ポツダム市の交通政策 と公共交通環境
‑その歴史 と現況‑
菊 池 悦 朗
● ●
Ve r ke hr s po l i t i ku ndOPN
V‑Kl i mai nde rS t a dtPo t s da m
‑Di eGe s c hi c ht eunddi ehe ut i geSi t uat i on‑
Et s ur oKⅨUC HI
は じめに1 989
年1 1
月9
日にベル リンの 「壁」が開かれ、翌年の1 0
月3
日に ドイツが公式に再統一 され て以来、1 7
年余 りが経過 した。その間、 ドイツでは交通環境 ・文化 の点で も、様々な変化が生 じ た。 本稿では、ポツダムの公共交通が壁の開放、そ して ドイツの統一によ り、どのように変わっ ていったか、そ して、現状は どのようであるかをレポー トす る。1
ドイツ再統一以前のポツダムの公共交通ポツダムはいわゆる東部新
5
州( 5ne ueBundes l ande r)
のひ とつであるブランデ ンブル ク州 の州都で、統一前は1 5
の県( Bezi rk)のひ とつポツダム県 (
人 口約111
万6000
人)の県 (庁所 荏)都 (市) (人 口約1 2
万3000
人)であった。 ドイツ民主共和国( DDR
,いわゆる東 ドイツ)の フランクフル ト( a nde rOde r)県 とポツダム県が、統一後、ブランデンブルク州になる。
ベル リンを囲むブランデンブル ク州の州都ポツダムは現在、人 口約
1 4
万、ベル リンの南西部 と 境を接す る。こんにちにつながるポツダムの公共交通の歴史は他の多 くの ドイツ語圏の都市同様 に馬車軌道
( P fe rde ba hn)に始まる。ポツダムに最初の馬車軌道が走ったのは 1 880
年 のこととされ、電動 に よる運行が開始 されたのは ドイツでは比較的遅 く、1 907
年のことであった。その後、路面電車の 路線網はゆっくりとではあったが、次第 に拡充 されてい く。第二次世界大戦後、破壊 された路線 と車両の再建が必要にな り、1 950
年代の初頭か らそれが開始 された。1 971
年 を最後に戦前の古い 車両は姿を消 し、1 982
年の新路線の建設により、路線網はそれまでの約3
割増 となる。とはいえ、当然のことなが らポツダムの路面電車交通は旧 ドイツ民主共和国 (東 ドイツ)の経済の諸条件 に 制約 されたものであ り、十分な発展はなかなか出来なかった。
2
ドイツ再統一以降のポツダムの公共交通ポツダムの路面電車交通の歴史に新 しい‑頁が記 されたのはベル リンの壁崩壊 とその後の ドイ ツ再統一の過程においてである.軌道敷が一新、車両も近代化 され、乗客‑のサー ビス提供が豊
筆者 :外 国語教育研 究セ ンター教授 受理 :平成
1 8
年9
月2 9日
富になっていった。車両の点でポツダムは二度にわた り世界初を経験す る。
㊥
1 975
年1 0
月9日 旧チェコスロバキア社会主義共和国の KTD4
型電動車2
両の運行開始@
1 998
年1 0
月2 3日 Combino
とい う愛称のついた低床型の電車の運行開始ジーメンス製のこの 「コンビ‑ノ
」
車両には しか し、数年前、天井部分 と窓のあた りに欠陥が 見つか り、ポツダムでは1 6
両の うち11
両が一時期修理に回されたが、13
両が20 06
年9
月の時 点で走っている。1 949
年から1 99 5年まで、映画の撮影所で知 られるバーベルスベルクとい う市街区域 を中心に
トロリーバス( O bus )
が走っていて、しかも1 989
年までは公共交通の上で主要な役割 も果た して いたが廃止 された。1991
年2
月6日に市議会で決議 された 「
ポツダム市新交通政策」では市電 と 並んで トロリーバス交通の拡充 も謳われていたのだが、同年1 2
