<論説>戦後初期の日本における国政と地方政治
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(2) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 年 体 制」 が 発 足 した 後 に は,そ. れ ま で あ ま り国 政 の影 響 が見 受 け られ な. か っ た各 県 議 会 に お いて も国 政 並 み の 会 派 構 成 が 見 られ る よ う にな っ た。 そ して,こ の 「1955年体 制 」 成 立 以 前 の 会 派 構 成 の 状 況 は,国 政 レヴ ェル の 政 党 政 治 の 影 響 力 が 小 さ い と い う点 で 「政 界 再 編 」 直 後 の 会 派 構 成 状 況 と も一 定 程 度 の 相 似 性 を 見 出す こ とが で き る と い う こ とで あ る。. 1.国. 政 にお ける政党 政治 の変 動 と分析 の焦 点. 本 章 で は,ま ず 第1節. に お いて,戦 後 直 後 か ら 「1955年体 制 」 成 立 に至. る まで の 国 政 に お け る政 党 の 離 合 集 散 につ いて 描 写 す る。 その うえ で,第 2節 に お いて,こ の 時 期 の 地 方 政 治 を 見 る際 に注 目す べ き点 につ いて 指 摘 す る。. 1.1.戦. 後 直 後 の国 政 に お け る政 党 政 治 の展 開. 戦 後,政 党 が 表 立 っ た動 きを 始 め たの は1945年11月 と いえ る。 西 尾 末 広 らの 尽 力 に よ って か つ て の 日本 労 農 党 系,社 会 民 衆 党 系 そ して 日本 無 産 党 系 議 員 を 引 き入 れ て 結 成 した 日本 社 会 党,旧 院 内団 体 同交 会 に所 属 して い た鳩 山一一 郎 らで つ くっ た 日本 自 由党,戦 時 末 期 の 大 日本 政 治 会 の 大 多 数 の 議 員 が 参 加 した 日本 進 歩 党 の 三 つ が この 月 に誕 生 し,翌 月 に は 日本 共 産 党 が 第 四回 大 会 を 開 催 す る一一 方 で 日本 協 同党 も結 成 され た。 翌1946年1月. にGHQに. よ り公 職 追 放 者 が 発 表 にな り,こ の 直 後 の4月. に行 わ れ た総 選 挙 で 進 歩 党 が 大打 撃 を受 け る一一 方,自 由党 が 第 一 党 に な り, 同 じ く躍 進 した社 会 党 も進 歩 党 と肩 を 並 べ る規 模 にな っ た。 そ して5月. に. は,鳩 山が 公 職 追 放 され た こ と も あ り,自 由 ・進 歩 連 立 政 権 と して の 第1 次 吉 田茂 内閣 が 発 足 して い る。 1947年,二. ・一一 ゼ ネ ス トが 中止 にな っ た あ と,日 本 国 憲 法 施 行 を 前 に総 290.
(3) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 選 挙 を 行 う こ と とな っ たが,選 挙 後 の 政 権 掌 握 を 視 野 に,進 歩 党 所 属 議 員 が 自 由党 か ら抜 け 出 した芦 田均 らや 国 民 協 同党 の 一 部 議 員 ら と と も に3月 に民 主 党 を 結 成 して い る。 そ して1947年4月. の 総 選 挙 で 第 一 党 とな った 社. 会 党 は民 主 党 や 三 木 武夫 らの国 民 協 同 党 と片 山 内閣 を6月 に成 立 させ た が, 平 野 力 三 農 相 が 罷 免 され て 社 会 党 内右 派 が 弱 体 化 し,そ れ が 引 き金 とな っ て 片 山 内閣 が 倒 れ1948年3月. に芦 田 内閣 が 成 立 して い る。 この 間,幣 原 喜. 重 郎 らが 民 主 党 を 脱 党 し,そ の 後 脱 党 した勢 力 と と も に民 主 ク ラ ブを 結 成 し,1948年3月. に 日本 自 由党 と合 体 して 吉 田を トップ とす る民 主 自 由党 を. 結 成 して い た。 同年10月,昭. 和 電 工 事 件 で 倒 れ た芦 田 内閣 の あ と に発 足 した 第2次 吉 田. 内閣 が 民 自党 少 数 与 党 政 権 だ っ た こ と も あ り,1949年1月. に総 選 挙 が 行 わ. れ て 民 自党 が大 勝 す る一 方,社 会 党 が 大 敗 を 喫 し民 主 党 も議 席 を 減 ら した。 民 主 党 は3月,第3次. 吉 田 内閣 へ の 連 立 参 加 を 果 た した 犬 養 健 らの 連 立 派. と,閣 外 協 力 に止 ま っ た野 党 派 と に正 式 に分 裂 し,連 立 派 は1950年3月 民 自党 と合 流 して 自 由党 を 結 成 した。 野 党 派 は 同年4月. に. に,国 民 協 同党 と. 結 集 して,国 民 民 主 党 とな っ た。 1950年7月. に は総 評(日 本 労 働 組 合 総 評 議 会)が 発 足 し,ま もな く社 会. 党 左 派 の 行 動 を 大 き く規 定 す る母 体 とな る。 この 年 に小 さな 分 裂 を 経 験 し て い た社 会 党 は,翌1951年10月. にサ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 の 取 り扱 いを. め ぐって 左 右 両 派 に分 裂 して しま う。 他 方保 守 政 界 で は,1950年 秋 か ら公 職 追 放 の解 除 が行 われ る よ うに な り, その 解 放 され た一一 部 議 員 は国 民 民 主 党 と合 流 して1952年2月. に改 進 党 を 結. 成 した。 他 方 鳩 山 らは 自 由党 に復 帰 す る もの の,同 年10月 に は吉 田が 仕 切 る 自 由党 本 部 と分 裂 して 総 選 挙 を 戦 い,翌1953年3月. に は正 式 に分 党 して. 鳩 山 自 由党 を つ く り,両 派 社 会 党 提 出の 吉 田 内閣 不 信 任 案 を 成 立 させ た 。 改 進 党 は政 権 に参 加 しな か っ た た め,総 選 挙 後 の5月 291. に第5次 吉 田 内閣 は.
(4) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 少 数 内閣 と して 発 足 した。 多 数 派 工 作 の 結 果,同 年11月 以 降 鳩 山 自 由党 の 大 半 が 吉 田 自 由党 に戻 っ た もの の,戻. らな か っ た三 木 武 吉 や 河 野 一一 郎 ら8. 人 の 議 員 は 日本 自 由党 を 結 成 した。 1954年11月,吉. 田 に反 目す る 自 由党 鳩 山派 や 重 光 葵 らの 改 進 党,そ. して. 日本 自 由党 は合 流 し,新 た に 日本 民 主 党 を 立 ち上 げ た。 日本 民 主 党 は両 派 社 会 党 と共 同で 内閣 不 信 任 案 を 提 出,可 決 が 必 至 の 状 態 とな って 吉 田 は首 相 を辞 任 し,12月 に鳩 山民 主 党 政 権 が 発 足 した。 社 会 党 は1951年 に両 派 に分 か れ て か ら,1952年,1953年 に議 席 を 伸 ば して い たが,特. の総選挙で とも. に勢 力 を 伸 長 させ たの が 左 派 で あ っ た。1955. 年2月 の 総 選 挙 で 両 派 合 わ せ て 衆 議 院 の3分 の1の 議 席 を 獲 得 した社 会 党 は,左 派 と右 派 の 政 策 的 対 立 を 孕 み な が らも 同年10月 に再 統 一一され た。 他 方,社 会 党 統 一一に危 機 感 を 覚 え た保 守 側 で も,永. ら く政 敵 同士 で あ っ. た民 主 党 の 三 木 武 吉 と 自 由党 の 大 野 伴 睦 が 中心 とな って,民 主,自 の 合 併 に動 き 出 し,1955年11月. に つ い に 自 由民 主 党 が 結 成 さ れ,こ. 由両 党 れを. も って 「1955年体 制 」 が 成 立 す る こ と とな っ た。 そ の後,1958年5月. の総 選 挙 で,自. 民 党 が287人 を 当 選 させ た 一 方,社. 会 党 は166人 に留 ま り,こ れ以 降 「1ケ2分. の1政 党 制 」 が 定 着 して い く. こ と にな る(2)。 な お,以 上 の 経 緯 につ いて は,図1を. 1.2.分 で は,地. 参 照 され た い。. 析 の焦 点 方 政 治 レ ヴ ェ ル,よ. り具 体 的 に は 県 議 会 レ ヴ ェ ル で の 会 派 変 動. を 分 析 す る に 当 た っ て の 焦 点 を 確 認 して お こ う 。 本 土 復 帰 前 の 沖 縄 県 を 除 く46都 道 府 県 で は,1947年4月 県 議 選 を 経 験 し た 後,4年 年,1951年,1955年4月. に戦 後 初 めて の. ご と に 県 議 選 を 経 験 し て い る(3)。そ れ ゆ え,1947 の 県 議 選 後 に 誕 生 し た 各 県 議 会 の 会 派 構 成 が,当. 292.
(5) 凹㊤Q 。 名 下 の数 字 は,成. 2.各 党 の 分 離,集 れ た の で,人. 立,合. 合 は 諸派,無. 併,分. 離 の 年 月 日.. 所 属 議 員 ら も参 加 して 行 わ. 数 の 合 計 等 は,必. ず し も合 わ な い.. 3.一 部 は省 略 して ある.. 石 川 真 澄 「戦 後 政 治 史(新. 図1保. 守合同 までの分離集合. 版)』(岩. 波 新 書,2004年,72∼73頁). θ □針 " ︹銚 " 斗ぴ ㎜一居 伴 誉 断 居 粕 恥. 備 考)1.党.
