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国家と市民社会 : 岡田与好編『現代国家の歴史的源流』をめぐる一考察

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(1)<研究ノート>. と 市民社会. 国家. 一岡田与好編『現代国家の歴史的源流』をめぐる一考察井. 楠. 朗. 敏. Ⅴ. Ⅰ.はじめに. ドイツ帝政期における手工業者「保護」 グ「復活」について. このところ「国家論」を取扱う経済史研究が多くな ったが,最近出版された岡田与好編『現代国家の歴史 的源流』もその一つである。. -1881年営業令修正令をめぐって一 入林秀一 Ⅵ. プロテスタソティズムの倫理と帝国主義の精神 山之内. 本書は1978年東京大学社会科学研究所内に組織され た「比較近代史研究会」の共同研究-. 第2編 Ⅶ. 1979-80年の両年度に文部省科学研究費(紘. 現代国家形成の条件と方向. 資本主義の構造転化論争 -1920年代社会政策学会を中心に柳沢. 合研究A),成果の公表に際しても文部省科学研究費 Ⅷ. 補助金(研究成果刊行費)が交付されている。 参加者は,本書の編者であり研究の組織着でもある 岡田与好氏を含め,. 治. フランスにおける植民地銀行制度改革と国家 -イソドシナ銀行権更新=改組問題(1917-31年) 権上康男. を中心にして一. 20歳台から50歳台までの13人。い Ⅸ. ずれもイギリス,フランス,ドイツ,ソ連(ロシア), 衆国と日本の研究者が参加していないのが気懸りで,. Ⅹ. このことは「実証的素材を学界に提供することが」目 的(ivページ)の本書の価値を幾分割引くことになる 刃. かも知れない。. まず型通り本書の構成,執筆者を紹介することから 始めよう。. フランスにおける鉄道「国有化」の歴史的性格に 広田. 功. -いわゆる共同体の社会主義的転化の問題によ 奥田 せて-. 央. っいて. イタリア経済史の第一線の研究者である。アメリカ合. 第1編. 靖. 「転換期にお. ける国家の役割」 -の成果を『現代国家の歴史的源 流』の書名のもとに一冊に纏めたものである.この研 究にほ,. -とイヌソ. 遊牧からコルホーズへ. 失業と国家. -イギリス政府自書『雇用政策』 背景・内容・反響一. (1944年)の 毛利健三. xIドイツにおける社会国家の成立. 自由主義下の社会と国家. Ⅰ. フラソス革命初期における民衆運動と国家権力 遅塚忠窮 -ユタムプー捺をめぐって一. Ⅱ. 産業革命期における国家・階層・家族. 藤瀬浩司 -社会保障政策の一考察一 xnI第二次大戦後イタリアにおける南部開発政策の展 開. 森 Ⅲ. 自由主義のもとでの宗教と国家. Ⅳ. エドゥィソ・チャドウィックの「公共経済学」. 建資. 岡田与好. -ラティフソディウムの解体と「国家ブルジョ 堺 憲一 ワジー」の形成上にみられるように本書は,. -イギリス「社会政策」理念の源流一 大沢真理. 国家」を取扱った第1編に6論文,. 「自由主義下の社会と 「現代国家形成の.

(2) 横浜経営研究. 54(54). 第Ⅳ巻. 第1号(1983). 条件と方向」を問題とした第2編に7論文をバランス. 戦直後1920年代。奥田氏はロシアの社会主義革命乱. よく配置し, 「現代国家」に経済史の面から分析の光. そして毛利,藤軌堺の三氏はそれぞれイギリス,ド イツ,イタリアを対象にして第二次世界大戦中から直. をあてようと試みている。 しかし編者自身が序文で述べているように,. 「本書. の各論文は相互に独立し,相互に関連づけられてはい. ない」。 (iiiページ)加えて「資本主義の発展・変化を どのような諸画期でとらえるか,資本主義のもとでの 国家形成の段階的諸変化をどのように構成していく か。そもそも歴史上の『転換期』とは何であり,どの ようにして捉えうるか,現代国家の歴史的特徴ほ一体 (ivページ)執 何であるか,等の根本問題について」 筆者の間に統一的見解が形成され,表明されてもいな. 後の時期ということになる。 容易に理解されうるように,ここでは「転換期」が, 明示的ではないが,質的に違った二つの意味で使われ ている。. 第一は,フランス革命およびロシア革命という社会 体制の「転換期」として。第二ほ,産業革命瓢産業 資本確立期,大不況瓢第一次世界大戦および第二次 世界大戦期等の,いわゆる資本主義内部の段階的「転 換期」としてである。しかし,構成から見て重点がお かれているのほ,後者の方であることは明らかであ. い。. この点ほこの種の研究書によくある致命的欠陥であ るが,本書をとても読み難くしており,題名に惹かれ て本書を手にした読者に期待はずれの感を抱かせるに. る。. そこでわれわれは,資本主義の発展段階のちがいに 対応して国家の役割が相違するといういわば常識化さ れている命題を,本書がなぜ今日正面から取扱わねば. 十分である。. 研究組織着であり編者でもある岡田氏が,個々の論 文を通読した上で,あるいはまた毎月の研究会で取上 げられた論点を整理する形で,上記の問題について何 らかの形で結論を纏めておかれたら,取扱われた題材 が興味ぶかく,かつ収録された個々の論文が優れたも のだ桝こ,本書の研究史上の意義は,現行よりもほる かに高められたであろうと惜しまれる。 このような事情で評者は,本書をその構成から自由 にまったくの資料集の形で受けとめ,これを通じて学 び得た事柄を土台に,以下思いつくままの論評を進め てゆくことにしたい。. ならなくなったかの理由を見ておかねばならないo. 本書序文冒頭からの次の引用に注目されたいoここ で岡田氏は次のように述べている○ アメリカの「ウォーターゲート事件」や日本の 「ロッキ-ド事件」に象徴されるように,. 「大きな政. 府」ほ,いまや,その標模する「自由と民主主義」 をみずから愚弄するかのように,巨大な,しかも何 者によっても制約されない利権集団と化しつつあ ●. ●. る。その反面均しく「自由と民主主義」の真の擁 iEJiコ. 護者をもって自任する諸野党も,この政府にたいす る批判と非難を一大勢力に結集する能力を欠いてい るかのようである。かつて今世紀のはじめ,新自由. ⅠⅠ.市民社会の構成理念 -自由と民主主義一. 主義の理論的指導者の一人,. L・T・ホップ-ウス. は,もはや古典的と称ぶべき名著『自由主義』のな. 本書はもともと「転換期における国家の役割」を究 「転換期」 明するために持たれた研究会の成果である。. かで次のように述べたことがあるo「国家による強制. として各執筆者が何を表象しているか-この点から. ことだが,国家内の諸個人の結合によって行使され. おさえてゆくことにする。. 遅塚氏はフランス革命期の民衆運動と国家権力の関. の棟能は,個人による郎uおよび,いうまでもない る強制を抑止することである」と(L・T・Hobhouse, Libe,alism,. 1911,. p.. 146).物理的強制力の独占を. 係をユタムプー挟を題材にして取扱っているので,「転. 正当化されているところの,いいかえれば,正当性. 換期」として市民革命を想い浮かべていることは明ら. の名において物理的強制力を行使しうる唯一の集団. かである.同様の難推でゆくと,森氏はイギリス産業. としての国家がもつ強席順能は,個人あるいは集団. 革命期,岡田氏および大沢氏はイギリス産業資本確立. にたいする,他の個人あるいは集団による強乱い. 期,八林氏はビスマルクが活躍したドイツ帝政期,山. いかえれば,個人の意思を歪める私人間の強制の排 除ないしは抑止を目的とし,それに限られる'べきで ある,というこの自由主義的見解は, 「大きな政府」. 之内氏はイギリスの19世紀第4四半瓢柳沢,権上両 氏は,ドイツとフラソスの相違はあるが第一次世界大.

