フラ ンスにお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現化
フランスにお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現化
Social welfare Thought and the Spirit OfHospitality in France
大津ゆ り
orrsu Y面
Iu
terms of social welfarethought,
we havehitherto
lookedfor
Dodelsin Britain,s
"from the cradle to the gravd' policy or
in
the advanced Social Security Systems of the Scandinavian nations.Various welfare
projectsin
France, someof
which
could betmced back to the Middle.rAges, have been so far
little
known to us.Thus
in this
short
essay,we would
li-keto
spotlight social
welhre
activities
in
France, examiningin
detail three exa-nples from modern times,in
order to reconsider the relationship betseen social welfare thought and thespirit
ofhospitality-は じめに
わが国では、かってはィギリスを「ゆ りかごから墓場までJの
徹底 した福祉 国家だ と崇 め、近年で│よス ゥェーデンを始めとす る北欧諸国に福祉 を学ぼ うとしている。 しか し、フ ランスを話題 にす るときは、芸術、ファッシ ョン、グルメ、シャンソン、プラン ド物な ど に着 目するばか りで、フランスの 「自由・平等・博愛」の精神やホスピタ リティ精神 には 一般的に関心をそれほど持たないできた。本稿では、フランスを芸術、料理、ファッシ ョ ンな どの文化面か らではなく、「ホス ピタリティJと い う視点か ら論 じてみたい。まずは、 「ホスピタリティJと
い う語釈について検討することから始めよう。 日本語の辞書に、 「ホス ピス」 「ホス ピタリズム」 とぃ ぅ言葉が収録 されていることは 多いが、 「ホス ピタ リティJと
い う言葉 となると、『 広辞苑』 (第5版
)な
ど日本の代表 的辞書には見当た らない。見当たるのはわずかな辞書lで、そのほ とん どが、「客、訪問者、旅行者 へ の もてな し、歓 待
Jと
あ る。 これ は 「ホス ピタ リテ ィ」 が外 来語 であ り、英語 の 辞 書 を訳 したか らではないか と思われ る。 では、英語 の辞 書 では、“hospitahげは どん な意味が あ るのであろ うか。 最 も権威 が あ る と思 わ れ る 動 θ …E昭
五話'カ
カ 屁綱 バClarendon Press,1989 2nd Edltio02で は 、“
hospitalitノ'の説明の冒頭に次のように記載されている。
“
the act or practice of belng hospitable: the receptlon and elltertninment of guests, vlsltors, or strangers, mthhberahty and good、■ll"
「客、訪間者、見知 らぬ人に対 して偏見なく、好意的に行われ る歓迎 ともてなしの行為 と実践
Jが
“hospiぬhプ
の語釈である。餌est3と は望まれて来 る存在であ り、日本語の客 と い う言葉がふ さわ しい し、宙sitor4は望まれずに来る場合 もあ り、訪問者 とい う訳でよいの ではなかろ うか。 『 辞林21』 (三省 堂、1993)の
「旅行者や来訪者を親切に応対する」とい う解釈は妥当 だが、 「②非定住 の宗教者や異邦か らやつてきた特殊な職業人 を神の化身のごとく見な し て歓待す る習慣。異人歓待。外者歓待Jと
い う語釈や、同 じく『 新明解百科語辞典』 (三 省堂、1991)の
