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養護実習の計画に関する研究(9)

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養護実習の計画に関する研究(9)

一特殊教育諸学校の参観について一

  大 谷 尚 子

(1995年5月31日受理)

How to Plan School Practice for Trainee School Nurse−Teachers          ; on Special School Field Trips

  Hisako OTANi

(Received May, 1995)

1養護教諭養成教育と特殊教育諸学校の参観       一卒業生の声から一

 養護教諭と養護学校教諭を混同することは今なお見られる現象である。数年前にも養護教諭養成課 程の推薦入試受験生のうちに養護学校教諭の課程と間違っていた者も含まれていた。このような時 は,普通「養護教諭は養護学校の先生ではなく,一般の学校の保健室にいる先生のことです」と説 明することが多い。しかし本当は,養護学校にも養護教諭は配置されているのであり,誤解を解く

のに一一苦労するところである。

 障害児理解や障害児教育理解については,養護教諭養成教育の内容として不可欠である1)にもかか わらず,本学においては必ずしも十分ではなかった経過がある。それは,その当時の卒業生の次の ような声が裏付けている。

 Aさん(3回生):「採用の内示があったので伺うと聾学校ということであった。聾学校と聞いてび っくりした。自分はとうてい努まらないと思ってすぐに断った」と事後報告をしてくれた。授業に おける積極的な意見や行動からは想像もできない選択として,筆者には受け取れた。しかし,それ だけ自信の無さを感じたのであろう。結局Aさんは,高校の養護教諭として勤務することになった。

 この時,聾学校に一度も参観する機会を設定していなかった養成教育側・教育上の問題を提起され

たのであった。

 Bさん(4回生):内示通りに養護学校に就職した。しかし,後日「養護学校には精神薄弱児のため のものと,病弱児のためのものがあるなんて大学では学ばなかった」と筆者に不満を打ち明けてく

れた。

*茨城大学教育学部教育保健講座(〒310茨城県水戸市文京2丁目1−1).

(2)

 この時点でも,まだ特殊教育諸学校の参観は設定されていなかったが,養護学校についての説明は,

教職科目か「障害児の保健」等の授業で話を聞いていると思っていた筆者にとっては,驚きであっ た。筆者の担当する授業で扱うべきであったと反省させられたし,また,教育側の横の連携不足を 指摘されたと受け止めた。

 Cさん(5回生):養護学校に就職した。就職に際してはトラブルは無いようであったが,就職後1 年ぐらいたってから,「私が就職してから既に2人の子どもが亡くなった。養護学校というのは,本 当に死と背中合わせであると実感。そんなことを大学在学中には全く学ばなかった。死と向き合え るような養成教育を望む」と筆者宛ての手紙に胸中が綴られていた。

 たとえ子どもがけがや病気で保健室に来室したり病院を受診したとしても,最終的には健康な状態 に戻ることを暗黙の前提にしている現行の教育内容は,「死」とどう向き合うかという重大な課題を 遠ざけているという欠陥を示唆された。

 これらの卒業生の声を聞くことによって,本学では養護教諭養成教育の中に,特殊教育諸学校の参 観を設定するに至った。そこで本学の経過を追いながら,成果と課題を明らかにしたい。

2特殊教育諸学校参観・実習の実施状況

  1)全国養護教諭養成機関における特殊教育諸学校の実習・参観実施状況

 養護教諭の勤務する場所は,小。中・高校,あるいは幼稚園のほか,前述の通り,養護学校などの 特殊教育諸学校も該当する。そこで,養護実習として現場における実習の場を設定するとすれば,特 殊教育諸学校という場も候補の一つにあげられよう。全国の養護教諭養成機関2)において,特殊教育 諸学校の「実習」を行っている機関,「見学・参観」を設定している機関,さらに養護実習事前事後 指導に特殊教育関係者(養護教諭ほか)を加えている状況は,表1の通りである。

 「実習」についてみると,その内容には幅があり,①養護実習としての実習全期間を養護学校での 実習にあてる(例:北海道函館校特別別科3))というものから,②養護実習の一部として数日間だけを