(3) 国家と市民社会(楠井敏朗) を支配している,わが国の「葺昆代自由主義者」には. 何と響くであろうか。両者の隔たりほ,敵対的とも いうべき種類のものではないだろうか。. に求めていることである。一市民革命期の「自由主. ●. ●. 20世紀初めの「新自由主義」,. 「現代自由主義」. という三つの自由主義概念の段階的類別である。. いてのこの自由主義的定式化が,国家活動を積極化 し拡大していくことになった点が注意されねばなら. 55. 社会の構成理念である「自由と民主主義」の意味転換 義」,. 以上を確認したうえで,しかし,国家の役割につ. (55). ここで「自由主義」が市民革命期から20世紀初めま で-これまでの研究史的段階区分に従えば,重薗主. ●. ない。絶対王政の打倒によって政治的専制からの自. 義・産業資本確立期・古典的帝国主義期を貫串する時. 由を勝ちとった自由主義ほ,資本主義の発展ととも. 期-の市民社会の構成理念として考えられているこ. に,新たな社会的,経済的専制,すなわち下から自 発的に形成されてくる強制を問題としなければなら. とに注目されたい。. そして最後に第三に,岡田氏ほ,この異なる三つの. なくなるであろう。ホップ-ウス等の薪自由主義老 「自由主義」概念に対する国家の役割の段階的相違に の当面した問題がまさにこれであったが,この種の. 着目していることである。一自由主義国家,新自由. 「強制からの自由」-とくに「貧困からの自由」-. 主義国家,現代自由主義国家がこれである。. のために,彼らは自由主義の名において,国家の積極. 以上からわれわれは,本書で資本主義の発展段階の. 的役割を承認し強調したのであった。こうして,大. ちがいに対応して「国家」の役割が相違してくるとい. 企業,大独占体の成長,それに抵抗する大労働団体,. う命題に,この共同研究がなぜ取り組んだかの理由が. 農業団体その他の諸団体の成長等,経済活動の大組. 明らかになったように思う。. 織化の発展が,個人にたいする種々の社会的統制=強. に裏打ちされて成長展開して釆た「現代国家」が,そ. 制の制度化の拡大を意味するかぎり,これらの話力. れを支える理念の変質によって超克さるべき存在にな. にたいする唯一の抑止力として国家の強化,肥大化. ったこと。この事実を踏まえて,日常語で同じサウン. と経済-の介入が,自由主義と対立してというより. ドで「自由主義1iberalism」と呼ばれているものの時. もむしろ自由主義の発展・変質をつうじて正当化さ ビッグ・ビジネス. 「新自由主義」理念. -. ピッ〆・. 代的相違を明らかにし,この「自由主義」ないし「自. I/-/''-. れ促進されたのであった。大企業,大労働団体, ピック・ガ/;メソ一. 由」を冠して呼称される「国家」の性格の時代的段階. 大政府の三位一体を理念的に支える現代自由主. 的差異を究明すること。以上である。. 義-セオドア・ロウィの言を借りれば「利益集団. 義」の問題を掘り下げることほ,とりも直さず「市民. 自由主義interestgroup. 社会とは何か」を問い直すことに他ならないo. liberalism」 (Th.ロウィ,. 「自由と民主主. 「国家」. 村松岐夫監訳『自由主義の終蔦』木鐸社,1981年参. の性格,役割の段階的差異が「自由と民主主義」の原. 照)-ほ,しかし,今世紀はじめの「新自由主義」. 理に照して問題にされることは,他でもなく「国家」. に比して,いかなる種類の,また,いかなる性格の. を「市民社会」との関係で問い直すことであろう。. 「自由」の確保を目標としているのか,われわれほ. そこで以下われわれもまた本稿で,. 「市民社会」と. 改めてそれを問いつめるべき時を迎えているように. のかかわりで「国家とほなにか」を究明してゆかねば. 思われる。. ならない。. (傍点原文). ⅠⅠⅠ.. 「現代国家」の歴史的性格. この引用文からわれわれが探り出し得た事柄は次の 諸点である。. 一段階的および類型的特徴●. ●. 第一ほ,岡田氏が現代そのものを「転換期」と理解 していることである。なぜかo. 「大きな政府」で表象. 「現代国家」の歴史的性格についてほ,毛利,藤瀬, 堺の各論文が取扱っている。対象時期はいずれも第二. される「現代国家」を正当化した20世紀初めの「新自. 次世界大戦中から戦争直後の時期である。この三論文. 由主義」が,今日,当初の価値理念を失い,効果だけを. を同じ平面に乗せて問題にしたのほ, ●. ●. 「現代国家」と ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. 追い求める棟能しか果し得ない「現代自由主義」に変. いう共通の呼称のもとで,その段階的および類型的特. 質し,超克さるべき新しい段階に釆たという意味で。. 徴を探り出したかったからである。. ●. 第二は,このことから明らかに,岡田氏が「転換期」 の指標を経済構造や政治構造の変化からでなく】市民. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 第二次世界大戦中のイギリスは, 「世界の工場」, 「世 界の銀行」, 「世界の海運業」をもって世界市場に君臨.