「非定住の宗教家や異郷からやつてきた職業人を神の化身のごとく見なし て歓待す る風習。異人歓待。外者歓待」とい う語釈 には異論 を唱えたい。なぜ な ら、strangeJ は見知 らぬ人、外国の人 とい う意味で、非定住の宗教家、異邦か らや つてきた特殊な職業 人や異人をさすわけではないか らである。 これ らの辞書における「異人歓待J6とぃ ぅ語釈は、折 口信夫の「まろ うど論」を踏まえ たものであろ う。 「まろ うど」 とは、 日本の古語 で、 「まろ うと」、 「ま らひ と」、 「ま れび と」 とも言われ、「客」、 「稀 に訪れ る客」を意味す る。来訪者 は内部の人間 とは異 な つた異人であ り、異人 を神 と同一視す る心性 によるものであると民俗学では解釈 されてい る。歓迎 され る異人 は、霊的な存在以外 にも、各地 を布教 して歩 く民間宗教家の遊行聖、 京都近郊の桂村か ら村々へ出向いて祈祷 を行 つた桂女、歩 き巫女、座頭、各地を渡 り歩 く 芸能者の他、山人、山姥、山童、天狗、鬼、河童、座敷童子 な どの妖怪 も含まれ るとい う。 このよ うに見て くると、strangerの 訳 として、異人 とす るのには異論があるのである。「異 人歓待」ではなく、 「未知の人J「
見知 らぬ人Jを
歓待す るとした方がよいのではなかろ うか。 ・hospitablプの語 源 につ い て も見 てみ よ う。 マ ク ミラ ン社 の 動 θユリd暉
茜a″
ο●lMacmlllan,1987)7で は 「ホ ス ピタ リテ ィは ラテ ン語 の名 詞 hospltiulllの 訳 で 、フ ラ ンス にお け るホス ピタ リテ ィ精神 の具現化
この語 は さらにhospesに由来 してお り、hospesは客 と主人 の両方 を意味 して い る。 hospitlumは、Иl力′力 ¨ aγ OXfOrd,Clarendon Press,1993)3によ る と、「客 を 厚遇 す る こ と、接待 、家 」 とあ る。
語級員とさオ■るhospesは、
l He who entertains a stranger,a host[one who entertalns gratultously as a fnend:
caupo,ollle WhO ente■ ams for payl
「見知 らぬ人 を持 て成す人、主人 [無報 酬 で友 達 と して もてなす人。ci対立語
caupo報
酬 を得 てもてなす]」2 soulollrller,宙 sitor,guest hend,
「短期の滞在者 、訪問者、客、友達」」 な どを意 味 し、
hospesは
「客 と主人」 の両方の ヽ意 味 を もつてい る。客 と主人 とい う二重 の意 味 を持 つ のは、ギ リシ ャ語 のxe■os(ζevosクセ ノス
)の
影 響 である。 クセ ノスは、大学書林の『 ギ リシャ語辞典』(1989)9に
よる と、「①
(個人についても国家についても)盟友の契りによつて結ばれたもの。
(この関係は
,一代に留まらず
,子
孫にまで継承される。
)②
客人
:(時
に
)主
人③よそ者、外国人」な
どの意味を持ち、形容詞であるクセニコス「①外国
(人)の
、傭兵の、②普通でない、異様
な③賓客をもてなす」
、同じくクセニョス
f①賓客をもてなす、友愛の、盟友の契りで結ば
れた②異国の」などが挙げられている。
クセ ノス Юとは、「よそ者」や「部外者Jを表す最 も一般的なギ リシャ語である。 ギ リシャ 人、非ギ リシャ人を問わず、 自分の共同体の正規 のメンバー以外 を指す 「クセ ノス」は、 外国人や友人ではな く、「儀礼化 された賓客」、 「精神 上の親族」 を意味 した。また、クセ ニア関係 とい う友好関係は、特定の契約儀礼 と返礼の義務をもつものであつた。後者に関 しては、ホメロスの 「イー リアスJ llにホス ピタ リテ ィに通 じる場面がある。社先が歓待 された相手には、後の時代に敵対関係 になつても、代々それぞれの国において、主人 とし て歓待 しあ うことを約束す る場面である。 この友好 関係 をクセニア関係 とい うが、返礼 を 義務 として歓待す るとい うことをホス ピタ リティであると明言す ることは避 けたいもので ある。12世
紀には、巡礼者に宿 と食事を提供 し、行 き倒れの旅人を看護す る施設が存在 し、こ れをクセ ドキウム ′と呼んでい るが、 この例 こそ、 クセ ノス とホス ピタ リテ ィ精神の密接 な関連を示す例である。hosplta(見知 らぬ女、賓客、女客
