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中国専制国家論序説

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中国専制国家論序説 A Note on the Chinese Despotism

吉 田 法 一 Kolchi YOsHIDA

(平 成 9年 10月 6日 受理

)

1.中 国古代専制国家の二つの見方

(1)銭 穆 と張君励 を例 として。

(a)銭 穆の専制否定論

「歴史 は究極 において客観的な事実であ り、歴史 には誤 りとい うものは存在 しない」 *1銭 穆氏 は、 このような歴史への全面的信頼 と、「共尊共信」に裏打 ちされた中国伝統社会 に対する愛着 に基づいて、中国古代国家が専制国家であった ことを否定 している。 この氏の主張は以下の二 つの文章 に集約 され よう。一つは政権解放論 もしくは士人政府職責論である。

「我々中国の歴史では漢の時代以降の政治 を、皇権政治 とよぶ ことはで きない。 これは 皇帝一個人だけで国家の大権 を掌握することが不可能だったか らである。 しか しまた、そ れを貴族政治 とよぶ こともで きない。漢代以降、 確実に貴族 とよびうるものが存在 しなかっ たか らである。では、軍人政権 といえるだろうか。我々 は漢の政府以来、すべてが軍人 に よって掌握 された という事実 を見出す ことはで きない。それを資産階級の政権 とよぶ こと がで きるだろうか。中国には一貫 して資産階級 は存在 しなかったのである。

それ故 に、もしも政権 とい うのな らば、中国の政府 は一種の士人政府 とよぶべ きであ り、

政府の大権 はすべて読書人の手のなかに掌握 されていたのである。漢代か ら明代 まですべ て この通 りであった。 しか も考試制度の下 において読書人が政府 に入 ることにも種々の規 制があった。制度の規定するところに従 えば、読書人 には絶対 に世襲の特権 はなかったの である。 このため中国社会 において、読書人 はただ一種の流品で しかな く、階級 とはな ら なかった。

いま、あらためて中国の政治 はなぜ、 とくにこのような制度 を発展 させて政権 を読書人 に付与 し、貴族や軍人や富者や困窮者な どによるあらゆる型の専制 を意識的に防止 したの か、 ということを考 えてみると、 どうしても一歩をすすめて、中国の政治の理想が職責を 重視 して、主権 を重んじなかった という一点にまで論議 を発展させなければならなかつた のである。」 *2

この主権を重んじなかったという点について銭穆氏はさらに以下のように分析している 6

「中国歴史上の政権 は早い時代から解放 されていたから、中国人は昔から政府の主権が どこに帰属するか、 ということについて討論 をしなか 3た *'

以上の銭穆氏の主張の核心は士人政府論にある。国民を代表するという側面からすれば、政

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権 は万民 に解放 されているが、民衆 を代表する形態 は、西欧の選挙制議会 に対 して中国では公 開の考試制度 によって選抜 された読書人か らなる士人政府である。選挙 と考試 とは民衆 を代表 す る二つの形態であっていずれ も「民主主義」である、 とい うことになる。 また権力の構成 と い う側面か らすれば、 「中国のような広大 な国家 においては、その政治主権が一個 の人間の手の 中で操 られ るとい うことは不可能で」あ り、 「そのために政権 を掌握する者 は必ず集団にならざ るをえない」 *4、 勿論 この集団 とは士人政府 にほかな らない。

銭穆氏の二つ目の主張 はいわば「公的制度論」 もしくは「制度本質論」 とで も名付 けられ る ものである。 「お よそ制度 は公的なものか ら発生するもので、公的な配慮 の下 に形成 されたい く つかの基準や尺度が制度なのである。J*5こ の立場か らすると、皇帝権 (皇 権)と 宰相権 (相 権

)

との分離 こそが公的 =制 度的の ものであ り、むしろ宰相 こそが政府 を代表 し、その「領袖 とし て政治上のすべての実質的責任 を負 っていた」 *6の である。ただ し、皇室 と政府の分離、皇帝権

と宰相権 の分離 は、慣習であって明確 な規程 はなかったので、「雄才大略のある皇帝の場合 は

………宰相 の職権 を犯 そうとした」 *7し 、逆 に 「皇帝が無能の場合 は政治 に関 して皇帝 を拘束で きるような制度 はなっかた」 *8の である。しか し、銭穆氏 はこれは制度の例外 として処理するの である。 「すべての法規が時には厳密 に守 られなかった。ということもまた事実であるが、しか し厳密 にいえばこれ らの事柄 はすべて例外的な ことで あ り、それ は前例 とすべ きもので はな い」 *9。 「一種 の上ヒ較的合理的な開明的専制であった………そこには自ずか ら制度があ り自ずか ら法規 が あった ので あって、決 して皇帝一人 の意 志 によってすべ てが決定 されたので はな い」 *1° 。 この皇帝 と宰相 のいずれが政治的決定権 を最終的に掌握 しているのか、 という判断は 中国古代の「専制国家 Jの 「 (非 )専 制」を如何 に考 えるか という問題 のキイ・ポイン トである。

銭穆氏 の制度 (制 度形成の理念 )こ そ本質であって現実の諸行為 は例外であるというこの見方 は、一方の極 を形成するものである。

(b)張 君励 の批判

張君励氏 は『中国専制君主政制之評議』 を著 して、銭穆氏の論点 に対 して全面的な批判 を展 開 した。銭穆氏 の主張 自体が広範 な歴史研究 に支 えられているのに対応 して、張氏の逐条的批 判 もその論点 は前近代中国の制度全般 にわたっているが、その批判 の視点 は明快である。すな わち、近代的・ 西洋的政治学 にもとず く国家論、主権論か らの銭穆説、 とい うよりもむ しろ前 近代 中国の専制的政治制度 自体への批判である。

「宰相、三省、文官制 な どの諸制度 はすべて君主制 という政治制度か ら発生 した ものであっ て、 その制度のあれや これやが改廃 され、 また官僚の誰彼が登用 された り退 けられた りするの は、君主一人 の判断によるのであって、現代西欧国家の内閣総理大臣や文官制度 とは比較で き るものではないのである。 この相違 は君主の主権 の存在 にもとづ くものであって、銭穆先生の 否認す るところの ものなのである。銭穆先生 は君主専制 とい う呼称 は中国の君主 には適用すべ きでない と考 えている。 しか し例 えば秦、漢、唐、宋の歴史や、秦の始皇帝か ら辛亥革命後の 衰世凱 に至 るまでを見てみれば、 自分一人の意志で独断独行 し、天下 を自己の私有財産 とみな さなかった者が一人 としていただろうか。この間に賢明な君主 と暗愚な君主の違いはあって も、

天下 を一家の私有財産 とする点ではだれ も皆同 じだったのである。」 *11

「我が国の君主制 と西欧の民主制 とを比較 してその利害 を明 らかにしてみよう。一つめは隠

薇 と公開。二つめは法律 の (君 主 に対する )拘 束力 (の 有無 )。 三つめは民意の表示方法。四つ

めは三権分立原則が (君 主の行為 を )帝 J約 しその原理 を貫徹す るか否か。

(3)

五つつめに基本的人権が権力の限界 を定 め、民主制 を保証 しているか。 この五つの ものが専制 君主制 と民主制 を区別する所以である。」 *12

皇帝の意志、欲望 を実質的に制約する一切の ものの欠如が、中国の「専制君主政制」の本質 であ り、天下の一切が皇帝の私有財産である以上、政府 と王室、政務 と家務、皇帝権 と宰相権 の区分 は単 に形式的な ものであ り、宰相府の独立性 は仮像 にすぎない、 とい うのが張氏の主張 の核心である。銭穆氏の制度 に対 して、張君励氏 は実質 を対置 したのである。

報告者 (吉 田 )は 専制の本質 については張君励氏の主張が正 しい もの と考 える。 しか し、 こ れで中国古代専制国家の本質、形態 に関する問題が決着 したわ けではない。張氏の近代政治学 か らの鋭利 な批判 は、中国史の内在的、構造的な分析 にまで深め られる必要がある。例 えば、