(4) (56). 56. 第Ⅳ巻. 横浜経営研究. 金=ポ. していた19世紀的威信をすでに失墜していたo. 第1号(1983) 会の抱え込んだ経済的諸矛盾を解決する核心的問題だ 「自由と民主主義」を大. ンド体御を軸にした自由貿易体制ほすでに過去のもの. とすれば,. になっていたo. 原則とする市民社会の政治理念の実現を,国家が自ら. この時期イギリスが直面した最大の政. 策課題は,戦争終結によって再現されるであろうと危. の使命として引き受けてゆこうとする問題だと理解す ることができる。. 供された1930年代の悪夢一失業増大-の未然の防 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 拡大再生産させるだけのものになってしまっており,. における「現代国家」成立の直接の契機となる。. 政府が,租税収入または公債収入を財源に,利潤追求. 「現代国家」を歴史上さまざ. 毛利氏はその論文で,. を無視して,自ら経済する主体として行動するのでな. まな形で登場した「経済管理国家」の歴史的-薄型と ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ●. ●. 捉え,その上でその特徴を「国民経済の良好な′くフォ ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「非自発的失業」を. 今日,市民社会の経済法則ほ,. 止であった。失業問題との積極的取組みが,イギリス ●. 「福祉」の問題は,. ければ,市民社会そのものの存立さえ脅やかされる状. ●. -マンスの達成と維持を目標としかつ(そのことを(291ページ)と 引用者-)責任として公認する国家」. 態になって釆ている。また,今日の発達した市民社会. 定義した。そして,個人の経済活動に政府が介入する. 拡大し,富者を益々強者に,貧者を益々弱者の地位に. ことを拒絶して釆た産業革命後のイギリスの経済政策 思想に大転換を迫った政府自書『雇用政策』 (1944年). おとしこむ条件を作り出している。したがって,市民. の提出をもって,イギリスの「現代国家」. ない限り,市民社会の政治理念たる自由と民主主義. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. -の転換の. 紘,保障された「財産権」を基盤に富と所得の格差を. 社会の擁護者たる「国家」が介入しその調整をはから. 画期と捉えたのである.. (とくに「平等権」)の保障は脅やかされてしまう。. 失業という「国民経済の不良なパフォーマンスの明. 「福祉」の問題を. このような文脈の中で藤瀬氏ほ,. 白な一指標」 (291ページ)を克服するためには王 国家. 取り上帆ドイツにおける社会保障政治史を跡づけな. が国民経済全般のパフォーマンスー物価安定,景気. がら,第二帝政下の労働者保険制度とヴァイマール体. 調整,経済成長,国際収支調整-に積極掛こ介入し. 制下の失業保険制度を対比し,さらに第二次大戦後に. なければならぬことを同自書が史上はじめて正当化し. 成立した連邦共和国における年金改革の意義を問いつ. たからである。. つ,ドイツにおける「福祉問題」発達の歴史的特色を. 毛利氏は,ここで,. 『雇用政策』を,「私的所有と国. 明らかにしている。ドイツでほ「現代国家」が成立す. 家統制との結合を基礎にした独得な型の経済組織」た. る以前から,今日のいわゆる「福祉」一社会保障,. る「コーポラティズム」の構想の世界史上最初の体系. ないし社会保険が制度として発達したのほ何故か。こ. 的提示と評価している。毛利氏は明示的には表現して. の「福祉」をイギリスやアメリカ合衆国で「現代国家」. いないが,次のことを想定しているように見える。. が使命として引き受けた「子房祉」と同じ性格のものと. 「社会的所有と国家統制の結合を基礎にした経済組 織」を社会主義国家,. 捉えてよいのか否か,を探り出すためである。. 「共同体所有と国家統制の結合. を基礎にした経済組織」を市民革命以前の前近代国家. 結論として藤瀬氏が次のように述べていることに注 目されたい。. として,これら両者を「私的所有と国家統制との結合. 「ドイツ社会保障政策の歴史ほ,その時代,その時. を基礎にした独得な型の経済組織」たる「現代国家」. 代の直接的政権維持政策や経済政策,労働政策を主導. と並べてみると,歴史上さまざまな形で登場した「経. 的な動壊として形成されてきた。しかし同時にそれ. 済管理国家」のなかで,毛利氏の理解する「現代国家」. は,産業革命および資本主義の段階的発展に応じて,. の特徴がひときわ明白となってくると。 藤瀬氏は, 「現代国家には,経済成長の維持,国民. 解体されていく従来の社会保障形態(共同体,家族な. 経済の管理・調整という,こういう云い方が許されれ. であった。ビスマルク時代の労働者保険法以来ドイツ. ば,■成長国家,経済国家としての側面とともに,福祉. で一貫して実施されてきた社会政策ほ,必要とされる. 国家welfare. stateまたはドイツ語でいう社会国家 Sol;ialstaatとされる側面がある」と述べて,ファソク. 生活保障対象を個人の自助や任意の共済に任すのでほ. ションの面から「現代国家」の性格規定に向っている。. ことであった。この過程で国家は社会生活の内部の基. ど)に代って新しい社会保障形態を設立していくもの. なく,国家強制によって社会保険制度を創出していく ●. ●. 「成長」と「管理・調整」の問題が,今日の市民社. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 本的な境能を次第に自己の機能にとり込んでいった。. ●.

