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〈研 究 ノ ー ト〉
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン 政 策 史 (1532年 〜1789年)(上)
藤 田 尚 則
目 次 は じめ に
第 一 節 植 民 地 時 代(以 上 、本 号) 第二 節 アメ リカ独 立 戦争 と大 陸 会議 第三 節 イ ンデ ィ ア ン条約 、北 西 部連 邦 領 条 令 第 四節 合 衆 国憲 法 制 定会 議
は じめ に
筆 者 は 、本 誌 第19巻 第1・2合 併 号(1989(=12月 発行)に 「ア メ リカ ・イ ン デ ィ ア ン法 研 究 序 説 一 公 法 学 の 視 点 か ら 一 」 の 第 一 回原 稿 を投 稿 し、北 アメ リカ大 陸 にお け る1532年 か ら1871年 まで の 白人 に よ る イ ン デ ィ ア ン政 策 史 に 論 及 した が 、 イ ン デ ィ ア ン法 研 究 に 着 手 した1980年 代 当 時 、 筆 者 自身 の 資 料 収 集 能 力 の 限 界 も相 侯 って1600年 代 乃 至1900年 代 初 期 の イ ン デ ィ ア ン関 連 の条 約 、 法 律 、行 政 命 令 及 び 議 会 資 料 等 の 正 文 の 入 手 に難 渋 し、 勢 い 手 近 な判 例 を 中心
に論 考 を 作 成 せ ざ る を得 ず、 も どか し さ も手 伝 っ て イ ン デ ィア ン法 研 究 か ら遠 ざか っ て い た 。
しか し、 そ の 後 の コ ン ピュ ー タ ー情 報 処 理 の 飛 躍 的 発 展 に よ り、古 い単行本 を も含 め上 記 資 料 等 を 研 究 室 に居 な が らに して 入 手 す る こ とが 可 能 且 つ 容 易 に な り、嬉 しい哉 、 イ ンデ ィ ア ン法 の 研究 を2006年 夏 か ら再 開 す る こ と とな っ た。
本 稿 は 、 本 紙 第19巻 第1・2合 併 号157頁 乃 至170頁 に該 当 す る1532年 〜1789 年 の論 述 を そ の後 の8回 に 亘 る投 稿 原 稿 との一 体 性 及 び整 合 性 を保 つ た め新 た に入 手 した資 料 に 基 づ いて 全 面 的 に,7tき換 え 、(上) 、(下)2回 に亘 って 論 及 す る も の で あ る。
り
第一節 植 民地時代
1ビ ト リ ア の 学 説 と そ の 受 容
(1)ア メ リカ 合 衆 国 が イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン(lndianNation)或 い は イ ン デ ィ ァ ン部 族(TribeofIndian,Indiantribe)に 対 し て 採 っ て き た 政 策 は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 植 民 地 人(入 植 者 、 開 拓 者)が イ ン デ ィ ア ン と の 関 係 に つ い て 確 立 して き た 法 的 先 例 に 遡 る こ と が で き 、 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン 又 は 部 族 は 、 植 民 地 時 代 を 通 じ て 「 独 立 し た 主 権 を 有 す る 国 家 」(Independentsovereign power)と し て 承 認 さ れ 、 イ ン デ ィ ア ン と合 衆 国 との 法 的 関 係 は 、19世 紀 中 葉 ご
ろ ま で は 一 正 確 に は1871年3月3日 の 「 連 邦 歳 出 配 分 承 認 法 」(appropriation 'L)
act)に よ る イ ン デ ィ ア ン との 条 約(treaty)締 結 の 終 了 宣 言 ま で 一 条 約 を 通
3)
し て 国 際 法 に 基 づ く も の で あ っ た と 言 う こ と が で き る 。
植 民 地 に 関 す る 初 期 ヨ ー ロ ッ パ の 法 理 論 の 起 源 は 、 聖 戦(Crusade)に 対 す る 中 世 の キ リ ス ト教 に 基 づ く正 当 化 に 求 め る こ とが で き る 。 こ れ ら の 中 で 最 も 有 名 な も の が 、13世 紀 中 葉 に 教 会 法 学 者(canonist)で あ っ た ロ ー マ 教 皇 イ ン ノ ケ ン テ ィ ウ ス4世(lnnocentIV,1243〜1254)が キ リス ト教 の 教 義 が 説 く と こ ろ の 「自 然 法 」(lawornature)の 侵 害 を 処 罰 す る必 要 性 が あ る場 合 に 非 キ リ ス ト 教 徒 に 対 す る 武 力 行 使 を 正 当 化 す る た め の 教 皇 の 権 利 を 打 ち 立 て た こ とで あ る 。
し か し 、1500年 代 ま で に 、 ポ ル トガ ル と ス ペ イ ン に よ る 南 ・北 ・中 央 ア メ リカ (theAmericas)の 植 民 地 化 の 過 程 で 行 わ れ た 残 忍 な 行 為 に 対 す る 反 省 と哲 学 の 世 界 に お け る 人 道 主 義 的 思 潮 の 発 達 が 相 俊 っ て 、 初 期 の 植 民 地 主 義 に 対 す る 正
4)
当 化 理 由 が 再 考 さ れ る こ と に な る の で あ る 。
(2)か か る 流 れ の 中 で 人 道 主 義 的 哲 学 に 基 づ い て イ ン デ ィ ア ン と新 世 界 へ 入 っ て き た 入 植 者 と の 基 本 的 な 法 律 関 係 を 打 ち 立 て た の は 、 ド ミニ コ会 士 で あ り 、
トマ ス=ア ク ィ ナ ス(St.Thomas,Aquinas,1225‑1274)の 自 然 法 論(natural lawtheory)を 国 家 と国 家 の 関 係 に 体 系 的 に 適 用 し た 最 初 の ス ペ イ ン の 神 学 者 で
あ るF・ ビ ト リ ア(FranciscodeVitoria(FranciscusdeVictoria),1483‑1546)
で あ る 。 ビ ト リ ア の 万 民 法(jresgentinm)に 関 す る 法 体 系 は 、 近 代 国 際 法 の 基
礎 を 確 立 す る 手 助 け と な り、 イ ン デ ィ ア ン の 権 利 に 関 す る 彼 の 業 績 は 、16世 紀
以 降 の ス ペ イ ン の 植 民 地 管 理 の 基 礎 的 法 原 理 の 源 と し て 広 く承 認 さ れ 、 西 欧 法
ア メ リカ ・イ ン デ ィ ア ン政 策 史(1532年 〜1789年)(上)
i59 思 想 に お け る イ ン デ ィ ア ン 及 び 部 族 概 念 へ の 影 響 は 、 宗 教 改 革 後 の ヨ ー ロ ッ パ 及 び ス ペ イ ン を 遥 か に 越 え て そ の 影 響 力 を 広 げ て い く の で あ る 。 ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン 法 の 泰 斗 フ ェ リ ッ ク ス ・S・ コ ー エ ン(FelixS .Cohen)は 、イ ン デ ィ ア ン 法 へ の ス ペ イ ン の 影 響 を 論 じ た1942年 の 小 論 で 、 ビ ト リ ア の 業 績 は 「 我 々 の 連 邦 イ ン デ ィ ア ン 法 全 体 を 通 し て の ス ペ イ ン 法 思 想 の 顕 著 な る 貢 献 で あ る 範
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例 と創 造 的 原 理 」 を 打 ち 立 て た も の で あ る と評 し、1947年 発 表 の 「 始 原 的 な イ ン デ ィ ア ン の 権 原 」(0ガg伽1乃 纏 θηTitle)と 題 し た 論 稿 で は 、 「イ ンデ ィ ア ン の 権 原 に 関 す る 我 々 の 概 念 は 、 部 分 的 に コ モ ン ・ ロ ー の 封 建 法 的 概 念 で あ る 。 概 して そ の 概 念 は 、 ス ペ イ ン 的 概 念 に そ し て 特 に 近 代 国 際 法 の 真 の 創 始 者 で あ
る ビ ト リ ア が 展 開 し た 原 理 に 遡 る こ とが で き る 。」 と 述 べ て いc)。
ス ペ イ ン 国 王 に 西 半 球 に お け る ス ペ イ ン の 権 利 に つ い て 助 言 を 求 め ら れ た ビ ト リ ア は 、1532年 、 サ ラ マ ン カ 大 学(UniversityofSalamanca)で 「 最 近 発 見 さ れ た イ ン デ ィ ア ン に つ い て 」(OnthelndiansLatelyDiscovered)と 題 し講 演 を 行 っ て い る が 、 彼 の 基 本 的 認 識 は 、 ① イ ン ド諸 島(lndies)の 住 民 は 、 自由 且 つ 理 性 的 な 人 間 と して 自 然 的 な 法 的 権 利(naturallegalrights)を 所 持 して い た 、
② ロ ー マ 教 皇(Pope)に よ る ス ペ イ ン の イ ン ド諸 島 に 対 す る権 原 の 承 認 は 「根 拠 の 無 い 」(baseless)も の で あ っ て 、イ ン デ ィ ア ン居 住 者 の 固 有 の 権 利(inherent rights)に 影 響 を 与 え る もの で は な い 、 ③ イ ン デ ィ ア ン に よ る 国 際 法 違 反 は 、 ス ペ イ ン に よ る 南 ・北 ・中 央 ア メ リ カ の 征 服 と覇 権 を 正 当 化 す こ と に 仕 え る と い う も の で あ る 。 ビ ト リ ア の 自 然 法 に 基 づ く これ ら の 主 張 は 、 ス ペ イ ンの 新 世 界 帝 国 の ロ ー マ 教 皇 に よ る 教 会 政 治 的 基 礎 の 正 当 性 を 否 定 し た も の で あ る と さ れ る 。 以 下 、 ビ ト リ ア の 講 演 に つ い て 触 れ た ロバ ー ト ・A・ ウ ィ リ ア ム ス(Robert A.Williams,Jr.)の 論 稿 を 参 考 に 、 彼 の学 説 に 論 及 して み よ う。