(6) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 時 の 国 政 状 況 を どの 程 度 反 映 した もの とな って い るか が 重 要 で あ る。 ちな み に,1947年. 県 議 選 時 の 主 要 政 党 は 自 由党,民 主 党,国 民 協 同党,社 会 党. で あ り,1951年 の 県 議 選 で は 自 由党,国 民 民 主 党,社 会 党,1955年. の県議. 選 の 時 に は 自 由党,日 本 民 主 党,両 派 社 会 党 が それ に 当て は ま る。 ま た,こ の 間 の 国 政 上 に お け る重 要 な 政 党 の 離 合 集 散 と して は,保 守 陣 営 に お いて は1948年3月. の 民 主 自 由党 結 成,1949年. 春 の 自 由党,国 民 民 主 党 の 結 成,1952年. の 民 主 党 分 裂,1950年. 初 めの 改 進 党 結 成,1953年. 自 由党 結 成 と 出戻 り,1954年 の 日本 民 主 党 結 成,そ 党 結 成 とな る。 他 方 革 新 に 目を 転 ず れ ば,1951年. の鳩 山. して1955年 の 自 由民 主. 秋の社会党の両派分裂 と. 1955年 の 再 統 一一 が 重 要 な ポ イ ン トとな る。 こ こ か ら,(1)組 織 議 会 に お け る会 派 構 成 が,国 政 に お け る主 要 政 党 に よ って 形 成 され て い るか 否 か,(2)保 守 政 党 の 離 合 集 散 や 社 会 党 の 分 裂 ・再 統 一 と一致 した会 派 変 動 が 見 られ るか 否 か,そ. して(3)国政 政 党 名 を 冠 した. 会 派 に どの 程 度 の 割 合 の 県 議 が 参 加 して い るか が,本 稿 の 分 析 の 焦 点 とな る。. 2.各. 県 議会 にお ける会派 構成. 本 章 で は,沖 縄 県 を 除 く各 県 議 会 の1947年,1951年,1955年. 改選後の会. 派 構 成 の 変 動 の 模 様 を 素 描 す る。 も っ と も,こ こで の 資 料 は も っぱ ら 『県 議 会 史 』 に類 す る もの を用 い て い るが ④,当 時 の会 派 構 成 に ま つ わ る資 料 も十 分 には残 さ れて お らず,資 料 残 存 状 況 も県 ご とに ま ち ま ちで あ るた め, 本 稿 の 分 析 に は限 界 が あ る こ とを 予 め断 って お く。. 2.1.北. 海道議会. 北 海 道 議 会 で は,. 国 会 に お け る主 要 政 党 が 概 ね 県 議 会 内 で も会 派 を つ 294.
(7) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. くっ た。1947年 県 議 選 後 に は 自 由党,民 主 党,国 民 協 同党,社 会 党 が 各 会 派 を 構 成 し,自 由党 は民 主 自 由党 を 経 て 自由党 に,民 主 党 は 国 民 民主 党 に, それ ぞ れ 衣 替 え を して い る。 ま た,日 本 農 民 党 が 農 民 新 党 を 経 て 農 民 協 同 党 とな って い る あ た りも,ほ ぼ国 政 に応 じた動 き と いえ る。 1951年 改 選 後 の 会 派 構 成 の 変 化 で は,自 由党 が1955年2月. に分 裂 して そ. の 一一 方 が 国 民 民 主 党 か ら名 前 を 変 え た改 進 党 議 員 と合 流 し日本 民 主 党 を 結 成 す る一一 方,社 会 党 が1952年2月. に分 裂 した もの の 国 レヴ ェル よ りも早 く. 1954年12月 に再 統 一一 を 果 た して い る。 北 海 道 議 会 で は 「1955年体 制 」 へ の 移 行 も 円滑 に行 わ れ,自 民 党 結 成 直 前 の1955年8月. に 日本 民 主 党,自. 由党,そ. して 無 所 属 系 会 派 が 合 流 して 道. 政 議 員 連 盟 が 結 成 され,こ れ が ま る ご と 同年12月 に 自民 党 会 派 に衣 替 え し て い る。 この よ う に,北 海 道 で は ほ ぼ国 政 準 拠 の 会 派 変 動 が 見 られ た と ま と め る こ とが で き る。. 2.2.青. 森県議会. 青 森 県 議 会 で は,1947年. の 県 議 選 か ら2年 ほ ど した1949年5月. に 「保 守. 合 同」 が 成 立 して い る。 自 由党 か ら名 前 を 変 え た民 主 自 由党,民 主 党,国 民 協 同党 県 議 が,津. 島文 治 県 政 支 持 を 目的 に(5),合流 して 「県 政 ク ラ ブ」. を 結 成 したが,そ の3ケ 月 後 に は再 び国 政 並 み に民 主 党 と 自 由党 と に分 裂 して い る。 民 主 党 は その 後1949年 に分 裂 し,そ の う ちの 一 部 議 員 は 自 由党 に合 流 して い る。1951年 の 改 選 後 に は,自 由党 が 最 大 勢 力 とな った が1954 年3月. に分 裂 し,1955年 の 県 議 選 後 に は民 主,自. 由両 党 が そ れ ぞ れ 会 派 を. 設 けて い る。 ただ,自 民 党 へ の 合 流 は 円滑 で,1956年1月 会 派 議 員 も含 め た 自民 党 会 派 が 発 足 して い る。 他 方,1955年 右 両 派 社 会 党 が 合 流 したか ど うか の 確 認 は とれ な か った 。 295. に は,無 所 属 系 県議選後の左.
(8) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 以 上 の と お り青 森 県 で も,国 政 と 同様 の 会 派 変 動 が 見 られ た一一 方,一 一 部 知 事 要 因 に よ る会 派 構 成 の 変 動 も確 認 で き た。. 2.3.岩. 手県議会. 岩 手 県 で は民 主 党 系 の 勢 力 が 弱 く,1947年 県 議 選 後 の 民 主 党 所 属 議 員 は 1名 を数 え ただ けで あ り,1951年 県 議 選 後 にな る と国 民 民 主 党 県 議 は1名 も確 認 で きな か っ た。 自 由党 は1951年 の 県 議 選 後 に議 会 過 半 数 に まで 勢 力 を伸 ば した もの の,そ れ で も無 所 属 系 議 員 が 大 きな 勢 力 を 有 して い た。 こ の 無 所 属 議 員 の 一一 部 が1951年 秋 に 自 由党 に合 流 す る もの の,そ れ で もか な りの 議 員 が 無 所 属 系 会 派 に籍 を 置 き続 け た。1954年 末 か ら1955年 以 降 にか けて,国 政 と 同 じよ う に 自 由党 が 分 裂 し民 主 党 会 派 が 結 成 され たが,1955 年 改 選 後 の 勢 力 もわ ず か50人 中4人 に過 ぎず,同 年12月 に 自 由党 に合 流 し て 自民 党 とな って い る。 他 方 社 会 党 につ いて は,両 派 に分 裂 した形 跡 はな い よ うで あ る。1955年 改 選 後 に は旧社 会 党 会 派 所 属 議 員 らで 会 派 「革 新 クラ ブ」を 結 成 して い る。 岩 手 県 で は,民 主 党 あ る い は国 民 民 主 党 の 勢 力 が 非 常 に弱 く,そ の 分 国 政 並 み の 会 派 構 成 は確 認 で きな か っ た。 無 所 属 議 員 の 存 在 感 が 比 較 的 大 き か っ たの が その 特 徴 で あ る。. 2.4.宮. 城県議会. 1947年 の 県 議 選 で52人 の 新 県 議 が 誕 生 し,21人 が 無 所 属 系 会 派 を,15人 が 民 主 ク ラ ブを,8人. が 社 会 党 議 員 団 を,そ. を結 成 して い る。1949年12月,佐. して も う8人 が 自 由党 系 会 派. 々木 家 寿 治 県 政 与 党 を 増 や す た め に保 守. 系 議 員43人 で 大 会 派 「同志 ク ラ ブ」 が 結 成 され る もの の,そ の 約4ケ 月 後 に 自 由 ク ラ ブ,民 主 ク ラ ブ,そ 1951年 の 改 選 後,自. して 無 所 属 系 会 派 に三 分 裂 して い る。. 由 ク ラ ブが 議 会 過 半 数 を 握 り佐 々木 県 政 が 安 定 化 す 296.
(9) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. るか に見 え たが,翌 年9月. に辞 任 し知 事 選 挙 に打 って 出た 佐 々木 が 敗 れ 宮. 城 音 五 郎 革 新 県 政 にな る と,一 一 気 に会 派 構 成 は流 動 化 した 。1953年2月 自 由 ク ラ ブ会 派 内 に会 派 内会 派 が 誕 生 し,同 年9月. に. に は 自 由 ク ラ ブそ の も. の が3会 派 に分 裂 して しま う。 最 終 的 に これ ら会 派 が 再 合 流 した の は1954 年12月 にな って か らで あ っ た。 な お,社 会 党 は宮 城 県 政 与 党 と して 活 動 し た。 1955年 の県 議 選 後 に 成 立 した会 派 は,「 県 政 同志 会 」,「公 正 会」 そ して 社 会 党 だ っ た。 県 政 同志 会 と公 正 会 は議 員 の 所 属 党 派 ご と に構 成 され た と い う よ りは,宮 城 県 政 に対 す る ス タ ン スの 違 い に よ って,会 派 を 分 けた よ うで あ る(6)。そ の後,自 会 とな っ たが,1956年9月. 民 党 結 成 に合 わせ て県 政 同志 会 も 自 由民 主 党 議 員 の 知 事 選 を 前 に会 派 は三 分 裂 し,1957年9月. に. よ うや く一一 本 化 され た。 この よ う に見 て くる と,宮 城 県 議 会 で は,知 事 の 存 在 も し くは知 事 選 に よ って 保 守 系 会 派 の離 合 集 散 が 繰 り返 され た こ と が確 認 で き る。 国政 レ ヴ ェル に お け る政 党 の離 合 集 散 の 影 響 は あ ま り大 き くな か った よ うで あ る。. 2.5.秋. 田県 議 会. 秋 田県 で は,自 由党 県 支 部 と 旧進 歩 党 県 支 部 が 「秋 田県 民 主 党 」 を 組 織 し,蓮 池 公 咲 を1947年 知 事 選 で 当選 させ る と 同時 に,議 会 内で も過 半 数 を 占 め る多 数 派 と して 君 臨 した。 しか しな が ら,同 年9月. に秋 田県 民 主 党 は. 解 党 され,民 主 党 と 「県 政 革 新 ク ラ ブ」 と に分 裂,1950年6月. に はそ の ほ. とん どが 自 由 ク ラ ブ と国 民 民 主 党 の2会 派 に集 約 され る こ と とな った 。 ま た県 議 選 後 第2会 派 だ っ た 「新 政 ク ラ ブ」 に は,の ちの 国 民 民 主 党,自. 由. ク ラ ブ に加 え て 社 会 党 県 議 とな る議 員 も含 まれ て いた 。 1951年 の 県議 選 後 に は 自 由党 が30人 で大 会 派 を組 み,国 民 民 主 党 が7人, 社 会 党 が6人 で それ ぞ れ 会 派 を 設 け たが,そ の 後 無 所 属 系 会 派 も含 めた 保 297.
