労働生産性再考(II) : 山本教授の所説によせて
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(2) . 1巻 第2 号 B 第1. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 労. 働. 生. 産. 性. 再. 5年1 2月 昭和3. 考 (n). -- 山本教授の 所説によ せて 一冊 大. 勇. 野. 一. 郎. 北海道学芸大学釧路分校経済学研究室. Yui ): chiro oN(. Recons iderat i on of. the Labour Product ivi ty. は. し. が. き. 前稿において 「労 働の生産性」 に関する堀 江教授の所説を重ねて まなばせていただいたわれわ れは, この稿では, 堀江教授の所説についての精撤な吟味と鋭い批判とを次 々に発表しておられ る山本教授の最近の ご労作のうち, 「労働の生産性」 について論ぜられている部分をまなばせて いただき たいとおもう. 前稿にお けると同様 この度もまた われわれの側における理解力の不 , , 足がわざわい して, 山本教授の教えておられるところを 必ずしも正確には把握 しえていないので はな い か とあ やぶま れる の である が ひとま ず , , 今 日 ま で の と こ ろ で, わ れ わ れ な り に 学 び と り え て い る と こ ろ と, 何 と し て も 十 分 な 理 解 に 達 し え な い で い る と こ ろ と を , あ りの ま ま に 述 べさ. せていただく ことにしたい, いつもなが らのわれわれの未熟 な学習について ご叱正 ご高教を , , た ま わ る こ と を うれ ばさ い わ い であ る . 〔註〕 山本二三丸 「科学的経済 理論の創造的発展について(三)」(立教経済学研究 第13巻第2号) , 〃 「同上論女 (四)」(同上誌, 第13巻第3号) 拙稿 「労働生産性再考--堀江教授の回答によせて」 (北海道学大紀要 第1部 第1 1巻第1号) , ,. (1) 「『労働生産性』 は, つねに 『生きた労 働』 すなわち 生産における 主体的要因としての人間 , , 的 労 働 力 の 流 動 と し て の 『生 き た 労 働』 の 『生 産 性』 の み を 指 す 」1 ) と い うこと に関 して は わ . ,. れわれは山本教授のおしえて おられる通 りそのまま 学びとらせていただきたいと思っている だ . が, 「『労, 働の生産性』 とは, 一定量 の人間的労 働力のはたらきかけ=支出 によって 『自然』 の中 からどれだ けの量の使用価値=生産物を 『と り 出 す』 こ と が で き る か と い う こ と な の で あ る か - ら, その人間的労 働力の支出さ れる時期が現在の一時点にかぎられようと あるいは 過去と現 , , 在との一 つのちが った時期に分れようと 単位生産物に支出さ れた量 そのものには変りがない , , したがって, 『生きた労 働』 の新たにつく りだした価値分と生産手段よ りの移転価値分との 合 計 =生産物価値が, これまでの生産物価値を超過するような場合--たと えば 『生きた労働』 にお , ける減少分よ り 『過去の労 働』 における増加分の方が大である場合--には 『労働生産性』 の増 , ) とされている点については なんとしても 十分な理解に 2 大はあ りえない.」 達しがたい疑義が残 , 1‐49 一.
(3) . 大. 野. 男. 一. 郎. る の で あ る.. 」 「(マルクス)--『生きた労働』 「『労働生産性』 の 『労 働』 は, どのような 『労働』 を指すか. すなわち生きた人間的労働力の 支出, その 現実的活動のみを 指す. 『労働の生産性』 の問題にお いては, 生産手段は, たんに, 人間的労働力の働 らきかけによって特定の形状において『作用』せ しめられる自 然的質料および自然的諸力 としてのみ, 意義をもち, それらが 『過去の労働』 をふ く むかふくまないかは, 問題とならぬ. それが 『過去の労働』 をふく む場合には, 『生きた労働』 “ ) このような見地にたた の働らき かけにより, それは生産物の中に移転 コ維持されるにす ぎぬ.」 れる山本教授が, 「たとえ ば, 『生きた労働』 の減少分よりも 『過去の労働』 の増加分が大である ような, 生産物価値が従前より大となる という 『労働生産性』 の増大はありえない」 とされてい ることは, 「『労働生産性』 の増大のためには, どのような条件が必要であるか,」 について, 「(マ ルクス)--一定規模の, しかもたえずま すます増大す る規模の資本蓄積がなければ な ら ず, ま 4 ) とされ ある た, ますます増加する大量の生産手段および社 会的結合労働 がなければならぬ.」 , いはまた, 「社会的生産のも とでの 『労働生産性』 の増大は, 必然的に, 充用され 『作用』 せ しめ られる生産手段の量 がこれを 『作用』 させる人間的労働力の量に比して, ますます相対的に増大 するということ, すなわち, 『技術的構成の高度化』 と, かたく 結びついている, 両者は, むしろ ) と 教 え ら れ て い る こ と さ ら に は ま た, 「マ ル ク ス 同 じ事 柄 の 両 面 と も い う べ き も の で あ る.」6 ,. は, 『生産性の発展』 と 『生産手段の量の増 大』 とが 『量的に比例する』 とか, 両者の 『増大率が ) などとはけっして主張しておらず, かえって 『生産手段の量』 は 『労働 同一であ る』 (K.