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イスラーム世界と人びとの移動から地域研究を考える  ――イスラーム改宗者とフィリピン・ムスリム社会の再編(渡邉暁子)

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Academic year: 2021

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本稿の目的は、東南アジアから湾岸諸国 * 1 への労働力移動 は送出国にどのようなインパクトを及ぼし てきたか、とく に、 湾 岸 諸 国 で イ ス ラ ー ム に 改 宗 し た フ ィ リ ピ ン 人 が、 フィリピン・ムスリム社会にどのような再編をもたらして きたのかという点を分析する。それらを通じて本稿は、イ スラーム世界の中心部とされる湾岸諸国への人びとの往還 的移動から、フィリピン・ムスリム研究、ひいては東南ア ジア地域研究を考えていく * 2 。 一九七〇年代前半の石油ブームを契機に、東南アジア地 域から中東湾岸諸国への労働移動は増大しており、いまや 湾岸諸国は世界有数の移民労働者受け入れ地域となってい る。この国際労働移動の現象に関しては、これまで数多く の研究者の関心を集めてきた。それらは、海外就労の制度 化 に 関 す る 問 題 ( Asis 1992 ; 平 野 二 〇 〇 九) 、 労 働 者 の 管 理 や 労 働 法 ( Fargues 2011 ) 、 虐 待 や 人 身 売 買 等 の 人 権 侵 害 ( HRW 2008 ) 、 一 九 八 〇 年 代 以 降 の「移 動 の 女 性 化」 や再生産労働、男性性をめぐる問題 ( Pingol 2001 ; 嶋田 二 〇 〇 七) 、 送 出 国 の 家 族 や 社 会 へ の 影 響 (長 坂 二 〇 〇 九 ; Parreñas 2006 ; Silvey 2007 ) 、 宗 教 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ と の 関 係 ( Lacar 1994 ; 宮 本 一 九 九 四) な ど に 大 別 で き る。

第Ⅱ部

東南

地域研究

世界

移動

地域研究

︱︱

改宗者

社会

再編

渡邉暁子

(2)

しかしながら、これらの研究の多くは、移動先での労働者 の変化と帰国後の連続性についてはあまり触れていない。 と り わ け、 「近 年 の ト ラ ン ス ナ シ ョ ナ ル・ コ ミ ュ ニ テ ィ 研 究において、移住後の宗教実践や移住先の信仰を基盤とし た 集 団 に 対 す る 関 心 は 高 ま り を 見 せ て い る」 (細 田・ 渡 邉 二 〇 一 三: 三 一) が、 世 界 中 に 広 が る 移 動 労 働 者 の 信 仰 活 動がいかに個人や地域社会と連接しているかについての研 究 は 端 緒 に 着 い た ば か り で あ る ( Johnson and Werbner 2011 ) 。 そ こ で、 本 稿 で は、 フ ィ リ ピ ン 人 を 対 象 に、 就 労 先で改宗する労働者に注目し、帰還した移動者がもたらす 送り出し地域の変容について焦点を当てていく。 フ ィ リ ピ ン の ム ス リ ム は、 同 国 南 部 の ミ ン ダ ナ オ 島 や スールー諸島等をホームランドとし、人口はおよそ四五〇 〜 九 〇 〇 万 人 (全 人 口 の 五 〜 一 〇 %) で あ る。 イ ス ラ ー ム の中心である湾岸諸国からみてフィリピンは辺境にあるも の の、 ウ ン マ ( ummah 、 イ ス ラ ー ム・ コ ミ ュ ニ テ ィ) の 一 部として位置づけられている。フィリピン・ムスリムは、 イスラームを信奉する複数の母語集団から構成されるが、 総じてモロとも呼ばれてきた。モロという語は、フィリピ ン を 植 民 地 化 し た ス ペ イ ン に よ っ て 付 け ら れ た 蔑 称 で あ り、次のアメリカもこれを踏襲した。しかし、一九七〇年 代にフィリピンからの分離独立運動を展開させたモロ民族 解放戦線のヌル・ミスアリ議長は、そうした否定的な意味 合いを持っていたモロという総称を積極的に再解釈し、そ れぞれの文化を持つ母語集団ではなく、抑圧され周辺化さ れた歴史的経験を共有する一つのモロ民族という概念を打 ち出し、フィリピン・ムスリムの統合をはかった。本稿で は、このように、特定の地理的集住地域や文化をもち、一 三 の ム ス リ ム 民 族 集 団 の 一 員 と し て 生 ま れ つ い た 人 び と を、仮に民族ムスリムと名付けておく。 こうした民族ムスリムに対し、二〇〇五年に人口二〇万 人を超えると報告されたイスラーム改宗者の存在に注目が 置 か れ 始 め て い る ( ICG 2005 ) 。 改 宗 者 を ト ラ ン ス ナ シ ョ ナルなイスラーム復興と位置付ける国際政治学的研究のほ かに ( Banlaoi 2006 ; 2009 ; Borer et al. 2009 ) 、フィリピン 人のイスラーム改宗に関する社会学・人類学的研究は、人 口 学 的 サ ー ベ イ を 行 っ た ラ カ ル ( Lacar 2001 ) や、 マ ニ ラ で民族ムスリムと結婚した女性たちのイスラーム教義の受 容 を 論 じ た プ ラ ( Pula 2004 ) 、 同 じ く 首 都 圏 の ム ス リ ム・ コミュニティを舞台にイスラーム復興運動と改宗者との関 係 を 描 い た ヤ ヤ ( Yahya 2004 ) 、 イ ス ラ ー ム 改 宗 女 性 の ジ ェ ン ダ ー 観 に つ い て の 語 り を 分 析 し た ア ン ヘ レ ス ( Angeles 2013 ) などがあげられる。海外に目を転じると、 パキスタン人と結婚もしくは親密な関係にある在香港フィ リ ピ ン 人 の イ ス ラ ー ム 改 宗 過 程 に つ い て 論 じ た ハ ワ ( Hawwa 2000 ) やサウディアラビアに暮らし、一夫多妻制