(10) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 守 系 議 員 は離 合 集 散 を 繰 り返 した。 国 民 民 主 党 県 議 は ほ ぼす べ て が 改 進 党 を経 て 民 主 党 へ と異 動 したが,自. 由党 所 属 議 員 の 一一 部 は1954年 秋 に 「県 政. 同志 会 」 と い う会 派 を 結 成 し,一 一 部 議 員 は民 主 党 へ 異 動 して い る。 1955年 の 改 選 後 に は,会 派 構 成 が 安 定 化 す る に至 っ た。 日本 民 主 党 と 自 由党,「 農 政 ク ラ ブ」 は1955年12月 に 自民 党 会 派 と して再 出 発 した し,社 会 党 も改 選 直 後 か ら両 派 が 統 一会 派 を 組 ん で い た よ うで あ る。 この よ う に,秋 田県 で は,保 守 提 携 が 早 期 か ら成 立 した もの の,そ の 後 は国 政 よ りも激 しい ほ どの 会派 の離 合 集 散 が繰 り返 され た。 しか し,「1955 年 体 制 」 が 国 政 レヴ ェル で 成 立 して か らは,県 議 会 の 会 派 構 成 も安 定 す る よ う にな っ た。. 2.6.山. 形県議会. 山形 県 で は,1947年. の 県 議 選 後,自. 由党,民 主 党,社 会 党 の それ ぞ れ が. 県 議 会 内 に会 派 を 持 っ た。 しか し,21人 い た民 主 党 議 員 は1人 を 残 して 皆 1950年3月. に 自 由党 に異 動 して しま う。 他 方 自 由党 は,民 主 自 由党 を 経 て. 同月 自 由党 に再 度 衣 替 え した。 か よ うな 事 態 で あ っ たか ら,1951年 の 改 選 後 議 会 の 圧 倒 的 多 数 を 占 め たの も 自 由党 で あ っ た。 社 会 党 は6人 で 会 派 を 構 成 したが,サ. ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 を め ぐって 左 右 に分 裂 したの に合. わ せ,県 議 会 内で も1952年1月. に両 派 に分 裂 して い る。 その 後,中 央 政 界. で 日本 民 主 党 が 結 成 され たの を 機 に,自 由党 か ら一一 部 議 員 が 離 脱 し,民 主 党 会 派 を1954年12月 に創 設 して い る。 1955年 の県 議 選 後 に は,自 くっ たが,3分 どが,1956年1月. 由党,民. 主 党,社. 会党 がそ れぞれ会派 をつ. の1以 上 が 無 所 属 だ っ た。 しか しその 無 所 属 議 員 の ほ とん の 自民 党 会 派 結 成 に際 して 自民 党 入 り し,山 形 県 議 会 内. の 会 派 も安 定 す る に至 っ た。 山形 県 で は,戦 後 ま もな く民 主 党 が 自 由党 に吸 収 され る と い う事 態 が 確 298.
(11) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治 認 さ れ た が,そ. の 後 は, 社 会 党 も含 めて,国. 政 と よ く似 た 政 党 政 治 が 展 開. され た と いえ る。. 2.7.福. 島県 議 会. 1947年 の 県 議 選 後,福. 島県 議 会 議 員 は 自 由党,民 主 党,社 会 党 の3会 派. に ま と ま っ た。 な か で も 自 由党 は全59議 席 中45議 席 を 占 め る と い う強 さを 誇 り,そ の ほ とん どが1948年 の 民 主 自 由党 を 経 て1949年 に 自 由党 会 派 に所 属 して い る。他 方 民 主 党会 派 所 属 議 員 は1947年 県議 選 直 後 で4人 1951年 改 選 後 に至 って はわ ず か1名 社 会 党 に は,1947年. に過 ぎ ず,. と い う あ りさ まだ った 。. の 県 議 選 後 に10人 が 所 属 した が,1951年. の改選後 は. 4人 に減 少 し,自 由党 入 り しな か っ た無 所 属 議 員 と統 一 会 派 を 組 む ほ どで あ っ た。 左 右 両 派 に分 か れ た形 跡 はな く,1953年 の 知 事 選 で も統 一 候 補 を 立 て て い る。 「1955年体 制 」 が 国 政 レヴ ェル で 成 立 して か ら は,こ. こ福 島県 議 会 で も. 自民 党 会 派 と社 会 党 会 派 が 同年12月 に結 成 され て お り,無 会 派 議 員 は いな か っ た。 以 上 の こ とか ら考 え る と,福 島県 議 会 で は,圧 倒 的 に 自 由党 が 優 位 な な か で,国 政 レヴ ェル に応 じた政 党 政 治 が 見 られ た と いえ よ う。. 2.8.茨. 城県議会. 茨 城 県 議 会 で は,戦 後 初 の 県 議 選 後,民 主 党 が 第 一 会 派 とな り,こ れ に 自 由党 や 社 会 党 が 続 い た。 民 主 党 か ら一一 部 の 議 員 が1950年8月. に 自 由党 に. 移 っ た もの の,会 派 構 成 の 大 きな 変 化 は経 験 しな か った 。 1951年 の 改 選 後 に は 自 由党 が 過 半 数 を 握 り,民 主 党 次 いで 社 会 党 が これ に続 い た 。 民 主 党 は1952年 に改 進 党 に な った 後,1954年. に再 び 民 主 党 と. な っ た。 そ して 社 会 党 は,や は り国 政 同様1951年 の12月 に左 右 両 派 に分 裂 299.
(12) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. した。 戦 後3度. 目 の 県 議 選 を 経 験 して か ら は,統. して 自 由 党 と 民 主 党 が1956年3月. 一一 社 会 党 が1956年1月. に 合 流 して 自 民 党 と して,そ. に,そ. れぞれ再 出. 発 を切 っ た。 こ の よ う に,茨. 城 県 議 会 で も,国. 政 並 み の 会 派 構 成 が 見 られ た と ま と め. る こ とが で き る。. 2.9.栃. 木県議会. 1947年 の 県 議 選 後 に最 大 勢 力 とな っ たの は民 主 党 だ っ た。 しか し,31人 中5人 を 残 して 皆1948年3月. に民 主 自 由党 に異 動 して しま っ た。 ま た,2. 人 い た国 民 協 同党 議 員 も民 主 自 由党 入 り して い る。 1951年 の 改 選 後 に は 自 由党 が 全 議 席 中の3分 の2以 上 を 占 め た。 国 民 民 主 党 はわ ず か3人 の 小 所 帯 で あ り,1952年2月. に改 進 党 にな り,1954年11. 月 に 日本 民 主 党 とな っ た。 自 由党 か らは一一 部 議 員 が 抜 けて 無 所 属 系 会 派 を 構 成 したが,日 本 民 主 党 入 りす る者 は確 認 で きな か っ た。 社 会 党 も国 民 民 主 党 同様4人. と い う小 さな 会 派 だ っ たが,1952年2月. に左 右 両 派 に分 裂 し. た。 1955年 の 県 議 選 後 の 会 派 構 成 は,自 由党,民 主 党,左 派 社 会 党,右 派 社 会 党,そ. して 無 所 属 系 会 派2つ. とな り,い ず れ の 会 派 も過 半 数 に ほ ど遠 い. 状 態 で あ っ た。 自 由党,民 主 党 そ して 無 所 属 系 会 派 の う ちの1つ が1956年 1月 に合 流 して 自民 党 とな っ た もの の,半 年 も経 たな い う ち に 旧 自 由党 系 会 派 と 旧民 主 党 系 会 派 と に分 裂 して しま っ た。 この 分 裂 状 態 は,も う一一 つ の 無 所 属 系 会 派 も 自民 党 に合 流 す る1957年 夏 にな る まで 続 い た。 栃 木 県 議 会 で は,戦 後 ま もな く民 主 自 由党(の. ち に 自 由党)が 一一 大勢力. とな っ た もの の,そ の 状 況 は1955年 の 県 議 選 まで で 途 切 れ た。 その 後 自民 党 が 発 足 す る もの の,旧. 自 由党 系 と 旧民 主 党 系 の 内紛 が あ っ た た め,会 派 300.
(13) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 構 成 と して 安 定 す る まで に は若 干 の 時 間 が か か った 。. 2.10.群. 馬県議会. 1947年 の 県 議 選 後 の 群 馬 県 議 会 で 過 半 数 を 占 めた の は民 主 党 だ った 。 社 会 党 と 自由党 が これ に続 い た。 自由党 は民 主 自由党 に名称 変 更 した後,1950 年3月. に 自 由党 とな って い る。 民 主 党 と 自 由党 の 間 で 若 干 の 会 派 異 動 は見. られ た もの の,総. じて 民 主 党 優 位 の ま ま4年 が 過 ぎた 。. 1951年 に改 選 を 迎 え て もな お民 主 党 は優 位 な ま まで あ った が,1952年8 月 の 知 事 選 で 伊 能 芳 雄 が 元 職 の 北 野 重 雄 に再 選 を 阻 まれ る と,会 派 構 成 が 急 激 に不安 定 化 した。 まず,民 主 党 会 派 が 同年 秋 か ら冬 にか けて三 分裂 し, その う ちの 一一 つ の 会 派 が 翌1953年 の2月 旧民 主 党 系2会. に 自 由党 入 り した 。 そ の 自 由党 が. 派 の 一一 部 議 員 を巻 き込 ん で1954年3月. に議会 第一会派 と. な っ た もの の,同 年12月 に は 旧民 主 党 系2会 派 を 母 体 と した 民 主 党 に 自 由 党 か ら議 員 が 異 動 し,第 一一 会 派 を 民 主 党 系 が 奪 い返 す と い った 状 況 で あ っ た。 会 派 異 動 の 詳 細 な 理 由 につ いて はわ か らな いが,民 主 党 系 会 派 が 北 野 県 政 与 党 だ った との記 述 か ら(7),多 くの 議 員 の 会 派 異 動 の原 因 は お そ ら く 知 事 へ の ス タ ン スの 違 い に あ る もの と思 わ れ る。 この 混 乱 は,1955年. の 県 議 選 後 も続 い た。 民 主 党 と 自 由党,そ. 属 系 の3会 派 所 属 議 員 が 参 加 して,1956年2月. して 無 所. に 自民 党 会 派 が 結 成 され た。. しか し,1956年 夏 の 知 事 選 後 に い っ たん 分 裂 し,同 年 末 に元 の 鞘 に収 ま っ た もの の,1958年. 秋 に再 び分 裂 し,1959年 初 頭 に三 た び統 一 され た 。. 他 方 革 新 側 に 目を 転 ず れ ば,戦 後 最 初 の 県 議 選 後,社 会 党 会 派 に所 属 し て い た一一 部 県 議 が 共 産 党 に移 っ た もの の 次 の 選 挙 を 生 き残 れ ず,県 議 会 内 で 大 きな 勢 力 を 持 たな い ま ま1951年 と1955年 の 改 選 を 経 験 した 。1955年 の 改 選 後 に は左 右 両 派 社 会 党 が 分 立 して い たが,1956年2月 て い る。 301. に会 派 統 一 され.
