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貨幣學説の辨證論的考察(二)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

国 名 目 蓋 義

一名目重義の 成立

アダム・スミスの大著囲富論の出現とクナツプの﹁貨幣固鹿詮﹂︵G.F小Knapp︰Staat芳heTheOrie告sGe−des︶の 詮刊とは共に貨簡単詮史上特筆犬舎すべきものであり、叉貨幣革詮牽展上の輪回鮎をなしたものである。 アダム・スミスは﹁財産が貨衛即ち金銀より成ると小ふのは俗見である﹂といふ。この俗見とは象徴主義のこと へである。ところがクナツプは﹁自然人は金属主義論者である、之に反して理論人は名目主義論者たるに甘んするそ れ−は慣値軍位は貨幣畳であるといふ走轟をなすこと空荷に不可能なことだからである﹂︵S−aatl富1トeOrieJ2Ⅷ Gel骨s・一u・ぎf=賀●S・p︶といふ。此の南紀は昔々に次の様なことを教へてゐる、即ち一時は貨幣論上一世を風靡 した様な偉大な思想でも、をれが摩凡になり、叉同時にその概念を使ひ慣れることによつて陳腐にな.つ、て仕舞ふ 港のであるといふごとでゐる。 アダム・スヾスでもクナアブでも何も全然新規薇貨幣論を創造したわけではない、只彼等が向つて待った虚.の 第こニ・奄 第血H兢

貨幣学説の蹄讃静的葛藤 ︵二︶

六三四〇︶ 五〇

(2)

敵の概念界が既陀老衰してゐ牒ので之を破壊したのである。文盲い考が特に誤つてゐたのではないb夫等は最早 漏りで立つ七ゐることができない様になつてゐたので、新しい思想的支柱が必要になつたのである。賛際古い思 想では最早統御することのできない幾多の新しい課題が硯はれて雅たのである。放て名目主義の萌芽は眈に最後 の偉大なるマアカンテイリストといはれるジェームス、・ス≠エアートに於いて認めることができる。併し常時は 金鷹主義が旺盛であった焉めその帝芽がのびることができなかつたのである。 金属主義政永示問象徴的な考へ方を全く排除することができなかつた。この象徴的な考へ方は古曲ハ革涜の金展 主義的貨幣論の中へぼかり淀みこんで行ったのではない。後代の有名な単音達の頭脳の内へも入って行った。カ ントKヨtでさへも貨幣は目的を達する手段セあつて、商品とは反封にそれ白身に偶倍を持ってゐるものではない といつてゐる。 今名目的な貸簡親を抱いた人々を歴史の中から二三拾ひ上げてみると次の様な人々がある。 フィヒテFichteは彼のふートピアを書いた﹁封鎖的商葉蘭豪﹂の申に於いて贋儲憤億のない貸簡を論じてゐる。 叉アダム・ミラファ迂aヨきじすは﹁貨幣新設﹂︵くersu盲eeiコe﹁コeueコ↓Je。rie計sGe昏s・一等ごに於いて、金属鋼 片が貨幣となるのはその量目や純分によつてなるのでは恐く、一定の虚転於いて之竺先の名柄が輿へられると せ即ち図法と戎意味でめ潜婚をなすときに貨簡と凌るものであるといふ。彼は貨幣を以って経済といふ有機鱈の 山部分なりと考へ挺。即ち﹁園家といふ有機鰹の中にあつて貨幣はその血液である﹂といふ。かくして彼は貨幣を 授魔凝裸の明記協商考察 ︵三四一︶ 義一

(3)

」 ︵三囲二︶ 五三

第三螢 弟四披

以って凡ゆる慣傭の象徴であると周時に叉経済の象徴であると考へた。﹁国家は、人間の本性に適癒する多くのも のゝ内的精面的統一の生命を表現するものであり、樺利はその法的表現である、それと同様に貸簡は之が経済的 表現である﹂といふ彼の言草は最もよくこの思想を現はしてゐる。フーフエラントHufe−a宜はその著﹁貨幣論及 貨幣流通論﹂︵﹁ehre<。ヨGe左uコdG監uヨーau巾こ∞︼p︶に於いて貨簡は事物に剖して交換憤棺疫頼って通るが、使 用憤値嶽必ネしも持つてゐるもめではないといふことを詮いてゐる。彼の考では貨幣素材は内在慣船脚ち費用偵 佑を硯はすものセあるが併し之は貸簡の交換偵備には左程大切なものではないのである。彼は交換憤備を以って 使用偶他に基くものとはせず。之を敢命的葛篭に塞くものであるとなした。ザミュエル・オツベンハイムSかヨ仁e岬 ○葛eコheすはその昔﹁饗梅の性質﹂︵DieコaturdesGe︸諸s●忘ひごに於いて、貨幣は消費物たるその貨幣素材によら‘ て造られてゐるけれども、その貨幣は結局その貨幣佃片の使用機柏とは猫立に、その購削貝力と交換償植とを持っ てゐるものであるといふことを蓮べてゐる。 ところが之等の考は剛般に問題にされないか、又は全然荒暦無稽の詮となされて仕舞った。例へぼカール・マ ルクスの如きは貨幣を囲単なる象徴と考へる思想を排斥して、その商品の中に具鰭化してゐる配合的事嘗を人間の 得手勝手な反省の川窪であると考へるのが刺々の鋲謬であるとなした。︵Kaこ芸当吾DasK旦巨︼.芦︼00芦S●讃︶ 叉ロッシアーは丁度骨賛品でも蒐集する様に、貨幣は軍なる象徴である、即ち富の挽膿であるといふ言葉を、古 い時代から拾ひ集めてゐるのである。︵W・R。Snh2r︰Grundla笥コderコatぎal。kOコ。ヨ仰eこ・ぎ巾=∞翠S・N∃・︶

