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監査報告基準の問題点

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監査報告基準の問題点

その他のタイトル The Problems of Audit‑reporting Standard

著者 高柳 龍芳

雑誌名 關西大學商學論集

巻 24

号 5

ページ 385‑403

発行年 1979‑12‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00020927

(2)

監査報告基準の問題点

高 柳 龍 芳

わが国においては,企業会計原則にしても監査基準にしても,その発展は パプリック主導型によるものであった。しかも,法規範である商法や証取法 の中に定められている会計の規定はかなり詳細に亘るものであるため,会計 職業団体が会計規範をば独立的かつ自主的に創出していくための素地は全く 無に等しかったといえよう。このような状況を踏まえた上で,監査基準の改 正問題を採り上げたいと思う。

監査基準の再検討に関し,私に与えられた課題は監査報告基準・準則であ る。監査基準の問題として回避できない一つの重要な課題は監査基準設定主 体に関する検討である。この課題は,監査報告基準の検討に際しても,当然 に採り上げられるべき問題である。

そこで,わが国の監査報告基準の中において極めて象徴的にその矛盾を内 包している「補足的説明事項」の問題を,一つの支点に据えることで,監査 基準設定主体を何処に求めるのが合理的であるかを論じてみたい。

なお,結論を先取りしてここに述べるならば,次の二点に要約できるであ

ろう。その第一点は,パプリック主導型で展開されてきた,企業会計原則お

よび監査基準は,簡用にして要約的な包括規定として残置せしめれば十分で

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2 ( 3 8 6 )   第 24 巻 第 5 号

あること。特に,監査準則の設定およびその実践はプライペート主導型に移 行せしめ,会計職業団体の自主的・自発的活動にゆだねることによって,監 査慣行を確立していくことが大切であること。次に第二点としては,監査報 告書の本質は,常に意見報告書でなければならず,情報報告書であってはな らないこと。いいかえれば,監査人は自らの監査意見に対してのみ責任を負 うことに徹する方向において監査報告書が検討されるべきであること。以上 の観点に立脚しながら,上記二つの目標地点に到達するための論理の軸とし て補足的説明事項の問題を採り上げることとしたのである。

ー . 後 発 事 項 に 対 す る 米 ・ 独 の 対 応 の 仕 方 に つ い て

後発事項に関するわが国監査基準の規定によれば,報告基準三において

「監査の対象となった財務諸表に影響を与えない事項であっても,次期以後 の財務諸表に重要な影響を与えると認められるものについては,監査報告書 に補足して記載するものとする」と規定し,なお,一層の具体的な事例とし て,監査報告準則五において,「合併, 買収, 災害等次期以後の財務諸表に 重要な影響を与える事項が貸借対照表日後に発生し,かつ,監査報告書作成 日までに当該事項が判明した場合には,監査人は,監査報告書に補足して記 載するものとする」と述べており, これは,米国における監査手続書第25 号「財務諸表作成日後の事項」 ( 1 9 5 4 年 ) にいう, 第二類型に属する後発事 項と同じ性格のものを規定していることはすでに知られている通りである。

しかしながら,わが国の監査基準に言う後発事項には米国のそれと比べて 以下のような特長があることを指摘しておかねばならない。すなわち,

①.この後発事項は財務諸表における強制的情報公開事項でないこと。した がって,

③.被監査会社によって公開明示なき場合でも,監査人は監査報告書で除外

事項として処理せず,補足的説明事項として記載すること。すなわち,後

発事項は財務諸表適正表示の条件ではない。しかも,

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監査報告基準の問題点(高柳) ( 3 8 7 )   3 

⑧.監査人の強制的記載事項ではなく「監査報告書に補足して記載するもの とする」という指示にすぎない任意的記載事項と解釈することが可能であ ること。

さて,ここで米国における後発事項についてみれば,すでに1 9 3 0 年代後半

(1) 

から種々の事件を通じてこの問題が論議されており, 1 9 5 4 年の1 0 月になっ て , AIA は監査手続書第2 5 号「財務諸表作成日後の事項」を発表して,過 去における論争に終止符を与えるべく,一連の見解を公表したが,その後引 き続いて,第3 2 号「意見の限定と差控」 ( 1 9 6 2 ) ,第4 1 号「監査人の報告書の 日付日に存在する事実の事後発見」 ( 1 9 6 9 ) , 第47 号「後発事項」 ( 1 9 7 1 ) と いうように, AICPA は,その見解を次々に発表して,監査人の後発事項に 対して採るべき処置を指示してきている。

