ニュージーランド家族手当制度の変遷
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(2) 描浜国際経済法学第17巻第2⊥号’(2eo8年12月). 所得制懇があ1),支給額も少額にとどまっているとして,こうした支給要件を 緩和したIP ,増額することで子育て家庭への経済的支援につなげようとする考. えがみられる。これに対し,かつての出産奨励策を彷彿とさせるのか,個人の 選択に国家が関わることの是非を問う声もある。. そこで,本稿では.この児童手当が子どもを産み育てるという選択に与える 影響やその支給対象を拡大することの意義をみるために,制度上,様々な変遷 を遂げてきたニュージーランドの家族手当制度を取り上げる。 ニユージーランドでは1926年家族手当法(tike Family」Allowafices Act)が. 成立し,世界で幼めて家族手当劉度が樽入されたe家族手当鋼度は,15歳未 満の第3子以鋒を対象とし,所得制限を課すなど支給対象を猿定した選別的 な翻度として出発したものの,次第に支給要件が緩和され,児童に一律に支給 する普遍的な制度になった。しかし1991年,行財致改革の一・環として廃止され, 低所得癌洵けの家族扶助税額控除(Family Suppert Credit of Tax〕へと移行した。. すなわち,ニュージーランドの家族手当制度は.選蹴轄・ら普遍的な制度へと 発展、確立をみたものの,再び選聯自な別の澗度へと代替されたのである。. 一方,わが籔の児童手当齪度は,1971年導入当初.18歳未満の子が3入以 上いる家縫の簗3子以降をその対象,としていたeこの支給要件はtニュージー ランドのそれと類{鉄性は高いeその後,わが癬では.支給対象撰摺の短縮,藪. 霧闘限の強尭など支給を抑鑓する類向をとった。しかし,2006年4菖支 織対象を小撃校修了までに延長したり,2007年度から乳幼児恕算を案施する など.拡張猪する兆しがみられた。. これに対し.普遍化の実現からして一転廃止という道をたどったニュージー ランドの罰藍の変遷は.今後の箆童手当の方1角煙を考えるにあたり,重要な手. 墨かりを与えでくれるだろう。撰生堰や藁庭環境を摺わず.一謬に支絵すると. いう普選琶の裏撰は,毘蕊を鍵象とする手当とLては,1つの理想を完寵させ たか{こみえる。しかし.な・ぜその理懇が讃えたのか。ヨ整讃とも襲託るその璽穣. を誓ること註.裏蕊を封象とする手当灘選があくまで含謬狩隷撞童率⑳酸養を 蕊.
(3) ニュージーランド家族手当制度の変遷. 図ることを第一義的とするか,育児をする権利や子どもがよりよい環境で成育 する権利までをも保障するのか,その原理や意義を検討する上で有用であると 思われる。. そこで,本稿は,こうした検討を行う前提として,ニュージーランドの家族 手当制度の創設から廃止に至るまでの過程を整理しTその背景を洗うことを目 的とする。そして,普遍的制度のもたらす意味について改めて検討したい。. 一 家族手当制度の創設2) 1 家族手当制度をめぐる社会的背景 (1)出生率低下と人口の減少. 20世紀初期,ニュージーランドにおいても、出生率低下と人口減少は主要 な関心事となっていた:1)。また,ロシアや日本が台頭してきたという国際情勢. も,英国民族の強化を意図し,国家主導による人ロ問題への取り組みを後押し した。もっとも,こうした関心は,貧窮する家族の母親に対する直接的な経済 支援よりも、母子の健康に関する政府の管理,ブランケット協会Lt)の推進,科. 学的な育児方法の普及という点に帰着していた%. (2}標準家族モデルと現実との乖離一基本賃金との関蓮. ニュージーランドでは,一義的にはG)t男性に妻と子どもを扶養する義務が あり,政府は,仲裁裁判所了)において,一家の稼ぎ手である男性の賃金を調整. することで十分な生計を維持する権利を保障してきた㌔そして,最低基本賃 金に閲し,仲裁裁判所は、1925年,男性とその妻,扶養する子ども2人とい う4人家族の生計を立てるのに十分なものとして設定すべきとの見解を示して いた帥。しかし,この標準家族モデルと現実の家族形態との乖離が表面化し, 特にこの基本賃金では考慮されない大家族,すなわち多子家庭であることが, 老齢や行為能力の欠如と1司様,貧困の誘因となることが認識され始めた1°}・. 87.
(4) 斌浜固際経済法学第17巻第2苦(2008年12月). この点については、既に1922年,仲裁裁判所のJ凡Fraser裁判官が,「標準 家族による基本賃金によっては,すべてのものに対する正義は,獲得せられ得 ない」10と言及していた。. こうして.基本頸金の枠組みから外れた3人以上の子どもがいる多子家庭へ の対応が岡われ始めることとなったのであるIL−}。. (3)1920年代の不況 1882年の冷凍船技術の開発もあり,ニュー一ジーランドは,農業輸出国,酪. 農国として発展してきたeしかし,第一次世界大戦後の世界的な経済の低迷が ニュージーランドにも波及し,とりわけ農産物の輪出が不振を極めていた。農. 産物の癒格はt1923年から25年にかけて盛り返したものの,その後も乱高下 を繰り返したe技衛の進歩もあり.酪農業は急激に発展しつつあったが,農業 鍵事妻違中にはt農産物の櫛巖が高撞をつけていたときの借入金とその利子の 支塾㌍に違われる者も少なくなかった。このように,不安定な農産物緬格が社 会襲事安を童み撰していたのである:;1}。. {4}髭童議祉の進展 i・s). 18鱒年のワイタンギ条約締結でニュージーランドがイギリ71の藁民地と 登って鎮鋒tN一ロ’yがからの移民が本格化した。しかし,その霧‡罫期.乏し い資妻し渉持ち古わせていなかった移民は,失業,疾病.高齢を原函とする貧’. 議撲璽謡績る書も少なくなく.繰護餐から雛棄される児童が続出していた。ま た一糞で.纏童は設重主欝働力として,震待、酷使されることもあった1㌧・ ニュージーランドの饗童穣葺は,こ¢ような要保謹握童に対する鼓貧麹対応 ㍍謡を{墓ずる、その懲ま,繋謹の対象を要{暴護遼叢から兇童金穀に拡太する方 面i二.慧欝口運で註.璽議13,鑑聾妻匙謬謹,さらに霧曇の遷窒というトニ議簸こ. 責{圭憩顯姦という灘で{ま.家墓や羅霞の{麗真責琵吉・ξ}撞家責蓑穆方謹こ璽1藷L 妻三亘’,.. 襲.