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然るにこの金属主菜論者が異端邪詭となす詑が仲々押しっぶされて仕舞はないで、香反ってその金思量量の申 へ入り込んでその鋭鋒を挫くに至ったのである。即ち昏々が発きに金屡主義の所詮盈述べるときにいった様に、 此の金属主義が棚方では貨幣と貨幣素材とを根本的に区別するに至り、叉地方では茸鰭偵他の概念セは不充分な のを覚って、職餞偶植わ概念を導入するに至り、そして或程度迄名目主義と安協をする様になつたのである。か くして徐々に名目主義的な考が生れて釆たのである。そこで商品の概念と貨幣の概念とが益々距って来る様にな り、更に吏金属は商品であるが貨幣は軍なる憤値象徴であるといふ考が益々明瞭に理解さる様になつた次第を考 へて見るのは賓に面白いことで挙る。此の畿展進化の道程を辿って、金屡主義と象徴主義との綜合ができ上った、。 かくして名目主義が完全に生れ出て釆たのである。 我てこの名目主義匹夫潮蘭檻分れて援展して釆た。それは岨般的貨幣理論の方南と特殊的本位論の方南とで ある。この両者は互に密接な躇係を持ってはゐるが、併し叉二万に於て雨着の問に厳密な区別の存するものであ る。即ち前者は叫猥的な赦命的及経済的の現象として賀僚を考察するものであり、後者は特殊形態の貨幣即ち貨 幣の法的性質を考究するものである。 この名目主義が篭展して氷るに貰って先駆をなしたのは本位諭の方である、何故かといへぼこの名目主義の政 和の思想的大建欒の土基をなしたものが法制史と法理論とであり、叉之を迫り上げた思想家が経済輩よりも汝律 箪の方の紬の人であつたからである。この名目主義の建設者が法律軍畑の人であつたといふ偶然的な事柄の為に 選解撃設の釈㌍弘洞約考察 ︵三四三︶ 五三 だ攣

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孝三懸 磨四披

三内四︶ 五四 メス その場合用ひられる定義がすべて法律箪的であ牒之が、解剖刀の様な銃さを以つ七、やつと組織立つてゐる様な 経済車的な考を容赦なく切り刻んで仕舞ったので、政初はこの名唱主義は、貸簡の経酒輿的研究を或は不可能た するのではなからうかといふ危険をさへ感ぜしめた。 放て名目主義の建試着クナツプの直接の党駐者達の中には本位政策的な時事論に主力を注だ者 − オットー・ ハイン○芽〓eyコは之が最もよい代表者である ー と、貨幣債務の本質佐幽して法埋論を開かはした人々とがあ る。この後の問題に封する単著達の意見は、本位制度欒更の場合に於ける貨幣債務の内容如何といふ問題に勤して カえ・ 彼等のとる態度の申に最も明瞭に硯はれてくる。即ちこの場合に債務者は、最初金を借りたときに、その借りた カネ 金朗の金が持ってゐセと同額の金属盤に勤して債務を負ふものであるか、又は立法者が僧侶単位の素材的内容を どうき 蕊が牛滅しても︶それには少しも頓着なく、只偵倍聾位の額︵五園とか十固とか︶だけの偵務を負ふものであるか せいふ問題である。 二 貨幣債務の名目性に閲する諭軍 ローマ法では貨幣併務の本質はその債横倍務が宥膿物たる叫先の銭貨を封象とせず、数蕊をその封象としてゐ る鋸に存するものと考へられてゐた。それからマアカンテイリズムの貨幣観かち次の様な法律的名目主義的慣鱒

(6)

I

協が出てきた。即ち鋳貸に刻印を押捺する地主は、その銭貨を通用させる棟利と賛力とを並せ有するものである

退いふ考から出費して、絡ひ把銭貨¢、申に食まれてゐる金属の分蕊はどうでもよいものに考つて、表面打刻印、

如ち幽寂の法令のみが大切なものであるといふ結論をなす考である。併し之はマアカンテイリズムの象徴主義か

ら出て釆たのではなく、寧ろ常時必要であつた魔の財政的貨簡政穿から出て釆たのである。

然るに十六世紀及十七世紀に至って、この根本原理匿封立して、金屋の合有患が貸簡債務の内容むなすものせ

思るといふ考が起って釆宅之に勤して為政者は貸簡は宵偵を持ってゐなくても、之を持つ可能性によつて名首的

旗借で通用するといふことにしやうとしたが、法撃者達は貨幣内容が大切夜といつて聞き入れなかった。曾dler 白esnhwaコkuコ笥コdesGe−旨eユesuコロd⋮2j∈致sc卜2﹁蔓eく〇コd2コいeldscトu−deコ● COコr乳sLahrbuc訂r.︼望.S. 訟q参照︶ その後ザヴヰニイSaく官yが貨幣依務の内容に関する仙つの新設を桝へ出した。この詮は克蝕めて金属主義