=K2 生産性増大』 と 『同じ比率では増大しない』 ということ, その点にこそ 『労働生産性』 増大の意 ) といわれていることと断ち がたい関係があるよ う 義の一つが存す ること, を明確にしている」” に思われる, 原料や補 助材料は労働生産性の増大にほぼ比例して 増加するとしても, 機械, 建物等は労働生 産性の増大と同じ率では増加しない, すなわち, より低い率でしか増加しないから, 総体として は, 生産手段の分量 は労働生産性の増大ほ ど増大しない, という見地に立たれているから, 労 働生産性の増大があれ ば, 単位生産物 中の現在労働は絶対的にも相対的にも減少し, 過去労働 は絶対的には減少す るが相対的にを土増加する, その結果, 単位生産物価値は減少するということ. , 幕蝶 善驚喜饗銀 晶踊躍雲霧躍滋 蔓 ます調濯ぎ 騨義勝¥ 少したとしても, 原料, 補助材料な どの価値部分は従前とほぼ同じだと考えられているからであ る. だから単位生産物中の過去労働は相対的には増加する が絶対的には減少することになる. 過 去労働も現在労働も絶 対量が減少するの だから, 単位生産物価値が減少す るのは当然である. そ してこの場合, 過去労働増加分> 現在労働減少分, したがって 単位生産物価値増加 という事態は いかにしても起り得ないことになる. だが, ここで事実上, 労働生産性 (生きた労働の生産性) が増大するとき生産物価 値の増加と ,いう事態が生じ得なくなっていると いうことと, 「生産物価値 v (『生きた労働』 の新たにつく り だした価値分と生産手段よりの移転価 値分との合計) が これま での生産物価値を超過する ような場合--たとえば, 『生きた労働』 における減少分 より 『過去の 」ことと 労働』 における増加分の方が大である場合一一 には, 『労働生産性』 の増大はありえな い. は必らずしも同一でないように, すくすく とも, われわれには解される, というのは, 労働生産 性の増大が, つねに必らず, 山本教授の説かれているようなかたちで行われるもの だとしても, これまた教授の高 示される様に, 労 働生産性は現在労働に関するもの であって, 同一量の現在労 一 50 一.
(4) . 労 働 生 産 性 再 考 (=) 働がより多くの使用価値コ生産物を生産するかぎり, したがって 単位生産物中の現在労 働が減少 するかぎり, ただそれだけで労働の生産性は増大 したことになる. この場合, たといそれが同時 に必らず 単位生産物価値を減少せしめることになると しても, そのことは労働生産性の増大とい うこととは別箇のことであろう. 労働生産性の増大が同時に事実上, 生産物価値を小さくするこ とになるというだけのことであって, 生産物価値の減少がなくとも, 生きた労働に関するものと しての労働生産性増大は存在しうる, とわれわれは考える. また, 教授は, 「たとえば, 過去労働 増加分>現在労働減少分, の場合のように生産物価値の増加する場合には,」 という様に表現して おられるのであるが, 過去労働増加分>現在労働減少分, は一つの例であって, 逆に現 在労働増 加分>過去労働減少分, したがって生産価値増加, というような場合をもふく めて, ともかく生 産物価値増加の場合には, という意味に解することも許さ れのであろうか, といった疑問も生ま れうる様にも考えるのであるが. もっとも, 「単位生産物の生産価値の縮少しない 『労働生産性』 ) と 明確 に教 え て お ら れる こ と を こ こで想 い お こせ ば 増 大 な る も のは あ り え な い,」7 , あま り意 味. のない疑問を持ちたがるわれわれ自身の方が, 或いはむしろ おかしいのだと云うべきかもしれな し、,. 労働生産性の増大が, マルクスの説いている様な姿で進められていくものとすれば, 労働生産 性の増大とは同一量の現在労働がヨリ多くの生産物を生産するようになることだ,と表現しても, 或いはまた, 単位生産物価値が減 少することだ, といっても, 事実上の問題として両者の間に喰 いちがいは生じないで済むことになるであろう. だが, 労働生産性なる概念が現在労働量と生産 物量との間の関係を示すも のであるとすれば, 単 位生産物あたりの過去労働の増減は, すくなく とも, 労働生産性という言 葉の意味に関するかぎり, 考慮のそとに置かるべきものであろうとわ れわれは考えている. 〔註〕 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7). 山 に二三丸 「科学的経済理論の創造的発展について(三) 」95「6頁 4頁 同上: 9 山本二三丸 「科学的経済理論の創造的発展について(四)」108-9頁 同上 : 109頁 2頁 前掲論文(三)9 8頁 前掲論女(四)7 〃 〃 (三) 93頁. (2) 「労働の生産性」 について山本教授の教えておられるところは, 要約的にいえば 次のごとき , も の で あ ろ う か と 思 わ れ る. す な わ ち,. 1 ) 「労働の生産性」 または 「労働の生産力」 は, 人間的労働力の流動としの 「労働」 がどれ ( だけの量の使用価値=生産物を生産する性質, つまり力をもっているかという ことを示す言 ) 葉 で あ る, 1. 「労働生産性」 は, つねに 「生きた労働」 , すなわち, 生産における主体的要因としての人間 ) 「 的労働力の流動としての 生きた労働」 の 「生産性」 のみを指す,2 2 1 「労働生産性」 の増大は, 必然的に, 生産物一単位当 り生産価値の減少としてあらわれる. ( 逆にいえば, 単位生産物の生産価値の縮少しない 「労働生産性」 増大なるも の は あ り え な ) し・. 3. 1 「労働生産性」 の増大がおこなわれるためには, 必らず, 生産手段が人間的労 働力にたい 3 L してそれだけ増大しなければならない, 「労働生産性」 の増大は, 「技術的構成の高度化」 と, - 51 -.