(14) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 群 馬 県 議 会 で は,保 守 勢 力 内の 離 合 集 散 が 非 常 に激 し く,そ の 大 きな 原 因 に知 事 選 挙 が あ っ た もの と思 わ れ る。 逆 に言 え ば,革 新 勢 力 を 除 いて, 国 政 に お け る政 党 の 離 合 集 散 の 影 響 は小 さか っ た と いえ るの で はな いだ ろ うか 。. 2.ll.埼. 玉県議会. 埼 玉 県 議 会 で は,1947年. の 県 議 選 後,自. 由党,民 主 党,社 会 党 が それ ぞ. れ 会 派 を 構 成 したが,民 主 党 は民 主 自 由党 か ら衣 替 え した 自 由党 に1950年 4月 に合 流 した。 その 影 響 も あ って か,1951年4月. の 改 選 後,自. 由党 は全. 62議 席 中50議 席 を 占 め る大 所 帯 とな っ た。 しか しな が ら,ほ どな く党 内 に 会 派 が 二 つ で き,1953年 の 対 立 は1954年9月. に は正 式 に会 派 が分 裂 す る に至 った(8)。結 局 両 派. の 自 由党 再 統 一一まで 続 い た。. 1955年 の 県 議 選 後 に は,自 由党 系 県 議 は 「政 和 ク ラ ブ」 と い う会 派 を つ く り,無 所 属 系 会 派 や 民 主 党 会 派 と翌1956年4月 た。 社 会 党 は左 右 両 派 に分 か れ て い たが,こ. に合 流 して 自民 党 とな っ. ち らも 同時 期 に合 流 した。. この よ う に見 る と,埼 玉 県 議 会 で は,民 主 党 勢 力 が 自 由党 に飲 み 込 まれ る と い う事 態 は あ っ た もの の,概 ね 国 政 に お け る政 党 政 治 の 展 開 に基 づ い た動 きが あ っ た と確 認 され た。. 2.12.千. 葉県議会. 千 葉 県 で も,1947年. の 県 議 選 後 に現 れ た会 派 に 日本 自 由党,民 主 党 そ し. て 社 会 党 を 確 認 す る こ とが で き る。 その 後 日本 自 由党 は民 主 自 由党 を 経 て 1950年3月. に 自 由党 に,民 主 党 は 同年4月. 1951年 の 改 選 後,自. に国 民 民 主 党 に衣 替 え した。. 由党 は議 会 過 半 数 を 占 め た もの の,1953年3月. に吉. 田 自 由党 系 会 派 と鳩 山 自 由党 系 会 派 と に分 裂 し,そ の 後 か つ て 自 由党 に所 属 して い た一一 部 県 議 た ちが 国 民 民 主 党 か ら名 称 変 更 した改 進 党 会 派 に合 流 302.
(15) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. し,1954年12月. に 日本 民 主 党 を 結 成 す る に至 る。 他 方 で,い. った ん 改 進 党. の 後 続 会 派 に属 した者 の 一一 部 は 自 由党 に戻 るな ど,保 守 会 派 内の 激 しい異 動 が 見 られ たの が この 議 会 任 期 で あ っ た(9)。 1955年 の 県 議 選 後 にな る と,日 本 民 主 党 が 第 一一 会 派 とな り,自 由党 と社 会 党 が これ に続 い たが,1956年1月. に保 守 系2会 派 と無 所 属 会 派 所 属 議 員. の 一一 部 が 自民 党 に合 流,そ の 他 無 所 属 会 派 所 属 議 員 は最 終 的 に社 会 党 に所 属 した。 と こ ろが,自 民 党 会 派 は4ケ 月 ほ ど後 に 旧民 主 党 系 会 派 と 旧 自 由 党 系 会 派 と に分 裂 して しま う。 結 局 の と こ ろ,自 民 党 と して 再 統 一 され る の は1957年 初 頭 とな っ た。 ま と め る と,中 央 政 界 に お け る保 守 の 政 治 的 対 立 が そ の ま ま千 葉 県 議 会 内の 対 立 に持 ち込 ま れ た とい え よ う。ま た,こ の 頃 か ら既 に保 守 系 県議 は, 代 議 士 の 系 列 に従 って 行 動 して い た よ うで あ る⑩。. 2.13.東. 京都議会. 東 京 都 にな って2度. 目の 都 議 選 後 に誕 生 した会 派 は,都 政 自 由倶 楽 部,. 社 会 党 都 議 団,都 議 会 民 主 倶 楽 部,「 革 新 ク ラブ」,そ して共 産 党 で あ った。 その 後 一一 部 民 主 倶 楽 部 所 属 都 議 が 自 由倶 楽 部 に異 動 し,自 由倶 楽 部 は民 主 自 由倶 楽 部 そ して 都 議 会 自 由党 へ と変 化 した。 と こ ろが この 都 議 会 自 由党 か ら都 政 自 由党 が 分 裂 し,民 主 倶 楽 部 は東 京 都 議 会 国 民 民 主 党 に名 称 変 更 して 任 期 末 を 迎 え た よ うで あ る。 1951年 の 都 議 選 後 に は,議 会 過 半 数 を 占 め る都 議 会 自 由党,社 会 党 都 議 団,「 都 議 会 公 正 倶 楽 部 」,民 主 党 都 議 団,共 産 党 で 会 派 を 構 成 して いた 。 しか しこの 後 自 由党 は い っ たん 三 分 裂 して い る。 また 民 主 党 都 議 団 は東 京 都 議 会 改 進 党 を 経 て 日本 民 主 党 都 議 団 にな って い る。 三 分 裂 した 自 由党 は 再 び合 流 して 「都 議 会 同志 会 」 とな っ たが,そ の 後 そ の 過 半 が 会 派 離 脱 し て 都 議 会 民 主 党 を 結 成 して い る。 303.
(16) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. そ して1955年 の 都 議 選 後 に は,半 数 に は届 か な か っ た もの の 都 議 会 日本 民 主 党 が第 一一 会 派 とな り,社 会 党 都 議 団,都. 議 会 自 由党,「 都 議 会 公 正 倶. 楽 部 」,共 産 党 が これ に続 い た。 東 京 都 議 会 に お け る 「1955年体 制 」 の 成 立 も早 く,同 年12月 に は,一 一 部 公 正 倶 楽 部 都 議 も巻 き込 ん で,都 議 会 自 由 民 主 党 が 結 成 され 都 議 会 の3分 の2を. 占 め る大 会 派 とな って い る。. この よ う に東 京 都 議 会 で も,自 由党 の 度 重 な る分 裂 と い っ た都 議 会 固 有 の 政 党 政 治 の 展 開 も見 られ たが,基 本 的 に は国 政 に お け る政 党 政 治 の 流 動 に合 わ せ た形 で の 会 派 異 動 が 見 られ た よ うで あ る。. 2.14.神. 奈川県議会. 1947年 の 県 議 選 後 の 組 織 議 会 で は,自 由党,民 主 党,社 会 党 の3会 派 が 3分 の1弱 ず つ 議 席 を 取 り合 う と い う構 図 とな っ た。 自 由党 は その 後 民 主 自 由党 を経 て1950年3月. に 自由 党 に党 名 変 更 して い る。1951年 改 選 後 に は,. 自 由党 が 議 会 過 半 数 を 得,社 会 党,日 本 民 主 党 な どが これ に続 い た。 と こ ろが,同 年12月,サ. ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 を め ぐって 社 会 党 が3会 派 に. 分 裂 し,1953年5月. に は 自 由党 鳩 山派 の 県 議 た ちが 自 由 ク ラ ブを 結 成 して. い る。 な お,日 本 民 主 党 は1952年6月. に改 進 党 にな り,1955年1月. には日. 本 民 主 党 に会 派 名 を 変 更 して い る。 1955年 県 議 選 後,自. 由 ク ラ ブ所 属 県 議 の 一一 部 は 自 由党 会 派 に,一 一 部 は民. 主 党 会 派 に,そ れ ぞ れ 所 属 した。 そ して や は り前 任 期 中 に分 裂 した社 会 党 は,左 右 両 派 に分 か れ て 会 派 を 維 持 した。 さて,国 政 レヴ ェル で 社 会 党 が 統 一 され 自民 党 が 結 成 され る と,神 奈 川 県 議 会 で も1956年2月. に,民 主 党. と 自 由党 が合 流 して 自民 党 会 派 が,左 右 両 派 が一緒 に な って 社 会 党 会派 が, それ ぞれ 発 足 して い る。 な お,無 所 属 系 会 派 は 自民 党 に合 流 しな か っ た。 この よ う に,神 奈 川 県 議 会 の 会 派 構 成 は,国 政 に お け る政 党 の 流 動 状 況 を ほ ぼ その ま ま反 映 した もの だ っ た。 そ して それ は保 守 政 界 に留 ま らず 革 304.
