《論 説 》
東亜同文書院教授鈴木択郎の満州国調査旅行
森 久 男
1解 題
上 海 に 本 拠 を置 く東 亜 同 文 書 院(1939年 に専 門 学 校 か ら大 学 に昇 格)は, 学 生 が 卒 業 年 次 の 夏 に 中 国 各 地 で 現 地 調 査 を実 施 した こ とで 有 名 で あ る。
事 前 に定 め ら れ た 地 点 で の 調 査 後,学 生 達 は さ ら に 一 カ 月 余 に わ た っ て 中 国 各 地 を 旅 行 して 見 聞 を広 め た。 調 査 旅 行 の 終 了 後,学 生 達 は 「大 旅 行 日 誌 」 「現 地 調 査 報 告 書 」,お よ び調 査 の過 程 で 入 手 した 資 料 を学 校 に提 出 し た。 これ らの 調 査 資 料 は 戦 前 期 の 中 国 研 究 の た め の 貴 重 な資 料 の 宝 庫 に な っ て い る。
書 院 の 学 生 が 書 い た 「大 旅 行 日誌 」 「現 地 調 査 報 告 書 」は す で に高 い評 価 が 与 え られ て い る が,教 員 が 執 筆 した 「研 究 旅 行 日誌 」 「研 究 旅 行 報 告 書 」 の 存 在 は あ ま り知 られ て い な い の で,こ こ で は,後 者 の 具 体 的 事 例 と し て,1937年 夏 に 鈴 木 択 郎 教 授 が 書 き残 した 「研 究 旅 行 日 誌 」 「研 究 旅 行 報 告 書 」 を紹 介 し よ う。 鈴 木 は 愛 知 大 学 編 『中 日大 辞 典 』 の 編 集 者 と して 有 名 で あ るが,同 文 書 院 の 教 授 時代 に 中 国語 教 育 を担 当 し,言 語 学 に造 詣 が深 か っ た の で,「 満 州 国 に於 け る 国 語 政 策 につ い て 」とい う テ ー マ で研 究 旅 行 を実 施 して い る 。
鈴 木 は蔵 溝橋 事 件 直 後 に 北 平 へ 赴 き,歴 史 的 瞬 間 に現 地 の 混 乱 した状 況 を 目撃 す る こ と に な っ た 。7月3日,鈴 木 は 上 海 駅 を 出 発 し,6日 に天 津 に着 い た。8日 朝,新 聞 で 萱 溝 橋 事 件 の勃 発 を知 り,同 日列 車 で天 津 か ら
北 平 に向 か っ た。 同 日の 「日誌 」は,「 車 中 急 遽 出 動 ス ル天 津 駐 屯 軍 一 小 部 隊 ト同 車 シ,始 メ テ事 態 ノ 重 大 化 シ居 ル ヲ知 ル」 と記 して い る。 北 平 滞 在 中,鈴 木 は 事 変 直 後 の 日本 軍,大 使 館,北 平 在 留 邦 人 の 緊 迫 した情 況 を 目 撃 し,12日 の 「日誌 」 に居 留 民 会 が 「大 使 館 内 へ 籠 城 準 備 ノ タ メ糧 食 ヲ搬 入 シ ツ ツア リ」 と綴 っ て い る 。 鈴 木 は,北 平 か ら承 徳 行 きの バ ス で 満 州 国 に 入 る予 定 で あ っ た が,交 通 途 絶 の ため に予 定 を変 更 して,12日 に京 奉 線 で天 津 に 向 か い,13日 に天 津 か ら山 海 関 経 由 で 満 州 国 錦 州 に 入 り,14日 に 承 徳 に着 い た 。
鈴 木 は15日 に承 徳 の教 育 庁 で 熱 河 省 内 の 教 育 状 況 を聴 取 して,16日 に大 連 へ 飛 び,17日 に 大 連 高 商 を訪 問 したが,同 日夜 に腹 痛 を起 こ し,18日 に 入 院 した。 書 院 と連 絡 を取 っ た 鈴 木 は,28日 に 大 連 を発 っ て 上 海 に戻 る予 定 で あ っ た が,24日 に 同 文 書 院教 頭 代 理 馬 場 鍬 太 郎 教 授 か らの 連 絡 に よ り 旅 行 を継 続 す る こ とに し た。 鈴 木 は28日 に退 院 し,29日 に 奉 天 に到 着 して 市 街 の 発 展 振 り を参 観 し,30日 に 新 京 へ 移 動 して,31日 に 国 務 院 等 で 調 査 研 究 を した。 鈴 木 は8月2日 に 白 城 子 へ 行 き,3日 に チ チ ハ ル,4日 に北 安,5日 に ハ ル ビ ン,8日 に牡 丹 江 へ 移 動 した が,同 地 で 腹 痛 が 再 発 して 数 日間 静 養 した 。
薦 溝橋 事 件 後,戦 火 は 上 海 に飛 び 火 して 第 二 次 上 海 事 変 が 勃 発 した 。8 月11日,鈴 木 は 朝 鮮 清 津 に着 き,12日 に 元 山 へ 移 動 して,13日 朝 の 新 聞 で 上 海 の 緊 張 し た 空 気 を 知 っ た。 同 日,鈴 木 は 元 山 か ら京 城 を経 由 して 深 夜 に 釜 山行 き列 車 に乗 り,14日 朝 の新 聞 で 「上 海 ニ テ モ 日支 両 軍 既 二 砲 火 ヲ 交 ヘ ツ ツ ア ル 」 こ とを 知 った 。 同 日昼,鈴 木 は 関 釜連 絡 船 で 釜 山 か ら下 関 に 向 か い,下 関 発 の 夜 行 列 車 に乗 っ て,15日 深 夜 に 横 浜 に到 着 し た。16日, 鈴 木 は東 京 の 東 亜 同 文 会 に出 頭 した。 こ こ で,鈴 木 は 「コ ノ時 局 ハ 相 当 長 引 ビキ,到 底 内 地 開 校 ノ已 ム ナ キ ニ至 ル」 こ と を知 っ て,上 海 へ 戻 る こ と
を断 念 して 滞 京 を決 意 した 。
上 海 事 変 が 勃 発 す る や,8月15日 に上 海 東 亜 同文 書 院徐 家 匪 校 舎 は 中 国 側 に接 収 さ れ た 。22日,臨 時 教 授 会 は 四 年 生 の 志 望 者 の 通 訳 従 軍 を 決 定
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し,23日 に書 院 は 全 学 生 と教 職 員 に 内 地 待 機 を命 じた。10月18日,書 院 は 長 崎 仮 校 舎 で教 育 を 開始 した 。11月3日,徐 家 匪 校 舎 は 放 火 に よ っ て焼 失
した 。
研 究 旅 行 後,鈴 木 は 「満 洲 国 に於 け る国 語 政 策 に就 い て 」 と題 す る研 究 旅 行 報 告 書 を纏 め た 。 植 民 地 教 育 問題 は民 族 矛 盾 を集 中 的 に体 現 し,と く
に言 語 政 策 は 異 民 族 支 配 の 重 要 な手 段 で あ る 。 日本 の 植 民 地 支 配 は,伝 統 的 に 同 化 主 義 を強 く志 向 して い る 。 当 時,台 湾 ・韓 国 で は創 氏 改 姓,日 本 語 使 用 が 強 力 に推 進 され てお り,歴 史 の 浅 い 植 民 地 満 州 国 の言 語 政 策 が 焦
点 と な っ て い た。
満 洲 国 に は漢 族 ・満 洲 族 ・蒙 古 族 ・朝 鮮 族 が 雑 居 し,さ らに 日本 人 ・白 系 ロ シ ア 人 等 の 外 来 者 が 入 り込 ん で い た。 満 州 国 の 「五 族 協 和 」 の ス ロ ー ガ ン は,複 数 民 族 をい か に 支 配 す るか とい う問 題 を 内 在 して お り,言 語 政 策 の 面 で は,現 地 住 民 が 使 用 す る 漢 語 ・蒙 古 語 ・ロ シ ア語 と 日本 語 を併 用 して公 文 書 が 作 成 され て い た 。 当 時,満 州 国 で は 「国 語 」を統 一 す る た め, 共 通 語 ・公 用 語 と して 何 語 を用 い るか が 言 語 政 策 上 の 重 要 な 課 題 と な っ て お り,指 導 民 族 で あ る 日本 人 が 使 用 す る 日本 語 を 「国 語 」 とす る見 解 が 台 頭 して い た。
