ギャルブレ
イ
スの対抗力理論
白 杉 庄
一 郎
一ギャルブレイスが﹃アメリカ資本主義﹄において展開している有名な対抗力の理論は、さぎに=減しておいたごとく、
む彼が同書において表明している独占の肯定と無関係ではない。しかし、その理論の本筋は独占の否定面にかかわると見ら
るべぎであろう。すなわち、彼が対抗力といったものを認めざるをえなかったのは、現代の独占が一面において経済進歩
と必ずしも両立しないとは云いきれないところをもちながら、しかも他面において、それがどこまでも私的独占として避
けることのでぎない反社会的なところをもっということに、彼が気づいていたからでなければならない。対抗力によって
彼は独占の⋮弊害を除去ないし防止しうると考えたのである。それでは、こうした筋あいの対抗力理論がどうして独占肯定の理論の一環を形づくることになるのか。その間の筋道をたどることが、以下における本稿の課題とするところである。
ギャルブレイスによれば対抗力は、強い売手の市場力に対応して弱い買手のがわに発生する場合と、強い買手の市場力
ヘ ヘ ヘ へに対応して弱い売手のがわに発生する場合とがある。まず後者から見てゆくと、それは、労働市場において最も明瞭であ
る。彼はいっている。 比較的な移動不能性のゆえに、労働者は長いあいだ私的経済力にたいして非常に脆弱であった。労働者は十分の賃金を与えられてい ないと貰えても、通常は動くことができなかった。大会社の勃興後のアメリカ労働市場におけるほど、一者の他者にたいする力が無情 ギャルブレイスの対抗力理論 一ギャルブレイスの対抗力理論 二 に行使されたことは稀れであった。二十世紀の初.めにいたってもまだ、鉄鋼業の労働時間は一日十二時間、一週七十二時間で、二週闇ご とに昼夜勤の組が交替になるにさいしては一日二十四時間という信じられないような勤務になった。今日では、このような力は行使さ れてはいないが、その理由は、初期におけるその行使がそれを終焉させるような反作用を刺戟したからである。労働者がその労働の販 売にさいして直面した経済力は一少数の買手と取引する多数の売手の競魚は1労働者が自分自身を防衛するために組織をつくるこ とを必要ならしめた。変則がないわけではないが、原則として、合衆国においては、市場が強い会社によって供給されているところに のみ、強い労働組合がある。そして自動車、鉄鋼、電気、ゴム、農業機械および非鉄金属採鉱冶金の大会社が、すべて、強力なC10 所属の労働組合と交渉しているのは偶然でない。こ九らの産業における会社の力は、労働者たちが対抗力の保護を発展させることを必 要ならしめてきたのである。こ.れに反し、競争的モデルに最も近いアメリカの農業においては、なにほどかの重要性をもった労働組合 はただの一つもない。その理由は組織化の困難にあるのではなく、農業者が彼の雇用する労働力にたいして何らの力をももってこず、 そして少くとも最近まで市場力から何らの報酬をも得てこなかったということである。高度の集中によって特徴づけられることがなく、 したがって労働市場において特に強力であることのないような他の諸産業においては、人は典型的には一層微力で一層非包容的な組合 を見出す。繊維工業、製靴業、製材業およびその他の殆んど全国におよぶ森林業、小規模の卸売および小売企業は、すべて、その適切 な事例である。もっとも労働組合は対抗力だけでは説明できないところもあるのであって、たとえばレキセイ訳業や被服工業の場合に は、労働組合は経営者︵oO2鉾。富︶や製造業者の市場における弱い立場を補うものとして出現してきたのであった。それらは、マネ ジメントの正常的機能である価格ならびに市場統制の機能を引受けてきた。にもかかわらず、労働組合の力のアメリカ経済への投射の 説明として、対抗力の理論は明らかに広い範囲の経験に合致する。 ③
労働組合が独占資本にたいする対抗力として捉えられているのは示唆的である。一部の論者は、労働組合を一種の独占
組織と解釈して.ぎた。そうした見解にたいして、ギャルブレイスが独占力と対抗力とを区別し、労働組合を後者の範疇で把握しているのは正当といわなければならない。現実的にもアメリカの独占禁止法は最近では労働組合を 農業協同組
合とともに その適用範囲から除外してきたが、これは単なる便宜の問題ではなくて、独占についての正当な理論的認
④識によって権利づけられる合理的な処置ということになる。そして私は、この解釈は、ブルジョア的な立場からのそれと
して些いく壽く評価されても高きにすぎることばないと思%・
しかしながら、独占資本にたいする対抗力としての労働組合についてのギャルブレイスの解釈には不徹底なところがあ
る。けだし彼は対抗力としての労働組合の機能を商品市場の景況に依存させて、およそ次ぎのごとく述べているからであ
る。 強い大企業が強い組合と交渉する産業においては、前者の経営者がわは、需要が供給力を圧することのない場合には、賃金引上げに たいする正常的、抵抗と考えられてきたものをもつ。屈服することは、単位生産費を増加させることである。企業は、替められることな しに、これらの高い費用を消費者にかぶせることはできない。もし生産物にたいする需要が何らかの度合において弾力的であるならば、 価格引上げの結果は販売量の損失であるであろう。このことは、それがこの産業における雇用に及ぼす影響とともに、組合指導者も経 営者も通常意識していることがらである。かくして団体協約に関連しておこなわれる組合と経営者との間の力の試練は、本質的には利 潤の分割をめぐっておこなわれることになる。いいかえると、需要が限られている場合には、我々は対抗力の本質的に健全な表明をも つ。労働組合は、労働の売手としての力を、買手としての経営者の力に対立させる。問題となるのは牧益の分割である。時々おこるス トライキは、賃金引上げの費用が容易に他の誰かにかぶせられえない場合に、対抗力が健全な形で行使されているということの徴候で ある。しかしながら旺盛な需要の状態のもとでは、団体協約は根本的に異なった形態をとる。その場合には、経営者はもはや、より高 い価格は販売量の影響に反映せしめられるであろうという理由にもとづいて、組合の要求に抵抗する必要をもたなくなる。今や熱心な 買手が十分に存在する。組合に最初に屈服する企業は、自分のところが価格を引上げる最初の企業ないし唯↓の企業ではないかと気に する必要はない。すべての企業に買手かある。どの企業も、価格引上げの結果として、販売量が一般的に牧縮するなどと気にする必要 はない。他方、経営者が組合に抵抗するについては不利益がある。利潤が聞題になっているのではないので、ストライキの結果として 失われる時間はすべて丸損である。労働者のモラールが考慮に入れられなければならないし、またよりよい賃金を提供する雇主によっ て労働力の一部分が現実に奪われるということも考慮に入れなければならない。かくして需要が十分に旺盛であって、それを充足する 産業の供給力を圧する場合には、組合と雇主との間の利害の真実の衝突はない。妥協して、協定の費用をより高い価格に転嫁すること ⑥ は、彼ら相互の剥益である。かくして需要のインフレーション的圧力のもとにおいては、経済における対抗力の全機構は崩博する。 ギャルブレイスの対抗力理論 三ギャルブレイスの対抗力理論 四
