印 象 派 グ ル ー プ の 中 に 、 ギ ュ ス タ ー ヴ ・ カ イ ユ ボ ッ ト と い う あ ま り 日 本 で は 知 ら れ て い な い 画 家 が い る 。 カ イ ユ ボ ッ ト は 一 八 四 八 年 八 月 十 九 日 パ リ に 生 ま れ た 。 父 マ ル シ ア ル ・ カ イ ユ ボ ッ ト ︵ 一 七 九 九 │ 一 八 七 四 ︶ は 、 軍 隊 に シ ー ツ な ど 様 々 な 生 地 を 売 る 仕 事 で 大 き な 富 を 築 い て い た 。 母 は セ レ ス ト ・ ド ー フ レ ー ヌ ︵ 一 八 一 九 │ 一 八 七 八 ︶、 夫 よ り 二 十 歳 も 年 下 で あ っ た が 、 マ ル シ ア ル は 過 去 に 二 度 の 結 婚 歴 が あ り 、 セ レ ス ト は 三 度 目 の 妻 で あ る 。 セ レ ス ト は ギ ュ ス タ ー ヴ の 後 に 二 人 の 弟 ル ネ ︵ 一 八 五 一 │ 一 八 七 六 ︶ と マ ル シ ア ル ︵ 一 八 五 三 │ 一 九 一 〇 ︶ を 生 む [ 註 1]。 ギ ュ ス タ ー ヴ の 上 に は 父 と 二 人 目 の 妻 と の 間 に 生 ま れ た 兄 ア ル フ レ ッ ド ︵ 一 八 三 四 │ 一 八 九 六 ︶ が い る が 、 彼 は 一 八 五 八 年 に 神 父 の 資 格 を 得 て 、 パ リ の サ ン ・ ジ ョ ル ジ ュ ・ ド ・ ヴ ィ レ ッ ト 教 会 の 司 祭 に な っ て い た 。 父 は 生 地 を 売 る 仕 事 の 一 方 、 セ ー ヌ 県 の 商 業 裁 判 所 の 判 事 も 兼 ね て お り 、 息 子 を 名 門 リ セ ・ ル イ ・ ル ・ グ ラ ン に 入 学 さ せ て 法 律 を 学 ば せ た 。 ギ ュ ス タ ー ヴ は 一 八 七 〇 年 に 法 学 士 の 資 格 を 得 た が 、 彼 は 実 学 よ り も 芸 術 に 関 心 を 持 ち 始 め て い た 。 一 八 七 〇 年 、 ギ ュ ス タ ー ヴ は 当 時 名 声 の あ っ た ア カ デ ミ ー の 画 家 レ オ ン ・ ボ ン ナ︵ 一 八 三 三 │ 一 九 二 二 ︶の ア ト リ エ で 絵 画 を 学 び 始 め 、一 八 七 三 年 に は エ コ ー ル ・ デ ・ ボ ー ザ ー ル に 合 格 し た が 、 一 年 あ ま り で 通 わ な く な っ た 。 と い う の も 入 学 し た 翌 年 の 冬 、 一 八 七 四 年 十 二 月 二 五 日 に 父 が 亡 く な り 、 二 〇 〇 万 フ ラ ン と い う 遺 産 の 他 に 、 広 大 な 家 屋 敷 、 別 荘 、 国 債 な ど を 遺 し た か ら で あ る 。 遺 産 は 母 親 の セ レ ス ト と 四 人 の 子 供 た ち が 分 割 し て 受 け 継 い だ の で 、 ギ ュ は 何 不 自 由 な く 、 好 き な 絵 画 に 没 頭 す る こ と が で き た 。 ち な み に 異 母 フ レ ッ ド は パ リ で 最 も 裕 福 な 神 父 と 評 判 に な っ た そ う で あ る 。 ギ ュ ス タ ー ヴ が 幼 い 頃 か ら 、 家 族 は パ リ 近 郊 の エ ー ル [ 註 2] の 別 す こ と が 多 く 、 ギ ュ ス タ ー ヴ の 初 期 の 作 品 に は こ の エ ー ル を 描 く こ と た 。 し か し 一 八 七 八 年 に エ ー ル を 遺 贈 さ れ た 母 が 亡 く な っ て 、 家 族 は 手 放 す こ と に な っ た 。 ギ ュ ス タ ー ヴ は 弟 の マ ル シ ア ル と は 特 に 仲 が 良 死 後 は パ リ の メ ル モ ニ ル の ア パ ー ト で 共 同 生 活 を 送 っ た 。 こ の こ ろ 、 派 を 形 成 す る こ と に な る 若 い 画 家 た ち 、 ド ガ 、 モ ネ 、 ル ノ ワ ー ル 等 と に な っ た [ 註 3]。 一八七五年 に ﹁ 床削 りの 人々 ﹂︵ L es R aboteurs de par quet ︶ ︻ fi g. ン ︵ 官 展 ︶ に 出 品 し た が 、 あ ま り に 平 凡 な 日 常 を 描 く 作 品 で あ り 、 審 は ﹁ 粗 野 ﹂ で あ る と し て 拒 絶 し た 。 こ の 経 験 が ギ ュ ス タ ー ヴ を ア カ デ 遠 ざ け 、 若 い 印 象 派 に よ り 近 づ け る こ と に な っ た 。 彼 は 一 八 七 六 年 春 印 象 派 展 に ﹁ 窓 辺 の 若 い 男 ﹂︵ Jeune ho mme à la fenêtr e ︶︵ 一 八 七 五 ︵ L e déjeuner ︶︵ 一 八 七 六 ︶、 ﹁ ピ ア ノ を 弾 く 若 い 男 ﹂︵ Jeune Ho mme au P ︵ 一 八 七 六 ︶ な ど と 共 に こ の ﹁ 床 削 り の 人 々 ﹂ を 出 品 し た 。 現 在 オ ル 館 に 展 示 さ れ る こ の 作 品 が 、 カ イ ユ ボ ッ ト の 代 表 作 と し て 最 も 知 ら れ モ ネ や ド ガ な ど と 同 じ く 、 ギ ュ ス タ ー ヴ も 当 時 流 行 の ジ ャ ポ ニ ス ム
