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中央学術研究所紀要 第44号 149河崎豊「南方上座部における善巧方便」

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河 㟢   豊

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0.はじめに

 所謂「善巧方便」(skilful means, skill-in-means)が大乗仏教において重要な位置を占め る概念のひとつであることはしばしば指摘され、これまでも様々な角度から研究が行 なわれてきた。それらの諸研究の中には、方便思想の源流を探るべく初期仏教経典に触 れるものも当然存在するが、大部分はインド大乗経典・諸論書から始まり我が国の仏教 者の諸著作に至るまでを主たる対象とし、初期仏教・部派仏教の諸文献における方便思 想については未だ研究の余地が残されている。そこで本稿は、南方上座部の諸文献で見 出される諸用例を、これまでの諸成果1を踏まえつつ概観し、同派における善巧方便の 位置づけに関する研究史に若干の肉付けを行なうことを目的とする。方便という漢訳 語を充てられたインド原語としては種々想定し得、skill / skilful を意味するインド原語 も様々にあり得るが、紙数の都合と議論を南方上座部の範囲に限るべく、対象を善巧 方便の原語により相応しいupāyakusala-、upāyakusalatā-、upāyakosalla- 及びそれら三語 に否定辞 an- が付されるもののみとし、他部派の諸文献の用例に触れることはない2

河     豊

0.はじめに 1.三蔵における用例 2.注釈文献における一般的用例 3.注釈文献における定義的用例 4.釈尊が行使する善巧方便の典型 5.回顧と展望 1 PYE(2003)、澤田(1963)、雲井(1969)、池上(2011)などを参照されたい。

2  以下パーリ文献は全て Pali Text Society 版の最新版を使用した。散見される誤植については、私 による訂正を経た原文のみを提示した。パーリ文献の略号は Margaret CONE, A Dictionary of Pāli が 使用するものに従った。但し、CONEの辞典では Jātaka の散文部分(つまり Jātaka-atthavann44anā)

と韻文部分とを分けずに一括してJaと略称するが、本稿のみの措置として便宜的に散文部分をJa-a と表記した。

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1.三蔵における用例

 よく指摘される通り、南方上座部の三蔵における upāyakusala- 等の用例は極めて少 ない。律蔵にはなく、経蔵では僅か三例である3。D III 220は獲得および損失について 熟達していること(āya- / apāya-kosalla)と合わせ、手段について熟達していること upāyakosalla に言及する4。この法数項目の単なる羅列は、せいぜい経済活動上の表現 を仏教教理に転用した可能性を我々に推測させる5のみである。次にA III 431f.は、比 丘が六つの条件を具えていれば「未だ到達していない善きことがらに達することもで き、既に到達している善きことがらを増すこともできる(bhabbo anadhigatam4 vā kusalam4

dhammam4 adhigantum4 adhigatam4 vā kusalam4 dhammam4 phātikātum4)」とし、条件のひとつ

に「手段について熟達している者になる(upāyakusalo ca hoti)」を掲げる。ここから、 upāyakusalaたる状態が比丘にとって善法を獲得し増大する要件とされていたことが理 解できるが、同語で示される状態の具体的な内容は不明である。そして、最後の例は 釈尊の異母弟ナンダが詠ったとされる Th157 158である:

  ayonisomanasīkārā mand44anam4 anuyuñjisam4

  uddhato capalo cāsim4 kāmarāgena att4 4ito

  upāyakusalena^aham4 buddhenādiccabandhunā

  yoniso pat4ipajjitvā bhave cittam4 udabbahin ti(Th 157 158)

   根源的な正しさを欠く思惟ゆえに、私(ナンダ)は装飾品に耽った。動揺しふら ついて、欲望の対象への愛着で苦しめられていた。私は手段について熟達してい る太陽族の仏陀を通じ正しく根源的に実践した後、生存の中に〔沈む私の6〕心を 引き上げた。 この詩節は少なくとも二点で重要である。第一は、釈尊個人に善巧方便を結合させた 恐らく最初の例であること、つまり Th 157 158こそ「方便を駆使し教化する」釈尊の イメージの出発点だという想定を許容する点である7。第二は、本詩節がナンダ自身へ 3  なおミャンマー伝承でのみ小部に含まれる Pet4には、瞑想の力により upāyakosalla があるとする

(Pet4 153:jhānabalena[Ee:-phalena]upāyakosallam4[Ee:upādāya-]. 訂正はÑĀN4AMOLI(2008:208)

に従う)。

4 D III 220:tīn4i kosallāni. āya-kosallam4, apāya-kosallam4, upāya-kosallam4.

5 SCHMITHAUSEN(2013:451)を参照されたい。 6 Th-a II 33:... bhave sam4sārapanke nimuggañ ca me cittam4 ...

7  池上(2011:36)を参照されたい。本詩節がナンダの真作とすれば、「釈尊=善巧方便の使い手」 という観念がナンダの個人的宗教体験に帰着する可能性をも考慮する必要がある。またMASEFIELD

(1997:56)は、Ud に現れるナンダ教化譚を This may well be the only instance in the Suttapit4aka of

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の教化を踏まえた回顧として、釈尊をupāyakusalaと評する点である。このことは、釈 尊がナンダに行使した教化手段が、少なくとも Th を伝承してきた南方上座部の仏教 者たちにとって典型的な釈尊の善巧方便の顕れと見做されていたことを物語ってい る。この点は後で他の類例と共に取り上げ、改めて検討する(←4.)。

論蔵で善巧方便を取り上げるのは Vibh 325f. のみである。即ち Vibh は D III 220で挙が る三つの kosalla を定義付ける。そこでそれら三つは全て理解力(paññā)等と関連せ しめられ、upāyakosallaは「そこで手段となる理解力は何でもupāyakosallaである(sabbā pi tatrupāyā paññā upāyakosallam4)