満 州 国 の 国 語 政 策 の 決 定 に 当 た っ て,現 地 語 を 尊 重 す る 見 解 と急 進 的 な 日本 語 普 及 を 謀 る見 解 が 存 在 して い た。 鈴 木 は,満 州 国 の 共 通 語 と して 日 本 語 を普 及 す べ きで あ る とい う政 策 理 念 を共 有 して い たが,摩 擦 の 多 い急 進 的 な 日本 語 普 及 政 策 に反 対 し,時 間 を か け て漸 進 的 に 日本 語 を普 及 し, 共 通 語 と して の 地 位 を獲 得 す べ きで あ る と主 張 して い る。
蔵 溝 橋 事 件 は 日中 戦 争 の 発 端 と な り,日 本 は 植 民 地 帝 国 瓦 解 へ の 道 を 辿 っ た。 薦 溝 橋 事 件 直 後 に北 平 へ 行 き,さ ら に満 州 国 を訪 問 した鈴 木 は, 重 要 な歴 史 的 事 件 を 目撃 しなが ら,日 本 の 満 州 国 支 配 が 根 本 的 に揺 らい で い る 情 況 を 認 識 す る こ と は で きな か っ た 。 鈴 木 は,急 進 的 な 日本 語 普 及 政 策 を否 定 し,穏 健 な 立 場 か ら満 州 国 の 国 語 政 策 を提 言 して い るが,そ の よ う な認 識 は,満 州 国 が 長 期 間存 続 す る こ と を前 提 と し て は じめ て成 立 す る
もの で あ っ た 。 上 海 事 変 の 結 果,書 院 の 学 生 ・教 師 ・職 員 が 全 員 が 上 海 か ら引 き揚 げ る とい う状 況 下 で,鈴 木 は なお 満 州 国 の 長 期 的 な 国 語 政 策 の 将 来 を構 想 して い た の で あ る 。
皿 鈴 木 択 郎 「研 究 旅 行 日 誌 」(昭 和 十 二 年 七 月) 七 月 三 日(土)
早 朝 靖 亜 神 社 二 参 拝 。 午 前 八 時 〔上 海 〕 北 姑 ヨ リ首 都 特 快 ニ テ 出発,十 二 時 四 十五 分 南 京 着 。 大 使 館 ヲ訪 問,清 水 通 訳 官 宅 ニ ー 泊 。
七 月 四 日(日)
午 前 中大 使 館 自動 車 ヲ拝 借 シ テ,林 哲 夫教 授 ト同 道 各 名 勝 旧 跡 及 ビ市 中 見 学 。 午 後 四 時 浦 口 発 津 浦 線 ニ テ済 南 へ 向 フ。
七 月 五 日(月)
午 前 十時 半 済 南 着 。 大 明 湖,斉 魯 大 学 見 学 。 午 後 八 時 十 八 分 発 平 濾 通 車 ニ テ天 津 へ 向 フ 。
七 月 六 日(火)
午 前 七 時 五 分 天 津 東 姑 着 。 中 日学 院,満 鉄 事 務 所 訪 問 。 夜 同 窓 会 有 志 歓 迎 会 二招 カ ル,出 席 同 窓 約 三 十 名 。
七 月 七 日(水)
天 津 日本 商 業 学 校 参 観 。 総 領 事 館 ヲ訪 問 シ,堀 内 総 領 事,永 井 副 領 事 二面 暗 ス。
七 月 八 日(木)
新 聞 ニ テ 薦 溝 橋 事 件 ノ 勃 発 ヲ知 ル 。 午 前 九 時 三 十 分 発 急 行 ニ テ 北 平 二 向
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フ。 車 中 急 遽 出動 す る 天 津 駐 屯 軍 一 小 部 隊 ト同 車 シ,始 メテ 事 態 ノ重 大化 シ居 ル ヲ知 ル。 沿 道 各 駅 二 於 テ モ 伝 書 鳩 ヲ携 帯 セ ル 日本 憲 兵 ノ 緊 張 警 戒 シ 居 ル ヲ見 ル 。 午 後 零 時 北 平 着 。 直 チ ニ 大 使 館 ヲ訪 問 シ タル ニ 頗 ル 緊 張 シ居 リ面 会 モ 不 能 ナ リ。 偶 々 小 竹 〔文 夫 〕 教 授 に 遇 フ 。 支 那 人 旅 館 中 央 飯 店 二 入 ル 。 本 日午 後 八 時 ヨ リ市 内 二 戒 厳 令 布 カ ル 。
七 月 九 日(金)
大 使 館 訪 問,コ コ モ警 備 ハ 今 朝 二 至 リテ頗 ル 厳 ナ リ。 同仁 医 院 二 入 院 中 ノ 道 下,磯 貝 両 学 生 ヲ見 舞 フ。 中 日実 業 公 司 平 野 銀 治 氏 訪 問 。 午 後 西 城 二 日 本 鉱 業 会 社 竹 田 四 郎 氏 訪 問 。厳 戒 ノ タメ帰 途 七 八 回 ノ誰 何 ヲ受 ケ,一 時 間 余 ヲ費 シ テ寄 宿 ス 。 十 一 時 頃 近 ク ノ大 毎 支 局 二 至 リ テ 三 池 特 派 員 ヲ訪 ヒ, 情 報 ヲ キ ク。
七 月 十 日(土)
各 城 門 閉鎖 サ レ,通 州 行 鉄 道 モ 不 通 ナ ル ヲ以 ッ テ予 定 ノ 通 州 訪 問 ハ 事 態 ノ 推 移 ヲ見 ル コ ト トス 。 小 竹 教 授 ト故 宮 博 物 館 見 学 二 出 掛 ケ タル モ 門 ヲ鎖 シ テ 休 館 中 ナ リ。 地 安 門 外 二 至 リ骨 董 ヲ見 ル。 地 安 門 ハ 軍 警 ノ警 戒 厳 重 ナ ル モ 交 通 ハ 自由 ナ リ。 明 日承 徳 行 バ ス運 行 ノ予 定 ナ ル モ 果 シ テ古 北 ロ マ デ行 キ 得 ル ヤ 否 ヤ 気 ヅ カ ハ シ キ 旨 観 光 局 ヨ リ返 事 ア リ。
七 月 十 一 日(日)
小 竹 教 授 ヨ リ電 報 ア リ,前 線 ノ模 様 悪 化 ノ趣 通 報 ア リ。 承 徳 行 バ ス ハ 城 門 開 カ レザ ル タ メ引 返 シ タ ル 由 ナ リ。
西 田耕 一 氏 を訪 問 シ テ 会 ハ ズ,同 仁 医 院へ 学 生 ヲ見 舞 フ 。
城 外 トノ交 通 全 ク杜 絶 シ居 リ タ ル トコ ロ,鉄 道 ニ ヨ レバ 西 直 門姑 発,豊 台 乗 替 ニ テ 天 津 行 ノ便 ア リ トノ コ トナ レ ド,豊 台 ニ テ ノ 連 絡 如 何 ハ 不 明 ナ リ ト。 本 日二 至 リテ ハ 予 定 ノ通 州 行,承 徳 行 ハ 之 ヲ断 念 シ,便 ヲ得 テ 天 津 二 引 返 シ錦 州 経 由 承 徳 二 入 ル コ トニ 決 心 ス。 大 阪 朝 日特 派 員 園 田次 郎 氏 ヲ訪
問 。 折 シモ 武 官 室 ヨ リ 「本 日午 後 一 時 半,我 軍 ハ 原 駐 屯 地 二帰 還 ス」 トノ 発 表 ア リ,事 態 ノ好 転 ヲ思 ハ シ ム 。
七 月 十 二 日(月)
居 留 民 会 ハ 連 日籠 城 二 関 ス ル協 議 ヲナ シ ツ ツ ア リ,大 使 館 内へ 籠 城 準 備 ノ タ メ糧 食 ヲ搬 入 シ ツ ツ ア リ,大 使 館 ノ警 戒 モ 愈 々厳 ニ シ テ空 気 大 イ ニ 緊 張 シ来 ル。
午 後 四 時 小 竹 教 授 ト共 二 天 津 行 列 車 ニ テ 出 発,午 後 六 時 無 事 天 津 着 。 皇 軍 続 陸 天 津 二 入 ル 。
七 月 十 三 日(火)
午 後 零 時 五 十 五 分 天 津 発,午 後 八 時 山 海 関 二 入 ル 。 満 洲 国 側 ハ 灯 火 管 制 中 ナ リ。 支 那 人 入 国 検 査 厳 重 ナ リ。 満 洲 国 警 務 団検 査 員 ノ態 度 ハ 改 善 ノ要 ア リ ト感 ズ 。 午 後 二 時 半 灯 火 管 制 列 車 ニ テ 錦 州 着 。
七 月 十 四 日(水)
七 時 半 起 床 。 八 時 発 承 徳 行 列 車 二乗 ル 。 午 後 七 時 承 徳 着 。 国 境 近 キ コ ノ都 会 二 於 ケ ル 灯 火 管 制 ハ 真 剣 味 ア リ,且 ッ軍 事 輸 送 活 発 ニ シテ 戦 時 気 分 横 溢
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七 月 十 五 日(木)
