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柳 田 国 男 の 社 会 経 済 思 想
一 土地政策論 を中心 として一傳
田
功
1 は し が き 柳 田国 男 が 民 俗学 者 と して大 きな学 問 的 業 績 を 残 した こ とは,彎 入 の あ まね く知 る と ころ で あ り,現 在 そ の業 績 を 土 台 と して,様 々な 角 度 か らの研 究 が集 く コ 積 され,一 種 の ブ ー ム的 現 象 す ら現 出せ し め られ てい る。 とこ ろで 柳 田 国男 は,他 面 に おい て,優 れ た 農 政 学 徒 と して幾 多 の業 績 を残 し て きた 。 そ れ は わ が 国 の農 業 政 策 学 の歴 史 の上 で,逸 す る こ との で きない 豊 か な内 容 を 有 す る も の であ った 。 東 畑 精 一 氏 を は じめ 少 なか らざ る 人 々が,彼 の 農 業 政 策 学 に触 れ,そ の学 問 的 意 義 を 問 うて きた こ と も また,当 然 の な りゆ きで あ った とい え よ う。 柳 田に お け る農 業 政 策 論 は,多 くの 内容 を含 む も ので あ るが,彼 が 農 政 関 係 の著作 に お い て,終 始重 要 な論 題 とし て意 識 して きた もの と して,土 地 問 題 を あ げ る こ とが で き る。 農 政 学 徒 と して の 柳 田が,主 とし て 考 察 の 対 象 と した の は,農 業 土 地 問題 で あ った 。 す なわ ち 農 地 制 度 に 関 す る問 題 で あ り,ま た土 地 の 利 用形 態 に かか わ る問 題 で あ った 。 柳 田に よれ ば, 「一 国 ノ領 土 力農 業 政 策 二向 ッテ 提 供 ス ル 問題 ・・ニ ア リ一 八 此 タ ケ ノ面 積 ニテ幾 何 ノ人 ヲ養 ヒ ウル カ ニ シテ二 八此 タ ケ ノ面積 ニテ幾 何 ノ人 (1)本 年(昭 和52年)に 入 り,刊 行 され た,柳 田国 男 に 関 す る 著 書 として,岡 谷 公二 『柳 田国 男 の青 春 』(筑 摩 書房),ロ ナ ル ド ・A・ モー ス(岡 田,山 野 訳)『 近 代化 へ の挑 戦一 柳 田 国 男の 遺産 二 』(日 本 放送 出版 協 会),桜 井 徳太 郎 『霊 魂 観 の系 譜 』(筑 摩 書 房)な どが あ り,と くに前 二著 作 にお い て は,農 政 学 徒 ど しての 柳 田 につ い て も 触 れ られ て い る。〔3} ヲ働 カ セ得 ル カ ナ リ是 レ実 二又 研究 ノ発 足 点 ナ リ トス」 と述 べ られ て い る。 国 土 あ るい は 土 地 が,農 政 の 基 盤 た る こ とが 意 識 され る と と もに,農 業 土 地 政 策 の 内容 を きわ め て 広 範 囲 に 把 握 しよ うと して い る姿 勢 を うか が い うる の で あ (3) る。 彼 に よれ ぽ,前 者 は 「消 費者 トシテ ノ人 力土 地 二対 ス ル 関 係」 を意 味 して お り,こ こで は 主 と して人 口の増 加 を背 景 とす る農 産 物 の 需 要 増 大 と,土 地 利 用 と の関 係 が対 象 と され,農 法 の集 約,粗 放 な ど,「 農 法精 度」 が これ にか か わ る問 題 と して 検 討 され て い る。 これ に対 し後 者 は 「労 力 ノ主 体 トシテ ノ人 ト土 地 トノ関 係」 を 意 味 し,「 一 国 ノ領 土 ハ 能 ク幾 何 ノ農 民 ノ生 計 ヲ維 持 ス ル カ ト の イ フ問 題 」 に か か わ る もの とされ て い る。 そ して 上記 の よ うな 諸 問題 に根 本 的 なか か わ りあ い を 有 す る もの こそ,法 律 制 度 と し ての 農地 制 度 に外 な らな い の で あ る。 す な わ ち 「農 業 政 策 ノ根 本 トナル ヘ キ土 地 財 産 制 度」 の重 要 性 が指 摘 され てい るの で あ る。 明 治30年 代 お よび40年 代 に書 か れ た,柳 田 の農 業 政 策論 に お い て は,必 らず し も明 確 に提 言 され て い な いが,柳 田に と って は,土 地 は 資 本 や労 働 力 と併 置 され る単 な る生 産 要 素 では なか った 。 合 理 主 義 的 な 土地 政 策論 が展 開 され る一 方 に お い て,土 地 そ の ものへ の独 自の認 識 が所 在 した もの とい い うる。 小 論 に お い て は か よ うな観 点 か ら,柳 田国 男 に おけ る土 地 政 策論 と くに土 地 所 有 制 度 を め ぐる社会 経 済 思想 につ い て,若 干 の 検 討 を 加 え て み た い と思 う。 (2) 『定 本 ・柳 田 国 男 集 』 第28巻,(以 下 定 本 と 略 称)310頁 。 (3) 『定 本 』 第28巻,308頁 。・ (4) 『定 本 』 第28巻,309頁 。 (5) 『定 本 』 第28巻,・289頁 。 ⑥ 柳 田 の 農 業 政 策 論 の 体 系 化 に 大 き な 影 響 を 与 え た も の と し て,イ ギ リ ス の 経 済 学 が あ り,ま た ドイ ツ の 農 政 学 が あ っ た 。 と く に 後 者 は,柳 田 が 『私 の 哲 学 一 村 の 信 仰 一 』 に 記 し て い る よ う に,早 稲 田 大 学 そ の 他 に お け る講 義 案 の 参 考 材 料 と さ れ て お り,そ の 意 味 で,よ り直 接 的 な 影 響 を 及 ぼ し え た も の と考 え られ る 。 柳 田 が 指 摘 し て い る よ う に,当 時 の ドイ ツ 農 政 学 は,土 地 制 度,土 地 問 題 を も っ て 農 政 学 の 主 要 な る研 究 課 題 と し て い た 。 例 え ばFreiherr von(rer Goltz, Vorlesungen uber Agrarwesen and Agrarpolitik}1899は,明 治34年,高 岡 熊 雄 訳 『農 政 学 』 と し て 翻 訳,刊 行 され,柳 田 の 著 作 中 に も 書 名 が あ げ られ て い る が,邦 訳 に お い て は,第5章 国 有 地 論 及 び 町 村 共
柳田国男の社会経済思想 3 2 土 地 制 度 改 革論 の展 開 ヨー ロ ッパ諸 国 に お い ては,私 有 制 を基 本 とす る土 地所 有制 度 は,18世 紀 後 半 期 頃 よ り,次 第 に そ の欠 陥 が 露 呈 せ しめ られ,と くに19世 紀 後半 期 以 降,こ れ を め ぐる論 議 が展 開 され,幾 多 の改 革 論 が 提 起 され て い た。 一 方 わが 国 に お い て も,明 治後 期 よ り土 地 問 題 が 重 要 な 社 会 経 済 問題 と して意 識 され,多 くの 改 革論 が 唱導 され る に至 って い る。 土地 所 有 権 の歴 史 をふ り返 る と,大 別 す れ ば,ロ ー マ法 型 と ゲ ル マ ン法 型 と の2型 が存 した も の と考 え られ る。 前 者 は 絶 対 的,排 他的 な土 地 所 有 権 の 原 型 を なす もの で あ り,土 地 の 取 引 の 自由 を 基 本 と し,と くに17世 紀 か ら18世 紀 に か け て の 「自然法 思想 」 の全 盛 時 代 に,各 国土 地 法 制 に 大 きな 影 響 を 及 ぼ す に 至 っ て い る。 これ に対 し後 者 は ロー マ 法 型 の よ うに 絶 対 的,排 他 的 な 性 格 を もたず,共 同 体 的 土 地 保 有 権 と して の特 色 を もち,土 地 を取 引 の対 象 と して こり よ り も,利 用 の 対 象 と し て 重 視 す る も の で あ っ た 。篠 塚 氏 に よれ ば,「 ヨ ー ロ ッ パ で は,18世 紀 か ら19世 紀 の 末 に か け て は 「ロ ー マ 法 型 」 で あ っ た が,19世 紀 の 末 か ら20世 紀 に か け て は 「ゲ ル マ ン 法 型 ⊥ に 変 っ て い る 。 日本 で は,市 民 社 会 ρ 形 成 が お くれ た た め,今 日 ま で 「ロ ー マ 法 型 」 炉 中 心 で あ っ た 。 と く に, 日本 の 民 法 典 は,ロ ー マ 法 を 集 約 し た ドイ ツ 民 法 第 一 草 案 を 翻 訳 し た も の で あ る だけ に,ロ ー マ法 そ の もの で あ る.