の(3)第 一 に 、 ビ ト リ ア は 、 自 然 法(iacsgentium)に 関 す る ロ ー マ 法 的 概 念 、
ア ク ィ ナ ス の 哲 学 、 教 会 法(canonlaw)及 び 聖 書(HolyScripture)を 駆 使 し
て 南 ・北 ・中 央 ア メ リ カ の イ ン デ ィ ア ン は 理 性 的 人 間(rationalebeings)で あ
り、 そ して そ れ 故 に キ リ ス ト教 徒 た る ヨ ー ロ ッ パ 人 が 主 張 す る 人 道(humanity)
に よ っ て 保 有 さ れ る と 同 様 の 自 然 権(naturalrights)を 主 張 し 得 る と論 ず る 。
そ して 、 こ れ ら の 自 然 権 に よ っ て 、 イ ン デ ィ ア ン 達 は 、 彼 ら の 中 に 入 り込 ん で
き た ス ペ イ ン人 の 到 来 以 前 に 公 法 上 及 び 私 法 上 に 於 い て 等 し く真 の 権 利 者 で あ っ
た とす る。 この 神 の 力 に よ っ て導 か れ る全 て の 人 間 に 共 通 の 自然 的 理 性 を保 持 す るが 故 に 、 イ ンデ ィ ア ン達 は 、 彼 らの 財 産 に対 す る真 の所 有 者 た るあ らゆ る 要 求 を実 現 した の で あ り、 正 に キ リス ト教 徒 と同様 、 正 当 な 理 由 な く して 彼 ら の 君 主 の み な らず私 人 も 自身 の 財 産 を奪 わ れ なか っ た の で あ る。 ま た 、 不 信 仰
は、 自然 法(lexnaturalis)も 人定 法(lex伽 〃2侃α)も 破 壊 す る も の で は な く、
所 有 権 と支 配 権 は 、 自然 法 か 人 定 法 に そ の 基 礎 を 置 くの で あ って 、 そ れ らは信 仰 心 の 欠 如 に よ っ て 破 壊 さ れ る こ とは な い。 従 っ て 、 所 有 権 と支 配 権 に備 わ る 何 もの か をサ ラセ ン人 、 ユ ダ ヤ 人 或 い は そ の他 の 不 信 仰 者 か ら奪 い 去 る こ とが 正 当 と認 め られ な い こ とは 明 らか で あ り、 か か る行 為 は 、 それ らが キ リス ト教 徒 に 対 して 行 わ れ た 場 合 と同 様 に 、窃 盗 又 は 強 盗 に な る とビ トリ ア は説 くの で あ8)oコ̲エ ン は、 ビ トリ アの 主 張 の 核 心 は 一 定 の基 本 的 権 利 が 、 人rと し て の人 間(menasmen)に 生 来 固 有 の もので あ り、 それ は、 人 種 、 信 条 又 は皮 膚 の 色 で は な く して 、 そ の 人 間性 の 故 で あ る。」 とい う近 代 的観 念 に基 づ くも の で あ る と し、 ま た、 ビ トリア の基 本 的 な考 え方 を赤 人 と白人 を 人 種 的 に 平 等 に 扱 う もの で あ る と評 価 し 一 人 種 的 平 等 の原 則 一 、 合 衆 国 に お け る 「イ ン
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デ ィ ア ン 法 に 関 す る 最 初 の 原 理 」 で あ る と 主 張 し て い る 。
ビ ト リ ア の 第 二 の 主 張 は 、 ロ ー マ 教 皇 は イ ン デ ィ ア ン 原 住 民 又 は そ の 他 の 異 教 徒 に 対 す る俗 権(temporalpower)を 有 し な い と い う 点 に あ る 。1493年5月 4日 、 教 皇 ア レ ク サ ン デ ル6世(Alexander,vi,1492〜1503)は 、 大 勅 書(hater caetercaDivinai)を 以 っ て 新 大 陸 の 布 教 ・領 有 権 を ス ペ イ ン 国 王 に 与 え た が 、1514 年 、 国 王 フ ェ ル ナ ン ド2世(Fernando,1479〜1516)は 、 法 律 学 者 パ ラ シ オ ス ・ ル ビ オ ス(JuanL6pezdePalaciosRubios,1450‑1524)に ス ペ イ ン の 征 服 と 戦 争 行 為 が 新 世 界 の イ ン デ ィ ア ン に 法 的 に 告 知 さ れ る べ き 正 式 の 宣 言 の 起 草 を 命 ず る 。 こ の 通 達(Requerimiento)は 、 教 会 政 治 的 思 想 と心 象 の 千 年 三E国 を 強 説 し、 天 地 創 造 以 降 の 世 界 の 歴 史 か ら説 き 起 こ し 、 教 皇 に よ る ス ペ イ ン 王 に 対 す る 新 世 界 の 土 地 譲 渡 を 詳 述 し た 後 、 新 世 界 の 居 住 者 は 「 聖 職(theChurch)
を 全 世 界 の 支 配 者 及 び 優 越 者 と し て 承 認 す る こ と 、 そ し て ロ ー マ 教 皇 と呼 ば れ る 司 祭 長(highpriest)及 び 彼 の 名 に 於 い て 彼 の 代 理 人 と して の 国 王 及 び 女 王 を こ れ ら 諸 諸 島 及 び こ の 本 土 の 優 越 者 、 支 配 者 並 び に 国 王 と し て 承 認 」 す る こ と
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要 請 さ れ る と説 い て い る 。 従 っ て 、 イ ン デ ィ ア ン が こ の 通 達 に 従 わ な い こ と は 、
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン政 策 史(1532年 〜1789年)(上)
16i コ ン キ ス タ ドー レ(conquistadores)に イ ン デ ィ ア ン の 財 産 没 収 と彼 ら に 戦 争 を 仕 掛 け る こ と に 恰 好 の 理 由 を 提 供 し て い た の で あ る 。
こ れ に 対 し て ビ ト リア は 、 通 達 とい っ た 文 書 に 含 ま れ る権 原(title)へ の 主 張 は 、 人 定 法 、 神 の 法(lexdiving)及 び 自 然 法 に 従 え ば ま っ た く根 拠 の な い も の で あ る と論 ず る 。 す な わ ち 、 「 支 配 権 は 、 自 然 法 、 神 の 法 又 は 人 定 法 の い ず れ か に そ の 基 礎 が 置 か れ な け れ ば な ら な い 。 しか し、 こ れ ら の い ず れ の 中 に も 地 球 の 支 配 者 は 、 存 在 し な い 。 … … この こ と は 、 ま ず 自 然 法 に 関 し て 言 え ば 、 ア ク ィ ナ ス の 言 に よ っ て 立 証 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 自 然 法 に よ れ ば 、 人 間 は 父 権 及 び 結 婚 の 支 配 権 か ら 自 由 で あ る … … そ れ 故 、 何 人 も 自 然 法 に よ っ て 世 界 に 対 す る 支 配 権 を 持 た な い の で あ る 。 そ して 、 ア ク ィ ナ ス も述 べ て い る よ う に 、 支 配 権 と優 位(preeminence)は 人 定 法 に よ っ て 採 り入 れ ら れ た の で あ り、 そ れ ら は 、
そ れ 故 に 自然 法 に よ っ て で は な か っ た の で あ る」。 そ して 、 「 た と え 未 開 人 が ロ ー マ 教 皇 の い か な る 支 配 の 承 認 を も 拒 否 し た と して も 、 そ れ は 、 未 開 人 に 対 す る 戦 争 開 始 及 び 彼 らの 財 産 剥 奪 に 根 拠 を 与 え る も の で は な い 」 の で あ る 。 イ ン デ ィ ア ン は 、 自 然 法 及 び 神 の 法 に よ っ て 自 由 な の で あ り、 通 達 と い っ た 人 定 法 は 、 た と え そ れ が 司 祭 又 は 国 王 に よ っ て 公 布 さ れ た と して も 、 イ ン デ ィ ア ン の 同 意 な く し て は 彼 ら に 義 務 を 負 わ す こ と は で き な い の で あ る 。 か か る 法 は 、 「 法 が 法 を 定 立 し執 行 す る 管 轄 権(jurisdiction)を 前 提 と す る 限 り 、 効 力 に お い て 無 効
ID
で あ り… … 法 は これ まで 当該 法 に従 わ な か っ た誰 人 を も拘 束 しな い」。
新 世 界 にお け るス ペ イ ンの 覇 権 が 、 カ ス テ ィ ー リャの 社 会 を 覆 い こん で 広 範
12)
囲 に亘 る論 争 を 引 き起 こ して い た 当時 、 ビ トリア が 国 王 の 教 皇 に よ る法 的 権 威 づ け に基 づ く支 配 権 を強 く批 判 した こ とは 、 ス ペ イ ンの ル ネ ッサ ン ス初 期 の 公 的 な 支 持 を 得 て い た教 会 イ デ オ ロ ギ ー に対 す る重 要 な 挑 戦 で あ り、 ビ トリ アの 人 道 主 義 に基 づ く教 皇 の 教 会 政 治 的 ドグ マ に 対 す る非 難 は、 ス ペ イ ン の征 服 の 正 当 性 を め ぐ る論 争 を よ り理 性 的 で 、 よ り近 代 的 な世 俗 化 され た 自然 法 の根 拠 づ け へ と向 か わ しめ る こ とに な る。
ビ ト リアの 第 三 の主 要 な テ ー マ は、 イ ンデ ィ ア ン の権 利 に 関 す る論 議 で あ り、
ロー マ の万 民 法 の高 度 に 内容 一特 殊 的理 論 とア クィ ナ ス の 自然 法 概 念 を総 合 す る こ とに よ っ て 、 独 立 国 家 間 の 関 係 、権 利 及 び義 務 に関 す る問 題 を分 析 す る体 系 的 な 法学 的 方 法論 を展 開 す る。 ビ ト リア は、 全 て の 独 立 国 家 を拘 束 す る万 民 法