(5) ニュージーランド家族手当制度の変遷 そして1925年,児童福祉法(the Child Welfare Act,1925)が成立するt7)。同. 法は,「ニュージーランドの児童に対する国家的施策において初めて福祉の言 葉が用いられた保護立法」であり,「児童福祉に対する国家責任の確認,児童 への教育的指導という基本理念の確立」を意図したものであった1帥。同法の成 立の背景には,人的資源の重視やキリスト教ヒ、ユーマニズムの定着,さらに労 働党の台頭という政治的状況も加わったとされるがIE))、児童福祉における国家. 責任が明確化されたことは,翌年の家族手当法の制定に大きな意味を与えたも のと思われる。. 一方,教育分野では1877年,教育法(Education Act)により,小学校への. 就学が義務化され,さらに義務教育の無償制が実施された。これにより,7歳 から13歳までの児童を持つ両親や保護者は,当該児童の就学義務を負うこと となった2°}。この義務教育における全般的な無償性の導入は,ニュージーラン. ドが世界で初めて行ったものである2%なお,その後,健康診断や学校歯科サー. ビスといった児童を対象とする保健・医療サービスが実施されている靴. (5)労働党の台頭 1912年,労働党の前身である統一労働党(United Labour Party:ULP)は,. 初めての選挙綱領で,高齢者や圓の見えない人,寡婦,不治の病の入に対す る適切な年金の支給.医療及び病院に対する国家援助とともに,税拠出によ る母性手当制度の創設を既に掲げていた四。192⑪年代に入ると,P.Fras’er, M.J.Savage, B.Parryをはじめとする労働党議員は,年金支給の拡大に抵抗す. る改革党政府に対抗した・1〕。そのうち,MJ.Savageは,1922,24,25年の3 度に渡り,「母性手当法案」(Motherhood Endowment Bill)を提出するに至っ たrr,)。こうした労働党の圧力がt家族手当の推進にあたって最も強い原動力と なったといわれている26}。. S9.
(6) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月}. 2 制度の創設 改革党政府も.大家族において子どもの扶養が大きな負担となっていること は認識していた。その一方,年金及び手当の支給拡大には関心がなく,税額控 除という政策を多用していた2T}。. 192e年代に入ると, G.C.F註che年金大臣やF.Rowley労働庁長官が,家族手. 当について調査を開始した。Fache大臣は,ヨニロッパの産業主導型の家族手 当に関心を寄せた。それは,産業界が将来の労働者の育成に貢献しようとした ものであり,家族の貧困のみならず,産業の発展をも視野に入れたものであっ. た。一方,Rowley長官は、オーストラリアを訪問し,ニューサウスウェール ズ州における家族手当構想について,その議論に耳を傾けたen)。. さらに1925年,オーストラリアのAC.Piddingtonがニュージーランドを訪. れt男性の各賃金から週あたり7シリング6ペンスを差し引くことで,各児童 に10シリングずつ支給できるとする家族手当制度の構想について講演した。 そして,この構想は,労働庁の年次報告に盛り込まれた’ee)。. 1925年に公表された労働庁の年次報告は,ニュージーランドに家族手当を 導入する政治的論争の起源であったとされる力却,拠出制の家族手当制度こそ 諸問題のgts−…の解決策であり:1],手当を支給することで家族の平均的規摸を拡. 大し,独身男性に結婚を奨励できると記していた3㌔. 同じく1925年には,普通選挙が実施された。選挙期間中,大家族の支援を 訴える労働党は,労働庁の年次報告に関して.「政府は未婚男性の賃金を7シ リング6ペンス減額させることを目論んでいる」と糾弾するチラシを配布した。. 改革党政府は.これを否定するため,一般財源から手当を支給し,その支給額 が7ペンス6シリングであると暗に示さざるを得なかoた”1) 。結采として,政. 府・与党は選挙にこそ勝利したものの,労働党などの圧力により,自ら家擾手 当法案の提出を余縫なくされた。ゆえに.ニュージーランドの家族手当澗度は 政治的な偶然の産物だと称されるのである:+: ] 。. こうした経緯をたどり、1926年、家族手当法(th巳Family AIIowances Act, 蛆.
(7) ニュージーランド家族手当制度の変遷. 1926)は成立し,翌27年から施行されることとなった。正式名称は,「十分. な収入のない両親によってなされる児童の扶養に関する手当の付与を規定 する法律」(An Act to make ProVision for the Grant of Allowances towards the. Maintenance of Children by Parents with Limited IIlco皿es)であり,19条の条. 文により構成されている。. 3 制度の概要 関連条文に基づき,制度の主要な点を挙げると以下の通りとなる3S)。. (つ受給資格者. 手当は,3人以上の児童を持つ父親の申請により,申請者の第3子以降のす べての児童を対象として(3条)、申請者の妻,すなわち児童の母親に支給さ れる(6条1項)。ただし,申請者の妻が申請者と同居していない場合,また は手当が申請者に直接支給されるべき理由があるときは,申請者に支給される (6条2項)3G)。. ここで「児童」とは,15歳未満であり,申請者の子,継子,申請者または その妻によって法的手続きを経て養子とされた子3T}をさす。しかし,嫡出で ない子や,(申請者の家族でありながら)実際は申請者の家族として扶養され ていない子3H),また,外国人やアジア入39)は適用除外とされている(2条,8 条1項)。. さらに,申請者またはその妻は,品行方正であることが求められ.過去に何 らかの罪で有罪となっていたり,非行が認められる場合,支給を拒否されるこ ともあり得る(8条2項(a.))。. (2)支給額. 第3子以降の児童1人につき,週2シリング支給される(3条)。. 91.
(8) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年ユ2月). (3)所得要件. 申請者の家族FW)のあらゆる源泉からの平均的総収入が,当該児童への家族 手当支給額も含め,週4ポンドを超えてはならない(3条)。 ここで「平均的総収入」とは,申請者またはその家族の利用や利益のために,. 家族の全楢成員がt申請日の直近の1年以内にあらゆる源泉から受領した金銭 または金銭的価値のすべてである(ただし,登録済の共済組合から支給される 疾病手当または葬祭給付を目的とする支払いは除外される)(4条1項(a.))。. また,不動産または動産(家族が居住する不動産,家族が所有する家具,身の 回りの品は除く)における,家族の受益者としての利益の価値に基づく年5パー. セント(または案際に受領する率が5パーセントを超える場合,当該利率)の 利子も含まれる(4条1項(b.))。. 手当の支給や増額を目論み,または減額を回避するために,これら財産や収. 入を少なく算定した者に対しては,支給が拒否されることもあり得る(8条2 項(b.))。. (4}居住要件. 喘青者またはその妻(手当が妻に支給される場合)が,ニュージーランドに 少なくとも1年間継続して居住していること41),及び対象児童がニュージーラ. ンドに少なくともユ年屠住しているかfニュージーランドで誕生したことが求 められる(7条1項)。. (5)支給の延長. 当該児童が,身体的または精神剛璋がいにより.生計を立てることが全くで きないと認められた場合は,15歳以降も適切な期闘は継続される(5条1項)。. (6)支給目的. 家族手当として支給されるあちゆる金銭は.当該児童の利益をEl的とする。 92.
