修士論文
香港大衆文化の下で
李碧華の改作における政治的テーマの創作について
1〜39 頁
提出年月日 2020 年(令和2年)1 月 10 日 指導教授 佐々木 睦 教授
人文科学研究科 文化関係論 中国教室
18822101 謝函芹
目次
はじめに p.1
先行研究と問題提起 p.2
第一章 香港の大衆文学と李碧華の創作 p.4 1・1 大衆文学とは? P.4
1・1・1大衆文学についての解釈 p.4
1・1・2 中国における古今大衆文学の関係 p.5 1・2 李碧華の作品における大衆性 p.6
1・2・1 70 年代以降の香港の都市社会 p.6
1・2・2 香港の文化産業における李碧華の創作への影響 p.7
第二章 李碧華の「改作」について p.10 2・1 新ロマン主義 p.11
2・2 香港意識の提示 p.13 2・3 歴史の再現 p.14
第三章 李碧華の作品における政治色 p.19
3・1 香港の社会的歴史背景における李碧華への影響 p.19 3・1・1 『中国学生週報』と李碧華 p.19
3・1・2 「香港返還」における李碧華の政治的叙事への推進 p.21 3・2 政治的な背景における「改作」の作品の中での表現 p.22 3・2・1 日本への想像 p.23
3・2・2「文化大革命」についての叙事 p.29
おわりに p.35
参考文献 p.36
謝辞 p.39
付録
はじめに
香港の経済は 1950 年代から 1960 年代にかけて急速な発展をみせ、わずか数十年のうちに産業形 態を確立させた。産業の発展に伴い、香港の都市化はますます顕著なものとなる。香港の都市化 は、香港文学の質的変化を引き起こす要因となった。香港市民は経済成長のストレスのなかにあ って、娯楽の消費に目を向けるようになり、文学についても大衆化の傾向をもつようになった。
このような傾向は、新聞・雑誌業界の発展、電子メディアなどの技術的進歩により、1970 年代か ら 1980 年代初頭にかけて徐々に定着していったといえる。香港において、文学はこのような環境 の下、産業の重要な位置を占めるようになった。この香港文化産業において、李碧華は非常に特 別な存在感を放っている。
李碧華は、人間の複雑な内面と感情とを描くのが巧みな作家である。特に幽霊や妖怪などの超 自然の要素を用いて、男女の痴情、出会いと別れの物語を多く描いている。ミステリアスで波乱 に富む独自の作風は、読者の共感を呼んだ。それ故に彼女は、「天下言情第一人」と呼ばれてい る。そして、彼女の発表作品の多さには目を見張るものがあるが、自ら作品を商品化した。ただ し、李碧華の小説は単なる恋愛小説ではなく、彼女は香港意識、懐旧、文革想像などの内容を小 説に溶け込ませている
1。香港大衆文学史において、極めて重要な位置を占めている。
李碧華の多くの作品は、古典小説に基づいて改作したものである。「改作」という叙事方式は 彼女固有のものではなく、1960 年代、香港大衆文学の歴史小説において、南宮博などの作家が
「改作」という方法を用いて歴史的ストーリーを描いている。ただし、李碧華の改作のほとんど は、南宮博が描くような伝統的なラブストーリーに焦点を置きつつも、伝統的な恋愛観と現代的 な恋愛観との対比を目指している。また、高旅と同様に、ラブストーリーを描くにしても厳密な 歴史的背景を設定している。1970 年代以降、香港文学は、「改作」の対象を大衆文学に限定せ ず、「厳粛」なテーマを「通俗」の叙事方式で描くことが暗に認められていった。「香港返還」
という事件は、文学の面でも中国大陸との繋がりを強めるきっかけともなったが、香港人のアイ デンティティーの再考を引き起こす要因ともなった。
李碧華も例外ではなく、1984 年に「香港意識」をテーマにした『胭脂扣』を出版した後、中国 大陸にも目を向け始めた。たとえば、歴史的な考証をもとに書かれた『川島芳子』
2、文化大革命 を背景とした『潘金蓮之前世今生』
3、『覇王別姫』
4などの長編小説、天安門事件を題材として若 者の心理を描いた『天安門旧魄新魂』
5、また入念な調査と検証の下、慰安婦について書いた『煙 花三月』
6というルポルタージュもある。さらに、李碧華は日本の京都大学で二年留学をしたこと があり
7、彼女の作品には、日中戦争のような政治的テーマの作品のほか、エッセイや短編小説で も、日本人や日本人の生活に対する描写がしばしばみられる。
李碧華は文学を商業化する一方、独自の角度から歴史を捉えようとする。政治的なものを小説 に溶け込ませ、斬新な作風で小説を創作する。香港大衆文学の代表的な女性作家として、彼女の
1
劉登翰『香港文学史』(人民文学出版社、1999 年)。
2
『川島芳子』(皇冠文学出版有限公司、1990 年、同年に映画化)。
3
『潘金蓮之前世今生』(天地図書有限公司、1989 年)。
4
『覇王別姫』(天地図書有限公司、1985 年、邦題:『さらば、わが愛』、1993 年に映画化)。
5
『天安門旧魄新魂』((天地図書有限公司、1990 年)。
6
『煙花三月』(天地図書有限公司、2000 年4月初版、同年 6 月 5 版)。
7
小林さつき「李碧華『覇王別姫』に表れた女性観と香港意識」(お茶の水女子大学中国文学会報、第 20 号)243 頁。
作品が読者に受け入れられる要因はいったい何であろうか。本論文では、香港大衆文化のもと で、卓越した恋愛小説を数多く創作した李碧華が、彼女の改作に「文化大革命」や「日中戦争」
などの政治的背景を溶け込ませ、特定の空間のもとでのラブストーリーという創作様式に着目 し、これらの改作を通して、どのように中国大陸や日本を考えたのかについて究明したい。
先行研究と問題提起