好況にさいしては労働者の対抗力がストライキにまで発現することが少いというのは事実であろう。しかし、だからと
いって、それを対抗力の崩壊と見るわけにはいかないであろう。経営者がわをして妥協することを余儀なくさせるものは
組合の彼らにたいする強力な対抗力にほかならないからである。それがなかったならば、組合はけっして経営者がわの妥
協を習いとることはでぎないであろう。経営者がわを妥協にかりたてるものは、けっして需要の状況そのものではない。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へたとえ景気がよかったところで、経営者がわが、労働者の要求しもしない賃上げをみずから進んでおこなうというような
ことは、ありえない。労働組合は景気の好否によってその本質を変えるものではないのである。しかし、それにしても、ギャルブレイスが労働組合の進展をもってアメリカにおける貧困問題解決の基本線としている
かに見えるのは、高く評価されてしかるべきであろう。 彼の見るところによれば﹁合衆国にもなお多数の貧民がある﹂。すなわち﹁トルコ以西のいかなる国においてもこれ以上であることのないほど原始的にして名も知られぬ悲惨な生活をし
ている約二百万の農家︵討§賦自注Φω︶があって、その多くは南アパラチアに住んでいる。また都市の貧民窟の住民や少数民族とくにニグロがあって、彼らは自分たちの運命を満足をもって見ることができない。同じことは、その俸給や年金
や過去の貯蓄への依存が確定した牧入での生活を余儀なくさせる人々についても真実である。﹂ しかも﹁彼らは、独占力とむすびついたより高い価格と、より高い分配費とを、それを負担することができ且つこのような支出を現実に奨励する
人々と同様に負担する。﹂ かくしてギャルブレイスは、多くの貧民の存在の主要原因を、独占にたいする組織的な対抗力 の欠如に求めるもののごとくである。彼は明言している。 ﹁いまなお市場力のなんらの組織的表現をももだぬ数百万のアメリカ人があるが、その生計と厚生との水準はその帰結の無条件的証 明である。そのなかには、たとえば二三〇万の雇用農業労働者−ーアメリカ的生活から真実に置き忘れられた人々iがふくまれてい る。彼らな雇用について何らの保証をもっていない、一日の予告で解雇さ湘え数いものは殆んどない。彼らは失業専検をもっていない。彼らは通常.かなり危険な仕事の砂海にも、労働者災害楠賞制によって保護されていないか彼らの多くぱ固定した住所をもたない。彼 らの賃金は、彼らの勤労にたいする強い需要のあ、る場合でも、断じて手厚いとはいえない。⋮⋮さらに、労働運動の外縁に位置する都 市の未組織労働者と、おそらく最も重要なものではないかと考えられるが、過去において経済力を発展させることを拒否してきた職業 部門とがある。学校教師、僧職勤労者、市役所吏員および文官は、﹁般に組織というものを全く品のよくないものとして避けてきた⋮ ⋮。組織にかんするかぎりホワイト・カラー労働者のもっこの自己否定的な規律は、つねに、公共当局および私的雇用者によって賛同 を以って一愛国主義およびアメリカニズムの発現としてさえ−眺められてきた。全くのところホワイト・カラー集団は、第二次世 界大戦前は市場力の欠如からあまりひどく苦むことはなかったといってよい。価格の安定している疇代には、俸級労働者は実質所得の 増加のためにのみ給与の増加を求める。彼の弱さは一賃金の切下げにたいして斗争する賃金取得者の場合のようには一彼をしてそ の地歩を犠牲にさせはしないであろう。交渉のうまい人は自分で上手にことを運ぶことができる。もっとも明らかにこれは簡単なこと ではない。献身的ではあるが断乎としたところのないホワイト・カラー被雇用者が、俸給の引上げを要求しなければならない場合にし めす心理的な危機は、アメリカ漫画家の最もたのしい題材の一つである。⋮⋮価格騰貴の時代には、過去の地位が保持さるべきである ならば、市場力が行使されなければならないであろう。市場力を主張しようとする次ぎの集団は、私には、おそらくは上品ぶったホワ イト・カラー階級であろうと思われる。﹂ ⑫
このような主張をもつギャルブレイスの労働組含11対抗力の理論は、一部の論者のなしているごとく、独占による労働
者の搾取を蔽いかくす弁護論とのみは必ずしも割りきってしまえないものを含んでいるとしな.ければならないであろう。 ①拙稿﹃ギャルブレイスの独占論﹄本誌第五九・六〇・六一合併号、一九五九年十月。 ②H囚.O巴げ乙津F︾日。冨。四ロO巷冨房ヨ白日冨088℃汁ohOo§冨塁鉱嵩謁勺。≦①ひ器≦ω巴①島島8矯おα刈矯電.=心一=ひ. ③﹃価格統制の理論﹄においては一層徹底していて、ギャルブレイスはそこでは﹁現代資本主義﹂をもって﹁生産物市場における寡. 占と、要因市場︵剛900けO旨 5P碧雲①一ω︶における強力な組合とによって特徴づけられる資本主義﹂となし.ている ︵Ω巴再三け7︾月げ①o曙 o︷℃誌。①Oo三容炉一〇詔、眉■⊂ρ心︶。 ④ギャルブレイスはこうもいっている。﹁原力︹独占的市場力︺と対抗力との区別の一層正確にして意識的な使用は、若干の労働組 合と若干の農場集団とは明らかに原力の所有者であるという事実を考慮に入れるであろう。かくして建築業にカける労働者たちは、 ギャルブレイスの対抗力理論 五 ●曾 ギャルブレイスの対抗力理論 み /\ なんらかの絶対的な意味に宣いては、高度に組織されたり例外的に強力であるということはないけれども、彼らが取引をおこなう小 規模の雇主との関係においては強力である。彼らは明らかに原初的市場力の所有者である。L 同様に﹁農業生産者の諸集団が疑いも なく原力を行使する場合がある。﹂しかしながら﹁大まかには、労働組織と農場組織とに反トラスト法国の訴追を免除することは、原 力と対抗力との区別と調和を保つであろう。実際上もそのように取扱われてきた。シャーマン法は労働者に言及していないが、議会 は、 一八九〇年にこの法律を制定したとき、交渉力を高めようとする組合のなお控え目の努力を念頭におかなかった。