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中国における1970年代の投資配分に関する一視角

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(1)

中国における1970年代の投資配分に関する一視角

著者 尾上 悦三

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジア経済

巻 13

号 1

ページ 2‑12

発行年 1972‑01

出版者 アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00052530

(2)

1972010004.TIF

中国に b ける 1970 年代の投資配分に関するー視角

I: し が 苛

I 1950年 代 1状況 1.  復興的嬰凶 2.  :'!I休技術l, J動員

19印年代末と1970年代初めJ)Jl,軟 Jll  ;;;:;1 l /)動1i,J

IV  繋約と結論

は し が き

新中

l

亘にお』

t

る経済成長の過程は1950年代山一士 れと1960年代のそれにわけるととができる。 50年 代には中国経済は急速な発展を市した。それじは して60年代にl::tftけ、しく変動L,全体としてみれ ばその発展はおそかった。

投資配分lこJjl,、ても同年代と州年\{:よさわ/二》

た対照を示している。 50年代,とりわけそれを代 表する第i次f,7年計両期における投資配分の つの特徴は重工業優先であった。そして鉄鋼と機 械がその中心をなして十之。 60年代の特徴t土、 業および農業支援的工業と,石油等の戦略的部門 への重点的投資であったといえよう。 60年代にお いてはとれら以外の部門への投資はきわめて少な かったように思われる。

1970年代初顧にいたり,農業生産物の不足ど人

j玉力は払拭されてL、なL、とはいえ司緊急的事態、

は過去の{》の'::: ti− ,た}内ーび:

L l ‑ W l

計検にもとJ;く 工業化政策が可能となった。このあたりの状況は 中国の輸入商品構成に典型的にあらわれている。

貿易量において50年代のピークを記録した1959 年におL、て,輸入額の10.5%は持域むよび設{1iiJで

山 尾 え 上

3

4

悦 一

あった。これに,金属(および鉱石〕,石油および 石油製品,化学製品,ゴムを加えると全体の77.4

%を111めた(ii:j ¥ O このとき,輸入は泣工業合中心 とする工業化に直後役立〆)ものにつし、て行なわれ た。経消危機内最中であった19日年においCi.:1:, 輸入の36.3%は食料で,それにつづくものは15.I 

%の繊維であった。機械および設備は6.9号<》にす ぎなかった叫2。)1969年において機械および設備 が13.7川,

3

三}艮が25.8

料は19.7%にj成少しfこοまた化学肥料は9.9%と いう[[仏、水準金保った((上3)。,まり, 1969年の輸 入品目構成は,食糧および繊維の輸入急増という

州}年(むの特徴主主E がい失い,日()年 tt•J)パタ --/ を

とり

ι

どしつ,,あ,j

このような事実は,われわれにつぎのような問 題を提出する。すなわわ, 70年代における投資の 部門間配分は, 50年代にはほとんどなかった農業 部門への若干ーの投資を除けは, 50年代のそれと基 本的に同じものとなるであろうかということであ る。この小丈の呂的は,これに関しζ一つの資料 を提供することにある。

結論をいえば, 70年代においては,輸送,鉱山,

発電等の基礎的部門への投資を急増させなければ な,,ないという意味μおし、て,新しいパター〆均通

1 1 : A  

t ~:, Cあ九りということであるり それらLt.I!泊。 年代における鉄鋼と機械を中心とする重工業およ び60年代における農業と農業支援的工業と対比で きるほどのウエイトを占める可能性がある。さら にこの他, 50年代において経済発展の経路に長要

(3)

Ⅰ 1950年代の状況

1972010005.TIF

l

診響を与えたと恩われる[復興的要ぷjが50干{ 代に消滅したとみられるゆえに,その意味におい ても70年代の工業化は男、なったものとなるであろ

n

(注l) Eckstein,  A.,  Communist ChinaなE

υ

omicGγowth and Foreign  Tγ:le,New York,  Toronto, London, McGraw‑Hill, 1966, p.  107. 

(Ll 2)  Ibid., p.107. 

