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日本における近代スポーツの発展に関する一考察(1) : 「ジャパン・パンチ」を中心にして

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title

日本における近代スポーツの発展に関する一考察① *ジャパン・パンチを中心にして*

The Development of Modern Sports in Japan (1)

Author(s) 表 孟宏(Takehiro Omote)

Citation 研究紀要(SHOIN REVIEW),第 20 号:65-90

Issue Date 1978

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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日 本 に お け る 近 代 ス ポ ー ツ の 発 展 に 関

す る 一 考 察 ①*ジ

ヤパン ゜パンチを中心にして*

序 言 日本 の 幕 藩 体 制 が 崩 壊 し,明 治 新 政 府 が 樹 立 さ れ る と と もに 居 留 地外 国人 は,彼 等 が そ の母 国 で 慣 れ 親 しん で き た ス ポ ー ツを 自分 達 の生 活 に 取 り入 れ て,そ れ を エ ンジ ョイす る か た わ ら各 種 の スポ ー ツ ・ク ラ ブ を組 織 し,親 睦 を はか ってい た。 そ の スポ ー ツが 明 治年 代 が 経 つ に つ れ,次 第 に 日本人 に 取 り入 れ られ て 「日本 に お け る近 代 スポ ー ツの発 展 」 とな った こ とは 間 違 い の な い こ とで あ る。 もち ろ ん,一 方 で は外 国人 のお 雇 い 教 師 が そ の 目 的 の 為 に来 日し, そ し て近 代 スポ ー ッ を伝 播 し た こ と も事 実 で あ る。G・A・ リー ラ ン ドやF・ W・ ス トレン ジな どが そ うであ る。 ま た洋 行 して きた 日本 人 が そ れ を持 ち返 っ た もの もあ る。 我 々 は111,近 代 スポ ー ツ の歴 史 的考 察 に 関す る研 究 が 多 くな され,い ろい ろ の 角度 か ら検 討 さ れ て い る こ と も承 知 して い るが,あ え て そ の 原 点 に注 目す る こ とに して,今 回 は 明治 時 代 に 名 を は せ た ボ ン チ画 の原 流 で あ る 「ジ ャパ ン ・ パ ンチ」 が 復 刻 さ れ た(1975年)機 に そ の 絵 図 の中 に た くさ ん あ る スポ ー ツ資 料 を紹 介 す る こ とに した。 1著 者 チ ャ ー ル ズ ・ワ ー グ マ ン の 紹 介 横 田 洋 一 氏 の 「ジ ャ パ ン ・パ ン チ とそ の 周 辺 」 の ワ ー グ マ ン の 紹 介 に よ る ど2】 「ジ ャパ ン ・パ ン チ の 作 者 で あ る チ ャー ル ズ ・ワ ー グ マ ン は1832年 に ロ ン ド ン に 生 れ た 。 陸 軍 に 入 隊 し て,大 尉 で 退 役 し,1857年 動 乱 の 続 く 中 国 ヘ イ ラ ス ト レイ テ ッ ド ・ロ ン ドン ・ニ ュ ー ス の 美 術 特 派 員 と し て 派 遣 さ れ た 。 香 港,広 東,北 京 な ど の 各 地 で 事 件 を 取 材 し挿 絵 入 り の 記 事 を 送 っ て い た 。 1860年,英 仏 連 合 国 が 北 京 を 占 領 し て 戦 争 も一 段 落 し た 中 国 を 後 に し て ワ ー 65

