Meiji University
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明治大学理工学部75年史 1995∼2019年度
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明治大学理工学部75年史 1995∼2019年度, 75: 1-197
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http://hdl.handle.net/10291/21164
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2020-02
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Departmental Bulletin Paper
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学部のこと
生田キャンパス登校路
13 かくし
14
年表~25年間の概観~
年 大学 / 理工学部・理工学研究科 一般 1995年 大学院基礎理工学専攻の修士課程を博士前期課程( 2 年)、博士後期課程( 3 年)に変更( 4 月) 理工学部カリキュラム改定( 4 月) 夏休み科学教室を初開催( 8 月) WTO(世界貿易機関)発足( 1 月) 阪神・淡路大震災( 1 月) 地下鉄サリン事件( 3 月) Windows95発売(11月) 1996年 岡村了一理事長、戸沢充則学長、栗田健総長就任( 4 月) 兵藤申一理工学部長事務取扱就任( 4 月) 松瀨貢規理工学部長就任( 4 月) 和泉体育館竣工( 9 月) アトランタオリンピック開催( 7 月) 包括的核実験禁止条約採択( 9 月) 野茂英雄がメジャーリーグで日本人初のノーヒット ノーラン達成( 9 月) DVD ディスク及び DVD プレイヤー発売(11月) 1997年 イギリスがクローン羊ドリー誕生を発表( 2 月) 秋田新幹線開業( 3 月) 消費税が 3 % から 5 % に引き上げ( 4 月) 香港が中国に返還( 7 月) 長野新幹線開業(10月) 山一證券破綻(11月) 京都議定書採択(12月) 1998年 生田キャンパスにおいて大学入試センター試験を初実 施( 1 月) 明治大学ハイテク・リサーチ・センター竣工( 7 月) 生田キャンパス第一校舎 5 号館竣工( 7 月) 創立120周年記念館リバティタワー竣工( 9 月) 郵便番号が 7 桁になる( 2 月) 長野オリンピック開催( 2 月) FIFA ワールドカップフランス大会開催、日本初出場 ( 6 月) 和歌山カレー毒物事件( 7 月) Windows98発売( 7 月) 1999年 工学部廃止( 3 月) 清里セミナーハウス竣工( 3 月) 生田構造物試験棟竣工( 3 月) 電気工学科が電気電子工学科に、精密工学科が機械情 報工学科に名称変更( 4 月) リバティアカデミー設立( 4 月) ソニーがロボット犬アイボを発売( 6 月) 山形新幹線開業(12月) マカオが中国に返還(12月) 2000年 生田食堂館(スクエア21)竣工( 3 月) 岡村了一理事長、山田雄一学長、栗田健総長就任( 4 月) 理工学部カリキュラム改定( 4 月) 農学部生命科学科設置( 4 月) 司書課程・司書教諭課程設置( 4 月) 生田キャンパス第一校舎 2 号館竣工( 8 月) 栗田健理事長代行就任( 9 月) 知的資産センター設立(10月) 駿河台キャンパス中央図書館竣工(10月) 長吉泉理事長就任(12月) Windows2000発売( 2 月) プレイステーション 2 発売( 3 月) 二千円札発行( 7 月) シドニーオリンピック開催( 9 月) 白川英樹が「導電性高分子の発見と発展」でノーベル 化学賞受賞(10月) ホンダがヒューマノイド・ロボット、アシモを公開(11 月) 2001年 教育支援システム「Oh-o!Meiji システム」稼動( 4 月) 創立120周年・創設者生誕150年記念式典・祝賀会(11月)Wikipedia 誕生( 1 月)アメリカで同時多発テロ( 9 月) 東京ディズニーシー開園( 9 月) アップルが iPod を発売(10月) 野依良治が「キラル触媒による不斉反応の研究」でノー ベル化学賞受賞(10月) JR 東日本が Suica のサービスを開始(11月) WindowsXP 発売(11月) 2002年 政治経済学部地域行政学科設置( 4 月) 文学部心理社会学科設置( 4 月) 経営学部会計学科、公共経営学科設置( 4 月) 大学院工学研究科廃止(10月) 向殿政男理工学部長就任(10月) ソルトレイクシティオリンピック開催( 2 月) 学校完全週 5 日制開始( 4 月) FIFA ワールドカップ日韓大会開催( 5 月) 田中耕一が「生体高分子の同定および構造解析のため の手法の開発」でノーベル化学賞受賞(10月) 小柴昌俊が「天体物理学特に宇宙ニュートリノの検出 に関する先駆的貢献」でノーベル物理学賞受賞(10月) 北朝鮮拉致被害者 5 人帰国(10月) 19-05-372_000_3.学部のこと年表.indd 14 2020/02/21 19:20:0415 年 大学 / 理工学部・理工学研究科 一般 2003年 理工学研究科が連携大学院を開設( 4 月) SARS 流行( 2 月) スペースシャトル・コロンビア号事故で乗組員 7 名全 員死亡( 2 月) イラク戦争勃発( 3 月) 日本郵政公社発足( 4 月) 国立大学法人法施行(10月) 地上デジタル放送開始(12月) 2004年 アカデミーコモン竣工( 1 月) 生田キャンパス第二校舎 A 館竣工( 3 月) 長吉泉理事長、納谷廣美学長・総長(兼務)就任( 4 月) 情報コミュニケーション学部設置( 4 月) 大学院ガバナンス研究科設置( 4 月) 大学院グローバル・ビジネス研究科設置( 4 月) 法科大学院開設( 4 月) 心理臨床センター開設( 4 月) 理工学部に学習支援センター開設( 5 月) 商学部創立100周年記念式典開催( 9 月) 政治経済学部創立100周年記念式典開催(11月) 日本学生支援機構発足( 4 月) アテネオリンピック開催( 8 月) 新潟県中越地震(10月) 千円札、五千円札、一万円札が新デザインに(11月) ダイエー、球団をソフトバンクに売却決定(11月) 楽天、プロ野球参入決定(11月) スマトラ沖地震(12月) ニンテンドーDS 発売(12月) 2005年 和泉メディア棟竣工( 3 月) 総長制を廃止、理事長・学長による二長制に移行( 4 月) 理工学部カリキュラム改定( 4 月) 大学院会計専門職研究科を設置( 4 月) 研究・知財戦略機構設置( 5 月) 