)な
どの派生語を生み、hospitiullll(客 を厚遇す ること) は、ラテン語hospitloluIIl(小旅館)と
古 フランス語howlceに
派生 して、このhoslliceが19世
紀に英語 にな り、現代では末期患者の心身の苦痛 を軽減す る施設であるホス ピス とい う言葉 として使 われている。 ラテ ン語の形容詞 hosp■aLs(歓
待す る、手厚い、客 を厚遇 す る)は
、14世紀 にフランス語 の hospital(宿 泊所、接待所)と な り、16世紀 よ り病院 と い う意味で使われ るよ うになつた。また古 フランス語のhostelにな り、13世
紀 には英語の hostelに、17世紀には現在のホテルの意味 として使われ るようになつた い。 ホテル も病院 も自由意志により現れた相手を厚遇す るとい う意味で、同 じルー ツを持つてい る。 以上、 「ホス ピタ リティ」 とい う言葉 を辞書 を中心に考察 してきたが、 自らの利益 のた めではなく、 自発的 (自由)に
見知 らぬ人をも友人、隣人 として受け入れて、無償 の行為 を行 うこと (平等・博愛)が
、 「ホス ピタ リテ ィ」であると解釈 できる。 この 「ホスピタリティ」を実践 している現代フランスにおける例をつぎに紹介 し、フラ ンスにおけるホスピタリティの具現化について考察を進めたい。2
現 代 フ ラ ンス に お け るホ ス ピ タ リテ ィ
(1)■
es Restaurants du CburM「 心の レス トラン」
著名 な コメデ ィア ンで あ った コ リュ シ ュトがオー トバイ事故で亡 くなつた とき、彼 の死 を悼み 、多 くの人がオー トバイで クラクシ ヨンを鳴 ら しなが ら、パ リの街 を走 った とい う。 コ リュシュは コメデ ィアンであるが、 「心の レス トラン」の提案者で もある。 「心の レス トラランJと
は、充分 な食事 ので きない貧 しい人々へ 、冬の間 (12月 半 ばか ら 3月 半ばま で)、 暖 か い食事 を提供す るフランス全土に広が る大 きな組織 で ある。 コ リュシュが この 「心の レス トラン」を提案 した背景 には、1985年
の フ ランスの経済状況が関係 してい る。 この年 は急 に普及 したハイテ ク産業 とオイル シ ョックの あお りでイ ンフ レが激 しく、貧 富 の差が拡 が り、困窮者 が増加 していた。 コ リュシュは ラジオ局EllROPElで
、視聴 者 と電 話 のや り取 りをす る番組 で 、聴 取者 か ら 「飢 えに苦 しん でい る人 はア フ リカ だ けで な く、 フランスに も存在す るこ と」 を訴 え られ、シ ョックを受 けた。 そ こで彼 は、冬の間温 かい 食事 を提供 す る 「心の レス トラ ンJの
アイデ イアを番組で呼び かけた ところ、多 くの人 がフラ ンスにお け るホ ス ピタ リテ ィ精神 の具現 化 賛同 し、半年後 にそのアイデ ィアは実現す ることとなつた。活動の軌跡 を見てみよ う。 ①1985年コリシュがラジオ番組で「心の レス トランJの企画 を一般聴取者に呼びかける。 ②1985年 12月 半ば、テン ト張 りの「心の レス トランJをオープン。 ③1986年 3月 、
5000人
のボランテ ィアが参カロ、850万
食 を提供。 ④1986年夏、オー トパイ事故 でコリュシュ他界。 ⑤1987年、 コリュシュが生前 に要求 していた余剰食糧 をEC(欧
州共同体)が
放出 い。 ⑥1988年か ら89年
までコリュシュの夫人、ウェロニ ック・コ リュチが会長 を務 める。1988 年10月、コ リュシュ法"が
国会で満場一致で採択 され、「心の レス トランJへの小額寄付 者にも税制優過処置適用 され る。 ⑦ 「,きの レス トラン」の本拠地はパ リ。全国96県
に112の協会 を持 ち、2200の
センター や支部をもつ膨大な組織が、12月 半ばか ら 3月 半ばまでの3ヶ月間、必要最低限の食事 を配布す る。家族構成、収入の有無、収入 のある場合は金額 により、期間中に配布 され る食料の量が決 め られ る。住居 のある登録者には冷凍 肉、米麺類、チーズ、果物、野菜、 パ ンなどが週2回
、6∼7食
分が提供 される。ホーム レスには1年
中温かい昼食が提供 さ れ る。2000年
か ら2001年
の冬の対象者は54万