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グ マ ンは1861年 の春,日 本 へ や って 来 た 。 ワー グ マ ンは,モ ス発 砲 事 件(英 国 人 モ スが 日本 人 を 射 っ た事 件)の 裁 判 の た め 香 港 か ら帰 って 来 た 英 国 駐 日総 領 事,ラ ザ フ ォー ド ・オー ル コ ック の 一 行 と共 に 長 崎 か ら陸 路 の 旅 を した 。 そ し て よ うや く旅 を 終 え て,英 国の 仮 公 使 館 で あ る品 川 の東 禅 寺 に着 い た 日の次 の 夜,こ の一 行 は 水 戸 藩 浪 士 の襲 撃 を 受 け た 。 ワー グ マ ンは こ の有 様 を ス ケ ッチ し,そ の1枚 が 「東 禅 寺 浪 士 乱 入 の 図」 と し て現 在 残 ってお り,幕 末 の ジ ャー ナ リス テ ィ ック な記 録 とし て,ま た 彼 の 代 表 作 の一 っ とし て現 在 では 貴 重 な も の とな って い る。 来 日早 々,血 幌 い 事 件 にぶ つ か った ワーグ マ ン で あ ったが,そ の後,取 材 活 動 も活 発 で 幕 末 動 乱 期 の大 き な事 件 の数 々を 記 録 し た。 ま た こ うし た 政 治 的 な 事 件 とは別 に 日本 の珍 しい 風俗 や習 慣,庶 民 の生 活 も多 く取 材 して い るが,そ の こ とか ら ワーグ マ ンの持 ってい る庶 民 的 な性 格 が しの ば れ る。 1862年 の春 に は漫 画 誌 「ジ ャパ ン ・パ ンチ」 を発 行 して好 評 を博 した 。 そ の 後 一 時,途 絶 え た こ と もあ った が,お お む ね 晩 年 ま で 続 き彼 の ラ イ フ ・ワー ク とな った。 1864年 に は 日本 女 性 小沢 カネ との あ い だ に一一郎 とい う子 供 を も うけ た。 1866年 に は,の ち に 明治 の洋 画 界 を 代 表 す る画 家 に な る 高橋 由一 や五 姓 田義 松 が 相 次 い で 入 門 し た。 1867年 に は 英 国公 使 ハ リー ・パ ー ク スー 行 と共 に,大 坂 に行 き,英 国公 使 が 将 軍 徳 川慶 喜 と会 見 す る場 面 を 描 い た。 そ の帰 りは ア ー ネ ス ト・サ トウ と二度 目 の陸 路 の旅 を試 み た。 1868年 には 居 留 地 の取 締 役 に立 候 補 し た 。 当選 は し なか った が,こ の 時 の 日 本 側 の記 録 に よれ ば,立 候 補 者 の 中 で 日本 語 を 話 す ものは ワー グ マ ンだ け で あ り,ワ ーグ マ ン の職 業 は戯 画 師 で あ る と して い る。 こ の よ うに,す で に ワーグ マ ンは 日本 語 が 巧 み で,相 当 の 日本 通 で あ り,一 説 に よ れ ば ビ ワを ひ き,薩 摩弁,東 北 弁 を 使 い 分 け た とい う。 明治 に入 って,特 派 員 と して の取 材 活 動 は 次 第 に 少 な くな って来 た 。 事 件 が 少 な くな った こ と もあ ろ うが,ど う も正 式 な 特派 員 を や め て い た よ う で あ る。 そ れ は 日本 に 永 住 し よ うと決 心 して 自分 か ら特 派員 の地 位 を 放棄 した

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の で あ ろ うか。 日本 女 性 とのあ い だ に子 供 を も うけ た こ とな ど もあ っ て 日本 に 対 す る愛 着 心 ば相 当強 くな ってい た のか もしれ ない 。 ま た こ の 頃 か ら旅 をす る こ とが 多 くな り,日 本 の各 地 を旅 行 して い る。 ま た 生 活 の手 毅 で あ った の だ ろ うか 日本 の新 聞や 雑 誌 に挿 絵 を描 い た り画 法 書 な ど も出版 した。 1888年 に は ロ ン ドンに帰 り,彼 の弟 でや は り画 家 で あ る ブ レイク ・ワ ーグ マ ン と と もに展 覧 会 を 開い た。 そ の後 日本 に帰 ったが 発 病 して精 神 的 機 能 をお か さ れ1891年2月8日 に死 去 した。 そ の墓 は 山手 の外 人 墓 地 に友 人 の 手 に よ っ て 建 て られ,「 … 限 りな くシ ャ レ を 愛 した 男 … 」 とい う英 文 が 刻 ま れ て い る。 ま た 横 浜 市 中 区 の善 行 寺 には,一 子,小 沢 一 郎 の た て た ワーグ マ ンー 家 の墓 が 存 在 す る。」 な お 次 の よ うな 墓碑 名 が 英 文 で か か れ て い る。 「チ ャー ル ズ ・ワー グ マ ン を記 念 し て 美 術 家 ロン ドン に生 る 1891年2月8日 横 浜 に お い て 死 去 享 年58 30年 間 横 浜 に 住 す イ ラ ス トレー テ ィ ッ ド ・ロン ドン ・ニ ュー ス の特 派 員 に し て ジ ャパ ン ・パ ンチ の編 集 者 こ の 記 念 碑 は 日本 にお け る友 人 達 に よ って建 て られ た 彼 は 日本 を 愛 した "限 りな くシ ャ レを 解 し た男 だ っ た" シ ェイク ス ピ ア」 シ ェイ ク ス ピ アの 一 句 が 引 用 され てい る のは,い か に もワーグ マ ンの 墓碑 銘 にふ さ わ しいゆ。 2「 ジ ャ パ ン ・パ ン チ 」 解 題 須 山 計 一 氏 が 「ジ ャ パ ン ・パ ン チ 」 と そ の 影 響 とい う紹 介 書 の 中 に 次 の よ う に ジ ャパ ン ・パ ン チ を 解 説 し て い る が 【51,「現 在,人 口200万 人 を 超 す 大 都 市 と な っ た 横 浜 は,今 で もエ キ ゾ チ ッ ク な 匂 い の す る 町 と し て 神 戸 や 長 崎 な ど と共 67

