中国専制国家論序説 A Note on the Chinese Despotism
吉 田 法 一 Kolchi YOsHIDA
(平 成 9年 10月 6日 受理
)1.中 国古代専制国家の二つの見方
(1)銭 穆 と張君励 を例 として。
(a)銭 穆の専制否定論
「歴史 は究極 において客観的な事実であ り、歴史 には誤 りとい うものは存在 しない」 *1銭 穆氏 は、 このような歴史への全面的信頼 と、「共尊共信」に裏打 ちされた中国伝統社会 に対する愛着 に基づいて、中国古代国家が専制国家であった ことを否定 している。 この氏の主張は以下の二 つの文章 に集約 され よう。一つは政権解放論 もしくは士人政府職責論である。
「我々中国の歴史では漢の時代以降の政治 を、皇権政治 とよぶ ことはで きない。 これは 皇帝一個人だけで国家の大権 を掌握することが不可能だったか らである。 しか しまた、そ れを貴族政治 とよぶ こともで きない。漢代以降、 確実に貴族 とよびうるものが存在 しなかっ たか らである。では、軍人政権 といえるだろうか。我々 は漢の政府以来、すべてが軍人 に よって掌握 された という事実 を見出す ことはで きない。それを資産階級の政権 とよぶ こと がで きるだろうか。中国には一貫 して資産階級 は存在 しなかったのである。
それ故 に、もしも政権 とい うのな らば、中国の政府 は一種の士人政府 とよぶべ きであ り、
政府の大権 はすべて読書人の手のなかに掌握 されていたのである。漢代か ら明代 まですべ て この通 りであった。 しか も考試制度の下 において読書人が政府 に入 ることにも種々の規 制があった。制度の規定するところに従 えば、読書人 には絶対 に世襲の特権 はなかったの である。 このため中国社会 において、読書人 はただ一種の流品で しかな く、階級 とはな ら なかった。
いま、あらためて中国の政治 はなぜ、 とくにこのような制度 を発展 させて政権 を読書人 に付与 し、貴族や軍人や富者や困窮者な どによるあらゆる型の専制 を意識的に防止 したの か、 ということを考 えてみると、 どうしても一歩をすすめて、中国の政治の理想が職責を 重視 して、主権 を重んじなかった という一点にまで論議 を発展させなければならなかつた のである。」 *2
この主権を重んじなかったという点について銭穆氏はさらに以下のように分析している 6
「中国歴史上の政権 は早い時代から解放 されていたから、中国人は昔から政府の主権が どこに帰属するか、 ということについて討論 をしなか 3た 」 *'
以上の銭穆氏の主張の核心は士人政府論にある。国民を代表するという側面からすれば、政
権 は万民 に解放 されているが、民衆 を代表する形態 は、西欧の選挙制議会 に対 して中国では公 開の考試制度 によって選抜 された読書人か らなる士人政府である。選挙 と考試 とは民衆 を代表 す る二つの形態であっていずれ も「民主主義」である、 とい うことになる。 また権力の構成 と い う側面か らすれば、 「中国のような広大 な国家 においては、その政治主権が一個 の人間の手の 中で操 られ るとい うことは不可能で」あ り、 「そのために政権 を掌握する者 は必ず集団にならざ るをえない」 *4、 勿論 この集団 とは士人政府 にほかな らない。
銭穆氏の二つ目の主張 はいわば「公的制度論」 もしくは「制度本質論」 とで も名付 けられ る ものである。 「お よそ制度 は公的なものか ら発生するもので、公的な配慮 の下 に形成 されたい く つかの基準や尺度が制度なのである。J*5こ の立場か らすると、皇帝権 (皇 権)と 宰相権 (相 権
)との分離 こそが公的 =制 度的の ものであ り、むしろ宰相 こそが政府 を代表 し、その「領袖 とし て政治上のすべての実質的責任 を負 っていた」 *6の である。ただ し、皇室 と政府の分離、皇帝権
と宰相権 の分離 は、慣習であって明確 な規程 はなかったので、「雄才大略のある皇帝の場合 は
………宰相 の職権 を犯 そうとした」 *7し 、逆 に 「皇帝が無能の場合 は政治 に関 して皇帝 を拘束で きるような制度 はなっかた」 *8の である。しか し、銭穆氏 はこれは制度の例外 として処理するの である。 「すべての法規が時には厳密 に守 られなかった。ということもまた事実であるが、しか し厳密 にいえばこれ らの事柄 はすべて例外的な ことで あ り、それ は前例 とすべ きもので はな い」 *9。 「一種 の上ヒ較的合理的な開明的専制であった………そこには自ずか ら制度があ り自ずか ら法規 が あった ので あって、決 して皇帝一人 の意 志 によってすべ てが決定 されたので はな い」 *1° 。 この皇帝 と宰相 のいずれが政治的決定権 を最終的に掌握 しているのか、 という判断は 中国古代の「専制国家 Jの 「 (非 )専 制」を如何 に考 えるか という問題 のキイ・ポイン トである。
銭穆氏 の制度 (制 度形成の理念 )こ そ本質であって現実の諸行為 は例外であるというこの見方 は、一方の極 を形成するものである。
(b)張 君励 の批判
張君励氏 は『中国専制君主政制之評議』 を著 して、銭穆氏の論点 に対 して全面的な批判 を展 開 した。銭穆氏 の主張 自体が広範 な歴史研究 に支 えられているのに対応 して、張氏の逐条的批 判 もその論点 は前近代中国の制度全般 にわたっているが、その批判 の視点 は明快である。すな わち、近代的・ 西洋的政治学 にもとず く国家論、主権論か らの銭穆説、 とい うよりもむ しろ前 近代 中国の専制的政治制度 自体への批判である。