(5) . 大. 野. 勇. 一. 郎. ) か たく 結 び つ い て い る, 両 者 は, む し ろ 同 じ事 柄 の 両 面 と も い う べ き も の で あ る. 4. ) 「労 働生産性」 の増大がある と, 単位生産物中の生産価値は絶対的に減少し, 労働対象か 生 { らの移転価値は, (社会的結合労働のおかげ で労 働対象の充用量がある程度節約可能とはなる ) その絶対量において殆ん ど変 化がない. 労働段からの価値移転部分の絶対量は, きわめ が. て僅少の上昇を示すか或いは 殆んど上昇しないことが多く, その他の労働諸条件からの価値 ) 要するに 生産対性の増大は 単位生産物に 移転は絶対量においてはるかに小さく なる.5 , , ふくまれる 『生きた労働』 を絶対的にも相対的にも 減少せしめ, 移転=維持せし め ら れ る 『過去の労働』・を相対的に増加せしめる とともに, 絶対的には減せ しめ, かく して, 単位生産 ) 物の総価値を減少せしめることになる.6 ところで, 山本教授の労働生産性に関す る所説を以上の様にまなびとったわれわれは, 続いて 堀江教授の所説との比較において, 労働生産性についてのわれわれの 拙い学習をさせていただく ことにする, 山本教授によれば,( 1 )労働生産性とは 「現在労働」 が, どれだけの使用価値;生産 物を生産する力をもつかということであり, 労 働生産性の増大とは, 単位生産物につ い て い え 2 ’ だが, 単位生産あたりの 「現在労働」 が ば, そのふく む 「現在労働」 の減少することである.{ 減少しても, その減少分を上廻って過去 労 働 が増加するような場合, すなわち, 単位生産物価値 }労働生産性増大のためには, 必ら 3 が増大するような場合には, 労働生産性増大はありえない.L ず技術的構成は高度化しなければならない. そして, この場合, 生産手段の増大率は, 「現在労 働」 の生産性上昇率より小さいものとされており, 「原料および補助材料を除く 生産 手段が, た とえば, それら自身の量を2倍に:増加することはな しに2倍の労働対象の転形を媒介しうるとこ ろにこそ, 『労 働生産性』 増大において労働手段および労働諸条件の果す独自の役割の 意 義 が あ 7 ) 「マ ル ク ス は 『生 産 性 の 発 展』 と 『生 産 手 段 の 量 の 増 大』 と が 『量 的 に 比 例 す る』 と か る.」 , ,. ) などとはけっして主張しておらず, かえって 『生産手段 両者の 『増大率が同一である』(K・;K2 の量』 は 『労働生産性増大』 と 『同じ比率では増大しない』 ということ, その点にこそ 『労働生 )と説かれている (現在労働に関す 産性』 増大の意義の一つが存すること, を明確にしている」8 . るものとしての『労働』の生産性増大率よりも, 生産手段の量の増大率の小さいことに, 或いは, 労働手段がその増大率以上の率で増加する労 働対象の転形を媒介しうるという点に, 『労 働 生 産 性』 増大の意義の一つをとらえておられるということが, あるいは, 単位生産物価値の増大する ような 『労働生産性増大』 はありえないとされ, 社会主義社会における 『労働生産性増大』 は, 当然に, 単位生産物のふくむ労働量総計の減少となってあらわれなければならない, とされる教 授のご見解とつながるものではないだろうか. だが, いうまでもないことだが, 教授は, 『生ける 労働』 の生産性と同じ意味での 『過去の労働』 の生産性, すなわち, 単位生産物中にふくまれる 『過去の労働』 の量の大小を以て測るというかたちでの 『過去の労働』 の生産性は認めておられな ′浄化』し 「『対象化』 してしまった 『死んだ労働』 で いのである. ) 雑 『過去の労働』 は, すでに 『 1 1の 両 立 を さ さ え て い る 土 台 は( あ っ て, ふ た だ び 『生 産』 性 は も ち え な い も の で あ る, ( )と( 2 1で 3. 1の 「過去の労働」 の 「生産性」 については, 「生ける労働」 の場合と同 あるように思われる.( 4 じように, 単位生産物中におけるそれの大小を以て 「過去労働」 の 「生産性」 を 云 々 す る こ と を 否定されるのであって, 労働手段の生産性を認めないで 訳ではないようである, 労働手段が 「生 ける労働」 の生産性増大に役立つことは認めるが, 労働手段の生産力はその労働 手段がどれだけ の 「過去労働」 をふく むか含まないかということとは関係がないとされているのである. 堀江教授は, 「現在労働の生産性」 とならべて 「過去労働の生産性」 という言葉をもちだされ , 2- 「5.