的な様に見へるが、或鮎では象徴宅童的であり或は名目主義的である。彼は文挑手段に就いでその名目憤倍と金

歯低位と流通低値とを置則した。扱てその名目憤借といふのは図表の意図によつて貸奮摘片に附興される低値で

透り、その金属侶倍といふのは賀聴摘片の中に合せれてゐる純金や純鋏の畢畳の慣値であり、叉その流通償態と

いふのはこの真珠手段即ち名目慣倍の罫位と交換して得られる虞金属畳のことである。

ザヴヰニイの畳んじたのはこの名目償値でも、金属僧侶でもなく、流通償借であつたのである。即ち彼の考に

農常襲設の開設論的考賂 ︵三川五︶ 五五 一_.」遥

(7)

第三穏 欝四航

︵三望ハ︶ 空ハ 依れば貨幣といふの些成東力﹂であり、又は﹁抽象的財産力﹂であるから、人々が此の文沸手段を用ひて構払得a

ところの物が大切なのである。そして彼は、この購買力は、貨幣従って貸簡憤倍翠位を以て購ひ得る金銀の分盈

征伐って最もよく云ひ硯啄し待るものであると考へた。そこで彼の考によれば貨幣依務の内容をなすものは、位

務教生の常時に於ける負債金額にて購入することのできただけの貸金璧盟なのである。紙幣は元来金屋憤棺を商

ってゐないけれども上述の珊由によつて、此の紙鰭を以つてしても支緋ができるのであるq

ザヴヰニイが貨幣を以って抽象的財産力と僻する限り、彼の所詮は名目主義的である。叉之によつて彼は貨幣

の内在償佑の考に隋らなかつたのである。又それと同時に彼は、貨侍⋮単位と貨幣債務との問の密接な闘係以外の

邸は仙向研究しないところの港律的名目的償砥論とは離れて行った。従って彼の考は往時の金属僧佑紛の立つで

ゐた法律改発的な山肌場に趣く接近して釆たのである。

このザヴヰティの流通償依設は、昭乙の法蓼界を永い問支配してゐた。言〓usrehヨココ︰DieGeideコ什wertuコ唱 a訂G。S“tN笥gコ旧S苫b−eヨdesP﹁志叶r2nhtsこ治山l参照︶ ところがこの訟は之と外見上よく似た、例へばベッカア 暦k訂rなどの詮く、金属偵帖誼と同様に猛烈な敵剖を受けたのである。この桐詮共に同じ様な諭桜でハルトマン H邑ヨaココやヘルフェリツヒ〓e野ichに奴判された。その第∵の論墟は金屋償値甜が成立つとすると、名目上叫克

⊥七ゐる金銀依務を決済するに必要な貨幣胡が常に絶えす欒勤して嘗際上煩遭に堪えないことと、叉従って信用

によつて辿りあにてゐる経済がそれ.によつて全く混乱して仕舞ふだらうといふことである。嬰石論披は踏んど

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放ての囲に於いて法制的嘗際的に取扱つてゐる仕方や叉現行法が金属償倍詑に反してゐるといふことである。何 故かといふに立法者が名目侶倍詭を念頭に置かないで法を立案してゐる様な閲は極少数の叉あまり大切でない例 外たるに過ぎないからである。かくしてハルーマンは次の様な結論に達した。即ち﹁法律上の大いさ︵横棒額とか ▼ヽ 債務額といふ様なかさを硯はす︶としての貨幣はその本質上、金銀と共に消滅し生起する様な具合に、この個々 の金銀に依存してゐるものではない。否寧ろ之とは離れて、別の金属を持ってきてもその罫位で以っていひ硯は すことのできるものである﹂と。ヘルフ︻︷リツヒ︵Helf野i賢DasGeln−N.ぎコ.︼望〇.S●uぃぃ.︶はこの考に賛し次の 様にいつてゐる。即ち﹁時貨或は紙幣が法律上の支彿嬰具として認められてゐる虚ではどこでも、貸簡依務の内 容をなすものはう一定畳の金属の持ってゐる厩伯に應じた働らきをなす度合であるといふやうなことはない。否 むしろ貸簡債務の判衆たるもるは、名臣慣倍によつて幾ら々々ときめただけの偶数の貸簡であり、そしてこの貨 簡は法制によつて法律的玄親密段たることが認められてむり、叉同時に法制によつて鵬先の名目慣棺と仙先の通 用力とを附興されてゐ嵐ものである﹂と。

三 名目主義的法砕的貨幣説

上述の貨簡低頴の名目性の思想からして、クナツプ誉appは彼の茸幣固定詭を打ち建てた、之は賛に驚く可き 程建築塾に設計された串間の殿堂であるd 斑幣撃説の粥緒論的考察 ︵三四七︶ 玉セ _⊥云盛

(9)