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を実践するムスリム夫と結婚した改宗女性のライフヒスト リ ー を 描 い た ピ ン ゴ ル ( Pingol 2011 ) 、 香 港 の 移 動 労 働 者 の運動家が自身の人生における宗教の意味づけと再解釈を 論 じ た コ ン ス タ ブ レ ( Constable 2011 ) な ど が あ る。 本 稿 で は、 と く に、 フ ィ リ ピ ン・ ム ス リ ム 社 会 と の 関 連 の 点 で、イスラーム改宗者がフィリピン・ムスリム社会に脱民 族化とアラブ化を促していると論じたアンヘレス ( Angeles 2011 ) を 取 り 上 げ、 筆 者 が 行 っ て き た 湾 岸 諸 国 お よ び フ ィ リピン国内の調査を踏まえて検証していく。 本稿の構成は次のとおりである。Ⅰではフィリピンにお けるイスラーム改宗者の歴史的展開について概観し、Ⅱで は、フィリピンから湾岸諸国への労働力移動とイスラーム 改宗について紹介する。続くⅢでは、海外就労先から帰国 し、マニラおよびその近郊に暮らすイスラーム改宗者の生 活世界の多様性について分析し、Ⅳでは、上記をもとにイ スラーム改宗者がもたらすフィリピン・ムスリム社会の再 編 に つ い て、 ア ン ヘ レ ス ( Angeles 2011 ) を 検 討 し、 考 察 を加える。 な お 本 章 で は、 改 宗 を、 新 た な 集 団 の 宗 教 的 教 義、 信 仰、 儀 礼、 実 践 を 取 り 入 れ て い く 過 程 を 指 す も の と す る ( Lacar 2001: 39 ) 。 ま た、 本 稿 の デ ー タ は、 二 〇 〇 九 年 か ら 二 〇 一 三 年 に か け て ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 (以 後 U A E と 略) や カ タ ル 首 長 国、 サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア 王 国 で 実 施 し た 延 べ四カ月間の調査、また、二〇〇五年から現在にいたるま で フィリピンで行ってきたフィールドワークに基づいてい る 。

るイ

改宗者

湾岸諸国への就労が増大する以前も、フィリピンにイス ラ ー ム 改 宗 者 は い た。 古 く は、 イ ス ラ ー ム が 現 在 の 南 部 フィリピンに到来した一四世紀初頭から、交易のために改 宗したり、イスラームを受容した民族集団の王族の配偶者 と な っ た 者 が い た こ と が 確 認 さ れ て い る ( Majul 1999 [ 1973 ]) 。 現 代 に う つ る と、 一 九 八 〇 年 代 末 に ミ ン ダ ナ オ で二〇〇〇人弱のイスラーム改宗者へのサーベイを行った ラカルによれば、フィリピンからの独立運動を展開させた ムスリムのモロ民族解放戦線と国軍とのあいだの武力衝突 が高まった時期、ムスリム多数地域に暮らすキリスト教徒 のなかには、身の安全を守るためにイスラームに改宗する 者もいたという。また、大学などでムスリムと友人になっ た者のなかにも教義を学ぶなかでイスラームを信奉するに ようになったり、ムスリム男性と結婚することで改宗した キリスト教徒もいた ( Lacar 2001 ) 。 し か し、 当 時、 こ う し た イ ス ラ ー ム 改 宗 者 は 主 に 南 部

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フィリピンに居住し、フィリピンのその他の地域にはあま りいなかった。だが、一九七〇年代より、長引くミンダナ オ紛争によってムスリムの避難民または経済移民がセブや マニラなどの都市部へと移動し、八〇年代以降にムスリム 人口の湾岸諸国への出稼ぎも増えると、国内各地にムスリ ム・ コ ミ ュ ニ テ ィ が 形 成 さ れ ( Riguera 1983 ; 渡 邉 二 〇 〇 八) 、 そ こ に イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 姿 も み ら れ る よ う に な っ た。この大半は、後で詳述するように、単身で移動したム スリム男性と結婚して改宗した女性や、就労先の湾岸諸国 でイスラームに転じて帰国した男女などである。 フィリピンで海外就労がさかんになり始めた一九八〇年 代初頭、湾岸諸国においては家事労働者としてムスリム女 性の受容が高まった。このため、ミンダナオ出身のムスリ ム女性に交じり、多くのキリスト教徒が便宜的にイスラー ムに改宗して海外就労に臨んだ。なかには、改宗方法がわ からなかったり、出稼ぎの斡旋を行っていたムスリム男性 に「雇用者の夫を誘惑しない、既婚ムスリム女性が現地の 家庭で好まれる」と言われたことから、その男性と結婚す ると同時にムスリムになった女性もいた (渡邉 二〇一二) 。 通 婚 や 海 外 就 労 の ほ か に も、 ミ ン ダ ナ オ 域 外 で の イ ス ラーム改宗者の数の増大に結びついたものにイスラーム学 習 施 設 の 増 加 が あ げ ら れ る。 民 族 ム ス リ ム の 教 え で は な く、 「真 の」 イ ス ラ ー ム を 学 ぶ 施 設 が な い と い う イ ス ラ ー ム改宗者の要請を受け、サウディアラビア等ムスリムの慈 善家たちの手によって、地方の都市部、マニラ首都圏およ びその郊外等にいくつかのイスラーム学習施設がつくられ た。そこでは、サウディアラビア等でつくられたイスラー ム教材がフィリピン語に翻訳されて使用され、学び集う人 びとの服装がアラブ化した。だが、学びの施設の急増とそ こに集う者の外見的変化は、やがてフィリピン政府により 反 政 府 運 動 者 を 育 成 し て い る と し て 危 険 視 さ れ る よ う に な っ た。 二 〇 〇 五 年、 マ ニ ラ に あ る Islamic Information Center や Islamic Wisdom Worldwide Mission 、パンガシ ナン州の Fi Sabilillah Da wah and Media Foundation など のイスラーム学習施設が、相次いで警察による武器違法所 持 の 摘 発 を 受 け て 閉 鎖 さ れ た ( Banlaoi 2006 ; 2009 ) 。 こ れ と前後して、二〇〇四年の客船の爆発事件や二〇〇五年の バスの爆破事件の犯行メンバーに、イスラーム改宗者でバ リ ッ ク・ イ ス ラ ー ム ( Balik-Islam ) と 称 す る ラ ジ ャ・ ス ラ イマン・グループと、民族ムスリムから成るイスラーム過 激 派 の ア ブ・ サ ヤ フ・ グ ル ー プ の 成 員 が い た た め、 イ ス ラーム改宗者と国際的なテロリズムが結び付けて考えられ るようになったのである。 バ リ ッ ク・ イ ス ラ ー ム と い う 用 語 が フ ィ リ ピ ン の イ ス ラーム改宗者を示すものとして登場したのは、二〇〇〇年 ごろである。宗教学者のアンヘレスによると、これには三

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つの意味がある。一つは、一四世紀にフィリピンに到来し たイスラームの波が北部ルソン島まで及んだが、その後の スペイン占領によって、人びとがローマ・カトリック教に 改宗してしまったという史実を汲んだもの、もう一つは、 全人類はもともとムスリムであって、生まれた土地で仮の 殻をかぶせられていたというイスラーム的解釈に基づくも のがある。しかしながら、自らを示すものとしてこの用語 を好んで使う人もいる一方、次節で述べるように湾岸諸国 で改宗した人たちのなかには、バリック・イスラームとい う 語 の 持 つ 政 治 性 を 厭 い、 自 ら を「単 な る ム ス リ ム」 「新 規ムスリム」と呼ぶ者もいる。三つ目は、現地化したイス ラーム実践ではなく、聖典クルアーンとハディースに基づ いた実践を行っていこうとする、上記のような改宗者の組 織による運動を指す ( Angeles 2013 ) 。