ここで,後発事項と監査人の意見表明との襲連について明確な解答を与え た第3 2 号についてみてみたい。 この第3 2 号によれば, 「不十分な公開」 ( I n ‑ adequate Disclosure) という題の下に次のような表現がみられる。「適正な 表示にとって重要な情報は,財務諸表(関連注記を含む)に記載しなければ ならない。この情報が株式に関する報告書,すなわち,目論見書,委任状勧 誘書またはその他の報告書のいづれかに記載される場合には,財務諸表の中 においてそのことを申述しなければならない。被監査会社が適正表示にとっ て重要と認められる資料の公開,または注記に挿入することを拒否した場合 には,独立監査人は通常監査報告書の中間区分において,必要な補足的情報 を提供し,適切にその意見を限定しなければならない」として,それに続い て限定意見報告書の雛型を掲示している。

このように,後発事項が生じたとき,それが被監査会社の財務諸表の公開 に関して重要であるに拘らず開示されていないか,不十分な開示であると認 められる場合には,監壺人により意見限定されるべきであることを監査手続

(1)  S h o n t s  V . H i r l i m a n  C a s e ,  1 9 3 9 .   P o t r e r o  Suger C a s e ,  1 9 3 9 .  C e n t r a l   S p e c i a l t y  

C a s e ,  1 9 4 2 .  C o l o r a d o  M i l l i n g  C a s e ,  1 9 4 3 . 詳しくは,高田駒次郎著「近代監査報

告書論」中央経済社, 1 6 5 頁 。

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4 ( 3 8 8 )   第 24 巻 第 5 号

書第 3 2 号は明確に指示したのである。

他方,西独の場合であるが,第二次世界大戦後の激しい経済変動下の中 で,法定の三ヶ月という決算書作成期間さえ十分に守りえない企業が続出し ていた。そのため,時機遅れの決算書を受領するという投資家の保腹対策の 一つとして,貸借対照表日後に発生する重要な事項の取扱いが問題となっ た。これに関しては,・ 1 9 5 3 年にドイツ会計監査土協会中央専門委員会による 1 / 5 3 号見解「事業年度終了後に発生した特に重要な事項への報告義務に関す る監査証明」が公表された。この結果,監査証明書に採り上げることによ り,監査人は後発事項を監査意見に直接関わるものとして認識するようにな ったのである。西独においては,すでに, 1 9 3 7 年株式法の中で, その第 1 2 8 条第 1 項に「当該営業年度終了後に生じた特に重要な事項に関してもまた,

これを報告することを要す」と規定しており,後発事項が会社の作成する営 業報告書において記載さるべきことを義務づけているのである。したがっ て,被監査会社が営業報告書において,後発事項を記載していなかったり,

これに関して不実の記載をなしている場合には,監査証明書において監査人 は意見を限定もしくは拒絶することになるのである。

さて,ここで指摘したいのは,米国においても,西独においても,重要な 会計処理や,監査問題に関し解決を迫られている場合,その解決の方策は,

プライベートセクターとしての会計識業団体の手によってすすめられてきた という事実である。会計識業団体は永年に亘って努力を重ね,自らの手で会 計実務の中からその慣行を産みだし会計規範を構築してきた。このことは会 計に関する基準の確立についての関係ばかりでなく,監査に関する基準確立 についても同様に云えることである。会計職業団体は,監査を実践する過程 の中において監査慣行を樹立し,自らの責任によって監森規範を構築してき た。このようにして,監査の規範は,会計規範と歩調を合せ乍ら一体となっ て会計職業団体の実践の中から産みだされてきたのである。

さて,他方,わが国をふりかえってみるに,後発事項が監査基準の中に採

り上げられたのは昭和 3 1 年の改正においてである。補足的説明事項と銘打っ

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て登場したこの後発事項は監査意見の範疇に属するものとしてではなく,情 報提供の性格を保持した形で監査報告書に記載されることとなったのであ る。したがって,監査人の責任という観点からすれば,その存在意義はかな り不明確といわねばならない。この後発事項は,その後における基準・準則 の数度の改正にも拘らず放置されたままになっているが,その理由は次のよ うに考えられるであろう。すなわち,まず第一点として,わが国の場合,こ の種の問題に関しては,社会的な緊急事として発生した事件もなく!かとい って,この問題は,先進諸国においては重要な事項として採り上げられてい る開係上,監査基準の中に何らかの指示を与えざるをえなかったことと,そ の第二点としては,わが国の会計職業団体が実践界において大きな勢力とし て成長しておらず,したがって,企業会計原則や監査基準形成の牽引力とな りえていなかったことが,大きな原因となって,これへの対策と改正が放置 されてきたといわざるをえないであろう。

