「茘枝」札記 : 漢代から唐代まで
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(2) . 北海道教育大学紀要 ( 第 一部 A)第 四十 八巻. 「 蕩枝」 札記 ー漢 代 か ら 唐 代 ま で ー. 第 一号 平成九年 八月. 杜甫 ( 七 一ニー七七 ○) の 「 解悶十 二首」 は、嘉枝 にま つわ る感慨 を詠 じ ており、〈其九〉 とへ其十〉 に、 「 嘉 枝」 の語が見え る。順 に引用しよう。. 先帝貴妃今寂莫 先帝 の貴妃 今は寂莫 嘉枝. 還 ほ復 た長安 に入る. 務枝 還復入長安 炎方 毎 に朱桜 に続 いて献 ず. つね. 炎方毎 続朱桜献. 青楓隠映 石選進. 憶過漉 戎摘蕩枝. 京 中 旧と見 る君 の顔色. 青楓. 憶 ふ漉 ・戎を過り て嘉枝を摘 みしを. 応 に悲しむな るべし白露 の団な るを. 京 中旧見 君顔色 京華. 玉座応 悲白露 団 玉座. 〔 京華 応見無顔色. 紅類 の酸甜. 只だ自 ら知 る. 応 に見 る べし顔色無きを〕. 隠映 し て石 透蓮 たり. 紅穎酸 甜只自知. 後. 藤. 秋. 正. のであ る。杜甫 が左 拾遺 と し て門下省 にあ ったとき に、「 朱 桜」 を 下賜 さ れ た ことは、成都 の草堂 で の作 、 「 野人送朱 桜」詩 にも見え る。杜 甫 にと って 蕩枝 は、楊貴妃 の故事 、及び左拾遺と し て朝廷 にあ った体験と密 接 に結 び つ. 未 だ 変 ぜ ざ る に 巳 に京 師 に至 る。. 務支を暗 み、必ず生 にし て之を致 さんと欲す、乃ち騎を 置 き て伝 送. いて いるようだ。楊貴妃 が新鮮な蕩枝を好 んだ ことは諸書 に記録 があ る。 こ こ では ひとまず、 『 新唐 書』巻 七十 六、楊貴妃伝を見 ておこう 。 妃暗嘉支、必欲生致之 、乃置騎伝送、走数千里、味未変己至京 師。 妃. し 、 走 る こと 数 千 里 、 味. さ て、 それ では、杜甫 以前と それ以後 には、嘉枝 はど のようなも のと し て. 詠 じられた のだ ろう か。 以下、 詩 を中心 と し て、 漢代 から唐代ま で、そ のイ メー. ジ の推 移 の概 略 を た ど って み る こと に し た い。. 二. 嘉枝 が文学作品 上 に初 め て登場す る のは、司馬相如 「 上林賦」 ( 注 2) で あ ろう。司馬相如 は、長安 西郊 にあ った上林苑 の宮館 の庭園 に植 え られた珍. 注 1) と桜桃 が祖廟 に供えられ て い 〈其九V は、楊貴妃 の死後も、嘉枝 ( ることを、〈其十〉 は、永泰 元年 ( 七 六五)夏、成都 から養 州 ( 四川省奉節県). 鹿橘夏執、 ・ 隠夫穆様、搭裸嘉枝 、羅乎後宮、列乎 北 園。 ::・. 奇 な植物を列記 し て、次 のよう に言う 。 於 是乎. に下る途 中、櫨州 ( 四川省漉州市)と戎州 ( 四川省南渓県) で摘 み取 った務 枝 が、か つて左拾遣と し て朝廷 にあ ったとき に下賜 された ことを回顧したも. 7f.
(3) . . 秋 正 後 藤. 是 に於 てか、鹿橘 は夏 に執す 、 :::隠夫 ・穆様 、椿枢 ・蕩枝 あり、後宮 に羅 り 、 北 園 に列 る 。. 触犯死亡之害。死者不可復生、来者猶可救也。此二物升殿、未必延年益寿。 帝従之。. 昼夜之を伝送 し、. 唐売、字 は伯海、公府 に駆 され、臨武 の長 に補 せら る。県は交 州 に接 し、. 旧と龍眼 ・務支 及び生鮮を献 ず、之を献ず るに、駅馬. 虎狼 の毒害 に遭 ひ、頓外 し て死亡す るも の絶 へざ る有 る に至 る。道 臨武. 下 貢膳 を以 て功と為 さず 、故 に天子 大牢 に食 ふるを尊 しと為 すも 、果. を経、売. 「 離支 、大 如 難 子、皮廠 、 剥去皮 、肌如 難 索 隠」 は、晋 灼 の説 と し て、 「 離支 は、大 な ること難子 の如 く、皮 は鰯 にし て、 子中黄、其味 甘多酢少 。 ( 」 ) 皮を剥去 す れば、肌 は難子中 の黄 の如 く、其 の味 は甘多 く し て酢少 なし。 注 3)の、「 樹高 五六丈、如桂樹、緑葉、 と いう発言を引き 、さら に 『 広異志』(. 実 を以 て珍と為 さざ るを。伏 し て見 るに交吐 の七郡. 滋味 を以 て徳と為 さず、. 冬夏青茂、有華朱色。 樹高 五六丈、桂樹 の如く、緑葉、冬 夏 に青茂 し、華 」(. 驚き風発す。南州 の土地、悪虫 ・猛獣 路 に絶 へず 、触 犯し て死亡す る の. そな. 椿 蕩 枝 」と 並 ん で見 え て いる 「 の朱 色 な る有 り 。)と いう 説 明 も 引 い て いる 。「. 筈 あ るに至 る。死者 は復 た生く べからざ るも、来者 は猶 ほ救 ふ べき なり。. 乃ち上書 し て諌 め て日く、臣 聞く上. 裸」も 濁 に産 す る果物 であり、濁出身 の司馬相如 は、 これら の果樹 を熟知 し 後漢書』巻 四、和帝紀 に次 の記事 注 4)。後漢 に至 ると、 『 て いた であ ろう (. 此 の二物 は殿 に升 るも、未だ必ず しも年 を延ば し寿 を益 さずと 。帝. 之に. 生龍 眼等 を献 じ、鳥. が あ る。. 五 ベト ナ ム北部)、交旺 ( これ ら の記載 か ら、後 漢 の初期 ま では、交 州 (. 従 ふ。. 奔騰阻険 、死者継路 。時臨武長汝南唐売 、県接南海、乃上書 陳状 。帝 下詔 日、. 嶺 以南 の地) などから駅馬 によ って昼夜兼行 で伝 送 された嘉枝 が太牢 に供え. 自費憲詠後 、帝窮親方機 。:::旧南海献 龍眼嘉支、十里 一置、五里 一候、 遠 国珍差 、本 以薦奉宗廟。荷有傷害、豊愛民之本。其勅大宮 勿復受献 。由. 龍眼 ・. 東 ら れ て いた こ と が 分 か る 。ま た 、何 奴 の単 千 に 下 賜 さ れ た こ と も あ った (『 万 機 を 窮 親 す 。:::旧 南 海. 路 に継 ぐ。. 乃賭嘉枝 之樹. 其 の形 た ろ や. 乃ち嘉枝 の樹を賭 る に. 注 7)。 再 開 さ れ た も の であ ろう (. ○) 観漢記』巻 二二、同奴南単 千 の条)。後漢 の安帝 の元初年 間 (一一四ー : - 五 ー 一四四) の時 在位 一一一 に上計吏 と し て挙げ られ て校書郎となり、順帝 ( 注 6) は、嘉枝 を対象 と した現存 最古 の 嘉支 賦」 ( に侍 中と な った王逸 の 「 賦 であ る。唐完 の上書 によ って中断 され て いた嘉枝 の運搬 は、後漢 に到 って. 是遂省霧 。 賓 憲 の課 せられ てより後 圧 5)、帝. 嘉支を献 ず 、十里 に 一置、 五里 に 一候、阻険 に奔騰 し、死者. 詔 を 下し て日く、遠 国 の珍差 、本 と以 て宗廟 に薦奉 す。萄 くも傷害す. 時 に臨武 の長、汝南 の唐売 、県 は南海 に接す れば、乃ち上書 し て状を陳 ぶ。 帝. ること有 らば、豊 に愛民 の本 なら んや。其 れ太官 に勅 し て復 た献を受 く る. 其形也. 駅馬昼夜伝 送之、至有遭虎狼毒害、頓朴 死亡不絶。道経臨武、莞 乃上書諌 日、. 唐莞字伯 海、群公府、補臨武長。県接交州、旧献龍 眼嘉支 及生鮮、献之 、. 穆如峻獄之勢. 湛若 大慶之容. 森如横 天之誓. 惨と し て峻獄 の勢 の如 し. 湛と し て大慶 の容 の若 く. 森と し て横 天 の 雪 の如く. 暖若朝雲之興 暖と し て朝 雲 の興 るが若 く. 臣聞上不以滋味為徳、下不以貢膳為功 、故 天子食太牢為尊 、不以果実為珍 。. 惰幹粉錯 情幹は粉 錯し. こと勿 れと。是 れ に由 り て遂 に省く。 「 臨武」 は、 湖南省臨 武 県 の東。唐売 の事 績 に 旧南海 」 は、広 州 一帯。 「 後漢)書L が 、 よ り 詳 細 であ る 。 謝承 ( 後漢書』 の注 に引く 「 ついては、 『. 伏見交粧七郡献生龍眼等、鳥驚風発。南州土地、悪虫猛獣不絶於路、至於. n x U.
