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説明的文章をどう教えるか

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Academic year: 2021

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文章には大別すると、文学的文章(芸術性の高い文章)と、説 明的文章(実用的な文章)とがある。 文学的文章とは、小説、詩、短歌などのことであり、歌い出 さずにはいられない、叫ばずにはい‘ら勺れない感動や苦悩を描い た﹁人間の真実の姿﹂とも一ヲ 章とは、新聞、雑誌、評論などのことであり、言わば、生活の 必要を満たすために書かれたものである。 ところで、従来、国語科の指導は、こういった文学的文章を 読み味わわせ、その芸術的価値に気づかせることに、重点がお かれて来たように思われる。もちろん、豊かな想像力や、あた たかい思いやりの心を育てるには、そういった文学教材の方が 適しているが、今日の社会の状況を考えると、説明的文章学習 の必要性と重要性を痛感せざるをえない。 というのは、我々をとりまく言語環境を考えると、圧倒的に、 説明的な文種の読みものが多いからであり、最近の若者の思考 と行動様式が、あまりにも非論理的様相を呈しているからである。

文学的文章にはなく、説明的文章のみが内在させている特質 は、その文章構成の論理性である。そういった論理的文章を学 習することで身につく、論理的思考の態度こそ、現代日本の若 者に必要な態度の第一のものと考えるのである。 ところで、説明的文章の指導の目標を、論理的思考力の育成 と、将来生きて働く力の養成ということにすえるならば、従来 の形式的な説明文指導では、その目標を達成することはできな い。内容を理解させ、時記させて満足するというあやまちに陥 らぬよう留意し、あくまでも、﹁理解のしかた﹂を学ばせる指 導の展開に努めていかねばならないのである。 さて、説明文と一口に言っても、その特質によって、大きく、 一一つに分けられる。記録や報告、説明を主とした情報的説明文 と、意見や主張、論説を主とした論説的説明文である。先に述 べた学習目標の達成を目指し、それぞれの文章の特性を十二分 に生かすことを考えた指導の展開例の一端を、ここに提示して みたいと思う。

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一、情報的説明文 情報的説明文は、我々に各種の情報を提供するもので、カタ ログやパンフレット、百科事典や入門書等、我々の身のまわり は、そういった文章であふれでいる。国語教室でこの種の文章 を学習させる時、我々指導者が負う役目は、生徒達が雑多な情 報をまとまりもなく覚えるだけで、そういった種類の文章の読 み方や、情報の受け取り方を、身につけずに終わることのない ように気をつけることである。そして、こういった力をつけさ せることこそ、今、他教科(特に理科や社会科等)から、基礎教 科としての国語科に期待されることではないだろうか。 それでは、我々は、情報的説明文を、どのように指導してい けばよいのだろうか? まず、文章を読み、あふれる・言葉の渦の中から、速く、適確 に、キーワードをぬき出す練習をさせることである。最終的に は、何のよりどころがなくても、キーワードが選び出せるよう な力をつけたいが、学習の過程では、次のように、ワークシー ト等を利用して、キーワードに気づかせてもよいと思う。 資 料 ① 自然と人間 加か 藤i 陸奥雄 回人聞の生活には、二つの世界がある。一つは生物的自然 の世界であり、もう一つは技術的創造の世界である。 図人間以外の生物は、生物的自然の世界にその生存のすべ てを託している。しかし人間は、他の生物とは比較になら ないほど卓越した創造力を与えられ、文化を築きあげる能 力を与えられた。そのような能力をもった人聞は、生物的 自然の世界にその全生命をゆだねてしまうことを快しとせ ず、その自然を対象としてとらえ、自然の脅威から脱し、 心豊かな、そして物質的にも恵まれた人間独自の世界をつ くり出そうとした。これが技術的創造の世界である。自然 に対する人間の働きかけは、こうして始まった。その結果 として、自然は次第に変貌することになった。

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段落 i 人 間 以 外 の 生 物 ・ : : 阿 川 川

