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理論言語学的方法に基づく小学校文学教材の分析に関する基礎的研究

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(1)2007年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 理論言語学的方法に基づく. 小学校文学教材の分析に関する基礎的研究. 教科・領域教育学専攻 言語系(国語)コース. M O 6 1 7 9 G 小. 澤. 賢. 三.

(2) 目. 次. 序章はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…1 第1章 文学教材の主題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 3. 第2章 分析観点の抽出・・・… 一・・・・・・… 一・・・・・・・・・・・・・・… 6 第3章 分析観点の内容(その1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 12 第1節 題名・・・・・・… 一・・・・・・・・・・・・・・・・… 12 第2節 呼称・・・・・・・・・・・・… 一・・・・・・・・・・… 16 第3節 対比表現・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 18 第4節 反復表現・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 23. 第5節 比喩表現・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…26 第6節 話法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 6・29. 第4章 分析観点の内容(その2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 33 第1節 構造・構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 33 第2節 視点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 37 第3節 順序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 40. 第4節 ステレオタイプ・・… ■■・・・・… 一・…44 第5節 ユーモア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 47. 第5章 分析観点適用の実際… ■i・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 50. 第1節:事例研究(1)・・・… 一・・・・・・・・・・・… 50 第2節 事例研究(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 54 第3節 事例研究(3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 58 第6章 分析観点の考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 64. 第1節 分析観点の体系化・・・・・・・・・… 一・… 64 第2節 分析観点の運用・・・・・・・・・・・・・・・・・… 68 終章 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…70. 注・・・・・・・・・・… ■t・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ■■・・・・・・・・・・・・・・・… 71 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 74.

(3) 【凡例】. 1.例文番号は章ごとに改めた。 2.注及び図表は、全編にわたり通し番号とした。 3.各教材のあらすじは、資料編に掲載した。.

(4) 序章 はじめに 本稿の目的は、小学校国語科の文学教材を考察対象に、 〈ものの見方. や考え方〉を映し出す諸観点が、教材のどこに、どのような形で存在し ているかを明らかにすることにある。 一般に、ことばは、思想・感情の表現や伝達の手段であると捉えられ ている。そこには、ことばは単なる手段であり、重要なのは表現された り伝達されたりする内容だという認識が見られる。その結果、思想・感 情等の内容の把握にのみ汲々となり、 「てにをは」などの付属語等は等 閑視されることになる。. 本稿では、ことばは人間の認知そのものであり、 〈ものの見方や考え 方〉を映し出すものであるという前提に立つ。それは、 「何を」を捉え. ると同時に、物事を「どのように」捉えるかを重視する立場といってよ い。「どのように捉えるか」を客観的に分析する際の着眼点は、例えば、 どの位置から、どのような方向性を持って、どのような距離を保って、 どのような見通しのもとに見るかといった点であり、こうした点は、そ れぞれ、〈構え〉〈期待感〉〈心理的距離〉などの観点で分析することができ る。こうした〈構え〉〈期待感〉〈心理的距離〉などの観点が、本稿でいう〈も. のの見方や考え方〉にほかならない。このような〈ものの見方や考え方〉. を捉えるためには、一字一句おろそかにはできない。むしろ、助詞や助 動詞など、叙述に関わる細かなことばの一つひとつが、 〈ものの見方や 考え方〉を表していることが多い。 「何を」だけでなく、 「いかに」を. 捉えることの意義は、ことばの一つひとつを大切にするところにある。 そこで〈ものの見方や考え方〉を映し出す諸観点を、構造・構成、語 句、修辞法等といった具体的なレベルで抽出し、そこから、実際、どの ような〈構え〉〈期待感〉〈心理的距離〉などが、どのような構造・構成、語. 句、修辞法等に反映され、それが、実際の教材のどこに潜在化しており、. 主題の把握に向けてどのように活用されうるかを明らかにしょうという のが本研究の概要である。 本稿で言う〈ものの見方や考え方〉とは、くり返しになるが、例えば〈構 え〉〈期待感〉〈心理的距離〉などのことであり、簡単なサンプルを挙げれば、. 次のように例示されるものを指す。. 1.

(5) (1) a.. b. (2) a.. b.. 太郎は、揺るぎない信念を持っている。 太郎は、考え方がガチガチだ。 次郎くん、ハンカチを落としたよ。 そこの人、ハンカチを落としたよ。. (1a)と(lb)のペアは、ともに「太郎」という人物に対し「考え方を容易. に変えない」という描写であって、この点で真理条件的には等しいが、 両者は「知的意味(cognitive meaning)」(1)において差異がある。(1a) に比して、(1b)は、やや否定的なニュアンスが含意され、逆に、(1a)は、. そのようなニュアンスを含まない中立的な描写として解釈される。また、 (2a)と(2b)のペアにおいて、同じ人間によって同じ状況で発話されたも のとして分析すると、(2a)に比して、(2b)は、やや「よそよそしい」と いうニュアンスが感じ取られ、この点で「次郎くん(そこの人)」に対す る心理的距離が大きいように解釈できる。本研究は、小学校国語科での 実践的授業を目的に据えたものであるが、本論文では、教科書教材から 上述の諸観点を抽出し、暫定的な体系化を示すことを目標としたい。こ のとき、(1)や(2)の例で注目した言語表現は、それぞれ「オノマトペ」. と「呼称」であり、そのような観点から教材を分析することで、どのよ うな〈ものの見方や考え方〉を明らかにできるかという点が本稿の課題で ある。. ところで、上述の内容は、方法論的に2つのことを示唆している。1 つは、言語表現の意味(価値)は、他の言語表現との対比によって相対的 に決まるということであり、(1)のペアで言えば、(lb)に否定的なニュア ンスが含意されるというのは、(1a)との比較によって浮かび上がってく. るもので、(1b)単独では必ずしも明瞭ではない。2つ目は、上述の諸観 点は、国語科教育で議論される観点というよりも、むしろ理論言語学で 用いられるものであり、次章以降の議論では理論言語的な手法が多用さ れるであろうことである。. では、本稿の構成を以下に示しておきたい。第1章では、文学教材の分 析に先立ち、当面の目標となる主題についての考え方を整理する。次に、. 第2章において、小学校国語科の文学教材を分析し、 〈ものの見方や考 え方〉を映し出している観点(構造・構成、語句、修辞法など)を抽出した 2.

(6) 上で、それらの諸観点を分類・整理し、1ユの主要な観点とその他の観点 にまとめる。本稿では、これらのうち、主要な11の観点を「分析観点」 と呼ぶ。さらに、第3章と第4章にかけて、主要な11の分析観点の一つ ひとつについて詳述し、第5章では、これらの分析観点が主題の把握に おいてどのように機能するかを、具体的な教材を用いて例示する。そし て、第6章では、小学校国語科の24の文学教材における分析観点の体系 化とその運用についての私見を述べる。. 第1章 文学教材の主題 本章では、分析観点の論述に先立って、主題の認定に関する考え方を 整理する。文学教材の読解における第一段階の目標は、作品の主題を把 握することである。次の段階として、ここで捉えた主題を基に、自分の 生き方に関連させて表現活動を行なったり、読書活動に移行したりして いくが、主題についての考えがそれらの基本となる。 まず、「主題」という用語は非常に多義的で、識者の立場によって様々 な捉え方があり、定説が見られない。それだけ複雑な概念ではあるが、 本稿では、主題を「作品から客観的に読み取ることのできる価値」とい う意味で用いることとする。ここで、 「客観的に読み取れる」というの は、「言語表現に忠実に読めば、普通はそのように読み取れるであろう」 ところのものを意味する。. その上で、主題の認定に関する問題として、大別して2つの極端な立 場を見ておきたい。1つは、主題の解釈を1つに限定する立場である〔2)。. 主題とは作者の言いたいことであるという主張に基づくもので、 「作者 の言いたいこと」とは、作者の意図のことであろう。しかし、主題に向 けて唯一の正しい読みがあり、それ以外は間違いであると断定する点に 問題がある。作品は、作者の意図どおりに作品化されるものではないこ とが、多くの作家によって語られている(3)。文学的な表現は、それを生. み出した作者の意図をこえて、より深くより広い意味を生み出すことが ある。作者の言いたいことが主題であるとする主張は、結局主題は作品 の外にあり、’作者に確かめなければ本当のところは分からないというこ とになる。. もう1つは、主題の解釈は、読み手に委ねられるという立場である(4)。 3.

