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塵究隔置一調難齢甚嘉筋翻隙 1牒研昇

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(1)

36ア

職業指導の現状と問題点

職業指導研究室猪     同   山

(1969年11月26日受理)

田 雄

涼 一

      (注)

 職業指導は,個人が職業上の意思決定をなすにあたって情報を決定に変換する過程にお いて,これに対し物質的支援を含まぬ他の一切の援助を提供する活動である。

 このように,職業指導が個人の意思決定に対する援助活動である以上,職業指導の現状 と問題点は,個人の職業上の意思決定過程の主要な諸側面について今日的な問題点を解明 することを通じて,もっともよく把握されるはずである。

 ところで,これまで職業指導の在り方を考える場合,個人の職業上の意思決定過程にま で遡り,そこに基礎を置いて検討する接近法はほとんど試みられなかったといってよい。

一つには,工業化の水準が,職務の単能化にともなう自己実現欲求の充足不全,多能化,

高度にともなう焦燥感の増大,移動の頻度及び速度の急速な拡大にともなう対人関係上の 隔絶感の深化など,すでに潜在的に存在していたもろもろの社会的緊張を顕在化させると ころまで飽和していなかったことによるが,また一つには,職業指導の領域における研究 の準拠枠として第1図に示すような初期の図式が遵守されてきたことによると考えられ   第1図       る。すなわち,個人の特性と職業の特性とを

塵究隔置一調難齢甚嘉筋翻隙

1牒研昇    業後の適応成立を講することがその躰的

 (注) 昭和37年(中学校)及び昭和38年(高校)の新教育課程実施に伴ない,学校の行なう職

業指導は進路指導と改称されて今日に至っているが,中・高校においては,通常進学指導と就職指

導とを合わせて進路指導と見なし,職業指導という言葉は就職指導とほぼ同義のものとして慣用さ

れる風がある。しかし進路指導も,職業指導も,ともにvocational guidanceの訳語であり,用語の

こうした無定見な改廃自体の中にも,わが国における職業意識の未成熟と職業指導の不毛とを見て

とることができる。

(2)

368 茨城大学教育学部紀要 第十九号

構図にほかならない。この構図はもともと職業指導の中核が適性(情意面を含まない)の 発見と,それに適合した就職あっせんにあると考えられたいわゆる特質理論時代に構想さ れたものであった。それ以降,能力面だけでなく情意面での適応をも重視する適応理論,

個人の職業生活での成熟過程を重視する発達理論と,つぎつぎに理論的成長を遂げたにも かかわらず,職業指導の実際は,この基本的図式を脱皮することはなかった。

 その結果,元来個人の「職業生活の在り方」に関心を集中させるべき援助活動であるは ずのものが,その基礎段階を省略して,直接「職業指導の在り方」からスタートするとい

う,ややもすれば制度論的検討に傾きがちな変則的な展開をたどらされてきたように思わ れる。もちろん,こうした偏向を是正しようとする意図は,スーパー(Super, D.E.)にお ける自己概念のインテンシヴな研究にも豊かに認められはするものの,なおその自己概念       D

は現象的水準においてとらえられがちなところに,指導を受ける個人を,「対象」として 見る前掲の基本図式の影響が残存していることを否定しきることはできない。ごく最近に なって,相談者・来談者関係の深層的機序を探ろうとする試みも出てはいるものの(たと        2)

えばアーバックル《Arbuckle, D. S.))).まだ部分的な試論の感がつよい。

 そこで,個人の職業上の意思決定過程を中心に職業指導を見なおすために,新しい図式 を試みに提示し,それに準拠して主要な問題点の解明を進めることにしたい。

 第2図に示すように,個人が職業上の目標を選択しようとする場合,そこにはいくつか の要因が多元的に影響を及ぼし合っている。それらの構成要因は,個人が望ましい職業上 の選択を行なうことに関して,あるいは促進的に,あるいは抑制的に作用する。個人はそ れらの要因の影響下に職業に関する見方考え方を熟成させ,やがて就業の時期を迎え,そ       れぞれ多様な職業経歴を辿ることに    第2図