」とされる。つまり手段としてのpaññāとするのであ る9。後で見る通り(←2.)、注釈群で善巧方便は paññā と紐付けられる傾向があり、 Vibhの解釈が後の南方上座部における善巧方便の教義学的理解の基礎になったと想定 されるため、この定義は重要である。実際、D III 220の注釈でブッダゴーサは詳細を Vibh に譲り10、Vism は paññā が何種類かを議論する箇所で āya- / apāya- / upāya- の各 kosalla という区分に立てば三種類だとし、Vibh を引用し解釈を加えている(←3.)。 また菩薩の波羅蜜行と善巧方便とを密接に関係させるダンマパーラも、例えば慧波羅 蜜の実践行のひとつとしての多聞(bāhusacca)を詳説する際、「諸々の有情がなすべ き諸事について、〔その〕状況において生起する弁舌の才にして、獲得・損失・手段に ついての熟達ぶりである理解力を、〔他者の〕利を求めていることに基づき、そこかし こで適切に展開するべきである11」と言う。これらが Vibh 以来の伝統に基づくことを 疑う必要はないであろう。 以上、三蔵において upāyakusala- 等の例は極めて少なく、当該の語彙がいわゆる初期 仏教において重要な意味を持っていたとは考え難い。その一方で、Th や Vibh に見ら れたように、その後の ― 少なくとも南方上座部における ― 善巧方便の概念の出発点 と考えられる記述が存在することは注目される。

8  Vibh-a 415:... idam4 pana accāyikakicce vā bhaye vā uppanne tassa tikicchanattham4 t4hānuppattiyakāran4a

jānanavasen eva veditabbam4.「更にこの〔upāyakosalla〕は、火急の用件であれ恐怖であれ〔それが〕

生起した時にそのことに対処すべく、〔その特定の〕状況において生起する、原因を認識するとい うことを通じてのみ、知られるべきである」。

9  この他、例えば Dhs 11では有漏の paññindriya(慧根)に対する類義語一覧が提示され、その類 義語のひとつは kosalla である。これについては河 (2015)も参照されたい。

10  Sv III 1005:kosallesu āyo ti vadd44hi, apāyo ti avadd44hi. tassa tassa kāran4am4 upāyo. vitthāro pana Vibhan 4

ge vutto yeva ...

11  Cp-a 316:sattānam4 itikattabbatāsu t4hānuppattikapat4ibhānabhūtā āyāpāyaupāyakosallabhūtā* ca paññā

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2.注釈文献における一般的用例

 アッタカターやティーカーでは upāyakusala- 等の例は数十ほどに膨れ上がる。それ らは、何らかの語を解釈する際に用いられるか、upāyakusala- 等自体の意味を説明する か、何れにせよ広い意味でupāyakusala-等を教義学的に定義する性格を持つ場合と、特 にそのような意図が見出し難い一般的な場合とに大別される。  後者の出現する文献の傾向として、その殆どが Ja の散文部分、つまり Jātaka-atthavann44anā[Ja-a 12]であり、Cp-aやPv-aにおいて孤立的に出現する一般的な用例も、 実質的に釈尊の前生を語る文脈での出現に限られる。この事実は、善巧方便という概念 の形成において釈尊の前生物語が何らかの役割を担った可能性を示すかもしれない13  次に、upāyakusala-等がしばしばpaññāをはじめとする優れた認識力(を持つ者)を 指す語彙と併記される点も注目される。Vibhにおける解釈の延長にあると想定される この傾向の典型は、釈尊が前生譚を語り出す導入部で「比丘たちよ、如来が理解力を 有するのは今だけではない。過去にも理解力を有し、upāyakusalaに他ならなかった14 と、己を paññavā で upāyakusala だったとするものだが、サーリプッタの前生が鹿だっ た時に「一方、ラッカナという鹿は賢く聡明で upāyakusala で15」、「アーナンダ長老は 自らの博学ぶりと賢才ぶりと upāyakusalatā とによって16」王の宝珠を発見したという 様に、形容対象が菩薩に限定されるわけではない。逆に、デーヴァダッタの前世を言 う時に「他ならぬベナレスには他にも隊商長の息子がおり、愚かで疎くanupāyakusala だった17」と、anupāyakusala を bāla や avyatta と併記する場合も存在する18

 このように upāyakusala- 等と形容される者が前生譚の中で行なう所業は多種多様で 過度の一般化を阻むが、paññā等との関連に着目すると、何らかの事態に直面した時、 12  この略号については本稿の注2を参照されたい。なお Ja の韻文部分に upāyakusala- 等の例はな い。 13  澤田(1963:100)は「…方便思想の形成の源流は、今生の佛陀の偉業を佛陀の前生の苦難の行 に求めるジャータカの出現に求めてよいのではないか。方便の用例の殆んどがジャータカにある ことを考え合わせるとき尚更そのように思えるのである」とする。澤田が言うジャータカとはJa-a のことだが、「殆どがジャータカにある」諸例が常に「佛陀の前生の苦難の行」と紐付けられてい るわけではない。この想定の可否を判断するには、他部派のジャータカ文献も広く検討する必要 があると思われる。

14  Ja-a II 76:na bhikkhave idān eva tathāgato paññavā, pubbe pi paññavā upāyakusalo yevā ti... 全同の言 い回しは Ja-a II 173, III 204にも存在する。

