はじめに
Samuels & Shugart (2010) は,執政制度の違い が政党組織や政党の行動にどのような違いをも たらすのかを理論的に明らかにしようとした研 究の嚆矢となるものである。執政制度が政党組 織にどのような影響を及ぼすのかという問題設 定に対しては,これまで政党規律(party disci-pline)の違いという点から論じられることが多 かった。とくに大統領制においては,執政府に 議会の解散権がないため,議会政党の規律が弱 くなる傾向が指摘されてきた(たとえば Linz 1994)。このような場合,執政長官である大統 領は,政策を立法化するにあたって規律の弱い 政党ではなく,議員と個別に交渉せざるをえな い。そのため,個々の議員の支持を獲得する手 段としてパトロネージが広く使われることにな るというのである。ただし,執政制度と政党規 律の関係は,より複雑であるとの主張も存在す る。たとえば Cheibub (2007) は,大統領制にお いても,大統領のもつ立法議題のコントロール といった立法権限や議会制度によっては政党の 規律が高まることがあると主張している(1)。 これに対して,執政制度の違いが政党組織の 構造の違いに影響を与えることを体系的に示し たのが,Samuels & Shugart (2010) である。彼ら によると,政党の構成員(議員)を「本人」,政 党の指導者(党首または執行部)を「本人」か ら政党の支持拡大と利益または政策追求を委任 された「代理人」として捉えた場合,執政制度 の違いが政党組織における本人・代理人関係に 影響を及ぼす。議院内閣制では,第1党の党首 が執政長官に就任するため,政党の構成員は, 党首の選出および不信任のプロセスを通じてそ の党首のアカウンタビリティを確保することが できる。したがって,議院内閣制化した政党 (parliamentarized party)では,党内の執政的機 能と立法的機能が融合するというのである。こ れに対して,大統領制では執政長官と議会の選 挙が分離しているため,党が選出したリーダー (候補者)に大統領選挙や統治にかかわる権限を 大きく委譲することになる。このように大統領 制化した政党(presidentialized party)では,そ のリーダーのアカウンタビリティを確保するこ とが容易ではなく,執政制度と同様に,党内の 執政的機能と立法的機能が分離してしまうので
要旨:本論では,Samuels & Shugart (2010) が提起した「政党の大統領制化」がインドネシ アでもみられるのか,そうでないとすればなぜなのかという点を議論する。インドネシア では,すべての政党組織で「大統領制化」が起こっているわけではない。政党組織の大統 領制化が進むかどうかは,①政党の組織化の程度と②大統領選挙での勝算の程度の2つに 依存している。特定の政治家を大統領選に出馬させることを目的とする「個人政党」では, 政党の指導者自身が組織全体を統括することができるため,政党組織が執政部門と立法部 門に分離することはない。一方,中小規模の組織政党にとっては,大統領選は二次的な意 味合いしかもたないため,組織の大統領制化は進まない。一方,地方レベルでは2005年か ら首長直接選挙が導入されたことで,政党の大統領制化が進む傾向が観察される。 〈特集3 制度の比較に基づく選挙研究〉
インドネシアの大統領制と政党組織
―大統領制化する政党,大統領制化しない政党―川村晃一
選挙研究 28巻2号 2012年ある。つまり,有権者=政党=執政の関係が垂 直的な議院内閣制では,「本人」である政党が 「代理人」である首相の選出と解任の権限をもっ ているため,代理人問題の発生を抑えることが できる。一方,政党と執政が有権者によって別 々に選ばれる大統領制では,「本人」である政党 に「代理人」である大統領の選出・解任の権限 がないため,逆選択やモラルハザードの問題が 発生することを抑制できないのである。 このことは,政党における組織の特徴,リー ダーの選出方法,選挙戦略などの違いとしてあ らわれる。たとえば,大統領制の下では,政党 は,大統領候補として組織をまとめる能力のあ る政党内部の人間ではなく,党派を超えて支持 をアピールできる外部の人間を選ぶ傾向にある。 また,政党は,当選した大統領候補がたとえ自 党の支持基盤や政策を無視するようなことがあ っても,その大統領を罷免するような行動をと ることはしない。さらに,大統領選では議会選 よりも広範な有権者の支持を獲得しなければな らないため,大統領候補は既存の政党とは別の 組織を使って選挙を戦う傾向にある。このよう に,執政制度のレベルにおける権力分立は,政 党組織レベルにおける権力分立につながってい るのである。彼らは,このような状態を「政党 の大統領制化」(“presidentialization” of political parties)(Samuels and Shugart 2010: 6)と 呼 ん でいる。
本論では,Samuels & Shugart が提起したよう な「政党の大統領制化」がインドネシアでもみ られるのか,そうでないとすればなぜなのかと いう点を議論する。1998年に民主化によってス ハルトによる権威主義体制が崩壊した後,イン ドネシアでは政治制度改革が漸進的に行われ, 三権分立を全面的に採用した大統領制が導入さ れた。2004年からは5年ごとに大統領直接選挙 が実施されている。この新たに導入された大統 領制の下で,インドネシアの政党組織はどのよ うに変容したのかを明らかにすることが本論の 課題である。 民主化後のインドネシアの政党に関するこれ までの研究は,政党システムを論じるものと政 党組織や機能(の弱さ)を論じるものに大別さ れる。前者に関しては,社会的亀裂と政党シス テムの関係が主な論点となっており,インドネ シアの政党システムは「アリラン」(aliran)と 呼ばれる社会宗教的亀裂によって規定されて比 較的安定していると評価される傾向にある(Mi-etzner 2009b; Sherlock 2004; Ufen 2008a; Ufen 2008b など)(2)。一方,後者に関しては,政党組 織の弱さに主な関心が集まっており,代表性の 機能やアカウンタビリティの低さが批判される ことが多い(Tan 2006; Tomsa 2010; Ufen 2009 な ど)。組織的には最も強固だとされるスハルト 時代の与党ゴルカルさえも,内部に派閥争いや 地方組織の反乱などの問題を抱えているとされ る(Tomsa 2006; 2008)。また,政党政治がエリ ート間のカルテルによって特徴づけられている と分析する議論(Slater 2004)は,民主化後も 再編された旧体制エリートによる権力寡占が続 いているとするオリガーキー政治論(Robison & Hadiz 2004)と同様の視点から,インドネシア の民主主義のあり方に批判的な評価を与えてい る。さらに,2001年に始まった地方分権化によ って活性化した地方政治に関する事例研究のな かでも,政党の役割の低下が多く議論されてい る(第3節を参照)。 しかし,民主化後のインドネシアの政党と執 政 制 度 の 関 係 に 注 目 し た 研 究 は な い。Ufen (2006; 2008a) は,2004年から導入された大統領 直接選挙が政党組織に与えた影響に着目して, 大統領政党(presidential parties)の誕生,もし くは政党の大統領化(presidentialization of par-ties)という概念を提起している。しかし,彼の いう presidential parties とは,大統領候補のた めの政治的マシーンとしての政党という意味で, 本論でいう「個人政党」と同義である。また, Ufen の主張する presidentialization of parties と は,大統領選の導入によって政党組織や党のイ デオロギーの重要性が低下し,立候補者はマス