人。本部では5800万
人分の食料を提供 した。現在ボランティ7/と して活動 してい る人は4万
人 に及ぶ。 ③無料の食事の提供か ら始まつた 「′きの レス トラン」が、その活動の枠を広 げ、現在は社 会復帰のための大工仕事、機械工作な どの養成プ ログラムを実施。170箇
所の庭やア ト リエを持 ち、2001年
には20C10人が社会復帰 した。 ③収入源は小額寄付者 によるものが主であ り、2001年
は43万
人の寄付金 によ り2896万
ユー ロ (当時で約32億
円)集
めた。 コ リュシュが芸能人であつたことか ら、1993年
か らシーズン中にテ レビで豪華 ミュージカル シ ョーが行われてい る。芸能界、スポー ツ界 のスター50人
“ほどが無料出演。Ls Enfolres(ま
ぬけたち)と
い う名前でシ ョーに参 加 し、このシ ョーにはメデイア関係者 も無償で協力 している。 「,きの レス トラン」は、冬季の食料提供か ら始ま り、現在は、社会復帰の手助 けまで行 うフランス全土に広がる大プ ロジェク トとなつた。 フランスの 「自由・平等・博愛」の精 神、ホスピタ リティ精神の具現化である。(2)国 境 な き 医 師 団
p(IIEDECINS SANS FRONTIERES)
民間の緊急医療援助団体である 「国境 なき医師団」 もフランスにおいて創立 された。 医 療 とい う技術 と知識 を駆使 して、世界 中の援助 を必 要 としてい る人の ところに出向 く。
100%非
政府系の独立 した民間組織であ り、派遣 され る医師、看護師等 もすべてポランテ ィ内容は以下のようなものである。 国境 なき医師団は、天災、人災、戦争 な ど、あ らゆる災害に苦 しむ人び とに人種、宗教、 思想、政治すべてを越 え、差別す ることなく援助の手をさしのべ る。 国境 なき医師団は、普遍的な医学倫理 と、人道的な救済の権利 の名 の もとに、何 ものに もさまたげ られ ることな く、その職務 を中立公平な立場で行 う。 国境 なき医師団のメンバーは、その職業道徳 に従い、すべての政治、経済、宗教 とは関 わ りな く任務 を遂行す る。 国境 なき医師団のメンバー とその権利 の継承者は、任務 中に生 じる危険お よび損 害に関 し、国境 なき医師団に よつて支払われ る補償以外のいかなる補償の権利 も要求 しない。 設立の経緯 を述べ よ う。
1968年
、国際赤十字委員会(CICR)の
依頼 により、 フランス赤十字か らビアフラに派 遣 された医師たちは、国家間の協定な しには紛争に介入できないCICRの
政治的拘束のた め、100万
の餓死者 と民族の消滅 とい う事実に直面 した。帰国 した医師の うち数名が、「ピ アフラの虐殺に抗議す る委員会」を設立 し、理念のみで実効性 を伴わないCICRの
や り方 を非難 し、数十名 の医師が結集 した。その後、東パキスタンヘ大洪水 の緊急援助 に出向い た医師団 と合流 して、1971年
12月 20日、 「国境なき医師団」(MSF)が
設立 された。 翌年ニカ ラグアヘ初 めての 自然災害時の援助活動 を展開。現在まで、世界各地の天災、人 災、戦争 な ど、あ らゆる災害に苦 しむ人々への緊急医療活動 を世界的規模で行つてお り、1999年
にはノーベル平和賞を受賞 している2、 鵬Fは
、10の原則 のもとに活動 を行 う。 ①第1に
医療援助活動 を行 うが、緊急事態には、給水、衛 生管理、食糧 の供給、避難施 設 の建設 も行 う。 ②医療援助活動 と切 り離せ ない証言活動を行 うことによ り、被災者の置かれている危機的 状況 を世論に訴 える。 ③医療倫理の遵守。 ④基本的人権 と人道に関す る国際法 を基本理念 としているため、被害の評価が 自由に行 え、 被災者へのアクセスが 自由にできる。援助物資の配市 を管理す る権利 を有 し、人道的活 動に認 め られている特権が尊重 され ている。 ⑤独立性の確保への配慮により、活動対象 を自ら分析、選択す る。 ⑥政治的信条、人種、宗教、性別な どによるいかなる区別 も しない公平性。 ⑦武力関争の当事者にな らず、中立的精神 を守 る。 ③危機 に瀕 した人々を援助 し、 自立を助ける責任 と透明性 を持つ。フランス にお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現 化 ⑨ボランティア精神 に基づ く団体であるので、活動は妥協や惰性、官僚的仕事 に陥 らない。 ⑩各ボランティアは積極的に団体活動 に参加 し、その憲章や基本理念を尊重す ることが求 められ る。すべてのボランテ ィアは平等な投票権 を有 し、その選択決定に参加する。