︵三四凡︶ 五入

好三食 第四兢

クナツプは自身で、自分の詮は十九世紀を通じて主要な文明園に於いて行はれね立錐制度に紺する法制史的事 苦を猫断的に綜合大成したものであるといぅてゐる︵図表箪鮮血ハ、第三版、第囚奄、六叫○貰︶。次に彼の所詮を 梢詳細に述べてみやう。 放て党づ貸金屡は商品である。そして尭はこの商品で文雄がなされたのである、ところが我が文明拷問に於い 宅は全然別個の支沸手段を用ひるやうになつた。即ち人々は商品引渡取引をやめて、今や記耽個片を引渡すこと によつて文殊をなすやうになつた。併しこの記紀個片には慣惜叩単位でいひ硯はされる一定の通用力が法制の構成 により附興されてゐることを要する。此の佃片をぼクナツブは﹁表葬的玄沸手段﹂即ち貨幣と名付けた。 従って彼の考によれぼ貨幣概念は貸簡素材の性質とは何等銅係がないのである。だから貨幣が金で出来てゐや うと、鋏で出来てゐやうと、又は紙でⅢ衆てゐやうと貨幣概念には叫向相隣のないことである。 そこで貸衛概念には只次の二要素のみが含まれてをればよいのである。換言すれぼ文坊手段の表券性は次伊二 要素より成ってゐるのである。第∵はその支副手段がマトクとかフランとかルーブルといふやうな僧侶軍放でい ひ現はされるものであること、第二はその支挑手段が図法により通用すること、即ちそが﹁室一日的通有力﹂を布し 七ゐることである。 然らば償倍罫位とは何かどいふに、それはクナツブに依れぼ金属の償佑とは何等関係のないものである。だか らマークとは純金叫封虔の千三宵九千五分の叫であるといふやうな風に定義することは全く邪路に躇み迷ったも

(10)

適用することができるのである﹂と。︵KコaPP︰Staa芳he↓hハ。riedesGe︻des、S●欄●︶ 貨幣瞥詮の粥詑論的考寮 のである。それであるから仮令金箪本位が叫般に採用されてゐる婁合でも、償値軍政を目して叫先の金属盤であ るとなすのは間違ってゐる。この偶倍賞位は寧ろすつと以前に既に名日的になつてゐるものであつて、之は膳史 的に定義される概念であり、又法制に依存する概念である。よつて例へばマークといふ低値箪位を定義するとき は、仙 マークはその以前に行はれた憤倍軍位クーレルの三分の瑚であるといふやうな夙にいふペきものである。 然らばこの貨幣が玄孫に充常することのできるのはどういふわけであるか。クナツプは之に封しても亦、その 貸鶴が素材憤値を持つてゐるからだといふやうな班由を撃げない。金本位が採用されてゐる場合には貨幣と金と は相伴ってゐて、技術上鑑啓上の根抜からはこの番は大切なことだと考へられるかも知れぬが、法律の立場から 見れば全くつまらない事柄である。何故かといへば蒜竃奮が支沸力を有し、通用力を有してゐるのは、法が之 老朽たしめてゐるからであ軒、叉特に、その法が貿偶によりて債務を桝臍すべきことを命じてゐるからである。 叉貨幣そのものはどうした.つて商品ではない。だから貨幣の償値とかその内在憤佃とかいふやうなことがどうし ていへやうか。成程貨幣素材には慣値があり得るであらうが、併しこのことは貸簡そのものにとつては叫向関係 のないことである。クナツプ自身は叫般にこの貸簡憤備に関して別に述べてゐないでひたすらこの概念を排斥す るにつとめた。即ち次の様にいつてゐるのである﹁吾々は慣倍といふ概念を支沸手段そのものに、従って︵文責碁 的支梯手段である︶貨簡に適用してはならぬ、この概念は只それ自身支沸手段でないところの事物に封してのみ ごこ四九︶ 五九

(11)

苑三▲奄 箔四晩

︵三五〇︶ 六〇 かくしてクナツプは低値といふ汲も重要な釈臍革的根本概念を考察の埼外に放逐して仕舞った。之は彼の著者 の国頭にぃつてゐる﹁貨幣の理論は只法制史的たり得るのみ﹂といふ言草によく應じてゐる。それでこの主張は 貨幣が法律生活の山現象であり、叉法律によつて制定された本位貨鰭であるときには正しい主張なのである。と・ ころでクサツプは文殊手段たるもの全部を貨幣と考へず、只法規によつて通用力を附興された支彿手段︵即ち奉 券的文殊手段︶のみを貨簡と考へてゐるから、その朗論の首尾は叫賞してゐるわけである。兎に角右の如くで奉 るから彼の貨緒論はその定義からいつて本位諭に外ならない。尤も彼はその他の文殊手段にも開設し、金属称盈 剃とか、振替支細といふやうな特別の一貫賀を用ひて之をい払規はさうとしたが、それは附けたりに過ぎなかつた のである。 然るに彼の反到着が慮しくも主張したやうに、貸髄は革に淡律的な番賛に止まるものではない。丁度婚姻が軍 なる契約以上のものであり、従って法規的な見方を施しただけではその本質を理解することができないと同様に 貨幣も亦本位貨幣だけに止まるものではなくして、それ以上に髭臍の根本現象であり叉仝赦禽生活の基本現象な のである。かくして経済的貨幣論はクサヅプの天才的な法律詮によつて日蔭に押し込められてしまつたが、それ でも彼の朗詭は極めて包括的なものであつた馬め、健也な地位を占めるごとができなのである。