      なる。

    社      「家族」の一員として生まれ育ち,

促進的関係  ←一→

抑制的関係  〉一一一く

望ましい 職業選択

主に父親を通して社会の遂行機能で ある職業生活の映像を見,「社会」

の通念や慣習から一般的職業意識を

はぐくみ,「マス・コミ」のもたら

す積極・消極両様に選別された職業

情報を吸収し,進路指導を受ける年

令に達すれば「教師」の強い影響下に

職業生活の場である実社会に対する

見方を築き,就業期に入ると「産業」

(3)

猪狩・山田:職業指導の現状と問題点 369

の行動特性の影響下に職業経歴を歩むことになる。こうして,そめ全過程を通じて育つと ころの自我は,日本の「歴史」に基礎づけられた陰影にとむ自我である。

 すなわち,個人はこうしたいくつかの主だった要因の影響下に,人間,社会,職業,人 生に関する価値志向を形成するのであるが,こうして形成された価値志向複合体は,ある 特性をもった情報処理機構として,個人にもたらされる職業情報を意思決定へと変換す

る。

したがって,これらの要因が個人に及ぼす影響のうちで,個人にとって望ましい職業上の 価値志向形成過程及び意思決定過程に対して,今日とくに抑止的ないし歪曲的に作用する 面を吟味すれば,職業指導の現状と問題点を,もっとも網羅的かつ総合的に明らかにする

ことができるように思われる。

  家族からの影響

 職業は,いうまでもなく個人と社会とを結ぶ連結ピンである。すなわち,社会にとって 職業とは,社会が個人に期待する効用であり,個人にとって職業とは,個人が社会に期待 する自己実現の場にほかならない。したがって,個人の社会化の過程とは,職業的成熟の 過程であると言い換えることもできる。個人の社会化はまず家族集団からの影響によって 始まる。多くの場合,こどもは父親を通じて社会の遂行機能を学び,母親を通じてその維 持機能を学ぶ。こうして,こどもは,父母及びその相互関係に投影された社会との濃厚な 接触のうちに,その職業的成熟過程の第1歩を踏み出すわけである。

 ギンッバーグ(Ginzberg, E.)にょれば,職業選択の過程は幼時期からの積み重ねの中に 行なわれるものであって,通常は10年以上もの連続的にして不可逆的な道程を経て完成す      3)

るものである。この中で,幼時期から青年前期にかけての問(ギンツバーグの職業的発達 段階でいえば空想時代((fantastic period》から試案時代((tentative period》にかけて)

こどもが職業上の意思決定に関して家人から受ける影響の甚大なことはさまざまな資料と 研究によって裏づけられてきた。たとえばロー(Roe, Anne・)は幼時期の哺育における 愛情の濃淡が青年後期における職業選択を左右する可能性があることを実証的に明らかに    4)

したし,またわが国においても,小学校,中学校,高等学校を通じて,職業選択上家庭が いかに影響を及ぼすかについては,つとにさまざまな角度から調査研究がなされている。

      5)

 一例として,大西氏の調査を集約して示せば第1表のとおりである。これによって見て も家庭の影響が小学校上級を頂点として中学校段階までは相当直載に現われていることが わかるが,家庭の影響のうすれはじめるところから自己実現の欲求が強く作用しはじめる

とをも同時にご読みとることができる。

(4)

370 茨城大学教育学部紀要 第十九号

第1表理想職業選択の理由 (大西氏による)

i小学下t小学上陣学隔校}大学 1,あ三がれ

2.家庭環境の影響

・。}4・

14125 241 2t 1 151 6i 4

3.特定の態度

a.自己の興味,能力,適性 4 131 1gl 46148

b.自我実現の要求 0 0 6i 171 18

4.社会国家への奉仕 1

5 9 14{ 13

5,経済的理由 0 0 6 5 11

6.時勢の影響 3 8 「・

P

4

1

7.そ の 他 0 O 2 5 3

8.無

37

P 9 O 0 0

 このことは,単に家族からの影響が一過性にこどもの意識の表層をかすめる性質のもの でなく,自我の形成によってその深層構造に埋蔵されるといった立体的構造をもつもので あることを想定させるに充分のように思われる。これは,主としてアメリカにおいて,個 人の職業上の達成が,その自我の形成期における父親シンボルとの抗争と深く相関してい るとする資料や研究が少なくないこととも符合している。