(17) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 新 政 界 につ いて も確 認 で き た。. 2.15.新. 潟県議会. 1947年 の 県 議 選 で 僅 差 で 最 大 会 派 とな っ たの は社 会 党 だ った 。 そ の 後, 一一 部 無 所 属 議 員 が 自 由党 へ 異 動 した た め,社 会 党 はそ の 座 を 追 わ れ る こ と とな っ た。 日本 自 由党 は民 主 自 由党 を 経 て1950年3月. に 自 由党 にな って い. た。 この ほか 民 主 党 会 派 も この と き既 に存 在 して いた 。 戦 後2期. 目の 県 議 会 で も 自 由党 が 最 大 会 派 とな った 。 民 主 党 は改 進 党 を. 経 て 国 民 民 主 党 にな り,社 会 党 は1951年10月 に左 右 両 派 に分 裂 した 。 この 両 派 の 分 裂 は1955年 の 県 議 選 後 に も持 ち越 され,民 主 党,自. 由党,右 派 社. 会 党,左 派 社 会 党 そ して 無 所 属 系 会 派 で 議 会 を 構 成 した 。 民 主 党 と 自 由党 は無 所 属 系 会 派 所 属 県 議 も巻 き込 ん で1956年1月. に合 流 した がql),左 右 両. 派 社 会 党 の 合 流 は約2ケ 月 遅 れ た。 以 上 の 通 り,新 潟 県 で も国 政 並 み の 政 党 政 治 の 展 開 が 見 られ た と確 認 で き る。 ただ,社 会 党 の 合 流 が 自民 党 の 合 流 に遅 れ た こ とが 新 潟 県 の 特 徴 で も あ る。. 2.16.富. 山県議会. 1947年 春,富. 山 県 議 会 で 最 大 会 派 の 位 置 を 占 め た の は,民. 党 で も な く 「農 本 党 」 だ っ た 。 こ の. 主党で も自由. 「農 本 党 」 所 属 県 議 の ほ と ん ど は,こ. の 任 期 中 に 民 主 党 入 り し た 。 しか し1951年 の 県 議 選 後 に 第 一 会 派 と な っ た の は 自 由 党 で あ り,民. 主 党 や 無 所 属 系 会 派 が それ に続 いた 。 民 主 党 会 派 は. 一一 つ の 無 所 属 系 会 派 と 合 流 して1952年4月 由 党 議 員 な ど を 含 ん で1954年12月 革 新 政 党 に 目 を 転 ず る と,1947年 1955年. に は4名. に改 進 党 とな り. ,さ. ら に一 部 自. に 日本 民 主 党 とな る。 の 県 議 選 後 に は5名,1951年. の 県 議 を 数 え る だ け で あ り,左. 305. に は2名,. 右 両 派 に分 か れ る ほ どで は.
(18) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. な か っ た よ うで あ る。1956年4月,自. 由党,民 主 党 と無 所 属 系 会 派 は 自 由. 民 主 党 会 派 を 結 成 し,県 議 会 の8割 以 上 を 占 め る大 会 派 とな っ た。 富 山県 で は,戦 後 初 期 に地 域 政 党 と お ぼ しき 「農 本 党 」 が 全 面 に 出て い た もの の,や が て 国 政 政 党 が 県 政 の 中心 を 占 め る よ う にな り,そ の 後 は国 政 の 党 派 的 枠 組 み に従 っ た政 治 展 開 が 見 られ た。. 2.17.石. 川県議会. 石 川 県 議 会 で は民 主 党 の 勢 力 が 強 く,1947年 県 議 選 後,県 議 会 の 過 半 数 を 占 めて い た。 これ に続 い たの が 自 由党 で あ り,社 会 党 の ほか 国 民 協 同党 も議 席 を 有 して い た。 民 主 党 優 位 の 体 制 は1951年 の 改 選 後 も続 き,自 由党 は大 きな 勢 力 にな れ な か っ た。 民 主 党 は1952年3月 議 員 が い っ たん 別 会 派 を 組 織 した もの の,1953年. に改 進 党 にな り,一 一 部 末 に 自 由党 も巻 き込 ん で. 「県 政 ク ラ ブ」 を 発 足 さ せ る に 至 った 。 他 方 社 会 党 は,1952年3月. に左 右. 両 派 に分 裂 した。 1955年1月. の 知 事 選 で は 自 由,社 会 両 党 の 推 薦 を 受 け た 田谷 充 実 が 当選. したが,田 谷 自身 民 主 党 に も公 認 申請 を 出 して い た こ と も あ って か,同 年 の 県 議 選 後 の 保 守 提 携 もす ん な りと進 ん だ よ うで あ る。1955年12月 に左 右 両 派 社 会 党 は統 一一され,自. 由,民 主 両 党 も無 所 属 系 会 派 所 属 県 議 らと と も. に 自民 党 に合 流 して い る。 以 上 を ま と め る と,国 政 ほ ど保 守 系 議 員 が 様 々な 政 党 に入 り乱 れ る姿 は 確 認 で きな か っ た もの の,石 川 県 で も ま た,ほ ぼ国 政 同様 の 政 治 展 開 を た ど って い る こ とが わ か っ た。. 2.18.福. 井県議会. 1947年 の 県 議 選 後,自 方,社. 由 ク ラ ブ と 民 主 ク ラ ブ が 県 議 会 で 双 壁 を な し た 一一. 会 党 は 議 席 を 獲 得 で き な か っ た 。 こ の 両 会 派 は1950年2月. 306. に 自 由民.
(19) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 主 ク ラ ブ と い う統 一一 会 派 を 組 み,そ の 保 守 提 携 の 枠 組 み は次 回 県 議 選 後 の 「一一 新 会 」 とな り,ま も な く県 会 自由 党 とな っ た。 しか し前 任 期 中 第 三 会 派 だ っ た 「農 林 ク ラ ブ」 所 属 県 議 が 新 人 議 員 と 「政 和 会 」 と い う会 派 を 組 み,こ の 会 派 が 改 選 後 議 会 過 半 数 を 占 め た。 社 会 党 も この と き初 めて2議 席 を 獲 得 した。 政 和 会 は1951年9月. に分 裂 し,そ の う ちの 一 つ の 会 派 が 県. 会 自 由党 と合 流 して 自 由 ク ラ ブを 結 成 したが,翌 年5月. に は この 自 由 ク ラ. ブが 分 裂 す るな ど,非 常 に頻 繁 に会 派 の 結 成 と解 散 が 繰 り返 され た 。 全 議 席 数41人 の 県 議 会 に 自 由党 員 が25人 い たが,国 政 政 党 を 軸 と して 県 議 が 一・ 致 団 結 して 行 動 で きて いな い様 子 が 確 認 で き る。 この 保 守 系 会 派 の 不 安 定 さ は1955年 の 県 議 選 後 も続 く。 組 織 議 会 で は, 自 由党 と社 会 党 の ほか に 出身 地 域 ご と に組 まれ た会 派 が 少 な くと も2つ 誕 生 し,さ らに も う一一 つ 無 所 属 会 派 が 存 在 して い た。1955年11月 に は 自民 党 ク ラ ブが 結 成 され たが 過 半 数 に は遠 く及 ばず,1956年2月. に他 会 派 か ら流. れ て き た県 議 を 受 け入 れ て 初 めて 過 半 数 を 占 め た もの の,同 年8月. に は流. 出者 が 出て 再 び過 半 数 を 割 っ た。1957年 末 にな って ほぼ す べ て の 保 守 系 県 議 を ま と め た 自 由民 主 党 議 員 会 が 発 足 した もの の,翌 年3月. に は また も分. 裂 す るな ど,非 常 に頻 繁 な 県 議 の 会 派 異 動 が 見 られ た の で あ る。 福 井 県 で は,1959年. 以 降 も 自民 党 の 分 裂 が 再 三 生 じた。. 以 上 の 経 緯 か らす る と,福 井 県 に お いて は国 政 にお け る政 党 の 離 合 集 散 は あ ま り問 題 とな らな か っ た と結 論 づ け る こ とが で き る。 革 新 勢 力 が 非 常 に弱 いな か で,保 守 系 県 議 が 千 々 に入 り乱 れ,そ れ は 自民 党 結 成 後 も続 い たの で あ る。. 2.19.山. 梨県議会. 1947年 の 県 議 選 直 後 の 山梨 県 議 会 の 詳 しい会 派 構 成 につ いて は残 され た 資 料 か らはわ か らな い。41人 の 県 議 の う ち10人 が 民 主 党,5人 307. が 自 由党,.
(20) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 8人 が 社 会 党 だ っ たが,こ れ 以 外 に4人 が 「山梨 社 会 党 」 を 名 乗 っ た こ と か ら,国 政 政 党 が まだ 県 政 レヴ ェル に浸 透 して いな い こ とが うか が い知 れ る。1951年 の 県 議 選 後 に よ うや く会 派 活 動 が な され た こ とが は っ き りと確 認 で き るが,国 政 政 党 名 を 冠 した会 派 は社 会 党 と民 主 ク ラ ブだ けで あ り, その 数 も合 わ せ て10人 だ っ た。 よ うや く国 政 並 み の 政 党 政 治 が 展 開 され る よ う にな っ た と推 測 され るの は,1951年. 末 の 自 由 ク ラ ブ会 派 の 結 成 を 見 て か らで あ る。 翌 年3月. に は民. 主 党 会 派 も結 成 され,か つ て は 同一一 の 無 所 属 系 会 派 に所 属 して い た県 議 た ちが 挟 を 分 か って い っ た。 改 進 党 に所 属 した議 員 の 多 くは その 後 日本 民 主 党 に移 行 した 。 しか しそ れ で も無 所属 会 派 に所 属 す る県議 の数 も多 く,1955 年 の 県 議 選 後 に その 状 況 は引 き継 が れ た。 それ は42人 の 県 議 中 自 由党 会 派 所 属 県 議 が5人,民. 主 党 会 派 所 属 県 議 が10人 に過 ぎな か っ た こ とか ら確 認. で き る。 ただ,同 年12月 に 自民 党 会 派 が 結 成 され る と,他 の 無 所 属 会 派 一一 つ も巻 き込 ん で,議 会 過 半 数 を 超 え る大 会 派 を 構 成 す る に至 っ た。 この よ う に,山 梨 県 で は,1950年. 代 に入 る まで 国 政 レヴ ェル の 政 党 政 治. が な か な か 県 政 に まで 浸 透 しな か っ た と い う こ とが で き る。 会 派 構 成 が 安 定 す るの も,1955年. 2.20.長. に 自民 党 が 結 成 され て か らな の で あ る。. 野県議会. 残 念 な が ら長 野 県 議 会 につ いて は,戦 後 初 期 の 会 派 構 成 の 変 動 を 記 した デ ー タ はな い⑫。 せ いぜ い確 認 で き るの は,県 議 の 所 属 党 派 だ けで あ る。 1947年 の 県 議 選 で は,民 主 党,社 会 党,自 れ8な. 由党,国 民 協 同党 か らそれ ぞ. い し12人 が 当選 した ほか,共 産 党 県 議 も1人 誕 生 して い る。 その4. 年 後 に は,自 由党 が18人,社. 会 党 が14人,民. 主 党 が3人 な ど とな っ たが,. 無 所 属 議 員 が24人 と前 回 選 挙 時 よ りも増 加 した。1955年 の 県 議 選 後 に は, 右 派 社 会 党 が11人,左. 派 社 会 党 と 自 由党 が それ ぞ れ8人 を 県 議 に 当選 させ 308.