四 名−目的経済的貨幣説

(12)

扱てとの名唱垂範が港律認め濁へ方から離乳て艇臍詮花立榊Lても葡萄展も簡るもわであるかどうかを考へる

化箇って、富々はクサツプ以前収濫、個入違量的・アトム的な経済親と、その反劉の普遍的・有機的な経済親と

わ二つの造を池つセ、童鞠明朝個諭の準へ方と数漫談の考へ茅之の二う濫敬挺してゐることを悪ひ合せるのであ

る。

丁度生物拳がその細胞かち進んで軍機櫻を理解するとともできるし、叉有械鰻の根底に械はる合計剖性から進

んで細胞を珊解することもできるやうに、漱愈輿的研究も亦、個人から進んで配合の概念に到達することもでき

れぼ、叉をの尿判の途を辿って敢脅や開家は個人の前乾布する⑬のと見ることもできる。放て主観的慣値給の根

痍には個人寺凝的な考察方法が横はつてゐる、従つて此の斯でそれは苗典的経済畢の正統を汲むものである、何

故かといへぼこの雨着共にその経済開係を説明する原理として個々の経済垂臆の動機とか衝動とかいふものを詮

くからである。然る打数宜詮は元々マアカンテイリズムの鰐内にできたものであるが、之は国家と結合した政令

をぼ第蒜ものと考へる。従って凡ゆる経済行程に軽消主鰭の意志決衰が過賞してゐるといふ様な考へ方を全然

排する。この数量詮にとつて大切なのは赦愈の意志であり、或はマアカンテイリストが自然法といふ言葉で云ひ

現はtてゐる様な、入間の合意である。ところが此の数蕊詠もその後竃血ハ蓼次の輿者によつて個人主義的なもの

陀改造され、又従って改蓋されて仕発った。

併し後に偲かくなつたといりても、敬敷設はその本来の意味から云って常に叫の普遍的な経済詮であるr。従つ 資願撃兢の題論約考霹 ︵三五一︶ 六一

(13)

第三食 滞四披

︵三軍〇 六二

てその本性上金属東亜に威さないで、象徴主義か又は名目主義に属するものである。何となれぼこの詮は、財の

偲髄と全財産力とが或叫先の原理に従つて如封立する療な関係を保つ赦脅登別拉として考へてゐるからである。

かく考へて来るとこの数最翼リカアドオやミゼスによつて改造されない形の敦盛訟︶とクナツプの貸愕国定詭

とが相似寄ったものであることがわかる。何故かといへぼクナツプの考では文挟共同鰹としての囲家の特質は輯

凌が貨幣に通用力を興へる鮎に存し、更に庸銀行券制度や振替制度に於いて、女沸取引を支配してゐるところの

私的文飾共同慣をも認めることができる∼クナツプ白身が之を認識してゐるからである。この支沸共同鰻の概念 偲エルスタア︵KariEIs好DieSee︻edesGeld仰S﹂∽N〇.S●山室︶が詳細に之を論じたが彼は次の様な結論に達した。

即ち﹁支彿共同鰻がなければ貨幣もなく支挑もない、又生産共同慣や消費共同鰻が硯はれて米なければ文雄共同

膿も考へることはできない﹂と。かくして彼は聖息識にではあるが。後に正統を汲む助産紛にも承認せられる匿

空つ挺通り、かのマアカンテイリズムの経済詭に接近して行ったのである。

次に千九百年に刊行されたジムメルの﹁貨幣の哲畢﹂︵Siヨヨe−︰Phi訂sO苫edesGe−des.︶に就いて、その貸得論\の

傷心を研究すると、そこに故畳訟の思想から名目主義が畿展し始めてゐるのを特に明瞭に察知することができるっ

ゼムメルは次の様にいつてゐる﹁貨幣と、この貸偶によつてその代位の文飾がなされるところの財とは全然別個

のものである。だかゑたとへ貨幣が財で造られてゐても︶貨幣の本質如何を問題とするときには、貨幣の筋二次

的性質を全然除いて、貨幣真申に貨幣として取扱はねぼなら聖と。ところが彼は之に附け加へていふ﹁この嗣者

(14)

は亙に同格の紬係にあるものである﹂と︵上摘書八六買︶。ジムメルの考では貨幣は﹁抽象的財産憤佑﹂であつて、 ﹁之は偶倍を構成してゐる事物の相封性を表明してゐるものに過ぎない﹂︵八八頁︶。﹁貨幣は直接に慣倍を宥する諸

の番物の間の偶倍闘係を表明するものであるといふことは、貨幣がその関係を厳楽して別の秩序を立てることで

ある﹂︵八九頁︶。史に﹁貨幣は財などのやうに直接之を車用することができないから、それ自身主観的関係を排す るものである﹂︵九八頁︶。貨幣は常に手段であり、象徴である︵九八頁︶。﹁人間の象徴を作る能力はこの貨幣によつ せ最高の勝利を博したのである﹂︵九九頁︶などといつてゐる。次にジムメルは貨幣は測定とか交換とか憤倍衣竃 と.いふ様な作用をなす為に、それ自身傾鯖を持ったものでなけれぼならぬかどうかといふこと、或は貨幣が貰憾