「参観」実習にする(岡山大学教育学部4>5))などである。概して②の形態になっていると推測される 。

「実習」といっても,学生全員が体験するというのではなく,たまたまある学生がそこに配当され実 習したという状況が多いようだ。

 「参観」という形で特殊教育諸学校の現場に学生を触れさせている機関は14校ほどみられた。そ のうち1校を除いては,学生全員を一括引率して見学させていた。参観学校の数についてみると,多

くは1日で1校だけの参観であったが,弘前大学教育学部と本学の場合は5日間にわたり5〜6の学校 を参観させていた。

 参画面実施時期についてみると,ほとんどがカリキュラムの後半の時期に該当する。4年課程(大 学)の場合は4年生になってからであり,1年課程(特別別科と保健婦学院)の場合は11月以降,2年 課程の埼玉県立養護教諭養成所の場合は2年生の11〜12月である。小学校や中学校における教育実習 や養護実習の基本を押さえたうえでの,応用的な意味合いをもたせていると言えよう。

 養成機関別に比較してみると,養護実習のみを課している1年課程の特別別科と保健婦学院は,養 護実習以外にも学校参観の機会を設定し,特殊教育諸学校の参観も加えていた。それに対し短大の

(3)

表1特殊教育諸学校に学生が関わる機会の設定状況

実習

参観実地指導講師

その他

備考(観の時期と名称など)

4年課程

北海道教育大・札幌校

01週間 1年9月ボランティア2単位

弘前大

05日/6校

3年9〜10月施設見学実習

茨城大

05日/5校 5人

3年2月/4年10〜11月

千葉大

△3日/1校1)

01日2)

4年2月希望者1)「健康相談」2)

岡山大 1人 4年4月養護・教育附属実習

熊本大

1人

4年4月健診実習

大阪市立大

4年6月見学実習

女子栄養大

1人

2年課程

埼玉養護教諭養成所

、知女子短大 02日/2校

2年11〜12月授業参観

瑞穂短大

1年課程 北海道教育大・函館校

(特別別科)

山形大

1人

1年11月見学と講義

金沢大

1人

新潟大

1年2,月養護学校1日参観

神戸大

岡山大

1人 1年7月養護実習・附属校実習

熊本大

1年課程 岩手県立

1年2月養護学校見学実習

(保健婦学校)

石川県立

1年1月養護実習(見学実習)

兵庫県立

特別養護児童の教育実習

長崎県立

1年1月

注)△は一部の学生の体験を示す。

場合は,養護実習と教育実習以外の場の設定は行われておらず,特殊教育諸学校の参観は1校を除い

てはない。

 上記の見学や実習の形態と異なる形で,特殊教育諸学校の体験を与えている機関もあった。それは 授業の一環として位置づけているという学校で,ボランティア活動を1年生に課し,それを単位と認 めるという形態をとっている点が注目される。近年の「学外活動の単位化」や1年生向けの導入科目 的授業の開設という点で,大学改革の流れに沿った試みと言えよう。

  2)茨城大学における実施状況  (1)体験学習

 本学の特殊教育諸学校の実習。参観の歴史は古い。今から約25年ほど前,筆者が茨城大学養護教 諭養成所に赴任した時にさかのぼる。養護実習として小学校と中学校の現場体験を課してはいたが,

それ以外にも種々の関連施設を参観させたいということになった。そこで可能な範囲で教員が施設 を訪れr施設見学』を依頼して回った。筆者が肢体不自由児の施設の担当となり依頼に伺ったとこ ろ,整形外科医である所長から「ただ『施設』を見学しても真の理解は難しいでしょう。どうです か。看護職員の寮を使って,学生さんが一泊して食事の世話や入浴の介助まで体験してみたら」と いう提案をされた。筆者はそのことを学生(3年生)に伝え,クラスで話し合いをし,学生の希望を聞

(4)