(21) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. る こ と に成 功 した が,「 信 政 会 」 や 無 所 属 議 員 が 県 議 全 体 の過 半 数 とな っ た⑱。 ま た,無 所 属 議 員 は政 党 に属 さず に独 自会 派 を構 成 した こ とか ら⑭, 結 局 の と こ ろ,戦 後 初 期 に は国 政 並 み の 政 党 政 治 が 長 野 県 政 で な か な か 展 開 され な か っ た よ う に思 わ れ る。. 2.21.岐. 阜県議会. 1947年 の 県 議 選 後 に議 会 過 半 数 を 握 っ たの は民 主 党 系 の 「県 政 ク ラ ブ」 だ っ た。 その ほか 県 政 自 由 ク ラ ブ と県 政 社 会 ク ラ ブが 県 議 会 を 構 成 す る と い う状 況 で あ った 。 この 県 政 自 由 ク ラ ブ は そ の 後 民 主 自 由 ク ラ ブ を経 て 1950年3月. に 自 由 ク ラ ブへ と名 称 変 更 して い る。 他 方 県 政 ク ラ ブ は1949年. 6月 に議 長 ポ ス トの 処 遇 を め ぐって 分 裂 した。 次 期 改 選 後 に は,県 議 会 自 由 ク ラ ブが 過 半 数 とな り,民 主 党 系 の 「同志 ク ラ ブ」,県 政 社 会 ク ラ ブ な どが続 い た 。 同 志 ク ラ ブ は そ の後 無 所 属 系 小 会 派 を 巻 き込 み 「公 正 ク ラ ブ」 へ と名 を 変 え たが,1954年5月. に一 部 所 属. 県 議 は 自 由党 へ,残 りは知 事 選 を 前 に新 し く結 成 さ れ た 「県 政 刷 新 同志 会 」 へ と異 動 した。 同時 期 自 由 ク ラ ブ も分 裂 し,そ の 一 部 は県 政 刷 新 同志 会 所 属 とな っ た。 他 方 社 会 党 は,中 央 政 界 に お け る社 会 党 の 左 右 分 裂 に もか か わ らず,統 一一 会 派 と して 行 動 を 続 け た。 1955年 の 県 議 選 後 に発 足 した会 派 は,県 政 自 由党,民 主 ク ラ ブ,県 政 ク ラ ブ,社 会 ク ラ ブの4つ で あ っ たが,1955年11月. に まず は県 政 自 由党 と県. 政 ク ラ ブが 合 同 して 自 由民 主 ク ラ ブ とな り,翌1956年3月. に は民 主 ク ラ ブ. も加 わ って 県 政 自 由民 主 党 とな っ た。 この よ う に,岐 阜 県 議 会 で は,民 主 党 系 県 議 が な か な か 会 派 レヴ ェル で 「民 主 」 を 名 乗 らな か った一 方 で,頻. 繁 な会 派 分 裂 と併 合 を繰 り返 して い. た。 これ が 落 ち着 い た 契 機 は や は り,中 央 政 界 に お け る 自民 党 の 結 成 で あ っ た と いえ よ う。 309.
(22) 近畿大学法学. 2.22.静. 第58巻 第2・3号. 岡県議会. 1947年 の 県 議 選 後 に成 立 した会 派 は,民 主 自 由党,社 会 党,民 主 党,国 民 協 同党 そ して 「新 政 会 」 の5つ で あ っ た。 民 主 党 と国 民 協 同党 は1949年 6月 に合 流 して民 主 ク ラ ブ とな り,翌1950年5月. に 国民 民 主 党 とな った が,. この 間 所 属 県 議 の か な りの 数 が 新 政 会 所 属 県 議 らと と も に民 主 自 由党 に異 動 した た め,1949年 由党 は1950年1月. 時 点 で 民 主 自 由党 は議 会 過 半 数 を 占 め た。 この 民 主 自 に 自 由党 に衣 替 え した。. 1951年 の 改 選 後 も 自 由党 が 圧 倒 的 多 数 を 占 め た が,次 1955年2月. の県 議 選 直 前 の. に一一 部 の 県 議 が 日本 民 主 党 に異 動 して い る。 県 議 選 後 に は,自. 由党 と 日本 民 主 党 が ほ ぼ互 角 の 勢 力 とな り,そ の あ と に無 所 属 系 会 派 や, 1951年11月 に左 派 と右 派 と に分 裂 して い た社 会 党 系 の 「革 新 ク ラ ブ」 が 続 い た。1955年11月,自. 由党,日 本 民 主 党 と無 所 属 系 会 派 が 合 流 して 自 由民. 主 党 とな り,革 新 ク ラ ブ も社 会 党 へ と名 称 変 更 し,静 岡県 議 会 に お け る 「1955年体 制 」 が成 立 した。 静 岡県 議 会 で は 自 由党 が 大 きな 勢 力 を 担 っ た もの の,保 守 勢 力 も革 新 勢 力 も国 政 並 み の 分 裂 を 経 験 し,国 政 同様 の 保 守,革 新 二 大 政 党 の 成 立 を 見 た と ま と め る こ とが で き る。. 2.23.愛. 知県議会. 1947年 の 県 議 選 後 愛 知 県 議 会 に 見 られ た 会 派 は,民 ブ,自. 由 党,そ. 主 ク ラ ブ,社. して 国 民 協 同 党 所 属 県 議 も 含 ま れ る 「愛 政 ク ラ ブ 」 で あ っ. た 。 自 由 党 は1948年3月. に 民 主 自 由 党 に な り,1950年2月. に 自 由党 と名 称. 変 更 し た 。 民 主 ク ラ ブ 県 議 や 他 会 派 所 属 県 議 の 一一 部 は1950年 異 動 し た 。1951年 届 か ず,民. 会 クラ. の 改 選 後,自. 主 ク ラ ブ,社. 民 主 ク ラ ブ は1953年5月. 末 に 自 由党 に. 由 党 が 第 一一 会 派 とな っ たが 議 会 過 半 数 に は. 会 ク ラ ブ,そ に 改 進 党 に,そ. 310. して 愛 政 ク ラ ブ が しの ぎ を 削 っ た 。 して1954年12月. に 日本 民 主 党 に名.
(23) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 称 変 更 して い るが,自. 由党 か ら日本 民 主 党 に移 った 県 議 は確 認 で きな か っ. た。 この 任 期 中分 裂 しな か っ た社 会 党 は1955年 の 県 議 選 後 に左 右 両 派 で そ れ ぞ れ 日本 社 会 党 と社 会 ク ラ ブ と い う別 会 派 を 立 て た 。 自 由 ク ラ ブ は過 半 数 にわ ず か に届 か ず,日 本 民 主 党 が それ に続 い た。1956年2月,先. に両 派. 社 会 党 系 会 派 が 統 一一され,そ の3ケ 月 後 に 自 由党 と 日本 民 主 党,そ. して 愛. 政 ク ラ ブの ほ とん どの 県 議 が 合 流 して 自 由民 主 党 会 派 を 結 成 した 。 この よ う に,愛 知 県 で は,自 由党 か ら日本 民 主 党 に合 流 した 県 議 は見 ら れ な か っ た と は いえ,国 政 同様 の 会 派 構 成 が 見 られ,1956年. の 自社 両 党 対. 決 へ と続 い た。. 2.24.三. 重県議会. 三 重 県 議 会 の 会 派 異 動 に模 様 につ いて は あ ま りわ か らな いが,1947年. の. 県 議 選 後 最 大 会 派 とな っ たの は,自 由党 や 民 主 党,社 会 党 で はな く,保 守 系 会 派 「新 政 会 」 で あ っ た。1951年 の 県 議 選 後 で も第 一 会 派 が 「火 曜 会 」, 第 二 会 派 が 「農 政 会 」 で あ っ た し,1955年 の 県 議 選 後 も農 政 会 が 最 大 会 派 で あ っ た。 この よ う に,国 政 政 党 会 派 が 主 導 権 を 握 れ な い状 況 で あ った な か,民 主 党 は国 民 民 主 党,改 進 党,民 主 ク ラ ブへ と衣 替 え して い る。 中央 政 界 に お い て 社 会 党 が 統 一 さ れ,自 1956年,民. 主 党 と 自 由党,そ. 由 民 主 党 が 結 成 さ れ た翌 年 の. して 一一 部 無 所 属 会 派 所 属 県 議 が 自民 党 に結 集. したが,そ れ で も議 会 過 半 数 を 占 め る こ とが で きな か った 。 自民 党 が 圧 倒 的 多 数 とな るの は,農 政 会 が 自民 党 に合 流 した1961年8月. 以 降 で あ る。. 三 重 県 政 の 特 徴 の 一一 つ は,戦 後 初 期 に お け る国 政 政 党 の 勢 力 の 弱 さで あ る と いえ よ う。 自民 党 が 他 県 並 み の 勢 力 を 誇 る よ う にな るの は,1960年 に入 って か らな の で あ る。. 311. 代.
