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米生産における戸別所得補償制度に関する考察
政策研究大学院大学 まちづくりプログラム MJU11017 永井 利幸
1. はじめに
戸別所得補償制度は,モデル対策事業として2010 年度に水田農業の経営安定化を図るために恒常的に 赤字に陥っている米生産に対して実施され,2011 年 度には,麦・大豆等の畑作物にも対象を広げて本格 的に実施されている.
また,この制度導入の趣旨は,食料・農業・農村 基本計画の言葉を引用すれば,「農業は,食料の安定 供給や多面的機能の発揮など,国民の生活に重要な 役割を果たしている.こうした役割は,農業が産業 として持続性を維持してこそ果たし得るものであり,
その確保を図るためには,意欲あるすべての農業者 が将来にわたって農業を継続し,経営発展に取り組 むことができる環境を整備する必要がある」とされ ている.
しかし,米生産に対する戸別所得補償制度は,生 産調整への加入を条件付けられた制度設計がなされ ているため,生産調整への加入を促すこととなる.
また,数量規制である生産調整への加入が促進され れば,より生産性の高い稲作農家においても作付け を減らすことや規模の縮小が行われることが考えら れる.
また,生産調整による稲作農家への生産数量目標 の配分は,必ずしも生産性の高い稲作農家から配分 がなされているわけではないため,米の生産性を引 き下げる側面がある.ただし,必ずしも全ての稲作 農家が生産調整に従っていたわけではないことから,
割り当ての非効率から生じる生産性の低下の効果は,
生産調整の非参加者により幾分やわらげられていた 可能性がある.いずれにしても生産調整への加入促進 が稲作農家全体の生産性を下げることが懸念される.
そこで,本稿では,戸別所得補償制度が米生産に 与える影響について検証するため,農業に従事する ことに伴う機会費用が生産調整における生産数量目 標の達成率に与える影響と生産調整の達成率の上昇 が県内の稲作の平均生産性に与える影響について都 道府県パネルデータを用いて定量的に評価する.
2. 制度の概要
(1) 戸別所得補償制度とは
制度の目的は,販売価格が生産費を恒常的に下回 っている作物を対象に,その差額を交付することに より,農業経営の安定と国内生産力の確保を図り,
食料自給率の向上と農業の多面的機能を維持するこ とである.
また,米生産における戸別所得補償の対象は,生 産数量目標に従って販売目的で生産(耕作)する「販 売農家」(法人を含む.)と「集落営農」であり,規 模の大小に関わらず,生産調整に加入している全て の販売農家を対象としている.
戸別所得補償により交付される金額は 15,000 円 /10aである.
(2) 生産調整とは
生産調整は,国が設定する生産数量目標を稲作農 家に配分し,稲作農家はそれに基づいた生産を行う ことで,支援措置として転作に対する補助金の給付 を受けてきた.しかし,2010年度から戸別所得補償 モデル対策の実施に伴い,生産調整に参加しない稲 作農家も水田で麦,大豆などの作物を生産すれば交 付金が受けられることとなった.
また,戸別所得補償制度が始まってからは,生産
2 調整に参加した者に所得補償を交付することのメリ ット措置により,生産調整に誘導する施策に転換さ れている.
3.戸別所得補償が米生産に与える影響に関する 分析
3.1. 検証する仮説等
米生産に対する戸別所得補償を受けるためには,
生産調整に加入することが条件付けされている.ま た,各稲作農家において生産数量目標を守るか,守 らないかを選択することは可能であり,都道府県別 で見た場合においても生産数量目標は完全には守ら れていない現状である.
稲作農家が生産調整に加入しないのは,生産調整 に加入することによって得られる便益よりも生産調 整に加入せずに生産を続けることの便益が大きいた めであると考えられる.生産調整に加入することに よって得られる便益は機会費用,即ち米の作付面積 を減らすことにより得られる戸別所得補償であると 言える.一方,生産を続けることによって得られる 便益は,通常生産性の高い稲作農家の方が大きいた め,米の生産性の高い稲作農家は生産調整に加入し ない可能性が高い.したがって,戸別所得補償は生 産調整に加入することによって得られる便益を高め る政策であるので,より米の生産性の高い稲作農家 の生産調整への加入を促進する政策であると考えら れる.
また,この時に県レベルの米の平均生産性に与え る影響は,生産調整に加入する稲作農家の生産性の レベルなどにより異なり,高くなる場合と低くなる 場合が考えられる.そこで,生産調整がより守られ ることによる米の生産性への影響と戸別所得補償に よる機会費用が増加することによる生産調整の加入 への影響について検証を行うこととする.
