入論 説
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環境刑法の基礎理論付
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次 号(1 同 固 ま え が き 第一章環境刑法総論ハ以上本号) 第二章刑罰目的論と環境刑法 第三章訴訟法的問題 第四章立法論的問題 あとがき カミ えき
ま ドイツ生まれでアメリカに移住した有名な哲学者ハンス・ヨ 1 ナスは﹁テクノロジー文明における倫理﹂として ﹁責任の原則﹂を提唱したことで知られている。彼は、現代社会においては人間中心的倫理から転換が必要だとし、 自然を人聞のためにではなく、それ自体として保護する責任を人間は負っていると主張す犯逸早く刑法典に環境犯第 6巻 2号 ー す 罪を導入したドイツ刑法においても、環境そのものを独自の法益とする﹁生態学的環境﹂説が有力に主張されている。 これに対して環境刑法の保護法益はやはり人間の生命・身体・健康等の人間中心的法益の保護であるとする反論もな されていお w このような法益をめぐる論争は、刑法の目的を法益保護に限定すべきかという問題も関連している o 既 に一九八四年において伊東研佑は、環境刑法においても刑事規制が法益保護を超えた積極的・形成的機能を有するこ とを否定できないという見解を主張していた。これらの見解の妥当性を検証するためには刑事制裁の目的論に踏み込 んだ検討が必要となる。本稿は、最近日本でも検討が開始された環境刑法の基礎理論として、論点を整理し、特に刑 罰(刑法)目的論との関連において、その基本原理を明らかにしようとするものであお v
第一章
環
境
刑
法
総
論
第一節 公害刑法から環境刑法へ 従来、環境に関する犯罪は、いわゆる﹁公害犯罪﹂として捉えられてきた。そこでは、公害を生じさせて人の生命 ・身体・健康等に実害・具体的危険を生じさせる行為が中心とされてきた。しかし最近では、それ以前の(それらに 対する抽象的危険を持つ)行為、あるいは環境自体を侵害する行為をも次第に犯罪と考える傾向が世界的に進行しつ つある。そこで広く環境問題に関する行為において刑事規制の対象とされるものが環境犯罪と呼ばれるようになって きている。また環境問題に関する法的対応においても﹁事後救済を中心とする私法的公害法の時代から、将来の公害 と環境汚染の事前防止を中心とする行政法的環境法の時代へと転換しつつあ一白とされ、最近刑法の分野においても ﹁環境刑法﹂に関する議論が開始されつつある。しかし環境の汚染によって人聞の生命・健康に侵害または具体的危険を及ぼす行為は、そのように範囲の広げられ た環境犯罪においても最も中心的な(当罰性の高い)行為類型であることは忘れられではならないであろう(このこ とは後述の保護法益・刑事規制の限界問題において必要である﹀。環境刑法においても﹁その結果、在来の公害対策 がややもすれば忘れられやすいことに注意を促す必要があ﹂ろう。 このこととの関連において環境刑法において典型的に見られる抽象的危険犯の形式における立法には問題があるよ うに思える。この立法形式の妥当性については後述する。 第二節 環境刑法積極論と消極論 ドイツでは、既に環境刑法に関する立法がなされ、刑法典の内部に環境犯罪の章が新設された。しかしこの環境刑 法の運用は、当初期待されていたものとは異なるものとなってきており、その改正の必要性が議論されてきていむ w その議論の中で有力な見解は、刑法的規制を維持して、その改善策を模索するものであるが、中には刑事規制につい て批判的なものもある。基本的に刑事制裁の必要性を認め、その改善を主張する多数説の代表的論者としてドイツ法 曹大会で鑑定書を提出した昌巳ロ
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の見解が、逆に刑事制裁に批判的な少数説の代表的論者として凶器 E2
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をあげることができよう。以下では、この両者の見解の相違および論争点を知るのに便利な、雑誌﹁新刑事 政策﹂に掲載された昌巳ロσ
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の論争の内容を要約して紹介する。 -環境保護と刑法の役割ω
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刑法的な環境保護の一般的判断を、現行法の執行の現実だけをみて行うのは、 一面的であろう。現行法上の欠陥は第6巻2号一-4 克服可能であり、環境保護領域において刑事制裁を放棄してしまうことは、国家による法益保護システムの重大な欠 扶がアもたらす。また刑法は行政法の機能的限界を補充する機能を果たしうるという観点からも不可欠である。
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消 極 論 ( 出 回 目 吉 田 司 ) 環境刑法に消極的態度をとることは、環境保護に消極的態度をとることを意味するわけではない。それはただ刑法 がそれに適した手段ではないとするに過ぎないのである。環境刑法の次のような﹁執行上の欠陥﹂は劇的である。 -手続の打切りが処理の中心となってしまっている。 -自由刑は全体の三パーセントに過ぎず、六月を超えるものは、その中の一パーセントにも満たない。 -罰金刑は九五パーセントまでが九O