(6) . 労 働 生 産 性 再 考 (”) 現在労働の場合と同様に, それの単位生産物のなかにふくまれる量をもって 「過去労働の 生産性」 を測られるわけであるが, それは結局のところ, 現在労働と過去労働とを 同じ資格におく ことに よって, 現在労働だけではなしに, 現在労働と過去労働との 合計を以て, 「労働の生産性」 を測定 しよ う とさ れ る と こ ろ に, さ し あ た っ て の 目 的 が あ る も の の 様 に 思 わ れ る , だ が, 労 働 手 段 の 利. 用 が 「生きた労働」 の生産性増大に有効であることは --それを労働手段の 生産力と呼ぼうと呼 ぶまいとにかかわりなく --たしかであるが, それは労働手段に体現さ れている 「過去労 働」 の 生産性 ではない, また, その労働手段から単位生産物に移転=保存さ れる過去労働量すなわち価 値量の大小をもって, その労働手段の利用が 「生きた労働」 の 「生産性」 をどれだけ増大せしめ たかを測定することも出来ない. 堀江教授は, 「新機械による労 働の生産性の引上げの 効果を論 ずる場合……… 新機械を運転して 生産物をつく りだす生きた労働の 生産性向上 と 新機械に体現 , されている過去の労働の 生産性の変化 (旧機械に体現さ れているそれとく らべて) をあわせて考 9 ) と教えてお られるが われわれは この場合の 「生きた労働の生産性 慮しなければならない.」 , , 向上」 のなかに, 機械の生産性を見出すべきものであろうと考 えている. 堀江教授が単位生産物 のなかの過去労働の減少に労働生産性向上をさ ぐりあてようとされるの にたいして, 山本教授は 「生きた労働」 の生産性増大には必らず技術的構成の高度化をともない しかもその 謂わば高度 , 化率は労働生産性の増大率より低いのだ, という見地か ら, 労働生産性の増大があるとき ,は, か 「 単位生産物のなかにおける ならず, 過去の労働」 の増加分は 「生きた労働」 の減少分よ り小さ く, したがって, 単位生産物価値は減少するとされている, 2倍の労 働対象の転形を媒介するの に, 自らの量を2倍にまで増加 せしめないところに, 「労 働生産性」 増大において労働手段および 労働諸条件のはたす独自の役割と 「労働生産性」 増大の意義の一つを認められる山本教授の 「労 働生産性」 は, 「過去労働の生産性」 を否定されてお り,また, 「単位生産物の 生産価値の縮少 しな い『労働生産性』 増大はありえない」 とされている点で, 堀江教授説とは明らかに異なってはい る が, 単位生産物に移転コ保存さ れる過去労働, 価値の大小から自由ではなく 単位生産物価値の , 増加する生産性増大があ りえないとさ れる点は 堀江教授の 説かれているところと 共通なようでも ある. 「単位生産物の 生産価値が減少しない労働 生産性増大はあ りえない. 」 ということが, 労働 生産性増大と技術的構成との間の関係が 山本教授の高示されるとおりであるかぎり 労働生産性 , の増大するとき単位生産物価値が増大することは 「ありえない」 という意 味であるとすれば そ , れは当然のことを再確認されただけに過ぎない, だが, 「労働手段および労 働諸条件の増加率が , (生ける労働の) 労働生産性増大率よ り低いことに, 労働生産性増大の意義の一つがある」 とさ れているところから推していけば, 労 働手段およ び労働諸条件から 単位生産物へ移転= 保存され る価値部分の絶対額の減少ということが, はじめから労働生産性 増大の内容の 一部を なしている も の の よ う に う け と ら れ な い でも な い. - - 後 述 の 如く , こ の 様 に う け と る こ と が 必 ず しも 正 確. なうけとり方だとは云い難いようであるが. -- 若し, 仮にその様にうけとることが許されると すれば, 山本教授の 「労働生産性増大」 は, 堀江教授流に表現させていただけば 現在労働も過 , 去労 働も共に生産性が上昇して 単位生産物価値の減少する事態を指すことになるであろう そし . て, この場合, 山本教教は 「死んだ労 働」 に 「生産」 性はないとされているのだから 労働生産 , 性の測定にあたっては, その言葉の本来の意味どおりに, 「生きた労働」 をもって測定するか さ , もなく ば, 単位生産物価値によってこれを測定するかのいずれかの方法によることに なるであろ う. も し仮に後者によるとすれば, 「過去労働の生産性」 という概念を否定 しておられる教授が , --もっとも, この場合といえども, 単位生産物にふく まれる 「過去労働」 の量ではかられるも - 53 -.
(7) . 大 、野. 勇. 一. 郎. のとして 「過去労働の生産性」 という用語と概念とを, 教授が うらためて肯定されたことになる とは考えないが. -- 過去労働を現在労働と同じ資格において扱われ, 同じ重みにおい て 「労働 生産性」 測定に参加させておられることになり, 「過去労働」 そのものに生産力があるのではない とされておられるにしても, 「労働生産性」 の測定に関するかぎりにおいては 「過去労働」 に 「生 きた労働」 と同等の発言 権をもたせておられることになる. このことは, 教授が堀江教授の 提唱 しておられる 「過去労働の生産性」 という用語と概念とを否定して おられるに も か か わ ら ず, -- そして, そのこ とは, われわれもそのまま学びとらせていただいているのであるが--その 用語と概念そのものを否定 しておられる だけであって, 事実においては, 単位生産物中の 「過去 労働」 の量の大きさ が, 「労働生産性」 測定において 「生きた労働」 と同じ役割を果すこ とを肯 定 さ れ て い る こ と に な る. と は 云 っ て も, こ の こ と が, た だ ち に そ の ま ま 「過 去 労 働 の 生 産 性」. という概念を認める ことになるの だとは思わないのだが, 労働生産性増大と 資本の技術的構成高 度化との関係が, 教授のおしえて おられるとおり である とすれば, 労働生産性が増大す るときは, 必らず, 単位生産物価値 は減少するわけだから÷ その 意味では, 労働 生産性の 増大とは単位生産物のふく む 「生きた労働」 が減少する ことだとされて も, 単位生産物価値の減少することだといわれても, その間に喰い違いは生じない, ただ, その 際, 残る問題は両者の 減少率, 即ち, 労働生産性の増 大率が必ずしも一致はしない という点であ ろ う.. 次に, 「単位生産物の生産価 値の減少しない労働生 産性増大なるも のはありえない,」 「生産物価 値が, これまでの生産物価値を超過するような場合 --たとえば, 『生きた労働』 における減少分 より 『過去の労働』 における増 大分の方が大である場合--には, 『労働生産性』 の増大はありえ 『 ない. 