Cl ::  ) I i本でてゆ11&明Ij、『il•HY1,';4'liii 』 ll/1 拘;こlfi{I ,I:)へーー、/。

19!10

年代の状況

I、丈σ・i'ーマと(I)関杯でみるとき,[950年北に おける経済発展はいくつかの1凹かぎりの要因に よザて支配されてL、た。ここでは次の

ι 1

をとり

あげる。第lは複興的要因であり、第21立遊休設 悩び〉動員である。そのてれぞれい,、Cト~;討して

;lょ上う。

l.  復興的要閣

: ‑ , o

年{むし工業化

i l k

策』二J山、て

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興的立さ悶がどれ ほどの影響を与えたかを量的におさえることはで きない。どだいく.かの好例をあ

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ることがでさ る。それらのなかで鉄鋼業は典型例を提供してい る。

1950年代において鉄鋼業は元帥とよばれ,投資 i二おける卓点部門とな》た。第l次5カ年計画に おいて鉄鋼業への投資の3分のlは鞍山製鉄所に 向った。また3分の11土武漢と包頃のIj新製鉄所 に f~j った。浅る:1 分の l はその他の各製鉄所に向

_

牧山製鉄所の建設はl'.J同年tこl1 iま完成11こ。 れに対し C包頑と武漢のそれは1960年における建 設の中断までつ〆ル、た。組鋼ベースで, 1960年 代 末期における鞍鋼の生産能力は年約600万トンで あったのに対し,此鋼と包鋼のそhi土台北約'.!: HJ

]iトシであった。 1952年において鞍鋼はすでに90 万トンの能力を有していたゆえに, 1953年以後約 5加万トンの増加をみたわけである。 1958年以後 の投資額がわからないゆえに正確な数字をあげる ことはできないが,230万トンの能力をつくるため に要した投資が500

7 f

トンのそれをつくるために 要した投資よりも多かったことはたしかである。

との相違を説明するものは鞍鋼における復興的要 国である滑り。

そもそも鞍鏑は194的:11月九 fltこ最後的に共産 貨の二子におちるまでにちょうど30年の歴史をもっ 山、る。日本人によ〜て建設され,ロシヤ入iこよ って破壊された。ロシヤ人による設備の撤去は,

採鉱治州有設備の66%,製鉄が73%,製鋼が56%, 圧延が87%におよんだ(注2)。高炉に例をとれば,

H本時代に建設されたものはり長であ.−,

t

こ。この うt:,' 1け, 2号, 4号の 3基を除き 6基がロシ γ人

t

ak ,て!波j奈された。破壊されたものの再建 i土問主干の約号高炉にはじまり, 57年の3号高炉完 成をもっておわった。 58年には10号高炉の新設が

あソて、高炉官IWJの建設は完成した臼3

' o  

鉱山,輸送等の付帯部門を含めて,設計から始 めるのにくらべ 投資制および建設期間において きわめて有利であったことは疑いをいれない。

鉄道建設におし、ては鉄鋼業におけるほどいもじ るしくないとはいえ,やはりこのような要因を認 めることができる。解放以前において中国の鉄道 は比較的発達していた。しかし日中戦争と国共内 戦に上ぺて破壊された

ι

のがあった。これらは事fr

iji [副乙:Bし、て従 lflの対象となdyた。ま/こ宝鶏一成 都聞のように,戦前に外国資本が着手し,途中で 放棄した

ι

のもある。これらを完成ずることは存 易なことではなかったが,やはり投資と建設期聞 は節約・j0ことができたであλう。

(4)