日 数 以 下 で あ り 、 しかもその中の三分の二は五日数から三O
日数の聞のもので あ る 。 -特に経済犯罪的環境違反の暗数が非常に多いとみられる。 -処理は非常にセレクティブであり、実際に把握されるの環境にとってはそれほど重大でない小規模な違反が大部分 で あ る 。 このような事実から見て、環境刑法は、環境保護にとってもまた刑法にとっても、長期的に見れば、有益であるとい うよりもむしろ有害な傾向を持つのである。環境刑法は、政治家にとってよりコストの少ない﹁象徴立法﹂であり、 それは返ってそのことによって、よりコストはかかるが有効な環境保護の政策を阻害してしまうのである。 2 犯罪化・非犯罪化問題との関連ω
積極論(冨巳5
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環境の保護という重要な領域における犯罪化は、全体的な非犯罪化・ディバージョン化の傾向と矛盾するものではなく、犯罪化・非犯罪化というメダルの両面の重点の置き方の問題なのである。
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消 極 論 ( 司 自 由 。 自 己 ) 環境刑法は、現代刑事政策の他の領域(経済刑法、麻薬刑法、情報保護﹀と同様に、次のような問題のある傾向を持 ペ コ。
-行為者・被害者領域外での犯罪化を伴つての、社会問題の刑法による解決志向 -抽象的な普遍的法益の導入 -特に抽象的危険犯の形式による処罰の早期化 帰属基準の暖昧化 -処罰範囲の拡大による被害者・法益志向的な刑法の中核部分の相対化 さらに環境刑法固有の問題点として次のようなものがある。 -行政従属性による処罰範囲の不安定性 -軽微な違反の選別的で怒意的な処理 ・公判手続から捜査手続への重点の移動 -刑罰選択の不適正 ・環境刑法は、執行上の欠陥があるとしても、国民の環境問題への意識を高めるという象徴的な効果があるという、 歎踊的な、個々の該当者を教育的意図から道具化する論拠がよく用いられること 3 刑事制裁の限界と他の規制方法の関係ω
積極論(冨巴与q
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﹀第6巻2号一一6 行政執行についても、環境志向を強化し、限界の明確化が必要である。そのためにも、既存の潜在的危険を評価し なおしたうえでの明確な政治的決定が必要となる。
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消 極 論 ( 国 自 由 巾5
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他の規制方法として、行政法などの国家的介入手段のみならず、総合的・長期的な環境政策が重要である。環境課 税や、目g
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門出口ぬなどの導入は、環境刑法の強化よりも、ずっと実効的である。 第三節 環境刑法の保護法益 ( ロ ) 最近、環境刑法の保護法益が何かという問題が、日本でも議論されるようになってきた。 前述のように人間の生命・健康等が侵害・危殆化される類型(業務上過失致死傷罪や公害罪法上の犯罪等)におい ては保護法益も人の生命・健康である。問題は、それらを越えた﹁環境自体﹂を環境刑法の保護法益と考えるべきか である。ドイツにおいては既に﹁エコロジカルな環境﹂それ自体を環境刑法における保護法益とする学説が有力化し てい柿日しかしこれに対して、人間との関係においてのみ環境は保護法益となるとする反論もなされている(いわゆ る﹁人間中心的保護法益説﹂)。この主張は、環境刑法における法益の拡大・抽象化を批判し、むしろ﹁人間の生命・ 身体・健康﹂という古典的法益の保護目的に限定されるべきだとする。 確かに道徳的主張としては、人間と関係しない自然の保護という考え方も可能であろう(もっともそれもその道徳 の 内 容 に よ ろ う が ) 。 少なくとも現在の国家刑罰権の性格から見て、刑罰は人間の共同生活に不可欠な条件 し か し 、 の侵害があった場合にのみ発動されるべきことから、人聞の生活との関連性を重視すべきではなかろうか。現行法も、 抽象的危険犯においても例えば﹁生活環境の保全﹂とか﹁国民の健康および生活環境﹂など人間生活との関連性が重視されている。この観点からは、直接的にそのような環境に対する抽象的危険すら存在しない形式犯類型の存在が疑 問 視 さ れ る こ と に な る 。 しかし、人間生活との関連で環境を保護するとしても、法益保護が刑法の唯一の目的であるかは、なお問題として 残る。法益保護説を批判する立場からは、法益保護という目的のためには、刑罰権の発動は際限なく﹁早期化﹂され、 C D ) 抽象的危険犯が濫用的に多用される危険が指摘されている。このような傾向はまさに環境刑法の領域に妥当するよう に 思 え る 。 このことは、刑法の目的を法益保護であるとすることが、果たして本当に妥当なのかという問題と関連している。 これと関連する論点として重要なのは、環境刑法においては法益保護という枠を超えた﹁刑事制裁の積極的・形成的 。即﹀ 機能﹂をも認めるべきだかどうかという問題点である。このように法益論内部だけでは解決できないような問題も指 摘されてきており、もっと広い刑事規制の目的という観点からの考察が、環境刑法においても必要となってくるよう に思える。これについては次章で詳しく検討する。 第四節 環境刑法の体系的考察 体系的にはさまざまな分類方法が可能であるが、この分野においては特に行政法と刑法との関係が重要であろう。 この観点から現行法上の刑事規制を分類すると、行政独立刑事規制と行政従属刑事規制に分類することができ