ともい われ て い る。」 と 述 べ られ て い る。 柳 田 の 『農 政 学 』 に お い て も,上 述 の問 題 に 関 し,以 下 の よ うな 記述 が み られ る。 「殊 に15,6世 紀 以 来羅 馬法 研 究 の風 が 欧 羅 巴 に 行 わ れ て よ りは,各 国 の法 制 は 漸 次 に 此 法 の 主 義 を継 承 し,19世 紀 に 入 りて は 世 界 開 明 国 の大 多 数 は完 全 に 私 有 財 産 制,自 由契 約 制 を採 用 し,同 じ世 紀 の 終 に 近づ きて は,従 来 隔 絶 し た りし極 東 の 日本 国 す ら,遅 蒔 乍 ら此 系 統 の 中 に 加 入せ り,」 と し,さ らに 「若 有 地 論 以 下第9章 まで が,土 地 問 題 に 関す る記 述 に あ て られ,柳 田 の土 地 政 策論 に も 少 なか らざ る影 響 を 与 え て い る もの と考え られ る。 しか し土 地所 有 制 度 と分 配問 題 と の関 連 につ いて は,後 述 の よ うな イ ギ リス経 済学 の影 響 が 多大 で あ った と考 え られ る。 (1)篠 塚 昭 次 『土 地 所 有 権 と現 代一 歴 史か らの 展 望一 』22∼42頁 参 照 。 (2>篠 塚 昭次 ・前 掲 書,24頁 。
し私 有 制 度 が絶 対 に人 類 の正 義 に 合 した るに 由 りて 成 立す る もの な りとせ ぼ, 之 を措 きて 他 に変 更 を求 む べ き余 地 に 乏 し く,所 謂 私有 制 の保 護 は完 全 な るべ し と錐,既 に 国 の法 律 に 基 きて 始 め て 存 す る もの な りとせ ぽ,法 律 は 時 勢 と 国 情 とに 中 りて成 りた る も のに して,国 家権 力 の存 続 す る限 は立 法 は二 者 の 変 遷 と相 伴 ふべ きも の なれ ば,現 今 の 私 有 制 度 は 少 くと も常 在 不 変 の もの には 非 ざ (4) 1 る こ とを知 るべ し,」 と述 べ られ て い る。 19世 紀 後期 の‡ 地 制 度 改 革 論 の な か で,世 界 的 に大 きな影 響 を与 えた の は, う ン リー ・ジ ョー ジ の所 説 で あ った。 周知 の よ うに彼 の代 表 的 業 績 は,1879年 に公 刊 され たProgress and Povertyで あ った。 彼 は 同書 の序 論 に おい て,物 質 的 進 歩 が何 故 に貧 困 を伴 な うか を 問 題 と して 提 起 し,さ らに本 論 に おい て, 社 会 問題 発 生 の根 源 は,何 よ りも分 配 の不 平等 に あ る こ とを主 張 し,従 来 の分 配 法則 に批 判 を加 え,進 んで 自か らの 地 代,利 子,賃 銀 論 を展 開 してい る。 地 代 論 に お い て,彼 は リカ ー ド地 代 論 の 正 当 性 を主 張 し,「 地 代 は,労 働 と資 本 の 等量 の投 下 に よっ て現 に使 用 中 の 生 産 力 最 劣 等 な土 地 か ら獲 得 し得 る生 産 物 に対 し,そ の土 地 の 生 産 物 が 超過 す る部 分 に よ って決 定 され る」 と規 定 して い る。 そ して この 地 代 法 則 か ら 演 繹 して,生 産 物 一地 代 一賃銀+利 子 な る 式 を 得 て い る。 彼 に よれ ぽ,'「 賃 銀 と利 子 は,労 働 と資 本 の生 産 物 に よっ て き ま9る の で な く,地 代 を取 り去 った あ とに 残 る もの,す な わ ち労 働 と資 本 が 地 代 を 支 払 わず に得 られ るべ き生 産 物 一 す な わ ち 使用 中 の 最劣 等 地 か らの生 産 物 一 に よっ て定 ま る。 した が って,生 産 力 が どん な に増 進 し て も,地 代 が そ れ と共 ゆ に増 加 す る な らば,賃 銀 も利 子 も増 加 す る こ とは で きな∼・」 と述 べ て い る。 彼 o に お い て は,地 代 は 人 口の増 加 や 生 産 技 術 の進 歩 に よ り,富 の益 々大 き な部 分 くの を 占 め て い く の で あ り,か くて 彼 は,.「 富 増 大 の 唯 中 に お け る 貧 困 の 存 続 」 の (3) 『定 本 』 第28巻,220頁 。 (4)・ 『定 本 』 第28巻,223頁 。 (5)1ヘ ン リー 。ジ ョ ー ジ(長 洲 一 二 訳)『 進 歩 と 貧 困(上)』,202頁 。 (6)ヘ ン リー ・ジ ョ ー ジ,前 掲 書,207頁 。 (7)(a)ヘ ン リー ・ジ ョ ー ジ,前 掲 書,327頁 。
柳 田国男の社会経済思想 5 最大 の理 由 を,地 代 私 有 に 基 づ い て 生ず る富 の不 公 平 な分 配 に 求 め ざ るを え な か っ た の であ る。 これ に つ い て 彼 は 次 の よ うに も述 べ てい る。 「生産 力 が増 進 した にか か わ らず,な ぜ 賃 銀 が,単 に 口 に糊 す る程 度 の 最 少 限 まで,た えず 下 って ゆ く傾 向 を もつ の か。 そ の理 由 は,生 産 力 の 増 進 に 伴 な い,地 代 はそ れ 以 上 に 増 大 す る傾 向 を もち,か くてた えず 賃 銀 を切 り下 げ る傾 向 を 生み 出す,と い うこ とで あ る」 と。 彼 は地 代 に 関す る以上 の よ うな所 見 を 背 景 に,地 代増 加 に よる利 益 を租 税 と して 没収 すべ きこ とを主 張 す る。 す な わ ち 彼 は 「土 地 私 有 を社 会 的 弊 害 の 根 源 と し,こ の根 源 を除 去 す るに は,土 地 私有 を有 名 無実 にす るた め 全 地 代 を 地 租 に よ って収 め,労 働 と資 本 とへ の 課 税 とな る他 の あ らゆ る租 税 を 撤 廃 せ よ と地 租 単 税 論 を主 張 した 」 の で あ る。 彼 は,か よ うな施 策 の 採 用 に よ り,苦 痛 や 堕 落 あ る い は荒 廃 を 伴 な う富 の 不 平 等 を も た らす,最 大 の原 因 を一 掃 せ しめ う る ゆ もの と考 えて い た の で あ る。 従 って ジ ョー ジ の主 張 は,土 地 の 公 有化 を企 図 し す る もので は な く,ま た 土地 の 価 格 そ の も の の増 価 分 を 徴 収 し よ うとす る もの で も なか った。 す な わ ち 柳 田 も指 摘 す る よ うに,「 厳 格 な る意 義 に於 け る土 地 公 有 論 」 で は な か った の で あ る。 ジ ョー ジの学 説 な い し思 想 は,日 本 に お い て も明 治20年 代 よ り紹 介 され,大 きな 影 響 を与 え て い る。 す な わ ち 『国民 之 友 』,『東 京 経 済 雑 誌 』 な どが,20 年 代 前 期 に彼 の 所 説 を 紹 介 し,明 治24年 に は 城 泉 太郎 編述 『賦 税 全 廃 済 世 危 言』 が,『 進 歩 と貧 困 』 の 紹介 を行 な ってい る。 また 明 治20年 以 降,田 口卯吉, 福 沢諭 吉,天 野 為 之,安 部 磯 雄,幸 徳 秋 水,西 川光 次郎,宮 崎 民 蔵 らが 著 書, ㈹「 論 文 で 種 々 の 角 度 か ら,ジ ョ ー ジ に 触 れ て い る。 と くに 注 目す べ き 人 物 は,チ ャ ー ル ズ ・E・ ガ ル ス トで あ っ た 。 彼 は 明 治16年 外 国 基 督 教 伝 道 会 社 の 派 遣 員 と し て 来 日,秋 田,鶴 岡 な ど で 伝 道 に 従 事 し,明 治24年 一 た ん 帰 国 し た が, ・ (9)山 嵜 義 三 郎 『ヘ ン リー ・ジ ョー ジ の 土 地 制 度 改 革 論 』8頁 。
(1① Henry George, Progress and Poverty(Everyman's Library),1911, P.261. (10 『定 本 』 第28巻,229頁 。