電力に聞してこれをみよう。 1952年における水 力発電能力は18.8万kwであったが, 1958年には 117.0万kwに違Lfこ。このう t

宮、満発電所が5G万 kwを占める。いうまでもなく豊満はほぼ完全に修 復であるどいえる。

1950年代の工業化はとのよろな復興的要因によ って強い影響をうけていた。せして1950年代末ま でにこの工うた要素は;削減した二とは主〉きらかて、

第1図セクター別成長率(1949

50*)

l952  JOO)  700 

600  500  400  300 

f

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200 

代送︑

斤一 輪

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100  80  60 

40 

20 

1949 1950 1951 1952 19531954 19551956 19571958 1959 

〈出所〕 この図は Ishikawa,S., National Inmm

  and℃α舎ital Formαlion  in  :¥Jain/and  Chi,w  Tokyo,  Institute  of  Developing  Economi制,

1965 p.79をそのま主併用したものである。

(注) 輸送は近代的輸送手段による回転J~- (トンT ロ〉をとり,他は1952年不変価格による元表示の ものを指数

f ヒ

Lて得fこものである。

第 2図 鉄 道 (19521(附) 500 

450  400 

ili立[\:均回転kl 350 

300  250  200  150  100  50 

̲J̲ー」←l'' 1

一 一

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1949  50  51 52  53  54  55  56  57 58  59 

(出所) 尾上・Ii?. : .

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中l長I(7)産業立地に関する研究』

Yジア経済研究所 1971年 206ページ。

ふる。そのことは一方におL、て新中

i

誌の国家体制 の優越性を示すものであるとともに,他方におい て50年代の工業化の経過がこの面で 1I回かぎり のものjであることを示している。

2.  遊休設備の動畏

1950年代,とりわけ第1次6カ年計間期におけ る投資配分の Aつの特徴は,レくつかの基礎的部 門に対する投資が節約されたととである。当初輸 送お上び鉱山におL、ては設備の利用半が低く,し たが予亡新Lv、設備の追加がなくても需要最;の増 加lにこたえることができた。

輸送の需要と供給の動向は以下のとおりであっ Tこ。

輸送需要は経済活動とほぼ比例的に増減する。

(5)

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300  250 

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100 

第 3関'/'; :f7r  ( 1.

50

:Eシ各if::卒H'A

1949 50  51  52  53  54  55  56  S7  58  59  ( dil'li)  尾上『中国の産来、' J自に・ .:1 

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,こージ。

;J  公路貨物回転量はいがj小;と上ふ

t

のと公路氏

i : : u

只ーによるものを台,,I1.てi'lt:ft/1行ある3

ffi4図 内 相I航 路 (1952=100)  300 

250  200  150 

100  50 

1949  50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  Ul i所) 尾上『中国の産業、口自に ・・・Jl 208ページ。

lit)  内河貨物回転量の1%257{1;土内河汽船と木 帆船の合計による。 l'l4952年;土木帆船によるも ののみの値で,その際, 1952年の木帆船貨物回転

e是を100とした。

お 1

I

i

はその一局面をあらわしている。

l l

i

は近代的輸送(動力をもっ輸送一子段による ものjと工業生産がほぼ同じ比率で憎加したこと を示している。中国では伝統的な輸送手段(人力,

衛力,内然カを利用するもの〉がなお重要な役割を 演じてし、るが,伝統的輸送手段に対する需要は農 業生産と強く結び、ついてL、る。

輸i

; 三

i主要の増加iこ対して供給似]I(輸送子段)が どのように変化したかを示すものが第2〜4図で ある。

第2図は,鉄道貨物輸送量の増加は鉄道総粁程 のそれにくらべてはるかに急速であったことを示 している。第4図は内河航路についても同様のこ と合示している。ただ,水路は自然の条件によっ

, :

  k

配されと与ゆえに,この図はあまり有志ではな しけ;古川如上道路輸送量の増加1平方、道路の総粁程

fれとほぼ同じであったことを示してし、る。

鉄道は近代的な投資を大量に必要とする。それ に対して道路は主に労働力の多投によって建設す るととができる。

l!‑!50年代において水路と鉄道の利用率は急上昇 L K川そi.  .L. )を数字によって示Lたものが第1表

ご!h心υ

第l表 各 路 線1km当たり貨物r,,1伝説キ

(}単位・万トンキロ)