及
川
茂
ギ
ュ
ス
タ
ー
ヴ
・
カ
イ
ユ
ボ
ッ
ト
の
ジ
ャ
ポ
ニ
ス
ム
【Fig.2】ヨーロッパ橋 1876 ジュネーヴ、プチ・パレ美術館 強調した遠近法に浮世絵の影響が見られる。 Le Pont de l Europe, 1876. Association des Amis du Petit Palais, Genève. Photo : Studio Monique Bernaz, Genève
受 け た 画 家 で あ る 。 浮 世 絵 の 極 端 な 遠 近 法 が 若 い 画 家 た ち の 関 心 を 引 わ れ る が 、 カ イ ユ ボ ッ ト の 幾 つ か の 作 品 に み ら れ る 遠 近 法 を 強 調 し た く に そ の 傾 向 が 強 い 。 ︻ Fi g. 2︼ 彼 の 最 初 期 に 属 す る 作 品 で あ る ﹁ ス ト ー ブ の あ る ア ト リ エ の 室 内 ﹂︵ de l ’ A telier av ec le P oêle ︶︵ 一 八 七 二 │ 七 四 ︶ ︻ fi g. 3︼︻ Fi g. 4︼ に は 、 二 絵 が 模 写 さ れ て い る 。 左 側 の 壁 に 掛 け ら れ た 二 点 の 絵 画 は 明 ら か に 三 枚 続 き の 浮 世 絵 で あ ガ ン や ゴ ッ ホ の よ う に 細 か な 筆 致 で 描 か れ て お ら ず 、 細 部 は 不 明 だ が も が 画 面 を 左 上 か ら 右 下 に 斜 め に 走 る 空 間 が あ る 。 多 く の 浮 世 絵 は 水 に 人 物 が 描 か れ る こ と が 多 く 、 こ の よ う に 画 面 が 斜 め の 空 間 で 切 ら れ 品 は 少 な い 。 こ の よ う に 際 立 っ た 特 徴 あ る 作 品 で あ る の で 却 っ て 同 で 、 月 岡 ︵ 大 蘇 ︶ 芳 年 ︵ 一 八 三 九 │ 一 八 九 二 ︶ の ﹁ 東 京 妓 楼 一 覧 ﹂ ︻ fi g. 川 芳 虎 ︵ 文 政 年 間 │ c一 八 八 八 ︶ の ﹁ 今 様 廓 内 黄 金 瓶 ﹂ ︻ Fi g. 6︼ で あ 判 明 し た 。 浮 世 絵 を 自 作 の 中 に 模 写 す る 例 は 、 ホ イ ッ ス ラ ー を 始 め 、 マ ネ 、 ゴ ッ ホ な ど 印 象 派 、 後 期 印 象 派 の 画 家 に と っ て 珍 し い こ と で は な い 。 ラ ー が 自 作 品 に 広 重 の 浮 世 絵 を 数 点 模 写 し た の は 一 八 六 四 年 前 後 の こ え ば ﹁ 紫 と 金 の カ プ リ ス N o.
2
│ ゴ ー ル デ ン ス ク リ ー ン ﹂︵ 一 八 六 四 ︶ 描 い た 広 重 の ﹃ 六 十 余 州 名 所 図 会 ﹄ の 数 点 は 、 ロ ー レ ン ス ・ オ リ フ ァ ン ル ギ ン 卿 の 中 国 ・ 日 本 旅 行 記 ﹄︵ 一 八 五 九 ︶ に 挿 絵 と し て 挿 入 し た 作 も の が 認 め ら れ る の で 、 恐 ら く ホ イ ッ ス ラ ー の ロ ン ド ン 滞 在 中 に オ リ か ら 借 り た と 想 像 さ れ る [ 註 4]。 マ ネ が ﹁ エ ミ ー ル ・ ゾ ラ の 肖 像 ﹂︵ に 描 い た 初 代 歌 川 国 明 作 ﹁ 大 鳴 門 灘 右 衛 門 ﹂ は 前 年 に 開 催 さ れ た パ リ 川 幕 府 が 出 品 し た 浮 世 絵 で あ る 。 マ ネ は ﹁ 休 息 ﹂ の 背 景 に も 国 芳 の ﹁ 竜 を 模 写 し て い る が 、 こ れ も 万 博 開 催 後 に 売 り 出 さ れ た 作 品 と 推 測 さ れ ガ ン や ゴ ッ ホ が 目 に し た 浮 世 絵 は 、 ゴ ッ ホ の 弟 テ オ が 自 分 の 働 く グ ー か ら ゴ ッ ホ に 渡 し た 作 品 で あ る 。 そ れ で は カ イ ユ ボ ッ ト は ど こ で こ れ ら の 浮 世 絵 を 入 手 し た の で あ ろ 年 、 芳 虎 、 両 方 の 作 品 と も 一 八 七 〇 ︵ 明 治 三 ︶ 年 の 刊 行 で あ る の で 、 【Fig.3】カイユボット『ストーブのあるアトリエの室内』(1872-74)個人像 Intérieur d atelier avec pôele, 1872.