」 とされている こととにらみあわせながら, 「労働手段 および労働諸条件の増加率が, 生き た労働』 の生産性増大率, したがって生産物量の増加率 より小さいことに こそ, 『労働生産性』 増 大において労働手段およ び労働諸条件の果す独自の 役割と 『労働生産性』 増大の意義の一つがあ る.」 と述 べられてい ることの意味をいま一度学びなおしてみよう. 『労働の生産性』はあくまでも 『生きた労働』 の 『生産性』 なのである. だが単位生産物価値が増大する場合には, 労働生産性の 増大はありえない. しかし, 『労働生産性』 は依然として 『生ける労働』の『生産性』 であるとすれ ば, 『増大でありえない』 労働生産性は生産物価 値の増大によって 『増大』 でないと判定されるも のではありえない. それでは 『生ける労働』 において減少があるの に何故 『労働生産性』 の増大 はありえないの か, ここ で山本教授のいわれる 『労働生産性増大の意 義の一つ』 が 登 場 し て 来 る, 「労働の生産性 とは, 一定量の人間的労働力のはたらきかけコ 支出によって自然のなかから どれだけの量の 使用価値=生産 物をとりだすことが できるかということなの であるから, その人 一 間的労働力の支出される時期が現在の一時点にかぎられようと, あるいは, 過去と現在との つ の違った時期に分れようと, 単位生産物に支出された量そのものには変りがない. したがって,, 『生きた労働』 の新たにつくり だした価値分と生産手段 よりの移転価値分との合計=生 産 物 価 値 が, これまでの生産物価値を超過するような 場合--た とえば, 『生きた労働』 における減少分よ り 『過去の労働』 における増加 分の方が大 である場合一一には, 『労働生産性』 の増大はありえな い.」 とされている箇所をあ らためて学 びなおしてみよう. 「支出の時期が, どうあろうとも」 と いうように説 かれる点については, ま だ能く 理解しえないの であるが, 総 じて単位生産物が総社 会コ総労働力に要費する額の減少することが, 労働生産性増大ということの通性なのだ, という 意味のことを教授はここで教えられているの ではないだろうか, とわれわれは考える. なるほ ど ヤ 54 「.
(8) 労 働 生 産 性 再 考 (虹) 過去労 働には生産性はない. だが, その対象化したものである労働手段およ び労働諸条件には生 産力がある. そして, その生産力は 『生きた労働』 の単位生産物中における減少分にあらわれる のであって, 単位生産物のふくむ 『過去の労働』 の 減 少 と い う か た ち で あ ら わ れ る も の で も な い し, またそうしたかたちで示しうるもの でもない. だが, これらの労 働 手段や労働諸条件のおか げで, 『生きた労働』 の生産性が2倍にたかまり, 生産物中の 『生きた労働』 が半減し た と し て も, 『生きた労働』 の生産性を 2倍にたかめるために労働手段および労働諸条件を従前の2倍を超 える量に増加せしめねばならなかったとすれば, 一--山本教授のしめされている労働生産性増大 のさいの技術 的構成高度化では, そのような事態はありえないの であるが, 一一 単位生産物のな かの 『過去労働』 の絶対量は従前より増加する, 然し, このさい 『過去労働』 の増加分が 『生き た労働』 の減少分を超すか否かは判らないが, もし超すことになれば, 『労働生産性増大』 の本来 の性質をうしな うことになる. 即ち, 生産物が総社 会=総労 働力に要費する額が却て増 大するこ とになるから, もはや, 『生きた労働』 に関しては従前より減少しているにもせよ, 『労働生産性』 の増大とはいえな いことになる. この様に考えれば, 労働手段の増加率が 『生きた労働』 の生産 性増大率より小さいことに 『労働生産性増大』 の意義の一つがあ ることになるであろうし, また, 『労働生産性増大』 という言葉のもつ意義からいって, 生産物価値の増加す る場合, 『労 働生産性 増大』 はありえないことになるであろう. 然し,この様に解釈する場合においても,われわれには, 猶十分に理解し切れないものが残るような気がするのである, 『労働生産性』 は 『生きた労働』 の 『生産性』 であり, 『過去の労働』 の 『対象化』 されたものとしての労働手段の 『生産力』 は 『生 きた労働』 の 『生産力』 増大としてあらわれている. 労働手段はも とより, す べて生産手段に体 現されている 『過去の労働』 は, すでに 『骨化』 し 『対象化』 してしま った 『死んだ労働』 であ っ て ふ た た び 『生 産 性』 は も ち え な い の で あ る し, ま た, そ も そ も, 生 産 手 段 は 『過去の労働』 , を ふく ん で い て も い な く て も よ い も の で さ え あ る. 『過 去 の 労 働』 を ふく ん で い る 場 合 で も, そ れ は 『生 産 性』 を も た な い の だ か ら そ の 『生 産 性』 を 測 る と い う こ と は あ り え な い. そ し て, そ の. 『過去労働』 を体現する労働手段のもつ 『生産性』 は 『生きた労働』 の 『生産性』 のなかにあら われるの だから, 『労働の生産性』 は 『生きた労働』 の 『生産性』 で把握されることになる. それ だけでよいのではな かろうか. 事実, 山本教授も 『労働生産性』 は 『生きた労働』 の 『生産性』 のみを指すものである ことをわれわれに教えておられる. しかし, 生産物価値が増大するという 事態に逢着すると, 『生きた労働』 の減少はあっ ても, それは 『労 働生産性の増大』 ではありえな くなるといわれるの であるが, この場合の 『労働生産性』 を決定しているものは 『生きた労働』 だけでなくて, すでに 『生産性』 をうしなっている 『過去の労働』 も, 『生きた労働』 と同じ資格 で 『労 働生産性』 の判定に加わってきている. そこで測定される 『労働生産性』 は, 一定量の舵E きた労働』 が, どれだけの量の使用価値コ生産物を生産するかという こと, すなわち, 単位生産 物のふくむ 『生きた労働』 の量 ではなしに, 単位生産物のふく む 『生きた労働』 と 『死 ん だ 労 働』 の合計量であり, 単位生産物 が総社会=総労働力に要費する額 である. この単位生産物のふ くむ労働量総計によって測定される 『労働生産性』 は堀江教授の説いておられる 『労働生産性』 働の 生産性』 というものが特に存在していない と同じであり, ただ山本教 授の場合には 『過去労, だけである. 『同じ一定量の労働--たとえば, 一日分の労働--をもって, ある一定の使用価 値 コ生産物を どれだけ 『自然』 の中から 『とり出す』 か, ということが, 本来, 『労働の生産性』 と いうことである. この場合, 人間がはたらきかける労働 対象や労働手段が, それ以前 に人間の 労 0 1 ) とすれば 「労働生産性」 にとって問題 働を要費したかどうかは, まったく 問題とならな い.」 , - 55 「.