その後、組合 は裁判所の解釈によってこの法律に服することとなった。実際、この法律が有効であった当初の数十年間は、組合は第一の目標であ つた。このことは、 一九一四年のクレイトン法において明示的に組含をその適用から除外するにいたらしめた。 一九二一年に最高裁 判所がやや冷酷に再び組合をその適用範囲に加えた後⋮組合は再び一そして最終的に一一九六二年のノリス巨ラグァーディア法 ︵三〇頃㎞。。−い帥O口p乙貯︾9︶およびそれにつづいて一層好意的なニュー・ディール法廷の判決によってその適用から除外された。同 様に、農業者の市場力を高めようとする農業協同組合︵臣霞ヨ。90℃Φ雷二くΦω︶の努力は、理由のある範囲内にとどめられるかぎり、 一九一四年のクレイトン法、それを進めた一九二二年の立法︵夢ΦOぞ窟マく巳ω8亀︾oけ︶、および一層特殊な場合については一九三 七年の農業販売協定法︵︾m旨論詰巴ζ。蒔Φ叶言αQ︾σq器①B①馨諺g︶によって、その適用を免除されている。かくして議会は、暗黙 のうちに、市場力を発展させようとする労働者および農業者の努力は、産業企業のそれとは異なるということを認識してきたのであ る。その相違はi今までのところ尤もらしい相違は一これらの努力が、労働者や農民がその労働や生産物を売る人々の力にたい して示す反応である、ということであった。﹂︵O巴ぴ邑9噛︾日鼠8昌O帥や冨房β窓二ωc。1=o.︶ ⑤ 学説史的な公平を失しないように云ってカくと、 一九二〇年代におけるAFL労働組合運動がすでに自己を大企業にたいする﹁平 衡力﹂︵Oo§9吾巴二歩8︶と意識していた︵QD噛℃①匡ヨ9戸︾日ず8嬉。一図pげ。同ζo︿①ヨ①耳.一露。。噛や曽ω.長州一二﹃独占評価の諸類 型﹄越村信三郎編﹃最近の独占研究﹄︸九五九年、一〇〇頁︶。 ドラッカーにも労働組合をもって大企業にたいする平衡力とする見方があった。﹃産業人の将来﹄︵一九四三年︶においてであるが ヒ ク リ 彼はいっている。 ﹁わが現在の政治ならびに社会体制においては、労働組合は有益にして必要である。労働者は、組合だけが与える レーバー ことのできる組織と保護とを必要とする。労働.階級の組織としての労働組合は、現代産業の経営的ならびに大企業的構造の必然的に して殆んど不可避的な付随物である。産業組織の現体制のもとでは、それらはまた労働管理の非常に有効な方法である1強固にし て自主的であり且つ誠実な組合は、労働者にとってと伺じく経営者にとっても一つの資産であるといってよいほどである。労働組合
は、今日、わが社会体の一層明白な疾病の若干を相殺するがゆえに、有益にして望ましいものである。それは社会的毒素にたいする対 抗組織︵餌ロ臥Io嶺。艮Np臥。口︶であり、抗毒素である。しかしそれは建設的な制度ではない−t一またそうしたものとして設計されたもの でもない。それはただ、わが現社会における大企業経営にたいする平衡力︵8毒叶①毫且σqぽ︶としてのみ可能であり有意味である。⋮⋮ それは白房の轡曲に悩む社会体によって必要とされる副木である。L︵℃.男。U毎。犀Φが目﹃Φ閃寺口HΦo出ぎαo馨艮巴竃9。戸お心こ。・や。。一.︶ しかしドラッカーの﹁平衡力﹂の思想とギャルブレイスの﹁対抗力﹂の思想との間にはかなり大ぎな距離があり、ドラッヵ1はそ れによってもつはら企業経営者と労働組合指導者との対称性を強調するにとどまって.いる︵岡げ凱こ℃や。。一lc。心︶。 ⑥Ω巴訂巴登︾ヨ巴。きO帥℃冨房β署.お悼1δ心. ⑦ギャルブレイスとは反対に、労働組合の対抗力の不況期における無力化を理由とし﹁て、その理論に疑問をさしはさむ人がある。い うところはこうである。﹁労働組合が対抗勢力として効力を発揮するには、 労働市場が売手市場でなければならない⋮⋮。言いかえ れば、不況のどん底では労働組合が対抗勢力としての力を充分に発揮できないが、労働市場が完全雇用に近づくにしたがって対抗勢 力としての力が発揮できるようになる。⋮⋮もしそうであるとすれば、ただちに二つの疑問がおこってくる。第一に、労働用役市場 が売手市場となるにしたがって、労働組合の力が強くなるというのは当然のことで、これをあえて対抗勢力の理論というような形で 定式化する必要があったのかという疑問である。第二に、不況の時こそが労働者にとってもっとも対抗勢力を必要とするときである のに、その時には対抗勢力としての効力を発揮し得ないというのでは、対抗勢力としての労働組合をオリゴポリーに対する抗毒素と 縫うるかという疑問である。﹂︵鎌倉昇﹃価格・競争・独占﹄一九五八年、二一八一九頁︶。 たしかに不況においてよりは好況におい ての方が、労働組合が対抗力としての効力を発揮するのに容易であるという事情はあるであろう。しかし、だからといって、不況に さいして労働組合が対抗力としての意義をもちえないかのごとくにいうのは、言いすぎであろう。労働組合の抵抗.にもかかわらず、 不況にさいしては労働者の状態が劣悪化するということは、たしかに避けがたいであろう。しかしながら、もし労働組合がなかった ならば、不況にさいしての労働者の地位の劣悪化は、それのある場合にくらべて、はるかに激甚たらざるをえないであろう。いいか えると、不況にさいしても、労働組合は、少くとも消極的に、対抗力としての効力を発揮するものと見なければなるまい。そして、 そのかぎり、ギャルブレイスの労働組合h対抗力説には問題はないといってよい。 ⑧O旺耳鼠費。や鼻;娼・一8. ⑨暮罫魑℃。卜。. ギャルブレイスの対抗力理論 七
ギャルブレイスの対抗力理論 八 ⑩Hぼ庫こ℃﹂OO. ⑪守葬、竈﹂念一ぴρ ⑫二見昭氏はいっている。一、強力な労働組合の組織も、現実には﹃平衡力﹄を決して完全に行使しえていない。というのは、労働者 の斗争にもかかわらず、労賃はつねに物価の上昇におくれており、実質賃金はたえず低下しているし、労働者の相対的地位もたえず 低下しているからである︹<.℃①ユρH口。oヨ①:勾Φ<o冨氏8:﹂O望¶噂■α呂。しかも賃金は標準生計費﹁にはるかに及ばない︹=①幕村 Ooヨヨ一覧①ρ国090日甘20叶霧9︾胃■一8“層℃絢︺。 ﹃平衡力﹄ が労働市場において最も完全であるというガルブレイスの主張は、独 占による労働者の搾取をおおいかくす弁護論にすぎない。﹂︵﹃アメリカにおける資本主義弁護論の批判﹄﹃講座近代経済学批判﹄.皿、 一九五七年、三六七頁。︶ ギャルブレイスの理論がこういう側面をもつことは争われがたい。しかし彼の理論が単にそれだけのものであるかに断定してしま うのは極端にすぎるように思われる。 二
