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災害放送担当者のための

集 中 講 座

テキスト

2002.5.17-18

主 催 東京大学社会情報研究所

協 力 日本放送協会 日本民間放送連盟

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開催に当たって

・・

廣井 脩 東京大学社会情報研究所所長 東京大学社会情報研究所は、研究課題の一つとして災害情報を学問と して長年にわたって研究をしてきました。人の命を救う実学である災害 情報学の成果は、実際の報道、なかでも速報性のある放送に活かされて こそ意義があります。 東京大学社会情報研究所は日本放送協会、日本民間放送連盟の協力を 得て、初の試みとして災害放送の第一線の担い手である若手災害放送担 当者(記者、ディレクター、アナウンサー等)を対象にした集中講座(研 修会)を開催いたします。 この集中講座(研修会)が、個々の災害放送担当者がより広い視野で災 害放送のあり方を見直する機会になり、災害放送のさらなる充実に寄与 することを期待しています。 2002 年 3 月 6 日

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目 次

I 要綱

1.1 災害放送担当者のための集中講座 実施要領・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 1.2 日程・講座・講師・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 1.3 受講者名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

I I 講義資料

2.1 講座1「災害放送概論」 廣井 脩 東京大学社会情報研究所所長・・・・・・・・・・・? 2.2 講座 2「地震の予知と予測」 阿部勝征 東京大学地震研究所教授・・・・・・・・・・・? 2.3 講座 3「災害行政とメディア」 布村明彦 内閣府参事官(防災担当)・・・・・・・・・・・? 2.4 講座4「災害放送史」 小田貞夫 十文字学園女子大学教授・・・・・・・・・・・・・・・? 2.5 講座 5「取材される側と災害放送」 斎藤富雄 兵庫県副知事・・・・・・・・・・・・・・? 2.6 講座6a 分科会 「テレビ災害放送」 谷原和憲 日本テレビ報道局デスク・・・・・・・・? 藤吉洋一郎 NHK 解説委員・大妻女子大学教授 2.7 講座6b 分科会 「ラジオ災害放送」 中村信郎 東京大学社会情報研究所非常勤講師 川端信正 静岡総合研究機構防災情報研究所研究員 ・・・・・・・・・・・・?

I I I 参考資料

3.1 参考資料1 災害関連法一覧表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.2 参考資料2 災害対策基本法・大規模地震対策特別措置法・気象業務法など抜粋要約 3.3 参考資料3 日本災害年表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.4 参考資料4 気象庁震度階級解説表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.5 参考資料5 警戒宣言までの流れ(解説情報と観測情報)・・・・・・・・・・・・・・・ 3.6 参考資料6 阪神大震災 ラジオ初期放送・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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Part I

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1.1 災害放送担当者のための集中講座実施要領

日 時 2002年5月 17日(金)午前 10 時∼午後8時 5月 18日(土)午前 10 時∼午後 5 時 ・2 日間の集中講座で午前 1 単元、午後 2 単元の 1 日 3 単元、 計6単元。 ・中日に意見交換を兼ねた懇親会。(5月17日午後 5 時 30 分から) 場 所 東京大学社会情報研究所6階会議室・2 階教室(本郷キャンパス) 主 催 東京大学社会情報研究所 協 力 日本放送協会、日本民間放送連盟 対 象 災害放送担当者 ・原則として入社5年から10年の災害放送担当者。 ・通して受講できることを条件とします。 定 員 20 人 ・1社2名以内とするが、申込み多数の場合は1 名とします。 (RT 兼営局は各1名) ・申込み締切は4月8日(月)。定員になり次第、締切ります。 参加費 無料(昼食代と懇親会費は自己負担)

1.2 日 程・講 座・講 師

■講座形式 1時限の1時間 50 分は、原則として講義、質疑・意見交換のゼミ形式。 5月 17日(金) 1時限(10:00∼11:50) 講座1「災害放送概論」 (冒頭 主催者挨拶) 廣井 脩 東京大学社会情報研究所所長 −昼 食− 2時限(13:00∼14:50) 講座2「地震の予知と予測」 阿部勝征 東京大学地震研究所教授 3時限(15:00∼16:50) 講座3「災害行政とメディア」 布村明彦 内閣府参事官(防災担当) 意見交換・懇親 ・日 時 5月 17日(金) 午後5時30分∼午後8時 ・場 所 山上会館(東京大学本郷キャンパス内) ・参加費 5,000円

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5月 18日(土) 1 時限(10:00∼11:50) 講座 4 「災害放送史」 小田貞夫 十文字学園女子大学教授 −昼 食− 2時限(13:00∼14:50) 講座 5 「取材される側と災害放送」 斎藤富雄 兵庫県副知事 3時限(15:00∼16:50) 講座6 ラジオ・テレビ分科会 ■テレビ分科会「テレビ災害放送」 谷原和憲 日本テレビ報道局デスク (アドバイザー) 藤吉洋一郎 NHK 解説委員・大妻女子大学教授 ■ラジオ分科会「ラジオ災害放送」 中村信郎 東京大学社会情報研究所非常勤講師(元ニッポ ン放送災害放送担当) (アドバイザー) 川端信正 静岡総合研究機構防災情報研究所研究員

1.3 集中講座 受講者名簿(26社 30 名)

受 付 名 前 社 名 所属 媒体別 担当暦 連 絡 先 災害放送(取材・報道)での関心事 1 川田 泰弘 WOWOW テ レ ビ 編 成 実 施部 テレビ 9年 [email protected] 03-5414-8085 局地災害に於ける全国放送 の対応 について 災害放送に備え、放送局に必要とさ れる体制について 2 安江 伸夫 BS 朝日 編成部 テレビ 17 年 [email protected] 03-5412-9225 地震 3 有馬 正敏 南日本放送 報道部 テレビ (RT) 8年 [email protected] 099-254-7117 正確な情報をどこまでリアルタイ ムに近づけて送出できるか? 4 近藤 隆春 関西テレビ 報道部 テレビ 5年 [email protected] 06-6314-8808 いかに正確な情報を早く放送する か、またその際、いかなる放送手段 があるか、等 5 小崎 千恵 名古屋テレ ビ コ ン テ ン ツ セ ン タ ニ ュ ー ス 担当 テレビ 7年 [email protected] 052-322-7135 ・被災者にとって必要な情報と、テ レビで放送できる情 報の扱い方 ・災害時の情報収集の効率的な方法 ・被災者と災害報道のあり方 6 羽根 俊輔 毎日放送 報 道 局 ニ ュ ー ス セ ン ター テレビ 1年 [email protected] 06-6375-7555 地震発生情報 の速報性は当然のこ とだが、加えて、被災者にとって有 用な災害情報をいかに伝えるか、時 間経過と共に変化していく 有用情