の こ の体 系 を イ ンデ ィ ア ンの権 利 に関 す る問 題 に適 用 し、 新 世 界 に お け る ス ペ イ ン の植 民 地 支 配 権 の た め の 世 俗 的 一 教 会 政 治 的 で は な い 一 正 当性 を 導 き出 す の で あ る。 彼 の 手 に な る古代 、 中世 並 び に初 期 ル ネ ッサ ンス の 理 論 を ヨー ロ ッパ の 植 民 地 化 政 策 を推 し進 め る国 家 と原 住 民 社 会 との 関 係 に お け る権 利 及 び義 務 に対 して 総 合 し、 適 用 す る試 み は、 そ の 後 の 人 道 主 義 者 及 び 啓 蒙 主 義 学 者 に 大 き な影 響 を与 え 、 国 際 法 に お け る イ ン デ ィ ア ン部 族 の 地 位 に 関 す る現 代 西 欧 の 法 概 念 の 基 礎 を提 供 した の で あ る。
ビ トリ アは 、万 民法 の合 理 主 義 的 、 普 遍 的 特 質 が全 世 界 の大 部 分 の合 意 に よ っ て特 に全 て の 人 び との 公益(commongood)の た め に権 利 を付 与 し、 義 務 を課 す こ とを 可 能 に した とす る。 国 際 法 の原 理 及 び 法 原 則 は、 人 類 の 大 多 数 に よ っ て 決 定 さ れ た も の で あ るか ら、 た とえ残 りの 人 類 が そ れ に反 対 した と して も法 と して の 効 力 を有 す る。 す な わ ち、 国 際 法 は 、 「人 間 間 の契 約 や 合 意 の 効 力 の み な らず 、 法 と して の 効 力 を 有 す る。 蓋 し、 世 界 は 、 一 面 で は個 々 の 国 家 と して 存 在 す る と して も、 全 体 と して は正 当 且 つ 全 て の 人 び とに 適 合 す る法 を国 際 法 の法 原 則 と して創 設 す る 力 を 持 っ て い るか らで あ る。 従 っ て 、 か か る国 際 的 な 法 原 則 を侵 害 す る者 は、 平 和 時 に於 い て で あ ろ う と戦 時 に 於 い て で あ ろ う と、
大 罪(mortalsin)を 犯 す 者 で あ る こ とは明 らか で あ る。 更 に 、大 使 の 不可 侵 と い っ た 最 も重 大 な問 題 と して 一 国 が 国 際 法 に よ り拘 束 され る こ と を拒 否 す るの は 、許 され な い 。蓋 し、国 際 法 は、全 世 界 の 権 威(authorityofthewholeworld)
13)
に よ っ て 樹 立 さ れ て い る か ら で あ る 。」 とす る 。
(4)ビ ト リ ア は 、 か か る 国 際 法 の 原 理 、 原 則 を 新 世 界 の イ ン デ ィ ア ン に 適 用 し、 一 定 の 基 本 的 義 務 が そ れ に よ っ て イ ン デ ィ ア ン に 課 さ れ る と い う 理 論 を 展 開 す る 。 イ ン デ ィ ア ン に 課 さ れ る 第 一 の 義 務 は 、 「自 然 社 会 及 び 親 交 」(natural societyandfellowship)の 義 務 で あ り、 ス ペ イ ン 人 は 原 住 民 を 侵 害 し な い こ と
を 条 件 に イ ン デ ィ ア ン の 土 地 を 旅 行 し、 滞 在 す る 権 利 を 有 す る 。 万 民 法 に よ っ
て イ ン デ ィ ア ン に 課 さ れ る 第 二 の 義 務 は 、 「自 由 且 つ 公 平 な 通 商 」(freeand
opencommerce)を 認 め る 義 務 で あ り、 ス ペ イ ン人 は イ ン デ ィ ア ン の 領 土 を 侵
犯 し な い こ と を 条 件 に 原 住 民 と合 法 的 に 交 易 す る こ と が で き る 。 イ ン デ ィ ア ン
の 主 権 者 は 、 自 然 法 に よ っ て ス ペ イ ン 人 を 愛 す る こ と を 義 務 付 け られ る 。 そ れ
故 に 、 イ ン デ ィ ア ン は 、 彼 ら を 害 す る こ と な く行 わ れ る ス ペ イ ン 人 の 利 益 追 求
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を理 由 な く して 妨 げ る こ とは で き な い 。 ビ トリア に とっ て 交 易 及 び通 商 に携 わ る権 利 は 、 人 の 自然 的 権 利 の 一 つ で あ っ て 、 「自然 は 、全 て の 人 間 間 の 関 係 に関 す る盟 約(bond)を 確 立 して き た。 従 って 、 正 当 な理 由 な く他 者 との 交 わ りを 拒 否 す る こ とは 自然 法 に反 す る こ とで あ る。」 と言 う。第 三 の 義 務 に つ い て ビ トリ ア は、 次 の よ う に論 ず る。 「イ ン デ ィ ア ンの 間 に 、 住 民 と外 国 人 との両 者 に とっ て 共 有 の もの と して処 理 され る何 らか の もの が 存 在 す る場 合 、 イ ンデ ィ ア ンは ス ペ イ ン人 が それ らを共 に分 か ち 合 う こ とを 妨 げ る こ とは で き な い。 も し、 例 え ば 、 他 の 外 国 人 が 共 有 の 土 地 又 は河 川 で 金 を採 掘 す る こ と を或 い は 海 又 は河 川 で 真 珠 を探 す こ とを許 され るな ら ば、 原 住 民 は ス ペ イ ン人 が か か る行 為 を行 う こ とを妨 げ得 な い。 住 民及 び原 住 民 が それ に よ っ て害 され な い 限 り、 ス ペ イ ン人 は 他 人 が 有 して い る と同様 に そ れ を行 う権 利 を 有 す る。」 とす る。 更 に その 他 の イ ン デ ィア ン に課 され る義 務 と して 、 ビ ト リア は 、 キ リス ト教 の 宣 伝 を 許 す 義 務 を挙 げ る。 イ ン デ ィ ア ン を倫 理 や 道 徳 に っ い て の ヨー ロ ッパ 人 の 規 範 に同 化 す る正 当 性 を認 め る た め 、 彼 は 「キ リス ト教 徒 は、 未 開 の土 地 で 福 音 書 を 伝 道 し、 宣 言 す る権 利 を有 す る… … ス ペ イ ン人 が イ ンデ ィ ア ン の 間 を 旅 行 し、 交 易 を行 う権 利 を有 す る な らば 、 彼 らは 喜 ん で 聞 こ う とす る者 た ち に 真 実 を教 え る こ とが で き る … … 何 故 な らば 、 キ リス ト教 徒 が 福 音 文 を イ ン デ ィア ン に伝 道 す る た め に行 く こ と を許 され な い な らば 、 原 住 民
は救 済 の 囲 い の外 に 置 か れ て しま うか ら。」 と述 べ て い る。
ビ トリ ア は、 上 記 の 義 務 の 全 て が 普 遍 的 拘 束 力 を 有 す る もの と考 え て いた と 思 わ れ る。 す な わ ち 、 ビ ト リア は、 「も し、 イ ンデ ィ ア ンが 、 ス ペ イ ン人 を して 国 際 法 上 の権 利 を享 有 す る こ とを 妨 げ る とす る な らば 、 ス ペ イ ン人 は 自 ら を防 御 し、 彼 ら 自 らの 安 全 と両 立 す る あ らゆ る こ とを為 し得 る の で あ り、 力 を 力 で 押 さ え る こ と は合 法 で あ る。 そ れ の み な らず 、 も し安 全 が 他 の 手段 で は保 て な い場 合 、 彼 ら は要 塞 や 防 御 用 の墾 塁 を築 く こ とが で き る。 そ して 、彼 らが権 利 侵 害 を被 っ た な ら ば、 戦 争 で 解 決 す る こ とが で き る。 … … イ ン デ ィ ア ン が 、 ス ペ イ ン人 が 国 際 法 上 有 す る権 利 を 否 定 す る な らば 、彼 ら自ら権利侵 害 を行 って い るの で あ り、 そ れ 故 に 、 ス ペ イ ン人 は、 自 らの 権 利 を 維 持 す る た め に必 要 と あ らば、 武 力 に訴 え る こ とが で き、 合 法 的 に そ うす る こ とが可 能 で あ る。」 と主
w)
張 し て い る 。
(5)コ ー エ ン は 、 ビ ト リ ア や イ ン デ ィ ア ン の 奴 隷 化 に 反 対 した ラ ス ・カ サ ス
ia)
(BartolomedeLasCasas,1474?‑1566)等 の 学 説 が イ ン ド諸 島 に お け る ス ペ イ ン 法 原 理 の 基 礎 を 築 い た と す る 。 そ して 、 ビ ト リ ア の 主 張 は 、1537年 に ロ ー マ 教 皇 パ ウ ロ3世(PopePaulIII,1534〜1549)が 宣 言 し た 大 勅 書 「 崇 高 な る神 は 」(Su61imis1)eus)に よ っ て 教 皇 の 支 持 を 得 た と さ れ る が 、大 勅 書 は 「 イ ン デ ィ ア ン 及 び キ リス ト教 徒 に よ っ て こ れ よ り後 に 発 見 さ れ る で あ ろ う そ の 他 の 全 て, の 人 民 は 、 た と え キ リ ス トを 信 仰 し な く と も 、 如 何 な る 手 段 を 以 っ て して も彼
ら の 自 由 又 は 彼 ら の 財 産 の 所 有 を 剥 奪 さ れ ず 、 自 由 且 つ 正 当 に 彼 ら の 自 由 又 は 彼 ら の 財 産 の 所 有 を 享 受 し、 奴 隷 化 に さ れ る こ と は な い 。 こ れ に 反 し た 事 態 が 生 じ た 場 合 、 そ れ は 無 効 と さ れ 、 及 び 如 何 な る 効 力 を も持 た な い 。」 と宣 言 し て
Ifi)
い る 。 大 勅 轡 に お け る か か る 人 権 に 関 す る宣 言 は 、1787年 の 「 北 西 部 連 邦 領 条 令 」(theNorthwestOrdinance)一 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン に 関 す る合 衆 国 の 最 初 の 重 要 な 法 一 で 再 現 さ れ て い る(後 述)。 ま た 、1542年 、 チ ャ ー ル ス