(9) ニュージーランド家族手当制度の変遷. 手当が児童の扶養または教育に充当されていると認められない場合,その支給 が拒否されることもある(10条)。したがって,家族手当は,他人に委託や譲 渡をされたり,その支払いを請求されたりすることはない(11条)。. {7)財源. 家族手当として支給されるすべての金銭は,整理公債基金(Consolidated Fund)から支給される(18条)。. (8)罰則規定. 手当の支給が誤ってなされたり,規定額を超過してなされた場合,当該支給 額は償還されるべきものとされ(9条),(a.)受給資格がないことを知りながら,. 手当の申請をなし,または受給した者,(b.)家族の財産及び収入を正確に開 示しなかった者,(c.)受給資格の有無にかかわらず,手当を受給するために, 故意に誤った申告や陳述をしたり,書類を提出した者,または詐欺的な方策・12). や不法手段を用いた者は,100ポンドの罰金または12ヶ月の禁固刑に処せら れる(14条)4%. (9)まとめ. このように,家族手当は,15歳未満で第3子以降の各児童を対象とし,週2 シリングがその母親に支給された。受給にあたっては,平均的週収入が4ポン ド未満という所得制限がなされるなど,所得要件や居住要件を充たしているこ. とが前提であった。対象となる児童は,実子のほかに養子や継子も含まれたも のの,嫡出でない子一14)や外国人,アジア人45)は適用除外とされた。. 一方,児童の扶養及び教育に資することを目的に掲げながら,両親の素行や 犯罪歴が問われることも特徴的である・16}。. 家族手当の受給にあたっては無拠出とされ,その費用はすべて一般税により 賄われることになっていた。. 93.
(10) 横浜国際経済法学第17巷第2号(2008年12月). 4 制度の特徴 1926年家族手当法は,世界で初めて,国家が完全に拠W,する家族手酬‖度 を規定した法律である。ニュージーランドの家族手当鑓度は,ヨーロッパで主 流であった産業主樽型ではなく,国家主導型の制度として創設された。それは,. 財源が整理公績基金のみであることからして明らかである4% このi槌度の翻設の背景に,労働者の家族賃金への関心とその補足抽意味合い. があoたことは言うまでもない。支給対象を第3子以降の児童と制限したこと は,村裁裁判所が男性の基本賃金}こついて妻と2人の子どもを扶養するという. ことを想定して設定していたのであるから,「既存の慣例に則った論理的な範 囲」甜)とされる。とともに,家族手当を導入したことは・子どもを扶養するに あた1?.一一S〈の稼ぎ手たる男性の賃金だけでは所得として不十分な家庭が存在. するということを国家が認めたことになる・㌔しかし,家族手当自体は・賃金 稼得者に謬定せず、自営業者,農叢従事者をもその対象とし,爾親の雇撮状態 就業霧態を問わなかっft su。このことは,賃金稼得者であるか否かで区別する. ことなく.広くニュージーランド国琵をその対象とする国家拠出の所得保障澗 蓬とLて家族手当を位置づけた。 また,家族手当は,所得闘限を伴う選男理的な劔度であり,子どものいるすべ ての家族でほなく,貧窮する多子家庭の支援に焦点を当てたものであas St]e税. 魏空隷や{圭宅ローンの支援土地の麹匡といっ掴罐的に家族を支援するもの と1ま違い,家族手当は,貧癬にあえぐ家族に定期的かつ繍足麹な収入を保罎し た5㌔. 一秀.手当が葦馨に直接支絵されたことiま,家計を管理する女性の投撰を錘. 劇潔めた躍えられた弐しかし,この点に組て,女性の縫灘靖酬へ の聾羅ま矛震していたとする晃群もあるeなぜなら,女性に経漬麹窪立という 変嚢をもたらすたse> 1,こ,手当は璽金を支給する懸で§1立のための手撲を与えた. {嶽ども鐙霞らが穣饗鰍こ秦鍵し自らの酬によ鰻立する昌’う姿 勢を襲すもので珪なかrコたからである5㌔また.支籍こそ踵嚢{二量されたも礎 9垂.
(11) ニュージーランド家族手当制度の変遷. の,申請の際には父親の署名が必要とされた。したがって,ひとり親の女性や 申請の署名を拒否した夫のもとで育児にあたる女性、夫に還棄された女性は,. 公的な支援を受ける権利すらなかった。政府は,女性の扶養は,基本的にその 夫によりなされるものであるという考え方を取っており,国家が男性に代替し て家族を法的に支援することには,慎重な姿勢を崩さなかった55)。ゆえにt家. 族手当という「小さな自立」は,一家の稼ぎ手としての父親の存在を前提とし た伝統的な家族構成の下で女性が手にしたものなのである56)。. こうした制度の特徴は,「家族手当」という名称に表れている。児童の扶養,. 教育のためという支給目的を掲げながら「児童手当」ではなく,母親に支給さ れるものでありながら,労働党が提示してきた「母性手当」でもない。手当の 対象としたところは,「家族」なのである。. 1926年家族手当法は,家族を「申請者(父親)とその同居する妻(母親)t その子ども」と定義づけたS了}。手当の支給に際し.所得制限を課したり,家族. 賃金では考慮されない3人以上の子どもを持つ多子家庭に限定したことは、両 親とその子どもにより形成される家族を前提として,自らの力だけではその 家族形態を維持することが困難な家族に的を絞って支援することを意味してい た。つまり,あるべき理想の家族像が先行し,それを国家が経済的側面から支 えるものであった。それゆえ,支給にあたっては,両親の素行が問題視され, 嫡出でない子は適用除外とされs・s),申請には夫(父親)の署名を要し,ひとり. 親の女性や夫に避棄さ荘た女性には申請する権利すら与えられなかった。こう した事実は,あるべき家族像とは乖離した女性と子どもは,国家支援の対象と はなり得ないということを示すものであった。したがって,家族手当は.子ど もが貧困家庭で成長することを回避したり,女性の育児という社会的貢献を評 価するという面よりも,家族像の保持への関心が高かったのではないだろうか。. もっとも,こうした点を踏まえつつ,家族手当は過小評価されるべきではな いとする見解もある。家族手当は女性の従属を強めたかもしれないが,女性に 直接支給されたことこそが何よりも重要であった。それは,現金が女性のボケッ 95.
(12) 甜i浜国際経済法学第17老i第2号(2GO8年12月). トに再分配されたということを意味するものであったからであるSY)eさらに一t. 男性の賃金制度に疑義が生じたことは,女性と子どもの生存最低生活について 賃金制度の面から再検討される1時機をもたらした。と剛時に女性の経済的な権. 利と自立に関する議論を再び引き起こした。この観点から,1926年家族手当 法は家族賃金への重要な挑戦であったnv)。家族手当の導入は,従来,家族を扶. 養することを想定して設定されてきた基本賃金の限界を示した。そして,家族 手当を媒介に,基本賃金と家族の福祉とを切り一離そうとしたこの試みは,女性. の福祉を基本賃金という男性の権利から独立させ,女性自身の権利として発展 させるための重要な前兆となったのであるf’1}。. 一方,支給額が週2シリングという少額にとどまったことに対し㈲,労働同 盟(the Nliance of Labour)は「週2シリングでは,健康的な子どもはいうま. でもなく,十分成長した鶏でさえ飼うことができない」との声明を出した。救 世軍(the Salva廿on Army:1865年設立の国際的キリスト教団体)も「週12シ. リング6ペンス与えられなければ.子どもは扶養できない」と主張した。これ らの声に対し,政府は「整理公債基金の限界から週2シリングより給付する余 裕はない」と反論したas)。結果として,家族手当は,新たに子どもを産み育て. ようとする十分なインセンティブとはならなかった。支給額が少額にとどまっ. たことは,1920年代後半から30年代前半にかけての高失業率と賃金の減少を 前にして,ほとんど功を奏さなかったのである6㌔実際,ニュージーランドの 出生率は低下し続けたas]。. 二 普遍的制度への発展 1 1930年イモ6G). 1927年に開始された家族手当は,その後,後述する1938年の社会保障法 制定までは,支給対象や支給額に改定はなされなかった。所得要件について. は,経済恐慌の影響を受けm),その制限額が,1931年,4ポンドから3ボン 96.
