• 検索結果がありません。

1180年、源頼朝は鎌倉に入り、政治の中心をこの地に置いた

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "1180年、源頼朝は鎌倉に入り、政治の中心をこの地に置いた"

Copied!
63
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

流通科学大学卒業論文

向山ゼミ

消店街から笑店街へ

学籍番号 氏名 35000261 占部 佳代 38000474 小平 賢一 35001585 中村 昌平 35002646 米田 昌樹 提出日 2003 年 12 月 22 日

(2)

もくじ

あらすじ

序章 商店街をテーマにした理由

第一章 商店街あれこれ

第一節 商店街のむかし、むかし、そのむかし・・・

第二節 商店街にタイプなんかあったなんて知ってた?

第三節 WORLD OF THE 商店街

第二章 商店街よ立ち上がれ!!

第一節 商店街の今

第二節 元気のある商店街の源は??

第三節 課題と成功はいつも背中合わせ

◆◆◆◆埼玉県秩父市 宮 側 町

みやのかわまち

共栄会商店街◆◆◆◆

∼「ナイトバザール」の誕生∼

◆◆◆◆空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト◆◆◆◆

◆◆◆◆尼崎商店街の現状と挑戦◆◆◆◆

第三章 寺家町(じけまち)商店街

第一節 なぜ寺家町商店街を選んだか

第二節 加古川市ってどんな市?

∼加古川のメインストリート∼

第四章 寺家町笑店街へ

第一節 店主の気持ち・お客の気持ち・若者の気持ち

第二節 コミュニティ作り∼ふれあいと活性化∼

第三節 学ばナイトに生徒を呼ぼう!

第四節 勝負の12月20日

終章 まとめ

結論

感想

(3)

あらすじ

去年の12 月に卒業論文を始めるに当たって、商店街がテーマのひとつとして上がり、そ れに提案者を含む 4 人が興味を持ち卒業論文として研究していくきっかけとなった。そし て、あるひとつの商店街を活性化させることが私たちの目標であり、その成果がこの卒業 論文にはある。 商店街の歴史、商店街のタイプ、海外の商店街については商店街を研究していく上でと っても大切な事。そこで、まずはこのことについて深く調べてみた。しかし、商店街を研 究すればするほど、どこの商店街を見ても衰退の一途を辿っている所が目に見に入ってく るばかりだ。だが、もし元気のある商店街が存在するとしたらいったいどんな商店街なの か?と疑問を持った。私たちは、活性化に成功している商店街を調べ、また成功している いくつかの商店街を訪問した。その実態は私たちの想像をはるかに超えていた。 私たちはこの訪問を契機に、もし、ひとつの商店街を活性化できたらどんなに素晴らし いだろうと考えるようになっていた。卒論メンバーのうち、米ちゃんとしょうちゃんは加 古川に近い所に住んでいるし、高校も加古川の高校に通っていて寺家町商店街に前から馴 染みがあった。そこで、最近空き店舗が多くなってきて元気がなくなってきている寺家町 商店街の活性化に乗り出すことにした。それから、寺家町商店街理事長に会い今までの経 緯を説明した結果、活性化について一緒になって考えていくことになった。 寺家町商店街の活性化に向けて活動している中、加古川南高校の学生との出会いがあっ た。そして、まったく新しい試みとして加古川南高校の学生とタイアップをして「じけま ちで学ばナイト」を商店街に開くという企画が持ち上がった。それと同時に、かつめしバ ーガーの販売も。そして、12 月 20 日(土)にコミュニティの場作り(活性化)への第一歩とし て、商店街で試験的に「じけまちで学ばナイト」を開催する。そこで地元小学校の生徒達 とふれあい徐々にコミュニティを築き上げていくのだ。

(4)

序章 商店街をテーマにした理由

子供のころから自分は商店街っ子だった。母に連れられて商店街に行くとなれば、とて もウキウキ気分であった。肉屋さん、靴屋さん、おもちゃ屋さん、服屋さんなどいっぱい のお店が当時の自分には大人の社会に見えていた。すごいあこがれを持っていた。 そんな商店街大好きな米田が、卒業論文をこのテーマにした一番の理由は、自分の商店街 への数々の疑問を抱いていたことであった。それは「なぜあのさびれた商店街の中の、い かにも人気なさげで、現代に似合わない店の風貌、お客が日に一人入るかわからないよう なお店が、どのようにして運営出来ているのか?」「どうやって商店街が生まれたのか」「大 型店がたくさん周辺にできてきているのに大丈夫なのか?」といった色々な疑問をずっと 昔から持っていたからである。そして、ゼミに入り毎日せっせと授業にバイトに頑張りな がら、そうこうしているうちに、自分は 4 回生になり、卒論を書く時期に来たのである。 どんなテーマについて研究しようか悩んでいた時に、商店街に対する思いがよみがえって きたのである。せっかくこんな機会があるのなら、せっかく商店街を知り尽くした向山先 生も近くにいらっしゃることであるし、これは研究しなければ、研究すべきであると自分 の中で確信した。とにかく商店街に足を運んでおっちゃん、おばちゃんと話をしてそれを 卒業論文にしたかった。そして、その今まで溜め込んできた商店街に対する疑問、自分の 熱意をゼミ生みんなの前で打ち明けた。ゼミ生みんな自分のテーマを熱く語っていたが、 商店街についての研究は誰にも譲りたくなかった。何としても商店街を研究したかった。 しどろもどろになりながらも精一杯語ったら、三人の人間に伝わったのである!!かよち ゃん、コーヒー、しょうちんの三人である。なんと心強い三人だと思い、また自分のテー マに賛同してくれた事に対して、涙が出るくらい嬉しかった。この四人で研究すれば、自 分が抱いてた商店街への疑問、商店街に対する熱い思いに答えをだしてくれるはずと確信 した。そして最高の卒業論文が出来ると感じたのだ!!

第一章 商店街あれこれ

第一節 商店街のむかし、むかし、そのむかし・・・

初めて商店街のようなものができたのは、今から1300 年くらい昔である。通常、商店街 は自然発生的にできあがった商業集積であると言われている。しかし、商店街が自然発生 的にできあがるためには、それを取りまく環境に、その発生を許す諸条件が内在していな ければならない。現実の商店街がなぜ今日の姿になったのか。時代の流れをさかのぼりつ

(5)

つ、商店街発生の原因について考えてみる。 1180 年、源頼朝は鎌倉に入り、政治の中心をこの地に置いた。そのため、鎌倉には全国 から多くの人々が集まり、それは必然的に商工業の発達を促進させることとなった。農村 社会では、領主に公事を納める必要上、農作業の副業としての家内労働により、生糸・絹 糸・麻布・紙・染料・灯油・筵・桶などさまざまな品物が生産されていたが、公家として 納入された残りは、市場で他の品物と交換された。やがてこれら手工業品は商品として流 通するようになり、荘園に定住したり、各地をまわって生活する専門の手工業者もあらわ れた。街道や港湾など陸上交通の要衝では月3回程度の定期市(三斎市)が開かれ、京都・ 奈良・鎌倉のような都市では常設の小売店(見世棚)が登場し、同業者の組合である座が 結成された。座は特権を利用し、領内物資を農村より出荷し、また領外領内物資を城下町 小売商人などを通じて城下町・農村消費者へ独占的に商売をしていた。 1577 年、織田信長は城下の町中に住む商人や職人に対して、13 ヵ条からなる「楽市・楽 座」令を出した。その第一条には、「当所中、楽市として仰せ付けらるるの上は、諸座・諸 役・諸公事等、悉く免許の事」とあり、安土の城下町では、市場は市場税をとらず、商人 は誰でも自由に営業できる楽市とし、商工業者の同業者組合である座の持っていた特権を 奪い、兵糧米などの課役や各種の名目の税金も免除するとした。商品の仕入れと販売を独 占していた座を廃し、城下町に住む商人や職人に数々の特権を与え、自由な商業活動を許 可するという市場の復興をはかった画期的な優遇政策をとった。 このようにして城下町には商工業者が集まり、商人は常設店舗をかまえ、問屋、仲買、 小売商人と分化し、領内における商品流通の中軸となり、商業は発達してきたのである。

第二節 商店街にタイプなんかあったなんて知ってた?