いた。その結果,学生もその意見に同意し,3一・4人のグループが都合のよい日時に授業のあとで出掛 けて行き,全員がr施設見学』にとどまらない内容のr体験実習』を味わった。

 (2)施設見学

 このような身をもって体験したことでの成果は大きかったが,種々の事情から,とりわけ過密なカ リキュラムのために長続きはせず,間もなく,全員が一斉に施設を訪問し,説明を受けながら施設 内を見学するという形態になった。「施設見学」という形態になっても,養成所の教員が分担して,

特殊教育諸学校をはじめ児童相談所や教護施設あるいは精神病院や障害者施設,さらに保健所や環 境関係施設(上下水道処理施設・ごみ処理施設など)の見学も含めて,多様な機関の見学機会を設定 してきた6)。しかしその後,学生の出欠問題と手配・引率する教員側の忙しさを理由に,このような

「施設見学」も途絶えることになった。

 (3)再開

 1975年に3年目の養護教諭養成所が4年課程の教育学部に移行した。計算上は1年間の期間が増え,

時間的余裕ができたようではあったが,実際にはすぐには再開できなかった。しかし,1で述べたよ うな卒業生の声を契機に再開することとなった。養護教諭養成課程での教育内容に「障害児の保健」

などの授業や「臨床医学。看護学臨床実習」での小児科看護実習があっても,それだけではカバーで きないものが判明したからでもある。初めは筆者の担当授業である「養護活動」の一環として参観 を設定し,諸学校に依頼していたが,1990年度(平成2年度)からは,教職免許法の改訂にともない 養護実習の「事前事後指導」の枠が設定されるようになったので,それを契機に「事前事後指導jの 一環ということになった。また,この時,実地指導講師の謝金が予算化されたのを受けて,些少で

はあるが,見学先の学校の指導者にお礼の気持ちを形として表すこともできるようになった。

 (4)事前事後指導の一環として

 現在行っている事前事後指導(1〜XIの11段階)のうちで特殊教育諸学校に関連するのは3段階で ある。rH 養護実践のイメージ作り」においては,様々な条件の学校における養護教諭の実践を紹 介してもらう企画であるが,特に,附属養護学校の養護教諭による授業は,その後のrIV 附属養護 学校参観」の導入も兼ねるものである。rlV 附属養護学校参観」は「子ども」や「教育」について 触れ,考えるための目標をもつ。附属養護学校を参観すると,多くの学生は「そこにr教育』の原 点を見た」とか「初めは睡る譲るであったが,子どもを可愛いと思うようになった」という感想を

もって帰ってくる。なおこの附属養護学校の参観を3年次生に実施するのは,採用試験の願書提出(4 年次生の5月)前に,特殊教育諸学校というものを全員が必ず垣間見てほしいからでもある。

 rx 学校参観」は茨城大学の近辺に位置する特殊教育諸学校4校を参観するものである。この4つ とは,盲学校,聾学校,および肢体不自由児と精神薄弱児(知的障害児)対象の養護学校である。ほ かに病弱児対象の養護学校も県内にはあり一時期は参観を設定したが,近年は略している。

 参観の日程については,子どもたちの様子を参観するということから,低学年の子どもが学習して いる午前中を参観時間(9時〜12時)にあてている。また実施時期は,小学校実習と中学校実習を終え た後の「事後指導」となり,4年次生の10・一11月という卒業研究の追い込み期にぶつかるので,時間 のやりくりで苦労するところである。

(5)

3参観の視点

 従来,特殊教育諸学校の参観にあたっては,簡単に「①障害児教育の実際を知ること,②そこでの 学校保健活動の特性と養護教諭の役割について理解すること」をねらいとすることを当該校に伝え,

指導の内容や方法の詳細については学校に任せていた。数年間の様子をみてみると,多くの学校で は,養護教諭による講義(講話)だけではなく,学校長やその他関係教員による講義があった後に,学 校全体を巡回しながらの教育活動の参観や施設設備についての説明がなされる方法をとっていた。そ こで,従来の指導の時間的枠組みを前提にしながら,1994年度においては学生に対して細かな観察 の視点を明示することにし,あわせて実地指導講師の養護教諭に対して,同じ趣旨の指導の依頼を