「宰相、三省、文官制 な どの諸制度 はすべて君主制 という政治制度か ら発生 した ものであっ て、 その制度のあれや これやが改廃 され、 また官僚の誰彼が登用 された り退 けられた りするの は、君主一人 の判断によるのであって、現代西欧国家の内閣総理大臣や文官制度 とは比較で き るものではないのである。 この相違 は君主の主権 の存在 にもとづ くものであって、銭穆先生の 否認す るところの ものなのである。銭穆先生 は君主専制 とい う呼称 は中国の君主 には適用すべ きでない と考 えている。 しか し例 えば秦、漢、唐、宋の歴史や、秦の始皇帝か ら辛亥革命後の 衰世凱 に至 るまでを見てみれば、 自分一人の意志で独断独行 し、天下 を自己の私有財産 とみな さなかった者が一人 としていただろうか。この間に賢明な君主 と暗愚な君主の違いはあって も、
天下 を一家の私有財産 とする点ではだれ も皆同 じだったのである。」 *11
「我が国の君主制 と西欧の民主制 とを比較 してその利害 を明 らかにしてみよう。一つめは隠
薇 と公開。二つめは法律 の (君 主 に対する )拘 束力 (の 有無 )。 三つめは民意の表示方法。四つ
めは三権分立原則が (君 主の行為 を )帝 J約 しその原理 を貫徹す るか否か。
五つつめに基本的人権が権力の限界 を定 め、民主制 を保証 しているか。 この五つの ものが専制 君主制 と民主制 を区別する所以である。」 *12
皇帝の意志、欲望 を実質的に制約する一切の ものの欠如が、中国の「専制君主政制」の本質 であ り、天下の一切が皇帝の私有財産である以上、政府 と王室、政務 と家務、皇帝権 と宰相権 の区分 は単 に形式的な ものであ り、宰相府の独立性 は仮像 にすぎない、 とい うのが張氏の主張 の核心である。銭穆氏の制度 に対 して、張君励氏 は実質 を対置 したのである。
報告者 (吉 田 )は 専制の本質 については張君励氏の主張が正 しい もの と考 える。 しか し、 こ れで中国古代専制国家の本質、形態 に関する問題が決着 したわ けではない。張氏の近代政治学 か らの鋭利 な批判 は、中国史の内在的、構造的な分析 にまで深め られる必要がある。例 えば、
政務 と家務が制度的に区別 されているとい う銭穆氏 に対 して、それ らが ともに皇帝の手中にあ るとい う批判 は、「家産官僚制 国家」であるにもかかわ らず、それではなぜ この二つが形式的で あれ分離 しているのかを説明 した ことにはな らない。むしろ両者 の見解 は歴史分析 の次元 を異 にしている、 とも考 えられ る。皇帝権の宰相権への干渉 は制度への「逸脱」だ とす る銭氏 に対 して、 「逸脱」こそが本質だ とい う批判 は、何故「逸脱」を実質的に阻止す る制度や法が形成 さ れなかったのか、あるいはまた逆 にこの種 の観念や「制度」が何故 ある程度有効 に (銭 穆氏 を 惑わす レベルにまで有効 に )形 成 されたのかを、説明することが困難であろう。
(C)申 華人民共和国における銭穆批判
1950年 代 の中国においては社会主義への移行 の一環 として伝統文化、思想への原理的批判が 展開され、銭穆氏 の『国史大綱』他の著作 は、伝統文化 を擁護する復古的、反動的な もの とし て激 し く攻撃 された。『歴史研究』1959年 第一期 に掲載 された「批判銭穆的 国史大綱 "」 は史 的唯物論の立場か らの原則的批判 を展開 した ものであった。天津師範大学歴史系中国古代、中 世史教研組 は「国史大綱」が中国古代史 において、階級の存在 を否定 し、階級対立 に替 えて階 級融合 を説 き、 さらに国家 を階級対立 を消 し去 り、階級の調和 を実現す る道具 とみなし、 また 文化 を歴史発展の第一の決定者 とす る唯心論の立場 にたっていると批判 している。 また察尚思 氏 は「銭穆的復古論」 *13に おいて銭氏 を「中国式民主」以下 7点 にわたって批判 している。 し か しなが ら、古代 中国国家 を専制、君主専制 とみなす ことは自明の前提であるとされているよ うで、張君励氏の場合 と同 じような問題 を抱 えていると思われ る。 これは「専制」 とはいつた い どのような政治制度 を意味するのか、必ず しもはっきりしていない とい うことと関係がある。
像 )洪 家義・ 沙路 (謝 天佑 )の 論争
(a)洪 家 義
この問題 は1980年代前半 に洪家義、沙路 (謝 天佑 )両 氏 の間で再浮上 した。論争の直接の契 機 は『呂氏春秋』のいかなる思想が反君主専制的な ものであるか、 とい うものであ り、 「任賢」、
「納諫」が いかなる意味で君主専制 を制約するのか、 とい う点で両氏 は対立 した。論争の中で 両氏 は君主制 と君主専制 とを同一の「君主政体」 (広 義の君主制)と す ることで一致 し、 さらに この二つの「区別 は君主権力の大小 にある」 とい う点で も同 じ認識 に到達 した。 しか し、なお 両氏が論争せ ざるをえなかったのは、君主専制 の概念の理解が異なっていたか らである。洪家 義氏 は最初の論考では君主専制 を権力の集中 とい う視点か ら説明 した。 「所謂君主専制 とは一切 の権力 を君主一人 の手 に集中し、一切 の人権 を蔑視 し、為 さん と欲す る所 を為 して、 まった く 制約がない、ということである」。 *14君 主専制 とは権力の君主一人への集中 と、それが一切の制 限 を受 けない無制約の権力である と定義 したのである。そして 《呂氏春秋》の反君主専制思想
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