メディアを通じて大衆に対してポピュリスト的 な政策を直接呼び掛けるようになった現象を指 している。この議論は,大統領直接選挙の導入 が候補者個人による独自政党の設立を促してい ることを述べているだけであって,大統領制と いう執政制度が政党の組織にどのような影響を 及ぼしているのかを分析しているものではない。 つまり,Ufen のいう presidential parties と, Samuels & Shugart の い う presidentialized party (大統領制化した政党)は分けて考える必要があ るだろう。 本論では,これまで研究の対象となっていな かったインドネシアにおける執政制度と政党組 織の関係を分析する。民主化後に導入された大 統領制によって政党組織も大統領制化したので あろうか。本論の答えは,インドネシアではす べての政党組織で「大統領制化」が起こってい るわけではないというものである。組織の大統 領制化が最も顕著にみられるのは,スハルト体 制期の与党で,地方組織や支持団体の強固なゴ ルカル党である。その他の政党は,それほど組 織の大統領制化が進んでいない。本論では,政 党組織の大統領制化が進むかどうかは,①政党 の組織化の程度と②大統領選挙での勝算の程度 の2つに依存していることを主張する。 本論の構成は以下のとおりである。第1節で は,インドネシアにおける大統領制と政党シス テムの特徴を整理する。第2節では,2004年か ら始まった大統領直接選挙が政党組織にどのよ うな影響を及ぼしているのかを分析する。そこ では,政党を組織基盤の整った政党と個人政党 に分類したうえで,大統領制の及ぼす影響を考 える。また,組織基盤の整った政党のなかでも, 大統領選における勝算の大小によって執政制度 が政党組織に及ぼす影響が異なることを示す。 第3節では,権力分立制が政党組織に及ぼす影 響を地方レベルでの政党組織を対象に考察する。 ここでは,2005年から導入されている地方首長 選挙が中央レベル以上に政党組織のありように 影響を及ぼしている可能性があることを示す。 最後に,本論の議論をまとめたうえで,新興民 主主義国において執政制度と政党組織の関係を 分析することの含意を示す。
第1節 インドネシアの大統領制
と政党システム
現在のインドネシアの大統領制は,1998年5 月にスハルト大統領が辞任して権威主義体制が 崩壊して以降,2002年にかけて漸次的に進めら れた政治制度改革の結果として形成されたもの である。1945年の独立以降,1950年代の「議会 制民主主義期」と呼ばれる9年間を除いて国法 として採用されてきた1945年憲法では,国民協 議会(Majelis Permusyawaratan Rakyat: MPR) という統治機構の最上位に位置する議会組織に よって大統領は選出されることになっていた。 1966年に権力を掌握したスハルトは,国軍の力 を背景として政府党ゴルカル(Golongan Karya: Golkar,職能団体)の必勝態勢を整えると同時 に,国民協議会の任命議員制を利用することに よって形式上7期にわたり選出され続け,32年 間政権を維持することに成功した(川村 2002)。 しかし,民主化後の改革のなかで政党活動が自 由化される一方,大統領の権限は制限されてい った。1999年10月には,国民協議会における史 上初の自由な選挙によってアブドゥルラフマン ・ワヒド大統領とメガワティ・スカルノプトリ 副大統領が選出された。2001年7月には,議会 との対立からアブドゥルラフマン・ワヒド大統 領が国民協議会によって罷免されるという,こ れも史上初の出来事があった。 この大統領罷免という政治的混乱は,大統領 の地位を安定化させる必要があるという認識を 生むことになった。その結果,2001年と2002年 の第3次・第4次憲法改正で,大統領を国民が 直接選挙する制度が導入されることが決まった のである。大統領の罷免手続きについても,国 民 議 会(Dewan Perwakilan Rakyat: DPR)か ら の提案が国民協議会にあげられる前に憲法裁判 所がその妥当性を審査することで,大統領の地位が党派的利害だけに左右されないような仕組 みが導入された(3)。
初の大統領直接選挙が実施されたのは2004年 である。大統領選は,5年に1度実施される国 民議会・地方代表議会(Dewan Perwakilan Daerah: DPD)議員総選挙に引き続いて行われる(4)。大 統領選挙の立候補者は,必ず国民議会に一定比 率の議席を有する政党もしくは政党の連合が擁 立しなければならない。その比率は,2004年の 大統領選挙では,国民議会議員選挙の得票率 20%以上もしくは議席率15%以上とされていた が(5),2009年の大統領選挙では,得票率25%以 上もしくは議席率20%以上に引き上げられた。 無所属の立候補は認められていない。 大統領選挙は,全国を1区とし,過半数を得 票した正副大統領候補者が当選する。ただし, 当選を確定させるためには,全国の州(2009年 現在33州)の半分以上でそれぞれ20%以上の票 を獲得しなければならない。第1回投票で過半 数を獲得する候補者がいなかった場合には,上 位2人が決選投票に進む。当選した大統領は, 1回のみ再選されることができる。 以上のように,インドネシアでは,大統領選 挙の直前に議会選挙を実施するという選挙サイ クルを設定すると同時に,一定規模の政党にの み大統領候補の立候補要件を与えることで議会 の多数派と大統領の党派が一致しやすくなり, 政権運営の安定性が確保されるよう制度的な工 夫がなされている。しかし,インドネシアの大 統領が議会において安定的な政治基盤を有する ことはきわめて困難である。民主化後初の選挙 である1999年から2009年までの3回の選挙では, 議席率ベースでみた有効議会政党数は,1999年 が5.3,2004年が7.1,2009年が6.2と常に高い値 を記録している(表1参照)。