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文章には大別すると、文学的文章(芸術性の高い文章)と、説 明的文章(実用的な文章)とがある。 文学的文章とは、小説、詩、短歌などのことであり、歌い出 さずにはいられない、叫ばずにはい‘ら勺れない感動や苦悩を描い た﹁人間の真実の姿﹂とも一ヲ 章とは、新聞、雑誌、評論などのことであり、言わば、生活の 必要を満たすために書かれたものである。 ところで、従来、国語科の指導は、こういった文学的文章を 読み味わわせ、その芸術的価値に気づかせることに、重点がお かれて来たように思われる。もちろん、豊かな想像力や、あた たかい思いやりの心を育てるには、そういった文学教材の方が 適しているが、今日の社会の状況を考えると、説明的文章学習 の必要性と重要性を痛感せざるをえない。 というのは、我々をとりまく言語環境を考えると、圧倒的に、 説明的な文種の読みものが多いからであり、最近の若者の思考 と行動様式が、あまりにも非論理的様相を呈しているからである。津
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文学的文章にはなく、説明的文章のみが内在させている特質 は、その文章構成の論理性である。そういった論理的文章を学 習することで身につく、論理的思考の態度こそ、現代日本の若 者に必要な態度の第一のものと考えるのである。 ところで、説明的文章の指導の目標を、論理的思考力の育成 と、将来生きて働く力の養成ということにすえるならば、従来 の形式的な説明文指導では、その目標を達成することはできな い。内容を理解させ、時記させて満足するというあやまちに陥 らぬよう留意し、あくまでも、﹁理解のしかた﹂を学ばせる指 導の展開に努めていかねばならないのである。 さて、説明文と一口に言っても、その特質によって、大きく、 一一つに分けられる。記録や報告、説明を主とした情報的説明文 と、意見や主張、論説を主とした論説的説明文である。先に述 べた学習目標の達成を目指し、それぞれの文章の特性を十二分 に生かすことを考えた指導の展開例の一端を、ここに提示して みたいと思う。一、情報的説明文 情報的説明文は、我々に各種の情報を提供するもので、カタ ログやパンフレット、百科事典や入門書等、我々の身のまわり は、そういった文章であふれでいる。国語教室でこの種の文章 を学習させる時、我々指導者が負う役目は、生徒達が雑多な情 報をまとまりもなく覚えるだけで、そういった種類の文章の読 み方や、情報の受け取り方を、身につけずに終わることのない ように気をつけることである。そして、こういった力をつけさ せることこそ、今、他教科(特に理科や社会科等)から、基礎教 科としての国語科に期待されることではないだろうか。 それでは、我々は、情報的説明文を、どのように指導してい けばよいのだろうか? まず、文章を読み、あふれる・言葉の渦の中から、速く、適確 に、キーワードをぬき出す練習をさせることである。最終的に は、何のよりどころがなくても、キーワードが選び出せるよう な力をつけたいが、学習の過程では、次のように、ワークシー ト等を利用して、キーワードに気づかせてもよいと思う。 資 料 ① 自然と人間 加か 藤i 陸奥雄 回人聞の生活には、二つの世界がある。一つは生物的自然 の世界であり、もう一つは技術的創造の世界である。 図人間以外の生物は、生物的自然の世界にその生存のすべ てを託している。しかし人間は、他の生物とは比較になら ないほど卓越した創造力を与えられ、文化を築きあげる能 力を与えられた。そのような能力をもった人聞は、生物的 自然の世界にその全生命をゆだねてしまうことを快しとせ ず、その自然を対象としてとらえ、自然の脅威から脱し、 心豊かな、そして物質的にも恵まれた人間独自の世界をつ くり出そうとした。これが技術的創造の世界である。自然 に対する人間の働きかけは、こうして始まった。その結果 として、自然は次第に変貌することになった。