MSFは
フランスで創設 されたが、現在は18カ国に拠点があ り、それぞれ が国際憲章に 基づいた活動 を独立 して行 う国際的なネ ッ トワー クである22。 フランス、ベル ギー、オ ラ ンダ、スイス、スペィ ンの5ヶ
所がオペ レーシ ョン支部 として医師団を編成 し、必要 とさ れ る地域へ派遣 している。 メンバーは ヨー ロッパ、アメ リカ、カナダ、オース トラ リア、 香港、日本等で募集 され、国籍 としては46カ国、毎年3000人
の国籍の異な る医師お よび 準医療関係者が、助 けを求めている世界80カ
国の人々の許に出向く。任務参加者 は、40%
が看譲師、20%が
医師、準医療関係者 (助産婦、助手)が
20%、 外科医・ 麻酔医 2%、 管 理スタッフ10%、 兵靖員 (補修、工事)26%と
い う割合である。1971年
の創設以来、延ベ 1万6000人
が参カロしてお り、参加意思のある6000人
が登録 している。フランスのMSFは
収入の60%が
個別寄付であ り、その他40%は
国連の難民高等弁務官や、欧州連合 のよ うな国際機関から拠出されてしく
るため、国家権力や政治勢力の影響を受けることなく運営され
てい る。天 災、人 災、戦争 な ど、 あ らゆる災害に苦 しむ人び とに人種 、宗教 、思想 、政治 すべ て を越 え、差別 す るこ とな く援助 を してい る。 しか し残念 なこ とに、支援す る側 の「国 境 な き医師 団」の 内部 には、人種 差別 が存在 す る。 自人優位 がいなめない こ とは、 日本 か ら1992年
に初参加 し、ス リランカ とヘル ツェ ゴビナヘ人道支援 を行 つた貫戸朋子 医師 23 が指摘 してい る。 内部 での差別 も撤廃 し、真 のホス ピタ リテ ィ精神 の具現化 を実現す るこ とが望まれ る。(3)オ
ス ピス・ ドゥ 。ボ ー ヌ(Hosplces de Beaune)
「′さの レス トラン」 も「国境 なき医師団Jも
、一般 の人々の寄付 によって運営 されてい るが、 自ら生産 したものを販売 し、慈善病院の運営資金 に してい る例がフランスに存在す る。1443年、フィ リップ善良公 (Phllippe le Bon)の 治世の時代 に、ブル ゴーニュ王国の 官房長、ニコラ・ ロラン (Nlcolas Rohn 1376 1462)に よ り倉J設された慈善施療院 「オス ピス・ ドゥ・ ボーヌ」であ る。 フランスのプル ゴーニュ地方の町、ボーヌの中心にあり、 地元の人にオテル・デユー(Hael Dleu)と
呼ばれている2t ニコラ・ ロラン るは、フィ リップ善良公の先代、ジャン無長公 (」eall線鵬Peur)の
晩年 にパ リの フ ランス王家 の法律 代理人 とな り、フィ リップー代 においては、官房長 として 全権 を振 い、人事 、財政 、軍事 、外 交 な ど一切 の決済を行 つた。また内務 大臣、経済大臣、 外務 大臣を兼ね る専制 官僚 であつた。 ちなみにループル美術館 には、ヤ ン・ ファン・アイ クによる『 官房長ニ コラ・ ロランの 聖母』 とい う名品が飾 られている。母 の出身地ボーヌを百年戦争での痛手か ら復興 させ る ことに熱心であった ロランは、 「人間世界の心配事は放 つておいて、魂 の救済のために」 と、この地に
H¨
l‐Dieuを
建設す ることに し、オス ピス・ ドゥ・ボーヌの永続的な基金 を 生み出すために、 自らが所有す る葡萄園を寄贈 した。 自らが寄贈す るだけでなく多 くの人 にも寄贈 を勧めたため、その後32の
葡萄園が寄贈 された。現在、葡萄園には寄贈者の名が つけ られ、58ヘ
クタール に及ぶ葡萄園か らの収穫は、毎年 11月 の第 3日 曜 日に、オテル・ デューの中庭で行われ るフインの競売 とな り、その収益金が慈善施療院「オス ピス・ ドゥ・ ポーヌJの
維持費にあて られてい る。 日本で もイ ンターネ ッ トで、ニコラ・ ロランおよび オテル・デ ューの運営に関 して善 き協力者 であつたロランの夫人であるギゴーヌ・ ドゥ・ サランの名 を冠 したフイ ンを始 め、オス ピス・ ド・ ボーヌのフイ ンを購入す ることができ る。 葡萄園の寄贈 とい う大規模 な寄付 によつて賄われてきた慈善施療院 は、創 立か ら500年
