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Vol.27 , No.1(1978)035新保 哲「一遍の念仏思想について -特に禅的思想を中心として-」

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Academic year: 2021

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(1)

一 遍 の 念 仏 思 想 に つ い て ( 新 保)

-特

て-新

一 遍 に 関 す る 語 録 ・ 法 語 か ら、 禅 的 解 釈 を 多 分 に も り こ ん だ と 考 え ら れ る 文 章 を 二、 三 拾 い 挙 げ、 問 題 点 を 論 究 し て み よ う。 つ ぎ の 一 節 に は、 禅 が 説 示 す る 基 本 的 な 概 念 が 使 用 さ れ て で て く る。 ﹁ 此 世 の 対 面 は 多 生 の 芳 契、 相 互 に 一 仏 に 帰 す る 事、 こ れ よ ろ こ び な り。 生 死 は 我 執 の 迷 情、 菩 提 は 離 念 の 一 心 な り。 生 死 本 無 な れ ば、 学 す と も か な ふ べ か ら ず。 菩 提 本 無 な れ ば、 行 ず と も 得 べ か ら ず。 し か り と い へ ど も、 ま な び ざ る 者 は い よぐ ま よ ひ、 行 ぜ ざ る 者 は い よ く め ぐ る。 此 故 に 身 を す て 渓 行 じ、 心 を つ く し て 修 す べ し。 こ の こ と は り は、 聖 道 浄 土 こ と ば ( 1) 異 な り と い へ ど も、 詮 ず る と こ ろ こ れ 一 な り ﹂。 ま ず 一 つ は、 生 死 は 我 執 の 迷 い で あ り、 生 死 一 如 な ら ば、 生 も な く 死 も な く、 生 あ る と き は 生 あ る の み、 死 あ る と き は た だ 死 あ る の み と し て、 結 極、 そ の 依 り 処 と す る 教 え の 根 本 義 を 無 の 概 念 に 帰 せ し め る と こ ろ。 特 に 菩 提 本 無 の 基 の 形 は、 六 祖 慧 能 の 説 法 の 記 録 を 整 め た ﹃ 六 祖 壇 経 ﹄ に み ら れ る も の で あ る。 因 み に 慧 能 の 一 偶 と は、 ﹁菩 提 も と 樹 な し 明 鏡 も ま た 台 に あ ら ず 本 来 無 一 物 い ず れ の と こ ろ に か 塵 埃 を 惹 か ん ﹂ と 記 す も の で あ る。 つ ぎ に 二 つ は、 一 遍 の 句 ﹁ 行 ず と も 得 べ か ら ず ﹂ と 説 く 思 惟 の 根

は、

る。

も、

る。

た、

﹁或

人、

に、

て、

る。

﹁念

は、

り。

心、

行、

ふ。

後、

ず、

る,

を、

り。

ず。

て、

( 2) す る を 期 と す べ し。 南 無 阿 弥 陀 仏 ﹂。 つ づ い て 三 つ は、 彼 は 念 仏 往 生 と は 念 仏 を 称 え た と き 即 往 生 す る の だ と い う。 こ の 念 仏 即 往 生 思 想 の 概 念 的 解 釈 に お い て は、 確 か に 禅 宗 で 説 く 一 坐 即 仏、 即 心 是 仏 に 共 通 し た 一 面 を も つ て い る。 ま た 称 名 を す る と き の 精 神 的 態 度 は、 一 向 に 称 名 し、 善 悪 を 説 か ず、 そ し て 善 悪 を 行 ぜ ず、 と い う よ う に 一 仏 の 六 字 称 名 一 つ に 徹 し 身 命 を 含 め て 他 の 諸 事 一 切 を ﹁ 捨 て ﹂ 切 る こ と で あ る。 一 遍 は こ の こ と を 説 明 す る に、 ﹃ 語 録 ﹄ の な か で、 ﹁ 身 心 を 放 下 し て、 唯 本 願 を た の み ( 3) て 一 向 に 称 名 す れ ば、 是 即 自 性 無 念 の 観 法 な り ﹂ と か ﹁ 偏 に 称 名 す ( 4) る よ り 外 に は、 余 の 沙 汰 有 べ か ら ず ﹂ と 説 き 示 し て い る。 こ こ で 一 遍 が ﹁身 心 を 放 下 し て ﹂ と 説 く 場 合、 直 感 的 に 受 け 取 つ て、 こ の 言 葉 の 背 後 に は 道 元 の 説 く ﹁ 身 心 脱 落 ﹂ と い う 悟 道 の 言 葉、 ま た は 禅 宗 等 で さ か ん に 強 調 す る ﹁ 放 下 着 ﹂ と い う 言 葉 が 活 用 さ れ て お り、 彼 の 念 仏 思 想 形 成 の 根 幹 の 一 部 に 組 み 込 ま れ て い る こ

(2)