教 育 庁 二 日 田次 郎 氏 ヲ訪 問 セ ルモ 出張 中 ニ テ 不 在 ナ リシ タメ,日 系 督 学 官 ヨ リ省 内教 育 状 況 ヲ聴 取 ス。 更 二 中央 銀 行 鈴 木 丹 司 氏,日 本 基 督 教 会福 井 次 郎 氏,大 満 公 司 北 原 唯 二 郎 氏,松 浦 領 事 代 理 ヲ歴 訪 ス。
熱 河 離 宮 ハ 軍 事 関係 ニ テ 拝 観 禁 止 中 ノ トコ ロ松 浦 領 事 代 理 ノ斡 旋 ニ テ 之 ヲ 許 可 サ ル 。 更 二 炎熱 ノ裡 ヲ腕 車 ヲ駆 ッテ 嘲 噺 寺 ヲ参 観 ス。
午 後 六 時 同 窓 会 歓 迎 会 二 招 カ ル。 本 日 ノ温 度 三 十 度 。
東亜同文書院教授鈴木択郎 の満州国調査旅行 七 月 十 六 日(金)
福 井 氏 朝 ヨ リ来 訪 。 九 時 四 十 分 飛 行 機 ニ テ 承 徳 発,十 一 時 十 五 分 錦 県 着 。 鉄 路 局 警 務 科 長 永 渕 良 二 氏 ヲ訪 ヒ,協 和 会 福 田 清 氏 ト駅 ニ テ面 会 ス 。 零 時 五 十 五 分 錦 県 発 列 車 ニ テ営 口 経 由 大 連 二 向 フ 。 午 後 十 時 四十 分 大 連 着 。
七 月十 七 日(土)
豊 年 製 油 会 社 小 沢 清 次 氏 ヲ訪 ヒ,更 二 満 鉄 参 事 中 等 専 門学 校 教 育 係 主 任 兼 視 学 秋 山真 造 氏,民 政署 学 務 課 良 川 栄 作 氏 ヲ訪 問 シ,満 鉄 関係 学 事,民 政 署 所 轄 学 事 情 況 ヲ聴 取 ス 。 午 後 大 連 高 商 ヲ訪 ヒ校 長 松 村 行 藏氏,華 語 担 任 小 川 教 授 二 面 晒 ス。 本 校 ハ 関 東 軍 司 令 官 管 轄 二 属 ス ル ヲ以 テ 軍 部 ノ後 援 保 護 厚 ク,且 ツ大 連 市 民 ノ関 心 亦 大 ナ ル ヲ以 テ 経 営 並 二就 職 関 係 二 於 テ 極 メ テ 楽 観 ス ルニ 足 リ,支 那 語 二 於 テ モ 同 文 書 院 二 劣 ラザ ル様 ナ ス 自信 ア リ ト 豪 語 ス 。 夜 在 連 同期 生 数 氏 二 招 カ ル 。
七 月十 八 日(日)
昨 夜 来 胃部 激 痛 ア リ,医 師 ヲ招 キ 治 療 ヲ受 ケ,午 後 入 院 ス 。 悪性 ノモ ノ ニ 非 ズ,急 性 胃腸 カ タル トノ コ トナ リ。
七 月十 九 日(月) 療 養 。
七 月 二十 日(火) 書 院 へ 左 ノ通 リ打 電 ス。
「十 八 日 ヨ リ胃 痙 攣 ニ テ 入 院 ス 。 四 五 日後 退 院 旅 行 ヲ継 続 シ得 ル 見 込 ナ ル モ,時 局 二 鑑 ミ如 何 ス ベ キ ヤ 御 指 示 ヲ待 ツ 」
七 月 二 十 一 日(水)
書 院 ヨ リ 「十 日以 内 二 切 リ上 ゲ ー 応 帰 院 セ ヨ」 トノ返 電 ア リ。 退 院 次 第新
京 ヲ訪 問 シ,二 十 八 日大 連 発 帰 院 ノ予 定 ヲ立 ツ。
七 月 二 十 二 日(木) 療 養 。
七 月 二 十 三 日(金) 療 養 。
七 月 二 十 四 日(土)
馬 場 〔鍬 太 郎 〕 教 授 ヨ リ 「旅 行 ヲ継 続 セ ヨ」 ト ノ 電 ア リ。
七 月 二 十 五 日(日) 療 養 。
七 月二 十 六 日(月) 療 養 。
七 月二 十 七 日(火) 療 養 。
七 月二 十 八 日(水)
退 院 。 午 後 金 州 岩 間 徳 弥 氏 ヲ訪 問 。 満 洲 国 教 育 並 二 国語 問 題 二 就 キ 種 々御 話 ヲ伺 フ。 南 山,城 内,三 崎 山,三 烈 士 殉 難 之 処 等 ヲ 見 学 シ,薄 暮 大 連 二 帰 着 。 歩 行 及 ビ車 ノ振 動 ノ際 腹 部 二 微 痛 ア リ,疲 労 甚 ダ シ。
七 月 二 十 九 日(木)
午 前 十 時 特 急 あ じや 号 ニ テ大 連 発,午 後 二 時 四 十 二 分 奉 天 着 。 自動 車 ニ テ 市 中 ヲ ー 巡 ス 。 市 街 ノ急 速 発 展 特 二 鉄 西 区 工 業 地 区 ノ 発 展 ノ著 シ キ ヲ見
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ルo
七 月 三 十 日(金)
城 内 ヲ ー 巡 シ テ北 陵 飛 行 場 二 至 ル。 午 前 十 時 発 ノ筈 ナ リ シ新 京 行 飛 行 機 遅 延 シ十 一 時 二 十 五 分 出 発,十 二 時 四 十 五 分 新 京 着 。 夕 刻 マ デ 市 内 及 ビ南 嶺 ヲー 巡 ス 。
七 月 三 十 一 日(土)
盛 京 時 報 社 二於 テ 国 境 特 別 区 域 旅 行 許 可 証 手 続 ヲ ナ ス。 右 ハ 緩 券 河 国境 視 察 ノ タ メ ナ リ。 民 生 部 督 学 官 一 條 林 治 氏 ヲ訪 問,研 究 調 査 二 関 シ種 々便 宜 ヲ與 ヘ ラ レ,資 料 ノ贈 與 ヲ受 ク。 国 務 院 二 山本 紀 綱,青 木 喬,大 槻 五 郎 氏 ヲ 訪 問,満 洲 国 二 関 ス ル 諸 般 ノ調 査 ヲナ ス。 国 務 院 試 写 室 二 於 テ情 報 部作 製 ノ満 州 国 紹 介 ノ映 画 ヲ見 ル。
午 後 大 同学 院,鄭 孝 青 氏 ヲ訪 問 ス 。
八 月 一 日(日)
本 日ハ 日曜 日ナ ル ヲ以 テ 個 人 的訪 問 二 費 ス。 午 後 六 時 同 窓 会 歓 迎 会 二招 カ ルo
八 月 二 日(月)
午 前 十 一 時 発 京 白線 ニ テ 白城 子 二 向 フ。 偶 然 第 四 学 年 萩 原 七 郎 ト同 車 ス 。 午 後 九 時 白城 子 着 。
八 月 三 日(火)
挑 安 県 参 事 官 第 十 七 期 大 瀬 戸 権 次 郎 氏 来 訪 。 同 氏 ノ案 内 ニ テ 白 城 子 跡,県 公 署,農 民 道 場 参 観 。 農 民 道 場 ハ 県 内 各 地 代 表 青 年 ヲ召 集 シ,六 ヶ月 間 主
トシ テ 農 事 二 関 ス ル訓 練 ヲナ ス モ ノ トス。 全 生 徒 約 三 十 名 二対 シ激励 ノ挨 拶 ヲ ナ ス。 午 後 斉 々恰 爾 二 向 フ。 午 後 七 時 十 分 斉 々恰 爾 着 。
八 月 四 日(水)
龍 江 県 公 署 訪 問 。 総 領 事 田 中荘 太 郎 氏 訪 問 。 在 恰 同 窓 ニ ヨ ッテ 建 立 セ ラ レ タ ル龍 江 公 園 内 同 志 之 碑 二 参拝 。 午 後 四 時 四 十 分 発 北 安 二 向 フ 。 九 時 三 十 五 分 着 。
八 月 五 日(木)
午 前 八 時 北 安 発 ハ ル ビ ンニ 向 フ 。 天 気 晴 朗 ナ レ ド早 朝 ハ梢 々寒 冷 ヲ覚 ユ 。 午 後 五 時 恰 爾 賓 着 。
八 月六 日(金)
日清 製 油 会 社 二 伊 藤,高 橋 等 同 窓 ヲ訪 問 。更 二宗 像 金 吾 氏,溝 口條 七 氏(ハ ル ビ ン学 院),領 事 館 二 長 岡半 六 氏,大 久 保 正 吉 氏,小 倉 満 氏,国 際 運 輸 松 本 正 平 氏 等 ヲ 歴 訪 シ,市 内 見 学 ヲ ナ ス 。 夜 松 花 江 畔 二 於 テ 同 窓 会 有 志 ノ歓 迎 会 二 招 カ ル 。
本 市 在 留 日本 人 四 万 ヲ越 工,日 本 勢 力 ハ 絶 対 的 優 勢 ナ リ。
八 月七 日(土)
午 前 九 時 三 十 分 発 列 車 ニ テ牡 丹 江 二 向 フ 。 午 後 九 時 五 十 八 分 着 。Aq賓 ヨ リ松 花 江 ヲ下 リ,佳 木 斯 経 由 ニ テ牡 丹 江 二 向 フ予 定 ナ リ シ トコ ロ,図 佳 線 不 通,飛 行 便 モ 北 支 事 変 ノ タ メ欠 航 トナ リ タル ヲ以 テ,牡 丹 江 へ 直 行 ス ル コ トニ 変 更 ス。 出 発 ノ際 「図 佳 線 不 通 ニ ツ キ 牡 丹 江 へ 向 フ」 旨書 院 へ 打 電 セ リ。 蓋 シ必 要 ノ場 合 ハ 牡 丹 江 領 事 館 宛 通 信 ヲ得 ン ガ タ メナ リ。