強い買手の市場力に対応して弱い売手のがわに発生する一とギャルプレイスの考えるーー対抗力として、労働者のそ
れとならんで重要なのは、農民のそれである。これについて彼の説くところは、およそこうである。農民は個人としては
売手としても、また買手としても本来的には殆んど市場力をもたないといってよい。いずれの場合にも彼は何十万人中の
一人である。彼が市場から退いても、価格には何らの影響もないであろう。これに反し、農民が売買する相手方は市場力
をもっているのが普通である。一握りの農機具製造業者や肥料製造業者や自由販売業者あるいは保険会社などは、すべて
彼らの販売価格にたいして多少の支配力をもっている。また農産物にたいする市場、すなわち肉類出荷業者や煙草会社も
⑬缶詰業者や牛乳配給業者などは、典型的には比較的少数の大会社によって支配されている。こうした事情からおこってく
る農民の不可避的な不利益に直面して、自己の交渉力を相手方のそれと対等にしょうとする農民の努力がおこってくる。
最初それは農民が取引する相手方の市場力を破壊しようとする努力となって現われた。すなわち、十九世紀の後半および
二十世紀の初頭に、大企業の規制ないし解体にたいする強い圧力が農業地帯からおこってくる。農民は、他のどの集団よ
りも強く、一八九〇年のシャーマン法およびその後におけるそれの補足的な立法を強要した。しかしながら反トラスト法
は、今日ではもはや、市場力を均等化しようとする農民の戦略の中心をなすものと考えることはできない。なるほど、そ
れは今日でもなお農業団体および一般に西部出身下院議員の支持を得ている。しかし、それは消極的にして郷愁的でさえ
ある関心を反映しているにとどまる。農民たちは、対立する市場力の縮減から、自分自身の市場力の建設の方へ、その努
力を転換してきた。かくしておこってきたのが協同組合運動であって、協同組合を通じて農民は、個人として売買するか
わりに、団体として売買するにいたった。
農民の対抗力行使の機関としての協同組合は、労働組合の場合と同様の連続的な発展の過程をたどることがでぎなかっ
た。それは最初、対抗力行使のための理想的な方策であるかに見えた。一九二〇年および三〇年代初期のアメリカ農民の
間には、販売協同組合︵ヨp。時$轟8δ℃①富盛①。。︶は、彼らの要求をみたしてくれるものであるとの信条が広まっていた。 それは、カリフォルニア出身の熱心な協同組台主義者アーロン・サピロ ︵﹀母8ω呂騨。︶にちなんで、サピ型式協同組合 ︵ω弓ぎ紙巻①8−。唱心象く窃︶とよばれるにいたった。 そして馬鈴薯、煙草、小麦、果実およびその他の農産物を販売するために、多くのサピ旧式協同組合が形成された。しかし、その多くは極めて短命であって、一、二年すると解体してしま
った。そのさい、農産物処理における大規模操作のもたらす節約を達成し、揚穀機や穀物用ターミナル︵αq鼠三⑦§ぎ9﹃︶や倉庫や酪農品製造所などを設備し利用するための方策としては、協同組合は相当の成功をおさめた。しかし市場力の行
使については、それは構造上の致命的欠陥をもっていた。協同組合は諸個人のゆるやかな連合体であった。それは福野の
統制に服することのない非組合員を残さざるをえなかった。のみならず、それは組合員をも完全に統制することができな
ギャルブレイスの対抗力理論九
ギャルブレイスの対抗力理論 一〇
かった。一部の組合員は、他の組合員の犠牲において、組合の統制をもぐろうとする不断の誘惑に打勝つことができなか
った。そして、これらの弱点がサピロ式協同組合を破壊したのであった。もっとも農民の購買協同組合は、販売協同組合
の組織上の弱点をまぬがれていた。ここでは、非協力や非服従が利益をもたらすことは稀れであったからである。飼料や
化学肥料、石油製品その他の農業用品、および保険などの購入において、組合は大ぎな成功をおさめた。しかし、それは
単に購買者としての農民の地位の弱点を、しかもその購買力の一部分についてのみ、矯正したにすぎない。その成功はけ
っして販売機関としての協同組合の失敗を償うものではなかった。
しかしながらギャルプレイスは、自発的な販売協同組合の失敗は無意義ではなかったと見る。そこから、販売者として
の農民の対抗力のt国家の手による一i育成が新しく出発することとなったからである。すなわち一九二九年に農業販
売法︵︾αq旨巳貯蓄ζ霞パΦ脚達αq諺葺︶が制定されたが、この法律のもとに連邦農業局は国民協同組合を育成し、さらに安定 会社︵ω重げ臣N毘800愚。§一。霧︶がその市場力を補足することとされた。しかし連邦農業局によって統合された協同組合は、自発的な協同組合の場合と同様の弱点をもっていた。そして、それは安定会社とともに、一九三〇年および三一年の
価格暴落にまぎこまれた。しかし一九三三年の農業調整法︵﹀σq華表ε巨︾&蕊§①昌叶︾g︶、およびその後の農業立法は、 従来の組合の欠陥を除去した。すなわち、いわゆる﹁基礎的作物﹂︵げ鼠。。H。陽︶一小麦、棉花、とうもろこし、豚、米、煙草、ミルクおよびミルク製品 のすべての生産者にたいして加工税を賦課し、その輸入を生産の統制に服する人々に
分配することとされることによって、非協力者に不利益を与え、すべての生産者の生産を統制しうることとなった。一九
三六年、加工税は違憲の宣告をうけて廃止されたが、それ以後は、国庫からの直接助成金を協力者にのみ支払うことにし
て、非協力者にたいする消極的な罰金の役割をはたさせるにいたった。さらに、その後は、政府の買上や貸付が、供給の
多い場合には生産者が販売の割当を承認するということを条件として、価格の保証を与えてきている。この方策も、本質
的には、農民の販売上の地位を強化しようとするものにほかならない。
以上が農民の対抗力についてのギャルブレイスの所説の大要であるが、これについて気づかれるのは、その所説が主と
して歴史的であって、理論的でないということである。しかも、その歴史を通じて明らかにされているのは、農民の対抗
力の成長が自然発生的には極めて不十分でしかありえなかったということである。どうしてであろうか。ギャルブレイス
の気づくところとなっていないように思われるが、それは、農民が典型的には小規模資本家であって、もともと資本主義
’
に対立する基本的な階級ではないということに由来するものでなければなるまい。協同組合にたいする一部の農民の非協
力や非服従も、淵源するところは、仮らの狭艦な小資本家的利己心にあるのでなければならない。そして、そういう傾向
をもった小資本家の結合体として、農民の販売協同組合は一種の一いわば原初的な カルテルの性格をも?たものと
いうことができる。したがって、それは、それの基本的な性格においては、労働組合と同一の次元において、独占資本に