政務 と家務が制度的に区別 されているとい う銭穆氏 に対 して、それ らが ともに皇帝の手中にあ るとい う批判 は、「家産官僚制 国家」であるにもかかわ らず、それではなぜ この二つが形式的で あれ分離 しているのかを説明 した ことにはな らない。むしろ両者 の見解 は歴史分析 の次元 を異 にしている、 とも考 えられ る。皇帝権の宰相権への干渉 は制度への「逸脱」だ とす る銭氏 に対 して、 「逸脱」こそが本質だ とい う批判 は、何故「逸脱」を実質的に阻止す る制度や法が形成 さ れなかったのか、あるいはまた逆 にこの種 の観念や「制度」が何故 ある程度有効 に (銭 穆氏 を 惑わす レベルにまで有効 に )形 成 されたのかを、説明することが困難であろう。

(C)申 華人民共和国における銭穆批判

1950年 代 の中国においては社会主義への移行 の一環 として伝統文化、思想への原理的批判が 展開され、銭穆氏 の『国史大綱』他の著作 は、伝統文化 を擁護する復古的、反動的な もの とし て激 し く攻撃 された。『歴史研究』1959年 第一期 に掲載 された「批判銭穆的 国史大綱 "」 は史 的唯物論の立場か らの原則的批判 を展開 した ものであった。天津師範大学歴史系中国古代、中 世史教研組 は「国史大綱」が中国古代史 において、階級の存在 を否定 し、階級対立 に替 えて階 級融合 を説 き、 さらに国家 を階級対立 を消 し去 り、階級の調和 を実現す る道具 とみなし、 また 文化 を歴史発展の第一の決定者 とす る唯心論の立場 にたっていると批判 している。 また察尚思 氏 は「銭穆的復古論」 *13に おいて銭氏 を「中国式民主」以下 7点 にわたって批判 している。 し か しなが ら、古代 中国国家 を専制、君主専制 とみなす ことは自明の前提であるとされているよ うで、張君励氏の場合 と同 じような問題 を抱 えていると思われ る。 これは「専制」 とはいつた い どのような政治制度 を意味するのか、必ず しもはっきりしていない とい うことと関係がある。

像 )洪 家義・ 沙路 (謝 天佑 )の 論争

(a)洪 家 義

この問題 は1980年代前半 に洪家義、沙路 (謝 天佑 )両 氏 の間で再浮上 した。論争の直接の契 機 は『呂氏春秋』のいかなる思想が反君主専制的な ものであるか、 とい うものであ り、 「任賢」、

「納諫」が いかなる意味で君主専制 を制約するのか、 とい う点で両氏 は対立 した。論争の中で 両氏 は君主制 と君主専制 とを同一の「君主政体」 (広 義の君主制)と す ることで一致 し、 さらに この二つの「区別 は君主権力の大小 にある」 とい う点で も同 じ認識 に到達 した。 しか し、なお 両氏が論争せ ざるをえなかったのは、君主専制 の概念の理解が異なっていたか らである。洪家 義氏 は最初の論考では君主専制 を権力の集中 とい う視点か ら説明 した。 「所謂君主専制 とは一切 の権力 を君主一人 の手 に集中し、一切 の人権 を蔑視 し、為 さん と欲す る所 を為 して、 まった く 制約がない、ということである」。 *14君 主専制 とは権力の君主一人への集中 と、それが一切の制 限 を受 けない無制約の権力である と定義 したのである。そして 《呂氏春秋》の反君主専制思想

:││

(4)

の歴史的限界 は、「君主の過度の独裁 (権 力集中 )」 *15に 反対 したけれ ども、封建制度や君主制 国家 自体 には反対 しなかった点 にあるとしたのである。沙路 (謝 天佑 )氏 の批判 を受 けての反 批判論文では洪家義氏の主張 はさらに鮮明に展開された。

氏 は君主制 と君主専制 との間に「分界点」 を設定 し、君権が「 ほとん ど制約 を受 けない もの を 君主専制 "と 呼び、ある種 の制約 を受 けるものを 君主制 "と 呼ぶJ*16も の とした。そし て君主制 と君主専制 とをわかつ この「制限」の性質 を階級国家論の視点か ら説明 したのである。

「君主の権力が地主階級全体 の利益 を十分 に代表で きる範囲内に制限されていれば 君主制 "

に属 し、 もしも君主の権力が無限に膨張 して とうとう全地主階級の利益 を代表で きな くな り、

地主階級中のひ とつ まみの人の利益 しか代表せず、甚だ しい場合 には君主の一家一姓の利益 し か代表で きな くなった場合 は 君主専制 "に 属するのである。 この種の状況 は客観的に存在 し ている。」君主が支配階級全体 の利益 を代表す る場合、例 えば「漢初 と唐初」 は君主制であ り、

秦の始皇帝 は「後 になると彼の一家 または彼個人の利益 を代表 した」 *17か ら、君主専制である。

《呂氏春秋》の解釈 にもどれば、 聖王 " 賢主 "は 君主制であ り、 惑主 " 暴君 "は 君主専制

であるか ら、君主の権限を制約 し 暴君 "を 非難す るす るところの「賢人」 「納諌」 「天命」 は 反君主専制 の思想であるとい うことになるのである。

(b)沙    路

沙路氏 は批判論文で も再批判論文で も一貫 して階級国家論の観点 を鮮明にお しだ した。 「民主 共和制下の大統領であれ、あるいは封建制下の専制的国王であれ、原則的にはすべて彼が代表 する ところの階級の利益の総代表であ り、彼 は階級の意志 に従 って行動 し、階級の利益の制約 を受 けるのである。この意味では、絶対的に権力 を一身に集 中し、為 さん と欲す る所 を為 して、

まった く制約がない封建君主 とい うものは、現実の世界で は根本的に存在で きない。君主専制 は一個人の問題ではな く一種 の政治制度である」 *18君 主制 も君主専制 も支配階級が 自己の階級 意志 を実現 し、階級の利益 を擁護するために採用 した政治形態であるとすれば、支配階級の利 益 を損 なうような無制限な権力の濫用 をその本質 とす る政体 を考 えること自体が「論理矛盾」

である。 もしそのような状況が出現す るとすれば、それは一種の「例外」である。「歴史上 また 少数の暗君が個人やその家族の利益 を地主階級全体 の利益の上 に置 き、地主階級全体 の利益 に 損害 を与 えるとい う愚かなことをしでか したのであるが、 これは 制度 "の 例外 といえるだけ

であって、 君主専制 "自 身の内容 といえるものではない」 *19。

君主制 と君主専制 との区別 に関 しては、 「君権 と相権 の分業 とい う視点か ら見れば、相権が増 大 し君権が弱 まれば 君主制 "に 向かい、相権が弱 められ君権が増大すれば 君主専制 "に

か う」のであ り、「その区別 は君主の権力の大小 にある」けれ ども、ただ「 どんなに相権が増大 して も君主 に最終的裁決権 を放棄 させ るには至 らず、ただその君権 に対す る牽制 を増強するだ けである」 *20と ぃ ぅ範囲内の ことである。それ故、相権、「任賢」、「納諌」等な どはなる程度君 権 を制限す るものではあるが、 この制限は本質的にはより十分 に階級利益 を実現するための君 主専制 自身の必要な補充物 なのである。

沙路氏 に とっては君主制 と君主専制 との区別 よりはこれ らの政治形態 に共通す る本質が問題

であ り、 「一階級の総政治代表 とその階級の関係 は一種の対立 と統一の関係であ り、彼 はその階

級の利益 を代表す る最大の権力であると同時にその階級の利益 に最大の損害 を与 える可能性 を

もつ存在 なのである。」 *21他 方、 「 どのような階級の権力 と意志 も最終的にはどうして も一個人

に集中 して体現 され るのであって、 これは民主制であろうと君主制であろうとすべて例外では

(5)