を迎 えた今 も存在 し続 け、フラン ドル (今のオランダ)か
ら建築家ジャ ック・ウィスク リ ーを招聘 して建設 した壮麗な建物 とともに、 「オス ピス・ ドゥ・ボーヌ」の名前のついた 幾種類 ものフインが、多 くの人に愛 され、賞賛 されているのである。 ニコラ 。ロランは、フィリップ善良公か ら、 リヨンの北か ら現在 のオ ランダに達す る広 大な土地の管理を任 されていたが、歴史家の中には、ロランの管理が私心のないものであ ったか どうか疑 う者 もお り、ホス ピス・ ドウ・ボーヌの壮麗 さは良心の呵責によるものだ とい う意見 もある26。 しか し、慈善施療院の建設、葡萄園の寄贈 と、そ こか ら産出 され る フイ ンの販売による施療院の維持費の捻出 とい う大 きな事業を始 めた ことは、ホス ピタ リ ティ精神 の具現化であることは間違いない。3.フ
ランス にお け るホ ス ピタ リテ ィ小 史
芸能 人 、一般 のボ ラ ンテ ィアに よつて支 え られて い る 「心 の レス トラ ン」 、医療 のプ ロフランス にお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現 化 集団である 「国境 なき医師団」、高級 フイ ンを販売す ることにより慈善施療院、病院 を経 営 している 「オス ピス・ ドゥ・ボーヌ」な ど、 どれ も根底 にあるのはキ リス ト教の 「愛J であ り、 「ホス ピタ リティ精神」であろ う。 愛に関 して、聖書は神への愛 とともに、隣人への愛 を説いている。例 えば 「隣人 を自分 のよ うに愛 しなさい」 (マタイ 22:39)、 「わた しがあなたがたを愛 したよ うに、あなた がた も互いに愛 し合いなさい
J(ヨ
ハネ 13:34)、 「信仰 と希望 と愛、この三つはいつま でも存続す る。その中で最 も大いなるものは、愛である」 (コ リン ト人への手紙13:13)、 「敵を愛 し、自分を迫害するもののために祈 りなさい」 (マタイ5:44)、 「敵を愛 し、あ なたがたを憎む ものに親切に しなさいJ(ル
カ6127)等
、聖書は 「愛」の教 えに満ちてい る。 聖書の 「愛」を実践 してい るフランスにおけるホス ピタ リティ精神の歴史を、林信 明の 『 フランス社会事業史研究 ―慈善か ら博愛へ、友愛か ら社会連帯ヘー』27を中心資料 と して辿つてみ よ う。′
(1)古
代 か ら17世
紀 末 ま で フランスでは古代か ら、巡礼者や貧 しい老人、病人 を宿泊 させ る施療院が、敬虔なるカ トリック聖職者によつて続 け られて来た。 フランスではほ とん どの慈善事業の原型が、イ タリアのローマか ら南仏、 リヨンを経てパ リに至 っているが、 これはキ リス ト教の伝道 と 同 じルー トをた どつてい ることになる。弱者の救済 とカ トリックとの関係が密接 である23。6世
紀 か ら7世
紀 には、 フランス各地 に多 くの施 療院 が設 立 され た。 パ リ施療 院(HOtel‐Dieu de Paris)も この頃に設置 された と思われ るが、確 かな記録は残 つていない。
この時期 には、貧困、飢餓 、伝染病な どの病気、ポフテ ィエ戦 によるアラブ人の侵入 な ど によつて、貧者が増加 した"。
816年
にエクス=ラ
=シ
ャペルの宗教会議で、貧者 の救斉義務 を確認す るとともに、司 教区内の救護院の改革 を行 い、施設の管理者 を教会参事会員の中か ら選び、hOSpltaherと い う肩書きを与 えた。 ここで 「ホス ピタ リティ」 と貧者救済 との関連が見出 され る。 弱者救済は宗教関係者によつてのみ行 われたわけではない。8世
紀には、カ ロリング家 カール大帝 (シャルルマーニュ)力 `各諸侯 に対 して、領内の貧者、孤児の救済を命 じ、聖 王ルイ (ルイ Ⅸ 世)は
1254年
に、キャンズ・ ヴァン救済院を創設 し、300人
の盲人 を保護 した。 12世紀末 には、ギー・ ド・モ ンペ リエが創 設 したサ ン
=テ
ス プ リ修道会30が貧 しい障害 者 、巡礼者 、捨 て子 を救援 す る こ とを宣誓。 フ ラ ンス全土 に救 済院 が設 立 され た。 14世紀末 には、サ ン=テ