湾岸諸国

労働力移動

改宗

湾岸諸国の新聞には、イスラームに改宗する外国人労働 者の記事がたびたび登場する。UAEの首長国の一つであ るドバイでは「ムスリム男性と結婚した者や、ムスリムの 家 庭 で 働 く 家 事 労 働 者 が イ ス ラ ー ム に 改 宗 し て い る」 ( Khaleej Times 2008 ) と報じられ、隣の首長国アブダビで は「フ ィ リ ピ ン 人 の 改 宗 は、 同 僚 で あ る エ チ オ ピ ア 人 (ム ス リ ム) 家 事 労 働 者 に 影 響 を 受 け た り、 大 使 館 に 付 属 す る シェルターで多数のフィリピン・ムスリム女性と出会った こ と に よ る」 ( The National 2008 ) と 記 載 さ れ、 隣 国 カ タ ル で は、 「過 去 半 年 間 で 改 宗 し た 八 〇 〇 人 の 外 国 人 労 働 者 の う ち、 三 分 の 二 は フ ィ リ ピ ン 人 で あ る」 ( Gulf News 2011 ) と 記 さ れ て い る。 こ う し た イ ス ラ ー ム 改 宗 は ど の よ うな状況から生じているのだろうか。 二〇〇三年以降、毎年百万人を超えるフィリピン人が海 外 に 就 労 す る た め に 出 国 し て い る ( POEA 2012 ) 。 こ の う ち の 六 割 は、 サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア、 U A E、 カ タ ル、 ク ウェート等の湾岸諸国で、土木技師や看護師等の専門技術 職、接客係や会社事務といった技能労働者、もしくは家事 労働者として働いている。湾岸諸国社会の特徴をみると、 多様な国からの外国人労働者が流入している地域であり、 カ フ ァ ー ラ ( kafala 、 身 元 引 受 人) 制 度 に よ り 自 国 民 と 外 国人労働者とのあいだに圧倒的な格差が存在し、労働市場 は 外 国 人 同 士 が 国 籍 に よ っ て 分 断 さ れ (松 尾 二 〇 一 〇) 、 移動手段が乏しく集会の自由が厳しく制限されている。こ のため、湾岸諸国では、たとえ外国人人口が自国民の数を し の ぎ、 公 的 空 間 で そ の 存 在 が 可 視 化 さ れ て い る と し て も、移動労働者の多くは孤立した状況にあるといえよう。

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これには宗教的要素も大きく働いている。図1にある通 り、湾岸諸国にいる一五〇〇万人ほどの外国人の過半数は イ ス ラ ー ム 教 徒 で あ る (図 1 参 照) 。 ま た、 上 述 し た よ う に労働市場が国籍によって分断されている湾岸社会では、 幹 部 職 は た い て い シ リ ア 人 や パ レ ス チ ナ 人、 イ ラ ク 人 と いったアラブ人ムスリムである。就労時間内における礼拝 時 間 の 認 可、 ほ か の 信 徒 よ り も 高 い 給 料、 ラ マ ダ ン (断 食 月) の 際 の 金 品 の 授 受、 契 約 更 新 の 可 能 性 の 高 さ な ど、 職 場はムスリムを優遇する環境にある。このため、フィリピ ン人など非ムスリム国出身者のなかには、疎外感や不利な 状況を緩和すべくイスラームに改宗し、優勢な多数派宗教 に参入する者がいるのである。 一方で、湾岸諸国におけるイスラーム改宗は単に個人が 居 心 地 の 良 さ を 模 索 す る な か で た ど り つ い た も の で は な く、緊急の援助を求めたいがためというケースも少なから ずある。その窓口が、イスラミック・センターである。イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 集 う 場 で あ る イ ス ラ ミ ッ ク・ セ ン タ ー は、UAEではイスラーム問題・慈善活動庁、カタルでは イスラーム宗教局といったように、湾岸諸国の政府の管轄 下 に あ る ダ ア ワ ( da awa 、 布 教) 教 育 支 援 施 設 で あ る。 こ こでは、イスラームに関心を持つ異教徒、新規入信者、生 まれながらのムスリムを対象として、イスラームの普及を めざすことを目標に置き、その一環としてさまざまなサー ビスを信者などに提供している。具体的には、アラビア語 の授業やアラブの文化などの講義、イスラーム関連印刷物 の提供のほかに、信仰告白の受け付けと、関係省庁を通じ た 入 信 証 明 書 の 発 行 (結 婚 や 就 職 の 際 に 提 出) 、 新 規 入 信 者の礼拝の作法や家族からの理解を得るための改宗表明方 法に関する助言、イスラーム実践に対する指導、困窮した ムスリムに対する法的経済的援助などを行っている。 カタルのフィリピン人バリック・イスラーム組織の初代 インド 4,867,930人 パキスタン 1,984,647人 エジプト 1,629,079人 フィリピン 934,834人 バングラデシュ 905,889人 スリランカ 889,572人 スーダン 324,938人 イラン 323,309人 インドネシア 290,468人 シリア 235,895人 1,784,171人その他 イエメン 955,864人 計 15,126,596人 図1 湾岸諸国における外国人の内訳