二.監査基準の設定主体に触れて

さて,近年,続発する大型企業の粉飾決算と倒産劇は,企業会計制度およ ぴ監査制度に対する緊急な改革を喚び起し,商法および証取法の改正を通し て,会計監査人制度の導入をはじめ,中間財務諸表,連結決算の公表と監査 の強制など次々に着手され実行されてきた。また,他方,国際会計基準の設 定といった世界的な規模での企業会計のあり方,情報提供機能に重点を移す べき財務諸表の性格の再検討などに対応する必要から,目下,企業会計原則 の再改正が求められつつある。ここ数年来,学界においても企業会計基準の 再構築に関し,しばしば論義が繰返され始めるとともに,監査制度の改革と の関わりにおいて,監査基準の再検討もようやく緊急事として認識されるよ

うになってきた。

現今,わが国のみならず,米国にあっても会計基準の再検討に当り,その

設定主休がどうあるぺきか,その組織をどうするべきかについて真剣な取組

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6 ( 3 9 0 )   第 2 4 巻 第 5 号

が行われて来た。同様にして監査基準の検討を問題にするに当っても;その 設定主体をどこにおくぺきであるかについて当然問われることになるであろ

う 。

ところで,監査の基準に関する設定主体の問題についてみる限り,先進諸 国においては余り議論の対象となっていなかったように思える。その理由は 次のように考えることができるであろう。

米国においては,法定監査制度が導入されたのは 1 9 3 3 年における連邦証券 法の成立によってであるが,これを遡る 5 0 年前の, 1 8 8 2 年にニューヨーク市 会計士協会が設立されており,それ以来,監査に関わる実践的諸問題は,殆 んど会計職業団体の自主的な努力によって解決されてきており,法定監査制 度が導入されてからも,常に,監査人の独立性の保持や,監査実践上の諸問 題への取組みはプライベート主導型によって行われてきたのである。又,西 独においても,この事情は同じである。 1 8 9 8 年にドイツ帳簿監査士協会が設 立され,その後 4 0 年を経て, 1 9 3 7 年の株式法による法定監査制度の全面導入 の頃には,監査実践の規範は会計職業団休の自主的な取組みによって確立を みているのであり,その後の会計職業団体の活躍は,さらに一層の監査規範 の整備に捧げられてきたといってよいであろう。

以上のように,先進諸国にあっては,歴史的な発展過程の中に,自らの規 範と

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して,会計職業団体が監査の基準を確立してきたのである。このこと は,会計の諸原則の確立についても云えることである。会計慣行は,会計実 践の過程で生まれ,成熟を続け,そして規範として形成されていく。米国に 例をとるならば,その発展の過程においては,政府機関である監督官庁の指 導や,会計学界からの理論構築の協力など幾多の影響を蒙ってきたとはい ぇ,会計原則の成立に当っては,会計職業団体の自主的な活動こそが大きな 原動力となっていたといえる。

監査人は「会計原則の番人である」といわれるが,このことは,まづ会計

の基準がすでに確立していることを前提としている。したがって,会計基準

が確立していないところにあっては,会計基準の守護主体について論ぜられ

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るべき近代的監査理論の発生する余地もなく,さらには会計基準守護実践に ついて語るべき監査の基準が生成することも不可能となる。会計は実践過程 を経ることでその基準を生成せしめる。会計基準の確立がなされて,はじめ てそこに監査の実践が意味を持ちはじめる。会計基準生成の後を受けて監査 基準が生まれでるのは自然の成りゆきであろう。そのため,諸外国において は,会計基準設定の担い手が,当然に会計職業団休であったことから,監査 基準設定の担い手についても,とくに問題とはならなかったと考えられる。

最近設立をみた FASB 運営機構の形態にみられるように,会計基準の設 定主体への協力を会計職業団体にのみ依存させることの是非が,米国におい ても論じられているが,過去永年に亘り,会計基準設定の担い手として大き な役割を果してきた中心の部分は,会計職業団体である。 SEC の強力な指 導監督下にあるとはいえ,`会計基準の設定に関しては会計職団体の自主的創 意にゆだねられてきたのである。この関係は,監査基準の設定についてもい えることであって,これもまた同様に,会計職業団体の手によって形成され てきたといえよう。

他方,西独においても,会計およぴ監査に関する基準は,包括規定として 株式法の条文に極めて簡潔に規定されている以外,その実践に当っては,一 般の慣行にゆだねられているのである。会計職業団体は永年に亘って,会計 およぴ監査の実践に関して問題の生ずるごとに,自らの責任において専門意 見や専門見解を世に問うことで会計慣行を作りあげてきたのである。硯在公 布されている西独の決算監査原則はこのような会計職業団体の過去における 諸見解の積み重ねがあって,一般に認められた監査慣行として集約され確立