Collection privée
【Fig.5】月岡(大蘇)芳年 東京技楼一覧 1870 政田屋版
年 パ リ 万 博 に 出 品 さ れ 閉 会 後 に 売 却 さ れ た 作 品 で は な い 。 明 治 の 初 年 に 日 本 を 訪 れ た フ ラ ン ス 人 観 光 客 か 美 術 商 を 介 し て 、 入 手 し た と 考 え る の が 自 然 で あ る 。 明 治 初 期 に お け る 浮 世 絵 流 出 に 関 す る 資 料 は 乏 し く 、 ま た そ の 内 容 に ま で 踏 み 込 ん で 検 証 で き る ケ ー ス は ほ と ん ど な い 。 し か し 一 八 七 〇 年 刊 行 の 浮 世 絵 が 一 八 七 二 年 か ら 七 四 年 の 間 に カ イ ユ ボ ッ ト に よ っ て 模 写 さ れ た 事 実 は 、 明 治 初 期 に 来 日 し た 欧 米 人 が 、 刊 行 直 後 の 新 作 の 浮 世 絵 を 持 ち 帰 っ た こ と を 示 し て い る 。 現 在 、 浮 世 絵 の 大 コ レ ク シ ョ ン を 擁 す る 美 術 館 、 た と え ば ボ ス ト ン 美 術 館 や 大 英 博 物 館 の コ レ ク シ ョ ン は 、 あ た か も 幕 末 か ら 明 治 初 期 に か け て 来 日 し た ア メ リ カ 人 、 イ ギ リ ス 人 が 、 江 戸 の 町 で 歌 麿 や 写 楽 を 大 量 に 買 い あ さ り 、 そ れ ら が 母 体 と な っ た か の よ う な 誤 解 が あ る 。 し か し そ れ は 誤 り で あ る 。 江 戸 の 町 中 の 絵 草 子 屋 が 販 売 し て い た 浮 世 絵 や 版 本 は 、 そ の 時 々 に 印 刷 さ れ 、 売 り 出 さ れ た 新 作 が 中 心 で あ る 。 菱 川 師 宣 が 活 躍 し た の は 元 禄 期 ︵ 十 七 世 紀 末 ︶ で あ る 。 鈴 木 春 信 の 作 品 は 明 和 期 ︵ 十 八 世 紀 中 葉 ︶ に 刊 行 さ れ 、 歌 麿 や 写 楽 は 寛 政 期 ︵ 十 八 世 紀 末 ︶ に 活 躍 し た 。 外 国 人 が 来 日 し 始 め た 幕 末 の 安 政 年 間 か ら 慶 応 年 間 に 、 五 十 年 余 り も 遡 る 歌 麿 や 写 楽 が 絵 草 子 屋 の 店 先 に あ っ た わ け が な い 。 否 、 幕 末 の 絵 師 と さ れ る 北 斎 、 国 芳 や 英 泉 で さ え 、 す で に 十 年 、 二 十 年 も 前 に 世 を 去 っ て お り 、 そ う い う 作 品 は 店 の 奥 に 埃 を か ぶ っ て い た の を 探 し 出 さ ね ば 、 手 に は 入 ら な か っ た は ず で あ る 。 だ か ら 明 治 初 年 に 来 日 し た 外 国 人 が 目 に し 、 手 に す る こ と の で き た 浮 世 絵 は 、 当 時 活 躍 し て い た 二 代 国 貞 、 芳 年 、 芳 幾 、 芳 虎 、 あ る い は 二 代 広 重 や 三 代 広 重 、 貞 秀 、 国 周 な ど で あ る 。 古 い 作 品 と し て は 、 お そ ら く ベ ス ト セ ラ ー で あ っ た 初 代 広 重 の 東 海 道 シ リ ー ズ や 北 斎 の 絵 本 、 三 代 豊 国 の 役 者 絵 や 国 芳 の 武 者 絵 な ど が 再 版 さ れ て 店 頭 に 置 か れ て い た と 考 え ら れ る 。 そ も そ も 浮 世 絵 の 置 か れ た 位 置 は 、 今 日 と は 比 べ 物 に な ら な い く ら い 低 か っ た 。 江 戸 時 代 を 通 じ て 、 浮 世 絵 は 江 戸 庶 民 の 娯 楽 に 過 ぎ ず 、 芝 居 や 遊 女 、 相 撲 な ど の 人 気 者 を 版 画 に 摺 っ て 売 り 出 し た も の で 、 一 過 性 の 慰 み も の で あ っ た 。 値 段 も 安 価 で 、 芝 居 が 終 わ り 、 遊 女 が 代 替 わ り し 、 力 士 が 引 退 す れ ば 、 彼 ら を 描 い た 浮 世 絵 も 捨 て ら れ る か 、 襖 や 障 子 の 穴 埋 め に 使 わ れ て 消 滅 し た も 古 紙 と し て リ サ イ ク ル さ れ よ う と し た も の が 、 く ず や の 立 て 場 な ど に 大 量 に 保 存 さ れ て 、 タ イ ム ト ン ネ ル の よ う に 数 十 年 を 生 き 延 び た も の 江 戸 時 代 か ら 明 治 初 期 の 古 本 屋 が 古 い 浮 世 絵 を 扱 っ た こ と は 、﹁ 浮 世 と 昔 ﹂ の 中 で 、 竹 田 泰 次 郎 が 語 っ て い る と お り で あ る [ 註 5]。 