八 月 八 日(日)
早 朝 ヨ リ下痢 ア リ,医 師 ヲ招 キ タ ルニ 数 日 間 静 養 ヲ勧 メ ラ ル 。 領 事 代 理 栗 本 秀 顕 氏,鉄 道 局 原 広 氏 ノ見 舞 ヲ受 ク。 緩 券 河 行 ハ 病 気 ノ タ メ中 止 ス。
東亜同文書院教授鈴木択郎の満州 国調査 旅行 八 月 九 日(月)
旅 宿 ニ テ静 養 。 下 痢 七 八 回 ア リ。
八 月 十 日(火) 静 養 。
八 月 十 一 日(水)
疲 労 衰 弱 甚 ダ シ キ モ,本 日 出 発,図 椚 ニ ー 泊 ノ予 定 ナ リ。 健 康 コ レ ニ堪 工 得 ル ガ如 ク感 ジ タル ヲ以 テ清 津 マ デ乗 リ続 ク ル コ ト トス 。 牡 丹 江 図 椚 間 鉄 道 局 百 々 増 次 郎 氏 ト同 道 ス。 午 前 十 一 時牡 丹 江 発 午 後 九 時 清 津 二 着 ク 。
八 月十 二 日(木)
午 前 七 時 半 ノ列 車 ニ テ 元 山 二 向 フ。 軍 事 輸 送 ノ タ メ此 ノ 線 ニ ハ 急 行 車 ナ シ。 午 後 十 時 五 十 八 分 元 山着 。 疲 労 衰 弱 甚 ダ シ ク且 ツ 歩 行 ノ際 下 腹 部 二 疲 労 ヲ覚 ユ ル ヲ 以 テ 金 剛 山 登 山 ヲ 中止 ス 。
八 月 十 三 日(金)
今 朝 ノ新 聞 ニ テ 上 海 ノ空 気 頗 ル 緊張 セ ル ヲ知 ル。 午 前 十 時 四 分 元 山発 京 城 二 向 フ。 午 後 四 時 三 十 分 京 城 着 。 昨 夜 睡 眠 十 分 ナ ラ ズ ,且 ツ朝 来暑気 甚 ダ シ ク甚 ダ疲 労 ヲ覚 ユ 。 旅 館 ニ テ休 息 ノ後 午 後 十 一 時 発 普 通 列 車 ニ テ 釜 山 二 向 フ。
八 月 十 四 日(土)
列 車 ハ 軍 事 輸 送 ノ タ メ梢 遅 延 シ テ 釜 山 着 。 午 前 十 一時 四 十 五 分 発 関 釜 連 絡 船 ニ テ下 関 二 向 フ。 今 朝 ノ新 聞 ニ テ上 海 ニ テ モ 日 支軍 既 二 砲 火 ヲ交 ヘ ツ ツ ア ル ヲ知 ル 。
上 海 二 帰 ル ベ キ ヤ 否 ヤ ハ 東 京 着 ノ上 上 海 ノ様 子 ヲ キ キ決 ス ベ ク,一 応 東 京 二至 ル ヲ 要 ス ル モ ノ ト認 メ,午 後 八 時 三 十 分 発 急 行 富 士 ニ テ 上 京 ス。
八 月十 五 日(日)
途 中 静 岡 ニ テ腹 痛 ヲ起 シ,医 師 ノ手 当 ヲ受 ケ数 時 間 休 息 ノ後 出 発,午 後 十 一 時 横 浜 着。
八 月 十 六 日(月)
同 文 会 へ 出 頭 。 上 海 ノ事 情 ハ 既 二 混 乱 二 陥 リ帰 院 ス ル モ 詮 ナ ク,コ ノ時 局 ハ 相 当 長 ビ キ,到 底 内地開校 ノ已ムナ キニ至 ルベ キ ヲ以テ,コ ノ方面 二努 力 サ レ タキ 旨理 事 ノ話 ア リ タ ル ヲ 以 テ,通 信 可 能 トナ リ,院 長 ノ指 示 ヲ仰
ギ 得 ル ニ 至 ルマ デ 滞 京 ス ル コ ト トナ ル 。
以 上
皿 鈴木択郎 「満洲国に於け る国語政策 に就いて」(昭和 十二 年度研究旅行報告書)
一,国 語 の 意 義
人 間 は そ の 本性 に 従 っ て,幾 十 年 来 そ の 社 会 化 の段 階 を踏 ん で 来 た。 即 ち 人 間 は 自 己 を一 層 大 な る社 会 に見 出 さ う と いふ 自我 実 現,自 我 拡 張 の 本 性 を持 っ て い る 。 而 して こ の 本性 を発 揮 す る上 に於 て 一 番 先 に 役 立 つ もの は 言 語 で あ る 。 故 に 自己 の言 語 が な るべ く大 き な 共通 力 を以 て,大 き な社 会 に 訴 へ 得 る こ と を 希 ふ の は総 て の 人 間 の 心 で あ る。 人 間 が 一 小 区 域 内 の 生 活 に 甘 ん じ,他 と の交 渉 を持 た ぬ場 合 に は,そ の 一小 区 域 内 の 共 通 言 語, 即 ち 方 言 を駆 使 し得 れ ば 足 れ り とす る もの で あ るが,交 通 が 開 け,他 との 交 渉 を持 つ 場 合 に は,自 我 拡 張 の 本性 に よ っ て,他 との 共 通 語 を 求 め ざ る を得 な い の で あ る 。 例 へ ば 封 建 時 代 に は他 藩 との 交 渉 は極 め て 薄 か っ た の で あ る か ら,他 藩 と の 共 通 語 に対 す る 要 求 は 極 め て 微 で あ り,従 っ て 各 々 孤 立 した 方 言 は益 々 孤 立 特 殊 化 の道 を辿 っ た の で あ るが,現 在 の 如 く中 央 又 は 各 地 との 接 触 交 渉 が 頻 繁 密 接 に な る に至 っ て は,更 に広 範 囲 全 国 に亘 る 共 通 語 の 必 要 に迫 られ る こ とは 当 然 の こ とで あ る。この 共 通 言
東亜同文書院教授鈴木択郎の満州国調査旅行
語 が 即 ち 国語 で あ る。 然 しなが ら斯 か る 言 語 の存 在 す る筈 は な い の で あ る か ら,他 の 方 言 と の類 似 点 を基 礎 と して 見 て,最 も 共 通 点 の 多 い もの を標 準 とす る の が 普 通 で あ り,こ れ を国 語 と称 す る 。
而 して か か る共 通 性 を有 す る 言 語 は 首 府 の 言 語 を 以 て 第 一 とす るの が 普 通 で あ る か ら,首 府 の 言 語 を 標 準 国 語 と して居 る 国 が 多 い 。 日本,英 国, 仏 国,ス ペ イ ン,支 那 の 如 きで あ る。 但 し ドイ ツ語 の 如 きは 古 の ゲ ルマ ン 領 域 の 上 に実 っ た もの で は な く,中 世 に 於 て ドイ ツ 人が 征 服 した 地 域 の 上 に定 っ た もの で あ る 。 而 して 現 代 ドイ ツ文 学 は 東 部 ドイ ツの 植 民 村 落 の 中 流 階 級 に於 て組 織 され た もの で,そ の 普 及 は ル ー テ ル の 聖 書 に負 ふ とこ ろ が 大 きい に して も言 語 そ の もの の 共 通 性 は そ の 前 に 於 て 既 に長 くエ ルベ 河 の 流 域 に養 は れ て い た の で あ る。 概 して 言 へ ば 主 と して 政 治 力 に よ っ て 統 一 した も の で あ る。 イ タ リー 語 の 如 きは 文 学 語 に よ っ て 統 一 され た とい ふ こ とが 出 来 る 。即 ち ダ ンテ,ボ ッカ チ オ,ペ トラ ル カ等 に よ って 建 設 され た イ タ リー高 級 文 学 は,フ ロ レ ンス 地 方 語 に よ っ て もの され た もの で あ る か ら,伊 太 利 語 は フ ロ レ ン ス語 を 以 て 統 一 され た の で あ る。 而 して我 が 満 州 国 は 支 那 語 の 共 通 性 が 断 然 他 を抜 い て い る の で は あ る が,政 治 的 の 関 係 に よ り,教 育 の 結 果 将 来 に於 て 共通 性 を持 つ べ く予 想 され る 日本 語 に よ っ て 共 通 語 乃 至 公 用 語 た ら しめ ん と して 居 る の で あ り,こ れ は 多 大 の 困 難 と 長 年 月 と を要 す る こ と を覚悟 せ ね ば な らぬ 。
二,一 国 一 国 語 主 義