秋葉原サテライトキャンパスを開設(10月) 文部科学省平成17年度「魅力ある大学院教育」イニシ アティブ(GP)に「社会との関りを重視した MTS 数 理科学教育」が採択(10月) 愛知万博開催( 3 月) 個人情報保護法施行( 4 月) JR 福知山線脱線事故( 4 月) クールビズ開始( 6 月) つくばエクスプレス開業( 8 月) 耐震偽造問題発覚(11月) 2006年 明治大学短期大学閉学( 3 月) 工業化学科が応用化学科に、大学院工業化学専攻が応 用化学専攻に名称変更( 4 月) 明治大学紫紺館竣工(12月) NASA、初の冥王星探査機となる「ニュー・ホライズ ンズ」の打ち上げに成功( 1 月) トリノオリンピック開催( 2 月) FIFA ワールドカップドイツ大会開催( 6 月) プレイステーション 3 発売(11月) Wii 発売(12月) 2007年 全学部統一入試を全国 5 会場(東京・札幌・仙台・名 古屋・福岡)で初実施 電気電子生命学科設置(電気電子工学科、電気通信工 学科の募集を停止)( 4 月) 文部科学省「組織的な大学院教育改革推進プログラム」 に「社会に数理科学を発信する次世代型人材創発」が 採択( 9 月) 文部科学省「大学院教育改革支援プログラム」に「数 理生命科学融合教育コンソーシアムの形成」が採択(広 島大学と共同申請)( 9 月) マレーシア工科大学構内に明治大学マレーシア・サテ ライト・オフィスを設置(12月) Windows Vista 発売( 1 月) サブプライムローン問題( 6 月) アップルが iPhone を発売( 6 月) 郵政民営化(10月) 2008年 卒業式に二部制開催を導入( 3 月) 長堀守弘理事長、納谷廣美学長就任( 4 月) 大学院理工学研究科に修士課程新領域創造専攻を設置 ( 4 月) 国際日本学部開設( 4 月) 農学部農業経済学科が食料環境政策学科へ名称変更 ( 4 月) 大学院情報コミュニケーション研究科開設( 4 月) 大学院教養デザイン研究科開設( 4 月) 付属明治高等学校・中学校が男女共学となり調布市へ 移転( 4 月) 入学式に二部制開催を導入( 4 月) 生田図書館に Gallery ZERO 開設( 4 月) 文部科学省「グローバル COE プログラム」に「現象 数理学の形成と発展」が採択( 6 月) 三木一郎理工学部長就任(10月) Suica 機能付き学生証を導入(11月) 中国・四川大地震( 5 月) 秋葉原通り魔事件( 6 月) 北京オリンピック開催( 8 月) リーマン・ショック( 9 月) 南部陽一郎・小林誠・益川敏英が「素粒子物理学と核 物理学のおける自発的対称性の破れの発見」でノーベ ル物理学賞受賞(10月) 下村脩が「緑色傾向タンパク質(GFP)の発見と開発」 でノーベル化学賞受賞(10月) 年越し派遣村開設(12月) 19-05-372_000_3.学部のこと年表.indd 15 2020/02/21 19:20:04
16 年 大学 / 理工学部・理工学研究科 一般 2009年 和泉インターナショナルハウス竣工( 3 月) 秋葉原サテライトキャンパス運営終了( 3 月) 文部科学省平成21年度国際化拠点整備事業(グローバ ル30)に採択( 7 月) 9 月卒業式を初めて挙行( 9 月) 国際連携機構設置(10月) 米沢嘉博記念図書館会館(10月) 「めいじろう」が大学公式キャラクターに決定(12月) 新型インフルエンザが世界的に流行( 4 月) 裁判員制度開始( 5 月) 衆議院総選挙で民主党大勝、政権交代へ( 8 月) Windows 7 発売(10月) 事業仕分け開始(11月) ドバイ・ショック(11月) 2010年 大学院新領域創造専攻の修士課程を、博士前期課程( 2 年)、博士後期課程( 3 年)に変更( 4 月) 理工学部カリキュラム改定( 4 月) 平和教育登戸研究所資料館開館( 4 月) 和泉総合体育館東棟竣工( 6 月) iTunes U で本学動画コンテンツ配信開始( 8 月) 国連アカデミック・インパクト公式発足式典参加(11 月) 日本年金機構発足( 1 月) 日本航空、会社更生法適用申請( 1 月) バンクーバーオリンピック開催( 2 月) 高校授業料無償化法の施行( 4 月) アップルがタブレット型コンピュータ iPad を発売( 4 月) FIFA ワールドカップ南アフリカ大会開催( 6 月) 小惑星探査機はやぶさ、小惑星イトカワより帰還( 6 月) チリ鉱山落盤事件( 8 月) 根岸英一・鈴木章が「有機合成におけるパラジウム触 媒クロスカップリング」でノーベル化学賞受賞(10月) 2011年 東日本大震災の影響により2010年度卒業式中止( 3 月) 植物工場基盤技術研究センター竣工( 3 月) 大学院先端数理科学研究科開設( 4 月) 明治大学出版会が復活( 4 月) 東日本大震災の影響により2011年度入学式中止( 4 月) 明治大学震災復興支援センター開設( 6 月) 地域産学連携研究センター開設( 6 月) 中国・北京市内に明治大学北京事務所開所( 7 月) 2010年度卒業式に代わる卒業記念セレモニー開催(10 月) 阿久悠記念館開館(10月) 創立130周年記念式典・記念パーティー(11月) 生田キャンパス第二校舎 D 館竣工(12月) ニンテンドー 3 DS 発売( 2 月) 東日本大震災( 3 月) 九州新幹線開業( 3 月) サッカー女子ワールドカップで日本初優勝( 7 月) 地上デジタル放送全面移行( 7 月) 2012年 黒川農場竣工( 1 月) 明治大学国際総合研究所開設( 2 月) 和泉新図書館竣工( 3 月) 地域産学連携研究センター竣工( 3 月) 菅平セミナーハウス竣工( 3 月) 日髙憲三理事長、福宮賢一学長就任( 4 月) 荒川利治理工学部事務取扱就任( 4 月) 大学院国際日本学研究科開設( 4 月) 荒川利治理工学部長就任( 5 月) 東京スカイツリー開業( 5 月) ロンドンオリンピック開催( 7 月) NASA の無人探査機が火星に着陸( 8 月) 山中伸弥が「成熟細胞が初期化され多様性をもつこと の発見」でノーベル生理学・医学賞受賞(10月) Windows 8 発売(10月) 2013年 グローバルフロント竣工( 1 月) 中野キャンパス竣工( 1 月) 総合数理学部開設( 4 月) 大学院建築学専攻(国際プロフェッショナルコース) 博士前期課程及び新領域創造専攻の全学生が中野キャ ンパスに移転( 4 月) 大学院新領域創造専攻数理ビジネス系の募集を停止 ( 4 月) 明治大学アセアンセンター開所( 8 月) 愛知県渥美半島沖海底においてメタンハイドレードの 採取に成功( 3 月) 新歌舞伎座開場( 4 月) 伊勢神宮、第62回式年遷宮(10月) 2014年 大学院グローバル・ガバナンス研究科開設( 4 月) 文部科学省スーパーグローバル大学等支援事業「スー パーグローバル大学創成支援」(タイプ B)に採択( 9 月) 理工学部70周年記念行事開催(11月) 理化学研究所、STAP 細胞作製を発表(のちに撤回)( 1 月) ソチオリンピック開催( 2 月) 消費税が 5 % から 8 % に引き上げ( 4 月) FIFA ワールドカップブラジル大会開催( 6 月) IS(自称イスラム国)、建国宣言( 6 月) 赤崎勇・天野浩・中村修二が「青色発光ダイオードの 研究」でノーベル物理学賞受賞(10月) 19-05-372_000_3.学部のこと年表.indd 16 2020/02/21 19:20:04