(13) ニユージーランド家族手当制度の変遷. ド12シリングに「s}T1932年,3ポンド5シリングにG”}引き下げられたものの,. 1936年には再び4ポンドに戻されている〒a)。また,父親によりなされるもの. であった手当の申請は,1936年,父親または母親のいずれにおいても可能と なった7㌦. この経済恐慌期を通して,労働党議員と女性団体は,夫に遺棄された妻に も家族手当を支給するよう要求している。これに対し,年金省(the Pensions Department)は,家族手当はt−一家の稼ぎ手の賃金に対する補足的なものであっ. て,大黒柱たる男性のいる家族に受給資格があるとの立場を取り続けた。しか し,女1生団体は,遺棄された妻は,実際にその家族の大黒柱であって,貧窮す. る母親も貧しい父親のように国家支援を受ける権利を等しく持つと主張した。 こうした女性の必要性に応じようとしない政府の判断には,遺棄された妻を支 援することは,夫による不法遺棄を助長しかねないという考えがあったT・)。夫. 婦とその子どもにより形成される伝統的な家族が,実は壊れやすいものだとい う懸念が,一家の長たるべき男性の下にいない女性や子どもに対する支援を躍 躇させたのであるmu)。. 一方,年金省をはじめとする政府は.人種間の壁を保持し,アジア人には年 金の受給資格がないという既成の考えを貫くことで,財政支出の抑制を図った 7’1)。遣棄された女性や人種間格差への対応は,1935年,ニュージーランド初の 労働党政権の発足を待たなくてはならなかったのである7S)。. 2 社会保障法の制定 (i)社会保障法の制定76〕. 1935年に初めて政権の座に就いた労働党は,MJ.Savage首相の下,年金給 付の拡大に取り組むとともに,福祉国家の礎となる社会保障法の制定に着手 したeそして1938年,社会保障法(the Social Security Act,1938)が成立をみ. たのであるn}。その正式名称は.一「ニュージーランド国民を,老齢,疾病,寡. 婦,孤児,失業またはその他の特別な事情から生ずる障害から保護するための 97.
(14) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月). 国民老齢年金及びその他の給付の支給,医療及び病院治療を当該治療を必要と. する者に利用可能とする制度,コミュニティの健康及び全般的福祉の維持及び 促進のために必要な諸給付を規定する法律」(An Act to proVide for the Payment of Superannuation Benefits and of other Bene丘ts designed to safeguard the Peeple of New Zealand from Disabilities arising from Age, Sickness Widowhood,. Orphanhood, Unemployment, or other Exceptional C卯ditions;to provide a System whereby Medical and Hospital Treatment will be made available to Persons requi由g such Trea㎞ent;and,fUrther, to proVide such other Benefits as may be necessary to maintain and promote the Health and General Welfare ef. the Community)という。. この名称が示す通り,同法は,現金給付に加え,疾病,薬剤,出産等医療給 付・医療サービスまでをも包括的に規定したものであった。つまり,これまで は別々に規定されていた各種年金,手当や失業対策に関する法律を総括し,体 系化したのである。さらに医療給付等医療保障の規定が新設さi’L 7S),老齢年金. 給付,孤児給付,緊急給付等新たな所得保障も加わった。また,既存の年金・ 給付に閏しても,その支給額の増額や支給要件の緩和措置が取られた79)。. (2)社会保障法の特徴. この社会保障法には,移民によって形成されてきたニュージーランド社会の 特徴が表れている。その移民たちは,本国イギリスにおいて,最上流の出身で もなく最下層の極貧層でもなかった鋤。イギリスでの失業や貧困から逃れ,よ りよい生活を新天地に求めた者たちであった。彼らは,より高い生活水準と自 尊心を得るためには,階級の壁を壊さなければならないと考えた。しかし,.そ. れは,上流階級を引き下げるのではなく,上流に合わせて平等化しようとする 試みであった。つまり,誰もが中流であるから階級がないという社会を目指し たのであるBl}。そしてt 1938年社会保障法は,まさにこの国民総中流化志向. の具現であった勘。この社会保障法は,ニュージーランド史上,労働党の最大 gs.
(15) ニュージーランド家族手当制度の変遷. の実績,かつ最高の政治的功績であり,西側社会で初めて包括的かつ完全な社 会保障システムを形成したのであるan}。. (3)家族手当から家族給付へ 家族手当も家族給付(Family Benefits)として,同法の体系に組み込まれた。 関連条項に基づき,制度の概要をみると以下の通りとなるem)。. (i)受給資格者. 3人以上の児童を持つ父親または母親に受給資格がある(28条1項)。ただ し,申請が父親,母親いずれによりなされたかを問わず,支給はその児童の母. 親になされる(31条1項)。社会保障委員会田が支給は父親になされるべき ものと判断した場合には,当該児童の父親に支給される(31条2項)。特例と して,社会保障委員会は,当該児童の尊敬するに値する者(reputable person) に支給すると決定できるとされている(31条3項)。・. ここで「児童」とは,16歳未満であり,継子や家族給付の申請以前に養子と された子を含む。ただし,実際には申請者の家族の一員として扶養されていな い子s{1),1938年社会保障法第n部で支給される給付゜「}を受給している子は含 まない(28条2項)。さらにユ915年戦争年金法(the War Pensions AcL1915),. その他の法令下で年金または手当を受給している子,さしあたり申請者に扶養 されていない子には支給されない(62条(a.))。またtさしあたり申請者の監. 護下にない児童に関する支給は,社会保障委員会の裁量により,支給の拒否ま たは支給額の減額がなされる(同項)。. そのほか,給付を支給される者が,公共機関に入院していたり,病院給付 (Hospital Benefits:91−100条)を受給しているときは,当該期間,受給権を喪. 失する。ただし,この場合,社会保障委員会がその状況を考慮して,給付の全 額またはその一部を支給することもできる(72条1項)。. なお,社会保障委員会が,その申請者が品行方正であり,かつ節制している と認めない場合,受給資格は承認されない(29条1項(c.))。. 99.
(16) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月}. (ii)支給額. 第3子以降の児童1人につき,週4シリング支給される(30条1項)as)。ただし.. 特有の事情または状況を考慮した上で,社会保障委員会の見解により,全額を 支給することが受給者の生計維持にとって必要ではないとされたとき,支給額 が減額されることもあり得る(72条2項)。 (通)所得要件. 家族給付として支給された総額と,申請者とその家族があらゆる源泉(現物. 給付の価値を含む)から受領した平均的な週の総額とを合算したものが,週5 ポンドにElヨ請者の第3子以鋒の各児童につき4シリングずつ加算した,その総 額を超えてはならない8蝋30条1項)。このとき家族とは,申請者とその配偶者, 支給対象である児童のみを含む(同2項)。. なお,受給資格を得ることを目的に,自らの財産や収入を低く算定して申請 した者はt社会保障委員会の裁量により,支給を拒否されたり,支給額を減じ られることもあり得る(62条(d.)。. (iv)居住要件. 申請者が,申請日の直近の少なくとも1年間,ニュージーランドに継続的に 居住していること゜°}(29条1項(a.)),対象児童は,ニュージーランドで誕生. したこと.または申請目の直近の少なくとも1年問はニュージーランドに継続 して居住していることが求められる(同(b.))。. (V)支給の延長 対鋤瞳が身体的,精神的i障がいにより,生計を立てる能力を全般的に欠く 場合は,16歳以降も,給付は継続きれる(28条3項)。また,教育を受け続け. ている場合,18歳に達するまでは支給は続けられ(66条1項)T給付額も116 歳未満のときと1司額である(同2項)・. (Vi)支給目的 ’ 家族給付として支給される金銭はすべて,当該児童の扶養または教育に対し て専ら充てられるものとする。社会保陸委員会は,当諒給付の適切な充当が認 100.