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報を適格に放送するにはどうした らよいのかなど。 7 山根 順 読売テレビ 報道部 テレビ 1年 [email protected] 06-6947-2365 来年度に発表されるであろう近畿 圏の活断層評価(中央構造線、琵琶 湖西岸断層等) 8 片岡 尚 FM NACK5 編成部 ラジオ 13[email protected] 048-822-0788 ・地元被災者への情報提供の他、約 120 万人の東京など県外への通勤・ 通学者への情報提供は。 ・取材の出先を持たない小規模経営 のFM局における情報収集の方法、 手段は。 ・FM局の性格上、音楽番組の制作 を専門とする者が多い中で、災害に 備えてのスタッフ教育は。 9 木原 猛 中部日本放 送 報道部 ラジオ (RT) 1年 [email protected] 052-241-1813 1.観測情報が出た段階で、どう放送するか。 2.大津波警報 を速やかに伝えるこ と 10 有本 整 中部日本放 送 報道部 テレビ (RT) 1年 [email protected] 052-912-1932 090-3150-9496 3.テレビで被災者向けの情報をど う放送するか 4. 災害放送でのラジオ・テレビの 役割分担 11 田中 達也 東海テレビ 報道部 テレビ 5年 [email protected] p 052-954-1174 行政や研究機関、他マスコミとの連 携のあり方、情報収集のシステム化 など。 12 入倉 維樹 日本テレビ 報道局 テレビ 2年 [email protected] 03-5275-4784 情報の伝達手段とその効率(テレ ビ、ラジオ、インターネットでの違 い)。被災者にとってどの情報が大 切か? 13 吉田 秀子 ラジオ関西 報 道 制 作部 ラジオ 7年 [email protected] 078-362-7377 事実をいかに伝えるか。被災者の目 線。必要とされる情報は何か。 14 斧 志保 毎日放送 ラ ジ オ 局 制 作 報 道 セ ンター ラジオ (RT) 2年 [email protected] 06-6359-1123 (代) 06-6359-3528 南海地震や、それに向けて起きると 言われている 直下型地震について の、長期的な啓発活動。また、地震 や津波についての基礎知識の啓発。 さらに被災地 の現状などについて の放送。 15 青江 重明 テレビ朝日 社会部 テレビ 3年 [email protected] 03-3587-5665 安否情報をネットワークで放送す る具体的な制約につてなど。 16 佐藤 哲也 ラジオ福島 放 送 報 道部 ラジオ 5年 [email protected] 024-535-3331 台風・大雨災害時の放送、大地震時 の放送(原子力発電所付近など)、 火山噴火時の災害報道など。 17 堀川 健治 静岡朝日 テ レビ 報道部 テレビ 3年 [email protected] 054-251-3300 最大の関心事は東海地震対策です。 ローカル放送局の立場として何が できるか、何をなすべきか、阪神の 例を見ても考えさせられる テーマ です。 18 大森健一郎 山口放送 東 京 支 社 報 道 部 テレビ (RT) 入社 9年 [email protected] e.jp 03-3571-9966 020-3175-1884 地震時の情報収集体制の確立、及び 速報のあり方。 19 片岡 学史 岐阜放送 報道部 テレビ (RT) 5年 [email protected] 058-264-7051 (直通) 災害発生時からの時間経過 による 情報内容の変化について。 20 木村 良司 福島中央 テ レビ 報道部 テレビ 4年 [email protected] 024-521-3300 平穏時におけるマスコミと行政、研 究機関との意識・意志統一の構築。 減災対策への各地における動き等。

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21 宿輪 智浩 IBC 岩手放 送 報道部 テレビ (RT) 4年 [email protected] 019-623-3141 平常時に何を伝えるか。災害発生の メカニズム。避難期の生活情報の伝 え方。 22 長 征爾 長崎放送 報道部 テレビ 12 年 [email protected]. ne.jp 095-820-1041 避難。デマ。 23 衣笠 聖也 文化放送 報道部 ラジオ 1年 [email protected] 03-5269-2736 ラジオ媒体が被災者 に届ける情報 の内容は、どのようなものが有益 か。その際、同じカバーエリアをも つラジオ局(例えば、東京の民放3 局)は、どのような連携をとるべき か。 24 花岡 秀則 信越放送 報道部 テレビ (RT) 8 年 fwgg2338@nifty,com 026-259-2141 090-8689-9949 1.情報入手―各種機関 と平素から 連携を密にして 第一報をラテで 速報する。 2.災害規模の把握―住民への情報 提供に不可欠な自社の取材陣容 (現地取材SNG・ヘリコプター 使用等を早期に確定する。) 3.平時の防災企画報道 ―東海地震 や糸静構造線等、危険 視される 災害に向け、行政および民間で取 り組み状況を定期的に伝える。 25 本田 史弘 TBS 報 道 局 取 材 セ ン タ ー 社会部 テレビ 6年 [email protected] 03-5571-3141 TBSで東海地震対策を担当して おります。判定会召集、警戒宣言発 令段階で、どのような情報・ニュー スを出していくのか 検討していま す。 26 中山 秀輝 NHK 社会部 テレビ (RT) 1 年 ( 入 局 8年) [email protected] p 03-5455-3519(社会部) 090-8949-1954 災害の「予報」と災害発生後のそれ ぞれの放送での役割の違いや社会 的な影響について改めて検証した いと思います。具体的には最近数年 ぶりに出た津波の予報や未だに出 たことがない 東海地震の「観測情 報」の発表について。 27 小倉 啓志 NHK 報 道 局 テ レ ビ ニ ュ ー ス部 テレビ (RT) 10 年 [email protected] 03-5455-3388 放送メディアとしての災害情報、防 災情報の伝え方全般。 28 古沢 健 NHK 報 道 局 テ レ ビ ニ ュ ー ス部 テレビ (RT) 4 年 [email protected] p 03-5455-3227 個人生命の安全と災害報道 につい て、どこまで報道は許されるか。 29 大黒 康臣 新潟放送 報道部 テレビ (RT) 9 年 [email protected]. jp 025-230-1532 必要な情報と不要な情報 30 伊藤 伸子 三重テレビ 報 道 制 作部 テレビ 5 年 [email protected] 059-223-3360 視聴者の安全を確保するため、ニー ズに合った情報をいかにタイムリ ーに、正確・適確に伝えるか。

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Part II

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2.1 第 1 日目1限 講座 1 災害情報概論

講師:東京大学社会情報研究所所長 廣井 脩 プロフィール 東京大学社会情報研究所所長・教授。専門分野は災害社会学で、地震・ 噴火・台風など自然災害時の人間行動の研究。平成11年より現職。同年 に日本災害情報学会を設立。中央防災会議専門委員、日本災害情報学会会 長などを務める。 著書「災害と日本人」「災害報道と社会心理」「災害情報論」など。 講義要旨 災害の調査研究をはじめて25年ほどになるが、その間、災害報道を横から眺め続けて きた。昭和53年にできた大規模地震対策特別措置法により地震予知にもとづく防災対策 が進められているが、もし判定会招集? 警戒宣言となったら放送はいかなる情報を流すべ きかという問題、昭和58年の日本海中部地震、平成7年の阪神・淡路大震災など実際の 災害で放送はいかなる役割を果たしたかという問題は、とりわけ関心を持ってきた。 近年、東海地震関連情報が生まれ、また強化地域の見直しが行われた。東海地震対策も 新しい局面に来ている。また、地震調査研究推進本部から活断層の長期評価など新しい情 報が次々に発表されている。このような転換期に放送はいったどうあるべきなのか。その あたりもお話ししてみたい。 講義資料

災害放送の歴史的展開

初出:廣井修 2000 災害放送の歴史的展開 廣井脩監修・(財)放送文化基金編 HBF ラ イブラリー①災害−放送・ライフライン・医療の現場から ビクターブックス 1 はじめに 地震、噴火、台風などの自然災害が多発するわが国では、放送局は、被害状況を報道す るという報道機関本来の役割のほか、地域住民の生命と財産を保護する「防災機関」とし ての役割も期待されている。 法的にいうと、日本放送協会(NHK)は、わが国の災害対策の基本方針を定めている 災害対策基本法にもとづいて、内閣総理大臣から「指定公共機関」に指定されており、そ の業務の公共性にかんがみ、業務を通じて防災に寄与しなければならない、と決められて いる。また一般放送事業者も、都道府県知事から「指定地方公共機関」に指定されること になっている。一方、避難指示や警報など緊急な災害情報に関しては、都道府県知事や市 町村長が災害に関する通知や警告を行うとき、放送を優先的に利用できる権限を認めてい る。そのほか、気象業務法にも、日本放送協会は気象・津波・高潮・波浪および洪水の警