商店街は、近隣型・地域型・広域型・超広域型の4つのタイプに分類されるのである。

近隣型商店街

最寄品の買い物が中心で地元主婦が徒歩または自転車等により日常性の買い物をする商 店街で、利便性、日常性、大衆性、実用性、汎用性、経済性が重視される商店街である。(※ 最寄品・・・すぐ近くのお店で購入するような商品のこと。食品や雑貨などが含まれ、価 格が安い商品のこと。) [該当する商店街] 垂水商店街、長田神社前商店街

(6)

垂水商店街 <垂水商店街内における業種別商店比率> シ ョ ッ ピ ン グ(32%) ファッション(22%) レストラン(13%) カフェ・バー(5%) ビューティー(5%) ヘルス(12%) エンターテイメント(1%) その他(10%) 近隣型商店街の例として図では垂水商店街を取り上げたが、垂水駅や垂水商店街周辺は 住宅地やマンションが多く建ち並んでいる。買い物客は地元主婦が主で、どこのお店も30 代から60 代以上までの女性の利用が多い。また業種別商店比率からも見受けられるように、 ファッション(服)系のお店よりもショッピング(食料品や雑貨などの最寄品)を販売している お店の方が多いことが分かる。

地域型商店街

最寄品および買回り品が入り混じっており、小型百貨店、衣料スーパー等があり、バス、 鉄道等により週間性の買い物をする商店街で、豪華、高級感、華やかさ、レジャー、選択 性が必要とされる商店街である。(※買回り品・・・いくつかの店舗を訪れて比較して購入 するような商品(衣料品・家電製品)のこと。価格に加えて製品の機能や品質が重要さを増し てくる。価格は、最寄品に比べて高い。) [該当する商店街] 板宿商店街、湊川商店街 <板宿商店街内における業種別商店比率> ショッピング(51%) ファッション(18%) レストラン(11%) カフェ・バー(5%) 板宿商店街 ビューティー(5%) ヘルス(3%) エンターテイメント(2%) その他(5%)

(7)

板宿商店街は、山陽電鉄と神戸市営地下鉄山手線の板宿駅に面しており、商店街の北側 には大型スーパーのダイエーが店を構えている。商店街の周りには、住宅地が広がってお り小学校や中学校・高校も多く学生がよく商店街を通学路として利用している。本通り商 店街は、道幅も広くファッション(服)のお店も多く軒を連ねている。人通りは商店街全体を 見ても平日・休日を問わず多くいつも明るい賑わいを見せている。

広域型商店街

最寄品より買回り品のほうが多く百貨店、量販店等があり、鉄道、地下鉄等により月間 性の買い物をする商店街である。 [該当する商店街] 元町商店街、姫路御幸通商店街 元町商店街 <元町商店街内における業種別商店比率> ショッピング(33%) ファッション(44%) レストラン(3%) カフェ・バー(8%) ビューティー(2%) ヘルス(3%) エンターテイメント(2%) その他(5%) 元町商店街は、近隣に阪急・阪神・JR・神戸市営地下鉄海岸線など多くの鉄道が走っ ていて神戸の中心地に面した商店街であり、元町駅前から神戸駅のすぐ近くまでを結んで いる大きな商店街である。業種別商店比率からショッピング(食料品や雑貨などの最寄品) よりもファッション(服)のお店が多くなり買回り品の方が多くなっていることが分かる。商 店街のすぐ近くには大型百貨店の大丸が出店している。

超広域型商店街

買回り品中心でそごう、大丸などの都市百貨店、大型量販店等があり、鉄道、地下鉄に より遠距離からの来街者が買い物をする商店街である。さらに、近隣型商店街・地域型商 店街の高品質、高価格、豪華、高級感、華やかさ、選択性、レジャー性に加えてセンス、

(8)

流行性、文化性、高品質が求められる。 [該当する商店街] 神戸三宮センター街、心斎橋筋商店街 神戸三宮センター街 <三ノ宮センター街内における業種別商店比率> ショッピング(26%) ファッション(51.4%) レストラン(6%) カフェ・バー(5%) ビューティー(4%) ヘルス(3%) エンターテイメント(0.6%) その他(4%) 三ノ宮センター街は、神戸の中心である三ノ宮にあり、商店街周辺にはマルイやそごう などの大型百貨店があり他にも様々な大型量販店や個店が多くひしめき合い、元町駅に近 い三ノ宮センター街三丁目のすぐ近くには大丸もある。人通りは非常に多く遠くから買い 物に来る人も多い。商店街内には、高価格で高級感がある商品が中心に売られていて常に 流行に敏感である。

第三節 WORLD OF THE 商店街

外国の商店街の統計を見てみると、イタリアを除いては日本のように小売店舗がまだ多 くシェアを占めている先進国は少なくその数をどんどん減らしてきていることが分かる。 それに対して、近年多く見受けられるようになった大型店や大型商業集積の勢力の拡大が 著しい。このことから、イタリアを除いては日本もやがては他の先進国のように小売店舗 が減少してしまう傾向にあるのではないかと思われる。それは、現に、表3-1が示してい るように徐々にではあるが店舗の数を減らしてきていることからも分かる。ここでは外国 の商店街が今どのような状況に置かれているかを紹介していく。

(9)

表3−1 人口一万人当たり小売店舗数と小売業における 小・中規模小売店売上高シェア 82∼85 88∼90 (店) (店) (店) 店数(千店) 日本 145 132 120 1,500 英国 61 56 55 318 ドイツ 67(西独) 63(西独) 60 487 フランス 87 80 74 415 イタリア 152 162 176 1,009 米国 65 61 60 1,526  92∼94 76.8% 38.1% 15.0% 58.8% 67.1% NA 小・中規模小売店の売上高シェア

イギリスの小規模小売店と商店街

イギリスの小売業は、サッチャー政権以来、競争が原則自由になったためヨーロッパの 中では最も流通革命がすすんでおり、大型店の台頭が目立っている。イギリスのごく一般 的な最寄商店街では、店をたたんだ後に替わりの店が入店することは少なくなり空き店舗 が増加する傾向にある。この空き店舗の増加傾向は、中心商業地から少し離れた地域に多 く逆に空き店舗の少ない商店街のほうが少なくなってしまった。しかし、イギリスのまち づくり・中心市街地に関する考え方は、「都市を無計画に拡大させない」・「田園地帯を大切 にする」・「バランスのとれた地域社会をつくる」というものである。したがって70 年代∼ 80 年代にかけては中心市街地と大型店の両方を支援した為に大型店の台頭が著しかったが、 90 年代からは、郊外の大型店の出店に規制をかける動きも始まった。しかし、行政指導に したがって郊外大型店の出店を許可された地方都市では、中心商業地の空き店舗が目立っ てきている。だが、日本のように空き店舗問題をテレビや新聞の社会面で取り上げること はないみようである。