たいする対抗力として捉えられうるようなものではない。しかし農民は、いかに幸運な場合といえども、通常、大資本家
といわるべきものにまで成長する可能性を欠いている。したがって農民の協同組合は、いかに発達した場合にも、大資本
の結合体となりうるものではない。そして、そこに農民の協同組合が本来のカルテルと区別さるべき理由がある。しかも
カルデルと区別されるこの側面においては、農民の協同組合は、カルテルばかりでなく一般に資本主義的皮下組織に対立
する傾向をもつ。そして、そのかぎり、それば労働組合の同盟者たりうる。いいかえると、労働組合の同盟者としてのみ
農民の協同組合は真実の意味においての対抗力たりうるのである。 ⑬Ω巴げ雷津貫﹀ヨ①は。磐O簿℃冨房塁︾﹂望■ ⑭Hげ律.毛・ヨ。。1窃O. ⑮Hげ匡二署﹂ひOiまP ⑯Hげ乙こ竈﹂$1写亀。・ ギャルブレイスの対抗力理論 、 一一ギャルブレイスの対抗力運論 一二 三
つぎに、強い売手の市場力に対応して対抗力が弱い売手のがわに発生する とギャルブレイスの考える 場合につ
いて見るに、典型的なのは小売の組織化である。この形態の対抗力について彼の説くところは、およそ次ぎのごとくであ
る。 形式的な経済理論のおこなう 外観上は無害な一単純化の一つは、消費財の生産者がその生産物を直接に消費者に売るという仮 定である。すなわち、各経営単位は労働と原料を買い、それらを結合し、若干期間にわたり牧益を最大にする価格でもってそれらを公 衆に渡すとするのである。もし現実の世界がこの仮定に合致するならば、消費者の運命は不幸なものであろう。しかし実際上は財は小 売商お語その他の仲介蓼へて消薯に到達するのであ.て、小売商はその地位からして消薯のために対抗力を誕さ諾ことを 小売業における対抗力とは大規模の強力な小売企業のことにほかならない、要求される。 その勃興はこの半世紀間の現象である。そし て今日では、消費財が公衆に到達する殆んどあらゆる終点に、強力な買手が存在している。これらの買手は直接に製造業者と取引する が、製造業者にして価格をきめるにあたり強力な顧客の態度や反作用を考慮に入れなくてよいようなものは少い。小売業者たる買手は 供給者の市場力にたいして、自由に行使することのできる様々の武器をもっている。彼らの究極の制裁は、食料品チェインズ ︵hoo自 。7巴諺︶やシアーズ︵ωo霞ω︶やローバック︵菊。①びロ。犀︶やモントゴメリ・ワード︵ζo葺σqoヨ①曼ぞ霞匹︶が広くおこなってきたごと く、自分自身の供給源を発展させることである。彼らはまた、その全愛顧を単一の供給者に集中して、より低い価格と引換えに供給者 ⑲ にその生産量の引取りについて保証を与え、その販売費や広告費をまぬがれさせてやることができる。ただし消費財の生産者にして、 対抗力の行使をまぬがれてきたものがないではない。自動車工業や石油業のごときは、消費者への配給を統合することによってか、あ るいは小規模の独立した一したがってかなり無力な⋮販売者の組織をもつところからして、そうしてきた。また煙草製造業におけ るごとく、その成員が十分に強力で、かつ十分に結束しているところがら、最も強力な買手によって加えられるいかなる圧迫にも抵抗 することができるというような場合もありうる。しかしながら煙草製造業者でさえ、三〇年代の対抗力の行便に特に好都合であった事 情のもとにおいては、エー・アンド・。ヒー︾俸勺︵︵甲H①蝉け ︾け一且切戸一〇 ⇔置匹勺PO一︷一〇]り①餌 ︹︶○■︶およびその他の大顧客に、広告費の形で、 大幅の値引きをすることを余儀なくされた。かくして消費財配給の種々の分野における大小売業者の包括的な代表を考察する場合には、⑳ 消費財の生産における市場力の大抵の地位は対抗力の地位によって相殺されると結論してさしつかえない。もし大規模の小売業者の購 買組織が対抗力を発展させ、これを消費者のために行使するということがなかったならば、消費者は小売業者の力に相当するものを組 織する必要に直面してきたであろう。スカンディナヴィアやイギリスにおいては、チェイン・ストアのかわりに消費組合が消費財市場 における対抗力の支配的用具となっている。合衆国では消費組合が重要性をもたないという事実は、かかる組織にたいするアメリカ人 の生来の無能力によってではなくて、チェイン・ストアが最初に対抗力の利益を先取したからということによって説明される。チェイ ⑳ ン・ストアは対抗力の行便において消費組合とほぼ同じくらいに有効である。
このようにギャルプレイスは、大規模小売組織を消費組合と同一範聴の独占への対抗力と見るところがら、それに反ト
ラスト法を適用することに反対して、つぎのごとく述べている。 対抗力行使の最も重要な用具の一つとしての大規模小売組織は、消費財を生産または加工する人々の市場力にたいする公衆の主要防 衛線である。それらは、他の国々においてカルテルに反撃を加えるための用具と見られている消費組合のアメリカ的対照物である。に もかかわらず、それらは政府による攻撃の対象となってきた。すなわちチェイン・ストアおよびその他の大購買者はしばしばシャーマ ン法による訴追の対象となってきたし、また対抗力の行使を禁止することを特別の目的とするロビンソンUパントマン法の目標となっ てきた。代表的なのはエー・アンド・ピーの場合である。同社は、多くの法律上の不運にもかかわらす、消費者を搾取するというかど で告発されてきたことはないし、重大な容疑をかけられてきたこともない。罪科とされてきたのは余りにも強引に掛引するということ であったが、この掛引は実際上は消費者のためであった。一九四四年におこった事件では同社は、マージンを引下げることによって販 売量を増加させようとしたかどと、価格の引下げを求めて余りにも強く供給者に圧迫を加えたかどとで、告発された。これらの供給者 は一そのなかには大缶詰会社のような有力な売手がふくまれていたが1長く価格にかんしてエー・アンド・。ヒーとの力の審理にま きこまれていたが、彼らは擬乱されることなく放置された。政府は、消費者にたいする価格を抑える効果をもつ活動を訴追するとい う極めていかがわしい立場にたったわけである。エー・アンド㌔ヒーは、食料品小売業の一〇%を少し下まわる商売をしているにすぎ す、強い競争者をもち、それの従事する事業においでは新企業の参加はこのうえなく容易であるにもかかわらず、食料品小売業の有効 な独占を達成するかも知れないという危険が強調されてきているが、いかに入念な説明も反トラスト法の強制の結果はこのばあい公衆 の不利益になるという事実をかくしきることはできない。その告発は対抗力の行使を禁止することによって、反トラスト法の擁護者に ギャルブレイスの対抗力理論⋮ 一三ギャルブレイスの対抗力理論 一四 とっては禁物である市場力そのもの一それこそがエー・アンド・ピーに機会に与えてきたのであるが一に保護を与えることにな る。市場力の単なる所有と行使とは反トラスト行為の有用な基準ではない。さらに突っこんだ一そしてきわめて実際的な 誰にた いして、どういう目的のために、その力が行使されているかということが、問われなければならない。もしこれが問われて、その答え が被害者は公衆であるということを明らかにしないならば、反トラスト法は対抗力を攻撃することによって、独占力を弱めると同じだ @ け強めることがありうるのである。 以上、対抗力としての大規模小売組織についてのギャルブレイスの議論については、最初から大きな疑問が感じられる。