5世(CharlesV,1500‑1558)は 、 「イ ン ド諸 島 の 新 法 」(theNewLawof Indies)を 布 告 し て い るが 、 そ こ に は 「 イ ン デ ィ ア ン は 、 自 由 人(freepersons) で あ り且 つ 国 王 の 家 臣 で あ る 」、 「イ ン デ ィ ア ン 間 の 法 的 紛 争 は … … イ ン デ ィ ア
ン の 慣 例 及 び 慣 習 に 従 っ て 決 定 さ れ る 」、 「 如 何 な る 戦 争 に よ る 理 由 で あ ろ う と 或 い は そ の 他 の 理 由 で あ ろ う と … … 如 何 な る イ ン デ ィ ア ン も 奴 隷 と は 為 さ れ な
い 」、 「如 何 な る 物 も 、 公 正 な 交 易 に よ る 場 合 を 除 い て イ ン デ ィ ア ン か ら収 奪 さ
v)
れ 得 な い」 とい った 規 定 が 見 出 され る。
この よ うに イ ン デ ィ ア ンの 占有 の 権 利 の尊 重 に基 づ い た ビ ト リア の学 説 は、
ア メ リカ に お け る ス ペ イ ン法 の基 礎 とな り、 ス ペ イ ンは イ ン デ ィ ア ンの諸 権 利 を承 認 し及 び保 障 す る多 くの 法 律 を採 択 し、 そ して 特 許 状(charter)一 特 定
ゆ
の 土 地 や 特 権 の 譲 渡 或 い は 譲 与 を 記 録 し た 権 利 証 薔 一 を 発 出 し た の で あ る 。 コ ン キ ス タ ドー レ や 政 府 の 行 政 官 の 行 為 は 、 し ば し ば か か る 学 説 と は 対 照 的 で あ り、 一 般 的 に か か る 行 為 は 既 存 の ス ペ イ ン 法 を 侵 害 す る も の と さ れ た が 、 ビ ト リ ア の イ ン デ ィ ア ン の 権 原 に 関 す る 理 論 は 、16世 紀 か ら18世 紀 の 国 際 法 学 者 に 広 く受 け 入 れ られ て い る 。例 え ば 、 フ ー ゴ ・グ ロ チ ウ ス(HugoGrotius,1583‑
1645)は 、1635年 に 著 した 『戦 争 と平 和 の 法 に つ い て 』(OntheLawofWar
andPeace)の 中 で 、 「 真 の 宗 教 を 知 ら な い 人 」(strangerstothetruereligion)
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ァ ン政 策 史(1532年 〜1789年)(上)
!6S を 含 む 全 て の 人 民 は 条 約 を 締 結 す る 権 利 を 有 す る と 書 い て お り、 ま た グ ロ テ ィ ウ ス 学 派(Grotianschool)の 支 持 者 で あ っ た 政 治 哲 学 者E・ ヴ ァ テ ル(Emmerich deVattel,1714‑1767)は 、1758年 の 『万 民 法 』 で 「 私 に 言 わ し め れ ば 、 ア メ リ カ の ネ ー シ ョ ン を 文 明 化 す る た め に そ れ らネ ー シ ョ ン を 攻 撃 し、 そ れ ら ネ ー シ ョ ン に 真 の 宗 教 を 教 え て き た と 自 ら称 す る野 心 的 な ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 一 これ ら強 奪 者 は 、 同 時 に 不 法 で あ り 、 滑 稽 で も あ る 原 理 に よ っ て 自 ら を 正 当 化 して い る
I9)
の で あ る。」 と述 べ て い る。 そ して 、 これ らの 学 者 の 教 説 は、 イ ンデ ィ ア ン の財 産 権 に 関 す る合 衆 国 の 初 期 の 訴 訟 の 中 で 問題 解 決 の論 拠 と して 引 用 さ れ た の で
'LO)
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あ る 。例 え ば1832年 のWorcesterv.Georgia(以 下 、Worcester事 件 判 決 と い う。) で 、 マ ー シ ャ ル 判 事(Marsha11,J.)は 、 ヴ ァ テ ル の 「 他 国 に 従 属 し 、 君li{iの関 係 に あ る 国 家 は 、 自 治 及 び 主 権 並 び に 独 立 的 権 限 が 国 家 の 管 理 に 任 さ れ て い る 限 り、 そ れ に よ っ て 主 権 国 家 で あ る こ と及 び 独 立 国 家 で あ る こ と を や め な い 。」
zz)
とい う説 示 を判 決 文 の 中 で 引用 して い る。
II西 欧 諸 国 に よ る イ ン デ ィ ア ン の 土 地 の取 得
(1)こ こに お いて か 、 これ ら学 者 や そ の追 随 的 支 持 者 達 が 、 政 府 の 採 っ た イ ン デ ィ ア ン政 策 及 び新 大 陸 に お け る西 欧 型 の土 地 利 用 の様 式 を優 先 して い た こ とに は 注 意 す る必 要 が あ る。 確 か に 、 イ ン デ ィ ア ン は財 産 に対 す る権 利 の み な らず政 府 と して の 地 位 も持 た な い とす る主 張 は 、 ビ トリア の 主 張 す る学 説 と相 対 立 は した が 、 ヨー ロ ッパ の 法 学 者 は 、 ア メ リカ の 植 民 地 化 を正 当 化 す る た め
「正 当 な戦 争 」(justwar)に 関 す る ビ トリア の理 論 を持 ち 出 して き た の で あ る。 とは言 え 、 以 下 に挙 げ る ビ ト リア の理 論 か ら導 き出 され る原 理 が 、 新 大 陸 に お け る土 地 の 獲 得 を め ぐる論 争 を支 配 して いた こ と を忘 れ て は な ら な い 。 す な わ ち、 第 一 に イ ン デ ィ ア ン人 民 は、 財 産 に 対 す る権 利及 び彼 らの 土 地 に 主 権 的 権 限 の 両 者 を 持 ち合 わ せ て い る。 第 二 に イ ンデ ィ ア ンの 土 地 は 、 イ ン デ ィ ア ン部 族 の 合 意 に よ っ て或 い は正 当 な 戦 争 の後 に の み 獲 得 され 得 る。 第 三 に イ ン デ ィ ア ン の土 地 の 獲 得 は 、 政 府 の専 権 事 項 で あ って 、 個 々 の 入 植 者 の 手 に委 ね られ
zap
な い とい う それ で あ る。 これ らの 原 理 は 、 ヨー ロ ッパ の 入 植 者 とイ ン デ ィ ア ン との 最 も初 期 の 土 地 の 処 理 に 関 して 支 持 され て い るが 、 以 下 、 当 時 の ヨー ロ ッ パ 諸 国 に よ る新 大 陸 に お け る土 地 獲 得 の実 態 を垣 間 見 る こ と とす る。
(2)1630年 頃 、 連 合 オ ラ ン ダ の 全 国 会 議(StateGeneraloftheUnited
Netherlands)は 、 オ ラ ン ダ 西 イ ン ド会 社(DutchWestIndiaCompany)に イ ン デ ィ ア ン の 同 意 に 基 づ い て の み 入 植 者 の た め に 全 土 地 を 取 得 す る よ う 指 図 し て い る 。 こ の 指 図 が ニ ュ ー ・ネ ー ザ ー ラ ン ド(NewNetherland)一 英 国 が 1664年 に 占 領 す る ま で オ ラ ン ダ が 新 大 陸 に 領 有 し た 植 民 地 一 の 法 律 と な り、
当 該 法 律 で 「ニ ュ ー ・ネ ー ザ ー ラ ン ドの バ トル ー ン(patroon)〔 オ ラ ン ダ 西 イ ン ド会 社 に よ っ て ハ ド ソ ン 川 流 域 に 持 ち 込 ま れ た 制 度 の 下 で 荘 園 的 特 権 を 有 し て い た 封 建 的 土 地 所 有 者 〕 は 、 イ ン デ ィ ア ン族 長(Sachems)か ら 自 ら が 植 民 地 経 営 を 企 て る 土 地 を 購 入 す る こ と を 義 務 づ け られ 、 イ ン デ ィ ア ン の 族 長 との 間 で 合 意 に 達 し た 土 地 に 対 す る権 利 を 取 得 す る も の と す る 。」 と定 め ら れ 、 オ ラ ン ダ の 入 植 者 達 は 、 こ れ ら の 指 図 に 誠 実 に 従 っ た と さ れ る 。
コ ネ テ ィ カ ッ ト(Connecticut,白 人 の 到 来 以 前 は 、アル ゴ ン キ ン語(Algonquian) 系 の イ ン デ ィ ア ンが 大 勢 居 住 して い た 。1633年 に 始 め て オ ラ ン ダ 人 が 到 来 した 。1637 年 、 トマ ス ・フ ッ カ ー(ThomasHooker,1586‑1647)が ハ ー トフ ォー ド(Hartford)
に 入 植 地 を 建 設 し、他 の2つ の 植 民 地 とコ ネ テ ィ カ ッ ト基 本 法(FundamentalOrders ofConnecticut)を 制 定 。1662年 ま で に15の 入 植 地 が こ れ に 加 わ っ て 自 治 植 民 地 を 形 成 し、 同 年 に チ ャー ル ズ2世(CharlesII,1630‑1685)の 認 可 を得 て 特 許 状 植 民 地(CharteredColony)と な る。)、ニ ュ ー ・ジ ャ ー ジ ー(NewJersey,白 人 の 到 来 以 前 は 、 後 に デ ラ ウ ェ ア(Delaware)部 族 と一 括 して 呼 ば れ た ア ル ゴ ン キ ン 語 系 の 諸 部 族 が 居 住 して い た 。 ス ウ ェ ー デ ン人 が 初 め て 入 植 地 を 築 い た が 、 ハ ド ソ ン川 対 岸 の マ ン ハ ッ タ ン 島 に 入 植 し て い た オ ラ ン ダ 人 の ニ ュ ー ・ネ ー デ ル ラ ン ド(New Netherland)植 民 地 に 併合 され た 。1664年 、 英 国 が オ ラ ン ダ を 破 っ て ニ ュ ー ・ネ ー デ ル ラ ン ド植 民 地 を併 合 した 際 に こ の 地 方 も合 せ て 取 得 した 。)及 び ロ ー ド ・ア イ ラ ン