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に 有 名 で あ る。 そ の横 浜 の港 に近 い 一・帯 ば,今 か ら約120年 ほ ど前 には 外 国人 の居 留地 とし て さ ま ざ ま な国 の人 々が 住 ん で い る。 丁 度,幕 末 の 動 乱 期 に あ り,色 々 と危 険 な 事 件 に 遭 遇 し なが ら も生 活 を 楽 しみ 一獲 千金 を 夢 み てい た。 しか し,そ こ は 決 して 住 み ご こち の良 い 場 所 で は な か った 。居 留 民 のあ い だ で は い っ も衛 生 状 態 の 悪 さが 問題 と な り,道 路 や 下 水 の 不 備 が 不 満 と な った。 そ して,そ の 不満 を 幾 分 で も解 消 す る ため,ま た娯 楽 の 少 ない 無 味 乾 燥 なふ ん 囲 気 を や わ らげ る た め,1862年,チ ャー ル ズ ・ワー グ マ ン に よ っ て ジ ャパ ン ・パ ンチ とい う漫 画 誌 が 発 刊 され た。 こ の漫 画 が 実 際 に居 留 民 の欲 求 不 満 を解 消 す るた め に役 立 っ た か ど うか は分 ら ない が,少 な くと も現 代 の 我 々 に と って は,ポ ンチ 絵 の 嘱 矢 と し て,ま た居 留 地 で の生 活 を知 る上 で 貴 重 な資 料 とな ってい る性〕。 これ は イ ギ リス のパ ン チ を範 に と っ てお り,そ の表 紙 に は イ ギ リスの パ ンチ と 日本 のパ ン チが 握 手 し てい る場 面 が 描 か れ てい る。 「パ ン チ」(PunchortheLondonCharivari)1841年 の7月 頃創 刊 さ れ た イギ リス の滑 稽 な絵 入 り週 刊 誌 で,パ ンチ とは英 国 の 盛 り場 で 昔 か ら人 気 を 集 め てい た あ や つ り人 形 の主 人 公 で,鼻 が 長 く曲 った せ む しの 男 の こ とで あ る。 創 刊 され た ジ ャパ ン ・パ ンチ は そ の後 しば ら く休 刊 し てい た らし く1865年 の 秋 ご ろ よ りま た刊 行 さ れ た。 創 刊 当初 は 不 定 期 で あ った が,そ の後 お お むね1 カ月 に1度 発 行 さ れ てい た よ うで あ る。 体 裁 は 美 濃 紙 に 木 版 摺 りで あ った。 枚 数 は 幾 分 の ず れ は あ るが 大体15枚 前後 を 一 冊 と し てい た よ うで あ る。 紙 の寸 法 は横25翻,縦25翻 ∼36疏 で あ る 。 表 紙 の絵 や文 字 に も年 毎 に 幾 分 の 変 化 が あ り,創 刊 号 に欠 け てい た定 冠 詞 の 「ザ」 が1865年 か ら入 り,1871年 か ら年 号 だ け を別 の板 木 で 摺 ってい る。 こ れ は年 号 が 変 る た び に表 紙 全 体 を 新 し くす る労 を はぶ い た もの ら しい 。1872年 か らは 「月」 が入 って くる 。 これ は 墨 に よ る手 書 き で あ り,こ ん な と ころ か ら も 発 行 部 数 が あ ま り多 くな か った こ とが 推 定 出来 る。1882年 の12月 に は 木版 摺 り か ら石 版 刷 りに 変 った 。 発 行 所 は 海 岸 通 りに近 い 所 に あ っ たR・ ミク ル ジ ョン ・カ ン パ ニ ー とい う会 社 で あ った。 最終 号は1887年 の3月 であ っ た と思われ る。