ド 路 |

年 次 鉄 道 内河水路

自動車|人獣力車 1949  83.7  0.309  0.879  1950  175.1  0.382  0.873  1951  220.8  0.498  0.909 

1952  245.4  0.608  0.995  8.324  i5;; 311.7  0.948  1.050 

1954  360.4  1.327  1.081  15.919  361.2  l. 01()  18.867  1956  411.6  1.542  0.8GG  Hi.731  i7 450.7  1.547  0.8:13 

1958  594.7  1.740 

(出所〕 尾上『中国の産業立地に・HM』・208ページ。

(注) 内河航路は汽船と木机;船の合計。

(6)

鉄 道 織 関 .1lt,

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1!1: の 利 用 状 況

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貨物輸送機問車1日当たり走11距 蔽 I  km 

ll  平均悲引総重最 | 

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手均1日空''1f二り給送

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貨車全[11]転距離 I  k

貨車1日当たり走行距離

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めの停宿li'j

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II\問 貨物列車運付速度 |キ[J;~-'r11:1

貨車平均積載量 | 

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ト〆キロ 第 2議

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1 :‑17. Ii  6, !)91, .0 

(出所) 国rふ統計I,,}編『偉大的十号j 北京 19591:{(j,ぺーゾ。

(注〕 市貨準回転時間とは,貨車の効率を総合的に示す指標で,以下のような方式で算出されるという(『統計工

{乍通訊』 1956>f 3 WI  26ぺ一手)。すIs.われ,

貨車回転、時間二1

(’貨小平均三回転~1,離ト貨産不均全回転距離い貨 ,t(中転、!£均停留日寺院l

4 \質弱元孟事l]}走行通豆一貨

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|管内積良jXi回の貨物[ド業平V:J中転姫様

第 3~ ト ラ ッ ク 利 用 状 況

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可稼

1積

(出所) 『偉大的十年』 137 

きわめて大ざ川、Tにみて,鉄道隷路ラ鉄沼の機 関車お土び市輔,および自動車の利用率は急上昇 し, 1950年代末には極限に遣したかにみえる(第 I表参照)。水路および道路には多くの余裕があ り,長江と東邦沿洋航ilffにやーってi土手I))持率の1ら1

  ・ !

が常に努力υ)目標土な}たり

第 1次5̲IJ年言

l

l丙の末期にお U、て鉄道の主要幹 線の中に,利用度が飽和状態に達するものがでは じめた。すでに19569月に,京

i

英,瀧海,石太 線にその兆候があらわれ,翌57年iこ至ると臨新,

宝前,浮浦等もかわり,それらの線において貨物 の積み残しめぺ土じ支った。 1%81ド後半にいたって 事態は念を告lff,̲o同 年9月17日に交通部は「全 民が運輸を行ない鋼鉄生産を保証することに関す

63.7  30.J  79.8  18 

1952  1957 

る緊急指示Jを発した。「輸送力不足jは長距離,

短距離を問わず,水路,陸路を問わず,すべての 局面に普遍的な現象であった。このような状況は 1 %け年まで続いた。いうまでもなく,このような 現象は、当時における経済活動の爆発的な高潮によ ってもたらされたものである。ただ,非常事態を 前にして生産および輸送の計画が混乱したゆえに 事態がいっそう悪化したにちがいない。それゆえ に実質的な輸送の需給ノ《ランスは,当時の状況が 示ずほど,困難なものではなかったのかも知れな

U。、

鉱山部門tこ関する直接のギータは,ほとんどな ヤ。すなわち, 1950年代における各種鉱産資源の 生産高と鉱山の能力とのデータのうち,後者が乏

(7)

Ⅱ 1950年代末と1970年代初めの比較

1972010009.TIF

4哀 ,;.It(出1WIJJIIとそ泡露:矯JJII(1949{1  100)  年 次 | 設 備l容量

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1951  I  101.8  195:1,  I  1116.2  195:;  I  I'.27.1  1%1  I  l40.4  1 % β I   Hi2. l  195I I5.:l l9fi7  I  :!:19.8  1958  I  :l:17. I  1954  I  5Hl.2 