日本では、李碧華についての研究及び関連研究はかなり少ない。CINII で、「李碧華」を検索の キーワードとして調べてみても、3 篇が検出されるのみである
8。また、藤井省三の「李碧華『胭 脂扣』と香港アイデンティティー 都市の記憶としての小説」
9など、これらの論考の多くは、李 碧華作品に反映された「香港意識」と『覇王別姫』の二次創作について書かれたものである。
香港では、李碧華についての研究は様々な分野において行われているが、「香港意識」のほ か、李碧華の政治に関する作品についての研究は相当少ない。しかし、その中の何篇かの論文の 中には、李碧華の作品に現れた大衆性、女性イメージを中心的な論点としたものもある。
① 李小良「穩定与不穩定──李碧華三部小說中的文化認同与性別意識」(『現代中文文学評論 1995 年所収)
著者はジェンダーと文化的アイデンティティーの観点を用い、李碧華の『川島芳子』、『潘金 蓮之前世今生』、『青蛇』の 3 つの作品に反映されている文化的および政治的観点を論じている。
そして、「国家と情欲」の理論を参考とし、これらの 3 つの作品において、李碧華は中国大陸と 香港だけでなく、中国と日本の間においても豊かな政治的読書の空間を作り出したと指摘してい る。彼は、李碧華の作品に現れた政治と女性像の関係を分析しているが、李碧華が政治的背景を 改作に溶け込ませる叙事方式については言及していない。
② 陳麗芬「普及文化与歴史想像李碧華的聯想」(陳国球編『文学香港与李碧華』2000 年所収)
著者は「普及文化」という観点から、李碧華の作品の性質を分析している。彼女は香港文学産 業の下での李碧華の作品の特徴を「浅」と「薄」の二字で簡潔に示しており、李碧華の『胭脂 扣』には歴史と香港意識などに対する反省点がみられるものの、李碧華は市場のニーズを完全に 把握しており、究極の目的はこれらの議論を取り引きの手段に変えることだったと指摘した。し かし、彼女の考察の重点は李碧華の作品の大衆性を主としており、李碧華の作品における政治的 なテーマについての考察はあまりなされていない。
李碧華の「改作」の叙事方式に関する研究は以下の通りである。
① 艾曉明「戲弄古今──談論李碧華的『青蛇』、『潘金蓮的前世今生』、『覇王別姫』」(黃維 樑編『活発紛繁的香港文学』2000 年所収)
8 時間順:
(1)小林さつき「李碧華『覇王別姫』に表れた女性観と香港意識」(お茶の水女子大学中国文学会報、第 20 号 、2001 年 4 月 )242 頁–255 頁
(2)小林さつき「記録される歴史と記憶される歴史──李碧華『胭脂扣』の中の香港」(お茶の水女子大学中国文学会報 、第 22 号、
2003 年 4 月)67 頁–78 頁。
(3)鄺麗媚「香港文学李碧華の世界──香港が生んだ異色の女流作家」(『アジア遊学』勉誠出版、第 94 号、 2006 年 12 月 )154 頁 –160 頁。
9
藤井三省「李碧華『胭脂扣』と香港アイデンティティー 都市の記憶としての小説」(陳国球編『文学香港与李碧華』台北麦田出
版、2000 年 12 月 15 日)。
著者は最初に「戲弄」という概念を掲げ、『青蛇』、『潘金蓮的前世今生』、『霸王別姬』の 三つの改作に共通していることは、李碧華の時間に対する「戲弄」であると指摘した。彼は主に これらの三つの改作における「メタファー」などの叙事方式について分析しているが、作品にみ られる李碧華の政治的意識についての考察はなされていない。
② 朱崇科「多重戯弄──論李碧華「故事新編」的叙事政策」(『當代』2002 年所収)
著者は艾曉明の「戯弄」に加え、「多重戯弄」という観点を取り上げている。彼は時間的だけ でなく、内容面においてテキストとイデオロギーにおいても、李碧華が精神的に国家と民族を
「戲弄」していると指摘している。彼は李碧華の「多重戯弄」が、まさに彼女の改作における諷 刺、イロニー、再構成という三つのレベルで構成されており、李碧華は「多重戯弄」を用いて、
歴史の真実を明らかにしたり、カバーしたりしようとしていると述べている。
③ 朱崇科『論故事新編小説中的主体介入』(第8章)(2018 年)
著者は「情欲」と「政治」という二つの観点を用いて、李碧華の改作を分析している。彼は、李 碧華が描いた政治像にはジェンダーと時事の二つの面が含まれていると指摘した。そして、李碧 華の作品におけるジェンダーの政治性は、単に権利の圧迫ではなく、主に男女のやりとりに反映 されている。また、李碧華の作品における「文化大革命」と毛沢東のイメージを分析すること で、彼女は中国に深い関心を持っていることを指摘した。さらに、彼は李碧華の改作にみられる 日本像を分析するに際し、長編小説『川島芳子』のほか、短編小説『徐福與烏丸株式会社』にも 注意を向けた。彼は『川島芳子』、『徐福與烏丸株式会社』などの改作を分析することを通し て、李碧華が日本について描いたほとんどの作品にマイナスイメージがみられることを指摘し た。しかし、李碧華の日本に関連する作品はかなりの数があり、日本像についての分析にはそれ ほど深く触れていない。
これらの先行研究は、李碧華の作品に現れている歴史・国家意識などについての分析であり、
単に大衆的・政治的観点の分析に焦点が当てられている。李碧華の改作における文化大革命や日
中戦争などの政治に対する感情的な変化については分析されていない。往々にして『覇王別
姫』、『胭脂扣』、『青蛇』などの特定の長編小説に偏重しており、系統的に彼女の小説の軌跡
を観察しようとする観点が欠如している。本論文は、この点の解明を目指すものである。
第一章 香港の大衆文学と李碧華の創作 1・1大衆文学とは?