15 Ja-a I 144:lakkhan4amigo pana pand44ito vyatto upāyakusalo ...

16 Ja-a I 383:ānandatthero attano bahussutatāya pand44iccena upāyakusalatāya ...

17 Ja-a I 98:bārān4asiyam4 yeva añño pi satthavāhaputto atthi bālo avyatto anupāyakusalo.

18  同様に、Ja-a I 443:... attano uppannam4 dukkham4 bālatāya anupāyakusalatāya haritum4 nāsakkhim ...「…

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その事態がどうして生じたのかと知恵を働かせて原因を見抜くか、あるいはどうすれ ばその事態が解決されるかと見抜いた上で適切に手段を講じ、結果その事態が打開さ れる、という特徴を持つ行動を描く場合が少なくない。以下四例のみ挙げる。  Dīpijātaka[no.426]では、群から逸れた牝ヤギをヒョウが食おうとする。牝ヤギは 「こいつは私を殺して食おうと思って立っている。もし振り向いて逃げれば私の命はな い。今、私は人間のなりをするのがよい19」と考え、そのように振る舞ったお蔭で逃げ おおせた。その一部始終を見たモッガッラーナが牝ヤギを評して「己の upāyakusalatā ゆえに逃げおおせた」と釈尊に報告している。  Dūtajātaka[no.478]では、如来が前生でもupāyakusalaであった例として、菩薩は技 芸の師匠への謝礼を托鉢で集めるが、帰参中に船が転覆しその謝礼を失ってしまう、 という逸話を挙げる。そこの領民は貧しかったため、再び師匠への謝金を托鉢で集め れば遅れが生じると見た菩薩は、「私はガンジス河岸で断食して座ってみてはどうか。 そうやって私が座っていることを、そのうちに王が了解するだろう。その後、大臣た ちを派遣するだろう。私は彼らと喋らないでおこう。そうすると、王が自分でやって 来ることになるだろう。この手段によって、私は王から師匠の謝金を得るだろう20」と 考える。菩薩はその通りに断食を決行し、都城の有力者や大臣がやって来ても一切喋 らなかった。恐怖に陥って七日目に自ら出馬してきた王に菩薩は問答を行ない、無事 に菩薩は謝礼を王から得た。

 upāyakusala- 等がないとされる場合、Apann44akajātaka[no.1]では、愚かな隊商長が

率いる隊商は、路上で夜叉に示唆され水を全て捨てる。ところが行った先に水がなく、 衰弱した隊商長と隊商のメンバーは悉く夜叉に食われた。賢明な隊商長も同様に夜叉 に言われるが、彼は「こいつらは夜叉だ。我々に水を捨てさせ力を弱くさせてから食 う積りでやって来たのだろう。先に行った愚かな隊商長の息子はupāyakusalaではなか った。きっと彼はこいつらに水を捨てさせられ、疲れ、食われたのだろう21」と考え、 夜叉の口車に乗ることなく難を逃れた。  Sigālajātaka[no.152]では、妹の牝ライオンに懸想した牡ジャッカルを兄の牡ライ オンたちが殺害しようとする。妹に「ジャッカルは山頂の空中で横になっている」と 言われたため、山頂の空中めがけ飛翔し水晶の窟に激突して死んでいく。最後のライ

19  Ja-a III 479:esa mam4 māretvā khāditukāmatāya t4hito, sace nivattitvā palāyissāmi jīvitam me n atthi, ajja

mayā purisākāram4 kātum4 vatt4 4atīti.

20  Ja-a IV 225:yan nūnāham4 gan 4

gātīre yeva nirāhāro nisīdeyyam4, tassa me nisinnabhāvam4 anupubbena rājā

jānissati, tato amacce pesessati, aham4 tehi saddhim4 na mantessāmi, tato rājā sayam4 āgamissati, iminā

upāyena tassa santikā ācariyadhanam4 labhissāmīti

21  Ja-a I 103:yakkhā ete, amhe udakam4 chadd44āpetvā dubbale katvā khādissāmā ti āgatā bhavissanti, purato

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オンも同様に言われるが、ジャッカルは空中で安立するなどということはなく水晶の 窟で寝ている筈だと考え、兄弟たちの死体を見て「こいつらは、自らが愚かで完全に 把握する洞察力がないせいで、水晶の窟があることがわからないまま、心臓を強打し て死んだのだろう…upāyakusalaでない我が兄弟たちは、ジャッカルを殺そうと〔考え〕 あまりに急いで飛び出して、自ら死んでしまった22」と考える。  こういった話では、事象の原因やその解決方法を見抜くという paññā の本質的な機 能23を発揮し、それを現実的な行動によって具現化できる者、あるいはその具現化する 能力自体が、upāyakusala や upāyakosalla などと表現された如くである。愚かな隊商長 やライオンたちは、そういう能力を発揮できないため、行動の結果を予見できず死ぬ のである。そしてこういった観念は、Dūtajātaka を語る際に釈尊が「比丘たちよ、如 来が『甲によって乙が生じる』と、手段についてわかり(upāyajānana)、upāyakusala であるのは今だけではない。過去にも upāyakusala に他ならなかった24」と述べる点に 端的に示されている。つまり、ある事象を打開するにあたり「甲という手段を講じれ ば乙という結果になる」という理解の下、手段を巧みに行使する者がupāyakusalaだと 理解されているのであろう25  なお、Ja-a において upāyakusala と言われる者たちがとる行動は、自助を目的とする 場合もあれば他者救済を志向する場合もあり、必ずしも一定しない26。またupāyakusala- 等は倫理的に善い意味でばかり使用されるわけでもない。以下で upāyakusalatā が意図 するところはせいぜい「口八丁で丸め込む手管に長けていること」である:    …一方、弁舌の才によって、upāyakusalatā で他人の財産を奪うことが「騙し」と いうものである。その出来事はこのようなものだと見られるべし:とある実直な 性質の村人が荒地から野兎を連れて来て川岸に留めておいた後、水浴するために 〔川に〕降りたそうな。すると、とある詐欺師がその野兎を〔自分の〕頭上に置

22  Ja-a II 7f.:ime attano bālatāya parigan4hanapaññāya abhāvena phalikaguhābhāvam4 ajānitvā hadayena

paharitvā matā bhavissanti ... mama bhātikā anupāyakusalā sigālam4 māressāmā ti ativegena pakkhanditvā

sayam4 matā.