(7) この考えは、主題は読者が読み取るものであり、読者一人ひとりに主題 があるという主張に基づくもので、 「主題は1つ」という長く教育刑を 支配した伝統的な主題観に反省を求めた点に意義がある(5)。しかも、教 室をはなれた一般の読みにおいては、この主張はそれなりの説得力を持 つ。たとえ誤った読みであっても、読者なりに満足できる主題を見出す ことができれば、読者にとってはその作品の価値は十分にあることにな るからである(6)。. 本稿の立場は、これらの立場の、どちらとも異なる。要点を先取りす れば、次のように整理できる。. o @. @. 明らかに間違った解釈は、当然、排除されなければならない。 主題の解釈は唯一絶対ではないし、無限でもない。 作品には、通常、1つまたは複数の妥当’な解釈があり得る。 間違いではないと思われる解釈の中にも、より妥当なものと、 そうでないものがある。. ①の意味するところは、教室での読解において、子ども達に文学教材 の読み方を教え、文章を読む力をつけるためには、一定の条件が必要で あり、明らかに間違った解釈は許されないということである。何よりも、. 言語表現に忠実であることが必要であり、この点について、教師は毅然 とした態度で臨まなければならない。そして、なぜ間違いなのかをわか りやすく説明する必要がある。ここが、一般の読みとは異なる点である。. ②は、①の条件さえ守られれば、どんな読み方でも、どんな主題の読 み取りも可能であるということである。特に文学用語はイメージが豊か であり、様々な解釈が可能である。違って当然なのである。ただ何とな くというのではなく、自分の解釈の根拠を明示できることが必須の条件 となる。言語表現に忠実で、明確な根拠を持った解釈が授業の基本であ り、そこに個を生かす鍵がある。. ③の意図するところは、誤ってはいない読み方も一様ではなく、その 中に読み取りのレベル差があるということである。つまり、より多くの 理解が得られる読み取りがあり、妥当性において程度差があるというこ とである。多くの子ども達の理解が得られる読み取りは、より妥当性の 4.

(8) ある読み取りであるといえる(7)。. まとめて言えば、主題の読み取りには、誤った読みとそうではない読 みがあり、誤りでない読みにも、より良い読みがあるということである。. 実際には、教室において子ども達の話し合いが仕組まれ、その中で主題 の妥当性が討論されることになる。もっとも筆者の経験では、子ども達 の読みはそれほど多くは違わない。ほぼ同じような生育歴を持ち、生活 経験もほとんど変わらない読者の読みは、ほぼ同じような読みになる傾 向がある(8)。むしろ、違う読みがあった方が意見の交換が活発になり、 子ども達が生き生きとしてくる。. 最後に、実際の授業の場における、主題のまとめ方について触れてお きたい。一般的に、主題とは、何か抽象的に短くまとめられたものと考 えられている。しかし、西郷(1996)が「文芸においては、はじめの一行 から終りの一行まで、いかにゆたかにイメージ化するかということにお いて、本当の意味で、主題が読者に体験されると考えられるべきなので す。説明文を抽象化、概念化、命題化した要旨と同一視してはなりませ ん。」と述べているように、本来主題とは短い文章でまとめられるよう なものではない。トルストイは「私はこの作品のテーマについて語れと 言われれば、この作品を最初の一行から終りまで、もう一度書く以外に ない。」と語ったそうである。主題に関するこの2つの捉え方をふまえ て、本稿では、主題を「作品から客観的に読み取れる価値を短くまとめ たもの」という意味で用いる。授業の場においては、自分の読み取った 価値(自分なりの主題)を、自らの言葉で短くまとめることの意味は大き いし、それをもとに友達の意見と比較することの意義もまた大きい。教 室の読みには、様々なレベルがある。浅い読み取りもあれば、深い読み をするものもある。しかし、意見交換をする中で、自分の気がつかない 点に気づいたり、より良い読み取りに学んだりすることは、授業でなけ ればできないことである。子ども達の読みが鍛えられるような、自由な 雰囲気の場をつくることが教師の大事な役目だといえる。その意味でも、 授業の場においては、 「短くまとめたもの」と限定を加えることが妥当 であろうと思われる(9)。. 本章では、主題に関する2つの極端な立場を概観した鋒、本稿なりの 主題の捉え方を述べた。 5.

(9) 第2章 分析観点の抽出 本章では、教科書教材から〈ものの見方や考え方〉を映し出している と考えられる分析観点を実際に抽出する。ここで抽出する分析観点は、 教材を分析するにあたって注目すべき観点であるが、実際問題として、 教材分析にあたっては、教材の何処に着目すればいいかという問いに対 する回答は、必ずしも容易ではない。もちろん、先行研究の中に、こう した点を掘り下げた研究がないわけではない(10)。おそらく最も良く知 られていると思われるのが、西郷(1996)の研究であり、「関連・系統指. 導」として、次の[表1]のような項目が挙げられている。 [表1] 「関連・系統指導」の表 〈小学校〉. o o. 観点一目的意識、問題意識、価値意識 比較一分析・総合 分ける一まとめる 類似性、同一性一類比(反復). o o. 相違性一対比 順序一展開、過程、変化、発展 理由. 事象一感想、意見、根拠、原因、実証的. o. 類別(分類、区別、特徴). 特殊・具体的 一般・普遍(条件). o. 仮定(補注・現在は〈条件(仮定)〉). 必然性をふまえて過去、未来を予想する。. o o. 選択(効果・工夫). 関連、相関、類推. 以上は、小学校の「関連・系統指導」であり、中学校・高校については 省略した。. 思うに、西郷(1996)の提案は、論理的にも緻密で、系統的にもかなり. 洗練されているが、3つの点で問題がある。まず、第1点は、概念が高 度に抽象的なため、適用が容易ではないこと。第2点は、現場の指導者 によって解釈が分かれ、運用に差が生じやすいこと。第3点は、そもそ 6.

(10) も彼の発想は、あくまで認識論を出発点にしており、体系をなしている 概念を、現場指導の中に展開しようとしている。つまり、演繹的な適用 を志向しているため、実際の教材への適応に偏りが生ずることである。 それに対して、本稿の立場は、アプローチの仕方が異なる。西郷(1996). が、演繹的なアプローチであるのに対して、本稿では、帰納的なアプロ ーチを提案している。つまり、教科書教材に存在する〈ものの見方や考 え方〉を反映する観点を出発点として、それらの系統化をめざしている 点が決定的に異なる。西郷(1996)が、用語指導の難解さ等、故なき批判 を浴びている理由は、そのアプローチの仕方にもあると考える。あくま でも、教科書教材をベースに、それらの分析から系統化をめざすべきで はないか(11)。. そこで、以上の視点に立って、教科書教材から分析する際の観点を抽 出してみよう。[表2]は、2学年教材『アレクサンダとぜんまいねずみ』 の冒頭部分である。どんな分析観点が見出せるだろう。 [表2]分析観点抽出の実際. アレクサンダとぜんまいねずみ・ レオ=レオニ 文・絵 たにかわしゅんたろう やく 「たすけて! たすけて!② ねずみよ!」③. ひめいがあがった。つぎには、ガシャン、ガラガラ④と大きな音⑤。茶. わん、おさら、スプーンが、四方八方にとびちった。 アレクサンダ⑥は、ちつちゃな足の出せるかぎりのスピードで、あ なにむかって走った。. アレクサンダが、ほしかったのは、一つ二つのパンくずだけ⑤。そ れなのに、人間は、かれを見つけるたびに、たすけてとひめいをあげ たり、ほうきでおいかけたり⑦する⑧。. ここでは、[表2]のように、8個の分析観点を抽出した。この場合、① で題名を検討し、②では語の反復表現の効果を検討する。また、③で書 き出しが会話文で始まる場合の表現効果を考え、④ではオノマトペの意 7.