ドイツの小規模小売店と商店街

ドイツの小売業における大型店の売上高シェアが85%にも達した要因は、1960 年代か らの郊外型大型店出店と中小小売店の大幅減少によるものである。80 年代中ごろから大型 店の立地規制が強化されたものの、中小小売店の減少傾向に歯止めがかからず、特に私た ちの生活と切り離すことができない食料品を販売している店の閉店がわが国と同様著しい。 廃業・退店の要因もわが国と大同小異で、後継者難・店主の高齢化・大型店等との価格競争・ 家賃の高騰などがあげられるが、なかでも後継者難が深刻である。当然、空き店舗も少な くないが、ドイツはもともと2階以上に人が住んでおり、1階の路面店を住まいに改造す ることもある。しかし、ミュンヘンやフランクフルトの個性的なフルモール街には、空き 店舗はない。 ドイツの商店街では、任意の同好会的組織が中心で、それとは別に、各都市には小売店 連盟(全国的組織で本部はニュールンベルク)があるが、加入はもちろん任意である。そ

(10)

の代わり、ドイツの小売商を含む全事業所は、法律によって商工会議所の会員にならなけ ればならないのである。商工会議所の経費は、研修などの事業収入と会員の会費でまかな われるが、年会費の基本は 250 マルクで、事業所の所得に応じてそれ以上または無料のこ ともある。

フランスの小規模小売店と商店街

フランスの中小小売店は、英・独と比べると小売業における中小の売上高シェアの高さ(表 3−1)が示すように、比較的健在である。しかしスーパーやスーパーマーケット、あるいは カルフールが業態開発したハイパーマーケットによって、小規模小売店の多くが廃業に追 い込まれ、精肉店にいたっては、95 年までの 10 年間にその 6 割が店を閉めてしまったと いわれている。 フランスの中小小売店は、わが国の大店法と同じ 1973 年に制定されたロワイエ法(商工 業基本法)によって保護されていた。ロワイエ法は、売場面積 1500 ㎡以上(人口 4 万人未満 の都市では1000 ㎡以上)の大型店が出店・増床する際に行政の許可が必要であるという規制 である。当初は、この法律によって出店・増床が規制されていた大型店もインフレ経済化の 運用緩和があるなどして、96 年までに店舗面積は大幅に拡大されていった。 その結果、都市の中心商店街が空洞化して空き店舗が増加したり、過疎地域にあった個 店が閉店して、高齢者などの社会的弱者が日常の買い物を近くで済ませることが難しくな り不便している、という問題が各地に起こり始めたのである。それとともに、ロワイエ法 の規制対象外であった1500 ㎡未満の中小スーパーマーケットが増え、小規模の食品店や日 曜雑貨店などを圧迫したのである。 ロワイエ法は、これまで数度の改正を経たが、96 年 7 月には、売り場面積 300 ㎡以上の 店舗が対象となる規制強化を目的としてラファラン法が成立した。同法の改正ポイントは、 (1)小売商店の新築、改造のほか、ホテル、大規模映画館、店舗付きガソリンスタンドを追 加、(2)県商業設備委員会(日本の大店法に規定する大規模小売店舗審議会に類似した制度) の地元議会議員代表数を削減、(3)出店に伴う影響調査の強化、(4)違反に対する罰則強化、 などとなっている。小売商店の新築または既存建築物の改造は、ロワイエ法よりも規制が 非常に厳しくなり、300 ㎡以上の販売面積をもつ小売商店の開店・拡張には許可申請が必要 とされた。これによって現在のフランスでは、国内での大型店の新規出店が難しい状況と なっている。しかしながら逆に、小規模な商店を拡張する際にも、許可を受けなければな らないケースが増え、小規模な事業者が申請書類を準備するのに多額の経費がかかり、手 続にも多大な労力を要するようになって予想外の負担を強いられるようになった。このこ とから、これがフランスの中小小売店の将来を約束するものではないのも現状である。

イタリアの小規模小売店と商店街

(11)

イタリア人はあまり百貨店を好まず、実際全国的に日本の百貨店のような規模の大型店 は少なく、品揃えも中級品中心である。イタリアで最大の小売グループは生協(COOP) で、英・独・仏で落ち目の生協からは想像もできないほどの勢力である。 イタリアではブティック志向が強く、意欲的な小規模小売店にとって商いのしやすい土 地柄でもある。その上イタリアの中小小売店は、71 年に制定された商業基本法で保護され ており、95 年にその廃止案が国民投票で否決された。この背景にはイタリア国民の 60%以 上が急激な流通近代化を望んでいなかったと考えられる。 商業基本法では、売場面積1500 平米以上(人口 10 万人未満の都市では 400 平米以上)の 大型店が出店する際に、市町村長および州の営業許可が必要という規制をしているのであ る。また営業免許が下りるまで約 5 年かかるので、新規出店は、事実上、不可能に近いの である。 イタリアの既存小売店にはさらに有利な制度があり、営業権が業種別に決められていて、 アクセサリーの店を出したいと思えば既存のアクセサリー店の営業権を買い取るしかない のである。ここでも新規出店が実質的に規制され、既存店は二重に保護されていることに なるのである。 イタリアの人口対比小売店舗密度の高さ(表 3 ―1)も示すように、イタリアの都市ではま だ空き店舗は少ないのである。営業権には無形資産も評価額に含まれるので、かなりの高 値で売買されるにもかかわらず、多くの商業集積では売り手市場が続いている。つまり、 店舗が開いた端から埋まってゆくことが多いのである。イタリアの小規模小売業経営には、 まだそれだけのウマミがあるのである。 しかし、イタリアの商店街組織も英・独・仏と同様きわめて弱体で、行政の支援もないに ひとしいのが現状である。

第二章 商店街よ立ち上がれ!!

第一節 商店街の今

我が国の商店街は、今、生滅の岐路に立っている。その状況は誰もが認知しているもの である。大都市に近い商店街(三宮、大阪)はまだ栄えてはいるが、それはほんの一握り の有名商店街だけであって、全体から見ると、そのほとんどは衰退していっている。また 中心市街地活性化が話題になっているが、商店街は中心市街地にのみ存在するわけではな い。そのため中心市街地が活性化されても、商店街の危機は救えない。しかし、何よりも

(12)

問題なのは、この危機に気付いていない商店街関係者や気付かないでおこうとする商店街 関係者が多いことである。だから近未来の商店街を襲う危機を正しく直視し、的確に対処 することが必要である。そして、なぜこのような状態になってしまったのだろうか。それ は大きく三つの要因に分けられる。 要因1 大店法撤廃(外部的要因) 大型店が容易に進出できるようになった。また規模の規制がなくなり次々と大型店が誕 生して、その結果大型店同士の競争が始まった。これが始まれば当然巻き添えになるのが 一般の商店、商店街ということになる。とはいうものの大型店も生き残りに必死である。 今では、広域一番店を目指していかなければ規模型の大型店は生き残りにくい。加えて、 アメリカ型の量販店のみでなくヨーロッパの大型店カルフールも出店してきた。時代は昔 の八百屋、肉屋、雑貨屋の小売商業よりも、快適かつ便利な大型店を求めているのである。 要因2 商業者の向上心の低下(内部的要因) 大型店の進出に多くの商店街が一部の人々を除いて、こうした現実に起こっている流通 の荒波に何も気付かないでいる。気付いても何もなしえないでいるのである。いや、気付 いていても何もしないまま他人事かのように回避したり、行政が何とかしてくれるはずと 事実として受け入れようとしないのである。また後継者不足も大きな問題である。職業と しての魅力の低下(所得の減少・長時間労働)、家族構成の変化(拡大家族・核家族)家庭 と仕事の分離(店舗と住居が別々で、地域社会への関心が希薄に)といった様々な要因に よって、商店街を背負って立つような若い後継者が激減してきているのが現実である。 要因3 集客力不足 空き店舗が多く、殺風景な雰囲気、売っている商品に魅力がなく、若者にはほとんど無 縁なものになってきた。やはり、若者をひきつける魅力がなくては、自ずと集客力が低下 してくるのである。周りの環境や時代に取り残されてきたのが商店街である。そんな商店 街に誰が集まってくるのか!?