李碧華は香港大衆文学の代表的な作家の一人であることが知られているが、大衆文学という文 脈において彼女の創作スタイルを研究するためには、まず大衆文学の定義を明確にしなければな らない。今日においても、大衆文化についての統一的な定義が存在しないことから、大衆文化と いうのは非常に複雑な概念であることは明らかである。時代や社会の変化に伴って、大衆文化に 対する理解も変わってくるのである。
1・1・1大衆文学についての解釈
「大衆文化」は文化の範疇から見れば、文化表現の一形態である。大衆文学を学術的に研究す るためには、まずその概念の整理と説明とをしなければならない。「大衆文化」とは、もともと 英語の「mass culture」と「popular culture」とから翻訳された言葉であった。社会が発展する につれて、その本質的意味も変わってくる。初期の大衆文化は主に英語の「mass culture」を指 している。「mass」は量的、群衆的という意味であり、ここでの「mass culture」は、集積的で マイナスの意味を持つ文化タイプを指している。20 世紀 30 年代から 50 年代にかけて、商業利益 によって動かされる文化製品に対する批判的な考え方が広がった。アメリカの作家ドワイト・マ クドナルドによれば、「大衆文化」とは、従来の高等文化とは異なる文化形態であり、このよう な文化は市場のために一括して製作される階層文化であるとする
10。1958 年、バーミンガム大学の 学者であるウィリアムズは、『文化與社会』の中で、「大衆文化」を「popular culture」と呼び 変えた。これは単に名称を変えただけではなく、ウィリアムズは産業時代の進歩とともに、文化 がもはや上流階級の専売特許ではなくなったと考えた
11。本質から見ると、大衆文化は発展の過程 を経て、一種の階級文化から一種の市民文化へと発展していた。そして、徐々にポストモダン社 会における一般化された文化のパターンになったと考えられる。
欧米の学者は、内容、機能、およびそのなかに現れる特徴をもって大衆文学とは何かというこ とに対して定義づけをした。例えば、『ブリタニカ国際大百科事典』において、大衆文化(mass culture)とは大衆社会に特徴的な文化のことで、大衆文学とは大量消費を前提に創作される娯楽 を主眼とした文学であり、読者を喜ばせ、楽しませるために書いたものと述べられている
12。その ため、この意味において、大衆文化はそれ自身を媒介とする主体を複数に持つことになり、例え ば、歌、詩、小説、絵本、葉書、さらに戯曲文芸作品の中にまで及ぶ。なおかつ大衆の媒体は時 代に伴い変化していくと考えられる。たとえば、70 年代以降、香港のテレビ映画産業およびゲー ム、インターネットといった映像を媒介とするエンターテイメントの伝播形式が登場し、50、60 年代の従来の通俗小説は、気晴らしや思想を得るエンターテイメントに取って代わったという例 がある。
ところが、これは単に内容の面から大衆文学を理解したにすぎない。ハンガリーの芸術社会学 者であるアルノルト・ハウザーとフランクフルト学派の思想家レーヴェンタールは大衆文学に対 して、詳しい説明を行った。アルノルト・ハウザーは、「大衆芸術はただ複製できるだけではな く、本来複製するために作られたものである。というのは、それが産業的な消費品のような性格
10 约翰・斯道雷 『文化理論興大衆文化導論』常江訳(北京大学出版社、2010
年 7 月)
11
雷蒙・威廉斯『 文化與社会』高晓玲訳(吉林出版集团有限責任公司、2011 年 12 月)。
12
『ブリタニカ国際大百科事典』(1974 年 3 月 1 日、小項目事典4巻)66 頁。
を有し、娯楽産業という商業領域に入るものだからである」
13と指摘した。中国の学者である謝中 山によれば、大衆文化とは先進的産業社会において、文化が産業と市場商品の領域に入り込むこ とにより生まれた新たな社会現象ということである。それは、グローバル化された現代のメディ ア技術と現代の情報技術とを媒体とした文化的生産と伝播の形態であり、消費者社会において、
消費者のイデオロギーによって計画され、商品市場の法則に従って運営されているものであり、
人々に感動を与えることを目的としている。そして、生活方式の中のノーマライズした形態を融 合させるとしている
14。
一方で、社会やテクノロジーの進歩とともに、メディアは次第に社会生活の各方面に浸透して いった。大衆文学の発展はマスメディアの発展であるさえと考えられる。現代社会におけるマス メディアとは主に印刷媒体と電子媒体のことである。また、現代社会の発展に伴い、文字を媒介 とした大衆的なの伝播方式は徐々に映像を主体とするものに変わっていった。そして、この形式 はすでに主流となり、多くの人に受け入れられるようになった。それゆえに、この意味での大衆 文学はメデイア文学と見なすことができる。
1・1・2 中国における古今大衆文学の関係
中国では大衆文学に対しての概念はより一層漠然としており、よく「民間⽂学」と「通俗⽂
学」などの概念と混同されてしまう。ここでいう現代の意義においての大衆文学は従来伝統的な 文学とは類似点があると考えられる。
謝中山は、伝統的な意味においての「民間文学」は近代社会以前の産物であり、伝統的な農業 社会の特性と関連し、まさにこのような閉鎖的、家族血縁的繋がりにおいてのみ形成される文学 形態であると指摘した
15。『全球化語境中当下中国文学的大衆化問題研究』の中で、彼は「このよ うな民間文学は集団的に形成されたゆえに、現代の大衆文学が映像的なメディアなどを媒体とし て、かなりな程度非人格的な性格を持っているのと異なり、同質化と標準化を帯びるところに相 違がある。加えて、民間文学の自発的、非功利的な性格が、本質的には市場法則のもとで強い商 品性を持つ大衆文学とは異なっている」と述べている。
鄭振鐸は「民間文学」に対して、詩歌のほか、小説、戯曲などの俗的な文学と定義している。
また、曾永義は「正統文学に対する通俗文学であり、貴族文学に対する民間文学でもあり、士大 夫に対する庶民文学のことである」
16と述べている。たとえば、李碧華に数回改作された「梁山伯 と祝英台」という説話は「民間文学」に属するものである。この種の文学の大きな特徴というの は、一般市民によって口頭で作成され、広く伝播し、絶えず修正されたり、書き足されたりする ことである。そして、中国の伝統的「通俗文学」と言えば、まず取りあげるべきは中国明末に馮 夢竜・凌濛初らが編纂した「三言二拍」である。このような「通俗文学」は、当時の大衆の要求 と一致しており、一般市民階級たる読者たちにとっての一種の精神的な消費と見なされたが、一 方で、それは彼らの社会的価値観をも反映している。ここで、論じられた「民間文学」と「通俗 文学」は大衆の中で流行し、民間から粗末で人前に持ち出せない文学のタイプを指す。文化製品 に対して批判的なヨーロッパの学者の大衆文学に対する認識と同じように、大衆文学は知識人の み用いられる文学と区別された、本質的には一種の階層文学と見なすことができる。