(17) ニュージーランド家族手当制度の変遷. められない場合,支給を拒否または停止することができる(32条)。 (vli)財’源. i家族給付は,社会保障基金(the Social Security Fund)から支出される(106 条1項(a.))e”。. 社会保障基金は,1938年社会保障法制定時に設立された独立会計で(103条)、 社会保障税(the Social Security Contribution)と議会からの充当金により,主 として構成される(105条)ce)。. 社会保障税は,登録料(a.registration fee)と,給与・賃金・その他の収入 に対する課税金(acharge on salaries,wages and other income)から成り(108条) 9:’),通常ニュージーランドに居住する9[) 16歳以上の者に納税義務がある9fi)(110. 条1項)。その登録料は,20歳を超えるすべての男性にっいて、四半期ごとに. 5シリング(年20シリング),それ以外のすべての者については年5シリング である(113条1項(a.))。一方,給与等に対する課税金は,それらの総額(ま. たは担税力を考慮してその一部)において1シリング8ペンスにつき1ペニ「 脳とされた(113条1項(c.)う。. 社会保障税を滞納すると,社会保障委員会の裁量により,給付の支給を拒否 されたり,支給額を減じられることもあり得る(62条(d.))。. (viii)まとめ. 家族給付は,16歳未満の児童を対象として,その母親に週4シリング支給 されることとなった。支給にあたっては,所得要件や居住要件を充たしている ことが前提となるが,適用除外とされてきた嫡出でない子,外国人,アジア人 も支給対象に加わった97)。また,財源として,目的税である社会保障税が導入 され,社会保障基金が新たに創設された。. 101.
(18) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月). 3 普遍化への過程 (1)1940年代前半 まずユ940年,支給対象が第2子以降に拡大され98},続いて1941年,第1子 から支給されるようになった剛。. 支給額は,1943年,週7シリング6ペンスに100),1944年,10シリングに IVI)それぞれ改定された’eL’}。一方,所得制限額は(家族手当として支給された. 総額を含めて),1943年,週5ポンド5シリングに,申請者の各児童につき7 シリング6ペンスずつ加算した総額1°:),1944年,週5ポンド10シリングに, 申請者の各児童につき10シリングずつ加算した総額】°1),1945年,週6ポンド 10シリングに.申請者の各児童につき10シ.リングずつ加算した総額1°5}に緩 和された。. この1940年代前半における一連の改定は,第二次世界大戦の勃発と,その 戦時下での安定化政策に起因する」cm)。. 戦争の遂行は,1938年社会保障法の下で新たに構築されようとしていた社 会保障制度を危うくするものと思われた。しかし,財務大臣を務めるW.Nashは, 賃金政策1°7},戦争税制脳,製造業の発展1・・}と社会保障給付とを結びつけるこ. とで,社会保障制度を維持しようと試みた。また,それは,戦時経済政策の厳 しさを緩和するための手段として,社会保障給付を位置づけたからでもあった。. Nash大臣は,インフレーションの発生を回避し,物価と賃金を安定化させ るべく,緊縮政策を取り,労働組合の協力も得て,賃金上昇を阻止した11°}。. 家族給付も,こうした賃金統制,対インフレ政策と密接に関連づけられた。. Nash大臣は,賃金水準の厳しい統制下,家族給付を戦争税の負担と相殺する ため,また,扶養家族の多い労働者に一定の収入を保障するため,支給額を引 き上げたのであるil])e. しかし,家族給付の支給にあたり,所得制限を保持したことは,戦争遂行に. あたって不可欠な製造業の発展を妨げた11%戦時中,女性の労働力化が推進 102.
(19) ニュージーランド家族手当制度の変遷. され11:1),多くの男女が平時よりも低賃金で重要産業に従事した。農場や工場. における父親の長時間労働に加え,母親も労働力化した共働き家庭では,所得 制限額の5ポンド以上稼得することとなった。こうして,その家族は、稼得を 理由に家族給付の受給資格を喪失したのである。したがって、所得制限の実施 と家族給付の喪失に対する労働者たちの不満や抗議が高まるとともに,労働時 間の増加を拒否する動きも見られるようになった。結果として,労働時間の延 長により生産拡大を図ろうどした政府の思惑は行き詰まったのである。このよ うに,家族給付における所得制限の実施は,受給資格保持を理由に就労意欲を 妨げるといった弊害を生じさせた。しかし,産業の発展と家族給付の所得制限 の実施との負の相関性が着目されたことは,その後,家族給付の普遍化へ向け ての1つの契機となったのである。. (2)普遍化の実現. こうした経緯をたどり,家族給付は,1946年4月1日より所得制限が撤廃 され,普遍的制度となった11”)。支給額は週10シリングのまま据え置かれたが,. この額は,男性の最低賃金の10分の1,女性の最低賃金の6分の1に相当した。 つまり,2人の子どもを養育することは,男性が少なくとも1日,終日労働に. 従事して得られる賃金と同価値とされt3人の子どもを養育することは,女性 の最低賃金のほぼ半額を稼得することに等しいとされたのである115)。. なお,所得制限が撤廃されたことにより,給付数は5.5倍となり,対象児童 は42,647人から230,021人となった’1G)。また,母親に対する直接支給に加え. て,社会保:障省と郵便当局との調整の結果母親の郵便局貯金口座(the Post Of丘ce Savings Account)に振り込まれることも可能となった。さらに.母親の. 同意を得た上で,その夫の所得税納付の代替として,租税委員会に家族給付の 全額またはその一部を振り替える方法も導入されたm。. 103.
(20) 横浜国際経済法学第17巻第2号(200S年12月). (3)普遍化の背景. 労働党は,1920年代のM.Savageによる母性手当法案の提出で示してきたよ うに,家庭で育児にあたる母親に手当の受給を保障することは,社会的義務だ としていた。ただ,この間題は,老齢給付・老齢年金給付の運用の鞭点とコス トなどを要因として,中心的課題とはなり得なかった。しかし,第二次世界大 戦の終結により,家族給付を普遍化するために十分な資金が調った11㌔戦争は, 当初,社会保障制度にとって脅威となり得ると考えられたが,−i愉出の成功など により,予期せぬ富をもたらしたからであるiig)e. また,家族給付の普遍化に対する社会的要請もあった。戦後の世界的な物資 不足,食糧不足に対する懸念は,ニュージー一ランドにとって,経済発展の好機. と捉えられた。そのためt政府は、農業,第二次産業の発展を視野に,生産拡 大を緊要な課題として位置づけた。. しかし,この生産拡大への取り組みは,労働者の労働意欲の欠如,すなわち 長時間労働に従事したがらないという問題を抱えていた。そして,その要因の 1つが,社会保障給付における所得調査の存在であった。男性の超過労働によ る賃金の増加は,その妻に対する給付の削減と直結していたからである12%. 一方,この生産拡大を担う産業界では,戦後の賃金上昇の必要性を緩和する 補足的措置として,家族給付の普遍化に賛同していた。また,機械を稼動でき ないほどの深刻な労働力不足に直面していたことから,給付に依存する人々の 増加ともいえる人口の高齢化に不安を抱き,早期の結婚と大家族の形成を奨励 するよう,政府に要望した12E)。産業界には,こうした労働力不足を解消する ため,移民を積極的に受け入れようとする試みもみられた。しかし,ニュージー. ランドが伝統的に守り続けてきた社会を維持するためには,ニュージrランド 人そのものを増やすべきだとする考えも根強かった1U「o。こうして,生産拡大. を図るという目的は,将来の労働力人口の減少,すなわち出生率への関心を呼 んだ。人口の増加は,戦後の経済政策にとって,必要不可欠と捉えられるよう になったのである123)。 104.