23 paññā がそのような意味を持つことについては、河 (2015)を参照されたい。

24  Ja-a IV 224:na bhikkhave tathāgato idān eva iminā idam4 hotīti upāyajānano upāyakusalo, pubbe pi

upāyakusalo yevā ti.

25  Sattubhastajātaka[no.402]では、夜叉に死を予言され恐怖に怯える婆羅門(=アーナンダ)を見 た賢者セーナカ(=菩薩)は、婆羅門の持つ袋の中に毒蛇がいることから始まって、何故その蛇 が袋に入り込んだのか、何をすればその蛇が婆羅門に咬みつき彼が死ぬことになるか、等を upāyakosallañān4a によって了解する、というくだり(Ja-a III 346)がある。

26  菩薩がupāyakusalaとされる場合でも、純粋に自利のみを求める場合が存在する。例えばSūcijātaka [no.387]で、菩薩は非常に優秀な鍛冶屋であり、己の持つ技術を様々に駆使する。それは鍛冶職

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き、水浴するために〔川へ〕降りた。もう一方の者(=村人)が〔川から〕上る と、野兎が見当らないので、あちこち眺め回した。そういうその〔村人〕に詐欺 師が「何を眺め回しているんだい?」と言うと、「この場所に私の野兎を留めてお いたのですが、それが見当らないのです」と言うので、「バカだなあ、君はわかっ てない。野兎たちってのは、川岸に留めておくと逃げるのだ。ご覧、僕は自分の 野兎を頭の上にしっかり留めて、水浴しているだろう?」と〔言った。〕当の〔村 人〕は弁舌の才がないので、「そうなのでしょう」と〔言って〕出発した27 以上の諸傾向は、Ja-a の段階で upāyakusala- 等が、諸仏や仏弟子が持つべき能力とい う意味で固定されず、仏教用語として完全に術語化もしていない状況を示すであろう。

3.注釈文献における定義的用例

 教義学的見地からの定義について、まずブッダゴーサ作と考えられる諸著作28では、 彼が upāyakusala- 等に触れることは極めて少ない。A III 431f. に対する注釈では、 upāyakusala について何も述べていない。また既に示した通り(←1.)、D III 220への 注釈では詳細を Vibh に譲っている。多少詳細な説明があるのは、paññā が何種かとい う議論の中で Vibh を引用しつつ、āya- / apāya- / upāya- の各 kosalla という区分に立て ば三種類だとする Vism である。そこでブッダゴーサは upāyakosalla を「更に、あらゆ る場合で夫々の諸々のことがらを完成させる原因としての諸々の手段について〔その〕 瞬間に出現し〔その〕状況において生起する熟達ぶりをupāyakosallaという29」とする。 ブッダゴーサが説明する箇所はこの二つだけであり、彼の中で善巧方便が重要な位置

27  Ja-a IV 12:pat4ibhānavasena pana upāyakusalatāya parasantakagahan4am4 vañcanam4 nāma. tass evam4

pavatti datt4 4habbā:eko kira ujujātiko gāmikapuriso araññato sasakam4 ānetvā nadītīre t4hapetvā nahāyitum4

otari. ath eko dhutto tam4 sasakam4 sīse katvā nahāyitum4 otinn44o, itaro uttaritvā sasakam4 apassanto ito c ito ca

vilokesi, tam enam4 dhutto kim4 vilokesīti vatvā imasmim4 me t4hāne sasako t4hapito tam4 na passāmīti vutte

andhabāla na tvam4 jānāsi sasakā nāma nadītīre t4hapitā palāyanti passa aham4 attano sasakam4 sīse t4hapetvā va

nahāyāmīti, so appat4ibhānatāya evam4 bhavissatīti pakkāmi. この他、他の鶏を全て食い殺したが、一羽

(=菩薩)だけを食い殺せない牝猫が、「この鶏はものすごく狡いけど、あたしが狡くてupāyakusala であることをわかっちゃいない。こいつに私は『あなたの奥さんになるわ』と親しげに言って、私 の言いなりになったあかつきには食えるわよ」(Ja-a III 265:ayam4 kukkut4o ativiya sat4ho amhākañ ca

sat4habhāvam4 upāyakusalabhāvam4 na jānāti, imam4 mayā bhariyā te bhavissāmīti upalāpetvā attano vasam4

āgantakāle khāditum4 vatt4 4atīti)と言う場合も、明らかに狡知に基づいた手段を行使する能力を指す。

28  ブッダゴーサ著作について、本稿では確実なものとして4ニカーヤ注及びVismのみを想定して いる。

29  Vism 440:sabbattha pana tesam4 tesam4 dhammānam4 upāyesu nipphattikāran4esu tam4khan4appavattam4

t

(9)