ド(RhodeIsland,1636年 に ロ ジ ャー ・ウ ィ リ ァ ム ズ(RogerWilliams,1603‑1G83) に よ って プ ロ ヴ ィ デ ンス(Providence)が 作 られ 、1644年 に ポ ー ツ マ ス(Portsmouth)、
ニ ュ ー ポ ー ト(Newport)、 ウ ォ リ ッ ク(Warwick)の4つ の タ ウ ンか らな る ロ ー ド・
ア イ ラ ン ド植 民 地 が 、 イ ギ リス 議 会 に よ っ て 特 許 状 植 民 地 と して 認 め られ た。)は 、 即 座 に 同 様 の 法 律 を 採 択 し 、 短 期 日 の う ち に 全 て の 植 民 地 が 同 様 の 傾 向 を も つ 法 律 を 採 択 し た が 、 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ(Massachusetts、 マ サ チ ュ ー セ ッ ト
(Massachusett)部 族 が 白 人 到 来 以 前 居 住 して い た が 、 且616年 の 伝 染 病 で 原 住 民 が3
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン 政 策 史(1532年 〜 且789年)(」 二)
167 人 に1人 の 割 合 で 死 亡 し、 人 口 が 激 減 した と言 わ れ る。1620年 に メ イ フ ラ ワー 号 で 到 達 した 分 離 派 の ピュ ー リタ ンが 入 植 して プ リマ ス植 民 地(PlymouthColony)を 建 設 し、1630年 、 マ サ チ ュ ー セ ッ ッ湾 会 社(MassachusettsBayCompany)の 入 植 者 700人 の 先 遣 隊 と合 流 して マ サ チ ュ ー セ ッ ツ植 民 地 の 建 設 を 始 め た 。)と ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ(NorthCarolina,ア ル ゴ ン キ ン語 系 の ロ ア ノー ク(Roanoke)部 族 、 ク ロ ァ タ ン(Croatan)部 族 、セ コ タ ン(Secotan)部 族 な ど と小 数 の イ ロ コ イ':i7illl=1(Iroquoian) 系 の 先 住 民 が 川 沿 い に 村 落 を形 成 して い た 。且585年 に イ ギ リス の 貴 族 サ ー ・ウ ォル タ ー ・ ロ ー リー(SirWalterRaleigh)が ロ ア ノー ク(Roanoke)島 に入 植 者 を送 り込 ん だ の を 始 め て と し、1729年 に王 領 植 民 地 とな っ て い る。)は 、 こ れ ら と著 し く異 な っ た 政 策 を 採 っ て い る 。
初 期 の イ ギ リ ス の 入 植 者 は 、 イ ン デ ィ ア ン と の 関 係 に つ い て 同 様 の 原 則 に 従 っ た と さ れ る が 、 ヨ ー ロ ッ パ の 君 主 に よ っ て 付 与 さ れ た 特 許 状 及 び 開 封 勅 許 状 (patent)一 土 地 等 の 諸 種 の 特 権 に つ い て 国 王 が 国 璽 を 付 し て 個 人 や 法 人 許 与 し た 書 状 一 に は 、 慣 例 的 に 西 半 球 に お け る土 地 に 対 す る 法 的 権 原 へ の 包 括 的 主 張 を 含 ん で い た 。 か か る譲 与 証 書(grant)の 主 要 な 目 的 は 、 他 の ヨ ー ロ ッパ 諸 国 に よ る 蚕 食 を 防 ぐ こ と に あ っ た 。 「 発 見 の 権 利 」(rightordiscovery)は 、
ヨ ー ロ ッ パ の 国 家 に 特 定 の 土 地 を 先 住 民 か ら取 得 し、 入 植 地 を 築 く独 占 的 権 限 を 与 え た 。 尤 も 、 発 見 の 権 利 は 、 先 住 民 現 住 者 の 占 有 権 に 影 響 を 及 ぼ す も の で は な か っ た と さ れ 、 公 式 の 土 地 の 獲 得 は 、 国 王 の 特 許 状 及 び 開 封 勅 許 状 に は め っ た に 言 及 さ れ な か っ た が 、 個 々 の 植 民 地 に 任 せ ら れ た の で あ る 。
(3)1636年 ま で に プ リ マ ス(Plymouth,1620年 に ピル グ リム ズ(Pilgrims)に
よ っ て 建 設 さ れ た 英 国 領 で は ヴ ァー ジ ニ ア に つ い で 古 い植 民 地 。i621年 春 ま で の3ヵ
月 間 に102名 の 植 民 者 の う ち 約 半 数 が 飢 え と寒 さ で 死 亡 した が 、 先 住 の ワ ンパ ノ ア グ
(Wampanoag)部 族 の援 助 と トウ モ ロ コシ 栽 培 の 伝 授 に よ り生 き延 び た こ と は、 あ ま
りに も有 名 な史 実 で あ る。)、マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 湾(MassachusettsBay)、 コネ テ ィ
カ ッ ト及 び ロ ー ド ・ア イ ラ ン ド に 入 植 し た ピ ュ ー リ タ ン 達 は 、 各 々 の 地 域 の イ
ン デ ィ ア ン 部 族 か ら土 地 に 対 す る 権 原 を 購 入 し て い る が 、1629年 、 マ サ チ ュ ー
セ ッ ッ 湾 植 民 地(MassachusettsBayColony,1629年 の 国 王 特 許 状 に よ っ て 設 立
され た マ サ チ ュ ー セ ッツ 湾 会 社 を 始 ま り と し、 翌30年 に 入 植 が 開 始 さ れ た 。)は 、 植
民 地 人 に 対 して 購 入 に よ っ て の み イ ン デ ィ ア ン が 主 張 す る 土 地 を 獲 得 す る よ う
指 図 し て い る。1634年 、 マ サ チ ュ ー セ ッ ッ植 民 地 総 会(MassachusettsGeneral
Court)は 、 唯 一 総 会 の み が 植 民 地 に お け る 土 地 を 購 入 す る 権 利 を 付 与 す る こ と が で き る と 宣 言 す る こ と に よ っ て 、 イ ン デ ィ ア ン か ら の 土 地 購 入 を 集 権 化 し て い る 。 そ し て 、18世 紀 中 葉 ま で に 少 な く と もllの 植 民 地 が 、 同 様 の 法 律 を 制 定 し た と さ れ る 。
こ れ ら 法 律 が 内 容 的 に 同 一 で あ っ た と と は 、 イ ン デ ィ ア ン の 財 産 権 の 性 質 に 関 す る 白 人 の 間 で の 捉 え 方 の 食 い 違 い を 覆 い 隠 し て し ま っ て い る 。 マ サ チ ュ ー セ ッ ッ 湾 の ピ ュ ー リ タ ン 達 は 、 旧 約 聖 書 の 宗 教 に 託 け た 言 葉 を 引 き 合 い に 荒 蕪 の 未 開 の 土 地 に 対 す る イ ン デ ィ ア ン の 主 張 を 無 視 す る た め の 権 利 を 主 張 し た 。 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 湾 植 民 地 の 初 代 総 督 ジ ョ ン ・ウ ィ ン ス ロ ッ プ(JohnWinthrop,
.. ‑1649)は 、 当 初 、 解 放 さ れ た 土 地 で あ っ て 、 イ ギ リ ス 様 式 に 耕 作 さ れ て い
な い 土 地 に 対 し て イ ン デ ィ ア ン は 財 産 権 を 持 た ず 、 そ して そ れ 故 に 植 民 地 人 に
よ る 合 法 的 な 取 得 を 妨 げ る 法 的 利 益 が イ ン デ ィ ア ン に は 存 在 し な い と主 張 し た 。
こ れ に 対 し て 、1931年 に 移 住 し て き た ロ ジ ャ ー ・ウ ィ リ ア ム ズ は 、 ア メ リ カ の
土 地 に 対 す る ヨ ー ロ ッ パ の 主 張 の 有 効 性 に 異 議 を 申 し立 て 、 特 に 権 原 は 購 入 若
し くは 条 約 に よ っ て 取 得 さ れ る もの で あ る と して 、 国 王 の 開 封 勅 許 状 は イ ン デ ィ
ア ン の 土 地 所 有 権 を 奪 う も の で あ る と主 張 し た 。 彼 は 、 「 原 住 民 は 、 彼 らの 土 地
の 境 界 に つ い て と て も 正 確 で あ り、 几 帳 面 で あ る … … キ リ ス ト教 徒 は 荒 地 に 対
す る 権 利 を 有 す る と い う 白 人 の 間 に 憂 延 し た 考 え 方 は 、 罪 深 い そ れ で あ る 。」 と
主 張 し た の で あ る。 教 会 の 長 老 と衝 突 し、 総 会 の 審 問 で1935年 に マ サ チ ュ ー セ ッ
ッ か ら 追 放 さ れ た ウ ィ リ ア ム ズ は 、 翌36年 に 仲 間 の12人 と 共 に ロ ー ド ・ア イ ラ
ン ドの プ ロ ヴ ィ デ ン ス に 植 民 地 を つ く り 、 人 道 的 な イ ン デ ィ ア ン 政 策 を 実 施 し
た 。 ナ ラ ガ ン セ ッ ト部 族(NarragansettTribe)の 首 長 カ ノ ニ カ ス(CEIIIOIIICLIS)
は 、 「ポ ー タ ケ ッ ト(Pawtucket)川 及 び モ シ ョ ー サ ッ ク(Moshasuck)川 河[1
の 間 に 位 置 す る 地 頸 に 、 彼 ら 〔 入 植 者 〕 は 平 和 に 暮 ら し 、 永 久 に そ れ を 享 有 す
る で あ ろ う。」 と述 べ 、 ウ ィ リ ア ム ズ は 、 仲 間 に 「 神 の 真 意 が 、 未 開 人 の な か に
我 ら の 憩 い の 場 を 見 つ け 給 う た 。 我 ら は 良 心 に 従 っ て 神 へ の 礼 拝 を 穏 や か に お