同26年 再 度 来 日,東 京 に あ っ て 伝 道 の か た わ ら,自 か ら単 税 太 郎 と称 し,ジ ョ 一 ジ の単 税 主 義 を 熱 心 に 唱導 した。 彼 の活 躍 は,明 治31年 死去 す る まで の数 力 年 に 過 ぎ なか った が,そ の 間,城 泉 太 郎,根 本 正 らを 協 力 老 と して,単 説 諭 紹 介 の論 稿 を各 誌 に 寄 稿 し,単 税 研 究 会 を開 い て同 志 を 糾 合 す るな ど,積 極 的 な 活 動 を行 な っ てい る6ま た 彼 の経 済論 は,彼 の没 後,小 川 金 治 が 編 纂 し,明 治 32年,r単 税 経 済 学 』 と題 し て 出 版 さ れ て い る 。 3 柳 田に お け る土 地 制 度 改革 論 前 述 の よ うに,わ が 国 に お い て も,明 治20年 代 頃 よ り土 地 問 題 が重 大 な社 会 経 済 問 題 と して提 起 され,土 地 制 度 改 革 論 が 様 々な 視 点 か ら主 張 され る こ と と な った 。 い うまで もな く,地 主 的 土 地 所 有 の 確 立 と,そ れ に伴 な う地 主 ・小 作 問 題 の深 刻 化 が,そ の 契 機 を なす もの で あ り,柳 田の 土 地 問題 へ の 関 心 も また か よ うな 背 景 や 時 代 思 潮 に 根 ざす もの で あ った とい え よ う。 柳 田に よれ ぽ,わ が 国 に お い て は,明 治 維 新 期 に 至 る まで は, 「土地 ・・必 ス この 之 ヲ利 用 スル者 力其利 用 ノ間 ノ ミ所 有 ス ル コ トヲ得 ル ヲ原 則 」 と して き た が, 維 新 後 に お け る地 租 改 正 お よび ロー マ法 の 間 接 的 な影 響 の も とに,土 地 所 有 権 に つ い て も 自由処 分 の 原則 か承 認 され る こ と とな り,「 其 自然 ノ結 果 トシテ所 謂 身 分 違 ノ地 主 トイ フ 階 級 ヲ生 ス ル ニ 至 リ タ リ」 と 述 べ ら れ て い る。 彼 に よれ ば,上 述 の よ う な 変 遷 は,「 形 式 コ ソ異 ナ レ 欧 洲 何 レ ノ 国 二於 テ モ 最 近 二 三 百 くヨラ 年 ノ 間 二於 テ 皆 之 ヲ経 歴 」 せ る と こ ろ で あ り,し か も各 国 の 間 に ほ ぼ 共 通 に み られ る原 因 が 存 し た も の と し て い る 。 す な わ ち 「一 二 ハ 人 口 ノ繁 殖,ニ ニ ハ 土 くり 地 利 用方 法 ノ増 加,三 ニ ハ其 ノ増 進 的 趨 勢 ノ予 想」 な どの原 因 に よ り 「次 第 二 人 ヲ シテ土 地 私 有 制 度 ヲ一 般 二承 認 セ シ ムル ニ至 ラ シ メ」 る こ と とな った の で あ る。 土 地 私 有 制 度 は 封 建 社 会 か ら資 本主 義 社 会 へ の移 行 期 に おい て,制 度 化 ⑬ チ ャ ー ル ズ1・E・ ガ ル ス トの 略 伝 に つ い て は,山 寄 義 三 郎 ・前 掲 書,191頁 お よ び 工 藤 英 一 「明 治 中 期 に お け る 土 地 問 題 と キ リス ト教 」(『 基 督 教 文 化 』 昭 和26年4月 号 所 収)を 参 照 し た 。 (1)(2) 『定 本 』 第28巻,350頁 。 (3)(4)(5) 『定 本 』 第28巻,351頁 。 欄 4 (
柳 田国男の社:会経済思想 7 され,承 認 され て きた も ので あ り,そ の 意 味 に お い て,こ の制 度 も また 歴 史 的 ・発 展 の所 産 で あ った と いえ よ う。 しか し前述 の よ うに,土 地 私 有 制 度 の 欠 陥 が 露呈 され る に お よび,新 た に 土 地 社 会主 義 に み られ る よ うな,制 度 改 革 の 要 求 が 台頭 せ しめ られ る こ と とな った の で あ る。 わ れ わ れ は 先 ず,農 政 学 徒 と して の柳 田 の,Pt<政 学 』, r農 業政 策 学 』 な ど, 初 期 の著 作 の うち に 彼 の 土 地 制 度 改 革論 の大 要 をみ て お きた い と思 う。 後 述 の よ うに柳 田 は,土 地 公 有 論 に対 し批 判 的 な見 解 を とっ てい るの で あ るが,し か し彼 は 当時 の 官 僚,識 者 ら と こ とな り,き わ め て柔 軟 な 考 え方 を 有 して い た。 例 えば 彼 は 『農 政学 』に おい て,「 近 世 の社 会 主 義 の論 文 は 土 地 公 有 論 の 如 き真 説 の 当不 当可 否 は 別 問 題 と して,假 令全 然 私 有 財 産 を 消 滅 せ しむ べ し とい ふ も の あ りと も,必 ず し も一 部 の学 者 が 驚駭 す るが 如 き無 謀 の 破 壊 論 な りと速 断 す る こ と能 は ざ るな り」 と述 べ て い る。 わ が 国 に お い て も,す で に 明 治19年 に, 大 井 憲 太 郎 が 『時 事要 論』 に お い て 「土 地 平 分 法 」 を 提 唱 し,20年 代 末 に は宮 崎 民 蔵 に よ る 「土 地 均 享 論 」 が,さ らに30年 代 は じめ に は,西 川 光二 郎 らに よ り土 地 国 有論 が提 唱 され て いた 。 私 的 土 地所 有 の 弊 害 を強 く意 識 してい た 柳 田 に と って は,上 述 の よ うな土 地 改 革 論,国 有 論 の 展 開 も また,一 面 に お い て 当 然 の 推移 と考 え られ て いた の で あ る。 た だ柳 田 に お い ては,わ が 国農 村 に お け る,長 期 に わ た る,村 に よる土 地 の 共 同利 用,す な わ ち現 実 に お け る土 地 公 有 と い う歴 史 的事 実 を 背 景 に,歴 史 的 慣 行 との連 続性 とい う観 点 か ら,土 地 公 有 に エの 深 い 関心 が 寄 せ られ て い た もの とい い うる。 (6) 『定本 』 第28巻,223頁 。 (7)中 村哲 氏 は この 点 につ い て 以 下 の よ うに 述 べ られ て い る。 「柳 田の 農政 学 には,後 期 の 日本 民 俗 学 の 思想 が す で に,部 分 的 に顔 を のぞ け て い るが,な ん とい っ て も,こ の学 問の 体 系 は 基 本的 に は 西 欧的 な もの で あ っ て,初 期 の西 欧 文 化 の 時代 が 示 す よ う に,海 外 の 学 問 を 紹 介す る 性 質 の仕 事 で あ っ た。 そ のた め に,後 年 の も のに 比 べ る と,柳 田 と して は意 外 に 思 うほ ど改 革 的 とい って い い 土地 公 有 論 を 承 認す る記 述 な ど が み られ る。 これ は 日本 の い た る と こ ろに入 会 地 が あ り,い わ ゆ る原 始共 産 態 の残 存 して い る実情 か らい って,そ の よ うな事 実 を 承 認 す るのは 当 然 で あ るが,将 来 に 向か っ てそ れ を述 べ て い る といふ 点 で は注 目され る ものが あ る。」 と。 中 村 哲 『新 版 柳 田 国 男 の思 想』182頁 。
柳 田 はr農 業 政 策 学 』 に お い て,土 地 私 有 制 の 弊害 につ い て以 下 の よ うに 述 べ て い る。 「近 世 土 地 ノ自 由処 分 力 完 全 二認 メ ラ レタ ル ヨ リ売 買 譲 渡 其 他 土 地 、 移転 ノ件 数 ノ非 常 二増 加 シ タル コ トハ 事 実 ナ リ土地 ノ価 格 ハ之 ヲ 自然 二放 任 ス ル モ 人 口 ノ増 殖 ト土 地 利 用 方 法 ノ増 加 トノ為 二次第 二 昇進 スヘ キ偏 向 ア リ現 今 ノ土 地 ヲ買 フ者 ニ八 二 ノ種 類 ア リ即 チ 其 一 自己 ノ耕 作 利 用 二供 スル 為 二土 地 ヲ買 フ者 ニ シ テ其 二 八 当 初 ヨ リ之 ヲ他 人 二転 売 ス ル ヲ 目的 トシ テ土 地 ヲ買 フ者 ナ リ後 者 ハ全 ク近 年 ノ現 象 ニ シテ其 大 部 分 ハ之 ヲ土 地 投 機 業 者 ト称 悉 ヘ キ モ ノ ナ リ土 地 力合 理 的 二次 第 モ真 価 ヲ高 ム ル コ ト・・是 レ固 ヨ リ止 ム ヲ得 サ ル 事 実 ナ リ ト錐 投 機 業 者 流 二在 リテ ・・或 ・・術 数 二 因 リテ一 層 其 昂 騰 ノ勢 ヲ促 進 ス是 レ頗 注 意 スヘ キ点 ナ リ トス」 と。 維 新 後 に 確 立 され た 「近 代 的 土 地所 有制 度 」 の も とに,土 地 が売 買 の対 象 とされ,土 地 の投 機 あ るい は 地 価 の騰 貴 を まね く要 因 とな って い る こ とが 批 判 され て い る の で あ る。 