第二節 元気のある商店街の源は??

これまで全国津々浦々、商店街は活性化に向け、多くのイベントを仕掛けてきた。結果 はどうであれ、そもそも何故、こうまでイベントを実施する必要があるのだろうか?それ は社会全体が大きく変化してきているからである。都市化、情報化、国際化、老年化、社 会は成長期から成熟期に入っている。そして、大型店やスーパー出店の影響は避けられな い。「地域産業の復興」「地域経済の活性化」が、今までのようなぬるい考え方では思うよ うにいかなくなってきている。いくら個人の商店が魅力的で消費者の心をつかんでいたと しても、商店街全体が失速すれば、やがて人通りがなくなり、衰退を目の前にし他人事で

(13)

はなくなる。そうなる前に商店全体で何か手を打たなければならない。イベントを行う事 で人が集まり、その場の雰囲気にのまれ、お金が動き出す。基本的に、日本人はお祭りや イベントが好きである。そして、必然的にその場所が活気づき、さらに、人が集まれば集 まる程、賑やかさを増し、客が客を呼ぶのである。それでは、実際に今まで行われてきた 商店街の活性化事例を紹介していくことにする。

空き店舗を積極活用

∼高松町商店街振興組合∼

シャッターの閉まった空き店舗を、地元高齢者の憩いの場としてリニューアルさせたの が、立川市の高松町商店街「リサイクルと手作りの店 スマイルショップシルバー」のオ ープン時には、記念セールとして商店街挙げてチャリティー朝市や抽選会などを実施。商 店街のシルバーカード会員にも事前にDM 告知して、初日だけで 500 名を超える人が買い 物に訪れている。 店内には、地元高齢者らの手づくり品やリサイクル品が棚や壁いっぱいに陳列されてい る。同時に高齢者の方による、刃物研ぎや衣類の寸法直しなどのサービスも受け付ける。 店にはイスやテーブルが並べられてゆっくりくつろげるよう工夫が凝らされ、高齢者の自 己実現の場であるとともに、地域住民との交流拠点ともなっている。

ノーレジ袋は地元商店街から

∼羽衣商店街振興組合∼

環境にやさしい買い物キャンペーンに、個店として参加して積極的に取り組んでいるの が、立川市の羽衣商店街の有志 7 店舗。ここでは買い物袋を持参した顧客にスタンプを 5 倍出しなど提供するだけでなく、各個店それぞれに業種に応じた独自の取り組みを凝らし てPRしているのが特徴となっている。 例えば、茶販売店では茶ガラ持参でのスタンプ 5 杯、店頭での牛乳パック製の手作り鍋 敷きの販売、化粧品店での容器回収、クリーニング店でのハンガー有料回収、米店での米 糠無料進呈など、それぞれに工夫凝らしたユニークな取り組みが目白押し。7 店舗共同でチ ラシや店頭ポスターなども貼りだして、積極的にPRしている。「立川市内のすべての個店 がそれぞれの地域の“エコステーション”の役割を果たしてゆけば大きな効果があるはず。」 店舗で環境に配慮した商品をPRする「一店逸品運動」をスタートさせる予定となってい る。

高齢者へ新サービス

∼十号通商店街振興組合∼

(14)

65 歳以上の方を対象としたシルバーカード「おもいやり手形」を発行した。発行から約 1 ヶ月で 1,000 名が会員登録しており、商店街の主要客層である高齢者に好評であると同時 に、おもいやり手形会員データベースを活用すればさまざまな商店街マーケティングも可 能となる。おもいやり手形会員向けに、参加店店頭での傘の貸し出しサービスもスタート。 商店街ロゴ入りオリジナル傘を 600 本制作して全店頭に常設して、急な雨の際に、手形会 員に貸し出している。さらに商店街通り沿い 10 カ所に「おもいやりシート」も設置した。 高齢者向けサービスを充実させることで、地元生活者にとって欠かせない“おもいやり商店 街”を目指している。 また、おもいやり手形は、表面に氏名、裏面に生年月日、かかりつけ病院名、緊急連絡 先、持病などを記入したパウチカード。各参加店店頭をはじめ商店街事務所、商店街ホー ムページ経由などで申し込め、入会費、月会費等は無料。こうしたカード情報をもとに、 万一買い物中に具合が悪くなった場合には商店主が対処できるほか、商店街イベントや参 加店舗でさまざまなサービスも受けられる。今回の売り出し期間中には、生花店での一輪 挿しプレゼント、そば店での生たまごサービス、家電店での無料宅配や電球交換サービス など、各業種ごとに工夫を凝らしたさまざまなサービスを提供している。

店先を学びの場に

∼玉の井いろは通り商店街振興組合∼

「いらっしゃいませ」「お買い上げありがとうございました」地元小学生たちの元気な掛け 声が響き渡った。これは地元小学校の商業体験活動の一環で、子供たちの学習の場となる ことで商店街が地域に新たな機能を提供してゆこうとの試みだ。 子供達それぞれが希望した業種のお店を担当し、店ごとに店頭ポスターも手づくりして PR。商品補充や呼び込み、代金受け渡しなど、当初は慣れない手つきで戸惑いがちだっ た子供たちも、買い物客の応援に笑顔を見せて接客。子供たちの呼びかけにつられて午後2 時∼3 時までの活動時間中、商店街はたくさんの買い物客でにぎわった。店側も早く店に慣 れてもらおうと、各店頭では店主らも自分の名札を用意してお出迎え。さらに商店街では、 商店街名入りのエプロンと黄色い三角巾50 名分も用意して、子どもたちに貸し出している。 「子供たちの商業体験活動を積極的に受け入れてゆくことで、地域住民が商店街を訪れ るきっかけにしてゆきたい」この商店街では生鮮から物販まで幅広い業種が軒を連ねてお り、こうした商店街としてのヨコの品揃えを生かして、子供たちの商業体験の場として地 域にアピールしていきたい考えている。

地元商店主がパソコン講師

(15)

∼十条銀座商店街振興組合∼

商店街のパソコン委員会メンバーが講師となって、パソコンの立ち上げから十条銀座商店 街ホームページほか、インターネットの閲覧やメールのやりとりなどを実施。時計店やカ バン店など、地元なじみの店主が“先生”だけに、夜 10 時までなごやかな雰囲気のなか実践 的な講習が行われた。これはネットを通じて地域住民との交流を図ろうと、商店街が主催 した、インターネット講習会「十条ふれあいネットワーク」の一環だ。2 月末から 3 ヶ月間 かけて月2 回、各 2 時間ずつ実施され、5/22 に最終回を迎えている。受講費用は 1 回 500 円でお茶菓子付きとVIP待遇。「IVIS」や北区の協力も得ている。

エココインで資源循環

∼品川区商店街連合会∼

6 ヶ所に設置された「エコスポット」では、オープニングセレモニーで真新しい回収機に 空き缶やペットボトルの投入をデモンストレーション。ノーレジ袋でもらえる「エココイ ン」、そして空き缶・ペットボトルを回収する商店街の「エコスポット」を両輪に、住民、 小売業、製造業で資源を循環させようという取り組みがスタートしている。 今回区商連が発行したエココインはプラスチック製で、レジ袋を利用しない買い物客に1 個を進呈する。コインは1 個あたり 2 ポイントに換算され、250 個(500 ポイント)で区内 共通商品券 500 円相当と交換できる。さらに各店頭に設置された貯金箱「寄付ボックス」 に入れれば、ボックスに明記された地元スポーツクラブや子供会などの地域団体に寄付す ることもできる。 このノーレジ袋運動で特徴的なのが、徹底して地域内循環にこだわったことだ。地元商 店で販売したペットボトルや缶は商店街のエコスポットに回収され、これを原材料に地元 メーカーはエココインを製造する。このエココインは買い物原資となるほか、地元団体を 財政面で支える手段ともなるわけだ。 小学生をモチーフにしたマスコットキャラクターや、“子供銀行”硬貨さながらのプラス チックの「エココイン」など、「今回の企画のねらいはまずは子どもたちにエココインを集 めてもらうこと」と綱島信一・区商連副会長。子どもが取り組める身近なシステムにして こそ、長く地域に根付く事を期待している。 マスコットの「かん君」「げんちゃん」