されるに至ったものである。

さて,わが国の場合をここで振り返ってみると,企業会計原則といい,監

査基準といい,これらはともに企業会計審議会というパプリック主導型で作

成されてきた。当時,敗戦という経済界の壊減的状況に加えて,会計およぴ

監査に関する慣行も成育しておらず,ましてこれら原則や基準設定の基盤カ

となるべき職業会計人は質・量ともに全くの非力な存在でしかなかったとい

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8 ( 3 9 2 )   第 2 4 巻 第 5 号

える。したがって,当時にあっては,企業会計制度の育成,それの規範の確 立促進に関し,同審議会の貢献は極めて大なるものがあったと評価できる。

その後の会計慣行発達に果してきた同審議会の役割も引き続き大きかったと いわねばならない。

しかしながら,このようなパプリック主導型の企業会計制度発展のあり方 は,急速な進展を保障したものとして, その貢献度を高く評価できるもの の,他面において,安定を保った健全な会計制度の発達にとって,必らずし も有効であったとは断定しがたい面がうかがわれるのである。わが国の監査 人集団が極めて脆弱な体質しか持ちえず,経済的危機に直面すると,一部に おいてみられる現象であるとはいえ,たちどころに短所を暴露してその独立 的精神を喪失してゆくという状況が至る処に現われてきたのである。

加えるに,法律万能主義の支配力強いわが国においては,制度化をなるべ く法規範の制定によって解決しようとする他律主義的な傾向がみられること である。会計および監査に関していうならば,本来,包括的規定として制定 しておき,その細部に亘っては,慣行にまかせておくぺきが,健全なる会計 制度確立の方向であるに拘らず,わが証取法も,さらに商法も,これに追い 打ちをかけ,極めて綿密な会計規定を法規範としてもり込むような状況であ る 。

企業会計原則にしろ,監査基準にしろ,本来,実務慣習の集積の結果とし て職業専門家の選定を経て成熟し,健全な発展を遂げるのが望ましい。会計 職業団体こそが,職業専門家の代表として,会計実務慣習の成熟を果す役割 の担い手でなければならない。

制度というものは,社会的な要請に応じて機能しうることが大切である。

勿論,制度の最頂点には,法規範が存在し,制度運用の指導的役割を果すべ

く,その下ににおいて,政府機関をはじめ,パプリックセククーの活動が存

在することを隠めるにやぶさかではないし,さらに,これらパブリックから

の影響を多く受けることも止むをえないであろう。その上,会計諸原理の研

究を通じて実践界に多くの示唆を与え続けてきた会計学界の啓蒙力も無視す

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監査報告基準の問題点(高柳)

ることはできないであろう。しかしながら,多くのこの種の環境的刺激を享 受しながらも,会計職業団体が自発的な創意と工夫,常に公正不偏であるべ き独立的な立場,そして自らに責任を課すべき良心的な態度を保持すること によってこそ,企業会計制度は真に健全な運用をば可能となしうるのであ る 。

その点,歯に衣着せずいわせてもらうならば,わが会計識業団体は,法に よる,国からの,他律的な支えという甘えの構造休の中を生き続けてきた。

このことが,会計職業家にとって絶対的に不可欠であるべき独立性の保持と いう,精神構造に対してさえも腐蝕の作用を及ぼすおそれを残した。このよ うな漿境的に脆弱な構造体の中から, なるべく早く脱脚を計ることを心が け,自らの手と足とで立ち上ることが,会計職業団体に対してかけられる会 計制度健全化への期待でなければならない。

三.会計職業団体の独立性について

マウツによれば,監査人の独立性を論じた彼の著作の中で「会計実務家 は,独立性を欠いているという,なんらかの外観を避けねばならない。……

さらにこれにつけ加えたいことは,個々の会計実務家と同様に,全体として の専門職業においてもまた,独立性を欠いているという,なんらかの外観性

(2) 

を避けねばならない」と述べて,会計職業全体の独立性を強調している。

わが国の監査基準においては,一般基準のーで,監査人の外観的独立性,

二で,その精神的独立性を謳っているが,これはいづれも監査人個人に関す る独立性の問題であり,上記におけるマウツの述べた会計職業全体の独立性 について触れている訳ではない。わが国でも,会計職業全体についての独立 性欠如に関し,折にふれて識者による批判や対処の方法等,散発的に見出さ れはするが,この問題に関してそれ程,積極的かつ組織的な検討が加えられ ている現状ではない。

(2)  M a u t z ,   R . K .   &  S h a r a f ,  H .   A . ,   The P h i l o s o p h y  o f  A u d i t i n g ,  1 9 6 1 ,  p .   2 0 9 .  

