する手がかりと 年後に日本にもどってきた。密教は口伝えの秘密の言 する。 葉を学び、救いを得ようとする仏教である。恵果は空 海に遍照金剛の名を授けた。わずか 2 か月で密教の大 法をことごとく授かる。 E 環境に向かって働きか 嵯峨天皇が 24 歳で即位するころ、唐から帰ったばか 交渉チャン ける中で自己効力感が りの新知識を身につけた空海は、儒教の教養もあり、 ネルの獲得 生じ、生き生きした現 詩や文章も上手だったので、文学好きの嵯峨天皇にた と評価枠の 実感が生まれる。 いへん信任された。書も巧みで嵯峨天皇、橘逸勢とと 発見 もに三筆とうたわれた。 F 課題の認識で自己の道 高野山に金剛峯寺を建て、真言宗をひらき、国家のため 課題の認識 を歩む決意をする。 の仏教ではなく、民衆のための仏教を広めようとした。 G 活動性が高まり、世界 社会事業にも取り組み、綜芸種智院を建て、一般民衆 課題への取 との新たな関係が安定 にも三教を教えたり、讃岐に満濃池という農業用ため り総み したものになる。 池を造った。56 歳のとき、人間精神の弁証法的な発展 過程を克明に描いた「十住心論」を著した。835 年、61 歳で弟子に囲まれ高野山に死す。 〈十住心論〉 ① 煩悩にまみれた心 ② 道徳の目覚め、儒教的境地 ③ 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地 ④ 小乗仏教のうち声聞の境地 ⑤ 小乗仏教のうち縁覚の境地 ⑥ 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地 ⑦ 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地 ⑧ 大乗仏教のうち天台宗の境地 ⑨ 大乗仏教のうち華厳宗の境地 ⑩ 真言密教の境地 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 5 ~~

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[3]空海の自己実現の全体図 2 空海思想からみた本研究「自己実現からみた人間の多様性」の評価 ここでは、評価枠として、空海に関する記述の部分に加えて、NHK「こころの時代」(宗教 ・人生)の正木晃氏のテキスト(2018.4 ~ 9 月号)に依拠しながら述べたい。 著者の正木晃氏「1953 年神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学、特 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 6 ~~

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に日本密教・チベット密教。マンダラ塗り絵を日本に取り入れた第1 人者。著書に『密教』(ち くま学芸文庫)、陵代の修験道』(中央公論新社)、槻代日本語訳空海の秘蔵宝論』(春秋社)、『空 海と密教美術』(角川選書)、『マンダラとは何か』(NHKブックス〉、『カラーリング・マンダ ラ』(春秋社)、訳書に『マンダラ塗り絵』(スザンス・F・フィランチャー著、春秋社)など多 数。 先に「曼茶羅」について概略紹介したが、正木氏のテキストは「マンダラ」と片仮名で次の ように紹介している。(要点) (1)「マンダラ」にみる空海の思想 様々な経緯を経て変容していった仏教は、密教の段階でさらに大きく変容する。マンダラと いう修行のアイテムを開発したことである。インドでは 7 世紀になると、「大日経」や「金剛 頂経」といった密教経典が編纂され、マンダラの第 1 号が「大日経」に基づいて描かれた。思 想的に重要なのは「住心品」で、様々な心のありようを意味し、60 種類の心が論じられている。 これらの心は人間がみな抱きがちな持っているので、それがなければ菩提心は生まれない。欲 望もむげに否定しない、ここが密教に特有の発想である。また、「大日経」は、「悟りを求める 心こそ行動の動機であり、大いなる慈悲こそ根本であり、実践にこそ最高がある」という主張 であろう。「大日経」が説く世界観を「胎蔵」という。胎蔵とは、女性の「胎(子宮)」を意味 する。その意図は、子宮がやがて生まれ出でて人となる胎児を宿し、しかも成長させるように、 大日如来によって、ありとあらゆる事物が包含され、育成される。言いかえれば、大日如来こ そ、ありとあらゆる事物の子宮になる。この教えは我々に二つの確信を与える。一つは、この 世に無駄なものは何一つないということ、もう一つはどんなに外見や生き様が異なっていよう と、みな平等の価値をもっている、ということである。この二つの確信を併せると、誰も無駄 な存在であるはずがない、価値ある存在だという、これ以上ないくらいの安心感が得られる。 非常に強い自己肯定の感覚が得られる。以上の真理を図像として表現したのが胎蔵マンダラで ある。大日如来の大いなる慈悲が女性の子宮のように我々の菩提心を宿し、育み、生み出し、 さらに成長させ、ついに悟りへと導くという意味である。 胎蔵マンダラの意味するところは、世界全体が、つまるところ大日如来にほかならないとい う真理である。マンダラの中心部に描かれ、他の神々はランクによっていろいろな位置に描か れている。この神々も大日如来の現われであり、この世の神羅万象は無意味なものはないと教 える。多様性が協調されている。排他的な発想は見当たらない。日本の胎蔵マンダラは何一つ 捨てることなく、すべてを包摂していくなかで、自然もマンダラに入ってきた。空海の「草木 成仏の思想」である。これはインドやチベットにもなく日本独特である。このように日本人は 人の手で描かれた図像という次元を超えて、現実の自然そのものをマンダラに見立てた。空海 は高野山という地そのものを、大マンダラにみなした。奈良県の吉野、和歌山県の熊野、山形 県の月山などもその例である。 ブッダの悟りを巡って様々な解釈が行われる中で、マンダラを生み出した密教の解釈では「悟 り」とは、「梵我一如」である。「梵」とは大宇宙の一切の現象世界、密教では大日如来である。 「我」とは私自身である。「一如」とは本質が同じという意味である。大日如来は無限大の存 在であり、私自身は極めて微小な存在である。しかし、その圧倒的な差を超えて、両者は同じ 本質だという。そのことをブッダは体験した。このブッダの「根本体験」こそが悟りの中身だ と密教は主張する。空海も室戸岬での厳しい修行で「梵我一如」を体験した可能性がある。 (2)空海思想からみた本研究「自己実現における『人間の諸類型』」の評価 上記の正木氏の紹介でみたように、空海の思想には「住心品」「草木成仏」「即身成仏」など 全部ではないにしろ、貴重な内容が示されていたが、これらの思想を本研究に照射した場合、 いくつか本研究の考察の未熟な点が浮かび上がる。それは、特に空海の「草木成仏」の思想と の関連である。「自然を含めすべてこの世に無駄なものは一切ない」という考えである。 本研究は、当初、人間をいくつかの型に類別し、その実相を考察した。それは、現実にある ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 7 ~~