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報の通知を受けたときはただちにこれを放送しなければならない、と規定されており、さ らに放送法でも、日本放送協会は、暴風・豪雨・洪水・地震・大規模な火事などの災害が 発生したり、発生するおそれがある場合、その発生を予防し、被害を軽減するために役立 つ放送をしなければならないという規定が設けられ、またこの規定を、一般放送業者にも 準用することが決められている。 このように、災害情報の伝達に関して放送局には大きな社会的期待が寄せられ、それが 制度化されてもいるわけだが、実態としても、わが国の放送は、いままで多種多様な自然 災害を経験しており、そこから災害報道についての多くの教訓を学んできた。後述するよ うに、災害直後に市民に対して二次災害の防止を訴える「防災放送」、被災者の安否を放 送する「安否放送」、ライフラインの復旧状況などを放送する「生活情報放送」などは、 いずれも、こうした経験のなかから生まれてきた独自の放送形態である。 1995年1月17日に発生し、死者5500人、負傷者4万1000人という関東大 震災以来最大の被害を生じた阪神・淡路大震災でも、放送各社は長期間にわたって洪水の ように大量の情報を流し続けた。そして震災から数日のあいだ、多くの視聴者は、無残に 倒壊した木造家屋、異様に歪んだビル群、横倒しになった巨大な高速道路、手の施しよう もなく広がっていく火災など、テレビ画面から次々に流れる映像に釘付けになったのであ る。 このほかにも、放送各社は地震直後から、被災者の安否についての安否情報や、医療・ 避難所・ライフラインなど各種の生活情報を提供し続けたが、当然ながら放送のこうした 活動はプラスの面ばかりではなかったから、その後各方面からさまざまな意見や感想が寄 せられることになった。なかには、感情的批判としか思えないようなものや、報道機関の 実状をまったく知らないのではないかと思うものも見受けられたが、報道機関への批判が これほど噴出した災害はいままでなかったように思われる。それはある意味で、過去の多 くの経験によって形成されてきた、わが国の災害放送のあり方そのものが問われた災害で もあった。そこで、本論では、いままでの災害放送の軌跡をたどり、次に今回の震災のな かで問題化したいくつかのことがらを検証して、今後の災害放送のあり方を模索するため の素材にしたいと思う。 2 災害放送の前史 (1)関東大震災と情報の途絶 周知のように、近代史上最大の災害は1923年9月1日に発生した関東大震災(マグ ニチュード7.9、死者・行方不明14万2000人、全半壊家屋25万4000、焼失 家屋44万7000)である。この震災では、地震直後に各所から火災が発生し、それが 延焼して甚大な被害が発生したが、地震とそれに続く火災によって、当時もっとも普通の コミュニケーション手段だった郵便も、ようやく普及しかけた電話も、長期にわたって途 絶してしまった。また、被害の全貌を知るほとんど唯一の媒体だった新聞も、その多くが 発行不能になったのである。 首都東京でいうと、震災当時、東京市内に16あった新聞社のうち、火災を免れたのは、 丸の内の報知新聞社と東京日々新聞社、そして内幸町の都新聞社の3社だけであった。他 の13社は次々に焼け落ち、社屋と印刷機械のいっさいを失ったのである。しかし、辛う じて焼失を免れた新聞社も、地震によって活字ケ−スがことごとく崩れ落ち、また水道や 電気が停止したため、印刷能力が完全にダウンしてしまった。さらに電話も通じず、交通 が途絶し、取材や配達もいちじるしく困難になった。新聞各社は急きょガリ版刷りの号外 を作り、これを電柱に貼ったりしたが、被災者はわずかにこうした情報に頼るしかなく、 長期間続いた情報空白の間隙を縫って、多くの流言蜚語が生まれたのであった。 関東大震災当時は、ラジオはまだ実験段階で、実用化されていなかった。世界で最初の 商業ラジオ放送局は、1920年11月アメリカのピッツバーグで開局したKDKA局と いわれる。わが国でも、1920年代初めから新聞社などがラジオに大きな関心を寄せ、

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東京朝日、東京日日、報知、大阪毎日、大阪朝日など各紙が次々とラジオの公開実験を行 なっていた。そこに、関東大震災が起こったのであるが、震災によって新聞や電話が全滅 し、情報の途絶が震災直後の流言蜚語の蔓延につながったという認識が一般に広がったた め、ラジオは災害時のメディアとして、大きな期待をもたれたということである(注1)。 その後、放送事業の認可申請が、続々と逓信省に提出されるようになったため、出願者 の合同をおし進めた結果、まず1924年に社団法人東京放送局が、また25年には社団 法人名古屋放送局と、社団法人大阪放送局が設立されることになった。しかし、ラジオを 全国的に聴取したいという気運が次第に高まり、逓信省はその1年後の1926年8月、 3局を合同させて、新たに社団法人日本放送協会を設立した。これが現在のNHKである。 その後、昭和3年に札幌、熊本、仙台、広島の各局が開局し、また同年11月には東京、 大阪、名古屋をふくめた7局間の全国中継放送網が完成したのである(注2)。 (2)室戸台風と広範な停電 その後、ラジオは順調に普及していったが、発展しつつあったラジオがはじめて遭遇し た大災害は、おそらく1934年9月21日に発生した室戸台風であろう。この台風は、 測候所の風力計が破壊されるほどの暴風をともなった台風で、西日本を中心に全国で死 者・行方不明2300人を出す大災害になったが、とくに大阪市内では暴風が荒れ狂った ほか、高潮が襲って全市の総面積の4分の1が浸水する被害を受けたのである。なかでも 悲惨だったのは小学校の被害で、すさまじい暴風が吹き荒れ、高潮がもっとも大きくなっ た午前8時直後が、ちょうど児童が登校中あるいは学校に着いたばかりの時刻だったため、 多数の児童が被災してしまった。死亡した児童は269人、重傷者は282人にのぼって いる。 さて、このときのラジオの対応である。室戸台風が発生した1934年当時、大阪市内 の聴取者戸数は21万余(全世帯の34%)に達していた。この台風前日の9月20日、 気象台は暴風警報を発令したが、当時の大阪中央放送局(BK)も暴風警報の連絡を受け、 千里放送所にあった蓄電池を充電して万一の事態に備えていた。台風による中央放送局の 被害は、窓ガラスの破損などだけで軽微だった。しかし千里放送所では、風が強くなって きた21日午前7時40分頃に放送アンテナが故障し、またその2分後には、電力会社か らの電力が停止してしまったのである。中央放送局ではただちに蓄電池に切り替えたため、 当面の放送には支障がなかった。しかし、蓄電池ではせいぜい4時間の放送に耐えうる程 度であり、また電力復旧の見込みもまったくつかなかったので、中央放送局はやむをえず 短時間放送主義をとり、主に災害ニュ−ス、公報、気象時報などを1時間ごとに放送する ことにした。また電池を長くもたせるため、できるだけ短い簡潔な放送文にしたという。 こうした状況は、電力の供給が再開した22日の午後まで続いたのである。 一方、ラジオ聴取者のほうでも、停電のためほとんどが聴取不能になったが、さらに受 信機の被害もいちじるしく、風害や高潮によって受信機が損壊あるいは水没した世帯は、 およそ4万にのぼったという(注3)。 このように、台風にともなう停電によって、災害時のラジオの機能は大きく阻害されて しまった。こうした事態について、当時の矢部謙次郎放送部長はある新聞紙上で、停電に 備えて放送局が自家発電装置を設置する必要性を述べるとともに、受信者の側でも乾電池 式の受信機を設置する必要がある、と指摘している。この時期においてすでに、発信と受 信の双方に停電対策がなければならない、と主張した事実は注目に値するものといえよう。 放送局では、室戸台風のこの経験をきっかけに自家発電の設置を促進し、同年12月末 までに、全国27局にディーゼルやガソリンの発電機を設置して、非常時にも放送が可能 な措置をとった(注4)。しかし、受信者側の停電対策はそんなにスム−スにはいかず、 戦後の携帯ラジオの普及まで待たなければならなかったのである。 3 ラジオの役割と安否放送の出現

