大正終 わ りの多喜二
倉 田 稔
目 次
はじめに
1 島田の怪我 2 家庭教師 3 手島の思い出 4 高崎 徹
5 武田蓮の思い出 6 武田の多喜二文学論 7 大山講演会
8 遊廓
9 伊藤整の小林多喜二文学環境論 1 0 満子 ( 捕)
1 1 瀧子の家出
は じめ に
これ は,小林 多喜二伝 の 1 5 で ある
。1 島田の怪 我
大正 13 年 ( 1 924 年)12 月 27日に,小樽 ・手宮で火薬 の大爆発が起 きた。
信管 の事故 だ った。五丁 ( ‑ 5 百 メー トル)離 れていたが,嶋田正策 の勤 め
ていた事務 所 が壊 れ た。嶋 田 は 2 階 で仕事 を していたが, その 2 階が落 ち
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て, つぶれた。彼 は意識 を無 くした。意識 を回復 して, みて見 る と,血 が流 れていた。ガ ラスの破片が横顔 に刺 さ り,釘 が頭 を刺 していた。爆発 の勢 い は大 き く, レールが飛 んだ し,音 が札 幌 まで聞 こえた。嶋 田 は 20 日間,小 樽病院 に入院 した。多喜二 はす ぐ見舞 いに来 て くれた( 1 ) 。
2 家庭 教 師
上 山 ( 現姓)初子 さん とその妹 は, 当時,小林多喜二 の家 の近 くに住 んで お り, 2 人 は多喜二 に勉強 を教 わ った。 いわ ば家庭教師 を して もらった。彼 女 は語 る
。多喜二 の家 は,小 さい二間 くらいの家 で あった( 2 ) 。朝, お餅 をついて,売 る。 また三星 パ ン( 3 )か らパ ンを卸 し, それ を売 った。質 素 な家 だった。 ご く貧 しい家 だ った。三星 に, お世話 になっていたので しょう
。パ ン,鰻頭, お菓子 だ けな ら, しれてい る
。あんな大 きな立派 な墓 を立 て られ る家 で はな い。 そのお金が ある家 で はない
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昔 は,貧 しい もの は貧 しい,豊 かな者 は豊 かであった。隣 の家 の真似 はで きない。 いい ところ と悪 い所 の差 がす ごか った。多喜二が 「 不在地主」 な ど の ような小説 を書 くのは, 当然 だ。彼 は純粋 な人 だ ったんだ ろ う。
多喜二 の母 は,秋 田弁が強か った。素朴 な感 じで,頭 ( ‑精神) にスジが あった。毎 日,上 山 さんの家 に遊 びに来 た。か らだが細 く,小 さいが, シン
(1 )嶋田正策 さんとのインタビューから。嶋田さんは言 う,多喜二が庁商時代 に骨 折 して入院 した ( 既述)が,その時,見舞いに行かなかった。
しか し小生が思 うに,嶋田さんが多喜二の入院に気が付かなかったか,当時は見 舞 うほど 2 人が親 しくなかったのであろう。
(2 )家については,拙稿「 小林多喜二伝 ‑ 多喜二 と小樽 ‑ 小樽移住か ら小学校 卒業 まで 」 ( 『 人文研究 』86 輯)36 ページ,「 小樽高商入学の小林多喜二 」 ( 『 商学 討究 』4 5 の 3)47 ページ。
(3 )伯父の店。
(4 )多喜二の原稿料 ‑印税で作った。
が強か った。人 をうらや むわ けでない, あ きらめた ような人 生であった。
ある時, イ ンチキ医者が きた。耳 の悪 いの を直す とい う。三吾 ( 多喜二 の 弟)の耳か ら,大豆 の うるか した もの を,出 して, これが入 っていたか ら, 悪 か った と,言 った。母 は, これ を見破 った。 「 三 吾 は,生 まれ てか ら,耳 に入 った もの は, そんな もの ぐらいで はない, もっ と色々入 った」, と母 は 応 じた。 イ ンチキ医者 は逃 げた。
父 は,大 きな人 だ ったが,病身だった。人 と余 り話 を しなか った。
多喜二 は,高商時代,長 い黒 いマ ン トを着 て学校 へいった。家 で は,着物 が好 きで,大概, かす りを来 ていた。銀行 に就職 してか ら,急 にお しゃれ に なった。紳士 になった
。体 が キチっ となった
。彼 は,銀行員 にふ さわ しい, や さ男 で あった。 どこにあんな迫力 が あ り, どこにあんな フ ァイ トが あ る か,わか らない。彼 は,覚 めた感 じで人 を見 ていた。荒々 しい ことは言わ な い。悪 い ことと良い ことを呑 み込 んでい る感 じの,大人 だ った。上 山 さんの 親類 に重役 な どが い るが, そ うい う人 に対 してムキになった りしない。 そ う い う人 を憎 むのでな く, そ うい う体制 を憎 んだ。人 を憎 まないで,機構 を憎 んだのだ ろう。
胸 を張 った学生 で はな く,何 とな く隅の方で, ひ ょうひ ょうとしてい る感 じであった。色 白だ った。多喜二映画 の主演 をした山本圭 の感 じで あった。
あんないい男で はないけれ ど。多喜二 は, もの は言わない, い らない ことは 言わない。多喜二 は,物静かで,礼儀正 し く,や さしい人 だ った。や は り体 が細 く,小 さい。端正 な顔立 ちで,品が よい。普通 の人 と話 をす る人 で はな い。ただ し聞かれた ことは答 えた。
上 山 さんは,庁立小樽高女 に通 っていた。多喜二 は,彼女 たちに宿題 をだ
して,鉛筆 で何 か書 いていた。数学 と英語 を教 わ った。多喜二 が, 「 今 日は
おわ り」 と書 いて,終 った。 もう少 し英語 の字 を きれ いに書 くように,言わ
れた。彼女 は,英語 は,小樽 高商 出の小 川 成美先生 に教 わ っていた。高女 で
は購 買部 にパ ンが売 られ て いて,買 った こ ともあ る。 ( 彼 女 が 多喜 二 に教
わ ったの は,高女 2 年生 くらいの時 らしい。)
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多喜二 は,上 山 さんの家 の一部 を借 りて勉強 していた( 5 ) 。彼 女 は,多喜二 の家 に勉強 をLにいった。多喜二 は,友達 の多 い人 で, しょっち ゅう友達が きた り,彼が行 った りで,上 山 さんが多喜二 を訪 れて も,今 日はいないの, とい うことが多か った。月 に 2 度 くらい勉強 を見 て貰 っていた。 しか し, 2 カ月 くらい, いないので,教 われなか った こともあった。 それで, 自然 にや めて しまった。
多喜二 の母 は,水 にひた した た くわんを薄 く切 って,砂糖 を少 し入 れた もの を,上 山 さんの家 に貰 いに来 た。多喜二が その残 った汁 を好 きで飲 んで いた, と母 は語 った。母 は,彼 の こ とをア ンニ ヤ ( 兄, とい う こ と) と言
F= つ 。
弟 ・三吾 は,毎 日バ イオ リンの練 習 を した。父 と三吾 は,餅 つ きを しな か った。多喜二 は,三吾 には,薪 も割 らせ ない。三吾が手が固 くな るか ら, とい うわ けだ った。弟 には何 もさせ なか った。彼 が弟 のバ イオ リンを仕上 げ ようと思 ってい るのが分か った。三吾 は, 中川則夫 の本 当 に大事 な弟子 だ っ
た 。