17 年 大学 / 理工学部・理工学研究科 一般 2015年 男女共同参画推進センター設立( 2 月) 電気電子生命学科の中に電気電子工学専攻と生命理工 学専攻を設置( 4 月) 理工学部カリキュラム改定( 4 月) 「女性のためのスマートキャリアプログラム」開校( 4 月) 北陸新幹線開業( 3 月) Windows10提供開始( 7 月) 大村智が「線虫感染症の新しい治療法の発見」でノー ベル生理学・医学賞受賞(10月) 梶田隆章が「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物 理学賞受賞(10月) パリ・同時多発テロ(11月) 2016年 一般入試の出願手続きが「Web 出願」に移行( 1 月) 土屋恵一郎学長就任( 4 月) 柳谷孝理事長就任( 5 月) 宮城善一理工学部事務取扱就任( 5 月) 久保田寿夫理工学部長就任( 6 月) 文部科学省・平成28年度「大学の世界展開力強化事業 ~ アジア諸国等との大学間交流の枠組み強化 ~(タイ プ B)」に「CLMV の持続可能な都市社会を支える共 創的教育システムの創造」が採択( 9 月) 文部科学省・平成28年度「私立大学研究ブランディン グ事業(タイプ B)」に「Math Everywhere: 数理科学 する明治大学 - モデリングによる現象の解明 -」が選定 (11月) マイナンバー制度開始( 1 月) マイナス金利政策を導入( 1 月) 北海道新幹線開業( 3 月) 熊本地震( 4 月) 国民投票により、イギリスの EU 離脱決定( 6 月) リオデジャネイロオリンピック開催( 8 月) 大隅良典が「オートファジーの仕組みの解明」でノー ベル生理学・医学賞受賞(10月) 113番新元素を「ニホニウム」と命名(11月) 2017年 大学院理工学研究科に建築・都市学専攻、情報科学専 攻、数学専攻、物理学専攻の博士前期課程( 2 年)・ 博士後期課程( 3 年)を設置(建築学専攻、基礎理工 学専攻、新領域創造専攻の募集を停止)( 4 月) 1 コマの授業時間を100分へ拡大した新授業時間割が 開始( 4 月) 「海外トップユニバーシティ留学奨励助成金」を新設 ( 6 月) 「明治大学アカデミックフェス」を初開催(11月) プレミアムフライデー開始( 2 月) 上野動物園でジャイアントパンダ・香香誕生( 6 月) 将棋・羽生善治棋士永世 7 冠達成(12月) 2018年 グローバル・ビジネス研究科が経営系大学院の国際評 価「EPAS 認証」取得( 2 月) 平昌オリンピック開催( 2 月) FIFA ワールドカップロシア大会開催( 6 月) 台風21号により関西国際空港浸水・停電( 9 月) 北海道胆振東部地震( 9 月) 本庶佑が「免疫抑制の阻害によるがん療法の発見」で ノーベル生理学・医学賞受賞(10月) 2019年 皇太子徳仁即位、令和に改元( 5 月) 台風15号により千葉県等に甚大な被害( 9 月) 消費税が 8 % から10% に引き上げ(10月) 台風19号により千曲川氾濫等東日本に甚大な被害(10 月) 吉野彰が「リチウムイオン電池の開発」でノーベル化 学賞受賞(10月) 参考文献 科学技術史事典-トピックス 原始時代-2013 日外アソシエーツ株式会社 2014年 世界科学史大年表 柊風舎 2015年 激動の平成史 洋泉社 2018年 増補完全版 昭和・平成 現代史年表 小学館 2019年 19-05-372_000_3.学部のこと年表.indd 17 2020/02/21 19:20:04
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学科・専攻再編
長尾 憲治、立川 真樹
1989年発足当時の理工学部の学科編成は、電気工学科、電子通信工学科、機械工学科、精密 工学科、建築学科、工業化学科、情報科学科、数学科、物理学科に一般教育教室を加えた 9 学 科 1 教室体制であった。それから30年、現在の理工学部の学科編成は、電気電子生命学科、機 械工学科、機械情報工学科、建築学科、応用化学科、情報科学科、数学科、物理学科に総合文 化教室を加えた 8 学科 1 教室体制である。電気電子工学科(電気工学科から改名)と電子通信 工学科を統合した電気電子生命学科が2007年に設置されたこと、精密工学科が機械情報工学科 へ、工業化学科が応用化学科へ、一般教育教室が総合文化教室へ名称変更したこと以外には、 ほとんど変わっていないといってよい。しかし、時代の流れに対応した柔軟な変化が求められ る現代社会において、理工学部はこの30年まったく歩みを止めていたかというと、決してそう ではない。何を変え何を変えないか、時には厳しい議論を繰り返しながら現在の姿があるとい うことを書き記しておきたい。新領域創造専攻
2000年代に入って最初の大きな変化は、大学院理工学研究科に新領域創造専攻が設置された ことである。既存の専攻が各学科の先の教育プログラムとして設置されているのに対し、新専 攻は土台となる学科を持たない。これは、「新領域創造」というネーミングが象徴するように、 分野を横断した新しい学際的な研究を目指す試みであった。2006年 2 月、当時の向殿政男学部 長のリーダーシップの下で設置検討委員会が組織され、具体化の議論が始まった。対象とする 研究分野の選定、学生募集の見込み、社会でのニーズなど、課題は山積である。とくに萌芽期 の研究分野の将来性を見極めるのは難しい。最終的には、当時有望視された「安全学」、「数理 ビジネス」、「ディジタルコンテンツ」を系として並立させることになった。 新専攻は2008年 4 月に発足した。安全学系には、環境化学を専門とする北野大先生を招聘し、 環境・防災・建築学にまたがる研究組織を構成した。数理ビジネス系には数学科の教員が協力 し、統計学や確率論を基礎とする金融・保険のプロフェッショナルの育成を目指した。ディジ タルコンテンツ系には、デジタルメディアの専門家に加えて総合文化教室から管啓次郎教授ら の文学者たちが参加し、IT 技術と文芸評論を融合したユニークな研究分野を展開した。新専 攻発足時のポスターには「新しい冒険。」とある。まさにそのような感じだったと推察する。学科再編の論議