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第一款 行政独立型刑事規制 この類型に属するものとしてまず第一にあげねばならないのは、刑法典に規定されている犯罪の生命・身体・健康第 6巻 2号一一8 に対する侵害犯である。これらは環境犯罪のみに限定されて規定されているわけではないが、特に実務上、刑法二一 一条の業務上過失致死傷罪は、環境犯罪の規制においても重要な役割を果たすのである。ここでは解釈論上、特に因 果関係および過失の判断が問題となる。 次に刑法上の公共危険犯で環境犯罪と関連しうるものとして、ガス漏出罪(刑法一一八条)や水道汚濁罪︿刑法一 四三条)、水道毒物混入罪(刑法一四六条)がある。これらの犯罪は、抽象的危険犯であり、しかしこれらは、故意 犯に限定されており、有毒ガスを故意に放散させる場合や、貯水池に流入する河川に有毒物質を故意に排出するとい ( 胞 ﹀ うきわめて例外的な場合にのみ成立するにすぎない。 なお改正刑法草案は過失による飲食物等毒物混入・毒物等の放流の罪(一二一条﹀の新設を提案している。その規 定は以下のようなものである。 ﹁
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過失により、多数人の飲食に供する物もしくはその原料又は水道によって公衆に供給する飲料水もしくはその水 源に、毒物その他健康に害のある物を混入して、人の生命又は身体に危険を生ぜしめた者は、 一年以下の禁固又は 十万円以下の罰金に処する。ω
過失により、毒物その他健康に害のある物を放出し、投棄し、散布し、又は流出させて、大気、土壌又は河川その 他の水域を汚染し、公衆の生命又は身体に対する危険を生ぜしめた者も、前項と同じである。ω
業事上必要な注意を怠り、前二項の罪を犯した者は、三年以下の禁固又は三十万円以下の罰金に処す。重大な過失 によって、前二項の罪を犯した者も同じである。﹂ このように刑法内に環境犯罪に関する規定を設けることは、ドイツ刑法が採用した規制方法であり、環境犯罪の重 大性を認識させるというメリ y トを持つものであ柿 w しかしその後刑法改正作業は、進展せず、現状ではこの規定が実現する見込みはないといってよいであろう。 そこで危険犯類型において環境犯罪の中心類型となるのは公害罪法の故意有害物質排出罪・致死傷罪および過失有 害物質排出罪・致死傷罪である。 一 九 七
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年に成立・公布された﹁人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律﹂ ては、故意または過失(業務上必要な注意の憐怠)により﹁工場または事業場における事業活動に伴って人の健康を ( い わ ゆ る ﹁ 公 害 罪 法 ﹂ ) に お い 害する物質を排出し、公衆の生命または身体に危険を生じさせた者﹂が処罰され、法定刑は、故意犯の場合(故意有 害物質排出罪﹀には、三年以下の懲役文は三OO
万円以下の罰金、過失犯の場合(過失有害物質排出罪)には二年以 下の懲役もしくは禁固または二OO
万円以下の罰金である(第二条一項、第三条一項)。 第二条一項の罪を犯し、よって人を死傷させた者(故意有害物質排出致死傷罪)には、七年以下の懲役または三O
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万円以下の罰金刑が、第三条一項の罪を犯し、よって人を死傷させた者(過失有害物質排出致死傷罪)に、五年以 下の懲役もしくは禁固または三OO
万円以下の罰金刑が科される。これらは結果的加重犯と呼ばれる犯罪類型で、現 ハ 却 ﹀ 在の刑法上の通説によれば加重結果についても過失を必要とする。なお三条一項は過失の結果的加重犯で珍しい立法 形 式 で あ る 。 円 m u v これらの犯罪類型の適用事例は、非常に少なく、しかも事故型の過失犯に限定されてきた。以下、判例となったも のを中心にそれらの事例を見ておこう。 1 有罪が確定した事例ω
石田晒彦事件 一九八一年五月一一日、京都市の繊維漂白会社﹁石田晒彦﹂の工場から塩素ガスが流出し、周辺住民七人が気管支第6巻2号一一ー10 などに傷害を負った。薬品の受け入れ管理者だった同社の専務が公害罪法で起訴され(会社は起訴猶予)、 ︿ お ) 円の一審判決が確定した。 これは後述の日本アエロジル事件一審判決の解釈を踏襲したものであり、次の協和精練事件とともに公害罪法で有 罰金八万 罪が確定した数少ない事件の一つである。