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そ の 生 存 の す べ て を 託 し て い る 。 し か し ( ) 人 間 ・ ・ ・ ・ ・ 円

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︺ と 門 川

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︺ と を う え ら れ た 。 1 1 1 1 1 1 1 に そ の 全 生 命 を ゆ だ ね て し ま う こ と 1 1 1 1 1 1 1 1 を 快 し と し な い 。 場 ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ﹀ ︾ ﹀ う 、 , 、 , ※ ﹀ 、 ︽ ︿ ︿ ︿ F P ﹀ ﹀ ︾ ︾ 3 3 3 % ︿︿︿︿︿︿ d a r 対 象 と し て と ら え 自 然 の 脅 威 か ら 脱 し ︹ ← ︺ ︹ ← ︺ を つ く り 出 し た 。

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-27-次に、選び出したキーワードを使って、書かれている内容を 再構築し、文章として表現する練習をさせることである。 例として、加藤陸奥雄氏の﹁自然と人間﹂の固

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固段落をあ げて述べてみたい。 資 料 ② 固ある幼稚園の先生から質問を受けたことがあった。園児 たちが自然に対する理解をもつようになることを願って、 金魚鉢に金魚を育て、花壇にチューリップなどを植えて、 園児たちといっしょに世話をしながらそれらの生活ぶりや 育っていくありさまを話し合うような日々を送っているが、 それで目的が果たせるものでしょうか、というのであった。 これは、﹁生物的自然﹂と﹁技術的創造﹂との関係の本質 にかかわる聞いである。 固いうまでもなく、金魚は生きものである。だから、金魚 を飼育し観察していくことによって、その生活のありさま が理解できるし、またそれに対する愛情もわいてくるであ ろう。しかし、金魚は生きものではあっても自然物ではな あ い い。人聞が年月をかけ、品種改良を重ね、でつくりあげた愛 がん 玩動物である。チューリップも同ピで、人聞がっくりあげ h v -e た花弄植物である。人聞がっくりあげたものであるからこ そ、金魚の生活の場も人聞がつくってやらなければならな い。それが金魚鉢である。餌も人聞が与えなければならな い。チューリップも同じであって、人聞が手塩にかけてや らなければならない。それなくしては生活は保障されない。 つまり、それらは自然の中に存在するのではなくて、人聞 がっくりあげた技術的創造の世界の中の存在である。 固それでは、例えば﹁メダカ﹂や﹁スミレ﹂はどうであろ うか。メダカという言葉から、わたしたちはすぐさま﹁小 川﹂を思い浮かべる。メダカの生活の場は小川であり、メ ダカの餌も小川の中におのずからに備わっている。なんら 人手を煩わすことなく、メダカは小川の中で、小川という 自然をつくりあげる一つの要素となって生活している。小 川のメダカを追って遊ぶ子供は、メダカを主役として小川 という自然の中で遊んでいるのである。同様に、スミレを 摘む子供は、それを一つの要素としている﹁野山﹂という 自然の中で遊んでいるのである。メダカといえば小川を思 い浮かべ、スミレといえば野山を思い浮かべるのは、メダ カやスミレが生物的自然の世界の中の存在だということに ほかならない。 固さきに述べた幼稚園の先生の問いは、﹁わたしが千供た ちに与え続けてきたものは、本当の自然なのでしょうか己 という疑問である。それに対する答えは、これまでに述べ てきたことによって明らかなように、﹁それは、人間の技 術的創造によってつくり出された人為的なものであって、 本当の自然ではありません己ということになる。 ﹂の部分のキーワードとしては ﹁金魚・チューリップ・メ

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ダカ・スミレ・愛玩動物・花升植物・小川・野山・生物的自然 ・技術的創造﹂などがぬき出されるだろう。これらのキーワー ドを使って、国