(11) 味について考察し、⑤では体言止めや中止法について検討する。さらに、 ⑥で呼称の意味を考察し、⑦では例示の接続助詞「たり」の表現効果を 考える。⑧では、現在形文末の意味について考察することになる。. 以上のような手続きを経て、全教材の分析観点を抽出していった。そ の中から、特に主題の把握にとって関連の深いものをさらに選出したも のが、次の[表3]である。当初、次の43の観点がピックアップされた。 [表3]分析観点の整理一1 項目. 数. 対比表現. 18. 記・号. 4. 反復表現. 12. 3部構成. 題名. 11. 呼称. 項目. 数. 項目. 数. 数. 項目. 方言. 2. 漢語的表現. 1. 4. 倒置法. 2. 4部構成. 1. 時間. 4. 2部構成. 2. 体言止め. 1. 9. 情景描写. 4. 主体化. 1. キーワード. 1. 視点. 9. ユーモア. 4. 類別. 関連. 1. 比喩表現. 6. 割り台詞. 3. 会話. 1. 読点. 1. ステレオタイプ. 6. 象徴表現. 2. 副助詞「も」. 1. 矛盾. 2. 短文. 1. 類像性. 1. 1. オノマトペ. 5. 擬i人法. 5. 接続語. 2. 色彩語. 5. リズム. 2. 例示. 1. 額縁構造. 4. 順序. 2. 文末表現. 1. 伏線. 2. 指示語. 1. 自由間接話法. 4. エンド. 1. tォーカス. 43種 ㈹v[151]. これらの分析観点のうち、関連するものをまとめ、最終的には、次の [表4]に示すように、11の分析観点とその他の観点に集約した。例えば、 額縁構造・2部構成・3部構成・4部構成は、まとめて[構造・構成]に、 自由間接話法と割り台詞は「話法」にまとめた。. また、11の分析観点を中心として、大きく4っに分類した。この表の 内、 「必須の観点」とは、すべての教材の分析に適用を試みるものであ る。これらの観点は、筆者が教材分析を行う際に、比較的多数の教材に 見られたものであり、それだけに適用範囲が広いものと判断した。また、 「任意の観点」とは、教材によって適用されるかどうかが決まるもので あり、特に顕著な特徴が見られる場合のみ、詳細な分析を行うことにな 8.

(12) る観点である。さらに、 「言語表現的観点」とは、言語表現に直接関わ る分析観点であり、 「一般認知的観点」とは、言語表現以外の人間の認.. 知に関わる分析観点である。ただし、これらの分類は、排他的なもので はなく、境界が非常に微妙であり、したがって便宜的なものであること を付け加えて置きたい。. [表4]分析観点の整理一2 言語表現的観点. 一般認知的観点. 必. ①題名. ゆ髄構成(鰍、2部・・部・4. 須. ②呼称(固有名詞・普通名詞). i繍成). の. ③対比表現(語・文・場面、矛盾). l. 観. ④反復表現(語・文・場面). 点. ⑤比喩表現(比喩・擬人法). i⑧視点(一人称・三人称、客観・限定. i.全知). i⑨順序(時間・空間・語り) i. ⑥話法(直接・問接・自由間接・割1⑩ステレオタイプ. {⑪_モア. り台詞) 任. ”1閃r闘〒”’. 1@]. i磁 カス. 意. オノマトペ. 会話. の. 色彩語. 漢語的表現. 観. 情景描写. キーワード. 注体化 f. 点. リズム. 文法的事項 など. i象徴. 関連. 例示. 類別 など. ここで、各教科書教材から、具体的にどのような分析観点を抽出したかを 見てみよう。次の[表5]が、各教材における分析観点の分布である。 [表5]分析観点の抽出 年. NO. 1. 1. 2 3. おおきなかぶ けんかした山 うみへの. ネがいたび 4. 分 析 概 念. 教 材 名. お手がみ. 順序 類像性 反復表現. Gンドフォーカスの原理 擬人法 対比表現 象徴表現 題名 額縁構造 時間 呼称 ゥ由間接話法 五感表現 時間 反復表現 対比表現 ユーモア 9.

(13) 会話 5. 6. 7. おじさんのかさ. 8. 9. 10. 題名 対比表現 情景描写 指示語. @ みさ. レ続語 比喩的写像. きつねの. 12. 3. 4. 5. 反復表現 対比表現. リズム. Xテレオタイプ 反復表現 擬人法 副助詞「も」 方言. かさごじぞう. 五感表現. (語りの)順序. アレクサンダと. 題名. コんまいねずみ. 黶i逆接) 反復表現 記号 額縁構造. わにのおじいさん. 題名 対比表現 反復表現 伏線 記号. のたからもの 11. 対比表現. ひっこしてきた. ィきゃくさま 2. 矛盾 ユーモア 反復表現 五感表現. 消しゴムころりん. 視点 ステレオタイプ 題名 題名. おくりもの. 視点. のらねこ. 14. おにたのぼうし. 15. ソメコとオニ. 16. やい!とかげ. 17. 一つの花. 18. ごんぎつね. 19. 五月になれば. 対比表現. 3部構成 視点 短文. 内言 伏線 五感表現. わすれらない. 13. 割り台詞 呼称 対比表現 接続. 時間 対比表現 比喩表現 呼称. 呼称 ユーモア 視点 ステレオタイプ 擬人法 文末表現 題名. 自由間接話法. 対比表現 矛盾 類別 呼称. 視点 割り台詞 ステレオタイプ 対比表現 反復表現 ユーモア ステレオタイプ 対比表現 反復表現. 3部構成. 比喩表現 擬i人法 例示(数え上げ). 2部構成 象徴 倒置法 視点 時間 比喩表現 題名 視点 反復表現 呼称 自由間接話法. 額縁構造 五感表現 視点. 擬人法 題名. 呼称. 自由間接話法 対比表現 10. 五感表現.

(14) 20. 大造じいさんと がん. 21. 雪わたり. 反復表現 対比表現 呼称 情景描写 五感表現 4部構成(起承転結). 漢語表現. 五感表現 題名 ステレオタイプ 呼称 2部構成 情景描写 比喩表現 リズム 方言. 22. 6. 23. 美月の夢. 川とノリオ. 題名. 3部構成 視点 記号. 内言. 対比表現 体言止め 比喩表現 額縁構造. キーワード 対比表現 呼称. 反復表現 比喩表現 五感表現. 関連. 3部構成 読点 対比表現 五感表現. 24. きつねの窓. 比喩表現 記号 割り台詞 倒置法 情景描写. さて、実際の教材分析に当たっては、前述した分析観点を切り口に用 いると言うのが、本稿のポイントである。その際、教材ごとに分析のス タイルが一定になるよう、次の[表6]のようなフォーマットを設定した。 [表6] 教材分析のフォーマット s. ・タイトル『 ・作者名. ・学年と指導時期 ・必須の分析観点. ①題名 ②呼称(固有名詞・普通名詞) ③対比表現(語・文・場面の対比) ④反復表現(語・文・場面の反復) ⑤比喩表現(比喩・擬人法). ⑥話法(直接・間接話法、自由間接話法、割り台詞). ⑦構造・構成(額縁、2部・3部・4部構成) ⑧視点(一人称・三人称、客観・限定・全知) ⑨順序(時間、空間、語りの順序) 11.