けだし消費組合は労働組合とならんで独占組織にたいする重要な大衆的対抗力を形成すると考えられるが、チェイン・ス
トアのような大規模小売組織はそれとは本質的に異なったものであって、けっして大衆的な対抗組織ではなく、配給過程
㊨における資本の独占組織にほかならないからである。その点、ギャルブレイスがチェイン・ストアその他の大規模小売組
織を消費組合のアメリカ的形態と考えているのは、全然あやまりである。ダーラムとカーンも指摘している。一
ます第﹁にエー・アンド・ピーは、強力な寡占供給者 特に石鹸会社や穀類会社やビスケソト会社一から価格譲歩を獲得するの に大した成功をおさめなかった。乾燥ミルクの集中的生産者から同社が譲歩を獲得しようとした証拠はない。同社が強い圧力をかけよ うとした時でさえ、石鹸会社は特別に譲歩するのを簡単に拒絶した。二大穀類会社︵09田彦○国恩き傷,即巴ωεロ︶から同社は譲歩を獲 得したか、価格そのものについてではなかった。バターやラードの場合には、製造業者から譲歩が得られなかったので、同社はみすか らこれを生産するにいたった。ビスケットについても同社が]流の大会社から譲歩を獲得した証拠はない。ミルクについては有力な寡 ⑳ 占業者から特別の譲歩を獲得したようであるが、そのために消費者価格が引下げられることはなかった。ギャルブレイスは、煙草会社 は三〇年代にエー・アンド・。ヒーーおよびその他の大顧客一に広告費の形で大幅の値引きをすることを余儀なくされたといってい るが、しかし翌旦の対抗力は↓九三︻年における三大煙草会社の価格引上げを防止することができなかったばかりでなく、﹁九三三年 におけるシガレット価格の大幅の切下げを起動したのでもなかった。切下げを起動したのは、競争者による一〇セント煙草の発売であ、 って、これに刺戟されて三噛煙草会社は卸売価格を大幅に切下げることを余儀なくされたのである︵≦●甲2冒げ。=⋮℃ユ。①勺。牌。一窪 ⑳ 言夢①ΩσQ霞ΦヰΦ宣仙β。。叶巴ざ一8r噂や=②一感ρ一こ。ごωc。ω︶。 他方、エー・アンド・。ヒーはときどき缶詰製造業者や野菜および果物の回漕業者や栽培者から特別の譲歩を獲得してきたが、これら ⑯ ⑳ の業者はあまりにも数が多く組織を欠いていて、寡占者のようには動けない人々である。つまり最も微力な入々である。したがって、 エー・アンド・ピーは、これらの人々にたいして容易に圧力をかけることができたのである。ギャルアレイスはこの種の事実を否定し ている。しかし彼も農民の協同組合を おそらくはエー・アンド・ピーのような一大規模の買手にたいする自衛組織と見ている。 しかし、もしこの種の買手が彼のいうように弱者ではなくて強者を搾取することによってのみ利潤を獲得するものであるとするなら、 ⑳ 弱者がそれに対抗する組織をつくることがどうして必要であろう。もちろん大規模の発注にともなう費用の低下ということがなくはな かったであろう。しかしエー・アンド・ピーの獲得した譲歩がそれ以上に及んだことは争われがたい。しかも、その譲歩にして消費者 に還元される部分は微少であったのである。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
これによって見れば、エー・アンド・ピーはけっして消費者のための組織といわるべぎものではない。最近の事実につ
いて見ても、同社の価格は、独立小売業者を打倒するために引下げられる場合を除いて、他の商店のそれより低くないこ
とが明らかにされている。農民にたいして支払われる肉の価格が約三〇%低下した場合にも、その消費者価格は四%低下
しただけであったともいわれている。もちろん資本主義的な大規模販売組織が経済の進歩にたいして積極的肯定的な側面を全然もつものではないかのごとく
に考えては、誤りであろう。ギャルブレイスのいnているごとく、たしかに﹁強力な小売業者としての買手が、以前には
独占牧歌を享受していた一産業の価格を切下げる場合には、その結果は生産物の販売の増大であり、労働や原料や生産設
備の一層大規模かつ一.概して 一層望ましい使用である。﹂ しかしながら、彼のつづけて明言しているごとく﹁何人 もこういうことが間違いなくおこると想定することはでぎないのである。﹂ のみならず、たとえ問題の販売組織が関係をもつ産業に好ましい方向を与えることがあるにしたところで、それをもって産業独占資本にたいする大衆的な対抗力とな
ギャルブレイスの対抗力理論 一五ギャルブレイスの対抗力理論 すことはできないであろう。 抗関係でしかないであろう。 一六 二つの間に対抗関係を見るとするならば、それは︵産業︶独占資本と しかも多くの場合この対抗関係は仮象でしかないのである。 ︵商業︶独占資本との対
資本主義的な大規模小売組織が独占資本にたいする真実の1典型的には労働組合のごとき 対抗力の意味をもちえ
ないものであるということは、また、それが最も必要な場合にかえって無力であるという事実によって実証される。ギャ
ゆルブレイスも、対抗力は、その組織が必ずしも容易でないばかりでなく、組織された後もけっして万能ではありえないと