「言 語 と思 考 と は 同 一 物 の 表 裏 で あ る。 」と言 は れ る通 り,「 言 語 は即 ち 心 で あ る 。 」 「言 葉 の 同 じ人 は 心 も同 じで あ る」と評 され る心 理 は素 朴 な言 ひ 表 は し方 で は あ る が,又 学 的 に も認 め られ る こ と で あ ら う。これ 即 ち 「国 語 は 国 民 連 繋 の 最 も本 質 的 に適 当 な もの で あ り,国 民性 格 の 最 も生 気 あ る 表 示 で あ り,国 民 共 通 文 化 の 最 も力 強 い 連 鎖 で あ る」 と言 は れ る(Blunt‑
schili)所以 で あ る 。従 って 近 世 国 家 主 義 の 発 達 は 言 語 の 此 の 重 要 性 を認 め 一 国 家 一 国 語 主 義 に よる 国 語 の 統 一 は 各 国 の均 し く重 視 す る と こ ろで あ る。
而 して こ れ は 単 な る便 利 の た め で な く民 族 的 大 同 団 結 に至 大 な る関 係 を有 す る もの で あ る 。
世 界 各 国 の 国 勢 を概 観 す る に,国 民 精 神 昂 揚 し,強 力 な る 団 結 を な し, 国 力 の駿 々 乎 た る 国 家 は 総 て 国 語 の 統 一 し居 る国,又 は そ れ に 努 力 を惜 ま ぬ 国 で あ る 。 そ の 適 例 は ドイ ツで あ ら う。 中 世 紀 に於 け る ドイ ツ語 の 通 用 範 囲 は極 め て 小 な る もの で あ っ た 。 中世 紀 以 後 に於 て 漸 次 ス ラ ヴ語 の 領 域 を蚕 食 し,強 力 を 以 て ドイ ツ語 の 普 及 を謀 り,そ の 間幾 多 の 曲折 は あ っ た が,遂 に強 い ドイ ツ主 義 を植 え つ け,強 力 な る 国 家 を成 した の で あ る。 米 国 の 如 き 自 由 を尊 ぶ 国 に 於 て も 欧 州 大 戦 の 経 験 に よ り断 然 同 化 主 義 を採 り,「Oneflag,Onelanguage,Onenation,Oneheart,」 の 実 現 を 期 し て, 各 民 族 の 母 語 に よ る教 育 を 禁 遇 した の で あ る。 我 が 国 に於 て も新 附 の 民 に 国 語 の 普 及 統 一 を 謀 る所 以 も こ れ に 外 な ら な い 。 支 那 に於 て も国 語 統 一 運 動 が 民 族 的 団 結 に 如 何 に役 立 っ た か は 人 の 知 る と こ ろで あ る 。
共 通 言 語 を求 め,自 我 拡 張 を謀 る こ と は 人 間 の 本 性 で あ る が 故 に,少 数 民 族 は 自発 的 に 一 国 家 一 国 主 義 の 実 現 に合 作 し,国 語 統 一 に よ る利 益 恩 沢 に浴 すべ き筈 で あ る が,言 語 は そ の 心 で あ り,天 性 に等 しい もの で あ る だ け に,実 際 問 題 と して は 自 己 の 言 語 を犠 牲 と し,他 に 就 くこ とは 特 殊 の 圧 力 を加 へ られ る場 合 以 外 に は 到 底 行 ひ得 ざ る と こ ろ で あ る。 即 ち何 人 と難 も 自己 の 民 族 の 誇 を 棄 て,天 性 を柾 げ て 他 に 就 くを 良 し と し な い の で あ り,常 に他 を して 己 に 就 か しめ ん とす る大 な る欲 望 が あ る 。 従 っ て 何 人 と 難 も 自己 の 言 語 を 推 広 して 共 通 語 と な さん とす る強 力 な る 本 性 を 有 す る が 故 に,標 準 語 に よ る 国 語 統 一 は頗 る重 要 事 で は あ る が,そ の 実 現 に は 重 大 な る 困難 を 克 服 せ ね ば な らぬ こ と と な るの で あ る。
一 国 内 に 数種 の 言 語 が 行 は れ る 場 合 に は,そ の 何 れ の 言 語 を以 て標 準 語 とす る も,そ の 他 の 言 語 を使 用 す る 民 族 の 利 害 と相 容 れず 。 国 語 政 策 宜 し を得 ざる と きは,国 語 統 一 の 成 績 を挙 げ 得 ざる の み な らず,往 々 に して 国 家 の 分 裂 を来 す に 至 る こ と は世 上 そ の 例 に乏 し くは な い。 欧 州 大 戦 前 に 於 け る オ ー ス トロ ・ハ ンガ リー 国 内 に 於 け る 人種 関 係 は 頗 る複 雑 で,一 八 四
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九 年 に は官 報 を以 て ドイ ッ語,イ タ リー 語,マ ヂ ャ ー ル語 等 十 ヶ国語 を用 ひ る こ と を規 定 して い る が,ド イ ツ民 族 の 勢 力 優 勢 な る と きは ドイツ語 に て 統 一 せ ん と し,マ ヂ ャー ル民 族 優 勢 な る と きは 或 はマ ヂ ャ ー ル語 を以 て 統 一 せ ん と し,常 に紛 争 を続 け,国 家 は 遂 に分 裂 せ ざ る を 得 ざる に 至 っ た の で あ る。 そ の他 欧 洲 諸 小 国,殊 に バ ル カ ン 方 面 に 於 て は 国 家 語 に関 す る 国 内 に 於 け る紛 争 は 人種 問 題 と密 接 な る 関 係 を持 っ て,常 に紛 争 分裂 の危 機 を孕 ん で い る の で あ る 。
言 語 を殊 〔異?〕 に す る以 上,人 種 問 題 は常 に統 一 を 妨 げ,衝 突 の危 機 を蔵 す る もの で あ るが,言 語 を 同 じ くす る場 合 は 人 種 問 題 は概 して 重 大 問 題 化 す る こ とは ない 。 これ 「言 葉 は心 で あ る 」の 理 に 外 な らず,言 語 を続 っ て の 人 種 乃 至 民 族 的 紛 争 は歴 史 上 及 び 現 在 将 来 に亘 っ て そ の例 枚 挙 に逞 な い 程 で あ ら うが,結 局 す る に,こ れ らの 紛 争 は 母 語 以 外 の 言 語 を強 制 さる る 苦 痛 不 利 を除 か ん とす る行 動 で あ って,そ の 強 制 が 厳 な る場 合 はそ の苦 痛 不 利 を免 れ ん とす れ ば,己 れ に 強 制 を加 へ る 他 民 族 の 強 制 力 か ら離 脱 す る よ り外 方 法 は な く,菰 に小 民 族 の 独 立 機 運 が 醸 成 され る こ と と な るの で あ る。 欧 洲 の 少 数 民 族 が 戦 後 強 制 力 の 弱 ま っ た の を機 に 民 族 自決 主 義 をか ざ し,幾 多 の 集 合 離 散 の あ っ た 所 以 で あ る。 これ を以 て 見 る も,言 語 問題 人 種,民 族 問 題 と大 部 分 の 場 合 併 行 す る の 重 大 な る 所 以 を知 る の で あ る 。 尚 最 近 に 於 て ドイ ツが 一 弾 を用 ひ ず して オ ー ス トリ ーの 併 合 を 完 成 した る が 如 きは オ ー ス トリー に於 け る独 化 主 義 の大 成 功 とい ふ べ きで あ る。 而 して 斯 か る 民 族 主 義 は 言 語 を以 て先 と した の で あ る 。 言 語 勢 力 の 優 勢 は 人 の 数 に於 け る優 勢,同 化 せ る人 心 の 優 勢 で あ り,従 って 政 治経 済 上 に於 け る優 勢 とな り,残 る は 国 境 の 撤 廃 な る事 務 的事 実 だ けで あ った の で あ る と解 し得 る もの で あ ら う。
三,満 州 国 に於 け る国 語 政 策
数 の 上 か ら見 て 支 那 語 を 常 用 す る漢 民 族 を 根 幹 と し,来 者 を拒 ま ざ る五 族 協 和 を標 榜 し,各 民 族 を 平 等 に遇 す る を 以 て 建 国 の 主 旨 とす る満 州 国 の