(15) ⑩ステレオタイプ ⑪ユーモア ・任意の分析観点. ⑫言語表現的観点(オノマトペ・色彩語・情景描写など) ⑬一般認知的観点(エンドフォーカス・類像性・類別など) ・主題の追究に繋がる分析観点(ここで育てたい見方や考え方). [ ][ ][ ][ ] , ・この教材の主題[. ]. このフォーマットの記入方法は、次の通りである。「タイトル」や「作 者名」等は、そのまま書き入れ、「主題の追究に繋がる分析観点(ここで 育てたい見方や考え方)」には、該当する分析観点の番号と観点を記入す るようにしてある。そこから導き出される「この教材の主題」の欄には、. 主題をできるだけ一文で、要約して記入するようにしている。(実際の適 用例は第5章を参照されたい) 本章では、小学校国語科の文学教材を分析し、〈ものの見方や考え方〉 を映し出している分析観点(構造・構成、語句、修辞法など)を抽出し、. それらの諸観点を分類、整理して、主要な分析観点を見出した。また、 教材分析のフォーマットを示した。 それでは、以上の分析観点について、次章以降で個別に詳述する。丸 数字は、 「教材分析のフォーマット」で用いている観点の番号と対応し ている。以下、この番号で説明を加える。. 第3章 分析観点の内容(その1) 本章と第4章では、第2章で抽出した分析観点について述べる。まず、 本章では、前章[表4]で示した必須の観点のうち6個の言語表現的観点 (①∼⑥)について詳述する。. 第1節 題名 本節では、必須の観点のうち、言語表現的観点①の題名について述べ る。具体的には、題名について4分類を提示し、その具体例と題名の持 12.

(16) つ意味について論述する。. 題名は、当然のことながら本文と深いつな渉りを持つが、題名の意味 は一様ではない。次に筆者なりの分類を示す。先行研究では、3分類の 例があるが(12)、本稿では教科書教材の分析を基に、4分類を試みた。 分類は、次の通りである。. A. 登場人物(主人公)を表わすもの。. B C. 題材を表わすもの。. D. Bのうち主題により近いもの。 本文の主題そのものを暗示するもの。. 便宜上、A∼Dのように分類したが、 Cの記述でも明らかなように排 他的なものではなく、いずれも主題と何らかの関わりを持っている点は 同じである。次に、具体的に題名について考察する。教科書教材の分析 結果は、以下のようになった。 A;登場人物(主人公)を表わすもの 『けんかした山』 『アレクサンダとぜんまいねずみ』 『ひっこしてきたみさ』 『のらねこ』 『ソメコとオニ』 『ごんぎつね』 『大造じいさんとがん』. B:題材を表わすもの 『おおきなかぶ』. 『お手がみ』 『おじさんのかさ』. 『かさごじぞう』. 『きつねの窓』 『美月の夢』. C:上のBのうち主題により近いもの。 『わにのおじいさんのたからもの』 『きつねのおきゃくさま』 『わすれられないおくりもの』 『おにたのぼうし』 『一つの花』 『川とノリオ』. D:本文の主題そのものを暗示するもの 『うみへのながいたび』 『消しゴムころりん』 13. 『雪わたり』.

(17) 『やい!とかげ』 『五月になれば』. 以下、この順に解説を加える。 まず、Aは登場人物で題名が示されているもので、この場合は、その 登場人物が主人公である。例えば『のらねこ』と『ごんぎつね』では、 「のらねこ」 「ごんぎつね」が主人公である。また、題名が「XとY」 の形になっているもの(人物が二人取り上げられているもの)は、出てく. る順序が問題になる。いずれもはじめに出てくるXの方が、主人公であ り、より主題に近い。例えば、『アレクサンダとぜんまいねずみ』では アレクサンダが主題を担い、『大造じいさんとがん』では大造じいさん が主題を担っている。さらに、これらの題名は、両者ともに「アレクサ ンダ」 「大造(じいさん)」という固有名詞を持ち、普通名詞の「ぜん まいねずみ」 「がん」と比較すると、より個性が明確で、語り手の注目 度において格段の違いがある。詳細については、一節で述べる。 次に、Bの題材を表わすグループでは、 「題材」とは、登場人物以外 で物語を展開するきっかけになる「もの」や「こと」である。 「かぶ」 「手がみ」 「かさ」 「じぞう」 「窓」はくもの〉の例であり、 「夢」は. くこと〉の例である。いずれも修飾語などがついており、これらの言葉 が主題に関わってくることが多い。例えば、『かさごじぞう』では、「か さご」は登場人物以外のものであり、この「かさご」は「じいさま」と 「ばあさま」が丹精こめた「かさご」である。大事なもちこを買うため の大切な「かさご」を、 「じぞうさま」にかぶせる「じいさま」。そん な「じいさま」を温かく迎え入れる「ばあさま」。その優しさ、思いや りを象徴するのが「かさご」である。また、『美,月の夢』では、美月と いう読者と同年代の女の子が主人公であり、彼女の夢をテーマに物語が 進行する。作文の時間に与えられた、 「将来の夢」というテーマでは作 文が書けず、自分の夢がはっきりしないことに思い悩む主人公を描いて いる。美月という一人の個性を持った主人公の生き方を通して、読者で ある子ども達に、それぞれの夢を問いかける構成になっている。まず、 美月という主人公に同化し、彼女の生き方を体験していくことが必要と なるだろう。. 3つ目のCは、Bのうち主題に繋がるものであり、物語の題材を示す 14.

(18) とともに、主題により近い題名である。象徴としての働きを持っている ものも多い(13)。例えば、『おにたのぼうし』では、 「おにた」という名. 前を持つ、優しいオニの主人公が描かれる。彼は、自分の行動を人間に 理解させ、悪いオニばかりでなく、いいオニもいることを示したいと思 っている。しかし、 「ぼうし」を取ると自分の正体がばれてしまうし、 「ぼうし」をとらなければ「知らない男の子」のままで、自分の好意を 理解してもらえない。 「ぼうし」は、立場の違いからお互いに理解しあ えない、女の子(人間)と おにた(オニ)の関係を象徴的に表わす。また、. 『一つの花』では、出征する父が、娘のゆみ子に渡す一輪のコスモスが、 象徴として主題を表わす。 「一輪」ではなく、 「一つ」と表現している. ところがら、コスモスの花を包み込んだ、より広く豊かなイメージを描 くことができる。また、 「一つ」という言葉には、少ししかないという. マイナスイメージとともに、1つだからこそかけがえがないというプラ スのイメージが表現されてもいる。この一輪の花は、ゆみ子をいとおし む父の愛の象徴であるとともに、心優しい人間になってほしいという父 の願いでもある。また、『わにのおじいさんのたからもの』や『わすれ られないおくりもの』では、 「たからもの」や「おくりもの」の中味が 主題を表わす。『わにのおじいさんのたからもの』では、主人公である オニの子にとって、 「口では言えないほどうつくしい夕やけ」が宝物で あり、宝物は人によって違うことが、主題として示される。『わすれら れないおくりもの』では、あなぐまの教えてくれた知恵や工夫が贈り物 であり、人が死んで身体がなくなっても、心は、知恵や工夫として残る ことを示している。なお、 『川とノリオ』はCに分類したが、Aに分類 できないこともない。詳細については、第5章の第3節に譲る。 最後のDは、題名が主題そのものを暗示する場合である。 『消しゴム ころりん』では、消しゴムが転がり、ゆか板の穴に落ちることによって 事件が起こる。そこが、ファンタジーへの入り口である。すべては、消 しゴムが転がることによって起こる。また、 「ころりん」という転がり. 方には、かわいらしさやおもしろさが感じられ、昔話『おむすびころり ん』のように、何か不思議なことが起こる予感があって楽しい。しかも、 「消しゴム」という消すための道具が、また、物語の伏線にもなってい る。本文を読んだ後、もう一度題名を考えてみると、本当のことは消え 15.