さ らに 「土 地 が 徐 々に して直 接 くの の 使 用 者 以 外 の 者 の所 有 に属 す とい うこ と」 は,「 同一 地 積 の生 産 に よ りて,地 ゆ 主 と小 作 人 と二 戸 の 家族 の生 計 を 支 へ しむ る」 こ と とな り,「 国 民労 力 の配 賦 の 点 よ りい ふ も,職 業 の独 立 を 計 る とい う点 よ り して も,共 に面 白か らざ る現 ゆ 象 」 で あ る と され,「 日本 の 農 業 に は 殊 に 小 作 増加 の兆 あ り,資 本 の貸 借 に 於 て も其 結果 坐 食 の人 民を 生 ず とい ふ 批 難 を 免 か る能 はず 」 と述 べ られ てい る。 か よ うな理 由に よ り,「 耕 地 の所 有 権 は 成 るべ く農 業 者 の手 に属 せ しむ る の計 ロ を 立つ 」 べ き こ と の必 要 が 主 張 さ池 て い るの で あ る。 土 地 の 所 有 は 同 時 に 社 会 的 義 務 を伴 な うべ き もの で あ り,そ れ は社 会 のた め に有 用 な 土 地 の利 用 に お い て のみ 果 た され うるの で あ る。 土 地 制 度 の改 革 は こ の意 味 に お い て肯定 さ るべ き動 向 で あ った 。 しか し柳 田 は,土 地 公有 論 の主 張 に対 して も大 きな 疑 問 を よ せ てい た の であ る。 す な わ ち 柳 田 は,土 地 公有 論 につ い て次 の よ うに 述 べ て い る。 「され ば 若 し 土 地 公 有 論 に対 し公 平 な る批 評 家 を以 て 自 ら居 らん とせ ば,第 一 に現 行 の私 有 財 産 制 の下 に於 て は,分 配 の改 良 を為 し個 人 を して 地 力 を 完全 に 利用 せ しむ る (8) 『定 本 』 第28巻,351-352頁 。 , (9)(1①(11)(12)03) 『定 本 』 第28巻,232∼233頁 。
柳 田国男の社会経済思想 9 と同時 に,兼 て其 利 益 を 多 数 者 に 及 ぼ し得 るの途 な きや 否 や を 検 し,第 二 に は 土 地 公 有 論 を実 施 す る と きは 果 して予 期 の如 く善 美 な る分 配 状 態 を 将 来 す る こ とを得 べ きや 否 や を 問 ひ,第 三 に は仮 に公 有 制 度 の功 績 は 興 りた りとす る も, 之 と同 時 に 国 富 力 の 忍 ぶ べか らざ る減 退 を 致 す こ と無 きや 否 や を 考 へ ざ るべ か ゆ らず 」 と。 r農 政学 』 に お い て柳 田 は,前 述 の よ うな 観 点 か ら土 地 公有 論 の提 お 案 は,「 未 だ其 の 実 行 を 強請 す る の資 格 無 し と言 わ ざや べ か らず」 と述 べ て い の で あ る。 柳 田 に よれ ば,土 地 公 有 論 の代 表 的 見 解 と 目 され るヘ ン リー ・ジ ョ 一 ジお よびA・R・ ウ ォ レス らの所 見 に つ い て 以 下 の よ うに批 判 され て い る。 「ヘ ソ リイ,ジ ヨオ ジの説 は 其 目的 に 由 りて 観 れ ば 一 種 の税 法 改正 案 に し て, 厳 格 な る意 義 に於 け る土 地 公 有 論 に は 非 ず,何 とな らば所 有権 の特 色た る処 分 の 自由 及 永久 の 占有 は終 に之 を 個 人 よ り取 去 る ζ と無 け れ ば な り… …要 す る に 此 説 は所 謂 土 地 の 不 当 増益(Unearned Increment)を して 成 るべ く個 人 の壟 断 す る所 と な らしめ ざ る為 に,累 進 遺 産税,累 進地 租又 は 所 謂 増 価 税(Bette-rment Tax)を 徴 収 す べ し といふ 説 に対 し有 力 な る応 援 を 与 ふ る に止 り,最 初 英 名 の告 ぐるが 如 き土 地 私 有 制Q存 在 に 反対 す る もの に は非 ざ る な り」 と され て い る。 さ らに ウオ レスの 所 説 に 関 して も 「ウナ レエ ス の賠 償 説 が 国 家 の財 政 に 大 な る損 失 を与 へ,到 底 一 方 に 生 ず る利益 を 以 て之 を補 ふに 足 らざ るべ き こ とは暫 く措 て之 を論 ぜ ず,仮 に 二 者 を 合 せ論 ぜ ん に,若 し全 函 の土 地 を 以 て国 有 又 は地 方 団体 の所 有 と為 さん に,如 何 に 之 を経 営 して地 力 の利 用 を 全 か らし む べ きか,今 若 し之 を各 人 民 に 分 割 附 与 して 無期 限 に使 用 せ しむ る;と 恰 も我 が 徳 川 時代 以 南 の 田制 の 如 くな ら しめ ば,殆 ど制 限 あ る私 有 財 産 制 と択 ぶ所 あ らざ る を以 て,勢 之 を 以 て 有 期 の 小 作 に附 す るか,然 らざれ ば 極 端 な る社 会 主 義 に於 て説 くが 如 く,土 地 を 以 て一 体 の公 生 産 湯 と為 し,公 吏 を 置 きて 之 を経 ㈹ 『定 本 』 第28巻,229頁 。 a5) 『定 本 』 第28巻,231頁 。
⑯ A・R・ ウ ォ レ ス の 代 表 的 著 作 と し て は,A. R. Wallace, Landnationalisation, its necessity and its aims,1882,.が あ る 。 本 書 に お い て ウ オ レ ス は,土 地 私 有 制 に 基 づ く地 主 制 の 弊 害 を 指 摘 し,そ の 改 善 策 と し て,土 地 の 国 有 化 を 主 張 し て い る 。 αの 『定 本 』 第28巻,229頁 。 .
営 せ し め,人 民 の 雇 傭 的 労働 を以 て其 生 産 に 従 事 せ ざ るべ か らず,公 生 産 湯 は 比 較 的 狭 き場所 に集 合 し綿 密 な る規 律 の下 に生 産 を 為す べ き製 造 業 に於 て も, 既 に 到 底 良 結果 を見 る こ と能 は ざ りしな り,況 や地 域 の 広汎 に し て分 裂 の已 む 能 は ざ る農 業 に 於 て を や 」 と批 判 され て い る。 柳 田 に よれ ば,ヨ ー ロ ッパ の公 有 論 者 が あげ る 「独 乙 国 有 地 の 小 作 農 が 近 年 満 足 な る成 績 を 挙 げ 得 た りし実 例 」 も,「 現 今 独 逸 の 国有 地(Dom琶nen)は 其 地 積 狭 きを 以 で 政 府 は之 に 対 し て は常 に綿 密 な る注 意 を 払 ふ べ く,且 つ適 当 な る小 作人 を撰 択 す る の方 法 は 具 はれ り,而 して 其 小 作 人 は 概 して 豊 富 な る資 本 を備 へ,生 産 の経 営 に 適 せ る学 の 識 経 験 を有 す る のみ な らず,其 者 農 場 の借 用 面 積 も亦 大 な り」 とされ うる よ う な要 件 が 具 備 され え て,は じめ て 可 能 と され うるの で あ り,か よ うな条 件 を具 備 せ ざ る場 合 に は,国 を地 主 とす る零 細 に して 生 産{隼に 乏 しい 小 作農 を族 生 せ しめ るの み で 「農技 術 の進 歩 に対 す る大 な る刺 激 物 も消 滅 し去 り,土 地 の総 収 の 益 純 収 益 は 共 に 旧 の 如 く大 な る」 能 は ざ る結 果 を招 来 す る可 能 性 の 強 い こ とを 指 摘 して い る。 柳 田 に と って は,「 土 地 の如 き も之 を 公 有 と し希 望 者 の 全 部 を 満 足 せ しあ ん とす れ ば,殆 ど其 効 用 を 無 こ帰 す る迄 之 を 細 分 せ ざ るべ か らず 」 と され,「 均 等 な る分 配 」 が 「幸 福 な る分 配 」 につ なが り難 い こ とが 批 判 され てい る。 そ れ ゆ えに 以 下 の よ うな 結 論 に到 達せ しめ られ る の で あ る。 「一 国 富 源 の利 用 を 完 か ら しむ る為 に は,農 業 を以 て鞏 固 に し て且 つ 快 活 な る一 職 業 た らしむ る の必 要 あ り,此 手 段 と して 予 は寧 或 制 限 の下 に現 在 の私 有 制 を保 存 し 利 用 す る こ との適 当 な る こ とを 信 ず るな り,蓋 し所 有権 を 以 て絶 対 に し て且 つ 神聖 な りとす る思 想 は既 に過 去 に 属 せ り,一 国 の 政 策 は 之 を論 議 す る の資 格 無 し とい ふ こ との誤 な る こ とは最 早 之 を信 ぜ ざ る もの 無 し,私 有 制 を維 持 す る の 力 あ る 国 の立 法 権 は,又 之 に対 して必 要 な る制 限 を加 え るの 力 あ り,而 して 農ロ 用 土 地 に 対 す る其 制 限 の程 度範 囲如 何 は我 等 の学 問 が 研 究 せ ん とす る所 な り」 と。 カ ー ル ・デ ィ 三 ル(Karl Diehl)は,近 代 の 土 地 制 度 改 革 論 者 を 類 型 化 し, ⑱ ㈲ ⑳ ⑳ 『定 本 』 第28巻,23〔 ト'231頁 。 ㈱ ㈱ 『定 本 』 第28巻,233∼234頁 。 」