それぞれの総選 挙で第1党となった政党の議席率も,1999年の 闘争民主党(Partai Demokrasi Indonesia Perju-angan: PDIP)が30.6%,2004年のゴルカル党が 23.1%,2009年の民主主義者党(Partai Demo-krat: PD)が26.4%と,第1党といえども議会の 過半数を獲得するには遠く及ばない。 このような多党の分立状況は,インドネシア という国家が民族,宗教,地域など多種多様な 亀裂を抱えると同時に,それを政党システムに 反映させるべく選挙制度に比例代表制を採用し ていることによってもたらされている(6)。また, 民主化後の有権者の投票行動がきわめて流動的 なため,無党派層の投票を獲得しようと新党が 次々と設立される傾向にあることも政党の乱立 につながっている(7)。さらに,大統領選の候補 者擁立資格を政党に限定したことは,有力政党 による指名から漏れた有力政治家に自らが率い る新党を設立するインセンティブを与えること につながっている。 表1 国民議会(DPR)議員選挙の結果(1999∼2009年) 2009年 2004年 1999年 議席率(%)(議席数) 得票率(%) 議席率(%)(議席数) 得票率(%) 議席率(%)(議席数) 得票率(%) 26.4(148) 20.9 10.2 (56) 7.5 − − 民主主義者党(PD) 18.9(106) 14.5 23.1(127) 21.6 24.0(120) 22.4 ゴルカル党 16.8 (94) 14.0 19.8(109) 18.5 30.6(153) 33.7 闘争民主党(PDIP) 10.2 (57) 7.9 8.2 (45) 7.3 1.4 (7) 1.4 福祉正義党(PKS) 8.2 (46) 6.0 9.6 (53) 6.4 6.8 (34) 7.1 国民信託党(PAN) 6.8 (38) 5.3 10.6 (58) 8.2 11.6 (58) 10.7 開発統一党(PPP) 5.0 (28) 4.9 9.5 (52) 10.6 10.2 (51) 12.6 民族覚醒党(PKB) 4.6 (26) 4.5 − − − − グリンドラ党 3.0 (17) 3.8 − − − − ハヌラ党 0.0 (0) 18.3 9.1 (50) 17.3 15.4 (77) 12.1 その他 100(560) 100 100(550) 100 100(500) 100 合計 6.21 9.59 7.11 8.55 5.31 5.06 有効政党数 (出所)総選挙委員会(KPU)資料から筆者作成。 (注)1999年の議席率(議席数)の値および有効議会政党数の計算には,国軍・警察任命議席38が含まれている。
議会に多数の政党が乱立し過半数を制する政 党が存在しないため,大統領選挙では複数の政 党が連立を組み,政権の獲得を目指すことにな る。2004年大統領選挙では5組の正副大統領候 補が立候補したが,そのうち4組は複数政党に よる擁立である。議会選で第1党となったゴル カル党は,議会第6党の民族覚醒党(Partai Ke-bangkitan Bangsa: PKB)など5政党と組んでウ ィラント=サラフディン・ワヒドを擁立した。 第2党の闘争民主党は,小政党(福祉平和党) と組んで党首のメガワティ・スカルノプトリ= ハシム・ムザディを擁立した。第4党の民主主 義者党は,小政党2党と組んでスシロ・バンバ ン・ユドヨノ=ユスフ・カラを擁立した。第5 党の福祉正義党(Partai Keadilan Sejahtera: PKS) と第6党の国民信託党(Partai Amanat Nasional: PAN)は,その他7政党と組んで PAN 党首のア ミン・ライス=シスウォノ・ユドフソドを擁立 した。単独で候補を擁立したのは,連立協議に 失敗した第3党の開発統一党(Partai Persatuan Pembangunan: PPP)のみである。 2009年大統領選挙では,議会における代表阻 止条項が初めて設定されて,得票率2.5%未満 の政党には議席が配分されないことになったた め議会政党の数が減少したことと,大統領候補 擁立のための得票率・議席率の要件が大幅に引 き上げられたため候補者の数は3組に減ったが, やはりいずれも複数政党による擁立であった。 第1党となった民主主義者党は,イスラーム系 4政党と組んで現職のスシロ・バンバン・ユド ヨノ=ブディオノを擁立した。第2党のゴルカ ル 党 は,新 党 の ハ ヌ ラ 党(Partai Hati Nurani Rakyat: Hanura,正式名称・民衆の真心党)と 組んで現職副大統領だったユスフ・カラ=ウィ ラントを擁立した。第3党の闘争民主党は,新 党のグリンドラ党(Partai Gerakan Indonesia Raya: Gerindra,正式名称・大インドネシア運動 党)と組んでメガワティ・スカルノプトリ=プ ラボウォ・スビアントを擁立した。 このように,過去2回の大統領選挙の前には, 複雑な連立工作が政党間で展開された。インド ネシアの政党システムは,世俗主義対イスラー ムという社会宗教的亀裂に大きく規定されては いるが,大統領選挙では得票を最大化するため, 亀裂を横断した政党の連立が組まれる傾向にあ る。しかし,それぞれの亀裂内には複数の政党 が競合しているため,連立の組み合わせも複数 存在することになる。そのため,議会選から大 統領選にかけての約2カ月間にさまざまな連立 の可能性が模索されるのである。 しかも,政党間の連立工作が展開される前に は,各党の内部で大統領候補を選出する政治的 闘争が繰り広げられる。この大統領候補選出プ ロセスに政党組織の特徴があらわれる。次節で は,大統領直接選挙制の導入が政党組織のあり ようにどのような影響を与えたのかを検証する。
第2節 大統領直接選挙制の導入
と政党組織
1.組織化された政党と個人政党 インドネシアの政党は,1945年の独立以前に まで遡ることができる。1950年代の議会制民主 主義期においては,社会的な動員力をもった4 大政党が激しく権力闘争を展開していた(8)。し かし,1966年に発足したスハルトによる権威主 義体制の下で,政党は政府の介入により弱体化 していった。共産党(PKI)は,1965年の9月 30日事件(共産党系国軍兵士によるクーデター 未遂事件)をきっかけに政府・国軍によって物 理的に抹殺されてしまった。1973年には,政権 によって政党の「簡素化」が強制され,イスラ ーム系政党は開発統一党(PPP)に,世俗主義 系とキリスト教系の政党はインドネシア民主党 (Partai Demokrasi Indonesia: PDI)へと統合され,他の政党の設立は禁止された。しかも,この2 政党も,第2級地方自治体である県・市レベル 以下に党組織を置くことを許されず,村落レベ ルでの政党活動が禁止された。中央執行部の活 動も政府の監督下におかれ,党首の選出も実質 的には政府の承認が必要だった。