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(1) 新潟地震とラジオの活躍 室戸台風以後も、わが国には多くの災害が発生した。とくに第2次世界大戦の前後には 大災害が多く、1943年の鳥取地震、44年の東南海地震、45年の三河地震、46年 の南海地震、48年の福井地震、52年の十勝沖地震とほぼ毎年のように発生しているし、 風水害も1945年の枕崎台風、47年のカスリン台風、48年のアイオン台風、49年 のキテイ台風、50年のジェーン台風、51年のルース台風、54年の洞爺丸台風と大災 害が頻発している。その後も、1957年の諌早豪雨、58年の狩野川台風などが続いた が、なかでも59年9月26日に名古屋市を直撃した伊勢湾台風は、全国で5000人を 越える死者・行方不明者を出す大災害になった。 この台風が上陸する直前から、名古屋地方の各放送局は、気象台から発表される台風情 報や警報を逐次流したほか、断水に備えて水の確保を呼びかけたり、停電に備えてロウソ クや懐中電灯の準備を呼びかけたりした。しかし、その放送が必ずしも被害の防止に直結 しなかったという反省から、その後、放送局では、気象台からの台風情報や大雨洪水警報 をただ単に伝えるだけでなく、それぞれの地域がおかれている状況や、住民がどう行動し たらいいかという行動指針まで放送すべきではないか、という気運が高まったという(注 4)。そして、この災害をきっかけに、1961年に災害対策基本法がつくられ、災害時 には放送局が「指定公共機関」として防災の役割を果たすことが定められたのである。 このように、わが国の災害放送のあり方を方向づける契機となったのは伊勢湾台風であ った。しかし、現在まで続く実際の災害放送の形態や内容を決定したという意味では、そ の5年後に発生した新潟地震のほうが重要であろう。 新潟地震は、1964年6月16日に発生したが、新潟県の被害はとくにいちじるしく、 死者14人、重軽傷者316人の人的被害を出してしまった。またこの地震では、地震動 によって液状化現象が発生したために、完成したばかりの昭和大橋が破壊されたほか、地 震に強いはずの鉄筋ビルが横転したり傾斜したりした。さらに、地震とほぼ同時に石油工 場の原油タンクから出火し、10分もたたないうちに隣接する4基の原油タンク群に引火 して、大火災になってしまったのである。 次に、NHK新潟放送局を例にあげ、このときの放送局の対応について触れてみたい。 同局では、地震直後の停電によってテレビ・ラジオとも2分間中断してしまったが、自家 発電機がすぐ動きはじめ、放送を再開することができた。放送にあたって、同放送局では、 被災地域に向けてはラジオに重点を置き、テレビは被災地の外に対して地震の惨状を伝え る、という方針をとったという。地震による停電で被災地はテレビが使えないこと、また 当時すでに携帯ラジオがかなり普及していたことを考えれば、これは当然の対応であろう。 ラジオは被災地向け、テレビは被災地外というこの方針は、その後の災害放送を一貫して 貫ぬく基本的立場になったが、それはまさにこの地震で確立した、といっても過言ではな い。 そこで、NHKラジオはただちに緊急放送に切り替え、少数のニュ−スを除いてすべて ロ−カル放送を行った。そのとき放送にあたったアナウンサ−の手記をみると、地震当初 かれは局の周囲の被害状況を放送するとともに、聴取者は落着いて行動すること、また火 の元に注意することを重ねて呼びかけたという(注5)。最近では、地震直後にさまざま な防災上の注意事項を放送する「防災放送マニュアル」を準備している放送局が圧倒的に 多いが、この手記を読むかぎり、当時の新潟放送局にはこうしたマニュアルはなかったよ うである。しかし、前述のように、1961年に災害対策基本法が制定され、NHKが指 定公共機関として防災対策の一翼をになうようになって3年にもならなかった当時では、 これはある程度やむを得なかったといえよう。 アナウンサーのアドリブによる防災の呼びかけからはじまった災害放送は、やがて、次々 と入ってくる被害状況の放送を繰り返し、その後は、県庁内に設けられた災害対策本部と NHKと街頭を多元中継でむすび、しだいに全貌が明らかになってきた被害の様子と、県 や市町村の救援対策などの放送を行った。そして地震から10時間が経った頃から、被災 者の家族や親戚・知人の安否を放送する「安否放送」(当時は「尋ね人放送」といった)

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を主体に放送を続けたのである。NHKでは、安否放送の依頼にくる人々のために局舎の 玄関に受付所を開設したが、ここに申し込みが殺到して、たちまち数十人の行列ができる ほどだったという。結局、NHKが受け付けた安否放送の件数は、総計3000以上にの ぼった(注6)。 (2)安否放送の出現 災害放送という観点からみたとき、新潟地震はエポックメ−キングともいえる地震であ った。災害時におけるラジオの重要性が、はじめて一般に認識されたのはこの地震だった し、また安否放送が登場したのも、この新潟地震だったからである。 とくに、被害が大きかった新潟市内では、停電のためにテレビはほとんど機能せず、多 くの住民がラジオに頼ることになった。ラジオのあるところは被災者が群がり、耳をそば たてる風景があちこちでみられたという。その背景には、もちろん携帯ラジオの普及があ る。ある記録によれば、当時新潟県下には32万台の携帯ラジオがあったといわれ、被災 者のなかには、着のみ着のままで避難しても、携帯ラジオだけは忘れなかった人も少なく なかった。また地震発生直後、市内の電気店にあった在庫の携帯ラジオも、またたくまに 底をついてしまった。そこで、あるラジオ店では携帯ラジオにメガホンを接続し、ラジオ 放送を拡声して通行者に聞かせたというし、あるメ−カ−では、携帯ラジオを満載したト ラックを新潟市に急行させ、すべて売り尽くしたという話もある。 被災者は、停電の避難所や家庭において、携帯ラジオから流れるさまざまな情報に耳を 傾けた。それは、被害状況ばかりでなく、停電・断水の状況、交通対策や電気・ガス・水 道の復旧状況などにわたっていたが、もっとも特徴的だったのは肉親の安否を放送でたず ねてくれとか、家族に無事を知らせてくれとかいった、安否放送であった。 新潟地震当時は、こうした安否放送を事前にまったく予想しておらず、いわば偶然のき っかけから放送するようになったのである。当時のNHK新潟放送局報道デスクによれば、 地震発生後2時間ほどたったころ「修学旅行の女子高校生の一行が無事避難しているので 伝えてほしい」という要望がまず入り、続いて個人の消息についての要望も入ってきたと いう。このうち、修学旅行生の消息についてはただちに放送したが、個人の安否について は多少のためらいもあった。しかし、こういうとき多くの人がまず一番知りたいのは肉親 や知人の消息であろうと判断し、放送することにした。この放送が大きな反響を生み、次々 と依頼が舞い込んだため、会館の入口に専用の受付けを設けるまでになったという。 前述のように、NHK新潟放送局が行なった安否放送は3000以上にのぼったが、民 放のBSN新潟放送でも安否放送を行ない、こちらは翌日分もふくめて延べ5000件に 達した。とくに地震の翌日は、安否放送の依頼者が大変な数になり、はじめはメモをとっ てアナウンサーが読み上げていたが、最後には被災者に直接マイクに立って呼びかけても らうほどだったという(注7)。 なお、新潟地震で先鞭をつけたこの安否放送は、その後、1978年の宮城県沖地震で は「個人情報」の名のもとで放送され、また1982年の長崎水害や、後述する83年の 日本海中部地震、そして今年起こった阪神・淡路大震災のときにも実施されており、わが 国の災害放送の一つのパターンとして定着するようになった。 4 津波警報の伝達と防災放送の出現 (1)日本海中部地震の発生と津波警報の伝達 大災害が繰り返し繰り返し日本列島を襲った1940年代、50年代にくらべると、そ の後の20年間は、1968年に十勝沖地震が、また78年には宮城県沖地震が発生した ものの、災害という面では比較的平穏な時代だった。しかし、1980年代に入ると、8