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1 0 ( 3 9 4 )   第 24 巻 第 5 号

近時,企業の社会的責任が問われ,そのような観点から,監査人の責任に 関しても問い直しの問題が生じてきた。企業に対する公共からの社会的要請 が高まるにつれて,公共と企業との間には,絶えざる利害の衝突が生じ,社 会が企業に求める要請と,企業が社会に捧げる貢献との間には,絶えざるギ ャップが発生し続ける。このような状況下にあっては,監査人こそが,企業 の利害と公共の利害との狭間に立って,その間のギャップを埋めうることを 期待される存在となるべきであろう。そのためには,監査人は単なる職業専 門家としての個人的な態度としての独立性を求められるだけでは足らず,会 計職業全休としての独立性が問われざるをえないことになるであろう。

監査人の独立性について論ずる場合,裁判官の独立性が対比してよく引用 される。憲法第7 6条第 3項によれば「すべて裁判官はその良心に従い独立し てその職権を行ひ, この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定されてい る。ここでいう独立性とは裁判官がその職権を行使するに当り,外部との関 係においても,また内部関係においても自己以外の者の意思に従うべきでな いことをいっている。この裁判官の個人的な独立性は,さらに,立法行政か らの司法の独立という職業全体の独立性がその支えをなしているのである。

さて,監査人もまた職務行為をなすに当っては,裁判官の精神的態度と同 じく,良心に従い独立してこれを行うことにかわりはない。監査人が監査を 実施するに際して常に公正不偏の態度を保持するとは,このことを意味して いる。監査人の場合,ただ裁判官の独立性と異なるところは,国家又は他の 外部の権力によって支えられるといった性質のものではなく,常に自らのカ に依ってその独立性を保持し,かつ創出してゆかねばならない点にある。

また,裁判官の独立性と比較して,さらに監査人のそれが異なっている一

つの大きな特長は職務のあり方である。裁判官が良心に従って職権を行使す

る場合の意味するところは,彼が被告およぴ原告のいづれかの立場に立って

判断を下してはならないということである。彼は両者の言い分を独立の立場

において聴取し,その結果,公平に判決を下すのである。すなわも,被告の

犯した罪を立証すべく証拠を収集する検事という人格, 並ぴに, これに対

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し,被告の申し立てをより有利ならしめるための弁護士という人格との間に 立って,彼らとは完全に独立した人格としての立場において判決を下すのが 裁判官の職務のあり方である。

この点に関して監査人をみるならば,彼は,監査実施の過程の中で自ら証 拠を収集しかつ自らこれに評定を加えねばならない。その意味では裁判にお ける検事の役割を果している。また,彼は,監査の結果に関してまづ依頼人 に対し助言勧告を行なう。その意味では,裁判における弁護士の役割を果し ている。その結果を受けて,彼は,監査の最終的段階として自らの良心に従 って意見を表明することになる。その意味では,裁判における裁判官の役割 を果している。

ドイツ会計監査士会の監査職務規則皿自己責任の原則の中で, 「自己責任 は,監査人がその判断を自ら行い, その決定を自らなすことを要求してい る」と述べている。裁判官が検事や弁護士という利害対立する人格とは全く 無関係の立場に立って,判定を下すのとは異なって,監査人は,一つの人格 の名において,検事と弁護士と裁判官という三つの役割を演じなければなら ない。監査人は事実の謁定を自らの責任で行い,処理の適否を自らの責任に おいて判断し,監査意見を自らの責任において表明しなければならない。し たがって,監査人は,自らの認定,判断および意見表明に関して過ちを犯し た場合には,そのすべてに関し自ら責任を負わねばならない。彼の自己責任 の原則とはそのような性質のものなのである。

このような立場からみて,監査人には,独立性を自らの手で創出していか

ねばならない事情にあることが納得されるであろう。また,すでに述べたよ

うに,監査には個人的な意味での独立性と,会計職業全休としての独立性と

があって,この両者が相まって確立されることによって,真の監査人の独立

性が完成されることになるのである。 しかも, この独立性は裁判官のよう

に,国家権力によって保証されるべき性格のものでない以上,監査人はその

独立性を自律的立場において創出していかねばならない。権限として附与さ

れている裁判官の独立性とは,まさに対象的で,義務として課されているの

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1 2 ( 3 9 6 )   第 24 巻 第 5 号

が監査人の独立性であるといいかえることもできるからである。

このような義務としての独立性が監査基準に表現されていると考えてよ い。それ故,自らに責任を課すことによって貫徹される監査人の独立性基準 は,他律的にではなく,監査人自らの力によって確立されるべきであり,そ のことはまた,監査人に負わされた宿命であるというべきであろう。このよ うに,独立性基準の設定を自らの手で解決していかねばならないとするなら ば,監査人の主体を取扱う基準としての人的基準は,会計職業団体自身のカ で確立すべきが妥当であると考えられる。

以上のような観点に立って考えるならば,最終的な監査意見に対し,自ら 責任を負うぺき監査人の立場からすれば,監査行為の基準であるべき,監査 実施基準にしても,また監査報告基準にしても,自ら判断し,自ら決定すべ