 進路相談の多くの事例からも明らかなように,家族の影響の中でも父親の職業及びそれ に対する父親あるいは母親の態度がこどもに及ぼす影響はことに大きい。こどもはその置 かれた状況の余儀ない制約からして,父親の職業に対する父親及び母親の態度を自分自身 の職業選択上の手がかりとせざるをえないし,職業情報提供の制度的未成熟は,この傾向 を一層極端にする危険性をはらんでいる。

 こどもが,こうした状況の下で,好むと好まざるとにかかわらず,変貌する未来にかか

わる職業進路上の決定をしなければならないとすれば,それはきわめて憂慮しなければな

らない問題といわなければなるまい。もちろんこの催れは,こどもに職業世界を謙訳する

役割を担っている父母なかんずく父親が,未来に対する鋭い洞察と人間に対する深い理解

を保有することによって緩和されるだろうことが期待される。しかし,この期待は必らず

しも現実的な期待とはいえない。なぜなら,ドラッカー(Drucker, P・R)も指摘するよ

うに,今日の若者の問題はその父親の世代である中高年者の問題と密接不可分に関連して

いるのであり,若者たちの反抗する現体制は,父親に投影された現体制にほかならないと

考えられるからである。「最高の職位に就く人たちは別として,そうでない多数の中高年

(5)

猪狩・山田:職業指導の現状と問題点 371

知識労働者(つまり青年たちの父親)は,その社会的地位と収入にもかかわらず,仕事に       6)

飽きを感じ,満足感もうすれ,無力感にさいなまれている。」からである。

 こうして,若者の父親に対する態度が,積極的であれ消極的であれ,それは若者自身の 職業選択を無批判に父親の職業に類同のものとするか,あるいは非相似のものとするかの 両極反応を導くこととなる。このような事態が今日の若者たちにとって不幸であることは いうまでもないし,このように無省察なるがゆえに非現実的な職業選択が将来の進路を一 層不安定なものとするであろうことは想像に難くない。

  社会からの影響

 家族からの直接的影響を脱し,職業を自分自身の問題として対象化できる段階(それは おおむね青年中期と考えられるが)に達したとき,若者たちは職業生活をどのようにイメ ージするであろうか。この段階で彼らに直接作用しはじめるのが,わが国における一般的 雇用慣習である。(社会が個人に及ぼす影響は広範かつ多岐にわたることはいうまでもな いが,影響の作用点を職業上の意思決に限れば,その作用点に応力を集中させるのはその 国の雇用慣習である。)

 日本的雇用慣習は,年功序列,学歴主義などさまざまな側面について論じられるが,こ れらの根幹をなす中核的慣習は封鎖的雇用である。第一次大戦後の産業の再編成と新興財 閥の形成期には,日本でも大量の労働移動が見られたことはすでに大方の指摘するところ であるが,それにもかかわらず封鎖雇用という日本的慣習はその本質を変容させることな く,今日に至っていると見ることができる。なぜなら,封鎖雇用の人闘関係的側面を深く 規定する経営家族主義は,江戸中葉から昭和に至るまで一貫して観察することができるか

らである。江戸時代すでに家業というたしかな概念で集団の結束を達成することのできた 経営は,明治時代を通じての工業化の衝撃を成功裡に受けとめることによって,経営家族 主義の有用性をますます確信することとなった。

 こうした状況を一般的背景として,わが国において「就職」ということばが「就社」と いう概念に無意識にすりかえられてきたことは無理からぬことだったといえるかも知れな い。今日新しい時代の胎動を敏感に感じとっている若者の場合でさえ,「就職」と「就社」