(4) . 「蕩枝」 札記. 緑葉藻藻 緑葉は藻珠たり 角卯 興而霊華敷 角卯興り て霊華敷き 大火中而朱実繁 大 火中 し て朱実繁 る. 治者 が天下を顧 みず、珍 奇 な果実 の入手 に腐心 し て いること を譲 る、 「 今人 、 主不思甘露零、贈泉涌、而患枇杷藷支之腐、亦郡突 。 」公「人主 は甘 露 の零ち 醒泉 の涌 くを 思 はず、而 るに枇杷 ・蕩支 の腐 るを患 ふ、亦 た郡 し。 ) と いう. 一節 ( 注 8) が あ る。 こ れ は 後 漢 の朝 廷 の腐 敗 ぶり を 言 った も の であ ろう 。. 蕩枝 は、三国 の醜 にお いても珍重 され て いた。曹 杢 (一八七 ー二二六)は、「 詔. 灼灼若朝霞之嘆 日 灼灼とし て朝 霞 の日に嘆 ず るが若 く 離離如繁星之着 天 離離とし て繁星 の天 に着 くが如 し. 『 太平御 覧』 巻九 七 一) にお いて、 「 群臣」 ( 南 方有 龍 眼嘉支 、寧 比 西国蒲 萄. 之 を 咳 へば 則 ち 其 の味 の導 き を 知 ら ん 。) と 言 って いる 。 龍 眼 や 藷 枝 と いえ. ごと. 皮似 丹燭 皮 は丹周 の似く. 石蜜乎、今以藁支賜将吏、咳之則知其味薄突. □ 甘液 を含まば. 注 9) の蒲萄 ・石蜜 に比せ んや、今 務支 を以 て将吏 に賜 ふに、 寧 ぞ西国 (. ( 南方 に龍眼 ・嘉 支有 るも、. 膚若 明増 膚 は明暗 の若 し 口含甘液. 側 に藷枝を生ず. 芽挺龍目 芽 に龍 目を挺き ん で. 『 であ る 。左 思 ( ? ー 三 ○ 八 ?← の 「 濁都 賦 」 ( 文 選 』巻 四 ) にも 記 述 が あ る 。. 南 の濁を意 識 したも のかも しれ な い ( 注 輯)。蕩枝 は、呉と濁 で産 す るから. ども、ぶ どう と氷砂糖 にはかなわな いと いう発言は、あ る いは南 方 の呉 と西. 五滋を兼 ね て常主無 く. 芳気 を受く. 心受芳気 心 兼 五滋而無常主 不知百和之所出 百和 の出づ る所を知 らず 卓絶類而無儀 類 に卓絶し て儀 ひ無く. 側生嘉支. 緑葉 の萎萎 た るを布き. 衆菓 に超え て独り貴 し. 布緑葉之萎萎. 朱実 の離離 た ろを結 ぶ. 超衆菓 而独貴. この部分、樹木、果実、味覚 を順次 述 べて、蕩枝 の果物と し て の卓 絶した. 結朱実之離離. 賦 Lは 、曹 植 、偉 玄 、孫 楚 、夏 侯 湛 、藩 岳 、謝 恵 連 な ど に、「石 糟 」、「山 石 棺 」. に夏 を 以 て生 じ 、 其 の赤 に変 ず る と き 食 ら ふ べし 、 ・ ::・ 龍 眼 ・嘉 枝 は 、 皆 な. 往往有嘉枝樹高 五六丈 、常以夏生、其変赤 可食 、:::龍眼蕩枝 、皆 冬 生不枯 、 葡茂於山林。 龍眼 ・薦枝 は、朱提 ・南広県、健為 ・饗道県 に生 ず 、江東 よ 」( り巴郡 ・江州 に至 るに随 ひ、往往 にし て務枝 の樹高 五六丈 な るも の有り、常. 南蕎志」は、「 く「 龍眼嘉枝、生朱提南広県、徒為 愛道県、随江東至 巴郡江州 、. こ の描 写 は 、 王 逸 の 「 蕩 支 賦 」 を 踏 ま え て いる 。 劉 逢 、 字 は 淵 林 の注 に引. 大火」 の南 中す る夏 にな ると赤 い 存 在 を賛美 す るが、 二月 に花 が咲 いて、 「 実が実 ると述 べる部分は、 この樹木 の性質 を よく知 って いるし、紅褐色 の外 皮を 「 丹燭」 ( 赤 い漁網) に臨え て いる のは、実 際 に手 にし て いな け れば で. または 「 安 石棺」を詠 じた賦は、応頁、夏侯湛 、張載、藩岳、藩 尼、顔測な. きな い描写 であ る。王逸 ののち にも、果樹 も しく は果実を対象とす る賦は、 瓜賦」は、劉槙、偉玄、陸機 など に、「 醜晋南 北朝期 に限 っても、たとえば 「 橘. ど にあ り 、 こ の ほ か 、 「 蒲桃 」 「 李」 「 桃」 「 裏L 「 柑」 「 枇 杷 」 「柴 東 」 な ど を. 詠 じた賦も散見す る。しかし、蕩枝を詠 じた賦 は見られな い。 こ ののち に蕩. 冬 に生 じ て枯 れず、山林 に惨茂 す。 )と言う 。「 朱提」 は、朱 提郡 、雲南省 昭 通県。劉備が健為を改 め て置 いた。「 南広県」は、四川省鏑連県 の西南 。「健 為」 は、鍵為郡。 四川省彰山県。前漢 の 一時期、 要道県 ( 四川 省宜賓 市 ) に治所. 張九齢 の賦 に ついては のち に触 れ る。ま た、仲長統 (一八〇 1二二0)の 「 昌. 『 左思 の 「 呉都 賦」 ( 文 選』 巻 五) には、 「 其 果則 丹橘 余甘、嘉枝 之林 。 其 」(. が 置 か れ た 。 「巴 郡 」 は 、 四 川 省 重 慶 市 。 「 江 州 L は 、 江 西省 南 昌 市 。 同 じ く. 枝を詠 じ て いる のは、唐代 では張九齢、宋代 では李 綱、苑成大 など であ る。 言 」 は 、 「発 憤 ・歎 息 」 し て時 俗 を 批 判 し た も のだ が 、 中 に次 の よ う な 、 統. 9.
(5) . . 秋 正 後 藤. ) とあ る。 こ の 一節 は、呉 の西南 一 の果 は則 ち丹橋 ・余 甘、蔦枝 の林 あ り。 左 恩 のころにはす でに、四川 ・雲南 及び広東 ・ 帯 の果樹 に ついて述 べて いる。 福 建 を 中心 と した土地 が蕩 枝 の主 要 な産 地 と し て知 ら れ て いた のであ ろう 琵五文類衆』 謝賜生務支啓」 ( 四四七 ー五○ こ の、 「 ぐ注n)。斉 の孔稚珪 (. 三. 南朝 にお いては、稀 にしか注 目されなか った蕩枝 は、唐 代 に至 ると多 く の. 六七 八 ー七 四○) 詩文 に詠 じられ るよう にな る。まず注 目す べきは張九齢 (. 南海郡出嘉枝蔦 、毎 至季夏 、其実 乃熟 、状甚壊魂 、味特甘滋、百果之中. 曲 江 集 』 巻 二 であ ろう 。 序 と 本 文 の 一部 を 引 こう 。 の,影 加枝 賦 」 (『. は昔聞くも 、嘩嘩 た ろは今 綴る、信 に西帳 の佳珍 にし て、諒 に東 都 の未 だ識. 無二 可比 。余往在 西液 、嘗盛称之 、諸公莫之知 、而 固未 之信。唯舎 人彰 城. 緑葉 雲 斜、朱 実星映、離離昔聞 、嘩 嘩今 観、 信 西賦 之佳珍 、 巻 八七) は、 「 緑葉 雲 のごとく箭び、朱実 星 のごとく映 ゆ、離離 た ろ 諒東 都之未識。 」( ) と新 鮮 な蕩枝 が 下賜 さ れた ことを 言う 。ま た、斉 の竺法 らざ るも のなり。 、. 劉侯 、弱年遷累経 千南 海、 一聞斯談、倍復喜 歎以為甘旨之極也 。 :::欲為. 、. 、. 、. 往 に西液. 乃ち熟 す、状は甚だ. 一の比す べき無 し。余. 之を知 ろ莫く し て、 固より未だ. び斯 の談を聞き、倍 ミ復 た喜 び歎 じ て以 て甘旨 の極 みと為すなり。 :::賦. 之を信 ぜず。唯だ舎 人彰城 の劉侯 のみ、弱年 より遷累し て南海 を経、 一た. に在 り、嘗 て盛 ん に之 を称す るも、諸公. 叛魂 にし て、味 は特だ甘滋 、百果 の中. 南海郡 蕩枝 を出だす、季 夏 に至 る毎 に、其 の実. ::・ 遂作 此賦。 賦述、而世務卒卒 、此志莫就 。及理郡暇 日、追 叙往心、 ・ 人. 『 浮)山疏 」( 太平御覧』巻九七 一) に は 「蕩 枝 冬 青 夏 至 日 登羅 ( 真の 「 蕩枝 、 子始赤、六七 日可食 、甘酸宜人、其細核者 、謂之焦核 、蕩 枝之最珍也 。 」( 冬 に青く、夏至 の日、子 始 め て赤 く、六七 日 にし て食 ら ふ べし、甘酸. ) に宜 し、其 の細核 な る者 、之を焦核 と 謂 ふ、蕩枝 の最も珍 な るも のなり。 羅 浮山」 は、広東 省博 羅県 の西北 の山。 一帯 は特 に嘉枝 の産 地と とあ る。 「 し て著 名 であ った 。. 詠嘉支詩」 ( 墨云文類衆』巻 八七) があ る。断篇 であ 梁 に至 ると、劉霧 の 「 叔師 は其 の珍を貴 び. 果之美者. ::・ 遂 に 此 の賦 を 作 る 。 む る の暇 日 に 及 ん で、 往 心 を 追 叙 し 、 ・. を為り て述 べんと欲 す るに、世務 卒卒 と し て、此 の志就 ろ莫 し。郡 を理. 叔師貴其珍. 武仲 は斯 の美を称す. 厭有務枝 厭れ嘉枝有り. ろう が、六朝期 唯 」の、嘉枝を詩題とす る作品 であ る。 武仲 称斯美. 良 に遠き より致 るに由 り. 果 の美な る者. 良由目遠致 含滋. 歯 に留ま らず. 含滋 不留歯. 凱風入律. 辰 に在 り. 肇 允含滋 肇 め て允 に滋 を含 み. 爾 れ其 の勾 ぞ. 異 珍 ・殊 味 」 に つ い て 嘉 枝 は 見 当 た ら な い。 た だ し 、 「七 激 」 の断 篇 に は 、 「. 芥敷謹 溢. 摩摩 とし て. 爾其勾老在辰. 述 べた部分 があ る ので、嘉枝 に ついても言 及し て いた のであ ろう 。 嘉支賦」 で絶賛 した こと が時 に想 南朝 ま で の嘉枝 のイ メージは、王逸 が 「. 緑穂摩摩 緑穂. 蘇蘇 たり. 敷 き て説か に溢 る. 其 の華 を豊 か にせざ るも. 券. 凱風 律 に入るとき. 起 され ると は いえ 、南方 の珍奇 な果実 であ ると いう域 を出 な い。特 に、唐 完. 青英 蘇蘇 青英. 「 武 仲 」 は 、 偉 毅 の字 。 俸 毅 の現 存 す る 詩 文 中 に は 叔 師 」 は 、 王 逸 の、 「. の上書 に見 た、北方 への輸送 に伴う悲劇 に ついては全 く言 及されな い。. 不豊其華. ^ = V .