き監査人自身の手によって生みだされるのが自然の成りゆきである。

このように考えるならば,監査主体並ぴに監査行為に関する基準は,とも に会計職業団休の手によって設定されることが最も望ましい。このような作 業を自らに課すことによって,会計職業団休の独立性もまた自覚と信念の中 に創出されてくるのである。このことは,結果的にいって,個々の監査人の 独立性をも保証することに連なっていくと考えることができるのである。

四 . 監 査 報 告 書 の 性 格 に つ い て の 検 討

さて,ここで論を戻して補足的説明事項の検討に移りたい。この補足的説 明事項が監査基準の中に採り入れられてから 2 0 余年を経て,今日なお,改廃 されずそのまま存置されていることはすでに触れた通りである。もし,わが 国において,企業会計原則および監査基準の設定が会計職業団休というプラ イベートセククーによりリードされていたならば,おそらく時機に応じて早 くから改正の方向がみいだされていたであろうと思われる。

ここでは,補足的説明事項に関し検討し直すぺき点として次の二つの問題

を採り上げてみたい。

(14)

一つは,補足的説明事項が企業会計原則の中で解決すべき性格のものである のか,あるいは監査基準において採り上げるべき性格のものであるのか。

二つは,監査報告書の記載事項とする場合, それは意見の範疇に属するの か,あるいは情報の範疇に属するのかし

という二点である。

ところで,会計には,決算確定機能と情報提供機能があるといわれる。近 時,社会的要請の増大に伴って,会計の情報開示拡大の方向がうちだされて いる。差し当って,硯今企業会計原則の改正が思案されているが,このよう な情報開示基準の方向も併せて魁酌されることであろう。ところが,わが国 の会計についていえば,商法(計算書類規則)や証取法(財務諸表規則)は かなり綿密な規定を設けており,とくに資産評価の原則や,財務諸表の様式 や作成方法に関しては,.企業会計原則の入りこむべき余地がなく,精ぜい,

会計処理の原則や手続について適用されるにすぎないといっても過言ではな い 。

増大してゆく社会的要請にいち早く応えて企業会計原則が容易に改正され るとともに,それが決算基準から情報開示基準へと移行されるようなことが 生じた場合であっても,商法や証取法における会計に関する法規範がなりよ りもまづ,ゆるやかな包括規定であることが前提となるべきであろう。それ が,会計の実務慣行を十全に発達せしめ, かつ成熟をうながせる条件であ る。現在のように,会計に関する法規範が綿密にすぎるようでは,企業会計 原則が実務慣習の要約であると,いくら強調したところで,法令によって強 制されない会計の領城は極めて狭隣とならざるをえないのであろう。

さて,再ぴ補足的説明事項に戻るならば,わが国においては,この事項は

監査報告書における情報提供の形で監査基準に採り上げられている(.法およ

ぴ企業会計原則は,この補足的説明事項の開示義務を企業側に対して課して

いない。この事項の開示は,監査人の手にゆだねられることとなったのであ

る。他方,アメリカにおいては財務諸表への記載事項として, ドイツにおい

ては営業報告書への記載事項として企業の経営者に対して開示義務を課して

(15)

1 4 ( 3 9 8 )   第 24 巻 第 5 号

いる。これに比較した場合,わが国の取扱い方は,二重責任の原則からみて 極めて変則的である。補足的説明事項を監査基準において解決しようと計っ た理由は,これについての財務諸表への表示原則が,法規範において確立し ておらず,したがって,企業会計原則において取り扱うこともできなかった 関係から,仮の宿りとして監査報告書という屋根を借りうけたのである。

監査報告基準によれば,補足的説明事項は監査報告書への記載事項である が,しかし,これは監査人の単なるサービスとしての情報提供にすぎないも のか,あるいは,監査人が責任をもって記載しなければならない情報である のかは極めてあいまいである。しかも,この場合の監査人のとるべき責任と はいかなる性格のものであるかなどについても必らずしも明確とはいいがた

1 ,

゜ このような形での補足的説明事項の監査基準での取り上げ方は,さらにも

う一つの疑問点を浮き彫りにした。それは,この補足的説明事項を足がかり として,監査報告書が当然に情報提供機能を有するとする考え方の拾頭であ る。そもそも,はじめに「会計は情報提供機能を有する」という考え方があ る。会計の創造的機能の一面を語るものである。他方, 「監査は批判的機能 を有する」という考え方がある。監査の分析的機能の一面を語るものであ る。しかし,近年,わが国においては,「監査もまた情報提供機能を有する」