とを感覚的にも意識的にも弁別している者はきわめて稀である。したがって日常 「お仕 事は何ですか」ときかれると「松芝電気に勤めています」とか,「高松屋デパートに勤め

ています」というように勤務先を答。Nえて一向にあやしまない。このように 日本人が職 業をきかれたとき,職務を答えずに雇い主のことを答えるのは(以上のような)日本にお       7)

ける雇用の特殊事情からきているNNのである。

 欧米のように「仕事は」ときかれて「電気整備工です」とか「電話交換手です」と答え

(6)

 372      茨城大学教育学部紀要 第十九号

         ヨ る職業観のもとで成熟する適職意識と,わが国におけるそれとの間に相当の懸隔が生ずる のはむしろ当然というべきかも知れない。なるほど,アメカでも特定の仕事をしたいと心 に決めてきた者にくらべると,とにかく仕事にありつければよいと思って会社にきたもの       8)

の方が多いという臨床的な研究はある。だが,その調査対象が電力ガス会社という公益企 業であったことは所見を割り引いて受けとらしめるのに充分であるし,また,適職意識が 明瞭に形成されやすいアメリカでさえそうであったと見るほうがわれわれとしては正しい のかも知れない。

 いずれにせよ「就社」意識を基軸にして職業上の意思決定を行なう結果,選択の基準は いきおい収入の高低に集中してしまうことになる。近年職業安定所が学校に対して,募集 用のパンフレットだけで心を動かさないように指導してほしいという要望を提出したり,

地方によっては会社名を伏せて求人したりする動きが見られるのも,適性にもとつく職業 選択を誘導したいという願望によるものと思われるが,100年以上にわたって労働市場を 支配してきた雇用慣習そのものが変容しないかぎり,にわか仕立ての行政操作に効果が期 待されるものとも思われない。

  マス・コミからの影響

 昭和40年前後から,大学卒業者の就職希望会社の顔ぶれは大きく入れかわりつつある。

従来ならばペスト・テンにランクされることは決してなかった化粧品会社や中小メーカー が上位に進出し,長年上位にあった重工業のいくつかが後退していることは顕著に見てと れる傾向である。このような求職動向の変化は,それがたまたまTVスポットの頻度と訴 求度に比例するらしいところから,マス・メディアの職業選択に及ぼす影響が云々される

ようになってきたが,ここでとりあげたい問題はそのことではない。

 というのは,かりに求職動向がTVスポットによって左右されるにせよ, TVスポット の寡多強弱は巨視的には企業の成長性と比例関係にあり,若者たちは暖簾にこだわること なく可能性にかけるようになったのだと解することもできるからである。

 ここでとりあげたいのは,職業構造の変貌についてのマス・コミの取り扱い方が,あまり に技術論に偏っている点なのである。一つには物質的豊饒に対する盲目的礼讃に発想の根 をもつ未来論の影響もあるが,これからの社会変動に対する適応を論ずる構えが,あまりに も技術論的なのである。そのため,職業生活を通じての自我の完成という動的適応がない がしろにされ,職業活動の物的側面に対する静的適応の面しか強調されない傾きがある。

 これから新しく登場する社会を情報化社会として規定し,そのもとにおける人びとの在

り方を論ずる文献はすでにかなり早くからあった。それらの中で,今日もなお相当の影響

力をふるっているものに,リービット(Leavitt, H.工)とホイッスラー(Whisler, T. L.)