弁当食材を提供

∼平野一丁目商店会∼

「今日の切り干し大根ちゃんと食べた?」「おいしかったから全部残さないで食 べられた よ」・・・。夏休みも終わった9 月、足立区の平野一丁目商店会通り沿いでは、毎日元気に幼 稚園に通う園児たちと商店主の間で、そんな会話が交わされている。これまで外部事業者

(16)

の弁当に頼っていた給食を、調理場を増設してすべて地元商店会が提供する食材でつくっ ているのだ。商店会が用意する食材は、3 歳児から 5 歳児までの約 350 食。前月 20 日ごろ までに決まるメニューに基づいて、総菜店、青果店、精肉卸店、魚店、乾物店などが、 毎 朝8 時 30 分に幼稚園へと食材を納品する。カブのお吸い物や切り干し大根の煮付けなど、 野菜を重視したバラエティ豊かなメニューが特徴だ。売上げのみならず、 子供達や保護者 たちと商店街との温かい交流のきっかけともなっている。それに、子供達からの素朴な意 見をもとに品揃えを見直す個店も出るなど、個店のいい刺激にもなっているとか。 「幼児食で培った食材やメニュー選定のノウハウは、高齢者向けの食事でも生かせるは ず」と、つくし幼稚園の園長も務める寺山会長は語る。地域ぐるみの“顔の見える”配食・宅 配サービスで、「老人と子供にやさしいお弁当」で地域に貢献していきたいという考えだ。 高齢者や身障者約 80 軒へ向けて昼食弁当を配達しており、「寝たきりの方には、弁当を枕 元で開封して置いてくる」など、きめ細かなサービスで好評だ。これまでの実績を受け、 今回始まった「配食サービス」でも新たな申し込みが相次いでいる。

以上のように今まで行われてきた活性化案は探せばいくらでも出てき

ます。成功するにせよ失敗に終るにせよ、それぞれの商店街の想いが込

められている。では、もっと元気のある商店街を3つピックアップし紹

介していこう思う。

第三節 課題と成功はいつも背中合わせ

◆◆◆◆埼玉県秩父市 宮 側 町

みやのかわまち

共栄会商店街◆◆◆◆

∼「ナイトバザール」の誕生∼

前節において過去に行われた活性化案を調べていく中で、イベント を初めて試みた商店街が紹介されている本を発見した。この商店街は 今でも変わらず元気である。ここではその秘訣を紹介していきたい。 日本を取り巻く経営環境は依然厳しい事に変わりはなく、価格破壊 と消費の低迷が続き、デフレという戦後初、近年経験したことのない 市場であるといわれている。大型店、スーパー同士の価格競争、シェ ア争いにもみくちゃにされ、個人消費の本格的な回復は当面難しく、 残念ながら引き続き予断を許さぬ状況。小規模店の生きる道として、 大型店や量販店と同じ土俵に上がらず、商店街には商店街の良さ、楽 しさをアピールしなければならない。数ある全国商店街の中でも成功

(17)

の連続を収めているのが秩父商店街。「ナイトバザール」には毎回多くの商店街関係者や街 づくり団体の人たちが視察にやってくる。そうした人々との交流や情報交換も絶えず行い 商店全体が活性されていく。それでは秩父市「宮側町商店街」を紹介していく。

宮側町商店街の概要

項目 内容 商店街タイプ・商店街の成立 駅前地域型・昭和20年代 業種構成 衣料・身の回り品 28 家具・日用品 5 食料品 17 その他小売 17 飲食・サービス 52 大型店 2 主要事業 ナイトバザールの実施(昭和62 年 10 月より) 商店街進行組合の設立(平成2 年 4 月) 街路灯の設置(平成3 年 3 月) ファサードの統一(現在進行中) ナイトバザール6つの基本 (第1会実施時の確認事項) 開催日は毎月 1 回、第 3 土曜日 開催時間は午後 7 時より 11 時までの 4 時間 参加店は宮側だけに限定せず、町外からも自由 大型店とも共同して行う 少なくとも 6 ヶ月は継続する 終了したらその日のうちに反省会を開いて、次回の規格を決 める

ナイトバザールの内容

毎月第3土曜日の7時∼11時で、どんなに天気が悪くても必ず実施。平均2万人、夏 場には3万人を集客。来店者へのメッセージは「遊びにおいでよ」で「ナイトバザール実 行委員」が中心となって企画・準備をし、手作りでお金をかけないゲームなどを考案、家 族連れで来てもらえる工夫がされている。モノを売るのではなく、月に1回商店街で遊ん でもらうイベント。また、公共団体の参加や視察を縁とした県外からの参加者も数多く、 イベントを盛り上げている。

ナイトバザールの効果

※目に見えない効果としては、以下の点が挙げられる。

(18)

(1)お客と店とのネットワークの構築 (2)地域団体や他商店街とのネットワークの構築 (3)人材の育成 (4)連帯感の醸成

1位 サンタと真冬のスイカ割り

2位 パンプキンボーリング大会

3位 うなぎのバトンリレー

4位 真冬のかき氷早食い競争

5位 200 円で食べ放題の流しそうめん大会

6位 お母さんのリンゴ皮むきコンテスト

7位 中古車を710 円(ナイト)で販売

8位 似顔絵書き

9位 レディースどんけつ大会

10位 モロコシの皮むき大会

(ちょっとエピソード )

苦情が多かったイベントは真冬の「氷上ガマン大会」 実施し たら参加者全員が凍傷になり、役員全員でお詫びに行った事も・・・

第1条「金をかけずに知恵を出す」

第2条「ナイトバザールを自分たちが楽しむ」

第3条「同じイベントは二度とやらない」

(19)

第4条「イベントは人の集まらない時期をあえて選ぶ」

第5条「いい加減にやっている」

☆第一の秘訣については、視察すれば理解してもらえると思うが、イベントはほとんど がボランティア的な参加によるもの。「場所を無料提供するから自由にパフォーマンスを どうぞ」ということにして金をかけて芸人を呼ぶことはしない。チラシ収入や市の補助等 のやりくりで低予算におさえる。また、各地から視察に来る際は、ナイトバザールへ出店、 特産物の販売をしてもらう。おまけに振興組合費はたったの月 200 円だから皆が抵抗無く 提供してくれる。どれだけお金をかけずに身近なものを使ってイベントにしているかがポ イントである。 ☆第二の秘訣については、やっている実行委員が楽しくやっているから、来てもらうお 客も楽しさが伝わる。新しいイベントを考えることは、提供する側の「頭の活性化」にな るし、頭を柔軟にしてまずは自分たちが楽しまなくちゃダメ!行う者が楽しくないことは、 お客様も楽しくないはず。 ☆第三の秘訣については、各々のイベントは毎回違った企画で行うので、みやのかわナ イトバザールには、マンネリは無い。イベントは知恵を絞ってアイディア勝負。出し物が 今回1度きりということがイベントの魅力につながる。秩父は親子連れが手作りゲームや 地元のお店の人とのお喋りを楽しんだり、子供たちが真剣な表情で叩く和太鼓の音に聞き 入ったり、手頃な価格で地元の手作り商品が道路脇のテントに並んだり、そんな素朴で良 き時代の玉手箱のような雰囲気が楽しめる。まずは行動を起こすことからすべてが始まる。 ☆第四の秘訣は、参加する各商店にとって子供達に手伝わせて商売の面白さを伝える親 子ふれあいの場としたかったので「忙しすぎてはいけない」こと。忙しすぎると人を雇わな ければいけないので金もかかる。それに、商店街全員参加のイベントの実現は不可能で、 全員揃うのを待っていたり無理強いするのはイベントの失敗の元。少数の核となるメンバ ーがまず行動を起こして土台を作り、後の人は興味が出てきたら自由参加、という方法が 上手くいく。 ☆第五の秘訣は、ナイトバザールの開催について、実行委員が打ち合わせるのは、開催 当日の片づけが終わった後に行う反省会の席での次回企画の話し合いと、当日の昼に集ま る打ち合わせの2回だけ。「いい加減」という言葉を辞書で引くと、「①ほどよいさま。 適当。②徹底しないさま。無責任。」の両方の意味がある。みやのかわナイトバザールの 場合、良い意味でこの両方を兼ねそろえているのである。商店街のイベントというと会議 会議で一つの事柄を決めるだけでもいちいち了解を取り付け、それだけでイベントを前に