した。

 学生に示した参観の目標と内容は,表2の通りである。特に筆者が留意したことは,特殊教育諸学 校においてなされる養護教諭の仕事といっても,特殊で難しいものととらえるのではなく,普通一 般のどこの学校においてもなされる養護教諭の仕事の基本と同じであることの確認である。すなわ ち,子どもの実態に応じ,子どもを理解し,子どもに寄り添う姿勢が重要であることである。そし て,その一方で子どもを丸ごと理解することを学生に納得してほしいと思っているが,障害児を対 象にした場合は,そのことがより一層明瞭にみえてくることであるので,障害児理解を通して,f子 ども理解」という一般教育の基本の深化をもはかりたいと思っている。すなわち障害をもっている 場合には,その障害だけに目を奪われがちであるが,それのみにとらわれてしまうのではなく,そ の障害によって起因する精神面や生活面への影響。支障をとらえる視点が大切であり,また一方では,

障害があることはマイナス的にのみ作用するのではなく,プラス的な受け止め方もできること7)を理 解させたいのである。そのためには,実地指導講師の養護教諭に対して,在籍児童生徒の病名を羅 列して紹介・解説することよりは,典型例を紹介してほしいと要請した。学生がよりリアルに子ども を理解することができるためには,そのような子どもへのイメージをふくらませることができるか どうかにかかっている。イメージが可能になった時,子どもに寄り添う視点が学生自身の内から明 瞭化され,具体的な関わり方も見いだせるようになると思われる。

 また,障害をかかえている子どもに対しては,多くの関係者が役割分担しながら協同的にかかわり をもっているものである8)。そのような子どもへの関わり方を通して,子どもへのサポートシステム を確認することも可能になる。

 障害児理解や障害児教育理解ということは,単に障害児教育に携わる者のための学習課題というの ではなく,いわゆる「子ども」理解・「教育」理解の基礎的要素として,また理解の円滑化をはかる

「教材」として貴重な意味をもつものになろう。

(6)

表2特殊教育諸学校参観の目標と内容

(1)講義 ①当該校の子ども達の様子を理解する。

     ・典型例rw障害を抱える子ども一人ひとりの理解をはかる。

     ・障害の病理のみではなく,障害を抱えて生活すること,障害を抱えて学習することなど,子ども       の全体像を理解する。

    ②障害をもつ子どもへのサポートについて理解する。

     ・上記事例の一人ひとりの子どもに対して,どのようなサポートをしているのか,具体的な内容       を理解する。

     ・医学的な面以外に,教育の場で行われている事柄を詳しく,また福祉制度の活用なども含めて,

      多様な人々(職種)のチームワークによってサポートされている様子を理解する。

    ③それぞれの養護教諭がその実践の中で抱いている信念・抱負・希望・展望などを知る。

     ・養護教諭が,毎日をどのような気持ちで子ども達に接しているのか,そのような思いに至った       のはなぜか〜養護教諭としての成長の過程を理解する。

     ・養護教諭としての基本的な姿勢・考え方を知る。

      *子どもへの関わり方についての基本姿勢は?  *子どもをどうとらえているか?