あ る い は 田 舎 か ら 江 戸 を 訪 れ た 人 々 が 江 戸 土 産 と し て 、 軽 く て 持 ち い 浮 世 絵 を 買 っ て 、 田 舎 の 家 族 や 親 戚 に 役 者 絵 や 名 所 絵 を 見 せ た 。 そ 世 絵 が 蔵 の 中 に 数 十 年 も の 間 、 保 存 さ れ て 残 っ た も の も あ る 。 い ず れ に し て も 、 元 禄 期 か ら 明 和 、 寛 政 期 に 出 版 さ れ た 古 い 一 五 〇 年 か ら 二 〇 〇 年 後 の 明 治 ま で 生 き 残 っ た の は 奇 跡 で あ る 。 そ れ ら 古 い 浮 世 絵 を 発 掘 し た の は 主 と し て 外 国 人 で あ っ た 。 現 在 、 日 本 美 術 を 代 表 す る 美 術 品 と し て 、 日 本 国 内 よ り も 世 界 各 地 の 美 術 館 保 存 さ れ て い る 。 世 界 最 大 の 浮 世 絵 コ レ ク シ ョ ン で あ る ボ ス ト ン 美 術 館 で は 、 フ ェ ノ ゲ ロ ー 、 ス ポ ー ル デ ィ ン グ 兄 弟 の コ レ ク シ ョ ン が 明 治 中 期 か ら 後 期 に 蔵 さ れ る こ と に よ っ て 、 質 量 と も に 世 界 一 の コ レ ク シ ョ ン が 形 成 さ れ ゴ 美 術 館 の 膨 大 な バ ッ キ ン ガ ム ・ コ レ ク シ ョ ン の 成 立 も 十 九 世 紀 末 か 紀 初 頭 で あ る 。 大 英 博 物 館 の ア ン ダ ー ソ ン や モ リ ソ ン の コ レ ク シ ョ ン 二 十 世 紀 の 初 頭 で あ る 。 フ ラ ン ス の ギ メ 美 術 館 も ギ メ と レ ガ メ ー の 来 九 年 ︶ と 共 に 日 本 美 術 コ レ ク シ ョ ン が 始 ま り 、 美 術 館 自 体 が リ ヨ ン か 移 転 し た 十 九 世 紀 末 か ら 二 十 世 紀 初 め に か け て 、 大 き な コ レ ク シ ョ ン れ た 。 こ れ ら の 世 界 的 な 名 品 の コ レ ク シ ョ ン は 、 浮 世 絵 研 究 の 進 展 に 伴 っ 代 か ら の 作 品 が 系 統 的 に 収 集 さ れ た 結 果 を 示 し て い る 。 十 九 世 紀 の 末 で 、 浮 世 絵 の 全 体 像 が ど の よ う な も の で あ る か は 、 誰 も 知 ら な か っ 一 八 八 八 年 に ロ ン ド ン の バ ー リ ン ト ン ・ ア ー ト ・ ク ラ ブ で 開 催 さ れ た が 、 ヨ ー ロ ッ パ で の 最 初 期 の 展 覧 会 で あ る 。 大 英 博 物 館 に 寄 贈 さ れ た ソ ン ・ コ レ ク シ ョ ン を 中 心 と し た も の で 、 中 世 の 仏 画 か ら 幕 末 の 役 者 示 さ れ た が 、 浮 世 絵 師 の 版 本 も 琳 派 の 絵 本 も 区 別 な く 、 版 画 全 体 が 浮 て 扱 わ れ て い る 。 し か も 師 宣 や 鳥 居 清 信 、 清 倍 な ど は 十 点 に も 満 た ず
画 が き わ め て 少 な か っ た 事 実 を 語 っ て い る 。 次 い で 一 八 九 〇 年 に パ リ の 国 立 美 術 学 校 で 大 規 模 な 浮 世 絵 展 が 開 催 さ れ 、 ジ ー ク フ リ ー ト ・ ビ ン グ が カ タ ロ グ を 制 作 し た が 、 こ こ で 初 め て 師 宣 か ら 幕 末 の 歌 川 派 ま で が 浮 世 絵 師 と い う ジ ャ ン ル で 網 羅 さ れ た 。 こ の 展 覧 会 に 前 後 し て 、ビ ン グ は ﹃ 芸 術 の 日 本 ﹄ を 英 語 、仏 語 、 独 語 で 刊 行 し て お り 、 よ う や く 浮 世 絵 の 全 体 像 が 知 ら れ る よ う に な っ た 。 エ ド モ ン ・ ド ・ ゴ ン ク ー ル に よ る ﹃ 歌 麿 ﹄︵ 一 八 九 一 ︶ と ﹃ 北 斎 ﹄︵ 一 八 九 六 ︶ が 出 版 さ れ 、 ヴ ォ ル デ マ ー ル ・ フ ォ ン ・ ザ イ ト リ ッ ツ の ﹃ 浮 世 絵 の 歴 史 ﹄︵ 一 八 九 七 ︶ に よ っ て 、 初 め て 系 統 的 な 浮 世 絵 史 が 明 ら か に な っ た 。 つ ま り 江 戸 の 絵 草 子 屋 の 店 先 を 飾 る の は 出 版 さ れ た ば か り の 新 作 だ け で あ り 、 浮 世 絵 の 全 体 像 が 知 ら れ る よ う に な っ た の は よ う や く 明 治 二 十 年 代 で あ る 。 古 い 時 代 の 作 品 は 林 忠 正 が 苦 労 し た よ う に 、 日 本 全 国 の 田 舎 を 回 っ て 探 し 出 さ ね ば 見 つ か ら な か っ た 。 