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協和精練事件 一九八二年五月二七日、横浜市の絹織物精練会社﹁協和精練﹂の工場で発生し、周辺住民九人が急性塩素ガス中毒 の傷害を負った。同社の公害係員が公害罪法違反、 訴 猶 予 ) 、 タンクローリー運転手が業務上過失傷害罪で起訴され(会社は起 公害係員に罰金一五万円、運転手に同二O
万円の一審有罪判決が確定しは w 2 最高裁で逆転無罪とされた事例ω
大東鉄線事件 公害罪法の適用に関する初めての最高裁の判断が示された事例として重要なのが、この事件である。事例は以下の ようなものであった。 一九七六年三月二六日、東大阪市の大東鉄線第二工場排水処理施設内で、同社が発注した統酸をタンクローリーで 運んできた運送会社の運転手が、誤って次亜素素酸ソーダのタンクに入れたため、化学反応を起こして大量の塩素ガ スが発生。ガスはタンクのマンホールなどから大気中に流出し、周辺住民一一九人が、 のどや皮膚などに全治一日か ら五カ月の傷害を負った。排水処理場の管理および薬品の受け入れ等の業務に従事していた従業員および会社が公害 罪法一ニ条および四条(両罰規定)により起訴された(運転手は業務上過失致傷罪で起訴された﹀。 ( お ) ・会社(罰金七O
万円)の有罪判決を言渡した。これに対して最高裁は、 こ れ に 対 し て 一 二審では、従業員(懲役八月執行猶予二年)公害罪法の適用を否定し会社については無罪、従業員については、その科刑は本件が業務上過失致傷罪に当たるとし c a v た場合のそれとしても相当であるとして上告を棄却した。 この最高裁の判決によって、事実上唯一公害罪法の適用事例であった事故型事例においても適用がなくなり、現在 の公害罪法の適用が全くなされないという状況の原因となった。
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日本アエロジル事件 一九七四年四月三O
目、三重県四日市市の日本アエロジル四日市工場から大量の塩素ガスが流出。周辺住民ら五三 人が急性咽頭炎などの傷害を負い、検察は、同社製造課長ら従業員四人と会社に対して初めて公害罪法を適用して起 ( 幻 ︾ 訴した。一、二審とも会社に罰金二OO
万円、従業員四人全員に禁固四月執行猶予二年の有罪判決を言い渡したが、 最高裁は大東鉄線事件最高裁判決と同じ理由で会社は無罪、従業員については上告を棄却した。 この最高裁判決により、大東鉄線事件判決の限定解釈の方向は確定し、例えばその後の検察が起訴する方針と報道 円 m m ) ハ 却 ﹀ されたヂ l ゼル機器狭山工場シアン流失事件でも結局と不起訴とされた。このように事実上全く適用されなくなって しまった法を存続すべきかどうかは、後述の立法論的考察において検討すべき課題である。 行政従属型刑事規制 ハ 祖 ﹀ この類型は、さらに相対的行政従属型と絶対的行政従属型に分類されうる。 前者は、直接環境危険行為を処罰しようとする類型であるが、処罰範囲が行政命令に依存している場合である。例 えば、﹁政令で定める産業廃棄物を捨てた者﹂の処罰規定(廃棄物の処理及び清掃に関する法律二六条三号)がその 例である。この犯罪類型は環境に対する抽象的危険犯であると考えられる。 第二款第6巻2号一一12 後者は、行政目的達成の担保のための処罰規定である。これに関しては、行政法上の規制に違反すれば、直ちに処 罰される直罰方式と、違反しても、そのうえで指導、改善命令等を受けてそれに違反して初めて処罰されるいわゆる ( お ﹀ ﹁ワンクッション﹂方式がある。前者の例としては、排水基準違反罪(水質汚濁防止法三一条)、ばい煙の排出基準 違反罪(大気汚染防止法二ニ条)がある。後者の例としては、ばい煙発生施設に関する計画変更命令(大気汚染防止 -改善命令(同法一四条)違反罪(同法一一一一一一条)これらの犯罪は行政目的の担保のために処罰されるもので ( 川 持 ﹀ あるが、それを通して環境に対する﹁抽象的危険犯﹂としての性格を持っている。 法九条) さらに、この類型のなかには抽象的危険犯とみることさえ困難な形式犯と見られるものもある。多くの法規に見ら れる届出義務違反ハ水質汚濁防止法五条、三二条、大気汚染防止法六条、コ一四条一号等)がある。特にこの類型につ いて、果たして刑事規制が必要かどうかという強い疑問がある。 第五節 解釈論的問題点 解釈論的にもさまざまな問題点の分類が可能であろうが、以下では行為主体・行為・結果に関する論点につき概説 す る 。 第一款 行為主体 行為主体は、刑法上の侵害犯類型においては自然人に限定され、公害罪法の具体的危険犯類型や、行政従属刑事規 制の類型の多くのものについては白然人および法人の両者が含まれる。後者の処罰が問題となるのはいわゆる両罰規 定においてである。この規定については、かつては法人に関して無過失責任を認めたとする説あるいは過失を擬制し