という考え方が有力になりつつある。この見解を無批判に受け入れることが ゆるされてよいのかどうかが検討されてよいだろう。補足的説明事項の存在 が監査報告書における情報提供機能を有する証左であるとして,この既成の 事実に立脚して,監査報告書は情報提供機能を有するものとして性格づける のが論理的かどうかを問わねばならない。

ここで,監査報告書は意見報告書か情報報告書かという,すでに古くから 論じられてきた問題をとりあげ,再度整理してみよう。

わが国の監査報告準則の内容を分析すれば,監査報告書への記載事項のう ちで,情報に属すべき部分は次の三つに大別することができる。すなわち,

①監査の対象と実施した監査手続に関する説明部分(範囲区分に属する)

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③意見表明に直接関係をもち,必然的に説明を必要とする事項(除外事項)

⑧意見とは無関係に,利害関係者の便宜のため,企業の特殊事情などについ て説明を加えた事項(附記事項)。

以上の三種類からなるが, ちなみに, 「監査基準の設定について」の中で,

監査報告書の本質に触れた部分があるので,それを引用してみたい。これに よれば,「監査報告書は, 監査の結果として, 財務諸表に対する監査人の意 見を表明する手段であるとともに,監査人が自己の意見に関する責任を正式 に認める手段である。したがって,その内容を簡潔明瞭に記載して報告する とともに責任の範囲を明確に記載して意見を表明することは,利害関係人ば かりでなく,監査人自身の利益を擁護するためにも重要である」と述ぺてい る 。

この文言は,監査人の意見と責任の関係を明確に示したものである。監査 人は自己の述べた意見に対して責任をとるということ,逆に云えば,監査意 見以外には責任のとりようがないことをも含意している文言であると解釈で きる。監査基準に示されるまでもなく,本来的にいえば,監査報告書の本質 は意見報告書でなければならない。監査報告書の中で表明される意見とは,

被監査企業の財務諸表が企業会計原則に準拠して作成されているか否かにつ いての判定結果をいうのであり,極言するならば,企業の会計処理およぴ手 続の合原則性に関わる監査人の証言である。

先に挙げた三種類の情報のうち,①の範囲区分および⑧の附記事項は,直 接意見に関係をもつものではない。監査報告書が意見報告書に徹するのであ るならば,この①と⑧の事項は必ずしも監査報告嘗に記載しなくてもよいと 考えられる。元来,監査報告は,被監査企業の財務諸表と一体をなして意味 をもちうる。財務諸表が適正であることを,それに密着する形で証明が附記 されてはじめて,財務諸表の公開価値は高められるのである。財務諸表と密 着して監査意見が表明されるならば,あえて範囲区分の記載は不要となるだ ろう。この例はすでに英国において採用されている通りである。

次に,⑧附記事項であるが,この中で,特に代表的なものと考えられるの

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1 6 ( 4 0 0 )   ,第 2 4 巻 第 5 号

が補足的説明事項である。そもそも,附記事項の記載は監査人の自由な判断 に基いてなされる筈のものである。わが国では,補足的説明事項が監査報告 書に記載されるべきものと定められたために,附記事項の性格が複雑かつ不 明確になったのである。すなわち,この補足的説明事項は記載すべきもので ありながら,監査意見に関らしめることができないことから,監査報告書に は当然のごとくに,情報報告書としての性格を追加せざるをえなくなったと 考えられるのである。わが国においても,米・独のごとく,監査意見との関 わりにおいて,この補足的説明事項を採り上げていたとしたら,監査報告書に おける情報機能に重点をおくような発想は生じていなかったにちがいない。

元来,補足的説明事項は企業の責任において公開されるべき情報である。

したがって,それは,当然に,財務諸表規則や企業会計原則の中において取 り扱われるべき事項である。しかしながら•他方において考えねばならない のは,企業の情報提供に関しての社会的要請という問題である。この社会的 要請が急速に高まると, 法や規則の改廃が, それに間に合わなくなってゆ く。その一つの例が補足的説明事項なのである。社会的要請と法の規定とい う時間的落差の間で, そのギャップを埋めあわせるべく, 法の拘束とは別 に,情報提供の役割を監査人に荷なわしめることとなったのである。このギ ャップの橋渡しをなしたのが,監査基準であつたといえよう。

この補足的説明事項についていうならば,現段階においては,法及び規則 はその情報提供を会社側に強制していない。しかしながら,社会的要請とし ては,情報提供が求められている。監査基準によれば,この種の情報を提供 せねばならないのは,企業側ではなくて,監査人である。しかも,この説明 事項は,監査人の意見とは無関係に,追加的な情報として提供されることに なった。しかしながら,他方,監査人は,自らの監査意見に対してのみ責任 を認めるという立場に置かれているのである。したがって,その立場からい えば,後発事項が存在している場合,それに関する情報提供の第一次責任は 元来,企業側にあるのだから,その事項の企業側からの公開がない場合は,