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26.6  28.0  :15.2  4;;̲4  1悦).'.i 51.7  51.f)  54.:,  54.7  G:LO 

(出所) 尾 上 悦 ニ 「 中 間 の 電 力l業」 (石Jll滋縦

I和国絡済の長期展望』 ア ジ ア 経 済 研 究 所 昭 和 :19l

しい。 L たが~,て操業率を知るだ法は!被られ口、

る。ただ,鉱産資源、の生産高とそれに対する需要

1ての関係:t輸送山需給関係ときわめて(UCいら"

第1次5カ年計画期末に「不足」となり,大躍進:

ゆjiこお、、ごそ;f・・/J顕著となった。

{冴究づlることにある。これまでは19SO年代の状況 を検討してきたので,次の課題は,現段階,すな わち1470年代初期までの約10年聞にそれがどのよ うな変化をとげたか,根本的な変化があったかど うか合怜討することである。それは需要と供給の

|尚側面力、九なされなければならなし、。

需要側面iこ内、て。輸送,鉱産資源,電力につ いてその真の需要最を算出することは事実上不可 能である。そζで,それらの需要量が国民所得ま た はE業生産額と比例するものと仮定し, 1970年 における国民所得または工業生産額の水準が1950 年代末のそれとくらべてどろであったかをみる。

その第1のデータは次に掲げる第5図のごとくで

250  

第 5図 同 11':所 得 生 1!T.制 1952if. 100

電力についてもほぼ同様のことがいえる。出力, 200 

7501.(日:レ

634f草ドノレ

発電量,茂備手tJ

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率はむ"; 4表の示すとおりであ1

f...1958年において設備の利用率は63%に達した か,これい国際的にみ℃も最もl高い部1%こ属L' で7.1,以!・.(I!大和,\i

上昇iよ望め/; ・.、ことがあき「}か であった。しかも電力の需給関係、は輸送および各 極鉱産山それときわめて類似していた。すなi.

, t c ,  

1950年代末には,経済の成長はそれと比例的な篭 )J需要山地加を生みだし、しカsも発電昆のいっそ うの増加はそれに見合う設備の滑加によってのみ 11J能であーJた。

(注1) 尾上『中闘の産業立地tニー…』第8説

(注2) 孫軒正之『東It地区経済地理』 fl"!'I打数/I 195933ベージ。

G主:J) 尾i『中国o/r業立地に…・・』買, 8章。

I I  

1950年 代 末 と1970'年代初めの比較

ねれわれのむもな関心l1970年代の投資配分を

100  3171.きドy

18H管ドノレ

194505152 5354 5556 57 58 59 60 6[ 62 63 64 65 66676970 

〔問所) 尾上悦三『中国経済入門』日本実業出版社 昭和46年 12泡ページ。

第 6図 干T炭 生 産 高 ( ト ン ) 4{書

3‑0章

j

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μ凶上.l....Lよ ムL 1950  1955  1960  1965  1970 

Clf.lPfr)  尾上『中国経済入門』 1:¥0ページ。

(8)

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1950  1955  1960  1965  1970  尼上『中国経i斉入門』 J:l),'.ーザ

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1965  1970  1960 

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!己上『中同経済入門』 1:)2,く−, 。

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こ の 期 間 に お し 、 て も 急 速 な 発 展 を と げ た 。 第 81設 と 第9図 は そ れ を あ ら わ し て い る 。 農 産 物 お よ び 農 産 物 を 原 料 と す る 軽 工 業 製 品 は60年 代 に お

vで?、 50(1 

伊押ナ:二L」」c ,ょ J ムよ~」」」]

195 1955 1960  1965  1970  尼上『q,目経済入門』

ヤ ご 政 策 的 重 視 を う け た ゆ え に 着 実 に 増 加 し た 。 こ れ ら は 大 躍 進 の 直 後 , す な わ お60年 代 初 頭にはげしし、減産にみまわれたゆえに、 JO年 間 に 約三(}%増加したにすぎなし、。

fこ/ピ宅

1:n,え−,

あった。これはきわめて大さ,, ばな推,,十であるゆ えに,これを補足するために L ぺ J功、の仁~業製 品 の 推 定 生

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:量を[}:J示 す る 三 と にL上うc ぞ れ

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第6〜11図 で あ るυ

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(9)