大学院の改組に比べると、学部の学科新設や再編にはより大きなエネルギーを必要とする。 大学院教育が研究を通した学びでありテーマに自由度があるのに対し、理工系の学部教育は科 学技術の基礎的な素養や社会人としての教養を育むものであり、より重厚なカリキュラムの上 に成り立っているからである。工学系学科の構成はその背景にある産業構造を少なからず反映 するので、社会の変化に伴い新学科の要求が高まることもあるだろう。2007年に電気系 2 学科 を統合した電気電子生命学科が開設されたのもその一例である(詳細は電気電子生命学科の記 19-05-372_000_学部002_学科・専攻再編.indd 18 2020/02/21 19:31:3419 述を参照されたい)。一方、理学系学科の構成は伝統的な学問体系と合致しているのが自然で あり、受験生にもわかりやすい。ところが、法人による中野の校地購入という思わぬ外的要因 が学部全体を巻き込んだ学科再編の議論を引き起こすことになる。 その時は突然来たように感じられた。2007年 7 月、向殿学部長により理工学研究科・理工学 部将来計画委員会が設置された。第 1 回の会議は前期定期試験の最中の 7 月25日に開催され、 各学科・教室から 1 名の委員と理工学部事務室から 1 名の合計10人が集められた。委員長には 機械情報工学科の加藤和夫教授が、副委員長には電気電子生命学科の井家上哲史教授が指名さ れ、委員会がスタートした。この委員会は、これまでの I-MAST 構想推進委員会や理工戦略 会議とは異なる課題が向殿学部長から設定された。その当時は中野警察大学跡地と呼ばれた現 中野キャンパスの活用を前提とした、学部学科および大学院の再編成を目指す理工学部として の新しい発展構想の発案であった。 2008年 3 月末までに18回に及ぶ委員会でのブレーンストーミングと議論を重ねていった。向殿 学部長からは自由な発想から大胆な案を作ることが期待されていたが、この様な重大な案件を全 会一致で最終的な構想にまでまとめるのは難しく、学部再編について 2 案を提案する形で約 8 ヶ 月に渡る委員会の答申が作られた。向殿学部長には2008年 3 月27日付で答申が提出された。A案 (学部・研究科再編):理工学部群の括りの中で全体を 4 つの学部(建築・環境学部、数理学部、 創造理工学部、先端システム工学部)に再編し、新たに 4 つの学科を新設する。B案(学科・専 攻再編):理工学部の中で 4 つの系(建築、工学、理科、数理)に学科を再編し、新たに 2 つの 学科を新設する。中野キャンパスの利用に関しては、A案では 4 学部のうちのいくつかの学部を 中野に設置することを、B 案ではこの後2008年度からスタートする学科を持たない独立専攻の新 領域創造専攻を中核に先端理工研究所を設置し、これを中野に開設することを提案している。 この 2 案併記の答申は2008年 4 月の理工学部教授会で紹介されたが、決着するにはあまりに 検討すべきことが多く、あらたに「理工学部・理工学研究科将来構想具体化委員会」を組織し て引き続き議論することになった。委員長は建築学科の小林正美教授が務め、各学科から委員 が選出された。本委員会が発足した 6 月、ビッグニュースが飛び込んできた。優れた研究教育 拠点を支援する文科省のグローバル COE プログラムに、数学科の三村昌泰教授を中心に組織 した先端数理科学インスティテュートの「現象数理学の形成と発展」が採択されたのである。 その申請書には、当時の納谷廣美学長の主導で新しい大学院研究科を中野キャンパスに開設す る旨が明記されていたので、小林委員会はこの条件の下で学部・研究科をどのように再編し中 野キャンパスに進出するかを問われることになった。 中野キャンパスは明らかに好立地だが、面積は生田キャンパスの十分の一しかない。学部全 体が移転するのは到底無理だが、いくつかの学科が中野に移転することは可能と思われた。か ねてから生田キャンパスの研究スペース不足は深刻な問題で、中野進出は研究環境を改善する 好機ととらえられた。また、都心のキャンパスの魅力により入試偏差値が向上することを期待 する声も聞かれた。一方で学部教育の視点からは、一部の学科が移転した場合、共通基礎教育 をどうするのかという問題が浮かび上がる。理工学部では、学部の教育理念に基づいて理系基 礎科目、語学、総合文化科目を共通カリキュラムとして実践しており、教育用実験設備や体育 施設が望めない中野キャンパスでは満足な教育体制をとることができない。また、基礎教育を 担当する教員が、生田と中野を往来するのも現実的ではない。加藤委員会と同じような考え方・ 価値観の対立がここでも顕在化した。 19-05-372_000_学部002_学科・専攻再編.indd 19 2020/02/21 19:31:35
20 2008年後期に入り、理事会は中野校地の建物計画の検討を開始していた。納谷学長からは、 各学部に対して移転計画や学部新設の審議依頼が発せられた。理工学部では、三木一郎教授が 新学部長に就任していた。小林委員会では、数学科と情報科学科が中野移転の意思を固めたと の報告があり、この 2 学科を中心として新学部を設立するという方向性が見えてきた。数学科 には G-COE プログラムの主要メンバーが含まれており、中野での新研究科立ち上げの任にあ る。これを機会に学科の全員が理工学部から移籍し、新研究科を支援することを希望していた。 しかし、理工学部の基礎教育において数学は要である。また、入試業務においても数学科の役 割は大きく、理工学部から数学科がなくなるシナリオは受け入れがたいという意見も強かった。 数学科の中野移転は納谷学長からも強く求められていたが、学部の教育・研究体制は学部教授 会の専権事項である。三木学部長が元学長室専門員の倉田武夫教授を交えて納谷学長と忌憚な く話し合った結果、数学科の去就は学部の自治に委ねられることになった。 その後2009年の夏にかけて、武野純一教授、鎌田弘之教授が座長を務める 2 つの委員会を組 織し、新学部の学科構成や定員規模などを検討していったが、その過程で情報科学科は中野移 転を断念する。数学科の教員が移籍して新学部・新学科を中野に開設することで合意形成が進 んでいったが、理工学部に数学科を維持するか否かについて結論を得たのは、2010年 1 月の教 授会でのことである。理工学部には数学科が不可欠であるという教授会の総意に、後藤四郎学 科長、蔵野和彦教授をはじめとする数学科の先生方が応えてくれたおかげで、理工学部には数 学科が残り、総合数理学部には現象数理学科が新設され、明治大学に 2 つの数学系学科が共存 することになった。
その後の専攻再編