を占めていたとは考えられない。5世紀頃という彼の時代には既に様々な形で大乗仏 教が存在していたことを考え併せると、この冷淡さは却って注目されるべきである。  このブッダゴーサと異なる様相を呈するのが、ブッダゴーサ以降の注釈家ダンマ パーラの作とされる著作群30 である。興味深いことに、その用例の殆どはCp-a及びSv-pt4の、波羅蜜を解説する部分 31に集中し、そこでは全て何らかの形で波羅蜜行と関連付 けられる。  釈尊が前生で修めた波羅蜜行の実態を語るという体際を取るのが現行の32Ja である から、Ja でも(遅くともその最終的な編纂の時期には)upāyakusala- 等と波羅蜜との 間に何らかの関係が意識されていた可能性はある。尤も、「この〔ジャータカ〕を師は ジェータ林で過ごしつつ慧波羅蜜に関して語った。というのはその時、師は『比丘た ちよ、今だけでなく過去にも如来は洞察力を有しupāyakusalaに他ならなかった』と言っ て、過去を引き合いに出したから33」と、慧波羅蜜と善巧方便とが併記される例は存在 するものの、この類の例は僅少な上、この一文から両者の関係を具体的に理解すること も不可能であろう。また両者の関係を教義学的に説明しようとする試みも皆無である。  これに対し、ダンマパーラはまず十波羅蜜とは何かという問いに対し、「渇愛や優劣 の思いや見解によって打ち倒されておらず、悲と upāyakosalla とによって包摂された、 布施をはじめとする諸美徳が諸波羅蜜である34」と定義する。要するに、全ての波羅蜜 は悲と善巧方便とを必ず伴うと理解するのである。そしてそれをより詳細に述べる箇 所では、    それら〔波羅蜜〕の特性・本質的な働き・附帯する様相・直接因は何か。ここで まず区別せずに〔示すと〕、全ての波羅蜜は他者を助けることを特性とする。他者 30  ダンマパーラがブッダゴーサより後の人物であることは確実だが(von HINÜBER(1996:141))、 その年代について確かなことは言い難い。また通常、彼に帰せられる著作群を二つに分類し、二 名のダンマパーラを想定する(cf. COUSINS(1972))。本稿が引用する限りで言えば、Cp-a はダン マパーラ一世(6世紀?7世紀?)、Sv-pt4は二世(10世紀∼12世紀?)に配当される。尤も、von HINÜBER(1996:136)が言う通り、この区分に justification があるというほど研究はなされていな いと思われる。 31  南方上座部における波羅蜜の概念については、ENDO(2002:267 299)や古山(1997)を参照 されたい。Cp-a において波羅蜜を説く箇所については、BODHI(2007:243 316)や勝本(2007: 295 361)の訳がある(前者が訳しているのは Sv-pt4ではなく Cp-a である)。 32  杉本(1993:120)は、南方上座部の現行Jaにおいて明確に仏が主役として活躍する話は三十六 話に過ぎないことを指摘し、ジャータカが本来的には菩薩の修行物語ではなかったと主張する。 33  Ja-a III 204:idam4 satthā jetavane viharanto paññāpāramim4 ārabbha kathesi. tadā hi satthā na bhikkhave

idāneva pubbe pi tathāgato paññavā upāyakusalo yevāti vatvā atītam4 āhari.

34  Cp-a 276f. ≠ Sv-pt4 I 86:tan4hāmānaditt4 4hīhi anupahatā karun4ūpāyakosallapariggahitā dānādayo gun

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たちの助力をなすことを本質的な働きとするか、あるいは動揺しないことを本質 的な働きとする。〔他者の〕利を求めていることを附帯する様相とするか、あるい は仏陀たる状態を附帯する様相とする。大悲を直接因とするか、あるいは悲と upāyakosalla とを直接因とする。一方、区別して〔示すと〕、悲と upāyakosalla と によって包摂されており、自の利を完全に捨てるという考えが布施波羅蜜であ る…35(*以下全ての波羅蜜で karun 4ūpāyakosallapariggahita- と言われる) とあり、総論として全ての波羅蜜が upāyakosalla を直接因のひとつとして持つと捉え、 各論では全ての波羅蜜が upāyakosalla を伴うと解釈する。では upāyakosalla 自体をダン マパーラはどう定義するのかというと、波羅蜜の諸条件(paccaya)を列挙する中で upāyakosallaも条件のひとつであるとした上で、「upāyakosallaというのは、布施をはじ めとする〔諸波羅蜜〕にとって、悟りの必要物(菩提資糧)であることの要因たる洞 察力である36」とする。つまり菩提資糧の要因としての paññā と捉えるのである37 以上のように、ダンマパーラは upāyakusala- 等を paññā とする Vibh 以来の解釈を受け 継ぎつつ、それを菩提資糧の要因としての paññā であり、かつそれが悲と共に(慧波 羅蜜のみならず)全ての波羅蜜に必ず付随する直接因であるという、新たな解釈を与 えている。この点に関して興味深いのは、ダンマパーラのブッダゴーサ作品に対する 扱いである。ブッダゴーサも十波羅蜜の存在は知っており38、sīla や paññā などは Vism でも中心的な主題であるから、Vism が説く内容をダンマパーラが再説する必要はな い。しかし、ブッダゴーサには波羅蜜を upāyakusala- 等と結びつける発想がない。そ こでダンマパーラは、勝本華蓮が指摘した通り39、例えば sīla について Vism が述べた

35  Cp-a 280 = Sv-pt4 I 90f.:kāni lakkhan4a-rasa-paccupatt4 4hāna-padatt4 4hānānīti? ettha avisesena tāva sabbā pi

pāramiyo parānuggahalakkhan4ā;paresam4 upakārakaran4arasā, avikampanarasā vā;hitesitāpaccupatt4 4hānā,

buddhattapaccupatt4 4hānā vā;mahākarun4āpadatt4 4hānā, karun4ūpāyakosallapadatt4 4hānā vā. visesena pana yasmā

karun4ūpāyakosallapariggahitā attūpakaran4apariccāgacetanā dānapāramitā.