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2年に長崎水害、83年には日本海中部地震、そして山陰水害と立て続けに大災害が発生 してしまった。そしてこのうち、日本海中部地震は、災害放送にとって重要な教訓を与え るものでもあった。 この地震は、1983年5月26日12時00分に発生し、東北地方の日本海沿岸に大 きな被害を与えたが、この地震の最大の特徴は、地震後沿岸各地を襲った津波被害であっ た。この津波のために大きな人的被害が生じ、日本海中部地震全体の死者104人のうち 100人が犠牲になったが、とりわけ秋田県の被害は大きく、港湾作業員40人、遠足中 の児童13人などが死亡したほか、釣客、外国人観光客などが被害を受けてしまった。 日本海中部地震では、札幌管区気象台や仙台管区気象台が、日本海沿岸に向けて津波警 報を発令した。この警報はさまざまな経路を通じて地元市町村や住民に伝達されたが、一 部地域では市町村や住民に十分伝わらなかったという事態や、津波警報を聞いた住民がこ れを軽視して適切な対応をとらなかったという事態が生じ、警報の伝達体制や伝達手段、 そして住民の津波防災意識に関する問題点を浮き彫りにしたのであった(注8)。 この地震では、仙台管区気象台は、地震14分後の12時14分に秋田県をふくむ日本 海沿岸に向けて津波警報を発令し、ただちに秋田地方気象台に伝えた。秋田地方気象台は、 これを受けてその1分後に県内の各放送局に警報を伝えている。気象業務法には、津波警 報が気象台から放送局に伝えられたら、放送局はこの警報をただちに放送することが定め られているが、この規定にしたがって、NHK秋田放送局、ABS秋田放送、AKT秋田 テレビの県内3放送局から津波警報が放送されている。 NHK秋田放送局は、秋田地方気象台から津波警報の通知を受けてただちに放送しよう としたが、これより早く、NHKは東京から全国中継によって津波警報の第一報を放送し た。それは警報発令から5分後の12時19分のことであった。いままでわが国は津波に よってしばしば大被害を受けているし、津波から人命を守るためには沿岸の人々に警報を 迅速に伝えることが重要であるから、NHKでは津波警報の放送にとくに力点を置いてお り、警報が発令されたときは定時番組をすべて中断して、NHKがもつすべての波(当時 は総合テレビ・教育テレビ・ラジオ第一放送・ラジオ第二放送・ラジオFM放送の5波) を使って、全国中継で放送することになっている。日本海中部地震でも、それが実行され たのである。 しかし、NHKのこうした迅速な対応にくらべて、秋田県内の民放の対応はやや緩慢で あった。たとえば、ABS秋田放送ラジオが津波警報の第一報を流したのはNHKより2 0秒ほど遅い程度であり、またその後も何度か警報を放送しているが、一方、同局のテレ ビとAKT秋田テレビは、NHKの4分遅れで、警報が発令された事実を報じている。津 波警報は秒を争う重大な情報だということを斟酌すれば、遅きに失したといわざるを得な い。 また筆者は、このときのNHK秋田放送局とABS秋田放送のラジオ録音テープを入手 して分析したことがあるが、NHKでは津波警報に先立ってチャイムを鳴らしアナウンサ ーも緊張感をもって放送しているのに対し、秋田放送では各地の震度を放送するのとほと んど同じ調子で警報発令の事実を述べていた。放送からは緊迫感がまったく伝わってこな いのである。 筆者が被害のいちじるしかった秋田県能代市で行ったアンケート調査によれば、地震当 日に津波警報を聞いた能代市民は54%であり、約半数の市民が警報発令の事実を知らな かったが、その津波警報をどこから聞いたかたずねたところ、テレビが57%、ラジオが 22%と、放送から聞いた人があわせて8割近くに達していた。しかし、消防の広報車お よび警察のパトカーなど防災機関から聞いた人は3%弱にすぎなかった。これは、津波警 報のように迅速性が不可欠な情報の伝達は、行政より放送のほうがずっと有効だというこ とを示しているが、一方、この地震では、テレビ・ラジオから津波警報を聞いたにもかか わらず、大きな津波など来るはずがないと楽観し、警報を軽視して避難しなかった住民が 圧倒的多数だったという事実もある(注9)。こうした人々を増やさないためにも、もっと 緊張感をもって警報を放送すべきだったのではないだろうか。 いずれにせよ、日本海中部地震のときは地震発生から津波警報が出るまで14分、それ

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が放送されるまでさらに5分を要している。沿岸地方には地震から10分以内で津波が来 たところもあり、また被害が大きかった秋田県能代市や男鹿市では、警報が放送されたの とほぼ同時に津波が来襲している。こうした事実から、その後、津波警報の迅速な発令と 迅速な放送ということが、防災放送の大きなテーマになった。そして、最近では地震の5 ー6分後に津波警報が発令され、またその数分後に放送されるまで短縮されたのである。 しかし皮肉なことに、1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震では、札幌管区 気象台が地震の5分後に津波警報を発令し、NHKがその2分後にこれを放送したのに、 10メートルを越える津波が地震の5分後に奥尻島を襲い、200人近くの人命が失われ るという事態が起こった(注10)。津波警報の発令とその放送の迅速化は、日本海中部地 震以来懸案の課題であるが、その課題は、現在もなお続いている。 (2)より有効な防災放送を目指して この地震では、災害放送に関してもう一つ重要なことがあった。それは、NHKラジオ では、津波警報の発令に先立って、放送担当のアナウンサーが二度にわたり津波への警戒 を呼びかける放送を行なった、ということである。当時すでにNHKでは、地震発生後の 二次災害防止のために、火の元やガスの元栓の安全確認などを呼びかける防災放送マニュ アルを常備していたが、津波警報が出る前に沿岸住民に津波への警戒を呼びかける放送文 はふくまれておらず、この放送は、たまたま防災に詳しかったアナウンサーのアドリブで 行なったとのことである。秋田県の一部地域では、津波警報が住民に伝えられる前に津波 が来襲しており、その意味であらかじめ津波警戒を呼びかけたこの放送は、注目に値する ものであった。 前述のように、新潟地震の頃はこうした防災放送マニュアルをもっていた放送局は、さ ほど多くなかったようである。1976年、駿河湾から遠州灘にかけての海底を震源とす る、マグニチュード8クラスの「東海地震」が近い将来発生するかもしれないという学説 が社会的に注目され、78年には東海地震の直前予知を前提とした大規模地震対策特別措 置法が成立した。そこで、実際に地震が予知されたときどんな放送をしたらいいか、市民 にどんな行動を呼びかけるべきかということが、放送局でも大きな課題になった。NHK やTBSなどの放送局では、地震が予知され、警戒宣言が発令された状況を想定した試験 番組を制作したりしたが、こういう過程で、おそらく多くの放送局が防災放送のマニュア ルを整備していったものと思われる。 その内容は、たとえば地震の場合、あわてて外にとび出さないこと、火の始末をするこ と、落下物に注意することなど、かなり一般的な注意事項がくり返し放送されるのが常で ある。災害直後は被害情報がなかなか入らないから、こうした呼びかけを放送せざるを得 ないという放送局側の事情もあるが、一方、突然の災害で動揺している市民の注意を喚起 し、いちはやく必要な防災対策をとってもらうという意味でも、この呼びかけはきわめて 重要である。 日本海中部地震では、その防災放送マニュアルの有効性が問われたわけである。前述の ように、津波警報の発令とその放送の迅速化はこれからも追及すべき課題であるが、一方、 東海地震が発生したときに予想される津波や、日本海沿岸で発生する津波は、地震から数 分以内に沿岸各地を襲うと考えられており、場合によってはいくら努力しても警報が間に 合わないケースが出るかもしれない。その意味で、警報が出る前に津波への警戒を呼びか ける放送は防災上大きな意味を持っているといえよう。 日本海中部地震の後も、防災放送マニュアルの再点検を示唆するような災害は少なくな かった。たとえば1991年9月に発生した台風19号災害である。この台風は最近まれ にみる強風をともなっていたが、長崎県に上陸して日本列島をほぼ縦断し、いったん日本 海に抜けたあと、ふたたび北海道に上陸して各地に大被害を与えた。とくに、死者は全国 で62人にのぼり、そのほとんどは、強風のなかを屋外に出ていて屋根から転落したり、 飛来したトタンやカワラに直撃されたものである。このような大被害が生じてしまった大 きな理由は、最近30年のあいだ巨大台風がわが国を襲ったケースが少なかったため、多