歌 麿 の 三 枚 続 き ﹁ ア ワ ビ 取 り ﹂ が 日 本 の ど こ を 探 し て も も は や 見 つ か ら な い と 嘆 息 す る の が こ の 頃 で あ る 。 明 治 初 期 中 期 に 来 日 し て 浮 世 絵 を 集 め 、 そ の ま ま 保 存 さ れ て き た コ レ ク シ ョ ン 、 例 え ば チ ェ コ の ヴ ォ イ タ ・ ナ ー プ ル ス テ ク ︵ 一 八 二 六 │ 一 八 九 四 ︶ や ヨ セ フ ・ コ ジ ェ ン ス キ ー ︵ 一 八 四 七 │ 一 九 三 八 ︶、 ハ ン ガ リ ー の フ ェ レ ン ツ ェ ・ ホ ッ プ ︵ 一 八 三 三 │ 一 九 一 九 ︶、 ロ シ ア の サ ン ク ト ペ テ ル ス ブ ル ク の セ ル ゲ イ ・ キ タ ー ノ フ ︵ 一 八 六 四 │ ? ︶ な ど の コ レ ク シ ョ ン の 中 心 を な す の が 、 ほ と ん ど 幕 末 か ら 明 治 に か け て 出 版 さ れ た 作 品 ば か り で あ る と い う 事 実 が 、 い み じ く も 当 時 の 江 戸 ︵ 東 京 ︶ で 入 手 で き た 浮 世 絵 の 実 際 の 様 子 を 語 っ て い る 。 明 治 初 期 に 日 本 を 訪 れ た 人 々 は 、 ま さ に 絵 草 子 屋 の 店 頭 に 置 か れ て い た 出 版 さ れ た ば か り の 作 品 、 あ る い は 絵 草 子 屋 の 在 庫 に あ っ た 作 品 を 買 い 集 め た の で あ る 。 歌 麿 や 春 章 、 初 代 豊 国 な ど の 作 品 は 、 よ ほ ど 苦 労 し な け れ ば 見 つ け る こ と は 不 可 能 で あ っ た 。 ま し て そ れ 以 前 の 墨 摺 り 時 代 の 師 宣 、 懐 月 堂 や 奥 村 政 信 、 錦 絵 の 創 始 者 で あ る 春 信 な ど は 、 滅 多 に 見 つ か ら ぬ 貴 重 な 版 画 で あ っ た 。 最 も 古 い 浮 世 絵 の コ レ ク シ ョ ン は 、 文 政 期 に 来 日 し た シ ー ボ ル ト の コ レ ク シ ョ ン で あ ろ う 。 し か し そ の 中 心 は 同 時 代 の 国 貞 、 英 山 、 英 泉 な ど で あ り 、 寛 政 期 の 歌 麿 や 豊 国 な ど が 見 ら れ な い の は 、 や は り そ の 時 期 に 印 刷 さ れ た 新 作 し か 店 先 に な か っ た か ら で あ る 。 印 象 派 や そ の 周 辺 の 画 家 た ち が 浮 世 絵 を 模 写 し て い る 例 も 、 当 時 流 通 し て い た 浮 世 絵 の 種 類 を 類 推 さ せ る 資 料 で あ る 。 ホ イ ス ッ ラ ー の 描 い た 作 品 に 見 ら れ る 模 写 は 一 八 五 四 年 か ら 五 六 年 に か け て 出 版 さ れ た 広 重 の ﹃ 六 十 余 会 ﹄、 マ ネ は 一 八 六 〇 年 こ ろ に 刊 行 さ れ た 初 代 国 明 の ﹁ 大 鳴 門 灘 右 衛 芳 の ﹁ 竜 宮 玉 取 姫 ﹂ の 後 摺 り で あ る ﹁ 浅 草 奥 山 生 人 形 ﹂、 ゴ ー ガ ン は 年 に 刊 行 さ れ た 芳 幾 の ﹁ 曽 我 綉 侠 御 所 染 ﹂、 ギ ュ ス タ ー ヴ ・ モ ロ ー も 年 の 二 代 国 清 ﹁ 碁 太 平 記 白 石 噺 復 讐 本 望 之 図 ﹂ を 模 写 し て い る 。 最 浮 世 絵 を 自 作 に 描 い た ゴ ッ ホ は 三 代 豊 国 の ﹁ 遊 女 高 尾 ﹂、 広 重 の ﹃ 五 所 図 会 ﹄ か ら ﹁ 石 薬 師 ﹂、 英 泉 の ﹁ 雲 竜 内 掛 花 魁 ﹂、 あ る い は 明 治 期 の 縮 谷 朝 顔 市 ﹂ な ど を 模 写 し て い る 。 い ず れ も 幕 末 か ら 明 治 初 期 に 絵 草 子 を 飾 っ て い た と 思 わ れ る 作 品 で あ る 。 幕 末 か ら 明 治 に か け て 出 版 さ れ を 、 一 概 に ﹁ 頽 廃 記 ﹂ と 名 付 け て 低 く 見 る 史 家 も い る が 、 印 象 派 の 画 し た 作 品 は 、 現 代 か ら み て 幕 末 期 の 傑 作 が 多 い 。 決 し て 目 に し た だ け を 模 写 し て い る の で は な く 、 彼 ら の 視 点 で 選 択 し た の で あ る 。 