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会長Aさんによると、Aさんがイスラミック・センターで 面会するフィリピン人新規改宗者の六割は問題を抱えてお り、そのほとんどが労使問題である * 3 。労使問題はフィリピ ン大使館海外労働事務所が担当するものであるが、三〇万 人の在留フィリピン人の陳情を抱える当局は、請願者が望 むように迅速に対処をすることができない。そこで、かれ らはイスラミック・センターに駆け込み、改宗をし、問題 の解決をはかる。イスラミック・センターには、ムスリム 同胞のために活動する専任弁護士のイスラーム知識人がお り、多くの伝手も持つ。したがって、改宗者とトラブルに な っ て い る ス ポ ン サ ー に 容 易 に 近 づ き、 「宗 教 の 名 の 下 で」話をつけることができるのである。Aさんは、当初の 改宗の目的が異なるものであったとしても、同胞愛のなか で助けられ、イスラミック・センターやダアワ運動によっ てイスラームと親和的になり、やがて信仰心が当人に根付 くことが期待されているため、さまざまな援助の手が新規 ムスリムに差し伸べられているのだと語る。 男 性 の 改 宗 が 職 場 と 少 な か ら ず か か わ っ て い る と す れ ば、多くの女性のイスラーム改宗現象もまた、職場や通婚 に起因する。とくにアラブ人家庭に住み込みで働く家事労 働者は、孤立した状況のなかで女性雇用者に気に入られよ うとしたり、改宗することをほのめかされて、イスラーム の信仰告白を行う。具体的な数字はないが、滞在年数や同 じ家庭での雇用期間が長期化すればするほど、雇用者家族 との結び付きが強くなり、その傾向も強まるといえよう。 二〇一二年に筆者がカタルの首都ドーハで会った家事労働 者は、二〇年間同じカタル人家庭で働き、家族のイスラー ム 実 践 を み る な か で 改 宗 し、 そ れ と 並 行 し て 仕 事 量 が 減 り、贈り物やメッカ巡礼への同行があったことを語った * 4 。 他方、二〇一三年に筆者が休日の金曜日にドバイの公園で 会ったフィリピン人女性は、以前、UAE人の女性雇用者 から勧められてイスラームに改宗したが、思っていたよう な職場環境の改善にはつながらなかったために、二年の雇 用契約が終わると同時に元の宗教に戻ったという * 5 。このよ うに、女性雇用者と同じ宗教に入信しても、雇用者=被雇 用者関係は依然として残ったままであり、待遇が好転する かどうかは個別的に検討されるべきである。 もう一つの改宗の要因で多いのは、通婚、つまりムスリ ムとの婚姻である。単身で働く外国人のなかには、就労先 で出会った者と恋愛関係にいたる者も少なからずいる。湾 岸諸国では、婚姻関係にない男女が私的な空間で二人きり になることは違法とされており、判明した場合は投獄・解 雇・ 強 制 送 還 さ れ る。 こ の た め、 就 労 先 で 働 き 続 け る に は、恋愛期間をあまりもたずに結婚にいたるのである。U AEやカタルでは、ムスリム男性との結婚に際して女性が ムスリムである必要は 必ずしも ない * 6 。しかし、結婚後や恋

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愛関係の過程で、女性は男性との関係を強化させるために イスラームに改宗したり、夫の宗教実践を間近で観察する うちにイスラームを信奉していく。フィリピン人女性の場 合、エジプト人やパキスタン人の男性との通婚が大多数で あ り、 湾 岸 諸 国 の 自 国 民 と の 婚 姻 は ご く わ ず か に す ぎ な い。ただし、こうした組み合わせは文化的差異が大きく長 続きしないことも多い。上述したカタルのAさんは、一〇 組のうち一組くらいしか続かず、残りの九組は、子がいな いまま離婚したり、子がいたとしても妻に引き取られて妻 の母国に戻ったりしているのではないかと述べる * 7 。 結婚のために安易にイスラームに改宗して、のちに夫婦 間もしくは姻族とのあいだでトラブルを引き起こすケース は、近年ますます増えている。こうした問題を未然に防ぐ ため、ドバイでは、二〇一二年から改宗者が信仰告白をし たかどうか、イスラームの五行と六信の義務をきちんと理 解 し て い る か ど う か、 礼 拝 の 仕 方 が わ か っ て い る か ど う か、ムスリム女性および夫婦間の権利と義務を把握してい るかどうかなど、イスラミック・センターの教師が指導・ 審査した証明書を結婚をする際に提出することが課せられ て い る * 8 。 結 婚 後 に は、 国 際 結 婚 者 が 多 く 学 ぶ イ ス ラ ミ ッ ク・センターで生徒どうしの助け合いもみられている。モ ノの売り買いをすることで金銭的な相互扶助を行い、新規 入信者としての心得や、結婚後のふるまい方や姻族との付 き合い方を、自身と同じ国籍の男性と結婚をした先輩改宗 者から教わったりする。こうした生活実践の場でもあるた め、イスラミック・センターに集まるのは、圧倒的多数が 改宗者である。筆者がドバイで会ったフィリピン人民族ム スリムの女性はイスラミック・センターの近くに住んでい た が、 「あ そ こ は 新 規 ム ス リ ム の た め の も の だ か ら」 と セ ンターに足を運ぶことはなかった (細田・渡邉 二〇一三) 。 イ ス ラ ミ ッ ク ・ セ ン タ ー に 端 を 発 し た 連 帯 は 、 当 該 国 を 離 れ た あ と も 続 く 。 ド バ イ の イ ス ラ ミ ッ ク ・ セ ン タ ー で は 、 改 宗 者 へ の 改 宗 後 の ケ ア と し て 、 イ ス ラ ー ム 学 習 に 秀 で た 改 宗 者 を メ ン バ ー 内 で 積 極 的 に 雇 用 し た り 、 い っ た ん 帰 国 した改宗者を今度はセンターの教師として呼び戻したりす る な ど 、 国 を 超 え た ム ス リ ム ・ ネ ッ ト ワ ー ク が つ く ら れ て い る 。 こ れ は 、 フ ィ リ ピ ン に 帰 国 し た 一 般 の 改 宗 者 に 対 し て も 同 様 で あ る 。 マ ニ ラ の ム ス リ ム ・ コ ミ ュ ニ テ ィ に 暮 ら す イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の B さ ん は 、 女 性 布 教 活 動 家 ( da iyah ) である。Bさんは、学習を重ねて布教活動家となり、フィ リピンにいながらドバイのイスラミック・センターに雇わ れるようになった。センターの要請を受け、Bさんはたび たび国内を移動して、自らの郷里などに帰還したイスラー ム改宗者のもとを訪れている。約七年の布教活動の経験か ら、 B さ ん は、 湾 岸 諸 国 で 改 宗 し た 人 び と の 二 割 強 が、 フィリピンに帰国した後、イスラームを離れて元の宗教に

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戻っていると述べる。それは、帰国した移動労働者の家族 から猛反対を受けたり、住みにくさを感じたり、利便性を 求めてイスラーム改宗した人の信仰心が心身に根付いてい なかったり、近くに悩みを分かち合えるような改宗者がい なかったりすることに起因する。このため、帰国した改宗 者の宗教実践がその後どうなったのかを追跡し、親身に相 談 に 応 じ た り、 改 宗 者 の い る 近 辺 の ム ス リ ム・ コ ミ ュ ニ ティを紹介したりすることがBさんの仕事である。

近郊

改宗者

では、帰国したイスラーム改宗者たちはどのように暮ら し、他者との関係を構築しているのだろうか。本節では、 イスラーム改宗者が一概に湾岸諸国で学んだ教義を実践す るのではなく、イスラームへの姿勢や同胞のムスリムとの 付き合いかたに対し多様で異なる考えを持っていることを 描く。このため、以下では、イスラーム実践の程度が地域 として相対的に異なる三つのムスリム・コミュニティを取 り上げていく。