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くの住民が台風の知識をもたず、そのこわさを実感しなかったことにある(注11)。 しかしもう一つ、放送局の情報伝達にも問題があったと思われる。つまり、気象官署台 からの台風情報はテレビ・ラジオを通じて逐一放送されたが、こうした情報は風速や時間 雨量などわかりにくい数値情報が多く、具体的にどのような風が吹きどんな雨が降るのか を視聴者がイメージできなかったし、また台風時の防災の心得をほとんど放送しなかった から、視聴者は接近しつつある台風に備えていったい何をすればいいかわからなかったの である。聞くところによれば、多くの放送局には地震時の防災の呼びかけはあったが、台 風時の呼びかけは存在しなかったという。前述のように、1940年代、50年代には巨 大台風がしばしば日本列島を襲っており、わが国が台風常襲地帯のただなかにあることを 考えれば、これは大きな問題といえよう。 たしかに、わが国の放送行政は都道府県単位の置局が原則だから、放送による防災の呼 びかけでは、市町村単位のきめ細かい情報を流すのはむずかしい。そのため、放送の呼び かけが一般的・抽象的になるのはある程度やむを得ない。けれども、津波危険地域を放送 エリアとする放送局では、一定規模の揺れを感じたとき、まず何よりも津波警戒の呼びか けを優先させるとか、台風など気象災害の多い地域の放送局では、台風が接近したとき、 その風雨の強さを具体的に示したり、視聴者が何をすべきか呼びかけることはできるはず である。また、集中豪雨の常襲地域では山崩れ・崖崩れの危険をあらかじめ周知したり、 大都市地震に備えてドライバーに車の処置方策について適切な呼びかけをあらかじめ考え ておくことも可能なはずである。 阪神・淡路大震災でも、いままでの防災放送の内容を見直すべきことを示唆するいくつ かの問題が起こっている。たとえば、今回の震災では、神戸市内だけで195件の火災が 発生したが、消防当局の調査によると、そのうち44件が電気に起因する火災だったとい う(注12)。そのうち、倒れた電気ストーブのスイッチを倒壊した家具などが押して、オ ンの状態になっているのを被災者が気付かず避難したその1ー2日後に、停電が復旧して 火災が発生したケースや、熱帯魚の水槽が割れて水がこぼれ、ヒーターの上に紙や布が乗 ったままになっているところに、電気が復旧して無人の家から火災が出たケースが少なく なかった。これは消防関係者も事前に予想していなかったことであるが、おそらく今後の 都市地震でもこの種の火災が起こり得ることを考えれば、「地震後に火の元に注意してく ださい」といういままでの防災放送に加えて、「地震後に避難などで家を離れるときは電 気のブレーカーを切ったりコンセントを抜くように」などの呼びかけが必要になるだろう。 紙数の関係からほんの一例しかあげられないが、このほかも、電話自粛の呼びかけもただ 「電話の使用を控えてください」というだけでいいのか、また今回のいちじるしい交通渋 滞は、地震時には使っていなかった多くの人々が地震後に車を使ったために発生したもの だが、放送で車使用の自粛を適切な形でできなかったのだろうか、などという問題もある。 5 災害時の取材・報道の実態 (1)取材と報道の実態 日本海中部地震の後も、いくつかの災害が日本列島を襲った。なかでも、1984年の 長野県西部地震や86年の伊豆大島噴火は、記憶に新しいところである。そして、これら の災害では、放送をふくむマスコミの取材や報道のあり方がしばしば問われることになっ た。 1984年9月14日に発生した長野県西部地震では、御岳山の山腹崩壊によって長野 県王滝村が死者29名にのぼる被害を受けたが、地震直後から大量のマスコミ関係者が王 滝村に入り、活発な取材活動を行なったのである。人口1300人の村に一時期は500 人ものマスコミ関係者がいたというから、その数はたいへんなものであるが、住民が問題 にしたのはこれらマスコミ関係者の取材態度である(注13)。村役場の電話は勝手に使う、 町長や総務課長をやたらに取材するなど、そうでなくとも多忙な防災活動に多くの支障を きたしたというのが、当時の役場職員の率直な感想である。そのうえ、夜昼なく避難所に