このように旧来の政党が権力の介入によって 組織基盤を弱体化させていったのに対して,政 府が議会統制の手段として育成したのがゴルカ ルである。ゴルカルは,公務員組合や国軍退役 軍人組合などを傘下に置くことで,全国の村レ ベルにまで広がる公務員のネットワークを背景 に票の動員を行うことができた。スハルト時代, 他の政党の組織が弱体化するなかで,ゴルカル は政府党として組織基盤を強固にしていった。 1998年の民主化後も,ゴルカルはその組織基盤 を維持している(Tomsa 2008)。公務員が党員と なることは禁止されたが,地方における政官財 エリートのネットワークが民主主義の時代にお いてもゴルカルを支えている。 民主化後,政党活動が自由化されると,200を 越える政党が誕生した。しかし,そのなかでも 組織基盤を整えることができたのは,1950年代 に起源をもつ政党であった。民主党(PDI)の なかでスカルノ大統領の長女メガワティを党首 に押し立ててスハルト体制と対峙してきたグル ープが創設した闘争民主党(PDIP)や開発統一 党(PPP)は,スハルト時代の組織基盤を継承 した。また,1950年代には自ら政党をもってい たインドネシア最大のイスラーム組織 NU を支 持基盤とする民族覚醒党(PKB)や,マシュミ を支持していた同国第2のイスラーム組織ムハ マディヤを支持基盤とする国民信託党(PAN)も, 組織の整備に成功している。 民主化後に設立された新しい政党のなかで唯 一強固な組織基盤を有するのが,福祉正義党 (PKS)である。同党は,スハルト時代に学生の 政治活動が禁止されるなか,キャンパスで広が ったイスラーム宣教運動が母体となって1998年 に設立されたイスラーム主義政党である(見市 2004; Hasan 2009)。エジプトのムスリム同胞団 をモデルにする福祉正義党は,若いイスラーム 主義知識人や運動家らが中心となって結党後か ら地道に組織基盤の強化に取り組んだ。その結 果,2004年までにはゴルカル党を除く既存政党 をしのぐほどの組織力をもつに至っている。 これに対して,2004年に導入された大統領直 接選挙は,新しいタイプの政党の誕生を促すこ とになった。それが,有力な政治家を大統領と して当選させることを最大の目的として結成さ れる個人政党である。その典型が,2004年の大 統領選挙でスシロ・バンバン・ユドヨノを当選 させるために設立された民主主義者党(PD)で ある。ユドヨノは,国軍参謀本部社会政治担当 参謀長など軍の要職を歴任した陸軍エリートで あった。彼は,アブドゥルラフマン・ワヒド政 権で入閣したことをきっかけに政界入りし,有 力閣僚として頭角を現していった。2001年7月, アブドゥルラフマン・ワヒド大統領が罷免され てメガワティが副大統領から大統領に昇格した 際,国民協議会で行われた副大統領選挙にユド ヨノも立候補したが,政党政治家に敗れた。政 界で権力を握るためには政党組織が必要である ことを痛感したユドヨノとその支持グループは, 既存の政党に加入するのではなく,自前の政党 を作ることで権力獲得を目指したのである。そ の際にモデルとされたのは,2001年のタイ下院 総選挙で,設立後3年という短さにもかかわら ず一気に過半数に迫る議席を獲得して第1党と なり,タクシン首相誕生の原動力となったタイ 愛国党(タイラックタイ党)だった(Setiawan and Nainggolan 2004: 172-174)。 民主主義者党が初めて参加した2004年総選挙 で一気に議会第4党に躍進し,その勢いでユド ヨノを大統領にまで押し上げたことは,大統領 選のための個人政党の設立を促すことになった。 とくに,大統領選への立候補を目指しながらも 既存の大政党からの公認を得られそうにない政 治家は,自ら政党を組織し,議会選での成果を 足場に大統領選に向けた戦いを有利に進めよう と考えたのである。 2009年の総選挙には,ウィラント元国防治安 相が設立したハヌラ党と,プラボウォ・スビア ント元陸軍戦略予備軍司令官を大統領候補に推 すグリンドラ党という個人政党が参加した。ウ ィラントは,2004年の大統領選挙でゴルカル党
内の公認争いを勝ち抜いて立候補したが,党内 に基盤をもたない彼に対して党組織は冷ややか に対応し,党の全面的な支援を得られないまま 第1回投票で敗れ去った。自らの足場をもたな い政党からの大統領選立候補に限界を感じたウ ィラントは,2006年12月に自ら政党を立ち上げ たのである(9)。一方,プラボウォは,当初,所 属するゴルカル党からの公認をうけて大統領選 に出馬することを考えていたが(10),党内での候 補者選定で選ばれる可能性が低いとみて自らの 政党を結成した。 以上のように,2004年に大統領直接選挙が導 入されてからは,比較的歴史のある組織基盤が 整備された政党と,個人政治家の人気・財力に 依存した個人政党が並立するようになっている。 このような政党の組織化の違いは,大統領制と いう執政制度の影響の仕方に違いを生じさせて いるといえるだろうか。 2.政党の組織化と大統領制化 インドネシアの政党のなかで,大統領制化し た政党はあるだろうか。まず,特定の個人政治 家を大統領とすべく結成される個人政党は,そ の組織原理から考えて大統領制化することはな 表2 政党の党首と大統領候補者 組織政党 (イスラーム系政党) 開発統一党(PPP) 闘争民主党(PDIP) ゴルカル党(Golkar) ハムザ・ハズ メガワティ・スカルノプトリ アクバル・タンジュン (1998−2007年) (1998年−) (1998−2004年) ・政党政治家(NU/PPP) ・政党政治家(PDI/PDIP) ・政党政治家(Golkar) ・DPR 議員(1971−1999年) ・DPR 議員(1987−1993年) ・DPR 議員(1977−1988,1999−2004年) ・閣僚経験(1998−1999年) ・副大統領(1999−2001年) ・MPR 議員(1997−1999年) ・副大統領(2001−2004年) ・大統領(2001−2004年) ・閣僚経験(1988−1999年) 2004年大統領選挙第1回投票での支持候補 ⑤ハムザ=アグム候補 ②メガワティ=ハシム候補 ①ウィラント=サラフディン候補 2004年大統領選挙決戦投票での支持候補 ②メガワティ=ハシム候補 ②メガワティ=ハシム候補 ②メガワティ=ハシム候補 スルヤダルマ・アリ ユスフ・カラ (2007年−) (2004−2009年) ・企業家 ・企業家 ・政党政治家(PPP) ・閣僚経験(1999−2004年) ・DPR 議員(1999−2004年) ・副大統領(2004−2009年) ・閣僚経験(2004年−) 2009年大統領選挙での支持候補 ②ユドヨノ=ブディオノ候補 ①メガワティ=プラボウォ候補 ③カラ=ウィラント候補 アブリザル・バクリ (2009年−) ・企業家 ・閣僚経験(2004−2009年) (出所)筆者作成。 (注)1.2004年大統領選挙の立候補者は,①ウィラント=サラフディン・ワヒド,②メガワティ・スカルノプトリ=ハシム・ム ザディ,③アミン・ライス=シスウォノ・ユドフソド,④スシロ・バンバン・ユドヨノ=ユスフ・カラ,⑤ハムザ・ハズ=アグ ム・グムラルの5組。いずれの候補者も過半数を得票できなかったため,ユドヨノ=カラとメガワティ=ハシムの上位2組が決 選投票に進んだ。