慣倍を持ってゐない単なる記放であり象徴であつた場合に、債倍を代表してゐる計界記既に惜砥がなくても劇向

英文へないと同様に、貨簡には番組偵値がなくても芸文へないものであるかどうかといふ間に勤して否定的に答

へる︵仙○〓貝︶。何となれぼ貨幣酎商品の交換範囲内に於いては現に流通してゐるすべての商品と現に流通して

ゐるすべての貨幣とが相封立する様に、すべての商品はその慣格と封嘉してゐるからである。併し﹁貨幣と商品

2が何等かの概念的即ち性質上の類似性を持ってゐるかどうかといふことは少しも問題にならぬ。今借りに或る 商品が二十mの慣を持つてゐるとする、そして之が貨幣紙蕊のエnに相常するとすれば叉之が財の地盤の一言の 償値を持ってゐることになる?何故かといへぼ財の放漫と貨幣の絶畳とが丁度よく相判應してゐるからである。

かくして貨幣と財とは全然性質の興ったものであつても、貸簡は財の慣倍を渕小龍することができるのである。と

他見幣撃調の据旛論前著療 ︵三恵三︶ ▲六三

(15)

第三懸 濁周敬

三五四︶ 六四 とろが若し個々の層軍資幣慣佑とが直援に等式を作るものと考へれぼ、商品とその尺度とが同叫の性質を持つ 可きものであるとなすことが尤もな要求の様に思はれる。併し寄賛は之に反七て、罫完が交換をなし横倍の決定 をなす焉には、凡ゆる商品相互の関係を決軍し、そして財の絶息と貨魔の放漫との聞に等式をつくちなければな ちぬ﹂︵軸〇六貫︶。 かく考へて来ると、貨幣の世界と具醒的な横倍の世界との関係はスピノーザの思惟と延長との闘係の様に、夫 々狗自の言葉で自己の全世界を表明してゐるものであるから、叫が他を促すことはできないのである。即ち低値 −般の路盤は事物の侶借の整凰に貨幣の櫓備の紘螢を加へてでき上るものではなく、之は山方では事物の形式の 坤に葦現し、他方では貸簡形式の中に窪現して来る一定の低値漫なのである︵瑚三五貢︶。 最後にジムメルはとう′∼ 賂ひに具鰹的な叉特殊的な低値となり、従って貨幣とは本来封立的な関係にある系列︵財の世界︶の中へ降って行 ってその償倍が需安供給によつて支配されるやうになるのである︵八九買︶。 即ち﹁貨幣は最初僧侶物であるから貨簡の職能を営むのであるが、後にそれが貨幡の職能を営むから憤倍とな るのである﹂︵一九二貢︶。 現代の敦盛詮論者は明かに名目主義的償簡論の感化を受けてゐる、即ち奴等がこの名乱主義に無雑作に同化す るといふことはこの開設の間に血脈の通じてゐることを示すものである.。

(16)

フィゥシアー︵言っ∽F溜e:heもurc甘siコ旧POWelO︷ヨ彗eyこ買・︶りはクオッズ陀恢つ七、慣播植成昨際して現

勢なのは貨愕侭片の﹁署空ではなくその﹁個数﹂であることを強調するや菩長比言の寄蜜を大いに重税しなけれぼ

ならぬ▲、。之は貨幣をぼ他の凡ゆる財から区別する梗準となるものであ少、叉他の財佗比較した貨簡の購買力の轡

療はこの番蜜の申に硯はれで来るものである。例へぼ砂糖に射する慾望は封皮で計った目方で云ひ現はされる。

ととろが貸簡にはかういふ性質はない。砂糖の偶値はその資際の分畳によりて左右される。今かりに砂糖の分螢

が百萬斤から二倍斤になつた場合に、︵その斤濫が百倍に敦つたのだからその概倍が百分の∴佗減少して︶百斤で 以らて以前.の一斤の債惜しか持つてゐないといふ様なことは起らない。ところが戎目方の〓旦同軍位の貨幣と別

の目方、の二∴日華解像とが相一致する場合には、名の箪位の慣備には欒りがないのせある。﹂

シネムベータア︵S生u⋮P2ter昌asS〇Nia官○旨k什uコロd⋮erR2Ch2コP紆ココi笥芽トiくfwSO−ialw訂seコSnhaftuコdSON嘗 pO≡芦Bd・壷・︼Ⅶ云\−00期戴・参照︶はクナツブの﹁固定詮﹂そのものには賛成しなかつたけれども、央張りクナツプ