2013年に竣工した中野キャンパスへは、新領域創造専攻が拠点を移すことになった。それに 先立ち数理ビジネス系は、G-COE プログラムによって開設された先端数理科学研究科に統合 された。ディジタルコンテンツ系は、荒川利治学部長の主導で行われた2017年の理工学研究科 の再編で、建築・都市学専攻総合芸術系に改組された。同時に安全学系は大学院としては廃止 になったが、その思想は理工学部のカリキュラムやリバティアカデミーに受け継がれている。 こうして新領域創造専攻は、新分野のインキュベーションとしての役割を果たして幕を閉じた。 建築学専攻が2013年に開設した国際プロフェッショナルコースも中野キャンパスに展開し、 海外からの留学生を集めて活気ある研究活動を行っている。2017年度の専攻再編で建築学専攻 は建築・都市学専攻に改名し、国際プロフェッショナルコースは同専攻国際建築都市デザイン 系となった。 理工学部開設当初から、情報科学科、数学科、物理学科の大学院課程は、基礎理工学専攻と いう 1 つの専攻に属していた。2017年の再編では遅まきながら自然の流れとして、それぞれ情 報科学専攻、数学専攻、物理学専攻として独立した。 この25年間の理工学部は、自然科学と数学、一般教養を重視する設立当初の教育理念を堅持 しながら発展してきた。この判断に対する意見は様々だと思うが、真の評価は社会での卒業生 の活躍によってなされるのだろう。 19-05-372_000_学部002_学科・専攻再編.indd 20 2020/02/21 19:31:3521
大学入試センター試験利用入試
伊藤 光、菊池 良生
1980年代になると少子化問題が明確になり、入試改革は喫緊の問題となってきた。そこで我 が学部では、入試とは受験生へ向けての明治大学のメッセージであるというコンセプトの下で 指定校推薦入試、全学部統一入試、AO 入試等々の様々な入試改革がなされてきた。その中で 農学部と協力して他学部に先駆けて、さらには早稲田、MARCH 等の競合他大学の先陣を切っ て行われたセンター試験利用入試導入は大変な改革であった。以下、センター試験利用入試導 入のいきさつとその意義を報告したい。 1990年代前半には18歳人口がピークに達し、その後大学入試志願者数も急減してきて、理工 学部では志願者数の減りに大きな危機感を持ってきた。そこで入試機会を拡げるべく、95年、 菊池良生委員長の入試改善委員会の下で、これまでの一般入試に加え複数回入試の導入が検討 された。しかしこの方式は入試の負担が大きくなるため導入は見送られることになった。当時 国立・公立大学では共通一次試験の後継として大学入試センター試験が実施されていて60万人 に及ぶ志願者があり、このセンター試験は一部の私立大学でも利用されるようになっていた。 96年、理工学部でもこのセンター試験を利用したらどうかとの提案がなされ、本格的に導入を 検討することとなった。この入試の利点は、試験科目が多く用意されている上に、地方入試に も置き換えられる点にあった。しかしセンター試験は全国一斉に実施されるため、確実な試験 の実施に大きな負担を感じた。96年 4 月、松瀨貢規理工学部長の下、「新入試改善委員会」が 立ち上げられた。委員会は伊藤光教務主任が委員長となり、委員には学科と一般教育教室から 選出された 9 名の委員で構成され、理工学部事務室からは河野理氏、桐原正樹氏が担当した。 委員会ではまずセンター試験がどのようなものであるか、センター試験利用の是非が各委員 から強く述べられたのが記憶に残っている。とくに明治大学外部の試験利用への拒否感が強 かったのは否めなかったが、一方で多くの受験生がこのセンター試験を利用している実情が あった。理工学部一般入試が数・理・外国語の 3 科目に対し、多くの入試科目が準備されてい るこのセンター試験では、数・理・外国語の科目に新たに現代文や古典の国語が利用できるこ とは、幅広い基礎学力を問えることへの魅力があった。しかしセンター試験利用大学には試験 会場の提供が義務付けられていて、近隣の受験生を受け入れるために生田キャンパスを試験会 場とすることとなった。当時農学部でもこのセンター試験利用の意向が示されていたので、両 学部教務主任が協力して生田での試験実施を検討することとなった。 上述のように96年 4 月から新入試改善委員会での 3 ヶ月に渡る検討の末、数・理・外国語に 現代文か古典の国語のうち一分野を選択、建築学科は現代文・古典の両分野も利用する 4 科目 入試の導入を決定した。この委員会の議論の中で、明治大学固有のセンター試験の立ち上げの 意見もあったが、これが後に新たに導入されることとなった全学部統一入試の切掛けになった。 その夏、幾つかの予備校を関係者で訪問、さらにセンター試験を導入している他大を訪問させ て頂き、入試の実情をお教え頂いたのは有り難かった。 9 月の教授会での決定を受けて、文部 科学省にも導入の事前説明を行い、10月には後の学長となる納谷廣美一部教務部長の全学入試 委員会と教務部委員会、さらに学部長会の承認を経て、98年 1 月のセンター入試実施に向けて 19-05-372_000_学部003_大学入試センター試験.indd 21 2020/02/20 16:30:3722 走り始めた。このセンター試験を理工学部、農学部の両学部が同時に実施することとなったた め、試験実施の事務局は生田教務課となった。 96年10月には、センター試験利用入試導入の経緯を戸沢充則学長主催の入試フォーラムで報 告、その後97年 1 年間の準備期間を置いて、98年 1 月17日(土)、18日(日)の 2 日間に渡っ て本学初のセンター試験が実施された。前々日の15日は大雪となり、早朝に雪かきをしたこと が忘れられない。この入試では二部教務部長の別府昭郎教授が試験実施の本部長となり、試験 本部を中央校舎に置いて近隣の受験生1000名をこの校舎に受け入れた。図にみるように、初年 度の理工学部センター試験利用入試の志願者数は7159名、予想以上の多さに驚くとともに意を 強くしたものである。理工学部センター試験利用入試の募集人員は、当時の理工学部臨定増を 含み定員1000名のうち10%の100名を受け入れるとしたが、合格者発表数には慎重に手続き率 を検討した結果、1000名発表したところ65名が手続きをとってきた。 2 年目は発表数を増やし、 概ね募集人員に近い手続きがあった。このようなセンター試験利用入試はその後全学に拡がっ ていき、試験会場としては和泉キャンパスも利用することとなって現在に至っている。図のよ うに2008年以降は、毎年 3 万名余の志願者数を維持している。 いま25年に渡る「大学入試センター試験」が、2020年度から新たな「大学入学共通テスト」 に変わることになっている。18歳人口が漸減していく中で、志願したい大学であり続けるには、 質の高い教育研究の発信が求められると考える。今後の理工学部の発展に期待したい。 明治大学/理工学部センター試験志願者数 推移 19-05-372_000_学部003_大学入試センター試験.indd 22 2020/02/20 16:30:37