月1 9日に連邦議会で可決 された
「交通高速化法
」
がきっかけとなって トロリーバス交通は衰退に向か うことになったのだった。一方、(デ ィーゼル)バス交通は
1 987
年までは脇役的存在 にすぎなかった。1 97 3
年か らポツダム ・ バーベルスベル ク旅客輸送会社 とい うところが市バスの運行 を引き受けた結果、ポツダム交通企 莱( Pots d a me rVe rke hrs bet ri e b
,PVB)
は市電 と トロリーバス交通にのみ専念することになった。市バスの運行は市電の運行 を管轄す る企業が担 うのが普通だか ら、この構 図は特別なものだった。
このポツダム ・バーベルスベル ク旅客輸送会社は他のすべての地方交通会社共々、1
97 0年以降、
新設のポツダム交通 コンビナー トの管轄下に置かれ、東独の国営複合企業であるこのコンビナー トは ドイツ再統一により解散す る。
一方、pvBl)はポツダム市の独立 した企業であ り続 け、
1 991
年4
月1日か らは有限会社組織の vi Pがポ ツダム市交通企業局 として同市の公共交通の歴史における新 しい⊥頁を開いた。
1 992
年5
月6日にポツダム ミッテンマル ク郡 とナ ウエン郡
2)が管轄す る地方交通会社が形成 さ れ、そこから同年6
月1日にポツダムのバーベルスベル クを本拠 とす るハーフェルバス交通有限
会社 も誕生す る。この時以来、ポツダム交通企業
( Vi p)の方は歴史上は じめて、 5 0
台ほどのバスを有する充実 し たバス交通部門も形成す ることになる。 こうして、現在のポツダムの市内公共交通はViP
が管轄 す る路面電車 (St ra 1 3 e n ba hn)
とVi P
その他 のバス交通会社 による運行 の (デ ィーゼル)バ ス[ Auto b us]
によって担われている3)01)1 990
年1 2
月6
日以来、 Vi P
とい う略称 を使用す る ‑ 後出。2)
ブランデ ンブル ク州には1 4
の郡 と郡には属 さない4
つの都市 (ポツダム、フランクフル ト[アン・デア ・オーダー]、ブランデ ンブル ク、コ トブス)がある。
3)
ベル リンのS
‑バー ンや ドイ ツ鉄道株式会社( De u t s c h eB a h nA G )
の列車や フェ リーもポツダムの公共交通の一部を 成 している。3
「壁」開放からこんにちまでの路面電車 (市電)交通の歩み1 989
年11
月9日の 「
壁」
開放後、ポツダムの路面電車の何人 もの運転手が国 (ドイツ民主共 和国、DDR)を去るとい う事態が生 じ、系統2と9
が廃止 され、系統8と 1 0
は通勤輸送にのみ運 行 した。翌1 990
年5
月27日以降は系統 2、 7、 9、1 0
が全面廃止 となる。その他、系統1
のように区 間廃止をこうむった路線 もあ り、運行間隔は総 じて短縮 され、1990
年1 月 31日以降は原則 とし
てゴータ3連結車( Got ha ‑ Gel e nk wage n)
[最初の運行は1 9 61
年]に代わってタ トラ( Tat ra)製の
‑ 3 6‑
2連結車 1)が使 われてい く。平行 して軌道敷や電停の改良な どもな されていった0
1 99 0
年1 2
月6日にポツダム交通企業はその 86
年以上の歴史 に新 しい‑頁を記す ことになる。同企業は
「 Ve rke hrs be t ri e bi nPots da m
」(ポツダムの交通企業)を略 したVi Pとい う略称 によ り、
公共交通の利用促進 のためのキャンペー ンを行 っていき、 「西」ドイ ツのマル クの導入やモー タ リ ゼー シ ョンの急激 な伸びで約
25%の乗客減 を経験 した ものの、乗 客 を引きつ ける様 々な方策 を推
し進 めていった。1
991
年2