たとする説があったが、最近の通説・判例は、過失推定説を採っている。これは従業者の選任監督上の過失を根拠と するが、﹁従業者が業務上行う行為は常に法人の選任・監督に基づく行為でもあるという点にかんがみれば、従業者 の違反行為については事業主の過失が推定されていると解すべきであ一♂とするものである。現在、刑法学説は次第 に法人の犯罪能力を肯定する方向にあり、法人においても一定の行為決定への過程においては故意・過失等も認定で き、また法人国有の責任というものも考えられるので、将来は立法的に環境犯罪における法人処罰を再検討すべきで あろう。この点については立法論の意で後述する。 第二款 犯罪行為 1 侵害犯類型 まず刑法上の業務上過失致死傷などの環境犯罪と関連しうる侵害犯類型については、因果関係と過失の問題が特に 問 題 と な る 。 前者についてはまず立証上の困難点がしばしば指摘されている。その観点から後述の公害罪法上の具体的危険犯類 一一環境刑法の基礎理論付 型においては推定規定が設けられている。これに対して過失侵害犯においては因果関係の立証は不可欠である。その 際、いわゆる﹁疫学的因果関係﹂でも足りるかが議論されている。刑法においては﹁疑わしきは被告人の利益に﹂ 。 ロ ︻ 凶 CV 吉田
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。)の原則が妥当するので、検察官に高度の証明義務があり、単なる蓋然的証明では足りないとさ れる。但し﹁疫学的手法がそれより完全に排除されるわけではなく、それにより﹁蓋然性﹂を超えて﹁合理的な疑い を容れない程度﹂の立証が出来れば処罰可能なのである﹂とする。しかし、これは実体法上の要件の証明一般につい ていえることであり、疫学的因果関係の固有の問題点はその時証明の対象とされるものにはなにかという問題であろう。第6巻2号一一14 この疫学的因果関係の問題も単に手続法上の証明の程度に関する問題に過ぎないのではなく、実体法的な問題なので ある。そこで問題となるのは、まず条件関係判断公式との関連である。ここでは、条件関係公式の問題性として因果 法則の存在が前提とされることが指摘され、そこからむしろ﹁合法則的条件の理論﹂が主張される根拠とされるので ある。ここで問題となるのは法則的知識の内容である。即ちそれは﹁経験則﹂で十分であって、 ﹁常に自然科学的に そのメカニズムが厳密に解明されることは必要ない﹂と解される。従って、疫学的因果関係における﹁経験則﹂の内 ︹ 訂 ) 容とは、原因と結果との法則性がいわゆる﹁疫学四原則﹂によって確認される場合をいうのである。 (刊叩﹀ 次に過失の要件については、特に結果の予見可能性について、それが危慎感でも足りるか(いわゆる危倶感説)、 それとも具体的予見可能性が必要なのかの争いがあり、公害事件でも問題となった。危快感説の論者は、カネミ油症 事件の一・二審判決や水俣病事件判決等を自説を支持するものとしてあげるが、前者においても
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の毒性の認識 およびそれが米糠油に混入することの予見可能性が肯定され、後者においても排水がなお続けられていた当時、既に 多くの研究の成果がチッソの排水との関連を指摘していた点から見ても、結果の具体的な予見可能性もあったといえ る事例であろう。即ち、その場合、具体的予見可能性という場合の具体性基準は﹁死傷結果について故意の責任が負 ( 同 制 ) わされる程度の具体性でよい﹂とされるのである。 その他、環境犯罪における過失の問題点として、排出基準を遵守していたがなお結果が発生した場合の過失判断が 問題となる。これはいわゆる﹁許された危険﹂論との関連が問題となるが、これについては具体的危険犯類型のとこ ろ で 後 述 す る 。 次に、これらの傷害・致死の結果について故意があった場合には、傷害罪・殺人罪が成立する。この場合の故意に ついては未必の故意でもよい。従って、工場の排水によって当該地域において死亡結果が多発しているにも拘らず、排水を続けるような場合については、他の者が死亡するかもしれないという認識(認容説によるならば、かっそれに 対する認容﹀が認定されうる場合もあろ一 M V 具体的危険犯類型
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公害罪法の構成要件該当性において特に争われているのが﹁(事業活動に伴う)排出﹂の意義である。排出概念に ︿ Q V ついては従来﹁狭義説﹂と﹁広義説﹂の対立があった。最高裁は、同法三条に定める﹁事業活動に伴う排出﹂の概念 に つ い て 、 ﹁工場などの事業活動の一環での廃棄物などの排出過程で、有害物質を工場外に放出することをいう﹂と 狭 く 解 釈 し 、 公制﹀ を示した。これは﹁排出﹂自体よりも、むしろ﹁事業活動に伴う﹂という文言の解釈によって限定的な解釈を行った ﹁本件のような、薬品受け入れ中の過失によるガス流出事故は、公害罪法の罪に当たらない﹂との判断 ものである。即ち最高裁は、公害罪法制定の﹁趣旨・目的、その経過、右規定の文理等に徴すると﹂これを﹁事業活 動の一環として行われる﹂ものでなければならないとし、有害物質たる原材料の受け入れ・貯蔵や製品の事業場構内 での運搬の過程等を除外したのであ叫 w この結論を、特に﹁規制目的と規制対象が明確に意識されたうえで立法される特別刑法﹂においては﹁立法されて からさほど時間のたっていない時期に発生した事件について、立案関係者が処罰されないと明品自問していた行為を、一 円 必 ﹀ 転して処罰しうるとすることは、やはり妥当ではない﹂として是認する説がある。