(19) ないというメッセージが生きてくる。さらに、『五月になれば』では、 この条件節に続く部分が省略されており、そこに主題が示される。教科 書の後半に出てくる「五月になれば、水が光って走るし、川がもっと元 気になる」に省略部分が示されているが、ここに主題が込められている。 省略された題名によって、読者に事件の展開を期待させるところにも、 作者の工夫が見られる。. 以上、第1節では、題名についての4分類を提示し、その具体例と題 名の持つ意味について論述した。次に、呼称について述べる。. 第2節 呼称 本節では、呼称は単なる「呼び名」ではなく、そのように呼びかける 人の見方や考え方、感じ方を表すこと、及び、呼称を見ていくと、その 登場人物の人物像が明らかになってくることを論述する。 本稿で言う「呼称」とは、平明に言えば、ものごとの「呼び名jのこ とである。類似の用語に名称があるが、名称が人を指示する時に用いる 形式であるのに対して、呼称は人を呼ぶ時に用いる形式である。具体的 に言えば、 「母親」 「兄」 「医師」は名称であるのに対して、 「お母さ. ん] 「お兄さん」 「先生」などが呼称である。登場人物以外の「もの」. や「こと」の名称も、場合によっては重要になってくるが、文学教材で は、登場人物の呼称が特に重要である。人を呼ぶ言い方は様々である。 例えば、第三者の男性を呼ぶ場合を考えると、「あの人」「あの方」「あ いつ」などが考えられる。このうち、 「あの方」だと目上の人や上司な どがイメージとして浮かび、尊敬しているような心持ちが伝わる。それ に対して「あいつ」では、相手に対する悪いイメージが浮かび、反感や 敵意を感じることになる。つまり、心理的な距離に大きな差が生じるこ とになる。登場人物の呼称には、次の2つがある。 (1)語り手が登場人物を呼ぶ場合 (2)登場人物が登場人物を呼ぶ場合. このような呼称には、呼びかける人の見方や考え方、感じ方が直接に表 れるので、呼称を見ていくと、その登場人物の人物像が明らかになって 16.

(20) くると同時に、主題が見えてくる場合も多い。 例えば、 『かさごじぞう』を見てみると、上述(1)の、語り手が人物 を呼ぶ場合では、語り手は主人公を「じいさま」「ばあさま」と呼んで、 温かい視線を送っている。また、(2)の、人物が人物を呼ぶ場合では、 じいさまもばあさまもお互いを「じいさま」 「ばあさま」と呼び合い、 他の人物に対しても「じぞうさま」 「ちょうじゃどん」 「お正月さん」 のように、 「さま」 「どん」 「さん」と敬称をつけて呼んでいる。これ. らを見ると、語り手がこの話の世界をどのように描こうとしているかが 分かるし、じいさま、ばあさまの人物像も明らかになってくる。 『かさ ごじぞう』の世界は、温かくて平和な世界なのである(14)。. 呼称に関して注意すべき点は3つある。 第1に、固有名詞で呼んでいるか、普通名詞で呼んでいるかである。 例えば、「ひろし君が歩いて来ました。」と「少年が歩いて来ました。」 の2つの文を比べてみよう。前の文では、語り手は「ひろし」という名 前の人物を知っていることは明らかであり、その他にもいくつかの情報 を有しているであろうことは想像に難くない。それに対して後の文では、 語り手は、彼本人についてほとんど情報を持たず、どんな人物かわから ない。人間の認知活動から考えてみると、知っている人物と知らない人 物では、心理的な距離がかなり違い、対応そのものが大きく異なってく る。また、固有名詞だとその人物の個性が問題になるが、普通名詞の場 合ではその人物の個性はあまり問題にならず、多くの場合それらの人物 のうちの典型として描かれることが多い。例えば、 『うみへのながいた び』では、話者は登場人物を終始「白くまのきょうだい」 「かあさんぐ ま」と普通名詞で呼んでいる。そして、最後の場面で「このようにして、. なん百なん千もの白くまのおやこが、きたのうみで、きょうもく らしている……。」と結んでいる。この親子の話は、白くまという動物 の典型であり、多かれ少なかれ他の白くまも、このように生活している だろうということを、表わしていることになる。逆に、 『ひっこしてき たみさ』では、語り手は主人公を、はじめからずっと「みさ」という固 有名詞で呼ぶ。たまたま「みさ」という子の、ただ1回の話だという形 をとっているわけである。したがって、読者は、そのことを念頭にして 「みさ」に同化して読んでいく。しかし、読み終わった後で、自分にも 17.

(21) こういうところがあるなとか、自分も「みさ」の立場ならそうするだろ うなと、自分に置きかえてみることになるだろう。したがって固有名詞 で表現されるかどうかは、読みの姿勢に大きく関わってくることになる。. 第2に、呼称は変化するということである。物語のはじめとおわりで 人物の呼称が変化する例が見られる。それは名前だけの問題ではなく、 そのように表現する人の認識が変わったことを意味する。例えば、『大 造じいさんとがん』では、じいさんの残雪に対する呼称が変化する。は じめは、「あの残雪め。」と呼んでいたのが、最後では「がんの英ゆう」 「えらぶつ」と呼ぶようになる。最初は憎しみの対象でしがなかったが、. 残雪の頭領としての堂々たる態度を見て感動し、残雪に対する見方が変 化したことが分かる。また『きつねの窓』では、話者である「ぼく」の きつねに対する呼称が、 「白ぎつね→きつね→親切なきつね」と変 化する。はじめは獲物としてのきつねとしか見ていなかったが、自分の 見たいものをみせてくれる不思議な窓をもらって、きつねに対する感謝 の気持ちが起こってきたことが分かる。 第3に、『アレクサンダとぜんまいねずみ』のように、相手の名前を 1度も呼ばないという特殊なケースもある。主人公であるアレクサンダ は、ぜんまいねずみを「きみ1 「ともだち」 fウィリー一」 「ウィリーみ. たいなぜんまいねずみ」と呼ぶが、ウィリーはアレクサンダに呼びかけ ることをしない。アレクサンダの言葉に答えるだけなのである。ここか ら、ウィリーの主体性、積極性のなさが明らかになる。結局ウィリーは、 おもちゃとして人間にかわいがられるだけの存在でしかない。そんなウ ィリー・一・の人物像を、相手を呼ばないという表現が見事に描いていると言. え.る。この点については、第5章の第1節で改めて述べる。. 以上、本節では、呼称は単なる「呼び名」ではなく、そのように呼び かける人の見方や考え方、感じ方を表すことを論述した。. 第3節 対比表現 本節では、文学教材の分析にとって特に重要な観点である「対比表現」 について論述する。. まず、対比とは、2つのものを比較する歩合、両者の違いに着目して 比べる方法である。’ シ者の間に、何らかの共通項を持ちながら、別のあ 18.