      * 障害 をどうとらえているか?など

     ・多様な養護教諭としての生き方(個性)があることを知る。

(2)参観 ①子どもの学習している様子および教職員の指導の様子を知る。

     ・一人ひとりの子どもの成長の様子や障害の様子を知る。

     e一人ひとりの子どもの思い(学びたい,理解してもらいたい,人と関わりたいなど)を理解しよ       うと努める。

     ・子どものニーズに応じて展開している教職員の関わり方を実際に見る。

     ・子どもに対する教職員のあり方を考える。

    ②配慮されている学校環境の様子を知る。

     ・障害を配慮した施設・設備の実際を見る。

     ・子どもにとって適切な環境のあり方を考える。

    ③障害児を受け入れている保健室の様子を知る。

     ・障害を配慮した保健室の配置や設備について実態を知る。

     ・障害を配慮した保健室運営の実態を知る。

     ・障害児を受け入れる保健室のあり方について考える。

 4 「参観」の成果と意義 一学生の感想文からの分析一

 上記3の視点をもとに,1994年度の4年次生は後期養護実習(中学校実習)を終了するやいなや,

10・11月に4つの特殊教育諸学校を参観した(附属養護学校の参観は3年次生の時に既に実施済み)。

そのときの参観した学生からは,参観後1週間以内にB5国大用紙でワープロ文字による感想文を提 出してもらっている。後日,感想文は抜粋して印刷配布した(氏名は削除して)。それらの感想文の 中から各1同ずつを抜粋して紹介したい(表3)。

(7)

表3 特殊教育諸学校参観後の学生の感想(抜粋)

  1)盲学校(1994.10.25)

 校舎は思っていたよりもとても広く,幅広い年代 に対応できるつくりだった。教室の数がかなりあり,

個別的対応が必要となる特殊教育の実態を知ること ができた。職員数も多く,かなりの人々が様々なセ クションで,視力障害をもつ者の社会的自立のため 協力しあいながら働く姿にその大変さを痛感した。

 子どもたちは,外見では何も変わらず,障害を抱え ているようにはみえない子が多かった。みんな,う ろうろしている私たちに興味がある様子だった。現 実的に小学校は半分が全盲という話だったが,授業 では,先生方のあらゆる工夫と努力のもと,その障 害を乗り越えて何かを学びとろうとしているのが伝 わってきた。_授業の風景を見ていても,先生方の 熱意が窺える。どこの教室の先生も明るくユーモア があって,私たちが考えていたよりも,とても和や かな雰囲気だった。先生も生徒も視力障害という現 実をうけとめ,その上で頑張っているんだなと思っ

たQ

 養護教諭の先生からは,様々な事例のもと興味深

い話をたくさんしていただいた。その中でも,先生

が涙を流しながら話して下さったB子さんの事例が

印象に残った。B子さんは,盲・精神薄弱・肢体不自 由の重複障害児で,その上腎不全を発症しこの学校 で亡くなった。この時,延命をとるか,楽しく学校 生活を続行させるかで関係者が悩んだそうで,私は 何だか胸が苦しくなってしまった。最終的に学校で 引き受けることになり,職員全員が協力些々でその

子を見守ることになった。結果的にB子さんは亡く なってしまったけれど,B子さんなりの人生を楽し んだのではないかと思う。養護教諭の先生もB子さ

んにとっては一生の恩師であり,悲しみの中から得

たものは大きかったのではないかと思う。B子さん

の=場合は,特に保護者との連携が重要で,教師は保 護者を支えていかなければならないのだと考えた。

私は盲学校を参観して,特殊学校ならではのゆっく りとした独特の雰囲気を感じることができた。視力 を失うことは本当に恐ろしいことだが,それでも人 生は続いていく。逃げずに新たな能力を発見し生き ていく勇気がなければと,考えてしまった。

 養護教諭はどんな時でも子どもたちに寄り添い,

勇気づけてあげられるような存在でいなければなら ないと思う。そして,子どもたちが安全に生活でき るように,より良い環:境を提供していく努力が必要

だと思った。

  2)聾学校(1994.11.1)

 耳が聞こえないとコミュニケーションをとること が難しいんだな,と感じた。人と話をするとき,そ の人の表情を見ることも一つだけれど,声の調子や 喋り方で相手の気持ちを読みとろうとすることは多 いと思う。まして,自分もうまく喋れないから,自 分の気持ちを伝えることも難しくなってくる。_授 業を見学し,手話と黒板の文字だけでいろいろ説明 するのは大変なことだと思った。しかし,今は集団 補聴器(ループシステム)という機械が導入されてお り,授業をやりやすくするための工夫もなされてい るみたいだった。学校の環境は,耳が不自由だとい うことを考えたいろいろな配慮がなされていた。あ ちこちに授業の開始と終了を知らせるランプがある のには驚いた。チャイムが当たり前と思っていたの で,私たちは学校では,こんなところで耳を使って いるんだと初めて気づいた。体育館に黒板があるの も不思議な気持ちがしたけれど,ここでは必要なん