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姿を客観的に考察した結果であるが、その際、類別した対象に対して私の個人的価値判断が及 んでいたとすれば、空海の思想とは相容れず、無意味なことになる。本研究では、特に「反自 己実現人間」に対しては憎悪すべき人間だと断じている。これに属する人間は、空海のいう「住 心品」のうち初期の心、すなわち「異生羝羊心」(煩悩にまみれた心)の持ち主と考えられるが、 空海はこのような心であっても、さらに修行を重ねることにより、菩提心に目覚めさせ、段階 的に真言密教への到達の可能性を示している。(本稿・空海の自己実現の全体図を参照されたい) むしろ「悪心を待っている者こそ、悟りを求める心が強い」と言っているのは、鎌倉時代の親 鶯の「悪人正機」につながる仏法の奥義でもある。こうしてみると人間をいくつかに類別した という本研究の意味・価値とは何ぞや、という痛烈な自己批判の思いがあり。人間のみならず、 自然も含め一切の存在が価値あるものだという見方にたてば、たとえ反自己実現の状況にある 人間とはいえ、その存在を否定することはできないのである。少なくとも俗に言う「罪は憎ん でも人は憎まず」の考え方に立つことが重要である。密教の、あるいは空海の人間観・自然観 ・世界観からみれば、本研究の価値はどうであろうか。本研究は一応、心理学の看板をつけて はいるが、ならば心理学とは何ぞや、人間とは何かを探究する学問とはいえ、基本的な考え方 に問題があるのではないか。分析に終始した心理学の第 1、第 2 学派を経て、人間を研究対象 にするとして誕生した第 3 の心理学、すなわち人間主義心理学(人間性心理学)ならではの意義 を今一度問わざるを得ない。人間性心理学は、それまでの心理学が避けてきた「価値」の問題 に正面から向き合あっている。それだけに、この研究の意味・価値は果たしてあるのであろう か。心理学が単なる貴族趣味の学問になってはならない。従って、少なくともこうした誤解を さけるためにも、本研究は「人間を類別することから始まったが、そのいずれの人間も大きく は人間として同じ価値をもつかけがえのない存在として、宇宙的規模において包含され、相互 に交流し、学び合う共生の関係であること」を強調しておきたいと思う。さらに、多様性の一 つとして見出した「普通人間」も、空海のいう「大日如来」の、女性の母胎・子宮的存在とし て、真理を求める心、慈悲心を生み、育み、成長させる母胎としての存在でありたいと願うも のである。事実、平凡な普通人間にもこころを病むエリートを無為にして癒す、母親のような 大きな包容力があることはすでに述べた。「普通人間」は記述のように、「大衆」であり、「民 衆」 であると同時に、様々な人間を生み出す母胎的存在であり、大日如来なのだということも付言 しておきたい。大日如来は無限大の存在である。普通人間は圧倒的多数とはいえ、如来に比す れば極めて微小な存在だが、その圧倒的な差を乗り越えて両者は同じ(正木氏)だということで ある。飛躍した論理かもしれないが、民衆の考えを尊重し、民衆を大切する民主主義の本質は ここにあるともいえる。まさに宗教から学ぶ政治の要諦ではなかろうか。 河合隼雄は『昔話と日本人の心』のなかで、ユングの思想を紹介し、ユングが「完全性」を 欠点、悪を切断、排除することを達成させる父権的意識とし、「全体性」をむしろ悪をさえ受 け入れることによって達成される母権的意識としていることに対して、河合はわが国ではヨー ロッパのような不変の○○意識ではなく、矛盾を含みながらも状況によって変わり得る母権的 意識が日本人の心を表しているのではないか(P.303)と述べている。これは、空海思想に近く やはり東洋における共通の深層心理ではないかと考える。 (注) 「普通人間が大日如来であり、大日如来が普通人間である。」この表現には多少奇異な感じを 持たれると思うが、信仰が深まれば、そのようになると言われている。例えば、浄土真宗を深 く信心する妙好人・浅原才一(1850 ~ 1932)という念仏者は「仏が私、私が仏」と言った。先 に述べた「梵我一如」の体験である。麻原才一は浄土真宗の妙好人の一人。石見の才一と呼ば れた。「口あい」と称せられる信心を詠んだ多数の詩で知られ、「日本的霊性」として鈴木大拙 によって世界的に紹介された。妙好人とは、浄土教の篤信者。特に浄土真宗の篤信者を指す語 である。 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 8 ~~