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固段落に書かれている内容を、次のようにわ かりやすく作文させてみるのである。 ︿ 例 文 ﹀ メダカやスミレは、小川や野山で生きる、生物的自然の世界 の生物である。しかし、一見同じような自然物と思える金魚や チューリップは、それぞれ、技術的創造によって生み出された、 愛玩動物、花升植物であり、本当の自然とは言えないのである。 もちろん、こういった情報教材そのもののおもしろさを損な わせたり、生徒の知的好奇心を減退させることのないよう配慮 しなければならないが、右に述べて来たような指導をくり返す ことにより、生徒の情報的説明文を読みとる力は、必ず向上す るものと考える。 二、論説的説明文 前段に述べた情報的説明文が、我々の周回にあふれでいるの に対し、論説的説明文は、一般生活の中では、日にふれること も少ないように思われる。これは、事実や現象の一つ一つに目 を奪われることなく、ものの見方、考え方を中心に叙述する文 章で、文字通り、論理的な構成を持つものである。 そういった特性を考えると、この種の教材を学習することで、 生徒の論理的な思考力や論理的に思考する態度が育成できるは ずである。とすれば、この種の文章こそ、ものごとを論理的に 見、考え、表現できる人間作りということに目標を置き、指導 していかねばならないだろう。 ところで、論説的説明文は、先にも述べたとおり、すじみち のすっきりと通った文章で論理的な構成を持つ。筆者は、読者 に向かってある結論を述べようとする。その結論は、もちろん、 筆者の広い体験、深い認識から導き出されたものであるため、 ある意味では﹁真理﹂に近いと言えるだろう。 しかし、世の﹁真理﹂と呼ばれるものの大部分がそうである ように、それは平易で、ともすると、読者に、﹁なんだ、それ くらいのこと、私でもわかっていた己の感を抱かせてしまう。 ︿ 結 論 例 ﹀ O それゆえ、広く学ぶことが大切になってくるのである。(福 井謙一﹁広く学ぶ心﹂) O 要するに、批判的精神とは、一切の偏見を除去して、虚心担 懐に判断しようとする心構えにほかなりません。編見を捨て 去り、常に柔軟な心を維持することを、われわれは絶えず心 がけねばなりません。一切の意見に対して疑いを抱くという ことは、このために必要なのです。 (岩崎武雄﹁批判的精神﹂) それゆえ、従来の一段落から順に、段落をおって読んでいく 方法は、ともすれば、わかりきった結論に向かって、何の感動 もなく、淡々と要点をむさえていくだけの、退屈な授業を生み 出してしまうことになる。これでは、その教材のすばらしさに

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-29-気づくこともできないし、また、その筆者の論理的文章構成法 を自分のものとすることもできない。 筆者は、一つの結論を出し、それを読者に納得させるために、 結論の根拠となる具体例を選りすぐり、それを、論理的に組み 立てているはずである。つまり、論説的説明文には決まった構 成の型があり、必ず具体例があげられているということである。 そして、この構成と具体例のあげ方のうまさこそ、その文章の 価値を決めるものと・百事えるのである。 それでは、我々教師は、論説的説明文教材を、どのように指 導 す れ ば よ い の だ ろ う か ? そこで、従来の、一段落から順に要点をおさえて読んでいく 方法の見直しということを提案したい。学校で指導する論説文 では、結論は、最後に述べられる。ほとんどの生徒がそれを知っ ている。だから、筆者の主張したいことは、教材を一読しただ けでわかってしまう告が多いのである。それを、指導者が、﹁筆 者は、どんなことを - J いたいのだろうね己的に進めていったの では、生徒が、その教材に興味を失うのも当然のことである。 それならば、思いきって、論説的説明文には、よく使われる構 成法(﹁序論・本論・結論﹂や﹁起・承・束・結﹂など)があるこ とを教え、まず、結論を確認することから始めてみてはどうだ ろうか。そして、むもむろに、こう続けるのである。﹁ところ で、論説文を書く時、筆者が一番注意を払うのは、結論のわも しろさや、意外性にではなく、自分の主張を、いかに多くの読 者に納得させるか、ということなのですよ。つまり、根拠とす るべき具体例のあげ方を、しっかり考えるわけです。だから、 当然、そこに筆者の個性も出てくるのです。さあ、この教材の 筆者の、結論を出すにいたった根拠の部分を、具体例をひろい ながら読んでいってみようね己 生徒は、論説文とはそういったものなのかと驚くだろう。そ して、日を輝かせながら、具体的事象から結論へと結びつける、 筆者のものの見方、考え方のあとをたどろうとするだろう。生 徒がそういった学習活動の中で、筆者の論のすすめ方を理解し たとすれば、それこそ、論理的に思考したということなのであ る 。 こうして生徒は、論説文というものの本質を知る。こういっ た読みとり学習の過程にむいても、我々指導者は、﹁自分が何 かを主張する時も、結論を力説するだけでは、相手を説得する ことはできないね。単なる思いつきではないことを示すために も、根拠をしっかり構成し、表現するよう努めなければね己と、 次の表現活動への興味も喚起したいものである。 というのは、良い論説的説明文は、我々の作文の良いむ手本 にもなるからである。理解と表現は、表裏一体のものであるこ と、表現活動は、国語の総合力が要求されること等も考えあわ せると、論説的説明文学習の最後には必ず、表現活動を位置づ けるべきであろう。その際、構成のしっかりした、説得力のあ る文章を書かせるために、例えば、次のような指導の展開も考 えられるであろう。