これは少なくともその限りでは、 ハ 必 ) 立法者意思を基準とする主観的解釈を前提とするものであろう。しかし、一般人に立法者の意思の認識は期待できな いことなどの疑問が多匂客観的解釈が妥当であろう。また現実に有害物質が排出されたときに加害者の責任を追及 ハ 組 閣 ﹀ することが、公害罪法の目的であると考えられることからみても、最高裁のような判断には疑問がある。最高裁によ る判断が定着したと考えられる現在、いわゆる﹁事故型﹂環境汚染に公害罪法が適用される可能性は現実的には否定第6巻 2号一一16 ︿ 州 四 ) されてしまったことは妥当とは思えない。 このような排出行為が故意(未必の故意を含む)による場合は、第二条が、過失の場合には第三条の適用が問題と なる。実務上重要なのは過失の要件である。ここで特に問題となるのは、排出基準を遵守していてもなお過失が成立 するかということである。いわゆる﹁許された危険の原則を適用し、排出基準さえ遵守していれば、過失はすべて否 定されると解するのは妥当ではない。他人との社会的接触が不可避な社会においては許された危険という観念は否定 できないが、それの適用は、立場の互換性がある場合など一定の場合に限定されるべきである(許された危険の相対 明。例えば、排出基準を遵守して排出を続けているうちに付近の住民の聞に被害が生じ、それが排出行為に基づく ことが立証(あるいは基づくと推定)されたにもかかわらず、排出基準が変更されないことを理由に排出を続けたと いうような場合には過失(危険発生を認識していた場合には故意)が認められるであろ一初過失犯の他の要件(特に 予見可能性﹀は、上述の過失侵害犯で既に述べたことがここでも妥当する(但し予見の対象は侵害ではなく危険である)。 抽象的危険犯類型 3 環境刑法における行為類型の多くは、抽象的危険犯という形式をとる。客観的構成要件も主観的構成要件もある財 の侵害または具体的危険を含まないものが抽象的危険犯である。処罰根拠は、一定の態度の危険性または一定の帰結 を伴った態度の一般的危険性であ一明したがってすべての抽象的危険犯が単純行為狐ずあるわけではな一明ここでい う一般的危険性とは、行為の標準(スタンダード)化が必要な社会領域におけるものである。例えば、大河川に一リ ットルの廃油を捨てることは、それ自体の危険としては大きくなくても、それが繰り返されることによって重大なも ( 出 ) のになる。このような場合については、そのような(標準化された)行為の禁止も根拠のあるものとなろう。日本法 における環境犯罪の多くの類型もこのような形式の抽象的危険犯として理解できよう。もっとも、最近では抽象的危
険犯においても結果の発生へ推定ないし擬制されているのではなく、ある程度の抽象的危険の発生が必要とする同お や、具体的危険犯と抽象的危険犯の中聞に﹁準抽象的危険犯﹂の類型があるとする見蹄て構成要件の解釈によって 抽象的危険犯の成立範囲を限定する見解等も主張されており、環境刑法の抽象的危険犯類型においても限定解釈の可 能性があるかどうかが問題となりうるかもしれない。しかし排出基準違反などの違反類型については、上述のような 理由から当該個別行為としては危険が重大ではなくても、規制する根拠は説明しうるように思われる。もちろんこの ことは直ちにそれらの行為をすべて処罰すべきとすることを意味するわけではなく、刑事立法論的な政策的考察を必 要とする。なお、単なる届け出違反についてはこのような説明も困難であり、刑事制裁の必要性はより疑わしくなっ てくる。これらの点については立法論の章で後述する。 第 一 二 款 環境刑法において犯罪結果が特に問題となる類型は、公害罪法の犯罪類型の発生を必要とする具体的危険犯である。 具体的危険犯は、抽象的危険犯と異なって、一種の結果犯でもあることに注意すべきであ碍ケセの際、問題となるの 犯罪結果 は具体的危険発生の判断基準である。 一定の客体(本法においては﹁公衆﹂) に対して侵害結果をもたらさなかった が、危険にさらしたといえるためには、結果侵害をもたらさなかった(あるいは未だもたらしていない﹀原因が、人 がそれをあてにして行為できるほどの信頼できるものではなく、単なる偶然に過ぎない場合である(いわゆる﹁規範 的危険概曾)。従って﹁人の健康を害する物質﹂が排出され、それによって﹁公衆﹂に対して侵害がもたらされなか った原因が、単なる偶然にすぎなかった場合(たとえば気象条件﹀には、すでに具体的危険は発生したといえる。こ れに対して一旦は危険な物質が排出されても、それが﹁公衆﹂の侵害に到達する以前に適切な方法によって除去され
第6巻2号一一18 た場合には、具体的危険は発生しなかったと解される。住民が食用に供することのある魚類、野菜類等に排出された 有害物質が含まれていれば、既に具体的危険が発生してい