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I-MAST 構想について
向殿 政男
1 .理工学研究科・理工学部の将来計画
I-MAST 構想(Meiji Institute of Advanced Science and Technology)とは、理工学研究科 及び理工学部の将来構想のことである。I-MAST 構想が立案される前までの理工学部の将来 構想について、1992年12月に理工学部将来計画委員会が設置され、1995年 3 月に「理工学部の 発展をめざして」( 1 )という報告が答申されていた。その後、これに従い理工学部が整備されて きた経緯があるので、まず、I-MAST 構想の先駆けとなったこの報告について簡単に触れて おこう。 同理工学部将来計画委員会報告は、理工学部が50周年を迎えるに当たり、将来計画として検 討されたもので、目指すところとして、( 1 )世界に対して情報発信のできる教育・研究の活 発な学部、( 2 )常に時代の変化に柔軟に対応できる、自己改革できるような組織、( 3 )学部 と大学院の一貫した教育・研究体制、( 4 )理工学部に適した助手制度を提案し、大学院後期 課程の学生数の増加、( 5 )学生の主体的に選択できるカリキュラム、等を上げている。その 具体的な内容として、教員組織、助手制度、自己点検・自己評価、教育・カリキュラム、研究 体制、学部運営について提案された。その後、かなりの部分がそれに沿って充実されてきたと いってよい。その次の将来計画が I-MAST 構想である。
2 .I-MAST 構想
I-MAST 構想は、“研究に重点を置いた世界に冠たる理工学部”を目指して、個(I)を強 くする希望の帆柱(MAST)になぞらえて名付けられた。I-MAST の基本構想は、理工学研 究科・理工学部合同将来計画委員会が2002年 3 月の中間報告の中で答申されたものである。そ れを推進するために、理工学研究科・理工学部合同将来構想(I-MAST)推進委員会が発足し たのは2003年 4 月である。翌年、2004年 2 月に中間報告、同 5 月には委員会報告書が教授会に 答申されている( 2 )。その主な内容は、( 1 ) 6 年一貫教育、( 2 )研究に重点を置いた研究教 育大学、( 3 )時代の変化に対応した体制、( 4 )積極的な情報発信、等を目指すとしている。 具体的な項目としては、例えば、 6 年一貫教育を目指して、大学院・学部学生数を変更して、 学部900名、大学院前期課程500人、後期課程50人、総数4750人とする、基礎実力と幅広い教養 を有する人材育成、及び、教育の質の確保と目標の明確化を理念として、学部・大学院の連携 カリキュラム、大学院進学時の進路の柔軟化、JABEE(日本技術者教育認定)の採用等を提 案している。更に、研究に関しては、本学として初めて課題別研究所の設置を提案し、COE (Center Of Excellence:世界最高水準教育研究拠点)への積極的な対応、お茶の水地区への 理工学研の研究サテライト設置、研究機構の整備と研究費の導入・配分等が提案された。時代 への積極的な対応としては、流動性、多様性の確保のもとに、新しい学科の新設、学科再編成、 理工学研究科を一つの専攻にまとめ、MOT や環境・安全関係の新しいコースの新設等を提案 している。教育面としては、専門導入セミナーの設置、英語教育におけるe -learning の導入、 19-05-372_000_学部004_I-MAST構想.indd 23 2020/02/20 16:37:4924 大学院共通科目の設置、総合文化教室の大学院参加、GPA の導入、英語による大学院の授業 の実施、Oh- o ! Meiji システムの活用、学習支援センターの設置、教育・研究の外部評価の 実施等が提案された。教員計画として、教員の増員計画、昇格助手後の補充問題の解決、 TA・RA 制度の充実等が提案され、施設・設備の整備計画として、A 館立て替え完成・移転 と理工立替計画(B・C・D・E 棟の建設計画)、農学部と共同した生田キャンパス計画に立案 等が提案された。これら以外にも、国際交流の活発化として、国立マレーシア工科大学との関 係の強化と研究・教育拠点の設置、マレーシア、ラオス等アジア地域との国際協力支援等が提 案された。 図 1 理工学部の I-MAST 構想
3 .I-MAST 構想具体化検討委員会(理工戦略会議)
I-MAST 構想推進の具体的な実行計画検討のために、推進委員会答申の半年後の2004年 9 月に、理工学部長の諮問機関として、理工学研究科・理工学部 I-MAST 構想課題具体化検討 委員会(理工戦略会議)が設置された。2007年 6 月にその総括として、実現された主な内容と 共に残された課題について報告され( 3 )、I-MAST 構想は一段落した。I-MAST 構想での中で、 その後に実現されて進展したもの、道半ばのもの、実現されなかったもの、等々それぞれ存在 する。I-MAST 構想の総括( 3 )に従って、振り返ってみよう。 時代への対応については、電気系学科を再編成して電気電子生命学科を設置すると共に、理 工学研究科に新しく新領域創造専攻の設置を決定した。新領域創造専攻は、学科を超えて分野 横断的な時代に即した研究・教育領域を開拓するもので、その後、2008年 4 月に開設され、数 理ビジネス系、ディジタルコンテンツ系、安全学系の三つが設置された。この動きは、全学的 な新学部等設置検討委員会の検討に引き継がれ、先端数理科学研究科の設置、及び全学的な中 野キャンパスにおける総合数理学部の発足へとつながった。新領域創造専攻の数理ビジネス系 19-05-372_000_学部004_I-MAST構想.indd 24 2020/02/20 16:37:4925 とディジタルコンテンツ系の一部は、2011年度に新設された先端数理科学研究科に移籍し、安 全系とディジタルコンテンツ系の一部は、2017年度に改組された建築・都市学専攻に統合され、 使命を終わったとされて、その後、理工学研究科新領域創造専攻は廃止された。研究に関して は、多くの課題別研究所が設置され、この動きが全学的に研究・知財戦略機構の設置につなが り、研究機関としてのクラスター、インスティチュートの設置につながった。その中でも理工 系から発足した MIMS(先端科学インスティチュート)は画期的なものであった。また、 COE への提案が、G-COE への提案につながり、前述の MIMS の設置、総合数理学部の設置へ と道を開いた。更に、理工学研の研究サテライトオフィスとして秋葉原サテライトキャンパス が設置され、活用された。施設・設備整備に関しては、既に決まっていたA館共に加えて、新 しくD館が建設された。また、産学連携の拠点として、生田キャンパスの下に地域産学連携研 究センターが建設された。国際交流に関しては、大学院レベルで、マレーシア工科大学、ラオ ス国立大学等と交流が活発化してマレーシアに研究・教育拠点を設置した。これが本学のアジ ア地域における国際交流の発展の先駆けとなった。以上の実際的な実りにつながった活動もあ るが、残念ながら未達成なものも多い。例えば、I-MAST 構想の理念が、全教職員に周知さ れているとは言い難い。また、 6 年一貫教育は、学科・専攻によるばらつきが多く、不徹底で あったし、JABEE は、機械系学科・建築学科で採用されたが、他学科には広がらなかった。