(5) (57)57. 国家と市民社会(楠井敏朗) 国家と社会の分離を想定する19世紀的な理論を前提と ●. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 業」克服という「経済調整・管理」機能と一体どのよ ●. ●. ●. するならば,ここで国家がまさに社会化するのである。. うな係り合いをもってくることになるのか。両立しう. こうしてより深い意味での社会統合によって国家の支. るのか否か。一藤瀬氏ほかかる問題を読者に問いか. 配力,安定性は未曾有に強化されるであろう」。. けている。. (335. ●. かつてマックス・ヴェ-バーほ,アルプス以北,と. ページ。傍点は引用者) アメリカ合衆国では, 1930年代のニュー・ディール. くに西ドイツに典型的に発達して来るヨーロッパ中世. 期まで社会保険,社会保障は制度として展開する余地. 都市に対比して,イタリアの中世都市(ジェノヴァ,. ほなかった。ここでは「人は神の前で平等」であるこ. ヴェネツィア,フィレンツェ等)が,古代ローマ時代. とが原則とされたが,神の前で平等な一人一人の人間. の遺制を払拭できず,したがって古典古代の都市構成. はそれぞれ他に依存しない独立した人格であり,成功. に類似して,前者では達成された農村との分離を不徹. するも失敗するも個人の責任だとする「自助」の精神. 底のまま残し,中世ヨーロッパ都市を特色づけたかの. が一般化していた。ケインズを批判し,ニュー・ディ. 民主政治とそれを担った商工業着からなる市民層の成. ール以後の民主党の政策を批判する今日のレーガノミ. 立を不十分にしたことを明らかにした。. ックスは基本的にこの原則の上に立っている。したが. ここでヴェ-バーの所論を想起したのは,堺論文を. って,動植物界を律する適者生存の進化の法則が,こ こでは人間社会にも妥当するものとして肯定された。. 読み進みながら,そこに近代西ヨーロッパを特色づけ. ソーシャル・ダナビニズムである。. が,まったくといってよい姪ど画き出されていないこ. 市民社会の「自由と民主主義」の原則は,解体に瀕. た「国家」と市民社会との緊張をはらんだ対抗関係 とに気づいたからである。. 近代化の過程でドイツよりも造かに後進性を示して. した封建的共同体とその上に打ち立てられた絶対王政 を自らのカで打ち倒し,生産力の個別化の上に徹底し. いたからなのであろうが,このことは,帝政ローマ時. た個人の自立化を確立した半面,その展開のなかで,. 代に奴隷制発達の基盤をなしたかのラティフソディウ. かくも無慈悲な-前近代の依存的社会関係に馴染ん. ムが,南イタリアで大幅に変質しながらも残存してお. だわれわれからみればとくにそのように感じられる. 一局面を現出させてくる。 ところが資本主義の歴史とともに社会政策の歴史を. り,その解体が第二次大戦後の時期に「南部開発政 策」の一環として推進されねばならなかったことから も分る。堺論文はイタリアのおかれたこうした歴史的. もったドイツの場合は,傍点を付した藤瀬氏の先の引. 特殊性を踏まえて,戦後のイタリアで推進された「南. 用文から明らかなように, 「国家は社会生活の内部の. 部開発政策」のなかにみられる国家の経済-の介入の. 基本的な横能を次第に自己の横能にとり込んで」ゆか. 意味を問うているo. ねばならなかった。したがってその磯能ほ英米のごと ●. ●. ●. ●. ■. ●. イタ.)アで進められたこの「介入」ほ,毛利,藤瀬. ●. く出来るだけ小さく,しかも議会=立法府の作る法に ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 両論文にみられた「介入」とは明らかに質を異にして. ●. 「現代国家」によって進め. よって明確に規定され制限されることなく,市民社会. いるといわねばならない。. が未発達だという現実を踏まえて,市民社会では当然. られたものでありながら,戦後のわが国の農地改革に. だと考えられている個人の「自由権」,. 「平等権」, 「財. も比較されるような「先おくり」され放置されて釆た ●. 産権」, 「生存権」等の保証を,. 「国家」が自ら社会化. することで自らの淡能として実現してゆかざるを得な. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 市民革命の課題の現代における実現を想わせる。 発達した市民社会におけるように「失業」対策-雇. かった。そうでもしなければ,ドイツにおける資本主. 用政策が問題なのでほない。後発市民社会におけるよ. 義一市民社会の経済法則-さえ発達が期待されな. うに封建的市民層の,資本主義的工業労働者化に伴う. かったからである。. 社会政策-. 「現代国家」の重要な機能である「福祉」の問題が,. 「福祉」が問題なのでもない。粗放的な. 穀作一枚羊を主軸とするラティフソディウムによって. ドイツでこのような歴史的性格をもって現われてくる. 特徴づけされた南イタリアの総合開発-ラティフソ. とき,この問題は,第二次世界大戦前後から新たに加. ディウムの解嵐農工両部門における発展地域の形成. ってくる「現代国家」のもう一つの重要な,しかも核. とインフラストラクチャーの整備-が,北イタリア. J[J的役割一市民社会の経済的矛盾の発現である「失. で発達した工業資本にとって必要不可欠であったこと.