(22) る点で異なる関係が存在する場合について用いられる概念である。言い かえれば、両者が照らしあうことにより、つまり他方の特徴によって、 あるものの特徴を際立たせる方法であるといえる。この点で、類似点に 着目する類比とは区別される。対比は、人間が物事を理解するための最 も基本的な方法であるといわれ、小学校教材にも多数用いられている。 例えば、 『けんかした山』では、 「たくさんの木が、あっというまに、. 火につつまれました。」に対して、「山は、すっかりみどりにつつまれ ました。」という表現があるが、火につつまれた悲惨な山と、みどりに つつまれた豊かな山を比較しているわけである。対比には、その方法に よって両者の特徴を明らかにするとともに、そのように表現する語り手 のものの見方や考え方、価値判断などが示される。『けんかした山』で いうと、語り手は明らかに「みどりにつつまれた」自然豊かな山を好ま しく思い、それを対比表現で強調しているのである。つまり、対比は言 語上の問題であるばかりでなく、人間が世界を認識する上で最も基本と なる認識の方法でもある。したがって、対比を見ていく場合には、言語 表現の裏にある語り手のものの見方や考え方を常に考えていく必要が ある。本稿では、言語表現としての対比を「対比表現」という用語で用 いる。. 対比表現では、はじめに、形態上の対比表現と、内容上の対比表現を 区別している。. 形態上の対比表現 形態上の対比表現は、次のように分類できる。 ・語と語 ・句と句 ・文と文 ・場面と場面 ・文章と文章(ある作品と他の作品). 形態上の対比表現は形式的なものであり、内容の読み取りには直接関 係しない。ただ、形態上何と何が対比されているかを確認することによ り、文章の構造・構成が見えてくるので、読みの視点として落としては ならない分類である。また、ある作品と他の作品を対比して読むという 19.

(23) 視点は、今まであまり重視されてこなかったのではないか。今後考究す べき問題であると考える。. 内容上の対比表現 内容上の対比表現では、次の3種を区別して用いる。 ・人物の対比表現 ・ものの対比表現 ・ことがらの対比表現 中でも人物の対比表現が重要であり、その他の対比は、人物の対比に 置きかえることができる。なぜなら、ものや様子の描写などすべての表 現は、必ずだれかの視点から描かれており、その人物の見方や考え方の 反映だからである。ここでは人物の対比についてのみ考察する。人物の 対比表現はさらに、. ・ある人物と他の人物の対比 ・一人の人物の継時的対比 ・一人の人物の同時的対比(矛盾). の三つに分類できる。以下に人物の対比表現の例を示す。. 人物と人物の対比表現について 登場人物の中に対照的な人物を設定し、異なる会話や行動を対比する ことによって、人物を描くものである。 『アレクサンダとぜんまいねずみ』では、ふつうのねずみであるアレ クサンダとぜんまいねずみのウィリーが登場する。この作品では、両者 は、まったく対照的な人物として描かれている。つまり、「生身のねず み」と「機械のねずみ」の対比である。同じねずみという共通項を持ち ながら、生身か機械かという違いに着目しているのである。その結果、 他の人物の力に頼らなければ生きていけない機械のねずみに対して、人 間に追い回されはするが、自由に生きている生身のアレクサンダが対比 され、読者は、いつもちやほやされるが他者に依存する生き方と、危険 な目にあいながらも自分の意思で主体的に生活していく生き方の選択 を迫られている。そして、語り手はアレクサンダの生き方に共感を示す のである。 20.

(24) 『大造じいさんとがん』では、おとりのがんとグループの頭領である 残雪が対比されている。おとりのがんは「口笛をふけば、どこにいても じいさんの所に帰ってきて、そのかた先に止まるほどになれていた。」 「長い子飼いならされていたので、野烏としての本能がにぶっていたの だ。」と表現される。それに対して残雪は「なかなかりこうなやつで、 仲間がえをあさっている間も、油だんなく気を配っていて、りょうじゅ うのとどく所まで、決して人間を寄せつけなかった。」と描かれる。同 じがんでありながら、この両者の落差が、頭領としての残雪の存在を強 調する。しかも、はやぶさに襲われるおとりのがんを、残雪は命がけで 守っている。ここにも、おとりのがんに比べて残雪に一目置くじいさん の態度が読み取れる。また、飛び方にも差がある。おとりのがんをはじ め他のがんが「ばたばた」と飛び立つのに対して、残雪は「快い羽音一 番。一直線に空へ飛び上がった。」と表現されるのである。 一人の人物の纏時的対比表現 これは物語の前後で、一人の人物の心情が対比される場合である。あ る事件を契機として、登場人物の思いや考えが変化し、成長していくケ ースでもある。. 『きつねのおきゃくさま』は、孤独な存在であるきつねが、ひよこ・ あひる・うさぎという汚れのない純粋なもの達に出会い、次第に引かれ ながら、それを守り抜いていこうと変容していく姿を描いている。はじ めは太らせてから食べようとするきつねだが、 「やさしいお兄ちゃん」 と呼ばれてうれしくなる。さらに「親切なお兄ちゃん」「神様みたいな お兄ちゃん」と呼ばれてぼうっとなってしまう。そして最後には、三匹 を食べようとするおおかみと戦い、三匹を守って死んでいくという物語 である。はじめのきつねは、「がぶりとやろうと思ったが、やせている ので考えた。太らせてからたべようと。」と、ひよこをえさとしか考え ていない。しかし最後には、三匹の命を助けるために、自分の命をかけ て戦うのである。彼にとって三匹は、えさからお増様に変わったのであ る。優しさに接したことのない独りぼっちのきつねの心を、疑うことを 知らず、きつねの親切を素直に受け止めるひよこ達が変えたのである。 『きつねの窓』は、道に迷った「ぼく」が、染め物屋の店員にばけた 21.

(25) きつねから、指を染めてもらうことから始まる。この指で窓をつくると、. 自分の見たいものが何でも見られる。ここでは、指を染めてもらう前と 後で、ぼくの気持ちやきつねに対する見方が対比される。はじめは、「だ. まされたふりをして、きつねをつかまえてやろう」、「親ぎつねをしと めたいと思ったのです」と、きつね’を獲物としてしか見ていない。しか し、指を染めてもらった後には、「親切なきつね」 「すてきな窓のこと を思った時、鉄砲は、少しもおしくなくなりました。」と、変化してい る。ぼくは、きつねに指を染めてもらい、獲物としてのきつねよりもっ と大事なものを発見したのである。 一人の人物の同時的対比(矛盾)表現. これは一人の人物の中に、互いに対比される心情が併存する場合であ り、いわゆる「矛盾」である。人間は、さまざまな思いを内に秘めた、 矛盾した存在である。心の中には、異質で対立する心情が常にあるとい っても言い過ぎではあるまい。この概念を用いることによって、複雑な 人間の心情をまるごと把握することができる。 『おじさんのかさ』には、細くてぴかぴか光った、立派なかさを持っ たおじさんが登場する。出かけるときは、いつもかさを持っていくが、 大事なかさが濡れるので、決してささない。そんなおじさんが、雨の中 を楽しく歌っていく男の子につられ、思わずかさを開いてしまう。とこ ろが、自分のかさも、同じように楽しい音を立てて歌うので感心する。 「ぐっしょりぬれたかさも、いいもんだなあ。」と満足し、何度も濡れ たかさを見に行くのである。かさは濡れてこそかさである。雨の日に使 うためにある。ところが、このおじさんは、そんなときは絶対かさをさ さない。それは、かさが濡れるからである。ここに、矛盾がある。 「ほ んとうかなあ。」と考えるおじさんは、「とうとうかさをひらいてしま いました。」と続く。男の子たちの楽しい歌声が、おじさんの矛盾を解 消していく。おじさんの価値観が変わったのである。「ぐっしょりぬれ たかさも、いいもんだなあ。だいいち、かさらしいじゃないか。」とい うおじさん。 「ぬれたかさも」という所で、依然として、かさを濡らさ ずに大事にしょうとしている、おじさんの気持ちが語られる。これから も、多少のことなら、大事なかさをささないのではないだろうか。 22.