こ な う で あ ろ う。 キ リ ス ト教 の 地 で は 得 ら れ な か っ た 恩 典 を 、 こ こ で は 永 遠 に
我 ら は 得 る で あ ろ う 。」 と語 っ た と い う 。 コ ネ テ ィ カ ッ ト植 民 地 も ま た 、 ウ ィ リ
ア ム ズ の 考 え に 従 っ て 、 ピ ュ ー リ タ ン 達 に よ っ て イ ン デ ィ ア ン か ら 条 約 に よ っ
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン政 策 史(1532年 〜[789年)(」 二)
169 て 手 に 入 れ ら れ た 最 初 の 土 地 に 建 設 さ れ た も の で あ る 。
1681年 に 国 王 チ ャ ー ル ズ2世 か ら 父 に 対 す る 国 王 の 負 債16,000ポ ン ドの 代 償 と し て 付 与 さ れ た ペ ン シ ル ヴ ェ ニ ア(Pennsylvania)に 植 民 地 を 築 い た ウ ィ リ ァ ム ・ペ ン(WilliamPenn,1644‑1718)は 、 植 民 地 を 互 い に 異 な る 宗 教 的 信 念 を 抱 く者 た ち に と っ て の 天 国 と し て 心 に 描 き 、 土 地 は イ ン デ ィ ア ン 部 族 か ら の
za)
自発 的 な 購 入 に よ って の み取 得 し得 る と主 張 した 。 ペ ン は 、 法 律 上 の 問 題 に つ い て 、次 の よ う に言 う。 「真 の所 有 者 の も の を買 う人 が だ れ で あ れ 、 買 っ た もの の正 当 な所 有 者 とな る。 イ ン デ ィ ア ンが 土 地 の 真 の 領 主 で あ る の は 、 次 の 二 つ の理 由 に よ る。 第 一 に、 そ の 土 地 が い まだ か つ て 征 服 さ れ た こ とが な か っ た と い う理 由 で あ る。 第 二 に 、 イ ギ リス 国 王 は 、常 に 原 住 民 の 土 地 を購 入 す る よ う イ ギ リス 人 に 命 じて きた とい う理 由 で あ る。 … … も し も土 地 の 権 利 が 原 住 民 で は な く して イ ギ リス 国王 に あ っ た と した な らば 、 国 王 が 自身 の 所 有 権 を害 して
25)
まで か か る命 令 を下 す こ とは決 して な か っ た に 違 い な い と思 わ れ る」 と。
(4)員 数 に お いて イ ンデ ィ ア ンに 劣 り、 戦 争 に お い て強 力 な イ ンデ ィ ア ン部 族 を 打 ち負 か す こ とが で き な か っ た 最 初 の入 植 者 た ち が 、 世 界 の他 の 場 所 で は 普 通 に行 わ れ て き た大 虐 殺 や 強 制 退 去 とい った 直 接 的 な手 法 を用 い る代 わ りに 、
イ ンデ ィ ア ンが 売 却 に合 意 した土 地 を購 入 す る とい う慎 重 な手 続 を 採 っ た こ と は 自然 の 成 り行 きで あ っ た 。 ア メ リ カ の植 民 地 全 て に お け る最 大 の 関 心 事 は 、 生 き残 りで あ り、 土 地 の 獲 得 で あ り、 そ して イ ン デ ィ ア ン との都 合 の い い 交 易 関 係 の 確 立 に あ っ た の で あ る。 植 民 地 人 達 は 、 イ ン デ ィ ア ン との 軋 礫 を極 力 回 避 し、 そ して それ ぞ れ の 植 民 地 は 土 地 が そ の 所 有 に ス ム ー ズ に移 行 す る こ とを 望 ん だ の で あ る。 加 え て 、 他 の ヨー ロ ッパ 諸 国 と隣 接 す る植 民 地 に よ っ て もた ら され た脅 威 は、 植 民地 人 を して 土 地 に対 す る主 張 が 競 合 す る場 合 、 優 先 的 に 手 に入 れ るた め イ ンデ ィ ア ン か らの 土 地 の 取 得 を推 し進 め させ 、 その 結 果 、 植 民地 政 府 が イ ン デ ィ ア ンの 土 地 購 入 の 特 別 の 権 限 を要 求 し、 植 民 地 政 府 の代 理 人 に よ っ て 土 地 取 得 が 行 われ る こ とを主 張 した の で あ る。 オ ラ ン ダ、 ス ペ イ ン そ して フ ラ ンス と同様 、 イ ギ リス の 入 植 者 達 も、 イ ンデ ィ ア ン部 族 の 主 権 を認 め 、 部 族 政 府 との交 渉 を条 約 に基 づ い て行 う とい う実 践 を維 持 して い る。1621 年 、 ニ ュー ・イ ン グラ ン ド(NewEngland,1684年 にマサチ ューセ ッッ湾植民地 が 特許 状 を取 消 され 、 メイ ンや ニ ュー ・ハ ンプ シ ャー と ともに形成 され た 王領 植 民地
(RoyalColony))の 植 民 地 人 は 、ジ ェ ー ム ズ1世 兼6世(JameslandIV,1566‑
1625)と ワ ンパ ノ ア グ(Wampanoag)の 族 長 マ サ ソ イ ッ ト(Massasoit)と の 間 に 友 好 と 同 盟 の 条 約 を 交 渉 して い る 。 最 も 初 期 の ヴ ァ ー ジ ニ ア(Virginia,英 国 が1607年 に ジ ェー ム ズ タ ウ ン(Jamestown)植 民 地 建 設 を 始 め る以 前 、海 岸 低 地 地 方 に は ア ル ゴ ン キ ン 語 系 に属 す るポ ー ハ タ ン部 族 連 合(PowhatanConfederacy)と そ の 他 の イ ン デ ィ ア ンが 居 住 して い た 。 西 の ピ ー ドモ ン ト(Piedmont)地 方 に は ス ー 語 (Siouan)系 に属 す る モ ナ カ ン(Monacan)部 族 な どが 、南 に は イ ロ コ イ語(lroquoian) 系 に 属 す る イ ン デ ィ ア ンが 居 住 して い た 。1624年 に 王領 植 民地 とな っ て い る。)の 植 民 地 人 の 法 律 の 一 つ で あ る 「1608年 法 」 は 、 贈 物 の 交 換 と ヴ ァ ー ジ ニ ア ・タ イ ド ウ ォ ー タ 連 合(VirginiaTidewaterConfederacy)一 ヴ ァ ー ジ ニ ア の 海 岸 平 野 に形 成 さ れ て い た 約30の イ ン デ ィ ア ン ・グ ル ー プ の 連 合 体 一 の 首 長 で あ る ポ ー ハ タ ン(Powhatan,1550?‑1617)一 彼 の 娘 が か の 有 名 な ポ カ ホ ン タ ス
zr)
(Pocahontas)で あ る 一 の 即 位 を 認 め る も の で あ っ た 。
(5)植 民 地 法 の 遵 守 と イ ン デ ィ ア ン 政 府 の た め に 要 求 さ れ た 行 動 規 範 に も拘 ら ず 、 個 人 と し て の イ ン デ ィ ア ン は 明 ら か に 劣 位 に 追 い 込 ま れ て い た の が 実 情 で あ っ た 。 ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ 、 サ ウ ス ・カ ロ ラ イ ナ(SouthCarolina,白 人 の 入 植 以前 は 、 カ ロ ライ ナ 南 部 に カ トーバ(Catawba)部 族 、 ワ ッ ク ス ホ ー(Waxhaw) 部 族 な ど多 くの イ ン デ ィ ア ンが 住 ん で い た 。1670年 に チ ャ ー ル ズ ・タ ウ ン(Charles Town)に 般 初 の恒 久 的植 民 地 が 建 設 され 、前 年 に ジ ョ ン ・ロ ッ ク(JohnLocke,1632‑
1704)が 起 草 した カ ロ ラ イ ナ 基 本 法(FundamentalConstitutionofCarolina)に
よ っ て 統 治 の 基 本 原 則 が定 め ら れ た 。)、ジ ョ ー ジ ア(Georgia,1733年 に北 米13植 民 地 の 最 後 の1つ と して 、ジ ェ ー ム ズ ・ オ ー グ ル ソ ー プ(JamesOglethorpe,1696‑1785)
な どの 領 主 団 の 指 導 の 下 に まず サ ヴ ァ ン ナ(Savannah)が 建 設 さ れ た 。1752年 に 王
領 植 民 地 とな る 。)、ヴ ァ ー ジ ニ ア 、マ サ チ ュ ー セ ッ ツ及 び メ リ ー ラ ン ド(Maryland,
白人 の 到 来 以前 は 、 アル ゴ ン キ ン語 系 の イ ン デ ィ ア ン が居 住 して い た 。1631年 に ヴ ァ ー
ジニ ア 植 民 地 人 約100名 が ケ ン ト島(KentIsland)に 入 植 した こ とに 始 ま る。1632年
に は 国 王 チ ャ ー ル ズ1世 に よ り英 国 の カ トリ ッ ク教 徒 の 避 難 所 とさ れ た が 、1634年 に
レ ナ ー ド ・カ ル ヴ ァ ー ト(LeonardCalvert,1606‑1647)が 植 民 地 の 建 設 に 着 手 し
た。)の 法 律 全 て が 、 イ ン デ ィ ア ン奴 隷(lndianslave)に 言 及 し て い る と さ れ る 。
ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ を 例 に 挙 げ れ ば 、1716年 の 法 律 は 、 白 人 と イ ン デ ィ ア ン若
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ァ ン 政 策 史(1532年 〜1789年)(上) i7i
し くは 黒 人 と の 結 婚 を 禁 止 し、1717年 の 法 律 は キ リ ス ト教 と た る 白 人 に の み 投 票 権 を 認 め 、1740年 の 法 律 は 絶 対 的 奴 隷(absoluteslavery)か ら政 府 と友 好 関 係 に あ る 「自 由 イ ン デ ィ ア ン 」(freeIndian)を 免 除 し、 更 に 「1746年 法 」 は 、 黒 人 、 白 人 と黒 人 の 混 血 児(Mulatto)及 び イ ン デ ィ ア ン の 法 廷 で の 証 言 を 禁 止