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固段落をあ げて述べてみたい。 資 料 ② 固ある幼稚園の先生から質問を受けたことがあった。園児 たちが自然に対する理解をもつようになることを願って、 金魚鉢に金魚を育て、花壇にチューリップなどを植えて、 園児たちといっしょに世話をしながらそれらの生活ぶりや 育っていくありさまを話し合うような日々を送っているが、 それで目的が果たせるものでしょうか、というのであった。 これは、﹁生物的自然﹂と﹁技術的創造﹂との関係の本質 にかかわる聞いである。 固いうまでもなく、金魚は生きものである。だから、金魚 を飼育し観察していくことによって、その生活のありさま が理解できるし、またそれに対する愛情もわいてくるであ ろう。しかし、金魚は生きものではあっても自然物ではな あ い い。人聞が年月をかけ、品種改良を重ね、でつくりあげた愛 がん 玩動物である。チューリップも同ピで、人聞がっくりあげ h v -e た花弄植物である。人聞がっくりあげたものであるからこ そ、金魚の生活の場も人聞がつくってやらなければならな い。それが金魚鉢である。餌も人聞が与えなければならな い。チューリップも同じであって、人聞が手塩にかけてや らなければならない。それなくしては生活は保障されない。 つまり、それらは自然の中に存在するのではなくて、人聞 がっくりあげた技術的創造の世界の中の存在である。 固それでは、例えば﹁メダカ﹂や﹁スミレ﹂はどうであろ うか。メダカという言葉から、わたしたちはすぐさま﹁小 川﹂を思い浮かべる。メダカの生活の場は小川であり、メ ダカの餌も小川の中におのずからに備わっている。なんら 人手を煩わすことなく、メダカは小川の中で、小川という 自然をつくりあげる一つの要素となって生活している。小 川のメダカを追って遊ぶ子供は、メダカを主役として小川 という自然の中で遊んでいるのである。同様に、スミレを 摘む子供は、それを一つの要素としている﹁野山﹂という 自然の中で遊んでいるのである。メダカといえば小川を思 い浮かべ、スミレといえば野山を思い浮かべるのは、メダ カやスミレが生物的自然の世界の中の存在だということに ほかならない。 固さきに述べた幼稚園の先生の問いは、﹁わたしが千供た ちに与え続けてきたものは、本当の自然なのでしょうか己 という疑問である。それに対する答えは、これまでに述べ てきたことによって明らかなように、﹁それは、人間の技 術的創造によってつくり出された人為的なものであって、 本当の自然ではありません己ということになる。 ﹂の部分のキーワードとしては ﹁金魚・チューリップ・メダカ・スミレ・愛玩動物・花升植物・小川・野山・生物的自然 ・技術的創造﹂などがぬき出されるだろう。これらのキーワー ドを使って、国
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固段落に書かれている内容を、次のようにわ かりやすく作文させてみるのである。 ︿ 例 文 ﹀ メダカやスミレは、小川や野山で生きる、生物的自然の世界 の生物である。しかし、一見同じような自然物と思える金魚や チューリップは、それぞれ、技術的創造によって生み出された、 愛玩動物、花升植物であり、本当の自然とは言えないのである。 もちろん、こういった情報教材そのもののおもしろさを損な わせたり、生徒の知的好奇心を減退させることのないよう配慮 しなければならないが、右に述べて来たような指導をくり返す ことにより、生徒の情報的説明文を読みとる力は、必ず向上す るものと考える。 二、論説的説明文 前段に述べた情報的説明文が、我々の周回にあふれでいるの に対し、論説的説明文は、一般生活の中では、日にふれること も少ないように思われる。これは、事実や現象の一つ一つに目 を奪われることなく、ものの見方、考え方を中心に叙述する文 章で、文字通り、論理的な構成を持つものである。 そういった特性を考えると、この種の教材を学習することで、 生徒の論理的な思考力や論理的に思考する態度が育成できるは ずである。とすれば、この種の文章こそ、ものごとを論理的に 見、考え、表現できる人間作りということに目標を置き、指導 していかねばならないだろう。 ところで、論説的説明文は、先にも述べたとおり、すじみち のすっきりと通った文章で論理的な構成を持つ。