い。なぜなら,このような個人政党においては, 政党の指導者がまさに「本人」であり,政党全 体が「代理人」だからである。「本人」である政 党指導者は,自らを大統領選での勝利に導くべ く議会選での得票を最大化し,政権を獲得した あかつきには何があっても政権を支えるよう 「代理人」である政党の構成員に委任している。 もし「代理人」である政党の構成員が「本人」 である政党指導者に従わなくなった場合は, 「本人」は「代理人」を自由に交替させることが できる。大統領(候補)は,政党の最高実力者 でもあることから,政党内部で執政的機能と立 法的機能が分離することもない。つまり,大統 領制化された政党とは逆の委任関係が成立して いる個人政党において,代理人問題が発生する ことはありえないのである。 2004年以降に政界に参入することに成功した 3つの個人政党(民主主義者党,グリンドラ党, ハヌラ党)のうち,党の実質的指導者が党首の 座に就任しているのはハヌラ党のウィラントだ けである。グリンドラ党では,実質的指導者の プラボウォは党首ではなく,最高諮問会議議長 という位置づけである。民主主義者党は,実質 的指導者のユドヨノを党の何の役職にも就ける (イスラーム系政党) (イスラーム系政党) (イスラーム系政党) (イスラーム系政党) 福祉正義党(PKS) 月星党(PBB) 国民信託党(PAN) 民族覚醒党(PKB) ヌル・マフムディ・イスマイル ユスリル・イフザ・マヘンドラ アミン・ライス マトリ・アブドゥラ・ジャリル (1998−2000年) (1998−2005年) (1998−2005年) (1998−2001年) ・学者 ・学者 ・学者 ・政党政治家(NU/PPP) ・政党政治家(PK) ・国家官房長官補 ・イスラーム組織代表 ・DPR 議員(1987−1992,1999−2004年) ・閣僚経験(2000−2001年) ・政党政治家(PBB) ・政党政治家(PAN) ・MPR 議員(1997−2001年) ・DPR 議員(1999−2004年) アルウィ・シハブ ヒダヤット・ヌル・ワヒド ・閣僚経験(1999−2007年) (2001−2005年) (2000−2004年) ・学者 ・学者 ・政党政治家(PKB) ・政党政治家(PK) ・DPR 議員(1999年) ・DPR 議員(2004−2012年) ・閣僚経験(1999−2001,2004−2005年) ③アミン=シスウォノ候補 ④ユドヨノ=カラ候補 ③アミン=シスウォノ候補 ①ウィラント=サラフディン候補 ④ユドヨノ=カラ候補 ④ユドヨノ=カラ候補 (中立) (中立) ティファトゥル・スンビリン MS. カバン ストリスノ・バヒル ムハイミン・イスカンダル (2005−2009年) (2005−2010年) (2005−2010年) (2005年−) ・会社員 ・学者 ・企業家 ・学者 ・政党政治家(PK) ・政党政治家(PBB) ・政党政治家(PKB) ・閣僚経験(2009年−) ・DPR 議員(1999−2004年) ・DPR 議員(1999−2009年) ・閣僚経験(2004−2009年) ・閣僚経験(2009年−) ②ユドヨノ=ブディオノ候補 − ②ユドヨノ=ブディオノ候補 ②ユドヨノ=ブディオノ候補 ルトゥフィ・ハサン・イシャク ハッタ・ラジャサ (2010年−) (2010年−) ・政党政治家(PK) ・会社員 ・DPR 議員(2004年−) ・政党政治家(PAN) ・DPR 議員(1999−2004年) ・閣僚経験(2004年−) 2.2009年大統領選挙の立候補者は,①メガワティ・スカルノプトリ=プラボウォ・スビアント,②スシロ・バンバン・ユドヨノ=ブディオノ,③ユスフ・カラ=ウ ィラントの3組。
ことなく,2004年と2009年の選挙を戦った。ユ ドヨノが初めて党の役職に就任したのは2010年 のことであり,プラボウォと同様,最高諮問会 議の議長という顧問職である。それでも,民主 主義者党とユドヨノ政権の間に軋轢が生じたこ とは一度としてない。民主主義者党は常にユド ヨノ政権を支持し,いかなる政府提出法案につ いても与党として政府案を支持する立場をとり 続けている。党の日常政務は中央執行部が担当 しているが,重要な政治的決定にはユドヨノの 承認が必要であり,ユドヨノの意に反するよう な決定がなされることはない。このように,党 の実質的指導者が顧問として党全体を監督しコ ントロールするという体制は,スハルト時代の ゴルカルと同じである。スハルト大統領は,ゴ ルカルの日常政務に関わったことはなく,中央 顧問会議の議長として党を監督するだけだった が,総裁には自らが信頼をおく側近を任命し, 組織を完全にコントロールしていた(大形 1995 ;増原 2010)。 それでは,組織化されている政党は大統領直 接選挙の導入によって大統領制化しただろうか。 組織化されている政党のなかで党組織の大統領 制化が最も進んだのは,スハルト時代の与党ゴ ルカル党である。2004 年大統領選挙では,ゴ ルカル党の大統領制化 の現象が顕著にあらわ れた。大統領選挙に先 立って4月に実施され た議会選で,1999年総 選挙で勝利した闘争民 主党が大きく後退した 一方,ゴルカル党は前 回選挙での得票率をほ ぼ維持し,第1党に返 り咲いた。大統領選挙 に向けて自信を深めた ゴルカル党は,4月20 日に全国党大会を開催 して党の正式な正副大 統領候補を決定するこ とにしていた。当時の 党首は,スハルト時代 に学生運動家からゴル カルの政治家になった アクバル・タンジュン であった。アクバルは 当然,議会選での成果 をステップに党の公認 を勝ち取り,大統領選 に出馬するつもりであ 表2のつづき 個人政党 ハヌラ党(Hanura) グリンドラ党(Gerindra) 民主主義者党(PD) スブール・ブディサントソ (2002−2005年) ・学者 ・政党政治家(PD) 2004年大統領選挙第1回投票での支持候補 − − ④ユドヨノ=カラ候補 2004年大統領選挙決戦投票での支持候補 − − ④ユドヨノ=カラ候補 ウィラント スハルディ ハディ・ウトモ (2006年−) (2008年−) (2005−2010年) ・元国軍司令官 ・学者 ・退役陸軍将校 ・閣僚経験(1998−2000年) ・政党政治家(PD) 2009年大統領選挙での支持候補 ③カラ=ウィラント候補 ①メガワティ=プラボウォ候補 ②ユドヨノ=ブディオノ候補 アナス・ウルバニングルム (2010年−) ・政党政治家(PD) ・DPR 議員(2009年−)