月6日にポツダム市議会で決議 された 「
ポツダム市新交通政策の諸原 則」
に基づいて主要な交通機 関 としての路面電車 (市電) の近代化 プ ログラムが推 し進 められて い く。1 991
年4月 1日にポツダム交通企業 ( Vi p)は独立 した企業 として、 この 日に設立 された
有限会社組織の市企業局( St adt we rke)に統合 されていった。
1 99 2
年7
月1日以降、Vi Pは近隣町村‑のバス ( Ube rl a nd bus )の運行 か ら撤退 し、ポツダム
市内交通 のみを管轄す ることになる。 当時、同企業は従業員67 0
人 を有 し、市電の車両は1 1 5
、 バスは5 0
、トロ リーバスが1 3
、それ に船舶1 8
隻 を有 していた とい う。そ して、199 2
年 の うちに ドイツ再統一後は じめて市電 の乗客数 が再び増加 に転 じた。ViPの財政 を改善す るため、 1 99 4
年1
月1日付 けで同企業は有限会社 ( GmbH)
に移行 し、ポツダム市が唯一の共 同出資者 とな る。1997
年1 0
月3 0
日には、シュテル ン とい う大 シ ョッピング街付近‑の市電 の路線 の改良工事が完了 し、98
年5
月2 3日にはRobert ‑ Baberske‑Stra1 3 e〜Marie‑ J uchacz ‑ Str aβe
間の1 . 3
キロの区間が開通 した。後者の一定 区間はポツダムで初 めて芝生の軌道敷 とな り、280 0
メー トル にわた り架線 のポールが設置 され た。 この工事に要 した費用80 0万マル クの うち、62 0万マ
ル クを国 (連邦) と州が助成 した とい う。1 997
年1
月29日にポツダム市議会 は市電 を公共交通 の中核 に位 置づけ続 けるとい うことを確
認す る近距離交通計画案 を可決 し、路線網は拡大 し続 けてい く。2001
年 には ドイツ庭園見本市がポツダムで開催 され 、これ をきっかけに市の交通 のあ り方‑の 関心 も行政やViP中心ではあるが、高まっていった。
1 ) 最初 に運行 され たのが 1 97 4 年 だった この車両 も200 9 年 には耐用年数 に達 し、 維持費 とのかねあいで使用 されな くな る見通 しだ。
4
現在の状況1
)路面電車 (市電)交通7
路線 の うちⅩ98
はラ ッシュ時に運行 し、停車 しない電停 もあるため運行速度 も速い。 系統91
は2000
年 まで、97
は8 0
年代 までは運行 していたが、現在 はない。系統が二桁 なのはベル リンの 市電 と区別す る意味がある。2005
年8
月8日以降にお ける市電の系統や路線距離等 は次の よ うに
なってい る (朝のラ ッシュ時 における数値。21時〜1時の晩の路線 は系統92と 9 4
の二つ)路線 区間 路線距離 運行間隔 所要時間 運行速度
( km
) (分) (分)( km/h)
統一広場〜アム・シュテルン(ガ ウス通 り)
統一広場
1 ) 〜
レ‑ブ リュッケ駅ボルンシュテット〜キルヒシュタイクフェル ト (キルシュアレ‑) (マ リーユハチ通 り) グ リーニ ツケ橋〜 レ‑ブ リュッケ駅 ビルシュハイデ駅〜バーベルスベル ク
(フォンタ‑ネ通 り) フイアエ ツク レミ‑ゼ〜バーベルスベル ク
(フォンタ‑ネ通 り) シャルロッテンホ‑フ城〜キルヒシュタイクフェルト (マ リーユハチ通 り)
8. 27 1 0 1 9 26.1 2
5. 63 20 1 7 1 9. 8 6 1 3.73 20 39 21 .1 2
8. 09 20 23. 5 20. 67 9. 42 20 25 22. 60
8. 26 20 24.5 20. 23
1 2. 61 20 35 2 1 . 62
1
)週末だけはボルンシュテッタ一・フェル トという所のフイアユックレミ‑ゼ駅まで運行し、路線距離は9. 1 4 k m