13
阿諾徳・豪澤尔『芸術社会学』居延安訳(学林出版社、1987 年 8 月)49 頁。
14
謝中山『全球化語境中当下中国文学的大衆化問題研究』(吉林大学博士論文、2007 年)。
15
謝中山『全球化語境中当下中国文学的大衆化問題研究』(吉林大学博士論文、2007 年)37 頁。
16
曾永義編『説俗文学』(台北、聯経出版事業公司、1980 年 4 月版)11 頁。
しかし、范伯群は『中国近現代通俗文学史』の序論で、「通俗文学は民族の鑑賞習慣に合う優 位性に基づいて形成され、市民層を中心とした読者層にとって精神的な商品であり、必然的に彼 らの社会的価値観を反映する商品性文学である」
17と述べている。さらに、陳剛は『大衆文化與当 代烏托邦』の中で、新時代において既存の大衆文学にみられる特徴から見れば、これは必ずしも 市民社会と産業文化によって生み出されたものとは限らず、同時に、これも古代から今日までの 大衆文学などのエンターテイメントに対する改造から生み出された必然的な結果であると指摘し た
18。
昔から今までに至る通俗文学は内容の面においては読みやすいし、主に文学の内容と形式の通 俗性を強調していると考えられる。従って、対象となる読者層とその求める芸術性から見れば、
従来の「通俗文学」と現代的な意味での大衆文学は類似点があることがわかった。新時代の大衆 文学は従来の「通俗文学」に対して、一種の歴史的な延長であり、それはある程度に従来的な通 俗文学における「娯楽」という特徴を継承しているとも考えられる。というのは、現代的な意味 においての大衆文学は人々のレクリエーションの需要を満たし、精神の空白も埋めているからで ある。
現代の大衆文学は消費者を楽しませるための商品のゆえに、一種の消費文学であり、そして産 業社会の発展とともに進歩していくものであり産業文学を見なすことができる。さらに現代メデ ィアにより広がっていることから、メディア文学であるとも考えられる。その本質は現代的に産 業化された社会の産物であり、商品的経済市場を満たすために出現される大衆の娯楽を目的とす る文化の形態である。あくまでも消費を前提として求められる規模に応じて、生産される商品の 一種である。さらに、時代の変化とともに、その伝播する媒体も変化していくのである。
1・2 李碧華の作品における大衆性
70 年代に入ってから、香港の社会は政治、経済の面において、大きく変化が生じた。香港文学 もこのような不安定な環境のもとで、重要な段階に進んでいた。劉登翰は、この時期は香港文壇 において構造の調整と文学思潮の交代に無視できないほど影響を与えていると指摘している。李 碧華が 70 年代以降に勃興した大衆文学の代表作家として、否めないことは彼女の作品の文脈がこ の時代のもとで形成されたことである。そして、70 年代以降の香港の社会的な背景とこの時期に おける文学の発展の方向を分析することにより、李碧華が創作した背景と彼女の作品の特徴を明 らかにしたい。
1・2・1 70 年代以降の香港の都市社会
香港の特殊な地域性と複雑な歴史的な背景により、その文学の性格も極めて複雑になってい る。加えて、メディア産業の経済が飛躍的な発展を遂げ、それに伴い香港の文化も「大衆文化」
となり、新たに発生したメディアなどを媒体として、商品市場の法則に従って伝達されることに なった。そして、このような大衆文化に刺激され、文学は産業の一つになった。黃維樑は「香港 において、製造業のほかもう一つの産業があり、煤煙を発生させず、大部分は内需に向けられ、
多様化したものであるが、香港に精神的な糧を提供している。この産業は香港文学である」
19とい った。筆者は黃維樑がここでいう香港文学とは主として香港の大衆文学のことであると考える。
17
范伯群『中国近現代通俗文学史』(高等教育出版社、2006 年 3 月)18 頁。
18
陳剛『大衆文化与当代烏托邦』(作家出版社、1996 年版)16−19 頁。
19
黄維梁『香港文学初探』(華漢文化事業公司、1988 年)2 頁。
趙稀方は「もし、ネイティビスト文学とモダニズム文学が香港の商業的な都市に対する反逆であ るならば、恋愛小説や武侠小説などの通俗的な小説は、商業都市としての香港の産物である。香 港の都市性、商業性および植民地性という次元が香港の大衆文学の特殊な性格を構成し、それが 最も香港性のある文化の標識になった」
20と指摘した。
現代的な意味においての大衆文学が現代的、産業化された社会の産物とすれば、この社会は産 業が発達した社会であり、市場経済に基づいた社会でなければならない。言い換えれば、都市の 一般市民を中心とした受け手を前提として、大衆文学は成立しているということを指すと考えら れる。この点について、張富貴、李新宇、黃也平は『二十世紀中国文学的文化審判』の中で、
「都市住民が市民文化階層を構成する主な要素であるうえ、文化の普及と都市化の加速によっ て、大衆文学が市民文学となった」
21と述べている。したがって、都市、産業、大衆(都市人 口)、媒体が大衆文化および大衆文学を生み出すに必要な条件であるとすれば、香港においてこ そ典型的な大衆文学が生み出されたと言えるだろう。この香港の大衆文学の特性について、多く の学者がさまざまな意見を出したが、本章では大衆性の中に見られる「商業性」と「媒介性」を 考察する。
香港は 70 年代以降に、経済の面においては「アジア四小龍」の一つとなった。1970 年代初頭か ら 1990 年代までの 20 年間に、香港は当初の自由貿易の港湾から、製造業を中心とした産業の成長 期に達し、より進んだ国際化への新たなフェーズが成し遂げられた。急速に発展した香港の経済 が香港都市の近代化をもたらした一方、香港の文化産業の発展も推し進められた。また、1960 年 代から 1990 年代にかけて、香港が都市再建、計画都市と新空港、新港の建設という規模が異なる 二つの都市計画を実行し、この二つの計画の実現は、ある程度香港が世界に注目される近代化的 な都市になったことに力になった。「香港文学が都市化されたという文化の特徴は香港の都市発 展のもとで形成されたものである」
22。香港の都市建設と産業の発展は香港の全体的な社会の変容 をプロモートして、70 年代以降の大衆文学の転換に際して消費の需要を提供したと考えられる。
まず、人口構成の面において、香港が 70 年代に入ってから、重大な変化が起こった。文化大革 命の後期から終わりにかけて、中国大陸からの移民が続々と入港し、統計によると、1976 年から 1981 年にかけて、大陸から香港に移住した人は 40 万以上に達した。加えて、これらの「入港」し た人々は主に青壮年であり、この時期の香港において、15 歳から 64 歳の就業者の比率は 60%とな り、80 年代に至ってさらに 70%に上昇した。人口が急増した上、特に青壮年を主体とする人口の パターンは香港経済の発展に対して、十分な労働力を提供したと言える。