し て い る(但 し、 相 互 間 で は 例 外)。 ま た 、1755年 の ジ ョ ー ジ ア 法 は 、 黒 人 、 イ ン デ ィ ァ ン 、 白 人 と黒 人 の 混 血 児 、 メ ス テ ィ ー ソ(Mestizo)及 び そ の 全 て の 子 孫
27)
を 絶 対 的 奴 隷 と して い る 。 こ の よ う に 一 般 的 に イ ン デ ィ ア ン は 、 ア フ リカ 系 ア メ リ カ 人(AfricanAmerican)と 同 じ 法 律 行 為 無 能 力 の 欠 陥(disability)及 び 差 別(discrimination)の 対 象 と さ れ 、 イ ン デ ィ ア ン が 民 族 的 な こ れ ら の 法 律 行 為 無 能 力 の 欠 陥 を 克 服 で き た の は 、 政 治 的 グ ル ー プ と し て 或 い は 白 人 の 「 政 府 との 友 好 関 係 に あ る 」(inamitywiththegovernment)イ ン デ ィ ア ン と し て で
28)
あ っ た の で あ る。
(6)イ ン デ ィ ア ンの 財 産 を 重 ん ず る よ う要 求 す る法 律 も、 常 に履 行 され た わ けで は な い 。 イ ギ リス人 は 、 しば しば 合 法 性 の欠 片 も な い 方 法 で イ ンデ ィ ア ン に対 して 彼 らの土 地 を手 放 す よ う仕 向 け た の で あ る。 これ らの 行 動 に は 、 イ ン デ ィ ア ンの 農 作 物 を 壊 滅 させ るた め に 家 畜 を追 い込 む とい っ た 方 法 が含 まれ て お り、家 畜 を殺 害 した 場 合 に は重 い刑 罰 を 科 した の で あ る。 土 地 の 所 有 者 を装 う よ うに報 酬 を支 払 わ れ た イ ンデ ィ ア ン か らの 同意 を 得 る方 法 、 植 民地 の 法 律 違 反 で罰 金 を支 払 う肩 代 わ りに 土 地 の没 収 を 請 求 す る方 法 、財 産 譲 渡 証 磐 に署 名 しな い場 合 に暴 力 の 脅 しを も って す る方 法 等 々 が実 際 に行 わ れ た とさ れ る。
1636年 か ら37年 に か け て の ピー クオ ー ト部 族(PequotTribe)と マ サ チ ュー セ ッ ツ及 び プ リマ ス の両 植 民 地 軍 との 間 で 行 わ れ た ピー ク オ ー ト戦 争(Pequot War)一 捕 虜 とな った ピー クオ ー ト部 族 の 戦 士 は植 民地 側 に協 力 した イ ン デ ィ ア ンに分 け与 え られ 、女 性 と子 供48人 は西 イ ン ド諸 島 に奴 隷 と して 売 られ て い っ た とい う 一 、1675年 か ら76年 に か け て ニ ュー ・イ ン グ ラ ン ドを舞 台 に 戦 わ れ た ワ ンパ ノア グ部 族(WampanoagTribe)の 族 長 メ タ カ ム(Metacom)を 指 導 者 とす る イ ンデ ィ ア ン連 合 軍 とニ ュー ・イ ン グ ラ ン ド植 民 地 連 合 軍 との 一 大 決 戦 で あ る フィ リ ップ王 戦 争(KingPhilip'sWar,Metacom'sWar)は 、 ま さに 植 民 地 人 に よ る土 地 の奪 取 と文 化 の 押 し付 け に 対 して イ ンデ ィ ア ンが 自 らの土 地 及 び文 化 を守 る た め の 戦 いだ っ た の で あ る 一 こ の戦 争 が その 後 の200年 間
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に及 ぶ イ ン デ ィ ア ン戦 争 の 原 型 とな っ た と され る。
皿MoheganIndians事 件 一separateanddistinctpeople
(D植 民 地 時 代 を 通 して 、 イ ン デ ィ ア ン 問 題 の 処 理 及 び 部 族 の 法 的 地 位 に 関 す る植 民 地 間 に お け る 相 違 は 、 イ ギ リス 当 局 を悩 ませ た 。 国 王 は 、 一 般 的 に 言 っ て 後 述 す るMoheganIndiansv.GovernorofConnecticut(以 下 、/吻加gθ η Indians件 とい う。)が 採 っ た 立 場 の よ う に 、 イ ン デ ィ ア ン を 彼 ら が 自 由 意 思 に 基 づ い て 彼 ら の 土 地 を 国 王 に 譲 渡 す る ま で 或 い は イ ン デ ィ ア ン が 正 当 な 戦 争 一 勿 論 、 一 方 的 言 い 分 で は あ る が 一 に お い て 征 服 さ れ な い 限 り、 別 個 の 人 民 と し て 政 治 的 及 び 法 的 に 自 治 権 を 有 す る とす る 立 場(国 際 法 並 び に イ ギ リ ス の コモ ン ・ロ ー(commonlaw)に よ っ て 支 持 され た 見 解)に 立 っ て い た 。 しか
し 、 ニ ュ ー ・イ ン グ ラ ン ド と ヴ ァ ー ジ ニ ア で は 、 植 民 地 人 は 耕 作 さ れ て い な い イ ン デ ィ ア ン の 土 地 を 遊 休 の 未 開 墾 地 と し て 自 ら の 用 に 供 す る 権 利 を 主 張 し た 。 か か る 主 張 が 、 し ば し ば イ ン デ ィ ア ン と の 武 力 衝 突 に 発 展 し た の で あ る 。 国 王 は 、 時 と し て か か る 植 民 地 人 の 主 張 か ら イ ン デ ィ ア ン を 保 護 す る た め に 介 入 は し た が 、 イ ン デ ィ ア ン 聞 題 の 処 理 は 、 後 に 明 ら か に な る よ う に17世 紀 中 葉 ま で は 主 と し て 植 民 地 当 局 に 任 さ れ て い た 。 ヴ ァ ー ジ ニ ア 、 コ ネ テ ィ カ ッ ト及 び マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 湾 植 民 地 は 、 多 くの 東 部 に 居 住 す る イ ン デ ィ ア ン を す ば や く服 従 さ せ る こ と が で き た 。 こ れ ら の 植 民 地 も ま た 、 従 属 的 イ ン デ ィ ア ン の 問 題 を 統 治 し及 び 処 理 す る権 限 を 主 張 した の で あ る 。
ニ ュ ー ・ ヨ ー ク(白 人 が 足 を踏 み 入 れ た17世 紀 始 頭 、 モ ホ ー ク(Mohawk)部 族 を は じめ 、 イ ロ コ イ(lroquois)に 属 す る 諸 部 族 が 居 住 して い た 。 河 口 の マ ンハ ッ タ ン 島(ManhattanIsland)付 近 に は ハ ッケ ン サ ッ ク(Hackensack)部 族 、 ミニ シ ン ク(Minisink)部 族 な どが 居 住 して い た 。1624年 の オ ラ ン ダ 西 イ ン ド会 社 に よ る ニ ュ ー ・ア ム ス テ ル ダ ム(NewAmsterdam)民 地 の 建 設 を始 め とす る。)の 植 民 地 当 局 は 、 北 部 の モ ホ ー ク(Mohawk)峡 谷 か ら湖 沼 地 帯 に か け て 居 住 し て い た セ ネ カ(Seneca)、 カ ユ ガ(Cayuga)、 オ ナ イ ダ(Oneida)、 オ ノ ン ダ ガ(Onondaga)、
モ ホ ー ク及 び タ ス カ ロ ー ラ(Tuscarora)の 各 部 族 の 連 合 体 で あ る六 部 族 連 合(Six
NationConrederacy)一 上 言己イ ロ コ イ は 、 六 部 族 連 合 の 総 称 で あ る 一 と の
関 係 を 別 異 の 主 権 的 人 民 と し て 扱 い 、 利 益 供 与 と い う外 交 手 段 を 通 し て 処 理 し
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン 政 策 史(1532年 〜1789年)(上)
173 た が 、 植 民 地 人 に よ る イ ン デ ィ ア ン の 土 地 へ の 不 法 な 侵 入 は 他 の 植 民 と 同 様 に 同 じ よ う に 行 わ れ て い た 。 同 様 に 、 ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ 、 サ ウ ス ・カ ロ ラ イ ナ 、 そ し て 後 に は ヴ ァ ー ジ ニ ア が 、 チ ェ ロ キ ー(Cherokee)部 族(今isの ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ 州 西 部 、 ジ ョー ジ ア 州 北 西 部 、 テ ネ シ ー 州 東 部 に ま た が る地 域 に 居 住 して い た ア ル ゴ ン キ ン 語 系 に 属 す る イ ン デ ィ ア ン。 植 民 地 時 代 末 期 か ら独 立 戦 争 期 に か け て 幾 度 とな く白 人 の 侵 攻 を 受 け 、 土 地 を収 奪 さ れ た 。 合 衆 国 成 立 後 の1790年 代 以 降 、 連 邦 政 府 の 文 明 化 政 策 を 受 け入 れ 、1820年 代 ま で の 間 に 農 業 化 に 成 功 して い る。 彼 ら は 、 独 自の チ ェ ロキ ー 文 字 を発 明 し、新 聞 を発 行 し、 チ ェ ロ キ ー 憲 法 を制 定 し、 チ ェ ロ キ ー ・ ネ ー シ ョン(CherokeeNation)を 設 立 して い る。 しか し、1830年 の 「 イ ン デ ィ ア ン 移 住 法 」(theIndianRemovalAct)に 基 づ い て1938年 に は ニ ュー ・エ チ ョー タ条 約(theTreatyofNewEchota)に よ り強 制 移 住 を 強 い られ 、 か の イ ンデ ィ ア ン史 の最 大 の 悲 劇 に 数 え られ る3,000kmに 及 ぶ 「 涙 の 旅 路 」(TrailorTears)を 経 て 、 今 日の オ ク ラ ホ マ 州 に 移 住 した 。)を 別 個 の そ して 自 治 権 を 有 す る 国 家 と し て 処 理 し