(9) . 大. 野. 勇. 一. 郎. なのは, 単位生産物の生産価値であって生産物価値ではない筈である. とすれば, 「さきに説明し たように, 『労働の生産性』 とは, 一定量の人間的労働力のはたらきかけ;支出によって 『自然』 の中からどれだけの量の使用価値=生産物を 『とり出す』 こ と が で き る か と い う こ と な の で あ る から, その人間的労働力の支出される時期が現在の一時点にかぎられようと, あ る い は, 過 去 と現在との 一 つのちがった時期に分れょうと, 単位生産物に支出された量 そのものには変りがな い. したがって, 『生きた労働』 の新たにつくりだした価値分と生産手段よりの移転価値分との合 計;生産物価値が, これまでの生産物価値を超過するような場合--たとえば, 『生きた労働』 に おける減少分より 『過去の労働』 における増加分の方 が大である場合--には, 『労働生産性』 の 1 1 ) とされていることについては はじめの 「労働生産性」 とあとの 「労働生 増大はありえない,」 , 産性」 とでは内容に差異があるような気がして, 依然として, 充分な理解に達し切れないもの が 残 る の で あ る. 〔註〕 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) 11). 山本二三丸 「科・学的経済理論の創造的発展について(三) 」84-5頁 同 上 : 96頁 同 上 : 93頁参照 同 上 : 92頁 ″ 同 上 : 93-4頁 ″ 同 上論文(四)58頁参照 〃 〃 (三) 59一60参照 同 上 : 78頁 堀江忠男 「マルクス経済学の創造的発展」330一331頁 山本二三丸 「前掲論文(三)」86頁 同 上 : 94頁. (3) 山本教授があまり問題にしておられないことで, しかも, われわれが十分にまなびとりえずに いるのは, 労働生産性の増減率についての問題である. 堀江教授の場合は, 単位生産 物のなかに ふくまれる現在, 過去両労働の合計量をもってこれを測定することになっているから, この点に 関しては別に問題はないのであるが, 山本教授の場合は, 単位生産物の中の 「生きた労 働」 量の 増減で労働の生産性の変化を測るものである点は明確なのであるが, いかに 「生きた労 働」 の減 少があっても, 単位生産物価値の増加がある場 合は, 労働生産性の増大ではなくなるものとされ ているので, いささか立ちいった学 習を必要とするようである. 教授が 「労 働生産性」 の増減を単位生産物中の 「生きた労働」 によって測っておられるもので あ る こ と は, 疑 い の 余 地 なく 明 白 な こ と で あ る. そ して, 教 授 の 高 示 さ れ て い る 様 な 条 件 の も と. での技術的構成の 高度化によって 「労働生産性」 力誉増大するものであるかぎり, 「労働生産性」 増 大が, 単位生産物価値を増加させることはありえないし,また, 単位生産物価値が増加するような 「労働生産性」 の変化は, 「労働生産性」 の 「増大」 の 「意義の一つ」 をうしなっているとい う意 味 で は, そ も そ も の 始 め か ら, 「労 働 生 産 性」 の 「増 大」 で は な い と い う こ と に な る と こ ろ で . ,. いま, 単位生産物のふく む 「生きた労働」 は減少するが, 単 位生産物価値は従前と変らないとい う 場合を想定してみよう. この場合は, 「労 働生産性」 は 「不変」 なのではなく やはり 「増大」し , , たのであるうと, われわれは考えたい. すくなく とも, 単位生産物価値は 「増加していない」 の だから, 「生きた労働」 に関するものとしての 「労働生産性」 は 「増大」 し た と い っ て も よ い で , あろう. 山本教授も, あるいは, こうした解 釈については, これを容認 してくださるのではなか ろうかと考える, というのは, 教授のおしえておられるよ うに 「労働生産性」 は 本 来 的 に , , , - 56 一.