やその笹沢の人々の示唆を及けて意識的に名目主義から揖凌してゐる。彼の考では貨幣はその﹁離合的意味に従

って見れは↑亭柴財に封する指国語である。すべての経済主鯉が自分の賀簡所得を考へるときこの所得にて得ら

れる財の立場忙立つて、即ち全く指国許の様に考へる、従って叉この新得によつて得られる蟹際の、いひか′へ・れ

ば自分の心理的所得の立場に立って考へる﹂︵六二壱東︶。﹁指圃詮調の立場にあつては貸簡の購買力が貨幣素材の

償倍以上、に上って布くといふ輿昧の探い遺がとざされて見えない′。貸簡は時として偶然に憤輝の充分ある素材字

貨幣嬰簸め明記諭的海産 ︵三立正︶ 六五. 一⊥遥

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︵三空ハ︶ 六六 第三巷 1尭由畢 り成ることがあつても、その本性上財ではない。﹂貸簡は購買力を持ってゐる、叉それがあるからその節有常によ って評慣されるのである。併しその購買力はそれが評憤されるといふことから出てくるものではない。﹂ 赦免詮に特殊の方式を輿へたととろの有名な喝興の経噴聾者カツセルnasselも亦名目主義に極め七接近t、てゐ るのである。彼は憤格計算手段即ち﹁抽象的計算尺慶﹂としての貨幣と、支沸手段即ち横倍移時の手段としての貨 幣とを峻別する。そしてこの貨幣が商品そのものの性質を持つことが少なければ少いだけ、益々純粋の意味に於 ヽt いて貨幣であるとする。叉彼の考では主観的慣倍は血の擬制た過ぎないのであつて、商品に就いてその慣格を云 ︳ヽ 為のは意味があるが、その憤倍を云残するのは不必要なことである。貨幣横倍は﹁血般的債楕水準り逆低値に外 ならぬ。﹂︵Casse−ニheOret訂nheSONialOkpヨ0∃華N●ぎコ◆︼軍●S●u芦︶何故かといへば貸簡によつて購ひ得る商品 や動労の分蓋によつて決定されるからであると。 次に普々が、クナツブの彼臓者達が彼等の詮をクナツプの様に法律詮に止めないで、経済詮として打梯てやう とした企てを考察して は結局教漫談を名目主静的に迫り上げ、従つて敬盈詮本木の象徴主義的な意味と結び付けて論じやうとするもの だからである。扱てそこでこのクチップの考の食も重要な文数も熱心な代表者はベンデイクセンBeコdixeコであ る。彼は元来が啓発家なのだから理論とか単詮史と′いふものには 済観から別姓した考を以つて熱烈な論法で名目主義を防無し、クナウプより前に既に之が労作を畿表してゐるの

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である。博問単著の様な偏狭な占ころのちつともない彼の人格が、明解にして思鑑洗い彼の態度に反映して、之 にまって彼は名唱王義を、新時代の総ての紅顔者に受け入れさせると迄は行かなかったにしても、兎に角之に考 慮を梯はせたのである。ベンダイクセンの経済詮をもつと徹底させたのはエルスタアである。又もつとクナツ才 と直接の働係の香るのはジンガアK呈S言erである。 扱て昏々が著し個人主義的認識原理と普通主義的認識原理とを共に同等の樵利を持つものと考へ、そしてこの 丙者が五に相封立はするが併し結局同一の目標を目指すととろの方法であることを認めるならば・今この雨着を 徹底すれば路ひに阿叫の結果に到達するもの放ることを蕾々は考へねぽならぬ。そして貰際上にも、主槻的偵値 改も益々名目卓論に傾いて行くのが見える、即ち今若し限界殺用の概念を相成的町案親的償値た適用すると、、こ の概念は慣格、所得、欲望状態といふ様忽、貨幣素材そのものの中には存しないところの要素に分解される?そ れで主観的憤借詮は金属主義から出て釆てゐるァそして此の詮は慣値の心理塾的分析によつて僧侶概念を研究し て行かうとするから、従って猫立の内在偵他の考昨到達しないで、かの数量詮の普通的考察法や、叉個人を抽象 した法律詮の思想によつて到達すると同じ結英昭なる。 葡ヴヰザアは叫九〇四年彗刊の﹁貨幣償倍とその歴史的欒化﹂ ︵W⋮eser︰Ge己wer;コdseiコeGe零hich芳heコ<eT 讐deどコ笥コ●−写ごといふ著書に於いて、﹁貨幣低値はすべての商品低値の絶反映﹂︵五六貢︶・セあるといつてゐるト のであるから、既に韮に上記の思想の肪芽を認めることができる。吏に此の思想は∵九〇九年刊行の﹁貨幣償倍 資鰐嬰詮の顆託論的考雛 ︵呈五七︸.六.七