4 .I-MAST のその後
教員個人の努力に依存する個々の研究開発や社会連携等を乗り越えて、I-MAST 構想は、 理工学部長をトップとした理工学部全体としての戦略な将来構想であった。I-MAST 構想の 考え方は、その後、脈々と受け継がれて、暗々裏にその後の理工学研究科・理工学部に影響を 与え、かつ、全学的な大きな発展の切掛けを与えた。例えば、明治大学全体に対しては、前述 したとおり総合数理学部の発足、インスティチュートという個別課題研究機構、特に MIMS の発足、アジア地区における国際交流、等々かなりの貢献があった。しかし、本体の理工学部 に関しては、“世界に冠たる研究大学”に向けての動きは遅々としている。新しい社会への対応、 社会との連携、新しい技術に対する挑戦、理工系を中心にした分野横断的・文理融合的な教育 研究活動等は、総合数理学部として実現された。しかし、理工学研究科・理工学部自体にこれ らの柔軟性とダイナミックさが望まれるにもかかわらず、新領域創造専攻の廃止に象徴される ようにそのような動きは鈍い。75周年を迎えて、理工学研究科・理工学部は、再び、I-MAST 構想のような夢のある将来構想を立案し、理工学部長の指揮の元、教職員全員で協力して断行 しなければならない時期が既に逼迫している。 参考文献 ( 1 ) 「理工学部の発展をめざして」―理工学部将来計画委員会報告―、明治大学理工学部、 1995-3 ( 2 ) 理工学研究科・理工学部合同将来構想(I-MAST)推進委員会報告、理工学研究科・理 工学部教授会、2004-5 ( 3 ) 理工学研究科・理工学部 I-MAST 構想課題具体化検討委員会(理工戦力会議)の総括 について、理工学研究科・理工学部教授会、2007-6 19-05-372_000_学部004_I-MAST構想.indd 25 2020/02/20 16:37:4926
総合数理学部ができるまで
砂田 利一
(明治大学研究特別教授・名誉教授)
明治大学の第10番目の学部として、2013年 4 月に中野キャンパスに開設された総合数理学部 は、現象数理学科、先端メディアサイエンス学科、ネットワークデザイン学科の 3 つの学科か らなり、既存の理工学系の分野を超えて「社会に貢献する数理科学を創造・展開・発展する」 ことを目的とし「数理科学と情報技術を学ぶことにより、さまざまな分野に応用できるような グローバルな人材を輩出する」ことを目指している。 数理科学のコアである数理(数学)の教育研究を行う学科は多数あるが、数理という言葉を 含む学部は我が国では初めてであった。経営上の観点からはリスクを伴いかねない学部をなぜ 創るに至ったのか、その背景には、2006年に文部科学省科学技術政策研究所が提出した報告書 「忘れられた科学-数学」がある。このショッキングな報告に応える形で、理工学部の数学科 では数理科学の振興のため、大学執行部の了解の下で複数の文科省プロジェクトに応募してき た。その結果、2005年以降、大学院 GP 3 件(魅力ある大学院教育「社会との関りを重視した MTS 数理科学教育」、組織的な大学院教育改革推進プログラム「社会に数理科学を発信する次 世代型人材創発」、「数理生命科学融合教育コンソーシアムの形成」(広島大学との共同申請)) が採択され、さらに三村昌泰教授を中心にして企画した「現象数理学の形成と発展」が、数物 系の中では私学としてただ 1 つ2008年度のグローバル COE プログラムに採択された。また、 2007年には高度な数理科学の研究の拠点として先端数理科学インスティチュート(MIMS)を 開設し、大学院教育に関しては先端数理科学研究科現象数理学専攻を設置した(2011年)。他方、 2008年度から、金融・保険ビジネスのプロフェッショナルを育成するため新領域創造専攻「数 理ビジネス系」が数学科の一部教員が係わる形で動き出した。新学部設置は、このような活動 に直接的に接続するものであった。 学内における、学部設置に至る経過を簡単に述 べよう。数学科では、上記の大学院 GP 事業の継 続が文部科学省から強く求められていること、そ の理念を効果的に継続するには、グローバル COE への応募も視野に入れ、これと連動する形 で数学科・数学系の将来構想を明確にすることが 必要であると考えて、基礎理工学専攻の 1 つの系 である数学系を専攻として独立させる数理科学専 攻構想を打ち出していた(2007年)。一方、「国際 化、先端研究、社会連携の拠点」として中野に新 キャンパスを建設する計画が持ち上がり、今述べ た構想を実現するためには、中野に拠点を置く新学部設置を求めるのが自然であると考えるよ うになった。数理科学の性格が、国際化、先端研究、社会連携の考え方に合致していたのであ る。他の学科からも新学部への参加希望があり、さらに大学当局も数学科がこれまで行ってき た努力を評価し、新学部設置案を後押しすることになった。このような情勢の中で、学長の下 中野キャンパス 19-05-372_000_学部005_総合数理学部(中野キャンパス開設).indd 26 2020/02/20 16:40:0527 に「理系新学部専門部会」(向殿政男部会長)が発足したのは2009年である。専門部会では、 新学部の理念や学部・学科の名称など、様々な議論を重ねた。所期の案では、数学科と情報科 学科の新学部への移行ということになっていたが、諸般の事情により、最終的には約半数の数 学科教員と情報科学科、電気電子生命学科の一部教員の移籍により、学部のコアを形作ること となった。この途上、既存学部との教育理念の違いを明確化するなどして、2011年には、専門 部会の議論を踏まえて作成された総合数理学部(仮称)設置大綱が全学で承認され、これを基 に発足した総合数理学部(仮称)設置準備委員会(砂田利一委員長)において文部科学省への 設置届出のための書類作成に併せてカリキュラム内容の確定と実施方針、学位授与方針、入学 者の受入方針、および教員人事について詳細な検討が行われた。準備段階での様々な困難を乗 り越え、スムーズにことが進んだのは、設置に直接係わる責任担当教員のみならず、移籍予定 教員諸氏の力に与るところまことに大であった。そして、中野新キャンパスの完成に合わせ、「常 に新鮮、常に挑戦」の標語の下、2013年 4 月の開設に漕ぎつけたのである。