、所 要時間は2 6.5
分になる。2)
バス交通 と 「相互乗 り入れ」
Vi P
が運行す るバス路線 は9
路線 (ポツダム中央駅 とサンスーシ宮殿 を結ぶ 「観光路線」Ⅹ1 5
を加 えれば1 0
路線)で市内交通のみを受け持 ち、他 に晩の路線7
つ と夜1
時〜4時の夜間路線が5
つ ある。ベル リン交通企業( BVG)
のバス もポツダムの一部の区域で運行 し、Vi P
のバスの乗車券 でもゾーン内な ら乗車出来る。ハー フェルバスはポツダムか らベル リンの南部のシュター ンス ド ル フとい う所や市北西部 に位置 し大学のキャンパスもあるゴルム とい う所その他‑運行す るバス で、以上の3
社のバスの乗車券はゾー ン内な らどれで も有効である。変わったバス路線 としては例 えば、5
00メー トルほ ど高速道路に出て再び一般道路に入 る系統 69 0
がある。3)
ユニークな ゾーン制度 と運賃制度ドイツでは大中都市を中心に してい くつかの交通企業体を統合す る大きな公共交通共同体 (‑ 運輸連合、
Ve rke hrsve rbund)
が形成 されている。ポツダム交通有限会社( Vi p)
はベル リン州 と ブランデ ンブル ク州 を包括す る ドイツ最大規模 のベル リン ・ブランデ ンブル ク運輸連合有限会社( Ve rke hrs ve rbundBe rli n‑Brandenburg[ VBB] GmbH) [ 1 99 9
年設立]の一員で、ベル リン州やブラン デ ンブル ク州の他の3
都市 (ブランデ ンブル ク[ ande rHafel
,略: a.d. H.]
、フランクフル ト[ ande r Ode r 略 : [ 0
]、コ トブス)と同 じよ うにA BC
のゾーン制 を敷いている。V BB
独特のこの運賃制度 は1 995
年に作 られた。規模 に大きな差はあるが、ポツダムの場合 のゾー ンのあ り方はベル リンと 同 じで、Aは市の中心部 とその周辺部でBはその周辺、Cは市の外延部 とい う風になる。そ して ユニー クなことはポツダムのA B
のゾー ン全体 とC
の一部がベル リンのC
ゾーンの内部 にあ り、かつ、ポツダムの北東部でCゾーンが途切れてベル リンのBゾー ンになっていることである。乗 車券にもベル リン同様 に様々なタイプがあ り、それぞれ に
A B
、BC
、A BC
の組み合わせがあ る。短期滞在者や旅行者な どが利用す る価値がある と思われ る二種類 の乗車券 を挙げてお く。( 2005
年8 月 8日以降の通用、単位 はユー ロ)
‑ 38 ‑
乗車券 タイプ 普通乗車券 割 引乗車 券 ポツダム
A B/ BC
(一回乗車券)1 . 60/1 .50 1 .20/
1 .1 0
ポツダム
A BC
(同)2.3
0 1 .70
ポツダム
A B/ BC
(一 日乗車券)3.70/3.50
2.80/2.60
ポツダムA BC
(同)
5.30 4. 00
A
,B
,C
各単独の乗車券はな く、6
停留所以内の短 区間乗車券( Kur
zst recke )
は ゾーンに無 関係 に一律1 、1 0
ユ ーロとなっている。また、定期乗車券の うち7
日間乗車券( 7 ‑Tage ‑Kart e)
は 一 日乗車券 ×連続 した7
(日)分の乗車券で大変徳用( AB
で1 0、6
0
ユー ロ)な上、環境定期 と名付 け られた他 の定期乗車券 同様 、ウイー クデーの20
時以降お よび週末 と祝 日には大人 も う一人 と
6
‑1 3
歳の子供3
人まで乗れ る とい う特典がある。
5
ポツダム交通有限会社
(V iP)
Vi P
は2000
年1 2
月8
日以来、有 限会社組織 の市企業局( STADTWERKEP
OTSDA M GmbH)