ない、問題 はこの個人に集中して体現される権力 と意志がどのようにして決定されるかであり、

個人の独断かそれ とも民主的決定なのか ということである」 *22そ して、 この最高意志の決定が 法律的拘束を受けるか否かで民主制 と君主制 とが区分されるのである。 「民主制 という条件の下 では最高政治代表が採用する議会の建議や決定 は、法律的強制性 を帯びている。 しか し君主専 制 とい う条件 の下では最高政治代表 は自身で朱納するか否かの権力 を掌握 してお り、大臣の意 見 は彼 に対 しては只一定の制限 と牽制 の作用 しかな く、 どのような法律的拘束力 ももっていな い。 それゆえ私 は「任賢」、「納諌」には均 しく君主専制 に反対するという意味がない と考 えた のである」古 236沙 路氏が最初 の論文の論点 を変更 したのは、《呂氏春秋》において「君主が法 を 犯せば庶民 と同罪である」 *24と ぃ ぅ主張があった とした点であるが、 これは以上の同氏の論理

の当然の帰結であろう。

(C)コ メン ト

洪家義氏 は君主制 と君主専制 との区分 を同一政体上での君権 の大小、君権 の制約の有無、 と 国体 (階 級的本質 )上 での階級的利益 と私的利益 との対立 に求めたのに対 し、沙路 (謝 天佑 )│

氏 は政体上での君権 と相権 とのバ ランスに君主制 と君主専制の区別 を認 めなが らも国体上での 両者 の区別 を認 めず、君主の私的利益優先 を「制度の例外」 として一時代、段階を区分する指 標 としては捨象 し、 さらに君主制、君主専制 ともに君主の権力が法的拘束 を受 けない という点 を強調 したのである。 この両者の対立 は、階級的国家論 を除いて政体 にのみ着 目すれば、本稿

の初 めで言及 した銭穆氏 と張君励氏の専制理解 をめ ぐる対立の再現である。「個人独裁」「皇帝 の全面的、絶対的権力」が制度 の例外であるのか否かは、依然 として解決 されていなしヽ問題で ある。

なお、階級国家論 としての整合性の点では洪家義氏の主張 は論理的に困難 な問題 を抱 えてい る。君主専制が権力 を独 占した皇帝の自己のァ家‐姓の利益 を追求するものであるとすれば、

これ は「全封建地主階級」の権力ではな くなって しまうか ら、階級支配の道具 としての国家 と い う性格 はそこでは消失 して しまうことになる。君主専制 は「全封建地主階級」の国家ではな くて皇帝一個人の国家の政治形態 とい うことになろう (報 告者 は申国前近代 の専制国家 をこの ような性格 の もの と考 えているが )。 また洪家義氏 の理解 は張君励氏の場合 と同様 に前近代の君 主制 と近代 の民主政 とを直接比較す るとい う抽象的次元の高いレベルの ものであ り、始皇帝に よる専制国家形成 の歴史的意義 を十分 に評価できないのではないか と思われる (君 主権力の量 的大小で君主制 と君主専制 とを区分す ること、あるいは両者 を広い意味での君主制 として同じ 政体 と考 えることには筆者 は反対である )。 この意義深い論争 に対する筆者の一感想 は洪家義氏 の最初 の君主専制の定義の仕方 自体 に問題が隠されているのではないか、 とい うことである。

始皇帝の中国統一 によって史上始 めて「中央集権的君主専制的封建国家」が誕生 したが、「中央 集権 と君主専制 は二つの異なる概念である。中央集権 は地方割拠 に対 して言い、君主専制 は民 主共和制 に対 して言 う。中央集権 は主 として積極的に作用 し、君主専制 は主 として消極的に作 用す る。両者 の間には密接 な関係があるとはいえ、 しか しつ まるところ同じものではあ りえな いのである」。 *25こ の厳密 に論理的な定義の方法 はとりあえず封建 国家 とい う規定 を捨象 して みると、専制 を君主専制 と中央集権 との結合物 とみるということであ り、 とい うことは君主専 制 と中央集権 とは分離可能であ り、あるいは君主専制 は中央集権 ばか りでな く地方分権 とも結 合可能 な もの とす ることとなる。いずれにしろ秦漢以降の専制国家か ら中央集権制 を分離 して、

権力の中枢部のみを対象 として専制国家の政治形態が君主制か君主専制かを論争す ることはあ

(6)

まり生産的なや りかたではない と思われる。 もっ ともこれはもともと両氏の論争が専制国家成 立以前の著作である『呂氏春秋』の反君主制思想の理解 をめ ぐっての ものであった という論争 の枠組 み自体 に由来するものであろうが。ただ し、君主専制 と中央集権 とを分割するのは中国 では一般的な方法であると思われ る。例 えば李光昇氏 も秦の統一 について以下のように述べて いる。「 ここにおいて、統一 (一 つの封建王朝が全中国を統治する )、 中央集権 (国 家権力が中 央 に集中され る )、 君主専制 (中 央権力が君主個人 に集中される )、 という封建国家体制が中国

に出現 したのである」 *26。

さらに専制の考察 には、政体 と階級 との関係 という視点 にとどまらず、政体 と社会構造 との 関連 を含 むべ きもの と考 えている。以下 このような点についての西欧での古典的見解 をみるこ

ととす る。

2.西 欧 における君主制 と専制の区分

(1)ジ ャン・ ポダンの君主帝り の三区分

フランス絶対王政の理論家 ボダンは君主制 を自然法にもとず く「王政的 (正 当的 )君 主制 と、

臣民の幸福 をめざす「領主的 (主 人的 )君 主制」 もしくは「家長的君主制」 と、臣民の領有 に よる「僣主的」 または「専制的君主制」 との三形態に区分 した。

(2)ホ ップスの「獲得 によるコモンーウェルス」

イギ リス絶対王政の理論家 ホッブズはコモ ンーウェルス

(「

一人格 に統一 された群衆」 *27、 主 権者 と臣民 とか らなる主権的団体、国家 )を 主権者のあ りかたによって三形態 に区分 した。「代 表がひ とりの人であるばあいには、 このコモ ンーウェルスは君主政治であ り、それがそこにあ つ まって くる意志 をもつすべての ものの合議体であるばあいには、それは民主政治すなわち民 衆的コモ ンーウェルスであ り、それが一部分だ けの合議体であるばあいには、それは貴族政治 とよばれ る。」 *28「 このほかの種類 のコモンーウェルス というものは、あ りえない。なぜなら、

ひ とりかそれいじょうかすべてかの、 どれかが、主権者権力 (そ れが分割 しえない こと……… )

の全体 を、もたなければならないのだか らである。」■ 29ホ ッブズはまた このコモ ンーウェルスは 結合契約 と服従契約 という二つの契約 によって形成 されるとした。結合契約 による場合 は「設 立 によるコモ ンーウェルス」であ り、服従 による場合 は「獲得 されたコモンーウェルス」 とよ ばれ る。後者 は「主権者権力が強力 によって獲得 されるコモンーウェルスである。そして、強 力 によって獲得 され るとは、人び とが個別的 に、あるいはおお くの ものがいっしょに多数意見 によって、死や枷への恐怖 にもとづいて、かれ らの生命 と自由を手中ににぎる人 または合議体 の、すべての行為 を権威づ けるとい うばあいである。」 *30こ れ はまた「父権的支配」、「専制的支 配」ともよばれている。 M醐 艮や戦争の勝利 によって獲得 された支配 は、ある著作家たちが、領 主 また は主人 をあ らわすデスポテース にもとづいて、専制的 DESPOTICALLと よぶ もので あって、それは、召使 に対す る主人の支配である。そして この支配 は、敗北者が当面する死の 打撃 をさけるために、………つ ぎのように信約す るときに、勝利者 によって獲得 され る。その 信約 とは、かれの生命 と身体 の自由 とがかれに与 えられているかぎり、勝利者 は、お もいどお