(7)

      猪狩・山田:職業指導の現状と問題点       373     9)

の論文がある。今から10年余り前に,今から10年余り後を予見して書かれたこの論文によ れば,情報技術の発達によって企業経営の中枢は一と握りのエリーFによって掌握されう ることとなり,大多数はルーティンな職務に従事するようになり,必然の帰結として中間 管理層のほとんどはその組織における役割を失なうこととなるだろうというのである。

 こうした見方は,たしかに一面において穿った考察を提供してくれるものであるが,こ れがわが国に導入され組織のこ極分解という形で喧伝されると事態はにわかに憂慮すべき ものとなる。というのは,著者らはこの論文の主文においては情報技術の飛躍的な発展に ともなう管理技術上の適応を取り扱っているのであって,人間の生存の仕方とその可能性 については論じていないからである。人間存在そのものの問題については,その末尾に

おそらく経営者の実施すべき最大の措置は,内部の心理的な措置となるだろう。……わ れわれは,組織に相反する個々人の価値観に関して,また若い人びとの行動特性に関して 伝統的な考え方を見直してみる必要がある。このような注文は大変むずかしいものである       9)

が是非とも必要なものであるNNと,ごく暗示的に指摘しているにとどめているのである。

しかもこの重要な点に関しては,その後10年余の行動科学的研究の積み重ねによって打開 の方策が着実に練られてきただけでなく,フォレスター(For rester, J.)のようなコンピ ュータ学者自身の口から,企業憲法を共通のルールとする以外は何ものにも拘束されない 自立した成員によって構成された組織こそ,もっとも人間的であると同時に能率的でもあ るという提言がなされている。

 しかし,わが国の現実は一般の理解に便ならしめる配慮からか,あるいは若干のセンセ

ー一

Vョナリズムからか,たんにその技術的側面のみを強調する声が大きい。その結果 能 力にふさわしい職業を選ぶということはつねに重要なことなのだが今後はいっそう重要な 選択基準になってくる といいながらも 日本も学歴偏重から脱して能力主義へ移行する だろうということだけでなく,将来の経済社会構造では,能力と職業の需要との間にバラ ンスがくずれるのではないかと考えられる・…一 つまり 知能の高い者と低い者とが不足 するNNわけで 能力はないにもかかわらず,能力の必要な仕事をさせられてコンプレック ス(劣等感)を感ずる者も出てこよう。他方,知能を必要としない職業も案外需要が強く ここでもアンバランスが生ずる。……今後はこれがいっそう激しくなるのだから,能力の ない者は,早めに能力のいらない仕事を選ぶほうが有利になってくる。フィラデルフィア の清掃局のボスは,市長より給料がよろしいそうだが,アメリカでは,きたない仕事,人 のやりたがらない仕事をやることによって,収入を多く得るという道がすでにできあがっ

   10)

ている という考え方が現われてくる。

 一見,能力のないものにとっては親切な職業案内のように見えるものの,たといフィラ

(8)

374 茨城大学教育学部紀要 第十九号

デルフィアであっても清掃局には勤めたがらない人が多いからこそ市長より高い給料を出 して労働力を吸引せざるをえないわけであって,「能力に見きりをつけて 人のやりたが らない仕事をやる。N方が有利ですよ」といわれて,親切なアドヴァイスを受けたと感奮す る人がいったいいく人いるであろうか。

 この種の論説は,他方の論説,たとえばこれからの花型職業はシステム・デザイナー一,

インフォメー一ション・アナリスト,およびリサーチ・ゼネラリストだといった論説とあい まって,人びとを一層深い コンプレックス。Nと,焦慮の中へ捲きこむにちがいない。こ うして,情報化にともなう技術的対応策がマス・コミで流されれば流されるほど人びとは 社会からの疎外感にさいなまれ,職業選択における正気の水準を下げることになる危険性 があるといわざるをえない。

 そもそも,情報化社会の出現は,社会を構成する諸制度が巨大システムに成長した結果,

巨大システム相互間の疎外現象が随伴的に発生し,その疎外を補償するために大量高質 の情報が需要されるようになったためにもたらされたものである。情報の大量生産,大量 流通,大量消費がその特質だといっても,それはあくまで現象面での話しであって,人び とが欲するからこそ,生産され消費されるのだという因果関係を見失ってはならないだろ う。また,情報技術に堪能でない人はだれも就きたがらない きたない仕事 に就くしかな いのではなくて,いわゆる能才型は必ずしも珍重されなくなる時代が到来するということ であって,その時にはたとえばその人が存在するだけで周囲を明るくするといった才能が 新らしい才能として再発見され再評価されるようになる点がきわめて重要なわけである。