Ⅲ 最近の動向

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える記事が,[?くな.J̲こっそして,] ()fill;ドにおいて i土, t昨力[I状i児は/卜I也)匝巨K た i 土地方的 !•ι も(/);ニ WlL て報道されてL、たどJ しかし70年 以 後 ラ けl{(i"Jtr:[( 

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~- At : ‑え] Lご{− JIJ(iff:iit l:'  iであ;−)うか。三AI  ,, VJ LζA ,;j j 'A 己主j,.'こ L、え:) )11,\能:tかさfjしごし、

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ワ帆人、陥入品

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犬好/it1J也修建鉄路jと臨 し/:−: l去\, ',fi命文( 1ドi可人l(解放軍鉄道J,/'IfH咋llによる)

が村i辻、 F車i:肱』の 1970年 11;甥に掲載され,さらにこ れが[司令11 JJ  1 ilH t

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、民 1‑:HiUf二転載された。

これには鉄道円建泣か

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にかかわるいくつかの点 煩な問題が;};°l れているが,ここではその内谷に た人いふぷL、〈いすjf,:しても,この論文にはこ ん士、における鉄道建設の総方針が示されている。

このようなものが中国の最重要出版物である紅旗 ど人民日報に掲載されたというその事実は,大規 械な、鉄道建設が再開されようとしてし、ることをあ

(10)

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九わしているといえよう。それゆえにこそ,その やり方ド/:三 '.、i【る基本l下Jた

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ゐ1をあき.−, /;、,−せれ ばならに、1C'−"ある。

鉱山の開発につL、てはこのようなものはなく,

そのかわり比較的多くの論文が発表されていお。

それは校;H;\,,内点、鉱J11c11,:'t,;\・,鉱

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t/);i主ぃ乞主i;1l1 機械の例法ぬ,あム;}》る;': 1;111]にわた−, :: L、るコそ

してそれらは1971年l二[:tL、川てとり,わけ多く.t》, た

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要 約 三 結 論

この小丈の目的l:t1970‑tf・代におけるl

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の投資 配分に

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寸 名 J つの視1,,\を医供することヤふる。

そしてモハ,i,'i、のおもなも,;') i土,今後焔送9鉱山,

電力などのいわば基礎的部門への投資を念、増させ なければならないであろうということである。そ れは19日11

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J三してご、そ之もωでんどι

このようにして投資における重点部門となるも のの特徴は,第1に投資の懐妊期聞が長いことであ り,第2に限界資本係数が高L、という二とである。

さらにノ

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おいて, l(l:)0年代の経済発展は[彼 興的要因」によって影響されたことをあきらかに した。とのような要素は1lJ70年代には令くたL。、 1970年代の建設はすべて完全な新設であ〆,

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,そ れゆえにこの面でも資本の懐妊期間は長くなり,

また資本係数は上昇するであろう。

以上の結論法,しかしながら,強ャ根拠にもと ずいて主張できるものではない。資料によって裏 づけられていない論理の推移を含んでいる。した がってこの小文は一つの仮設を提出しているにす

ぎれいともいえより。との仮設の骨子をもうい九 ど要約してみι仁う、

l)  1!‑J日}年代におL、て,貨物輸送量は農工業生 産欄とほぼ同じ速度で増加し,た。この事実はデー タによって裏ぺけれれてし、るゆえにほとんど不明

../!:'残さな L二貨物輸送量を;i:IJ;内二資源にむ失か うにむ同慌のこ土/;:v、えるの

(2)  したがって,それ以後においても輸送需婆 足および鉱産資源(および電力)話要量は経済発

!長行本と比例的(比率は同じではtt'・のりに増減す るものとみなすことができる。これは中国の過去 の数字によるのみでなく,諸外国のデータによっ 仁七夷づけられ口、ることであ− 'て,ほとん F疑 し、をいれる余地がないの