して、いっている。 ﹁若干の産業は消費者に直結するか、またはその生産物が従属的な販売組織を通過してゆくために、対抗力に直面してこなかった。 市場における立場が非常に強力であったために、強い貿手の攻撃にたいしてさえ難攻不落であった二、三の例がある。また対抗力のも たらす危険が明らかに認識されていて、それにたいする抵抗が成功をおさめてきたような場合もある。﹂ もともと﹁対抗力はすべての 需要状態のもとにおいて一様に行使されるものではない。それは、市場にインフレーションまたはインフレーション的圧迫のある場合 ⑬ には、市場力にたいする抑制としては全然機能しない。﹂ いいかえると﹁需要の稀少ということが、買手がその力を供給者に向けうる ための前提条件である。もし買手が沢山であるならば一もし供給が現存する需要にくらべて小さければi売手は特定のどの顧客の ⑰ 購買力にも屈服することを余儀なくされない。﹂したがって一九三〇年代の不況期は、﹁この点にかんして特に実りの多い時期﹂であ、つ た。すなわち﹁この時期はチェイン・ストアおよびさらに諸種の団体購買企業の発展にきわめて好都合であった。﹁九三六年ロビンソ ンーーパットマン法⋮⋮の通過において頂点に達する商業上の煽動の激しさは、それ自身、この時期におけるチェイン・ストアの利益に ついての尺度である。これに反し第二次世界大戦中の需要が旺盛で供給の不足した数年間は、チェイン・ストアは独立の業者にくらべ てその地歩を失った。供給にくらべてのこの旺盛な需要が、対抗力を行使するチェイン・ストアの能力を破壊するにつれて、その利益 は消失した。戦争中および戦後はチェイン・ストアにたいする商業上の扇動と慣慨とがほとんど完全に消失したということに注意する ㊥ のは、同様に興味のあることである。﹂インフレーションのもとでは大衆の所得が実質的に切下げられるというのは常識であろう。実質所得と生計費との間に
多かれ少かれシェーレが発生する。これをカヴァーするために、インフレーションのもとでは、生計.費を支配する独占資 本にたいする大衆の.対抗組織の必要が痛感されるはずである。にもかかわらず、既成の対抗力が無力化するということは 、 ⑳ その対抗力がほんものでないということを実証するものといわなければなるまい。 ⑰O巴訂鉱夢’︾日Φ菖。碧O巷一邑凶。。βや=S ⑱Hぼ匹こや=c。巳
⑲守峯”噂や喬Ol冨r
⑳Hぼαこづや一巴卜己ド ⑳同げ同野竈﹂悼ひi蕎刈. ⑫ 菖達こ娼Ψ=一1=餅 ⑯ ロチェスター︵﹀.幻。。げ①ω冨具男巳Φ話oh>8Φユ。P>ω9飢団oh閃曽き803陣琶噂おωひ︶がすでに早く、チェイン・ストアは小 売商人の集まりではなく、大資本の支配する小売店の組織であることを暴露している︵立井海洋訳﹃アメリカの支配者﹄下巻一五七 頁︶。 彼女はまた、チェイン・ストアの多くが商品生産を兼業し、あるいは少くとも百貨店の場合と同じく製造会社と密接な関係を もち、さら.には、指導的な金融資本と緊密な結びつきをもっていることを明らかにしている︵同一六七一九頁︶。 なカニ見昭、前掲 二六七一九頁、長州一二、前掲一〇〇1一〇一頁など参照。 ⑳ Hゆ・Uo二9目き匹﹀.国.国島戸舅巴目Oo日℃a江oP一8愈やト。詔. ⑳亭峯”℃bωひ。 ⑳屋乙二や悼ωρ ⑳Hぼ伍二娼.8S ⑳H獣偶二戸8。。■ ⑳目ぼ山こ唱.悼ωo噛鍵劉 ⑳U筈。同閑①8碧跨︾のωo。貯けδ戸﹀℃90ぴユ闇の冨剛。吋ζ050唱9ざ一8伊サ心ρ西田勲訳﹃独占資本の弁護論批判﹄八二頁。②O讐鼠蔚︾馨腎磐9噂莚δβや一刈。・
ギャルプレイスの対抗力理論 一七ギャルブレイスの対抗力理論 一八 ⑳ 炉ω.竃霧8ゆ両080導ざOo匿①β時註8き山け冨竃8ε9冤寄。窪①戸一〇雪う曽ρ 曾 ﹁産業独占と商業独占が﹃対抗﹄するばあいもあるだうが、もっと実際的に支配的なのは、両者が結合するばあい:・:・であろう。 ⋮⋮︹こ︺のばあいには、商業独占は産業独占に対立するものではなく、形の上では独立でも、実際にはこれに従属するか、あるい は事実上融合している。それぞれトラストないしコンツェルンすなわち金融資本の支配体制の一部を形成するにすぎない。ガルブレ ースは、こうした独占の全体構造を見失っている。﹂︵長州一二、前掲一〇一頁。︶ ⑭O巴耳餌菖噂︾ヨ9。き09嘗跳ωβ唱﹂鱒刈・
⑳守凶鎌こや憲。。. −
⑯ 固げ崔こ喝Ψ一ωOl一ω7 @ Hぴ乙ご娼唱二ロ一1一G。P㊥一げ改こサδ一15N
− ⑳ 鎌倉昇﹃価格・競争・独占﹄ ︵一九五八年︶二一七−八頁。長州一二、前掲一〇三頁。 四最後に、ギャルブレイスによれば、たとえば﹁鉄鋼の買手としての自動車会社の力が、売手としての鉄鋼会社の力を強
⑩く抑制してきた﹂ことによって知られるごとく、対抗力は生産財の市場にも見られる。しかし生産財の場合は、消費財の
場合と異なって、通常、強い売手にたいして弱い買手が対抗するのではなく、強い売手にたいして強い買手が対向し、そ
こに対抗力の現象が見られるとするのである。してみれば、これもまた、彼が最初に意図した意味での本来の対抗力とは
いえないであろう。けだし、それは一種類の産業独占資本にたいする他種類の産業独占資本の対抗力でしかないからであ
◎ る。このように見てくると、ギャルブレイスのあげている対抗力のうち真実その名に値いするのは、労働組合と消費組合と
農民同協組合とだげということになるであろうα︵ついでにいっておけば、ギャルブレイスはーー海そらくばアメリカの実際にそく してであろうが一全然論及していないけれども、中小商工業者の協同組合がまた農民協同組合と同様の意義をもちうるであろう。︶
そしてこのように見るところがら、私は、ギャルブレイスが労働者と農民との対抗力についてつぎのような評価をしめし
ているのは、歴史の発展方向にそくしたものとして、十分に高く評価されてしかるべきであろうと老える。 ﹁我々の時代においては、国内政治上の争いは、ますます、対抗力を発展させようとする努力を支持するか支持しないかという問題 をめぐることになると予想してよいであろう。自由主義は、経済における交渉力の弱い地位を支持することと同一視されるであろう。 保守主義は一これがそれの本来の機能といってよいのであるがi原力をもった地位の保護と同]視されるであろう。⋮⋮対抗力か 政治問題化することは、不健全なことと見なされるのは殆んど確実といってよいであろうけれども、特別にそうだとは考えられえない。 貧しい人々や除外された愈々は、力をかちとることによってのみ、民主主義のなかでの自分たちの運命を改善するという考えには、一 見したところでは憎むべきものがある。しかし、これまでのところでは、その結果を是認するより遺憾とすべき理由の方がはるかに少 なかった。社会における大集団の地位はいちじるしく強化され改善されてきだ。⋮⋮歴史の光に照して見さえすれば、弱い諸集団の対 抗力についての我々の恐怖は消滅し、市場における力を確立しようとする彼らの努力は、経済進歩を構成する要素として出現すること @ が知られる。﹂ * 初版ではこの一句は、﹁最も朋臼な力の助成を享受してきた二大集団たる農民と労働者との生活は明らかに改善されてきた。﹂とな っている。従来は劣勢であった大社会集団iなかんづく労働者および農民 の独占資本にたいする対抗力を確立しようとする
努力が経済進歩を構成する要素と見られるにいたっているのは、注目にあたいするであろう。そこには、資本主義をこえ