(6) . 「藷枝」 札記. 如有意乎 敦本 本を敦 くす るに意有 るが如 し. 嘉枝 の存在 が 「 西液」の同僚 に知 られ て いな い点 にあ った。彼 は詔州曲江 ( 広. 鳥 稗 の柿 が見え て いる。いず れも珍奇 で美味な果実 。張九齢 の制作 の動機 は、. 『 に ついては、藩岳 「 閑居賦」 ( 文選』巻 一六) に、張 公 の大谷 の梨 と梁 侯 の. 故微文而妙質 故に微文にして妙質あり. . 東 省 詔 関 市 ) の人 であ る か ら 、 郷 土 の誇 り も あ った か も し れ な い。 いず れ に. 但だ其 の実 を甘くす. 帯薬房而横葦 幕 は薬房 のごとく し て措牽 し. し ても 、彼 がほぼ中書省 にあ った開元年 間 には、蒸枝 は長安 の人士 にほと ん. 但甘其実. 皮竜麟以勝比 皮 は竜麟 のごとく し て以 て耕比す. ど 知 ら れ て いな か った ら し い。 つ い で嘉 枝 を 詠 じ て いる のは 李 順 ( 六九 〇 1. 扶南 の甘薦 甜き こと蜜 の如 し. 膚玉英而含津 膚 は玉英 のごとく し て津を含 み. 扶南甘薦甜如蜜. 雑 ふるに蕩枝と龍州 の橘を以 てす. 七五 一?← であ ろう か 。 彼 の 「送 劉 四 赴 夏 県 」 詩 に は 、. 朱萄剖 朱葡剖け. 雑以藷枝龍州橋. 色江捧以吐 日 色 は江津 のごとくし て以 て日を吐 く 明増出づ. 明瑠 出 猶不可疋 猶 ほ疋 ふべからず. たぐ. 問然 たる こと数寸. と言う 。劉 四は、劉髪 のこと ( 注 乾)。彼 は八歳 で、玄宗 が泰 山 を 封 じた時 に頒を献 じ て激賞 され、神童 と称 され た。夏県 は山 西省 夏県 。 「 扶 南」 は、 『 扶南 郡 ( 甘薦」は、砂糖黍 。梁 の呉鶴 の 「 広 西省扶綴県)。「 移」 ( 芸文類衆』 扶南 甘薦、 一丈 三節、白 日炎便鎗 、清 風吹 即折 巻 七 二) に、 「 ( 扶南 の甘. 間然数寸. 夫其貴 可以薦宗 廟 夫 れ其 の以 て宗 廟 に薦 む べきを貴び. 吹 け ば 即 ち 折 る 。)と あ り 、. ・. 『 神異経』南荒経 に、「 南方有 甘蔑之林、宜舎同百丈 、囲三尺八寸、促 節多汁 、. おとろ 炎 れ ば 便 ち 鎗 へ、清 風. 蔵 は 、 一丈 三節 、白 日. すす. 其珍 可以差 王公 其 の以 て王公 に差 む べきを珍とす 亭十里而莫致 亭 は十 里 にし て致 す莫 く. 嘉支 の条 に引 く 『 :::務支 熟時、百鳥 肥。其名 之 日焦 核 子、次 広志』 に、 「 日春華 、次 日胡傷 。此三種 為美 ::ー嘉支 の熟 す る時 、百鳥 肥 ゆ。其 れ之 (. 三. 門は九重 にし て通ず るを易 む. 尺 八寸、促節 にし て汁多 く、甜き こと蜜 の如 し、其 の汁を噛 めば 、人を し て. ( 南方 に甘薦 の林有り、其 の高 さ百丈 、囲. 門九重号易通 山は五幡 にし て白 雲あ り. 蕩 枝 L に つ い ては 、 こ こ では 『 潤 沢 な ら し む 。) と あ る 。 「 斉 民要 術』 巻十 、. 甜如蜜 、噛其汁、令 人潤沢. 山 五騎号白雲 江は千里 にし て青楓 あり. とど. 江千里今青楓. 何斯美之独遠 何ぞ斯 の美 の独り逮き 嵯爾命之 不逢 畦ミ爾 が命 の逢 はざ る 貴窮 に知ら るるを獲 ること牢なり. 毎被鎗 千凡 口 毎 に凡 口に鎗 せら れ 空獲知 子貴窮. . 江 浦 之 橘 、 墨書夢之 柚 。L ( ::. 果 の美 な る 者 、 ・ ::・ 江 浦 の橘 、 垂畜すの柚 。) と. に名 づけ て焦核子と 日ひ、次を春華と 日ひ、次 を胡傷 と日 ふ。此 の三種 を美 と為す 。 )とあ る のを踏まえ るであ ろう 。「 龍州」 は、龍編県とも言 い、柑橘 類 の豊富 な ベト ナム北部 の地。橘 に ついて 『 呂 氏春秋』本味 は、「 果之美者 、. 梨何幸乎張公 梨 は何 ぞ張公 に幸 せら る. 言う 。 こ の句 は、甘薦、嘉支 及び橘 の美質を借り て劉 四 の品徳を讃 えたも の. 柿何称乎梁侯 柿は何ぞ梁侯に称せられ 亦因地之 所遇 亦た地 の遇 ふ所 に因 る. であ る 。. 冒頭 にも 一部触 れたが、杜詩 におけ る最も早 い用例は、天宝九年 ( 七 五0)、. 執能弁乎其中哉 執 れか能く其 の中を弁 ぜん こ の賦 の序 は 、曹 杢 の詔 にも 言 及 し て い る が省 略 し た 。「 梁 侯 」と 「 張公」. 1 1.
(7) . . 秋 正 後 藤. 賦詩拾翠殿 詩を賦す拾翠殿. 帝幸腰山、楊貴妃生 日、命 小部張楽 長生 殿、因奏新 曲 、未有名、 楽志 には、「. 新 唐 書 』 巻 二十 二、 礼 こ で 、 楊 貴 妃 と 義 枝 の関 わ り に つ い て補 って お く 。 『. - 新 書 楊 貴 妃 伝 を い て いた が 、 こ 同 十 五 載 六 月 の こ と であ る 。 先 に 『 唐 』 引 お. 酒を佐 く望雲亭. 長安 での五言排律 「 贈 翰林張 四学士填」 に見え る。中間六句 を引く。 佐 酒望雲亭. 帝 会南方進嘉枝 、因名 日嘉枝香。 」(. 鷹山 に幸 す、楊貴妃 の生 日なり、小部. 紫話偽兼精 紫詩 優りて兼結し. 恩与嘉枝青. 内分金帯赤. 黄麻似六経. 恩与. 内 より金帯 の赤きを分ち. 黄麻 蕩枝青 し. 詳 註』は、宋 の杜修 可 の発言を引 いて、「 唐所貢 乃浩州嘉支 、 病橘」詩 の 『 り、「. 朝廷 に貢献 された蕩枝 がど このも のであ ったか に ついては、多 く の議論 があ. ) と いう記事 があ る。 南方 より藷枝 を進 む、 因り て名づ け て蓋枝 香と 日 ふ。. に命 じ て楽 を長生殿 に張 り、因り て新曲を奏 せしむ、未 だ名有 らざ るに、会 ≧. 張 填 が玄宗 から賜 ったも の。 張 項 は、 張説 の息子 で玄宗 の女婿。この鳶枝 は、. 由 子午道而往 、非南海也 。 唐 の貢す る所 は乃ち浩州 の嘉支 、子午道 に由 り 」(. 六経 に似たり. 「 海 録 砕 事 』 に よ れ ば 、 戎 州 で産 す る藷 詳 註 』 の弓 く 『 青 」 と いう の は 、 『. 長安 にもた らされ て いたし、礼楽 志 の記述 から し ても、南 海 のも のが長安 に. 運ば れ て いた可能性 はあ る。楊貴妃 が嘉枝を好 んだ ことは、諸書 に記録 があ 注 篇)。 唐国史補』 を引 く に止 めよう ( るが、李肇 『 楊貴妃 生千濁、好食藁枝 。南 海所生、尤勝易者 、故毎 歳 飛馳以進。然方. て往 く、南 海 に非ざ るなり。 )と言う 。 しか し、漢代 にす でに南 海 の嘉枝 が. 枝 は、果肉 が熟 し ても表皮 は緑 のままだと いう 。杜詩 に次 に鳶枝 が見 られ る のは、上元 二年 ( 七 六 一)、 成 都 の草 堂 で の作 と さ れ る 「病 橘 」 で あ る 。 後 半 十 二句 を引 こう。. 嘗聞蓬莱殿 嘗て聞く蓬莱殿 羅列瀦湘姿 羅列す漸湘 の姿 玉食失光輝. 此物歳 不稔. 冠盗. 玉食. 此 の物 尚 ほ懸陵 たり. 光輝 を失 ふと. を経 て敗 る、後 人 皆 な之を知 らず。. 勝 る者あり、故 に毎歳. 暑而熟、経宿則敗、後 人皆 不知之。. 冠盗尚懸陵. 君が減膳 の時 に当 た る. 歳 に稔 らざ れば. 当君減膳時. 汝が病 む は是れ天意. 四 さら に永泰 元年 ( 成都 から愛 州 へ下る途中 に立ち寄 った戎州 ( 七六 五)夏、 宴戎州揚使 君東楼」 にも 用例 があ る。戎 州は、漢 の 川省宜賓市) での五律 「 注 賎)。 健為郡 であり、濁 の嘉枝 の中心的な産地 のひと つであ った (. 飛馳 し て以 て進 む。然 る に暑き に方 り て熟 し、宿. あた. 楊貴妃 は街 に生ま れ、好 ん で鳶枝を食 ら ふ。南海 に生ず る所 、尤も 濁 に. 汝病是 天意. 南 海 の使 ひ ‐. 吾愁罪有 司 吾は愁 ふ有 司を罪 せ んことを 億 ふ昔. 勝絶 にし て身 の老 ゆるに驚き. 憶昔南海使. 勝 絶驚身老. 情忘 れ て興 の奇 な るを発す. 奔 騰献嘉枝 奔騰 し て蓋枝 を献 ず るを. 情忘 発興奇. 坐は従 ふ歌妓 の密な るに. 山谷 に死 し て. 百馬死山谷. 坐従歌妓密. 百馬. 致今春旧悲 今に致るも替旧悲しむ. 重碧. 楽任主人為 楽 は任 す主人 の為 さしむ るに 重碧 拍春酒. 軽紅 嘉枝を壁く. 「 憶昔南海使 、奔騰献蕩枝 、百馬死山谷」 の三句 は、先 に触 れた唐売 の上 書を踏 まえ て、楊貴妃 の在世時 に濁 の嘉枝 が長安 に運ば れた ことを言う 。楊. 軽紅壁蓋 枝. 春酒を粘り 氏 が貴妃 に冊立された のは天宝 四載 ( 七 四五)九月、馬兎 駅 で総死 した のは. . ←.