一方で、経済が急速に発展した香港社会では、「余暇を楽しみ、生活や消費品を購入すること が普通の人々の生活における重要な趣味になっている」
23。人々の緊迫した生活環境のもとでの増 え続ける精神的な娯楽の需要は、その後の香港文学の大衆化への変更に巨大なスペースを提供し た。さらに、香港は 1974 年に 9 年制義務教育プログラムの普及を実施し、一定程度、文学の読書 市場を増大した。先進的な経済と巨大な消費ニーズによって香港の文化産業はより新たな段階に 入っていったのであろう。
1・2・2 香港の文化産業における李碧華の創作への影響
20
趙稀方『小説香港』(三聯書店香港有限公司、2018 年 9 月)155 頁。
21
張富貴、李新宇、黃也平『二十世紀中国文学的文化審判』(時代文芸出版社、1999 年)269 頁。
22
劉登翰『香港文学史』(北京、人民文学出版社、1999 年)394 頁。
23
李明堃『変遷中的香港政治和社会』(香港、商務印書館、1987 年9月) 60 頁。
香港の文化産業の発展は新聞や雑誌業界の繁栄に反映されている。多くの新聞や雑誌がさまざま な作品の発表の場を提供しており、香港の大衆文学、特に通俗小説の消費者たる読者層も確保し ているのである。「1983 年に発行された年次報告書によると、当時の香港には総計 55 紙の華字新 聞があり、中文・英文の雑誌は定期刊行のもので 413 種ある」
24。1990 年の香港には 69 紙の新聞 と 610 種の雑誌が登録されていた。新聞の発行部数は最も多いもので 40 万部、最大 20 ページにお よび、一部の雑誌は数 10 万部の部数がある。また、200 を超える出版社と 3,700 以上の印刷会社 が存在し、天地、明窗、博益や友和など専門レジャー書を出す商業出版社も登場した。『中国近 現代通俗文学史』は、近現代における文学雑誌の出現により、文化の個人的意識が次第に全体化 および集約化されてきたことを指摘している
25。そのため、先進的な香港の文化産業は、香港の新 聞・雑誌産業の発展を促進した一方、大量の文学雑誌の発行は香港の大衆文化をある程度に加速 させた。
さらに、新聞や雑誌の記事には読者に毎日読んでもらうために面白くする必要があるゆえに、
1950 年代以降、小説やエッセイなどの文学形式が香港の新聞の特別欄を覆った。1960 年代になっ てから小説面が人気を博し、多くの特別欄が小説の連載を開始し、1980 年代初期まで続いた。黃 維樑の 1982 年の夕刊各紙コラムを対象とした調査によると、400 コラムのうち 90 コラムは小説で あり、ほとんどが長編小説の連載であった。成熟した文化産業のメカニズムの下で、1980 年代以 降の香港文学の本質も変化している。作品が大量に生産および複製され、文学の消費機能がより 顕著になった。通俗小説の数は倍増したが、クリエイターの性格はますます曖昧になったことで ある。1950 年代および 1960 年代と比較して、香港は 1970 年代半ばから 1980 年代初頭にかけて、
大衆化を前にして、純文学界は受難の時期を迎えていたと言えるだろう。これは文学雑誌におけ る文化的な傾向が作家の創作に影響を与えることを証明している。作家は自分の考えや感情を表 現するだけでなく、一般大衆にも認められなければならないのである。ある程度に作家の考えや 作品のテキストと一般大衆の考えは融合されたものとなる。
香港経済が成長するにつれて、物質文化に関する人々のニーズは増加しており、生活のペース が加速し、人々の不安感と威圧感は徐々に高まっていった。また、読者も小説の内容自体にはま すます注意を払わなくなり、瞬間的な読書の楽しみを追求するようになった。「人気小説の要件 は、一般的に時間をつぶすことができるように、基本的なストーリーは理解しやすくする必要が あり、人々が「理解」したり「興奮」したりできれば、そのストーリーは「良い」と言える」
26。 劉登翰は「特に 1980 年代以降、香港の大衆文化は消費機能がより顕著になり、消費者の受容に適 応するために、通俗小説はますます軽く、薄く、短く、小さくなってきた」
27と指摘した。したが って、この時において通俗小説は本当の「商品」になったと考えられる。文学が商業化されたの は、1980 年代からの香港大衆文学の特徴の一つであった。1980 年代から香港の商業社会において 活躍してきた作家である李碧華の作品の中には、言うまでもなくこの特徴も示されているのであ ろう。
李碧華の作品と彼女の創造理念について陳麗芬は、彼女は間違いなく商業文化に結びついたベ ストセラーの人気作家であり、彼女は香港の出版業界のニーズを完全に把握したと評価した。
『普及文化与歴史想像──李碧華的聯想』の中で、「李碧華の最も驚くべきことは、彼女がいつ
24
黃維樑『香港文学初探』(香港、華漢文化事業公司、1985 年 2 月)2頁。
25
湯哲声「第七編通俗期刊編」範伯群『中国近現代通俗文学史』(江蘇教育出版社、2010 年 4 月)513−514 頁。
26
陳嘉玲「一個愛情流行小説家的産生」陳清僑編『文化想像与意識形態──当代香港文化政治論評』(香港、牛津大学、1997 年)221
頁。
27
劉登翰『香港文学史』(北京、人民文学出版社、1999 年) 479 頁。
でもそのような自己商業化を当たり前のことと考えられることだ」
28と述べている。李碧華自身も インタビューで、「レジャー的な読書に対する一般読者の期待に応え、頭脳を悩ます必要がな く、読者に読書の楽しみをタイムリーに提供し、読者が最も経済的な(物理的およびイデオロギ ー的な)方式で最大限、感情の消費ができるようにする」
29と述べた。香港の作家としての李碧華 は、彼女の創作において香港の商業環境に大きく影響されており、市場を主とする出版活動の指 向性と創作理念、つまり読者を優先していることがわかった。
他には七十年代からメディアや文化産業の発展と普及に伴い、映画、テレビ産業も驚くべき発 展を遂げた。1970 年代の半ばに、50 あまりの映画プロダクションが年間百本の映画を制作し、170 ほどの映画館と 15 ほどの公営及び私営のラジオ放送局とテレビ放送局が存在した。文字から映像 へという伝播形式の変容が文学に想像の翼を与えた。また、媒体をまたぐ文学創作が 70 年代以降 の香港文学の特徴となり、脚本家と作家とのポジションを変幻自在に移動するようになっていっ たのである。
ここで、私は戦後初期の日本大衆文学の状況と 70 年代香港とを比較しようと思う。日本大衆文 学の研究者である尾崎秀樹は『大衆文学』