この間、優秀な事 務職員に大いに助けられ(実際、文部科学省事業に応募・採択されたときもそうであったが、 彼/彼女たちの優秀さは特筆すべきことである)、さらに当時の大学執行部と法人、特に納谷 廣美学長、針谷敏夫副学長、そして土屋恵一郎教務理事から貴重なアドバイスを頂戴したこと を付言しておく。 研究科については、2013年の開設当時は、現象数理学専攻のみであったが、学部完成年度の 2017年からは新たに 2 専攻(先端メディアサイエンス専攻、ネットワークデザイン専攻)を加 え、学部と大学院の接続を名実ともに完全なものにした。さらに、MIMS が応募した文部科 学省の事業「共同利用・共同研究拠点」が2014年に採択され、2016年には「私立大学研究ブラ ンディング事業」に「数理科学する明治大学」が選定されたことは、MIMS との緊密な連携 を図っている総合数理学部と先端数理科学研究科にとっても大きな励みとなっただけでなく、 明治大学の数理系組織として、内外における存在感を大きく高めたのである。また、上記の学 部の理念を継ぐ形で、 3 学科それぞれが独自の理念を有しており、この下で研究のみならず教 育に多大な業績をあげていることを強調しておく。中でも、先端メディアサイエンス学科の荒 川薫教授を中心とするプロジェクト「感性に基づく個別化循環型社会の創造」が2013年に COI-T に採択されたこと、科研費の採択件数ランキングでも現象数理学科の教員が係わる「数 学基礎・応用数学」部門で 2 年連続の第 1 位を獲得したことは著しい事実である。 開設前は、一体どのくらいの志願者がいるのか、合格者の中で入学する学生の数はどのくら いいるのかと、心配の種はつきなかった。しかし、結果としては約4000名の志願者があり、入 学定員260名のところ入学者数は450名を超える状況であった。その背景にあるのは、明治大学 の教育への信頼が第一にあったこと、また新宿副都心に近い中野という「地の利」(中央線快 速では新宿から一駅)、さらに「中野四季の都市」というコンセプトの下で作られた魅力ある 環境などが受験生を引き付けたと考えられる。もちろん、数理科学の重要性に対する理解が広 く社会に行き渡ってきたことも、初年度に関わらず志願者数が予想より多かった理由であろう。 因みに、現時点(2019年度)で、学部の収容定員は1200名、大学院の収容定員は博士前期課 程202名、後期課程42名となっている。また、入学志願者数は、現在も高い水準をキープして おり(2019年度で約4700名)、学部卒業生の就職状況も極めて良好なことを明記しておく。 19-05-372_000_学部005_総合数理学部(中野キャンパス開設).indd 27 2020/02/20 16:40:05
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理工学部創設70周年記念行事
武野 純一
1994年に催した理工学部創設50周年行 事から20年が経過し、今後理工学部がま すます発展するために、卒業生や教職員 が一丸となることを目的として、創設70 周年記念行事を開催した。開催日時は 2014年11月 1 日(土曜日)であった。場 所は駿河台キャンパスのアカデミーコモ ン 3 階のアカデミーホールと 2 階のビク トリーフロアであり、13時から記念式典 及び記念講演を行った。そして16時から 記念祝賀会を催した。 アカデミーホールで行われた記念式典の登壇者は学長、理事長、校友会長、評議会議長、学 部長経験者の狩野芳一名誉教授そして学務理事であった。式場には「明治大学理工学部創設70 周年記念式典」という看板が掲げられ、武野純一実行委員長による開会の辞、荒川利治理工学 部長による式典の辞と続き、いよいよ式典が始まった。そこではまず日髙憲三理事長の挨拶が あり、続いて福宮賢一学長の挨拶が為された。さらに本学校友会の向殿政男会長と続き、久保 田寿夫教務主任が最後に記念式典の閉会を宣言した。 続いて同ホールでは記念講演会が開催された。まず初めに、校友会副会長、元理工学部教授 である北野大氏によって「技術教育の勧め-北野家の母の教えより」が講演された。続いて、 都市計画家、建築学科卒業である西郷真理子氏によって「明治大学で学んだこと 持続可能な まちづくり」が講演された。北野氏は、弟でタレントでもある北野武氏との兄弟の思い出と、 母から受けた温かな教育について、熱く語った。また、西郷氏は自身が進める「地方創成事業」 について熱心に語り、大学の社会連携機能との共同事業をすぐにでも立ち上げるべきとのアイ デアを披露した。両者の講演に対し会場からは大きな反響があったことを申し添える。 記念行事は続いて、記念祝賀会を開催した。会場であるビクトリーフロアに演壇を設けると ともに、その近くには通常の会食テーブル席を、その他は立食テーブルが用意された。登壇者 や主賓、実行委員はテーブルに着席した。この構成はできるだけ多くの校友の参加を期待する ためである。もちろんのこと、会場には演壇の上に「明治大学理工学部創設70周年記念祝賀会」 なる吊り看板が大きく掲げられ、各テーブルは真っ白なシーツで飾られていた。記念祝賀会は 武野委員長の挨拶で始まり、続いて荒川学部長が挨拶した。来賓からは、まず狩野元理工学部 長から祝辞を受け、続いて電気工学科卒業生松永伍生氏、機械工学科卒業生光成豊明氏から祝 辞を受けた。食事はシャンパンの乾杯から始まり、フルコースのフランス料理がふるまわれた。 乾杯の挨拶は三木一郎学務理事であった。食事中には明治大学の男声合唱団グリークラブによ るコーラスがあり和やかな雰囲気で記念祝賀会は進行していった。最後に中村幸男教務主任が 閉会を宣言した。記念式典、記念祝賀会の司会は、本学卒業生でフリーアナウンサーである竹 70周年記念式典の様子 19-05-372_000_学部006_創設70周年行事.indd 28 2020/02/20 16:43:5729 山まゆみ氏であった。 最後に、記念式典において70周年記念モニュメントの制作提案がなされ、募金が行われた。 記念モニュメントとしては杉板の木製ベンチと杉の年輪を利用したオブジェが計画された。各 学科と一般校友から50万円程度の募金がなされた。後にこのモニュメントはD館の 1 階に展示 された。なお杉板はD館建設予定地に植生していたヒマラヤ杉を伐採後に再利用した部材で あったことを申し添える。 記念式典への参加者は学内参加者を含め約680名であった。その内の430名が記念祝賀会へ参 加した。参加募集は卒業生42,896名と退職した理工学部教職員、学内関係者に行事案内を郵送 した。なお祝賀会については先着の申込制とした。 19-05-372_000_学部006_創設70周年行事.indd 29 2020/02/20 16:43:57
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