36  Cp-a 289 = Sv-pt4 I 93:upāyakosallam4 nāma dānādīnam4 bodhisambhārabhāvassa nimittabhūtā paññā.

37  なお、慧波羅蜜は以下のように定義される ― Cp-a 280 = Sv-pt4 I 91:karun4ūpāyakosallapariggahito

dhammānam4 sāmaññavisesalakkhan4āvabodho paññāpāramitā. 「慧波羅蜜とは、悲とupāyakosallaとによっ

て包摂されており、諸々のことがらの普遍的な特性と個別の特性との了解である」;Cp-a 281 ≠ Sv-pt4 I 92:yathāsabhāvapat4ivedhalakkhan4ā paññāpāramī, akkhalitapat4ivedhalakkhan4ā vā kusalissāsakhitta

usupat4ivedho viya. visayobhāsanarasā padīpo viya. asammohapaccupatt4 4hānā araññagatasudesiko viya.

samādhipadatt4 4hānā catusaccapadatt4 4hānā vā.「慧波羅蜜は、固有の本質をそのままに見抜くことを特性 とするか、あるいは巧みな射手によって放たれた矢が射抜くことのように、よろめかず見抜くこ とを特性とする。灯明のように対象を照らすことを本質的な働きとする。荒地に居る良き教示者 のように、迷妄なきことを附帯する様相とする。精神統一を直接因とするか、あるいは四諦を直 接因とする」。 38 例えば、Vism 325を見よ。 39  勝本(2006:186f.)を参照されたい。南方上座部における三種の菩薩については、ENDO(2002:

(11)

ことは全て引用の上言及される必要があるが、Vism の言うところは声聞菩薩 (sāvakabodhisatta)についてのものだから、大菩薩(mahābodhisatta)には悲と善巧方便 とを先行するものとしてから戒波羅蜜が語られるべきだ40、といった趣旨のことを述べ る。自らの解釈がブッダゴーサのそれとは一線を画すことを自覚している証左である。 ダンマパーラによるこういった解釈が大乗仏教と親和性を持つのは明白である。それ は南方上座部の内部で純粋に生じた解釈というより、ダンマパーラが当時接し得た ― それが如何なる類のものかは不明にせよ ― 大乗の教説を自らの解釈に取り入れたと 理解するほうが、自然である。

4.釈尊が行使する善巧方便の典型

 以上のように、善巧方便が手段としての慧だという理解を突き詰めれば、仏教徒が 実際にどう捉えていたかは兎も角、諸仏の活動を全て善巧方便と見做しても、理屈の 上では構わないことになるだろう。善巧方便が全ての波羅蜜を包摂し、波羅蜜と不可 分のものと定義するダンマパーラ以降の教義学であれば尚更のことである。かく理解 すれば、我々が任意の釈尊の説法を自由に善巧方便と見做して議論することすら不当 とは言えない。しかし、ここではもう少し文献に耳を傾け、善巧方便という概念の範 囲を狭めたい。それは即ち、諸仏の活動が全て善巧方便の発露と見做しうるとしても、 とりわけどの説法を「典型的な善巧方便」と南方上座部は見ていたのか、という観点 である。この筆頭は言うまでもなく上述した(←1.)ナンダ教化譚だが、Ja-a には更 なる例を提示する箇所がある:    朋輩よ、君たちは十力を有する〔世尊〕が手段について熟達しているのを見るが よろしい。⑴良家一族のナンダには、アプサラスの集団を見せ示して阿羅漢性を 授けました。⑵チュッラパンタカには、布切を与えて諸々の分析知もろとも阿羅 漢性を授けました。⑶鍛冶屋の息子には、蓮華を見せ示して阿羅漢性を授けまし た。このように様々な手段を用いて衆生たちを教導するのです41 ここでは、十力を有する42釈尊を善巧方便の行使者と理解し、その具体例として三つを

40  Cp-a 313f.:... nānappakārato sīlassa vitthārakathā Visuddhimagge vuttā, sā sabbā pi idha āharitvā vattabbā. kevalam4 hi tattha sāvakabodhisattavasena sīlakathā āgatā, idha mahābodhisattavasena karun4

upāyakosallapu-bban4

gamam4 katvā vattabbā ...

41  Ja-a IV 224:passathāvuso dasabalassa upāyakosallam4, nandassa kulaputtassa accharāgan4am4 dassetvā

arahattam4 adāsi, cullapanthakassa pilotikam4 datvā saha pat4isambhidāhi arahattam4 adāsi, kammāraputtassa

padumam4 dassetvā arahattam4 adāsi, evam4 nānāupāyehi satte vinetīti.