30において、日本の大衆文学の中から日本人の精神構造 を探究しようと提言している。こうした切り口から、我々も大衆文学の複雑性と差異について考 えることができるだろう。それは一種の民族性と発展性の文学であり、いずれの国家や時代だけ に専属するものではなく、その類似点を探ってみることも可能である。日本大衆文学の複雑さの ゆえに、それは日本の研究者によっていくつかの段階に分けられている。ここで筆者は主とし て、戦後の純文学と風俗文学の間に生まれた「中間小説」の状況から、日本の大衆文学について 触れたい。戦後メディアの飛躍的な発展により、日本大衆文学の読者層も一層広がった。戦争を 経験したあと、人々の価値観に激しい変化が起こり、従来の単に文字だけの内容では読者はもは や満足がいかなくなったのである。その中で、様々なジャンルの小説が次々と生み出されていっ た。例えば、封建的伝統を破り自由の獲得を謳歌する貞操小説、庶民の枠組みから派生したユー モア小説、戦後生活を舞台とする時代小説と後期の剣豪小説、探偵小説などが挙げられる。特に 昭和三十年代以降、民間放送とテレビの普及により、文学と映画などの娯楽方式が影響しあっ て、文学が商品になり、日本大衆文学は新たな段階を迎えることになった。同じように 70,80 年 代も香港大衆文化にとって、一つのターニングポイントであった。このような明らかに商業的な 目的による文字とメディアとの結合は文学の消費特徴を一層明白なものにした。そして、テレ ビ、ラジオ、ムービーなどのメディアの伝播方式により、メディア性も香港大衆文化の一つの特 徴として加わったと考えられる。
香港は世界都市として、様々な者同士間の相違を受け入れる空間を持っている。このような空 間の中で、文化と商業とは互いに重なり合い、浸透しあう。そのため、当然香港文化もこの社会 的な文化的な構造から影響を受けることになる。このような都市の雰囲気は文学作品の創作に影 響をもたらし、そして、文学大衆化も香港文学の発展の方向になった。
28
陳麗芬「普及文化与歴史想像──李碧華的聯想」陳国球編『文学香港与李碧華』(台北、麦田出版、2000 年)119 頁。
29
陳燕遐「流行的悖論」陳国球編『文学香港与李碧華』(台北麦田出版、2000 年)144 頁。
30
尾崎秀樹『大衆文学』(紀伊國屋株式会社、2007 年 6 月 15 日、第一刷版)。
第二章 李碧華の「改作」について
近現代中国文学において、「改作」という叙事方式は、もちろん魯迅の『故事新編』から始ま った。そして、魯迅のあとには上海の新感覚派の施蟄存などが挙げられる。彼らの創作におい て、大部分の作品は半植民地において都市生活をめぐる取材、心理に関する描写に重点を置いて いる。このような創作方法は、100 年以上にわたって祖国から切り離された植民地である香港にと って、先祖伝来の意味を有している。
中国の伝統的な文化の影響を受けながらも植民地支配を受けている香港において、「改作」は 香港の作家たちが中国古典神話と西欧モ ダニズム文学の叙事技法を融合させた最高の結晶 であ る。ベネットは「文学のテキストは決して受動的に解釈され、特殊な時空を反映するイデオロギ
ーであるだけでなく、逆に、それは紛争と差異との発生地であり、価値と前概念、信念と偏見、
知識と社会構造の寓意(place)をも含んでいる。これはすべて歴史そのもののイデオロギーを明 確に示す複雑な構成物であり、その中に生み出され、最後には変えられる(transformed)もので
ある」
31と指摘した。1950 年代前半は、香港文壇が左右対立していた政治的葛藤の狭間にある時期
であった。19 世紀半ばからイギリスの植民地となり、このような植民地都市において、「中国語
で書いた作品が政府の文化体制に受け入れられないため、市場の要求に応じて、中国語を使う作 家たちは市民のために書かなければならない」こととなった
32。複雑な文学環境に加えて、1949 年 前後に多くの大陸の作家が入港し、文化界の基礎力が大いに向上した。ある意味で文学大衆化は 50 年代と 60 年代における香港文学の発展の方向になったと言える。
大陸から来た作家の中には、70 年代の新武侠小説の最高峰にたつ金庸や梁羽生のほか、南宮 博、高旅などの歴史小説を書いた大衆文学の作家もいる。歴史的な物語をリライトするという定 型化の中で、「改作」は現代文学に実行の場を見出したと見なすことができる。そして、「「改 作」には、自己、彼の環境、彼の時代を作りかえる意味が含まれる」
33ため、この時代に生きてい る作家の作品がテキストだけでなく、作家の自己意識の表現も含まれているということである。
ある意味で、「改作」という叙事方式にルーツを見出していると考えられる。
ある学者は「李碧華の「改作」の手法は明らかに無視できないほど独特性を持っており、彼女 は大衆・流行小説のパターンやステレオタイプを突破し、プロットと文章の意味を自在にもてあ そぶように操作することによって彼女の非凡な芸術的な才能を見せた」
34と述べている。早くも 1970 年代に、香港のモダニズム文学の代表的な作家である劉以鬯は意識的に小説を改作し始め た。西欧のモダニズム小説における意識流などの文学的技巧を借りて、『酒徒』を創作したあ と、『星島晩報』に連載された『寺内』は『西廂記』の改作である。さらに、『西遊記』を原作 として改作した『蜘蛛精』などもある。また、劉以鬯のように改作に注目している香港のモダニ ズム作家には也斯、西西、昆南などもいる。
しかし、内容的に現実の生活を改めて見直すという趣旨が明確なモダニズム作家の改作と比 べ、「鍾曉陽や李碧華などの香港「新世代」の作家たちに描かれた作品には、現代に対する反発 や伝統への追慕が感じとれる」
35。李碧華の多くの作品はある程度「改作」という叙事方式の現代
31
安德魯·本尼特『文学、批評与理論導論』(広西師範大学出版社、2007 年)136 頁。
32
劉登翰『香港文学史』(北京人民文学出版社、1999 年)262 頁。
33
杜威·佛克馬「中国与欧洲伝統中的重写方式」『文学評論』(1999 年、 第 6 期)144 頁–149 頁。
34
朱崇科『論故事新編小説中的主体介入』(秀威諮詢科技股分有限公司、2018 年 2 月)281 頁。
35
趙稀方『小説香港』(三聯書店香港有限公司、2018 年 7 月)192 頁。
文学における実行を示している。これについては、也斯は「彼女こそ香港の作家の中で、「旧題 新作」に最も力を入れている人だ」
36と指摘した。「李碧華は古典に傾倒し、真実を偽るところに まで至っている」
37、彼女は古代中国の古典小説における怪奇物語や戯曲などを改作するのを得意 としたうえ、現代の香港人としての意識を小説に取り入れ、彼女が描いた中国の伝統的な物語が
濃厚な香港の都市文化の雰囲気に包まれているという。王德威は「李の文章は薄っぺらで、たし かに物足りなくはある。しかし、彼女の想像は古今生死をめぐり往来し…さらに、彼女の「故事 今判」という書法も間接的に「香江花月」
38の姿を再現している」
39と指摘した。
ここでは、「改作」という文学的な技巧を論ずることにより、李碧華がどのようにこのような 叙事方式を通じて、彼女の考えをあらわしたかを考察しようと思っている。
ここで、李碧華の改作を 2 種類に分類する。
種類 作品 主人公 原著作