った。しかし,アクバルには食料調達庁(Bu-log)の資金横領疑惑が持ち上がっており,党内 にはアクバルの国民的人気が低いことを懸念す る声があがっていた。そこでゴルカル党は,ア メリカ大統領選で行われるような党指名争いの 仕組みを導入したのである(Tomsa 2006, 6-12)。 2003年から県・市支部,州支部へと順に候補 者が絞られていった結果,4月の全国党大会に は,アクバル党首に加えて,マスメディア企業 を経営するスルヤ・パロ,財閥総帥であるアブ リザル・バクリといった党幹部,さらには党運 営とはほぼ無関係であったウィラントとプラボ ウォという2人の元軍人が残った。党大会前に は,アクバル党首が公認争いで圧倒的に優位だ と言われていたが,アクバルの国民的不人気を 不安視した地方支部などがウィラント支持へ傾 いた結果,アクバルは候補者選挙で敗れること になる。 ゴルカル党の公認を勝ち取ったウィラントは, イスラーム票の取り込みを狙って民族覚醒党と 連立を組み,民族覚醒党の支持基盤である NU の副議長ソラフディン・ワヒドを副大統領候補 に選んだ。ウィラントは自らの選対チームを立 ち上げ,ゴルカル党の組織力を生かしながら支 持を動員しようとした。しかしながら,ゴルカ ル党が積極的にウィラントの選挙戦をバックア ップすることはなかった。とくに,党指名争い で敗れたアクバル党首を支持する中央執行部は, ウィラントが大統領選に勝利すれば選挙後にウ ィラントの党内での影響力が増すことを懸念し, 意図的に選挙戦への支援をサボタージュした (Tomsa 2006, 12-17)。その結果,ウィラントは 思うように有権者の支持を獲得することができ ず,7月の第1回投票で敗れることになる。ゴ ルカル党の組織を動員した支持獲得がうまくい かなかったことは,ウィラントの大統領選での 得票率22.2%が,ゴルカル党,民族覚醒党など ウィラントを支持した6政党の4月議会選での 総得票率37.2%に遠く及ばなかったことに現れ ている。 2004年の大統領選挙をきっかけにゴルカル党 に大統領制化の傾向が現れたのは,地方支部の 声を党中央の決定に反映させるような候補者指 名選挙の仕組みを導入したからである。それま でのゴルカルは,スハルト体制と同様に中央集 権的な組織体制であり,地方支部からのボトム アップで政治的決定がなされることはなかった。 1999年の国民協議会における大統領選挙では, ゴルカル出身の現職大統領ハビビが,ゴルカル 内の反ハビビ派,アクバル・タンジュン派の裏 切りをうけて議会から不信任を突きつけられ, 出馬を諦めるという出来事があった(Mietzner 2000)。しかし,この時点ではゴルカル党内の 権力闘争は中央レベルにおける派閥争いにとど まっており,組織の変容という意味合いはもっ ていなかった。その意味で,2004年の大統領直 接選挙の導入は,ゴルカル党内の組織力学に変 容を迫ったといえるだろう。 その後ゴルカル党は,2004年大統領選でユド ヨノが当選し,その副大統領にゴルカル党から の大統領候補公認争いを諦めてユドヨノ陣営に 合流したユスフ・カラが就任すると,2004年12 月の全国党大会でそのユスフ・カラを党首に選 出した。2009年の大統領選挙では,ゴルカル党 はユドヨノとのコンビを解消したユスフ・カラ を大統領候補として選挙戦に臨んだが,地方支 部の意向が候補選出の過程で大きな役割を果た した(本名 2010)。その大統領選挙でユスフ・ カラが敗れると,10月に開催された全国党大会 で第2期ユドヨノ政権への連立入りを主張する アブリザル・バクリが党首に選出されている。 2014年に予定されている大統領選挙では,バク リ党首が党公認候補として立候補する可能性が 高いが,議会選の結果次第では,再び地方から の要求が高まることもありうるだろう。このよ うにゴルカル党では,2004年の大統領直接選挙 実施をきっかけに,政党活動に長く関与し組織 運営に長けた政党政治家ではなく,人気や財力 を有している有力大統領候補を党首に選ぶ傾向 が顕著になっている。
これまでゴルカル党が大統領選挙で勝利した ことはないため,実際の政権運営においても党 首の大統領と与党組織との間で執政的機能と立 法的機能が分離するかどうかは不明である。し かしながら,2004年以降,ゴルカル党が党たた き上げの政治家ではなく,党運営経験のほとん どない企業家を党首に据えていることは,大統 領直接選挙の導入という制度変更に対応したも のである。ゴルカル党は,民主化後に執政制度 に大統領制が採用されたことで,政党組織自身 も大統領制化していったのだと考えられる。 一方,ゴルカル党以外の組織政党に目を転じ ると,ほとんどの政党は大統領制化していない (表2参照)。民主化前から存在する政党に源流 をもつ政党(闘争民主党,開発統一党)でも民 主化後に設立された政党(民族覚醒党,国民信 託党,月星党,福祉正義党)でも,政党活動に 関わった経験があり,国民議会議員としての経 験もある政党政治家が党首に選ばれている(11)。 これらの組織政党とゴルカル党との違いは何か を次項で考える。 3.選挙での強さと政党の大統領制化 ゴルカル党以外の組織政党の多くは,イスラ ーム系政党である。それらの政党は,1999年か ら2009年の間のいずれの総選挙においても5∼ 10%の得票率しか獲得できない,中小規模の政 党である。イスラーム系政党全体の得票率は, 独立後初の民主的選挙だった1955年総選挙で 43.9%を記録したが,民主化後は3割前後にと どまっている(川村 2010b)。イスラーム系政党 の支持者層が劇的に増加する見込みがない以上, 4∼5政党がその支持者を奪い合っている状況 では,いずれのイスラーム系政党も規模を拡大 することはできない。イスラーム系政党が中小 規模にとどまるかぎり,大統領選挙で勝つ見込 みも少ないと考えざるをえない。実際に,2004 年の大統領選挙では,イスラーム系政党が中心 となって擁立した候補者(国民信託党や福祉正 義党が擁立したアミン・ライス,開発統一党が 擁立したハムザ・ハズ)はいずれも惨敗してい る。2009年の大統領選挙では,イスラーム系政 党は独自の候補を擁立することを諦め,再選さ れる可能性の高かったユドヨノを支持した。 このように,中小規模のイスラーム系政党に とって,大統領選挙に自ら参戦することはきわ めて困難である。彼らにとっては,議会選での 得票を最大化することで世俗主義系政党との連 立交渉で優位な立場を確保し,あわよくば副大 統領候補を自党から出すことを目指すことが最 も合理的な戦略となっている。大統領選挙に自 らの党から候補者を出すことが現実的には難し いため,これらの政党が大統領選挙に直接的に 関与する度合いは小さくなる。大統領選挙では 共同で擁立した他党の候補者を側面から支援す るだけであり,大統領候補者と政党組織の間に 生じるインセンティブの齟齬に悩まされること もない。それゆえ,これらのイスラーム系政党 が執政制度の影響を受けて大統領制化すること はないのである。 これに対して,世俗主義系の組織政党である 闘争民主党は,大統領直接選挙導入前の2001∼ 2004年にメガワティ党首が大統領を務め,その 後の大統領選挙でもメガワティを立候補させて, 勝利を目指してきた。しかしながら,闘争民主 党にゴルカル党のような政党組織の大統領制化 の傾向は見いだされない。その理由は,闘争民 主党が個人政党的な性格を有している点に帰せ られる。闘争民主党は,組織政党でありながら, スカルノ初代大統領とその血統者がもつカリス マ性を組織統合のシンボルとしている政党であ る。闘争民主党は,民主化後の結党以来,メガ ワティ以外の人物が党首の座に着くことを想定 していない。メガワティ引退後の党首にも,メ ガワティの長女であるプアン・マハラニが就任 することが有力視されている。このように,闘 争民主党は,組織政党でありながら個人政党的 な性格をあわせもっているため,政党組織の大 統領制化が発生していないと考えられる。