(8) . 「蕩枝」 札記. 楼高欲 秋留心 楼高く し て愁 恩せ んと欲 す るに 諸侯 迎上客 諸侯. 官郎を拝す. 上客を迎 へ. 孤舟 入桂 陽 孤舟 桂 陽 に入る. 初建木種芳. 雨露 を承 く るの速 やかなるを看 るは. 初鑑. 春服樟花 細 春服 種花 細 やか に. . 横笛未休吹 横笛 未だ吹くを休めず 小客拝官 郎 小客. 嘉枝を肴 に春 の新酒を酌 み交 わす のであ る。表 面的 には、こ の詩 の 「 蕩枝」 からは楊貴妃 の影 は感 じ取 れな い。黄庭 堅 の 「 属致平送緑藷枝為戎州第 一、. 看承 雨露速. 木種芳 し. 『 王公権蔦枝緑酒亦為戎州第 一」詩 ( 山谷詩集注』巻 一三) の、 試傾 一杯重碧色 試 みに傾 く 一杯重碧 の色. 快剥千穎軽紅肌 快く剥く千穎軽紅 の肌. 不特薦支香 慕支 の香 るを待 たず 「 連州」 は、広東省連 県。治所 は、桂 陽県 にあ った。末句 は、嘉 枝 の花 が. 重江 不可渉 重 江 展装す る莫 し. 渉 るべからず. 莫歎京華遠. 解酒嘉枝甘. 群邪犀角重. 歎ず る莫 かれ京華 の遠きを. 酒を解 く に嘉枝甘 し. 邪を群 く るに犀角重 く. ・ 1七 八 五 ?し. の句 は 、杜 甫 の こ の詩 を 踏 ま え て いる 。杜 詩 中 の嘉 枝 の語 は 、先 に引 いた 「解. 悶十 二首」以降 は見 られな い。 杜甫 と ほぼ同時代 の、大暦 五年 ( 七七 ○)の進士 であ る李端. 孤客莫 農装 孤客 渉城小 さく. 咲く前 に梅 雨が訪 れる ことを言う のであ ろう。大暦十年 ( 七七五) の進士と 注 街)王建 の 「 され る ( 白詩 歌 二首Lへ其 二〉 と 「 送厳大夫赴桂州」詩 にも 用例があ る。後者 の後半を引 いておく。. 高木渉 城小 高木 桟道長 し. の 「 送何兆 下第帰濁」詩も蕩枝 に言及す る。. 残星桟道長 残星. 安南更有南 安南 更 に南有り 「 桂州」 は、広西壮族自治区桂林市。蕩枝 が 二日酔 いに効 くと いう根拠 は. 之 を 食 ら へば 人 に益 有 り 。) と 述 べ る し、 ま た 、 『 本 草 綱 目 』 巻 三 十 一、 蓋 枝 の項 の 「 実」 の 「 主 治 」 は 、 「通 神 、 益 智 、 健 気 。 神 を 通 じ、 智 を 益 し、 」(. 不明だ が、宋 ・禁裏 撰 雰m 枝譜』第 四は、「 蕩枝、食之有益於人。 蕩枝 は、 L(. 楓子落 ち. 過雨 蔦枝香 る. 長猿楓子落 裏猿 過 雨蔦枝香 勧爾成都住 爾 に勧 む成都 の住 ひ 草堂有 り. 気 を健 やか にす。 )と い った効能 を挙 げ て いる。務枝 の存在 を述 べて、桂 州. 文翁. 「 文 翁」 は、前漢 の人。景帝 の末年 に濁郡 の守 となり、濁地 に蛮夷 の風が. 文翁有草堂. 残 るのを見 て、成都 に学官を起 こし て教育 し、京師 に学 ぶ者も多 くな ったと いう 。末聯 は、成都 は教育 の伝統 のあ る地 な ので、 いず れは科挙 に登第 す る. に旅立 つ 「 厳大夫」を激 励 して いる のであ る。鹿論 ( 七 四八?ー七九 八? の五律 「 送従男成都県 丞広帰濁」 は、従鼻 の鹿広 が成都 へ帰 る帰路 にあ る義 枝 を詠 みこんで いる。前半 四句 を引く。 褒谷通眠嶺 褒谷 眠 嶺 に通じ. こと を 言 って激 励 し て いる の であ ろう 。 こ の詩 は 、 のち に慮 論 の詩 に触 れ る. 時 にも述 べるが、濁 の地と嘉 枝 が密接 に結 び ついて いた ことを詠 ず る早 い例. 青冥此路 深 青冥. 野飯 藷 枝 の陰. 此 の路深 し. であ る。李端 に ついで蕩枝を詠 じた のは、杜甫 より やや のち の人 で、 天宝十. 野飯嘉枝陰. 晩程板療熱 晩程 淑療の熱 万里 南湘 に向 かひ. 三載 ( 七 五四) の進士 であ る韓 期 の五律 「 送李明府赴連州」 であ ろう か。 万里向 南湘. 3 1.
(9) . . 秋 正 後 藤. 「 板療熱」 は、花 叡 が咲く晩春と初夏 のころに捧気 が最もはなはだし いこ とを言う ぐ圧節)。濁 の地 が嘉 枝 を連想 させ、蕩枝 の花 咲く木 陰 で旅 の質 素. 縦 実豊肌不可忘. 近 ご ろ青 衣 の楚水 に連な る有り. 緯 実 豊 肌 忘 る べからず. 伝 聞象郡隔南 荒 伝 へ聞 く象郡 は南荒 を隔 つと. 八三 二) にも七 絶 「 憶蕩枝」 があ る。. な食事 をと ると いう句を生 んだ のであ る。庵論 にと って嘉枝と濁 の地 が密接. 近有青衣達楚水. 還た褒築 に類 た るを得 たり. 「 青 衣」 は、 象 郡 」 は 、 広 西 壮 族 自 治 区 の西 部 ; 爾。 「楚 水 」 は 、 長 江 。 「. 素築還得類褒築 素築. 七九三)、 に結 び ついて いた こと は、『 麿論詩集校注』 ぐ圧”)が、貞 元九年 ( 送張郎中還濁歌」 の第十 八 長安 近郊 での作と推定 し て いる、全 二十 六句 の 「 句 の用例からもう かがわれ る。 筒長く し て叡薙起 こり. 青衣江 。成都南方 の楽 山市 で大渡 河 に合流 し、さら に長江 の支 流 の帳 江 に注. 卵竹. 郡竹街長板蜂起. ぐ。蔭溝 は 一度 は南方 の藷枝を味 わ った こと があ った のだ ろう 。. 奇多 し、居易. 賓郡」 と改称 された。 蕩枝生巴峡 間、樹形団団如 曜蓋 。葉如桂 、冬青 。華如橘 、春栄。実如 丹、. 南 の親 友 に寄 せ 、各 ミ 其 の状 を 記 し て 日 く 、:::。)と あ る 。忠 州 は 一時 期 、「. 当 た るなり 。花木. 四川省忠 県) の刺史 に左遷 され て いた白 八 二0)夏 、忠 州 ( 元和 十 五年 ( 旧唐 書』 巻 百 注 瀕)を書 いた。 『 蔦 枝 図序」 ( 居易 ( 七 七 ニー八四九 ) は、 「 南賓郡当峡 路之 深険 処也 。花木多 奇、 居易在 郡、為木 六十 六 の本伝 には、 「 。 ( ー・ 蓮藷枝 図、寄朝 中親友、各 記其状 日、 ・ 」 南賓郡 は峡路 の深険 な る処 に 郡 に在 り、木蓮 ・蓋 枝図を為り て、朝 中. 務枝花発杜鵜鳴 蕩枝 花発きて杜鴎鳴く 義 子 丹号蕉 葉 黄、雑肴 韓愈 ( 七六 八 ー八 二四) の 「 柳州 羅池 廟碑 」も、 「 ) 蕨 今進侯堂。 嘉 子は丹く し て蕉 葉 は黄なり、肴疏を雑 へて侯 の堂 に進 む。 」( 八二 一)に建 と蕩枝 の実 に言 及す る。柳宗 元を肥 った羅池廟 は、長慶元年 ( 広西壮族自治区柳州市)東北 立 され、碑文 は同三年 に書 かれ て いる。柳州 ( 注 焔) の羅池 のほとり の廟 には蕩枝 が茂 って いた のであ ろう。王建と 同年齢 ( 成都曲」 は、成都 と嘉枝 の関連 を明示 し て の張籍 ( 七六 八 ー八三0?← の 「 いる。張籍 に成都訪 問 の経験 があ ったかどう かは不明 であ るが、彼 は杜甫 が 畑水緑 に. 注 嶋)。 成都 に寓 居 した ことを知 っており、杜甫 の詩集も読 ん で いた ( 近西. 夏熱 。染如蒲 萄、核 如枇杷 、殻如 紅槍 、膜如紫給、膨肉筆白如泳 雪、薬液. 錦江. 冬 も青 し。華 は橘 の如く、春 に栄 ゆ。実 は丹 の如 く、夏 に熟す 。采 は蒲萄. 蕩枝 は巴峡 の間 に生じ、樹形 は団 団とし て雑蓋 の如 し。葉 は桂 の如 く、. 三日而味変、 四五日外、色香味 尽去炎 。. 錦江近西畑水緑. 酒家多 し. 甘酸 如贈酪。大略如 此、其実過之 。若 離本枝 、 一日而色変 、 二日而香 変、. 万里 橋 辺. 新 雨山頭燕枝熟 新 雨 山頭 蕩枝熟 す 万里橋 辺多 酒家. お. 在唐 代 張 籍集注』 ( 黄山書社 、 一九 八九) は、 「 こ の詩 に ついて、李冬 生 『. にし て氷雪 の如く、築液 は甘酸 にし て醒酪 の如 し。大略 は此 の如きも、其. この. 海人. 見《過 四川成都 一帯傍産嘉枝。杜牧詩、 一騎紅塵妃子笑、無人知是蕩枝来。( 華清宮絶句》)相伝楊貴妃吃的鮮蕩枝、就是玄宗不情代価命人遠道従四川、. の実 は之 に過ぐ。若 し本枝を離 るれば、 一日 にし て色変 じ、 二日にし て香. 愛 んで誰 が家 に向 いてか宿す. 瀞人愛向誰家宿. 老学庵筆記』巻 五中説、成都 広東乗 駅馬兼程運送到長安 的。但是、陸滞在 『. り 変 じ 、 三 日 に し て味 変 じ 、 四 五 日 の外 、 色 ・香 り ・味. 「 贈酪 は、あ まざ け と こん 膨肉 は、う り わた。蓋枝 の果肉 を言う 。 「 」 」 注 溺)、 ず ( あ わ やも ちごめ で作 った酢)。白 居易 の描 写 は やや比輪的だ が (. 尽 く 去 る。. の如く、核 は枇杷 の如く、殻 は紅槍 の如く、膜 は紫給 の如く、藤肉 は坐白. 。 無山、亦無嘉枝 。他 認為 張籍 没有 去 過成都 。 」 と指 摘 し て いる 唐代 に成都 及び そ の近郊 で嘉枝 が栽培 され て いた こと は、 これま で見 てきたと こ ろから 七七 〇 1 注 幼)。張籍 と詩 の応 酬 があ ったと され る藷溝 ( も明 らか であ る (. 4 1.