(6) 58. 横浜経営研究. (58). 第Ⅳ巻. 第1号(1983) うあの独得の人生態度を生み出すことになったからで. から推進された「国家」の経済への介入であった。. しかもわれわれの注意を喚起せしめる事柄は,かか. ある。イギリス市民革命(近代化)の担い手は,そし. る開発が「南部の開発の『乗数効果』が北部の収益に. て市民社会の形成者は,かかる「強力な個人」であっ. なる」 (335ページ)というよく聞き馴れた乗数理論の. た。. もとで推進されたことである。第二次世界大戦後のイ. 山之内氏がシュルツェ=ゲヴァ-ニッツのこうした. タリアで進展した混合経済体制の強化の歴史的意味. 主張に注目したのは,. 杏,われわれはもう-度問い直して見なければならな. 力の高さや政策的対応の良し悪しに還元してしまう」. いであろう。. 皮相な認識(146ページ)を斥けて,国家機構でなく. 「国民国家の政治的力量を経済. 市民社会のあり方こそが,当該国の実力を示す根本指. ⅠⅤ.市民社会の変質. 標なのだと述べたかったからである。. 「現代国家」の受容基盤-. -. ところが19世紀に入ってイギリスの市民社会には大. 「市民社会」とのかかわりで「現代国家」の歴史的. きな変化がみられるようになる。他でもない。功利主 義的ないし啓蒙主義的世界観の横溢である。. 性格をみて釆たわれわれは,ここで「現代国家」を生. 「肉体的存在としての個人をはるかに超えた絶対的. み出す,あるいほ「現代国家」を待望する「市民社会」 の問題を考察しなければならないo この問題について われわれは山之内論文から多くを学ぶ。. 価値レヴェルから,目的論的に設定された」. (148ペー. ジ)良心の自由をはじめとする人権の諸概念が,超越. 「プロテスタソティズムの倫理と資本主義の精神」. 的目的との結びつきを失って来る。. 「国家からは文化. ほ,改めて述べるまでもないが,マックス・ヴューバー. 的価値内容が剥奪されるとともに,歴史からは特有の. の最も影響力をもった論文の一つである。山之内氏は. 文化的個性という側面が切り落とされ」. そこで主張されたヴューバー・テーゼを,シュルツェ=. 人々の行為動機を規定する価値は自然科学と結合し,. Zmperialismus,. ゲヴァ-ニッツの主著Britischer Freihandel. englischer Jahrhunderts,. 1906. Beginn. zu. des. und. zwanR:ig5ten. 〔『帝国主義と自由貿易-20世. 力学や数学の法則に即して数量化され形式化されるo そしてあらゆる社会事象が技術学的に考察されるよう になる。一価値の現世化の進展である。 市民社会を構成する諸個人ほいまでは,. 紀初頭のイギリスー』〕に読み込んで,プロテスタ. (148ページ),. 「計画的な. ソティズムの倫理が,いわゆる「古典的帝国主義」期. 生活態度,本能的衝動の統制,理想目的に対する自由. にどのように変質するかを跡づけ,市民社会の質的変. 意志的服従」, 「性的克己」に生きる糧を求めないで,. 化の問題を解明している。力作揃いの本書収録の論文. ベンサム流の功利主義的世界観に身を委ねるのであ. のなかでもとくに秀逸のものと評価されよう。. る。. 山之内氏はまず, 19世紀にイギリスが世界の覇者と して指頭した原因に関するシュルツェ=ゲヴァ-ニッ ツの次の指摘に注目する。. -. 「イギリスは,それが. -ありのままの肉体的存在から自然に流出して くる幸福欲求一物質主義的で現世的な幸福欲求の充. 足にである。 かかる文脈のなかで山之内氏は,禁欲的でかつ倫ヨ里. 強力な国家であったという理由だけからではなく,そ. 的なかかる個人の利益を最優先し,個人のかかる利益. れが強力な個人をもったが故に,競争者に対して勝利. 追求に煩わしく介入して来る「国家」の権限と機能を. したのである」。. (144-45ページ). こまかく規定し制約しようとするかつて支配的な志向. それではかかる「強力な個人」を生み出したものは なにか。. -. が次第に稀薄になってゆくこと。そしてこれに代って. 「外側からカルヴィニズムの影響を受け. 自分たちの物質主義で現世的な幸福欲求をストレート. つつ,長老派を経由して独立派に及び,クエーカーに. に充足してくれるものであれば,かりにそれが個人の. おいて鳳点に達した」 (145ページ)イギリスの宗教改. 利益に介入してくるものであっても「国家」の擁能と. 革運動であった。なぜか。一宗教改革運動は,. 「計. 画的な生活態度,本能的衝動の統制,理想目的に対す る自由意志的服従」 「性的克己」. -こういったビュ. 「労働の結果. ーリタソの宗教的エートスを普遍化し, をそれ自体として完全に聖化する」 (145ページ)とい. して認めようとする志向が強まってくること,つま り,レソトナ一国家と社会国家(福祉国家)の容認の 論理を導き出してくる。イギリスにおけるプロテスタ ソティズムの倫理の衰滅と帝国主義の精神の昂揚であ る..

(7) (59). 国家と市民社会(楠井敏朗) ここで「レソトナ一国家」とほ,貿易上の対外債権 よりも国際金融上の債権を重視し,生産力よりも貸付 効率の増大に国家の存亡をかけた国家のことで,. 19世. るいは「政教分離の原則」を独特の形で生み出してく る。. 政治権力(=「国家」)はいまや,宗教的権威と係り ●. 紀末から20世紀初めのイギリスは,その典型的事例で. 59. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. なく,市民社会を構成する諸個人の政治的関係を基礎. あった。ケインズがかかる祖国の姿に慨嘆し,それを. に存立することになるし,たとえば,説得可能な合理. 克服する処方毒として『雇傭・利子及び貨幣の一般理. 的政治理論の構築】政党の形成とその合理的組織とし. 論』 (1936)年を書いたことはよく知られている。. ての発達,政党間の権力(正当化された暴力)掌握を. 岡田・大沢両論文もまた別の観点から産業資本確立. めく小る抗争などなど,宗教もまた政治活動とは無関係. 期のイギリスにおける市民社会の変質の問題を取扱っ. に,各人の自由な宗教的心情を基礎に独自の文化領域. ている。. を形成してくる,たとえば,. 「カイザルのものほカイザ. れるであろう。両氏とも産業資本確立期のイギリス市. ルに」返した個人の純粋な信仰,教団の形成とその合 理的組織としての発達,教義の整備あるいほ新解釈な. 民社会の変質を正面から取扱おうとしてこの論文を書. どなど。-「信教の自由の保障」あるいは「政教分離. このように評価すると両氏から恐らく抗議が提出さ. の原則」を上記のように理解して岡田論文を読みかえ. いたのではないからである。 岡田氏の主たる問題関心ほ,. 19世紀のイギリスと日. 本国憲法下のわが国にみられる「国家」と「宗教」の 係り合い方の歴然たる相違に着日した上で,. 「政教分. すと,岡田論文からわれわれほ,. 19世紀中葉のイギリ. スにおける市民社会の変質の実情を知ることになる。 岡田氏がここで問題にしているのは,貧民を含めた. 離の態様は時代により社会により異なっていること」,. 全般的な公教育を誰が担当するか一国家が担うか,. 「この差異は歴史的に説明されるべきであるし,説明さ. 宗教団体が担うか。宗教団体が担う場合にはどの教派. れうることを強調」することにあったし(59ページ),. が担うかの問題をめく。る「国家」と「宗教」との関係. 