(21) ニュージーランド家族手当制度の変巡. 出生率そのものへの関心は,戦争という経験によってももたらされた1:‘1)。. 太平洋や近東での戦いは,ニュージーランド人に,自分たちの祖国が巨大なア ジア諸国に対1時する小さな国家であることを再認識させた。さらに,戦時中の. 人口の都市への流入で,地方,特に南島の過蔀化が顕著となり,空いた土地を. 活用する必要性に駆られていたがその土地に諸外国の注目が集まることを恐 れる人々まで現れるほどであった。このように,戦争及び戦後の国際社会の再 構築の過程で,小国としての地位の認識とその不安により,自国の存続と発展 に対する意識が高まっていったのである。しかし,申流階級に属する人々は, 子どもの数が増えるにつれ,生活が苦しくなるという現実にも気づいていた。 こうした実態が,政府に対し,すべての者を包括する家族給付の実現に向け, 圧力となったのであるJ:S)。. 以上みてきたように,第二次世界大戦は家族給付の発展にとって重要な契機 であったことが窺える。戦中・戦後の経済政策が,普遍化を可能とする資金を 生み出し,所得制限の弊害と子どもの次代の担い手としての価値に着目させた。. また,戦争という経験は,国民の自国の将来に対する関心を高め,「子どもは 戦後の新しい時代の始まりに対する国家の希望を象徴する」1・’G〕という意識が 共有されるところとなった。. こうして,現時点での労働力不足を解決すべく,所得制限の撤廃と,将来の 労働力を確保すべく,子どもの社会的評価とが相まって,家族給付は普遍化の 実現に至ったのである。. (4)意義. 16歳未満の各児童を対象に週10シリングずつ支給することは,賃金稼得者 に実質的増収として家計の安定化をもたらした。またこれは,6年間にも及ん だ戦争で疲弊した生活水準の改善や大家族の支援にとどまらず,給付を受ける 児童及び家族と,十分な資産があるためにその受給資格がなかった児意及び家 族との問の社会的分断を取り払うことでもあった1:’7)。 105.
(22) 横浜国際経済法学第17巻第2号{2008年12月). 一方,普遍化は,社会保障制度をより国民に身近なものとした。16歳未満 の子どものいるすべての家族に家族給付の受給資格が認められたことで,社会 保障制度の対象者が社会において大部分を占めるに至り,福祉国家の同一の社 会サービスだけではなく,現金給付(=最も直接的で目に見える形での国家の 支援)をも分かち合うこととなった。所得保障は,通常保持される権利となりr. 貧富を問わず,多くの国民と国家とを結びつけた。結果として,社会保障はす べてのニュージーランド人のためにあるという意識が高まるとともに,社会保 障に対する申流階級の不満を申和させたのであるT2e)e. 労働党は長年,母親に対する社会的評価を追求してきた。ゆえに,唯一の障 害ともいえた財源の問題に目途がついたのであるから,家族給付の普遍化の実 現は,いわば必然的な流れであった。. ところでTニュージーランドの所得保障は,所得調査を伴う選別性が1つの. 特徴である劇。これはr資源の乏しい植民地という条件下で,その限られた 資源を最も効率よく分配する銅であった。そして,人々は,担税力に応じて財 源を負担し,必要に応じて給付を受けたが,何よりもまず,労働を前提として その稼得により自立することが求められてきた。. それでは,数ある所得保障の中で,こうした特徴に反し,家族給付が普遍化 されたのはなぜであろうか。. 所得制限がなされることなく,普遍的となったのは,1938年社会保障法制 定時の老齢年金給付に続き,家族給付が二例目である。これは,老齢と同様, 育児にあたる期問が,たいていの人々にとって経済的負担を強いるものだと国 家が認めたことになる130}。これらの支給対象である高齢者と児童に共通する. 点として,自らの意思いかんによらず,概して労働市場の外側に置かれている ことが挙げられよう。ゆえに,一定の年齢であることを要件として,国家が何 らかの経済的支援をなすことは,そもそも労働による自立が期待し得ないので あるから,然るべき措置とみることができる。さらに児童は,将来の労働力を 担う人材として位置づけられた。家族給付は,国家の行く末を見据えた上の, 106.
(23) ニュージーランド家族手当制度の変遷. いわば先行投資であった。これは、普遍化の背景の1つに出生率の低下,将来 の労働力人口の減少に対する懸念があったことから察せられる。. 所得制限を伴う選別的であったときは,一定の収入に満たない貧窮する家族 への経済的支援という側面が強かった。しかし,自らの経済力だけで子どもを 養育することが可能な家族にも支給対象を拡大したことで,児童の存在価値そ のものの評価という側面が勝…ることとなった。この点は,あらかじめ収入に応. じて支給額に差を設けることなく,一律に支給するとしたことからもi窺える。. 児童は,児童であることのみを以て支給対象となり得るのであって,出生順や 家庭の経済的状況の考慮が入り込む余地はなくなったのであるe 一方、制度発足時より,給付は母親に支給するものとされてきたが,普遍化 にあたってもこの原則は維持されることとなった。家族給付を児童の次代の担 い手としての評価と位置づけるのであれば,その児童を産み育てる女性の役割 は社会的貢献となり,給付を受けることは当然の帰結となる13])。. そもそも,移民により形成されてきた植民地社会という性質上,ニュージー ランドでは,女性も重要な労働力として位置づけられてきた。とともに,「生 活の枠組みを作る男性労働者のみならず,生活の核,すなわち家族を作り,守 る」という女性の伝統的な役割が重視され,妻または母としての地位が確かな ものとされた1:ce)。こうした歴史的経緯を踏まえても,家族給付の母親への支. 給は,性別役割分業の肯定といった単純なものにとどまらないことが窺える。 確かに,育児は,女性の役割と当然視されてはいたものの,それはその重要性 と社会的意義を認めた上でのことであった。ゆえに,家族給付の普遍化そのも のが,「女性が高く評価された革新的なこと」txn)として受け止められたのであ. る。普遍化こそ、産業界の要請や戦争といった男性的な視点が後押ししたもの であっても,その給付は,女性の権利であり,日々の家庭内での仕事に対する 感謝の体現であった1:M)。戦時申,徴用などにより労働力化しつつあった女性も,. 戦争が終結し,男性が復員してくると,それぞれの家庭に戻ることとなった。 女性の戦時体制への動員は,既婚未婚を問わず,女性の家族以外の役割を公に 107.