だなと納得した。

 校舎はきれいでとても広々としており,なんとい っても掲示物が多かった。ここでは見ることが情報 を得る手段なんだな,と改めて思った。廊下には生 徒の作品がたくさん飾ってあって,どれも上手で作 品のレベルが高い。見ることで外部の情報を得る部 分が大きいので,見ることの能力が磨かれ,私たち よりも優れているのではないかと思う。高等部には 理容科や産業工芸科,被服科があるみたいだが,そ うした芸術性が必要な職業には適しているのではな いだろうか,と勝手に思ってしまった。聾学校見学 は,普段意識したことがなかった「聞く」というこ とを初めて意識したことで,本当に様々な発見があ り,とても勉強になった。

  3)肢体不自由児養護学校(1994.11.11)

 この学校参観で,初めて医療(病院)と教育(学校)

との連携を目の当たりにしたような気がした。なぜ

(8)

ならば,病院と学校が地理的にも連結していて2つの 機関の機能はそれぞれ異なるけれども,子どもの「最 低限度の生活を営む権利」を医療の面・教育の面から なんとかしてあげることはないか,という病院。教職 員の方の共通した考えを伺うことができたからだ。

正直に言うと,手術室もあり薬品の匂いの漂う廊下

をもつ,この養護学校は「本当にここが学校なのだ ろうか!?」と思い,また看護婦免許も合わせ持つ養護 教諭の話で,場合によっては子どもに注射を打って

あげることもあるとの事例から,「養護教諭って?」と

混乱し,「このような医療との関わりが多い学校の養 護教諭には,看護婦の資格をもつ人が配置されるの か_?」などと,私の推測は留まるところを知らず,

といった感じだった。

 しかし,ある男の先生の「_実は私はネ,子ども 本人の立場に立って考えられない所があるんですよ

_。ここの子どもは自分の生命を維持していくこと だけで精一杯で,ある意味では, 受け身 なもので すから,自分のやっていることが果たして本当に子 どもにとってよいとは限らないのだから_。でも,

自分たちのやっていることは 子どもたちを生き続 かせよう ということだから,それを信じて待つこと

しかできないし,その『待つ』ことが教育なのかも しれませんネ_」の言葉に,私は教育現場の実際(教 育の難しさ,教師の葛藤など)をイメージし,これか ら教師として教育現場に出ていく自分の有り二一理 想だけでは壁にぶつかるなどtvを考えるきっかけを 作ることができた。今まで私は「子どもの側に立つ」

ということを,ことある度に連呼してきたが,その 言葉のもつ重みについて,近ごろ,簡単に言えるこ とではないな_と思う一方で,たとえ指導できてい なくても,その子どもと一緒になって考えることが できる,即答を求めないr待つ』ことのできる,「粘 り強い」教師・養護教諭になりたいな,と考えるよう になった。「子どもの側に立つ」。これ以上,今の私 にとって重い言葉はありません_。

  4)精神薄弱児養護学校(1994.11.29)

 最初の印象がとても明るい学校だなと思った。新

しい学校ということもあると思うが,校舎中に太陽 の光りがいっぱいに差し込んで,こういう環境で生

活していたら気持ちも明るくなるだろうなと思った。

校長先生の話を聞いて私の心にズーンとくるものも あった。校長先生は「特殊教育というのは,子ども が特殊だから特殊というわけではない。子ども一人 ひとりに合わせて特別な手立てのもとに教育するか ら特殊教育というのである。また,子どもたちの障 害を見て,かわいそうにと思うのはよくない。この 言葉には優劣の関係があるし,哀れみや同情の気持 ちが込められている。子どもたちの障害は,例えば,

