103 Editorial
運動器に対する温泉療法
北 條 達 也
Tatsuya HOJO 水はすべての生命の源であり,湧水を飲用したり,泉に浸かったりすることで病気や怪我が治った という言い伝えはギリシャ神話などにも登場し,日本だけでなく世界中に広く存在します.そのなか でも,地下で熱せられた温かい水である温泉は,ローマ時代には公衆浴場が建設されていたことから もうかがえるように,古来から一般的な健康増進法のひとつであったと考えられます.日本でも湯治 と呼ばれる温泉療養は古くからおこなわれていたようで,書物による温泉に関する記述は天皇行幸と して記録が残されており,6 世紀前半の古事記や日本書記に登場する道後温泉,有馬温泉,白浜温泉 などが歴史的な温泉地とされています.湯治は古くは権力者に限られた行為であったようですが,鎌 倉時代頃からは戦傷兵(武士)の療養にも用いられるようになり,戦国時代には武田信玄の隠し湯と いわれた伊香保温泉を子・勝頼が長篠の戦に敗れた戦傷兵のために真田幸村に命じて整備させた記録 が残っています.2016 年に同温泉地で開催された第 81 回学術集会に参加された会員の方も多いので はないでしょうか.戦傷兵の湯治に積極的に用いられたことからも,温泉は筋疲労の回復や創傷治癒 促進などの運動器傷害の治療に有効であると認識されていたことがわかります.すなわち,運動器傷 害に対する温泉療法は,現在にも受け継がれる歴史的な古い物理療法であるといえます. 湯治が大衆のものとなってきたのは江戸時代の中期以降とされていますが,医学が目覚ましく進歩 した現在でも湯治の概念は脈々と受け継がれ,温泉地は湯治客だけでなく保養客でもにぎわいを見せ ています.特に医学の進歩による長寿社会の到来は,運動器の傷害だけでなく加齢に伴う変形性関節 症に代表される関節疾患や生物学的製剤が登場する以前の関節リウマチに悩む人々の駆け込み寺のよ うな存在にもなっていました. 運動器疾患に対する温泉療法の一番の有効成分は生体に対する温熱刺激であろうと思われます.運 動器に対する温熱刺激は,コラーゲンの伸長性の増加による腱・靭帯の易伸張性(Lehmann JF, et al, Arch Phys Med Rehabil, 1982),筋の伸張性の増加や痙性抑制(Lehmann JF, et al, Clin Orthop Related Res, 1974)などの効果から関節拘縮に対する運動療法の補助療法としても広く利用されてい ます.また,交感神経系の抑制や平滑筋弛緩による血管拡張に伴う皮膚や筋血流の増加(Pearson J, et al, Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol, 2011)から老廃物や発痛物質の除去を促進する可能 性,末梢神経の疼痛閾値を上昇させることによる鎮痛効果(Benson TB, et al, Rheumatol Rehabil, 1974)も示されています.これらの効果は変形性関節症に伴う痛みや関節拘縮へも有効であると考え られます.しかし,多くの有効性を期待させるエビデンスがあるにもかかわらず世界変形性関節症研 究 会 議(Osteoarthritis Research Society International: OARSI) に よ る 2019 年 の ガ イ ド ラ イ ン (Bannuru RR, et al, Ostroarthritis and Cartilage, 2019)によれば変形性膝関節症に対する温熱療法 の推奨レベルは 5 段階評価(強い推奨:Level 1A ~強く勧めない:Level 5)のうちの Level 4A と 低いもので,高い治療レベルを目標にできるエビデンスが少ないと評価されています.われわれは温熱療法の軟骨組織に対する直接的な治癒効果や変性抑制効果を調べる目的で,培養軟 骨細胞(Hojo T, et al, JOS, 2003)や実験動物の関節へ温熱刺激を加えて実験(Tonomura H, et al, JOR, 2007)を行ってきました.その結果,39℃~ 41℃× 15 ~ 20 分程度の適度な温熱刺激は軟骨細 胞のプロテオグリカンや Type Ⅱコラーゲンなどの軟骨基質の産生を促進させ,さらには軟骨細胞の 増殖活性を高め,Heat Shock Protein 70 を誘導してストレス耐性をも高めることを示しました.現 在は学生トップアスリートが多く集う教育現場に身をおいており,アスリートが膝の怪我から早期に 変形性膝関節症を発症させる不幸な状況をなんとか抑制したいと願って,練習や競技前の関節軟骨に 対する事前の温熱療法の有効性を調べていきたいと考えています.
著者紹介 同志社大学スポーツ健康科学部教授 / 同大学院スポーツ健康科学研究科教授 学会:日本整形外科学会専門医 日本リハビリテーション医学会専門医 日本リウマチ学会専門医 日本温泉気候物理医学会温泉療法医 学位:1995 年 医学博士(京都府立医科大学) 学歴:1988 年 京都府立医科大学卒業 1990 年 京都府立医科大学大学院医学研究科入学 1994 年 京都府立医科大学大学院医学研究科修了 職歴:1988 年 京都府立医科大学付属病院研修医(整形外科学教室) 1994 年 京都第一赤十字病院医員(整形外科) 1997 年 明治鍼灸大学(現明治国際医療大学)講師 1999 年 明治鍼灸大学(現明治国際医療大学)助教授 2005 年 京都府医科大学大学院医学研究科講師(専任) 2006 年 京都府立医科大学付属病院リハビリテーション部副部長(兼任) 2008 年 同志社大学スポーツ健康科学部教授(現在に至る) 2010 年 同志社大学大学院スポーツ健康科学研究科教授(現在に至る) 104 日本温泉気候物理医学会雑誌 第 83 巻 第 3 号(2020)