 この面での人間再発見の努力が伴わぬ技術論が横行することは,今日の職業指導状況を いつそうむずかしいものにしているといってさしつかえないだろう。

  教師からの影響

 今日,もっとも多くの若者が第三者による職業指導に接しうるのは,いうまでもなく学 校においてである。したがって,学校で若者たちが教師からうける職業上の意思決定に関 する影響は総量においてきわめて大きい。

 しかも,個人について見ても,人生において親の次に・e・・一ソナルな関係を結ぶ入物は教 師である。この意味から積極的にせよ消極的にせよ生徒が教師から受ける影響は甚大なも のといわなければなるまい。

 ちなみにドラッカーはさきにあげた講演の中で,中高年知識労働者の問題の一環として 教師をとりあげ,自分の同僚の中にも社会からは高い尊敬を受けながら仕事に倦怠を感じ 満たされぬ心を抱いているものが少なくないと述べ,大学の大規模化とあいまってある意       6)

味では人間問係の疎外がもっとも甚だしいのは教育の分野かも知れないといっている。

(9)

猪狩・山田:職業指導の現状と問題点 375

A職業指導が制度的に組み込まれている中学・高校においては大規模化の問題はさまで深        ワ

刻な状況を呈しているとはいえないが,ますます技術化し細分化された諸種の活動のため に,教師自身が「書物を読む暇さえない」多忙さの中に捲こまれているという訴えはしば

しば耳にするところである。

 こうした状況ももちろん重大なより一般的な問題にちがいないが,ここでは問題を職業 指導との接点に限って論じたい。それは権力に対する両極反応についてである。わが国の 職業の社会的威信序列において,教師という職業が,その収入との関係において相対的に かなり高い地位にランクされていることは各種の資料の示すところである。おそらくは,

その一般的知識水準や行動の自由度にかかわるイメージがしからしめているのであろう が,このことは教師という職業を選択する過程において教師自身の動機形成になんらかの 影響を及ぼしていると想像される。この想像を肯定するとすれば,それが,マクレランド

(Meclel1and, D. C)の指摘するところのpowerとachievementとを識別しない日本 人の特性と結合したときにどのような現象を呈することになるだろうか。

 おそらく,それは一種の権威主義的傾向を呈するにちがいない。つまり,一方の極にお いては既存の権威に対する新しい権威の反定立をいざなうであろうし,他方の極において は,既存の権威に対するいわれのない同調を結果するであろう。両極のいずれに反応する かは新権威反定立への見通しいかんによるものと思われる。

 この傾向が,職業指導上の実践と結合するとどのようになるであろうか。一つは,社会 制度として新しい座を認められつつあるますます発展する産業に対する反嬢となり,もう 一つは産業に対する人材供給における恭順さとなる。まだ産業についてなにほども知る.と ころのない若者が,父親の職業いかんにかかわらず産業に対していわれのない反感を抱い ている事例は枚挙にい『とまないし,また企業からの要望をどのようにして満たしたらよい かを真劔に悩んでいる職業指導担当の(適材配置担当のではない)教師の例も少なくない

という事実がそれを物語っている。

 ここで問題として指摘したいのは,教師の産業への反擾それ自体,企業への恭順さそれ 自体では決してない。反擾も恭順もそれ自身の個々の具体的な根拠との関係でその妥当性 は吟味されるべきものだからである。ただ,権威へのこうした両極反応が,生徒の職業上 の意思決定過程に作用してその職業情報の解釈にあたって無用の先入見を与える可能性の あることを指摘したいのである。

  歴史からの影饗

 すでに触れたように,職業指導は,個人が職業との出会いを通して自我を形成する過程

において,その案内人ないし立会人として所要の援助を提供する活動である。このことか

(10)