第3節 地方首長直接選挙制の導入
と政党組織
インドネシアでは,民主化に伴って,それま でスハルト体制の中央集権主義によって抑えつ けられていた地方の不満が噴出して,国家分裂 の危機が高まった。そこで,国家統一を維持す る必要からとられた施策が,2001年から実施さ れている大胆な地方分権化である。地方政治の 民主化も進められ,スハルト体制下では中央政 府が任命していた地方首長が地方議会によって 選出されるようになった。さらに,2004年に大 統領直接選挙が導入されたことをうけ,地方首 長についても2005年から住民による直接選挙が 実施されることになった。本節では,首長直接 選挙が地方レベルの政党にどのような影響を及 ぼしたのかを論じる。 2004年に改正された地方行政法(法律2004年 第32号)では,第1級地方自治体である州と, 第2級地方自治体である県・市の首長が住民に よる直接選挙で選ばれることが規定されている。 候補者を擁立できるのは,当該地方議会で議席 率15%以上もしくは地方議会選挙で得票率15% 以上を獲得した政党(または政党の連合)とさ れた。ただし,2007年に憲法裁判所が政党無所 属の立候補者を認めない2004年地方行政法の規 定を違憲とする判決を出したことから,2008年 に地方行政法が再度改正され(法律2008年第12 号),一定数の住民の署名を集めた無所属の個 人候補者も地方首長選挙に参加できることにな った(12)。 地方首長直接選挙についてはさまざまな事例 研究がなされているが(Vel 2005; Buehler and Tan, 2007; Choi 2007; Mietzner 2009a; Erb and Sulistiyanto, eds. 2009 など),共通して指摘され ていることは政党の役割の低下である。地方議 会では,中央の国民議会以上に多党化が進んで いるため,首長選挙の候補者選定では政党の連 立が必須である。しかし,立候補者の多くが政 党政治家ではなく,行政手腕が高く地元政財界 にネットワークをもつ官僚出身者や,資金力に 勝る企業家であることが明らかにされている (13)。首長選挙で政党政治家が政党の公認を得 られないのは,有権者の支持を広く集められる ような政治家が党内にいないことや,資金力の 弱い政党の地方支部が公認料や選挙資金の拠出 が可能な外部の人材に依存していることなどの ためである(Mietzner 2010)。 組織基盤の強いゴルカル党はその典型である。 Buehler (2009) によると,ゴルカル党は,2005年 から2006年前半にかけて実施された地方首長選 挙の63%で敗北を喫した。その理由は,党地方 支部の有力者である政治家が,有権者からの不 人気にもかかわらず党公認候補としての立候補 にこだわったためだと考えられている。この結 果に驚いた党中央執行部は,地方首長選挙に臨 む戦略を再考するようになり,外部の人材であ ろうと,事前の世論調査の結果にもとづいて有 権者の支持を多く集められる候補者を擁立する ようになっている。 他の政党については,具体的な事例研究も限 られているため結論づけるのは難しい。しかし, ゴルカル党と同様の傾向が見られることが,候 補者選定プロセスで表面化する党の中央執行部 と地方支部との間の対立からうかがえる。党の 地方支部が支部代表など党内の有力政治家の立 候補を提案するのに対して,ジャカルタの中央 執行部は勝つ見込みの高い候補者を外部から招 聘することを決定するといったケースが度々報 告されている(Hadiz, 2004; Choi 2007 など)。党 内の中央と地方の対立は,地方支部執行部の解 任につながったり,両者が分裂したまま選挙戦 に突入したりという事態を招いている。 以上の分析で示されたように,地方レベルで も地方首長選挙の導入によって政党組織のあり 方が変容しつつあることが確認できる。地方レ ベルにおいては,中小政党でも連立の組み方次 第で地方首長選挙を勝つことができるし,個人 政党でもカリスマ的政治指導者を擁立するわけ ではないため,権力分立制が中央レベルに比べてより広範に政党組織に対して影響を及ぼして いる可能性があるといえるかもしれない。
おわりに
本論では,インドネシアで民主化後に導入さ れた大統領直接選挙が政党組織にどのような影 響を及ぼしているのかを分析した。インドネシ アでは,大統領制の導入がただちに政党の大統 領制化をもたらしているわけではない。強い組 織基盤をもったゴルカル党では大統領制化の傾 向が認められるが,中小規模の政党は大統領選 挙よりも議会選挙で得票率最大化と連立政権入 りによる与党化を目指すため,必ずしも組織が 大統領制化するわけではない。また,有力政治 家によって設立された個人政党は,政党の指導 者自身が「本人」であるため,政党組織が執政 部門と議会部門に分離する大統領制化の論理を そもそももちあわせていないということが明ら かになった。インドネシアの事例分析からは, 政党システムや政党組織自体が弱体な新興民主 主義国では,執政制度が政党組織に与える影響 が軽減されることが示唆される。ただし,興味 深いことに,地方政治レベルでは権力分立制が 政党組織のあり方により大きな影響を与えてい る可能性があることも分かった。 執政制度と政党組織の関係を考えるにあたっ ては,とくに新興民主主義国を対象とする場合, 民主化後に導入された新たな制度が定着するま で時間がかかることを考慮に入れる必要がある かもしれない(14)。また,民主化後は政党組織が 未発達だったり,政党システムも不安定だった りするため,執政制度が与える影響の度合いも 変わってこよう。政党組織が未発達な状態で大 統領選挙が導入されれば,有力政治家が入れ替 わる度に新しい政党が作られるといったことも 考えられる。その意味で,大統領制の導入は政 党組織に対して違った影響を及ぼす可能性があ ることも考えなければいけないだろう。 (1) インドネシアの政党も大統領制の下にあ るが,政党規律は比較的強い。インドネシア における政党規律の強さは,主に選挙制度に よってもたらされているものと考えられる。 インドネシアの選挙制度には比例代表制が採 用されており,獲得議席数の確定においては 政党を単位として投票の集計が行われている ため,議員の党への依存度は高くなる。