-144-と は 間 違 い な い よ う に 思 わ れ る。 し か も 一 遍 と 交 渉 の あ つ た 無 本 覚 心 は、 確 か に 法 系 的 に は 禅 宗 の な か で も 臨 済 系 と し て 知 ら れ て い る そ し て 無 本 覚 心 は、 若 き と き 一 度 な ら ず 希 元 道 元 の 示 衆 を 受 け て い る こ と も 事 実 な の で あ る。 し て み る と、 道 元 が さ か ん に ﹁ 只 管 打 坐 ﹂ や ﹁ 専 一 修 行 ﹂、 さ ら に は ﹁ 身 心 を 挙 し て ﹂ ﹁ 一 向 に 坐 禅 す る ﹂ ﹁ 一 時 な り と い ふ も ﹂ 等 と 説 く 言 葉 の も つ 意 味 の 重 さ は、 今 度 は 一 遍 の 思 想 の な か に 見 事 融 合 さ れ て、 ﹁唯 ﹂ ﹁偏 ﹂ と い う 言 葉 に 代 表 さ れ て 登 用 さ れ て く る よ う に 考 え ら れ る。 そ し て 思 想 面 に つ い て 把 え て み る と、 想 像 推 察 可 能 な の は、 道 元 が ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ 中 ﹁ 坐 禅 箴 ﹂ に て 説 く 図 作 仏 の 思 考、 さ ら に は ﹁ 行 持 ﹂ 上 巻 で 説 く ﹁ い ま と い ふ 道 は、 行 持 よ り さ き に あ る に あ ら ず、 行 持 現 成 す る を い ま と い ふ ﹂ に み ら れ る 如 く、 つ ま り 簡 約 す れ ば、 行 持 ( 念 仏) が 現 成 ( 往 生) す る ( 今 只 今、 こ の 道 場) と 説 く 際 に も 重 点 の 置 く 比 重 の 重 さ は、 一 遍 の 場 合 に も 変 わ つ て は い な い と い * え よ う。 な か で も 而 今 ( い ま ・ こ こ) で の 作 仏 ( 往 生) は、 用 い る 言 葉 が 違 う と い え ど も 思 想 的 に は 共 通 概 念 と し て 同 一 視 で き よ う。 そ し て 一 遍 の 六 字 名 号 を 称 え る 在 り 方 は、 思 想 的 に は 機 法 一 体、 念 声 是 一、 名 号 と 一 味 和 合 と い つ た 三 業 即 念 仏 の 説 明 に み ら れ、 行 的 に は、 我 執 を す て て、 一 心 不 乱 に な り、 ﹁ 念 仏 が 念 仏 を 中 す ﹂ よ う ( 5) に 念 々 の 称 名 を 唱 え る こ と に 尽 き る と い え よ う。 さ ら に 他 力 念 仏 に つ い て 一 言 し て 置 こ う。 一 遍 の 念 仏 と し て 一 応 理 解 さ れ て い る こ と は 既 に 周 知 の 事 実 で あ る。 だ が、 法 然 ・ 親 攣 の 説 く よ う な 意 味 で の 他 力 と は 違 つ て い る。 一 遍 は ﹃法 語 集 ﹄ 中 に 他 力 に 言 及 し て、 ﹁ 世 の 人 お も へ ら く、 ﹁ 自 力 他 力 を 分 別 し て 馬 我 体 を あ ら せ て、 わ れ 他 力 に す が り て 往 生 す べ し ﹂ と 云 々。 此 義 し か ら ( 6) ず ﹂ と、 い つ て い る。 つ ま り 自 己 の 分 別 ・ 概 念 に よ つ て 自 力 ・ 他 力 を 判 別 し て、 そ の 投 定 し た 他 力 に 向 つ て 念 仏 口 称 す る 意 義 で は 決 し て な い と い う。 一 遍 の 説 く 根 本 義 は、 自 力 も 他 力 も 超 越 し た と こ ろ の も の で あ つ て、 そ れ を 敢 え て 言 え ぱ、 称 名 に よ る 絶 対 他 力 と で も い う の で あ ろ う。 こ の 謂 を、 一 遍 は ﹁ 自 力 他 力 は 初 門 の 事 な り、 自 ( 7) 他 の 位 を 打 捨 て、 唯 一 念、 仏 に な る を 他 力 と い う な り ﹂ と 説 明 し て い る。 こ の よ う に 身 心 が 念 仏 一 如 に 成 り 切 つ た 世 界 を、 一 遍 は 念 仏 の 王 ( 8) 三 昧 と 表 現 し て い る。 こ の 解 釈 の 基 本 的 共 通 点 は、 ま た 道 元 の ﹁海 印 三 昧 ﹂ の 巻 に も 伺 え る も の で、 両 方 と も 仏 の 境 界 を 説 き 明 か し て い る と み て よ い。 以 上 の よ う な 諸 点 か ら 考 察 し て い く と、 一 遍 に お け る 禅 的 思 想 は、 か な り 念 仏 思 想 形 成 に 強 い 影 響 を 与 え て い る 事 実 が 知 ら れ る。 1 ﹃ 法 然 一 遍 ﹄、 日 本 思 想 大 系 10、 岩 波 書 店、 昭 和 四 六 年、 三 〇 六 頁。 2 同 上、 三 〇 七 頁。 3 同 上、 三 三 五 頁。 4 同 上。 5 同 上、 三 六 五 ー 三 六 六 頁。 6 同 上、 三 六 六 頁。 7 同 上。 8 一 遍 は ﹃ 播 州 法 語 集 ﹄ に お い て、 念 仏 を 王 三 昧 と 把 え、 ま た ﹁ 見 仏 ﹂ と も 呼 ん だ。 つ ぎ に 挙 げ る 文 が そ の こ と を 示 し て い る。 * 補 注、 本 論 文 中 の () の 印 は、 一 遍 の 場 合 を 表 わ し て い る。 一 遍 の 念 仏 思 想 に つ い て ( 新 保)

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