(24) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月}. 認識させた。しかしそれは,戦争という非常事態下でのことであり,家族責任 のある女性に家庭外での労働に徴用という権力で従事させたことは,その時代 特有の要請にすぎなかった聞。こうしたr11r,母親に支給されたことは、貧困 女性だけではなく,中流階級の女性にとっても,少額ながらも自ら自由にでき る収入として価値があったのである1:6)。. (5)問題点. 家族給付の普遍化は,日用品,贅沢品いずれに費消されようとも,母親に新 たな購買力をもたらした1[M。多くの母親たちは,支給された現金を衣料品な ど子どもに関連する支出に充てたとされるがt[ 6),なかには本来のE的とは外 れて,悪用,乱用する母親たちも現れた1:19)。金遣いの荒い母親に関する苦情. が寄せられるようになったものの,社会保障省はそれらを深刻に受け止めこそ すれ,詳細に裏付けるまでには至らなかった。親の行動に対する批判は,主に 学校に寄せられたため,校長や教育委員会は,欠席日数の多い児童の家族給付 を取り消すことによって,当該家族を懲戒しようと試みた。しかし,社会保障 省は,給付そのものや学校における問題に懲戒的な手段で臨むことには気が進 まなかった。というのも,両親に思慮がないからといって,その子どもが困難 を強いられるべきではなく,子どもが家族の下で生活を続けていく限り,その 扶養費は必然的に生じるものであったからだ1・’°)。. 給付の悪用という実態は,家族給付が普遍化される以前から,マオリ社会で は顕著であった1・“}。家族給付に関しては,少なくとも制度上,マオリはパケ ハと等しく扱われてきたが1・su),その支給と1940年代に実施された支給額の増. 額は,マオリ社会を変容させた。校長や地区保健婦によリマオリの子どもたち の衣服や栄養状態が改善されたとの報告がなされた+一一・・L方,父親が仕事を辞め,. 家族給付に依存するという事態も生じつつあった。. この傾向は,1944年に支給額が児童1人につき10シリングとなってから一 段と高まった。戦時中tマオリは戦争や産業には徴用されなかったものの,若 108.
(25) ニュージーランド家族手当制度の変遷. いマオリの男女は,自発的に都市の産業に従事し、戦争にも参加した。地方の マオリ社会は,戦争の遂行とともに若者の都市への流出が起こり,マオリ社会 全体が大きな転換点を迎えていたのである。こうした中,地方にとどまり続け. たマオリの父親は,低賃金で雇われる仕事には就こうとせず,無収入となっ た。一方,高賃金を求めて,単身,羊毛狩りや屠殺冷凍場で働く父親は,その 賃金を家計に入れず,自由に費消してしまうこともあった。これらの家族にお いては,家族給付は生計を立てるための11距一の手段と化したのである。マオリ. にとっての家族給付は,生活のために働くことの代替手段として位置づけられ てしまった。. またt家族給付として手にした現金は,マオリ社会に新たな購買力を生み, 従来とは異なる消費行動を可能とさせた1・13}。さらに給付の普遍化の実現は,. 16歳未満の子どもがいるすべてのマオリの家族に,すぐに使える現金をもた らしたことから,マオリの購買力に再び注目が集まった。結果として,マオリ. の人々が給付をいかに利用するかが,マオリに対する偏見や差別も手伝って, 常に監視と関心の対象とされたのである1・1・1)。. もちろん,マオリ,パケハ問わず,家族給付は,その受給家族に定期的な増 収を保障したことは言うまでもない。しかし,その支給が現金でなされた場合T. 一度受給者の手に渡ってしまえば,他の現金との区別が金くつかなくなり,そ の使途先を特定,指導することは難しい。この点が,児童の扶養.教育に資す るという目的を明確に掲げながらも,給付の悪用といったケースを回避できな かった一因であろう。. こうした難点を克服するため,現金を支給する代わりに使途目的を明記した. クーポン券等を配布するという考えもあろうがニュージーランドではそのよ うな議論は起こらず,その現金をいかに使うかは原則として個々の自由とされ た14i)。. ニュー一一一ジーランドの事例は,その支給額が当時の賃金水準と照らして相当と. 目される額であったこともあろうが、支給目的の明確化とその周知徹底がいか 109.
(26) 枇浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月). に醒であり1ま姻難であるかを示している.一方,給付の馴に対t,支 給停止という懲戒手段で応じることは,支給対象があくまで児童であるだけに. その教育的配慮から実行され難い。つまるところ,給付が本来の目的を果たし 得るか否かは,受給者側のモラルに負うところが大きいことが窺えた。. 4 その後の展開 (1)支給要件の改定. まず1946年,支給に際し,両親の居住要件が削除され,居住要件としては 児童のみが考慮されることとなった14GP。そめ後1948年には,この児童に閏す る居住要件も緩和され,当該児童の母親が出産時,一時的にニュージーランド を離れていた場合にも支給が認められるようになったM7}。. 1958年には,52週分を上限として,家族給付の総額またはその一部の前払 いが認められるようになった。この前払いはt(a)婚姻後の第1子に関して, 当該児童が誕生した日から3ヶ月以内にその申請がなされた場合,または(b). 初等教育修了後の教育機関の1年生となった児童に関して,当該児童がその教. 育を受け始めた日から3ヶ月以内にその申請がなされた場合に阻られていた 」棚o. また,支給は主として母親になされてきたが,1987年,児童の両親が別居し,. それぞれの親が定期的に当該児童の監護にあたる場合には,その各監護期間を 考慮した比率で,双方の親に支給されることが認められた1・te)。制度発足当初は,. 児童の両親である夫婦の同居を求めるなど,夫婦とその子どもという家族形態 を重んじる姿勢が色濃くみられた。しかし,別居を前提とした新たな規定を加 えたことは,離婚率の上昇など時代の流れを反映しLn°),何よりも児童の利益 を最優先した合理的な判断の結果と思われる。. 支給年齢については,1986年,16歳未満から15歳未満に引き下げられた 151)。その後1989年には再び16歳未満に戻されたものの,15歳以上で完全雇 110.