か つ て 美 術 研 究 の 専 門 家 が 、 印 象 派 画 家 の 描 い た 浮 世 絵 に は 歌 麿 や 信 な ど 、 巨 匠 の 作 品 が 無 い の は 、 ヨ ー ロ ッ パ 人 に は 浮 世 絵 の 価 値 が 分 か た か ら だ と い う 暴 論 を 展 開 し た こ と が あ る が 、 十 九 世 紀 中 葉 、 ヨ ー ロ ち ろ ん 、 日 本 で も 古 い 巨 匠 の 浮 世 絵 は ほ と ん ど 見 る こ と が で き な か あ る 。 カ イ ユ ボ ッ ト の 描 い た 二 点 の 浮 世 絵 に 目 を 向 け て み よ う 。 両 作 品 と 斜 め に 使 っ た 構 図 が 特 徴 で あ る 。 三 枚 続 き の 浮 世 絵 は 一 枚 ご と に 同 じ 大 き さ の 人 物 を 描 く の が ふ つ う で あ っ た 。 美 人 画 で あ れ ば 花 魁 を 一 枚 つ 三 人 、 あ る い は 二 人 ず つ 六 人 、 役 者 絵 で あ れ ば 立 役 、 女 形 を バ ラ ン 置 し 、 ど の 一 枚 で も 単 独 で 売 る こ と の で き る 構 図 が 好 ま れ た 。 し か し る と 一 枚 ず つ 単 独 で 売 る よ り も 、 迫 力 あ る 三 枚 続 き が 主 流 と な り 、 国 な 作 品 や 国 周 の ﹁ 三 枚 続 き 独 り 立 ち ﹂ の 役 者 絵 の よ う に 、 三 枚 揃 わ な 味 を な さ な い 作 品 が 生 ま れ 、 ま た 好 ま れ た 。 こ こ に あ る 二 点 の 作 品 は い ず れ も 吉 原 の 遊 郭 の 内 部 を 描 い て お り 、 品 は 源 氏 絵 の よ う に 、 天 井 を 取 り 払 っ て 空 中 か ら 遊 郭 の 内 部 を 見 る 吹 技 法 を 使 っ て い る 。 こ れ は ﹁ 東 京 妓 楼 一 覧 ﹂ と 題 さ れ て お り 、 版 元 刊 行 は 一 八 七 〇 ︵ 明 治 三 ︶ 年 午 年 の 三 月 の 改 印 が あ る 。 ど こ の 遊 郭 で
不明 だが 、部 屋 数 の 多 さや 花魁 の 数 などから 見 て 、吉 原 の 大楼 であろう 。左 上 では 大尽 が 宴会 の 最中 で 、 廊 下 に 三人 の 花魁 が 並 んで 部屋 に 入 ろうとしている 。 左下 でも 宴会 は 真 っ 盛 りで 、幇 間 が 外 を 覗 いているのは 、廊 下 で 酔 っ 払 った 客 が 起 こした 騒 ぎに 気 を 取 られたのであろう 。 その 廊下 では 酔客 が 着物 を 乱 し て 、女 中 に 両手 をつかまれている 。 こういう 野暮 な 客 は 外 に 放 り 出 されるのが 落 ちである 。廊 下 の 両側 には 花魁 の 控 えの 間 や 布団部屋 があり 、右 端 にはこの 楼閣 の 使用人 であろうか 、大 きな 杯盤 に 大盛 りの 料理 を 運 んでいる 。 この 男 の 持 つ 提灯 に ﹁ 政田屋 ﹂ の 名 があるが 、 これが 版元 である [註 7]。 芳虎 の 作品 は ﹁ 今様廓内黄金瓶 ︵ いまようくるわないこがねのかめ ︶ ﹂ と 題 され 、花 魁 や 禿 が 舞台 で 踊 る 若 い 芸者 を 見 ている 。 この 版元 は 丸 に ﹁ い ﹂ の 字 の 記号 から 沢村屋 と 分 かる 。発 行 は 芳年 と 同 じく 一八七〇年 、 改印 は 午 の 二月 である 。同 じく 遊郭 の 内部 を 描 いた 作品 だが 、 この 場所 には 客 である なくて 、廓 内 で 花魁 たちが 同朋 の 踊 りを 見 ている 図 である 。花 魁 たちの 書 かれており 右 から 白鳥 、 小中条 、 今紫 、 小最章 、 小太夫 、 北洲 、 瀟湘 て 一番左 で 食 い 入 るように 踊 り 子 を 見 つめているのが 盛紫 である 。 この 楼閣 について 考証 すると 、 一八七〇 ︵ 明治三 ︶ 年 に 出版 された 細見記 ﹄ ︻ Fi g. 7︼ から 大黒屋金兵衛 の 廓 であることが 分 かる 。細 見 最上段筆頭 に 来 るのが 瀟湘 、 次 いで 今紫 、 小太夫 、 北洲 、 白鳥 、 小中条 章 と 並 び 、 上段最後 に 盛紫 が 来 る 。 この ﹃ 細見記 ﹄ は 明治三年 の 春 の るから 、 まさに 芳虎 の 版画 の 刊行 の 時期 であり 、大 黒 屋 の 上級 の 花魁 いていると 考 えられる 。 とすれば 花魁筆頭 の 瀟湘 が 舞台 のすぐ 下 にいて 子 の 踊 りを 見、 盛 紫 が 直接 の 指導 にあたり 、上 級 の 花魁 である 白鳥 や 最章 が 後列 で 悠然 と 観察 している 様子 が 写実的 に 描 かれている 。 ここまで 正確 に 花魁 の 名前 や 姿 を 描 きながら 、 この 浮世絵 が 大黒屋 いう 記述 がどこにもないのは 不思議 だが 、 大黒屋 が 配 りものとして 澤村屋 文 したと 考 えればつじつまは 合 う 。 