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そのような危険は﹁公衆﹂に対して発生しなければならない。この公衆とは﹁不特定かっ多数の者﹂をいうのか、 ﹁不特定又ゆ多数の者﹂をいうのかという争いがあ石ルこれによって実際上解釈に差異が出るのは、排出企業内の従 業者にのみに危険が発生したという場合である。 れるので、前者の解釈が妥当であろう。 ﹁従業員のみの被害は労働災害であって、公害ではない﹂と考えら なお前述の行為とこの結果については因果関係の推定の規定(第五条)がある。この推定規定の刑事訴訟法上の解 釈については後述する。 ( 1 ﹀ ・ 、 。 E H L ♂回出口♂む白血司円一口N e
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- M A F 町 民 ・ ( 2 ) ドイツにおける議論については山中敬一﹁ドイツ環境刑法の理論と構造﹂関法四一巻三号五三三頁以下参照。法益論(環 境の法益性)に関しては最近伊藤司によって詳細な検討が行われている。伊藤司﹁環境(刑)法総論﹂法政研究五九巻一一一・ 四 号 ( 一 九 九 三 年 ﹀ コ 一 八 一 頁 以 下 。 ( 3 ) 伊東研祐﹁﹁環境の保護﹂の手段としての刑法の機能﹂団藤古希第三巻(一九八四年)二六六頁以下。 ( 4 ) 本稿は淡路・阿部編・環境法(近刊予定)における環境刑法の部分の執筆の準備のために書いた原稿に手をいれたもので ある。その担当部分における教科書的な説明の部分は省略し理論的な部分については論拠等を補充した。 ( 5 ) また日本の公害裁判において実際に問題となった区別として﹁構造型公害﹂犯罪と﹁事故型公室己犯罪の区別がある。環 境犯罪においても問題のある事業活動に基づいて環境の汚染を引き起こす﹁構造型環境犯罪﹂と一定の事故による﹁事故型 環境犯罪﹂(例えばタンカー事故による海洋汚染﹀を区別することも可能であろう。しかし判例において見られるように、 この類型の区別に従って過失の適用基準や公害罪法の適用範囲などの結論に差異を認めることができるかには慎重な検討が 必要であろう。特に水俣病事件控訴審判決(福岡高裁昭和五七年九月六日判決高刑集三五巻二号八五頁﹀に関連して土本19 武司﹁﹁構造型﹂と﹁事故裂﹂││水俣病事件控訴審判決(要旨)に接して││﹂判例タイムズ四七六号(一九八二年)一ニ 二頁甲斐克則﹁事故型過失と構造型過失﹂刑法雑誌一一一一巻二号五九頁を参照。 ( 6 ) 山中敬一﹁環境刑法﹂ジュリスト一
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一五号(一九九三年)一二回頁以下。 ( 7 ) 阿部泰隆﹁環境刑法の課題﹂ジュリスト一0
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号(一九九二年)七六頁。 ( 8 ﹀ドイツの議論については刑法雑誌三二巻二号掲載の山中・立石・交告論文等を参照。 ( 9 ) 同 時 弘 吉 ¥ ミ 町 民 主 町 、 h -田 口1
匹 目 何 回 凹 - n F ﹀ E O H Z ロ mg 吉 田 仲 円 え 円 m n v E n F g d B 司 m -z n F E R E 白σ 2 0 2骨 ﹃ 冊 目 ロ ︿ R Z E E m B 芹 門 田 町 B ︿ 叩 円 者 向 凶 H E D m 凹 ﹃ 開 n F お の 口 同 白 ロ 伊 丹 伺 ロ ロ N ロ E 印 、 吋 ・ 同 ) 巾 三 田 口 ﹃ 回 開 門 ﹄ 己 江 田 g ロ g m w 巴 ∞ ∞ -( 印 ) H M 忠之遣問、二口一﹀三宮再開 Z E M E D N E B B -の 与 口 江 田 g h p E 包 ・ ω ・ ∞ 日 時 ・ 二 同 時 三 -w z g N H u g -E 吋 同 : ( 日 )dg 毛 色 丹 田 n H H C R 己 己 ﹃ n v m R 丘 町 m n E ・2
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開問ユ g 山 口 弘 明 ︼ 己 注 目 r H ¥ g g -会 同 : (ロ)特に伊藤・前掲(注 2 ) 論 文 。 (日)山中・前掲(注 6 ﹀ 一 二 六 頁 参 照 。 ( M H ) 旬 。 怪 童 S P U E H N m n 宮 田 m E a R C B 毛 色 丘 町 Z E m-∞2
・ ω ・ ロ U R -( 日 M ) ﹄ 早 急 h w N 望者∞アロ回一色町三-g
円 山 町 S n E ﹀ 、 H ・ M -﹀ ロ 戸 ・ 5 u y N ¥ 自 由 民 ・ (日叩)これを肯定する見解として伊東・前掲(注 3 ) 一 一 六 六 頁 以 下 (ロ)山中・前掲(注 6 ﹀一二五頁参照 (叩叩)西原・犯罪各論七二貝参照 (印)しかしこのことはこの改正刑法草案の規定の方法が適切であるということを意味する訳ではない。 (却)さらに最近では単なる過失以上に基本犯に固有の危険性の実現を要するいわゆる危険性説の立場が主張されている(特 に丸山雅夫・結果的加重犯)。基本犯プラス重い結果の発生によって基本犯プラス過失結果犯以上に刑が加重されている以 上、この方向が正当な解釈であるといえよう。 (幻)西原春夫・前掲(注目﹀七三頁。その解釈上の問題点については立石雅彦・(宮本忠・立石著﹀現代の公害と法規制二回 八 頁 以 下 参 照 。 ハ幻)一九七二年から一九九一年までの二0