柳田国男の社会経済思想 11 以 下 の3つ の型 に分 類 し てい る。 す な わ ち 第1は 社 会主 義 的土 地 制 度 改 革 論 者 で あ り,第2は 農 業 社 会 主 義 的 土 地 制 度 改 革 論者 で あ 外 第3は 本 来 の 土 地 制 度 改革 論者 もし くは狭 義 の土 地 制 度 改 革 論 者 で あ る。 柳 田 の場 合 は原 則 的 に は 土 地私 有 制 を存 続 し,そ れ に 伴 な う弊 害 を是 正 し よ うとす る立 場 で あ り,上 記 分 類 中,第3の タ イ プに属 す る も ので あ った 。 柳 田 に おけ る 当面 の課 題 は,小 作 制 度 の 改善 に おか れ て いた 。 彼 は 『農 業 政 策 』 に おい て 小 作 制 度 の不 利 に つ い て論 じ,そ の改 善 策 と して,小 作権 の擁 護 を あ げ てい る。 柳 田 に よれ ば,わ が 国 に お い て古 くか ら存 続 せ しめ られ て きた 「長 キ 借 地 又 ハ 永 小 作 権 ノ制 度 」 の ご と き,そ の 目的 に か な うもの で あ り,ま た 「貸 主 ノ通 告権 ヲ制 限 シ又 ・・借 主 力投 下 シ タル 各種 ノ改 良 資本 二対 ス ル評 価 方 法 ニ シテ 完 備 ス ル ナ ラバ 小 作 人 ハ 安 心 シテ 其 技 術 ヲ施 ス コ ト自己 ノ所 有 地 二 対 ス ル ト略 々 同様 ナ ル ヘキ 時 代 二到 達 スル コ トモ 困難 ナ ラス」 とされ て い る。 柳 田 に よる改 革 案 と し て重 要 な意 義 を 有 す る もの は,『 時 代 ト農 政 』 に 収 め られ た 「小 作 料 米 納 の 慣 行 」 で あ った。 明治40年 当時,田 地 に お い て は1小 作 料 米 納 の慣 行 が 全 国 的 に存 在 して い たが,彼 に よれ ば 小 作 料 が 金 銭 で あ るの と 穀 物 で あ るの とは 結 果 に お い て大 な る相 違 が あ り,「 一 国 経 済 界 の 分配 の趨 勢 の 岐 るNと ころ」 とされ る重 要 問 題 であ った が,現 実 に は農 界 の一 問 題 とす ら も見 られ て い な い状 態 であ った 。 本 論 で示 され た 柳 田 の小 作料 金 納 論 は,そ の 意 味 で 時 代 に先 駆 す る寄 生 地 主 制 へ の 現 実 的 か つ痛 烈 な批 判 で あ った とい い う るの で あ る。 彼 は 物 納 小 作 慣 行 の 弊 害 を 以下 の よ うに 指 摘 して い る。 第 一 に, か つ て地 主 は 小 作 と共 同 の 危 険 負担 に お い て農 業 生 産 に 従 事 して い た 。 この場 合 に は物 納 制 度 は そ れ な りの意 味 を有 す る も ので あ った が,地 主 は現 在 田地 所 在 の 村 落 を去 り,あ る いは 政 治 家 とな り,あ るい は米 穀 販 売 商 人 と化 して い る。 彼 等 は 米穀 の販 路 を開 拓 す る手 段 の 巧 妙 な る点 に お い て,小 さ き農 業 者 な どの
M Karl Diehl, Ober Sozialismus, Kommunismus and Anarchismus,4, Aufl.,1922,
SS.56'一76. .,
㈲ ⑳ 『定 本 』 第28巻,488∼489頁 。 27) 『定 本 』 第16巻, 145頁 。
は るか に 及 ば ぬ存 在 とな って い る。 か よ うな 現 状 に お け る小作 料 物 納 制 度 の存 続 は,そ の 結果 と して,農 村 経 済 と くに そ の 金 融 面 に 著 しい 波 動 を 与 え る に過 ぎな い 。 第 二 に,小 作 あ るい は 自作 農 層 は,元 来 固 定 資 本 が 僅 少 で,融 通 の資 本 も甚 だ 乏 しい のに,1主 た る生 産物 の過 半 を現 物 の ま まで 処 分 して し ま う と, 市 場 に 対 す る売 主 と して の 勢 力 が,全 力 を尽 し て もす でに 小 さい 者 が,い よい よ小 さ な売 主 とな って,つ ね に 他 動 的 な 市 価 に よ って 支 配 され る 結 果 を もた ち す 。 第 三 に,小 作 料 米 納 慣 行 は,.政 府 の産 米 改 良政 策 と相 容 れ ざ る もの で あ る。 す な わ ち販 売 過 程 が 地 主 に 掌 握 され て い るた め,改 良 の結 果 が 小 作 農 の利 益 に か か わ りな い とす れ ば,地 主 へ の 納 入米 は 粗 悪 な 米 で す まそ うとす るか 、ら,産 米 改 良 の実 を あ げ るこ とが で き ない 。 物 納 小 作 慣 行 下 に お け る以 上 の よ うな弊 害 に 対 し,金 納 制 へ の移 行 は,こ れ まで 農 産 物 価 格 の騰 貴 とい った, .世の中の発達 の好影響を享受 し得なか った小 作 農 に 対 し,そ の 利 益 を 直接 彼等 に帰 せ しめ る こ とに な り,生 産 意 欲 を 向 上せ し め る原 因 にな る し,ま た 農 法 の 改 良 に よ り土 地 の利 益 を増 大 せ しめ る効 果 が 期 待 で き る とし てい る。 前 述 の よ うに,柳 田に と っ ては,土 地 の所 有 は 同 時 に社 会 的 義 務 を 伴 な うべ き もの と され て いた 。 土 地 の 財 産 化 の ご と き,こ の 意 味 に お い て厳 し く批 判 さ れ や ば な らなか った の で あ る。 しか し柳 田は 一 方 に お い て,と くに わが 国 の よ うに 土 地 面 積 の 稀 少 性 の著 しい 国家 に おい ては,土 地 の 利用 形態 に,あ る い は 農 業 経 営 方 式 に 至 大 の 関 心 が寄 せ られ ね ば な らぬ こ とが 意 識 され て い た。 柳 田 は と くに 生 産 政 策 の 観 点 か ら 自作 農形 態 に 利 点 を認 めて い た の で あ るが,こ の 場 合 彼 が 重 視 した の は,農 業 生 産 力 の拡 大 に資 し うる中 農 の育 成 とい う問 題 で あ った 。 す なわ ち 彼 に 土 地 の 効 率 的 利 用 とい う観 点 か ら経 営 主 体 と して,中 農 層 の拡 充 が必 要 で あ る こ とを 主 張 した の で あ る。 柳 田 に よれ ば,「 我 国農 地 の 面 積 の狭 少 に し て農 戸 の数 の 甚 多 き こ とは,一 朝 一 夕 の現 象 には 非 ず,殊 に 近 来 地 方 の生 活 程 度 は増 進 せ るに も拘 らず,田 畑 は 更 に増 さず し て農 家 は 稻 数 を ⑬ 『定 本 』 第16巻,145∼159頁 参 照 。
柳 田国男の社会経済思想 13 加 えた り,大 地 主 は全 く 自作 を罷 め て貸 地 を事 と し,小 作 農 は増 加 の傾 向 あ り, 小 農 ほ 愈 小 とな り少 し く有 りし 中農 は全 く無 くな りぬ。 … …全 国 を挙 げ て過 小 の 農 場 を 以 て充 満 し,稽 豊 な る資 力 の新 農 法 を 適用 す るに足 るも のあ り,且 つ 改 良 の 効果 の発 現 に 因 りて次 第 に 企 業 の熱 心 を 誘発 し,同 時 に一 般 の 為 に 先 駆 模 範 とな るべ き 中以 上 の農 場 の,全 然 欠 如 せ る我 邦 の現 状 の 如 きは,決 して 之 . コ を 等 閑 に附 し去 る こ と能 はず 」 と し,さ らに彼 は 「臼木 未 来 の 農 業 に対 す る予 が 理 想 は 今 少 し大 胆 な る もの な り予 は我 国農 戸 の全 部 を して 少 くと も二 町 歩 以 上 の 田 畑 を持 た しめ た し と考 ふ 」 とも述 べ てい る。 彼 は か よ うな理 想 実 現 のた め に 「中 農 養成 策」 に お い て,土 地 の分 合 交 換 の 活 発化,土 地 の分 割 自 由 の制 限,土 地 兼 併 の傾 向へ の注 意,模 範 農 場 の 設 立,地 方 工 業 の奨 励,産 業 組 合 制 度 の活 用 等 を主 張 した の で あ る。 