ISCAG

もっとも「厳格」に教えを実践しようとしているのは、 I S C A G ( Islamic Studies for Call and Guidance ) が 管 理する首都圏郊外のゲーティッド・コミュニティである。 ここは、一九九五年にサウディアラビアの慈善家や賛同し たアラブの人びとによってつくられた。一万五千五百ヘク タールの敷地内には、モスク、家族用のアパート、男女学 生の寄宿舎、小学校と高校の校舎、ハラル食堂、サウディ アラビアから寄贈されたイスラーム関係の書籍が所蔵され て い る 図 書 館、 イ ス ラ ー ム に の っ と っ た 治 療 を 行 う 診 療 所、バスケットボールコートなどがある。敷地内の小学校 と高校では、イスラーム的学びと公教育を合わせたものが 教えられ、すべてのクラスで厳格に男女の隔離が行われて いる。四〇世帯ほどを収容できる家族用アパートは、広さ に応じて月々三千ペソから六千ペソで貸し出されている * 9 。 家族用アパートには、多くの改宗女性とその子供たちが暮 らしている。彼女たちの夫の多くは、湾岸諸国で働くフィ リピン人のイスラーム改宗者、もしくはフィリピン人以外 のムスリムである。自分たちが不在の間に妻子が危険な目 に遭わないよう、ISCAGのアパートに預けている。そ うでなくとも、イスラーム的服装をする改宗者は、周囲の

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キリスト教徒からの奇異な視線を浴びることが日常的であ る。敷地内では、スンナとよばれる預言者ムハンマドの宗 教的慣行・規範に従い、男性は肌を露出することをできる だ け 避 け て お り、 女 性 た ち は、 ア バ ヤ ( abaya 、 女 性 用 の 黒 く ゆ っ た り し た 外 套) は も ち ろ ん、 顔 に ニ カ ブ ( niqab 、 目 の 部 分 だ け を 残 し て 顔 全 体 を 覆 う 黒 い 布) 、 手 足 に 黒 い 手 袋や靴下を着用することが推奨されている。ISCAG女 性部門長の改宗女性は、こうしたISCAGの実践をよい と考える人びとが増えているため、アパートは満室が続い ていると筆者に語った * 10 。彼女は、子どもたちの将来を考え て、二年間ISCAGの周辺に住み、アパートが空くのを 順番待ちしたそうである。

民族

主体

ISCAGに住んでいるのが主としてイスラーム改宗者 であるとしたら、マニラのほかの地域で多く形成されてい る の は、 民 族 ム ス リ ム を 主 体 と す る ム ス リ ム・ コ ミ ュ ニ テ ィ で あ る。 首 都 圏 ケ ソ ン 市 に あ る ム ス リ ム・ コ ミ ュ ニ ティのS地区は、一九八〇年代より人口が増え、現在では 一万人を超える。このうちの数%がイスラーム改宗者であ る。 人 口 構 成 か ら み る と、 改 宗 者 は マ イ ノ リ テ ィ で あ る が、以下の三つの特筆すべき点がある。一つは、初期から 暮らしている世帯の多くに改宗女性がおり、コミュニティ の 発 展 に 貢 献 し て き た こ と で あ る (図 2 参 照) 。 彼 女 た ち のおよそ半数は湾岸諸国で家事労働者として働いた経験を 持ち、帰国後もキリスト教を主とするマニラ社会での作法 や自らの技能をもちいて、S地区社会とキリスト教社会と をつなぐ役目を担ってきた (渡邉 二〇一二) 。 二点目は、上記に付随し、彼女たちが民族ムスリムと結 0 20 40 60 80 100% 2001~ 1996~2000 1991~1995 ~1990 年 異宗教徒間結婚 異民族間結婚 民族内結婚 20 22 51 20 9 13 2 10 4 16 10 15 図2 S 地区における婚姻パタン (出所)渡邉(2010)

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婚し、S地区のなかで自らの役割と居場所をみつけてきた ことによって、その子らはハーフやミックス、メスティソ で あ る こ と を 積 極 的 に 認 め る 人 び と が 出 始 め た こ と で あ る。南部フィリピンのムスリム社会のなかでとりわけ民族 内かつ階層内結婚をしてきた氏族にとって、自らは「生粋 (ピ ュ ア) 」 で あ る。 一 方、 民 族 ム ス リ ム で な い 女 性 は ビ サ ヤ ( Bisaya 、 こ こ で は フ ィ リ ピ ン 中 部 ヴ ィ サ ヤ 諸 島 出 身 者 で キ リ ス ト 教 徒 の こ と) と 呼 ば れ、 イ ス ラ ー ム に 改 宗 し た と しても、遅れてイスラームを受け入れた者、その社会での 系譜をたどれない者という点で低く見られ、周辺化される 傾向にあった。そこで、改宗女性は自身と子供たちをなる べく夫の民族に溶け込ませる努力をしてきた。しかし、マ ニラでは、ムスリムの出自をもちつつも、周囲のキリスト 教徒とうまくやっていくような柔軟性の高いふるまいや服 装が学校や職場で求められている。このため、民族ムスリ ムとイスラーム改宗者の父母を持つ子は、自分たちがハー フやミックス、メスティソだからこそ、いくつもの文化を 取 り 込 み つ つ、 郷 里 の 風 習 に し ば ら れ な い ム ス リ ム で あ り、フィリピン・ムスリム社会とキリスト教徒を中心とす る主流社会の橋渡しをする役目だという自負を持ち始めて いる (渡邉 二〇一二) 。 三点目は、湾岸諸国での海外就労中にイスラームに改宗 した人たちによる実践である。S地区で基本的な信仰実践 を促すタブリーグ活動を展開し、麻薬中毒者や無職の若者 をこの活動に巻き込んで更生させてきた点で感謝する人は 多い。ところが、イスラーム改宗者と民族ムスリムとのあ いだで、イスラームの実践の違いをめぐる緊張もたびたび 生じている。イスラーム改宗者が「遅れてきたムスリム」 として、服装や生活習慣、子のイスラーム教育など熱心に 信仰実践を行い、ことあるごとに「生粋」である生来のム スリムに対して「これこそが正しいイスラームだ」と諭す ような態度をとる。そうした「正論を説く」改宗者につい て、 民 族 ム ス リ ム が 真 摯 に 受 け 入 れ る と き も あ れ ば、 「こ れが従来からのわれわれのやり方だから口を出さないでほ し い」 「か れ ら の 方 が 偏 狭 だ」 と 疎 ん じ る と き も あ る (渡 邉 二〇一二) 。

小規模

改宗者

ISCAGにおける実践は極端であるためフィリピンの 文 化 に は そ ぐ わ ず、 他 方 で 民 族 ム ス リ ム の 多 い コ ミ ュ ニ テ ィ は ス ラ ム 化 し、 元 キ リ ス ト 教 徒 で あ る と し て 偏 見 を 持った態度をとられたり、宗教実践で対立が生じたりする ために住むのは難しいと考える改宗者もいる。Cさんは、 就労先のドバイで出会ったパキスタン人の夫とのあいだに 息子がひとりいる。彼女は、両親と息子とともに、マニラ