りにそれを使用することができるとい うのである。」 *31

ホッブズにあっては設立であろうが獲得であろうがひ とたび契約 されてコモンすウェルスが

結成 されれば、群衆 の主権者への服従 は絶対的である。 とりわ け征服 によって発生す る専制的

コモンーウェルスにおいては代表者の有する不可分の主権 は無制約的のもとなろう。ホッブズ

(7)

の文章 は『史記』「秦始皇本紀」の 「 もしも秦王が天下 を取れば、天下 の人々 は皆彼の捕虜 となっ て しまうだろう」 *32と ぃぅ著名 な一節 を街彿 とさせ る。

(3)モ ンテスキューによる君主制 と専制の区分

古代中国の専制 についてさらにおお くの視点 を与 えて くれるのは絶対王政の理論 に対す る総 括的批判 を行 ったモンテスキューの『法の精神』である。ホッブズはイギ リス絶対王政 を擁護 す るとい う立場 に制約 されて、設立 によるコモンーウェルス (例 えば君主政 )と 獲得 によるコ モ ンーウェルス (例 えば専制 )と を明確 に分離で きなかった。獲得 によるコモンーウェルスは

「《設立 によるコモンーウェルス とどこがちが うか》そして、 この種 の支配 または主権 は、設立 による主権 と、ただつぎの点で ことなる。すなわち、 自分たちの主権者 をえらぶ人び とは、相 互の恐怖 によってそうするのであって、かれ らが設立するその人 に対す る恐怖 によってではな いのだが、いまのばあいには、かれ らは、 自分たちがおそれるその人 に、臣従す るのである。

どち らのばあいにも、かれ らはそれを恐怖 のためにお こなう」 *33の であるか ら、 「主権 の諸権利 と諸帰結 は、両者 においてひ としい」 *34の である。 しか し、モンテスキューの絶対王政への否 定的的立場 はホッブズの限界 をの りこえ、君主政 と専制 とを区別することを可能 にした。彼 は 政体 を三つに区分 した。共和政体、君主政体 と専制政体である。ただ し共和政体 の内部 は民主 政 と貴族政 とに再分割 されるか ら、結局四つの政体があることになる。か く政体 の本質 と原理

は以下の如 くである。

「共和政 において、人民が全体 として最高権力 をもつ とき、それは民主政である。最高権力 が人民の一部の手中にあるとき、 それは貴族政 と呼ばれ る。民主政 においては、人民 はある点 で は君主であ り、 またある点では臣民である。人民 はその意志である投票 によってのみ君主で あ りうる。………それ ゆえ、投票 の権利 を確立 す る法律 が この政体 において は基本 的で あ る。」 *35

「貴族政 においては、最高権力 は一定数の人の手中にある。法律 を作 り、それを執行 させ る のは彼 らであ り、残 りの人民の彼 らに対す る関係 は、せいぜい、君主国において臣民が君主 に 対 して もつ関係のような ものにす ぎない。 」 *36

「君主政体 はただ一人が統治す るが、 しか し確固たる制定 された法律 によって統治す るとこ ろの政体である。」来 37

「中間的、従属的そして依存的な諸権力が君主政体、すなわち、基本的諸法律 によって一人 が支配す る政体 の本性 を構成す る。………君主政では、君公が国制的および公民的なすべての 権力 の源泉なのである。 これ ら基本 的な諸法律 は、権力がそこを通 って流れ るための中間の水 路 を必然的に想定す る。………最 も自然 な従属的申間権力 は、貴族 の権力である。貴族 はどう い う態様 においてであれ、君主政の本質の中に含 まれるのであ り、その基本的な格率は次のご とくである。君主な くして貴族 な く、貴族 な くして君主なし。………ある君主国において、領 主、聖職者、貴族お よび都市の特典 を廃止 して見た まえ。ほどな く、民衆国家か、さもな くば、

専制国家が出現するであろう。」 *38

「専制政体 においては、ただ一人が、法律 も規則 もな く、万事 を彼の意志 と気紛れ とによっ て引 きずって行 く」 *39

「基本的法律が全 く存在 しない専制的な国においては、法律 の保管所 もまた存在 しない。 こ

れ らの国において、宗教が通常 あれほどまでに力 をもっているのはこれに由来す る。それは、

(8)

宗教が一種 の保管所や常設部 のはた らきをしているか らである 3ま た、 もしそれが宗教でなけ れば、法律 の代 りにそ こで尊敬 され るものは慣習である。」 *40

「専制的な権力の本性か ら出て くる結果 は、その権力 を行使する一人の人間 は同じく一人 に よってそれ を行使 させ るとい うことである。……… (専 制君主 は、引用者注 )お のずか らにし て、怠惰で、無知で、官能的である。だか ら彼 は公務 を任せ きりにする。………君公 と全 く同 じ権力 をもつ執権 にそれを任せ る方がはるかに簡単である。 こうした国家では、執権 の設置が 基本的な法律 なのである。 」 *41      

「専制国家の原理である

.も

の、それは全 く名誉ではない。そこでは、人間はすべて平等であ るか ら、人 は他人 よりも自分 を大切 にすることはで きない。そ こでは人間はすべて奴隷である か ら、人 は何物 よりも自分 を大切 にすることはで きない。」 *42

「共和国においては徳が必要であ り、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体 の国においては「恐怖」が必要である。……… ここでは、君公の無制限な権力 はすべて彼がそ れを委ねる人々 に移 る。 こうした ところでは、 自分みずか らを大いに評価で きる人々 は、革命 を起 こそ うとすれば起 こしうる状態 にあるであろう。だか らこそ、恐怖がすべての勇気 を打ち くじき、 ごくわずかの野心の気持ちまで も消滅 させて しまわなければな らないのである。」 *43

14)専 制 をめ ぐるい くつかの論点

(a)以 上 の啓蒙思想家たちの古典か らの引用 は中国、台湾 における専制論争 に対 してい くつ かの解決の ヒン トを与 えて くれる。 まず第一 に、皇室 と政府の分離、皇帝権 と宰相権 との対立 についての後者 を重視する銭穆氏の解釈、君権 と相権 との権力の分割 によって君主制 と君主専 制 とを区分す る洪家義・ 謝天佑両氏の君主制理解 に対 して、 フランス革命 に先立つ40年 ほど以 前の1748年 に刊行 された『法の精神』 はどのように考 えていたのであろうか。モ ンテスキュー は中国を「基本的法律が全 く存在 しない専制的な国」 と考 えていた。「中国は専制国家であり、

その原理 は恐怖である」 *44。 法 に制約 されない君主の統治 という政体 の本性 とそこか ら導かれ る恐怖 による支配 とい う原理が彼の一切 の中国論の根底である。 この点で、それ以前の中華帝 国を賛美 していた西欧の宣教師、思想家達 と根本 的に立場 を異 にしていた ことに留意 したい。

例 えばケネァは『中華帝国的専制制度 (DESPOTISM IN CHINA)』 のなかで中国は法 による 統治が厳格 に行われている君主国であると主張 していたのである。 「中国政府の基本法 はか くの ごとく非 の打 ち所がな くかつか くの ごとく重視 され る自然法の基礎 の上 にうちたて られてお り、 自然法の存在が君王 をして敢 えて法 に背いた り悪事 をなした りせ しめないのである」 *45

皇室 と政府の分離、皇帝権 と宰相権 との対立、君権 と相権 との権力の分割等な どについての モンテスキューの意見 は、それ こそが法の制約を受 けない専制政体の特質だ としていることで ある。 「五感 によって、自分がすべてであ り、他人 は無で しかない とたえず言い聞かされている 一人 の人間 は、おのずか らにして、怠惰で」あるか ら、公務 を他の誰かに任せ きりにするので あ り、そのさい、 「数人 の者 に任せ るとなると、その者たちの間で争いが起 き、みなが第一番 目 の奴隷 になろうとして策略 をめ ぐらすであろう」か ら、「初 めか ら君公 と全 く同じ権力 をもつ執 権 にそれ を任せ る」のである *46。 宰相 は専制君主の必然的補充物であ り、宰相府があるか ら専 制ではない とか、相権が君権 を制約す るか ら君主専制ではな くて君主制であるとか言 うのは、