利き手が左であるのと同じように人間の個性の一種 と思えばよい」とおっしゃっていた。盲学校,聾学 校の参観ではこのような考えを持っていた私であっ たが,前回の肢体不自由児養護学校の参観で,子ど もたちの障害を特別な見方で見てしまっていたよう だ。今回校長先生がおっしゃってくれたことで改め て確認ができたような気がする。しかし,肢体不自 由児養護学校の子どもたちを見て「かわいそうに」と 思ったのは私の正直な気持ちであり,また,そう思 ったのは事実である訳で,校長先生がおっしゃって いたように心から素直に思えるほど,まだ私は人間 ができていないんだなと思った。

 養護教諭の先生の話はとても具体的でいろいろ勉 強になった。例えば健康観察の重要性。養護学校で は持病を持っている子が多いので,ちょっとした変 化も敏感に感じ取らなければならず,また精神薄弱 の子どもは痛覚が鈍い子が多いので,ひどいケガで もほっといてしまうみたいだ。ほかにも,歯科検診 の時歯鏡などは使わず子どもたちが普段使っている 歯ブラシを使うと子どもたちは嫌がらずに検査を行 うといった工夫もさすが現場の先生と思わされた。

最後に,養護教諭になるなら心掛けてほしいことと

して,専門はもちろん雑学も身につけて知識豊かな

人間になること,職業がら得た情報を守る義務,自

分が行った保健活動は常に反省するように心掛ける

こと,応急処置は絶対にあわてないこと,血液に触

らないよう注意することなど,現役の先生だからこ

そ言えるアドバイスをして下さった。今の私にはこ

れらのアドバイスも頭での理解だけではあるが,い

っか現場に立ってみて,これらの意味を身をもって

噛み締めていければいいなと思っている。

(9)

 以上1)一4)の参観は,導入としての附属養護学校の参観から約8カ月後に行われた一連の学校参観 であり,2カ月間のうちに行われたものである。

 各感想文からは,参観校である学校の種類(障害別)毎の特徴をとらえていること,および表2の 目標に照らしあわせて十分に把握していると言えるのではないかと思われる。また,それと共に障 害児教育に限定されない一般の教育に普遍化できるものもとらえていることがわかる。さらに学生 が一つひとつの参観の体験を踏まえつつ順次考えを深めていっている経過を認めることができる。

5 参観実施上の今後の課題

 特殊教育諸学校の参観を今後も続けていく上で,特に次のような課題があげられる。

 1)参観の方法について

 1994年度の学生の感想文のなかには,参観の方法に対する意見も記述されていた。例えば次のよ

うな内容である。

 ○短い時間内での見学ということで,表面だけの理解に止まってしまったような気がする。「健常 者」である私たちにとって障害を持つ大変さを理解することは長い時間をかけてもなかなかできな いだろうと思うが,やはり,以前附属養護学校でやってみたように,直接生徒と触れ合う機会を持 てないと,今一つぴんとこない,やはり,身近に感じられない,というような気がしてしまった。

 ○精神薄弱養護学校の健康観察の説明を聞いて,改めて専門知識の重要性を痛感させられた。それ とともにM先生の授業「障害児の保健」を思いだし,今になってもっときちんと勉強しておけばと 後悔の念にかられた。カリキュラムの都合もあるかと思うが,こういつた現場を見学できる機会が 1・2年生のうちに1度でもあれば,授業を受ける心構えも違っていたのではないかと思う。

 また,1992年度卒業生が提出した「今後の参観に対する意見」9)の中には,参観の人数に関する意 見が多くみられた。例えば次のようなものである。

 Ol日体験学習のようなものがしたかったと思った。45人で行っては生徒が驚くと思うので,各 学校に5名ずつ,数回に分けてなどできないだろうか。私だけかもしれないが,どうしても戸惑いが おきてしまう。1日でも子どもたちの中に入って,一緒に行動できたらこだわりがなくなるのではな

いかと思う。

 ○最初,養護学校を参観できると聞いて,「子どもたちと遊べるかな」と思いなるべく動きやすい 服を着ていった。しかし,予想とは違い本当に参観するのみだったのでとても残念に思った。また,