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ジ ャ パ ン ・パ ン チ 表 紙 描 か れ てい る 内容 は居 留 地 の こ とを 中心 と して 前 述 の とお り多 岐 に わ た って い る が,そ れ を一 つ 一 つ解 明す る に は今 後 の詳 細 な 研 究 を ま た ねば な らな い。 さ て ジ ャパ ン ・パ ン チ はい つ ご ろか ら 日本 人 の あ い だ で 評 判 に な っ た の で あ ろ うか,1868年4月 の江 湖 新 聞 で福 地 源 一 郎 は 「西 洋 新 聞 紙 中,ポ ン チ とい う ものが あ り,是 は鳥 羽絵 風 に て可 笑 しき絵 組 を 取 纒 め,其 の 中 に寓 意 あ りて, 日本 の判 じ物 也 。 既 に横 浜 に て も,毎 月一 冊 つ つ 売 出 し,余 程 お か し き趣 向 な り,其 一 を上 に 出す 」 と述 べ た。 そ して こ の 中 で 取 りあ げ られ た ポ ン チ とい う 言 葉 が,ポ ン チ絵 とな って,の ち に 明治 漫 画 の 代 名 詞 とな った もの であ る 。」 こ の様 に し て外 国人 居 留 民 の欲 求 不 満 を解 消 させ るこ とか ら,日 本 人 の 話 題 に の ぼ り,日 本 人 の 中 に浸 透 し てい く内 に,日 本 を 諸 外 国 と りわ け イ ギ リス 本 国に 紹 介 す る の に大 き な役 割 りを果 してい る こ とが うか が え る。 3「 ジ ャ パ ン ・パ ン チ 」 ス ポ ー ツ 資 料(絵 図)年 表 「ジ ャパ ン ・パ ン チ 」 に は お よ そ 数 千 の 絵 が あ る 。 つ ま り全 体 の3分 の1く ら い が 絵 で あ る と い っ て も過 言 で は な い 。 そ の 内 ス ポ ー ツ に 関 係 の あ る 絵 図 が 69

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約 軸Oあった 。 そ れ を年 代 順 に追 ウて み る と次 の よ うであ ウた。 発 行 年 月 日 (日 本 歴) 文 久9年 〃 " 埋応元年 〃 慶 応 呈年 〃 〃 " " 〃 'ノ " 'ノ 慶応 呂年 " 明治 元年 〃 〃 明治z年 〃 〃 〃 〃 〃 " " 西暦 月号 1概 年 〃 〃 11a65年 1鰯 年 " 解 " 'ノ " " " " 1呂肝 年 工月 〃 日月 185a年 動月 "11月 〃12月 1呂59年 宮月 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 月 〃 〃 5 〃 却 月 躍 窃 題 名 ま たは 内 容 乗 馬 乗 馬 乗 馬 馬 上 射 撃 テニ ス 乗 馬(あ ば れ 馬) 諮 猟 ス ケ ー ト テニ ス 乗馬 乗 馬 乗 馬 ビ リヤ ー ド ラ ム ネ 競 馬 ボ ウ リング 狩 独 乗 馬 梁 馬 乗 馬 狩 猟 ボタ シ ング 狩 猟 ビ リヤ ー ド ビ リヤ ー ド 鵬 競 馬 絵 園… 番 張4章 参照 5 3 提 U 君6

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明治3年 〃 〃 " 〃 〃 〃 朋治 些年 〃 〃 明 治5年 〃 〃 〃 明治6年 明 治7年 〃 " 〃 " " 〃 " 明治 臼年 " 〃 明治9年 〃 1970年3月 叩 〃 〃 〃 〃 〃 " 5月 〃 $月 " 〃 1971年2月 "5月 〃" 1君7£年5月 〃11月 〃12月 "〃 1873年 蛇 月 1874年3月 〃 " " " 〃 " 3月 4月 5月 〃 5月 " 11月 1呂75年4月 "10月 "11月 1a循 年 臼月 〃7月 "9月 鵜 フ 晶 ン シ ン グ 乗 馬 ラ イ フ ル マ ッ チ 競 馬 ポ ー ト レー ス ポ ー ト レー ス ア ェ ン シ ンrグ 競 馬 ボ ウ リ ン グ 乗 馬 ボ ク シ γ グ バ ド ミ ン トン ア ー チ ェ リー マ ラ ソ ン ボ ウ リ ン グ ,1{ウ リ ン ク' ア ー チ 呂 リー 瞳 上 競 技 乗 馬 ポ ー ト レー ス カ ヌ1一 ラ イ フ ル ボ ウ リ ン グ 陸 上 競 技 競 馬 テ ニ ス レー ス ク ラ ブ ベ ー ス ポ ー ル 14 4 9 1 02 17 16 15 11 1 71