(10) . 「蕊枝」 札記. こう。まず、元和十 一年 ( 八 一六) から元和十 三年 にかけ て の江州 ( 江 西省 九江市)司馬左遷中 の作 と される 「 歎魯 二首」 へ宜o 一 〉を引く。. の腐敗 し やすさも理解 しやす い。以 下、白居易 の詩 に現わ れ る蕩枝を見 て い. 嘉枝 の産地 におけ る記述だけ に詳細 であ る。また、藷枝 が摘 み取 られた のち. 粋液霊難駐. 又使 阻遍方. 己教生暑自. 天高苦紗荘. 物少尤珍重. 粋液. 霊な ること駐 め難く. 又た逗方 に阻ましむ. 己 に暑月 に生 ぜしめ. 天高 くし て苦だ紗荘 たり. 物少 れ にし て尤も珍重 せられ. 胡為 る者 ぞ. 轍らか にし て傷 つき易 し. 展禽. 餅姿. 展禽 胡為者. 餅姿敷易傷 向 北道途 長. 王賦 に充 つるを得ざ るも. 北 に向 かひ て道途長 し. 直道寛 三郷 直道 にし て寛 に三たび瓢けらる 有如草木分 草木 の分 の如き有 り て. 不得充王賦. 近南光景熱 南 に近く し て光景熱 く 天各 与其 一 天 各 ミ其 の 一を与 ふ. 牡丹無甘実 牡丹に甘実無し. 蕩枝非名花. 面白 似播 郎. 唯君堪郷贈. 面 の白き こと藩郎 に似 たれば. 唯だ君 は榔ち贈 るに堪 ふ. 無由寄帝 郷 帝郷 に寄 す るに由無 し. 蕩枝 は名花 に非ず. 一篇は、魯 の季桓 、陽貨、展禽 、顔 淵ら の遇 不遇 が異な ることを述 べて、. 「王 賦 は 、 王 逸 の 「 蕩 支 賦 L。 最 後 の 二句 は 、 いわ ゆ る 「郷 果 播 郎 」 の 」. 郷路音信断 郷路 音信断え. 命 に安 んず べきを言う。嘉枝 には美 し い花 はなく、牡 丹 には甘 い果実 がな い と いう のは、完壁な存 在 がな いこと の比嚇。 「 題 郡中嘉枝詩 十 八韻兼 寄万州 楊 八使君」 は、元和 十 四年 ( 八 一九) の作 であ る。 「 万州楊 八使 君L は 、 万 四川省万県市)刺史 であ った楊帰厚 。白居易 は こ の詩 で初め て蕩枝を味 州 (. 山城 日月遅 山城. 芳林 春 に漠漠 たり. 北堂 に対 ふ. 寄蕩枝与楊使君、時聞楊使君欲種植、故有落句之戯」は、再び楊帰厚に蓋枝. 蕩枝を摘 み取 るたび に、長安 から の距離を感 じたも のであ ろう 。七律 「 重. 階前摘嘉枝. 欲知州近遠. 階前. 州 の近遠 を知ら んと欲 し て. 日月遅 し. 四年 、忠州左 遷中 の作 であ る。. 故事 を踏まえ て、楊帰厚 を藩岳 に除え て いる。 五絶 「 郡中」 も同 じく元和十. わ った こと を 言 う 。. 芳林対北堂 素華. 夏 に煙遵 たり. 奇 果標南 土 奇果 南土 に標 たり 素華春漠漠 丹実. 嘉枝 を摘む. 丹実夏煤煙. を贈 ったとき の作 であ る。万州 は、忠州 から長江を八十 キ ロメート ルば かり 今朝 始摘嘗. 早歳曾聞説. 噌 む に天上 の味 かと疑 ひ. 今朝. 早歳. 始 め て摘 み て嘗 む. 曾 て聞説き しも. 聞道 万州方欲種. 紅透青龍実 可憐 紅 は青龍 に透 し て実 に憐 れむ べし. 香連緑葉真堪 画 香 り は緑葉 に連 なり て真 に画く に堪 へ. 下 った と こ ろ にあ る 。 後 半 の四句 を 引 こう 。. 塙疑 天上味. 喚 ぐ に世間 の香り に異 る. 聞道 らく万州 方 に種 ゑんと欲 すと. 喚異世間香. 愁 ふ君. 喫す るを得 ること是 れ何 れ の年 ぞ. 愁君得喫是何年. 5 1.
(11) . . 秋 正 後 藤. 十年. 最漸恩未報. 傍驚数食珍. 巳濯 長 戸禄. 皮笑嘉枝搬. 肉 嫌鹿橘厚. 最も漸づ恩未だ報 いざ る に. 傍 ほ驚く数食 の珍. 己 に握 る長 戸 の禄. 皮 は藷 枝 の搬あ るを笑 ふ. 肉 は鹿橘 の厚 きを嫌 ひ. 万州 には良 い嘉 枝 がなか ったため に忠州 の苗 木を贈 った のであ る。さら に、. 十年結 子知誰在 自 ら中庭 に向 いて蓋 枝を種う. 不才 の身 を飽離 せしむ るを. 誠 に愛す べし. 紅穎 の真珠. 紅穎真珠 誠可愛 亦た何 ぞ凝 かな る お. 子を結 ぶ知 る誰か在 る. 白撰太守亦何凝 白 擬 の太守. 種嘉枝」 は、 同年、忠 州 の官舎 の庭 に蕩枝を植え た ことを詠 ず る。 七絶 「. 目向 中庭種燕枝. 飽 倭不才身. 蕩 枝 の果 皮 に し わ が よ って いる のは 、 桜 桃 の果 皮 の つや つや し て いる の に. 嘉枝 は、十年 で結実す ると され て いたらし い。ただし、白居易 は こ の蕩枝 が実 る のを見ず に、 翌元和十 五年夏、長安 へ召還 され、尚書司門員外 郎 に除. す るが、蕩枝 は左遷中 の憂愁を慰 めるも のであ っても 、 そ の存在を他 の果実. 及ば な いと いう のであ る。白 居易 の蕊枝 の用例を見 て、まず気 が つく のは楊. 枝楼対 酒」も 元和十 五年夏、忠州 での離任直前 の作 。 せられ て いる。七絶 好加 楼閣」 の条 に、 唐 の忠州) の 「 方輿勝覧 巻 六十 一、威淳府 ( 多加 枝楼 は、『 』 」 「 義 支楼 、城 の西南 隅 蕩支楼 、在 城西南 隅、白公置。公有蕩支楼対酒詩 。 」(. と比較 し て絶対視 し て いるわけ ではな い。桜桃を味 わえば 、蕩枝 は これと比. 嘉枝新熟 難冠色 焼 酒 初 め て開く現璃 の香 り. 薦枝. え よ う 。注漆)。. べて欠点 はあ ると言う 。白 居易 は義枝を捉われ のな い目 で見 つめ て いると言. 貴妃 の故事 が全 く投影 され て いな い点 であ る。忠 州在 任中 の詩 に用例 が集中. )とあ る。 に在り、白公置く 。公 に義支楼 に て酒 に対 ふ詩有 り。 焼 酒初開琉璃香. 一枝 を摘 ま んと欲 し て 一蓋 を傾く. 新 た に熟す 難冠 の色. 欲摘 一枝傾 一蓋. 西楼 客無く誰と共 にか嘗 め ん. かたじけな. 賜 はる こと 優 に 明 くす. しきり. 務枝来 た る こと遠 き よりす 鹿橘賜価 明 麗橘. 藷枝来自遠. 一句と 三十 二句 にも嘉枝 が見え る。. 述夢詩 四十韻」 の第 三十 注 触)、 「 省鎮江市)刺史 ・漸 西観察使在任 中 の作 (. 江蘇 八二五)末、潤州 ( 李徳格 ( 七八七ー八四九)の、敬宗の宝暦元年 (. 西楼無客 共誰嘗. 「 与 難 冠 」は 、 にわ と り のと さ か 。蒸 枝 を 肴 に独 酌 す る の であ る。 つ い で 「. 沈楊 二舎 人閣老 、同食勅賜桜桃 、翫物感 恩、因成十 四韻」の例 があ る。沈 は、 八 二 二)、 長安 で中書舎 人 の任 にあ った 沈伝 師、楊 は、楊 嗣復 。長慶 二年 (. 如珠未 穿孔. 紅桜降紫 農. 清暁趨 丹禁. 火 の人を焼 かざ るが似 し. 珠 の未だ孔 を穿たざ るが如く. 紅桜. 清暁. 紫度 に降 る. 丹禁 に趨き. 長安廻望繍成堆. 学士とし て長安 にあ った穆宗 の初年 △尤和 一五年 、八 二○)を 言う のであ ろう。 過華 清絶 八○三 ー八五二) の 「 晩唐 に至 ると用例 は 一層増加 す る。杜牧 (. 目後. 白 居易は桜桃を 下賜 された。. 似火 不焼人. 杏 は俗 にし て対為り難く. 山頂千 門次第 開 山頂. 先朝 初臨 御、南 方曾献 蕩枝 。亦 蒙頒 賜。目後 以道 遠 こ の句 の自注 には、 「 先朝 初 め て臨御 し、南方 曾 て蔦枝 を献 ず。亦 た頒賜を蒙 る。 罷献也。 」( 先朝初臨御」 と は、彼 が翰林 )とあ る。 「 道遠 きを以 て献を罷むなり。. 杏俗難為対. 桃 は頑 にし て謎 ぞ倫とす べき. 千 門 次第 に開く. 句 三首 へ其 一〉 は、楊貴妃 が蓋枝を好 んだ ことを詠 ず る。 」 長安 廻望す れば繍 堆を成 し 桃 頑諌可倫.