あるいは 当時 は 花魁 の 名 があれば 遊郭 であるかということは 周知 の 事実 であったのかも 知 れない 。 カイユボットが 自分 のアトリエの 壁 に 額 に 入 れて 飾 った 二点 の 浮世絵 ずれもが 遊郭 を 描 き 、 しかも 構図的 にも 斜 めに 廊下 が 走 る 作品 であることは 興味深 い 。 ゴンクールの ﹃歌 麿 │ 青楼 の 画家 ﹄ が 出版 されたのは 一八九一年 あるが 、 それに 先立 つ 二十年 も 前 に 、 パリでは 日本 の 吉原 の 遊女 がすでに 画家 に 知 られていたのである 。 またカイユボットの 作品 には 、画 面 対角線 の 走 るものが 多 い 。 カイユボットの 美学 として 、対 角 線 を 多用 ︻ Fi g. 8︼、 その 原点 にこのような 浮世絵 が 存在 したのである 。 なお 、 カイユボットは 印象派 の 若 い 画家 たちを 経済的 に 救 ったという も 重要 な 立場 の 画家 である 。彼 は 印象派展 に 積極的 に 参加 したのみならず 示 された 作品 を 自 ら 購入 し 、 経済的 に 貧 しい 若 き 印象派 の 画家 たちを 救 いだした 。各 々 の 画家 が 経済的 に 自立 するようになると 、彼 は 作品 止 めている 。 一八九四年三月十一日 にカイユボットが 四五歳 の 若 さで 亡 くなった 【Fig.7】『新吉原細見記』明治3年 玉屋山三郎蔵板 右下に大黒屋の花魁 の一覧がある。
【Fig.8】田舎の人々の肖像 1876 バイユー、バロン・ジェラール美術館 エールの別荘の庭に座る家族を描いた作品。手前から従妹 のマリー・カイユボット、叔母のシャルル・カイユボット夫人、ベンチに座る友人のユー夫人、右端の奥が母。
自 分 の 所 蔵 す る 約 六 〇 点 の 作 品 を 国 に 遺 贈 し 、 リ ュ ク サ ン ブ ー ル 美 術 館 に 展 示 す る よ う に と い う 遺 言 を 残 し た 。 そ れ ら は セ ザ ン ヌ 五 点 、 ド ガ 七 点 、 マ ネ 四 点 、 モ ネ 十 六 点 、 ピ サ ロ 十 八 点 、 ル ノ ワ ー ル 八 点 、 シ ス レ ー 九 点 等 で あ る 。 し か し 印 象 派 が か な り 世 間 に は 認 め ら れ て も 、 ア カ デ ミ ス ム 中 心 の 美 術 館 は 印 象 派 を 認 め る に は 至 っ て い な か っ た 。 政 府 は 無 名 の 画 家 が 集 め た 無 名 な 作 品 を さ ほ ど 評 価 せ ず 、 受 け 入 れ る ス ペ ー ス が な い と い う 理 由 で 、 全 部 を 受 け 入 れ る こ と を 拒 絶 し た 。 し ば し の 交 渉 の 末 、 新 た に 建 て ら れ た リ ュ ク サ ン ブ ー ル 美 術 館 の 新 館 に そ の 中 か ら 三 八 点 を 選 ん で 受 け 入 れ る こ と と な っ た [ 註 8]。 現 在 か ら 考 え れ ば 信 じ ら れ な い 事 態 だ が 、 遺 贈 さ れ た 三 八 点 は そ の 後 、 リ ュ ク サ ン ブ ー ル 美 術 館 か ら ジ ュ ー ・ ド ・ ポ ー ム 美 術 館 へ 、 そ の 後 オ ル セ ー 美 術 館 に 移 さ れ 、 印 象 派 絵 画 の 中 核 と な っ て い る 。 セ ザ ン ヌ の ﹁ エ ス タ ッ ク ﹂ や ド ガ の ﹁ 舞 台 の 上 に て │ バ レ ー ﹂、 マ ネ の ﹁ バ ル コ ニ ー に て ﹂、 モ ネ の ﹁ サ ン ラ ザ ー ル 駅 ﹂ な ど 、 印 象 派 の 形 成 時 期 の 傑 作 が 網 羅 さ れ て お り 、 こ の 時 に 受 け 入 れ ら れ な か っ た 作 品 も 、 現 在 で は ボ ス ト ン 美 術 館 、 メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 等 々 に 分 散 し て 、 収 蔵 さ れ て い る 。 メ ア リ ー ・ カ サ ッ ト が ア メ リ カ の 裕 福 な 友 人 に 印 象 派 の 画 家 を 紹 介 し 、 そ の た め に 多 く の 作 品 が ア メ リ カ に 買 わ れ て い っ た 。 後 年 、 フ ラ ン ス 政 府 は 、 印 象 派 の 傑 作 の 多 く が 海 外 に 流 出 し た こ と を 嘆 い た が 、 同 時 代 の 芸 術 を 評 価 す る こ と の 難 し さ を 物 語 っ て い る 。 日 本 の 浮 世 絵 の 多 く も 海 外 に 流 出 し た が 、 日 本 の 政 府 や 文 化 人 が 浮 世 絵 の 流 出 を 嘆 く 声 は 少 な い 。 浮 世 絵 は 日 本 を 代 表 す る 美 術 品 で あ る が 、 そ の 事 実 に す ら 無 知 な 日 本 人 が 多 い 。 ジ ー ク フ リ ー ト ・ ビ ン グ は ﹃ 芸 術 の 日 本 ﹄ を 刊 行 し た が 、現 代 の 日 本 は ﹁ 芸 術 ﹂ を 失 っ て し ま い 、貧 し い ﹁ マ ン ガ ﹂ や ﹁ ア ニ メ ﹂ の ﹁ 日 本 ﹂ に な っ て し ま っ た 。 も っ と も 将 来 に は こ の ﹁ マ ン ガ ﹂ や ﹁ ア ニ メ ﹂ が 、 二 一 世 紀 の 日 本 を 代 表 す る 芸 術 と 歴 史 に 書 か れ る の か も 知 れ な い 。 ︿ 参 考 文 献 ﹀ Mar ie Ber haut :