(26) 『おにたのぼうし』では、主人公のおにたが、節分の夜にひいらぎを 飾っていない家を見つけ、その家に入り込むことから始まる。貧しい上 にお母さんが病気のため、この家の女の子には食べるものもろくにない。 それを見たおにたは同情して、ごちそうを持ってきてやる。正体を明か して、優しいおにもいることを示したいおにただが、女の子に正体がば れたら大変なことになる。そんなおにたの迷いを「ぼうし」が象徴して いる。また、彼の優しさは、次のような行動にも表れている。一方では 「見えないように、とても用心していた。」「ねずみのようにかくれる。」. おにたである。他方、女の子の窮状を見かねて、正体がばれるかもしれ ないのに「せなかがむずむずするようで、じっとしていられなくなる」 「もうむちゅうで、寒い外へとび出していく」のである。この矛盾した 思いや行動は、彼の優しさから発している。そして、そこにこのお話の 主題があり、はじめに何気なく出てくる「角かくしのぼうし」が、伏線 になっているのである。. 以上、本節では、対比は言語上の問題であるばかりでなく、人間が世 界を認識する上で最も基本となる認識の方法であり、したがって、対比 を見ていく場合には、言語表現の裏にある語り手のものの見方や考え方 を常に考えていく必要があることを述べた。次に、対比表現と並んで、 文学教材の分析にとって重要な反復表現について述べる。. 第4節 反復表現 反復表現とは、語や句、節、文などの言語要素をくり返す表現のこと である。中村明(1991:131−167)は表現技法について述べた中で、「〔反. 復〕としてまとめられる表現技法」は修辞的な言語操作として「同一ま たは類似の表現がある種の規則性を保ってあらわれるという点に主眼 を置く技法の一群である。」ととらえ、「何らかの単位の言語要素をく り返す表現法」であると述べている。どのような要素が、どのような規 則性を持って表れるかによって、様々なバリエーションがあり、中村 (1991)は39もの分類を示している。しかし、いたずらに細かい分類は 実践的ではないので、本稿においては、小学校段階の授業を考慮して、 何らかの言語要素がくり返されているものは、すべて「反復表現」とし てとらえることにする。次に反復の例を見てみよう。 23.

(27) (1)語の反復. 「じいさまは、とんぼりとんぼり町を出て、村のはず れの野っ原まで来ました。」. (2)句の反復. (『かさごじぞう』). 「一つだけ……。一つだけ……。」と、. これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。 (『一つの花』) (3)節の反復. 「五月になれば一。」「五月になれば?どうして? 五月はまだ、やまべ禁漁だぞ。」. (『五月になれば』) (4)文の反復. 「あの日も、ぼくは自転車に乗っていた。」 (『やい、 とかげ』). 中でも、『やい、とかげ』に出てくる「あの日も、ぼくは自転車に乗っ. ていた。」の文は、第2場面だけで、何と4回も用いられている。この 反復によって主人公と自転車の結びつきの強さが強調されている。 さて、反復は単なるレトリックや修辞法上の一技法ではなく、人間の 認識と深いかかわりがある。我々が外界のものごとを認識し、理解しよ うとするとき、違う点に目をつけて認識する方法と、似ている点に着目 して認識する方法がある。前者が対比であり、後者が類比である。後者 の類比は、類似性に着目した認識方法であり、反復表現と関係する。反 復は対比と並んで、人間の最も基本的で、大事な認識方法である。さら に反復表現は強調の方法でもあり、人物像や主題を強調する(15)。した. がって、反復表現をとらえていけば、人物像や世界像が明らかになり、 主題を読み取ることにつながる。小学校教材には、民話をはじめとして、 この反復表現がたくさん用いられているので、注意深く読ませたい。次 に、具体例を見てみよう。. 小学校教材の反復表現としては、まず第1に『おおきなかぶ』をあげ なければならない。この作品は、反復をもとにした典型的な作品である。. おじいさんは、自分が育てたとてつもなく大きなかぶを抜こうとするが 全く抜けない。そこでおばあさんをはじめ、まごや犬などたくさんの人 たちに手伝ってもらい抜こうとするが、それでも抜けない。最後にねず みが加わることで、やっと抜けるというお話である。ここでは、次の① 24.

(28) ∼④のような表現が、5回忌出てくる。. o. [=互=コは[=亘=コをよんできました。. @. [=匡コが[至]をひっぱって一一。. @. うんとこしょ、どっこいしょ。 [三iコかぶはぬけません。. @. ところで、反復は強調の方法である。かぶ抜きの行為を反復すること で、何が強調されるのか。この行為の結果はどうかというと、ねずみが 参加する時点までは抜けないのである。したがって行為の反復は、かぶ の大きさを強調することになる。イメージとしては、だんだんかぶが大 きくなってくる。しかも参加する人物の協力するイメージも次第に大き くなっていく。かぶも協力性も、両方相まって拡大していく。そして最 後に、やっとのことでかぶがぬける。しかも、最も力の弱い、小さなね ずみが参加することによって抜けるところに意味がある。この点につい ては後述するが、この順序が逆だと、ねずみの重要性が出てこなくなり、 単なる協力の大切さしか表現されない。この反復表現によって、語り手 が、かぶやかぶ抜き行為をどのように見ているかが大事になってくるの である。. 『川とノリオ』は、戦争を扱った教材として有名である。反復表現が たくさん使われ、それだけを読んでも主題が見えてくる。八つの小見出 しがついているが、「八月六日」の場面では、川の描写にくり返しが多 用されている。次に、その部分を引用する。 「…ノリオの黒いゴムぐつを、川はたぶたぶ流していった。ノリオの まつさらな麦わらぼうしも、川はぷかぷか流していった。ノリオの黒い パンツまで、川は流してしまったが、すぐにそんな物を取りもどして、 ノリオのおしりにおしおきする母ちゃんが、今日は、来なかった。黒い. ゴムぐっは一。麦わらぼうしも帰ってこない。匙パンツも、 行ったきり……」 何とこの数行の間に、 「流していった(しまった)」. が3回現れ、 「黒い」という色彩語が4回現れ、 「帰ってこない」の反 復もあり、非常に特徴的である。また、 「今日は」という言葉だけを、. 読点で区切って強調している点など、すべてが何か不吉なものを予感さ 25.