原著作のキャ ラクターだけ を借りて、原 著作のプロッ トを作りかえ る。
『山鬼』(2008年)
『嫦娥与西王母』(2008年)
『徐福与烏丸株式会社』(2008年)
『梁山伯自白書』(2008年)
『祝英台自白書』(2008年)
『鳳誘』(2008年)
『祝英台第一封求職信』(2008年)
山鬼 嫦娥 徐福
梁山伯、祝英台 梁山伯、祝英台 鳳姐
梁山伯、祝英台
文学作品:『楚辞・九歌・山鬼』
神話伝説:『嫦娥奔月』
歴史:徐福東渡
民間説話:『梁山伯と祝英台』
民間説話:『梁山伯と祝英台』
歴史逸話:吴熾昌『客窗閑話』(明朝皇帝朱德正与李鳳姐)
民間説話:『梁山伯と祝英台』
原著作のプロ ットとキャラ クターを借り て、加えて作 りかえる。
『覇王別姫』(1985年)
『青蛇』(1986年)
『秦俑』(1989年)
『満州国妖艶──川島芳子』(1990年)
『誘僧』(1993年)
『潘金蓮之前世今生』(1989年)
『茘枝債』(1999年)
程蝶衣 小青 蒙放天 川島芳子 石彦生 单玉莲 宮本麗子
京劇:『覇王別姫』
文学作品:馮夢龍『警世通言・第二十八卷白娘子永鎮雷峰塔』
歴史:秦 歴史:日中戦争 歴史:唐(玄武門の変)
文学作品:万暦丁巳年『金瓶梅詞話』
歴史:唐(楊貴妃)
2・1 新ロマン主義
袁良俊は『香港小説流派史』のなかで、李碧華を香港新ロマン派にまとめ、非常にロマンチシ
ズムをもった女流作家と呼んだ
40。いわゆる「ロマンチック」とは理想であり、現実にとらわれず
に現実に即しているので、内容はご多分にもれず痴男と怨女、情愛などに関する描写である。
「ロマンス」については、20 世紀の中国文学の歴史において重要な文学的・文化的な現象が起こ った。いわゆる「鴛鴦蝴蝶派」の流行である。それは一種の巨大で複雑な集団であり、その文体 の広さと作品量の多さによる影響は無視 できない。しかし、当時の新文学者の批判や偏見によ り、それは主流の文学(いわゆる厳粛文学)に受け入れられず、「モダニズム文学」から排除され た。ところが一方で、その文学的な価値を肯定し、彼らの作品は完全にマンネリ化したものでは
36
也斯『香港文化十論』杭州浙江大学出版社、2012 年)83 頁。
37
趙稀方『小説香港』(三聯書店香港有限公司、2018 年 7 月)198 頁。
38
王徳威『小説中国──晩清到当代的中文小説』(麦田出版社、1993 年)221 頁。
39
香江風月については、今まで、鄭宝鴻の『香江風月──香港的早期娼妓場所』(香港大学美術博物館、1993 年)、吴昊の『香江風
月史』(香港南華早報、2001 年)、香港歴史博物館の『四環九約──博物館藏歴史图片精選』(香港市政局、1999 年)などいくつ の資料がある。香港開港初期から 1930 年代まで禁止されたポルノグラフィーであり、多くの風俗店の中でも港島西区の石塘で人気 が高く、「塘西」と呼ばれている。ここで、王德威がいう香江風月は李碧華『胭脂扣』の中に描かれた娼婦の姿を指す。
40
袁良俊『香港小説流派史』(福建人民出版社、2008 年)序論 3 頁。
なく、同じく「近代性」にも富んでいると考える学者もいる。近現代文学においては、ロマン派 については 早くも 30 年代から 40 年代にかけて、蘇曼殊、徐訏などに代表される「ロマンチック 世代」にさかのぼる。しかし、1950 年代以降、中国文学に属する特有の一脈が文学界から消え去 り、ロマン主義文学の伝統は大衆文学の通俗小説の姿をもち、1950、60 年代の香港文壇に受け継 がれた。
1950 年代初頭、香港文壇は主に武侠小説や恋愛小説を中心に、そのほか、歴史小説、SF 小説、
さらに新聞紙に載るエッセイをもって大衆文学が香港で台頭し始めた。そのため、この時期から 90 年代初頭にかけて、消費需要を満たすために形成された香港の文化産業が隆盛を迎えた。伝統 的な中国ロマン主義小説に比べると、武侠も恋愛も歴史小説も香港の濃厚な都市文化の影響を受 けることになる。ロマンチシズムと言えば、初期の香港の歴史小説の代表的な作家である南宮博 を挙げなければならない。南宮博は 1950 年代前後に入港し、『他一家』、『紳士淑女』など香港 の現実生活を題材にした作品以外にも、三十冊の小説集を出版している。ほとんどは歴史小説で
ある。南宮博の歴史小説は古典小説から取材したものが多く、古代中国のラブストーリーに現代 的に手を加えることに長けている。『桃花扇』、『武則天』など、誰もが知っている説話であっ たが、彼が描いたこれらの歴史の断片は、新たな姿を見せることとなった。
香港の通俗小説を代表する女流作家として知られる新ロマン主義の作家の李碧華は、どのよう に伝統的なロマン派を受け継ぎ、どのようにして新ロマン主義を発展させたのかを検討したい
李碧華の改作については、すでに多くの学者がさまざまな角度から研究してきた。しかし、李 碧華のロマンスは単なる恋愛に止まらないと言われているなかで、「李碧華の小説は独特で奇妙 であり、歴史を単に書くのでもなく、現代を単に記述するのでもなく、歴史上の人物を仮想的に 現代にタイムスリップさせ、特定の歴史上の人物の目を通して、現代社会を観察し、その人物を 通じて自分の現代社会に対する感想や反省を述べる」
41と指摘した研究者がいる。たとえば、「李 碧華小説的越界書写研究」のなかで、作者は時間を角度とし、新と旧、生と死の境界線を分か ち、また、このような理法の時間に反する順序の中で、李碧華の改作では古今の時間の枠組みが
お互いに指し示し合い、練り合わされた新しいテキストが形成されていったとの指摘があった
42。 李碧華は小説のキャラクターを歴史と現代の時空において並置させたり、循環させたりするこ とにより、読者に過去と現実のキャラクターのアイデンティティーが曖昧になるような微妙な情 景を意識的に作り出した。李碧華は過去と現在を比較することにより、古人の口を借りて今のこ とを語ろうとしていると考えられる。
たとえば、小説の『覇王別姫』の主人公の初登場の場面はこう書かれる。
他是虞姬,跟他演對手戲的,自是霸王。霸王乃虞姬所依附之物。
43(それが虞美人で、相手役を演じるのは、もちろん覇王である。覇王はすなわち虞美人が頼っ ているものである)。
『茘枝債』では、主人公の鄭敏は民宿経営者の宮本麗子との会話の中で、麗子に中国のどこに行 ったことがあるかと尋ねると、麗子は現代の中国の西安ではなく「長安」と答える。そして、鄭 敏と麗子が楊貴妃の死因について話し合っている時、麗子はその観音像を見ながら、
41
趙稀方『小説香港』(三聯書店香港有限公司、2018 年 7 月)196 頁。
42
董雅珺「李碧華小説的越界書写研究」(広西大学修士論文、2015)。
43
李碧華『覇王別姫』(天地図書有限公司、2017 年 12 月第 20 版)。
麗子望著那觀音像說到:“她在馬嵬坡下的佛堂內被內侍一直縊至氣絕,但未斃命。
44(彼女は馬嵬坡のお堂で、内侍に首を絞められて気絶したけど、死にはしませんでした)と語 った。