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︿ 指 導 の 展 開 ﹀ 山今回は、書き出し・根拠・まとめ・結論の四段構成で書くこ とを知らせる。

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四枚の構成カ l ドを準備し、まず、結論を各自考えさせ、結 論カ l ドに書かせる。 叩根拠となる具体的事実を、自分の体験の中から考えさせ、根 拠カ l ドに書かせる。(できれば、例は、二っか三つ考えさせる。) 凶先の例を、一般的な形にまとめさせ、まとめカードに書かせ ' h v

問書き出しを工夫させ、書き出しカ l ドに書かせる。 附四枚のカ l ドを順に並べ、推献し、清書させる。 問自分の作文を、みんなの前で読んで発表させる。 ﹁徳島大学国語国文学﹂投稿規程 一、本誌は、徳島大学国語国文学会の機関 誌(毎年三月末刊行予定)として、多くの 会員の投稿を歓迎する。 一¥投稿は、原則として会員に限るが、そ れ以外に依頼することもある。 一、投稿論文は、四百字詰原稿用紙三十枚 以内を原則とする。このほかに、研究ノ ート(同二十枚程度)、授業報告(同十な いし十五枚程度)なども受け付ける。 一、投稿論文には、四百字詰原稿用紙二枚 こういった方法で書かせた作文は、非常に筋の通った文章に なる。とりあげたテ l マの優劣や、文章表現の巧拙はあっても、 どれもそれなりに、説得力のある文章になるから不思議である。 生徒自身も、それを感じ、成就感、満足感にひたり、あらたに 書く意欲をわきあがらせるのである。 ﹁今の生徒は、論理的に考えようとしない。また、説明的文 章の学習活動で、どんな力を身につけさせればよいのかわから な い 己 これが、私を含めて、現場の教師の、嘆息まじりのつぶやき である。今までに述べて来たことが、このなげきを解消するた めの、一指導法であることを確信している。 程度の要旨を添え、氏名・住所(電話番 号)・所属・最終学歴(卒業年)を明記 のうえ、本学会事務局宛送付されたい。 一、投稿の締切は毎年十月十五日とする。 一、採否は、理事会に一任されたい。 一、校正は、初校のみを執筆者にまわし、 以後は事務局で行うことを原則とする。 ただし、特に事情ある場合は申し出られ た い 。 一、掲載論文の執筆者には、本誌二部を贈 呈する。抜刷を希望する場合には、実費 -31-を申し受ける。 ﹁徳島大学方言研究会﹂の御案内 主として徳島県の方言を、言語学・民俗 学的方面から研究することを目的にして、 ﹁徳島大学方言研究会﹂が、徳島大学国語 国文学会の下部組織として発足する。 第一回研究会は、 昭和六十三年六月四日(土)午後二時

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総合科学部三階国語学研究室にて行われる。 会員参加無料。

参照

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