大沢氏の関心ほ,イギリス「社会政策」理念の源流と. である。. して,ベンサム主義者エドゥィソ・チャドウィック. イギリスにおける公教育創出の要求は,岡田氏の研 「最後の農業労働者暴動」に. (1800-90年)の政府観を評価することにあらたからで. 究によると1830年代-. ある。. はじまり労働組合の大同団結としての「グランド・ナ. ここでほ紙幅の関係上岡田論文から多くを学ぶこと. ショナル」の結成・挫折を経て,チャーティズムに至. る反体制運動の昂揚期にたかまる。 (67-68ページ)そ. 軒こしたい。. 市民社会成立の決定的な特徴ほ,各文化諸領域に固. の目的は,. 「下層階級を,扇動家やパンフ・ライター. 有の法則性が貫徹してくることだといわれている。政. の陰険な議論から防衛する」こと(68ページ)にあっ. 治と宗教との関係についてこれを見ると,次のような. た。. 関係が成立した。すなわち,政治権力が宗教的権威に. われわれほこのことから,イギリスにおける公教育. よって聖化されるか,宗教が政治的権威によって正当. 創出の要求が,資本の側から提起されていることを見. 性を獲得するかいずれかの形で,政治と宗教,したがっ. て取らねばならない。資本の要求が教育に対する国家. て「国家」と「宗教」が深く結びついていた近代以前. 干渉を正当化している。. の伝統的社会とちがって,市民社会では,それを構成 する諸個人の信教の自由が保障されたばかりか,かれ. -. 推進者は古典経済学老およびベンサム主義者であ る。 ●. らがどの宗教によって信仰を得るか,あるいほまたど. ●. ●. 資本から提起されたこの本来世俗的であるべき公教 育問題が,なぜ「国家」と「宗教」の緊張関係を生み. の宗派ないし教団に属するかによって政治的にも経済 的にも社会的にも差別されないことが原則とされた。. 出したのか。. -イギリスでほ18世紀末以降日曜学校 運動が発展し,宗教団体が民衆教育普及の推進者とな. 市民社会を構成する諸個人の宗教に対するこのよう. な特徴的な係り方は,政治権力(=「国家」)に対する. り,任意主義的「公共学校」を経営し,イギリスにお. かれらの関係一自分たちの自発的意思に基づく権力. ける公教育の推進者になっていたからである。. の分割ないし制限〔いわゆる民主政治の発達〕. -と. 「エ場法」の制定と同時に社会政策上当然, ●. 相倶って,市民社会における「信教の自由の保障」あ. ●. 「国家」. ●. が貧民層の児童を対象とした強制的教育を担当すべき.

(8) (60). 60. 横浜経営研究. 第Ⅳ巻. 第1号(1983). 必要性が意識されるに及んで!かかる緊張関係が作出. 屈折したいくつかの問題点を,史実に基づいて提示し. されたのであった。. た奥田論文が興味ぶかく読めた。. ところがここで注目しておきたいことほ,緊張関係. 発生の直接の動機が,政治理論と教義の衝突という市 民社会存立の板木問題とかかわる事柄でほなく】. 「国. この論文は, 「1920年代末以降にソヴュト政権が直 面した共同体(ロシアでほミール)の社会主義的農業 への転化といういっそう広汎な問題の一部を構成する. 家」が行う公教育推進のための財源をどのようにして. ものであり,基本的にほ血縁的諸関係を喪失していた. 捻出するか,あるいは強制教育のための学校の管理を. ミールと異なって生活,社会,経済のあらゆる側面が. だれが担うか,さらにかかる学校での教員を誰がどの. 血縁諸関係によって規定され土地の割替も知らない. ような方法で選抜するかをめく。る,. (「農業共同体」以前の)古い遊牧民の共同体がこの. 「国家」と国教会. と非国教諸派との緊張関係であったことであるo. この時期に絶対政王下に制定された「地方自治体法. 『社会主義』建設においていかなる役割を果したかと いう問題」. (257-58ページ)を取扱っているo. 主題は. (1661年)」および「審査法(1673年)」が廃止され. 「発展段階の飛びこえての問題」の実証的研究で,輿. (1828年), 「カトリック教徒解放法」が制定されて. 田氏の結論は「飛びこえ説」の否定にある。. (1829年),非国教徒の全面的政治的解放が実現された (64ページ)事実に,岡田氏がひとしく注意を喚起し ていることに,われわれも注目しておきたい。. このことがらは,建国期の合衆国における「宗教の. 広田論文は,人民戦線期のフランス鉄道の「国有化」 を取上げて,かかる国有化の歴史的性格を問うている。 フランスでは第二次世界大戦後いろいろの産業分野 で「国有化」が進行していることはよく知られてい. 自由」 (「政教分離」と「信教の自由」)の確立過程と. る。このいわば「国家」の「経済」への介入を,フラ. 軌を一にしている。イギリスでは市民革命期にこの問. ンス資本主義の全発達史の中でどう評価するかについ. 題が解決されず,産業資本確立期に入ってやっと実現. てほ,広田氏も参加した遠藤輝明編『国家と経済-. したことが大きな特徴であろう。 だが,公教育をめく小る「政教分離」の問題は,今ま. フランス・デイリジズムの研究-』東京大学出版 会, 1982年〔これに対する評者の書評は,. 『エコノミ. で岡田論文によりながら考察して来たことから明らか. ア』 No.. なように,. る。そこでは「労働のデイリジズム」と「資本のデイ. 「政教分離」の核JLh的課題である原理原則. 75,. 1982年参照〕で正面から追究されてい. を争い,相互不可侵の関係を主張する生命賭けの血み. リジズム」の対抗という枠組みで,. どろな緊蛮した問題ではなく,既存の社会体制内での. る「国家」の性格規定が試みられていて興味ぶかかっ. 「国家」と宗教団体との,あるいは宗教団体相互の,. たが,広田氏は研究史のこうした動向を呪みながら,. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「経済」に介入す. ●. 組織の存立をかけたたんなる利権争いにすぎないので. 本書では1930年代の鉄道「国有化」の歴史的意義を問. ある。このいわば日常的次元での利権争いが大真面目. うた。. に「国家の宗教からの自由」あるいは「宗教の国家か. 広田氏によれば,. 「国有化ほ本来,所有と管理の二. らの自由」という大義名分のもとで争われたところ. 面的な変草を含意し」, 「合理的経済的経営に向けての. に,われわれは岡田論文からこの時期のイギリス市民. 技術上,管理上の再編」を達成する手段として,. 社会の変質一堕落のさまを読みとることが出来る。. 有の変革」(資本家所有・管理の廃止)を展望するもの. ・市民社会はそれを構成する諸個人相互の関係から離 れて,やがて19世紀末から20世紀初めにかけて本格化. であるが, 1930年代のフランス鉄道の「国有化」は, 管理=技術面での変革に重点をおくだけで】所有の変. する鼠織と組織の関係に日常化しつつあるのだ。組織. 革を伴わず, 「国有化」とほいっても厳密な意味での. の中に埋没しつつある諸個人の生気を失った姿が限の 前に浮かぶ。. それではなく!戦後,とくに1947年来全面化する「国. Ⅴ.残された幾つかの問題. 独資的国有化」の性格をもち,その先駆形態ともいう べき歴史的な意義をもった。フランスにおける「国有 化」の進展を,われわれは,. その他「国家と市民社会」の関係を問題にするに当 り,シベリアに住む少数遊牧民族がソヴェ:ト連邦共和 国の社会主義体制-組み入れられる過程に生起した,. 「所. 「経済調整国家」のフラ. ンス的変種とみることが出来るかと思う。 われわれほ,ドイツがナチス経済の建設によって! 合衆国がニュー・ディールの推進によって1930年代の.