376 茨城大学教育学部紀要 第十九号

らわかるように,目的は個人の自我の形成にある。職業が社会と個人との連結ピンである          り

という意味において,もろもろの教育の成果を,個人の自我形成へと職業の観点から総合 して行くことが目的である。

 こうして,自我の問題はつねに職業指導における中心的課題であるが,この自我の今日 的状況が職業指導上(というよりはむしろ個人の自我の形成上)どのような問題をかもし ているかが,ここでの論点である。

 明治の文明開化以来,わが国が西欧化の努力をひたすら傾けてきたことは,ウェーバー

(Weber, M)が近代化の指標として提示した呪術からの解放という尺度において必ずし も望ましい達成を示したとはいえなかったが,ことに第二次大戦後の民主化をきっかけに して,在来の日本人的自我の在り方を嫌わしいものと思わせる傾向に拍車をかけたことは 否めない。

 元来,西欧的な自我は対立する自我であり,東洋的自我は融合する自我であった。それ ぞれ,そのような自我の在り方において他者との関係を結ぶに当って,前者は当事者問に おける契約ないし取引という社会的技術を編み出し,後者は当事者間における思いやりと 気がねという美徳を生み出した。したがって,自我の領域においても西欧化を達成しよう とするなら,そもそも個々人の自我の貫徹を抑止する作用をもつ契約の概念を,呪術から の解放と同時に摂取しなければならないはずである。

 この過程が未成熟の間に,東洋的な自我からの離脱だけを遂げたとしたら事態はどのよ うになるだろうか。かつて融合によって疎外をまぬがれていた個人が,融合を脱皮したか わりに契約による協働を手に入れるというのでなければ疎外感は深化する一方となる。

 日本的な自我は日本的なりに,これに各自が疑いをもたぬ間は,内界と外界を結びつけ る役割を果たしていた。しかし,個の主張に目ざめるのに伴って,これまで制度的行動化 されていた思いやり,つまり五常十義に対する懐疑が兄弟長幼の間で相互的に抱かれるに 及んで,それとの均衡関係において成立していた気がねの心理的仕組みも分解の過程をた

どったと考えられる。

 この分解過程の進行と併行して,対人関係は空疎なものとなり,それにともなって職業 のもつ意味は貧困化する。このことは,数年来折にふれて実施されるホワイト・カラーの 意識調査において,「仕事は仕事,余暇は余暇」という割り切った職務観が若年者と中高 年者の別なく大半を占めるようになってきていることからも読みとることができる。

 しかし現に職場にある者は,貧困化したとはいえ,協働の成果がフィードバックされや

すい状況に置かれている分だけ,職業の意味を実感することができる。これに対して,い

まだ職業生活に入っていない若者たちは,身辺に経験する空疎な社会関係と軽量化した役

(11)

猪狩・山田:職業指導の現状と問題点 377

割意織を,そのまま職業生活に投映する。たんにそのままの投映ならまだしも,前項まで に触れたように職業生活への偏った誘導を受けることによって,未就業の現在の生活の方 が自由なだけましな状況であるというような錯誤に陥る危険性がある。

 こうして,西欧的な自我への脱皮を遂げる面でも不充分であり,東洋的ないし日本的自 我に戻るには余りに遠い地点に立っている今日的自我の状況は,若者の職業上の意思決定 にとらて不幸な事態をかもしている。

  産業からの影響

 最後に,職業上の意思決定に対して,もっとも直接的な作用を及ぼす産業からの影響に ついて見ることにしたい。

 わが国において,産業への人的資源の調達・配置に主導的な役割を果たしてきたのは人 事部門スタッフであった。このことは,19世紀の末葉まで,職能別組合の組合員が工場の 所有者たちから設備を借りうけて請負生産をするという形態をとっていたアメリカとはそ の人事管理の背景を著しく異にしている。

 すなわち,アメリカにおいては,人的資源の調達と配置は,かずかずの特権を保有する 職能別組合員である職長の手に委ねられていた。最近まで,アメリカの企業における人事 部門が純然たるスタッフ部門であったのも,このような背景のもとに理解することができ