モンテスキューの発想か らすれば誤 りであ り、それ こそが専制の証明なのである。専制か君主 制かは、 まず第一 に君主が制定 された法 に従 うか否かで区分 されるのである。宗教や慣習によ

る君主の恣意の制限 もまた専制の存在 を否定する根拠 とはな らないのである。

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しか し、 この君主の怠慢、涯供が相権 を発生 させ るとい うモンテスキューの説明は、あまり に心理的な分析であって今ひ とつ説得力 を欠 く。 自らの怠惰 によって自分 に生 き写 しの宰相 を 作 り、 '彼 を恐怖 によってコン トロールするとい うのは鋭いけれ ども皮肉な叙述である。 また恐 怖が どのようにした ら維持で きるのか も明かではない。報告者 は専制国家では政治権力の君主

、の集中自体が彼か ら現実の権力 を奪 うとい う矛盾が内在す ると考 える。それは現代社会 にお ける資本 の集積、集中が、資本の所有者 と経営者 とを分離 させ、企業の実際の経営権が経営者 に移 って行 くとい う傾向 と類似 している。西欧の政治学者 はアジアで は権力が下か ら上へ向 かって流れていると主張 してい る。 「権力が上へ流れる際のブローカー役が、行動 を決定す るの は自分であるとする上位者の考 え方 に従 えば、正統性 は獲得 され ます」 *47。

君主の立場か ら見て、相権 を発生 させ る過程 と恐怖 によって監督する制度 については、モ ン テスキュー よりは専制国家思想 の専門家たる韓非子の方が分析的である。 「君主が 自分 自身で官 僚達の善悪・ 適否 を監察 しようとすると、いたず らに時間ばか りかか り、能力 も足 りな くなっ て しまう。 その うえ上 に立つ者が 日で視て判断 しようとすれば下の者 はうわべを飾 り、耳で聞 いて判断 しようとすれば評判 をとり繕い、思慮 を用いれば弁舌でごまかす。そこで先王は日、

耳、頭の三者では不可能 なことに気づ き、 自分 自身の能力 を用いるのをやめて、法術 を用い賞 罰 を厳格 に行 うことにしたのである」 *48。 権力の集中が君主個人の処理能力 を上回れば、彼が 勤勉であれ怠惰であれ、実務的処理の仕事 を誰か (官 僚制的機構 )に 委ねざるを得ない ことは 自明である。権力か ら実務が分離す ると、権力 は権威、実務 は職責 とい う形態 をとる。 この職 責の被委任者 を統制す るには人格的結合 (任 侠的関係な ど )で は限界があ り、む しろ人間的つ なが りを断ち切 って職責の結果的実現度 によってのみ機械的に賞罰す る。 この賞罰 システムの 厳格 な運用 自体が官僚 に恐怖 と忠誠 とを同時 に与 えることとなる、 とい うのが韓非子の主張で あった。賞罰が単純 に恐怖 を生むのではな く、人格的結合の切断が皇帝 を純粋 の権力 として神 秘化 し、官僚 をその恐怖の奴隷 とす るのである。  

いずれにしろ、謝天佑氏 とモンテスキュァの君主政理解が異なっていることに注意 しておさ たいと謝氏 は「 君主制 "と 君主専制 "は ともに封建専制主義である」 *49と し、封建地主階級 はこのいずれの場合 も「法律的監督 を実行で きない」 と考 えているが、モンテスキューは君主 政 は法律 に従い、 「君主専制」 (専 制 )の みが法律 に従わない としているのである。そしてもち

ろん君主政 と専制 とはまつた く異なる政体 なのである。

(b)第 二 に制度 とその例外 という解釈 をめ ぐる問題 については、ホッブズの辛 らつな分析が 有効であろう。「《 暴政 と寡頭政治 は、君主政治 と貴族政治の別名 にす ぎない》歴史記述や政治 の書物 のなかには、暴政や寡頭支配のような、 このほかの統治の名称があるだろう。 しか し、

それ らは、べつの統治諸形態の名称 ではな くて、おなじ諸形態の、 きらわれた ときの名称 なの である。つ まり、君主政治下 にあってそれに不満 をもつ人 び とは、それを暴政 とよ」ぶのであ る *50。 「制度」と「例外」とに共通す る政体 の本性 をまず明 らかにしなければな らず、相権が専 制の付属物であればこの際には「例外」の方の皇帝の専独 こそこの政体の本性であるのである か ら、正常 に機能する制度 (円 滑 に機能する宰相府や開明的君主 )も 、正常 に機能 しない制度 (一 家一姓の利益 しか代表 しない皇帝支配や暴君・ 昏君 )も 、 ともに専制政体であることには かわ りがない とい うことになるのである。

(C)第 二 に、秦・ 漢帝国 と春秋・ 戦国時代 とをわかつ指標 に関 しては、モ ンテスキューによ

る専制・ 民主政 と、君主政・ 貴族政 という三分割がたいへん示唆的である。彼 は、貴族 という

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中間的・ 従属的権力が君主政 の本質 を構成 す ると明言 している。貴族政 は勿論貴族の政体であ るが、君主政 もまた王権 に従属的な貴族政 を不可欠 としているか ら、貴族政 と君主政 は社会構 成 とい う側面か ら見ればむしろ貴族制社会 とい う点で共通する。そして この対極では民主政 と 専制政体 とが貴族の欠如 とい う点で共通す るのである。モンテスキューは君主政か ら貴族政 を とれば民主政か専制 のいずれかになると、消去法で述べ るだけでな く、専制政体の下では人間 はすべて平等であると肯定的 に述べているのである。民主政 とは平等な人権 をもつ人々の政体 であ り、専制 とは執権か ら民衆 に到 るまでの平等な奴隷的人間たちの政体である。なお絶対王 政 を擁護 したホッブズは異なる視点か らではあるが、 これをもっ と冷酷 に述べる。「《恐怖 と自 由は両立する》」、「《臣民の自由は主権者の無制限の権力 と両立する》」 *51、 と。

秦・ 漢 と春秋 0戦 国の二つの政体 をわかつ ものは、君権 の従属的権力 としての貴族制 の有無 である。春秋・ 戦国は貴族 を持つか ら君主政である。 しか し君主 を約束する確固たる法 は秦漢 は勿論春秋・ 戦国期 にもにも形成 されなかった。 この点では春秋・ 戦国の君主政 は二つの条件 のうち一つ しかみた していないので、モンテスキューのい う正 しい意味での君主政ではない。

強いていえば「1/2君 主政」である。 しか し秦・漢の政体 は君主 を拘束する法 も貴族政 ももたな いので こち らは正 しい意味でのモンテスキューのいう専制である。 この貴族制のあ りようが君 権 に対する臣下の制約の大小、強弱 として現象す るのであるが、貴族の社会的階層、階級 とし ての存在の態様 はしか し、政体 の分析の視角 を超 えるるものである。専制の全面的な考察 には、

中央権力が一人の手中にあるか否か という君主制 vs君 主専制論争の次元のみでな く、さらには 権力の中央への集中か地方への分散か とい う次元のみでな く、社会諸階級のあ りかたやそもそ

も社会形成の中国的特質如何 とい う次元 にまで対象 を拡大 した検討が必要であろう。

(d)第 四に、中央集権か地方分権かの論点の一要素である領土 と人 口の広大 さについて、銭 穆氏 は国上の広大 さが一個人 の専制 を不可能 にす る としていた けれ ども、モ ンテスキューは まった く逆の理解 をしてお り、 また後者の理解 こそがア リス トテレス以来の西洋政治学の伝統 的なものであろう。「共和国が小 さな領土 しか もたない ということは、その本性か ら出て くる。