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開 治9年 " 〃 〃 " 〃 明 治10年 〃 〃 〃 " " " 明治ll年 'ノ 明治揺年 〃 明治B年 " 〃 明 治14年 明 治15年 1' 明治田年 " 1呂76年9月 " " 〃 " 〃 10月 11月 1且月 " 1呂77年4月 〃 〃 り 〃 擢 〃 5月 " ε月 9月 " 〃 " 187ε年2月 〃5月 1呂四 無4月 〃 〃 "7月 1日呂O年4月 "5月 "η 〃 右月 1呂8工年1£月 弼 羽 年 ユ月 "自 月 "君 月 1日羽 年1ユ月 〃13月 ボ ウ リン グ 馬 車 乗 馬 ボ ウ リ ン グ 乗 馬 象 に 粟 づ て い る ボ ウ リン グ つ な 引 き ボ ー ト ・ダ ン ス テ ニ ス 乗 馬 ボ ク シ ン グ ク リ ケ ッ ト カ 翼 一 テ ニ ス 乗 馬 運 動 会 乗 馬 テ ニ・ス ラ イ フ ル フ.f,シ ン グ ラ イ フ ル 乗 馬 ラ イ フ ル フ ィ7シ ン グ デ 、ニ ス バ ド ミン トン 競 馬 テ ニ ス 24 B且 γ 2 16 ユ2 12 日 旦5 9 22 lo

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明 治17年1卵 生年1月 〃 〃 日 月 〃"11月 〃"12月 明 治19年1呂 防 年5月 フ 昌 ン シ ン グ テ ニ ス 乗 馬 ボ ウ リ ン グ 陸 上 競 技 宮8 13 4「 學 ヤ パ ン ・パ ンチ 」 ス ポ ー ツ 資 料(絵 図)種 目 別 ジ ャパ ン ・バ ン チ ス ボ ー ツ 資 料(絵 図)90の 内 の 租 目別 で は 次 の よ うに な う て い たq (種 目) 乗 馬(競 馬) ナ ニ ス ライ フル(狩 猟) ボ ウ リング レ ガ,タ,ボ"一 ・ト レー ス(カ ス ー) ラ ン ニ ン ダ,陸 上 競 技 7`ン シ ン グ ボ ク シ ン グ ピ リ ヤ ー ド バ ド ミン トン ア ー チ 羊 り一 運 動 会 フ ィ 甘 シ ン グ ス ケ ー ト ベ ー ス ポ ー ル ク リケ,ト ダ ン ス 維 合 そ の 他 (点 数) ヨo 曾 9 9 日 4 3 3 3 皇 露 2 鼻 1 1 1 1 1 1 (比 率) 5a33% 1⑪、OO lO.OO 10.00 店.56 4,44 乱 註3 乱 詔 5,3魯 222 2.22 君.2£ 222 1.11 1.11 1.11 1.11 ユ.11 工.11 7窪