(12) . 「蕩枝」 札記. 一騎紅塵妃子笑 一騎. 紅塵 妃 子笑 ふ. 無人知是嘉枝来 人 の是れ嘉枝 の来 るを知 る無 し 八 五二)、中書舎 人在任時 の作 、「 また、大 中六年 ( 華清宮 三十韻」 は、楊 貴妃 の死後 、蕩枝を盛 ったは こが、うち棄 てられ て いることを詠 ず る。. 喧呼馬鬼血 喧呼す馬兎の血. 注 万)は、濁 の地 から蒸枝 と崖橋 が九成宮 に献 上 されたことを詠 じ、 成宮」 (. 甘泉晩 景上丹梯. 呉岳 暁光連 翠峨. 甘泉 の晩景. 呉岳 の暁光. 恩幸活 ひ. 丹梯 に上 る. 翠峨 に連なり. 盛唐 の往 時を懐古す る。後半 四句 を引く。. 蕩枝 魔橋活恩幸 蕩枝 ・塵橘. 片段嘉枝僅. 塵挨掲鼓索. 鳥 啄 寒木を捲き. 片段. 塵族 務枝 の僅. 掲鼓 の索. 療 雨欲来楓樹黒 療 雨来 ら んと欲 し て楓樹 黒 く. 零落羽林槍 零落す羽林 の槍. 鳥 啄推寒木 蝿挺 画梁 を議 す. 火雲初起務枝紅 火雲初 め て起 こり て羨枝紅 なり 「 火雲」は、夏 の雲。暗雲 の中 に、嘉枝 の実 の紅 が鮮明 であ る。次 に蔭能 ( 八. 驚鵠 天書湿紫 泥 鴛鵠 天書 紫泥湿 ふ 「 蕩枝麿橋」 は、先 に見 た司馬相如 「 上林賦」 を踏まえ る。大和 六年 ( 八 三二) の進士、許運 ( 七九 一ー八五八?し の七律 「 送杜秀才帰桂 林 」 は、 そ. 蝿誕議画梁 孤煙. 白尚書 曾 て是 の作有り、皿盆日 卑 泥 にし て詩無き と同じ、予. 遂 に之が. 杜 工部老 いて両濁 に居り、是 の詩 を賦 せず、豊 に意有 り て及ばざ ら んや、. 泥与無詩 同、予遂為之題、不惚 不負将来作者 、以其務枝首 唱、 愚其庶幾。. 歴任 、広明 元年、許州 ( 河南省許昌市 ) の節度使 であ ったとき に大 将 の周笈 のため に追放される。まず、序を有す る 雰加 枝詩」を弓 こう 。 杜 工部老居両濁、不賦是詩 、党有意而不及歎、白 尚書曾有是作 、興旨卑. 通 五年 ( 八六四)、 剣南西川節度副使と なり、 節度使 の李福 に従 って成都 に至 っ た。 そ の後 、嘉州 ( 四川省楽山市)刺史、給事 中、京 兆 ヂ、工部尚書 などを. の頭聯 で桂林 の地名 から嘉枝 を連想す る。. 孤煙知客恨. 一七 ー八八 二?。注 繋) の詩を見 よう 。彼 は会昌 六年 ( 八四六) の進士、威. 客恨 を知 り. 遥起泰陵傍 遥かに起 っ泰陵の傍 「 泰陵」 は、狭西省蒲 城県 の東 北 にあ る玄宗 の陵墓 。杜牧 にと って、藷枝 の存在、または蕩枝 が楊貴妃 に届 けられた ことは、天宝年 間 の太平と栄華 を 象徴す るも のであ った。適蝦 の 「 注 駈) は、杜牧 のこ の 華清宮 和杜舎 人」 ( 詩 に和 したも のであり、次 の句 があ る。 たの. 幾添鶏鵡勧 幾たびか添ふ鶏鵡 の勧しみ あぢ. 先賜嘉枝嘗 先に賜ふ藷枝の嘗はひ 八四四)の進士 であ る張鈷 の四絶 「 また、杜牧 の友 人 で、会昌 四年 ( 馬兎披」 にも用例 があ る。. 為 に題 し、将来 の作者 の其 の務枝 の首唱た るを以 てす るに悦ぢず負 かざ ら んと す 、 愚. 族旗不整奈君何 雄旗整はず君を奈何せん 南去 人稀北去多. 穎如松子色如 桜. 時新 入座久聞名. 時 に新 た に座 に入 る 久 しく名を聞く. 穎は松 子 の如 く色 は桜 の如 し. 其 れ 庶 幾 ふ。. 塵土己残香粉艶 塵土己に残なふ香粉 の艶. 未識嵯陀欲半 生 未だ識 らず し て腰舵 半生なら んと欲す. 人稀 に北去多 し. 斎枝猶到馬兎披 蕩枝猶ほ到る馬鬼波. 歳秒 監州曾見樹 歳秒 州を監 し て曾 て樹を見 たり. 南去. 楊貴妃 の死後も彼女 の好物だ った務枝 が運送されたと いう記述 が、彼女 の 死 の悲劇性を強調 し て いる ( 注 %)。李商隠 ( 八 一三 ー八 五八) の七律 「 九. 7十 . 上.
(13) . . 秋 正 後 藤. す でに見 た よう に、杜甫 には嘉枝 を詩題と した作品 はな いが、 しば しば蕩. であ ろう 。. 我拝師 門更南去. 騒雅全休道甚孤. 枝 に言及 し て いた。蔭能 の自信過剰な発言 のよう に、嘉枝 を詠 じた白居易 の 注 窓 、 ま し て、 彼 の こ の 卑 泥 」 であ る と は 言 え な いし ( 詩 の 「興 旨 」 が 「. 我れ師 門を拝 し て更 に南 に去 かんとす. 乱離 未 だ定まらず し て身 倶 に老 い 乱離未{ 定身倶老 . 騒雅 全 て休 みて道 甚 だ孤なり. 蕩枝楼」 でも蕩枝を詠 作品を 「 首唱」 とす ること は でき な い。彼 は、五律 「 茶興復詩心 一甑 甘藷冷 ややか に. 還た 一吟. 茶興と復 た詩心 と. 社宇巣低起 腹風 杜宇. 夜郎 城近含香 療. 腸は断え て論 ・漉 霜寂薄 な し. 。 圧抑) Q. 一鴎 還 一吟 墜春. 腸断檎漉霜霧薄. じ て いる が 、 こ こ で は 、 五律 雌 田題 L の前 半 四句 を 挙 げ てお こう. 墜春甘 藷冷 喧 雨 藷枝 深 し. 葉を し て瀦陵 の紅 に似 せしめず. 嘉枝春熟向 論漉 蕩枝 春 に熟 し て論 ・漣 に向 か ふ 七律 「 嘉枝樹 は、漣州 の柳 班を訪 問 した時 の作 であ る。後半 を引 く。 」 夜郎 城近くし て香療を含 み. 喧 雨蔦枝深. 不教葉似瀦陵紅. にかけ て、巴濁、荊楚、呉越を流浪 し て いる。 この間、広 明元年十 二月 には. 八九ニー八九三) 八八○ ー八八 一)から景福年間 ( を詠ず る。彼 は、広明年 間 (. の で、 か え って紅 葉 が 始 ま って いる であ ろう 長 安 が 思 い出 さ れ てな ら な い の. た嘉枝 を実際 に目 にす ると、南方 の樹木だ けあ って秋 にな っても紅葉 しな い. 「 瀦陵」 は、前漢 の文帝 の陵墓。長安 を指 す。都 でそ の絵画だけは見 て い. 巣低く し て腹風起 こる. 八五 一? ー九 一0?) も しばしば蕩枝 八八七)の進士、鄭谷 ( 光啓三年 (. 黄巣 の軍が長安 を占拠 し、脱出 した僧 宗 は、翌年 正月、成都 に着 いた。霧中 注 汎) 七 律 「 蕩 枝 」 は 、 次 のよ う な 作 品 であ る 。. 羅山遇貴妃. 平昔誰 相愛. 征げ て生 じ て遠 き に処 らしむ. 鷹山 貴妃 に遇 ふ. 平昔. 詠徹海業春 詠は徹す海業 の春. 吟残務枝 雨 吟 は残 す蓋枝 の雨. 滞在中 の作と され る. 狂教生処遠. 愁 へ見 て摘 み来 る こと稀なり. 李白欺前輩 李白は前輩を欺き. 読故許昌酵尚書詩集」詩 は、藤能 が蕩枝 を詠 であ る。 さら に、全 二十句 の 「 じた詩 に触 れ て次 のよう に言う 。鄭谷は これ より以前 にも、京 兆 筆 であ った. 愁見摘来稀. 晩 には奪 ふ紅霞 の色. 陶潜仰後塵 陶潜は後塵を仰ぐ. 誰 か相 ひ愛す. 晩奪紅霞色. 晴 には欺 く療 日 の威. 南 八 三0 ?ー?← の七律 、 「 九○ -) に進士 に登第 した曹 松 ( で光化四年 (. 自 負心 過剰 な酵 能 にも良 き 理解者 が存 在 した のであ る Q圧鎚)。七十余歳. あま. 献大京兆藤常侍能」詩を贈 って いる。 藷能 に 「. 晴欺薄 日威 南荒. 何 の恋 ふる所 ぞ. 南荒何所恋. 為爾 即忘帰 爾 が為 に即ち帰 るを忘 る. 将之漉郡、旅次 遂州、遇斐 陪員外 調居於此、 へ向 か おう と した時 の七律 、 「. 四川省漉州市) 八九 三) の初夏 に櫨 州 ( 忘 れる のであ る。ま た、景福 二年 (. 乱結 羅紋照襟袖. 別れ て壌露を含 みて咽喉 に爽 やかなり. 乱 れ て羅紋を結び て襟袖 に照り. 南国名園尽興遊 南国の名園 尽く興遊す. 嘉 枝時 節出族 族 蕩枝 の時節. 嘉枝 に楊貴妃 の姿を重 ねな がらも、蕩枝 の美 しさ のため に長安 に帰 る のを. 遂州」 は、 四川省 話旧凄涼 、 因寄 二首」 へ其 二〉 の末聯 にも 用例 があ る。 「. 別含壌露爽 咽喉. 注 溺) の庭園 で見 た蕩枝を詠 ず る。 海陪 鄭司空遊蕩 園 は、南 海 ( 」 旋旋出 で. 遂 寧 県 。 当 時 、 易 中 が 混 乱 し て いた の で 、 浩 江 沿 い の コー スを た ど った も の. Q O .