スプ リ修道会 によつて、100箇所近 くの救済院 が設 け られ 、15 世紀 には前 項 で取 り上 げた 、 ジ ャ ン無畏 王 の法律 代 理人 で あ り、 フ ィ リップ善 良公 の官房 長 であ つたブル ゴー ニ ュ公 国 の エ コラ・ ロランaが
、孤児や 貧者 のための慈善施療院 オス ピス・ ドゥ・ ボーヌを設立す ることに心血を注いだ。16世
紀 には 、ガス コー ニ ュ地方の 中農家 出身 の ヴァンサ ン・ ド・ ポール (VIncent de Pau1 1581 1660)32が、捨 て子 の救 済や元 ガ リー船 の受刑 者 を引 き受 け る施 設 を建設 す る な ど、多 くの社 会事 業“を行 つた。 フランソフI世
は、1532年
にパ リ救済事務所 を創 立、 1536年には捨 て子 を収容す る「神 の子救済院 (HOpital des Enfants)」 、1545年
には 「 トリニテ救 済院(HOpital de la Trinit6)」 を創設 した。この時代 は、ジャン・カル ヴァン(Jean
Ca●
r1150964)に
よ る宗教改革 に よ り、カ トリック とプ ロテスタン トとが対 立 し、ユ グ ノー戦争 と言 われ る内乱が フランス を分裂状態 に した時代で もある。 17世紀 、ア ン リIV世
は1607年
に伝染病患者 を収容す るサ ン・ルイ、サ ン・ タンヌの病 院 を開設。1644年
には、施設 の財源 として8000リ
ー プル相 当の荘園5つ
を贈与。1656 年 にはパ リ総合 救 済院(1“pital General)を 設置。既存の諸施設 を配下に置 く勅令 を出 し、 パ リの貧者40000人
の うち4000人
か ら5000人
を収容 した。(2)18世
紀 以降 アンシャン・ レジーム期は、国家的統一を図ろうとする権力者が、捨て子や物乞いの対 策に追われた34。 設立時期は定かではないが、救貧事務所が18世
紀には存在 し、老人の在 宅救済、地域福祉を行つていた。パ リ救済事務所に関していえば、貧 しい老人に義捐金や現物を届ける事務所、老人を看護する養老院 (Hospice des Peties Malsom)、 「神の子救
済院」、捨て子・貧困家庭の子弟に職業ヨ1練を行 う「トリニテ救済院」で構成 されていた
が、さらに障害児教育にも大きな進展があつた。
1775年
には世界で最初の聾学校が、 ド・レベ
(de rE"e171289)に
よリパ リに建てられ “、1785年
にはアユイ(Valenth Hauy
17451822)に
よリパ リ盲学校が開設 された。フ ランスにお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現化 1809・
1852)に
よ り点字が考案 され た。1889年
、第4回
パ ソ万国博覧会の開催中に、第1 回パ リ万国救済会議 が開催 され、26カ国410人
の参力0者が集ま った'6。 この年には、児童 虐待道徳的放置禁止法が制定 され、1907年
には非嫡 出子の保護 に関す る法律 も制定 されて いる。 教育に関 しても、フランスはホス ピタ リテ ィ精神 を大切 に してきた。17世紀 にニコラ・ バ レ神父 (1621‐1686)に
よって創 立 された 「幼 きイエス会」37は、貧 しぃ家庭の子供たち の教育を無料で行 つたが、この活動はフランス全上に広がつた。19世
紀には国外にもその 活動が広が り、現在では4大
陸15カ国で、創立時の主旨である「神の子の尊厳にふ さわ し い育成」が行われてい る。 同 じくフランスで、フランス革命 の混乱期の1800年
、マ グダ レナ・ ソフィア・ バ ラによって創設 された聖心女子学院でも、40カ国、200の
姉妹校 にお いて、ホスピタ リテ ィ教育が行 われてい る。筆者は、高校卒業までの14年間 を聖心女子学 院で学んだが、教育、 日常生活 のすべ ての基本が、 「ホス ピタ リティJの
上に成 り立って いた。ァ 古代か ら現代に至 るまで宗教関係者や権力者によ り連綿 と続 け られてきたキ リス ト教の 「愛の実践
Jが
、 「心の レス トラン」や 「国境なき医師団」を生む土台になつた ことは明 自である。キ リス ト教は愛の宗教であ る。 コ リン ト人への手紙第13章
13節の 「信仰 と希 望 と愛、この二つはいつまでも存続す る。その中で最 も大いなるものは、愛である」は、 その教 えを説いている。4.