(9) 国家と市民社会(楠井敏朗) 危機を克服しようとしていた時期,フラソスでは人民. (61)61. 機会に譲らせていただくことにする。. 戦線の指導のもとに戦後になって全面展開する「国有. ⅤⅠ.. 化路線」の採択によって危棟打開の道がさく小られてい. 「国家」の歴史的分析の課題 -むすびにかえて一. たことを知る。 なぜ「労働のデイリジズム」が「資本のデイリジズ. 本書の題名と岡田氏の序文に惹かれて,まったく勝. ム」に圧倒されてしまうのか一括局ほ市民社会の構. 手な読み方で読み進んで来たわれわれほ,ここで再び. 造的性格=歴史的限界の問題に帰着するのだろうが,. 出発点に立ち戻らねばならなくなった。以上しめした. この点が今後「現代国家」=r現代自由主義」の歴史的. 評者の読み方で本書の意図が十分に捉え切れなかった. 性格を知る上に究明すべきポイントになるように思わ. のではないかという不安と,本書の分折を今後の経済. れる。. 史研究に活かすとすれば,どういう形で受けとめれば. 「現代国家」は,. 「経済調整国家」であり,かつ「福. 祉国家」=「社会国家」の性格を色濃くもって市民社会 に深くかかわってくるものであることほ,いままで検. よかったのかという反省が,複井に交錯し始めたから である。. そこで本稿を締めくくるにあたって,最後に,本書. 討して釆た。しかし,同時に他方,重商主義,自由主. を読み終えた段階での全体としての感想を述べ,評者. 義,古典的帝国主義の時代から継承した「国家」の別. なりに問題点を提出し,不明な点についてはご教示を. の機能を残していることを見落してはならない。それ. 乞いたいと思う。. は経済的,政治的利権をめく.tる国家間の係争と関係す. 第一ほ,まったくの感想であるが,経済史研究にお. る「防衛国家」ないし「侵略国家」の性格である。第. ける国家論の取扱いが,今日でもなお十分に整理され. 二次大戦後も,変らない特徴として残り,とくにこの. ていない現状を知り得たことである。執筆者によって. 性格は1980年代の今日では,武力を背後にもつこうし. 表象されている「国家」がそれぞれ異なっているので. た「国家」の性格が他の機能を押しのけて急速に前面. はないか,とさえ感じられた。. に突出して釆たo直接戦火を交えることがなくとも,. 「自由主義下の国家」と「現代国家」が一応区別さ. 貿易摩擦,保護主義,さらにOPECに代表される国. れ,各執筆者によってそれぞれの特徴が追究されては. 際カルテルの形成等一国家問の利害対立に関する話. いる。しかし,この「段階論」的区別ほ,極論させて いただ桝ゴ, 「小さな政府」と「大きな政府」という. 題ほ今日日常化して釆ている。 「経済調整国家」ないし「福祉国家」の面で「現代. 観点で捉えられたまったく常識的区別に過ぎない。た. 国家」は,市民社会における不合理是正のいわば「自. しかに「大きな政府」が「経済調整=管理国家」の枚. 由主義者」 (岡田氏のいう「現代自由主義」の体現者). 能と「福祉国家」ないし「社会国家」の横能を具備し. 「防衛国家」ないし「侵略国家」. しかし,. であったo. たものだという性格づけは与えられている。しかし,. の面では, 「現代国家」は,かつて資本主義の歴史に. もう一歩というところで突っこんだ分折が放棄されて. おいていつの段階でも「国家」がそうであったよう. いるo. ●. ●. ■. ●. ●. ●. ●. ■. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. また,英米型「福祉国家」とドイツ塑「社会国. ●. に,市民社会から離れて一人歩きし始め,市民社会を. 家」との厳密な性格上の相違も果たされていないよ. 「国益」の名のも. うに見える。一藤瀬論文でかなりのところまで究め. 構成する諸個人の利益を無視して,. とで少数の利害関係者の利益のみを追求する「愛国主. られてはいるが,共有財産にはなっていない。そし. 義者」ないし「専政主義者」に変る。こうした観点. て,本稿でもそうして来たのだが,. 「福祉国家」ニ「社. 会国家」の表現が一般化している。. 「現象」先行的で. で,. 「現代国家」が問題にされる場合でも,対外進出. ないし侵略,あるいは植民地問題は忘れられてはなら ない問題となるはずだ。権上論文は,本書ではまった く例外的に植民地支配者としての「国家」. ≡. 「現代国家」. の問題を取扱っている。紙幅の関係上詳細には論及出 来ぬが,こうした関連で読み進むと実に興味ぶかい。 その他,遅塚論文,森論文,八林論文,柳沢論文か らも多くを学んだが,これらに対するコメントは別の. ある。. こうした「国家」把撞の根本的欠点はどこから来た のだろうか。. われわれは本書に収録された諸論文のなかで】例え ば「重商主義国家」とか「自由主義国家」とか「帝国 主義国家」とか「国家独占資本主義」とかいう用語法 が殆んど一広田論文で「国独資」が使用 されている.