(14) . 「蕩枝」 札記. 葉中新火欺寒食. 葉中 の新 火 寒食 を欺き 他 日 霧 と為 るも将 て去ら んとせず. 樹上丹砂勝錦州 樹上の丹砂 錦州に勝る 他 日為森不将去 也須 図画取風流 也 た須く図画 し て風流を取 る べし 新 火 」 と 「丹 砂 」 に 嚇 え る のは 、新 鮮 な 発 想 であ る 。 「 錦州」 蕩 枝 の実 を 「. は、通常 は湖南省麻 陽苗族自治県を指す が、 ここでは錦 城と称 され る成都 を. も嘉枝 に職え る。頭聯 は、梅 が実 ったあと蜜柑 が実 るま では慕枝 の独檀場 で 越王」は、前漢初期 に南尊 王 に封 じられた適俺 。〈其 二〉 あ ることを言う。「 の 牙加 枝先」は、蔦枝 が龍眼 に先 んじ て実 ることを言う 。「 錦 里」は、成都 。 成都 曲」を踏 まえ て、成都 の酒家 で嘉枝 が供 され て いた こ 一句 は、張籍 の 「 薬宮」 は、 天宮 。蒸枝 の深紅色 を 「 とを 言う のであ ろう か。 「 腿 腿 血」 に嚇. 注 栃)。 え る のは、唐末 の混乱期 に凄 惨 な事態 があ った ことを想 像 さ せ る ( 最後 に、韓優 ( 八四ニー九 二三) の七絶 の連作 「 蕩枝三首」を見 てお こう。 この詩 、原注 によ って、唐朝 の滅亡 す る前年 の、哀帝 の天祐 三年 ( 九 〇六)秋、. 八九 二。 言う のであ ろう 。晩唐 の諸家 で蕩枝を詠ず る例 は多 い。大 順 三年 ( 注 糾)の進士 であ る徐寅 の 「 嘉枝 二首」を弓 こう 。彼 は黄 田 ( 福建省 黄 田県). 一族を挙げ て王審知を頼 り、福 州 ( 福建省) に来 て いた時 の作 であ ること が. 日光 に蒙 らか に. 知 ら れ る。. 。 注妬) の人 であ るから、蕩枝 は親 し い存在 であ った ろう Q 星丸. 許 さず珍奇を貢す るを. 朱弾星丸薬 日光 朱 弾. 逼 方不許貢珍奇. 唯だ藷枝を進 めしむ. 遠方. 緑褒枝散小香嚢 緑壌 枝に散ず小香嚢. 密詔唯教進蒸枝 密 詔. 争 でか比 し得 ん. 龍粕殻綻紅紋粟 龍給 殻は綻ぶ紅紋 の粟. 漢武碧桃争比得 漢武 の碧 桃. 魚 目 珠は潤す白腹 の築. 魚目珠滴白膜葉. 柱令 方朔号愉児. 開き て玉龍. 難冠湿 ひ. 封開玉龍 難冠湿 封. 槻き て金盤 鶴 頂鮮 やかなり. つ. 葉械金盤鶴頂鮮 葉. 狂げ て方朔を し て倫児と号 せしむ. 梅熟 己過南嶺 雨 梅 二熟 し て巳 に過ぐ南嶺 の雨 橋酸空待洞庭霜 橘 酸 にし て空 しく待 つ洞庭 の霜 蛮山. 暁を踏 ん で煙 に和 し て摘む. 蜜山踏暁和煙摘. 金盤を拝捧 し て越王を奉 ぜ ん. 想 ひ得 たり佳人 微 か に歯 を啓き. 拝捧金盤奉越王. 想得佳 人微啓歯. 翠叙. 霊鵜. 啄ば み破り て痩津滴 り. 異香有 り. 応是仙人金掌露 応に是れ仙人金掌 の露の. 天然. 先ず 一双を取り て懸 く るを. 翠叙先 取 一双懸. 巧 みに霞片 を裁ち て神業を裏 み. 日日 薫風 薄煙 を巻き. 巧裁霞片裏神業. 崖蜜. 日日薫風巻療煙. 霊鵜 啄破褒津滴. 崖蜜 天然有異香. 南国珍果蕩枝先 南国の珍果 藷枝先なり 宝器盛来蜂腹 円 宝器 盛 り来り て蜂腹円 し 錦里只聞鎗酔客. 錦 里 只だ聞く酔客 に鎗 るを. 薬宮惟合贈神 仙 薬宮 惟 だ合 に神仙 に贈 る べし. 結成泳 入祷羅嚢 結 び て泳と成り て椿 羅 の嚢 に入るな るべし 「 碧桃」は、西王母 が漢 の武帝 に与えたと いう長寿 にな る桃。 東方朔 は、. 何人刺 出渥握 血 何人か刺 し出す腫腿 たろ血 ‐ 深染羅紋遍殻 鮮 深く羅紋を染 め殻 に遍くし て 鮮 し. を 盗 ま せ た と解 し た の であ ろう 。 嘉 枝 の実 を 「難 冠 」 に廠 え る の は 、 白 居 易. こ の桃 を 三たび盗 ん で食 べたと いう 。注訂)。韓 優 は、武帝 が東 方 朔 に嘉枝. ・ つつく 、. 〈其 -〉 の 「朱 弾 」 「星 丸 」 「緑 班 L 「小 香 嚢 」 「龍 絹 」 「魚 目 」 は 、 いず れ. 9 1.
(15) . . 秋 正 後 藤. 亦 た 求 め易 し) と. 充 発 秦 州 」 詩 に、 「 の詩 に見 え た 。 「 崖 蜜 」 は 、 蜂 が が け に貯 え た 蜜 。 杜 甫 「 腸多 薯嶺 、崖 蜜 亦 易求 」 ( 腸 に 充 つる に 薯 叢 多 く 、 崖 蜜. あ る。 この詩 は蕩枝 の姿 を仙界 と結 び つけ て描写 し て いる。 蕩枝 は、少 なくとも初唐 にお いては六朝期と同様 、 一部 の人士 にのみ知 ら れた存在 であ った。張九齢 の賦はそ のことを示 し て いる。楊貴妃 の死と嘉枝 を結び つけ て詠 じた のは、杜甫 が最初 であ ろう 。彼 にと って嘉枝 は、長安 の 七五九)冬 、成 朝廷 に仕え た体験 の象徴 でも あ った。そ の杜甫も乾 元 二年 ( 都 に着 いて以降、務 枝を身近 に見 ること にな る。また、藷枝 に旅愁を慰 めら れ ることもあ った。 つまり、杜 詩 におけ る藷枝 は、第 一には唐王朝 絶頂期 の 象徴 であり、安史 の乱 ( 楊貴妃 の死)を契機と し て暗転 した唐王朝 の命 運 の 象徴 でもあ った。第 二には放浪 中 に目にした珍奇 な果実を代表 す るも のであ 三吏 三別」 の作者 であ る彼 は、嘉 枝 の運搬 には多大 の人的 損 る。 ただ し、 「 害 がとも な った ことを忘 れ ては いな い。白 居易 の蕩 枝 には全 く楊貴妃 の投影 がなか ったが、左 遷された忠 州 での無柳を癒すも のと し てあ ったと考え られ る。杜牧 や張砧、 そ し て李商 隠 にお いては、嘉枝 は過去 の唐 王朝 の繁 栄 ぶり を懐古 させるも のと し て存在 した。晩唐 の諸詩人 が蕩枝を華 麗な表 現 に託 し て詠 じた のも、節度使 の割拠 や黄巣 の乱など によ って余 儀なく南方 に逃 れた こと が背景とな って いる。杜甫 以後 の詩人 におけ る嘉枝 のイ メージ は、杜詩 におけ る第 一と第 二 の側面を な んらか の形 で継承 し て いると言え よう 。. 『 史記』巻 一一七、司馬相如列伝 によ っ 蕩枝」を 「 離支」に作 る。引用 は、『 文選』巻 八は、「. いる 。. 1 務枝 は、離支、務 支 などとも書 かれ る。引用は原文 に随う が、文 中 にお いては、嘉枝 を用 2. た。. 南方草木状』巻 下 の、 「 蕩枝樹、高 五六丈余 、如桂樹 、 3 この 『 広異志』 の文 は、晋 ・稿 含 『. 0 緑葉蓬蓬、久夏 栄茂、青華朱実、実大如難子、核黄里似 熱蓮、実白如肪、甘而多汁、似安石棺。 」 2 、 、冬 、青 、桂 、緑 、高 して し、 冬夏 に栄 栄茂 青華 朱実 実あ あり 緑葉 とし 華朱 り、 六 葉 蓬 蓬蓬 蓬と て、 夏に 茂し 高さ 六丈 の如 霧 さ五 五. ・ 丈余 余、 ( 務枝 枝樹 樹、 桂樹 樹の 如く く、. 実 は大 な る こと難 子 の如 く、核 は黄黒 にし て熱蓮 に似、実 は白 く し て肪 の如 し、甘く し て汁. 後漢書』和帝紀 の注 に引く 『 広州記』 多 く、安 石棺 に似 たり。 )を踏まえ ると思われ る。ま た、『 広志』 とも重 な る部分 があ る。 と 『 斉 民要術』巻 一○、 『 芸文類衆』巻 八七 に引 かれ る 『 蕩 支 は漢代 す でに長安 中 国文学歳時記 夏』 (一九 八九 、同朋舎) の 好加支」 の項 に、 「 4 『 に たら され て、上 苑 に移植 された こと があ ったが、寒気 に弱く、百株 のす べてが枯 れ、 も 林 。 守吏数 十人が謙 に坐 した。 」 と いう指摘 があ る 執筆者 の衣川賢次氏 に出典 に っいて問 い合 せ 三輔黄 図』巻 三、甘泉宮、扶蕩宮 の条 には、 たと ころ、『 三輔黄図』によると の御教示を得 た。『. 以下のようにある。「 扶務宮在上林苑中。漢武帝元鼎六年破南越、起扶鷺宮、以植所得奇草異 木ー 1。龍服務枝椴榔徽檀千歳子柑橘皆百余本。土本南北異宜、歳時多枯痔。目交靴移植百 株千庭、慾二 生者。連年猶移植不息、後数歳、偶 一株梢茂、無華実。帝亦珍惜之、 一日萎 死。 前 : -) 守吏坐詳者数十人、遂不複蒔突。 扶蕩宮は上林苑中に在り。漢の武帝 の元鼎六年 ( 」(. 数歳、偶 ミ 一株梢 ミ. 龍眼 ・嘉枝 ・複 榔 ・轍機 ・ 南越を破 り、 扶蕩宮を起 こし、 以 て得 し所 の奇草 ・異木 を植う ー :。 千歳 子 ・柑 橘 は皆 な百余本。土 本 と南 北宜 しき を異 にす れば、歳時多 く枯療す。交恥 より. 百株を庭 に移植す るも、一の生く る者無 し。連年 猶 ほ移植 し て息 まず、後. にし て萎死す。守吏 課 に坐す る者数十人、 茂 るも、華実無 し。帝 亦 た之を珍惜す るも、 一日一 薙録』巻 一○、蕩支 の条 にも見え て いる。 遂 に複 た蒔 かず。)また、ほぼ同様 の文章 が、程大昌 『 九 二) 六月 のこと であ る。 5 資憲 が謀殺 された のは、永元 四年 ( , 「 鳶枝 賦」 は、 逮宏文類 衆』巻 八七、蕩 支 の項 に引 かれ るも のを最長と し て、 塾云文類衆』 6. 文 選』 太平御覧』巻九七 一など に計 六条、そ のほか 『 に計 三条、 『 初学記』巻 二○、巻 二八、『 李善注 など に断篇が収載 され る。 ここでは、 凄云文類衆』を底本とし て校勘 した、費 振剛等輯 校 『 全漢賦 ( 北京大学出版社、 一九九三) から主 要部分を抜粋 した。 』 楊枝 の運搬 鳶枝」 の条 に、ー 研文 出版、 一九 八三)第 五章嶺南 の 「 7 植木久行 『 唐詩 の風土』 ( 方法 に っいて、「 薦枝 を根 や土 を っけたまま掘りと って、珠江を湖り、湘水 ・漢水 を通 って湖. 北省北部 に到着 す る。あと は早馬を走 らせ る のであ る。霧枝 は道中 で次第 に成熟 し、長安近 。 『 嶺南新話』参 昭じ。 く にな るころ、 ほど よく熟 れ る、と言う わけ であ った ( 」 と述 べて いる 漢代 でも事 情 は変 わらな いだ ろう。王逸 は南郡宜 城 ( 湖 北省宜城県) の人 であ るから、洛 陽 に出 る以前 に薦枝 を目 にし て いた のであ ろう。. 今 人主 不思神芝 太平御覧』巻 九七 一は、前半を 「 8 『 芸文類衆』巻 八七、枇杷 の項 による。 『 朱草L に作 る。 西園 に作 る。 芸文 衆 巻 八七 は、 「 西国 を 「 類 9 『 』 」 」 0 醜文 不屑耳食 王逸之言、親 管 錐編』 第 三冊 ( 中華書局、 一九 九 四)、七 一則 は、 「 1 銭鍾 書 『 嘗此果而郡薄之、畳口之於味、初無同噌耶?抑南北選阻、又無紅慶 一騎之飛選、所 〃 喰 ″者 六甲山房記』( 岩波書店、 早巳 一日変香、二日変色、三日変味也 りこと指摘す る。ま た、陳舜臣 『.