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以 上 の こ と か ら乗 馬(競 馬)が 一 番 多 く(30点 あ り)全 体 の3分 の1で あ り,当 時 のN.R.C(NiponRaceClub)の 創 立 や ら 根 岸 競 馬 場 の 完 成 な ど か らみ て も非 常 に 盛 ん で あ っ た こ と か ら も う な ず け る 。 次 に テ ニ ス,ラ イ フ ル,ボ ウ リ ン グ が そ れ ぞ れ9点 ず つ あ る の だ が,テ ニ ス は 明 治 時 代 日本 に お け る 近 代 ス ポ ー ツ の 花 形 で あ っ た こ と か ら も う な ず け る し,ラ イ フ ル も彼 等 の 生 活 の 中 に は 古 くか ら 馴 染 ん で い る こ と か ら も う か が え る 。 た だ ボ ウ リ ン グ に つ い て は9点 もあ る こ と 自 身 が 不 思 議 に 思 わ れ て な ら な い 。 当 時 の ボ ウ リ ン グ そ の も の は 絵 図 か ら は 室 内gameの 簡 単 な も の で あ る と 推 察 で き る 。 次 い で ポ ー ト ・ レー ス(レ ガ ッタ),陸 上 競 技 と 続 き,そ し て フ ェ ン シ ン グ,ボ ク シ ン グ,ビ リ ヤ ー ド,バ ド ミ ソ トン,ア ー チ ェ リ ー と続 く が,べ 一 ス ボ ー ル,ク リケ ッ トが 各1点 ず つ で あ る の は,べ 一 ス ボ ー ル が 日本 の 近 代 ス ポ ー ツ の 花 形 で あ る こ と,ク リケ ッ トは ジ ャ パ ン ・パ ン チ の 編 集 者 が イ ギ リ ス 人 で あ り,イ ギ リ ス に お い て は ク リケ ッ トが 花 形 ス ポ ー ツ で あ る こ と か ら納 得 で き な い こ と で あ る 。 5各 種 目 に お け る スポ ー ツ資 料(絵 図)の 紹 介 と考 察 (1)べ 一 ス ・ボ ール 野 球 〔絵 図…1〕 ジ ャパ ン ・パ ン チ に書 か れ てい る野 球 に 関す る もの で は唯 一 の も ので あ る。 前 に も述 べ た よ うに,明 治 期 にお け る流 行 の3大 ス ポ ー ツの1つ で あ る野球 の絵 図 が わず か1つ で あ る こ とは 不 思 議 な もの で あ ろ。 た だ野 球 の発 生 が アメ リカ で あ る こ とが この 要 因 とす る な らば,ワ ーグ マ ン の イ ギ リ スで 最 も盛 ん な 野 球 に似 た ク リケ ッ トの絵 図 も1つ で あ る こ と も不 思 議 な こ とで あ る。 正 岡子 規 が"好 球 生 投"と い う匿名 で1896年7月22日 付 新 聞 「日本 」 に'、べ 一 ス ・ボ ール の来 歴"と 題 し,明 治10年 代 に す で に外 国人 対 日本 人 の野 球 試 合 が あ った と次 の よ うに投 書 を よ せ てい る。 「され どは じめ の事 とて そ の業 の 見 るべ き程 の事 なか り しが 明治7,8年 に 至 りては 非 常 に発 達 し,つ い に あ る人 の紹 介 に よ りて横 浜 の 米 国人 と試 合 を な した る事 も度 々な り し。8年9年 の 頃 は,校 内毎 土 曜 日 には 球 技 盛 ん に流 行 し 74

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見 物人 も山 を な し外 人 と戦 う時 な どは非 常 の人 気 な り し。〔明 とあ り,こ れ とこ の ジ ャパ ン ・パ ンチ の絵 図 …1が ユ876年9月 号 で あ り,明 治9年 で あ る こ とか ら合 致す る。 なお こ の 頃 の野 球 試 合 は正 式 対 抗 試 合 か ど うか,ま た 出場 者 の 氏 名 も試 合 の記 録 もな く不 明 で あ る。 一 高 とYCAC(横 浜 カ ン トリー ア ン ドア ス レチ ック ・ク ラ ブ)と の野 球 試 合 が 実 現 し た の はず っ と後 の1896年(明 治29 年)で あ った 。 (絵 図 …1)べ 一 ス ボ ー ル (2)ク リ ケ ッ ト 横 浜 に い た 外 国 人 の ス ポ ー ッ 活 動 の 中 で,明 治 期 に 最 も多 く行 わ れ 関 心 の 高 か っ た もの に ク リケ ッ トが あ る 。1881年(明 治12年)4月30日 に はYCC(横 浜 ク リ ケ ッ ト ・ク ラ ブ)が 主 催 し て オ ー プ ニ ン グ ・マ ッ チ が 行 わ れ て い る{7〕。 そ の 後 盛 ん に 行 わ れ た ク リケ ッ ト も紅 白 試 合 が 殆 ん ど で,紅 白 試 合 に は フ ァ ミ リー ・ネ ー ム で 分 け た り,年 令 別 で あ っ た り,既 婚 者 対 未 婚 者 等 に 分 け ら れ た 。 ま た 神 戸 の 外 国 入 と は 毎 年 定 期 戦 が 行 わ れ て い る 。 た だ 日 本 人 に 対 し て は イ ギ リ ス 人 教 師 が 学 生 に 教 え よ う と さ れ て い る が,交 流 は あ ま り み ら れ ず,野 球 が 盛 ん な の に 対 し て イ ギ リ ス 人 を 歎 か せ て, 「野 球 と 同 じ よ う に ク リ ケ ッ トで も遠 征 チ ー ム を 作 り,イ ギ リ ス や オ ー ス ト ラ リ ア へ 送 ら れ ん こ と を 望 む 。」 な ど あ り,日 本 各 地 に 等 し く 伝 播 さ れ る 機 会 を 持 っ た ス ポ ー ツ で あ っ た は ず で あ ろ が,っ い に 日本 人 に 選 択 さ れ ず,普 及 し な か っ だ8}。 75