そうでなければ、それはほ とん ど存続 しえない。大 きな共和国には大 きな財産が存在 し、 した がって人心 にはほ とん ど節度がない。………ガヽさな共和国においては、公共の善 はよりよく感 じられ、 よりよ く知 られ、各公民のより近 くにある。 ここでは濫用がはびこることより少な」

い。 *52。 「君主政の国家 は中程度の大 きさでなければならない。それが小 さい と、共和政 になっ てしまうであろう。非常 に広大であれば、国家の重臣たちは、みずか ら強大であって、君公の 目の とどく所 にはな く、君公の宮廷外 にみずか らの宮廷 をもち、その上、法律 と習俗 によって 性急な処分か ら守 られているか ら、服従 しな くなることもあ りうるであろう。」。 「大帝国は統治 する者の専制的権威 を前提 とする。決定の敏速 さが決定の送 られ る場所の遠 さを補い、怖れが 遠隔地 にいる総督や役人 の怠慢 を阻止 し、法律がただ一人の頭の中にあ り、国家の広大 さに比 例 して常 に増大する偶発事のように、たえず変化することが必要である。」。モ ンテスキューは 領上の小 一中一大 に共和政 (民 主政・ 貴族政 )一 君主政 一専制 を対応 させていることが分かる。

この対応関係 を決定する要因は、各政体の本性か ら導かれる原理 とその機能の条件 とである。

「法律 を執行 させ る者が彼 自身法律の下位 にあ り、 その重荷 を背負 うだろうと感 じる民主政体 において」 は、 自己の欲望 を社会関係の中で相互的に自己規制する「徳」が不可欠である。 し か しこの相互的 自己規制 を行 うためには、互いに彼が どのような人であるのかをよ く知 ってい

ることが必要 となる。 「正 しい ことについて判決す るためには、またいろいろの支配の役 を値打

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ちに応 じて分かち与 えるためには、国民がお互 いにどのような性質の ものであるか ということ を知 り合 っていなければな らない。………。 生活の自足 を目標 に、一 日で よ く見渡 し得 る数の範 囲内で出来 るだけ膨張 した人 口」 *53、 すなわちポ リス とい う市民的、政治的共同体が必要であ る。この逆 もまた真理である。 「一つの都市の中に共和政体以外の政体が存続 しうることは難 し ぃ」 *54。 君主政体 は「優越、序列、 さらに出自による貴族身分す らをも前提 にしている。名誉 の本性 は優先 と特別待遇 とを要求するにあ り、 したがって、事柄 自身 により、名誉 はこの政体 の中に位置 を占める。野心 は共和国においては有害である。それは君主政 において良い効果 を もち、 この政体 に生命 を与 える。 そして、 ここでは野心 はたえず抑制 され うるか ら危険ではな い とい う利点がある。 J*55。 しか し、 この 研 U点 Jは 空間的制約の下 にある。広すぎる領土 は法 律 の効力 をそぎ、貴族 を始 め とす る中間的諸団体の野心・守銭奴根 性・ 欲望 を有効 に抑制する ことがで きな くなるのである。「徳 J― 「法律 と名誉 J― 「恐怖」、 これが領上の「狭 (共 和政的 都市国家 )J― 「中 (君 主国 )」 ―「広 (専 制帝国 )」 に対応する統治の原理 なのである。

(e)第 五 に、銭穆氏 とホッブズ との原則的相違 は、主権 の問題できわだって鮮明である。前 者 は古代 中国国家 には主権が存在 しない、少な くとも主権 とい う政治的概念がない と考 えてい るが、後者では主権 の存在 しない国家 は想像す らで きない。 コモンーウェルス とは一人の人格 に統合 された政治的共同体であ り、 「 この人格 をにな ものは、主権者 とよばれ、主権者権力 をも つ といわれるJ*56の である。 ところで、 この主権 とはボダンによれば、立法権、宣戦布告・講 和締結権、官吏任命権、最高裁判権、恩赦権、忠節・ 服従 に対する権利、貨幣鋳造権・ 度量衡 選定権、課税権の八つ *57で ぁ り、ホッブズでは、主権者の諸権利 は、 「 1  臣民たちは統治形態 を変更 しえない」、 「 2  主権者権力 は剥奪 されえない」、 3  多数派 によって宣告 された主権設 立 に対 し、抗議することは、だれで も不正義なしにはできない」、「 4  主権者の諸行為が臣民 によって、正当に非難 され ることはあ りえない」、「 5  主権者がすることはなんで も、臣民 に よって処罰 されえない」、「 6  主権者 は、かれの臣民たちの平和 と防衛 に必要な ことが らに関 す る、判定者である」、「 7  臣民のおののが・……・ ・かれ自身の もの とは何であるかを、知 りう るための、諸規則 をつ くる権利」、「 8  争論 に関す るすべての司法 と決定の権利」、「 9  和戦 をお こなう権利」、「 10  和戦双方に関す るすべての忠告者や代行者 をえらぶ権利」、「 11  報酬 を与 え処罰する権利」、「 12  名誉 と序列 についての権利 Jで ある。共通す るのはこれ らの諸権 利が分割 されえない ものであること、及びその中では立法権が他の諸権利 に対 して基本的なも の として優越することである。

以上の主権 を構成す る諸権利 の東 は、その一つ一つをとれば申国古代 の専制 において も見い だす ことができる。君主が法 を制定す る権不 Uを 独 占した ことはい うまで もない。 「君主の大切な ものは法 と術である。法 とはこれを文書 に編纂 して官府 に設置 し、 これを人民 に公布するもの である」 *58こ の法の制定者 を先王か ら今王へ とかえた こと、 これが法家 を儒家か ら飛躍 させた 転換点だったのである。 しか し、それで はなぜ古代中国人 は「主権」概念 を発明 しなかったの であろうか。か りに古代中国の専制 と西欧絶対主義 とを同 じ「君主専制」政体である と考 えれ ば、君主の絶対的権力 を表現するところの神聖、不可分の「主権」概念 に到達 しなかったのは、

一見不可思議である。

この主権概念 の欠如 について、根本誠氏 は『中国の伝統社会 とその法思想』 *59の なかで、以

下のような分析 を展開 している。申国では国家 は一つの有機体、団体的統一体 としては考 えら

れていなかった。すなはち、国家 は主体的な ものではな く、君主の支配の客体 (物 件的客体

)

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にす ぎなかった。主権 は国にではな く君主に帰属 したか ら、君主論が国家論 に代替 した。国家 は有機体的な もの としては政府・ 官僚機構 に とどまり、人民 は国家か ら排除され、単 なる君主 の支配の対象 にすぎなかった。君主の国家支配 はこのため外部か らの支配、征服、所有 として 現れ るとともに、先王の法、天命、王道な どの国家の外部か ら与 えられた道徳的思想 と一体化

した。

以上の根本氏の二つの論点、国家 は君主の支配の客体であること、有機体 としての中国国家 は政府・ 官僚機構か らのみ構成されるもの とすること、主権が国家 にではな く君主個人に帰属 するということの この三者 は相互 に整合的ではない。報告者 も主権が君主一人 に帰属するとい う点で は根本氏 と同意見であるが、国家が客体であるとすることとこれ とはうま くつなが らな い。主権が君主個人 に帰属 して も、西洋の絶対主義国家では前述のコモンーウェルスのように 君主 と人民 は有機体的国家 を設立 しうるのである。 また国家 =政 府・ 官僚機構がいかなる意味 で有機体 なのか、権力が皇帝の単独所有であれば、政府・ 官僚機構 は権力の分有者ではあ りえ ず、単なる皇帝の統治のための道具 としての統治機関にす ぎず、君主 とともに有機体的国家 を つ くるとい う意味が明確ではない。