国 語 問 題 は 頗 る 複 雑 な る 問題 で あ る。 既 に 各 民 族 を平 等 に 遇 す る以 上,そ の 言 語 に対 して も平 等 な る待 遇 を與 ふ べ きは 勿 論 に して,或 一 民 族 の 言 語
を以 て他 民 族 に 強 制 す る こ と は,建 国 の 精 神 に 惇 る もの と言 は ね ば な ら ぬ 。然 し な が ら こ れ 等 諸 民 族 の言 語 日本 語,支 那 語,朝 鮮 語,蒙 古 語,
ロ シア 語 に 絶 対 自 由 を與 ふ る と きは,国 務 執 行 上 重 大 な る 不 便 支 障 を 来 すべ き こ と は 勿 論 で あ る が,結 局 に於 て は 各 民 族 は 各 々 そ の 民 族 語 を 他 民 族 に ま で押 し拡 げ,こ れ が 使 用 を強 制 せ ん とす る に至 る こ とは 必 至 の趨 勢 で,ひ い て は 国 家 の 不 統 一,国 民 精 神 の分 散 萎 靡 を来 し,国 家 を常 に不 安 と紛 乱 の裡 に置 き,甚 だ し きは 国 家 の 分 裂 を来 す に 至 る こ とは 過 去 及 び 現 在 の 複 国語 制 を 採 る 欧 洲 諸 国 に そ の例 少 な か ら ざ る と こ ろ で あ る 。 例 へ ば独,仏,伊 の 三 ヶ 国 を平 等 に 国語 と して 居 る 瑞 西,フ ラ ー マ ン語 と ワ ロ ン語 と を併 用 す る ベ ル ギ ー,国 内 に 十 ヶ国 語 が 行 は れ て居 っ た 欧 州 大 戦 前 の オ ー ス トロ ・ハ ン ガ リー,国 内 に英 語 と ア イル ラ ン ド語 の 用 ひ られ て い る英 国 の 如 きは,何 れ も国 務 遂 行 上 の 大 な る不 便 と各 民 族 の 国 語 を 続 りて の政 治 問 題 の 紛 起 等 は,以 て 満 洲 国 国語 政 策 上 の 前 車 の轍 と して大 な る戒 心 を要 す る と こ ろ で あ る 。
満 洲 国 の 枢 要 な る文 教 方 面 の 機 務 に参 劃 せ る こ とあ る或 人 の 意 見 と して は 「数 千 年 の 歴 史 を有 す る 支 那 語 を 日本 語 を以 て 同 化 す る こ と は到 底 不 可 能 で あ る 。 人 或 は 言 ふ 。 言 葉 は意 思 を疎 通 し,感 情 を柔 げ,平 和 円満 を招 来 す と。 然 し事 実 は 全 くそ の 反 対 で あ る。 何 とな れ ば 日本 語 を得 意 に操 る 支 那 人 は概 して 軽 薄 に して,日 本 道 徳,日 本 文 化 を 理 解 せ ず,日 本 人 に 非 ず,支 那 人 に 非 ず,頗 る 変 態 的 の 人 間 とな る 。平 和 は 言 語 の 問題 で は な い 。 理 解 と 同情 とで あ る 。 理 解 と同 情 とは軽 薄 者 に は期 待 し得 な い 」 と。
筆 者 も この 人 の 意 見 に つ い て は同 感 の 点 多 々あ る の で あ る 。 殊 に数 年 前 関 東 州 の 公 学 堂 を 参 観 した 際 に は公 学 堂 教 育 は 全 くの 同 化 教 育 で あ っ た が,斯 く し て教 育 され た 関 東 州 に於 け る支 那 人 は 日本 人 と して 立 つ に は勿 論 同 化 の 程 度 低 く,支 那 人 と して 立 つ に は支 那 的 教 養 足 らず,日 支 何 れ の 方 面 に向 ふ も一 人 前 と して 立 ち難 く,実 際 に 於 て 彼 等 の 生 活 範 囲 は 狭 阻 な
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る 関 東 州 内 の み に 限 ら る る もの に あ らず 。 必 ず や 純 然 た る支 那 に等 し き 当 時 の 満 洲 及 び北 支 方 面 を彼 等 の活 動 範 囲 と しな け れ ば な らぬ 。 か か る 地 位 に在 る関 東 州 内 支 那 人 を 非 支 那 人 とす る こ とは 彼 等 の 怨 を 買 ふ もの で あ る との 感 を抱 い た こ と で あ っ た が,満 洲 事 変 以 後,況 ん や 今 次 日支 事 変 以 後 に 於 け る満 洲 国 人(関 東 州 内 居 住 支 那 人 を 含 め)に 対 す る教 育 特 に 国 語 教 育 に関 して は 自 ら議 論 の 根 拠 を異 にす る もの で あ る 。 即 ち現 在 に於 て は 最 早 前 述 の 関 東 州 公 学 堂教 育 に対 す る不 満 は 之 を訂 正 し,又 前 述 の 或 人 の 満 人 に対 す る 日本 語 強 制 不 可 の 意 見 に も賛 意 を表 す る こ と の 出 来 ざる は 勿 論 の 事 で あ る 。
或 人 の 言 ふ が 如 く 日本 語 教 育 の 支 那 人 に 於 け る好 ま しか ら ざ る結 果 あ る こ と は 事 実 で は あ ら うが,そ れ は弊 害 の 一 面 で あ り,こ れ を以 て 日本 語 教 育 を全 般 的 に非 難 す る は寧 ろ 暴 論 と言 は ね ば な らぬ 。 又然 らず とす れ ば, そ れ は 日本 文 化 の理 解 吸 収 に 重 点 を置 か ず,目 前 の 応 用 の み に重 き を置 い た近 視 眼 的 教 育 の 齎 ら した好 ま しか ら ざる 結 果 で あ っ て,こ の 種 教 育 の 訣 陥 を 指 摘 した もの とい ふ こ とが 出来 る で あ ら う。 然 らば そ れ は教 育 の 改 善 に よっ て 矯 正 すべ き もの で あ っ て,奨 に 懲 りて 胞 を吹 くの 愚 を な す べ きで は な い 。 況 ん や 満 洲 国 建 設 の 由来,満 洲 国 の 日本 依 存 関係,殊 に 支 那 事 変 後 に 於 け る東 亜 の 趨 勢 よ り見 る と きは,前 述 の 如 き悲 観 的 意 見 は 放 棄 せ ら れ ね ば な ら ぬ 。 宜 し く満 洲 国 内(今 後 は 支 那 各 地 に も)に 日本 語 を普 及 し て 日本 文 化 を 理 解 せ しめ,日 本 を信 頼 せ しめ,日 本 と真 に 協 力 す る の 精 神 を 養 成 せ ね ば な らぬ 。「言 葉 は 心 で あ る」。同 じ言 語 を語 る 者 は思 想,感 情, 風 俗 等 に融 和 を来 す こ と容 易 で,同 一 国 語 を語 る 異 民 族 は,異 る国 語 を語 る 同 民 族 よ りは 更 に融 和 す る もの で あ る こ と も歴 史 の 証 明 す る と こ ろ で あ る 。 例 へ ば 日本 に移 住 せ る多 数 の異 民 族 が,今 尚 各 々 固 有 の 言 語 を用 い て 居 っ た と仮 定 す れ ば,日 本 精 神 の 大 同 団 結 は期 せ ら れ な か っ た で あ ら う。
又 支 那 に於 け る満 洲 民 族 は 現 在 は 言 語 及 び 風 俗 習 慣 まで も全 く漢 民 族 に 同 化 して しま っ て 居 るが 故 に 既 に満 洲 民 族 た る の 意 識 は 全 く之 を 喪 失 〔し て 〕し ま っ て い る 。然 る に 蒙 古 民 族 は 支 那 に君 臨 す る こ と比 較 的 短 年 月 で,