(20)

疲れてしまう。みやのかわの場合、そうではなく人を信頼して責任を持たせ、分担して口 を出さずにやらしてみる。だから長く疲れずに継続できるのだ。

会員のコメント

「地域づくり」は長期的目標(夢)を設定したら、さしあたりできることから手を着けれ ばよい。夢とロマンを求めていると花火のように消えてしまうし、夢のないものはシャボ ン玉のように消えてしまう…。 会員は「将来構想」という30年後の目標を設定し、実 現に少しでも近づける手段として「ナイトバザール」を毎月継続している。

代表者からのメッセージ

物を売ることがナイトバザールの目的ではない。人々の集まりの中から地域の隠れた人 材、ネットワークを掘り出すことによって生まれる コミュニケーションの輪を広げること こそ街づくりの基本。例えば、お年寄りの知恵、郷土料理の発掘、若者のエネルギー、市 民一人ひとりが実にいろいろな個性を持っている。その一つひとつを全部結集したパワー ある 街 を実現することが私たちの 夢 なのだから。 「みやのかわ商店街」のように独自性、方向性をはっきりと示し、あらゆる機会を捕らえ、 消費者にアピールすることが必要である。イベントの特色は、雨が降ろうが、台風がこよ うが、休むことなしに続ける。お客様に楽しんでもらう前に「自分達が楽しむ」「街づく りはふるさとづくり」というコンセプトを崩さない。そして、「子供たちに自分たちの働 く姿を見せたい」という商業者の後継者対策などを柱に運営は地域の団体、企業、伝統文 化の伝承者等、毎回あらゆる地域の人々を巻き込んで行っている。このナイトバザールが 高い評価を得ているのは、最初に実施したことと共に、今まで継続して休止することなく、 毎回違ったイベントをお金をかけずに根気強く実施していることである。継続は力なり・・・

(21)

◆◆◆◆空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト◆◆◆◆

10 月9日、私たちは大阪の住吉大社で行われた地域商業・まちづくりフォーラムに参 加した。それは地域の特性に着目し、その地域ならではのまちづくりのあり方について意 見を交わし、商業と連帯した街づくりに取り組むきっかけとなるよう開催されたものであ る。今回のテーマとして取り上げられたのは、「長屋再生ショップをはじめとした空堀地区 の活性化」というものである。空堀商店街界隈の良さを活かした、住みやすくて魅力ある まちの創造を目指そうというプロジェクトである。

「空堀商店街界隈」って?

歴史と環境

大阪市は古代ほとんどが海であったらしい。3,4世紀ごろには八十島と呼ばれ、州がた くさんありそこに横たわるように上町台地があった。現在は、上町筋から谷町筋までほぼ 平らになっているが、当時は坂道や崖が続いており、今でも空堀商店街は西への下り坂に なっている。秀吉が大阪城を造った15 世紀末ごろ、大阪城の南にある外堀が現在の「空堀 商店街付近」にあたる。この周辺は戦災で焼け落ちることがなかったため、大阪市内の中 心でありながら土地の勾配をたくみに利用した町屋、路地に面して立つ古い長屋等、昔な がらの風景が残っているめずらしいまちである。

立地

東西南北、賑わいのあるまちに囲まれ、人の流れがすぐそばにまで来ている。現在、ま だ残っている長屋を維持することに問題点がある。建築規制の変化や土地の分等により露 地にしか面していない敷地には新たに建築することができない状態である。老朽化した長 屋を解体して「さら地」にすれば建築許可がでないため空地になったままの状態になり、 亜鉛鉄板等で安易に修理されてもまた朽ちていくことを繰り返している。中には崩れたま まの長屋もあり、極めて危険でもある。素晴らしい土地でありながらその長屋や空地は売 買や賃貸にも答えにくい状態である。

(22)

美しく保存されている露地

石畳がきれいに保存されている。 住人の努力により美しい建物が 残されている。露地もレンガで 補修されている。 石畳は比較的、新しく敷かれてい るようだ。 おもてに現存するもの もともとは大正時代に流行した「前 庭型」長屋であろうか道路として指 定されているところは建替えられ る。石段と石畳があり、情緒がある。 商家であろうか。手前には蔵も 残っている。 塗籠(ぬりごめ)、卯建(うだつ)が このあたりの表長屋の特徴である。 開口部のほとんどはアルミサッ シにリフォームされている。 古い、よいものを今の時代にも大切にしたい、という思いで朽ちかけた長屋を甦らせる活 動から、複合ショップ「惣」と「練」が生まれた。惣は、江戸時代の大阪の町衆の自治組 織を意味する言葉である。5つの店が入っており、懐かしさを残している。 江戸時代以前のこのあたりは、瓦の土が産出し、また瓦の製造も行われていた。秀吉の大 阪城にはこのあたりで製造された瓦が使われている。この瓦の製造過程で、「土練」という 過程がある。これは採った土を練り上げ土の中にある空気を抜き取る作業で、とても大切 な過程である。これを怠ると、瓦は焼成の過程で割れてしまう。「練」は、この土練という 言葉から来ている。そしてその中に次の言葉を「練りこませている」のである。 「和」の中の「洋」・「洋」の中の「和」、「古」の中の「新」・「新」の中の「古」 「からほり」という場所の「和」の御座敷の中に、「洋」を練りこみ、そして「古」に「新」

(23)

を練りこむ事で、新しい再生を目指している。新しい再生とは、この町が本来持っている、 優しさや、温かさを生かしつつ、更にやって来る人々にも同じ思いを感じてもらう。そし てやって来た人々のエネルギーを、今度はこの町に還元してもらい、活気あるまち造りを 目指している。 この町もマンションやビルといった大型建築が建ち、昔の面影も少しずつ消えつつある。 これは決して悪いことばかりではない。土地の有効活用、あるいは災害の対応といった面 では、理にかなっている。ただ、秩序なく、合理面ばかりが表に出てくると、やがてこの 町のよさも消え、生活感のない、無機質な町に変わってしまう恐れがある。この御屋敷の 再生はこういった新しい流れの中に、つまり「新」の中に「古」を練りこますことで、こ の町が持っている秩序、温度を、保つ役割になりたいのだ。「洋」の流れの中で「和」を練 りこむことで、日本人本来が持っている安堵感を感じてもらい、懐かしさと、やすらぎを 感じた町造り目指している。