しか し、主権概念が発明されなかったか らといって、中国の専制国家 を「野蛮だ」 と非難す るにはあた らないし、また主権概念がないか ら古代 中国は専制国家ではないのだ ともいえない。

そもそ も主権理論 は封建社会 における領主権 を始め とするさまざまな申間的諸特権 を国王の下 へ収奪するために、すなわち絶対主義国家が自らを形成する際に生みだした「国家の観念の最 初の理論的自覚的定式化」 *60の 試みであ り、 「 ある意味で は、絶対主義 は理論 の領域 に留 まっ た」 *61の である。それは本質的には近代社会 の国家論であ り、それゆえ、秦・漢帝国を近世 も しくは近代社会 とす る時代 区分 を採用 しない限 り、主権概念の定式化 を古代中国に求める必然 性 は本来ないのである。 「絶対主義 は押 し並べて専断的支配で も暴君政治で もなかった。 また、

それは必ず しも、圧政的であった り権威 を根拠 にして憲法原理 を侵害 した りす ることはなかっ た。 したがって、絶対主義の多 くの理論 と実態か らみて、専制政治や暴君政治 は絶対主義の同 義語 として特 に適当ではない。」 *62。 以上、要す るに専制政体 と西洋の絶対主義 とは本質的に異 なる もので あ り、両者 を君主専制 とい う同 じ用語 で くくるの はや めた ほ うが よい と思われ る。 *63

しか し、逆 に日本 において、 ボダンやホッブズのい う主権の多 くが古代中国の皇帝支配 と共 通するがゆえに、中国の方 を近世社会 と規定す る考 え方が法制史家の間に存在す ることも確か である *64。 なお これについての批判 は渡辺信一郎「国家的土地所有 と封建的土地所有」 *65を 参 照 されたい。勿論報告者 もこの立場 はとらない。 しか し、中国古代が近世的国制ではない とす ると、ではなぜ中国古代 と西欧近世 においてか くも類似 した政体が出現 したのかを説明 しなけ ればな らない。

ここまでが1996年 春の武漢大学 における「中国前近代史理論国際学術検討会」における事前

提出論文である。その後出版 された同シンポジウムの報告集

(『

中国前近代史理論国際学術検討

会論文集』湖北人民出版社  1997年 )に は事前提出にまにあわなっかた後半部分 も収録 させて

いただいた。 シンポ当日にはこの後半部分の一部 を報告 した。本 『教育学部研究報告』ではこ

の後半部分 をカ ッ トし、代わ りに専制国家 と社会 との関係 についての一般的前提 に関する覚 え

書 きを新たに書 きカロえることとした。

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3.専 制国家 と社会

(1)社 会 はその成員の共同性の獲得 とともに生 まれ、共同性 の成長 につれて発展す る。一定 の地域 に人が住 んでいるか らといって必ず しもその人々が一 つの社会 を構成す るわ けで はな い。前近代 の「複合的民族社会」 という考 え方は再考 したほうがよい場合があろうし、古代の 大帝国ではその領土内のすべての地域が一つの社会 を構成 しているわけで もない。 また殷・ 周 時代の邑は政治的には相互 に関連 はあって も、邑同士が一つの社会 に統合 されていたわけでは ない。

(2)社 会の共同性 には直接的共同性 と間接的共同性 もしくは媒介的共同性の二種類がある。

直接的共同性 とは直接的人間関係 と置 き換 えて も良いが、 これには例 えば婚姻、言語、生活習 慣、祭祀のように即 自的なレベル と階級、政治、所有な どの対 自的なレベルがある。後者 には 君主 と臣下、主人 と奴隷、領主 と農奴、主 と客 (親 分 と子分、義兄弟、擬制的父子関係 )等

クリアンテ リスムなどの直接的 =人 格的支配・ 被支配関係や、富者 とその使用人、地主 と小作 人 な どの関係 のうち身分制 =人 格的結合 を含む場合 な どが これに該当しよう。言 うまで もな く 即 自的レベル は本源的なもの、対 自的レベルは二次的、主 として文明段階以降の社会関係の特 質である。間接的共同性 とは何 ものかを媒介 とす る成員間の結合であ り、例 えば商品 =貨 幣 =

市場経済 に包摂 ざれた人々の間の売 り手 と買い手 との相互的信用関係であ り、 また小経営農民 が再生産 のための諸条件 を維持するために行 う共同作業 によって形成 される関係 (村 落共同体 )

の場合である。経済生活 と国法の共通性 によって結合 される近代 国家の国民相互の関係 もこれ に含 まれ る。

領主 4農 奴の関係 は封建的土地所有 を媒介 としているか ら間接的共同性ではないのか とい う 当然の疑間があろうが、実 は領主による農民の実効的支配 (一 円的、領域的支配 )が 先行する、

領主の土地だか ら地代 を請求で きるとい う名 目はこの後で生 まれる経済的フィクションにすぎ ない、 とい う近年の理解 に従いたい。同様 に前近代 中国の官僚制がなぜ直接的共同性範疇には いるのか とい うと、それが皇帝 と個々の臣下 との間の個別的、人格的結合の東 にす ぎないか ら である。応用問題 として古代 中国における教師 と生徒 との関係 を取 り上 げれば、道徳 を学ぶ時 には直接的共同性であ り、学問 を学ぶ ときには間接的共同性である。前者 は師の人格 の直接的 転移であ り、後者 は両者 を真理が媒介す るか らである。

問接的共同性 (媒 介的共同性 )の 「媒介」 とは関係 を結ぶ両当事者か ら独立 (分 離 )し なが

ら、なお両当事者 を再結合 させ るところの もの、 この意味では中国語でいう「公」 に該当する ものである。例 えば財産分割後 に残 された兄弟の二軒の家のあいだの路地 は「公道」である、

とい う意味である。 また、間接 的共同性 の場合 にはこの共同性 を取 り結ぶ人々がその共同性 に 関係す る側面では自立 している とい うことが前提条件 となる。市場的共同性 の場合 には彼 は王 侯貴族であれ、外国人であれ、貧乏人であれ、売買す る商品の完全 な所有者でなければな らな

いが、それ以外の資格 は全 く必要ではない。

ではこの共同性 の理論 と時代 区分 との関係 はどうなるのであろうか。直接的共同性 綱口自的 )、 、 直接的共同性 (対 自的 )間 接的共同性 とい三うの共同性 と近代、前近代 との関係 は直接 には :な

い。三つの共同性 はどの時代 にも存在する。時代 区分 は生産様式論 に基づかなければな らない。

しか し、社会の本質ではな く形式、国家 (の 階級的本質 (国 体 )で はな く統治の形式 (政 体 )の

問題 を考察するには、 この社会 の共同性 とい う発想 は少 しの役 には立つ とは思われる。共同性

をもっ とも包括的なレベルで考 えれば、前近代 は直接的共同性 に覆われた社会であ り、近代 は

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間接的共同性がめだつ社会である。近代 は自立 した個人が市場 によって再統合 された社会 とい うことがで きる。 もっ と丁寧 にいえば、一方では世界市場 と国内市場の形成 によって社会の規 模が国民国家 と地球全体 のレベル まで拡大 しつつあるが、他方では人 と人 との社会関係が資本 とい う制御困難 な魔物 に引 き裂かれた結果、血縁、種族、民族、国家、道徳、宗教、専制、文 明などの伝統社会のさまざまな直接的共同性が資本 に奉仕す るためにこの世 に呼び戻 され、新 たな魔力 を付与 されている社会、 とい うことができよう。資本 による一か らの社会統合 は、そ のすべての行為 に代価 を支払わねばな らない とす ると極 めてコス トが高 くなるため、資本 によ る間接的共同性 は現実 にはさまざまな直接的共同性 として しか現象で きないのである。 この事 情 は間接的共同性 もまた即 自的問接的共同性 と対 自的問接的共 同性 とに区分 で きる根拠 とな る。言 うまで もな くその活動の無政府性か らして資本 を媒介 とする間接的共同性 は即 自的であ る。そもそも社会の中か ら生 まれたただ一つの関係が、 自己の母胎たる社会 その ものを自己 に 似せて作 りなおそうとす るのは、部分が全体 を包摂す るとい う意味で も形容矛盾である。社会 を創造す るためのコス トを計算すればその費用 は無限大 となってしまお う。 しか し、 この無謀 な挑戦 に資本 を駆 り立てるのは、社会の共同性のうちに引 き留められていた「力」が「資本 J