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さ︼︻五入︶ 大入 第三琴 男.四観 箋その欒牝﹂︵Ge己w官uコds賢e<er凱邑e2﹀⊃乳三といふ論文に於いてもつと明瞭に硯はれてゐる。即ち彼はその ︵論究に於いて貨幣の﹁個人的交換横倍﹂を上に述べた棟な方法で、所得、低値、欲望状態といふやうな諸要素に分 腰L、貨幣の交換低値は貨幣素材の使用憤佑の中には見出すことができないといふことを強調する。ところが彼 血受、慣格の構成分子の山は貨幣低傭であり、他峰商品債倍の絶計であると考へてゐるから、貨幣の内在的客観 的低値をも全然棄て去つてはゐないのである。彼は山九〇四年刊行の著書に於いてかういつてゐノる、﹁相交る二直 ・線の中の山つを動かしただけでも、この二直線より成る角度に攣化を生する、それと同様に貨幣低値の大小も、 ︵若し之が貨幣と商品と開方面に銅供すること恰かも二つの直線が交って角を作ってゐる棟なものとすれば︶その 貨幣線の方を動かしても欒化するし、叉商品線の方を勤しただけでも欒化する﹂と︵粗入貢︶。併し彼が貨幣所得と 資質朋待とを勘立させ且つ之を同等に取扱ってゐるところからすれぼ、彼は名目主義に全然賛成してゐるもので 吾 ある。かくして彼は数盈詮に新しい且猫創的な方式を輿へるに至ったのである。 ゥヴヰデイネック墜貨幣低値決定根株としての朗綿形成に就いて↑ ︵く・Nw監ぎec鳶巳eberd訂E貫。ヨヨeコS乳 苦言コ色aisGeldwertbestiヨヨuコ℃讐uコn・・iコSchヨ。l百sLahrb︵1Ch,Bd・いぃ・︼㈹声S・ごu芦︶Lといふ論文に於いて、失 ・ 嶺主親的低値諭を名目ま養陀應用した。そして固定給の根本思想は限界赦用の概念と決して封立するものではな いといつてゐる?叉彼はヴヰザアよりも相成してゐて貨幣の内在的客朗的慣倍を轟然認劇ない。兎に角彼の東力 微ヴヰザアのと同じく低位の詮明に所得を潜って来た都にその意味がある。

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ヴヰツクゼル︵K.Wi算sel汀く。rlesuコ笥nuberNat仙。コa一。k。コ。ヨie、Bd・N﹂心因︶も亦限界効用詮の考へ方をす1め て行って、︵或は寧ろ利子と物伯との紺係を詳細に研究して到達した数量詮から︶貸借の内在的客観的偶倍を完全 に排撃し、かくして名目主義に到達した。彼は次の様に云ってゐる。﹁よく人々は貨簡の内在慣借で、商品間有の 慣佃を比放し之を測定することができる様に考へてゐるが、かういふ意味での貨幣の内應悦備は存しなとと。

五 慣値畢位ごしての貨幣

営々は先きに名目主義を以つて象徴主義と金属主義とを縮合するものだといつたが、その中には名目主義は、 二つの相反してはゐるが共に名目主義に合増しやうとするかの桐姿素を内に含むものであるといふ意味が含まれ てゐる。併し之等要素の合餞が未だ充分完成されてはゐないこと、云ひかへれば名目主義的思想は凡ゆる鮎に於 いて究極のところ迄考へ速されてゐないことがわかるであらう。それは貨幣論が今直面してゐるところの名目主 菜的経済詭の完成といふ大問題が未だ伺解決されてゐないからである。そして今や貨幣論は之が樹立完成に腐心 してゐることは預言者を侠たすして知り得る。 扮て発きに奇々が考察した様に、象徴主義はその根本原理を鼓張⊥過ぎて象徴の物質化に陥わ/、叉金属主義も それによつて低値測定といふことを物理的に解繹しやうとする危険に陥った。之と同じ様な危険が名官主義にも ある。即ち名目主義は、リーフマンの﹁心珊的鮭開設﹂のやうに、︵R.Lieぎaココ︰Ge岩雲d、G忠mこ望仇.参照︶貨幣を 箆照準訣の開設論約考察 ︵三玉九︶ 六九

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三六q︶ 七〇

第三撃 第西野

以つて、稀少性、即ち具健的の分螢に制限のあることとか、渡行政覚の力とか又その他すべての国家の影埋とい ふものを脱却した抽象的侶倍単位に過ぎないと考へる危険を率むであるL。リーフマンは次の様に云ってゐる﹁抽 象的計算罫位は現今すべての所得を計算し、すべての償倍の土喜となり、又益々贋い範囲に捗ってすべての倍額 の支彿にも発雷されるところのものである。貨幣がかやうな獲展を遮げると貨幣制度は国家の閥絆から脱して、 交換取引の嬰求に従ふや鳶になる。そして流通そのもの中からその流通に用ひられる交換手段とか交換方法が創 造されるとき、この畿展の目的は超せられる﹂士︵九七貢︶。昏々はかういふ考へ方に替戒しなけれぼならぬ。 ○ ◇ ◇ 以上に於いて余はワァゲマンの詮く慶を大凡挟りなく邦語にて再現し得たかと思ふ。今之を要約し、次の様な 閉式にて示し得るかと思ふ。 象 徴 主 義 貨幣=貴会厨=償借詑醜 金 屠 主 義 貨幣=資金厩=商品︵慣依託既に非す︶ 名 目 主 義 貨幣=憤佑記既 発金属=商品︵貨幣と商品とは別個のもの︶ 是に由つて見るに名目主董は象徴主義からは﹁貨幣=慣借記紀﹂の考をとり入れ、文金屈主義からは﹁資金屠‖ \ 軒品﹂の考を辛け補者む綜合するものとなつたのである。とのワァゲマンの論述の荘否は別として、とにかく個 々の貨幣革詮にご只的脈絡をつけ、可成手際よくその畢詮を配列したことに勤しては敬意を表さすには居られな い。そして敢後に貨幣論.は今後名目主義的経済訟の目指す方向に饗応すべきものであることを指示するに封し、 余は大鰐賛意を表するものである。︵完︶

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