このほか、李碧華の改作の中で「タイムスリップ」という文学的な技法をよく使用している周 知の如く「タイムスリップ」は改作における叙事の一つの特徴であり、すなわち「仮定の空間を 取り、その叙事を複雑な時間価値によって形成する」
45ということである。李碧華の『鳳誘』の鳳 姐や『秦俑』の蒙放天など、すべて「タイムスリップ」を使い、それぞれ異なる環境の背景が物 語のキャラクターの意識に及ぼす影響を強調した。李碧華はインタビューで「香港は変わり続け ている。計画は無駄だと思うようになるだろう。もうこれには誰もかなわない」
46と語っている。
香港に対する自分の態度を反映する一方で、輪廻転生の価値観を小説に取り入れている。このよ うな時間と空間が交錯する作品で、李碧華は時間の循環と並置という書法で、英雄、美人の悲喜 と生死の意味を解釈している。それは彼女のロマンスの一つを見なすことができる。
2・2 香港意識の提示
香港は国際都市として、無から有へ、植民地化から多重複合へというような多様な空間の転換 を示している。地理と文化空間において、東西の特徴が融合し、その多様化も香港文学の発展に 深く影響を与えている。香港文学は伝統的、現代的、政治とビジネスのなかで衝突し、各ジャン ルの作家たちもその環境のもとで自分たちの足場を探している。しかし、香港の特殊な都市の姿 では香港で生まれ育った文人に深い影響を与えたことは否定できない。
今日に至るまで、香港の都市と文学のつながりは多くの学者によって検討されており、王徳威 は「香港の文学と歴史における位置づけは、ついには千変万化する都市のイメージにつながって いった」
47と述べている。そして、『香港一座城的故事』では、台湾からの作家の施叔青、モダニ
ズム作家である也斯
48、董啓章が挙げられ、彼らの記憶と虚構の都市を検討した。三人の作者の異
なる時代背景と創作目的が香港という都市についての各自の記憶を形作っている。たとえば、香 港で 16 年間暮らした施叔青は、1970 年代後半、夫に連れられて米国から入港し、彼女の香港に対 する視点は香港の社会下層にいる作家たちと比べて、一般市民の生活から遠く離れたところに位 置する。文化圏においては外来人の身分をもち、上流社会という領域の中で香港の 100 年の歴史 を描いた。『香港三部曲』(『她名叫蝴蝶』、『遍山洋紫荆』、『寂寞雲園』)を発表した。生活 環境が社会の上層に固定している施叔青と比べて、也斯に描かれた香港への記憶はより豊かであ る。文体的にはリアリズムからマジックリアリズムへ、題材的には詩歌から小説へ、キャラクタ ー的には香港都市の内から外を行き来した。90 年代に新興した作家である董啓章は香港という狭 い地域に限らず、想像の都市空間のところまで作品世界を拡げた。このように作家たちが香港の ために物語を語る方法が次々と登場してくる。香港に育った李碧華はどのような手法で彼女の
「香港物語」を語るのであろうか?
44
李碧華『怪談精選集──巻一奇幻夜』(安徽文芸、2006 年 8 月 1 日)245 頁。
45
喬治・布魯斯東『従小説到電影』(北京中国電影出版社、1982 年)66 頁。
46
朱崇科『論故事新編小説中的主体介入』(秀威諮詢科技股分有限公司、2018 年 2 月)279 頁。
47
王徳威『如何現代怎樣文学』(麦田出版社、2007 年)296 頁。
48
原名は梁秉鈞、筆名は也斯である。香港で有名な文学家と文化評論家、1960 年代から創作し始め、文体が詩歌、エッセイ、小説な
どを含めている。代表作は『香港文化』(1995)、『香港文化空間与文学』(1996)などがある。
李碧華は『茘枝債』、『覇王別姫』のような、過去と現実を対比する作品で「香港性」を表現 したことを除けば、前述した表の第一類の作品はすべて李碧華の現代的な感情を表現する作品で
ある。李碧華の改作した小説の背後には、香港が刻まれていると考えられる。
たとえば、第一類の作品の中の『梁山伯自白書』、『祝英台自白書』、『祝英台第一封求職 信』、『鳳誘』など、このような作品においては、古典小説の登場人物だけを借りているのが共 通点である。しかし、ストーリーのプロットや背景においては、原著作とは大きく異なってい る。『祝英台第一封求職信』のなかで、李碧華はストーリーの背景を香港の現代社会におき、キ ャラクターに現代人の視点で香港に対する想像を書かせた。李碧華は「梁山伯と祝英台」の切な いラブストーリーを完全に捨て、祝英台を 40 歳を過ぎた就職難の中年層婦女と設定して、香港の 現代社会における不公平な現象を反映している。
また、『鳳誘』のなかで、主人公の私は現実の妻のコントロールと生活の退屈さに耐えられず に、偶然に古代に戻って鳳姐と知り合い、香港に連れて帰った。鳳姐は香港の華やかな都市生活 に魅了され、美人コンテストに出場したが、思わぬアクシデントに見舞われてしまう。
李碧華は古人と現代人の恋愛観念のコントラストや現代香港社会の都市像の描写を通じて、現 代社会に対する排斥と古典的な情義への憧れを示した。この種類の改作はほとんど短編小説であ り、創作時期は 2000 年以降が多い。これは香港社会の歴史的背景と関係があるのではないかと考 えられる。
1976 年以降、「文化大革命」の終わりと「改革開放」の始まり、また、1984 年には香港問題に
関する共同声明により、香港返還問題が議事日程に上がっていった。不安な社会雰囲気のなか、
香港都市に対する「懐旧」のテーマをした作品が続々と登場した。しかし、そのあと、黄自鴻は 香港小説の創作方向が、一層改作的なものに向かっていることに言及した。その理由を次のよう に述べている。「1997 年以降、第一に、それまで重視されていた回帰の問題は 97 年以降、実際に は何も起こらなかったようだ。……金融危機、アメリカの⒐11 テロ事件が続き、97 後の無力感を 生み出し、作家たちは改作に傾倒した。」また改作の傾向については、「童話の創作あるいは改 作には、董啓章『第一千零二夜』、王貽興 『鉄人甲』(2003)、『香港文学』220 号の「『故事新 編』展」など、すべて都市以外の創作空間を題材とするものである」
49と述べている。
李碧華のこのような作品は、「懐旧」のテーマよりも、現在の香港社会の姿を示そうという傾 向がある。ある意味で文学も作家が物語を通して、人生経験の本質や意味を他人に伝えることで
あるから、改作も作家が自己を語るための一つの方法である。この時期においての李碧華は独特 の書法を借りて、独特な環境のもとで彼女の感情や意識を表現していたとも言える。これは彼女 の香港アイデンティティーの一つの表現を見なすことができる。
2・3 歴史の再現
李碧華の作品の枠組みにおいては、特定の時空で特定のキャラクターを登場させるということ は彼女の改作によくあるパターンである。李碧華の改作で、人々を引きつける秘密の一つは彼女 の「多重戯弄」
50であるという研究者もいる。たとえば、内容的には古今を「戯弄」し、テキスト には時空を虚構するのである。陳燕遐は、「『青蛇』が興味深いのは、愛の真実を突き破ったか
49