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⑦ * 一日中川の中にいたノ 潟I

⑧ * 帰ってこない母

⑨「おぼんの夜」

i八月十五日)

敗戦 くどの火、白く

⑩  * じいちゃんの子になる

⑪「また秋」 父ちゃん帰る 銀色

⑫「冬」 祖父と二人の生活 なまり色 白い なまり色青い

⑬  * タ白露の父ちゃん

小学二年のノリオ うす青 ギラギラ 銀色 キラキ

⑭「また八月の

@六日が来る」

ラ暗い趣L   圃

⑮ * 追想 青い まぶしい 青々 青い一

⑯ * ノリオの仕事 白い (葉桜)

⑰エピローグ 【川の描写】 日の光

[表9]について、説明を加える。小見出しの欄の「*」印は、教科書で 実際に示されているものであるが、内容欄は、筆者の判断で書き加えた ものである。また①と②、及び、⑯と⑰の間の太線は、②から⑯が額縁 構造の内側になっていることの反映である。

観点①=題名

 本教材の題名は、題名の4分類のうち、Cの「題材のうち主題により 近いもの」に分類した。前述したが、この題材は、Aの「登場人物を表 す」グループに分類できないこともない。実は、この分類が、主題の把 握と密接に結びついている。以下に、この点の異同を含めて詳述する。

 まず、Aの「登場人物を表す」に分類すると、川を人物と考えること になる。まず、「川とノリオ」という順序をみると、いわゆる「XとY」

型に属するので、川が主題を表わしていると解釈することになる。しか し、本文では、川は自然形象としてしか描かれていない。たしかに、擬 人化して描かれている部分もあるが、全体として見れば、川は主人公の ノリオを無視して、彼とは無関係に流れている。川を人物と考え、例え ば、ノリオの親しい友人であるというような分析には無理がある。

 そこで、Cの「題材のうち主題により近いもの」と考え、川とノリオ を題材として扱うと、どうなるであろうか。その場合は、ひとまず、川 とノリオを並列化して捉えることになり、両者でもって主題を担うもの

と考える。しかし、叙述の順序からいっても、ウエイトが川にあること は否定できない。そこでまず、読み取りとしては、川よりもノリオの描 写カミ中心に描かれているため、はじめにノリオの言動を捉え、それとの 関係で川の描写を押さえることにする。ここでの「ノリオ」はカタカナ で表記されているように、当時のすべての少年を代表する存在であると 考えられる。この時代の少年達は、多かれ少なかれ同じような生き方を していたことを示している。したがって、このような悲惨な境遇は、ノ リオだけでなく、当時の少年達の多くが背負った運命であったと分析で きる。それでは、川の形象は、どう考えたらよいであろう。時に、ノリ オに寄り添いながらも、彼の存在を無視して流れる川。この川の形象は、

「世の中の大きな流れ」の比喩と考えることができる。つまり、個人に とって、どんなに悲惨な運命も、歴史という大きな流れから見れば、と るに足らないものであり、悲惨な戦争さえも、その例外ではない。本作 品は、戦争というものの非人間性を描くとともに、人間がどんなに苦し もうとも、そんなものを一顧だにしない、歴史の大きな流れを表わして いるのではないか。しかも、題名は『ノリオと川』ではなく、『川とノ

リオ』であり、川の大きさが強調されている。

観点②=呼称

 本教材には、8人の人物が描かれているが、ノリオ、母ちゃん、じい ちゃん以外は、背景となる人物であり、固有名詞は出てこない。一見、

「ノリオ」や「タカオ」は、固有名詞と見える呼称であるが、カタカナ 表記である点で、固有名詞的ではない。ということは、この作品は、普 通名詞で表現される人物によって構成されている物語だということにな

る。この点について、次の2つの観点から裏付けしておこう。

 まず、1点目は、叙述の仕方との関連である。この作品には、会話文 がなく、登場人物同士が呼び合う場面がない。したがって、呼称は、語

り手からのものしかない。唯一「また早春」の場面で、ノリオが川と遊 ぶ箇所に「(ノリオ、ノリちゃん、この悪ぼうず。今度川へなんぞ入った

ら、このおしりにやいとをすえてやろ……。)」と、川がノリオに呼びか けているような所があるが、これは、丸かっこ「( )」で示されている ように、ノリオがそのように感じているということであり、語り手がノ