監査上は限定事項として取り扱うのが本筋といわざるをえない。このように

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監査報告基準の問題点(高柳)

考えるならば,監査報告書の情報提供機能は,あくまでも監査意見に直接関 わりあう限りにおいてのみ(限定事項や未確定事項として)採り上げるのが 正しいのである。

五.おわりに

今後,企業に対する社会からの情報提供要求は,法や規則の改正を置き去 りにして,益々増大していくであろう。このような情報提供要求に対してま ず応えていかねばならないのは企業である。社会的に必要とされる情報の提 供を企業が拒絶した場合,監査人がこれに代ってその情報を提供するに当っ ては,それなりのルールが必要であって,必ずしも,無限定にこれを実施す るわけにはいかない。すなわち,企業の肩代りとして監査人が第一次的責任 をおってこの情報を提供すべき義務はないのである。企業が提供する情報の 真実性に対して判定を下すことこそが監査人の第一義的な責任なのである。

すでに述べたように,企業会計原則が,今後,決算基準としてであれ,情 報開示基準としてであれ,いづれの方向において改正されようと,企業の開 示した情報が,この企業会計原則に準拠して適正であるかどうかを判定する ための規範を提供する事が監査基準に課された本質的な役割である。しかし ながら硯状は,企業会計原則と監査基準とのこのような役割分担を明確にす ることを許さない場合を生じせしめている。法や規則が硬直化すれば,実践 と法との間にはさまれて,企業会計原則もまた硬直化の道をたどらざるをえ なくなる。その結果としての矛盾の跛寄せが, どこかに押し寄せるのであ る。監査基準がそのような立場に置かれた一つの例として,問題の補足的説 明事項を挙げることができるのであろう。

今後とも,激しく変動する社会経済的現境の中にあって,企業に対する社

会からの情報要請は益々高まるにちがいない。これに対して,法や規則が迅

速に対応しえないとすれば,法と現実との間に生じたこの種のギャップは何

によって埋め合されるのであろうか。監査は,このような新たに生ずる社会

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的情報要請に巻き込まれて,たえず,意見に関わる問題ばかりでなく,サー ビスとしての情報をも提供し続けねばならなくなる危険性をもつ。現状の下 では,社会的責任の名において,監査人はこの矛盾の潮流に押し流されるか もしれない。

以上のように,進展する社会経済的な状況下では,法や規則が直ちに,反 応を示しえないのは仕方がないとしても,企業会計原則や監査基準に関して

•もまた,同様の事情下におかれているように思える。このように,企業会計 原則や監査基準にあっても,同じく社会的な適応を十分に果しえない原因は どこにあるのだろうか。この原因のうち,大きな割合を占めるのは,これら の設定主体としてパプリックセククーが主導しているという点にかかってい ることは間遮いない。そうであるとするならば,企業会計原則や監査基準に 開する限り,できる限り早く,•その設定主体を,パブリックセククーから,

プライベートセククーヘ移行せしめるのが,健全にして有効な会計慣行の発 展を促がすことにつながるといえよう。

しかしながら,わが国の硯状からみて,そのような改善への措置は極めて 困難であると考えられる。したがって,ここで提案したいのは,監査基準を 思いきりよく簡潔にして明瞭なものにしてしまうことである。補足的説明事 項などは監査基準の中から切り去ってしまうのも一案であろう。準則はこれ を廃棄するか若しくは会計職業団体の責任において設定する。監査実施に関 する手続や,監査報告書への記載事項に関しては,すでに慣行ができ上って いるとみなしてよい。基本的な根本原則の設定はパプリック主導に基いて行 なわれるにしても,細部に亘る問題,新たに発生してくるような問題は,誕 生以来すでに 3 0 余年の経験と知識を有する会計職業団休の自主的解決とその 識見にゆだねるのが,妥当であると考えられる。すなわち,監査基準はあく までも包括的規範としてパブリックセククーにゆだね,細則や解釈に関して は,実践規範として,大巾にプライベートセククーとしての会計職業団体に ゆだねることである。

以上のような改革を行うことによって,企業情報への社会的要請が増大す

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監査報告基準の問題点(高柳)

るような今後の状況が生まれてきても, 会計及び監査の慣行は極めて迅速 に,その状況に対しても十分適応してゆくことができるであろう。このよう な改革が可能となり実現できれば, 企業の肩代りとしての, 情報提供責任 を,監査人が安易に受けとめることによってではなく,本来的機能である証 明機能を十分に発揮することで,監査人は自らの社会的責任を果しうること ができると信ずる。

(以上は,昭和5 4年1 0月 3日の日本監査研究学会第 2回大会における統一 論題「わが国における監査基準・準則」で発表したものを加筆修正したもの である。)

以 上

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