古きを生かし、のびのびと

フォーラムに参加した人たちの多くが商店街の知事の方や商業に関心のあるという年配 の方ばかりだったが、若い私たちをとても暖かく迎えてくれた。古いもの、いらなくなっ たものはすぐ捨ててしまうという使い捨て社会において在るものを生かしていこうという 試みはとてもすばらしいものである。ただ古いものが良いわけではないが古い建物の中に は良いものが沢山ある。捨ててしまうようなタンスや家具、欄間や建具など、それらは時 代を表現していると思われる。できるだけ「在るものを生かす」というコンセプトでいけ ば、捨ててしまわないといけなかったものが蘇る。古いものは今から作れない。そんな時 間の経過を大事にするというコンセプトがあれば、古くなったから潰すのではなく、良く ないものは取り去り良いものだけを残すことができる。 空堀商店街界隈では長屋を中心とする歴史ある町並みを生かし、町のもつ魅力を保存・ 再生という形で新しい時代や生活の中に位置付けることで、さらに住みやすく魅力ある町 を創造しているのである。そして人との交流を通し、住人はもちろん外から訪れた人たち がワクワクするようなまち造りを目指しているのである。

長屋再生ショップをはじめとして、まち全体の活性化へ

◆◆◆◆尼崎商店街の現状と挑戦◆◆◆◆

尼崎商店街は、阪神尼崎駅から西へ少し歩いた所に位置し、阪神タイガースを応援する 唯一の商店街としてメディアにもよく取り上げられている有名な商店街である。一日の人 の通行量は平日で約5万人、週末には約7万人から8万人が訪れるほど来街者がとても多 い。現在、来街者の7 割近くは徒歩や自転車・バイクで利用していて、9 年前から徒歩での 利用は増加しているが自転車・バイク・バス・自家用車での利用は減少傾向にあり、最寄性

(24)

が近年強くなってきている。平成 15 年に尼崎商店街が独自のアンケートを取ったところ、 街の商品の価格は安く品揃えが豊富ということが広く認知されていた。しかし、接客態度 が「ふつう」と答えた消費者が半数もおり、大型店とは「品揃え」「価格」などでは対応でき なくなってきている商店街側としては頭を抱えている。そして、ポイントカード利用率も 45%に留まっており 3 人に1人は知らないという問題もあった。尼崎商店街は、このよう な諸問題を解決するために活性化に向けて動き出している。 10 月 30 日、私たちは尼崎商店街の活性化を考える意見交換会に参加した。それは大阪や 神戸に流れている消費者を呼び戻して、もう一度、尼崎商店街を活気あるものにするため のプロジェクトである。商店街内を 2 時間ほど視察した後、関西大学商学部の三谷真助教 授ゼミの2回生の学生達と商店街の理事長やTMOの会長などを交え意見交換会をして尼 崎商店街の現状について話し合った。尼崎商店街を視察するまでの印象は、阪神タイガー スありがとうセールの旗が天井から何枚も吊り下げられており、どこを見ても星野監督の 背番号77 に因んだ値段が書かれた POP が目立ち黄色が基調の明るい感じである。よくテ レビにも取り上げられている有名なイメージもある。それに、人通りも多く活気があって すごく元気な感じだったので現状を見るまでは活性化する必要がないのではないかと思っ ていた。 しかし、商店街を実際に視察してみると空き店舗や休業している商店があったり、商売 が成り立っていないような錆びれた商店も多く見られたのである。視察した後、商店街の 良い所や悪い所について意見交換会を行った。 学生:「尼崎商店街にはポイントカードがあるみたいなんですけどスーパーでも使えたら 便利だと思います。でもポイントが貯まっても500円しか還元してくれないのは少ない と思います。」「ポイントカード加盟店があるにも関わらず商店街を歩いても全然どこが加 盟店か分からないですよ。」 商店街の役員:「ポイントカードはポイントを押すたびに2円お金がかかるから、お店側 としては売上の減少に繋がってあまり加盟している事を公表したがらないんですよ。それ があの店が公表しないんだったらどうせ儲からないし、うちもうちもと言うように・・・。 本当は、もっと加盟店を増やしてポイントカードを使えるような体制に持っていきたいん ですけど・・・。」 学生:「タイガース柄の休憩できるベンチがあったんですけど、それが一部にしかなくて とても少なかったんですけど。」 商店街の役員:「実は、タイガースのベンチができたのは2年ぐらい前であれは人お店の 土地を寄与してもらってベンチを置いているのでなかなか置けなくて・・・。でもこれか らベンチの置く場所を増やしていくつもりです。」 学生:「尼崎商店街はタイガースを応援している商店街なのに、実際にタイガースの応援 歌が流れているのは一部で他の商店街は全然違うBGMが流れていたんです。しかもタイ ガースありがとうセールをやっていない所もあって商店街全体の統一性に欠けると思うの

(25)

ですが?」「とても凝っているPOPを作っている店もあるんですけど全然やる気のない店 もたくさんありました。」 商店街の役員:「BGMは各商店街によってお客さんの層があるのでやっぱり年配の方が 多い所には演歌調のBGMになります。でも理事長同士の繋がりがまだまだ薄くなかなか 商店街全体がひとつになることができません。だからやる気がない理事長のいる商店街で は、タイガースセールをやっていなかったり努力しないから流行らなかったりとまだまだ 全体を活気のあるものにできないのが現状です。それに売れない商店主の中には、売れて いる商店街にねたみを持って逆にセールに参加しないという人達もいるのも現実です。商 店街がひとつになるのはとても難しいことです。」 学生:「若者向けの服屋さんは安いTシャツを売っている店しかないから入る気がしない です。」 商店街の役員:「ここは大阪まで電車で10分程で行ける所に位置しているので、いい服 や流行しているものを買いに行くならみんな大阪に出て行ってしまうんですよ。(涙)だから ここの商店街に昔からあったいい服屋さんがどんどん潰れていって結局は安いTシャツの 店しか売れなくなってしまってるんですよ。このことによって商店街の魅力が失われてき ているのが残念です。」 学生:「商店街にあるチェーン店の中で、マクドナルドがタイガースありがとうセールで チキンマックナゲット5個入りを100円で販売している所を見て大型チェーン店も商店 街の活動に参加してくれているのが良かったです。」 商店街の役員:「大型店でも店長が商店街のことを解ってくれて本部に申請してくれるよ うなお店があるのは商店街にとっても良い事です。これからもこういったチェーン店が増 えていくように働きかけていこうと思っています。」 ・・・他にはチェーン店が多い、自転車が多くて危ない、陳列に力を入れているお店と入 れていないお店の差があった、など私たち学生の側から多くの厳しい意見が商店街側にぶ つけられた。最後に商店街の理事長たちは、商店街の人達の今の心境を私たちに語ってく れました。 商店街の役員:「尼崎商店街は、戦後の闇市から自然発生的に生まれてきた商店街なので、 元々戦後で物がない時代に商品が豊富にあった地域だったので自然とお客が集まる所でし た。だからお客へのアプローチをする必要はほとんどなかったのです。今の店主は昭和の いい時期を味わった人達が多く、そういった人達が今の現状に気付かずにお客へのアプロ ーチができずに、そういった店から潰れていってしまっているのが現状です。20年前は 協力しなくても繁盛していましたが今は違います。ですから、これからはデフレ時代を乗 り切る為にも商店街同士の協力がより一層必要だと感じています。」 このように活気があって多く人が買い物に来る尼崎商店街でさえ、まだ数え切れないほ

(26)