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挙げる。管見の限り、ダンマパーラ諸著作に至るまでの南方上座部の三蔵・注釈諸文 献の中でこのように善巧方便の例を明示するものは他にないため、貴重な情報である。 以下、これらが夫々いかなる特徴を持つのか、各内容を必要な範囲に絞って要約提示 する。周知の如く、⑴ ⑵の教化譚には様々なヴァージョンが存在するが、⑴について は最古のものと考えられる Ud III 2(21 24)を基本的に踏まえ、Ja-a のヴァージョン で補足する43。⑵の最古のヴァージョンと思しきものはTh557 556だが、簡潔に過ぎる ため適宜 Mp、Ja-a、Dhp-a、及び Vism が伝えるもの44を踏まえる。⑶が何を指すかは 難しいが、金細工師一族の者(suvann44akāraputta)に蓮(paduma)を釈尊が授けて修行 を課す、Dhp-a が提示する逸話(III 425 429)を指すという推定45が妥当と考える。 ⑴  ナンダ比丘は、己が出家しようとする時に郷里一の美女である釈迦族の女46にかけ られた「あなたにはすぐに戻って来て欲しいわ」という言葉を思い出してしまい、 梵行を楽しみ継続することができず、学びを棄て堕落するだろうと告げる。それ を聞いた釈尊は、ナンダを連れ三十三天に赴き五百名のアプサラスを見せ、釈迦 族の女とどちらが美しいかを問う。アプサラスの方だとナンダが答えると、ナン ダがこのアプサラスを得ることを保証すると釈尊は言う。アプサラスを得ること を釈尊に保証されたナンダは、梵行に歓びを見出し修行するが、アプサラスのた めにナンダが修行をしていると知った仲間の比丘たちは、ナンダを「雇われ下僕 (bhataka)」「買われた下僕(upakkitaka)」と呼ぶようになる。そのことで苦しめら れたナンダは、独り遠ざかって不放逸に修行を重ね、遂に阿羅漢となった。 ⑵  兄マハーパンタカ比丘に導かれて出家したチュッラパンタカは進歩が遅く47、侮ら れていた。兄によって家に帰れと追い払われ、遊園の入り口のところで彼が佇ん でいると釈尊が現れ、彼に足拭き布を与えた(Th 560:pādapuñchanim4 adāsi)。そ の後釈尊は彼に対し、一隅でその清浄な布切れを塵払いであると考えて持ってお くよう48に命ずる。チュッラパンタカがその布を「塵払いだ、塵払いだ」と明言し ながら撫でていると、やがてその清浄な布は黒ずんだ。それにより彼は無常を覚 り、遂には阿羅漢となった。 ⑶  金細工師一族の者である色男(abhirūpa)が、サーリプッタの下で出家した。サー 43 根本説一切有部律が伝承するヴァージョンについては、袴谷(2010)を参照されたい。 44  Mp については、LOJDA(2009)が Mp をベースに Ja-a、Dhp-a と校勘した校訂本とドイツ語訳と を提供している。漢訳文献を含めた諸伝承が持つ相違点については小谷(2003)を参照されたい。 45  この推定は、日本テーラワーダ仏教徒協会の佐藤哲朗氏による(2015年2月9日)。ここに記し て感謝申し上げます。 46 Ud では彼女の立場が不明瞭だが、周知の通り他の諸伝承ではナンダの新妻とされる。 47 Ja-a I 116等によると、彼は四ヶ月をかけてたった一偈すら記憶できなかった。

(13)

リプッタは彼に不浄業処を修めるよう三度命じたが、一度も心一境性を得ること ができなかった。釈尊が過去世を探ると、彼は金細工師にのみ五百度再生している こと、彼がシロギリの花や蓮の花など(kan4ikārapuppha-padumapupphādīni)を作ろう

として赤くなった黄金だけを回していたこと(rattasuvann44am eva samparivattitam4)

を知った。そこで釈尊は、神通力によって車輪の大きさを持つ黄金の蓮を作り出 し、その葉や茎が水滴を弾くかのようにした後、僧院の境界にある砂山にその蓮 を留めさせ、それと対面する場所で結跏趺坐を組み「赤い、赤い」と観じる準備 行をするよう彼に命じてその蓮を与えた49。彼はその準備行を始めるとたちまち初 禅に入り、その日のうちに阿羅漢となった。 以上の三例には、大雑把に言って四つの共通点が存在する。第一に、三人は優婆塞や 外道などではなく、全て仏教教団で出家をした者50だという点である。第二は、美女へ の執心や鈍根、宿業と、理由は異なるが全ての者が何らかの原因で修行に困難を来し ている点である。第三に、かような者でも釈尊の教導により皆が阿羅漢になっている 点である。最後に、かような者たちを導くために、釈尊は全ての事例で神通力を行使 した(と考えられている)点である。⑴ ⑶における釈尊による神通力の行使は明白で ある。⑵の場合、Th560では足拭き布の出所が明らかでない51が、Th-aは勿論52、Mp以

48  Ja-a I 117やDhp-a I 246ではimam4 pilotikam4 rajoharan4am4 rajoharan4an ti parimajjanto idh eva hohi / nisīdi

― つまり「塵払いだ、塵払いだ」と言って擦って居る・座るとあるが、Vism 388では「塵払いだ、 塵払いだと繰り返し復唱せよ」(punappunam4 sajjhāyam4 karhohi)、Mp I 216では「塵払いだ、塵払い

だと明言して、実修せよ」(rajoharan4am4 rajoharan4an ti vatvā bhāvehi)とある。一方 Th 560cd:etam4

suddham4 adhitt4 4hehi ekamantam4 svadhitt4 4hitam4 における adhi-sthā は難解である。NORMAN(1969:210)

を踏まえつつ、物品の名目を変更し戒律上合法化する、といった意味を当該語が有することを指 摘した岸野(2008)(2009)に基づけば、「清浄な布を塵払いに名目変更すること」を意味し、そ れを「しっかり(sv-)」「名目変更されたもの(adhitt4 4hita)」とすることか。Th-a II 237は「さあこ

れを掴んで、塵払いだ、塵払いだ、と注意しなさい…」(ehi, imam4 gahetvā rajoharanam4 rajoharanan

ti manasikarohī ti)とあり、adhi-sthā が manasikarohi に言い換えられている如くである。しかし後 のTh-a II

240では、「この清浄な布の切れ端を、塵払いだ、塵払いだと注意することで、よくadhi-sthāされているものとしてから、ekamantam〔つまり〕無人で香室に向いた一隅に座りadhi-sthā し

なさい。そうして、心を集中したものとし続けなさい」(etam4 suddham4 cola-khand44am4 rajoharan4am4

rajoharan4an ti manasikārena svadhitt4 4hitam4 katvā ekamantam4 ekamante vivitte gandhakut4ipamukhe

nisinno adhitt4 4hehī ti. tathā cittam4 samāhitam4 katvā pavattehi)とある。この場合adhi-sthāは「manasikāra

を通じて達成する何らかの動作」であり、「manasikāraの行使自体」あるいは直後の「cittaをsamāhita な状態で保つこと」と等価ではないように思われる。

49  Dhp-a III 426f.:iddhiyā cakkamattam4 suvann44apadumam4 māpetvā pattehi ceva nālehi ca udabindūni

muñcantam4 viya katvā bhikkhu imam4 padumam4 ādāya vihārapaccante vālukāraasimhi t4hapetvā

sammukhatt4 4hāne pallan 4

kena nisīditvā lohitakam4 lohitakan ti parikammam4 karohī ti adāsi.