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(絵図…2)ク リケ ッ ト

(絵 図 …3)ス ケ ー ト予 想 図

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(3)ス ケ ー ト 横 浜 のYSC(横 浜 ス ケ ー ト ・ク ラ ブ)の 設 立 は1878年(明 治11年)で あ り, 明 治9年 に"氷 す べ り場"が 開 設,ま た 明 治10年 に ア メ リ 力 人 メ リ マ ン 他 数 人 が ス ケ ー トを し た こ と が 報 ぜ ら れ て い る【9〕。 が こ の 絵 図 …3は1866年(慶 応2 年)と あ り,明 治 元 年 以 前 に ス ケ ー ト ・ク ラ ブ の 予 想 を し て い る の が 面 白 い 。 12年 位 後 に な っ て 実 現 し て い る の で あ る 。 (4)ノ 喧ド ミ ン ト ン バ ド ミ ン トン 競 技 の 発 生 は イ ギ リ ス で,1873年 で あ る こ と か ら 日本 へ の 伝 来 は 昭 和4年 横 浜 と 神 戸 の 外 国 人 と の 間 に イ ン タ ー ポ ー トの 際 に 行 わ れ た こ と, そ し て 大 正13,14年 頃 に ア メ リ カ のYMCAか ら 東 京YMCAへ 用 具 が 搬 入 さ れ た と あ る が10,こ の 絵 図 …4は1872年(明 治5年)12月 の も の で あ る。 た だ バ ド ミ ン トン に 関 し て は 天 明7年(明 治 元 年 よ り約100年 前)に 書 か れ (絵 図 …4)バ ド ミ ン トン 77

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た 「紅 毛 雑 話」 に"ウ ー ラ ング"と い う名 で紹 介 され てい る価。 (5)デ ニ ス テ ニ スが 日本 に伝 わ った のは 何 時 ご ろ か につ い て は 諸説 あ っ て 明確 で は な い 。 歴 史 的 に考 え て,場 所 と して は神 戸,横 浜,長 崎,東 京 のい ず れか で あ り,時 期 も神 戸 の 明治 元 年 説,横 浜 の 明治8年 説,明 治11年 説,神 戸,横 浜 の 明治3年 説 な ど色 々 とあ ろが,現 在,確 実 に テニ スを し た とい うの は東 京 で リ ー ラ ン ドが 教 え た こ とが 定 説 に な って い る。 しか し なが ら横 浜 で は古 くか ら外 人 間 で テ ニ スが や られ てお り,こ の ジ ャパ ン ・パ ン チ に もテ ニ ス の絵 図が9つ もあ り,競 馬 に つい で 多 い 。 YCACが 月 刊 し てい る機 関紙 「Bulletin」 の1951年1月 号 に,テ ニ スが 横 浜 で 実 施 さ れ た のは1875年(明 治8年)で,婦 人 ク ラ ブが 最 初 で あ る と次 の よ うに 紹 介 し てい る。 「ロー ン テ ニ スは1875年 ま で に 横 浜 に は 導入 され て い なか っ たが,1875年 に (絵 図 …5)テ ニ ス

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(絵 図 …6)テ ニ ス

(絵 図 …7)

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(絵 図 …8)テ ニ ス

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(絵 図 …10)テ ニ ス

(絵 図 …1Dテ ニ ス

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(絵 図 …12)テ ニ ス (絵 図 …13)テ ニ ス な っ て は じ め て 婦 人 ク ラ ブ に 導 入 さ れ た 。 し か し,我 々 は す で に す ば ら しい ラ ケ ッ トコ ー トを は じめ チ ャ イ ナ ・タ ウ ン の 中 に,後 に は ク ラ ブ ・ホ テ ル の 後 方 に も持 っ て い た 暁 」 と あ り,こ の ク ラ ブ の 名 称 はLLTCC(レ デ ィ ス ・ロ ー ン テ ニ ス ・ア ン ド ・ク ロ ケ ッ ト ・ク ラ ブ)で あ り,日 本 語 で 婦 人 弄 鞠 会 と な つ て い る 。 (6)レ ガ ッ タ ー ボ ー ト ・レ ー ス 日 本 で ボ ー トを 漕 い だ の は,な ん とい っ て も海 軍 と在 留 外 人 が は じ め て の よ う で あ る ㈲。 横 浜 で ば1863年(文 久3年)ご ろ か ら 港 に 碇 泊 中 の イ ギ リ ス艦 隊 の 乗 組 員 に よ っ て お こ な わ れ て い た レガ ッタ に,居 留 地 の 外 国 人 が 参 加 し だ し た の は1865 年(慶 応 元 年)頃 で,こ う し て イ ギ リ ス人 が 中 心 と な り,バ ー ジ ー ク ラ ブ と い 82