年間の統計は別稿(川口・前掲(注 4 ) ) で示した。環境刑法の運用状況における傾第6巻 2号一一20 向として﹁検察庁・裁判所で処理する公害犯罪の被疑者・被告人の数は、一九八
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年代に入って漸次減少しつつある﹂(石 塚伸一・刑法雑誌一一二巻二号二四五頁以下﹀ということが指摘されているがその後もこの傾向は続いているといえよう。 最近では公害罪法の適用がほとんどなくなっている点などが注目されよう。 (お)京都地判昭和六O
年(一九人五年﹀二月一一一一日公刊物未搭載・確定川合昌幸・注解特別刑法 3 公 害 編 一 四 頁 以 下 。 ︿M ) 横浜地判昭和五九年三九八四年)コ一月一四日公刊物未搭載・確定川合・前掲(注泊﹀一五頁以下。 (お)大阪地判昭和五四年三九七九年﹀四月一七日刑裁月報一一巻四号三四二頁大阪高判昭和五五年(一九八O
年)一一月 一 六 日 高 刑 集 三 三 巻 四 号 三 二O
頁 。 ︿鉛)最三判昭和六二年(一九入七年)九月二二日刑集四一巻六号二五五頁。本件の判例評釈として金谷利広・最高裁判所判例 解説刑事篇昭和六二年度一六五頁以下及び同評釈の最後で引用されている評釈を参照。 ︿釘﹀津地判昭和五四年︿一九七九年)三月七日刑報月報一一巻三号一一九頁名古屋高判昭和五九年(一九七四年)一月二四 日 高 刑 集 三 七 巻 一 号 一 頁 。 ︿却﹀最一判昭和六三年(一九八八年)一月二七日刑集四二号入号一一O
九頁。本件の判例評釈として香城敏麿・最高裁判所判 例解説刑事篇昭和六三年度四O
四頁以下及び同評釈の最後で引用されている評釈を参照。 (却﹀伊東研祐・ジュリスト九二六号四七頁参照。 (却﹀これについては川口・前掲(注 4 ﹀ 参 照 。 ( 引 出 ﹀ 山 中 ・ 前 掲 ︿ 注 6 ﹀ 一 二 五 頁 。 (担)山中・前掲(注 6 ) 一 二 五 真 。 (お)阿部・行政の法システム四六二頁以下。なお公害関係の行政取締法規違反と刑事制裁を分類したものとして西原・五人頁 以 下 が 有 用 で あ る 。 ハ剖)山中・前掲(注 6 ) 一 二 五 頁 。 反 対 、 花 井 ・ 注 釈 特 別 刑 法 七 巻 一 八 八 頁 ( 形 式 犯 と す る ﹀ 。 ︿お﹀大谷実・刑法講義総論一三O
頁 。 (お)前田雅英・刑法総論議義二O
三 頁 。 ( 切 出 ﹀ 以 上 の 見 解 は 山 中 ﹁ 因 果 関 係 論 ﹂ ( 浅 田 他 ) 刑 法 総 論 ︿ 一 九 九 三 年 ) 七 一 一 具 に よ る 。(叩拍)藤木英雄・刑法講義総論二四三具、板倉宏・企業犯罪の理論と現実等。 (却﹀松宮孝明・刑事過失論の研究二七五頁後者について前田雅英・ジュロスト七八四号五五二頁 ( ω ) 松宮・前掲(注ぬ)二七七頁 ︿ H引)水俣病事件については殺人罪による告発もなされたが検察は過失のみで起訴した。なお松宮・二七六頁は本件は﹁むし ろ、死傷結果について未必の故意の存在も疑われるほどだったのである﹂とする。 (必)川合・前掲︿注お)二四頁以下、田宮裕 H 広瀬健二・注釈特別刑法七巻二一頁以下参照。 (必)前述の大東鉄線事件に対する最三判昭和六二年(一九人七年)九月一一一一日刑集四一巻六号二五五頁、坂上裁判官の補足意 見、長島裁判官の反対意見がある (必)伊東・ジュリスト九二六号四六頁(﹁産業公害取締まりにとって大きな後退であることは否定すべくもない﹂とする)参 照 (必﹀町野朔・法教一五一号五二頁。 (日明)最近ではこの説はかなり有力になってきているように思える。もっとも民法の石田穣説(法解釈学の方法一五頁以下)の ような古典的な主観説ではなく、何等かの修正を加えたものが多い(増田豊﹁主観的・歴史的解釈論の語用論的ヴァ l ジ ョ ン ﹂ 法 律 論 叢 五 八 巻 六 号 = 良 以 下 な ど ﹀ 。 ( 円 引 ) 詳 し く は 松 生 ( 伊 藤 他 著 ) 刑 法 教 科 書 総 論 ( 上 ﹀ 一 一 一 一 一 頁 参 照 。 (必)藤木・︿藤木・板倉著)刑法案内一二頁以下。 (約)学説上も批判的なものが多い。例えば板倉・法学セミナー一二九七号一九頁以下など。 ( 印 ) ' 、 早 急 師 、 ∞ 門 司 田 町 ﹃ 伺
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注目)吋¥おぬ・この見解に批判的なものとして松宮・前掲書(注鈎)一四人頁。 (日)同様の結論をとるものとして西原・前掲(注お﹀七三頁以下。 ( 臼 ) L ﹃ 白F
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同 円 相 円 伊 丹 ( 注 目 M ﹀ ∞ ¥ ∞ ∞ ・ (日)単純行為犯は結果と対比される概念である。これについては山中敬一﹁構成要件論﹂ 五 二 頁 を 参 照 。 ( 日 ﹀ 同 白 ぎ 宮 、ω
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注 目 ) ⑤ ¥ 司 ロ ・ 同 誌 -( 浅 田 他 著 ) 刑 法 総 論 ( 一 九 九 一 一 一 年 ﹀第6巻2号一一22 ( 問 ω)ha ぎ