の傘 下 に、他 の二つの市企業 (水 ・エネル ギー有 限会社お よび ゴミ処理有 限会社) と共に統合 され た。ポ ツダム市企業局はブランデ ンブル ク州 にある
25
の最大手の企業 の一つであ り、約
1 200
人の社員 をもつ最重要な経済部門 とな っていて、職の確保 には欠かせ ない企業である。市 の出資額は
2005
‑2007
年が500
万ユー ロ、その後は毎年450
万ユー ロに下げてい く見通 しとの ことで、市の予算 か らの補助は これ により従来 の半分程 になる。市企業局か ら
Vi P
に補助金が支給 された後 、
Vi p
は然 るべ き時期に利益に応 じた税 を国に収める。
ここ数年 、
Vi P
の電車、バスの運賃収入は減少傾 向にあるが、その原因は運賃の値上げがあま り行われ なかった り値上げ幅が小 さい ことと、公共交通離れ に
歯止 めがかかっていない ことにあ る。ここで、
2001
年 と2004
年 にお ける乗客数 を挙げてお く。 (ここ数年では この両年度 にのみ交 通調査が行われた)
2004
年 に運賃収入 が増 えたのは主 として一部 の乗車券 タイプの値上げによ るもので、乗
客数 の増加 によるものではない。
2001
年 ‑27,400, 000
人2004
年 ‑
24,3 00,000
人 また、運賃収入 の推移 は次の よ うになってい る。 (単位 はユー ロ)
2001
年 ‑l
l,1 09, 000 200
2
年 ‑1 0,5 39
,000 2003
年 ‑1 0,463, 000 200
4
年 ‑1 0,7 92,000
さて、わが国の公共交通 (施設) の負 の特徴 の一つが (テープに よる)過剰な (マナー)放送 だ とす る と、 ドイツの公共交通会社 を悩 ませ てきた ことの一つ
が破壊 ・乱暴行為である. ドイツ では車内の落書 きをは じめ とす るいたず らが跡 を絶たず 、
Vi P
もガラス一枚 に
1 500
ユー ロ(約236,000
円)、座席一つに も3 00
ユー ロ(約47,000
円)かか るなどの写真入 りの掲示や 目撃情報‑
の報奨金 の案 内を出 した りして、その防止を呼びかける と同時に一部 のバスの運転席 に ビデオカ
メラを取 り付けた りしている。こうしたいたず らを受 けなが らも
Vi P
は乗 客フォー ラムや オープ ンデー等 を通 して、財政が厳 しい中、乗客の意見を取 り入れ る努力 を してい る。例 えばバス路線
6
96
の走行ルー トが2003
年 の 年末の時刻表改正の際、乗客の意見 を入れて変更 ・延長 された。
さらには、車両のキー とい う騒音 に も多角的 に測量が行 われた り、無作為 に
被験者 として騒音の感 じを闘いた りして対処がなされてきた。また、①運転手に各種の相談をも ちかけられる、②定時運行 より安全性 に重点を置 く姿勢、な どもポツダムのみな らず ドイツの公 共交通の特徴 と言える。
街頭な どの照明にしても、まずは電停の照明が点 り、のちに道路の街灯が点るな ど、きめ細か さは ドイツ的だ。
‑ 40‑
あ と が き
現地調査は
2004
年の8
月 と2005
年 の9
月に行った。その際、ポツダム交通有限会社 の交通部 長ベル ン ト・ミヒアエル ・ラーピッシュ氏 と業務部長マルテ イン ・グ リースナ‑氏か ら資料の提 供 を受 けた。書物はMac hel /Gl i nt he r:Pots da me rNa hve rke h r ‑ St ra Be nba h nundOb us i n Bra nde nburg sLa ndes ha u ptst adt ( Ge ra Mo nd,1 999 )
とポツダム市交通局の季刊冊子「 Qua rte tt
」誌を主 として参照 している。