筆者は、読者 に向かってある結論を述べようとする。その結論は、もちろん、 筆者の広い体験、深い認識から導き出されたものであるため、 ある意味では﹁真理﹂に近いと言えるだろう。 しかし、世の﹁真理﹂と呼ばれるものの大部分がそうである ように、それは平易で、ともすると、読者に、﹁なんだ、それ くらいのこと、私でもわかっていた己の感を抱かせてしまう。 ︿ 結 論 例 ﹀ O それゆえ、広く学ぶことが大切になってくるのである。(福 井謙一﹁広く学ぶ心﹂) O 要するに、批判的精神とは、一切の偏見を除去して、虚心担 懐に判断しようとする心構えにほかなりません。編見を捨て 去り、常に柔軟な心を維持することを、われわれは絶えず心 がけねばなりません。一切の意見に対して疑いを抱くという ことは、このために必要なのです。 (岩崎武雄﹁批判的精神﹂) それゆえ、従来の一段落から順に、段落をおって読んでいく 方法は、ともすれば、わかりきった結論に向かって、何の感動 もなく、淡々と要点をむさえていくだけの、退屈な授業を生み 出してしまうことになる。これでは、その教材のすばらしさに-29-気づくこともできないし、また、その筆者の論理的文章構成法 を自分のものとすることもできない。 筆者は、一つの結論を出し、それを読者に納得させるために、 結論の根拠となる具体例を選りすぐり、それを、論理的に組み 立てているはずである。つまり、論説的説明文には決まった構 成の型があり、必ず具体例があげられているということである。 そして、この構成と具体例のあげ方のうまさこそ、その文章の 価値を決めるものと・百事えるのである。 それでは、我々教師は、論説的説明文教材を、どのように指 導 す れ ば よ い の だ ろ う か ? そこで、従来の、一段落から順に要点をおさえて読んでいく 方法の見直しということを提案したい。学校で指導する論説文 では、結論は、最後に述べられる。ほとんどの生徒がそれを知っ ている。だから、筆者の主張したいことは、教材を一読しただ けでわかってしまう告が多いのである。それを、指導者が、﹁筆 者は、どんなことを - J いたいのだろうね己的に進めていったの では、生徒が、その教材に興味を失うのも当然のことである。 それならば、思いきって、論説的説明文には、よく使われる構 成法(﹁序論・本論・結論﹂や﹁起・承・束・結﹂など)があるこ とを教え、まず、結論を確認することから始めてみてはどうだ ろうか。そして、むもむろに、こう続けるのである。﹁ところ で、論説文を書く時、筆者が一番注意を払うのは、結論のわも しろさや、意外性にではなく、自分の主張を、いかに多くの読 者に納得させるか、ということなのですよ。つまり、根拠とす るべき具体例のあげ方を、しっかり考えるわけです。だから、 当然、そこに筆者の個性も出てくるのです。さあ、この教材の 筆者の、結論を出すにいたった根拠の部分を、具体例をひろい ながら読んでいってみようね己 生徒は、論説文とはそういったものなのかと驚くだろう。そ して、日を輝かせながら、具体的事象から結論へと結びつける、 筆者のものの見方、考え方のあとをたどろうとするだろう。生 徒がそういった学習活動の中で、筆者の論のすすめ方を理解し たとすれば、それこそ、論理的に思考したということなのであ る 。 こうして生徒は、論説文というものの本質を知る。こういっ た読みとり学習の過程にむいても、我々指導者は、﹁自分が何 かを主張する時も、結論を力説するだけでは、相手を説得する ことはできないね。単なる思いつきではないことを示すために も、根拠をしっかり構成し、表現するよう努めなければね己と、 次の表現活動への興味も喚起したいものである。 というのは、良い論説的説明文は、我々の作文の良いむ手本 にもなるからである。理解と表現は、表裏一体のものであるこ と、表現活動は、国語の総合力が要求されること等も考えあわ せると、論説的説明文学習の最後には必ず、表現活動を位置づ けるべきであろう。その際、構成のしっかりした、説得力のあ る文章を書かせるために、例えば、次のような指導の展開も考 えられるであろう。
︿ 指 導 の 展 開 ﹀ 山今回は、書き出し・根拠・まとめ・結論の四段構成で書くこ とを知らせる。