(10) . 労 働 生 産 性 再 考 (n) 「生きた労働」 の 「生産性」 だからであり, そしてまた, それは, 単 位生産物価値で測られるこ とを, たてまえとするものではないだろうからである. だが, 「労働生産性」 そのものだけについ て云えぱそうであっても, その 「増大」 ということになれば, 「労働生産性増大」 ということの内 奥にはらまれている 「意義の一つ」 を, あらためて考慮のなかにとりあげねばならなく なる, そ こで, その 「労働生産性増大」 の 「意義の一つ」 を考慮のなかにいれられて, 教授は, 「単位生産 物価値の増大する場合には, 労 働生産性の増大はありえない, 」 とされたものであろうかと思われ る. そ して, こ の 「意 義 の 一 つ」 が 失 わ れ な い よ うな 「労 働 生 産 性 増 大」 と は , と い う こと に な. れば, 若しそれが, 技術的構成高度化をともなわなければならないものだとす れば その技術的 , 構成高度化は, 堀江教授のいわれる 「技術的構成の高度化率」 が, (生きた)」 ではなくて 「労働 の生産性増大率」 を上廻らないものであれば, 先ず間違いなく, 「労働生産性増大の意義の一つ」 をうしなわずに済 むかと思われる. 技術的構成高度化率が労働生産性上 昇率を上廻る総べての場 合に, 生産物のなかの過去労 働増加分>生きた労働減少分, したがって 生産物価値増加となるわ けではない し, 技術的構成高度化率=労 働生産性上昇であっても 生産物価値は減少し得る マ , , ルク スの説いている生産 手段量増加率く労働生産性増大率, という条件のもとであれば, 単位生 産物価値の減少は, より一層大きく, 確実だというべきであろう, いずれにもせよ 労働生産性 , 増大率にくらべて, 技術的構成高度化率が小さくなればなる程 労働生産性増大は それのもつ , , 「意義の一つ」 したがって生産物価値の問題に煩わされることが少く なっていくであろう , , い さ さ か, く どい き ら い が あ る が そ し て ま た , , 無 意 味 な, 的 は づ れ な 詮 索 か も しれ な い が,. 生産物のなかの 「生きた労働」 を減少せしめて, 同時に生産物価値を増加せしめないためには , --より正確に云 えば, 生産物値価を減少せ しめるためには, 技術的構成高度化率は 労働の 生 , 産性増大率と同じでもよい し, 場合によっては, 技術的構成高度化率の方が少し位 大きくても , 差支えない筈であるのに, マルクスが, 「労働生産性増大」 に関して, 生産手段量増加率く労働生 産性増大率, という状態を想いえがいているのは, 単位生産物価値減少ということのほかに 労 , 働手段および労働諸条件からの移転価値の絶対額の減少ということに 「労働生産性増大」 の 「意 , 義の一つ」 を特に強くとらえていたためであるかもしれない, だが 労働手段および労働諸条件 , からの移転価値の絶対額の 減少ということは (生きた) 「労働の生産性」 の問題ではなく て む , , しろ, 生産物の生産費にかかわる問題であろう. 生産物の生産価値が減 少して しかも 生産物 , , 価値が増加するとい事態は, 云ってみれば, 労働生産性が増大して 生産物一単位当 りの生産費 , が高くなるということなのだから, これを, 労働生産性の増大と呼ぶのはおか しいのではないか , という批判が生れてくるかも しれないが, われわれは, 生産物の生産価値の減少するかぎり そ , れは, 言葉のもつ本来の意味からいって, やはり, 「労働生産性の増大」 だと考 える 費用の面か . ら判断して, そのような 「労働生産性の増大」 は, 現実には採用され, 活用されることなしにお わるかもしれないが, 現実に採用されないということが 「労働生産性増大」 の意義を変改するも のではない, とわれわれは考えている. さ て, 本 来 の 課 題 で あ る 生 産 性 測 定 の 問 題 に 立 ち か え る こ と に しよ う. と こ ろ で , こ こでわれ. われが, あらかじめ教授の ご諒承をいただいておかねばならぬことは 資本の技術的構成の必然 , 的な高度化, 生産手段量増加率<労働生産性増大率, といった「労働生産性増大」に あたっての諸 条件が動かしえないものであるとすれば, 教授のおしえておられるところには, いささかの淀み もみられないのであるが, われわれが, われわれなりに, 理解しがたいことを訴えようとするの は, 実は教授の高示されている 「生産性増大」 にさいしての諸条件を 必らずしも動かしえない , 一 57 -.