第一の検証は,生産調整の達成率を上げることは,
今までは生産調整に加入していない生産性の高い稲 作農家も生産調整に加入することになり,作付面積 を減らすことで平均的な生産性に影響を与えるが,
より生産性の高い稲作農家が生産調整に加入した場 合においても,加入する稲作農家の生産性のレベル などによって、平均生産性が上がるか下がるかは異 なるため,実証を行い検証することとする.
第二は,機会費用と生産調整の達成率に関する仮 説である.稲作農家が戸別所得補償を受けるために は生産調整に加入する必要がある.そのことは稲の 作付面積を減らすことであり,戸別所得補償は稲作 農家の機会費用を押し上げる政策であると言える.
よって,機会費用を上げることは生産調整に参加す ることのインセンティブとなり,生産調整の達成率 を上げることとなる.この仮説について,実証分析 により検証することとする.
3.2. 生産調整の達成率が米の生産性に与える影響 に関する実証分析
生産調整が米生産に与える影響を分析する.まず,
米の生産関数を仮定し,稲作の生産性を生産調整の 達成率との関係において定義する.ここから導き出 される推計式を実証することによって,生産調整の 達成率が米の生産性に与える影響について分析する.
(1) 推定モデル
各都道府県 i の時間 t における生産関数を次のコ ブ・ダグラス型生産関数であるとする.
Yit = f(Ait, Areait, Cropit) =AitAreaitβ3Cropitβ2
Yは米の生産量,Aは稲作の生産性,Areaは土地(実 作付面積),Cropは作況指数である.さらに,生産性 を次の式で定義する.
Ait= exp(α + β1Achiit+ eit) Achiは生産調整の達成率である.
以上の二式から以下の推計式が得られる.
lnYit= α + β1Achiit+ β2lnCropit + β3lnAreait+ eit
αは定数項,β1~β3は推計されるパラメータで,eは 誤差項である.
推計は最小二乗法(OLS)に加えて,都道府県固 有の要素がパラメータの推定値にバイアスを生じさ せる可能性があるので,固定効果モデル(FE)によ
3 り推計する.
(2) 推計結果
推計結果は,次の表 1 のとおりである.ハウスマ ン検定の結果,都道府県ごとの観測不可能な要因が 存在するので固定効果モデル(FE)の結果を採用する.
このモデルの主な推計結果について説明する.達 成率の係数の符号は 5%の水準で統計的に有意であ り,符号は負であった.このことは,生産調整の達 成率と生産性については負の相関があると言える.
また,実作付面積の係数は有意に正であり,これは 実作付面積が 1%上昇すると生産量が 0.92%上昇す ることを意味している.
表1 推計結果
3.3. 機会費用が生産調整の達成率に与える影響に
関する実証分析
3.1.で示した仮説「機会費用を上げることは生産調 整に参加することのインセンティブとなり,生産調 整の達成率を上げる」を実証するため,機会費用が 生産調整の達成率に与える影響について分析する.
(1) 推定モデル
Achi𝑖𝑡 = γ0+ γ1Opit+ γ2Shareit+ vit
Achiは生産調整の達成率,𝛾0は定数項,𝛾1および𝛾2は パラメータ,Opは機会費用,Shareは配分率,iは都 道府県,tは時間,vは誤差項である.
推計は最小二乗法(OLS)に加えて,都道府県固 有の要素がパラメータの推定値にバイアスを生じさ せる可能性があるので,固定効果モデルにより推計 する.
(2) 推計結果
推計結果は,次の表2とおりである.ハウスマン 検定の結果,都道府県ごとの観測不可能な要因が存 在するので固定効果モデル(FE)の結果を採用する.
このモデルの主な推計結果について説明する.機 会費用の係数の符号は1%の水準で統計的に有意で あり,符号は正であった.このことは,達成率と機 会費用については正の相関があると言える.
表2 推計結果
4. 考察
前章までの分析から,達成率と生産性の相関は負 であり,その理由としては,達成率が上がれば今ま では生産調整に加入していない生産性の高い稲作農 家が生産調整に加入することで,県全体の平均生産 性を引き下げているものと考えられる.
また,達成率と機会費用との相関が正であったこ とから,生産調整に条件けされた戸別所得補償を行 うことは,生産調整に加入することによって得られ る便益,すなわち米生産を行うことでの機会費用を 押し上げることであり,生産調整の達成率を上げる 要因であることが考えられる.
前述のことから,生産調整を条件付けした戸別所 得補償を行うことにより,生産調整の達成率を押し 上げるが,県全体の平均生産性を引き下げることが 考えられる.
そこで,推計結果から導き出された数値を用いて,
平均的な販売農家に戸別所得補償を行うことにより,
どの程度,平均生産性に影響を与えるのかシミュレ ーションを行った.結果は表3のとおりである.