4 大 正 期 に お け る土 地 問題 と柳 田国 男 前 述 の所 論 に うか が わ れ る よ うに,土 地 問 題 は す で に 明 治 期 よ り重 大 な社 会 経 済 問 題 とな って きた が,大 正 期 に入 り,土 地 所 有 制 度 を め ぐる 問題 は,'小 作 争 議 に 象 徴 され る よ うに,今 や 農 政 に お け る最 重 要 課題 と 目され る よ うに な っ た。 那 須 皓}さ, r農 村 問 題 と社 会 理 想 』 (大 正13年 刊)に お い て, 「我 国に 於 て も最 近十 年 前 迄 の農 村 問 題 は,単 な る農 家経 済 問題 と して論 ぜ られ た 。 而 し て論 議 の 中心 は農 生 産 の増 加 で あ り,農 業経 営 の 改善 であ り,又 農 産 物 価 格 の 調 節 で あ り,而 して 此 等 を 通 じて 農 家経 済 を裕 か にす る事 で あ った。 然 るに 今 日に於 ては 農 村 問 題 の 中 心 が 小 作 問 題 に移 っ たか の観 が あ る。 之 は 分 配 問題 で ω あ り,人 格 問 題 で あ り,又 社 会 的,経 済 的正 義 の問 題 で あ る」 と述 べ て い る。 周 知 の よ うに 大 正 初 年 以来,新 た な階 級 意 識 を 背 景 と した 小 作 農 層 を主 体 と した 解 放 運 動 が 台 頭 し,と くに大 正7年 の米 騒 動 を契 機 とす る革命 的気 運 の 高 揚 と と もに,小 作 運動 は全 国的 に激 化 せ レめ られ る こ と とな った。 当時 小 作 争 ⑳ ⑳ 『牢 本』 第31巻,411∼412頁 。・ ⑳ 藤 井 隆 至編 『柳 田国 男農 政 論 集』34∼51頁 参 照。 (1)那 須 皓 『農 村 問 題 と社会 理 想 』372∼373頁 。
議 の 解 決 策 と して は,土 地 国有 論,耕 作 権 の 確 立一 小 作料 金納化 論,小 作 料 軽 減 論,自 作 農 創定 論等,様 々 な方 策 が 論 議 され て い るが,政 府 が 最 終 的 に 採 択 した の は,自 作農 創設 維 持 政 策 であ り,大 正 末年 以 降 この施 策 の推 進 が はか ら れ て い る。 ' 自作 農 創 設策 持 政 策 は ,要 す うに 政 府 が 低 利 資 金 の 融通 に よ って小 作 農 に 土 地 購 入資 金 を 貸 与 し,彼 等 を して 自作 農 た らし め よ うとす る 政 策 に 外 な らな い。 自作 農 創設 維 持 政 策 は,端 緒 的 に は 大 正9年 か ら着 手 され,同11年 よ り簡 易 生 命 保 険 積 立 金 の貸 付 が,事 業 推 進 の た め に実 施 され て い るが,本 格 的 に 行 な われ る に至 った のは,大 正15年 以 降 の こ とで あ った 。 す なわ ち政 府 は 大 正15 年5月,自 作 農 創 設 維 持 補 助規 則 を公 布 し,同 年 以 降25年 を1期 と して,簡 易 生 命 保 険 積 立 金 等 の 資 金 を も って,低 利 長期 償還 の 方 法(貸 付 利 率年4分8 厘,1年 以 内 据 置,・24ケ年 元 利 均 等 償 還)に よ り,各 府 県 に融 通 し,府 県 は府 県 債 の 発 行 の形 態 で これ を貸 り受 け,自 作 農 地 の 購 入 また は維 持 を 行 な う者 に 対 し,こ れ を 貸付 け る こ と とした ので あ る。 また この 際借 受 者 の負 担 を軽 減 す るた め に,前 記 資 金 の利 息4分8厘 の うち1分3厘 を補 給 し,3分5厘 の 低 利 を も って 貸 付 け て い る。 前 述 の よ うな 自作 農 創 設 維 持 事 業 に対 して は,多 くの問 題 が 存 し,小 作 人 側 もか よ うな施 策 に さ した る期 待 を 抱 くもの で は な か っ た。 農 民 組 合 が 政 府 の施 策 は 対 し冷 淡 な 態 度 を と って い た の は,こ の事 業 も一 面 に お い て 地 主 の利 益 に つ なが る もの で あ る こ とを見 抜 い て いた た め であ った 。 当 時 普 通 田畑 売 買 価格 は,大 正8年 を頂 点 と して下 落 の傾 向 を示 し てい た 。 例 え ば 田1反 歩(全 国平 均)の,大 正2年 当時 の価 格 は301円 で あ っ たが,同8年 に706円 の 高値 を示 し た もの の,そ の後 下 落 の傾 向 を示 し,昭 和3年 に は538円 に低 下 して いた 。 小 作 農 が借 金 の 負担 とな る買 取 りよ りも,耕 作権 の強 化 を有 利 と判 断 す るの も 自 か らな るす う勢 で あ った 。 柳 田 に よれ ば, 「政 府 の 自作 農 創 定 案 に対 す る農 民組 合 の反 対 は 理 由が よ く (2)那 須 皓 ・前 掲 書,68頁 参 照 。
柳 田国男の社会経済思想 15 解 って居 る。 彼 等 は決 して小 作 人 の仲 間 が 減 少 して,団 体 の威 力 が衰 へ ん こ と を悲 しむ 為 に,此 案 の成 功 を 欲 せ ぬ の で あ る まい。 … … 国か ら私 人g私 経 済 を 援 助 して貰 ふ とい ふ こ とは 滅 多 に 無 い こ とで,小 作人 は 今 其 千 載 一 遇 の幸 福 を 見 舞 はれ ん と し て居 る。 そ れ を 邪 魔 す るの が 彼 等 の組 合 で あ る こ とは,一 見 如 何 に も不 条 理 で は あ るが,実 は この 利 益 の 帰す る所 が,別 に 彼 等 以 外 の 者 に 在 っ て,保 護 の 目的 も亦 そ こに 存 す るか とい ふ疑 念 が あ る為 に,少 な くと も暫 ら 〈形 勢 の推 移 を観 望 せ ん こ とを 律 す るの で あ る。」 と述 べ て られ て い る。 柳 田 は政 府 の推 進 す る 自作 農 創 設 維 持政 策 に つ い て,以 下 の点 に問 題 を 見 出 して いた 。 そ の一 つ は,こ の 施 策 が た とえ 円滑 に実 現 され た と し て も,所 詮 は 経 済 的 に 自立 不 可 能 な 過 小 農 を 作 り出 す に過 ぎ ぬ もの と考 え られ た か らで あ っ た。 柳 田 に よれ ば,「 農 民 の 独 立 を 期 す と 称 して,其 実 農 場 の 無 限 に 細 分 さ れ,徒 に所 謂 土 地 の足 枷 を 引 ず つて,町 と村 との 中 間 に さ ま よふ 者 を 多 か ら し くの む る様 で は,何 時 に な って も そ れ が 問 題 の解 決 に は な らぬ だ け で あ る。」 と述 べ て い る。 他 の一 つ は 耕 作 権 の 強 化 が,再 び土 地財 産 化 へ の途 を開 く可 能 性 を もつ こ とへ の危 惧 で あ った 。 前 述 の よ うに 柳 田 は,土 地 制 度 の改 革 に あ た り改 良主 義 の立 場 を と って お り,私 的土 地 所 有 の弊 害 の是 正,す な わ ち 私権 の制 限, 耕 作 権 の安 定 化 を 主 張 して い た。 小 作 料金 納 論 もま た,か うな方 向に お け る具 体的 手段 であ った 。しか し柳 田 は 『都 市 と農 村 』 に おい て,「作 人 が土 地 権 利 の ロ 中心 で な けれ ば な らぬ こ とは,数 百年 来 の常 勢 」 で は あ った が 「折 角 耕 作 権 が 権 利 と して確 立 して も,そ れ が 売 買 せ られ て 耕 作 を 罷 め る者 の利 得 に帰 す る の で は,少 な く と も農 業 の為 に は な らない 」 と し,r耕 作権 といふ か らには 耕 作 す る 為 に 存 す る権 利,耕 作 を 止 め る と消 え て し ま ふ 権 利 で な け れ ば な ら ぬ 」 も の と し,耕 作 権 に 関 す る先 決 問 題 と し て,土 地 財 産 化 の 防 止 策 が 講 じ られ る 必 要 を 主 張 し て い る 。 彼 に お い て は,耕 作 権 確 立 の 必 要 性 は 充 分 認 め な が ら も,な お 耕 作 権 自体 が 絶 体 性 を 有 す る ロ ー マ 法 型 の 権 利 に 変 質 す る こ と を 警 戒 し て い (3) 『定 本』 第16巻,342頁 。 (4> 『定 本』 第16巻,327頁 。 (5> 『定 本』 第16巻,338頁 。 (6) 『定 本』 第16巻,342頁 。