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(参考) 両部マンダラの特徴 正木晃氏「マンダラと生きる」p109 胎蔵マンダラ 金岡界マンダラ あたえられたもの つくりだしたもの 女性的 男性的」 オーケストラ ソリスト 他者とのかか勢重視 個の確立重視 開放系 閉鎖系 融通性を重視 完璧性追求 柔らかい構造 堅い構造 かなり大乗仏教 いかにも密教的 両部不二の対応関係 前掲書p.117) 胎教マンダラ 金剛界マンダラ 大日如来の性格 理法身 智法身 あらわ世界 実相 理想 世界の性質 同一 差異 種字 阿(ア) (パン) 描かれる場所 胎 心 仏菩薩の座 蓮華 月輪 六大要素 地水火風空 識 適応の対象 衆生 仏 〔解説〕 (前掲書P.116) 1)胎蔵マンダラ 「理法身」の理は真理や道理の「理」、この場合には「理想」という意味はない。自然現象 が起こることも動植物が生き死にすること、この世の神羅万象すべてが大日如来によって受胎 され、育まれ、生み出され、活動している。これが我々が生きている世界の真実の姿一「実相」。 この世の多種多様なものの根源は最終的にはみな胎蔵大日如来に到達する。その意味ですべて は「同一」。「阿」は種字と呼ばれ、胎蔵大日如来を象徴する梵字。「胎」は直接的には女性の 子宮を意味する。広げて「身体」の意味。「蓮華」は女性のシンボルで、胎蔵マンダラの中央 に描かれている。「地水火風空」は、この世界を後世している基本要素。空海の理論では、こ の世界は「六大」といって、「地水火風空」の物質的な要素に加え、「識(意識)」という精神的 な要素が想定されている。空海の独創。「衆生」は我々生きとし生けるもの。悟りに至ってい ない者たちばかりがいる。 2)金剛界マンダラ 「智法身」の「智」はありとあらゆる事物の本性を見抜く「智恵」の意味。「智法身」とは 「ありとあらゆる真理を知る智恵を身体とする仏」のこと。密教に限らず、仏教では「智恵」 の獲得こそ悟りを得るための必須条件とされる。何より悟りを志向する金剛界マンダラでは、 「智法身」が特に重要。金剛界マンダラは、密教的な価値観から見て、「理想」の世界をあら わしている。胎蔵マンダラに比べると、対称性が強く、ずっと秩序だっているのはそのため。 金剛界大日如来の「智」の働きは、ものごとの相違を正しく判別することにあるので、「差異」 という。「 (パン)」は金剛界大日如来を象徴する梵字、種字とよばれる特別な文字。「心」は ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 9 ~~