(27) ニュージーランド家族手当制度の変遷 用に就いた者は適用除外とされた15L)。. 一方、支給額については,3度の改定がなされた。まず,1958年,週10シ リングから週15シリングへと増額された1叫この増額は,1957年総選挙の際 の,WNash率いる労働党の公約であり,同党の勝利及び1949年以来の政権復 帰により実現されたものである。ユ957年から58年にかけて,羊毛,乳製品, 食肉の価格がすべて下落し,貿易面では,ニュージーランドの輸出品の購買力. も落ち込んでいた。そして,1957−58年の収支勘定の赤字が史上例をみない 5,400万ポンドに達した。このように,普遍化されて初めての支給額の増額は,. 支出危機が迫る厳しい収支勘定に直面しながらなされたのである150。続いて. 1972年,週3ドルへlsS),1979年,週6ドルへと櫛増額されたが,これらの 改定の背景には,いずれもインフレの昂進があり,支給額の購買力の低下とそ の調整の意味合いがあった。家族給付は,物価スライド方式が取られていなかっ. たため,インフレが進む中では,支給額の案質的価値は必然的に低下せざるを 得なかったのである。. (2)家族給付の資本化制度の導入 1958年,家族給付(住宅所有)法(the Farnily B enefits(Home Ownership). Act 1958)が制定され,翌59年より、土地の取得及び新しい住宅の建設を目 的として,家族給付の資本化ざれた価値(capitalised value)157;が支給対象児童. の親に前払いされることが認められた:5s)。その前払いは,200ポンド以上で,. 16年間2人の児童を対象に支給される給付の資本化された価値を超過しない 範囲でなされるものとされた(3条(a)(b))。. 資本化制度の導入は,W.Nashの発案であり,1957年総選挙の際,当時の住 宅不足に応えるべく,労働党が示した政策の1つであった19・ 9)。Nashは,出生. 率の向上と家庭生活の健全化を意図した上で,子どもの誕生(=家族給付の支 給)と住宅の所有とを結びつけようとしたのである。その背景には,人口増加 を図る方策として,移民を受け入れることよりも支出が少なくて済むという考 111 1 ’.
(28) }黄言兵1到鞘ξ経済法学第17巻第2号苧(2008年12月). えもあったL°°}。. しかし,家族給付の資本化は,従来,家族給付を支えてきた原理の論理的拡 張であった。というのも,家族給付とは,本来,子どもの養育を支援するため のものであって,資本化はその趣旨に反していたからであるt61)。. また,資本化制度の導入は,普遍化の実現に象徴されるように.あらゆる家 族を区別することなく等しく扱おうとしてきた労働党の姿勢とも異なることと なった。資本化制度は,住宅資金を借入する余裕がない家族にとって恩恵となっ たし1e「},実際に多くの家族がこの制度の下,住宅を所有するに至った]a’)。一. 方.この制度の利用にあたっては,社会保障省により,申請者の審査が行われ た16:)。それは,申請者の週あたりの収入が考慮され,通常の家族給付を受給 せずとも家計を管理する上で十分か否かが重要な審査基準とされた’SS)。よっ. て,定収入がないなど,この基準を充たすことができない家族は,郊外の国営 賃貸住宅に住むようになり,これらの住宅は、次第に太平洋諸島からの移民.. マオリ,ひとり親の家族など貧しい家族の定住先と化した。結果として・資本 化制度の利用の可否により,住宅を所有できる者とできない者との間に分断が 生じたのである。. なお,この住宅所有目的の資本化制度は,1986年に廃止されている欄。. 三 家族給付制度の廃止. 1廃止の背景 (1)経済の失速励. 前述したように,ニュージーランドの先駆的な社会保障制度は,移民社会と いう形成過程と,その中で培われた平等志向が根底にある。しかしそれは.経 済の豊かさに裏打ちされて初めて可能となったものであったlsa}。. ニュージーランドが経済的発展を遂げられたのには,本国イギリスの存在 が大きかったlffi}。それは,「イギリス経済の延長として,自然条件に恵まれた 112.
(29) ニュージーランド家族手当制度の変遷. 南半球における『英国の農園』として発展し得たこと」であり,「市場条件に も,自然条件にも特別に恵まれた幸運によるもの」であった17°)。したがって,. 必然的にイギリス経済に左右されることとなったが,このようなイギリス偏重. の貿易構造に大打撃となったのが,1973年,イギリスのEC加盟である。それ1 は,ニュージーランドの対英輸出に関してもECの共通関税が課されることと なったため,イギリスとの特恵国関係が解消され,農産物市場を奪われたから だ。さらに2度に渡るオイルショック(1973年・1978年)が追い打ちをかけた。. 非産汕国のニュージーランドは,エネルギー価格の高騰,世界的な不況による 農産物輸出の不振など厳しい国際収支に直面した。こうして,ニュージーラン ドは,低迷する経済成長率,上昇する失業率、巨額の財政赤字と公債発行額、. 高いインフレ率など経済的に苦境に立たされることとなった。ニュージーラン ドは,社会保障法の下での数々の所得保障や医療保障が示すように,国家(政府). が大きな役割を果たしてきた。この姿勢は経済分野でも強く,規制により産業 を保護し、国営の事業も多かったeしかし,これらの点が,「制度疲労を起こし.. ますますボーダーレス化していく世界状況とマッチしなくなってしまったので ある」17n。. こうした中,「大きな政府」から「小さな政府」へと大きく政策1転換を図っ. たのが,1984年に成立した労働党のDJ.Langue政権であり,財務大臣を務め たRoger Douglasであった。一連の改革は,彼の名に因み,「ロジャーノミッ. クス」と称されているが,規制緩和,経済の自由化.国営事業の民営化間接 税導入と所得税引き下げ等の税制改革を主な柱としていたITe)e. この改革により,財政赤字は縮小し,生産性は向土したeしかし,一方で, 失業者の増大や自由化の推進に伴う賃金の低下,労働条件の悪化をもたらし, 労働党の支持基盤である社会的弱者に苦痛と改革の急進さに対する恐怖心さえ 与えてしまった1’・3}。ロジャーノミックスは,労働者保謹に手厚く,経済効率. をあま曙慮しない従来の労働党とは異なり,市場メカニズムと競纐理欄 入し,「ニュージーランドの経済構造に強烈なインパクトを与え,厳しい生存 113.
(30) 横浜国際経済法学第17巻第2・号(2008年12月). 競争の世界に導いた」17㌔そして,この「大きな政府」から「小さな政府」へ. という潮流は,1990年の労働党から国民党への政権交代後も変わることはな かったのである17S)。. (2)選別的な家族支援制度の導入. 家族給付は,物価スライド方式が取られていなかったため,1960年代後半 以降のインフレの昂進の中,その実質的価値を低下させていった。このインフ レへの対応として,1968年,家族扶養手当(Family Maintenance AIIowances) が導入され17fi),1972年,扶養児童付加給付(Additional Benefit for D ependent. Children)Ln},1979年,児童補足給付(Child Supplement)17s}と改められた。. その後1984年,ファミリー・ケア(Family Care)が導入された179}。以前の. 3つの手当・給付が他の社会保障給付の補足的な位置づけであったのに対し, このファミリー・ケアの導入により初めて家族給付受給者に選別的な他の家族 支援制度が付加されることとなったIS°)。. ファミリー・ケアの支給額は,第1子には週10ドルであり,第2子以降の 各児堂につき,週10ドルずつ加算された。なお,週あたりの家族所得が394 ドルを超える場合,超過分1ドルにつき25セントずつ減額された。 さらに,申請者のあらゆる生活状況を考慮して,申請者の家族所得が自らの 意思によらず減少したと社会保障委員会により認められた場合,支給額が加算 された(special family care grants)。この支給額は週10ドルであるがt税金を. 差し引いた週あたりの家族所得が160ドル未満の場合,その不足分1ドルにつ き週1ドルずつ加算され,課税前の週あたりの家族所得が160ドルを超過する 場合,その超過分2ドルにつき週ユドルずつ減額された。. また,申請者とその配偶者である児童の両親は,2人合わせて少なくとも週 30時聞,報酬のある労働に従事していることが求められた。. ファミリー・ケアは,このように支給にあたって必要な就労時間の下限を設 けるなど,社会保障給付受給者を適用除外とし,稼得労働者のみをその対象に 114.
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