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加古川市ってどんな市? 〜加古川のメインストリート〜

肥沃な大地 加古川

肥沃な沖積平野と広大な印南野台地、温暖な気候に恵ま れた加古川市は、播磨平野の東部を流れる加古川の下流(兵 庫県南部)に位置している。ベッドタウンとしても有名で、

大阪から60km、神戸から35kmという便利で自然に恵ま

れた住みやすい土地である。1950年に市制が施行された加 古川市は、古くから山陽道の宿場町として栄え、東播磨の 中心地として発達してきた。海岸部には播磨臨海工業地帯 の一翼を担う鉄鋼工場、内陸部には靴下・建具などの特色 ある地場産業とともに新しい商業活動も活発に展開され ている。自然を満喫できるスポットにも恵まれ、豊かな

「川」を中心に文化と自然が融合した香り高い町である。

また加古川市には、様々な時代で人々の信仰を集めてき たお寺や神社など数多くの歴史的建造物がある。代表格と 言えるのが、聖徳太子ゆかりの名刹「鶴林寺(かくりんじ)」 である。589年、当時16歳だった聖徳太子が仏教を広め

るために建立したと言われ、国宝に指定されている本堂・太子堂を始め、白鳳・藤原・鎌 倉・室町など各時代の文化財が数多く残っていることで有名だ。神社では、加古川が日本 武尊の誕生の地でもあるため、「日岡神社(ひおかじんじゃ)」があり、日本武尊の母の御 陵(お墓)がある。

加古川の由来ってなぁに??

 

加古川の名前の由来には様々な説がある。例えば「播磨風土記」には、加古川市にある 日岡山の姿が鹿の児に似ていることから、この辺りを「賀古(かこ)」と称したとある。

日岡山に沿って流れる川なので賀古河(かこがわ)の名が付いたという説ある。また、かつ てこの川の付近に多くの水主(かこ:舟をこぐ水夫)が住んでいたため、その名が付いたと いう説や、詳細は不明ですが、川を囲うという意味の「囲川」に通じるという説もあるの だ

。 

寺家町の起り

寺家町は加古川町東南部から西北部にわたっている大字で、その寺家(じけ)の起りを 考えてみると、常住寺・鶴林寺その他縁のある寺院に基づく称であることは言うまでもな い。当時、寺は比較的莫大な領地を所有し、その寺領を公文職が管理した。これらの寺職 を寺家と称し、寺家によって起った町を寺家町という。

町はすなわち間市(まいち)であり、加古川は三日市(三日、十三日、二三日の定場定日 市)が開かれた。この市場制は慶長頃まで継続し、その後自由制度になったと考えられる。 

 

提灯流し 

加古川流域ではお盆になると、「提灯流し」が行われた。提灯に明かりを灯し、先祖の 供養をするのだが、その明かりがとてもきれいで印象深い思い出のひとこまになっている。

今では、「提灯流し」は下流を汚すとの理由から取り止められているが、そのかわりに加 古川花火大会が催されている。

誓文払い 

「誓文払い」とは今で言う「年末謝恩セール」のようなものである。当時、寺家町商店 街通りや本町商店街では、「誓文払い」に向けて店が 1 年間ためた商品を奉仕品として街 の人達に年に一度還元していた。普段高価なものもこの時はお値打ちに手に入ることもあ り、ニッケ加古川工場や印南工場に勤める 3000 人近い女工さんや西脇、上荘 、八幡、志 方方面からの人達で、とても賑わったものだった。「誓文払い」に行くと、今も地元の人 は寺家町で営業を続ける「まる万食堂のうどん」を食べられる事が楽しみで仕方なかった ものらしいです。他の街から来た人たちも、このうどんを食べるまでは 帰ろうとしないほ ど昔から有名であった。当時は一杯 6 銭だったということです。お祭りの時の小遣いは 10 銭で、今の 1000 円くらいに相当するでしょうか。大人も子どもも皆が楽しみにし、街が最 も活気づいた「誓文払い」は今も大切な思い出である。 

加古川名物 

かつめし

「かつめし」という言葉、聞いたことがあるようでなかなかない。いったいどんな食べ 物だろうか?そう思われた方も多いはず。カツとメシだから、カツ丼のことか?と思って しまうのが世間一般の考えなのですが、具体的にどんなものかと言えば、洋皿にご飯を盛 りつけ、そのご飯の上に、牛または豚の「カツ」を載せ、デミグラスソース風のタレをか けたもの。さらに、ボイルしたキャベツなどを添えて一丁あがり

  私が最初に食べたかつめしはご飯の上にビーフカツ(トンカツ)を載せ、その上にハヤ シライスのソースをかけたようなもの。ビーフカツハヤシライスというのが第一印象であ った。でも、このソースは、ハヤシライスのものとも似ているようで、やっぱりどこかが 違う。

さらに、かつめしは加古川市民の各家庭でも作られているようだ。夕食のメニューの定番 にもなっていて、加古川市内のスーパーや、一部のかつめし屋には、家庭用のかつめし用

タレが売られているというのだからオドロキである。

このかつめしが加古川に登場したのは昭和28年頃。お箸で気軽に食べられる洋食として 登場し、またたく間に加古川全域に広まったそうです。現在では、市内の喫茶店、レスト ラン、大衆食堂など、いろいろな店でこの「かつめし」がメニューにあり、かつめしを置 いている店の数は、加古川市内だけで、ゆうに40軒を越えるそうです。(喫茶店やレスト ランなど、店によっては、「カツライス」と名乗っていることも多々あるが、「かつめし」

も「カツライス」も基本的には同じ。)

ところがこのかつめし、昭和28年の登場から半世紀近く過ぎているというのに、加古川 を一歩出ると、ほとんど知られていないというのだから謎である。加古川市や高砂市とそ の周辺のごくごく狭い地域にしかないという、ご当地名物の食べ物だったりするのだ。名 物と言っても隣接の明石や姫路に行くと、もうほとんどの人が知らないというので名物と は言えないかもしれない。 

 

 

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