16 るの で あ る。 昭 和4年 に 刊 行 され たr都 市 と農 村 』 に お い て,と くに 注 目 され るこ とは, 柳 田が 「土 地 の公 共 管 理 」 の重 要 性 を主 張 して い る点 で あ る。 柳 田 は,農 政 論 の 体 系 化 に お い て,わ が 国 の農 村 に,古 くか ら維 持 され て きた 慣 行,あ るい は 農 民 の経 験 に 多 くを学 び,そ れ を新 た な 発 展 に 活 用 し よ う とす る態 度 を維 持 し て きた 。 土 地 の利 用 とい う面 につ い て も,明 か に か よ う.な姿 勢 が うか が え る の で あ る。 柳 田 に よれ ば,土 地 の公 共 管 理 の ご と き も,わ が 国 農 村 の 古制 と もい ふ べ き も ので,「 全 体 村持 の野 山 な どは,民 法 が そ れ を 共 有 と視 た といふ のみ で,単 な る共 同 の 私 有 物 で は 無 か った 。 不 断 は 何 人 も 我 有 と 思 って居 らぬ点 の に,村 を 結 合 せ しめ る本 当 の力 が あ った 。」 とされ,「 土 地 の 公共 管理 は 日本 の 農 村 に 於 て は,必 ず し も有 り得 べ か らざ る夢 想 で は 無 い 。 現 に 田 畠 を珠 玉 の如 く死 蔵 した 時 代 も,尚 他 の雑 地 は之 を一 般 の 用 に 放 置 して,末 は惜 気 も無 く細 分 して し ま った の で あ る。 村 と村 とは 尺 寸 の 境 を 争 ひ な が ら,内 に は労 力 の調 節 の 為 に,始 終耕 地 の割 替 を続 け て居 た部 落 も多 か った 。 作人 が 業 を廃 して上 米 を 衣食 した期 間 は,幸 に して まだ 至 って 短 い の で あ る。 さ う して土 地 の収 益 を 農 を 営 まざ る者 に分 配 す る の苦 痛 は既 に した た か に 之 を実 験 した。 所 謂 不 在 地 主 の 持 地 に対 して は,事 実 上 村 民 が 其 先 買 権 を 行 ひ得 た。 田 畠 を他 村 の者 に 渡 す まい と決 心 す れ ば,協 力 に 依 って 之 を 取 戻 す こ と も困 難 で は なか った 。 自 作 農 の 創 設 維持 は,国 で は六 つ か しい が 村 な らば まだ若 干 の 忍耐 を持 っ て,之' を実 現 す る こ とが 出来 るか と思 ふ 。」 と述 べ てい る。 柳 田に と っ て,当 該 地 域 に何 等 の か か わ りを持 た ぬ 企 業 あ るい は 個 人 に よ って,農 地 が 所 有 され,あ る い は 売 買 され る とい1うこ とは,』看 過 し 得 ぬ 重 大 問 題 と 考 え られ て いた の で あ り,農 地 を守 り,地 方 社 会 の 自立 を維 持 し亡 い くた め に,産 業 組 合 や 農 民組 合, あ るい は 地方 公 共 団体 な どが,'か よ うな 目的 の た め に機 能 し,役 立つ べ き こ と ゆ が 期 待 され て い る の で あ る。 (7) 『定 本 』 第16巻;357頁 。 (8) 『定 本 』 第16巻,358∼359頁 。 ⑨ 柳 田 に お け る 土 地 政 策 論 は,一 面 に お い て 地 方 経 済 の 自 立 に 役 立 っ こ と を 目 的 と し ー
柳 田国男の社会経済思想 17 5 家永 続 のね が い 明 治期 以降 のわ が 国 農 政 史 に お い て は,い わ ゆ る農 業 国 本 論 的 思 潮 が 絶 え ず 存 続 して きた 。 河 上 肇 の農 政 論,横 井 時 敬 の 農 政 論 等 に そ の典 型 を見 出 し うる。 しか し柳 田国 男 の 所 論 に は 近 代 的,合 理 主 義 的 見 解 が きわ め て 強 く,と くに 横 井 らの農 本 主 義 的 発 想 に対 して は,終 始 厳 しい 批 判 を提 起 して きた。 前述 の よ うな 土 地 問 題 に つ い て の柳 田 の所 説 に も,農 本 主 義 的 見 解 を 見 出 す こ とは 困難 で あ る。 しか し明 治40年 代 以後,柳 田が 民 俗 学 者 と して の 立 場 を 確 立 して い く 過 程 に お い て,土 地 に つ い て も独 自の見 解 を 披 歴 して い くこ と とな った。 こ こ で は そ の」一端 に つ い て 触れ て お きた い。 柳 田は 『日本 農 民 史』 に お い て,農 民 の故 郷 意 識 に ふ れ, 「村 民 の 生活 に は 土 地 とい ふ不 動 の基 礎 が あ り,所 有 と借用 との差 別 無 く,土 地 が 特 殊 の親 しみ を 耕 作 者 と の 間 に 生 じ て 居 る か らで あ る 」 と 述 べ て い る。 一 見 常 識 的 と 考 え ら れ る か よ うな 記 述 が,柳 田 に お い て は ど の よ うな 内 容 を 持 つ も の で あ っ た の だ ろ う か 。 柳 田 は 明 治30年 代 に ま と め た 『農 業 政 策 学 』 に お い て 以 下 の よ うに 述 べ て い る 。 「領 土 ト国 民 ト ヲ遮 結 ス ル ニ ハ 必 ス 人 民 ヲ シ テ 領 土 ノ上 二 定 着 セ シ ム ノkヲ要 ス 土 着 ハ 即 チ 国 家 存 在 ノ 要 素 ナ リ土 着 ア リテ 始 テ 薮 二 近 世 的 意 義 二 於 ケ ル 国 家 ・・確 立 ス ル ナ リ 而 シ テ 此 ノ 土 着 ノ 起 準 ヲ 為 ス モ ノ ・・亦 農 業 ナ リ 語 ヲ 換 ヘ テ 言 … 土 地 ト人 民 トヲ1連結 セ シ ム ル ・・農 業 ナ リ国 民 ノ浮 動 的 分 子 ・・農 業 ノ表 徴 ト 共 二 増 加 ス ヘ シ 農 業 ・・国 民 ノ 錨 ナ リ思 フ ニ此 ノニ ノ論 点 ・・所 謂 農 本 論 者 イ 根 拠 トス ヘ キ 所 ニ シ テ 同 時 二又 農 業 政 策 ノ研 究 力 特 二 貴 重 ナ ル 時 間 二値 ス ル 所 以 ナ リ」 と 。 こ こ に は 柳 田 に お け る 国 家 概 念 と,そ こ に お け る 土 地 の 持 つ 意 味 が 述 て提 案 され て いた 。 この 点 につ い ては,拙 稿 「柳 田 国 男 と地 方 主義 」(滋 賀 大 学 経 済 学 部附 属 史 料 館 『研 究 紀要 』 第10号 所 収)を 参 照 され た い。 (1)河 上 肇 の 農 業 政 策 に 関 す る 代 表 的 著作 と して,『 日本 尊 農 論 』 お よび 『日本農 政 学 』 が あ げ られ る。 河 上 の農 業 政 策 論 につ いて は,住 谷 一 彦 『河上 肇 の思 想』 が ユ ニ ー クな 見解 を提 示 して い る。 (2) 『定 本』 第16巻,189頁 。 (3) 『定 本』 第28巻,302∼303頁 。
べ られ てい る。 中 村 哲 氏 の指 摘 され る よ うに, .彼 におけ る国家観は,東 洋 的な 自然 的 国家 観 と し ての 特 色 を もつ もの で あ り,土 地 は 農 業 の 母 体 で あ る と と も に,農 業 生 産 を 通 じ,土 地 と 人 民 とが 結 び つ く と ころに 国 家 と い う ものが 成 の 立 す る。 r権 力 的 要 素 ぬ きの 国 家観 念 こそ は 柳 田 を含 め て 東 洋 社 会 に あ る国 家 概 念 に共 通 した もの で,こ の よ うな 国家 の 自然 的 把 握 は 中 国 に お い て も 日本 に お い て も,多 少 の 差 異 は あ りな が ら基 本 的 に は農 業 国 家 の 国 家 概 念 と して 支 え られ て きた も ので あ った 。」 と ころ で柳 田に よれ ば,土 地 と人 民 とを結 びつ け る もの と して,き わ め て重 要 な役 割 を 果 す ものが 土 地 を 媒 体 とす る祖 先 崇拝 の 心 情 で あ った。 彼 に よれ ば,農 民 に と って,土 地 は 生存 の 必須 条 件 で あ る とと もに,そ れ は ざ らに,家 の永 続 を可 能 とせ しめ る基 盤 に 外 な らな い。 従 って農 民が 田畑 を大 切 に す る と い う心 情 には 格 別 の 意 味 が 込 め られ て きた の で あ る。 