50  ナンダと金細工師一族の者は bhikkhu と呼ばれているが、チュッラパンタカは、少なくとも Mp I 215では沙弥(cullapanthakasāman4ero)とされる。

(14)

下全てのパーリのヴァージョンはこの布を神通力で化作したものとしている53ことか ら、少なくともブッダゴーサの時代までに件の足拭き布は釈尊の神通力の所産だとい う理解が共有されていたことになる。そして以上より、Ja-a が考える典型的な善巧方 便とは、「修行の遂行に困難を来している仏教僧に神通を行使することで修行を進展さ せ、阿羅漢果に導く釈尊の教化」と要約できよう。僅か三例から抽出される特性の極 度な一般化は慎むとしても、この雛型は善巧方便の分析に際し、一つの指標となろう。 また先述した通り、これら三話の中でも最古層に位置するナンダ教化譚は勿論、Thに その原型が存在するチュッラパンタカ教化譚が、仏教教理としての善功方便説の発端 になった可能性は十分に考えられることであろう。

5.回顧と展望

 これまで概観してきたことを回顧すると以下の通りである:   南方上座部の初期すなわち三蔵の段階では、善巧方便は殆ど重要な位置を占めて いない。一方でナンダ教化譚の如く、南方上座部のみならず後の大乗仏教におけ る方便思想の発端とも見做しうる記述も存在する。論蔵の段階で登場する、善巧 方便と paññā とを結合させる解釈は、その後の南方上座部における善巧方便理解 の基礎になったと推測される(←1.)。   諸注釈における一般的用例の殆どは Ja-a に存在する。そこでも善巧方便は paññā をはじめとする優れた認識作用(を有する者)としばしば併置される。その際、 善巧方便は、ものごとの原因やその解決方法を見抜くという paññā の本質的な機 能を発揮し、それを現実的な行動によって具現化できる者、あるいはその具現化 能力自体を指すと想定される(←2.)。   また Ja-a では、釈尊が行使した善巧方便を例示する箇所がある。それらを分析す ることで導かれる、Ja-a が考える典型的な釈尊の善巧方便は「修行の遂行に困難 を来している仏教僧に神通を行使することで修行を進展させ、阿羅漢果に導く釈 尊の教化」である(←4.)。   定義的用例では、ブッダゴーサが恐らく南方上座部の伝統の範囲内での説明に徹 51  実在の布を釈尊は渡したにも関わらず、後にその布が神通力によって化作されたものだと理解 されるようになった可能性は当然有り得るが、仮にそれが事実だとして、そう理解されねばなら なかった事情を私は現時点で推定できない。

52 Th-a II 237:iddhiyā suddham4 colakhand44am4 abhisankharitvā adāsi.

53  Mp I 216:iddhiyā abhisam4kharitvā suddham4 colakhand44am4 adāsi.;Ja-a I 117 = Dhp-a 245f.:iddhiyā

(15)

したのに対し、それを大きく展開させるのがダンマパーラである。彼は善巧方便 が paññā だとする伝統的解釈を受け継ぎつつも、それを菩提資糧の要因としての paññāであり、かつ悲と共に全ての波羅蜜に必ず付随する直接因であるという、大 乗仏教と親和的な解釈を打ち出している(←3.)。 今後の展望としては、ひとまず二点のみ挙げておきたい。ひとつは南方上座部内部に おける善巧方便のその後の展開である。ダンマパーラによって波羅蜜行と関係付けら れた善巧方便は、その後の同派においてどのように理解され、発展あるいは衰退して いくのか。これは、マハーヴィハーラ派やアバヤギリ派などの教義学的推移を追う意 味でも重要であり、現代に至るまでのタイやミャンマー、スリランカなど、地域毎の ヴァーナキュラーで書かれた文献をも視野に入れ、総合的に調査する必要がある。 もうひとつは、方便思想の起源の検討である。本生譚が方便思想の形成に何らかの役 割を果たした可能性は、今なお検討に値する。Ja-a が提示する善巧方便の類型は指標 の役割を果たすだろうが、そこでの例が全て神通の行使を含んだことは注意されてよ い。数ある釈尊の教化の中で、なぜ神通を行使するものばかり選ばれたのか。この点 に関しては、MCCLINTOCK(2011)に触れる必要がある。ナンダやチュッラパンタカ の教化譚も取り上げ、釈尊がトリックスター的性格を持つ者として描かれてきたこと を指摘するこの論文で彼女は、釈尊が見せる miracle や illusion が方便思想の precursor であった可能性に触れる。仏教における神通については様々な研究があるが、善巧方 便という視点から改めて神通の位置づけを検討する価値はあろう。

【二次文献一覧】

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* 注30で記した問題に関し、脱稿後に下記の研究が公表されたことを知ったので、合 わせて参照されたい:清水俊史「上座部註釈家ダンマパーラに帰せられる著作群の 成立順序」『南アジア古典学』10(2015)、105 130頁。(2015年8月28日付記)

参照

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