漢民 族 に 同 化 され る に 至 らず,固 有 の 言 語 を保 持 し,固 有 の 領 土 の 一 部 を 保 持 して い る ため,そ の 民 族 意 識 は 今 尚熾 烈 な る もの が あ る 。 若 し彼 等 に して 固 有 の 言 語 を 喪 失 して 居 っ た な ら ば,既 に そ の民 族 を も喪 滅 して 居 っ た こ と で あ ら う。 又 例 を ユ ダヤ 人 に取 れ ば,彼 等 は 一 の 言 語 を 有 せ ず,国 土 を有 して 居 らぬ か ら,そ の 勢 力 は そ の 雄 厚 な る財 力 を以 て世 界 を或 程 度 ま で 動 か し得 る に 過 ぎぬ 。
斯 くの 如 く民 族 の 消 長 又 は,国 語 は 誠 に重 大 な る役 割 を演 ず る もの で あ り,言 語 は 往 々 に して 人種 を超 越 す る もの で あ る か ら,国 語 統 一 に よ る国 民 主 義 の 昂 揚 を謀 るの は現 今 其 国 の 趨 勢 で あ る 。 我 が 国 に於 け る五 十 年 来 の 教 育 の 普 及 と国 語 の 統 一,近 来 に於 け る米 国 内 の 外 国 語 に よ る教 育 に 対 す る 禁 遇,支 那 国 民 政 府 の取 り来 れ る 国 家 主 義 強 調 に歩 調 を 合 せ た る 国 語 統 一,ド イ ツ に 於 け る顕 著 な る ドイ ツ語 の 普 及統 一 に よ る ドイ ツ主 義 の 移 植 強 化,そ の 他何 れ の 国 と錐 も国 家 の 統 一 強 化 の た め に国 語 統 一 を謀 らな い もの は な い 。 満 洲 国 に於 て も,例 外 た る こ とは 許 され な い こ とで あ る 。 然 しな が ら 国 語統 一 に よ る 同化 は 言 ふ べ く して頗 る功 を挙 げ難 い もの で あ り,満 洲 国 の如 き複 雑 した る 国 家 に 於 て は 尚 更 功 を急 ぐ こ とは 戒 しめ ね ば な らぬ 。
然 らば,満 洲 国 に於 け る 国語 の実 情 は如 何 で あ ら うか 。 標 準 語 問 題 に 関 して は 建 国 早 々 国 語 研 究 会 な る もの を組 織 せ ん と した が,五 族 協 和 の 問 題 に 触 れ る の で 成 立 に 至 ら なか っ た が,事 実 上 は 公 文 書 類 は 支 那 文(以 下 満 文 と称 す)を 主 と し 日訳 を附 す る の を普 通 と して 居 る。 興 安 省 の 如 き蒙 古 地 方 に於 て は蒙 文 を 主 と し日文 又 は 満 文 を従 と して 居 る 。 す べ て実 際 上 の 便 宜 に従 っ て居 る 。 近 来 は 日満 文 共 に使 用 され何 れ が 主 で あ る か 不 明 な程 で あ る。 政 府 公 報 の如 き も従 前 は満 文 と 日訳 と を併 載 した の で あ る が,現 在 で は 日訳 とせ ず,何 れ も正 式 な る 国 文 と いふ こ と に な っ て い る。 次 に国 民 に 対 す る 国 語 教 育 を 見 る に,学 校 に 於 け る教 授 用 語 は 日本 語 満 洲 語(支 那 語)と し,官 庁 用 語 布 告 文 等 も之 に 同 じ。 但 し蒙 古 地 方 は 蒙 文 及 び 日文
で あ る。 即 ち教 育 語 公 用 語 と して は県 制 の 地 方 に 於 て は 日語 満 語,旗 制 の
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地 方 に於 て は 日語 蒙 語,県 制 旗 制 併 置 の 地 方 に於 て は 満,蒙 語 及 び 日語, 白系 露 人 に対 して は 露 語 日語 を用 ひ しめ る 。 朝 鮮 語 は 正 課 と して は課 さぬ こ と に な っ て い る。 右 の 如 く学 校 に 日本 語 を課 し,日 本 語 を教 育 語 と し て 用 ひ る こ とは 二 三 年 来 の 趨 勢 で あ っ て,以 前 は 頗 る 困 難 を感 じた との こ と で あ る。 右 の 如 き実 状 よ り見 れ ば,教 育 の 普 及 後 に 於 て は 何 れ の 人種 民 族 を 問 はず,母 語 以 外 に 必 ず 日本 語 を解 す る こ と とな るの で,日 本 語 は 満 洲 国 に於 け る 共 通 語,公 用 語 とな る筈 で あ る 。
斯 く して 日本 語 が 満 洲 国 に於 け る 共 通 語 公 用 語 と な る べ き こ とは確 実 で あ るが,日 本 民 族 以 外 の 民 族 に と って は容 易 な らぬ 負 担 で あ り苦 痛 で あ る こ と は 事 実 で あ る。 これ は 日本 の 領 土 で あ る台 湾 朝 鮮 に於 け る 国語 普 及 の 状 況 か ら見 て も想 像 に難 くは な い 。 台 湾 及 び朝 鮮 が 我 が 統 治 下 に 入 っ て か ら既 に 三 四 十 年 を経 過 せ る今 日に 於 て も,国 語 常 用 者 は 前 者 は総 人 口 の 三 割,後 者 は 僅 か に 一 割 に過 ぎ ざる 状 態 で あ る。 異 民 族 にそ の 常 用 語 に非 る 国 語 を強 制 して そ の 常 用 語 た ら しめ る とい ふ こ と は,殆 ん ど不 可 能 に属 す る。 満 洲 民 族 が 完 全 に漢 民 族 に 同 化 され た る如 き は,満 洲 族 が 数 に 於 て 極 め て 少 く,そ の 文 化 が 漢 民 族 の 文 化 に比 し極 め て 低 か っ た ため で,斯 くの 如 き完 全 同 化 は 極 め て稀 な例 で あ る。 其 他 に於 て は 国 語 の 極 端 な る 強 制 は 多 く失 敗 に終 っ て い る。 露 領 ポ ー ラ ン ド,独 領 ポ ー ラ ン ドに於 て は 公 用 語 は 勿 論,教 育 語 と して もポ ー ラ ン ド語 の 使 用 は 一 切 許 され な か っ た の で, ポ ー ラ ン ド人 は常 に治 者 に対 し反 抗 し,露 領 ポ ー ラ ン ドに於 て は 日露 戦 争 を 機 に一 大 反 乱 を起 し,学 童 の ス トラ イキ も之 に 伴 っ たの で,露 国 政 府 は 已 む を得 ず ポ ー ラ ン ド語 の 私 立 学 校 を 設 立 す る こ と を許 可 して之 を鎮 圧 し た 。 独 領 ポ ー ラ ン ドに於 て もそ の 影 響 を受 け て学 童 の ス トラ イキ を起 した が,目 的 は達 せ られ な か っ た 。 しか しポ ー ラ ン ド人 は 尚 ほ独 逸 に 対 す る 反 抗 を止 めず,人 種 的 反感 と相 侯 っ て益 々反 独 的 と な り,プ ロ イ セ ンの 統 治 を 離 脱 せ ん とす る重 大 な る 政 治 問 題 とな っ た。 独 逸 もや む な くポ ー ラ ン ド 語 の 私 立 学 校 の 設 立 を 許 可 した が,間 も な く一 八 七 三 年 の 教 育 令 に よ っ て 一 切 之 を厳 禁 した。 露 領,オ ー ス トリヤ 領 両 ポ ー ラ ン ドに於 て は,漸 次 自
由 を 與 へ られ た の で,漸 次 自主 独 立 に 向 っ て 進 ん だ の で あ る 。 而 して 欧 州 大 戦 を 機 に何 れ も他 民 族 の 統 治 か ら脱 して,ポ ー ラ ン ド独 立 国 を形 成 した
の で あ る 。