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首 都 圏 ケ ソ ン 市 に あ る ム ス リ ム・ コ ミ ュ ニ テ ィ の R 地 区 で、アパートの一室を借りている。ここは、イスラームに 改宗したフィリピン人アーティストが、広大な自宅の敷地 にアパート二棟とモスクを建て、酒や麻薬、賭け事といっ た悪徳を持ち込まない、適度な服装をするという約束で、 主としてイスラーム改宗者に貸し出したものである。 Cさんは、息子と両親のため、ISCAGほど厳格でな く、民族ムスリムのコミュニティほど雑然としていない、 このR地区を選んだ。一五世帯ほどが暮らすR地区は、ミ ドルクラス以上の者しか住めない新興住宅地のなかにある ので静かな環境が保たれており、子どもを外で遊ばせるこ と が で き る。 ま た、 門 や 門 番 が な い た め 外 に 開 か れ て お り、 家 族 の な か で 唯 一 イ ス ラ ー ム に 改 宗 し て い な い 母 親 が、気軽に近所のキリスト教徒たちと交流をもつことがで き る。 複 雑 な ニ ー ズ を 抱 え る 改 宗 者 に と っ て、 中 庸 な コ ミュニティが必要であった。 ただし、当初からこのムスリム・コミュニティが周囲に 受け入れられていたわけではない。上述したように、二〇 〇〇年代半ばからイスラーム改宗者はテロリストと同一視 されて報じられてきたために、モスクの建設やマドラサ校 舎の創設に際し、たびたび嫌疑の目が周辺住民から向けら れ、 警 察 に よ る 立 ち 入 り 調 査 が 行 わ れ た。 住 人 は 辛 抱 強 く、 謙 虚 に 入 居 時 の 約 束 事 を 守 っ た。 ア ザ ー ン ( adhān 、 礼拝への呼びかけ。現代ではマイクなどが用いられる) の音 量にも気を遣った。その甲斐あってか、次第に周囲の人び との関係が緩和し、筆者が訪れたときには、イスラームへ の改宗を考えているという女性もいた。女性は、当初はム スリムが近くに住むこと自体をいやだと思ったが、反対し た ら 何 を さ れ る か わ か ら な い か ら 黙 っ て い た と い う。 だ が、これまでメディアで報道されていたような「テロリス ト」や「無法者」というイメージとは逆に、穏やかに暮ら しているのを見て、興味を持ったということだった * 11 。 イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 質 素 な 信 仰 実 践 を 見 て、 「再 改 宗」 する民族ムスリムもいる。R地区には、改宗ムスリムの男 性と結婚した民族ムスリムのDさんも暮らす。Dさんは、 マ ニ ラ で 生 ま れ 育 ち、 キ リ ス ト 教 徒 の 友 達 と 過 ご す な か で、 前 髪 を 少 し 出 し て ス カ ー フ を 耳 に か け る、 「ミ ッ キ ー マ ウ ス」 の ス タ イ ル を お し ゃ れ と 考 え て い た と い う。 だ が、 職 場 の 病 院 で、 「き ち ん と し た ヒ ジ ャ ー ブ ( ḥijāb 、 頭 髪 を し っ か り と 覆 う 布、 体 の ラ イ ン を 隠 す ゆ っ た り と し た 上 衣) 着 用 者 ( full hijabi ) 」 の 改 宗 女 性 と 出 会 い、 衝 撃 を 受 けた。イスラーム改宗者が管理運営するウェブサイトやラ ジ オ 放 送 を 聞 き、 D さ ん も ま た 正 し く ヒ ジ ャ ー ブ を 着 用 し、ムスリム女性として守るべきことを努めるようになっ た。 以 前 の 自 分 を、 自 戒 を 込 め て「 (イ ス ラ ー ム が 到 来 す る 前 の) ジ ャ リ ヒ ー ヤ の 時 代 ( J-days ) 」 と 呼 び、 「生 ま れ

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ながらのムスリムとして神のメッセージを受け取っている の に、 イ ス ラ ー ム を 実 践 せ ず に 寝 る の が (二 度 と 目 が 覚 め ないかもしれないことを思うと) 怖い」 と考えるようになっ たと語る * 12 。

改宗者

社会

再編

前節まで、湾岸諸国への就労と移動労働者のイスラーム 改宗、改宗者の帰国後の宗教実践の多様性、キリスト教徒 主流地域におけるイスラームの可視化などの事例を見てき た。ここでは、それらを踏まえ、イスラーム改宗者がもた らすフィリピン・ムスリム社会の再編について述べ、フィ リピン・ムスリム研究を再考する資料として提示する。 本稿では、湾岸諸国で改宗しフィリピンに帰国した人び とが、さまざまな方面から、好意的に、もしくは否定的に 認識されるなかで、その存在を成り立たせていることが明 らかとなった。つまり、イスラーム改宗者は、国際的なム スリム・ネットワークに取り込まれて、イスラミック・セ ンターや布教活動家から手厚いケアを受け、同胞の改宗者 と信仰実践や経済的生活について互いに支え合っている。 一方で、フィリピン政府からは常に嫌疑の目を向けられる ために、それを払拭することを余儀なくされている。民族 ム ス リ ム か ら は「遅 れ て き た ム ス リ ム」 「系 譜 を た ど る こ とができない者」とみなされ、また宗教実践について「う るさく言う人たち」と煙たがられることもあるため、かれ らから距離を置いたり、かれらと付き合うときには尊重し なければならない。周囲のキリスト教徒に対しては、自分 たちが、分離独立運動を行い、否定的なイメージを有して き た 民 族 ム ス リ ム と は 異 な る 存 在 で あ る こ と を 示 し つ つ も、友好的に付き合うことが求められている。 こうして、多様な他者と個別に関係が構築されていくな かで、集団としてのイスラーム改宗者という存在がかたち づくられてきた。多くの改宗は個々の人生における利便性 や信仰の追求から始まったにすぎないが、イスラーム改宗 者はフィリピンの民族ムスリムとは異なる集団として自他 ともに認識されるようになり、近年では、バリック・イス ラームとしてフィリピン・ムスリムを構成する一四番目の 「民 族」 と し て 認 識 さ れ る よ う に な っ て い る ( Mindanews 2006 ) 。 た だ し、 Ⅲ で み て き た よ う に、 そ の 実、 か れ ら の イスラームへの姿勢や同胞のムスリムとの付き合いかたに は、配偶者の国籍、子や親との関係、自身の生きる国や社 会に対する見地などによって相違があることから、改宗者 を一枚岩的に捉えるべきでないことも明らかとなった。 では次に、このようなイスラーム改宗者がフィリピン・