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出入りし、住民の顰蹙を買ったマスコミ関係者も少なくなかった。はては、避難者の留守 宅に勝手に入っていた、などという人もいたようである。こうした取材態度は、住民の目 からは傍若無人としかみえないが、その後も、86年の伊豆大島噴火や91年の雲仙普厳 岳噴火のさい、これに類したことを筆者は住民からしばしば聞かされている。また、93 年の北海道南西沖地震で壊滅的な被害を受けた奥尻町のなかで、家族を失って茫然として いる遺族に無遠慮な取材をしたなどという例もあり、これも被災者たちの評価はきびしか った。 もちろん、災害直後の修羅場のなかで多くのマスコミ関係者は真摯に仕事をしていると 思うが、一部に逸脱者がいれば、住民はマスコミすべてを批判するのである。その意味で は、災害現場の取材のありかたやそのルールを、マスコミ業界全体の問題として考えるべ きかもしれない。 次に、報道面をみると、たとえば1989年の伊東沖海底噴火のときのように、空きビ ンを割って地震で壊れたビンとして放送したとか、91年の雲仙普厳岳噴火のように、付 近の犬を撮影して避難住民に見捨てられた犬として放送したなどという例があるが、これ らは論外としても、被災現場だけを集中的に放映することによって、視聴者に現実より大 きな災害とイメージさせてしまうケースは、そう珍しいことではない(注14)。それは一 種の「センセーショナリズム」にほかならない。 1978年の宮城県沖地震は、その典型であろう。このときは、宮城県仙台市を震度5 の強震が襲い、死者12名、重軽傷者9300名という大被害になった。地震直後からテ レビは仙台市の惨状を大々的に報道し、その映像をみた筆者は、仙台が壊滅したような印 象を強く受けたものだった。しかし現地に行ってみると、大被害を受けた場所もあるには あるが、何の被害も受けず平常とまったく変わらない地域のほうが圧倒的に多く、テレビ 映像と実際の被災地とのあまりの乖離にいささか驚いた記憶がある。 もちろん、ある地域が大被害を受けたのは事実であるし、大被害となったその災害現場 をクローズアップするのはジャーナリズムとして当然のことであるが、それをくり返しく り返し放送するだけでは、市民に不正確な印象を与えることになる。災害放送としては、 ときには全体を俯瞰して、ここは被害が大きいがここはそれほどでもないというように、 災害の全体像を提示することも必要なのではないだろうか。 もう一つだけ例をあげたい。前にもちょっと触れた雲仙普厳岳の火砕流災害である。こ の災害は1993年6月3日に起こったが、突然発生した大火砕流によって、カメラマン やライトマンを中心とする報道関係者16人が犠牲になってしまった。かれらはすべて、 当時島原市長が避難勧告地域に指定していた島原市北上木場地区で活動していたが、その 多くは、普厳岳の地獄跡火口から落下する火砕流が何の障害物もなく撮影できるため、か れらが「定点」と呼んでいた場所で遭難してしまった。もちろん、それ以外にも多くのマ スコミ関係者が北上木場地区に出入りしており、たまたま大火砕流が発生したときに現場 に居合わせたかれらは、まさに不運としかいいようがない。 そしてその後、なぜ多くの報道関係者が危険地域に出入りしていたのか、について多く の議論があった。その理由の一つとして、より迫真的な火砕流の映像を撮影したいという カメラマンやライトマンの職業意識が、あえて危険地域に立ち入る行為をとらせたことは 否定できないであろう。もっといえば、他社に先んじたいという「特ダネ」を求める心理、 あるいは他社に負けるのは困るという「特オチ」を恐れる心理がなかったとはいえないだ ろう。実際わたしも、現場で火砕流取材にあたった何人かのマスコミ関係者から、相当に 熾烈な競争があったと聞いている(注15)。 たしかに、モクモクと成長してたちまち空を覆ってしまう黒煙の映像は、火砕流の恐ろ しさをストレートに訴えるから、雲仙普厳岳の報道には絶対かかせないものにちがいない。 しかし、大災害が起こったのは火砕流が発生しはじめてから10日後のことであり、発生 当初ならまだしも、そんなに長いあいだ火砕流を撮影するために危険地域に立ち入る必然 性がどれほどあっただろうか。この時期には、地元住民の避難生活もかなり長期化してお り、避難にともなう問題もいくつか起こっていたから、取材すべきテーマはほかにもあっ

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たはずである。実際、現場では火砕流ばかりを放映する体制に疑問の声もあがっていたと いう。しかし結局、それは隠れた声にとどまってしまったのである。 (2)災害報道のニュースバリューとは何か 本論の冒頭で触れたように、今回の阪神・淡路大震災でも、マスコミに対する評価はき わめて厳しかった。一般的にいえば、被災地である神戸の放送局や新聞社は、職員と社屋 が相当な被害を受けたにもかかわらず、地震直後から必死に活動して被災者の立場からの 放送に徹したと高く評価されたが、他方、東京や大阪から乗り込んだマスコミに対しては、 被災者の辛い気持ちをまったくかえりみない取材態度だとか、首都圏が大地震に襲われた ときの参考にしたい思惑が見え見えの取材だ、とかいう悪評が少なくなかったのである。 とくにヘリコプター取材は、その騒音が倒壊家屋の下敷きになった人たちの救出活動の妨 げになったとして、現地での評判はいちじるしく悪かった。一言でいえば、「報道の倫理」 が問われたということである。 もちろん、報道機関がまったく無頓着だったわけではなく、取材上の注意事項をまとめ た小冊子を記者に配ったり、早朝・深夜の避難所取材を控えるとか、インタビューの無理 強いをしないとかいう文書を現場スタッフに配付した放送もあった。ヘリコプター取材に しても数日後からは極力これを控えた社もあり、けっして無神経だったわけではない。し かし今回の震災では、報道倫理に対する報道機関の配慮にもかかわらず、こうした配慮が 完全に浸透していたかとなると、必ずしもそうではなかった。筆者が見聞きした例だけで も、「余震に注意して危険物に近寄らないように」と視聴者に呼びかけながら、自分は崩 壊した高速道路の上で放送していたレポーターがいたし、生き埋めになった人にマイクを 突きつけるという信じられないようなシーンも、テレビから放送されたのである。 このような取材マナーの悪さや報道のセンセーショナリズムは、災害報道のニュースバ リューとは何か、災害報道では何を優先して伝えるべきか、という問題と深くかかわって いる。自然災害による死者は交通事故の死者よりはるかに数は少ないが、一度に大量の人 命が失われるから人々の衝撃は大きく、したがってニュースバリューも非常に高い。いき おい、被害の強烈さや被災者の無惨なようすが強調されることになる。大被害を受けた場 所だけがクローズアップされたり、遺族が無遠慮なインタビューを受けたりするのは、そ の現われであろう。また、テレビは「絵になる」ことが重要だから、自然現象の凄まじさ を迫真的に撮影することにもつながる。雲仙普厳岳報道がその典型的なケースだし、暴風 のただなかを戸外で実況したり、津波来襲の現場で中継したりするのもその例である。 しかし、災害報道はそれでいいのだろうか。地震や津波の観測体制、土木・建築構造物の 耐震強度、応急医療体制、住民の避難対策などをふくめた都市防災の現状や問題点、被災 者の状況や今後の生活を含めた復興のありかたなど、地味だけれども重要な問題があるの ではないだろうか。今回の震災でも、新聞を中心としてこうした報道は少なくなかったが、 ややもすれば震災後の数日間は高速道路やビルの崩壊現場で興奮して絶叫するレポートが、 またその後は避難所における被災者たちの絶望を伝えるレポートが優先していたような気 がする。筆者はどんな災害現場に行っても、なぜこんなに災害が拡大してしまったのか、 被災者はどうしてこんなに気の毒な状態におかれているのかと疑問を感じることが少なく ないが、災害報道は被害の生々しさを強調したり、ショッキングなシーンを追及するばか りでなく、もっとこうした地道な問いを追及すべきではないだろうか。 また現地では、マスコミは災害が起こるとまるで津波のようにドッとやってくるが、時 間が経つとたちまち何の報道もしなくなる、ともよく聞かされる。阪神・淡路大震災では、 多くの人がまだ仮設住宅暮らしで将来の生活の見通しさえ定かでないし、雲仙普厳岳の噴 火災害もまだまだ終わっていない。奥尻島もいま復興のさなかで大きな問題を抱えている。 災害放送は一過性のものではなく、もっと息長く長期的にこうした事態の推移を伝えてい くべきではないだろうか。 6 災害放送の総点検を