(24) 近畿大学法学. 2.25.滋. 第58巻 第2・3号. 賀県議会. 1947年 の 県 議 選 を 経 験 した 滋 賀 県 議 会 で 過 半 数 を 占 め た の は 民 主 党 で あ っ た。 無 所 属 県 議 の 多 くも任 期 末 まで に 自 由党 に異 動 した た め,自 由党 の 民 主 党 や 社 会 党 に対 す る優 位 は い っそ う強 ま っ た。 そ の流 れ を受 けて 1951年 の 改 選 後 も過 半 数 を 維 持 した 自 由党 だ っ たが,1954年12月. に分 裂 し. て しま う。 他 方,構 成 人 数5人 の 小 会 派 だ っ た改 進 党 も 同時 期 に分 裂 し, 自 由党 と改 進 党 に所 属 して い た一一 部 県 議 とで 翌 年 県 民 主 党 連 合 会 を 発 足 さ せ て い る。 この よ うな 分 裂 の 背 景 に は,い ず れ も知 事 を 経 験 す る服 部 岩 吉 と森 幸 太 郎 の 対 立 が あ っ た よ うで あ る⑮。 1955年 の 県 議 選 後,民 主 党 が 第 一一 会 派 とな っ たが 過 半 数 を 占 め られ ず, 自 由党,社 会 党 が これ に続 い た。 民 主 党 と 自 由党 は1955年11月 に 自民 党 会 派 を結 成 したが,1958年. の 知 事 選 で 谷 口久 次 郎 を 推 した反 森 派(旧. 自 由党. 系)が 新 会 派 「自民 党 刷 新 会 」 を 発 足 させ て い る。 な お,社 会 党 の 会 派 は 分 裂 しな い ま まだ っ た よ うで あ る。 滋 賀 県 で は,保 守 系 代 議 士 の 党 派 異 動 と知 事 の 座 を め ぐる争 いが,県 議 会 の 会 派 構 成 に大 きな 影 響 を 及 ぼ した と ま と め る こ とが で き よ う。. 2.26.京. 都府議会. 1947年 の 府 議 選 後 の 会 派 構 成 は,社 会 党,自. 由党,民 主 党 が それ ぞ れ ほ. ぼ互 角 の 勢 力 を 有 す る と い う状 況 で あ っ た。 これ ら3会 派 は無 所 属 議 員 を 自陣 に引 き入 れ な が ら勢 力 を 拡 大 し,自 由党 は民 主 自 由党 を 経 て1950年3 月 に 自 由党 に名 称 変 更 して い る。 蜷 川 虎 三 が 知 事 に 当選 した後 の 県 議 選 で も,自 由 ク ラ ブ,社 会 ク ラ ブ,国 民 民 主 党 が 三 大 勢 力 とな り,こ れ に共 産 党 所 属 県 議 らで 構 成 す る 「民 統 ク ラ ブ」 が 続 い た。1953年2月,自 ブ,社 会 ク ラ ブ,そ. 由クラ. して 国 民 民 主 党 か ら名 前 を 変 え た改 進 ク ラ ブの 一一 部議. 員 が 会 派 離 脱 して12名 で 「純 正 ク ラ ブ」 を 結 成 した もの の,1954年 312. の知事.
(25) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. 選 後,自 由 ク ラ ブ と改 進 ク ラ ブが 合 流 して府 議 会 過 半 数 を 占 め る 「公友 会 」 を 結 成 した。 1955年 の 県 議 選 後,旧 公 友 会 は 「公 政 会 」 と して 存 続 し,1956年1月. に. その ま ま 自 由民 主 ク ラ ブ に移 行 したが 議 会 過 半 数 に は遠 く届 か ず,旧 純 正 ク ラ ブ所 属 県 議 らは 「清 風 会 」 を つ くっ た。 社 会 党 は分 裂 す る こ とな く社 会 ク ラ ブを 結 成 し,共 産 党 議 員 団 も4名 で 発 足 させ て い る。 以 上 を ま と め る と,京 都 府 で は,革 新 知 事 が 当選 した こ とを き っか け に 会 派 異 動 が 見 られ る よ う にな り,比 較 的 弱 か っ た保 守 勢 力 の 結 集 が,国 政 よ りも早 期 に行 わ れ る こ と とな っ た。. 2.27.大. 阪府議会. 大 阪 府 議 会 に お け る戦 後 初 期 の 会 派 異 動 の 詳 しい 内容 につ いて は資 料 の か ぎ りわ か らな い。1947年 の 府 議 選 後 に は,民 主 党 所 属 府 議 が 最 も多 く, 社 会 党,自. 由党 が それ に続 い た。 この ほか 国 民 協 同党 所 属 府 議 や 無 所 属 府. 議 が 確 認 で き た。1951年 府 議 選 で は,自 由党 所 属 府 議 が35人 とな り,社 会 党 が21人,民. 主 党 が14人,共. 産 党 が1な. どだ っ た⑯。. 府 議 の 会 派 異 動 が 確 認 で き るの は1955年 の 改 選 後 で あ る。 この と きの 会 派 構 成 は,自 由党 と民 主 党 が それ ぞ れ20人 強,左 右 両 派 社 会 党 が そ れ ぞ れ 10人 強 と い う所 帯 だ っ た。 翌 年1月,自. 由党 が 自 由民 主 党 大 阪 府 会 議 員 団. 第 一一,民 主 党 が 自 由民 主 党 大 阪 府 会 議 員 団 第 二 とな り,4月. にな って よ う. や く議 会 過 半 数 を 占 め る 自 由民 主 党 大 阪 府 会 議 員 団 が 成 立 した 。 また 同時 期 に社 会 党 も一一 つ の 会 派 に ま と ま っ た。 と こ ろが,議 長 改 選 を め ぐって 自 民 党 が1957年1月,1958年6月. と2回 分 裂 を し,次 期 改 選 を 迎 え る まで 分. 裂 した ま まで あ っ た。 限 られ た資 料 か ら言 え るの は,革 新 勢 力 が 国 政 同様 に分 裂 した こ と と, 国 政 並 み に 自民 党 が結 成 さ れ た も の の,会 派 と して は な か な か 安 定 しな 313.
(26) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. か っ た こ とで あ る。. 2.28.兵. 庫県議会. 兵 庫 県 で は早 くか ら保 守 合 同が な り,自 由,民 主 両 党 所 属 県 議 が 兵 庫 県 民 主 政 治 会 を 構 成 し,「 民 主 政 治 ク ラ ブ」 会 派 を つ くって 民 選 後 の兵 庫 県 議 会 の 過 半 数 を 占 めて い た。 しか し,1951年 の 県 議 選 後 に は,議 会 過 半 数 を持 つ 自 由党 議 員 団 と民 主 党 系 の 「新 政 会 」 と に分 か れ て しま う。1954年 12月,知. 事 選 で 社 会 党 の 推 薦 を 受 け た阪 本 勝 が 当選 す る と,新 政 会 県 議 が. 自 由党 議 員 団 の 相 当の 部 分 と新 し く 「公 正 会 」 と い う会 派 を 結 成 し,こ の 公 正 会 が 議 会 多 数 派 を 占 め る よ う にな っ た。 この 公 正 会 は1955年 の 県 議 選 後 に も最 大 会 派 と して 保 守 系 議 員 を 束 ね,同 年12月 に は 自 由党 議 員 団 を 引 き入 れ たか ら,実 質 的 に は こ こで 保 守 一一 大 会 派 が 成 立 す る こ と とな る⑰。 他 方 革 新 陣 営 側 は,日 本 社 会 党,そ. して 社 会 党 議 員 団 が 分 裂 す る こ とな. く一 つ の 会 派 で 行 動 して い る。 この よ う に,兵 庫 県 で は早 々か ら保 守 系 会 派 が 一一 つ に ま と ま る経 験 を 有 して お り,そ れ が 会 派 構 成 の 安 定 を も た ら した と い う こ とが で き る。 会 派 変 動 が 見 られ たの はむ しろ,国 政 に お け る政 党 の 離 合 集 散 で はな く,知 事 選 の 結 果 が 影 響 した ゆえ で あ っ た。. 2.29.奈. 良県議会. 奈 良 県 につ いて も県 議 ご との 会 派 異 動 の 模 様 につ いて は は っ き りと はわ か らな い。1948年3月,民. 主 自 由党 県 議 らが 参 加 す る 「大 和 ク ラ ブ」 と民. 主 党 や 社 会 党 県 議 らが 所 属 す る 「十 日会 」 の 二 つ が あ っ た こ と は確 認 で き る。 この 後,若 干 の 会 派 異 動 が あ っ た後,1949年9月. に民 自,民 主 両 党 や. 国 民 協 同 党 県議 らが 団結 して 「県政 同志 会 」 と い う大 会 派 を つ くって い る。 こ の 県 政 同志 会 の 多 くの 県 議 は,1950年8月 314. に 自 由党 県 議 団 へ と移 行 し.
(27) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治. た⑱。 1951年 の 県 議 選 後,自. 由党 が 最 大 会 派 とな り,無 所 属 系 の 第 二 会 派 と社. 会 党 が 県 議 会 を 構 成 した。 この 自 由党 は役 員 改 選 を き っか け に1954年 夏 に 2会 派 に分 裂 して い る。そ して1955年 の改 選 後 も 自由党 が最 大 会 派 とな り, 民 主 党 会 派 も4人 で 再 出発 したが,1955年12月. に両 会 派 や 無 所 属 会 派 所 属. 議 員 が 合 流 して 自民 党 とな って い る。 社 会 党 は,右 派 と左 派 が そ れ ぞ れ 分 立 して 任 期 を 始 め たが,こ. ち らも 同時 期 に統 一一 会 派 日本 社 会 党 とな って い. る。 奈 良 県 で は,少 な くと も戦 後 直 後 は国 政 政 党 の 影 が 非 常 に薄 か った こ と が 確 認 で き た。1950年 代 に入 って よ うや く自 由党 を 中心 と した 国 政 政 党 が 県 政 に も見 え 隠 れ す る よ う にな り,1955年 末 に 自社 両 党 が 県 議 会 内 に発 足 して よ うや く政 党 対 立 が 本 格 化 す る よ う にな っ た と いえ よ う。. 2.30.和. 歌山県議会. 1947年 の 県 議 選 の 後,自. 由党 議 員 が 中心 とな って 「政 和 会 」 を 結 成 した. ほか,民 主 ク ラ ブ,社 会 党,国 民 協 同党 議 員 らで つ くった 「中正 ク ラ ブ」 が 県 議 会 を 彩 っ た。 次 期 県 議 選 の 直 前 にな って 民 主 ク ラ ブ は分 裂 し,中 正 ク ラ ブ と合 流 して 「革 新 同志 会 」 を 立 ち上 げて い る。 この 旧革 新 同志 会 県 議 と 旧民 主 ク ラ ブ所 属 県 議 は,1951年 て 議 会 過 半 数 を 握 り,旧. の 改 選 後,「 新 政 ク ラブ」 を構 成 し. 「政 和 会 」 系 の 「県 政 ク ラ ブ」 や 社 会 ク ラ ブを 凌. 駕 した。 その 後 この 県 政 ク ラ ブ は1953年6月. に 「政 和 ク ラ ブ」 へ と名 称 を. 変 え て い る。1955年 の 県 議 選 の 後 も新 政 ク ラ ブが 政 和 ク ラ ブや 社 会 ク ラ ブ に対 す る優 位 を 続 け たが,こ の 両 会 派 は 中央 政 界 で 自民 党 が 結 成 され た 後 も,次 期 改 選 を 経 験 す る まで 合 流 す る こ と はな か った 。 他 方,社 会 ク ラ ブ は分 裂 す る こ とな く,そ の 後 も存 続 して い る。 この 状 況 を 見 るか ぎ り,和 歌 山県 議 会 に お け る国 政 の 影 響 は あ ま り確 認 315.