(3)  1 % 0年代において,輸送量の増加はおもに 既存の輸送手段の利用率を上昇させることによ叶 て支境されたり輸送手段の増JJJIと輸送量のtf特

n

f:t  ilil第12閣のようなものであハたう輸送量を鉱産 資源生産量および発電量におきかえ,輸送手段を 鉱山能力およぴ発電京事量におきかえても同様のど

β,:,、える。これらの点は大[部分戸ータに上〆pて 袋つけられているが,鉱山の能力については不明 の点が残されている。また,輸送手段のうち,

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第12殴 輸 送 手 段f翰 送 量

1950  1955  1960 

(11)

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1950  γC L、る心y〕みで

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よく,きわめてi(の新!昔],,己'j(t仁ど

1960  1Y70 

によJ》ても[十民正」されごL、るJ

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それじ対して輸i玉能力

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1ir.i二月山七カ山、iよ,;\',i要員'i;;J;その!日iはけしく変長/Jし た心'),二対して,供給長はほぼ

三とでJ〕る口 L、オヱhi二してもこ;/L;, 1i.> ;,' 

による望[/;けカ込弱L、l_μえiこ ./コc,ir {五〈定lとなザ

1、、るO このことが,ノト文の内容全体を事実ーとし てではなく,仮設として提示せさるを得なくした のであるc経 済 資 料ρ不足は,この期間のすべて にJ八、てし、える引であるが,事実を不明にする!

でわれわれ山テープとの関係でとり引けi主要なも

。);土京守;f部門のが'Jf/1]であるc な.i3,ここに,1,う輪 送の需給を,鋭;産資源および屯力のそれとおきか えてもよい。たfニラ館、産官ilJ;(のうん,干{託lf部(HJf二 けは完全な例外どし C除外しなければならよ川、山

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16)  19701,ffU二..r)'、て再び L;台市Hjへの投資,ぅ.

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発どなと3であんうことはあきらかであるのそれ さ,,,、役資配分のパターン[土1%0年代のそれにく

3ベて大きい相違を示すであ人うわその第ll士, 輸送および鉱業(J:;上び','[£力)に対する投資を

,.c,, JI/'/,¥ tt  j;ff/( ,‑, 1仁L、とし、う/(にあるわこj[  (., l

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よ輪/1',J‑Hのものもこれにはいる)カイあって,それ

?を利用することによ〆,て可能であ,〉た。今やその ような余)JはI.I".Lr

(7)  新 し い 第 2のものは, 1950年代におし、ては 従興的要国治込強く働

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たのに士、

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L,  70年 代 に は す べて完全な新設で、あるとし、う点にある。その意味 におし、ては, 50年代は特殊な発展経路一一一それは I li>Jか ぎ り の も の で し か あ り 得 な し ー を た ど っ たとし、える。

(8)  輪送や鉱業は投資の懐好期間が長く,機械 や鉄鋼業(それは50{f代の重点、部門であ−・t)= にくら べて資本係数が高ャ部門であるO また,あらゆる

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(12)

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第7_、七でが小文におL、て

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アジア経済研究所刊行

[  7I)ピン山政治経済概観/自主主条{牛/人口・科会/政治・

外交/ 男性経済i,'1勢/iii'.業憎造/日fjセ・金融制度/貿易構造/

外同十( JI})/ll ブイリピ/山政資環境/往来政策と外 't~*i;長/貿 以九十ヰ政策/tllH/./lill/庄//ii'.卒、体;:tJJ/1;f的,cr:/11/外i斗院本 導 入 札\'._/jpが 脳会一子山;fill¥状 況 /f 1r'e~ fr 

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経済と投資E完成ンfト ス

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森 村If書編 A日七]I/43:,n  IJ 

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{Ii亡・序史/〆政治・ti:会・にfヒ・教if/II杯iti

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