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(20)

(絵 図 …14)レ ガ ッ タ ー

(絵 図 …15)レ ガ ッ タ ー

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(絵 図 …16)レ ガ ッ タ ー (絵 図 …17)レ ガ ッタ ー(カ ヌ ー) う ボ ー トの ク ラ ブ が 誕 生 し,東 波 止 場 に ボ ー トハ ウ ス を 建 設 し て 毎 年 春 か ら秋 に か け て レガ ッ タ が 開 催 さ れ,浜 は 内 外 人 で に ぎ わ っ て い た 叫。 1871年(明 治4年)に な っ てYARCが 設 立 さ れ,そ の 秋 にKRACと イ ン タ ー ポ ー ト レ ー ス を 実 施 し た が,H・S・ ウ ィ リ ア ム ズ は,「 港 内 で の 試 合 ば 慣 例 と な り,神 戸 対 横 浜 内 港 レガ ッ タ 試 合 は 外 国 人 共 同 体 の 生 活 の 中 で,年1 回 の 大 き な 出 来 事 の 一 つ で あ っ た ㈲。」 と 述 べ て い る が,1885年(明 治18年)10 月 に は 長 崎 と 上 海 の レガ ッタ が 加 わ っ た 。

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(7)陸 上 競 技 一(運 動 会) 日本 で 陸 上 競 技 が 最初 に お こ な わ れ た の は1874年(明 治7年)3月21日,当 時 東 京 築 地 に あ った 海軍 兵学 寮祭 の競 闘遊 戯 会 で あ る とい わ れ て い る面。 しか し,こ の 最 初 とい うの は 日本人 が 最 初 とい うこ と で あ って,横 浜 で は 1872年(明 治5年)11月 に 競馬 場 で競 技 を や り,そ して そ の成 功 した の を き っ か け にYAAA(横 浜 アマ チ ュ ア ・ア ス レチ ック ・ア ソシ エ ー シ ョ ン)と い う 組 織 が 翌1873年(明 治6年)に で き あ が った 。 また 「陸 上 競 技 を 中 心 とす るさ ま ざ ま な 運 動 遊 戯 は,1860年 代 の 初 め 頃 か ら 盛 ん に 行 わ れ てい た働。」 と のべ て い る よ うに,本 牧 の谷 に 建 設 され た 射 撃 場 に,草 を 茂 げ らせ て 競 馬場 が つ く られ てい た が,そ こを使 用 して 陸 上 競 技 が 実 (絵 図 …18)陸 上 競 技 85

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(23)

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(24)

(絵 図 …23)総 合 施 さ れ て い だ18)。 (8)そ の 他 ボ ウ リ ン グ,ボ ク シ ン グ,ビ リ ヤ ー ド,ハ ン テ ィ ン グ,フ ィ ッ シ ン グ,フ ェ ン シ ン グ,ア ー チ ェ リー,ダ ン ス,競 馬 な ど に 関 し て 第3章 に あ ろ 絵 図 の 各 点 が 画 か れ て い る わ け で あ る が,こ こ で は2,3点 を 紹 介 す る こ と に し て 以 下 は 省 い た 。 87

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(25)

(絵 図 …24)ボ ウ リ ン グ

(絵 図 …26)ビ リ ヤ ー ド

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(26)

(絵 図 …27)競 馬

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(27)

〈引 用 文 献〉 面 揃 田洋一・旨rジ ャパ ン ・バ ン チ」 とそ の 周 辺 1{訓州 励 須 山計 一・一:「 ジ ャパ ン ・バ ン チ」 とそ の影 韓 {6瓢71〔9】{献1盟購 融 蹴固 山本 邦夫 ・棚 田真 柿:横 浜 ス 軍一 ツ革 創 史 口』 木 村 鮫:日 本 スポ ー ツ文化 史 肛{鯛 新 神戸 新L聞社編:日 本 スポー ツ1"O年 圃 日本体 育 協 会 緬:ス ポー 甘εo年史 {1}日 本 に おけ る近 代 スポ ・一 ツ発 展 に 開す る一 考 誤 ① 共 同 研 究 者 松 階女子学 院大学 神 戸 商 科 大 学 神 戸 夫 学 神 戸 大 学 松 蔭女子学院大学 八 代 学 胱 大 学 岡 山 大 学 新 湯 夫 学 宏 輔 夫 閣 靖 失 幸 自 孟 富 治 賢 与 信 隆 田 村 青 村 岡 原 原 表 棚 野 神 木 坂 小 高 go

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