リオの思いを代弁していると考えられる。つまり、この作品は、すべて が語り手を中心とした、語り手側からの表現ということになり、その呼 称が「ノリオ」 「タカオ」や「母ちゃん」 「じいちゃん」のような、カ タカナ表記と普通名詞で構成されているのである。語り手にとって、便 宜上の呼び方でしかないといっていいのではないだろうか。

 第2点目は、視点との関係である。この教材は、基本的には3人称客 観視点による作品であり、語り手はノリオをはじめとする登場人物の言 動を、外側から淡々と語る。しかも、 「夏」の空襲の場面以外、戦争そ のものを語っている所はない。4学年教材である『一つの花』のように、

戦争自体を語らないために、返って戦争の非人間性が浮かび上がってく る。つまり、読者は、登場人物の言葉によって彼らの内面を理解するの ではなく、語り手とともに彼らの様子を見つめることによって、外側か ら想像するしかない。このような叙述形式と視点を取ったことは、何を 意味するのだろう。それは、語り手のものの見方や考え方の反映である。

つまり、視点の観点からすれば、この物語は、ノリオという個性を持っ た人物の物語ではなく、ノリオは当時の少年達の典型であり、多くの少 年がそうであったということを描いているといえる。この点で、 「即下 オ」や「ノリオ」という呼称に、固有名詞としての必然性はない。また、

「タカオ」については、父親が生きていた子の典型であり、ノリオから 見れば羨望の的であったろう。 「大きな、たのもしそうな、タカオの父 ちゃん」と表現されていることからも、そのことがわかる。 「子供の手 を引いた女の人」という呼称も、 「タカオ」との対比でいえば、母親が 生きている子もいるという風に分析できる。その点から見れば、両親の いないノリオの境遇が、浮かび上がってくるのではないか。

観点⑤=比喩表現

 本教材には、比喩表現が多用されているが、中でも擬人法が特徴的で ある。特に、作品の冒頭にある「その川は、…、茶わんのかけらなどし ずめたまま。」という表現は、重要な伏線となっている。 [表9]の⑭

「また八月の六目が来る」の場面で、川からノリオが拾う「びんのかけ ら」は、彼の思い出の象徴であり、それをのぞくことにより、彼は、幼 い頃の自分を思い出す。そして、次の⑮の場面で「青いガラスのかけら」

を川の水になげ返すと、また現実に連れ戻されるのである。つまり、び んのかけらをのぞいている間、彼は思い出の世界に浸ることができる。

しかも、その思い出の「びんのかけら」を、取っておくこともできたで あろうに、ぽんと投げ返してしまうのだ。ここには、過去の悲しい思い を振り切って生きようとする、ノリオの健気な気持ちが表現されている。

このように、川にたくさん落ちているであろう「茶わんのかけら」は、

ノリオだけでなく、たくさんの人々の楽しい思い出や悲しい出来事など、

多くの歴史を沈めてきたのである。どんなに世の中が変わろうとも、川 は「日の光を照り返しながら、いっときも休まず流れ続ける。」のであ る。擬人法の観点から見れば、それらの歴史を沈めているのは、川であ り、川を大きな自然の典型と考えれば、それらは自然の摂理によってい ることになる。最後に、「日の光を照り返しながら」という表現で、語 り手が、ノリオの将来を明るい目で見ていることがわかり、救われる思

いがする。

観点⑦=構造・構成

 本教材は、[表9]のように、8つの小見出しを含めて、17の部分から 成り立っている。大きく分けると3つで、いわゆる額縁構造と見ること が出来る。額縁の外は、いずれも川の描写で、 「日の光」が基調になっ ている。つまり、日の光にあふれた川の描写の中に、ノリオの物語が挿 入されているのである。さらに、額縁の中は、[表9]の色彩関係語句の 項で明らかなように、金色・黒色・青色の3つの色で特徴づけられる、

3部構成と見ることが可能である。これについては、さらに後述する。

また、叙述について着目すると、『一つの花』のように、背景として戦 争が描かれながらも、戦闘や爆撃の様子はほとんど描写されていない。

また、ノリオやじいちゃんの内面は語られず、様子が描かれるだけだが、

それだけに、逆に、彼らの悲しみが胸に強く迫る。

 また、この17の節は、対等の関係ではない。額縁に当たる①と⑰を除 いて、額縁の中だけで考えると、④「また早春」と、⑭「また八月の六

日が来る」が、異様に長いのである。つまり、文章構造の面から見ると、

④と⑭がこの教材の中心と考えられる。前述した、3部構成のうち、金 色と青色が中心となっていると思われる。[表9]を見てほしい。内容面

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