45人という多人数のため,子どもたちがこわがっていたのも事実である。今後は1日かげて,子ど もたちと接することができるよう一人1校の参観を望む。

 以上のような学生の意見から,カリキュラム全体の中での参観の位置づけ,特に早期の段階での参 観と,1回の参観の人数の問題について,今後も改善策を探っていきたいと思う。

 2)「統合教育」とのかかわりのなかで

 障害児教育に関しては,世界的な流れはr統合教育』であるにもかかわらず,わが国においては「学 校教育法」f学校保健法」などの法令のもと,r障害』が判定されれば「盲。聾・養護学校」という特

(10)

殊の学校に子どもを分離する形態をとることが基本となっている10)。就学時健康診断はその判定の 機会として位置づけられており,市町村教育委員会の責任において行われるものであるが,養護教 諭も教員の一員としてかかわることが多い11)。そこで養護教諭になろうとする者はそれなりに「盲

・聾・養護学校」について知っておくことは,大事なことではある。しかし,今日のr統合教育』を 指向する流れも汲み取っていく必要があると思われる。

 養護実習で配属された学校にダウン症の子どもや耳の不自由な子どもがいて,普通学級でうまく適 応しているケースに接したという学生も一部にみられるが,全体としては,学校現場で「統合教育」

が少なければそれを体験する学生の数も少なくなってしまう。

 「盲・聾・養護学校」のほか,障害を個性ととらえながら「健常者」と「障害者」のr共生』r共育』

が行われている実際の場面に,学生を出会わせることも,今後必要なことだと思う。学生全員を一 斉に引率して参観するという方法の限界も感じるところである。

1)日本学校保健学会「養護教諭の養成教育のあり方」共同研究班(堀内。小笠原・大谷ほか)rこれか

 らの養護教諭の教育』(東山書房,1991),pp.73 一 74.

2)大谷尚子・中桐佐智子が行った「全国養護教諭養成機関対象の養護実習の運営に関する実態調査」

 (1943年実施)による。調査結果の概要は全国養護教諭教育研究会第1回研究大会(横浜,1993.11.27)

 で報告した。

3)吉田瑠美子「実習校における養護実習指導一養護実習の現状と問題点一」全国養護教諭教育研究

 会心1回研究大会(横浜,1993.11.27)抄録集pp.18−19.

4)石原昌江「養護教諭養成課程における養護実習一斗山大学教育学部における教育・養護実習の改革  について一」全国養護教諭教育研究会第1回研究大会(横浜,1993.11.27)抄録集pp.12−13.

5)羽原貞夫「小学校教員養成課程学生における異種校教育実習の効果について一盲学校実習を中心  に一」「同一聾学校を中心に一」r教育実習研究年報』第1号,第2号,(岡山大学教育学部附属教  育実習研究指導センター,1990,1991)

6)佐竹毅「施設見学」茨城大学養護教諭養成所r茨城大学養護教諭養成所十年史』1978,pp.52−54.

7)大谷尚子「障害者と健常者がr共に生きる』ことに関する研究一『健常者』の側の問題を中心に  一」『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)』第40号,1991。pp.51−66.

8)毛利多恵子・大谷尚子「障害児の普通学級受け入れに関する研究一学校教職員の取り組みを中心に

 一」r卒業研究抄録集第13号』(茨城大学教育学部教育保健講座,1991),pp.45・一・48.

9)大谷尚子「特殊教育諸学校の見学を終えて」学生及び参観校への配布資料(B4判4枚),1993.

10)大谷尚子・加納孝四郎「子どもの権利条約と学校保健活動について」r茨城大学教育学部紀要(教  育科学)』第44号,1995.pp.191 一 209.

11)駒林美和「養護教諭の子ども観・障害児(者)観に関する研究一特に就学時健康診断のとらえ方か  ら探る一」r卒業研究抄録集第15号』(茨城大立教育学部教育保健講座,1993),pp.105−108.

参照

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