という形態で直接的社会関係か ら解放 される時、ほ とん ど無限大 と思われ るエネルギーに転換 で きるか らである。そして人類 は資本の出現以前 にも同 じ事 を一度だけ経験した。中国古代専 制国家の誕生である。

なお小経営生産様式 にもとづ く共同性 は前近代、近代 いずれの社会 にも存在する。小経営の 再生産のための農民結合 は相互の私的土地所有 にもとづ く場合 は間接的共同性であるが、資本 を媒介 としない点では近代社会 に特有な関係で もないのである。農民達 は自分が何 をしている か よく承知 している。 目的的労働 にもとづ く間接的共同性 は対 自的問接的共同性 と呼ぶ ことに しよう。 この農民の対 自的問接的共同性が主役 に躍 りでた一瞬があった。戦国時代 、カロ賀の国 の一向一揆である。 この他 にも様々な対 自的問接的共同性がある。 とりわけ人類、普遍的人間 性、 自由、平等、博愛等の近代社会が生み出 した理念 によって媒介 される人々の自覚的結合 に 注 目しよう。 これ らの普遍性 と平等性 を示す諸思想 は直接 には封建的身分制や人種差別 との闘 いの中か ら誕生 した ものであるが、 この普遍性の現実的土台は国内市場や世界市場である。世 界市場 の拡大 とともに市場 に包摂 され る人々や民族 は悲惨 な収奪の対価 として人類的普遍性の 仲間に加入で きたのである。基本的人権 をもつ人間 は商品に対応 し、国民 は国内市場の商品に 対応 し、人類 は世界市場 の商品に対応す る存在である。それは抽象的観念ではな く、商品が実 在するの と同様 の意味で実在する。資本が一方で自由で平等な国民や人類 を形成 しなが ら、他 方では資本の代理人 (資 本家・ 経営者 )と 使用人 (労 働者・ その予備軍 としての失業者 と )の

間に富の分配の不均衡 を作 り出すばか りか、種々の不平等 を本質 とする前近代的直接的共同性 を再生産すること、 これが社会的共同性 の視点か らみた近代社会の根本矛盾である。一方で人 間 と社会 を引 き裂 きなが ら、他方で この人々 を普遍的な価値 によって再結合 させ るとい う、 ほ とんど永遠 に続 くこの運動 は、社会的共同性の言葉で置 き換 えれば、普遍的価値 に奉仕する間 接的共同性 と、資本 に奉仕する直接的共同性 との対立 と表現で きる。人 は資本 と市場 に勝つ こ

とはで きな くて も、直接的共同性が眼に見 える人間関係である以上 はこれに勝利す る望みはあ

る。資本が次々 に送 り込む直接的共同性 と闘いつづ けること、 これが近代人 の宿命である。前

近代史研究の意味 はここにあるのである。つぎつぎ と現代世界 に再登場 して くる伝統社会の諸

関係 を分析 し、批判 し、それ らを相対化 (無 害化 )す ること、普遍性の光の もとに間接的共同

(15)

性のなかに取 り込む こと、 これが歴史学の現代的課題である。 このためには過去 を清算主義的 に扱 うべ きではなかろう。間接的共同性が直接的共同性 を克服す ることは、資本が社会 を最終 的に飲 み込む ことであるか もしれない し、 また逆 にこの試練 に耐 え抜いた人々の共同性の うち に資本 とい う即 自的問接的共同性が吸収 されることであるか もしれない。人類 の未来が明 るい か暗いかは分か らないが、現代 は資本 による社会結合 とい う問接的共同性が非常な勢いで広が りつつある社会であ り、その枠内で同時 に直接的共同性 のあれや これやが復活、再生、抗争 し つつある時代であろうか。

(3)こ の種 の共同性 のうちに人 は取 り込 まれることによって、一定の感情、思考、行動の様 式の鋳型 にはめ込 まれ、特定の文明人 として形成 される。共同体 の秩序 に逆 らう者 は 「村八分」

な どのかたちで排除される。 しか し、 この共同性 =文 明の鋳型が破壊 される場合、一人 の人の 側面 に注 目すれば、人のエネルギーは無限大 に解放 され うる。文明 と人倫の呪縛 を逃れた彼 は 何事 をもなし得 る。ただ個人的な資質・ 能力・ 魅力だけが彼の周囲に崇拝者の大群 を招 き寄せ ることがで きる。偉大な英雄 はこのようにして出現す る。中国の英雄が恨み深いの もこの文脈 で始 めて正 し く理解で きよう。 *66英 雄個人 によって擬似的に統合 される社会で も、社会 として の秩序が必要であ り、 この最低限の秩序 は、本源的な二者間の交換関係 (仏 教用語では因果応 報 )で あ り、英雄 に対する罪 は必ず贖われなければな らないか らである。社会 とい う全体 の側 面 に注 目すれば、歴史的に蓄積 されてきた社会 の力 は共同的分配 とい う枠 をはず され、一人の 英雄 によって略奪 され、彼の行動の許す限 りの広範な地域か らの富 と合体 して、膨大 な財富 と 権力 として現象す る。社会の共同性 は解体 され、一英雄 の人為的支配領域内に専制国家 として

(イ デオロギー的には小人・ 愚民の被支配者集団 として )擬 似的に再形成 され る。社会が直接 的共同性 (対 自的 )の 段階で解体 される (社 会が 自治機能 を奪われる、主権 を喪失す る )と 、 近代社会のような資本 による社会の統合が存在 しないために、社会 は外か ら強制的な人間の結 合 として編成 されざるをえないのである。 このため国家が社会 に先行す るとい う倒錯 したイデ オロギーが生 まれる。社会関係 は政治的人間編成 として現象 し、一切の社会的行為 は政治的・

イデオロギー的行為 として現象す る。儒教 にみ られ る宗教 (祖 先崇拝 )、 道徳、政治的イデオロ ギーの一体化 は、儒家の側 の主体的選択 の結果ではな く、古代専制国家のこの構造 の必然的な 帰結である。聖人 による文明化 とい う政治的・ 道徳的神話 は専制国家が必然化する時代以降の 新 しい時代 にしか発生 しない ものである。 このような社会のモデル としては西嶋定生氏の爵制 的秩序論が きわめて有効である。天子か ら爵位 を授与 されることにより始めて安定す る里「共 同体」の人間関係、里 を統合す る郡県の官僚 は天子 との個人的直接的命令・ 委任関係 によって 支配権 を分与 され る、云々。 *67

中国古代 の場合 は社会・ 共同体 の力 は個人の力 として現象 し、英雄 に対する個人崇拝・ 天子 の神格化が引 き起 こされたが、近代 の場合 はそれは資本 の力 として現象 し、商品に対す る物神 崇拝 となるのである。前者の社会の原理 は天子への恐怖であ り、後者の場合 には神 の見 えざる 手である。 ともに社会・ 共同体 の疎外形態であるが、両者 を分かうた経済的土台 はその社会の 発展段階、小経営生産様式 と資本主義的生産様式である。

(4)国 家 は社会 を吸収す ることはで きない。国家 は社会 の一定 の発展段階 (中 国専制国家の

場合 には直接的共同性の対 自的段階 )に 出現す る社会の階級への分裂 の産物であ り、国家 は社

会 に対す る二次的形成物である。社会成員全員が貴族や官僚や軍人 になる場合 には社会 と国家

は形式的には融合 しようが、その場合 には国民全部が非生産的階級であることになる。国家 は

参照

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