る。これに対して,わが国の企業の人事部門は,江戸時代に完成された行政組織の影響を 濃厚に残しつつ,ごく特殊なライン部門として成立してきた。ごく特殊のということは命

令組織における権限の源泉であるトップから,人事権だけを一括して委譲されているとい う意味においてである。

 いうまでもなく,人事権はライン権限におけるもっとも重要な権限の一つである。こう した事情から,わが国の人事部門の行動規範はトップのそれと酷似していた。たとえば,

人事は疏明せず といった言い伝えがこの間の事情を物語っている。この言葉が 縞言 汗の如し という言葉とまったく相似であることにほとんど異論はあるまい。

 こうした事情のもとに,日本の管理者たちは,実質的人事権から久しい間隔離されてき た。人材の調達と配置という最も重要な仕事は人事部門において一括して行なわれた。こ のためわが国の企業では最も有能なスタッフを人事部門に集めるのが一般的だった。他方 ライン管理者に実質的人事権のあるアメリカにおいては,全組織的な人的能力開発の要請 が起こるまでは,人事部門は主として人事記録を保管する部門として可もなく不可もなし という人物が配置されていたのである。

 このことは,個人の職業経歴の開発上どのような意味をもっているのであろうか。第1

は,封鎖雇用の慣習とあいまってあなたまかせの経歴開発の気風を培った。就社した上は

(12)

378 茨城大学教育学部紀要 第十九号

雇用主の(ということは人事部門の)意のままに,どのような仕事にも選好なく従事しま すという態度を形成したのである。第2に,人的能力の開発上もっとも重要な役割を果た すライン管理者の,人事管理能力を育てることを困難にしたということである。第3に採 用予定者に対する注文が,必ずしもライン管理者の注文に合致しないという結果を生みが ちであったことである。

 このようにして,実際の就業上もっとも重要な意味をもつラインの注文を,進路指導者 は余儀なくミス・キャッチさせられ,その注文に恭順に適材を選び,いざ採用となって入 社した当人は,注文のずれに多少の戸惑いを感じながらも,採用されたからにはあなた委

せの能力開発,ということにもしなったとしたら,かりにそれまでの職業指導が理想的に なされていたとしても(このような仮定はきわめて成り立ちにくい仮定なのだが,それで もなお),当人が職業生活の当初において良好なスタートをきることは,非常に期待しに

くいことになるにちがいない。

  お わ り に

 さて,われわれは,個人の職業上の意思決定を望ましく誘導するにはという観点に立っ て,一連の領域について今日問題と考えられる事実を吟味した。事実とはいえ,錯鞍する 事態の性質上,充分に実証的な分析を試みることはできなかった。ただつとめて客観的な 吟味を旨としたことはたしかである。

 この小論の意図は,今日われわれが問題と感じ考えていることがらを仮説の形でも良い から総括的に掌握してみようというところにあつた。いちいちの論点を実証的に裏づけて いく作業は今後に残された課題である。

 なお,このような問題はどのようにしてよく解決されうるかについても,われわれは一 切触れなかった。というのは,これらの問題事態は,個々の問題点に対する個別的対策に

よって解決に導かれるとは考えなかったからである。つまり,全体をシマテスティックに 解決する総合的な対策が必要と考えたからである。

 その方向について,一言触れるなら,今日の社会を形づくっているあらゆる機能集団に おいて,個人の生存の基盤となっている職場集団を基礎集団化することがきわめて肝要と 考えている。そのような努力を通じてのみマスロー一一 J iMaslow. A, H.)のいうeupSychi−

     11)

an managementがもっともよく実現され,ひいては,フォンハイエク(Von Hiayek)

         12)

のいう新しい自由主義がはぐくまれると考えるからである。

(13)

αL

1 

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1

       猪狩・山田:職業指導の現状と問題点       379

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会東京大会提出論文)

参照

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