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W ildenstein Institute , P ar is.1994
J. Kir k T . V ar nedoe & Tho mas P . L ee :G
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exhibition,
1976-1977,
the Museum of F ine Ar ts, Housto n-October to Januar y2
,1976
; the Br oo kl yn Museum-F ebr uar y12
to A pr il Housto n & N ew Y or k.1976
Jo hn Re wald :The H
ist
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y of
Impr
essionism.
The Museum of Moder
N ew Y or k.
1973
︻ 註 ︼ [ 註 1] カ イ ユ ボ ッ ト の 全 作 品 目 録 を 編 集 し た マ リ ー ・ ベ ロ ー は ル ネ を 長 ︵ Ber haut p . 4 ︶、 生 年 か ら 見 て ギ ュ ス タ ー ヴ が 長 男 で あ る 。 [ 註 2] Y err es パ リ の 東 南 一 八 キ ロ に あ る 小 村 。 一 八 七 二 年 以 降 、 カ イ ユ ボ ッ 風 景 画 を 多 数 描 い た 。 [ 註 3] カ イ ユ ボ ッ ト の 若 い こ ろ の 資 料 は 乏 し く 、 マ リ ー ・ ベ ロ ー は 、 モ ネ や 合 っ た の は 一 八 七 五 年 こ ろ と 推 測 と し て い る 。 [ 註 4] ロ ー レ ン ス ・ オ リ フ ァ ン ト は エ ル ギ ン 卿 の 秘 書 と し て 一 八 五 八 年 に の 記 録 N arr ativ e of the Ear l of Elgin ' s mission to China and Japan (
刊 し た が 、 中 に 四 点 の 浮 世 絵 と 北 斎 の 挿 絵 を 多 数 挿 入 し た 。 い ず れ 中 に 求 め た 作 品 と 推 察 さ れ る が 、 中 に 広 重 の ﹃ 六 十 余 州 名 所 図 会 ﹄ が リ ト グ ラ フ ィ ー で 復 元 さ れ て い る 。 ホ イ ッ ス ラ ー は ﹁ ゴ ー ル デ ン ︵ 一 八 六 四 ︶ の 中 に 、 こ の ﹁ 駿 河 ﹂ の 他 に ﹁ 伊 予 ﹂ と ﹁ 大 隅 ﹂ を 模 写 く は Oikawa S hig er u : Edo Uki yo-e P rints in Eur op ean A rtist's W or ks, n o. 41 , 2004 参 照 [ 註 5] 玩 古 洞 竹 田 泰 次 郎 ﹁ 浮 世 絵 商 の 今 と 昔 ﹂ 反 町 茂 雄 編 ﹃ 紙 魚 の 昔 が 一 九 九 〇 、八 木 書 店 [ 註 6] 大 田 南 畝 が 寛 政 年 間 に 編 纂 し た ﹃ 浮 世 絵 類 考 ﹄ が 、 徳 川 期 の 唯 一 の 浮 る 書 物 だ が 、 三 一 人 の 絵 師 の 名 前 と わ ず か な 事 項 を 列 挙 し た 稿 本 に す 式 亭 三 馬 や 池 田 英 泉 が 補 遺 を 繰 り 返 し て 、 多 く の 絵 師 の 名 前 と 事 項 す べ て 写 本 で の み 流 布 し 、 公 刊 さ れ た の は 明 治 二 四 年 で あ る 。 [ 註 7] 国 貞 の ﹁ 青 楼 二 階 之 図 ﹂︵ 文 化 八 十 一 年 ︶ と い う 五 枚 続 き の 良 く 似 た 芳 年 は そ の 左 三 枚 を 模 倣 し て い る 。 [ 註 8] カ イ ユ ボ ッ ト の コ レ ク シ ョ ン と 政 府 が 受 け 入 れ た 作 品 の リ ス ト は 、 マ の ﹃ カ タ ロ グ ・ レ ゾ ネ ﹄ p. 281 -282 に 詳 し い 。 ︿ お い か わ ・ し げ る 日 本 女