(10) 横浜経営研究. 62(62). 他殆んど一便用されていないことに気づく.. 第Ⅳ巻. 第1号(1983) 成立前の「国家」. これには理由があるのかも知れない.一頭デッカ. -それほ祖5E,血,言語,習慣を 共通すると考えられる同一民族の運命共同体である。. チな抽象的な概念に振り回される前に,事実そのもの. この性格を前面におし出してくるのである。そして,. をしっかりと掴んでおく方が先であるという意識から. 事情によっては,他の「国家」=行政府と秘密裡に条約. であろう。同じ類の抽象的な議論には飽き飽きしてい. を結んだり,ある場合には他国から防衛するという大. るから,本書のようなファクト・ファインディソグな. 義名文のもとに,市民社会が未成熟なばあいにはとく. 論文集はそれなりの魅力がある。だが事実の提出だけ. に,自らの都合のよいように立法府や司法府の権限を. に終ってしまい,個々の論文は自己完結的で素晴らし. 縮小し,行政府を中心とした強力な「国家」を構築し. くても,全体としてほ握りのない論文集は,資料集に. て,市民社会の対立物となった。. 過ぎないと酷評されても仕方がないだろう.本書には. ところが市民社会とのかかわりで「国家」が問題に された時は,. そういう欠点がある。 経験科学の方法に従って「事実」から出発するのは. 「小さな政府」であれ,. 「大きな政府」で. あれ,行政府のみが「国家」ではない。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「国家」の機 ●. ■. ●. ●. ●. ●. よい。しかし,事実の集積から得られた成果は,比. 能は,行政,立法,司法の三権に周到に分割され,行. 較,弁別,再構成の手続によって独自に理論化されね. 政府はその行動を立法府のつくった法律によって事前. ばならない。こうした手続は,研究にとって最小限必. にこまかく規制され,なされた活動そのものも,市民. 要な作業であると考えられるが,どうであろうか。も. が告訴すれば司法府によって法律に照らして厳格に審. う少し突っ込んだ理論化が欲しかったと思われる。. 査された。. 第二は,このことと恐らく関係していることであろ. うが,本書においてほ「転換期における国家の役割」. 市民社会では,. 「自由と民主主義」の原則のもとに,. が問題にされながら,かかる「国家」が理論的にどう. 一人びとりの個人の利益が何にもまして尊重されねば ならず, 「国家」はそれを実現するための機関に過ぎ. いう視座のもとに捉えられているか,なかなか掴めな. ないと意識される。したがって市民社会が十全に機能. かったことである。. している場合には,. われわれは本書から学ぶ立場から,一応「国家」を 市民社会とかかわらせて論じてみたが,それでもなお これでよかったのかという不安が残る。. 「国家」は市民社会から独立して. は存立し得ず,絶えず個々人によってチェックさるべ きものとなった。. かくて資本主義のもとで, 「国家」は一方で市民社 ●. そこで議論をもう少し生産的にするために,評者な りに研究史を整理して,. 「国家」の歴史分析の方法に. ついて考えてみたい。. ●. ●. ●. ●. 会の対立者であり,他方で市民社会の利益体現者とな. る。資本主義のもとでの「国家」は,こうした矛盾し た性格を抱え込んでいるo これが研究史が教えて釆た. われわれはこれまで「国家」を研究史上どのような 観点で分析して釆たのであったかo ある場合は,本稿でわれわれが試みて釆たように,. 理念型として考えられる資本主義国家の二つの顔であ る。したがって現実に存在する「国家」は,一つには 当該国の市民社会のあり方,いま一つには世界市場に. 市民社会とかかわらせて釆た。またある時ほ,世界市. 占める当該国の地位に応じて,. 場との関連の中においてみて釆た。. くなるかが決定的に重要一種々さまざまな偏差をも. 経済摩擦,関税,開国,防衛,侵略等との関連で 「国家」が取上げられた時,すなわち,世界市場との 関連が前景に出たとき,. 「国家」を代表するものは. -どちらの局面が強. って現われてくる。だから「国家」の歴史的分析ほ, 本来,段階論的に片付けられるものでない。むしろ構. 造論=類型論的に進められねばならない。そうでなけ. ガグTメソf・. 行政府であったし,かかる行政府の発言力を支えたも. れば,資本主義のもとにあるそれぞれの「国家」の存. のは,経済力ないし軍事力であった。. 立を支える「自由と民主主義」の意味を究めつくすこ. ここで「国家」=行政府は,市民社会を構成する一人 びとりの個人の利益を必ずしも体現していない。それ から離れて一人歩きしている。かかる「国家」ほ市民 社会を超越している。というよりもむしろ市民社会成. 立以前の「国家」の性格を濃厚に現出する。市民社会. とは出来ないであろう。. ところが本書は「国家」を全くファンクションの面 で捉えてしまった。そして「現代国家」のファンクシ ョソを「経済調整=管理」機能と「福祉」榛能にしば 「大きな政府」, 「小さな政府」だけが. ってしまった。.

(11) 国家と市民社会(楠井敏朗). (63). 63. 意識にとめられてしまったからである.そして「国家」. な意味をもつ労作であることは間違いない。. の階級的性格も民族=国民的性格も見失われてしまっ た。 「大きな政府」が国民議会でどのような立法手続. 家」が経済史研究の射程足巨離内に入ったことほ喜ばし い限りである。. を通して成立したか,その行動が裁判所の審理で,ど のようにして正当化されて来たのか-それは決して ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ■. ●. だが,その上でのことである。. -. 「国家」分折ほ. 残念ながら機能分折に偏ってしまったo恐らく段階論 ●. ●. 「自由と民主主義」という理念だけの問題でなく,刺 ●. 「現代国. ●. ●. ●. ●. ●. ■. 的認識の影響だろうと思われる。もしわれわれの研究. ■. 苦闘係の問題でもある-われわれが本当に知りたい. が,俗流経済学が現象面で把握したファンクショソの. のほこのことなのである。そのためには,くどいよう. みに捉われて,それを実証的に確認するだけに終った. だけども,当該国の市民社会の分析と国際的地位の分. としたら,わが国の経済史研究が戦中・戦後営々と蓄. 折は最小不可欠の事柄のように思われる。. 積して釆た方法論は,いったいどうなってしまうのだ. 誤解を避けるためにもう一度確認しておかねばなら ない。. 本書は「国家論」を経済史の研究対象にした点,収 鍵された個々の論文が優れている点で,研究史上大き. ろうか。一本稿を閉じるに当ってこうした不安がふ と脳裡をかすめた。評者の思い違いであればと願う。. 〔横浜国立大学経営学部教授〕.

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