30)
て い る 。
(2)MoheganIndians事 件 は 、1703年 、 モ ヒガ ン 部 族(MoheganTribe)が
コ ネ テ ィ カ ッ ト王 領 植 民 地 と の 条 約 で 当 該 部 族 に 保 留 さ れ た 一 定 の 土 地 区 画 を 剥 奪 さ れ た と して 枢 密 院 に お け る 女 王(QueeninCounci1)に 請 願 し た の が こ
と の 始 ま り で あ る 。 こ の 請 願 は 失 敗 に 帰 し 、 そ こ で 部 族 は 、 王 位 委 員 会(Royal Commission)に 土 地 紛 争 を 裁 定 す る よ う 要 請 し た 。 法 務 総 裁 ノ ー ス リ ー
(AttorneyGenera且Northely)は 、 コ ネ テ ィ カ ッ トへ の 国 王 か ら の 特 許 状(roya且 charter)に は 部 族 の 土 地 は 含 ま れ て は お らず 、 そ して そ れ 故 に 、 女 王 は 合 法 的
に 植 民 地 の 中 に 枢 密 院 に お け る 女 王 に 上 訴 す る こ とが で き る 裁 判 所 を 設 立 し得 る とす る 決 定 を下 した 。1705年 、第1回 王 位 委 員 会 は 、審 尋(expartehearing) に お い て モ ヒ ガ ン 部 族 を 支 持 し、 全 員 一 致 の 意 見 で 土 地 を 部 族 に 返 還 し、 訴 訟 費 用 を 部 族 に 付 与 す る 決 定 を 下 し た 。
植 民 地 は 、 こ の 決 定 を ① 植 民 地 は 征 服 に よ り土 地 に 対 す る 絶 対 的 権 原 を 持 っ
て い た 、 ② 部 族 は 植 民 地 に 従 属 す る も の で あ る 、 ③ 土 地 に 対 す る 権 原 の 司 法 的
決 定 は 陪 審 で 決 定 さ れ る べ き で あ っ て 、 従 っ て 委 員 会 に よ っ て 決 定 さ れ る べ き
で は な い が 故 に 、 王 位 委 員 会 の そ れ は 違 法 で あ る と い う前 提 の 下 に 枢 密 院 に お
け る 女 王 に 訴 え た 。 植 民 地 の 主 張 は 、 枢 密 院(PrivyCOUnciDで 拒 否 さ れ 、 三E
位 委 員 会 の正 当 性 が 支 持 され 、枢 密 院 委貝 会(CommitteeofthePrivyCouncil)
は、 モ ヒガ ン部 族 の 法 的 地 位(status)は 植 民 地 に従 属 す る こ との な い主 権 を有 す る ネ ー シ ョン(sovereignnation)で あ る と し、 植 民 地 に対 す る絶 対 的権 原 の 源 で あ る征 服 の法 理(theoryofconquest)を も拒 否 した の で あ る。 但 し、 委 員 会 は 、訴 訟 費 用 の部 族 へ の付 与 につ いて は これ を破 棄 し、 新 た な審 査 委 員 会 で こ の紛 争 を再 審 理 す べ き こ とを示 唆 した ので あ る。1738年 の 第2回 王 位 委 員 会 は 、 再 審 査 委 員 会 と して 行 動 した が 、 第1回 王 位 委 員 会 の 裁 定 の み な らず 枢 密 院 委 員会 へ の 訴 え の 結 果 を も審 理 す る こ とを拒 否 し、 一 方 で は こ れ ら裁 決 機 関 の 決 定 を 破 棄 した の で あ る。 そ こ で部 族 は、 第2回 王 位 委 員 会 の決 定 に は手 続 違 背 (irregularity)が あ る と して枢 盛 院 にお け る国 王(KinginCounci1)に 訴 え た 。 国王 は 、 部 族 の 主 張 に 同 意 し、 第 三 の そ して最 後 の審 査 委 員 会 を 設 置 した の で あ る。
1743年 、第3回 王 位 委 員 会 と呼 ば れ る委員 裁 判 所(CourtofCommissioners) は 、本 件 紛 争 を再 審 理 す べ く会 同 した 。 委 員 裁判 所 は 、紛 争 中 の 土 地 を 占 有 し て い る多 数 の土 地 保 有 者 をイ ン デ ィ ア ン の権 原 に 対 す る彼 らの 権 原 の 防 禦 の た め召 喚 した が 、 土 地 保 有 者 は 出頭 を 拒 否 す る途 に 出 た。 土 地 保 有 者 た ち は 、 委 員 裁 判所 は イ ギ リス 法 、 コネ テ ィ カ ッ ト法 及 び植 民 地 へ の 国 王 に よ る特 許 状 の 法 に 違 背 す る旨 を主 張 し、 管 轄 権 は植 民 地 裁 判 所 に あ る と して 個 々 の 土 地 の権 原 を 裁 断 す る委 員 裁 判 所 の 管 轄 権 自体 を争 っ た の で あ る。 こ の紛 争 は、 植 民 地 内 の個 人 の 土 地 の 権 原 に 関 す る 国 王 の 権 限 を争 った もの で あ り、 国 王 及 び彼 の 枢 密 院 に対 す る直 接 的 な 挑戦 で あ っ た 。 植 民 地 人 が 展 開 した 主 張 は 、 イ ンデ ィ ア ンは 大 英 帝 国 の 臣 民 で あ り、 そ れ 故 に イ ンデ ィ ア ン の権 原 は大 英 帝 国 若 し く は植 民 地 の 法 律 に よ っ て 決 定 さ れ る とい う もの で あ っ た が 、 委 員裁 判 所 は この 主 張 を退 け て い る。 事 件 発 生 か ら40年 経 過 した1743年8月1日 、 ホ ー ス マ ンデ
31)
ン(Horsmanden)委 員 が 多 数 意 見 を 書 き 、 以 下 の よ う に 判 決 を 下 し た の で あ る。
「 イ ン デ ィ ア ン は 、 これ らの カ ン トリー の 中 で 国 王 の 臣 民 に交 わ っ て生 活 して い る け れ ど も 、 臣 民 か ら独 立 し且 つ 別 個 の 人 民(separateanddistinctpeople)
で あ り、 独 立 し 且 つ 別 個 の 人 民 と し て 処 遇 さ れ て い る 。 イ ン デ ィ ア ン は 、 彼 ら
自 身 の 政 策 を 持 ち 、 彼 ら が 適 切 で あ る と考 え る場 合 は イ ギ リ ス か ら の 支 配 を 受
け る こ とな く如 何 な る イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン と も講 和 し及 び 宣 戦 す る の で
ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン政 策 史(1532年 〜1789年)(」 二) /7S
あ る。 国 王 が イ ンデ ィ ア ンを 臣 民 で は な く して 別 個 の 人 民 と看 倣 して い る こ と は明 らか で あ る。 蓋 し、 彼 ら は、 ア ン女 王 の 治 下 及 び 今 我 わ れ が 奉 職 す る とこ ろの 陛下 に よ っ て か か る地 位 を有 す る もの と して敬 意 を表 さ れ て い るか らで あ る。 そ して 、 私 の考 え に従 え ば 、 国 王 が イ ン デ ィ ア ン を これ らの カ ン トリー の 土 地 に対 す る所 有 権 を有 す る もの と見 倣 して い る こ と は明 らか で あ り、 また イ ンデ ィ ア ンの 土 地 は 、 植 民 地 の為 に イ ンデ ィ ア ン の 土 地 に対 す る特 定 の 境界 を 定 め た 陛 下 の承 認 を得 た 上 で 、 臣民 が 原 住 民 との 間 で 公 平 且 つ 誠 実 な取 得(fair andhonestpurchase)が 為 され る まで は 臣民 の 手 に移 る こ とが な い こ とは明 ら か で あ る… … か か る観 点 か ら して 、 私 は 以 下 の 結 論 を 下 す もの で あ る。 す な わ ち 、 別 個 の 人 民 と して の イ ンデ ィ ア ン(蓋 し、 如何 な る行為 もその行為 によって 彼 らが 臣民 となっ た こ とを立証 して はい ないの で あ るか ら)と イ ギ リス の1,..民との 間 に お け る紛 争 中の 土 地 の 所 有 権 を め ぐる問 題 は、 我 々 の 国 家 の 法 に よ っ て 決 定 され 得 な い の で あ り、 両 当 事 者 に とっ て平 等 な 法 に よ っ て 決 定 され な け れ ば な らな い。 こ こ に平 等 な る法 とは 、 自然 法 で あ り、 国 際 法 な の で あ る。 そ して 、 この 基 礎 に立 って 、 これ らの 委 員 会 は、 最 も適 切 に結 論 を 下 した の で あ る… … 紛 争 中 の 土 地 を専 有 して い る居 住 者 が 当 法 廷 で 訴 答(complaint)に 応 え る義 務 が な い とす る こ とは、 我 わ れ の委 員 会 の 本 当 の 目的 と意 図 を無 に し よ う とす る
もの で あ る。 蓋 し、 確 か に、 イ ンデ ィ ア ン部 族 とイ ギ リス 政 府 の間 の 申 し立 て
ニiz)
事 項 につ いて の み 審 理 す る こ とは 、不 十 分 且 つ 不 完 全 な執 行 とな るか らで あ る」。 (3)こ れ ら一 連 の 裁 決 乃 至 判 決 の 中 で 、 ① 部 族 主 権 の 観念 、 ② 部 族 の 財 産 保 有 と法 的 権 利 、③ 自然 法及 び 国 際 法 に 基 づ く部 族 との 紛 争 解 決 とい っ た その 後 の イ ンデ ィ ア ン法 を支 配 す る こ と とな る法 理 が 展 開 され て い るが 、本 件 は、1832
3S)
年 の 合 衆 国 最 高 裁 判 所 判 決 で あ る 吻 κθ5'6γ箏 件 判 決 で マ ー シ ャル判 事 が 法廷 意 見 の 中で 展 開 す る こ とに な るイ ンデ ィ ア ン法 の 解 釈 原 理 の先 駆 を成 す もの で あ っ た と評 価 し得 るで あ ろ う。