おわ りに
この よ うにフランスでは古代か ら、意 まれ ぬ人々へ の援助 がキ リス ト教精神 によ り支 え られ て きた。 コ リュシュの呼び かけに多 くの フランス人が贅同 して、6カ
月後 にテ ン ト張 りの「心 の レス トラン」が開店 した こ とも、救済が必要 な らば、危 険 も顧みず に援 助 に向か う「国境 な き医師 団」 が結 成 され た こ とも、 フラ ンス にお ぃて連 綿 と続 け られ て きた社 会 福祉 へ の取 り組 み と、 キ リス ト教 のホ ス ピタ リテ ィ精神 との関連 が あ つたか らこそ と思 う のであ る。 フランスは文化 面 で優れ た国で あ ると言 われてい るが、ホス ピタ リテ ィ精神 に支 え られ た国で もある。 自らの利 益 のた めではな く、 自発 的 (自由)に
見 知 らぬ人 を も友 人 、隣人注 と して受 け入 れて、無償 の行為 を行 うこと (平等・ 博愛
)が
、 「ホ ス ピタ リテ ィJで
あ る と解釈 し、 フランスにお け るホス ピタ リテ ィ精神 の具現化 を、史実 に照 ら して、文化面 と は別の側 面か ら考察 しよ うと試みた ものである。 『 国語辞典』 (集英社、1993)で は 「旅人や客人を親切にもてなす こと」、『 大辞林』 (第2版、三 省堂、1995)では 「訪間者を丁寧にもてなすこと」 とある。 F日本国語大辞典』 (第2版
、小学館、 2001)で は「,きのこもつたもてな し。手厚いもてな し。歓待。または歓待精神Jと記 されている。1985 年度版には収録 されていなかつた「ホスピタリティJとい う項 目が、2001年 版に取 り上げ られたのは、 「ホスピタリティJへの関心の高ま りを反映 したものであろ う。「 現代用語の基礎知識』 (自由国民 社、2001)も「客のもてなしのよいことJと ある。 働 θa説
"`¬
頭働 ιをε●“η “ 7a“コピ “ P路錦 コ″,″
′″ど"
lb■d lbia lbid 西村亮編『 折 口信夫辞典 増補版』 (株)大
修館本店 1998,p15 福田アジオ、新谷尚紀、湯川洋司、神田頼子、中込睦子、渡邊欽雄編『 日本民俗大辞典 上』 吉川弘 文館1999p88石
川栄吉、梅悼忠夫、大林太良、蒲生政男、佐々木高明、祖父江孝雄編『文化人類 2 3 4 5 6 学事典』弘文社 1994,pp48 49 小松和彦『異人論―民俗社会の心性The Strangers』 青土社 1985,pp l1 927
ヨЪθttψa"θaa″
2脅
″,フ征 ∂Machnl。 "Publlsblng Company 1987,pp 470 4718 И力 "Zttε
どanatЙ OXford αarelldOn Press 1993,pp 866‐ 7
9
古川晴風編著『 ギ リシャ語辞典』大学書林 1989,p755loポ
ール カー トリッジ『古代ギ リシヤ人一自己と他者の肖像』 (箸場弦訳)自水社 2∞1,p91 11ホメロス『 イ リアス』 (高津春繁・ 呉茂―訳)筑
摩書房 1961,p24112西
村善矢 「失われた街道集落―紀元千年のヴィア フランチジェナ とプルグスー1
地中海学会月報 253200210,P613服
部勝人『 新概念 としてのホスピタ リテイマネージメン ト』学術選書 1994,pp 78 80 14「地球人のネ ッ トワークマガジンキヤッ ト,16株
式会社アルク 2002,pp 20 2515前
掲書p25、 コリュシュはコメデ ィアンとしての名で本名はコリュチのため、夫人の名はヨリュチ と なる。16前
掲書p25、 1987年 からECは
、コリュシュの要求を受け入れて、余剰食糧をヨー ロッパ各国に抄 出 しているが、フランスでは赤十年、食料銀行、人民救済、心の レス トランの4団体が食料を分け合フランスにお けるホス ピタ リテ ィ精神 の具現化
つている。
17前
掲書p22、 税 制優遇措置は大 口寄付者 に限 られていたが、コリュシュの要求により小 口寄ミ竜 に も 適用 され るようにな り、 コ リュシュ法 と名づ け られた。18フランスのホームペ ー ジЪttp://V7WW res●sducOeur org/bellevOlat h"rに よると、協力者 は、歌手の イブ モ ンタン、ジ ョニー ァ リデ ィー、ジャンジャック ゴフレドマン、女優 のナタ リー バイ、サ ッカー選手の ミシェル プ ラテ ィニ、テニス選手のヤニ ック ノア等芸能人、スポー ツ選手などが中 心 になっている。最初はテ レビ出演が主な活動だつたが、1989年以降地方 ツアー も行い現在も活動が 続 け られてい る。 19影山朝子、馬場理沙『 国境なき医師団』
,株
式会社アザーハ ウス 1995,p3 20日本 の 「国境なき医師団Jパンフ レッ ト21特
定非営利活動法人 国境 なき医師団 日本 2001年活動報告 (2001年∼2002年 4月) 22 3αりσZttο口″ゼιしZ′η ιπ θιa′泌励 θ2vaヮv
鶴 Oι6`げ"σ
コ“ 4フ壺 “ 甍′attδ′レИ""
力Ш 励 ′ョ "=Ed■ t10n Bdfond 1991 ヨーズン チェ ン『 生 と死の間で一国境 なき医師団「人道援助」と「証言Jの20年』 経営書院 1995, p273 ,23貫
戸朋子『 「国境なき医師団Jが行 く』、リプロ 200324Ъ
“″wttW tanl net com7cttmne/hos h鵠1″