どの多くの問題を抱えているのである。役員の方々は、商店街や理事長同士が強く協力し ていくことが今後の発展のために必要だと感じている。実際、店舗同士の繋がりや協力関 係が薄く商店街の未来のためにまだまだ活動できていない商店街が山ほどあるのである。 尼崎商店街は、今後、独自に地域と結束して地域の特性や地場産業の魅力を生かして商店 街にお客を呼び寄せ活性化していこうとしている。その例として、2003年11月に関 西学院大学が協力してメイドインアマガサキショップを1日限定でオープンする。それは、 尼崎で作っているもの、尼崎でしか買えないもの、アマにこだわった製品や商品の情報の 発信をするものである。尼崎には、甲子園の焼きそばソースは尼崎の地ソースを使用して いてほかにも市内には5種類もの地ソースがある、尼崎のビールがある、日本の板ガラス 工業発祥の地は尼崎である、世紀の発明品セグウェイのバランスを保つためのパーツ(角速 度センサー「ジャイロ」)は尼崎にある住友精密工業の技術が使われていて尼崎製である、 ロングセラーマリービスケットはすべて尼崎で作っている、などの地域の特性が多くある。 メイドインアマガサキショップでは、このようなメイドインアマガサキな情報を募集し応 募された製品や商品を展示、販売する。このイベントが成功すれば今後尼崎商店街は、地 域の魅力ある商店街になって、さらに発展していくと思われる。

これまで、商店街の歴史から始まり、徒然なる文章を読んでいただきありがと

うございます。少し本題からは脱線するのですが、たった1店舗、夫婦だけで

メディアの注目を集め多くの人々に支持されている、知る人ぞ知る加古川(寺

家町商店街の近く)にあるファーストフードの名店「ピープル」を紹介したい

と思う。このお店は TV や雑誌にも何度か掲載され、地元だけでなく関東、海外

からもわざわざ訪ねて来るお客さんもいるという。お店のすぐ側で道路工事が

始まり、来年にはお店がなくなるかもしれない…しかし、ピープルのファンに

よ っ て お 店 を 守 る べ く 署 名 が 集 ま っ て い る 。

今年で 26 年目…

外観は㊤写真のようにアンティークな感じが漂っている。しかし、一歩店内

(27)

に入ると㊦写真のように手書きのメニューの勢いに圧倒され、言葉を失う。

商品の写真は

1 枚もなく、どんなモノがでてくるのか想像もつかず手探り状態。

さらに、オーダーも手書きでお客さんが自分で食べたいもの合計金額を自分で

計算しメモに書くというシステム(自分で計算するが、安く見積もるとオヤジ

にはすべてお見通し、一気にオヤジの気分を損ねることになる)従業員は年配

の夫婦2人で、営業時間が驚きの午後

11 時から深夜 4 時(何を基準にこの時間

設定なのかは不明)アルバイターは一切雇わず

2 人で毎日の仕事をこなす。売

っている商品はハンバーガーを中心に、

50 種類近くはあるのではないだろうか。

お客さんからの提案などで、新商品が次々生まれる事も多々。ネーミングにも

特徴があり、ポテ丸(パンに、ジャガイモをはさんだだけのモノ)

、元気君(普

通のゆで卵)

、ことぶき(

60 円の瓶ジュースですが、今は製造中止、着色料の量

がハンパじゃない)アイスバーガーなど気になる商品が盛りだくさん。値段は

比較的安く

500 円あれば十分お腹いっぱいになるし、気まぐれで思いもよらな

いサービスでもてなしてくれる。オヤジは気功の使い手でもあり、運がよけれ

ば気功で体をほぐしてくれたりもする。

チェーン店には負けへん!

やはりファーストフードと言えばマクドナルド。しかし、ひと昔だとハンバーガ

ーは高価な食べ物であり、誰もが簡単には味わえなかった・・・この頃、食べなが

ら歩くスタイルがカッコイイとされていた。これだけおいしい食べ物を、たく

さんの子供に味わってもらいたい!ピープルのオーナーは

100 円前後という、

当時では考えられない価格で安く大量に、しかもお客さんの声をしっかり聞き

ながら新商品にも力を注いだ、器具も自分が使いやすいように改良し、多い日

だと一人で

1000 個売った事もあるとか・・・「低価格」安く数を売っての勝負、

「深夜営業」たくさんの人々に提供していきたい、ある意味、今のマクドナル

ドがピープルの後を追ったカタチなのかもしれない。マクドナルドは、店内は

綺麗で、接客も完璧なマニュアル方式で流れ作業。一方、ピープルは写真の通

り、店内はご覧の通り一人で慌しく仕事をし、新商品も気分次第で生まれる。

店内に写真もないことで、逆にオーダーから実際に商品を口にするまで楽しみ

が継続される、私はこの感覚が好きでたまらない。マニュアルなんて存在する

わけもなく、アイスが先だろうが、バーガーが先だろうが関係ない、おつりは

お客さんが帰るまでに何とかすればいい。店主とお客との信頼関係で成り立っ

ている。手がすけば、どうでもいい話から、ためになる話までしてくれる。マ

クドナルドの持っている情報はたかが売れ筋、年齢、性別ぐらいだろうが、ピ

ープルは違う。驚いた事に5年、

10 年前の話から何でも覚えている。POS をは

るかに上回る顧客情報を管理しストックしているのだ。これには脱帽。当然、

(28)

マクドナルドの方が衛生面でも信頼を持てるし、味も勝ち目はない。マクドナ

ルドは全国展開している、ピープルも一度はそれを夢見て、

3 店舗まで拡大した

が、うまくいかない。その理由は明確だ、オーナーの個性や考え方に人は集ま

ってきている。商品ではなく、オーナーとのやりとりに価値がある。他の者に

マニュアルのないファーストフードを任せてうまくいくはずはない。しかし、

加古川本店!?も道路の工事でなくなってしまうかもしれないという・・・今、必

死でピープルを守ろうと署名活動をしている人達はたくさんいるし、私もその

一員となりたいと強く思う。決して商品、サービスがいいわけではない。今な

らハンバーガーを食べたければどこにでもある。しかし、ピープル人口が減る

事はない。ふと屋台のラーメンが食べたくなる感じに似ている、ピープルに足

を運ぶと、そこにチェーン店のようなマンネリ的なサービスはなく変化がある。

時には同窓会の会場かと思うくらい、懐かしい友人に出会える場であったりも

する。

私がピープルで一人くつろいでいた時のこと・・・1人の30歳くらいの男

性が店内に入ってきた。普通は紙に書いてオーダーするのだが、その様子

はない。しばらくすると、3 品ほど商品が出された。まったく会話をして

いないのにどうして?オーナーに聞くと、「今日は何が食べたいのかなん

となくだけどお互いわかっている。お店は人とモノとの交換ではダメだ、

人と人との気持ちを交換しなければならない。」さらにオーナーは言う。

「昔は近くにハンバーガ屋さんがウチしかなかった、学生の客と口ゲンカ

しても他に行くところがないから来るな!とは言わなかった。けど、今は

どこにでもあるのだから無理して来てくれなくていい。広告も宣伝も改装

も頭にない。」正直なところ、多くの人はこのお店をバカにしているのか

もしれない。しかし、地元での知名度は大企業にも劣らない。ただの頑固

者なのかもしれないが、このコンセプトが本当は、商店街各店舗のあるべ

き姿なのかもしれない。今の時代、いくら良い品質、価格、商品であって

もモノはモノでしかな

い。ヒトには勝てない

事を強く感じた。活力

のある商店街となるた

めにはやはり、個性的

な店主の集まり、人と

参照

関連したドキュメント

町の中心にある「田中 さん家」は、自分の家 のように、料理をした り、畑を作ったり、時 にはのんびり寝てみた

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、

にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけ

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

園内で開催される夏祭りには 地域の方たちや卒園した子ど もたちにも参加してもらってい

現を教えても らい活用 したところ 、その子は すぐ動いた 。そういっ たことで非常 に役に立 っ た と い う 声 も いた だ い てい ま す 。 1 回の 派 遣 でも 十 分 だ っ た、 そ