て進む歴史の新しい発展方向に合致した洞見が含蓄されているといってよい。しかしながら、そのような経済進歩が期待されうるのは、右の努力の単に直線的連続的な発展の成果としてではありえ
ないであろう。けだしギャルブレイスの聞題とするにいたっていないところであるが、対抗力の成長は、それだけでは、 ギャルブレイスの対抗力理論 一九ギャルブレイスの対抗力理論 二〇
けっして独占力を止揚してしまうことのできるものではなく、それどころか、逆にこれを強化するところがあるからであ
る。たとえば労働組合は、独占にたいする対抗力として単にその弊害を抑制するという方向にのみ機能するものではなく
て、同時に独占を促進するという方向にも機能しうるものである。したがって対抗力の成長から直接に独占の弊害の一
少くとも完全なi止揚が可能になるなどとは、とうてい考えられないのである。
要するにギャルブレイスの対抗力の理論は、その理論の本筋からいえば、独占弁護の理論というよりは、むしろ独占の
否定面にかかわるものであった。彼がこの理論を提唱せざるをえなかったのは、さぎにも一言しておいたごとく、彼が、現代の独占は一面において経済進歩と必ずしも両立しえないとは云いきれないところをもちながら、しかも他面において
はどこまでも私的独占として避けることのでぎない反社会的なところをもっということに、気づいていたからでなければ
ならない。そして彼は対抗力によって独占の弊害を除去ないし防止しうると考えたのである。しかし、この見通しは楽観
にすぎる。けだし、対抗力を労働者11農民中心のそれに整理するならば、新しい可能性が開けてくるであろうが、しかし
彼の理論はそのような主体性をもつものではないからである。彼の理論の立場とするところは、どこまでも資本主義その
ものである。彼の見るところによれば、独占資本主義はみずから対抗力を生みだすことによって、独占にともないがちの
非能率と圧制とをみずから除去するというのであった。対抗力がこうした見地から見.られているにとどまるかぎり、その理論も独占肯定の理論と見られて不可ないであろうし、またそのように評価されるよりほかないであろう。この理論が、
その本筋にそって、真実に独占批判の理論として有効となるのは、それのよってたつ立場が資本主義から勤労平民のがわ
に転換されるにいたる時からであろう。しかるにギャルブレイスは、このような主体性をもたなかったがゆえに、対抗力
を主題とした﹃アメリカ資本主義﹄につづけて、その後、それを掘りさげるかわりに、それを骨抜きにしてしまうような
﹃雷裕祉会論﹄を書き、現代独占資本主義の弁護をさらに一段おし進めるにい允るのである。⑩O既げ巴ひ℃︾B①ユ8昌.○巷蹄鎧。。β悪﹂隠−憲P ⑳ 鎌倉昇、前掲一=五頁。 ⑫Ω9。ぎ冨ヰFoや鼻こ毛●8♂8Nぴω. ⑬ ドラソカーは、労働組合の強大化が独占強化への積杵となるという事情を見ぬいて、つぎのごとく書いている。 ﹁組合が一工場ま たは一企業をこえて拡張するの必要は、組合を独占へむかって駆りたてる。それはまた強力に全経済を同じ方向におしやる。合衆国 においては、最近十五年間における大産業別労働組合の成長が一わが国の財政制度についでーー疑いもなく独占への最も効果的な 推進力であった。組合は、それの包含するすべての工場における賃金率を斉一にしょうと試みなければならない。⋮⋮︹そして︺組 合の活動範囲を拡張しようとする圧力は、まず産業全体を通じて、ついで全国を通じ、比較できる仕事にたいする賃金率を平均化す る傾きをもつであろう。このことは、すぐれて公平かつ正当であるように思われるかも知れない。しかし、それは大企業に一とり わけ若くて.成長しつつある企業に一まずます大きな利益を与える。⋮⋮大会社は生産性の向上を見越してより高い賃金を支払うこ とができるでもあろうが、まだ儲けていない貨幣を支払うことを余儀なくされる小会社は破産に追いやられるであろう。しかして産 業全体ないし全国的な規模の形態においては、最も大きな会社が賃金率を決定するように思われる。⋮⋮︹少くとも︺今日この国に 広くおこなわれている制度においては、少数の大会社すなわち﹃賃金指導者﹄︵、.毛鋤αqΦ冨餌匹①窃、.︶が、自分たちの間の協定にカいて いずれもが従わなければならない形態を設定する。⋮⋮戸かくして︺賃金の斉一性は、市場の分割と同様に、有効なカルテルを構成す る。准一の相違は、公然たるカルテルが非能率的な生産者を 大小を問わず一保護する傾きをもつのに反して、我々の制度︹賃 金カルテル︺は単に大生産者を1能率的と非能率的とを問わず1有利にするにとどまる、ということである。﹂︵勺.局・∪同二〇屏①♪ 門げ①乞①芝ω09虫ざ一〇α9℃℃﹂Nひ一Bド︶一労働組合が全産業的ないし全国的規模に成長し闇てゆくにつれて、それが独占の範疇を もって期せらるべきものとなるとする見解がかいま見えるのは、正しくない。しかし労働組合の成長が大会社の独占を促進.する傾向 をもっことのあるのを指摘しているのは、正当といわれなければならない。 ⑭ 二見昭、前掲二七〇一二七一頁、長州一二、前掲一〇三頁。ただしギ.ヤルブレイスの理論には何も摂取さるべきものは見出されな いかのごとくにいうのは、ゆきすぎであろう。 ⑮ ﹁労働市場における平衡力とは、結局労働運動︵階級斗争︶にほかならない。もちろん労働運動が現在AF﹂・CIOを牛耳る保 守的幹部の意図するように資本主義の枠のなかでの経済斗争に自己を限定するならば、それはアメリカ資本主義をかえって安全なら ギャルブレイスの対抗力理論 一=
ギャルブレイスの対抗力理論 二二 しめる役割を果すだろう。しかしアメリカ労働階級の斗争が、単なる経済繋争から政治斗争に、資本主義の廃止を目ざす革命的斗争 に転化するならば そしてこのような転化は必然的である一1それはもはやアメリカ資本主義を安定させるどころか、それを崩壊 に導く力となるだろう。ガルブレイスはこの点を完全に見のがしている。﹂︵二見昭、前掲二六七頁。︶ ⑯ ﹁富裕社会論﹄に方いてはギャルブレイスは、貧困はもはや現代資本主義の問題ではないと主張するにいたっている︵O巴げ話津ダ ↓ゲ①卜塗qΦ緊の。鼠虫ど 一〇G・。。、bo。一1し。糟諺し。塗︶。 大企業による生産の増大が、そうした効果をもたらしていると見るわけである ︵Hげ己こ署.置鵠︶。 彼も貧困の残存はこれを認めている、しかしそれは経済体制にかかわる問題ではないと考えるのである︵H玄餌こ ℃やω践塗︶。 付記 本稿は連載してきた﹃最近における独占肯定の諸理論﹄の一部分 きる。 ︵その三㈲︶である。これをもって、この連載をひとまず打ち