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ムスリム社会において脱民族化とアラブ化をうながし、当 該 社 会 の 再 編 を も た ら し て い る と 論 じ た ア ン ヘ レ ス ( Angeles 2011 ) について検証したい。 まずは、フィリピン・ムスリム社会の脱民族化である。 イスラーム改宗者は、バリック・イスラームと称されるこ と も あ る が、 南 部 フ ィ リ ピ ン の ム ス リ ム 民 族 集 団 に 属 さ ず、フィリピンを植民地下に置いたスペインとアメリカ、 太平洋戦争時の日本、およびフィリピン中央政府に対する 長期の歴史的経験を共有しない。これは、何世紀ものあい だ同国のムスリムとキリスト教徒間の関係を規定してきた 準拠枠と異なることから、この地域において多元的なイス ラ ー ム が 展 開 し て い る と い え る ( Angeles 2011: 174 ) 。 筆 者は基本的にこれに同意するが、加えて、イスラーム改宗 者の通婚がフィリピン・ムスリムの民族境界を相対化させ ている点を指摘したい。イスラーム改宗者は、外国人ムス リ ム や 民 族 ム ス リ ム と 出 会 い 結 婚 し て 家 族 を 形 成 し て き た。そこから、配偶者やその姻族が有する異なる生活文化 やイスラーム実践が日常に取り込まれたり * 13 、ハーフやミッ クス、メスティソであることを積極的に認める人びとが出 現したりしている。このように、イスラーム改宗者の増加 によって、フィリピン・ムスリムは、モロ民族としても、 各民族集団の集合体としても捉えきれなくなっており、民 族と宗教が同一視されてきたフィリピン・ムスリム研究の 再考が必要であろう。 このことは、フィリピン・ムスリム社会の脱領域化にも つながっていると指摘できよう。すなわち、従来は、南部 フ ィ リ ピ ン を 中 心 に、 モ ス ク や 民 族 的 服 装 と い っ た イ ス ラーム的景観が広まっていたが、湾岸諸国で改宗した人び とがそれぞれの郷里に戻ることで、そうした景観が国内各 地 に 広 が っ た と い う 点 で あ る。 も っ と も、 上 述 し た よ う に、民族ムスリムの国内避難民や経済移民の活動も、イス ラーム的景観の拡散をもたらしていることは忘れてはなら な い (図 3 参 照) 。 加 え て、 こ の 現 象 は、 単 な る 宗 教 的 景 観の広がりを超えて、フィリピン・ムスリムにとっては、 特定の地理的集住地域を有してきたモロ民族の運動に大き な 波 紋 を 投 げ か け る。 イ ス ラ ー ム 改 宗 者 は、 「都 市 の ム ス 図3 フィリピンのムスリム人口分布図 (出所)フィリピン国勢調査(2000)より筆者作成 (注)•は100人以上のムスリム人口がいる市 町、灰色の部分はムスリム・ミンダナオ自治区 フィリピン マニラ

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リム」とは言われるものの、モロ民族とは異なり、特定の 地理的集住地域を持たない。このため、先祖伝来の土地を 保障し、そこでイスラーム的な政府の樹立を求めていくモ ロ民族の運動にとっては、いかにして改宗者を取り込んで いくか、あるいはいかないのかということが分岐点になろ う。 アンヘレスの二点目の指摘は、フィリピン・ムスリム社 会のアラブ化現象である。すなわち、フィリピンに帰国し たイスラーム改宗者を基点に、ムスリム・ネットワークを 利用したダアワ組織による布教活動の展開、アラブ様式の モスクの導入、イスラーム教材の輸入とフィリピン語への 翻訳、アバヤやニカブの着用等の服装の変化が起きている ( Angeles 2011: 174 ) 。 実 際、 改 宗 者 の 影 響 を 受 け て「再 改 宗」する民族ムスリムの姿もあった。 ただし、イスラミック・センターやダアワ運動によって イ ス ラ ー ム と 親 和 的 に な っ た と し て も ( Ahmad 2011 ) 、 上 述したように、改宗者は一元的にアラブ化しているのでは なく、信仰実践の程度に個人差がある。また、フィリピン では、一九五〇年代から現在にいたるまで、フィリピン・ ムスリムの中東湾岸諸国への留学者がおり、帰国した彼ら がウラマーとしてモスクやマドラサを通じて土着の信仰実 践をイスラーム教義に近づけようとしてきたことを考えれ ば (辰 巳 二 〇 一 二) 、 民 族 ム ス リ ム の 活 動 も ま た、 ア ラ ブ 化をうながしてきたと考えられよう。もっとも、一九七〇 年代から八〇年代にかけて、湾岸諸国への就労した民族ム スリムがアラブ人ムスリムと接するなかで、越えられない 雇用者=被雇用者の関係や、イスラームの中心に生きるム スリムへの過度な期待に対する落胆から、自らのナショナ ル・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 確 認 し、 ア ラ ブ 人 と は 異 な る 「フ ィ リ ピ ン・ ム ス リ ム」 や「東 南 ア ジ ア の ム ス リ ム」 の 自覚を強めたことも考慮しなければならないだろう ( Lacar 1994 ) 。

本稿では、フィリピンとイスラーム世界の中心部とされ る湾岸諸国への人びとの往還的労働移動から、イスラーム への改宗と、イスラーム改宗者がもたらすフィリピン・ム ス リ ム 社 会 の 再 編 に つ い て 考 察 し た。 フ ィ リ ピ ン の イ ス ラーム改宗者は、個々人の選択から端を発し、フィリピン 政 府、 キ リ ス ト 教 徒 を 中 心 と す る 主 流 社 会、 民 族 ム ス リ ム、 湾 岸 諸 国 の イ ス ラ ミ ッ ク・ セ ン タ ー や 布 教 活 動 家 と いった、多様な他者と個別に関係を構築していくなかで、 その存在がかたちづくられ、こんにちでは、特定の地理的 集住地域や共通の母語を持たずとも、一四番目の「民族」