(29) せ、不安をかきたてる。. 「また、八月の六日が来る」の場面では、 「あの日」という言葉が4. 回も出てくる。「いくたびめかのあの日がめぐってきた。まぶしい川の まん中で、母ちゃんを一目じゅう、待ってたあの日。そしてとうとう母 ちゃんがもどってこなかった夏のあの日。ドド……ンという遠いひびき だけは、ノリオも聞いたあの日の朝、母ち・やんはヒロシマで焼け死んだ という。ノリオたちがなんにも知らないまに。」このくり返しは、あの 日さえなければ、というノリオのせつない気持ちを強調する。 以上、本節では、反復は対比と並んで人間の最も基本的かつ大切な認 識方法であることを述べた。次期では、比喩表現について述べる。. 第5節 比喩表現 比喩とは、あるものを通して、別のものにアクセスする思考のメカニ ズムである(16)。例えば、生まれてはじめて見るものを表現しようとす る場合、色や形などの特徴をいくつか挙げていくのが一般的であろう。 しかし、「∼みたい」「∼のようだ」のような言い方を使ってひと言で 表現することもある。後者のような表現が比喩である。George Lakoff とMark Johnsonが隠喩について、 「メタファーの本質は、ある事柄を 他の事柄を通して理解し、経験することである。」(17)と述べているよ うに、ある物を説明するのに他の物を借りて表現する方法である。言い. 換えれば、既知のAを利用して、AでないものをAとして理解する拡散 的思考能力である。. 一般に、比喩には直喩と隠喩があるとされている。直喩とは、似てい るものを「∼みたいな」「∼のような」などのような形式で結ぶ方法で あり、(広義の)隠喩とは、「∼のような」という形式をとらないでたと える方法である。しかし、比喩を狭くとらえ、言葉が本来の意味と異な った意味で用いられる(「転義」を伴う)場合のみを比喩としてとらえる なら、直喩は狭義の比喩ではない。例えば「山のような男」では、山も 男も本来の意味で使われている。そこで、転義を伴うものだけを比喩と 考えれば、比喩には(狭義の)隠喩、換喩、提喩の三つがあることになる。. まず第1に、(狭義の)隠喩とは、たとえるものとたとえられるものの 間に、似ている点を見つけて表現する方法である。言い換えれば、類似 26.

(30) 関係でたとえる方法である。例えば、「彼女は職場の花だ。」というと き、彼女の明るさや華やかさと、花の持つ明るさや華やかさを似ている (類似する)ものと見なしてたとえている。小学校教材では、「コスモス のトンネル」(『一つの花』)「ごま塩のひげ」(『川とノリオ』)などが その例である。. 第2に、換喩とは隣接関係(全体と部分、前と後、原因と結果など) でたとえる方法である。例えば、「ペットボトルを飲む」「夏目漱石を 読む」などである。前者は容器で中身(お互いにつながっている)を表わ し、後者は作者で作品を表わしている。小学校教材では、「もちつき(つ くのはもち米であり、もちはついた結果である)」(『かさごじぞう』) 「問題はポケットだ(実際はポケットではなく、ポケットの中身カミ問題 なのである)」(『のらねこ』)などがその例である。. 第3に、提喩とは包含関係でたとえる方法である。例えば、 「花見に 行く」 「ご飯を食べる」などである。前者は、花で桜(カテゴリーの上 位のもので下位のものを表現)を表わし、後者はご飯で食事(カテゴリー. の下位のもので上位のものを表現)を表わしている。小学校教材として は、 「悲しい知らせ(ここでは死を表わしている)」(『わすれられない おくりもの』)「茶わん(本来はお茶を飲む器)」(『ごんぎつね』)など. がある。提喩は日常生活の中に深く入り込み、一般化しているので気づ かないことが多い。. 小学校段階での指導を考えると、換喩や提喩といった細かい分類は無 理があり、直喩、(広義の)隠喩、擬人法の3種を区別することが実践的 であろう。中でも、擬i人法は人間にたとえて述べる方法であり、通例直 喩、隠喩と区別して用いている。小学校教材には擬人法が非常にたくさ ん見られ、児童にも比較的わかりやすいので、比喩指導の導入素材とし ても効果的である。. 比喩は、レトリックとしての表現技術であるばかりでなく、人間の認 識と深いつながりがある。例えば、 「らんまんとさいたすももの花が、 その羽にふれて、雪のように清らかにはらはらと散った。」(『大造じ いさんとがん』)のように、すももの花の散る様子を雪でたとえている ところに、語り手のものの見方や考え方が表われている。普通関連のな い二つの事柄が、比喩によって結びつけられる時、そこに意外性を生み、 27.

(31) 認識を新たにすることもしばしばである。したがって、あるものを何で たとえているかに注意して読んでいく必要がある。次に教材の例を見て みよう。. はじめに、隠喩を取り上げる。 「自分がいっか長いトンネルのむこう に行ってしまっても、あまり悲しまないようにと、いっていました。」(『わ. すれられないおくりもの』)主人公のあなぐまが自分の死を予感し、あと に残った友達に日頃話していた言葉である。自分が死ぬことを、 「長い. トンネルのむこうに行く」と表現している。この隠喩からは、死に伴う 暗いイメージがあまり感じられない。あなぐまは、自分の死を悲しいも のだとは思っていない。だから、友だちに悲しんではいけないとメッセ ージを送る。この物語は、死を扱ったものでありながら、暗い感じがほ とんどない。実は、それがこの作品の主題であり、読者である子どもた ちへのメッセージなのだ。. 2番目に、換喩の例を見てみよう。 「父ちゃんは小さな箱だった。」 (『川とノリオ』)がその例である。戦死した父ちゃんが、遺骨となって. 帰ってきた場面で使われている。人間である父ちゃんを、単なる物であ る箱でたとえている。また、ノリオから見れば頼もしい、大きな大きな 父ちゃんであったろう。その父ちゃんが、白木の軽い「小さな」箱とい う姿で、変わり果てて戻ってきたのだ。この両者の落差が大きいだけに、 また直喩のようにくどくど説明しないだけに、読者には深い感動が広が ってくるのではないか。. 3番目に、提喩の例をあげる。 「茶の間も、客間も、子ども部屋も、 台所も、げんかんも、手あらいも、ていねいにまきました。」(『おにた のぼうし』)この教材の冒頭、おにたのいる家のまこと君が豆まきをする 場面である。このようにていねいな豆まきによって、おにたは居場所が なくなり、この家から出て行かなければならなくなる訳だが、この中で 「茶の間」という表現が提喩である。本来は、お茶を飲む部屋と・いう意 味であろうが、一般に「居間」「リビングルーム」を表わしている。「茶 の間」という下位概念で、テレビを見たり団らんをしたりする上位概念 としての「居間」を表わしている。 最後に、擬人法の例を見てみよう。 「いつもせいくらべをしては、 けんかばかりしていました。」(『けんかした山』) この物語は二つ 28.

(32) の山がささいなことでけんかばかりするので、まわりのみんなに迷惑を かけるという話である。1学年の9月教材であり、この時期の子どもた ちにとって最適な教材であろ・う。学校生活にも慣れ、自分の感情をスト レートに出すようになった子どもたちには、けんかは日常のものであろ う。その子ども達に、わが身をふり返らせるという意味で、教材価値は 高い。この教材は、擬人法によって、山を人間にたとえて描いているた め、読者は容易に山に同化することができる。自分の身に置きかえて、 二つの山の無意味なけんかを体験し、自分達もまわりに迷惑をかけるこ とがあることに気がつくのではないか。「火のきえた山は、しょんぼ りとかおをみあわせました。」で、 「しょんぼりと」 「かおをみあ わせる」体験は、まさしく自分の姿を見ているように感じるものと思う。 以上、本節では、比喩表現について述べた。次節では、登場人物のこ とばの引用形態である、話法について取り上げる。. 第6節 話法 本節では、観点⑥の「話法」を取り上げる。話法とは、登場人物の言 葉がどのように語り手によって引用され、語られているのかということ である。登場人物の発言をそのままの形で引用する方法を直接話法とい い、登場人物の言葉を、現在の語り手の立場から言い換えて述べる方法 を間接話法と言う。直接話法と間接話法は、次のように例示される。 (1) 「雪が降ってきた。」と、母が言った。 (2). 雪が降ってきたと、母が言った。. (1)は直接話法の例であり、(2)は間接話法の例である。いずれにも語 り手が介在し、登場人物の言葉を読者に伝えている。ところが、語り手 の介入の程度(度合い)には差があり、その間に様々な段階が存在する。 直接話法と間接話法の間を埋めるものとして、 「自由間接話法」と「割 り台詞」があり、以下に詳述するが、いずれも従来それほど注目されて 来なかったものである。 自由間接話法 29.

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