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胎蔵マンダラが身体の外に描かれるのに対し、金剛マンダラは心の中に描かれることと関連し ている。「月輪(満月)」は金剛界マンダラに描かれる仏菩薩や明王などの神々がどれも満月の 中に座していることと関連している。また、「月輪」は心の象徴でもある。「識」は「六大」の うち、精神的な要素のこと。「仏」は、金岡界マンダラが理想の世界をあらわしているので、 そこにいるのは悟りを得た仏だけということ。 3)両部不二の理論 胎蔵マンダラと金踊界マンダラが、つまり、この世のあるがままの姿とあるべき姿が、同一 性と差異性が、身体と心が、物質と精神が、常に不即不離の関係、別々でもなく、べったり一 緒でもない。私(正木)は、21 世紀の宗教には①社会的な規範の提供②個人の精神的な救済の二 つの要件が欠かせない。①は胎蔵マンダラが、②は金剛界マンダラが担っていると考える。方 向性は、胎蔵マンダラは外に向かい、金剛界マンダラは内に向かう。①と②は別々に機能する のではない。社会的な機能なしには本当の意味で、個人の精神的な救済はありえないし、また、 個人の精神的な救済なしに社会的な救済は成り立たない。この真理も「両部マンダラ」が教え てくれる。空海は胎蔵マンダラと金岡界マンダラを「両部マンダラ」として両立させ、「両部 不二」という理論をうちたてた天才である。 ―― 引用・参考文献 ―― 高村 薫 『空海』 2015 新潮社 司馬遼太郎 『空海の風景』(上・下) 1975 中央公論社 別冊太陽編集部 湯原公浩編 『別冊太陽 日本のこころ 187 空海 ― 真言密教の扉を 開いた傑僧』 2011 平凡社 吉田豊 「綜芸種智院 式並びに序(解説)」『古典体系 日本の指導理念 16 建学の精 神 先駆者の手引きと次代の英才』p.42 1983 第一法規 正木晃 「空海」 NHK「こころの時代」~宗教・人生~ テキスト 2018.4 ~ 9 月号 【 討 議 内 容 】 1) 以前から数度にわたって、独自の視点から「自己実現」人間を「超」「真」「空」「反」「非」の 各自己実現に分類し、考察してこられた一連の研究発表の今回は、「空海の偉大性」にスポットを 当てたご発表であった。この偉大性を次の3点「上昇性」「過程性」「超越性」から考察し、「自己 実現過程表」なる一見してなるほどと理解できる全体図にまとめ上げられた、意欲作である。いつ もながら、頭の下がる膨大な資料を駆使してのご努力を見習いたい。 2) また、これまで各自己実現人間を分類して考察しておられた「類型」を廃し、超越性に重点を 当てた「多様性」を見ようとタイトルを変更されておられる。人間性心理学をさらに「人間性心理 学」たらしめる深みのある研究になっている。 3) われわれには、空海の真のねらいとする教えのコアの部分はわからない。曼荼羅の世界ももう 一つすっきりと理解できなかった。ただ、われわれは、人間性心理学の立場から「空海」の人間性 の偉大なる点は理解できたように思える。 4)「全体図」はよく理解できた。これもオリジナルなものであり賞賛できる。ただ、発表者はかつ て、上田先生はから「牽強付会」(ケンキョウフカイ)(自分の考えや理論を、自分の都合の良いよう に、無理矢理理屈づけること)のようなことはいけないと諭されたそうである。今回もそうではな いかと自戒を込め述懐されておられた。しかし、ここでは一つの「見解」「説」を提示されており、 自分の考えが唯一無二のものとは断定はされていない。 5)空海の頭脳明晰・天才さはよく知られている。宗教指導者としてのほかに鉱山師・土木学等にも ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 10 ~~

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通じていたのではないだろうか。満濃池の造築、遍路道の開拓、高野山の山上台地を見抜いた金剛 峯寺の造寺、その他各地に彼が指導した鉱脈・泉の逸話は数知れないくらいある。 6)ジェンダーの視点から 河合隼雄氏が「父権的意識」「母権的意識」、また『日本人とアイデン ティティ』の中で、「男性的」(欧米的な個人の自立を重視する)、「女性的」(日本人が自らの自我 ・意志を常に他者とのつながりの中、連帯・共生を意識する生き方)と称したのは、20年くらい 前の分類であって、それはあらゆる面を含めていく分類ではない。全てを包合していく胎蔵的・母 体的存在であるといっている。 (参考)河合隼雄 『日本人とアイデンティティ 心理療法家の眼』 1984 創元社 (付) マスロー心理学では、統計による研究を否定するものではないが、一人の人物像を通してケース分 析をし、そこから生きた人間の理想的な姿を浮かびあげようとする立場をとる。したがって統計的に 突出した人物や都合の悪いケースを省いたりはせず、そのあるがままの姿を考察しようとすることに 意義を見つけようとする。そこに独自の理論が出てくることは大いにあり得ることである。 ~~ マスロー心理学研究会 《第78回》定例会 発表資料 中川氏 p. 11 ~~

参照

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