また, 比例名簿の決定は党執行部の権限であるため, 候補者は党の方針に従わざるをえない。2004 年からは非拘束名簿が導入されたとはいえ, 中央執行部の候補者認定権限の強さに変わり はない。さらに,党規に違反したり他党に移 籍したりした議員は,党籍を剥奪されるだけ でなく議員資格も剥奪されるため,議員は容 易には党執行部の方針に反旗を翻すことはで きない。 (2) 社会宗教的亀裂(アリラン)が民主化後 の投票行動に与える影響については,その効 果や継続性について議論が分かれている。 Liddle & Mujani (2007) はアリランの影響が民 主化後の選挙では消滅しつつあると論じてい る。一方,King (2003),Ananta et al. (2004), Baswedan (2004),川村・東方(2009;2010) などの分析はアリランの影響が継続している ことを示している。 (3) インドネシアの大統領制の制度的特徴に ついては,川村(2010a)参照。 (4) 地方代表議会(DPD)は,国民協議会を 構成していた地方代表議員(大統領の任命も しくは各州議会の任命)を独立した議院とし て2004年に新たに設置されたものである。下 院として位置づけられる国民議会(DPR)に 対して,地方代表議会(DPD)は上院と位置 づけられる。ただし,その権限はきわめて限 定的で,地方自治や中央・地方関係に関連す る法案・予算関連法案の提案,審議への参加, および意見表明の権限が与えられているのみ で,立法権は付与されていない。地方代表議 会議員の選挙は,定数4の州を選挙区単位と する単記非移譲式投票制を採用しており,非 政党政治家によって争われる。 (5) 大統領選挙法(法律2003年第23号)では このように規定されていたが,2004年大統領 選挙については,特例措置として,得票率 5%以上もしくは議席率3%以上の政党に大 統領候補の擁立を認めるように条件が緩和さ れた。 (6) インドネシアにおける選挙制度,政党シ ステムなどの歴史的変遷については,川村(2008)および本名・川村(2010)を参照。 (7) (全体的)選挙ヴォラティリティは,2004 年総選挙では23,2009年総選挙では28.7と, かなり高い値である。一方,世俗主義対イス ラームという対立軸をはさんだブロック間 (亀裂間)ヴォラティリティの値は,2004年総 選挙では1.5,2009年総選挙では9.5であった。 2009年総選挙では亀裂を越えた投票移動が大 きく増加しているが,亀裂内で投票先の政党 を変えた有権者の方が依然として過半数を越 える(2004年総選挙では全有権者の93.7%, 2009年総選挙では66.8%)。川村(2010b)参照。 (8) 1950年代の議会制民主主義期における4 大政党とは,独立運動期にスカルノ初代大統 領によって設立された世俗主義系のインドネ シア国民党(Partai Nasional Indonesia: PNI), 伝統主義的イスラーム組織を支持基盤とする ナフダトゥル・ウラマー(Nahdlatul Ulama: NU),近代主義イスラームを標榜するマシュ ミ(Masyumi),そしてインドネシア共産党 (Partai Komunis Indonesia: PKI)である。これ らの4政党は,1955年に行われた独立後初の 選挙で,それぞれ20%前後の票を獲得して並 立した。 (9) ウィラントは,国民協議会による間接選 挙だった1999年の大統領選挙でもゴルカルか らの支持を得て副大統領候補に立候補しよう としていたが,結局ゴルカルの支持を得るこ とができなかった。本名(1999)参照。 (10) プラボウォは,2004年大統領選挙の際に もゴルカル党の候補者指名選挙に立候補して いたが,党内の支持を集めることができず指 名争いに敗れている。 (11) そのなかで唯一の例外は,2005年から 2010年まで国民信託党の党首を務めたストリ スノ・バヒルである。ストリスノは,企業家 として党の設立時から財政的な支援を国民信 託党に対して行っていたが,党の政治的活動 に直接関与した経験はなかった。それにもか かわらず,政界を退くことを発表した党創設 者のアミン・ライスが強く後押しをしたこと で,ストリスノが党首に就任することになっ たのである。 (12) 無所属の個人候補者は,地方自治体の人 口規模により,全人口の3∼6.5%の住民か ら支持を表明する署名を集めて提出しなけれ ばならない。 (13) たとえば,Rinakit (2005) は,2005年に実 施された90の地方首長選挙を取り上げ,当選 者の87%が現職・官僚出身者によって占めら れたと報告している。また,同様に2005年に 実施された50の地方首長選挙を対象に分析を 行った Mietzner (2010) では,立候補者のうち 官僚出身者が最も多く(36%),企業家(28%), 政党政治家・議員(22%),退役軍人(8%) となっていることが報告されている。 (14) 一方,Samuels & Shugart は,最近の研究
で(Samuels & Shugart 2011),第3の波で民 主化をした新興民主主義諸国においても,政 党内部から指導者をリクルートする能力の強 弱は民主化の時期や地域といった要因よりも, 執政制度によって規定されると主張している。 参考文献 [日本語文献] 大形利之.1995.「ゴルカル−スハルトと国軍 のはざまで−」(安中章夫・三平則夫編『現 代インドネシアの政治と経済−スハルト政権 の30年−』アジア経済研究所所収,143−192 頁)。 川村晃一.2002.「1945年憲法の政治学−民主 化の政治制度に対するインパクト−」(佐藤百 合編『民主化時代のインドネシア−政治経済 変動と制度改革−』アジア経済研究所所収, 33−97頁)。 ―――.2008.「インドネシアの選挙と投票行 動−アリラン・ポリティクスをめぐる論争の 展開−」『アジア経済』第49巻第4号:40− 67頁。 ―――.2010a.「インドネシアの大統領制−合 議・全員一致原則と連立政権による制約−」 (粕谷祐子編『アジアにおける大統領の比較 政治学−憲法構造と政党政治からのアプロー チ−』ミネルヴァ書房所収,135−175頁)。 ―――.2010b.「インドネシアの選挙政治にお ける有権者の変化と連続性−限定的な政党支 持なし層,埋め込まれた投票流動性−」(吉川 洋子編『民主化過程の選挙――地域研究から 見た政党・候補者・有権者』行路社所収,87 −110頁)。 ―――・東方孝之.2009.「インドネシア:再 生した亀裂投票と不明瞭な業績投票」(間寧編 『アジア開発途上諸国の投票行動』アジア経済 研究所所収,265−327頁). ―――.2010.「国会議員選挙−民主主義者党 の勝利と業績投票の出現−」(本名純・川村 晃一編『2009年インドネシアの選挙−ユドヨ ノ再選の背景と第2期政権の展望−』アジア
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