仏 領 印 度 支 那 に 於 て は 上 流 階 級 の 永 い 間使 用 して居 っ た 漢文 字 を 断 然 全 廃 し,之 に代 ふ る に ロ ー マ 字 を以 て した結 果,印 度 支 那 に於 け る 上 流 社 会 の 気 風 を頽 廃 せ し め た こ と は植 民 統 治 史 上 有 名 な事 実 で あ る が,学 者 の 中 に は これ を以 て 永 い 間慣 れ た 象 形 文 字 よ り受 くる心 的 感 化 を重 視 した た め で あ る と論 じて 居 る 者 が あ る 。 此 の 議 論 は必 ず し も人 を承 服 せ しむ る もの で は ない が,前 に 紹 介 した或 人 の 言 「得 意 に 日本 語 を操 る支 那 人 は概 して 軽 薄 で あ る」 と い ふ の と関 連 す る と こ ろ 有 る が 如 く に思 は れ る 。
次 に我 が 新 領 土 台 湾 朝 鮮 に於 け る状 態 は 如 何 で あ ら うか 。 前 述 の 如 く両 地 に於 け る国 語 常 用 者 は 台 湾 は 全 人 口 の 三 割,朝 鮮 は 壱 割 と称 せ られ て 居 る が,両 地 に於 け る 国 語 政 策 は 相 当厳 格 で,此 の事 実 を以 て 「威 圧 を 以 て 民 に臨 み,民 心 の 離 反 を助 長 す る の愚 を敢 て しつ つ あ る驚 くべ き事 実 」 と して 論 を なす 者 が あ る(「新 領 土 に於 け る 国 語 問 題 の 重 大 性 」,松 岡正 男,エ コ ノ ミス ト,昭 和 十 二 年 七 月 一 日号)。 そ の 論 文 の 中 に昭 和 十 二 年 三 月 一 日 発 行 朝 鮮 日報(京 城 に て発 行 の 朝 鮮 人 の 手 に成 る諺 文 新 聞)社 説 「官 公 文 お よ び公 職 者 の朝 鮮 語 使 用 禁 止 」 と題 す る 一 文 を紹 介 して居 る 。 そ の文 に 曰 く,
「… … 国語 を常 用 せ ざる もの に対 して 朝 鮮 語 の使 用 を禁 止 し,国 語 だ け を使 用せ よ とい ふ の は,即 ち現 実 を無 視 した処 置 と言 は ね ば な らぬ 。 …
… 官 公 吏 公 職 者 に家 族 に 向 っ て まで 朝 鮮 語 を使 用 す る な とい ふ こ とは 事 実 上 実 行 不 可 能 な こ とで あ る。 何 と なれ ば家 庭 には 朝 鮮 語 しか 使 用 し得 な い 父 母 妻 子 が あ り,ま た 社 会 に は 朝 鮮 語 しか 知 らぬ 友 人 知 己 が あ る, か らで あ る 。 日 本 語 が 国 語 で あ る 以 上,国 語 を 奨 励 しそ の 普 及 を期 す る こ と には 異 存 は な い 。 当 然 な こ とで あ る。 しか し国 語 を必 ず し も一 語 に 限 る こ とは 鉄 則 で は な い 。 … … 日本 語 が 国 語 に な っ た か ら とて 朝 鮮 語 を 極 度 に制 限 す る の は 不 可 で あ る 。 人 口二 千 三 百 万 中 十 七%ま で が 朝 鮮 語
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を使 用 し,国 語 を理 解 す る もの は 僅 か に 一 割 に も 足 らぬ 現 状 で … … 国 語 使 用 を 強 要 す る は,実 行 不 可 能 な 無 謀 な 処 置 で あ る。(下 略),
又 「台 湾 に於 て は 朝 鮮 に於 て 許 可 さ れ て 居 る諺 文 新 聞 に相 当 す る 新 聞 の 漢 文 欄 を廃 止 し,台 湾 本 島 人 の経 営 に か か る唯 一 の 新 聞 「台 湾 新 民 報 」 が 昨 年 六 月 一 日か ら漢 文 欄 を廃 した 。 こ れ は 形 式 は 自 発 的 で は あ る が 事 実 は 圧 迫 的 で あ る。 国 語 常 用 者 が 人 口 の 三割 に充 た ぬ 台 湾 に於 て,漢 文 欄 廃 止
を想 法 す る必 要 が何 処 に あ る か 」 と論 じて い る 。
誠 に常 用 語 に 非 る 国語 の み の 使 用 を,特 に 家 庭 に 於 てす ら も強 要 せ られ る とい ふ こ とは 苦 痛 で あ る に 相 違 な い 。 前 述 の ポ ー ラ ン ドの例 に 見 る も明 らか な こ とで,一 歩 誤 れ ば 国 家 の 重 大 事 を惹 起 す る の虞 あ り,為 政 者 の心 す べ きこ とで あ る。 即 ち 寛 に過 ぐれ ば 漸 次 自 主 独 立 に 向 っ て進 み,厳 に 失 す れ ば苦 痛 に堪 えず して 離 反 の 道 を 辿 る こ と と な る 。
以 上 に よ って 見 る も満 洲 国 の 国語 を複 国 語 制 と し,日 本 語 を 共 通 語 とす る こ とは 満 洲 国 の 地 位 よ り見 て適 当 な も の と思 惟 さ れ る が,日 本 語 の 強 制 に は寛 厳 宜 しき を得,厳 に失 す る こ と は絶 対 に避 け ね ば な らぬ 。 他 民 族 を して 日本 語 常 用 者 た ら しむ る こ とは 絶 対 に不 可 能 事 で あ っ て,不 可 能 事 の 実 現 を謀 るべ きで は ない 。 若 し之 を実 現 せ ん とす れ ば,長 年 月 を費 して 圧 倒 的 多 数 を 占 む る 日本 人 を 移 植 して経 済 的 に 他 民 族 を駆 逐 す る よ り外 な く,斯 くの 如 きは,是 亦 不 可 能 事 で あ り,縦 ひ可 能 な りとす る も東 亜 の 安 定 を使 命 とす る 皇 道 精 神 に 反 す る もの で,断 じて 行 ふべ か ら ざ る もの で あ る 。 要 之 假 す に 長 年 月 を以 て,日 本 語 を 普 及 し,満 州 国 に包 容 せ られ る一 切 の 民 族 を して,日 本 文 化 の真 の 理 解 者 た ら しめ,日 本 に信 頼 し,日 本 に 親 しみ,日 本 を愛 し擁 護 す る 者 た ら しむ れ ば 足 る の で あ る。
東亜 同文書 院教授 鈴木揮郎 的偽満調査旅行
職 前 上 海 東 亜 同 文 書 院 毎 年 派 遣 畢 業 年 級 的 學 生 去 中 國 各 地 進 行 實 地 調 査 ・他 椚 写 的"大 旅 行 日記"和"現 地 調 査 報 告 書"歴 史 上 已纒 受 到 根 高 的 評 俳 ・与 此 同 時 書 院 的 教 授 椚 自己 挙 行 了 研 究 調 査 旅 行 ・旅 行 之 后 他 椚 也 写 了"研 究 旅 行 日記"和"研 究 旅 行 報 告 書"・1937年 夏 天 愛 知 大 學 中 日大 辮 典 的 主 編 鈴 木 教 授 也 挙 行 了 研 究 調 査 旅 行 ・其 題 目是"關 干 満 洲 国 的 国 語 政 策"・ 七 七 事 件 爆 螢 的 第 二 天 鈴 木 從 天 津 坐 火 車 去 了北 平 ・在 此 地 親 眼 看 到 了混 乱 当 中的 日本 居 留 民社 会 ・然 后 又 訪 問 了偽 満 ・8月 中 旬 第 二 次 上 海 事 変 爆 登 的 時 候 見 鈴 木 在 朝 鮮 報 紙 上 看 到 了上 海 的 混 乱 状 態 ・因 為 鈴 木 没 辮 法 去 上 海 回 書 院 ・所 以 先 去 日本 伐 東 京 的 東 亜 同 文 会 打 所 消 息 ・当時 上 海 東 亜 同 文 書 院 的 領 導 己 纒 作 出 決 定 譲 所 有 的 師 生 暫 時 回 国避 難 ・回 国 后 鈴 木 写 了"關 干 満 洲 国 的 国 語 政 策"的 報 告 ・錐 然 鈴 木 所 提 出 的 国 語 政 策 的 内 容 是 温 和 的 ・ 但 是 在 七 七 事 変 后 的 混 乱 的 局 面 下 他 還 夢 想 着 偽 浦 的 長 期 的 国 語 政 策 ・