(11) . 大. 野. 勇. 一. 郎. ものとは考えず, ただ, 「労働生産性」 という言葉の本来の意味に 即しての, つたない学習に過 ぎ ないということである. 教授の説き明かしておられる通りの前提の上にたって の 「労働生産性の 増大」 であり, 教授のおしえておられる通りの意義をもった「労働生産性の増大」であるかぎり, われわれが 「労働生産性増大」 の何たるかについて疑念をもつ様な事態の発生は, 事実上ありえ ない筈である. まず, 「労働の生産性」 が増大するときは, 単位生産物のふく む 「生きた労働」 は減少し, 単 位 生産物価値も当然,減少する. この場合,「生きた労働」 の減少率と単位生産物価値の減少率とは必 らずしも一致はしないが, このことから別段, 支障は生じない. というのは, 「生産性の増大率」 は, 当然のことながら, 「生きた労働」 の減少率によってしめされる. ところで, 生産物のなかの 「生きた労働」 は減少するが, 生産物価値は反対に前より増加する場合は, と い う と, こ れ は 「生産性増大」 ではない, とされている. この場合の 「労働生産性」-の判定者は 「生きた労働」 ではなく て, 「生産物価値」 である, 次に, 「生きた労働」 は, よりさらに減少し, 生 産 物 価 値 は, より一層増加するという事態を想定する. この場合の 「労働生産性」 の変動率は, 何によっ て測定することになるだろうか. 「生きた労働」 についていえば 「労働生産性」 は増大している し, 生産物価値に即 していえば, 「労働生産性」 は低下 していると いうことになるだろう. --あ るいは, 生産物価値 で 「労働生産性」 の増減率を測定なぞしていない, ただ, 生産物価値が増加 する場合には, 労働生産性の増大はありえない, といっているだけ だ. 労働生産 性 の 増 減 率 は 「生きた労働」 で測っているのだ, と教授はいわれるかもしれない. 単位生産物の中の 「生きた 労 働」 が減少して, しかも, 単 位生産価値が, 減少する場合に関 しては, たしかに, そのように しておられるよう である. だが 「生きた労 動」 が減少して生産物価値が増加する場合, および, 「生きた労 働」 が増加して生産物価値が減少するといった場合について は, 特に高示されている わけではないが, 必らずしも, 「生きた労働」 だけで測定しておられるわけ でもないよう に思うの であるが, --然し, 生産物価値 が増加 している以上, 労働生産性の増大はありえないことにな っているのだから, 前者の様な場合は労働生産性 は低下しているということになる. その 「低下 率」 は生産物価値の増加率によって測定することになるのか, それとも 「過去労働」 の増加率に よって測ることになるだろうか. 「過去労働」 に生産性はない筈だから, 結局は, 生産物価値の増 加率によって 測ることになるであろう. そうすると, 生産物価値が増加するのでないかぎりは, 「労働生産性」 の増大率は 「生きた労働」 の減少率で測定され, 単位生産物価値が増加 していく ときの 「労 働生産性」 の減少率は, 生産物価値の増加率 で測られる, ということになる. 若し, これらを一本化しようとするならば, 生産物価値の増加していく 「労働生産性」 の 低 下 率 の 方 を, 減少していって る 「生きた労働」 で測定することは勿論出来ないこと だから, 生きた労働減 少分>過去労働増加分, したがって生産物価値減少, という場合の 「労働生産性」 の増大率の方 を, 「生きた労働」 の減少率ではな しに, 生産物価値の減少率 で測ることにすればよいであろう. すなわち, 終始, 生産物価値の増減率をもって 「労働生産性」 の変化率を測定するという方法に よることである. だが, こうすると, 「労働生産性」 は 「生きた労働」 の 「生産性」 ではなくなっ てしまうようである. 「労働生産性」 を して, 一貫して 「生きた労働」 の 「生産性」 た ら し め る ためには, マルクスの考えにおける 「労働生産性増大」 の 「意義の一つ」 を考慮の外に追いやる か, さもなく ば, 「労働生 -産性増大」 のさいの技術的構成高度化率を労働生産性上昇率よりも低い か, 同 じか, あるいは高くとも, 単位生産物のなかにおいて, 生きた労 働減少分<過去労働増加 分と, ならない範囲のものに限定すること が必要となるようである. そして, 若し, 技術的構成 - 58 -.
(12) . 労 働 生 産 性 再 考 (=) を高めることなしに (生きた)「労働の生産性」 を増大させることができれば, 問題の解決は, よ り容易なものとなる であろう. 「生きた労働」 が増加して, 生産物価値の減少する場合については, 教授は直接には説明して おられないようだし, また, 敢えて説明される必要もないわけであろうが, やはり 「生産物価値 の減少する労働生産性の低下」 は正常な姿の 「労働生産性低下」 だとはしておられな い も の の ようである, というのは, その様な場合をとり扱われたものと推測される箇所で, 教授はそれを 「労働生産性の 『一種の』 低下」 というように呼ばれているからである, (註) 〔註〕 「『小型, 高性能』 の真空管 (いわゆるミニチュア管) の生産には, 従来のものよりも, はるかにより多くの ) の占める副 熟練した 人間的労働力を必要とし, したがってその単位生産物のうち, 機械 (ー「過去の労働」 「過去の労働の生産性」増加) --『生きた労働』の割合の増加しているのが, 合は反って相対的に減り-- ( つまり 『労働生産性』 の一種の 『低下』 が今日の一般的状態なのである,」(山本 「前掲論文(四) 」81頁) こ 「過去の労働の生産性」 増加) とされているところからみても, 絶対的にも減少 こで,「過去の労働」 は, ( してることは間違いない, 「生きた労働」 も絶対的に増加してると考えられる, というのは, 若し絶対量が 減少しているのであれば,「生きた労働」 も 「過去の労働」 も減少しているのだから, 当然, 生産物価値は 減少することになり, 生産物価値が減少して,「生きた労働」 が減少するのであれば, 何のためらいもなく 「生産性の増大」 と呼ばれる事態である。 だが, 過去労働の減少, 生きた労働の増加, というだけでは, 過 去労 働減少分>生きた労働増加分, したがって生産物価値減少, という結論はひきだされない, 然し, 生産 物価値が増加するのであれば,「生きた労働」 増加, 生産物価値増加, で 「一種の」 のつかない 「労働生産 性低下」 になる, 「一種の労働生産性低下」 であるのは,「生きた労働」 が絶対量はおいて増加したのに生産 物価値は減少したので, 「生きた労働」 のみについていえば, すなわち, 本来の意味の 「労働生産性」 は低 下したが, 生産物価値の方からみれば低下ではないという意味であろうと思う, ---- 1960・9・30 -一--. 一 59 一.
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