(28) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. で きな い。 た しか に社 会 党 は単 一会 派 を 組 ん で 存 続 して い た もの の,保 守 陣 営 に お いて 中央 政 界 に お け る政 党 の 離 合 集 散 に合 わ せ た会 派 異 動 は あ ま り確 認 で きな か っ た し,何 よ りも 自民 党 系 会 派 の 結 成 が1959年 まで 遅 れ た こ とが,特 筆 す べ き点 で あ ろ う。. 2.31.鳥. 取県議会. 鳥 取 県 で は,1947年. の 県 議 選 後,「 革 新 連 合 」,「大 和 クラ ブ」,社 会 党 の. 3つ の 会 派 が で き たが,革 新 連 合,大 和 ク ラ ブ に は 中央 政 党 との つ な が り が な か っ た⑲。 保 守 二 大 政 党 が 県 議 会 内 に明 白 に足 が か りを持 た な い と い う状 況 は1951年 の 改 選 後 も続 き,こ の と き も 「新 政 会 」 と 「革 新 同志 会 」 の2会 派 が,議 員2名 の 社 会 党 を 圧 倒 した。 新 政 会 は 同年9月. に解 散 し,. 一 部 革 新 同志 会 議 員 と 「中正 会 」 を 構 成 して 議 会 過 半 数 を 得 たが ,1952年 10月 に は一一 部 革 新 同志 会 議 員 が 中正 会 の 一一 部 議 員 らと 「公 友 倶 楽 部 」 を, それ 以 外 の 革 新 同志 会 議 員 が 無 所 属 議 員 らと 「県 政 同志 会 」 を,そ れ ぞ れ 発 足 させ て お り,会 派 名 か らも 中央 政 党 が 影 響 を 及 ぼ した様 子 は確 認 で き な い。1955年 の県 議 選 後 も,「 明 政 会 」 が議 会 過 半 数 を 占 め る最 大 会 派 と な り,「無 所 属 クラ ブ」 が そ れ に続 い た が,「 社 会 党 」 の 名 称 は1952年10月 に 当時 所 属 して い た2議 員 が 県 政 同志 会 に異 動 して か らは1959年 の 改 選 ま で 見 られ な くな っ た。 明 政 会 と ほ とん どの 無 所 属 ク ラ ブ県 議 は合 流 して, 1956年6月. に鳥 取 県 会 自 由民 主 党 とな っ た。. この 経 緯 か ら見 て も,鳥 取 県 政 に対 す る 中央 政 党 の 離 合 集 散 の 影 響 力 は あ ま り見 え な い。 明 白 に それ が 現 れ る よ う にな るの は,1956年. に県 議 会 内. に 自民 党 が 発 足 す る よ う にな って か らな の で あ る。. 2.32.島. 根県議会. 島根 県 で も国 政 に準 じた形 で の 会 派 活 動 は あ ま り活 発 で はな か っ た よ う 316.
(29) 戦 後 初 期 の 日本 にお け る国 政 と地 方 政 治 で あ る 。資 料 が 確 認 で き る1948年 民 主 自 由 党 が2人. の 時 点 で は 民 主 党 が13人,社. 存 在 し て い た が,「 中 立 」 議 員 は16人 を 数 え た 。1949年. に 無 所 属 は20人,1950年. に は13人 と,ま. わ れ て い な か っ た よ う で あ る 。1951年 人 い た が,そ て,こ. の 後,自. れ ら3会. 会 党 が10人,. 由 ク ラ ブ,社. だ ま だ 党 派 に 基 づ く議 会 活 動 は 行. の 県 議 選 後 も な お,無. 所 属 議 員 が19. 会 党,民. 主 党 に分 属 す る議 員 が 出て き. 派 に 属 す る 議 員 の 割 合 が7割. を 超 え た 。 しか しな ぜ か 民 主. 党 は 改 進 党 に 会 派 名 を 変 更 し た あ と,1953年. に は 「県 政 ク ラ ブ 」 に 衣 替 え. して い る 。 島 根 県 政 に お け る 政 党 活 動 は1955年 て き た よ う で あ る 。 自 由 ク ラ ブ,県 して い た が,こ. の 改 選 後 に な っ て よ う や く本 格 化 し. 政 ク ラ ブ,社. の う ち の 前 二 者 が 合 流 して1956年. 会 ク ラ ブ の3会. 派が鼎立. に は 自 由民 主 党 とな って. い る。 こ の よ う に 見 て く る と,島 成 さ れ る ま で,中. 根 県 議 会 の 会 派 構 成 も,1955年. に 自民 党 が 結. 央 政 界 に お け る 状 況 と 一一 定 の 連 動 性 しか 持 た な か っ た と. ま と め る こ とが で き る。. 2.33.岡. 山県議会. 1947年 の 県 議 選 後 に最 大 勢 力 とな っ たの は国 民 協 同党 だ った 。 そ の 他 民 主 党,自. 由党,社 会 党 と い っ た国 政 政 党 が 会 派 を 持 って いた が,そ の 後 激. しい会 派 の 離 合 集 散 が 見 られ た。1949年 に,国 民 協 同党 の 一 部 議 員 が 民 主 党 に合 流 した り,民 主 党 に流 れ な か っ た 旧国 民 協 同党 の 議 員 が1950年 に 自 由党 会 派 に入 っ た り,民 主 党 議 員 が 自 由党 に移 っ た りと い った 議 員 の 動 き が 確 認 で き るの で あ る。 この 頻 繁 な 会 派 異 動 が 落 ち着 くの は,次 の 任 期 に 入 って か らで あ り,1954年. に い っ たん2つ の 会 派 に分 裂 した と は いえ,自. 由党 が 県 議 会 の 過 半 数 を 占 め た。 他 方 社 会 党 は分 裂 す る こ と はな か った 。 1955年 の 改 選 後 に は,自 由党,日 本 民 主 党 それ ぞ れ に所 属 して いた 県 議 317.
(30) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. が 同一 会 派 「県 政 同志 会 」 を 構 成 し,こ の 会 派 が 議 会 の8割 近 くの 議 席 を 占 め た。 この 県 政 同志 会 は,同 年 末 にす ん な りと 自民 党 に移 行 して い る。 他 方,「 革 新 ク ラ ブ」 に 所 属 して い た県 議 は,一 一 部 が 自民 党 に合 流 し,一 一 部 が 社 会 党 に会 派 異 動 して い る。 以 上 の と お り,国 民 協 同党 議 員 の 民 主 党 入 りや 自 由党 会 派 の 分 裂,さ. ら. に は後 に社 会 党 に合 流 す る県 議 が2会 派 分 属 と い っ た点 に注 目す る と,国 政 レヴ ェル で の 政 党 の 離 合 集 散 が 岡 山県 議 会 に波 及 した と いえ るの で はな い だ ろ うか 。. 2.34.広. 島県議会. 戦 後 初 期 の 広 島県 議 会 に お け る国 政 政 党 会 派 の 勢 力 は弱 か っ た。1947年 の 県 議 選 後,自. 由党,民 主 党,社 会 党 が それ ぞ れ 会 派 を 構 成 したが,最 大. 勢 力 とな って い たの は 「県 政 同志 会 」 と い う国 民 協 同党 所 属 県 議 や 無 所 属 の 県 議 か らな る会 派 で あ っ た。 その 後 県 政 同志 会 の 一一 部議員が会派離脱 し て 新 会 派 を 結 成 す る一一 方,民 主 党 県 議 の 一一 部 も 自 由党 入 りす る と い う会 派 異 動 が 見 られ た。1951年 の 改 選 後 も,非 国 政 政 党 が 優 勢 で,「 公 政 クラ ブ」 と 「新 政 ク ラ ブ」 が それ ぞ れ 第 一一,第 二 会 派 とな り,自 由党 は その 次 の 位 置 に甘 ん じた し,社 会党 に至 って は議 員 わ ず か4人. とい う小 所 帯 で あ った。. この 状 況 は1956年 の 自民 党 会 派 発 足 まで 続 い た。1955年 の 改 選 後 も最 大 会 派 の 位 置 を 占 め たの は 「県 政 刷 新 同志 会 」 で あ っ た。 この 県 民 刷 新 同志 会,自. 由党,民 主 党,そ. して その 他 無 所 属 系 会 派 所 属 県 議 は,1956年3月. に結 集 し,全61議 席 中39議 席 を 占 め る大 会 派 自 由民 主 党 とな っ た。 な お, 革 新 系 県 議 は,1955年. の 改 選 後 は 「革 新 同志 会 」 に所 属 して い た もの の,. 同年10月 に 日本 社 会 党 と会 派 名 を 変 更 して い る。 この よ う に広 島県 で は,中 央 政 界 に お け る政 党 の 動 き と合 わ せ た よ うな 議 員 の 動 き も若 干 確 認 で き る もの の,無 所 属 保 守 系 県 議 の 会 派 異 動 が 非 常 318.
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