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のバリック・イスラームとしてフィリピン・ムスリム社会 に組み込まれていることが示された。また、かれらがフィ リピン・ムスリム社会の脱民族化とアラブ化の要因の一端 を担っていることも検討された。以下では、これらの点か ら、フィリピン・ムスリム研究と東南アジア地域研究の今 後の課題について考えていきたい。 まず、湾岸諸国で改宗したフィリピン人労働者の移動の 過程を追うことで、各個人がイスラーム世界のなかで生き ている様子がうかがえた。帰還した先で、改宗者たちは、 グ ロ ー バ ル な ム ス リ ム・ ネ ッ ト ワ ー ク を 活 用 し つ つ も、 フィリピンの主流社会との付き合いを考えながら宗教実践 をしている点から、テロやイスラーム復興といった側面ば かりに注目が置かれてきたフィリピンのイスラーム改宗者 研 究 に 対 し、 新 た な 側 面 を 提 示 す る。 加 え て、 「再 改 宗」 する民族ムスリム、通婚をしたイスラーム改宗者のトラン スナショナルな家族など、フィリピン・ムスリム全人口の 割合から考えればマイノリティではあるが、イスラーム改 宗者のもつダイナミズムは、今後も注目していく必要があ ろう。こうした点からも、モロ民族を中心とするフィリピ ン・ムスリム研究を再考し、グローバル化のなかでのフィ リピン・ムスリム研究への展望が期待される。 で は、 他 国 の 外 国 人 労 働 者 は ど う だ ろ う か。 二 〇 一 三 年、 ド バ イ に は 一 六 の イ ス ラ ミ ッ ク・ セ ン タ ー が あ っ た が、 筆 者 が 確 認 で き る 限 り、 そ の う ち の 六 つ が、 イ ン ド 人、中国人、フィリピン人といったように特定の国籍の改 宗 者 を 対 象 と し て い た (細 田・ 渡 邉 二 〇 一 三) 。 ク ウ ェ ー トでもスリランカ人家事労働者がイスラミック・センター に 集 っ て い た ( Ahmad 2011 ) 。 就 労 先 の 湾 岸 諸 国 で 改 宗 し た労働者たちは、母国に帰ったとき、自らがいた周囲環境 や、既存のムスリム社会とどのようにかかわっているのだ ろうか。また、イスラームへの改宗現象は、湾岸諸国だけ に限らず、香港 ( Hawwa 2000 ; Constable 2011 ) やシンガ ポールの家事労働者のあいだでも起きている。東南アジア 地域だけを取ってみても、移動労働者の送り出しおよび受 け入れ国があり、各社会の文脈に応じて、宗教的規範のす り あ わ せ や、 異 な る 実 践 の せ め ぎ あ い な ど が み ら れ て い る。このように、宗教の観点から、国際労働力移動におけ る多国間の比較検討も可能であろう。 ◉注 * 1 本 稿 で は、 湾 岸 諸 国 を 湾 岸 協 力 会 議(G C C) 諸 国 と 同 義 に 扱 う。 構 成 国 は、 サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア、 ア ラ ブ 首 長 国 連 邦、カタル、クウェート、バハレーン、オマーンである。 * 2 本稿は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B) 「湾 岸 諸 国 に お け る 外 国 人 労 働 者: 『多 外 国 人 国 家』 に お け る 共 生 と 分 断」 (平 成 二 三 年 度 〜 二 五 年 度) の 助 成 を 得 て 調 査 を 実施した。

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* 3 二 〇 一 二 年 三 月 二 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 カ タ ル) 。 * 4 二 〇 一 二 年 三 月 三 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 カ タ ル) 。 * 5 二 〇 一 三 年 二 月 二 一 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 U AE) 。 * 6 た だ し、 ム ス リ ム 女 性 の 場 合、 配 偶 者 は ム ス リ ム で な い とならない。 * 7 管 見 の 限 り、 働 く こ と を 優 先 す る と 夫 婦 が 共 働 き し て 一 定 の 貯 金 を 蓄 え、 そ の 後、 ど ち ら か の 母 国 や 第 三 国 に 移 動 す るケースが多い。 * 8 二 〇 一 三 年 二 月 二 〇 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 U AE) 。 * 9 二〇一三年九月現在、一ペソは約二・一円。 * 10 二 〇 一 三 年 八 月 一 四 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 フィリピン・カビテ州) 。 * 11 二 〇 一 三 年 八 月 一 四 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 フィリピン・ケソン市) 。 * 12 二 〇 一 三 年 八 月 九 日、 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー(於 フ ィ リピン・ケソン市) 。 * 13 た と え ば、 ザ フ デ ィ は、 イ ラ ン 人 と キ リ ス ト 教 徒 フ ィ リ ピ ン 人 の 国 際 結 婚 家 族 を と り あ げ、 異 な る 宗 教 や 文 化、 社 会 的 期 待、 言 語 と い っ た 点 で、 さ ま ざ ま な 問 題 に 直 面 し て い る ことを明らかにしている( Zahedi 2010 )。 ◉参考文献 嶋 田 ミ カ(二 〇 〇 七) 「湾 岸 諸 国 に お け る 出 稼 ぎ 女 性 を め ぐ る 諸 問 題 ―― ス リ ラ ン カ と イ ン ド ネ シ ア の 事 例」 久 場 嬉 子 編 『介 護・ 家 事 労 働 者 の 国 際 移 動』 日 本 評 論 社、 二 〇 九 ― 二 四 六頁。 辰 巳 頼 子(二 〇 一 二) 「旅 し て 学 ぶ ―― フ ィ リ ピ ン・ ム ス リ ム 留 学 生 の 事 例 か ら」 床 呂 郁 哉・ 西 井 凉 子・ 福 島 康 博 編『東 南 アジアのイスラーム』 東京外国語大学出版会、 二九―四七頁。 長 坂 格(二 〇 〇 九) 『国 境 を 超 え る フ ィ リ ピ ン 村 人 の 民 族 誌 ――トランスナショナリズムの人類学』明石書店。 平 野 恵 子(二 〇 〇 九) 「イ ン ド ネ シ ア 海 外 雇 用 政 策 の 変 遷 ―― 移 住 労 働 の 女 性 化 を 中 心 に」 伊 藤 る り 編『ア ジ ア に お け る 再 生 産 領 域 の グ ロ ー バ ル 化 と ジ ェ ン ダ ー 再 配 置   最 終 年 度 報 告 書』作品社、三〇―四八頁。 細 田 尚 美・ 渡 邉 暁 子(二 〇 一 三) 「湾 岸 諸 国 に お け る フ ィ リ ピ ン 人 労 働 者 の 改 宗 と 社 会 関 係 の 持 続 と 変 化」 『白 山 人 類 学』 一六号、二九―五三頁。 松 尾 昌 樹(二 〇 一 〇) 『湾 岸 産 油 国 ―― レ ン テ ィ ア 国 家 の ゆ く え』講談社。 宮 本 勝(一 九 九 四) 「ル ソ ン 島 に 渡 っ た ム ス リ ム ―― フ ィ リ ピ ン」 板 垣 雄 三 監 修・ 片 倉 も と こ 編『講 座 イ ス ラ ー ム 世 界 一 イスラーム教徒の社会と生活』悠思社、一一七―一五二頁。 渡邉暁子(二〇〇八) 「マニラ首都圏におけるムスリム・コミュ ニ テ ィ の 形 成 と 展 開 ―― コ ミ ュ ニ テ ィ の 類 型 化 と モ ス ク の 役 割 を 中 心 に」 『東 南 ア ジ ア 研 究』 四 六 巻 一 号、 一 〇 一 ― 一 四 四頁。

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参照

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〔付記〕

目について︑一九九四年︱二月二 0