表
3戸別所得補償を交付された場合の生産性への影響
被説明変数 ln(生産量)
OLS FE
係数 標準偏差 係数 標準偏差
達成率 0.000166 0.00076 -0.0010814 ** 0.00048
ln(作況指数) 1.105519 *** 0.07285 0.9837187 *** 0.00829 ln(実作付面積) 1.062112 *** 0.00432 0.9201461 *** 0.04188
定数項 -4.092863 *** 0.35676 -1.980834 *** 0.45733
決定係数 0.9966 0.9883
サンプル数 282 282
(注)***, **はそれぞれ1%, 5%の水準で統計的に有意であることを示す。
被説明変数 達成率
OLS FE
係数 標準偏差 係数 標準偏差
機会費用 0.448579 *** 0.12162 0.4784244 *** 0.1153
配分率 18.0668 *** 3.43081 17.67405 ** 7.58109
定数項 73.01613 *** 4.55383 72.36331 *** 6.53998
決定係数 0.1242 0.4208
サンプル数 282 282
(注)***, **はそれぞれ1%, 5%の水準で統計的に有意であることを示す。
C
1.125 0.47842 0.53822 -0.00108 -0.00058
機会費用の係数
達成率の係数 (1%達成率を上げた場
合の生産性の変化率)
生産性への影響 (%) 戸別所得補償
の受け取り額 (万円/月)
機会費用の達成率 への影響
𝛾1 C 𝛾1=ΔAchi 1 Achi β1
4 シミュレーションの結果から,平均的な販売農家 に対して戸別所得補償を行うことでの生産性へのマ イナスの影響は数値的には小さいように見える.し かし,生産性への影響がマイナスであるという状況 を個々の稲作農家にあてはめて考えた場合,生産性 の低い稲作農家が生産を減らすことで平均生産性に はプラスの影響を与えるが,それよりましてより生 産性の高い稲作農家が生産を減尐させていることが 考えられる.そのことが稲作農家全体の中で行われ ていることを考えれば,平均生産性がマイナスであ るということの影響は小さいとは言えないのではな いか.
さらに,今回の検証において,生産性と実作付面 積との関係において実作付面積の係数が0.92であり 有意に 1 以上になっていない.すなわち個別農家の 生産性においては先行研究で規模の経済があること が示されているが,県全体の面積でみるとそうでは ない.このことは,個別農家の生産関数と県全体の 生産関数とは異なるためと考えられるが,そういっ たことを鑑みると,達成率が上昇する,すなわち個 別農家の生産量を抑えてやるという政策は,規模の 経済を阻害することとなり,生産性が低下するもの と考える.
以上のことから,現行の戸別所得補償制度は,生 産調整を条件付けしている政策なので,米の生産性 の向上を阻害する施策となっている.
また,戸別所得補償制度の導入趣旨として,農業 者が将来にわたって農業 を継続し,経営発展に取り 組むことができる環境を整備する必要性が挙げられ ているが,生産性が低下すれば農業の継続性も損な われることにならないか
戸別所得補償制度は,食料自給率の向上や農業の 多面的機能の維持と言った問題で必要性は認められ るかもしれないが,現行の生産調整を条件付けたや り方は生産性を向上する観点から望ましくないと考 える.
(政策提言)
戸別所得補償制度における現行の生産調整を条件 付けたやり方は米の生産性を向上する観点から望ま しいものではない.今後より効率的な生産が行われ ることで,稲作農家の経営の安定を図ることとなり, 将来にわたっての農業の継続性が確保できるものと 考えるため,現状の生産調整の条件付けは見直す必 要がある.
5. まとめ
本稿では,戸別所得補償制度が米生産に与える影 響について,2005年から2010年までの都道県別のパ ネルデータを用いて実証分析を行った.その結果,
第一に生産調整の達成率が上がれば生産性か低下す ること.第二に稲作農家の機会費用が上がれば達成 率が上がること.第三に都道府県内においては,稲 の実質作付面積と生産量の関係は比例関係となって いない.以上の三点が明らかになった.
この分析から導きだされる結論は,生産調整を条 件づけた戸別所得補償制度は,達成率と機会費用の 要因で見た場合,生産性を引き下げる制度であるこ と.また,生産調整のような個別農家の生産量を抑 制する政策は,都道府県内でみると規模の経済を阻 害していることである.
今後の課題としては,本稿の研究は,都道府県別 のパネルデータを用いての分析であったが,農業者 がどのように選択・行動するかは,経営規模や経営 形態など様々な要因が考えられることから,より詳 細なデータを収集し分析する必要があるものと考え る.