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(1)初期報道の問題点 最後に、今回の阪神・淡路大震災において、放送局がどんな放送を行い、かつそこでどん な問題が顕在化したか、について見ていこう。まずはじめに触れたいのは、災害初期にお ける放送の内容である。 放送局にかぎらず、大災害に遭遇してマスコミがまず第一に行うのは、どこにどんな被 害が起こったか、どの程度の人的・物的被害が発生したか、という「被害報道」である。今 回の震災では、その被害報道はどうだっただろうか。テレビ・ラジオの初期放送についてい えば、少なくとも地震から2、3時間のあいだは大災害につきものの緊迫感はあまり感じ られなかった、というのが筆者の率直な印象である。 これは、NHKも民放も大同小異だった。たとえばNHKテレビは、地震直後から放送 を開始してすぐ各地の震度速報を行ったが、被害状況はなかなか明らかにならず、当初は 軽微な被害が伝えられるだけで、後に判明したような大被害を示唆する情報はまったくな かったといっていい。夜が明けるにつれてだんだん被害情報が入ってきたが、それも最初 は老婆がケガしたというような情報が主体だった。そして、ようやく7時10分頃に高架 道路が落下したという情報が伝えられ、33分に神戸市内の火災の映像が、また47分に 神戸市三宮の建物被害の映像が流される、という状況だったのである。地震のため1人が 死亡したという被害がはじめて報道されたのは、7時35分のことで、このとき地震発生 からほぼ2時間近くが経過していた。 このように、初期のテレビ放送はもう一つ緊張感に欠けるものであった。その最も大き な理由は、被害情報の収集がなかなかはかどらなかったことにある。もちろん、情報収集・ 伝達のプロ集団である放送でも、大災害が起こったとき被害の全貌をすばやく把握するの はむずかしい。職員の負傷や機材の損傷によって取材能力は激減するし、交通の途絶や電 話の輻輳がそれに輪をかける。しかも、今回の地震はまだ夜が明けない早朝に発生したこ ともあって、その活動には多くの制約があった。このことが、被害情報の収集を困難にし てしまったのだが、もう一つ、今回の震災被害があまりに大きかったため、被害情報を警 察・消防・自治体など公的機関から取材するという、いままでの取材の原則ではとうてい間 に合わなかったという事情もあった。 地震当日、筆者はたまたま大阪市に滞在していたので、友人に民放ラジオを聴いてもら い筆者はNHKラジオを聴いて、その放送内容を比較してみた。その結果、少なくとも被 害報道に関するかぎり、迅速さの点でもきめ細かさの点でも民放ラジオが一歩リードして いたように思った。これはおそらく、民放各社が平素リクエスト番組などを通じて培って きたリスナーとの関係が生かされ、リスナーから電話で伝えられる各地の被害状況を逐次 放送していった、ということであろう。つまり、リスナーが自然発生的に災害情報のモニ ターとして機能したわけである。一方、NHKは被害報道にやや慎重であり、基本的には 記者による独自取材と、警察・消防・自治体などからの公的情報に依存していた。そのこと が、民放ラジオのほうが被害情報がきめ細かいという結果につながったのではないだろう か。 もちろん、リスナーからの報告を確認手段もなくそのまま放送するのは、誤った情報や 不正確な情報が電波に乗ってしまう危険がある。しかし一方、偶然性に依存するとはいえ、 各地の被害がいち早く入るというメリットもある。こうしたデメリットを最小にし、かつ メリットを最大限生かすためには、平常時から信頼できる人物や組織に「災害時の情報モ ニター」を事前に依頼しておき、いざ災害が起こったらそのモニターから逐次情報を得る 仕組みを作ることが望ましいのではないか。災害時には一般加入電話が輻輳してしまうか ら、モニターからいかに情報をとるかという問題はあるが、アマチュア無線や携帯電話な どの活用もふくめて、ぜひ検討してもらいたいものである。 (2)放送による安否情報・生活情報の提供

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次に、安否情報と生活情報について触れていきたい。前述のように、安否放送は、19 64年の新潟地震からスタートして以来、多くの災害において行なわれ、その都度、視聴 者から高い評価を受けてきた災害放送システムである。 今回の震災でも、NHKや地元神戸や大阪の民放各局が数日間にわたって安否放送を行 った。とくにNHKは教育テレビやFM放送によって全国向けに安否放送を実施したが、 この全国向け安否放送は大きな意味があった。神戸のような大都市では全国各地に友人・知 人がいる。そこで、震災を聞いた被災地外の多くの人が神戸近辺の友人・知人の消息を心配 して電話に殺到し、そのため神戸に向けての電話が異常に輻輳してしまったが、全国向け の安否放送は、こうした人たちの心配や不安をいくらかでも解消し、結果として電話の輻 輳を緩和したのである。 また今回の震災では、地震の当夜から、神戸市・西宮市・芦屋市を中心に、30万人以 上の人々が避難所で不自由な生活を強いられることになった。そして当然ながら、食料や 水や毛布はどこに行けば手に入るか、怪我やインフルエンザなどの医療体制はどうなって いるのか、電気・ガス・水道・交通はいつ復旧する見通しなのかなど、震災直後に被災者が 必要とする情報はきわめて多かった。しばらく経過した時点でも、仮設住宅にいつ入居で きるのか、子供の学校はいつから再開するのか、倒壊家屋の瓦礫の撤去はいつ可能になる のかなど、知りたい情報はそれこそ山ほどあったはずである。大都市を巨大災害が襲って 大量の被災者が出る場合、被災者が求めるこうした「生活情報」をどう提供したらいいか、 ということが震災後に大きな問題となった。 しかし残念ながら、兵庫県内の多くの自治体では、住民への広報メデイアが決定的に不 足していた。しかも、停電によってテレビは視られずラジオを持って避難した人も少なか ったので、電気が復旧するまでマスコミ情報からも遮断された人が多く、これらの人々は まさに情報飢餓の状態に置かれてしまった。ようやく地震の2、3日後から、放送各社が 電気の復旧した地域に数千台のテレビ・ラジオを配ったため、被災者の情報飢餓はしだい に解消していき、地震後一週間頃から神戸市、西宮市などが避難所に広報紙を配布するよ うになるまで、被災者はもっぱらマスコミ情報に頼るだけの状態であった。また、多くの 情報ボランテイアが避難所を中心に、生活情報を掲載した独自の新聞を制作して配付した ケースも少なくなかった。地震直後に行政機関から被災者に向けてほとんど生活情報が提 供されなかったというのが今回の震災の一つの特徴であり、その穴をマスコミやミニコミ が埋めていたのである。 (3)安否放送・生活情報放送の限界 このように、マスコミが提供した安否情報も生活情報も、被害報道とはちがった意味で 大いに被災者に貢献したといえよう。しかし、今回の震災ではこうした放送形式の限界も また明らかになったのではないかと思う。 たとえば安否放送についていうと、放送局の呼びかけに応じて視聴者から安否放送の依 頼が殺到し、とても放送だけでは対応できなくなってしまった。一例をあげると、NHK には全国各地から安否放送を依頼する電話が殺到し、最終的にはおよそ5万4000にの ぼった。そして、このうち実際に放送できたのはほぼ半数の3万だったという。大量の積 み残しが出てしまったのである。その後、いくつかの新聞も住民の安否情報を掲載したが、 最後は新聞のほうが早かったという話もある。膨大な数の被災者が生じる大都市災害で安 否放送が十分できるだろうか、ということは以前から心配されていたが、やはり心配が現 実のものになってしまった。 この点について、筆者は、将来また起こるかもしれない大都市震災に備えて、いままで のような安否放送だけでなく、もっと総合的な安否情報システムを考える必要があると思 っている。たとえば、行政とマスコミと通信事業者が連係して被災地の外に「安否情報セ ンター」を作って、そこに多数の電話回線を設置して安否を気遣う人に電話するよう放送 で呼びかける、その後このセンターで安否情報の地域別分類などをして、その情報を放送 局が流したり、新聞記事に掲載したりするのである。今回の震災が安否放送の効用と限界

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