(16) . 「蕩枝」 札記. 一九 八七)所載 の 「 街路樹 の蕩枝」参 照。 1 前掲 『 能改斎漫録 巻七、「 唐詩 の風土 は、呉曾 『 藷枝楊梅鹿橘」 の条 に見え る蕗恵開 ( 四 』 1 』 一三 ー四七 一。本伝 は 『 宋書』巻 八七)の語、「 南方之珍、惟務枝莫 。其味 絶美 。楊梅、直橘 、 目 可投諸藩潤。」 ( 南方 の珍 は、惟だ藷枝 のみ。其 の味 は絶だ美 なり。楊梅、鹿橘 は、自 ら諸 を藩潤 に投ず べし。)を引 いて いる。燕恵開は益州刺史 にな って いる ので、濁 の蕩枝 に ついて. 画く べし。) と言う。ま た、察嚢 昇加 枝譜 第 一は、 「 張九齢 賦之 以託意 、白 居易刺 忠州 、既 』 形於詩文 図而序之、難磐髭顔色、而甘滋之勝莫能著也。 張九齢 之を賦 し て以 て意を託 し、 」( 白 居易 忠 州 に刺 たり て、既 に詩文 図 に形 し て之 に序す、顔色を磐鷺す ると難 も 、甘滋 の勝. 山 又生長有蒸枝、説明現代気候錐比唐代冷、但比南宋要温暖 。 」 と いう指摘 があ る こと からも 明らか であ る。 1 以下、朱金城 『 白 居易集菱校』 ( 上海古籍出版社、 一九 八八) による。 2 2 『 白 居易集釜校』の箸 に引く楊慎 尋云 林伐林』に、「 白楽 天蕊枝 図譜序 日:::此文 可歌、可詠 、 2 可図、可画 ( 白 楽 天 の蕩 枝図譜 の序 に日く i :此 の文 は歌 ふ べく、詠 ず べく、 図く べく、. 駅を馳 せ て以 て進む。然. 5 徐寅 の 「 郊村独遊 「 鵬 鵜 詩も 野鳥 が藷枝を啄ばむ のを詠 じ て い 。 る 3 L 」 6 福 建特産風味指 南』 ( 福 建科学技術出版社 、 一九 八五) の 「 藷支L の項 は、 『 苗 田県志』 3 『. 春秋』 巻七 五が、 「 登唐乾 寧進士第 。 」 に作 る ことを指摘 し て いる。昭宗 の乾寧 年 間 は、 八九 四年正月 から八九 八年七月ま で。. 1 、 『 。 厳 寿 機 等 養 注 鄭 谷 詩 集 注 菱 上 海 ( 古 籍 出 版 社 に 一 九 九 一 ) よ る 3 』 2 鄭谷 は、七絶 「 越鳥」 でも、 「 梅 雨満江春草 歌、 一声声在藷枝枝」 ( 梅 雨 江 に満 ち て春草 3 撒き、 一声 声 薦枝 の枝 に在 り)と務枝を詠ず る。 、 3 『 、 。 唐 書 地 理 に 志 七 上 し 海 げ 南 郡 の 貢 と が 土 て 嘉 支 挙 ら れ て い る 3 』 4 大順 は、 二年ま で。孫映 遥 『 唐 才子伝校注』 ( 中国社会科学出版社、 一九九 二 は、 『 十国 3. だ僻 にし て、宮商高 からず。 )と言う ことから明らかであ る。 0 こ のほか、「 呉姫十首」 へ其 三〉 でも蕩枝を詠 ず る。 3. 9 藷能 が異常な自 負心を抱 いて いた こと は、 「 柳枝 詞 五首」 の自 注 に、 「 劉白 二尚書 継為 蘇州 2 刺史、皆賦楊柳枝 詞、世多 伝唱、難有才 語、但文字大僻、宮商 不高。 劉 ・白 二尚 書 継 い 」( で蘇州刺史と為り、皆 な楊柳枝詞を賦 し、世ミ多 く伝 唱す、才 語有 りと難も、但 だ文字 大. よ る。. 5 『 全唐詩 は、縫蝦 、張砧 、葬能 の作 とし て重複 し て収録す 。 る 2 』 6 『 楊太真外伝』 は、 「 力士遂総於仏堂前之梨樹 下。綾絶、而南方進蕩枝至。 力 士 遂 に仏 2 」( 堂 の前 の梨樹 の下 に総 る。継 か に絶え て、南方 より薦枝を進 め て至 る。)と言う 。 7 『 九成宮」 にま つわ る詩文 に ついては、福本雅 一 「『 九成宮』 の周辺」 ( 錯簡 集』 一一 玄社 、 2 「 一九 八八、所載) に詳説 があ る。 8 生卒年 は、謬優学 「 『 藷能行年考」 ( 唐詩人行年考 ( 続編) 2 』 巴凝書社、 一九 八七 、所収 ) に. れ るは能く著す莫き なり。 ) と言う 。 3 松本肇 「 「 柳宗元 の植物 詩 に い て 筑 つ ( 波 中 国 文化論議」 六、 一九 八六) は、 同 じく白 居 2 」 易 の忠州刺史在任 中 の 「 種桃杏」詩 に ついて、 「 白 居易 の植樹 が望郷 の思 いに染 ま って いな い のは、 『 三年 の任期 を前 提 と し て いる ことと、 『 心安即是家』 と いう諦観 によ る支 え が存在 』 。 と指摘 す る。 し て いた た め と わ れ 思 る 」 4 李徳裕年譜』 ( 斉魯書社 、 一九 八四) に拠 る。 2 億糠珠 『. 言 ったも のであ ろう。 2 劉宝和 『 李碩詩評註 ( 山西教育出版社、 一九九 0) によ る。 1 』 3 宋 ・楽史撰 『 楊太真外伝』巻 下 の記述も大同小異 であ る。「 妃子既生於濁、暗羨枝。南海蕩枝、 1 ま れ、務枝 を暗 む。南海 の蕩枝 は、濁 より勝 る者あり、故 に毎歳. 勝於濁者、故毎歳馳駅以進。然方暑熱而熟、経宿則無味。後人不能知也こ ( 妃子既に濁に生. るに暑熱 に方 り て熟し、宿を経 れば則ち味無 し。後人 知 る能 はざ るなり。 資治通鑑』 )また、『. 唐紀三 一、天宝五載 ( 七四六)の条に、「 妃欲得生蕩支、歳命嶺南馳駅致之、比至長安、色味 不変。 ( 妃 生務支を得 んと欲 し、歳ミ嶺南 に命 じ て駅を馳 せ て之を致 さしむ、長安 に至 る 」 比 、色味変 ぜず。)と言 い、胡 三省 の注 に 「 目 蘇軟諸人、皆 云此時蕩支目浩致 、非嶺南也 。 蘇 」( 務支浩 より致 ると、嶺南 には非ざ るなり。 )と言う。. 蝋諸人 より、皆 な云 ふ此 の時. 4 ただ し、『 元和郡県志』巻 三 一、及び 『 新唐書』巻 四二、地理志 の戎州 の条 は、いず れも 「 貢L 1 とし て 「 蕩枝煎」 を挙 げ て いる。新鮮 なも のではなく、乾燥 させ るなど し て加 工した藷 枝 で あ ろう 。 5 一説 に、貞 元年 間 ( 七六五 1八〇四) の進士と いう。 1 6 鹿論詩集校注』 ( 上海古籍出版社、 一九 八九) による。 1 劉初業 『 7 注 6参 照。 1 1 、 8 小 環 編 『 人 そ 記 川 樹 唐 代 の 詩 ー の 伝 大 修 書 ( 館 店 一 九 七 五) の王建 の項 の注を参 照。 』 1 博 「 送客瀞濁L詩 に、「 杜家曾向 此中住、為致涜花渓水頭」 ( 杜家 曾 て此 の中 に向 いて住 む、 為 に致 らん涜花 渓水 の 頭 )と、杜甫 が成都西郊 の涜花渓 に住 んだ こと が詠 じられる。また、 「 成都 曲L に ついては、高木重俊 ・石嘉福 『 下〕 NHKブ ック ス七七 一、 名 勝 唐詩選 〔 』(. 一九九六)参照。. 0 現代 にお いても 四川省 で燕枝を産す ることば、例えば 『 四川特産風味指南』( 四川人民出版社、 2 合江藷枝」 の項 に、 「四川蕩枝歴史悠久、主産地在合江、櫨州、宜賓、其中尤 一九 八四) の 「. 合江県)所産蕩枝品種繁多、有大紅抱、妃子笑、楠木葉、緯 以合江蕩枝的質量最好。::: ( 、 一九九 二) 紗蘭等。 述 べて いること、王曙 『 唐詩故事集 唐 的 史 海 代 歴 大 事 南 ( 出 版 公 司 と 」 』 の 「一騎紅塵妃子笑、無人知是嘉枝来」 の項 に、陸溝 の発言 にも触 れながら、 「 南宋詩人陸済. 在《老学庵筆記》 -書中認為、南宋時連眉山都没有務枝、張籍在《成都曲》中写成都有蕩枝 是不可信的、認為張籍根本没到過成都而羅空想象。可是除張籍外、選有白居易在忠州写的不 少蕩枝詩、可以証明唐代在成都這種緯度付近可以生長蕩枝。陸祷的記載、倒為我個提供了男 一個実際資料、即南宋時眉山己不能生長蕩枝了、証明南宋時気候 一歩変冷。在現代、四川眉.
(17) . . 秋 正 後 藤. を踏まえ て、 「 唐末黄巣起義 軍過城北時、把 一株宋家番蕩支樹歌 了 一刀、後来宅結的嘉枝 果都 。 有 凹形、粒小肉厚 。 」と言う 7 『 碧桃」 漢武故事』 に見え る。ただ し、「 太平御覧』巻九六七 に引 く 『 芸文類衆 巻 八六、『 』 3 秀喜内伝』 に見え る。 の語自体 は、同書 に引く 『 三輔黄 図』に ついて御教示を得 た。 【 付記】注 4に記 したよう に、花 園大学 の衣川賢次 氏 には、『 送何兆 下第 還濁」、李 送劉 四赴夏県」、李端 「 また、本学 函館校 の高木重俊 氏 からは、李頑 「 徳裕 「 述夢詩 四十韻」 など、唐詩 中 の用例 に ついて多 く の御教示を得 た。す べて の用例 には 触 れられなか ったが、 ここに記 し て両氏 に深く感謝す る。. .. 2 2.
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