柳 田は 『時 代 ト農 政 』 そ の 他 の著 作 に おい て,農 民 の離 村 は,「 健 全 な る経 済 人 の 所 為 判 断 で,些 も誤 この って は居 らぬ 」 こ とを 指 摘 しつ つ も,そ れ は ただ 一 点,家 の永 続 とい う面 に お い て,大 きな問 題 を残 す もの で あ る こ とを説 い て い る。 『時 代 ト農 政 』 に お い て柳 田 は次 の よ うに 述 べ て い る。 「都 会 に住 む と祖 先 子 孫 とい ふ 思 想 が 微 弱 に な っ て,家 とい ふ もの 瓦存 在 が 屡 々軽 く視 られ る,六 つか し くい へ ば 個 人 の 意 思 ば か り現 は され て,家 の 生 活 が真 底 に没 却 せ られ ます 。 田舎 に 住 あ ば 岡 の 麓 に住 居 の有 る ゐ も,川 の岸 に 田 を 作 るの も,乃 至 は何 郡 何 村 に 住 む とい ふ こ と も,皆 自分 の意 志 で は 無 く家 の 意 志 で あ る。 祖 先 が家 を繁 栄 せ しめ ん と欲 した 意 思 を子 孫 が行 ふ ので あ ります 。 名 家 門 閥 は勿 論,小 前 の水 呑 で もめ い め い 幽 こり か な が ら家 の伝 説 を持 って 居 る。」 と。 彼 に おい ては,「 土 地 に 拠 っ て家 の 保 存 を確 実 に し ょ うとい う考 え方 も,物 質 ぽ か りの側 面 か らこれ を 説 明す る こ とが で き な い 」 の で あ る 。 (4)中 村 哲 ・前 掲 書,第8節 農 村 と 国 家,参 照 。 (5)中 村 哲 ・前 掲 書,177頁 。 (6) 『定 本 』 第16巻,38頁 。 (7) 『定 本 』 第16巻,38頁 。 ⑧ 柳 田 国 ワ1『郷 土 生 活 の 研 究 』93頁 。
柳田国男の社会経済思想 19 柳 田 の い う 「家 」 のな か に は,「 す で に世 を去 った歴 代 の親 々,未 だ 生 れ て く う 来 ぬ孫 彦 の末 まで 」 が 含 まれ て い るb現 世 に生 きる者 に と っ ては,先 祖 の 祭, 家 の歴 史 を正 し く記 憶 し,後 裔 に 語 りつ ぐ こ とが要 請 され,そ し て 「これ が 激 励 とな って衰 へ た る家 を 興 し,身 を 立 て名 を な した 例 は,以 前 の 世 に も稀 で は ロの なか った 」 の で あ り,「 家 の 名 の誉 が 祖先 へ の感 謝 とな った や うに 永 く子孫 の 記 憶 に 値 す るや うな 一 代 を積 み重 ね る こと は,い わ ゆ る血 食 の 信 仰 を もつ 民族 即 ちい つ まで も血 筋 の者 か ら祭 って も らは うと願 う人 々の 必 然 の 条件 と考 へ ら ゆ ダ れ て る た の で あ る 。」 柳 田 に よ れ ば,「 家 を 富 ま せ た い と い ふ 念 願 の 底 に も,や は り亦 こめ血 食 の思 想 が あ った 」 と され て い る。 と ころ で農 民 に とっ て農 地 と は,家 の永 続 の保 障 で あ った 。 物 質 的 に み れ ば,そ れ は 「食 物 の最 少 限 度 の 供 給 保 障 」 とな る もの で あ り,精 神 的 に は 「記 憶 の 保存 」 を可 能 とす る も ので あ ロう った 。 村 民 は 上 下 を 問 わず 「耕 地 が あ って始 め て名 が 有 った 」 の で あ り,「 親 代 々 の通 称 を相 続 す る こ と も,他 の 土 地 に移 っ て し まへ ば,無 意 味 で あ った 。」 「是 が 所 謂 血 食 で あ って,東 洋 人 の 家 といふ 考 の 中 には,常 に この 愛 慕 の 交 換 と連 鎖 とが あ った 。」 柳 田に と って は この 血食 の 思 想 こそ,農 業 や 農村 を維 持 して い く上 で 重要 な 精 神 的 支柱 とな る もので あ った 。 彼 は 経 済 社 会 の発 展 と と もに,農 村地 域 に も各 種 の 職 業 が 入 り込 み,非 農 家 が増 加 し,工 場 が 進 出 し て くる こと を,拒 む こ とので きぬ 現 実 と して と らえ な が ら も,「 かか る場 合に も 村 は や は り其 本来 の 目的,即 ち土 地 を利 用 す る為 に 一 定 の 地域 に土 着 した 祖 先 の趣 旨 を没 却 せ ず に,僅 か ば か りの 商 工 業 の 混 じた 為 に農 法 全 体 をだ らけ させ る 事 な どは無 く,ど し ど し と其 天 分 の 活 計 を 改 良 して行 か ね ぽ な りませ ぬ 」 と 述べ て い る の で あ る。 6 結 び 農 業 政 策 学 お よび 民 俗学 に か か わ る,柳 田 の残 した 壮 大 な る遺 産 は,わ が 国 (9)⑩(1D 『定 本 』 第29巻,442∼443頁 。 ⑫ 柳 田 国 男 『明 治 大 正 史 ・世 相 篇 』249頁 。 (13)(ω(19矧働 『定 本 』 第16巻,218頁 。 (18) 『定 本 』 第16巻,27頁 。
20 の 社会 経 済 思想 の研 究 に とっ て も,文 字通 り宝 庫 と して の意 義 を もつ もの で あ ろ う。 小論 は僅 か に 土 地 政 策 論 に 関 す る所 説 を 中心 に,そ の一 端 を垣 間 み た も の に過 ぎな い。 そ れ す ら も紙 幅 の 制 約 上割 愛 せ ざ る を得 ぬ 問 題 が 多 か った 。 土 地 利 用 につ いて の所 見 の 如 き,き わ め て独 創 性 に富 む も ので あ るが,小 論 に お い て は殆 ん ど言 及 す る こ とが で きな か った 。 土 地 所 有 制 度 に 関 す る柳 田 の所 説 に おい て と くに 注 目 され る こ とは,彼 が す で に 明治30年 代 に お い て,い わ ゆ る所 有 権 の絶 対 性 に 疑 問 を 提 し,土 地 の私 権 に 対 し制 限 を加 え るべ き こ とを主 張 し てい る こ とで あ る。 土地 所 有 権 優 位 の観 念 は,当 時 の地 主 的 土地 所 有 制 度 と照 応 す る もの で あ り,そ れ は ま五 当時 の 国 家 体 制 そ の もの を支 え る要 件 とな って い た 。 「所 有権 を 以 て絶 対 に し て且 つ 神 聖 な りとす る思 想 は既 に過 去 に属 せ り」,「私 有 権 を維 持 す るの 力 あ る国 の立 法 権 は,又 之 に 対 して 必 要 な る制 限 を 加 ふ るの 力 あ り」 と述 べ る 柳 田 の 所 説 に は,土 地 制度 の改 革 に寄 せ る彼 の 並 々な らぬ 情 熱 を うかが う ことが で き るの で あ る。 柳 田 は,土 地 は 耕 作 に 従 事 す る者 に よっ て所 有 され る こ とが 望 ま しい もの と 考 え て いた 。 土 地 に 対 す る投 機 が 活 発 に 行 な われ,不 耕 作 地 主 の増 大 して い く 過 程 は,彼 に と って 最 も批 判 し,改 善 され ね ば な らぬ 事 態 で あ った 。 しか し一 方 柳 田 に お いて は,農 業 も また 一 箇 の職 業 とし て,独 立 の地 位 を 保 持 す るに 足 る も の℃ なけ れ ぽ な らな か った。 土 地 の公 有 化,あ るい は 自作 農 創 設維 持 政 策 に よっ て もた ら され る小 農 が,依 然 と して土 地 の足 枷 を引 きず ゲ 亡都市 と農 村 との 中 間 を さ ま よ う もの で あ る な らば,か よ うな 施 策 に よ って,農 業 の進 歩 を 実 現 す る こ とは 不 可 能 と 考 え てい た。 柳 田 に お け る 土 地 政 策 は,か よ うな 意 味 に お い て,よ り広 い観 点か ら,例 えば 地 方 的 小 工 業 の育 成 とい った施 策 と の 関 連 に お い て,す な わ ち 「労 働 配 置 の 方 式 」 を抜 本 的 に改 め る よ うな諸 手 段 と の 関 連 に お い て,検 討 を加 えね ば な らぬ 問題 で あ った。 そ れ は 柳 田 にお け る独 自の経 済 政 策 観,す なわ ち 資 本 お よび 労働 力 の適 正 な 配置 を も って,経 済 政 策 の基 本 的 目標 とす る彼 の政 策 論 と対 応 す る もの で あ った とい え よ う。